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このところテレビを賑わしているニュースは、情けないというか呆れるというか…。こんなこともあったなあと、いつか思い出すこともあるのだろうけど、今日は少し書きならべてみようか。大阪ダブル選 市長に橋下氏、知事は松井氏産経新聞2011/11/28 09:06私は、橋下氏の主張する「大阪都構想」については、正直なところよくわからない。彼についても、特別の嫌悪感を持っているわけではないし、彼なりに頑張っていることはよくわかるので、単純に批判する気もない。しかし、「独裁も必要」と叫ぶような人に、大阪市民があれほどの支持をしたということに、ちょっと怖さを感じている。たとえは悪いけれど、ひょっとするとドイツ国民がヒトラーを支持した時もこんな感じじゃなかったのかなと思ったりして。市民の支持があるということを盾にして、市民にとって怖いことがどんどん進められないことを祈る。<沖縄不適切発言>「これが国の本音」地元に怒りとあきらめ毎日新聞 11月29日(火)田中聡・沖縄防衛局長は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画に基づく環境影響評価(アセスメント)の評価書の提出時期について、報道関係者との懇談の時に、「犯す前に犯しますよといいますか?」などと発言したとして、当然ではあるが更迭された。このニュースを見た時に一番驚いたのは、「この人は官僚のはずなのに」ということだった。この地位にまでなった人が、こんな程度の低いたとえを言うこともだけど、報道関係者との懇談で「オフレコ」としてこんな不用意なことをいうのかということだ。報道関係者と付き合う時には、私達のような小さな町で活動をする者でさえ、本音を語るのには慎重になるのが当然なのに…。官僚のレベルもここまで落ちているのかということにショックであった。本人がどうしようもないことは言うまでもないが、このような人をこのような部署にまで任命した人たちの目も相当に節穴だ。政治家も頼りにならない、優秀だと心のどこかでは信じたかった官僚もダメとなると、「この人に託そう」という独裁者の出現を願う気にもなるのかも。<ブータン国王夫妻>関西国際空港から帰国毎日新聞 11月20日(日)ブータン国王夫妻が来日して、爽やかで暖かい空気が日本を包んでくれた。ご夫妻の来日で、ブータンという国が注目され、日本との長年の交流などについても知ることができたのは、私にも収穫だった。「国民総幸福量」のアップを目指すということも、日本人には新鮮な指標としてとらえられ、あたかもブータンは「みんなが幸せな国」のように感じた人も多かったようだ。しかし私は、この時も橋下氏を支持する大阪の人たちのような空気を、報道などから感じて「ちょっと待ってよ」という気持ちになった。あの小さな国、それも中国とインドに挟まれた国、このような山岳国家には多民族が住んでいることが普通だが、それらの力関係の中で、みんなが幸せっていうのは目標としては大切だけれど、現実には色々な問題があるのではないかと思ったのだ。それで調べてみると、やはり色々ありそうだ。「隣の芝生は青い」という。ブータン国王夫妻が素晴らしい資質を持った人たちであるなら、我が国の皇室のみなさんだって決して負けてはいない。子ども達全員が民族服を着て同じようににこやかに合掌する姿はほほえましいが、それだったら北朝鮮だって負けてはいないだろう。「国民総幸福量」だって、指標の設定の仕方でずいぶん変わるだろうしね。そういえば、日本の都道府県の「幸福度ランキング」が発表された時、「そうかあ?」という気がしたことを思い出した。今見直したら、大阪が最下位だった。これで大阪の人はショックを受けて、独裁者に何とかしてほしいと思ったのか?一位は福井県。福井県の人も、多分「へえ? そうなの?」という気分だろう。ちなみに私の住む北海道は43位。私の周りの人は、「北海道って、いいとこだよね」って思っている人がほとんどですが。(北海道と言っても広いから、地域によって感じ方が違うのは当然です)最後に内柴客員教授を懲戒解雇、女子柔道部員にセクハラこの人も、柔道は強いのだろうけれど、女性関係では脇が甘すぎ。官僚が報道関係者と付き合う時には慎重にしなくてはならないように、教員が女学生や未成年と付き合う時には、しっかり節度を持たなくてはならないのは当たり前のことだ。官僚や教員のモラル低下も深刻なのではないかと心配になる。
