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8月18日午後4時31分桜島が爆発的噴火をし、5000mの噴煙を噴き上げたという。ちょうどその時間私はおじさんコーラスの練習のため桜島から数キロしか離れていない場所で歌を歌っていた。窓は閉め切っているので外の様子は見ることが出来ない。6時に終わって外に出ようとすると受付のお嬢さんから「桜島の灰で外は大変なことになっていますよ。気を付けてお帰りください」との有難い言葉をいただき外に出た。 鹿児島の繁華街、山形屋の前の電車道路は降灰は幾分治まっているが、走る車やバスが巻き上げる灰に思わず口元を抑えてしまう程だ。バス停のベンチも灰が積もっていて、座る人もいない。家に帰り着くとグレー一色である。降灰のある鹿児島市民やその他の地区の人にとってはこれくらいはままあることで、そう驚くこともない。しかし今回は久しぶりにテレビが全国ニュースのトップで報じていて画面を見ると私が認識したよりも凄いことになっているようだ。やがてそれを見た北九州の妻の親戚たちが次々に電話やメールを入れてくれる。繁華街の昼なお暗い灰神楽の様子をみて皆びっくりしたらしい。 しかし、あれくらいの情景はこれまでも何回もあったことで、しかもテレビでは一番酷い情景が放映されるので、灰が降り続くわけでもない。ただ、降灰除去車と散水車がセットで除去してくれるまでは、風や車による灰の吹き散らしで街中がグレーに染まるのは止むを得ないことか。 生活する上で一番困るのはこの猛暑日の中、窓を一切開けることが出来ないことだ。仕方なく午前中からクーラースイッチオンとなる。それと洗濯モノを外に干すことが出来ないことである。こちらは室内に干して扇風機を回し続けるしかない。部屋を密閉していても何日か経つと部屋の中はザラザラしてくるし、草花には灰が積もってこれもグレーになるので、これまで根本だけに水をやっていたものが、全体に散水をすることになる。車は朝起きるとフロントガラスを見る。夜の降灰量が大体分かるからだ。車の掃除も大変だ。慌てて洗い落としてもすぐに次の予告なしの降灰でやられてしまうかも分からないからだ。 まあこのように一たび降灰が始まると生活に支障を来すことも多いがが、桜島なくしての鹿児島は「臍のない・・・」と同じなので、皆思ったよりもその事実を冷静に受け止めているようだ。 新聞報道によると、テレビであの画面を見て、ホテルのキャンセルなどが出たようだが、皆さん恐れることはありません。むしろ鹿児島で桜島の噴煙を見て、降灰を経験するのもいい思い出になりますよ。是非鹿児島のシンボル・桜島を見においでください。 上の写真は今回の噴火とは関係ありません。冬の桜島です。
2013.08.22
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私が「鹿児島清水城ガイド養成講座」を受講するなかで、いろいろな事を知ることになったが、その中の一つに鹿児島の「上水道石管」がある。 それを最初に見たのは、鹿児島清水中学校の校庭にある「大乗院上水道石管」である。清水中学校は鹿児島清水城跡とされ、清水城が内城に移ってからは、そこに大乗院が建てられたとされる。つまり、鹿児島清水城⇒大乗院⇒清水中学校という経過をたどっている。 次の写真はそのとき清水中学校で見て、2013年月13日拙ブログに記事と共にアップしたものである。 それより前、石風呂のことについて私のブログに書いたときに近所の友人I先生から次のような石風呂の材質についてメールをいただいた。「溶結凝灰岩(火砕流堆積物が自身の熱でくっついたもの)は柔らかくて素人でも加工しやすいので昔はよく使われたのでしょう」更に「東京都水道歴史館というのがあります。江戸時代水道が張巡らされていた町というコーナーに鹿児島がありました。お江戸の水道は木管ですから、鹿児島もそうだろうと思っていました。ところが帰ってきて谷山のふるさと考古歴史館に行ったところ展示にもありましたが、建物裏に溶結凝灰岩をくり抜いた水道管がゴロゴロありました。江戸よりずっと立派です。さすが、石橋の国と感心しました。