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8月に新築された家に一人で住んでいるNさん(70代?女性)のお宅を訪ねた。最新設備というのは、いつの時代にも、うらやましく気持ちのよいものである。が、ご当人にしてみると、なかなか単純にそうは言い切れないものらしい。たとえば、最新式トイレ。Nさんの説明だと、ドアを開くと、自動的に蓋があき、立ち上がると勝手に水洗の水が必要量ながれ、ドアをしめると蓋もしまるのだそうだ。(本当に、ドアがしまると同時に蓋が閉まるかどうか、どうやって見たのだろう?)説明を聞いて、「まあ、なんと便利そうな」と私は感動したのだけれども、Nさんは「将来、介護がいるようにでもなれば、こういうトイレも便利だと思うのだろうけれども、なんだか、夜なんか怖くなってしまって・・・」と、コンセントが抜いてあって、今のところは、フツーのトイレだった。想像してみると、なんだか本当に怖そうだ・・・たしかに。一人住まいしていると思っていた家に、まるで誰か他の人も住んでいるみたいな気持ちさえして、不気味かもしれない。ちょっと(でもないか?)前までは、こんなのはSFの世界だったもの。
November 28, 2009
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都美術館に、冷泉家(王朝の和歌守)展を見に行った。 私よりも、ずっと熱心に鑑賞していらっしゃる方々が大勢いらして、そこまでは理解できていないような気がする自分が恥ずかしくないこともなかったのだが、私なりに鑑賞。中でも感心したのは、勅撰和歌集の編纂が盛んだったころに、冷泉家が選者に指名されることが多いので、それに備えて、数限りないといっていいほどの、個人歌集を作って準備をしていることだった。もちろん、それも美しい墨書きだけれども、そこに見せ消しの後があったり、印をつけたりして冊子仕立てにしたものとか、紙を長く貼り合わせて巻き物仕立てにしてものとか、「書」として書いたものではないのに、それぞれ墨つぎ具合まですばらしくて・・・百人一首を作るときにも、多くの作者作品の中から100人を、またそれぞれの1首を選んでいく作業が垣間見られる展示もあり、和歌守の心構え・・・というか、編集者の心構えと言うか、今でも通じるものたあると思った。また、時間がたっているので、色あせたり、茶色くなったりはしているけれども、その料紙の美しさにも、目を見張った。源氏物語の殿方・お姫様方は、こういう紙のなかから、いろいろ考えて選んで歌のやりとりをしたと想定されているのだろうと思ったりして楽しい。(劣化している紙も、それなりに、末摘花さんの手紙を連想させたりするではないか。)音声ガイドを頼りにひと通り見終って外に出てくると、上野公園ではまだ他にも、皇室の宝物の展覧会も、ローマ帝国の展覧会も開催されていて、それぞれがにぎわっていた。滅多にこないことだから、きっと若い時だたら、もう一つくらい梯子をしただろうなあ・・・と思いつつ、なんだか頭がいっぱいになってしまったので、おりしも黄葉になった銀杏を眺めながら、まっすぐに帰宅した。夜になって、ふと、「冷泉家ごっこ」をしてみたくなり、自分が2009年に発表した歌を、半紙に書き連ねてみた。「冷泉家ごっこ」だから、失敗したところは、傍線をひいて脇に書き直せばよいという風に気楽にすすめて行ったら、これがけっこう楽しく・・・ ま、言葉でいろいろ書いたり言ったりするよりも、こういう遊びをして夜更かしをした事実の方が、私の展覧会の感想ということかもしれない。
November 27, 2009
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60代最後の誕生日。大台に乗る前の年の誕生日は、いつもそんな歌を作って、よっこらしょっと年をとるのに、1ケ月もすると、別に気にもならなくなるのだから、どうせ今回もそんなものだろうけれども・・・。50代最後の誕生日と大きく違うことは、SKYPEの画像付き電話で、カナダの5歳の孫から東京にいる私に電話がかかったこと。買ってもらったばかりのスケート靴を一生懸命見せてくれたのだが、画面に近づけすぎてそれがスケート靴と気づくのに、少々手間取ったりの不手際はあっても、そこは私も祖母だし、十分楽しかった。こちらからは、窓からカメラを出して、道路の反対側にあるセブンイレブンを見せた。カナダで私が住んでいるマンションの向かいにも、同じセブンイレブンがあるので、「え?日本でもセブンイレブンの前に住んでいるの?」と孫にはかなり受け、大笑いをしていた。それと、外でたくさん実をつけている下記を映してみせた。カナダでは柿の木を育てるのがむずかしいらしく、カナダで売っている柿は輸入品ばかりなので、「柿はこんな風にして、樹になっているのよ」と、ちょっと「教育グランマ」自分が子供を育てていたころは、家庭でテレビ電話を使うことなど、考えられなかったのに・・・。それどころか、私の姉も父母も、テレビ電話をついに経験することなく、彼岸に行ってしまっているのを思うと、またまた老人的感慨におそわれる。
