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神の存否-12 現在の先端物理科学である「量子物理学理論」は、宇宙即ち世界の在り様の見えないものを見る分野だとも云えます。取り分け、ダークマターは見えないのに重力がある暗黒物質、ダークエネルギーは現在は宇宙全体に均等に分布していて、宇宙の膨張スピードを上げる暗黒のエネルギーで、宇宙の理の根元を印すに足る究極の実体を表現若しくは顕現させる要となるものです。最新の観測では、この二つが驚嘆すべきは何と宇宙全体の95%をも占めていることが分かりました。とは云え、その正体はと問えば、何方も推測の域を出ていません。実は、人間の眼には見ることを得ない重力を持つ何かの存在は80年以上も前から知られていました。宇宙を観測すれば銀河団の中の銀河たちの動きが、銀河団相互の重力だけでなく、他の重力の影響も受けているように見えたからです。その重力を及ぼしている未知の物質をダークマターと呼ぶようになりました。極最近では、ダークマターの重力の影響でその背後にある銀河が歪んで見える現象「重力レンズ効果」が発見され、その存在が信じられるようになっています。また、この現象を多く見つけることで、ダークマターが宇宙にどのように分布しているのかといった、地図づくりも進められている状況に立ち入りました。哲学・思想ランキング
2021年03月31日
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神の存否-11 見えないものを見る。此れ程に難しいことはないと云えましょう。夢見は眼球が動いていることからも視床核神経から視覚脳が働いていると見られ、謂わば幻視とも云うべきもの。現実世界の在り方を見るのは古史以前は其の幻視が宗教を齎したのかも知れません。古史上では見えない物を見ようとする形而上哲学や物理的観測が出来ないために思考で憶測した唯物論、神の発現とも取れる神格の顕現及び神託、 哲学で、感覚・知覚と異なる知的精神作用で対象を心に浮かべて其の起因をよく考える思惟、此の「思惟」はネーデルラントのスピノザを始め西田幾多郎にも顕著に取り上げられています。今現代の物理科学の最先端ではアリストテレス以来、形而上の領域を諸科学によって置き換えられていったが、最後に狭い領域が残り、それが大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が残存します。認識論ではヒトの外の世界を諸々の感覚を通じていかに認識していくかが問題視されます。認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的活動の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが存在論でしょう。然し乍ら、哲学における方法論は思弁に尽きるため、仮説を立て実験によって検証するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかったことから、哲学論は基本的に仮説の羅列に過ぎず、単に主観的な主張であり、客観性の保証が全くない内観法が哲学者の主たる武器であったことが、先端物理科学に遅れを取る因となります。哲学・思想ランキング
2021年03月30日
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いっぷ句-54桜花待つ紅い毛氈コロナ噛む 愚通人気ブログランキング
2021年03月29日
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神の存否-10 シッダールタは、釈尊の出家以前の名である。生に苦しみ出離出脱を求めたシッダールタは、苦行に苦行を重ねたあげく、河の流れから時間を超越することによってのみ幸福が得られることを自習して世界を学び、遂には一切を在るが儘に愛することを覚ります。所謂、悟り解脱の境地に達したのです。西洋宗教が見得ざるものを神の顕現や預言としての奇跡に由来するのに対し、シッダールタは解脱以降は自らの精神が世界を捉えた「直覚」を語ります。その真髄は世界にある限りの、在りと汎ゆるものは「人格的神性」や「神格性」から生じたものでは在る筈もなく、当時は無限の世界として捉えていた天空や人現精神が思惟、即ち、対象を心に浮かべて其の起因をよく考えること。また、浄土の荘厳(しょうごん)を明らかに見ることを知ります。此の事実は何かしらの人類生存の理の予言をしているのかも知れません。釈尊になった、シッダールタは究極の精神起因なるものの原泉である実体を見通したのかも知れません。其れ故に、釈迦は所謂、事物または表象からある要素・側面・性質を取り分け抜き出して把握する抽象的な概念を超えた「絶対的因」に気付かされ己を虚しゅうする術、世界との同化作用に入った人類最初の思索家と云えます。此事実が齎す啓示は全て現代に在する人間が、釈尊の一応にしても思考受け入れば、精神的安寧は保証されます。哲学・思想ランキング
2021年03月28日
