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神の存否-38 すべての偏見は、通俗且つ一般的には人々は、凡そ、すべての自然物が自分達と同じく目的のために働いていると想定していることのみならず、人々は神自身がすべてを或る一定の目的、自己を尊敬・敬愛更には畏怖させることによって導いていると確信していること、これであると述べます。続けて、なぜなら彼らはこう言う、神はすべての物を人間のために造り、神を尊敬させるために人間を造ったというのです。何という愚かしい思考及び感情でしょう。絵本作家と看做される「神」がテディベア(Teddy bear)を創造し、実体化して命を吹き込み神を愛せよとする論理は可愛い幼児なら兎も角も、真実を追い求める思考には許されざる行為です。哲学・思想ランキング
2021年04月30日
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神の存否-37 スピノザが自己の友人でもあり最大の後援者である有力政治家、映画アラン・ドロンの嵌り役「黒いチューリップ」の題材にもなったネーデルラントのヨハン・デ・ウィット(Johan de Wit/1625年 – 1672年)の虐殺に憤ったスピノザは「付録」というよりは些か情緒的だとも云い得る程に オレンジ公派の通俗信仰を「付録」の形式を借りて非難します。「ところで、ここに私が指摘しようとするすべての偏見は次の一偏見に由来している。その一偏見というのは云々〜、一般に人々はすべての自然物が自分たちと同じく目的のために働いていると想定していること、のみならず人々は神自身がすべてをある一定の目的に従って導いていると確信していること、これである。なぜなら彼らはこう言う、神はすべての物を人間のために造り、神を尊敬させるために人間を造ったと。だから私はまずこの偏見を考察しよう。それには第一に、なぜ多くの人々がこの偏見に甘んじ、またなぜすべての人が生来この偏見をいだく傾向があるかの理由を探究する。次にそれが誤っていることを示し、最後にいかにしてこの偏見から善と悪、功績と過罪、賞讃と非難、秩序と混乱、美と醜その他こうした種類の他のことどもに関する諸偏見が生じたかを示そう。」と焦点を絞って語ります。此の後の文章はスピノザの立ち位置からは「偽神」詳しく述べれば「人間の創造した神」の人間精神の在り方を述べています。スピノザは当然に現在の「量子重力理論」を知り得べきもありませんから、神存在に人間精神の介入を排撃したのには驚きを隠せません。哲学・思想ランキング
2021年04月29日
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神の存否-36 スピノザが御伽世界の神話の神としてか、まるで神が不足を充足するために何かを欲するが如くに捉えているのを激しく排撃するには当然にその回答が用意されています。それは「エチカ」第一部の「神について」の後半最後部に設けられた「付録」、実は付録どころかスピノザの心象を吐露したと目される次の文章が真相を顕にします。「以上をもって私は神の本性を示し、その諸特質を説明した。すなわち神が必然的に存在すること、唯一であること、単に自己の本性の必然性のみによって在りかつ働くこと、万物の自由原因であること、ならびにいかなる意味で自由原因であるかということ、すべての物は神の中に在りかつ神なしには在ることも考えられることもできないまでに神に依存していること、また最後に、すべての物は神から予定されており、しかもそれは意志の自由とか絶対的裁量とかによってではなく神の絶対的本性あるいは神の無限の能力によること、そうした諸特質を説明した。さらに私は、機会あるごとに、私の証明の理解を妨げるような諸偏見を取り除くことに努力してきた。しかしまだ少なからぬ偏見が残っていて、人々が私の説明した仕方で物の連結を把握することを同様に、否、きわめてはなはだしく、妨げえたしまた現に妨げえているのであるから、それらをここで理性の検討に委ねることはむだではないと思うのである。」と。此処からは所謂、人間の精神心理学、其の神の創造図と其の表象を批判しています。当然に量子宇宙論では物理科学に立ち位置を持つ以上、観測は無理にしても物理学的な認証を究めんとします。其処には人間の精神や情緒の反映は許されてはいません。哲学・思想ランキング
2021年04月28日
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神の存否-35 スピノザの主著「エチカ」第一部の「神について」の七つの「公理」第二:他のものによって考えられないものはそれ自身によって考えられなければならぬ。つまりは、実体は「その概念を形成するのに他のものの概念を必要としないもの」であり、それ自身によって考えられねばならない。つまり、属性が異なる二つの実体は、お互いに他方の概念を含んでおらず、従って共通点を持たない。何か共通点があれば、その共通点によって仮に部分的にだとしても二つの実体は他方の実体によって考えられることになってしまうからです。此処にスピノザの神は一切「信教」的なものを排斥し、一にして他を持たない唯一の存在人間が屡々、自己の精神に当て嵌めてする仮想する、自己の必然性からなる神を、御伽世界の神話の神としてまるで神が不足を充足するために何かを欲するが如くに捉えているのを「エチカ」第一部の「神について」の最終章「付録」をもって激しく排撃するのです。神の実在は正しい理知と直感を持てば認識可能だとするのです。此の最終章「付録」には、スピノザが何故に「神存在」を数学的演繹法の定理・定義・公理・原理・法則・性質・系を順不同ではあるが用いたのかの意図が読み取れます。順序的には些か異なりますが、此処で「エチカ」第一部の「神について」の後半最後部に設けられた「付録」を解読することはスピノザの神の定義及び公理を理解する上では必定と思い、定理以降の著述に先駆け解説します。哲学・思想ランキング
