全27件 (27件中 1-27件目)
1

「直覚霊知」282瞑想実践の百三十六(秘学論理) 自己の内精神が其の深層に眠っていた霊魂に目覚め一体化した時には、霊魂から齎せられる、魂的で霊的な世界の形象を知るようになるだけでなく、其の物質的で感覚的な世界からは隠されていた世界の形象の諸事相の意味合い及び我々人類が理性的動物として属している大宇宙の「理法」の片鱗に触れ、自己の本性が「絶対精神」の延長としての様態にある限りにおいて、自分をも其の存在の霊性が何処を起点としているのかを知り、自己の存在の立ち位置を知ります。此の段階に至ると「聖域の守護者」若しくは「領域の境界の番人」に出会っての対応のすべを解かっていることになります。しかも其の背後に控える世界の存在の片鱗に触れ、それぞれの段階に応じた形姿をもって、自己の本性が持つ「絶対精神」の延長としての様態にある限りにおいての霊魂に相応しい様態をもって現出します。ある人間にとっては「釈迦牟尼佛」或いは「基督」の形姿を帯びるやかも知れませんが何れにしても「世界理法」の片鱗に触れていることには相違はありません。
2014年10月30日
コメント(0)

「直覚霊知」281瞑想実践の百三十五(秘学論理) 人間本性と世界理法との絆を許される「直覚霊知」を目指すものの初期の段階では、物質的で外感覚的な世界で獲得された判断力しか用いることしか出来ません。それが内精神の深層に触れ自己の霊魂の存在を認識し物質的で外感覚的な世界に自ら創造した仮象によっては隠された霊的世界の存在を霊視し、其の世界の意識を感じ解読し、自らを霊性的な世界に没入させ、自己の本性が小宇宙「ミクロコスモス」言い換えれば人間の内認識世界と大宇宙「マクロコスモス」の関わりを認識するまでに、大宇宙との一体化を認識するに至った時には、自己の霊魂が人間の体験全てを理解出来るようになります。但し、史上の達人の例を上げるまでもなく、全てが此の順序を踏むとは限りません。偉大な霊性は「直覚的」に全てを俯瞰します。とはいえ、通常はこの段階を踏むことが「直覚霊知」を目指すものにとっては適正な「行」の仕方としては適っているといえます。其処から更なる段階への「道筋」が自ずからを知らしめられることになります。
2014年10月29日
コメント(0)

「直覚霊知」280瞑想実践の百三十四(秘学論理) 自己の本性が小宇宙「ミクロコスモス」言い換えれば人間の内認識世界と大宇宙「マクロコスモス」の関わりを認識するまでに至った時には、其の人間は自分を完全に「自立」していると覚えるにもかかわらず、一方でまるで自分が全世界或いは大宇宙との絆で結ばれて一体化していると感じ始めます。此の霊的感情は、全宇宙との同化であり其れとの一体化であるにしても、其処には未だ自己の本性を認めます。然し乍ら、大宇宙「マクロコスモス」との一体化であるとはいえ、此の段階にあっては、人間本性の個別意識は消滅はしていません。人間本性が全なるものとする大宇宙との一体化であるにしても「絶対意識」とは一体化をしていないからです。夢想を許されるとするならば、「絶対意識」との一体化とは究極の「絶対精神」「絶対意志」其のものの「創造者」そのものになることを意味します。
2014年10月29日
コメント(0)

「直覚霊知」279瞑想実践の百三十三(秘学論理) 現在の物理科学的研究や生態学をもっては、人類に関わる全ての生態系や生命創造に関わる大宇宙の物理的な諸事象との関係は未だ解き明かされてはいません。それ故に、人類の思考が限りなく大宇宙更には其の創造の根源を究めるためには人間が「絶対意識」の「様態」の延長上にある限りにおいて直覚的な霊知に頼るしか方策がないのが現状であり、他に其の答を求めるとするならば「宗教学」としか選択の余地はないと言えます。何れにしても生命、とりわけ人間のどの様な部分にしても大宇宙更には其の起源と深く関係していることは否定の論理はあり得ない筈です。つまり、人類は人間をめぐる周囲の宇宙進化の全体の過程から生成された生成物だとも言えます。人間を形成するどの様な部位取り分けて内精神の深層にある霊魂も、外世界の経過に対応して進化してきました。「直覚霊知」を志す人間が「理法」に適った進化段階に至れば、自己の本性が小宇宙「ミクロコスモス」言い換えれば人間の内認識世界と大宇宙「マクロコスモス」更には「絶対精神」との片鱗に触れる機会を得て「真理」を得る可能性が高まります。
2014年10月27日
コメント(0)