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神の存否-9 「神」に人格性を帯びた「神格」を賦与した宗教はシッダールタの解脱以前の印度大陸にも「神存在」は説かれています。覚りを得た釈迦は、其れ等の神を政治的意味合いもあったようですが認容していました。其れ故に、「神存在」にも戦いや滅びがあることを説いています。永遠なる存在を唯一神のなかではイスラム教を除いては、屡々、神を擬人化することからも、基本的には西欧の神は「全き実体=実有」ではなく神其のものが自己の実体を制限しているように想われ、意思や精神の実体に敢えて不完全性を持ち込んでいるとさえ解します。例えば、真理が絶対そのもので,仏陀を通じて開顕されるということは、真理がキリスト教などの〈神〉の地位に代わるものであることを示すことを考察すれば容易に解ります。シッダルタとナザレのイエス、後の釈迦とキリストを比較すれば、先ずは、絶対の実体の紹介者・仲介者・預言者及び教主としての立場は共に同様ですが、仏教は絶対者が非人格的な真理であること、覚者たることが万人に開かれているのは、絶対者が非人格的な真理であることを釈迦が解き、ダルマ((dharma/法)を要としたことです。仏教は此れにより人間精神の小世界を脱却し無限の世界に飛躍しました。哲学・思想ランキング
2021年03月27日
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神の存否-8 絶対とは「思考においても実在においても一切他者に依存せずそれ自体として自律的に存在し自己のうちに存在の根拠を有するものをいう」のが通例であり、絶対存在とは「思考においても実在においても一切他者に依存せずそれ自体として自律的に存在し自己のうちに存在の根拠を有する一の実体」。他には「絶対者」も哲学や信教では多くに著されていますが、意味合いは多分に混沌としており、決定的な解釈論は見受けられません。例えば仏教では真理がこそが絶対であるとしていますが、唯一神教などでは、預言などを通して「神」に人格性を帯びた「神格」を賦与しており、「絶対・者」の意味合いが強く込められており、真理が神の新たなる創造であるかのようです。此れは、仮に神が一としての完璧ならば「神」が人類に干渉するなどは到底考えられないことからの認識から出ているともとれます。哲学・思想ランキング
2021年03月26日
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神の存否-7 現在に照らして人間認識論の立場から絶対存在を観相してみれば、過去から現世そして未来の世界。過去はなくして現世のみの世界でしょう。過去は無くして現世のみの世界であれば未来への変状も当然に予想し得ず未来も無くなります。未来への予測が「人格性を与えられた神格的な絶対」であれば、現代の相対性理論と量子理論の折衷から育った量子宇宙論には、今ははや、古典的であり立ち行くすべもない時代が来ており、新しい創世理論への期待が待たれます。現代までの絶対存在を説くものの流れとしては、絶対存在と絶対者を敢えて区別しなかった形而上哲学、物の実体即ち絶対存在を認めるものの、其の創造に関わる無限の他者としての絶対者を主張する唯一神教の類い、なかでも、神秘主義(mysticism)の絶対者の言及には通常の表現を許さない経験が示唆されているいます。神秘主義とは物の実体には重きを置かず、神・最高実在・宇宙の究極的根拠などと考えられる絶対者を,その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする精神的な立場をい云い、その根本特質は、術語的には神秘的合一(ウニオ・ミュスティカ/unio mystica)といわれる絶対者と自己との合一体験にあり、さまざまなバリエーションをもって広く宗教史のうちに顕れています。物質的実体は神の創造としての実体であり、其の実相は精神の実体にに有るとしますが、「実体」即ち「有」として在るものを否定したかの如き思考は「実体の空虚」を俎上させる可能性無きにしも非ずです。哲学・思想ランキング
2021年03月25日
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神の存否-6 ヘーゲルの生きた世界では、「絶対者(the Absolute)」、言い換えれば「絶対存在(Absolute existencethe)としても語彙的には同様に思えますが、神仏調和説における絶対的存在としての仏や菩薩と、その化身である神という形を取ることにより、神仏の調和の理論的裏づけとしたものもあり、一概には同一視は出来得ません。あらゆる有限の区別・対立・制約を離れ、感性的現象の世界を越えてそれ自体で存在し、しかも、世界を根底において成り立たせているものとすることには極端な神に人格を賦与するとした宗教を除いては異論がないでしょう。西洋哲学ではスコラ哲学やライプニッツ及びスピノザなどの神=実体説、あるいはフィヒテの絶対我、あるいはヘーゲルの絶対精神、あるいはショーペンハウアーのいう絶対意志などの説が乱立しますが、近世では波多野精一の西洋哲学史要(1901)の近世哲学史に著せる「絶対者は自然及精神として発現す。従て哲学は自然哲学と精神哲学との二に分る」とのとおり完全に自然哲学と精神存在論からの探求が中心であり、近世に於いて物理科学は「絶対存在」の追求という面では神学哲学や形而上哲学等々の追っ掛けとしての地位に甘んじていました。哲学・思想ランキング