2021年04月27日
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神の存否-34 スピノザの主著「エチカ」第一部の「神について」の七つの「公理」第一:すべて在るものはそれ自身のうちに在るか、それとも他のもののうちに在るかである。意訳すれば、「すべて」は自然界の全てであり、別段の超絶界における神は否定しています。始めに神在りきで、宇宙、即ち、世界がその意志、特に人間が通常思考するような自由意志を以って形成されたことを否定しています。「在るもの」とは「それ自身」で成り立つものであり、「それとも他のもののうちに在るか」は「実体」の否定的側面を云い、神の延長・様体・属性を顕す個物を、すべて在るものはそれ自身のうちに在る「実体」に帰すとの立て前から、「実体」は在るもの全てが「実体」即ち「神」に帰すことを述べます。 スピノザは, 「物( res )」が存在する以上,、そもそも存在するものはすべて「実体」であるから、「物」と「実体」は同一のものだと考えているようにも思われますが如何なものでしょう。此れを「量子重力理論」から鑑みれば無限大の有機液晶画面のような無間・無限小のAI情報粒子からなる世界を当て嵌めれば、AI情報粒子の各々そのものが神の因子であり全体だと云うことになります。哲学・思想ランキング
2021年04月26日
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神の存否-33 スピノザの主著「エチカ」第一部の「神存在について」の八つの定義の定義に次いで七つの「公理」が並ぶわけですが、宗教などの信教論理は何故に此の様な「結果」が生じたのかから始まり、次々遡及することにより究極の答えである「原因」、信教では「神」については其れに至る帰納法を用いることが常ですが、思考法方法としては「塩梅効果」に帰すことを嫌い、演繹法に敢えて拘っていると見られます。さて、其の「公理」なるものとは、公理とは、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定のことである。一つの形式体系における議論の前提として置かれる一連の公理の集まりを公理系 という 。とありますが此れでは案外、それこそ意味曖昧とも言えます。直観主義論理の立場に立つ研究者たちは命題の真偽について実際に証明できる手続きが与えられることを要請する。とした方の立場が妥当だと云えましょう。現在では、その無矛盾性を証明することは不可能であっても、直接に自明の理として承認され、それによって他の命題を証明することのできる基本命題をいうとあり、此れを基本としてスピノザの主著「エチカ」第一部の「神存在について」の七つの「公理」を検討するのが最も道理に適うと想われます。哲学・思想ランキング
2021年04月25日
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神の存否-32 数学、物理における論理的区分はスピノザ哲学の論理的区分とは些か異なりますが参考上必要となるので揚げてみます。ここでは数学おける 定理・定義・公理・原理・法則・性質・系 について述べます。スピノザの論理順序通り数学も、用語に意味を与える定義・議論の初めに仮定する命題である公理・数学の論理によって正しいことが確認された命題である定理であり、定義と公理は論理の出発点となるものであり、数学上では「何故」を考える必要は無いとされ疑義を差し挟めないものとされていました。勿論のこと定義を分かりやすくする説明工夫は行われます。且つまた、線形空間の定義のように、幾つかの公理の組よって概念を定義する場合もあります。定義と公理に次ぐ定理は論理の帰結なので「何故」を考慮の外に置くわけにはいけません。定義や公理とは質的に異なるものなのです。「何故」を前提に置く以上、スピノザの「エチカ」の第一章「神の存在」にても最も力を持った説得力が込められています。スピノザの其の後に続くものは「系」を始めとして補足として取り扱うことが無難でしょう。此処の時点で最も注目すべきはスピノザの神の存在論理に「予想」は断固出てこないことです。神は有り得ることにしてして有るべき唯一の実体だからです。此のことを量子重力論に当て嵌めれば物質的には究極のゼロ単位になろうとなかろうとも情報因子としては万物の根元としての素を失わないことです。哲学・思想ランキング
2021年04月24日
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神の存否-31 ユークリッド幾何学によって、公理、定義、定理(=命題+証明) というスタイルが出来上がったわけですが、スピノザは「定義」を「公理」に先立つものとして意義付けています。彼の「公理」に先立つ「定義(Definition)」を分析すれば、定義は辞書的には各人・夫々が語句の基本的意味合いを混乱しないようにするものですが、スピノザ自身は定義を「真実」そのものが発する根元だと捉えているようです。其れ故に、定義を公理や定理、証明や備考及び系の最前面に掲げたのでしょう。其の「定義」に次ぐ「公理」ですが、ユークリッド原論・数学のどんな分野のどんな定理も、先ず最初に仮定があり、そこから証明が展開され、最終的には定理が導かれる。其れ故に定理から仮定を遡って行くことが出来得る筈です。然し乍ら、仮定を無限に遡及すれば宗教家の説諭のごとく、災禍にあった人間の結果から原因遡及を絶え間なく追求する、即ち、答弁に困惑して神に行き着くまでは、止まないことになります。普遍に自然世界においては現実世界の真理を追求する幾何学や数学は実在的真理を求め、その現時点では、「公理」は無矛盾性を証明することは不可能であっても、直接に自明の理として承認され、それによって他の命題を証明することのできる基本命題だというとなります。仮に、ホーキング(Stephen William Hawkin)が主張するように、物理の法則によって宇宙が誕生したなら、宇宙の誕生前に物理の法則はどこに存在していたのでしょうか。量子重力理論は其の問いにもこたえようとしています。哲学・思想ランキング
