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「直覚霊知」59 霊的精神の崩壊(秘学論理) 業火に焼かれる世界は、何よりも悍ましい形姿をした魔物の棲み家となっている。公正な眼で此れを考察すれば「直覚霊知」を持ち出すまでもなく、感覚的には知覚出来ない此の世界も、其程に信じ難いものではない筈です。しかし、直覚霊知が捉える霊眼では、感覚的にも信じ得る恐ろしげに徘徊する魔物は、絶対世界に在ってはならない創造者の絶対的な本性上の様態のものが、人間の欲望が介在して、その様態の変化によって産み出されてきたものです。その魔物は唯只管に慾望を求め、人間の慾望を喰らうことによって自らを拡大して来たのです。たとえ、人間が此の魔物を霊視できないにせよ、自己の中の慾望がその魔物との共鳴が其れを認識させることは確実だと言えましょう。ところで、劫火或いは劫火と呼んでもいい世界は、人間の霊魂が不純なものであれば、その魔物に養分を与えることになり霊魂を破滅させます。生前に在っても自我が此の魔物に取り憑かれると、自己の霊的精神を崩壊させ、魔物の餌として供与されるのです。
2013年11月30日
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「直覚霊知」58 慾望の残存を喰らう(秘学論理) 人間の死後暫くの時を経ての霊域世界の、死後に霊魂となった真の衣を纏った全き霊界にあなたを迎えるのは、通常の認識では、生命を失った時に直ぐにでも生じると想われますが、生前の物質界を外感覚的に志向していた慾望が、あなたを黒雲で闇に隠して閉ざしていたのでそのようにはいきません。其れは人間の聖域である筈の世界に、生前意識の残存である慾望の中に悪霊が侵入して、生前意識を慾望となして喰らうために、生きた存在のように出現するからです。この事はダンテの神曲が如く段階を踏んで、人間が霊的なものを知覚出来るように成った時に直ちに生じます。此の生きたような存在は人間の欲望の根源の全体存在である。死後の人間には此の世界は、「直覚霊知」的には、まるで魔物の巣窟と観想できます。其れ等は破壊を好み、悪への迸る情熱を抱いています。其れは人間の想像する悪とは、かけ離れて強力で、霊魂の破壊への情熱が漲っています。其れに比肩すれば、我々の経験する悪など物の数ではない。真の彼等の誕生は、実は人間自身の慾望が産み出したもので、それが強力化したもです。其れ故、人間の變化(へんげ)したものとして、残存する慾望の塊を餌として、霊界に持ち込まれた慾望の残存を喰らい尽くすのです。生前の人間の霊的な成長と発展とは別に、物質世界での慾望が増加するごとに悍ましい魔物は増加すると云うことが解れば、生前生活を清浄に生きる必要性が見えて来るはずと考えるのは当然でしょう。そのことを現象界に生きる我々は正しく意に留めて置きたいものです。
2013年11月30日
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「直覚霊知」57 浄化後の霊魂に付随する自我(秘学論理) 死後の自我が浄化に焼き尽くされた後の自我は、變化(へんげ)して全く違った霊界の意識と呼称されるような霊識状態に入ります。生前では外感覚世界から意識が流れ込んでいた意識が、此の世界に於いては内部から現れる知覚が霊意識の対象になります。生前に在っても真には存在していたのですが、生前自我は外感覚的な知覚に捕らわれていて我執が最前面に出ていたために知覚出来ずにいたのです。但し、生前に自我が全ての感覚的な知覚の働きを消して、我執に囚われない内奥に侵入、ゴータマ・シッダールタのような聖域を覚れば、生前でも可能であった筈です。しかし、霊界への参入を許された死後の人間の霊、魂には感覚的な知覚を消して、自らの内奥の聖域に進入することも可能です。死後も暫くの間は、生前の自我が心の内部で知覚されたように、自我が残存している限りでは、浄化の後になっても自我にも、霊界そのものを見渡す力を持ち続けさせてています。換言すれば、霊界の方から全き世界、ゴータマ・シッダールタが説く我執を離れた世界を真に観相する空観には、浄化された自我にも、霊魂化して消滅するのが避けられないものだとしても、いっときではあっても、内奥の聖域に触れることが出来る可能性があります。死後暫くの時を経、自我を浄化した後では、霊域世界が浄化され変遷して霊魂となった真の衣を纏ったあなたを迎えます。その時に霊魂状態のあなたを霊界が漸くに受け入れてくれます。
2013年11月29日
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「直覚霊知」56 死後に残存する自我の眼(秘学論理) 人間の死後、霊魂に移行しても、未だに残存する自我は、物質界での自我の他人を害した慾望の結果に悲痛が伴います。生前には自分が損なわれることはないと思っていた自我が、死後には自己を損なわせることになる。そして死後の自我の眼は、どのように逃れようとしても、生前の慾望界で引き起こした人物や事物の体験に悲痛で恐怖であろうとなかろうと引き寄せられてしまいます。それは、その人間が慾望によって、浄界には有害なものを持ち込ませないために劫火の焔でもって消滅させるためです。それは死後の人間が、其の儘未だ残存する自我を抱いた霊魂を、時間線を遡及して誕生の瞬間までに達した時に、浄界に有害となる慾望を全て焼き尽くす必要があるからです。その時点では死後肉体を離れて、物質界でしか生きられない筈の意識様体が崩壊します。つまりは、人間の肉体及び生命体に加えて、更に意識体が死亡消滅するのです。直覚霊知が捉えるその期間は、その人間の生涯よりは短期間です。そこにはある種意識体の死骸が散乱しているとも言えます。丁度、蚕の脱皮のように、より高次の人間が我執を捨てた段階に入っている状態です。但し、此の高次の段階に生前に達した人物がいます。此のことが理解出来ればゴータマ・シッダールタの生前成仏が理解できるものに成り得ます。