2011年11月30日
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しばらくブログをあまり書く気になれなかったのだが、そういえば、私は自分の今までの仕事遍歴について書こうとしていたのだと思い出した。やり始めたことは最後までやらなくちゃ、と、最後に書いたのがいつだったか見直してみると、5月31日の日記だった。なんと、五か月以上も経ってしまっていたこの時に、私が精神的に煮詰まってしまって仕事をやめることになったことを書いているのだが、もちろんその仕事をしている間に様々な思い出がある。辛かったことも多いが、様々な障害を持った子ども達から学んだことは数限りない。短い命を生き切った子もいれば、「三年の命」と出生時に医師から宣告され、そのつもりで精一杯育てていたら、いつのまにか40歳を超えたという子もいる。その多くはダウン症候群の子で、その一人のお母さんは、高齢出産だったこともありすでに70歳を超えてしまい、「こんなに長生きするなんて、想像もしなかった」と苦笑いしながら、今は自分が先立つことが不安な様子。私自身も、当時の唇真っ青な様子にハラハラしたことを思い出し、(心臓疾患を抱えていたのだ)枯れ枝のようなお母さんの姿を思い浮かべながら、複雑な気持ちになってしまう。今までのブログに、この時代の思い出を書いたものがいくつかあるので、それをここにアップしておこう。「Yちゃん」2004年01月09日もっと書いていないかと、過去のブログを見直したが、自分が想像するよりブログの分量が多いので全部確認できず、さらにその時代の子ども達のことについてはYちゃんのことくらいしか見つからない。多分、その子ども達やその親が今も健在のため、書きたくても書くのを躊躇したままになっていたのだろう。でも、すでにあちらの世界に旅立った子ども達について、少しだけエピソードを書いておきたい。その子が、私に何を教えてくれたのか、その子がこの世に生きた証としても…。「あの子の笑った顔を見たいんです」Hちゃんは、重度の脳性まひ児と診断されていた。当時、一歳を超えていたと思うが、寝たきり状態であった。脳性まひは、大きく分けてアテトーゼ型(不随意運動型)、痙直型(四肢変形になりやすい)などがあり、そのほかにも失調型や混合型もある。Hちゃんは、強いて言えば失調型なのかもしれなかったが、なにしろ筋肉はグニャグニャで、自分で動くことはほとんどなく、空腹時に悲しげな泣き声は発するけれど、そのほかの不快を表現する力もないようだった。首もすわっておらず、当然お座りなどもできないし、あやしても笑ったりはしない。それでもお母さんは、首が座らずにグラグラする体を背中にくくりつけるようにして、徒歩や自転車で通って来ていた。私は、お母さんと一緒に医師やPTから指示された訓練メニューで、手足を他動的に動かしたり、抱っこして体を揺らしながらあやしてみたりと、試行錯誤してみたのだが、状態の改善はあまり見られなかった。それでも、他動的に動かすことで、多少ふにゃふにゃだった筋肉が、筋肉らしい張りを感じるようになってきたかなと思うようになった頃、熱心だった母親がピタリと訓練室に来なくなってしまった。しばらくして、心配になった私は家庭訪問をした。母親は、最近ある新興宗教の集まりに通うようになったのだと、申し訳なさそうに言った。聞けば、ずいぶんお金も払っているようだ。私は、神仏頼みでこのような障害が改善するわけがないと思っているのだが、藁をもすがるようにその信仰に頼ろうとする母親に、色々な危惧を言うことができず、やっとの思いで、「それでも、時々は顔を見せてください。他のみんなも待ってますし」と言った。それに対して、母親は遠慮がちではあるがキッパリと答えた。「先生、ごめんなさい。この子は訓練では良くならないって。 今の宗教の先生は、真剣に祈ったら絶対に良くなるからって言うの。 