2021年04月23日
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いっぷ句-57急降下鳶が池で水浴びす 愚通人気ブログランキング
2021年04月22日
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神の存否-30 現在の最先端宇宙物理科学の「量子重力理論」を、スピノザの著エチカに当て嵌めて検討するには、スピノザの神の定義が如何なるものか、スピノザの神についての定義は八つに分かたれて挙げられていました。次いでは、神についての公理が七つに分かたれて掲げられています。 公 理 一 すべて在るものはそれ自身のうちに在るか、それとも他のもののうちに在るかである。 二 他のものによって考えられないものはそれ自身によって考えられなければならぬ。 三 与えられた一定の原因から必然的にある結果が生ずる。これに反してなんら一定の原因が与えられなければ結果の生ずることは不可能である。 四 結果の認識は原因の認識に依存しかつこれを含む。 五 たがいに共通点を持たないものはまたたがいに他から認識されることができない。すなわち一方の概念は他方の概念を含まない。 六 真の観念はその対象(観念されたもの)と一致しなければならぬ。 七 存在しないと考えられうるものの本質は存在を含まない。と説かれています。幾何学的秩序に従って論証された副題も含めた正式名称が、「エチカ - 幾何学的秩序に従って論証された」である通り、ユークリッド幾何学の形式に基づき神、人間の精神について定義と公理から定理を導き演繹的に論証しようとする試みです。此れは、何もスピノザが初めてでもなく、スピノザ以前の哲人やデカルトの著にも見受けられるものですが、スピノザの「エチカ」は其れを徹底しています。哲学・思想ランキング
2021年04月21日
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神の存否-29 エチカの第一部「神の定義」の「第八:永遠性とは、存在が永遠なるものの定義のみから必然的に出てくると考えられる限り、存在そのもののことと解する。 説明 なぜなら、このような存在は、ものの本質と同様に永遠の真理と考えられ、そしてそのゆえに持続や時間によっては説明されないからである、たとえその持続を始めも終わりもないものと考えようとも、とあります。 通常一般的に使用されるときには存在の無限的持続性を意味合いとして使用されますが、宗教や哲学の用語法では、常に在るものの在り方を云います。特に時間に対比して用いられること屡々です。時間が、移り変わり過ぎ去りゆくものに関わり、その在り方をいうのに対して、永遠は不変なものの在り方をいうからです。更には、哲学ではこれを「不朽( sempiternitas)」として「永遠(aeternitas; eternity)」と区別する場合があります。不朽は普通には時間的遍在を意味するのですが、永遠は過去・現在・未来という抑々が分節をもたない無時間性、若しくは超時間性を意味します。無時間的永遠とはスピノザの神の存在証明に持ち出す数学的真理などを永遠の真理という場合がそれにあたります。超時間的永遠を初めて語ったのはパルメニデスで、彼は一者について生成を否定し、それは同時に全的に存在するとした。この思想を受けてプラトンは著「ティマイオス」において、永遠の世界としてのイデア界を語ります。彼は永遠を存在の知的世界に、時間を生成の感性的世界に対応させ、生成の感性的世界には存在は属さないことを強調し永遠を存在の知的世界を顕揚します。このプラトンの永遠の思想はキリスト教思想に大きな影響を与え、永遠の生命の考えを中心とする教義の確立に預かります。其の経緯はアウグスチヌスを経て、トマス・アクィナス著ボエチウスの「三位一体論」において、永遠を神に、不朽を世界に帰して両者を区別しました。彼らが永遠を語った「全てを同時に」という思考は、謂わば、パルメニデスヘの回帰であるとも云えます。キリスト教では、神による世界創造は或る時点に起った事件なのではなく、時間もまた世界とともに創造されたと云うのです。近世ではスピノザや観念論者たちがそれぞれの神や絶対者の存在に関して永遠を語っていますが、そこでいわれる永遠は、所謂、生命と結びついたキリスト教的なそれではなく、真理の無時間的永遠に近似しています。此処で重要なのは永遠には「0」が無いことです。「ゼロ点(特異点)」を容認しない重力量子論には追い風となります。哲学・思想ランキング
2021年04月20日
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いっぷ句-56青梅成り仰ぐ舌下に唾が湧く 愚通人気ブログランキング
2021年04月19日