「直覚霊知」278瞑想実践の百三十二(秘学論理) 高次の世界の更なる段階へと、人間が内精神の深層に育んだ霊魂をもって進むならば、必然的に或る種幻想なのか真相なのかの闘争が生まれます。何故なら、今將に感じ体験していることが容易と変相するからです。其処には前提とする通常における学問は勿論、形而上の考察の深度によって「此の世界の理」大宇宙の発生及び宇宙万物の創造の枝葉に、人間がこの世の果ての全ての「理法」としての様態としての延長上で接触します。かかる存在意識は其の人間存在の大いさにより異なって現れ方は異なります。ある人間にとっては「理法」が畏怖故に恐怖の大王とも感じられ、亦ある人間にとっては「理法」が「アガペー」そのものと感じることもあります。何れにしても、宇宙創造と宇宙進化の過程を何処までに深層に追求したのか、人間の進化の過程で与えられた自己という意識が芽生えたのか、其れから全てがどの様に発展してきたかの理解の度合いによって体験は異なるものとなります。
2014年10月26日
コメント(0)

「直覚霊知」277瞑想実践の百三十一(秘学論理) 瞑想や「行」に長い歳月をかけて直覚霊知を志し段階を踏んだ人間が、やがて高次の世界への門を通過すると、「新しい自己」の形相であったは筈のドッペルゲンガー(Doppelganger)が、「聖域での守護霊」として「本来の自己」の霊魂に取り込まれる形姿を持って鏡面の自分に吸い込まれるように一体化します。其れは丁度、通常世界における人間の内精神の深層に存在する霊魂的存在として本来の自己の霊魂に語りかけます。即ち、本来の自己の霊魂が現在の高次の世界の段階に立ち留まらずに、更なる高次の世界の段階へと進むことを促します。何故なら、やっと手に入れた世界は真実の一面しか示しておらず、高次の世界の段階に応じた霊性的な修行を続けるならば、此の世界が幻想には陥らずに真実であるという意識を本来の自己の霊魂に語りかけ、更なる段階への決意を高めさせるのです。
2014年10月26日
コメント(0)

「直覚霊知」276瞑想実践の百三十(秘学論理) 霊格を獲得したので気が緩んでいる人間が注意すべきことは、「領域の境界の番人」の形姿の形相に呪縛されてしまうこともあるが、其れより危険なのは、自己が体験していることが領域の境界の番人に呪縛されているのではなく、其れとは全く別の「仮相」を実相と捉え観想することです。其処では「聖域の守護者」が「あなた」が既に霊的世界のすべてを俯瞰する段階に達しており神的人格を獲得していると霊魂に囁きかけます。其処に意味するのは、もはや此れ以上の段階などはなく宇宙万物の秘密を手に入れていると思わせ、其れ以上の段階を諦念させるところにあり、「聖域の守護者」が形姿が変相して現れることです。但し其のことの事実は、「直覚霊知」を志す人間が、既にそのような体験をすることが出来るのは、それが真実には未だ遠くは離れていても、其の体験が出来得るのは、生前における人間が「直覚霊知」を志した世界の理法へと近づいていることの現れなのです。
2014年10月25日
コメント(0)