2021年03月24日
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神の存否-5 ヘーゲル哲学の絶対者への探求のカテゴリーは、二つの異なった方向へ延長することができ得ます。その一は、人類の神化に通ずると想われる方法論です。その二は、ヘーゲル文献や生き方を通した推理からして我々人間を通しての絶対者の自覚に通ずる精神存在論からくる認識論です。然し乍ら、物理観測科学が現代とは比較すべもない時代ゆえに証明が実証すべくもなく観念論に成らざるを得ませんでした。今はIT現代の分析技術の急速な高度化により、絶対者への存否の探求のカテゴリーは、三つの異なった方向へ延長することが必要となります。一つは我々人類の精神存在論からくる究極の精神としての存在。二つは全ての物質全般の創造因。三つ目は精神と物質両者其のものを充たす「結果であり経緯であり原因である」、即ち、従来の宇宙の時空論に囚われない究極の物理科学が描く世界「量子重力理論(quantum gravity theory)」にて絶対存在を解釈し得る時代に突入します。哲学・思想ランキング
2021年03月23日
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神の存否-4 ドイツ観念論を大胆な直感で世界を語る天才シェリングシェリングとは友人にして、古代ギリシアの詩の世界を愛するヘルダーリンとも交友を結んだ、規則に縛られた神学校の環境を好まない点で意気投合し互いの思想に影響しあった、ドイツ観念論の重鎮ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel/ 1770年 - 1831年)は、シェリングの神の存在様態について異論を述べます。ヘーゲルは、有限者に対立するものは絶対者ではなく、それ自身自らの一種の有限者にすぎない。真の絶対者はあらゆる差別を含んだ同一者、有限者を含んだ無限者であるとします。彼において絶対者は、「発展的に歴史的世界において自己を実現してゆくもの」であり、謂わば精神として把握しており、個物の実体性や様態及び属性には其程の重き立ち位置を与えていません。(the Absolute の訳語) 哲学で、あらゆる有限の差別・対立・制約を離れ、感性的現象の世界を越えてそれ自体で存在し、しかも、世界を根底において成り立たせている絶対的なもの。たとえば、神・実体(スコラ哲学、ライプニッツ、スピノザなど)、あるいは絶対我(フィヒテ)、あるいは意志(ショーペンハウアー)などに対して、絶対精神に重きを置いているので、先端物理科学が神の存否を定義化するのには難があります。哲学・思想ランキング
2021年03月22日
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いっぷ句-53 待ちかねた五輪の旗にコロナ噛む 愚通人気ブログランキング
2021年03月21日
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神の存否-3 世界大百科事典第2版の「絶対者(the Absolute)」の解説にはシェリングとヘーゲルを登場させています。フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling/1775年1月27日 - 1854年8月20日)は、ドイツの哲学者であり、フィヒテやヘーゲルなどとともにドイツ観念論を代表する哲学者のひとりですが、彼は神の存在様態について、神は人間の存在根拠に他ならない。神のうちには、神の部分であって神そのものではない「神のうちの自然」があり、神自身と対立している。自らを隠し閉ざそうとする神のうちの自然は、自らを現そうとする神自身にとっての「根底」(Grund) であって、生まれ出ようとする憧憬と隠れようとする力との二つの方向性が神のうちに相争う。神は、自身のうちなるこの対立を自ら克服し、愛をもってこれを覆う。かくして神とその被造物は顕れ出る。そして被造物の頂点である人間のなかに、この目もくらむ対立は自由の可能性として再び現れてくるのである。ここでシェリングは、彼がそれまで積極的に肯定してこなかった神の人格性を強く主張しているます。また、いまやシェリングにとって、必然性と自由の対立は、同一期においてそうであったように、たんに絶対者において、したがって本質においては無差別である観念的対立とはいわれていない。実在するもののうちにたしかに対立はあって、その対立を可能にする場とそのありよう、さらにはそのような対立を超えるものの可能性が、いまや問題とされてくるのであるとします。絶対存在に人格を超えた神格性を与えたところが特徴です。哲学・思想ランキング
2021年03月20日