November 26, 2009
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電車に乗ったら、向い側の席に座った七人が、全員ケータイ電話を片手に持って、もう片方の手で荷物を押さえ、目をケータイの画面に釘付けにしていた。最近、電車の中でケータイを使っている人が多いことは多いのだけれども、全員そろってというのは、ちょっと珍しく、おかしいような、おそろしいような。思わず、右隣の席に座っている夫に小声で「前の方達、みなさんケータイしてるわね」と言ってしまったのだが、最近、大きな声しか聞こえてくらなくなった夫は、相手にも聞こえそうな声で「えーっ?」と聞き返す。もともと人のことをとやかく言うのは行儀の悪いことだし、大声で言いなおすわけにもいかない私は「いえいえ、たいしたことじゃない。忘れて」と慌てて話しを打ち切る。(ちっとも学習しないワタクシである。)でも、左隣に座っていたお嬢さんには、ちゃんと聞こえてしまって、「クスッ」と笑いながら、「ほんとうに、そういえばそうですね。まあ、私もやってはいるけれども、全員って、ちょっとめずらしいですね」とおっしゃる。なんとなく、左隣さんとケータイについての世間話がはじまり、「こういう風にまったく知らない人と話しをするのも、随分ないことだな」と思っているうちに、次の駅について、右から3番目の人が降りていった。「次の人は、どうでしょうね」と、左隣さんと見ていると、二十台の男性が乗ってきてその席に座った。手には何か黒い小さい機械を持っていたので、「あ、この人もかな?」と思ったがよく見ると、MPプレイヤーらしく、その男性はイヤーホーンをつけたまま目をつぶった。結局、全員揃ってメール中というのは、わずか2駅くらいの間だったし、いくら面白いと思っても写真をとるわけにも行かなかったけれども、「いまどき」感のある場面だった。
November 26, 2009
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恋するとまわりの人が岩になる岩の間に花が一輪(渡邉是能)平成20年度「NHK全国短歌大会」ジュニアの部入選作品の一首で、作者は中学二年生。短歌研究11月号の笹公人の「中高生短歌の現在形」に引用されていた。とても率直で、大人から見ると楽しい一首だけれども、落ちついて振り返ってみると、「そう、そう、それに近いことってあったっけ!」と、どなたも思い当たるところがおありでは?結婚してみると、まあ、それぞれにいろいろあるわけだけれども、時にこういう歌を読んで昔を思い出してみるのは、marriage counselingなんかに行くのよりもよい〈おまじない〉になるのではないかしら?そういえば、結婚した時の初心を忘れないために、時々結婚式の写真を出して眺めると富山のOさんに伺ったことがあったっけ。
November 24, 2009
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自分でも、「元気だなあ」と感心しながら、コスモスの東京歌会に出席。本日の最高点は葡萄(えび)色のタオル吊してふかぶかと洗面所より晩秋になる(田中幸子)で、選者票4プラス会員票18で、他を引き離していた。* 葡萄(えび)色が効きている。色感がよい。* 日常的なことを詠んで、日常的にならない良さがある* 下の句の新しい感じがよい。などの褒め言葉がでたあとで、「ふかぶかと」が少々問題になって* これがいろいろに働いて場面を抽象化してしまうから、「ふかぶかと」ではなく、どういう風に吊り下がっているかが、物として見えてくるように歌いたい。* 今年という時代が、後になってもわかるように、たとえば葡萄(えび)色のタオル吊して二千九年洗面所より晩秋になるとしてはどうか。などの意見がでた。第三句を入れ替えただけで、随分感じが変わったのが興味深い。
November 22, 2009
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JRパスは今日一杯で無効になるので、ひたすら東京に向けての移動日。朝、8時32分出雲市駅発特急「やくも」で岡山(11:38)に行き、(大山の裾野を肉眼で見て、頂上は心眼で見る)(初めて名前を聞く駅にも止まり)(分水嶺もすぎ・・・)(流れに目を休めて・・・)岡山から大阪行き新幹線に乗り(清々と田畑を見渡し・・・)さらに大阪から品川まで、別の新幹線に乗り換え・・・(雲に隠れた富士山を想い・・・) さらにさらに、山手線・井の頭線などを使って5時頃帰宅。8時間半・・・というと、バンクーバー・成田間の飛行時間よりもわずかに短いくらいの乗車時間。それでもあまり疲れないのは、途中で歩きまわれるし、列車がすいていたからだろう。とはいえ、とはいえ・・・・日本は狭いなんて言ったの誰かしら。
