全28件 (28件中 1-28件目)
1

「直覚霊知」256瞑想実践の百十(秘学論理) 生き霊またはサタン・ルシフェル的な要素は高次の世界を守護する「守護霊」だとも呼称されるのは、高次の世界即ち「直覚霊知」解するところの「理法」が纏う絶対精神及び絶対意思並びに絶対意識の通常世界である物質界からは隠された世界に内精神の深層に育つ霊魂が不適正で且つ発育不良な人間から、時には甘言をもって巧みに心の深層に働きがけ籠絡し、誘惑或いは恐怖心を煽って怯えさせ、それでも効果が見られないと知るや羞恥心を呼び起こして「絶対性の存在」を見えなくします。其のこと故に生き霊またはサタン・ルシフェル的な要素が「守護霊」だとも呼称されるのです。特に、人間は肉体の死に際しても、其の「聖域の守護者」に立ち向かわざるを得ません。しかし、肉体の死によって浄化された人間には、もはや「聖域の守護者」に立ち向かうことはありません。その時の人間は、現世の誕生から死に至る人生とは別世界に旅立っているからです。
2014年09月30日
コメント(0)

「直覚霊知」255瞑想実践の百九(秘学論理) 人間が物質的で感覚的な世界を通して歴史の進化を通して内的に育み成長させたともいえる「生き霊」またはサタン・ルシフェル的な要素は、高次の世界の門口に立って人間を甘言をもって巧みに心の深層に働きがけ誘惑、或いは恐怖心を煽って怯えさせ、それでも効果が見られないと知るや羞恥心を呼び起こして「絶対性の存在」を隠そうとします。其のことの底辺には、人間の多くが高次の世界に行き着くならば、もはや自分の立つ基の消滅にも繋がりかねないからです。それ故に、人間の内精神の深層で創生され育まれた生き霊またはサタン・ルシフェル的な要素は高次の世界を人間が知ることを毛嫌いします。ところが其のことが逆に、人間の内精神の深層で活動する霊魂の適正を選別することにもなり、生き霊またはサタン・ルシフェル的な要素は高次の世界を守護する「守護霊」だとも呼称されます。人間は生前の直覚霊知に限らず、自己の肉体の死に際しても、此の「守護霊」に出会わざるを得ません。しかしながら、人間の肉体死から真の新しい誕生に至る人間にはもはや人間を抑圧することは出来得ません。何故なら其の段階の人間は、誕生から死に至る人生とはもはや別世界に「生きて」いるからです。
2014年09月29日
コメント(0)

「直覚霊知」254瞑想実践の百八(秘学論理) 自己の通常生活における判断力及び感情生活や性格を適性なものにするための「行」に励んでいると「直覚霊知」獲得の内的精神及び其の能力を得ようとする経過の中に、俗には「生き霊」またはサタン・ルシフェル的な要素が介入して、抑圧或いは誘惑の形姿をまとって過ちに導き陥穽に嵌まらせんと立ち塞がることがあります。勿論、幸運にも其の体験を免れる場合もあるでしょうが、その場合は実は幸運どころか、その後に獲得するであろう「直覚霊知」を獲得しようとする門前に立っての高次の世界の「相」の真偽を極める判断材料に乏しいために一層の混乱を招かざるを得なくなります。この事実は、自己の精神の深層にある進化を通して人類が持ち込んだ「生き霊」またはサタン・ルシフェル的な要素を形象として本性を理解・知覚することが、自己の内精神が外環境世界からの影響を認識・区別することを可能とするからです。
2014年09月28日
コメント(0)

「直覚霊知」253瞑想実践の百七(秘学論理) 人間が適正な「行」によって霊的知覚を獲得したとも呼べる段階に参入するには、現実的な外界である物質世界の判断力、「カルマ」への自己判断力と宇宙進化の法則を正しく学び身に付けることが必要です。その後でなければ、自己の霊魂に妖魔的な要素を持ち込む危険性があることを歴史が示唆しています。史的に稀に見られる天賦の悟性の達人はともかくも、「直覚霊知」を獲得しようとする人間は霊魂に人類の進化とともに育んできたとも云える精神性の部分である妖魔的な要素を持ち込み其の陥穽に嵌まることがあるからです。それ故に自己の霊性を問う以前に自分の通常の判断力を「直覚霊知」を獲得しようとするには其れなりに適正な水準にまで高めておくことが求められるのです。ところが自己の霊魂に妖魔的な要素を持ち込む危険性、俗には「生き霊」はサタン・ルシフェル的な要素を持ちはしますが、驚くべきことに其れにも人間の高次の世界を獲得すべき「霊行」に一定の役割があることに意味があることに注目すべきことにも理解すべきでしょう。
2014年09月27日
コメント(0)