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神の存否-28 エチカの第一部「神の定義」の「第七:自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるものは必然的である、あるいはむしろ強制されると言われる。」に関して「自己の本性の必然性のみによって存在」の意の中の「本性」ですが、スピノザの「本性」は一般的概念としての捉え方や、他の哲人とは語彙を異にします。スピノザの「本性」とは実在を根幹に置かれます。即ち、本性なるものは他からの影響力を一切受け付けない「一(唯一)」のものです。其れ故に、他者の干渉はなく、唯一、自己の必然性から何らの束縛もなく決定されたものが「自由」なのです。仮に、因があれば果があれば、果は因に依拠しています。其の因を究極的に問えば、信教や神学哲学では「神」となり、スピノザ哲学では「実体」となります。スピノザ哲学では「神」とは其れ其のものが自己自身のみによって行動に決定されるもが実体であり、唯一の「自由体」を可能としたものだと云うことです。量子重力理論から鑑みれば、現代科学の先端を走る量子コンピューターのAIを深読みすれば、量子宇宙論の世界の極小単位「空間粒子」の情報因子が詰まった世界、其れが我々人間が在する宇宙だというわけです。量子コンピューターのAIを更に、深読みすれば神は当に全ての情報因子の親元だとも云えます。哲学・思想ランキング
2021年04月18日
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神の存否-27 スピノザの「無限」の語彙の意味するところは、物質や精神のみならず人間の象徴を超えたものを意識しているようです。片やの量子宇宙論ですが、量子宇宙論は宇宙誕生直後の宇宙が極々小さかった時代をも扱う宇宙論のことであり、かって古代の印度大陸で発見された「0」より、ユークリッド幾何学で使用された「0」、ニュートン力学における「0」の定義をもってしては、もはや、21世紀の宇宙観測物理学で次々に発見され、発表される現象に立ち行かず、さしものアインシュタインの相対性理論でさえ、矛盾を孕むことになります。とは云え、片や対抗する量子論も相対性理論を超えたかと云えば、完璧性には程遠く新理論を待つことになります。取り分け宇宙の究極の起源や最終段階に来たすと想われる超ブラックホールの世界の物理科学理論の組み立てには連続性を抱え込んだ相対性理論、量子論にも「真説」と証されるものがなく、量子理論の「無限」の概念に、相対性理論を呑み込んだ量子宇宙論の誕生となりました。量子宇宙論の特筆すべきは、過去の思考の無限大や無限小の定義を覆したことにあります。世界には空間的無限小なる「0」は無く、無限大としての「∞」の連続性を否定しています。詰まりは、新たな時間と空間の問題を投げかけます。極小に素粒子はおろか単一因子「空間粒子」なるものを持ち込みます。空間粒子なるものは如何様の世界であれ全てを充たすものであり、無限解像度の有機液晶画面を呼び覚ませます。哲学・思想ランキング
2021年04月17日
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神の存否-26 スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第六 神とは、絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、と解する。 説明 私は「自己の類において無限な」とは言わないで、「絶対に無限な」と言う。なぜなら、単に自己の類においてのみ無限なものについては、我々は無限に多くの属性を否定することができる〈(言いかえれば我々はそのものの本性に属さない無限に多くの属性を考えることができる)〉が、これに反して、絶対に無限なものの本質には、本質を表現し・なんの否定も含まないあらゆるものが属するからである。 此の「第六:神とは、絶対に無限なる実有」に関して、先ずその「絶対に」の語彙を問えば、通説では、他に比較するものや対立するものがない意で用いられます。即ち、一にして他者がないことを強調する意味合いなのでしょう。スピノザの「無限なる実有」に冠して用いられれている「無限」の意を問えば、古代ギリシァ哲学では、アナクシマンドロス( Anaximandros/紀元前610年頃 - 紀元前546年)により万物の根源としての「無限者(ト・アペイロン)」が主張され、また他の哲学者たちによって一般に世界は無限に近いものであると考えられ、中世では、キリスト教神学において神は無限であるのに対し、宇宙は有限的な完結した世界であるとされていました。しかし時代を経て、中世末期から近世初めにかけて、ニコラウス・グザーヌス、ブルーノ等により再び世界は時間・空間的に無限であるとされています。カントでは、純粋理性の二律背反として世界が時空間的に無限であるか否かが問題とされましたが、ヘーゲルは、悪若しくは否定的)無限と真無限とが区別します。カントルやデデキントからは、集合論の立場から有限集合・無限集合・真無限・仮無限の問題が考察されました。東洋思想に於いても、中国やインドなどでは古くから有限・無限の思想がみられ、老荘思想の荘子では、我が生は有涯にして、知は無涯なりとも表現されています。スピノザの「無限」の語彙は物質や精神のみならず人間の認識や象徴を超えたものと意識しているようです。然し乍ら、後半の真の認識として「直覚知」を持ち出している部分は、日本の西田幾多郎にも影響を与えたところが鑑みられ、スピノザの「無限」は神の属性無しには考えられるものではないということを示します。では、世界の物理化学理論の最先端を行く量子宇宙論は「無限」を如何様に捉えているのでしょうか。哲学・思想ランキング