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神の存否-2 絶対的真理の存在論的証明は、人類の曙以来問われ続けられてきた課題です。通常我々が聞き及んでいる絶対的真理の存在は、古史以来の哲学にも多く見られるように「絶対者(独:Absolute/仏:absolu absolute/英:the Absolute)として表現されています。小学館デジタル大辞泉では、哲学では他の何ものにも依存せず、無制約的にそれ自身において存在する最高の超越的実在として絶対的なもの、無制約者と記されています。世界大百科事典第2版の解説には、如何なる他のものにも依存せず、自立的・自発的且つ自在であり、条件や制約による制限を知らず、完全で究極的な存在をいうとあります。古代の記史以降に顕われる、人間とは無関係に存在しその法則に人間が介入しえない世界という意味での自然を意味でフュシス、「自然対社会」という対概念は,古代ギリシアの哲学者によるフュシス(physis)対ノモス(nomos)という対概念以来のもので,対してノモスは習慣や法律や制度など人間が人為的につくったものを意味しました。他にはコスモスとしての宇宙、善のイデア等の実体、一者(to hen)とも呼称されます。然し乍ら、中世以降、取り分け西洋文明の以来の神や其れに準ずるものは,人間を超越する狭義の絶対者として語られます。近世以降になっては精神・理性・自我性・人間性、更には人間に無条件の服従と承認を迫る理念、知や信念などが人間界における絶対者として登場します。「絶対(absolutus)」とは元来は解き離された意を意味し、ここから独立的・自存的の意味となります。此等の定義に対し日本大百科全書(ニッポニカ)の解説では、絶対者とは相対者の反対概念として顕れます。其れそのもの自身において存し、他の何ものによっても制約されず且つ限界づけられないものを云い、場合によりては「無制約者(das Unbedingte)」とも呼ばれることがあるとします。哲学・思想ランキング
2021年03月19日
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神の存否-1 他の全ての汎ゆる何ものにも依存しないで自立・自在若しくは自存し、自発な存在であり、他物からの影響を受けること一切無く、己の存在を己が維持することが可能であり、他からの制限や制約などといった事柄には関与せず、全く自立した究極的な「もの」としての存在、此れを「絶対存在」と呼称しますが、絶対存在という語彙も、形而上哲学・唯物的哲学・神学哲学はもとより、人間の獲得した心性に重きを置く精神の深奥に「真」を求める自己に内奥する精神から世界の理を究めんとする修養型の「覚り」の分野、将又、現在最先端の量子物理学理論にも究めんとする目標には相違がない筈です。我々人類が理知を求めて新しく目覚めたとされる人類の「世界の真相」を究めんとする欲求は此処に極まったとします。なかでも、思考的には慣行とする絶対枠に囚われない物理科学の最先端の「量子物理学理論(Quantum physics)」は、従来の哲学や神学及び物理学に鉄槌をくだし、我々の過去の世界観から解放を齎すかも知れません。世界は制約ばかりではなく無限の可能性を秘めていることに期待してください。哲学・思想ランキング
2021年03月18日
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いっぷ句-52梅に鶯桃の甘酒桜で目白 愚通人気ブログランキング
2021年03月17日
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時間の陥穽434(最終章) 一般相対性理論の連続性からくる無限概念の不合理。 現代物理学の基本原理として大凡80年前から認められてきた「不確定性原理」が当てはまらない場合があることを指摘された不確定性理論の量子理論。今現在では相互の理論の矛盾性を克服したとされる「量子重力理論」が宇宙原理即ち物理科学の根幹の真理に近付いたものとして注目されます。元来は測量の必要性からエジプトで生まれたものだが、人間が認識できる表象や図象に関する様々な性質を研究する数学の分野として、古代ギリシァにて独自に発達し、これらのおもな成果は紀元前300年ごろユークリッドによってユークリッド原論にまとめられ、現代においては微分幾何学や代数幾何学、位相幾何学などの高度に抽象的な理論に発達・分化している幾何学上の「ゼロ点」。一次元の時間線上では停止としてしか捉えきれない「0点」の時間の連続性の不条理、絶対空間及び絶対時間を唱えたニュートンの例外のある世界、今迄の物理科学は人類の常識論理では形而上哲学や唯物論哲学及び神学哲学並びに神秘論に比して下位に甘んじていた傾向がありました。ところが、今現在は、世界の皆が何臆すること無く量子理論の恩恵であるスマホやパソコンを使い熟します。此のことから結論付けされるのは我々の思考や観念を離れての「時空間」なるものは世界の側には存在しないことです。全ては「0点」なる時間の流れは無いし、「0点」なる空間も無いことに尽きます。時間や空間は人類思考の表象であり、全てはデジタルなのかも知れません。哲学・思想ランキング
2021年03月16日