「直覚霊知」252瞑想実践の百六(秘学論理) 愈々人間が適正な「行」によって霊的知覚を獲得したとも呼べる段階に達すると、殆どの場合自己の持つ本性が鏡面に写すが如く第一印象として眼前に現出します。謂わば世に言う生霊が(いきりょう)が内精神の真相に眠っていた霊魂が観相させるのです。物質的・感覚的世界の通常の生活を引き摺っていては識閾下の感情に隠されていたものが眼前に出現するのです。此処で注意すべきは自己の本性を映すものが果たして健全な感情と判断力とを反映しているのかどうかです。其の時こそ予め「行」によって築き上げた、物質界の「カルマ」を自己の判断力と宇宙進化の法則を正しく学んだ成果が、其の働きの中にサタン並びにルシフェル (Lucifer) 的な要素がないかどうかを適正に対処することを可能とします。
2014年09月26日
コメント(0)

「直覚霊知」251瞑想実践の百五(秘学論理) 霊的で魂的な事象の背後にある世界意識とは云え、「直覚霊知」の門口に参入する人間の霊性の大小及び強弱によって其の本来的な全体、即ち絶対精神の本性そのものを捉えているわけではありません。人間が絶対精神の延長としての様態である限りにおいての自己の内精神の深層に根付く魂・霊魂が其の本性に従って観させている形姿をもって現れています。人間の霊性の大小及び強弱が或るときは神的形姿を纏い、また或るときには自己の姿の投影された姿を纏うこともあります。此のことは人間が人間が絶対精神の延長としての様態である限りにおいての限界を示しています。そのこと故にある者は自己の創りだした幻想もしくは幻影に過ぎない可能性もあります。「直覚霊知」を手に入れた筈の人間の魂・霊魂に一片の翳りがあると曇った鏡面のように実相は虚像と化してしまうのです。
2014年09月23日
コメント(0)

「至極の女性」Aishwarya RaiとVenus de Miloのバトル1 ミロのヴィーナスは深く聡明な表情と女性らしくふくよかな輪郭を持つ裸体の美しさは他に類を見ないと言われるが、ひかり輝いていた時のボリウッドのヴィーナスとも呼ばれるアイシュワルヤー・ラーイは、心の深層が表情に現れ、負けず劣らずどころかそれ以上に優とも劣らぬ人間生命の神秘性を感じさせて類稀な美貌を誇っていました。人気ブログランキングへ
2014年09月23日
コメント(0)

「直覚霊知」250瞑想実践の百四(秘学論理) 内精神の深層の内なる霊性の進捗以前には人間は思考と感情と意思のみを知覚していたのが、「直覚霊知」の門口に参入するやいなや、今までの外感覚的で物質的な影響から離れて、霊的で魂的な事象を知覚するようになります。其の霊的で魂的な事象の背後にある世界意識が人間の深層に眠っていた意識に呼びかけるのです。しかし其の呼びかけは「直覚霊知」の門口に参入する人間の霊性の大小及び強弱によって歪められて適正に現出しないこともあります。此の経過は「直覚霊知」の門口に参入する人間誰もが経験することであり、此の克服こそが間違った理法即ち人間に巣食う堕落的な魂の浄化の最初の試練となります。其の形姿は悪魔的で史的に考察しても先達が一度は通った体験であることは疑いを得ません。
2014年09月22日
コメント(0)

「直覚霊知」249瞑想実践の百三(秘学論理) 生前に「無我の境地」を得ることが出来たならば、其れへの経過段階において先ず通常の生活にあって働く思考・感情・意志を統合している自我である働きから生成される「人格」、思考と感情と意志の中心に位置しているはずの「自我」はもはや変幻して「無我の我」とも呼べるものに生っています。此の経過を適切に歩むと「無我の我」とも呼べるものが、高次の世界応じた新しい「本性」としての植物的な微睡みにも似た「夢我」とも呼称すべき形姿を持って現出し、高次の意思存在との疎通を可能とし、始めて理法に関しての共通性を捉えることを絶対精神の延長としての様態を表す本性的な精神である霊魂が受け止められることが可能になります。
2014年09月21日
コメント(0)