2021年04月16日
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神の存否-25 スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第五:様態とは、実体の変状、すなわち他のもののうちに在り且つ他のものによって考えられるもの、と解する。」としますが、此の「様態」なるものをスピノザは何の様にその語彙を捉えているのでしょう。通俗的には事物の在り方についての諸規定を意味する。然し乍ら、このような諸規定のうちでもその事物にとって不可欠な基本的性質(本質)が属性とよばれるのに対し、様態はその事物にとって付帯的、偶有的であるような諸性質、諸規定を意味するのが一般です。スピノザは、属性を人間に知らしめているいるのは実体の本質であり、唯一の実体である「神の属性は思惟と延長」であると解きますが、此の厳格な区分はスピノザ独自と言ってもよく、夫々の思想家により多少なりとも異なります。「属性と様態」は本質と偶有性とも言い換えても不都合はないように見えますが、実のところは、其の区分は其れ程には朗らかではありませえん。此等の言語の解釈、語彙・定義付けは古代ギリシァのアリストテレスにまで遡り、その解釈は中世、近世の哲学でもさまざまに議論されている問題です。例えば、デカルトでは精神と物体が実体とされ、思惟(しい)と延長がおのおのの属性と看做されるとともに、情意・判断・欲求が精神の様態として、将又、位置・形・運動が物体の様態として考えられています。スピノザでは神が唯一の実体であり、思惟と延長がその属性であり、それらの変容したもの、すなわち個々の人の心や個々の物体が様態とされていることに注意が肝要です。此れを、先端物理科学の量子重力理論に置き換えて思考すると、スピノザの神が唯一の実体とは、宇宙を基本構成する唯一単体の究極極小の情報因子である「空間粒子」の統合体とも解釈できます。「空間粒子」其のものに情報因子があり、其の変容が世界を構成していると解きます。世界は量子コンピューターのマトリックスに近似しているのかも知れません。哲学・思想ランキング
2021年04月15日
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神の存否-24 スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第四:属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する。」としますが、此の属性とは、一般哲学的には存在者の本質的で恒常的な特性をいうとあります。アリストテレスは属性が実体と不可分であるとし、スコラ哲学では全知全能などが神の内的属性とされました。此等の語彙を継承してデカルトは実体内在性の点で属性を様態や性質と区別し、恒常変化せぬ神には属性しか考えられないとし、精神と物質の属性として思惟と延長をあげています。スピノザは、属性で人間に知らしめているいるのは実体の本質であり、唯一の実体である神の属性は思惟と延長であると解きます。即ち、人間の知性がそれそのもの自身のうちに在り且つそれ自身によって考えられるもの、言いかえればその概念を形成するものに他のものの概念を必要としない実体を知性がその本質を構成していると知覚するものだというのです。先端物理学から云えば「量子重力理論」の「空間粒子」に当て嵌めて考察すれば、宇宙は全てが単一の空間粒子に埋め尽くされているのであり、「類い」としての属性なるものはその属性であり、且つ、真実実相としての実体の表現であり、実体が持つ変態の様相に過ぎないことになります。哲学・思想ランキング
2021年04月14日
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神の存否-23 スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第三:実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、言いかえればその概念を形成するものに他のものの概念を必要としないもの、と解する。」は、一般的には哲学用語では実体( substance)は、古代ギリシアから使われている古典的な哲学用語として基本的には「真に実在するもの」を意味します。伝統的なヨーロッパの存在観においては、独立自存する「実体」なるものが先ずあって、実体どうしの間に、第二次的に関係が成立するものと考えられてきた。これに対して、関係こそが第一次的な存在であり、所謂通説の実体は「関係の結節」ともいうべきものにすぎないと考える立場が、仏教の大乗の縁起観などに古くから存在します。然しながら、実体そのものに対しては不可知論的立場から、実体としての物体そのもののうちに実在する第一性質である延長、形態、運動など(primary qualities)と、物体によって我々人間の心の内部に生ぜしめられる第二性質である色、音、味、香など(secondary qualities色)を区別するのに実体を用いたのに対し、特に、イギリス・スコットランド・エディンバラ出身の哲学者で経験論の立場を徹底するデイヴィッド・ヒューム(David Hume/1711年4月26日 - 1776年)などは、経験に与えられることのない実体の想定を否認し、従いて、実体を想定してのみ意味をもつ第一性質、第二性質の区別をも否定したと同様の立場から、実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられる、即ち、因果を超越したものと見做します。量子宇宙論では「空間粒子」なるものが、宇宙を究極に細分したものは只々一種類の宇宙を充たすもの、謂わば、情報シナプスから構成されていると捉えられ得るとします。さすれば、スピノザの言う実体は「真には神に在り、実在するものは空間粒子からなる情報因子」だとも憶えます。哲学・思想ランキング
