全6件 (6件中 1-6件目)
1
現代語で読む太平記(著者:山本藤枝|出版社:集英社文庫) 久しぶりに、ぐいぐい引き込まれる本を読んだ。まるで『水滸伝』のようだ。 南北朝というのがどういうものなのかわからないままでいたのだが、この本を読んでおぼろげながらわかった。 鎌倉幕府の崩壊から、足利幕府確立までを描いている。武将たちが、あっちについたりこっちについたり、めまぐるしい。実権は武家がにぎっているのだが、それでも建前上は天皇を戴かないことにはどうにもならない。不思議といえば不思議だが、名分というものが重要なのである。 足利尊氏や楠木正成といった人物よりも、高師直のような悪いヤツのほうが生き生きと描かれている。 「現代語で読む」とはいっても、ただ訳したのではなく、現代語で再構築したもの。解説によると、故事を引き合いに出すところは思い切ってバッサリやったらしい。そのおかげで読みやすくなっている。 現在は、改題して出版されている。山本藤枝の太平記(著者:山本藤枝|出版社:集英社)
2002.05.29
コメント(0)
桃尻娘(著者:橋本治|出版社:講談社文庫) 橋本治の評論は何冊か読んだことがあるが、小説は初めて。 といっても、これが小説家としてはデビュー作なのだ。1977年、作者29歳の時の作品である。小説を読んだのは初めてだが、映画は見ている。 1978年に、竹田かほり主演で日活で映画化されている。もっとも、ロードショウで見たのではなく、続編と二本立てで、池袋の文芸座で見た。 テレビの「探偵物語」が終わった後に見たのだと思う。竹田かほりを知っていたから。(竹田かほりは「殺人遊戯」で見ているはずなのだが、その時はあまり記憶に残らなかった) 映画は面白かった。一応、成人映画ではあるのだが、今の少年マンガなんぞよりよっぽどおとなしいのではないか。何と言ってもすごいのは、橋本治自身が出演していることだ。二作とも、1シーン出ており、少しセリフもある。 それはさておき、小説なのだが、読むのにだいぶ時間がかかった。 ぎっしり書き込まれているのである。一つの文章の情報量が多い。 表題作の主人公は、平均的な女子高生などということになっているが、そんなわけはない。 一人称で語る各話の主人公は、みんな、頭が良すぎるのである。あまりにも物を知っている。 それに圧倒される。 登場人物は皆、「現実」に直面せざるを得ないのだが、誰だって「現実」の中で生きているんだ、などと書くと雰囲気が違いすぎる。「現実」とは精神的な現実なのだ。入試であったり、金銭であったりするわけではない。「ああ、いやだいやだ」と思いながら、青春は現実に取り囲まれてすぎてゆくのであります。
2002.05.27
コメント(0)

探偵物語(著者:小鷹信光|出版社:幻冬舎文庫) 1979年から翌年にかけて日本テレビで放送された「探偵物語」の原案。(原作ではない) 当時大好きだったし、その後再放送も何度も見た。原案者のこの小説があることは知っていたが、雰囲気が違うようなので読まずにいた。 それが最近文庫化されたので、読んでみた次第。 ナンシー、かほり、服部刑事、松本刑事と、登場人物の名前を見ると、企画段階から関わっていたことが分かる。とくに、ナンシーとかほりは、俳優の名前そのままなので、出演者が先に決まっていて、それにあわせて設定を作っていったものらしい。 小説はハードボイルドではあるが、ウェットである。ハードボイルドというのはもっと乾いた感性のものかとおもっていたのだが、この小説はそうではない。 非常に狭い人間関係の中で話が進んでいく。偶然に見える出会いが多いようにみえるが、それは皆必然だったということになっている。 最後の方で、なぜ黒崎が撃たれなくてはならなかったのかはよく分からない。 しかし、なるほどこういう書き方もあるのか、こういう小説もあるのか、と新鮮だった。続編も読んでみようかと思う。 なお、解説で、主人公が下北沢に事務所をかまえていることを、テレビとの類似点としているが、テレビでは、渋谷である。 また、初版だけの誤植ではないかと思うが、表紙カバーの著者紹介で、一九六三年生まれ、となっている。これがほんとうなら、「探偵物語」当時は十六歳になってしまう。一九三六年生まれか?