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時間の陥穽433 形而上哲学「徳の知」と云えばソクラテスですが、片や、唯物哲学の「知恵(Sophia)」はデモクリトスに相応しいものがあります。中世にはドイツ観念論に箪笥の引き出しに埋もれていましたが。思いがけずに箪笥預金が思い出された如くに、其の思考は現在にて再認識されることと成りました。当時もデモクリトスの原子論は知られていたにせよ、物質の根元についての学説は、アリストテレスが完成させた四大元素がつとに優勢であり、原子論は長らく顧みられる事はありませんでした。以降は箪笥の中で黴びる時代を迎えます。後世にはジョン・ドルトンやアントワーヌ・ラヴォアジエによって原子論が優勢となり四大元素説は放棄されました。とは云え、ドルトンやラヴォアジエ以降の原子論は、デモクリトスの説と全く同一という訳ではありませんでした。「原子」と「空虚」が存在、「空虚」が存在するという意味合いでは大乗仏教の祖「龍樹」を連想させ、量子重力論の現代物理科学の思考に立ち位置を置けば「空虚」と比して空間なるものは虚として在るものではなく無限最小を連想させます。無限なるものを連続と捉えることは我々人類の持続性の性癖から出てきた悪習か若しくは誤り、否々、連続性こそが世界だとする一般相対性理論もありました。かっての不確定性論の量子理論も見直されます。今では一般相対性理論と量子理論相互の矛盾性を克服したとされる「量子重力理論」には期待が集まります。哲学・思想ランキング
2021年03月15日
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時間の陥穽432 量子力学論と一般相対性論のを相互を補弼・合一するとされる、21世紀現時においては最先端物理科学論として期待される「量子重力理論」。其の論理学的側面はギリシァ哲学の二大思考の大河のソクラテスを筆頭とする形而上哲学の片やもう一方の大河、唯物論の流れの中で前460年頃から前370年頃にギリシァはトラキア地方のアブデラ生れデモクリトス(デーモクリトス/羅: Democritus)が、今に脚光を浴びることになります。彼の著作は3世紀前半頃に活躍した「ギリシア哲学者列伝」の著者として知られる哲学史家ディオゲネス・ラエルティオス( Diogenes Laërtius)により紹介され、デモクリトスの著作は原子論の基本理論・宇宙論・天文学,地理学・生理学・医学・感覚論・知識論・数学・磁気学・植物学・音楽理論・言語学・倫理学・農業・絵画及びその他の領域を覆っていたといいます。その博識のために渾名を「知恵(Sophia)」と名付けられ、その快活な気性のために「笑う人(Gelasinos)」とも称されたちょっと意外な天才でした。彼の唯物論的論理学はノステルダムスの大予言どころではなく、物理科学の観測実験手段を持たないにも関わらずに、其の論理的唯物思考が現代の「量子重力理論」にも合理的思考とされるものであり、今後の彼は実体としての神を見分けた最初の人類と目されるかも知れません。此の後も是程の思考を後世の我々に世界構造の論理思考に植え付けた人物、今後も評価は上がることはあれ、下がることはないでしょう。哲学・思想ランキング
2021年03月14日
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時間の陥穽431 量子力学論と一般相対性論の基本原理を注意深くみれば、量子力学論は「0点」をば認めず、一般相対論では「0点」を無限ループの一点に認めることです。此のことが導かれるのは量子論では「0点」なるものは少なくとも此の我々が現在する宇宙には有り得ないとするところに特徴があります。此のことは凡そどころか全てが一切の停止をすることは有り得ません。例えば超ブラックホールの中心に舞い込んでも全くの変化がないどころか「時間」は動くとする点で一般相対性理論を補弼します。古史古典的思考の流れの変化を捉えた時間論を睥睨してみると、其処には、現代にも納得させる合理的思考を唱えたデモクリトスが浮上します。デモクリトス(BC460年頃-BC370年頃)は、古代ギリシアの哲学者。 ソクラテスよりも後に生まれた人物だが慣例ではソクラテス以前の哲学者に含まれています。哲学・思想ランキング
2021年03月13日
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時間の陥穽430 物理科学上では古典的であるともいえる量子論、そこに連続性を齎した一般相対性理論は「重力」を前にして共なる矛盾が発生し、互いの矛盾性を克服すべく現代IT時代それも量子コンピュータを目前とした物理科学が、現時点での矛盾の解消に量子論と相対性理論の融合を試みています。其れ等の一つに「ループ量子重力理論」と呼称されるものがあります。この理論によれば物質が原子から成るように、時空は「時空の原子」からできているという極めて新しい発想を持ち込みます。此の理論の特筆すべきは宇宙初期のような超高密度な状況では、重力が引力ではなく斥力に変わってしまうという奇想天外な事実です。空間の原子に蓄えられるエネルギーには上限があるために、上限を超えてエネルギーが詰め込まれようとすると空間の原子はそれに反発して斥力が生まれるとするのです。この反発的斥力が重力ビッグバン特異点のような只々中心の一の点に集中し密度が無限大になるといったビッグバンの中心点における質量無限大なる特異点を解消するのです。即ち、「0点」の解消です。哲学・思想ランキング