「直覚霊知」275瞑想実践の百二十九(秘学論理) 「新しく生まれた自己」は高次の世界の段階の過程に応じて、それぞれの段階に応じた霊性世界の側面を開示しますが、其れは「旧来の自己の霊性」の拡張された要素の一体型であり、実相は別格的に扱っているが一体性を持つのが当然であり「霊格」が別個に存在する訳ではないので「新しく生まれた自己」によって「本来の自己」の霊魂存在が拡張された要素である「新しく生まれた自己」が、高次の世界の段階の過程に応じて、それぞれの段階に応じた霊性世界の側面を開示させる能力をもって「本来の自己」を牽引する形で霊魂を純粋化及び高踏化させるのです。ところが、「直覚霊知」への十分な準備すなわち「本来の自己」が高次の世界の段階を踏む願望及び自信なしに「高次の世界の」門前で「高次の自己」に向かって歩むことを躊躇する程に「直覚霊知」が貧弱でひ弱なときには、内精神の深層にある霊魂が麻痺してしまい、眼前にあるものから、怖じけて後退りしまいかねません。それでは、たとえ霊的な世界に参入することが出来得たとしても、史上の先達の偉人が克服したようにはいかず、「聖域の守護者」若しくは「領域の境界の番人」の形姿の形相に呪縛されてしまいます。
2014年10月23日
コメント(0)

「直覚霊知」274瞑想実践の百二十八(秘学論理) 「旧来の自己の霊性」では其の「新しい自己」を全き状態で知覚することが出来得ないのにも関わらず、「直覚霊知」をもって初めて其の存在を知った人間は、物質的で感覚的な世界の側面から其の存在を認識したい誘惑に駆られることは人間の性(さが)として抱(いだ)くことは当然であり、「直覚霊知」を求める経過においての真相の可否を問う意味でも此の面からの考察も有用であり必要だともいえます。然し乍ら、高次の世界への段階の過程が「聖域の守護者」言い換えれば人間が創造した「生き霊」との霊視及び霊聴により応答対象としての認識が高まる程に霊魂存在が育まれた時には、「新しく生まれた自己」が「旧来の自己の霊性」の前面に出て「聖域の守護者」と対面しなければなりません。此の場合には「聖域の守護者」の様相はサタン・ルシフェル的な要素として一変し、「新しく生まれた自己」がどの様な重荷を携えているのかを明らかにします。
2014年10月22日
コメント(0)

「直覚霊知」273瞑想実践の百二十七(秘学論理) 人間の霊性的精神の物質的で感覚的な自己認識はが「旧い自己」の影響力を及ぼし得るものだけを取捨選択し、高次の世界の門を通過すると、今までの通常世界における物質的で感覚的な自己認識は一変します。物質的で感覚的な世界における自己認識は、専ら内的な仕方で体験されるが、「新しく生まれた自己」は、残存した霊魂からは別の存在で有るかの如くに現出します。其れ故「旧来の自己の霊性」では其の「新しい自己」を全き状態で知覚することが出来得ません。何故なら、高次の世界の段階の過程が高まる程に、其れより高次の世界が待ち構えているからです。高次の世界の段階の過程が高まる度に、更なる「新しく生まれた自己」が開示されます。「新しく生まれた自己」は高次の世界の段階の過程に応じて、それぞれの段階に応じた霊性世界の側面を開示します。
2014年10月21日
コメント(0)

「直覚霊知」272瞑想実践の百二十六(秘学論理) 人間の心のなかに形象化されたものを高次の世界へと導くガイドとなるべく「新しく生まれた自我」は、誕生時から通常生活にあって持っている本性として形象化されたものを高次の世界へと導く課題を背負っています。言い換えると「新しい自己」が「旧い自己」携えて高次の世界の門を叩くわけです。当然のこと、其処には「聖域の守護者」が待ち受けています。そうすると、「聖域の守護者」言い換えれば「人間が創造した生き霊」と「旧い自己」を携えて来た「新しい自己」との間に或る種の闘争が繰り広げられます。そこではサタン・ルシフェル的な要素に加えてメフィーストレスの要素まで帯びる東亜細亜でいう「閻魔」の如き「聖域の守護者」は絶えず主導権を握ろうとしますが、此の段において、「新しい自己」が「旧い自己」の影響力を及ぼし得るものだけを取捨選択し、残存を其の行動に委ねるならば「新旧の自我」は霊性的諸力が強まり高次の世界の門を通過することが容易となります。
2014年10月20日
コメント(0)