November 21, 2009
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午前中に石見銀山を見たあと、午後からは松江に行き、松江城に行き、お城を見たり、武家屋敷を見たり、堀端を歩いたり、小泉八雲の記念館を見たり・・松江は、私の母が幼いときに住んでいた町である。両親や姉たちと一緒に暮らして、特に幸せだった記憶があったらしく、松江と、そのあとに住んだ金沢については、折に触れて話を聞かされていた。晩年に観光旅行をしてみたら、かつて住んでいた家は武家屋敷として公開されていたとかで、「ぜひ見てきてね」と言われていたのが、今ごろになって、やっと叶ったという次第。立札には、以前、陸軍が使っていたということは書いてあったが、はたして、母が幼い時に住んでいた家が実際に、その家であったかどうかは、わからない。 多分、そういう何軒かの武家屋敷の一軒と、作りの似た家だったということだろう。ま、娘にはそれで充分であるけれども。
November 20, 2009
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広島を早朝に出て、下山口経由で出雲に向かった。コスモスの大会で来た湯田温泉や、その時、先輩の息子さんのドライブでつれていっていただいた津和野などを車窓から見て、出雲についたのは昼頃。駅前のホテルがとってあったので、荷物だけあずけて、出雲大社に行く。神様たちの「全国大会」があった神在月も終わったせいか、人影はまばらだったが、評判とおり厳かで心改まる大社であった。これまで見たなかで一番太いしめなわの下でおまいりし、 これまで見たなかで一番大きい日の丸が森にはためくのを見ながら、古代出雲歴史博物館に行く。 「大量に出土した弥生時代の青銅器や、古墳時代の豪族を飾った金銀の太刀」の展示を見るのが目的。こんなにたくさんの銅鐸や刀が、まるで菓子折りにならべた菓子のように、展示ケースのなかにぎっしりならんでいる前に立つと、自分が異次元の世界に迷い込んだような、不思議な気持ちになる。今、自分が立っている空間と同じ空間に、その頃どういうことが起きていたのだろうか・・・このあたりの気持ちに、いろいろな想像を加えたら、短歌がたくさんできそうだなあ・・・と思いつつ、かなりの時間を、その展示室で過ごした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・往復とも、駅から大社まではバスを使ったのだが、出雲大社前のバス停は、小さな建物付きで、ちょっと一休みができるようになっていた。そこに、トイレだの、飲み物の自動販売機だのコインロッカーがあるのは普通だったけれども、珍しかったのは、デジタル写真のプリンターや ケータイ電話の充電器が 備えられていたことだ。便数の少ないバスを待つ間も、自分でとった写真をプリントしたり、電話の充電をしていたりすれば、退屈しないだろう。なかなかのアイディアだ。
November 19, 2009
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宮島へ。厳島神社にお参りする前に「少し」歩こうという提案に賛成し、無数の階段を上って、弥山の頂上へ呼吸を整えながら見る瀬戸内海の青が、美しい----が、今度は、そこから下りる階段が実力不相応だったらしく、途中から脚が文句を言いだした。下におりてしまえば、どうということもなくなったので、かなりの人出の中、お参りもして。帰りのフェリ-から振り返ると、弥山は360mながら、かなり尖った高い山に見え、ちょっといい気持ちであった。
November 18, 2009
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瀬戸の音戸瀬戸内の海を目前(まさか)に照る陽また風さへ眩し君のふるさとえにしもて来遇へる君のふるさとの瀬戸の音戸に親しみ浸るみそなはせ 君を偲ぶと「コスモス」の歌友百人ここに集ふと繁歌碑十年祭に来遇ひたる園に音戸のうぐひすを聞く(武田弘之 『地上天上』より)竹原から広島に行く途中、呉で江田島の見学をしたあと、音戸の瀬戸公園にある歌碑を見てきた。呉の駅で江田島に行く交通などを調べていた時に、音戸の瀬戸が地図の割と近いところに見えたので、「江田島のあと、ここに行く余裕があるかしら」と夫に聞いてみたのが話の始まり。