ただ、記念碑にも使われていて、100年も経つと字が読めなくなる難点はあります」というもので、その水道石管と鹿児島の当時の水道管敷設図が添付してあった。 そのふるさと考古歴史館にあるという石の水道管の写真が、清水中学校にあった上記写真とよく似ていたので、いつか見に行ってみようと思っていた。それが、先日慈眼寺公園に行ったときやっと念願が叶って見ることが出来た。 館の右側にあった石管 館の後にあったもの こうして沢山の貴重な石管を見ることが出来たが、残念ながら説明文や案内板がないので、後日メールでふるさと考古歴史館にどのようなものかということを問い合わせた。 すぐに回答をいただいたが、鹿児島市の文化課にも問い合わせをされたりして、丁寧親切なものだった。ありがとうございました。それによると、屋外の水道石管は、造士館・演武館跡(現在の山下町中央公園)と福昌寺跡(現在の鹿児島玉龍高校)のもので、館内に展示してある石管には大乗院跡や鹿児島城二の丸跡出土のものもあるとのこと。この他にも鹿児島城本丸跡や名山遺跡(現在の鹿児島市教育総合センター~名山小敷地)大龍遺跡(現在の大龍小学校)から出土している。これ等は、近世の上水道用に使用された石管とされるものであり、水圧に耐えられるように凝灰岩で作られ、石管と石管の継ぎ目は黒漆喰で封じられていた。石管は鹿児島城を中心に城下を網の目のように広がっており、鹿児島城の調査では多くの石管が発見されている。しかし市の北部に集中しており、市南部の谷山地域の調査では出土していないとのことである。 このような内容で、疑問に思っていた継ぎ目の問題や、どのような地域から出土したかなど、沢山のことを知ることが出来た。今後発掘調査資料等も調べてみたい。
2013.08.03
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先日孫(小6男)の付き添いで「生態系ピラミッド」の学習会に行った。本来は「親子教室」なのだが、当日娘が用事のため、私に孫を連れて行ってくれとの依頼がきたので軽い気持で引き受けた。場所は鹿児島県民交流センターの6階にある「生命と環境の学習館」といういかめしい名前の場所だ。 娘によると、この夏休みの行事として一回10組の親子を募集する学習講座として新聞に掲載されそれへの応募の結果、見事に願いが叶ったとのことで、孫の自由研究のテーマとしてもいいと言うことらしい。 受付で材料代500円也を支払い「地球工房」という教室に入る。 教室に入ってみると、10組の組み合わせは様々。親子3人とか、お父さんと子供さん、おばあちゃんとお孫さんなど・・・。ただジージと孫の組み合わせは我が一組だけ。珍しかったのか途中で美人講師から「ご苦労様です」と声をかけていただく光栄に浴した(爆笑) 講座は先ず、一辺が7cmくらいの動植物のイラスト入りの箱作りから始まった。すでに折り目が入った厚紙を15枚と新聞紙、白いテープ、糊、ハサミなど渡され、家族の共同作業で15個の箱を40分位で完成してくださいとのこと。さて我がチームも作業が始まった。先ずジージが新聞紙を15個丸めてしまう。次に四角い箱を作るべく厚紙を曲げていく。それを孫が糊付けして、箱がへこまないように丸めた新聞を入れ込んで最後の糊付けをする。うまく糊付け出来なかった部分はテープを張って出来上がりとなる。最初は引き受けたときの気持ちそのままだったが、途中から回りを見まわし焦りも出て、真剣モードに入った(苦笑) 全家族ほぼ予定時間内に完成。 続いて展示室に移動。 ここで子供たちに映像を使って説明があり、講師から質問も飛ぶ。ジージも漠然とは知っていたが、初めて知ることが多く一緒に学ぶことが多かった。 再び教室に戻り、大きなピラミッドを使って生態系が崩れることの恐ろしさを学び、最後に「生態系ピラミッド」を完成させて、それぞれ持ち帰った。 下の写真は完成した正解のもの。孫は自分で作り上げたピラミッドが正解だった。尚、ここで「生態系ピラミッド」の説明は「釈迦に説法」になるので省きます。
2013.08.02
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