2021年03月12日
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時間の陥穽429 アインシュタインの一般相対性理論では、我々の宇宙も抑々が密度が無限大の只々一の点若しくは限りなく0に近いもの、数ある「ビッグバン特異点」のなかの超巨大なものの一つから始まったと予想されています。然し乍ら。質量無限大が予想された時点で一般相対性理論そのものが破綻することになりました。一般相対性理論の連続性が破綻したのです。無限小の空間なるものに質量無限大を宿すのです。犬夜叉の登場人物である弥勒の虚空を予期させ、物理科学ではなくもはやSFアニメの荒唐無稽な状況を迎えます。現在に時空間そのものを理論の中枢に持ち込んだ一般相対性理論は崩壊の危機を迎えます。一般相対性理論ではビッグバン特異点の最終段階は我々からは秘されます。まさに神の秘め事として不可触となり現代物理科学が危機を帯びます。此処に、過去には相互に対立していた量子論の助けが浮上するのです。一般相対性理論の描く世界には「無限大・無限小」其処には「∞マーク」が表象する連続性があり、因があり果が応じる世界がありましたが、そこで「質量無限大なる特異点は見果てぬ矛盾点」としか言いようがないものが登場し物議を醸すことになります。哲学・思想ランキング
2021年03月11日
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時間の陥穽428 我々現代人の身体的・感覚的常識は空間も時間も連続したものだと考えていますが、実は根本的に大間違いかもしれません。相対論と量子力学の統合を目指す新理論「量子重力理論」によれば、或る意味では「時間と空間なるものの原子」が存在します。一般相対論と量子力学の統合を目指す「量子重力理論」によれば、アインシュタインが果たせなかった難問解決の道筋「時空の原子」が存在するというのです。空間に重力が関係してくるのは、時空の歪みから重力が生じることがアインシュタインの一般相対性理論によって示されているから、ブラックホールの中心点は質量無限大の我々には観測し得ない宇宙の破れ目、超巨大吸塵室に浮かんだゴルフ練習ボールとなり、宇宙の其の果て、其の亦果てを、見果てることが出来ない故に、「特異点」即ち「見果てぬ矛盾点」としてしか捉え切れませんでした。此のブラックホールの「特異点」のような 空間の構造を非常に小さなスケールで理解するには重力の量子論が必要になるのです。何故なら、量子重力理論にはアインシュタインの一般相対性理論のような因果律を齎す概念を導入する必要性はなく、連続性からくる無限概念及び「0(ゼロ)」を持ち込まないことが可能となるからです。哲学・思想ランキング
2021年03月10日
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時間の陥穽428 我々現代人の身体的・感覚的常識は空間も時間も連続したものだと考えていますが、実は根本的に大間違いかもしれません。相対論と量子力学の統合を目指す新理論「量子重力理論」によれば、或る意味では「時間と空間なるものの原子」が存在します。一般相対論と量子力学の統合を目指す「量子重力理論」によれば、アインシュタインが果たせなかった難問解決の道筋「時空の原子(Space-time atom)」が存在するというのです。空間に重力が関係してくるのは、時空の歪みから重力が生じることがアインシュタインの一般相対性理論によって示されているから、ブラックホールの中心点は質量無限大の我々には観測し得ない宇宙の破れ目、超巨大吸塵室に浮かんだゴルフ練習ボールとなり、宇宙の其の果て、其の亦果てを、見果てることが出来ない故に、「特異点」即ち「見果てぬ矛盾点」としてしか捉え切れませんでした。此のブラックホールの「特異点」のような 空間の構造を非常に小さなスケールで理解するには重力の量子論が必要になるのです。何故なら、量子重力理論にはアインシュタインの一般相対性理論のような因果律を齎す概念を導入する必要性はなく、連続性からくる無限概念及び「0(ゼロ)」を持ち込まないことが可能となるからです。哲学・思想ランキング
2021年03月10日
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いっぷ句-51梅花去り桃花満ちたり桜花待つ 愚通人気ブログランキング
2021年03月09日