2013年11月28日
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「直覚霊知」55 死後の体験の遡及(秘学論理) 霊魂の残存する限りは、人間の死後の諸体験は霊魂の清浄化に向けた劫火が、真にはその人間の霊魂の救済をもたらす浄化の中にあり、禅的な意味でも必要性があると云えます。しかしその体験は、生前生活とは全くかけ離れていて、生前生活の時間線を逆方向に向かって遡っていきます。死後に在って霊魂の残存する限りの人間は、生前の全ての人生を、再度、時間を遡及して体験します。その時には、霊的本性に由来しない全ての人生を時間を遡及して体験するのです。自己の肉体の崩壊である死の直前から自己の幼児期から誕生に至るまでを、もう一度再現する。例をあげれば、五十歳で死亡した人間が三十歳のときに怒りに任せ他人を精神或いは肉体に対して苦痛を与えたことがあれば、その人物は、死後生前の三十歳のときに訴求した時には、その事件を再度体験させられる。その時には、かっての怒りによる自己満足ではなく、全く逆に相手の受けた苦痛を呼び覚まして体験させられることとなります。それは生前に自分を満たすことだけを考えていた慾望への報償なのです。
2013年11月27日
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「直覚霊知」54 生前死後の愛の変遷(秘学論理) 人間は、恋人であれ、夫婦親子間であっても、身体感覚に依った心のみで愛している訳ではない。人間の死とともに、愛は霊魂の残存する限りは、知覚出来るのは生前の身体感覚を除けば、死後も残存している。直覚霊知から見れば、死にともなって知覚出来なくなるのは、人間の身体の感覚器官を通しての受感に過ぎず、身体の感覚器官を超えて向き合っていた愛する人間同士は、死後になっても相互に確認が可能なのです。というよりは、その人間を明瞭に見ることを妨げていた根源的なものは、生前の身体、言い換えると身体感覚器官と肉体だけの慾望だったのですから、その妨げが消滅してしまえば、愛は極めて純粋なものになるのは当然でしょう。生前に愛する人間を透徹して見ることを妨げていた唯一のものは、身体感覚器官だけで満足されうるような慾望の存在です。此の慾望が消滅されないならば、死後には愛する人間を霊的に意識して知覚することなど出来得よう筈がない。生前に純粋的な愛を伴った生活をしていた者にとっては、人間の死後体験の恐ろしさや、慰めのなさはなく、直覚霊知が捉える限りでは、生前に純粋に愛に囲まれた生活をしていた者にとっての、深い満足感と慰めに満ちた世界に印象が一変する幸いが訪れるのです。
2013年11月26日
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「直覚霊知」53 執着消滅の始まり(秘学論理) 生前の感覚世界は自我としての霊魂にも、感覚世界の背後に隠された霊的世界を開示してもいるが、自我がその霊的なものに追求の眼を向けなければ、決して霊的なものを享受させてはくれない。霊的世界の語る声を聞かずして、感覚世界に溺れる限りは、人間の自我は、単なる我執に過ぎず、真の霊魂は育ち得ないのは明白です。外感覚世界が観せるものに執着する限りは、霊的現実にも気付かされることもない。感覚的なものの中に自我が、生前の世界にあって楽しみを充足するも、その背後にある霊の表現に気付かされているなら、自我の霊魂としての真実化、高揚及び進化を齎しますが、そうでないなら、自我の霊魂化はなく貧困と消滅がそれを待ち構えて迎えています。単なる感覚的慾望にかまけていると、自我の霊的なものは荒廃と破壊から、霊魂は死後には存在する場所を与えられず消滅します。ただ生前には此の破壊的な働きが我執の慾望に捕らわれていると見えてこない。従って、人生の中で更なる慾望を満たそうとする。そのことは自我が自己が劫火に焼かれることを気付けないからです。その人間の死後には、生前に霊魂を破滅させた人間は別にして、自らを包んでいたものが明らかになります。此の経過を通して霊魂の清浄化に向けた劫火が、真に死後には救済をもたらすことを悟ります。
2013年11月25日