「直覚霊知」271瞑想実践の百二十五(秘学論理) 人間が人生を通じて絶対精神の様態としての延長上で内精神の深層に築き上げた新たなる本性というべきものは、自己の誕生時から通常生活にあって持っている本性とは違い、其の人間の心のなかに形象化されたものを高次の世界へと導くガイドとなります。此の新しく生まれた自我こそが「直覚霊知」及び西洋言うところの「昇天」並びに東亜細亜でいうところの「涅槃」への、当の本人には「天使」や「地蔵」の形象をもって現出します。そこにサタン・ルシフェル的な要素に加えてメフィーストレスの要素まで帯びる東亜細亜でいう「閻魔」の如き「聖域の守護者」、言い換えれば「人間が創造した生き霊」との闘いが生じます。「聖域の守護者」言い換えれば「人間が創造した生き霊」は古来より伝承されてきたように「閻魔の後面側が地蔵」であるように、対面した人間は此処で自己の誕生からの霊魂の穢れを閻魔のもとに差し出し劫火を覚悟して、自らが新たに築き上げた「新たなる霊的存在である自我」をもって其の象徴的な後面側が地蔵であるようなガイドだけに霊性を委ねれば、其の霊魂は純粋でで穢れ無きものとして「絶対愛」の片鱗に巡り逢い触れる可能性に恵まれます。
2014年10月19日
コメント(0)

「直覚霊知」270瞑想実践の百二十四(秘学論理) 霊的世界が人間が高次の世界に乱入することが無いように人間の進化と供に、敢えてサタン・ルシフェル的な要素に加えてメフィーストレスの要素まで帯びる東亜細亜でいう「閻魔」の如き「聖域の守護者」を人間の成長過程に応じて人間自身の精神史の進化に組み入れていることの実相は、人間の霊性の中に成長した汚穢を劫火をもって滅し尽くすために人間それぞれ自身の内精神が絶対精神の様態としての延長上で自ら永い時を経て築き上げたものです。高次の世界に人間が足を踏み入れる時に出会う東亜細亜でいう「閻魔」の如き「聖域の守護者」と自己の霊魂との対話が、人間が人生を通じて霊魂を成長させたのか堕落させたのかを判別することになり、自己の霊魂の穢れが悪性を表現するのが悪魔であり「聖域の守護者」は其れを諌める或いは人間の霊魂を劫火で滅し尽くすという意味では霊魂に濁りがある人間にとっては「サタン」そのものだと言えます。
2014年10月17日
コメント(0)

「直覚霊知」269瞑想実践の百二十三(秘学論理) 世界理法に則って「直覚霊知」を志す人間は物質的な世界と霊的世界を区別し、一方の外感覚的で物質的な世界認識態度と他方の高次の世界の自己の体験内容における認識の態度を区別することには極めて厳格にすることに努めます。それ故に、外感覚的で物質的な世界の知覚内容のときとは違い、霊魂の向き合う世界である高次の世界の真の自己の体験内容を喜んで自己判断をもって理解に努めますが、其の真偽は、結局のところ、其の人間の行った観察及び体験が、人間が史上に積み重ねて検証してきた霊性判断に万障照らし合わせても一片の疑いを差し挟めないかどうかで、社会的判断が下されます。故に、世界理法に則って「直覚霊知」を志す人間は努々(ゆめゆめ)真相を探求する態度を崩すことがなきような生活態度をが要求されるのです。
2014年10月17日
コメント(0)