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時間の陥穽427 史上に記録として著されてきた人類の思考は、対立する思考を左顧右眄しています。然し乍ら、其の対立のなかから互いに其れ其れの矛盾を追い詰めて、中間の即ち相互の思惟を合成した思考が生まれ発展してきた結果が現代の思考に至っています。物理科学的には量子論や一般相対性理論も其の例に漏れません。現代今の宇宙論にあっては、相い対する物理科学であった相対性論及び量子論双方の矛盾を解消すべく期待を持って登場したのが量子重力理論(quantum gravity theory)も量子論と一般相対性理論の対立から、相互の思惟を合成した思考へとの経過を踏んでいます。此の理論を一口で述べろと云えば、重力相互作用(重力)を量子化した理論であるといえます。量子重力理論は単に量子重力(Quantum Gravity(QG), Quantum Gravitation)または重力の量子論(Quantum Theory of Gravity)などとも呼ばれています。我々が教育機関に必須の要件としての基礎づけとして教わった数学や幾何学及び物理学。我々現代人は、その常識たりえた基底が崩壊するターニングポイントに立ち会っているのかも知れません。哲学・思想ランキング
2021年03月08日
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時間の陥穽426 現在までの宇宙論である量子論や相対性論、量子論では物質を永遠に細分化しても其処に顕れるのも究極の粒子であり「0」点そのものではありません。片や、一般相対性理論も巨大ブラックホールの究極の姿も「0」点そのものではなく、質量無限大となる特異点は、宇宙がゴルフの練習ボールに見做され、周りが超無限吸引量の吸塵器で吸い込まれている状況が想い起されます。この超無限吸引量の吸塵器とは、アニメ「犬夜叉」登場人物の弥勒の「風穴(虚無)」を連想させてくれます。其れで無くば、ブラックホールは其の夫々に大なり小なりの宇宙をそれなりに創生するのでしょう。対して、現在の最先端宇宙観測物理科学は観測可能な宇宙空間の内部においては、その宇宙のなかのどこか特定の地点を宇宙の中心として位置づけることができるような特別な場所はどこにも存在しないと結論づけることができるとしています。結局、宇宙の中心を位置づけることができるような特別な場所はどこにも存在しないと結論づけるのです。此処に登場するのが互いに相対する物理科学であった相対性論及び量子論両者の矛盾を解消すべく合体検証する「量子重力理論」の登場への要請があったです。哲学・思想ランキング
2021年03月07日
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時間の陥穽425 現在の宇宙全体がそうしたビックバンの源となった開始地点とそのまま一致することになるというのは、過去も現在も其の宇宙は宇宙誕生の源となったビックバンの核となった存在の以外に他在するようなもの、即ち宇宙の果の其の亦果などは一切無く、虚無としての場さえ与えられないことです。信教的な神の懐としての余地さえ無い世界、其れが宇宙の中心外となりますが如何なものでしょう。人間思考は統じて、「有と無」・「存在と非在」・「虚と実」を対峙観想して人生を過ごしますが、生命の誕生同様に厚層の霧に覆われた宇宙の理には、人間の計算思考のスピードを超えたIT技術でさえ、光の速度を無視できる程の宇宙の膨張には付いてはいけません。但し。光速度を超えた膨張はありえないとの批判もあります。論理的矛盾を指摘されることを厭わないならば。宇宙そのもの、其の因子たる不可思議な位置情報さえ持たない幾何学上の「ゼロ」なるもの、外世界が無いために位置情報さえ捉えられない膨張する「ゼロ点」があることにはなります。哲学・思想ランキング
2021年03月06日
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時間の陥穽424 ビックバンの「源元」となった開始地点は幾何学上のゼロ点である、一次元・二次元・三次元の中心点にビックバンの「源元」は当然に幾何学的に位置する筈もないことから、ビッグバンそのものが次元などを持たない、現代物理学の観測物理科学・宇宙論、理論物理学の計算上は兎も角も、人類の実証主義からかけ離れた根拠には戸惑いがあります。宇宙誕生の源となったビックバンの核となった存在、其れは次元さえ持たない「無」の「ゆらぎ」です。次元を持たない「無」が或る時点、若しくは物理学上の無なるものには「常有してるが無い」或るものが有るとでも云うのでしょうか。此の理論物理学の論理は、一面では一神教の世界の無からの創世の背景、ギリシァ的古典神話の影響を受けた形而上哲学の追証に成りかねません。何れにしても、宗教・哲学・物理学にしても何れも世界の真相を追い求めていることには変わりはありません。此処で興味を惹くのが、現在の宇宙は、宇宙誕生の源となったビックバンの核となった存在は、外殻は何ものもない、無とも付かない虚とも付かない想像の核外はなくその内部において広がっていると考えられることになるので、ビックバンの開始地点は現在の宇宙の内部どこかの一地点を示すのではなく、寧ろ、現在の宇宙全体がそうしたビックバンの源となった開始地点とそのまま一致することになるという考え方を示すことができるとも云えます。0=1其の其れ々が無限を表象することになります。哲学・思想ランキング
2021年03月05日