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「直覚霊知」52 執着消滅の始まり(秘学論理) 生前の自我状態が、肉体の崩壊から暫くは意識状態を維持しているにしても、死の門をくぐった次なる段階では、外界への生前世界では有りようにない無限の渇きよりも満たすことの出来ない渇望を断ち切らねばならない状態を迎えます。死後の変遷しつつある霊魂存在になった自我は、自己の中の此の執着を浄化して解放する必要性に迫られる。身体内で産み出された願望や欲望、死後の何処にも市民権のない望みのないものを全て消滅させねばならない立場に、嫌がおうでも立ち向かわさせられる。火炎がすべてを燃え尽くすように、残存する死後の慾望界は消滅され、破壊されるとき、「直覚霊知」が霊の劫火と呼称する世界への世界への展望がひらけます。外感覚的な慾望が、霊の劫火に捕らえられるのは、それが純粋な霊世界が許されないものとしているからです。此の一連の経過を、生前の人間は慰めのない恐ろしいものと想うかもしれないが、感覚器官を必要とするような願望は、死後には絶望的であること、物質界においてのみ充足されることが出来得る望みは、燃える渇望になってしまうこと、此等は生前の人間には恐ろしげに感じられるかもしれないが、それは、死後に霊の劫火に焼かれるのが仏教に云う煩悩の残存物であって、人生を破滅させる力をを持つことが解らないからです。
2013年11月24日
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「直覚霊知」51自我の執着 (秘学論理) 物質界に在って、感覚的な世界で霊魂存在へと高められた自我も、死後世界では外感覚的な世界の霊魂的存在であることが出来ない。それ故に、もはや死後世界においては、感覚的な欲望は充足させるわけにはいかなくなる。死の門をくぐると、生前の霊魂が持ち得た美食の楽しみや視覚から入る美への羨望や賞賛などの可能性は断ち切られてしまいます。肉体崩壊後の人間は、もはや感覚器官が備わっていないから、たとえ霊魂が其れを求め続けたにしても、その要求は満たされる筈もない。生前の霊魂まで高められた自我も、ただ、楽しみだけを味わっていた場合は、虚しくその楽しみを充足のために求め続けます。死後には霊魂存在のみになった自我は、生前世界では有りようにない無限の渇きよりも満たすことの出来ない渇望に苦しみ抜く。やがて生前の記憶とともに消滅していく自我は、次なる段階では此の執着を断ち切らなければなりません。いまだに残存する自我は自らの中の此の執着を浄化して解放する必要性に気付かされます。生前の身体内で産み出された願望は、死後の世界では何処にも市民権はなく、全き消滅を死後の世界から要求されているのです。
2013年11月23日
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「直覚霊知」50 自我の更なる願望(秘学論理) 生前には自我としての霊魂が、自己の欲望の充足を求めるのには二種の願望の他に、真実にはもう一つの願望が存在します。もしも仮に、外感覚器官を持った肉体に由来した願望と霊魂的存在の自我が、其の本性から発する感覚器官を通しての欲望及び願望に、更にその願望が付け加わなかったとしたら、人間の死とは、外感覚器官に依って充足され得る欲望から、死後の世界の存在のみ許され得る欲望の単なる移行を意味することになります。実際には、、自我が感覚世界の中で生きている時に、霊的なものの開示の有無に関わらず充たされる願望が存在します。例えば、人間が飢えた時に食物から涌き上がる肉体上の満足も、一面では肉体の満足であっても、他面から考察すれば霊魂の存在の開示であるとも言えます。何故なら、生前の人間は食を通しての楽しみに留まらず、只管、美味を追求し、養分の摂取だけでは収まらない願望を持つが、此のことは、生前の自我としての霊魂が、人間の身体で生きている限り、感覚的なものをも霊示として受け取ることが可能だということです。其れは霊的なものが感覚的な世界にあっても開示されているからです。物質界に在っても霊魂存在へと高められた自我は、その背後に隠された霊光を楽しみます。
2013年11月22日
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「直覚霊知」49 残存する自我の願望(秘学論理) 生前であろうが死後であろうが、霊魂は自己の欲望の充足を求めるのには二種の願望があげられます。一つは外感覚器官を持った肉体に由来した願望です。しかし、其れは身体を持った肉体にしか充足でき得ないものであって、身体が崩壊すれば、当然に其の願望も消失してしまいます。ところが、霊魂的存在の自我には其の本性から発する感覚器官を通しての欲望及び願望が存在します。其れは生前には霊魂的存在である自我の本性から発する深奥の願望です。霊魂である自我は人間の体内に存する限り、生前は肉体の外感覚器官を通して充足されています。しかし、肉体の崩壊とともに其の願望は消失する筈なのですが、肉体の諸器官によってしか与えられないその願望を、死後も求めさせる影響が残るのです。それ故に未だに、死後の世界には全くいっていい存在しない願望を求め続させているのです。生前には自我が体内に存在する限り、その願望も身体の諸器官をを通して充足されています。何故なら、肉体の感覚器官によって開示されているものには、隠された霊的な存在も存在しており、感覚体験が同時に霊的体験にもなっています。その霊的体験は死後に変性しようが、死後も存在しつづけているのです。問題点は、自我が感覚世界に由来するものを、感覚が存在しない世界に持ち込んでいることです。
2013年11月21日