「直覚霊知」248瞑想実践の百二(秘学論理) 生前に「無我の境地」を得ることですが史的には稀なこととはいえ、現代に生きる人間にも全くの不可能事であるとは断言できません。「霊的合一」即ち自己の内精神に潜む霊性を霊魂にまで高め、物質界の影響を遮断し外的感覚的精神消滅させ、「存在」のみを受け入れた時に、其の残存する何かは「無我」の意識として霊魂の形姿を纏います。人間殊更現代人は物質界の影響が多大で其の影響を排除するのに困難を覚えますが、精神の調和と均衡を力強く中庸を心懸け瞑想に没頭することが出来得るならば、遂には身体の影響下を離れて「純粋精神」としての人間性、霊魂を手中にする「無我」即ち意識しない「我」である意識体と呼べる真に無意識の意識である存在「霊性の理法との合一」を手中にします。その為には呼吸法も重要な要素となります。
2014年09月20日
コメント(0)

「直覚霊知」247瞑想実践の百一(秘学論理) 人間も生きて活動している以上は根本的には「エネルギー主体」であり、其処から生み出される思考乃至精神もエネルギー主体から実体的な流れの拡散を引き起こしています。此の拡散は光の放射の様に外部に向かって発射され霊的世界へと進みます。其の流れは霊性を獲得した程度により強弱が生じます。其の証は先ず人間の額に温熱が生じ自身の内精神には紫がかったピンク系の光として感受します。此の事象こそが今まさに人間の霊魂が外的世界には隠された霊的・魂的世界と融合する瞬間だと言えます。此の瞬間に至ると人間はもはや物質的・感覚的世界の概念を離れた存在を認識するに至っています。然し、其の覚知内容は夫々の人間の霊性の大小に応じて比例するために全ての霊的合一を望むことは非常に困難であり稀なことであるでしょう。其の手段としては生前に「無我の境地」を得ることですが史的に見ても極僅かにしか見聞することが出来ないのが現状なのです。
2014年09月18日
コメント(0)

「直覚霊知」246瞑想実践の百(秘学論理) 意識其のものが無意識の中に吸収された後に現出するものは全く新たな在り方としての「何か」です。意識体としての人間は消滅しているので全く特殊体としての「何か」です。此の「何か」は「霊的合一」存在其のものの霊魂の認識から生じます。人間身体としての感覚的・物質的なものに影響を及ぼされる精神体の最後の残滓が払拭された時に現出する新たな様体としての「何か」なのです。此の現出する新たな様体は、もはや、人間の感覚的世界や物質的世界とは隔絶して何処にも共通点は見い出せません。人間が通常生活を送る限りは決して手にすることの出来ない新たな認識力と呼ぶべきものを手中にした瞬間に立ち会っているのです。
2014年09月18日
コメント(0)

「直覚霊知」245瞑想実践の九十九(秘学論理) 我々取り分け特異な能力を持たない人間が、生前に「霊魂と理法の合一」を全貌を俯瞰することは出来得ないにしても、其の片鱗を垣間見ることは可能です。その為には瞑想等に入魂するために自らによる精神集中を成すために没頭する手段とした自己の精神世界に形象化した「仮象」を意識から消し去り、内精神への働き掛けをも消し去らねばなりません。かくして、外的及び内的体験の全てを消滅させ、意識其のものが無意識の中に吸収させても「虚」にはならず仏教哲学説くところの「空」状態である空観を得ます。言い換えれば意識は「虚」にはならず何かが留まり続ける訳です。此の留まり続ける何かとの問答が次の次元へと自己を導いてくれるのです。
2014年09月16日
コメント(0)