2002.05.21
コメント(0)
幕臣列伝(著者:綱淵謙錠|出版社:中公文庫) 幕臣といっても、幕末の幕臣の列伝である。また、代々の旗本や御家人ではなく、直接幕府に使えていた時期は短い人もいる。西周など、幕臣になったのは慶応二年(1866)だから、足かけ三年だけである。 勝海舟のような著名な人物も取り上げているが、榎本武揚とセットで、扱いは小さい。 一人で一章を設けているのは、川路聖謨、岩瀬忠震といった、あまり著名ではない人物。 また、家柄ではなく、実力で重く取り立てられた人物も多い。 なぜなら、外交の分野は先例がないので、先例第一主義の者ではつとまらないのである。 多くは、外交の最前線で、朝廷や諸藩からの圧力、幕府の無能さに苦しめられながら、悪戦苦闘した人たちである。 外国からの圧力で開国させられたのは事実ではあるが、だからといって、劣等感を持っていたわけではないらしい。 遣米使節としてアメリカに渡った村垣淡路守の残した記録には、「白人コンプレックスともいうべき欧米への劣等感が全く感じられない」という。 なお、密談は「必ず広間の中央で話すのも、当時の常例であった。そのほうがかえって傍へ人も来ず、話し声も他に漏れないからだ。」というのは初めて知った。言われてみればたしかにそうだ。 読んだのは中公文庫版だったが、現在品切れ。単行本で、幕臣列伝新装版が出ている。
2002.05.15
コメント(0)
現代〈死語〉ノート(著者:小林信彦|出版社:岩波新書) 1956年から1976年までの間に生まれては消えていった流行語を取り上げ、それが使われた時代がどんな時代だったのかを語るという、死語による現代史である。 流行語を生み出すのは映画やテレビなどのメディアなのだが、著者はそのどちらの世界でも仕事をしたことがあり、著者の個人的な体験や感想に基づくところを述べているので、興味深い。 読んでいて、なるほどそうだったのか、と思ったこと。 1967年の「ハプニング」の項目に、「新宿のコマ劇場の前の小さな水たまりに若者がとび込み、これを〈前衛的な身体表現〉と称した。」(p136) これで思い出すのは、1974年から翌年にかけて放送されたテレビドラマ「俺たちの旅」のオープニングである。主人公3人が、コマ劇場の前の噴水を横切る場面がある。 これは、その名残なのではないだろうか。 笑いに関しては厳しい。 1973年の〈ちょっとだけよ〉〈あんたも好きねえ〉の項目には、「クレイジー・キャッツからドリフターズへと、笑いが幼児化してゆく。」(p189)とあり、1976年の、〈わかるかなあ わかんねえだろうなあ〉の項目には、「わかる人はレベルの高い人、とテレビ視聴者の心をくすぐる作戦だが、ナンセンスのレベルが低いので、人気はつづかなかった。」とあり、これだけでも厳しいのだが、その後に、「この作戦は翌年(一九七七年)、タモリがハナモゲラ語で成功をおさめる。」(p207)とある。 以前からタモリに対しては厳しい人だったが、触れずにはいられないのだろう。 春秋の筆法と言うべきか。 筆者の勘違いが一つ。 1974年の〈ど演歌〉の項目に、「「神田川」の世界を〈四畳半フォーク〉と批判したのは荒井由美だったと記憶する。」(p194)とある。 「四畳半フォーク」という表現をはじめたのは荒井由美なのだが、対象は、「神田川」の世界ではなく、吉田拓郎(当時は「よしだたくろう」)の歌なのである。 「ぼくは四畳半一間のアパートに住んでこんな生活をしています」と歌っているようだ、という批評なのである。そもそも、「神田川」は、歌詞に「三畳一間の小さな下宿」とはっきり歌っており、四畳半フォークにはなりえないのである。
2002.05.10
コメント(0)
三四郎(著者:夏目漱石|出版社:角川文庫) 十五年ぶりぐらいで読んだ。 最初に謎の女と同宿するところと、「かあいそうだたほれたってことよ」しか覚えていなかった。 青春小説でもあり、風俗小説でもある。当時の学生の衣食住の一端を知ることができる。 面白いのが、冒頭の、空になった弁当を窓から捨ててしまうことだ。当時は、列車の中にはゴミ箱はなかったのだろう。 もちろん、小説であって現実ではないので、こういうことが現実に起こりうることだったわけではない。 特に、偶然の出会いが多すぎる。 美彌子のことは、それほどの謎も感じないのだが、わからないのは広田先生の、「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」というセリフである。 このセリフには、何か重大な意味があるように思われる。 そして、このセリフの意味を解明した文章を何かで読んだような気もするのだが、思い出せない。 何か大事件が起こるわけではなく、淡々と流れていく。 不思議な小説である。
2002.05.08
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1
![]()
![]()