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「直覚霊知」48 自我の未練(秘学論理) 死によって、身体の感覚器官による欲望が解放されることによって、死後の存在は外感覚世界との結びつきが、常識ではは無くなる筈だと考えるのが一般的でしょう。死後の存在には、外感覚的な器官から産み出された欲望や願望は、当然に物質界でしか働かないので、その働きは止みますが、変性した死後の存在である霊魂が、生前に物質界で肉体の感覚器官が自我としての霊魂に影響を与えていた欲望は、人間の本性と言える自我が、自らを意識しつつ創りだした欲望は、死後も其の欲望を求め続けさせます。仮に自我が自らの霊的本性しに由来する欲望しか持っていなかったとすれば、死に至ると同時に、変性した死後の世界だけで充足した筈です。しかし、生前の人生は、身体の感覚器官に依ってしか充足でき得ないものまで、変性した死後の世界の自我に煩悩的な楽しみ及び欲望を求め続けさせます。外観覚世界の肉体だけが物質界に満足を求めているのではなく、変性した自我そのものも、死後には存在し得ない快楽や欲望を、未だに捨てきれずに物質世界の中に求め続けています。生前であろうが死後であろうが、霊魂は自己の欲望の充足を求め続けています。此のことが理解できれば死後の霊魂が、次段階に移行することが理解できます。
2013年11月20日
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「直覚霊知」47 解放される自我(秘学論理) 死後の人間は、先ずはじめに体験するのは、自己の歩んだ人生の経験のパノラマ化した記憶映像として現れます。それから、生前に意識様態であった意識体は、生命体からも離れ、本来の本性的な本質である霊的ともいえる存在に変容します。但し、覚醒した意識が肉体に受肉していた時に、自らの活動を通して手に入れ吸収したものは保たれています。此の意識体に保持されるのなら、それは自我が、ある程度にまでにしても自己における霊魂存在を、進化形成してきたと云えましょう。霊魂は身体の諸器官に依って維持されるのではなく、外的な感覚器官を必要とせずに知覚活動を行える存在「直覚霊知」を持ち得ます。人間は生前は肉体と結びついている故に、肉体に拘束されていたのです。其の拘束を解き放つには、生前では釈尊、通常の人間には涅槃としての死を待つしかありません。生前には意識体もまた身体の感覚器官に意識を向けている。だから自我の知覚活動も外感覚世界を志向しており、霊魂の存在に直覚的な霊知が出来るのが稀なのです。一般的には霊の開示は、死を通して初めて自我に現れるといえます。何故なら、死によって、自我は全ての拘束から離れるからです。生前は物質世界が自我として現される霊魂の活動を拘束してきたのが、自我として現される霊魂が外物質世界から引き離された瞬間には大光霊の世界に踏み込むからです。
2013年11月19日
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「直覚霊知」46 生命体の分離(秘学論理) 生前に在っても、極稀でしょうが例外的に短い間ではあるが、生命様態を保持するところの生命体が肉体から引き離れることがあります。人間が極度の恐怖を体験すると、生命体の大部分が一時的に分離するのです。突然、死を身近に感じるとき、例えば溺れそうになった、断崖絶壁から転落死しそうになった時など、所謂、突発的な死に面している時です。その様に死を身近に感じた人々の体験談が、自己の体験の真実を語っていることには著者も疑いを入れません。おおよそ、体験者はその瞬間に、人生全体が巨大な回想像として現れたと語っています。例えば、ある著名な人類学者は自己の体験を回想録の中で、浴槽で溺れそうになったときに、自分の生涯が、ひとつの鏡像となって眼前に見えたといいます。同様のことは他の人間には、それとは全く違った仕方や自己の人生とは関係のない体験を語ることもありますが、全く異常な状態に遭遇して、意識体が肉体から分離した時は、その像は常に人生との関係を直接現すわけでもないからです。しかし、そのことを正しく考察するならば、たとえ貴方が其のような体験を持たなかったとしても、真実、意識が肉体を離れて、生命力の源としての生命体に結び付いていることを認識すれば、自ずからその体験を持たなかったとしても受諾できるようになる筈です。実は、人間が最悪の恐怖に襲われた時には意識共々、生命体にも体験が生じない。其の時には動物状態として、夢さえ持たない完全な喪失者と成っています。
2013年11月18日
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「直覚霊知」45 死後の意識の変容(秘学論理) 人間の身体が生命体と結ばれている限りには、外世界は映像若しくは影象として自己の意識に現れますが、肉体が崩壊した後の、生前に意識様態を持った意識は、もはや、肉体の感覚器官を失っているので、外感覚世界を離れて変容し、第二世界或いは隠された世界を体験する事柄を知覚可能になります。ところが死の直後段階では生前の生命体とは完全な分離が行われていないので、新世界の事柄を体験できません。その変容した意識体が所有しているのは過去の人生の思い出です。それは、未だに死後直後には存続する生命体が、過去の思い出を壮大な絵画として意識体に働きがけて現出させているからです。此れが人間の身体が死を迎えたときの最初の体験となります。死後の人間は自己の生前生活を総集したかたちで知覚しています。生前には覚醒時にのみ肉体が許す限りにおいてのみ許された過去の想起が、今は死と共に、その障壁がなくなったので、暫くして生命体が、その形態をも失うと、意識体の中からも思い出は消滅することとなります。此のことは意識体が新世界に移行するための新たなとはいえ、真実は外覚的な世界の理法の側からの、大宇宙の絶対意思の本質的な世界からの要請なのです。