「直覚霊知」244瞑想実践の九十八(秘学論理) 人間が生きていく上で最も重要で大切なものはと云えば、「調和と均衡」言い換えれば「中庸」でしょう。人間身体器官の調和と均衡から始まり社会生活から情操に至るまで「調和と均衡」は欠かせません。なかでも人間の「深層意識と霊性」の「調和と均衡」とは自己の内精神に対する揺らぎない直覚の獲得「霊魂と理法の合一」のためには必要不可欠なものです。其のために自己の内精神のあり方を常日頃から「瞑想」等によって起伏のない一定状態に保ち得れば、其れをもって自己の深層に微睡む霊魂に語りかけ、霊魂は外界である物質世界からは隠された異相の世界の鍵となって、より高次の次元の門戸を開け「霊魂と理法の合一」の片鱗を垣間見させることを可能にします。但し、宗教史的には生前に其の全貌を睥睨俯瞰した人間がいると示唆しますが、既にその人物は「霊的合一」存在其のものであって、人類史にあっても特異なことであることも認識すべきです。
2014年09月15日
コメント(0)

「直覚霊知」243瞑想実践の九十七(秘学論理) 「理法」の声に共鳴させようと「現象界に隠された本性」に自分自身の「内精神の深層に眠るもの」を呼び出して発達させるためには、「偶然或いは奇跡」を体験することではなく、自己の内精神に忍耐強く直覚能力の開発を促すことにあります。忍耐強い内的作業によって直覚能力を高めることが出来得るならば、其の成熟によって人間の意識では捉えきれない、あるいは説明のつかないこと疑問の答えを如何にしても見つけ出したいとは願わなくても、自ずと答えの方が「直覚霊知」に語りかけてくれるようになります。その為にも自己の内精神のあり方を常日頃から「瞑想」等によって一定に保つことが取り分け重要となります。一面的な先入観に囚われていると、正しく適正な進歩は望めません。「直覚霊知」を志ざす人間は精神内でも深層に微睡む精神の喚起を促さなければ、人間の霊性との調和と均衡は生まれないのです。
2014年09月14日
コメント(0)

「直覚霊知」242瞑想実践の九十六(秘学論理) 不確かな直感により行動を控えることは、結果に其の判断が適正であることがある反面、危険な一面に陥る可能性も考えられます。自己の精神は「予感」が全てだと考え、自分の生活体験からくる判断力を無理にまで抑えつけることを習慣にまで高めると、あらゆる種類の衝動を「予感」が全てだと考えるようになる危険性があります。此のような姿勢は無定見や迷信論者と言われる人間と隔たりはありません。迷妄は人間に取り返しがつかない愚行を犯させます。真に「直感的で理法に照らしても適正な知覺」を高度に高めようとする人間は、迷信・空想・夢想を細心の注意をはらって避けることに努めねばなりません。でなければ貴女・貴方の霊的生活は破綻しか齎しかねません。人間の意識では捉えきれない、あるいは説明のつかないことを「偶然或いは奇跡」としてに直ぐに宗教的な見方をする者は先入観に囚われているので、説明のつかないことを単純化してしまい、探求され得ないと想われている事柄の本質的な本性の働きを探求する直覚能力は育てることは哲学的観念からはあり得ないとも言えます。
2014年09月13日
コメント(0)

「直覚霊知」241瞑想実践の九十五(秘学論理) 自己の抱く精神が未だ理解できずにいる事柄に自分自身の「内精神の深層に眠るもの」を呼び出して、其れに集中する能力があればあるほど、其の人間が「直感的で理法に照らしても適正な知覺」を高度に高めることが可能となる。ある特定の行動の実行の可否の判断に迷った時、彼の人間の生活経験はこうしろと指示するに拘わらず、何か不確かな直感により行動を控えます。結果、其の判断が適正であることを思い知った時、自分の感覚世界での精神生活より一層内的な精神が関与していてくれたことを知ります。此の結果は自己の精神の内層にあって普段には気付かないものが潜んでいることを象徴していることを直感的に捉えさせます。其のことは人間の判断力が見通せる以上の「内部存在」の語りかけの声に注意を促してくれます。
2014年09月13日
コメント(0)