2021年04月13日
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神の存否-22 スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第二:同じ本性の他のものによって限定されうるものは、自己の類において有限であると言われる。例えばある物体は、我々が常により大なる他の物体を考えるがゆえに、有限であると言われる。同様にある思想は他の思想によって限定される。これに反して物体が思想によって限定されたり思想が物体によって限定されたりすることはない。」とは何を意味するのでしょう。「同じ本性の他のものによって限定されうるものは、自己の類において有限であると言われる。」を「量子重力理論」の「空間粒子」に当て嵌めて考察すれば、宇宙は全てが単一の空間粒子に埋め尽くされているのであり、「類い」なるものは、真実実相の表現であり、実体が持つ変態の様相に過ぎないことになります。「同様にある思想は他の思想によって限定される。」との著述は、「空間粒子」を全ての情報が其処から導き出される情報因子として捉えれば、其処から導き出される情報は、「空間粒子」の持つ根源的情報の粋を脱することは不可能であり、全ては宇宙を統べる情報因子であるデジタルな「空間粒子」の可能性にかかります。此のことから、現代IT科学の最先端を走る量子コンピューターは、次なる人類の進化を担っているかも知れません。哲学・思想ランキング
2021年04月12日
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神の存否-21 スピノザのエチカの第一部「神の定義」の「第一:自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられえないもの、と解する。」を読み解けば、自己原因とは生じるものでもなければ滅するものでもない「恒常有」を意味し、其の本質としての存在には永遠が基本的に備わります。此れを量子宇宙論の超超ミクロの世界単位「空間そのものが量子(空間粒子)」であるとするのを組み込めば、世界は唯一つのものから成り立ち、其処から生まれ生成されていると思われるものは「空間そのものが量子」の見せる技であり、「空間そのものが量子」なるものは、永遠が基本的に備わる神の情報であり、神の身体を具現した形態だとも云えましょう。其れ故、空間粒子の最小単位は可能ならば更なる空間なるものの縮小を引き起こすかも知れないにしても無くなる筈はなく、世界を飲み込む超ブラックホールの最終章は「ゼロ」更には「虚」にはなり得ません。スピノザの第一定義する自己原因は生まれること無く滅することのない「恒常有」だからです。宇宙の最終章は「量子重力理論」を鑑みれば、宇宙を充たすものに「無としての零」は無いことからして、神なる宇宙は必ず再起動します。ところが豈図らんや、物理科学全般には物の消滅と生成を説くのが全般です。然し乍ら、量子理論を鑑みれば世界が情報因子としての「空間粒子」なるものを一にして成り立たせているのならば、一見しては、宇宙の其の果ての終末と再起動は、人間の眠りなるものを表象させるかも知れません。私的には此れを「神の呼吸」と表現します。哲学・思想ランキング
2021年04月11日
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神の存否-20 先ず最初に「量子重力理論」を、スピノザに当て嵌めて検討するには、スピノザの神の定義が如何なるものかを見なければなりません。スピノザの神についての定義は八つに分かたれて挙げられています。 一 自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられえないもの、と解する。 二 同じ本性の他のものによって限定されうるものは自己の類において有限であると言われる。例えばある物体は、我々が常により大なる他の物体を考えるがゆえに、有限であると言われる。同様にある思想は他の思想によって限定される。これに反して物体が思想によって限定されたり思想が物体によって限定されたりすることはない。 三 実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、言いかえればその概念を形成するものに他のものの概念を必要としないもの、と解する。 四 属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する。 五 様態とは、実体の変状、すなわち他のもののうちに在りかつ他のものによって考えられるもの、と解する。 六 神とは、絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、と解する。 説明 私は「自己の類において無限な」とは言わないで、「絶対に無限な」と言う。なぜなら、単に自己の類においてのみ無限なものについては、我々は無限に多くの属性を否定することができる〈(言いかえれば我々はそのものの本性に属さない無限に多くの属性を考えることができる)〉が、これに反して、絶対に無限なものの本質には、本質を表現し・なんの否定も含まないあらゆるものが属するからである。 七 自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるものは必然的である、あるいはむしろ強制されると言われる。 八 永遠性とは、存在が永遠なるものの定義のみから必然的に出てくると考えられる限り、存在そのもののことと解する。 説明 なぜなら、このような存在は、ものの本質と同様に永遠の真理と考えられ、そしてそのゆえに持続や時間によっては説明されないからである、たとえその持続を始めも終わりもないものと考えようとも、とあります。哲学・思想ランキング