2013年11月17日
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「直覚霊知」44 死後の経緯の本質(秘学論理) 人生を外角的な面からしか見ない人間には、死後の最初の経緯は想像すらできないでしょう。ところが、「直覚霊知」を修養して自己の確信にまで高めようとする人間は真実を掴む機会が与えられます。それ故に、死後の意識体の経緯は直感能力である「直覚知」を修めたものだけが理解でき、他の人間には理解出来ず、それを検証する手段はないと想う人間も多々あるとは思いますが、しかし、外感覚的な環境に育った人間であっても、通常の直感からは離れた、想像することすら出来ない此の分野に、通常の外感覚的判断を離れて、「直覚霊知」を手に入れ、それを見出された後用いるのであれば、通常の判断力をもっても、その経過が容易に理解出来るようになります。但し、その判断力には自己に開示されている事柄を、世界の理法に従った、人生を取り巻く環境関連を正しく受け止めることが条件となります。物質世界に開示された本質は、物質界での人間生活の諸経過の悲物質界の現れと認識することが、此の世界に隠された本質を解明することに繋がります。その認識すらできないのであれば、幾ら「神」とか「永遠」はたまた「空」及び「霊魂」を考察しても、暗躍の中を灯りもなしに彷徨くのと同じで、只、闇雲に求めても答えは返ってはきません。対象が光りに照らされて初めて見えるように、人間の死後の意識の諸経過は、「直覚霊知」を以ってこそ解明されるものであり、大光霊の世界を垣間見る機会が与えられるチャンスになるのです。
2013年11月15日
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「直覚霊知」43 死後の最初の経緯(秘学論理) 生命力の源泉である生命体は、死後も或る意味で、肉体を伴わないその時の人間の、死後の意識体とは「直覚霊知」が容易に捉えうる存在、云わば霊的な存在の力、言い換えれば、生前に生命体を肉体に結びつけていたパワーによって結び付けられています。生命力が肉体と結び付けられていることは熟睡状態の人間を観れば、覚醒状態に力を持つ意識体だけでは人間の肉体と生命体を剥離させるパワーはありません。ところが、其の力は、死に際しては作用し始め、生命力を引き離すほどの力を手に入れます。しかしながら、死後の人間は暫くは残存する生命体と相互の関係を持ち続けています。その後、意識様態である意識体は生命力の源泉である生命体からは引き離されて、単独で理法に従い、其の道を歩みます。生命体と意識体が相互が結び合っていたときの人間は、意識を自分の体験として知覚出来る状態にありますが、肉体から意識が遠のくと、日々人間を賦活させていた、身体の諸器官を賦活させていた力が失われ働かなくなります。しかし、睡眠中の生命力と意識を結び付けていた源泉の力は、死後の人間に残されて別界を知覚させるために用いられます。
2013年11月15日
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「直覚霊知」42 死の経緯(秘学論理) 塾睡状態の人間は覚醒意識を持ってはおらず、生命体は意識からは離れて存続しますが、意識様態は、物質世界の環境よりも遥かに広大で、地球を一部分とする大宇宙の存在に属しています。同様に「死」の経過も人間存在の本性に変化を生じさせます。その経緯は外感覚的にも見出すことが可能ですが、死への経過の場合は、不可視的なものが可視的なものの中に具体的には現れ難いので、その諸経過の中に霊魂の認識及び経緯を確認するのは非常に難しくなります。しかし、この場合も睡眠中の諸経過よりも空想の産物と捉えることの可能性が大となりますが、「直覚霊知」をもってすれば、死に経過の外感覚的なものの中にも霊態の存在の認識が可能となります。塾睡状態の人間の意識は生命体(力)と肉体に結ばれていますが、死に至る時は、肉体が生命体(力)からは離れてしまい、その肉体は、その属していた物質世界に作用によって崩壊します。ところが、生命体(力)は、生前とは全く異なった状態に移行します。実は、死に際しては、生命体は肉体からは離れますが、一定期間は意識様態を持ち続けています。
2013年11月13日
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「直覚霊知」41 持続する自我(秘学論理) 睡眠状態では、覚醒状態における外覚的な知覚は眠らされているが、本質的な部分は消失していない。夢は本来、その人間の心象を醸し出しています。その紡ぎ出された形象は、覚醒生活の余韻だと言えますが、それを勝手気儘な状態で、その人間各自に全く別の形象を現出させます。夢はその人の精神状態を表現する象徴でもあるんです。或る人は炎中で苦しむ夢を観ますが、その我慢できない熱さは電気毛布の高温度であることが、象徴的に炎となって夢中に表現された内容であることもあります。ここで注目したいのは、感覚低知覚が提供していたものを夢は一連の形象に変換していることでしょう。外感覚の活動が止むと、或る種、創造的な働き掛けが活発になることは疑いを得ません。夢の形象が、屡々、恣意的で矛盾しているのは、自分の夢の形象が外感覚環境の対象との正しい関係を持たないからです。通常、夢見状態の時は、自己の肉体の知覚は保持されていないので、自分が持続する存在とは認識していません。その時に初めて、人間だけに付与されたと云える持続する自我の存在を意識化することの重大性を覚ります。直覚霊知はその意識化を手に入れる手段でもあり、自己の真性の意識化に触れることにもなるのです。