「直覚霊知」240瞑想実践の九十四(秘学論理) 自分以外の他人を侮蔑はしても尊敬・畏敬出来ない人間は、逆に畏敬や帰依の感情が、自分への自己信頼ひいては自己意識の崩壊へと導くのではないかと恐れます。しかし、其の事こそが健全な自己意識と自己信頼を失わせていることに気付いていないのです。「覚者」は絶えず自己教育に励み「理法」の声に耳を傾けるべく、絶えざる自己意識と自己信頼を「理法」の声に共鳴させようと努めます。世界の本質「理法」への畏敬や帰依の感情が、己(おのれ)への自己信頼ひいては自己意識の崩壊へと導くのではないかと恐れるものに畏敬の念で接します。其のことを自分の人格を増々向上させることにを深層意識が読み取っているからです。自分のなかにも隠された能力があり大いなる力を内部から取り出すことが出来得る。其れ故に、単純に自分より崇高な存在に帰依するものではないとして「現象界に隠された本性」に自分自身の「内精神の深層に眠るもの」を呼び出して発達させることにより、崇高な存在との合一を確信する「直覚霊知」を獲得し得る確信を得ます。
2014年09月11日
コメント(0)

「直覚霊知」239瞑想実践の九十三(秘学論理) 人間の素地素質の中でも取り分け「直覚霊知」を得んがためには、自己を取り巻く世界環境であれ、人物像であれ畏敬の念を生来抱ける人物が「直覚的」認識能力に幸運にも恵まれていると言えます。幼児期・青年期にあって其れ等に畏敬の念を培ってきた人間は、其のことが自己の霊性を高める要素に満たされています。年時を経て成熟した時には宇宙を見上げ畏敬の念を持って帰依の心に満たされ、現象界を超えた真理を認識する可能性があります。このことは人間社会での平常生活に働く力にあっても畏敬の念を持ち得る人間も同様だと言えます。心底の優れや成熟した精神を持った人間を素直に無条件で厚く信頼・尊敬出来る畏敬の念を持つことも直覚的」認識能力には重要な条件となります。是等畏敬の存在するところに、「高次段階」への展望が開きます。自分以外の他人を「侮蔑」はしても尊敬畏敬出来ない人間が「直覚的」認識能力を手に入れることは不可能です。自己以外の何おもをも正しく認識できない人間には、世界の理法は「現象界に隠された本性」を現す筈がありません。
2014年09月11日
コメント(0)

「直覚霊知」238瞑想実践の九十二(秘学論理) 神の子と目されるナザレのイエスであれ、釈迦国の王子悉達多であれ、「ヒトの子」として産まれたからには、人間界に生を受けた以上人格があり外的な社会制度とその環境に於いては欠点を見い出す人間もいたでしょう。例えば「破門」という形で追放された悉達多の高弟「提婆達多」は教団の乱れがちなのは、悉達多の緩い性格が災いとなっていると想っていたであろうし、事実繰り返し師匠に直言しています。此の事が他の弟子から煙たがれ追放の運命にいたります。仏教史を記した文章では釈尊殺害を目論んだ人物として記されています。私見では、悉達多の霊的魂の大いさが提婆達多の身の危険を慮って追放を受け入れたとも考えられます。その後の大乗は「提婆達多」を受け入れていますからおそらくは事実無根の濡れ衣だったのでしょう。欠点とは「欠格」とは相違して見る人間の観想で異なります。事実、その後の提婆達多は悉達多より厳しい仏教哲学を「弘通(ぐつう)」させます。提婆達多の間違いは偉大な教示者にあっても欠点を見出すことは容易であろうが、其の出処の根源の霊魂と畏敬の念を忘れたことにありにあります。人間の心には他人を蔑む悪性が潜んでいます。
2014年09月09日
コメント(0)

「直覚霊知」237瞑想実践の九十一(秘学論理) 自己の内精神に沈潜することを習慣にし、内的な認識を持続させることを忍耐強く育む人間は、日常の外感覚的な物質世界で得た経験を回顧し、内精神にまで沈潜させる程に生活経験を体験として「直覚霊知」を獲得するのに意義のあることを理解し役立たせます。其のことが「直覚霊知」を更に深く理解し霊性の認識能力を進捗させてくれます。只、一面が如く何も考えずに「虚ろになることが瞑想」であるとは言えません。外界でのあらゆる生活体験を活かし受け入れて自己の感受性を磨き豊かにすることを出来得る人間が、「自己を空しうする能力」をどの様な外環境であれ獲得可能とするのです。
2014年09月08日
コメント(0)