2021年04月10日
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神の存否-19 量子重力理論や超弦理論の登場からやや時間を経て、かっての私の頭脳を悩ませた愛読書であるスピノザ著「エチカ」が思考に再浮上します。特に量子重力理論によれば、宇宙をマクロからミクロの世界に突き詰めていけば、最後は空間構造の極小そのものが重力場となる。言い換えれば、空間構造そのものが一種の力場「重力場」に充たされているということ、宇宙には「何も無い空間」なるものは存在しないこと。此れが、根本的に「神の存在」を予感させます。即ち、あなたを形作る身体には、「何も無い空間」なるものは存在しないから、其れ自身の形態が保たれているわけです。此のことから、量子重力理論をスピノザ著「エチカ」の第一部「神の定義」に当てはめて考察すれば、スピノザの云う神存在の正否が見えてくるかも知れないと思い付き、スピノザ著「エチカ」の第一部「神の定義」に「量子重力理論」を当て嵌めて、宇宙をマクロからミクロの世界に突き詰めていけば、最後は空間構造の極小そのものが重力場となる、そのものの質、「宇宙」や「神」其のものの真相及び真否、乃至は、存否が伺えないものかと期待して、スピノザ著「エチカ」の第一部「神の定義」を量子重力理論に検めて読み込んでいきます。哲学・思想ランキング
2021年04月08日
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神の存否-18 量子重力理論や超弦理論の宇宙構成の在り方は我々ニュートン力学に馴染んだものには異質に映ります、然し乍ら、最新の宇宙科学理論は物理科学技術を駆使して人間の眼には隠された世界の謎を解き明かそうとしています。先ずは、ニュートン力学が示す一次元・二次元・三次元の世界、更には我々人間が属し体験していると認識する四次元空間は地球の下等生物の次元感覚よりは人間の次元認識は高等とするものの其の実態は、人間身体及び感覚器官は宇宙構成から見れば未発達としか想えません。特に、量子重力理論の「空間そのものが量子(粒子)」であるとの考察は宇宙空間そのものが量子に充たされていること、最小単位は唯一絶対の量子、無限に刻めれどゼロにはならない、強いて名付ければ超極限小の「空間粒子」なるものに宇宙は充たされていることになります。逆説的に云えば、粒子に満たされない真の空間、将に何も無い「虚空」ともいえるものは無い、即ち、今まで我々が思考していた、何も無い「真空」は人間の創造した「虚空」に過ぎないと云うことです。「空間・重力・時間」は一体である」との説明はよく見聞きしますが、空間と重力は認識可能にしても、変化を前提にする時間は理性を勝ち得た人間特有の概念を表象するものであり、世界の側には「空間・重力・時間」の区別は存在しないのかも知れません。端的に云えば宇宙は何が知らの情報の生成した結実なのかも知れないと思わせます。世界は量子情報を齎す単一の空間粒子の海に充たされ、我々は其の情報を実体として受け取っているのかも知れません。哲学・思想ランキング
2021年04月07日
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神の存否-17 粗略に問えられれば「量子重力理論」は、宇宙空間は「空間」どころか、病気のときに御世話になる「氷嚢」のようだとも喩えられます。中には氷粒があろうが全体的にはエネルギー消費は一定です。当然に「氷嚢」外部にはエネルギーが放出される筈ですが、此のことからは、ブラックホールの「特異点」、乃至は、量子物理学の理論上の究極の実在を予期させます。更には、「量子重力理論」に加えて「超弦理論」超ひも理論、スーパーストリング理論とも呼ばれるものともなると、もはや、宇宙は無生命としての物質界ではなく、或る種の生命態系を匂わせることに尽きます。先例に記した、「あなたは自分の身体の空間部分を意識していますか、其の空間には空間以外には何ものも無いのでしょうか。」を「あなた」を「神」に置き換え「自分の身体」を世界に置き換えてみれば、興味深い新世界が開けるかも知れませんが、独断的思考を展開すると狂気と見做されることになるかも知れません。哲学・思想ランキング
2021年04月06日