「時間があったら行こう」という返事だったが、江田島では「今朝の雨で滑るからやめなさい」と古鷹山に登山するのを止められたので、結果的に、時間はあるようなことになった。呉の観光案内所で「音戸の瀬戸公園に行くには?」と聞いてみると、バスにのれば30分もあれば行けるということだったので、今度は「葛原繁氏の歌碑の場所は?」と聞いてみたが、これがわからない。「公園の中だと聞いていますが」と重ねて言うと、あちこち調べて、平成5年9月の「呉市政だより」から「音戸の瀬戸公園内の碑」というページを見つけて、そこに葛原氏の歌碑もあるのをみつけ、コピーしてくれた。(とても親切な窓口!)でも、バスの便まで30分待つことがわかったので、駅にたくさんいるタクシーの一台に地図を見せて、「いくらで行けますか?」と聞くと「2000円くらいかな?」との返事。ということは、10分後には到着と思い、片道だけタクシーと決めて乗った・・・まではよかったのだけれども、だんだん山の上に登っていって、営業していないホテルやロッジを通りすぎ、墓地と木々しかない道の行き止まりのところでタクシーがとまった。「ここまでしか車は行けませんが、この上あたりにあるはずですからあとは歩いて登ってください。」と言うがどうも、私が聞いていた場所とは感じが違う。私のけげんな顔を見て運転手さんは名刺を渡してくれ「帰りに困ったら、電話してください。迎えに来ます。私を名指ししてくれれば、この場所を覚えていますから」と、たよりになるようなならないようなことを言って、帰って行ってしまった。今回は、娘が用意しておいたケータイを持っているので、その点は心強いものの、曇り空と茂った木のおかげでまだ3時だというのに薄暗いし、斜面には墓地が散在するだけだし・・。少し先に登って様子を見た主人が、「この上ではありえない」ともう一度地図を見てなにやら見当をつけた感じで、「こっちだ」と車で来た道をどんどん下り始めた。「山ひとつ間違えて登ったぞ」ということらしい。(あとでわかったけれども、これを更にのぼると、平清盛公日招き像があるらしい。)車の通れる道をしばらく降りると分かれ道があり、さて、どちらへ行けばよいのかと迷っていたら、犬を連れた60代くらいの女性が来たので、「音戸の瀬戸公園にはどちらに行ったらよいのでしょう?」と、地図を見せながら私が聞いてみると、「さあ、どういけばいいだろうなあ。地図は眼鏡がないから見えないけど・・・とにかく、はやく町におりないと、この辺は猪が出てくるよ」と脅かして、急ぎ足に立ち去ってしまった。「おいおい、今夜は牡丹鍋かよ」などと夫がふざけながら、ひょいと細い横道に入っていく。「横道なんて行くと、それこそ猪がでるぞ!」と思ったけれども、ともかく、ついていくと、目の前が少し開けて、カーテンをしめた休憩所と飲み物の自動販売機があるところに出た。で、その隣の藤棚の下には誓子・多佳子の師弟歌碑(字が薄れてよく読めないけれども)と思われる二つの歌碑。ということは、このあたりが音戸の瀬戸公園の一部に違いない。「ほい、こっち」と夫の指差すところをみると、「呉ふみあき記念碑、森野数夫歌碑、葛原繁歌碑」との指標があり、細い階段と坂道を登るようになっていて・・・その上にありました!写真に見ていた歌碑が。おりしも、あたりは暮れかけて、歌碑に彫られた夕空のもともろともにしづまれり瀬戸に見さくるにし東の海のリアルタイム。歌碑建立のお祝いの時など、これだけしかない細道に、大勢の人がどうやって集まれたのかといぶかるられるほどのところだったのが想像とちがったが、10分ほどそこにいて、あとは指標にしたがって、途中、吉川英治の文学碑なども見て、足元が暗くならないうちにと、ひたすら階段を下りると、大きな駐車場があり、たまたま呉行きのバスがいたので、かけこみ乗車。(私はむしろ、よろけこみ乗車)。かくて、「古鷹山登山よりも複雑だったね」と笑い話で終ったけれども、ちょっとスリルのあるこの「文学散歩」、あとでわかってから地図を見ると、二倍以上の回り道をしていた。(急に言い出した私も悪かったし、観光案内所は親切だったけれども、出してくれた地図のコピーが解りにくかったし、バスでなくタクシーにした私の判断も悪かったし、タクシーの運転手さんも親切だったけれども早合点のところがあったし・・・よい勉強になりました。)
November 17, 2009