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時間の陥穽423 取り敢えず、ビックバン以降の宇宙の膨張のあり方は、あらかじめ存在していた空間のうちを爆風によって吹き飛ばされた物質が満たしていくような形ではなく、物質同士の間に存在する宇宙空間自体が膨れ上がっていくことによってもたらされていくと説明されていくことになるのですが、現状のビッグバン理論に基づく膨張宇宙論においては、宇宙の膨張は、ビックバンの開始地点からその外部の空間へと向けて広がっていったのではなく、寧ろ、そうしたビックバンの「源元」となった開始地点の内部において、空間自体がどんどん膨張していくことによって現在の宇宙の姿が形づくられていくことになったと考えられることになるのです。宇宙物理科学論におけるゼロ点「0」自身の外界なしの内部空間の膨張です。哲学・思想ランキング
2021年03月04日
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時間の陥穽422 仮にビッグバン以前の「無のゆらぎ」がインフレーションに働き掛けて超爆発をしたにしろ、相変わらずビッグバンの因子「種」を追い求めているとしか思えません。植物には種子があるならば実を成す親木があります。観測物理科学は「虚」を認めませんから「無のゆらぎ」のさらなる実相を追い求めるでしょう。此処に、永遠の宇宙サイクル説が登場します。サイクルに登場する何れの宇宙も其れ其れには始まりと終わりがあろうとも、全てを俯瞰すれば「円環若しくは無限の理」にあること。やはり人間の現在の理知では踏み込めないタブー視化されかねないものが残されてしまいます。此れを克服しないことには。神秘学及び形而上哲学を物理学を排除することなどは不可能時となります。此処当分の間は神秘学及び形而上哲学が提示したものを物理学が合理的判断を以って追求する時代は永きに亘って続きそうです。ビックバン以前に関しては、まだまだ寒い状況が見込まれるだろうからです。哲学・思想ランキング
2021年03月03日
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時間の陥穽421 宇宙開闢の大爆発の爆心地点にあたるビッグバンの開始地点こそが現在の宇宙の中心と呼ぶのに最も相応しい点として位置づけられることになるとすれば、物理観測科学や宇宙論には天体観測上は勿論、宇宙理論上にも多くの疑問が浮上することになります。現代宇宙の物理観測が、宇宙の中の汎ゆる地点が宇宙の中心として位置付けられるという意味で、特定の場所としての宇宙の中心は無いとの結果を報告するからです。其れならば。逆に、宇宙の中心としての始まり、ビックバンの源となった開始地点とは、我々人間が現在する宇宙の、大凡、何の位置辺りにれることになるのかという疑問も当然に浮かび上がります。ここに、ビッグバン理論に基づく膨張宇宙論における宇宙の具体的な膨張のあり方が問題となってきます。そこで思い出していただきたいのは、インフレーション理論の「無のゆらぎ」論ですが、如何にも物理科学における「神秘論」を感じさせます。元来の物理科学は「無からは何も生じない」のが基本的態度でした。ところが豈図らんや、現代天体物理観測科学が様々なデーターを提供する中で窮地に追い詰められます。其れがビッグバン以前のインフレーション「無のゆらぎ」論です。真空のゆらぎ論は兎も角も、此れに我々の思考が正当性を与えれば「現代物理学」の基盤を揺るがしかねません。物理学の基底には「空」乃至は「虚無」と「無と有」を克服すべき倫理が働く筈だろうからです。哲学・思想ランキング
2021年03月02日
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時間の陥穽420 誰しもが一度は持つ疑問とも言えるかも知れない「宇宙の中心とはどこか?」。それには、宇宙の中心とは具体的にどのような地点のことを指すのかということについては、予めに、厳密に定義しておくこと、此の基本的態度が振れれば、宇宙における中心や端の存在の有無について考慮することは、物理科学や宇宙論の分野ではなく、神学や哲学の提供するものに頼らざるを得ません。現代物理学に基づく宇宙論においての現状では、宇宙の誕生は、今現在から約138憶年ほど前に起こった大爆発であるビッグバン(Big Bang)によって引き起こされたとされているので、こうしたビッグバン理論に基づく膨張宇宙論を前提とする限り、現代宇宙論、宇宙の中心と呼ばれる場所は、一言でいうと、宇宙誕生の大爆発の源となったビッグバンの開始地点に求められることになると考えられることになります。つまり、此の我々人類が現在する宇宙が、今は学会のみならず世間一般にも常識に高められた此の我々の宇宙が、ビックバンと呼ばれる大爆発によってはじまり、現在の宇宙の姿を、そうした宇宙誕生の大爆発の開始地点を中心に四方八方へと同心円状に拡大していく膨張していく球体のような存在として捉えることができるとするならば、そうした宇宙開闢の超爆発の爆心元であるビッグバンの開始地点こそが現在の宇宙の中心と呼ぶのに最も相応しい地点として位置づけられることになると考えられるのは無理からぬことです。哲学・思想ランキング
2021年03月01日
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