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神の存否-16 量子重力理論の主要な研究対象としてブラックホールが挙げられる例が多い。ブラックホールの内部では一般相対性理論では物理学的には破綻をきたすと考えられており、そこから特に特異点では時空を量子化した理論が有効であるとしています。この面から最近の進捗にはホログラフィック原理が挙げられます。これはブラックホールの内部の情報量の保存限界はその体積ではなく表面積に依存するというものです。これはひも理論の柔らかくひらひらしているようなメンブレーンに合い通じるものがあります。ブラックホールの内部の情報量の保存限界はその体積ではなく表面積に依存することは宇宙が球ではないことの証かもしれません。時空と重力の基本原理である相対性理論と、素粒子と原子を記述する量子力学。この二つの原理を満たす時空の理論である量子重力理論が現代物理学の最先端の研究なのです。此処に更に立ち上げられたのが「物理学者の夢」と言われ、あらゆる力学現象が説明でき、物理学における最終理論になると注目されている理論、「超ひも理論」や「万物の理論」とも呼ばれる超弦理論です。宇宙内外に限らず神存在の実在を基本的な背景とするならば、「量子重力理論」のダークマターやダークエネルギーには注目せざるを得ません。例えば、あなたは自分の身体の空間部分を意識していますか、其の空間には空間以外には何ものも無いのでしょうか。哲学・思想ランキング
2021年04月05日
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いっぷ句-55梅花去り桃花散りたり桜花来る 愚通人気ブログランキング
2021年04月04日
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神の存否-15 一般相対性理論と量子力学が相互の理論の正当さを主張すれば必ず顕れるのが、「 此の矢は如何なる時点でもその瞬間には止まっている. いつの時点でもその瞬間は止まっているならば,、いつも止まっている。 従いて矢は止まっていて動かない。ゼノンのや矢の運動の連続性のような無限点である「ゼロ点」や、位置情報のみを表象させる「0点」が、一般相対性理論を無限の世界に引きずり込む彼のブラックホールの質量無限大、体積ゼロの「特異点」を浮上させます。とは云え、量子論ならばと云えば、実はうまくいかない理由はある程度わかっています。これは質量を持つ物体の「大きさ」が一般相対論と量子力学で反対の振舞いをすることに関係しています。一般相対論によるとブラックホールの大きさは質量に比例しますが、片や、量子力学によれば物体は波のように振舞い、その波長はその物体の質量に反比例します。つまり、物体の大きさの目安となる長さは、重力では質量に比例し、量子論では質量に反比例するという具合に完全に反対になっていて、これが重力と量子論を一緒に考えることが難しい原因だったのです。此処に現在新たに唱えられる一般相対論と量子力学を統合する理論「量子重力理論」が誕生します。哲学・思想ランキング
2021年04月03日
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神の存否-14 現在最先端を突っ走る「量子重力理論」、アインシュタインの一般相対性理論と従来の量子論との矛盾点を解消するとされる理論です。20 世紀の初頭から前半は理論物理学史上に大きな転機が訪れた時代です。なかでも、一般相対性理論と量子力学の発見は、それ以前の物理学に自然観に鉄槌を下し根底から覆す程の大事件でした。通常に物理科学では一般相対論は星の運動や宇宙の発展などの大きいスケールの物理現象を理論的に調べるのに用いられます。一方、量子力学は原子や分子などの極々微細なスケールの物理現象を考える際に要となる理論です。アインシュタインの作った一般相対性理論の予想に従ったブラックホールは最新観測天文学では、我々の銀河系の中心には太陽の100万倍もの質量があるような巨大なブラックホールがある筈だと報じられています。片や、量子力学によると物体の運動は決った軌道を持たず、様々な軌道を描く運動を足し併せることによって,観測できる最終状態の確率が計算できると思考します。此の原理に従えば、例えば水素原子から放出される光がある決った波長を持つ輝線スペクトルとして観測されることを理論的に説明することが出来得るのです。然し乍ら、いざ、単発では物理現象を矛盾点無く説明できる一般相対性理論と量子力学が相互の理論の組み立てを行おうとすると顕著な矛盾点が浮上します。哲学・思想ランキング
2021年04月02日
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神の存否-13 宇宙全体の95%をも占めているダークマターのその占有を上回るダークエネルギーの登場は比較的最近の1998年となります。大質量の恒星が、その一生を終えるときに起こす大規模な爆発現象である超新星( supernova)が、これまでの理論で予想される速度よりも速く遠ざかっていることが発見され、宇宙が膨張する速度はどんどん速くなっていることがわかったのです。かつての宇宙論では、いずれは宇宙全体の重力で膨張にブレーキがかかり、膨張は遅くなっていくと思われていたため、重力に逆らって加速しながら宇宙を押し広げる未知の力は観測上では発見できず、ダークエネルギーと名づけられました。現在は様々に観測される時代の銀河間の遠ざかるスピード、つまりは宇宙の膨張のスピードを観測することで、ダークエネルギーが時間とともに、何の様に変化するものなのか、其れには変化がないのか等々、その現代にまで発見でき得なかった性質を探る試みがなされています。ダークエネルギー(暗黒エネルギーともよばれる))とは、宇宙の膨張を加速するもとになる未知のエネルギーのことであるのは述べた通りですが、はからずも、アインシュタインが引力である重力によって宇宙が潰れずに静的状態を保つために導入した宇宙項とよく似た性質をもっているのには注意か肝要です。哲学・思想ランキング
2021年04月01日
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