私は、歩けなくてもいい、話せなくてもいい、あの子の笑い顔が見たいんです。」私は、全身をハンマーで殴られたようなショックを受け、その衝撃から自ら逃げるように玄関を後にした。その家に背を向けて歩きだした途端、私はこらえきれず号泣した。何も言えなかった自分に対する情けなさ、母親の切ない思い、無責任に「祈れば良くなる」という宗教に対する怒り、そんな様々なものが全身を駆け巡り、嗚咽が止まらなかった。今でも、こうやって書きながら当時の思いがよみがえってくる。その後、彼女が訓練室に顔を見せることはなかった。祈りの場に連れて行かれたあの子が、せめて集まったみんなにかわいがってもらっていることを、私は祈るばかりであった。その数年後、新聞の死亡欄にHちゃんの名前を見つけた。私は迷ったけれど、葬儀には行かなかった。どうしても行く気になれなかったのだ。その宗教によって、母親とHちゃんは救われたのだろうか。Hちゃんは、笑顔を母親に見せることができたのだろうか。私は、彼女のことも含め、多くの宗教が障害を持つ子の親に優しい言葉をかけて近寄っていくのを見聞きしている。私は宗教を否定するものではないし、人間には宗教心は大切なものだとわかっているつもりだ。それでも、私自身は特定の宗教には決して所属しないとある時期に決めた。特に、強い勧誘や、金品を過剰に売ったりする宗教には、反射的に否定してしまう。今の私であれば、当時のお母さんになんと言うだろう。それでも、あの時のあのお母さんを説得できる自信もない私でもある。「シュウ君」この子もイニシャルはHなので、シュウ君としよう。彼も、重度の脳性まひという障害をもって産まれた。彼の場合は、「アテトーゼ型」だったと思うが、私が出会った当時は4~5歳くらいで、それまで十分な機能訓練もしていなかったらしく、手足には筋肉の緊張からくる変形もみられた。それによって、もともと困難な自分の意思による動きが制限され、不随意運動と筋緊張により、食事もとても困難だったし、言葉を発することもできなかった。お母さんが献身的に見事な介助・介護をする人で、私ならとても怖くてできない食事介助を、息子の様子や動きを見つめ、絶妙のタイミングで食事をさせる姿に、「母親の力ってすごいなー」と感心させられるばかりだった。彼は隣町から、母親が自動車を運転して通って来ていた。見た目は寝たきりの重度障害児であったが、彼は知的な遅れはあまりないように思われた。話すことはできないけれど、みんなが話していることはちゃんとわかっているし、様々な言葉かけや働きかけに、ちゃんと目や表情で意思を伝えてくれる。そして、自分の要求も彼なりに表現しているようで、それを母親が的確に受け止めて通訳をしてくれるのであった。この二人は、本当に一心同体状態に、私にも見えた。同じ時期に、同年齢のやはり脳性まひアテトーゼ型の男の子が通って来ていた。こちらの子の方が障害の程度が軽いのか、動きにくい足を必死に蹴って移動したり、言葉にはならない声を絞り上げるように発して自分の意思を伝えようとしたり、思いどうりにならなかったり、自分の思いがちゃんと伝わらないと泣いたりと、表情は格段に豊かであった。だから私は、シュウ君の方が障害が重いのだと思い込んでいた。ある時医師が「この二人の障害の程度はさほど違わない」と言った時、私は「そんなバカな!」と驚いた。「違うのは、その子の性格と母親の対応です」と言うのだ。シュウ君の方が性格的におとなしく、母親の対応が完璧なせいだというのである。うーん、なるほどと、一応は納得はしたものの、やはり私は半信半疑で、その後の二人の様子を観察した。そして、「やはりそうなのだろう」という気持ちになってきたのだ。難しいものである。母親が完璧に息子の気持ちを受け止めそれを表現したら、子ども自身が必死で訴えたり、悔しがったりしてバタバタする必要もないのだ。それはその子にとっても、母親にとってもストレスのない穏やかな時間となり、それが不幸なこととは決して言えない。しかし、そのことが子どもの「わかってもらいたい」という意欲を刺激しないとしたら…。これが、健康な子どものことであれば答えは簡単である。子どもの自立を願うのであれば、親は心を鬼にして突き放すことも必要なのだ。たとえ障害を持っていたとしても、原則はそうである。