「直覚霊知」236瞑想実践の九十(秘学論理) 生命を持った人間が自己を現象界から離脱させることが出来得るのは、文字通りの「他界」である「死」か、「我執」から内精神を解き放ち「異相世界」の門戸を開き、世界に理法の根本を知る「直覚霊知」を獲得して物理的世界からは隠された「絶対意識・絶対意志・絶対存在」との合一しか方法はありません。世界自然の中で育まれる「種子植物」(顕花植物)のうち、とりわけ一般に花と呼ばれる生殖器官の特殊化が進んで、胚珠が心皮にくるまれて子房の中に収まった被子植物の華輪を開き受精して種子を生む因縁・因果による「カルマ」(業)を自己の「内精神」の深層に仮象化し自己の意識を集中させて、他を一切排除し、更に其れをも排除したところに、はじめて自己の内精神が活発化して霊性を高揚させて霊魂を独立させる、仏教云うところの「涅槃」の状況が可能になるのです。しかし、内面生活が外的な印象によって左右されるのが当然だと思ってる人間が、外的印象を一切排除することは並大抵ではないことは明らかです。其れ故の日常からの「行」を実践することを徹底することを心懸けるべきでしょう。
2014年09月06日
コメント(0)

「閑話休題」直覚霊知と大乗の三 自己の前世記憶を再体験して「業」や「功徳」に応じた浄化とは、霊的世界とも呼称される物質界からは隠された「絶対精神・絶対意志・絶対意識」に接触することになるのだから、人間が外感覚的物質世界の生活で「絶対者」の意志にそぐわない内精神を傷付けるような行為・行動「悪業」をして亡くなった者の汚穢に満ちた霊的部分は「四十九日」どころか永きに亘っても清めなければ「霊的合一」は望めません。此の間を「悪業」を犯した大きさに従って「浄火」が其の当人にとっては死ぬより恐ろしいものとして「業火・劫火」となって襲いかかり、一般には記憶のみ「浄火」によって無くなりはするものの、霊魂的には再生の準備がされるのに比して、一抹の霊的部分も残すことがないように、霊的には残骸を消滅されます。人間には生前記憶の残存があるとしたら此の記憶が、古今東西の宗教が取り上げている「HELL・地獄」として表現されることになるのです。それ故に「幸せ指数」世界一と言われる「ブータン」では「功徳」を積むことに励むのです。一見自分のためにだけと考えられますが、実は其のことが「布施」の形式をとって皆の幸福に継ることに。人気ブログランキングへ
2014年09月06日
コメント(0)

「閑話休題」直覚霊知と大乗の二 自己の前世記憶を再体験して「業」や「功徳」に応じた浄化を経なければ、「霊的合一」状態に移行することが望めないとは、其々人間の外感覚世界である物質界の、自己の行跡を追体験して「悪業」であれば業火によって焼却され、「功徳」であれば其れに応じた霊聴を齎します。何れにしろ此の段階が「直覚霊知」云うところの「霊的合一」状態に移行する一里塚となります。其の期間で人間は肉体期間の記憶が浄化され「再生」、大乗仏教云うところの「輪廻転生」が準備されますが、「霊的合一」によって「霊魂存在」其のものが無価値とされた場合は、宗教言うところの地獄はおろか一切のものが「浄火」に焼かれて消滅することになります。歴史的には名前を遺す人物で在り得ても輪廻転生どころか「霊的合一」状態に移行することなどは到底望みえないのです。其の人物の生前生活における「悪行」が、本性上理法的には正しきものである筈の霊魂をも喰い尽くす「業」を抱え込んだ時には、本来は後世に置ける「輪廻転生」への準備段階である「霊的合一」状態に移行する「浄火」が、其の人物には全ての体験・経験そのものを人類の霊的記憶から抹消する「劫火」として襲いかかります。此の期間こそ当事者にとっては「地獄」であり「悪夢」其のものとなります。しかし霊的には「足跡跡を濁さず」の「永劫の消滅」ですから来生を心配することは要しないことになります。人気ブログランキングへ
2014年09月06日
コメント(0)