2013年11月12日
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「直覚霊知」40 夢見る存在(秘学論理) 睡眠の原因は幾つか考察できるが、一般的には、身体の物質的な経過が眠り生じさせるていると言われている。しかし、科学が物理的に説明する事柄に、秘学は「直覚霊知」を持って瞑想に入り、その背後のものを認識します。科学が物理的に説く事柄の背後には大宇宙の理法が存在します。眠りのような場合、既に其の考え方が知られているかどうかではなく、その基礎づけになっている深奥の重要性に気付くことが大切です。人間の目覚めと夢の中間には、夢見状態があります。夢を観察すると、体験者の多くが多彩な形象世界を夢見ていることが解かります。ところがそこにはある種共通の規則法則が背景にあります。人間は夢見状態になると覚醒意識からは離脱して、屡々混乱した仕方で、夢中の世界が現れ消えていきます。覚醒意識は人間を外観角の知覚に縛り付けていますが、一方、夢は秘学論で云う隠された法則に則って人間の予感を与えることがあります。それ故、芸術家の感性の閃きが、夢の自由な戯れである「天性」の夢見る存在であるとする論法に比較されることがあります。
2013年11月11日
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「直覚霊知」39 人間の源泉(秘学論理) 人間の意識様態に出会う大宇宙の意識体である絶対意識が在ればこそ、人間は意識を持って瞑想に入ったときには、おのが我執を捨て去り、純粋自我を手に入れて、思考するのではなく絶対意識の片鱗に触れるのです。その時に重大な役割を果たすのが「直覚霊知」です。其れは一般的には通俗の神を表象しがちですが、それを神と呼ぶならば、「エチカ」の著作で有名なスピノザが描くところの「神」でしょう。それ故、釈尊は其の片鱗に触れたが故に、大宇宙の果てや理を悟ったと想われます。ゴータマ・シッダールタ(Gautama-Siddhartha)はそれを生命や因縁を離れた無と有を離れた「空」と捉えています。この事について、身体の条件を基にして考察することだけが科学的だと考えている唯物論の思考が普及している現代では、瞑想も身体の物質的な経過が生じさせる幻覚に過ぎないとします。それを人間の意識様態に純機械的な法則にしたっがって説明するのも致し方ないのですが、しかし生命、なかでも意識と自我を生じさせたものが設計者なしには産み出される力を持たないことには、唯物論を幾ら考察しても出て来る筈は在り得ません。
2013年11月09日
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「直覚霊知」38 人間の意識の源泉(秘学論理) 睡眠中の意識体は全体的な意識対応世界から、言い換えれば、史的生命の人類の意識体ともいうべき世界の中から、地球の環境世界から養分が肉体に供給されるように、自分を取り巻く世界の形象が供給されています。意識様態は、そのときには此の大宇宙の中で、肉体と生命体と離脱した存在です。それは人類史において究極の絶対意思の存在であり、その中で生きています。まさに人間全体が生まれてきた此の大宇宙の中に生きているのです。人間は精神と肉体を含めて此の大宇宙に組み込まれているのです。しかしながら、目覚めた人間は、此の調和した状態から引き離されてしまいます。しかし、此の調和した世界も目覚めると、外感覚環境に引き戻されてしまいます。人間の意識様態は眠ると、宇宙調和の中に参入し、目覚めるとその環境から離れて意識様態を自分の中へ充足します。睡眠中は本来の意識体世界い属し、覚醒時には、新たに強化された力、健康な眠りがもたらす爽快感として現出します。人間の意識様態は、物質世界の環境よりも遥かに広大で、地球を一部分とする大宇宙の存在に属しています。HINDI MUSICは素晴らしい!http://www.youtube.com/watch?v=m_4lF320DfQ&feature=em-subs_digest-vrecs
2013年11月09日
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「直覚霊知」37 霊的世界の人間意識(秘学論理) 人間の肉体が自己の属している世界である物質世界に組み込まれているように、霊魂の中の意識体はそれの対応世界に従属しています。但し、覚醒状態の意識はその対応世界を認識していません。直覚霊知はその存在を顕わなものとして捉えます。水溶器の中の水ではその一滴は各々独立しては存在し得ないものの、スポンジではその容器の中から、一滴の水を吸い取ることは可能です。人間の意識体も睡眠から目覚める時には同様の経過を示しています。睡眠中の意識体は全体的な意識対応世界、所謂、史的生命の人類の意識体ともいうべき世界の中に属しています。それが自己が目覚める時には、人間の肉体と生命体が自己の意識を吸い込んで、自らの意識様態を取り戻すのです。史的生命の人類の意識体ともいうべき世界は、改にその人間のための、外覚を知覚する要素を提供します。そこで一旦、個人的な意識体は、現時の外覚世界を知覚するために、自己の存していたた世界を離れなければなりません。史的生命の人類の意識体ともいうべき世界から、必要となる要素的な基本設計だけを受け取って覚醒するのです。