もしも、施設に入所しなくてはならないとなれば、やはり他人に意思を伝えられるようにするのも、大切な訓練なのだ。医師やPTはそれを視野に入れての指摘をしたし、私もそれには同感ではあった。しかし、まだ学齢に達していない子どもなのだ。普通の子どもたちでも、まだまだ親に甘えている年頃だ。心を鬼にしなくてはならないのかどうか、私にはよくわからなかった。あの当時、このような母子に対して、よく「母子分離の必要性」が医師やPTから言われることがあった。私は自分の確たる信念もないので、それをオウム返しのようにお母さんに伝えたり、「この子の将来のためには、必要なことだよね」なとと、知ったかぶりみたいに言うこともあった。しかし、内心は迷ってばかりであった。「本当に、この子にそんな将来はあるのか?」と思うことも多かったし、「将来は施設で暮らすしかないのか?」とも思ったり…。結局、いつだって私は中途半端の思いでお母さんや子ども達と向き合うことになっていた。隣町にも、母子通園施設ができて、その時からその親子とは接点がなくなった。シュウ君はどうしたかなあ、と思うことはあっても、確認することもなく年月は過ぎた。何年か前、その町で就労継続支援事業所で働いていた時、当時、いっしょに通っていた別の障害の若者と再会した。驚いたことに、その子も「長生きはできない」と言われていたのに、元気に自宅で生活して、障害者の活動に積極的に関わっていた。「ところで、シュウ君はどうしている?」と聞いた時、「あいつ、去年死んだよ。ずっとお母さんが家で面倒をみていた」と教えてくれた。そうだったのか、あのお母さん、最後まで面倒みていたんだと、私は二人の生き方に、心から拍手を送りたいと思うばかりだった。結局、あの頃の医師達が言っていた「母子分離」はあの親子にはなかった。できなかったのか、あえてしなかったのか、私にはわからない。しかし、その時その時精一杯、彼らににとって一番良いと思う生活を選んだことは間違いが無いだろう。私が彼らと関わった頃から比べたら、格段に福祉サービスは充実しているはずだ。彼らが、十分にそれを活用して、シュウ君なりに納得できる人生であったことを願っている。
2011年11月11日
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気付けば、もう11月になってしまった。今年は(いや、今年も?)、特に3月11日の大震災以後、原発事故のことなどが気になりつつ、いつの間にかこんな季節になってしまったという感じだ。それでも、関わっているボランティア組織などのイベント関係など、それなりにやることはやりつつ、かといってとても有意義な一年とも言えず…。そうこうしているうちに、知人にとても悲しいことが起きて、「鈍感力満点」の私も気が気ではない日が続き、自分自身のことについては、これほど平穏で良いのかと感謝するばかりだが、少し目を周囲や社会に移すと、心痛むことばかりの今日この頃だ。本当にこの世は諸行無常。そして理不尽なものである。そんな時、ふと図書館で目についた、「なぜ生きる」。小児精神科医の明橋大二氏が共著になっているので借りてみた。私は、彼の講演を一度聴き、なかなかいいなあと思っていたのだが、読んでみてガッカリ。共著者のプロフィールが「哲学者」と書いてあったので、それにもちょっと期待していたのだが、これは哲学をしている人の書き方ではない。諸行無常で理不尽なこの社会を生き抜くために藁をもつかみたい人たちは、これで納得し勇気が出て、未来に光が見えるのか?明橋氏は、本当にこのように考えて、それをバックボーンにして医療や講演会活動をしているのか?私には理解不能の矛盾を生きる姿にしか見えない。私は「子育てハッピーアドバイス」は、子育てに迷う若い親達にはとても良い本だと思っている。だからこそ、この「なぜ生きる」の本とのギャップに驚いた。私の想像の可能な範囲での理解は、「彼は利用されているのではないか。抜けるに抜けられない世界から」。この世は、思い通りにはならず理不尽なものであるからね。
2011年11月01日
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