「閑話休題」直覚霊知と大乗の一 此処では同じ「大乗」の末裔ではあるが、間接的に大乗仏教が伝来した極東日本とは異なり、ルーツ的には同様でも直接に大乗仏教を受け入れた人口60万人余りで国土が日本の九州程、国民の10%が僧侶の国家の「ブータン」の大乗仏教の特徴を捉えてみたい。日本の大乗仏教とは異なりインド大陸のヒンズー教の影響も見られ、日本のように末法臭くなく、頗るエネルギッシュでセクシャルな表現が見られるのは、インドヒンズー教からの影響でしょう。まして人間が死んでも墓に埋めないのは日本との死生観の相違から来ていると考察します。特にいわゆる人間が死んだ後の「四十九日」の考えは直覚霊知の「霊的合一」状態移行への経過体験に相似する部分があります。人間が死ぬと現世での「業」や「功徳」により直ぐには霊へと變化することはなく、未だ死に切った状態でもなく、霊魂化する訳でもない中間段階、「直覚霊知」云うところの「霊視・霊聴」状況に入り、自己の前世記憶を再体験して「業」や「功徳」に応じた浄化を経なければ、「霊的合一」状態に移行することが望めないとしています。人気ブログランキングへ
2014年09月05日
コメント(0)

「直覚霊知」235瞑想実践の八十九(秘学論理) 内精神の深層へ沈潜し、自己の霊性を捉え其の根源にあるものを知覚するためには、先ずは一つの象徴的なもの、あまり現象界では見られない、自分の瞑想で浮かび生じ得た「仮象物」を門口として、現実とは全く異なった内的霊魂に心を傾け、其の仮象の存在をも消し去れば霊魂そのものが現出します。其の霊魂を世界に解き放った時にこそ隠された世界の霊性の響きが声となって語りかけてきます。しかし此の段階では未だ霊聴が可能だというだけで相互の交流は望めません。更なる高次の段階に進むには、自己の内精神が創りあげた「仮象物」其のものを唾棄して無想となし、自己を現象界から離脱させることが必要となります。此のような段階を踏むことを幾度となく繰り返し持続しているうちに、「自己」の現象界の「我執」から内精神を解き放ち「異相世界」への門戸を開くことが出来るようになります。
2014年09月03日
コメント(0)

「直覚霊知」234瞑想実践の八十八(秘学論理) 世界自然の中で育まれる「種子植物」(顕花植物)のうち、とりわけ一般に花と呼ばれる生殖器官の特殊化が進んで、胚珠が心皮にくるまれて子房の中に収まった被子植物も、最初から種を持っていたわけではなく、永い年月を経て華輪を開き受精して種子を生む因縁・因果による「カルマ」(業)を通して輪廻転生を繰り返して現在見られるような形姿へと進化してきました。それ故、始原の時点から種子等はなく、或る種の「生命の存在」が始原の時代にはあった筈です。同様に、人間存在の「生命の存在」を成らしめている「内精神」に宿る霊視や霊聴では捉えきれない根源的な部分も連綿として人類に受け継がれてきたとするのが妥当でしょう。人間の中で転生し続けるものを理解しようとするならば、霊視や霊聴では足りず、世界理法との合一「直覚霊知」のみによって其の本性が知覚されるのです。
2014年09月03日
コメント(0)

「直覚霊知」233瞑想実践の八十七(秘学論理) 瞑想等による「行」が見せる「異相世界」の観相が、生きた人間即ち肉体、なかでも脳活動を伴った身体があるからこそ出来得るのであって、霊魂の拠りどころである「内精神」が脳活動に依存するならば、人間が肉体を失えば「異相世界」が仮に存在するとしても、知覚すること能わずとなるのではないかとの疑問には、それ故に、常日頃から「理法」を理解実践して、人間が生来持ち得ている筈の「内精神」に宿る「霊性」を発育育成し、自己の肉体の滅亡後にも、「理知」を存続させることが、たとえ死後、浄化段階で自己意識こそ消滅することにはなっても、その人間が獲得した霊魂そのものの消滅は有り得ません。何故なら、「直覚霊知」とは「世界の理法」としての「絶対意識・絶対意志・絶対存在」との同化を意味するからです。人間が獲得した霊魂が死後に消滅するとすれば「世界存在」其のものが消滅することになり不合理です。
2014年09月01日
コメント(0)
全28件 (28件中 1-28件目)
1

![]()