「直覚霊知」268瞑想実践の百二十二(秘学論理) 霊的世界の全き現実を観相するにあたって、物質的な世界と霊的世界の区別を判断する能力を獲得し、仮象と現実を厳正に区別することが出来得る人間は、霊性を帯びた世界の中でもはや幻想に陥る可能性を払拭しています。云うならば、物質的で感覚的な世界で、心中に思い浮かべた薔薇の棘が肌にくいいったのが実際には催眠にかかった如くには肌を傷つけることが無い様にです。此の場合には霊魂の向き合う世界の真の自分の体験内容が起動しています。此の時点に至っては其の人間の身体的特性である知性と日常茶飯事の真理感情とが把握する認識内容や他人の意見は排除されています。「直覚霊知」を志す人間は物質的な世界と霊的世界を厳格に区別します。
2014年10月16日
コメント(0)

「直覚霊知」267瞑想実践の百二十一(秘学論理) 象徴像を形成した深層に眠っていた霊魂其のものの中に沈潜し、仮象としての名ばかりの「象徴」は破棄し、霊魂其のものの働きさえ意識から排除することが出来得れば、霊魂其のものの中に沈潜していても、もはや誤謬に陥る可能性は残存していたとしても、其処には誤謬を犯させるようなものは存在しません。此の時点では、高次の世界に関して判断できないものの紛れ込む可能性は消滅しています。其処まで「霊的合一」を求め得た人間には、霊的世界の全き現実を観相出来ています。其の段階にまで自己を高めた人間は霊的世界の全てを俯瞰することさえほぼ成し得ています。其処までに自己の霊魂を高しめた人間には、物質的な世界と霊的世界の区別を判断する能力を獲得しており、それに適った判断力を得ているために仮象と現実を厳正に区別することが出来得るのです。
2014年10月15日
コメント(0)

「直覚霊知」266瞑想実践の百二十(秘学論理) 自己の霊魂の高次の段階を見通すが故に創作した仮象としての名ばかりの「象徴」も、内精神の深層に眠っていた霊魂が高次の世界の霊性世界の伝達する声なき声に耳を傾け聴ける段階に達すると、仮象としての名ばかりの「象徴」は破棄されます。其の内容は象徴像を形成した深層に眠っていた霊魂其のものの中に沈潜します。ところが、其の時点に至っても誤謬に陥る可能性は残存しています。何故なら人間は「正覚者」でもない限り、幾ら教育や自らの学習を通して人間の霊性を哲学し、霊魂の働きを学んだからといっても、其の根源にある原動力である存在のすべてを知ることはあり得ないからです。
2014年10月14日
コメント(0)

「直覚霊知」265瞑想実践の百十九(秘学論理) 壮大で無辺な宇宙事象についても諸々の概念を得て「世界理法」を獲得しようとする人間にとっては、空想と幻想或いは暗示や自己暗示を判断する能力は言うまでもありませんが、絶対的な概念である理法を「直覚霊知」するためには、自己の内精神の深層に沈潜を「行」じている其の間は「霊魂」に生じている総てを俯瞰出来得る状態を保たなければなりません。初期には精神集中の手段として自ら選択した象徴としての仮象を造り上げましたが、仮象とはいえ外感覚的で物質的な世界の知覚内容を引き摺っています。それ故に象徴とは名ばかりで其の実相は自己の霊魂の高次の段階を見通すが故に創作したあり実相ではないのですから、その内容の由来については絶えず確信する必要に迫られます。此処にも錯覚の危険性は潜んでいるのです。
2014年10月13日
コメント(0)

「閑話休題」にんまり微笑む婆ちゃんとの出会い 私は30年前に素潜り12メーターの処でマグロを仕留めようとしていた時に口径80センチメートル程:体長4.5メートルはあるホオジロザメに、瞬膜が婆さんの微笑んでいるようにしか見えない距離に近づかれてマグナムの水中銃で鼻先を突っつきながら船底に辿り着いた経験をしています。以降シャークハンターの勇名は返上しました。 I about 80 cm diameter when it was trying to Shitomeyo tuna in the treatment of 12 meter skin diving 30 years ago : in the distance you can not see the great white shark there , nictitating membrane is only as smiled the old lady is 4.5 m length it is an experience that I reached to the bottom while poking the nose in water gun Magnum by approached . Yumei Shark Hunter later was vacates .人気ブログランキングへ
2014年10月12日
コメント(0)