2013年11月08日
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「直覚霊知」36 物質世界の人間の肉体(秘学論理) 人間の肉体は、科学が如何様に進歩しようが、地球上の物質環境なしには生存できない存在です。月に行こうが、火星に行こうが、地球環境を伴に携えて持って行かなければ、直ちに破滅せざるをえません。人間の身体は、肉体維持のためには、自己と同等の素材を外部に求めるしか出来ない在り方をしています。人体は地上に存在し続けるには、精神性の存否を問わず地球の物質世界である環境の存在が不可欠です。更に言えば、人間の身体を構成する肉体は地球の一部分、その構成体であるとも言えます。此の意味では、人間の小指を切り離した事例を考えれば解かるはずです。小指を手から切り落として、肉体から引き離せば、小指はもはや指で在り続けることが出来ずに干からびてしまいます。同様のことが人間にも当て嵌まります。人間の肉体が自己の属している世界である地球をパイプラインなしに離れれば、手から離れた小指のごとく肉体は破滅するでしょう。通常、此の事実を考えないのは、小指が身体に固定されており、人間のように地上を徘徊することがなく、身体に従属していることが自明のことであるからにすぎません。ところが一方、人間精神を構成する霊魂は物質世界には従属していないことを理解することも可能でしょう。
2013年11月06日
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「直覚霊知」36 人間の形姿(秘学論理) 人間の形姿は形態維持及び成長要素である生命体によって維持されています。しかし、ある部分を生命体は人体の形姿を維持するのに、意識様態の覚醒体から肉体の正しい形成を学んでいます。人間の意識様体の中には人間身体を向上させるマニュアル、言い換えれば手本としての設計モデルがあると言えます。それ故にスポーツ種ごとに、人間は理想体型を求め、意識して生命体に対して其れを指示しています。ところが、外感覚を働かせて周囲を知覚している人間は、屡々、世界自然としての人間のありようの、生命体が必要とする形姿を妨害する行為に出ます。ところが一方其れこそが、人間の肉体向上には欠かせないものでもあるのです。人がこの世に生きるためには、此の妨害こそが人間の進化向上に寄与しているのです。人間は生命体が必要とする形姿を模象するだけでは、恐らくは現代人の体型は出来得なかったと言えましょう。覚醒体に抱かれた自我が、生命体を支配するところにこの力は潜んでいます。
2013年11月06日
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「直覚霊知」35 人間の睡眠の真相(秘学論理) 人間の睡眠状態の事象を考察すれば、世界に隠された事象の認識に役立てることが出来得よう。睡眠によって見出された事柄を理性的に受け止める人ならば、その表現された内容を理解することも可能でしょう。隠された世界の事象が睡眠中に発見することが稀ではないからです。此のことが理解できれば、睡眠の特性が表す事柄を取り上げて認識すれば、それを自分の経験に照らして検討することが可能です。そのことに依って人生は一層透明なものとなり、且つ、人生に対して深く考察するようになります。睡眠中は、たとえ覚醒意識がなく、快苦や悲喜を持たずとも、睡眠状態にあっても意識様態は活動を続けています。霊的なものを受け入れている方には、覚醒体に抱かれた自我は、屡々、肉体を離れてオーラ(aura)として存在すると言います。例えば、瞑想に入っている仏陀の光背のようにです。通常の熟睡状態では、意識の喪失が生じています。意識の喪失が生じるとき或いは眠りに入るとき、、それを人間は疲労と感じますが、此の疲労は覚醒体に抱かれた自我が再び活動出来るようになるために生じます。霊魂の部分から離れた肉体と生命体(力)は、睡眠の無意識の中で、純生命的な形成活動を続けています。この純生命的な形成活動と覚醒時の意識活動は相互に対立的に縁起しています。人間の日常生活では、周期的に此れを繰り返させなければ、未来には崩壊が待ち伏せます。
2013年11月05日
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「直覚霊知」34 人間の睡眠の特性(秘学論理) 人間が睡眠状態になると、覚醒時の人間の肉体はそのままの状態にあっても、日常の意識様態は変化し、自我は活動するというよりは、云わば冬眠状態に入ります。肉体と生命体にもその本性の関連部分には変化が生じています。熟睡している時は、肉体と生命力は活動しているものの、覚醒時の意識と自我は含まれません。睡眠中は生命体が肉体と結ばれている故に、生命活動は継続しています。この時、仮に生命体が肉体と結ばれていなければ、その瞬間に人間の肉体は崩壊する定めとなります。とはいえ、睡眠中の人間には、思考内容や、快苦・喜悲の感情も、意志を意識化する能力も隠されているか、或いは離脱しています。意識様態は、只、別の状態にあって存在しています。人間の自我と意識は、思考内容や、快苦・喜悲を担ってはいますが、それは意識体が人間の肉体と生命体に結ばれていなければなりません。覚醒時には意識はその様な在り方をしていますが、熟睡している時の意識体は覚醒時とは異なる在り方をしています。熟睡している時と覚醒時の意識様態の相違を外感覚的に観察すれば、消え去っているように見えますが、「直覚霊知」を以って捉えれば、意識体である意思要素の変化(へんげ)の経過の実相が観えてきます。