「直覚霊知」264瞑想実践の百十八(秘学論理) 真に「直覚霊知」への適切な段階を踏む人間は壮大で無辺な宇宙事象についても諸々の概念を得て「世界理法」を獲得しようと努めます。その結果絶えざる判断力が求められて研ぎ澄まされていきます。それ故に、卑近のことに囚われて壮大で無辺な宇宙事象についても諸々の概念の基礎の「世界理法」を顧みないで、自己を取り巻く環境に起こる「啓示」だけに頼ろうとする人間は、空想と幻想或いは暗示や自己暗示を判断する能力に欠ける傾向にあるので確かな判断力を持ちえず誤謬に陥り、それを「真相」と観相することを社会に公言し説くときには、やがて其の言動と行動が「百害あって一利なし」の人間社会における汚穢と看做され、遂には社会的な制裁を受けることさえも稀ではないことは史的に見ても絶えず繰り返され人間史の汚点となっています。
2014年10月11日
コメント(0)

「直覚霊知」263瞑想実践の百十七(秘学論理) 人間の陥る空想と幻想の源泉が其れほどまでに多く且つ誤謬に陥る危険性があるのだとしたら、一体自己が内精神の深層で感応しているそのもの認識が、空想と幻想或いは暗示や自己暗示でないと、どこで判断できるのか。ましてそれから身を守る手段はないのか。そう考察する人間は、「直覚霊知」への適切な経過を踏んだ人間が、其れ以前に準備の段階で空想と幻想或いは暗示や自己暗示を生じさせるすべてについて充分な知識を獲得し、其のことから身を守るすべを弁えている事実を知らないからです。「直覚霊知」への適切な経過を踏んだ人間は、それと志が異なる人間とは異なり、人生を冷静沈着に観相して思慮深く、どの様な経験および体験に遭遇しても、不確かな予断を頼って判断を下しません。「直覚霊知」への適切な経過其のものが「思慮深い態度」を要求するからです。
2014年10月10日
コメント(0)

「直覚霊知」262瞑想実践の百十六(秘学論理) 自己の内精神の深層に活動する本性が霊魂として未熟なことに起因して高次の世界を観察してしまい、自己の内精神の深層に活動する本性が霊魂として未熟なことに起因して高次の世界を観察してしまうと、霊魂其のものが歪曲され其の幻想を実相と捉えてしまい理法の齎す真相を歪曲してしまい誤謬を理法とし自己判断し内精神に眠る霊魂に汚穢をつのらせ最終的には自己を「聖者」と看做します。此の事実の怖いところは当の人間が適正に育まれたものでない霊魂其のものの声を現実社会に伝達して高次の世界を表現化していることです。霊的世界はこの様な人間が高次の世界に乱入することが無いように人間の進化と供に、敢えてサタン・ルシフェル的な要素に加えてメフィーストレスの要素まで帯びる東亜細亜でいう「閻魔」の如き「聖域の守護者」を人間の成長過程に応じて人間自身の精神史の進化に組み入れているのです。
2014年10月09日
コメント(0)

「直覚霊知」261瞑想実践の百十五(秘学論理) 直覚知に在っても幻想が生じることがあるのは、自己の内精神の深層に活動する本性が霊魂として未熟なことに起因して高次の世界を観察して、未だ我執を離脱しきれないところから幻想を実相化することにあります。未だに身体と精神の活動を伴う人間が、今度は自己の内精神の深層に活動する霊魂の真否を問う能力を獲得することに努めねばなりません。感覚的な物質世界を離脱した高次の世界では、観察するときに間違った判断を下し、其れを霊魂が現実性を持つと映じたならば幻想と現実の区別が当人は全くに覚らずに自らを高次の存在だと仮想してしまい、高次の世界の真相を具現する存在其のものだと思い込み、自己の発する言葉に自らも縛られ、他者にもその仮想を強制をして霊的に未熟な人間の運命のみならず自分の人生をも崩壊させることになります。
2014年10月08日
コメント(0)

「直覚霊知」260瞑想実践の百十四(秘学論理) 人間が人生生活で育んで来た内精神の深層に存在せしめた「霊魂」の眼前に現出する形象が全て幻想なのであるならば、此の時点で其の人間の存在そのものが崩壊して魂の劫火に焼かれて滅却され、爾後は無くなり忘却が待ち構えます。此のことは宗教的に説かれる「ヘブン」や「涅槃・浄土」とは全くかけ離れた「消失」であって其の人間は人々の記録および記憶には存在してももはや「完全なる無」でしかありません。それ故、「直覚霊知」を目指す人間が高次の世界に参入する前に取り組まなくてはならないものは、予めに感覚的な物質世界を観察するときには「自己を滅却」して自分が象徴できるものに其の本性を自ら語らせることを可能にしなければなりません。此の下準備を充分に行った人間は、安んじて「聖域の守護者」の存在との出会いを待つことが出来ます。高次の世界に向き合うときに自己の本性適正な存続の可否は「聖域の守護者」の存在との出会いを通して明らかにされるのです。
2014年10月07日
コメント(0)

「直覚霊知」259瞑想実践の百十三(秘学論理) 高次の世界への参入を心懸ける人間が、サタン・ルシフェル的な要素に加えてメフィーストレスの要素まで帯びる東亜細亜でいう「閻魔」の如き「聖域の守護者」に立ち向かうことになった時に人間は始めて「聖域の守護者」の存在と出会い、其の感応に従って自己の内精神にあるものの内の高次の世界に持ち込めるものが総ての霊魂か全体の部分なのか其れとも滅却の運命が待つのかという「何か」を知ります。其のこと故に、「聖域の守護者」の存在とのは出会いは自己が人間として現実界に誕生してから内精神の深層に育んだものを高次の世界に持ち込めるものの全てを知ります。即ち、物質世界における内精神の幻想は此処で「天秤」に掛けられ、其の源泉が除去されるのです。
2014年10月06日
コメント(0)

「直覚霊知」258瞑想実践の百十二(秘学論理) 高次の世界への参入を心懸ける人間は外界の現状である物質的で感覚的な世界に自己の内精神が関与して観相させる幻想にも注意点はありますが、此れはいくら観相者が恣意的に変相させようとしても、創造の源泉でない人間には外界其のものを変相させることは出来ないので、外界変化は生じないし其の姿も現実に立ち返ることが出来得ます。ところが、内精神の深層の霊魂が高次の世界のを霊視する段階にまでに成長すると己自身の霊魂が欲する願望のままに其の世界の観想を恰も自分が創り上げたの如くに形象化します。其の作り上げた眼前に現出する形象を内精神の深層に眠る霊魂が活発化するときに幻想ではなく真相に導くために「聖域の守護者」サタン・ルシフェル的な要素に加えてメフィーストレスの要素を帯びる存在が立ちはだかります。東亜細亜でいう「閻魔」の如くにです。
2014年10月05日
コメント(0)

「直覚霊知」257瞑想実践の百十一(秘学論理) 生き霊またはサタン・ルシフェル的な要素に加えてメフィーストレス(mephistopheles)の要素を帯びる「聖域の守護者」に立ち向かうことなしに「生前」の直角知をもって高次の段階に参入する人間は、先達の偉人達が全て体験しているのを見る通り、幻想に次ぐ幻想の混乱である迷宮の国のアリス状態に陥りかねません。自己が高次の世界に持ち込んだものと、高次の世界に元々に存在するものの区別の判断がつきかねるようになるからです。しかし適正な直角知を得て高次の段階に進もうとする者は、幻想ではなく真相に導かれるためには「聖域の守護者」に立ち向かうことを生じさせます。此の出会いこそが先達の偉人が生前に全て体験している通りに、高次の世界へ参入し観察し、幻想と空想とを排除する防御手段になっているのです。
2014年10月01日
コメント(0)
全27件 (27件中 1-27件目)
1


![]()