2013年11月04日
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「直覚霊知」33 人間の死の本質(秘学論理) 偉大な芸術家で、神曲の作者ゲーテの発言「自然は多くの生を得るために、死を創りだした」は、まさに至言であり、一般的には生命は、なかでも人間は、新しい生命を生じさせるるために、死を迎えます。一部の下等生物には、自己複製するとみられるものもあるが、それは、生物全般には適用されず、無性生殖をする生物の場合みに適用される。しかし、全般には死を伴わない生が存在し得ないと同様に、直覚霊視の真の認識なしには、可視的な外感覚的世界に隠された真実の存在さえも観ること能わずになります。可視的なものを十全に認識するには、繰り返して不可視的なものへ沈潜して認識能力の向上、即ち、世界のありようを直覚しなければならない。直覚霊知についての認識こそが、全ての可視的世界の真相を究明出来得るのです。それが真の在り方を示すならば、人間の生命力を強め、生命体の消費を、繰り返し清新なものにしてくれます。死が生じるのは、人間存在の本性上の変化によってでっす。人間の死の経過の場合は、他の人間は可視的なものが不可視的なものを前面に露わさないので、外観覚上以外にその諸経過を見ることが困難になり、霊的存在を観るのが一層困難になりますが、決して此れを直覚霊知したときの真実を空想の産物と捉えることなきようにする注意が必要で、此のことが認識出来ねば、滅亡という地獄が待ち構えています。
2013年11月02日
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「直覚霊知」32 人間の睡眠の本質(秘学論理) 人間の覚醒状態の本質を解明するためには、対極にある睡眠状態を観察する必要に迫られます。更には人生の最大の謎である死を考察しなければなりません。直覚霊知の認識の意味がわからない人は眠りと死を考察して認識することに価値を見出さず、寧ろ、訝しく思うかもしれません。人間の創造行為は、充実した人生を積極的に没頭することが第一だというわけです。眠りと死をあれこれ考察しても、それは結局のところ、無意味で空虚な夢想に耽るだけで、生活力を持たず、生活意欲を欠いた行為だと云います。しかし此の反論にも、一部の真実がありその正当性を著者も認めることは厭いませんが、それは世界に誕生して死にゆく人間生活と共に、それを遥かに凌駕する霊魂の存在には何も気付かない人の、人間の感覚やそれから得られた一部の真相でしかありません。眠りと死を考察することが、人間の生活力を弱めたり人生から逃避させるものであれば、当然に其れは不健全であり、歴史は「秘学」と称して人を窮地に貶めてきたのは否定出来ない現実でしょう。しかし秘学、取り分け「直覚霊知」の認識するものには真実があります。人間は常に覚醒しているわけではなく、その覚醒時の活力は睡眠の中から汲み上げています。人生は睡眠中も継続しているのです。睡眠の持つ隠された力が、人間の肉体の疲労は言うに及ばず、精神の回復を齎します。それ故、非常な悲しみも時の経過とともに恢復されていきます。此の精神の恢復が身体の疲労の回復と違い霊性を持っているのです。
2013年11月01日
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「直覚霊知」31 人間の本質・宗教の特質(秘学論理) 通常の人間生活では意識様態を生命体を通して、更なる拡大変化をさせるのには困難があるが、なかでもその変化させる最も強力な衝動が宗教衝動です。自我が宗教から産み出される力を、反復して自己に学習・作用させるとき、生命体にまで働き掛けがなされ、消化力及び生殖力、快と苦、喜びと痛みにまで影響力を以って変化させます。人世に於ける学習・内省・感情の浄化といった霊魂においては低次の力をも、変化させる得る力を持っていることは否定できません。意識様態と生命体は人生の中では多様に変化しますが、宗教は、思考、意識、感情、意志のすべてに統一した性格を与え、その人間の内心の中に光を与え照らします。人間は今日これ、明日は此れと機会あるごとに考えていますが、宗教は、宗教的な体験へ導くことによって。人間の霊魂の中に、昨日の体験を今日においても持続的な体験として宗教生活に結び付けます。そして宗教は、その人間の信条や生活はたまた内心面の自我にさえ影響を与え、繰り返して作用し続けて時の経過とともに増々強まっていくことになります。それ故、宗教は人間の生命力さえ左右する能力を持つのです。此のことは真の芸術の影響力も、宗教と同様に人間に作用しています。偉大な芸術家の色彩・形、音等が人間の深層を揺り動かし時、自我が受けとる衝動は、生命様態にまで影響を与えます。それゆえ、宗教と並び芸術は人間の進化にとって、どれ程必要とされてきたのかが理解できます。
2013年11月01日
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