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福山からバスで鞆の浦に行った。「歴史のある有名な土地なのに、妻が知らない」のを知った夫の、女房教育の一環。一番印象に残ったのは、出会う人々の表情が柔らかく、すぐよそ者とわかる私たちにも、「おはようございます」と、笑顔で声をかけてくださったこと。思えば、30年前くらいには、カナダのバンクーバーもこんな風だった。その後、竹原に行く。かぐや姫の話と結びつけて、竹の中にかわいいお姫様が座っているポスターを見かける。やはり静かな町で、お寺は神社が多いし、人々もやさしい。鞆の浦でもそうだが、神社仏閣に寄進をしている人の名前、商店や一般家庭の表札その他に「村上さん」が驚くほど多い。はるか昔の日本史で習った村上水軍の流れを酌む方々なのだろうか。この日は竹原泊。主人が予約しておいてくれたホテルの名前は「ホテル大広苑」だったが、字から受ける印象が「広辞苑」みたいで、ついつい言い間違えそう。このホテル、なんと、門限があった。食べ物の持込も禁止で、ちょっと驚いた。でも、コンビニ弁当を持ってロビーを通り抜ける人もみかけたが、文句を言われている様子もなかった。
November 16, 2009
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二週間のJRパスを利用して、既にどこかを旅行中の主人と、一週間だけ行動を共にすることにして、福山で合流。その間、体力の違いを、どう調整するかが、腕の見せ所? 主人は退職後、日本のJRの全線にのりつくしたいという少年時代の夢の実現に情熱を燃やしていて、日本に来るたびに、海外在住者や外国人のためのJRパスを買ってあちこち、JRに乗りに行っているのだけれども、私がJRパスを買ったのは、もう18年ぶりくらいになる。 最初にJRパスが出来たころは、改札係や検察係に怪訝な顔をされて説明をしなくてはならなかったことも多かったのに、いつのまにかよく知られる存在になったと見えて、どこの駅でも改札口をさっと通過。まるで、黄門様の印籠のようにかざして・・・でも、ちょっと低姿勢で礼などをして。 広重の波の絵が挿入されているのも、以前にはなかったことだ。
November 15, 2009
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アルツハイマーがひどくなって入院している従姉を見舞った一緒に暮らしていた家のことやら、母親達のことやら、話しているうちに、ふと「奥村先生の短歌教室の新年会だったか、忘年会だったかが楽しかったのよ。どっちだったかしら。」としきりに思いだそうとしていた。どっちでもいいが、短歌のことより、遊んだことを覚えているなんて、真面目すぎるほど真面目だった従姉には、悪いことではないかもしれない。
November 15, 2009
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「沃野」のSさん(中学時代のクラスメート)にお会いしたら、「コスモスの米田靖子さんの『水ぢから』を読んだら、とてもよいから、沃野に批評&紹介を書こうと思っている」という話がでた。好評だとは聞いていたけれども、他結社の外の人からそういわれると、自分のことでもないのにうれしい。「私は読んでないのよ」とは言いにくかったので、これから読まなくちゃ。
November 14, 2009
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五歳の孫のスカイプがONLINEになっていたので、久しぶりに電話をしてみた。"Oh, Obaachan!" と叫ぶようにして出てき孫は、相変わらず半袖Tシャツ一枚で元気そう。こちらが映っている画面を見て不思議そうに言う。"Obaachan, where are you?I can see you...and bookshelves, a little bit of kitchen, a little bit of office, and a litte bit of bedroom staff......Isn't Japan any different from Canada? hahahahaha!"はいはい、とのとおり。おばあちゃんの身辺は、おちついてしまえば、カナダにいようと日本にいようとおなじようなもので、同じように散らかっているのです。片付けてから電話すればよかったわ。窓の外にウェブカメラを向けて、お向かいのセブンイレブンを見せたら、もっと驚いただろうなあ。店の外観も看板もまったくカナダのセブンイレブンを同じなのだから。(当然だけれども)ま、何はともあれ、学校で作ったものを見せてもらったり、習った歌を歌ってくれたり、けっこう遊んでもらって楽しかった。次回は、隣のマンションの庭の柿の木に、実がたくさん生っているところをみせることにしよう。カナダではみられない光景だ。
November 12, 2009
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丸の内を歩いていたら、あちこちのビルに日の丸を見かけた。カナダ暮らしで国旗をあげる習慣に馴れてしまうと、日本で国旗を見かけないことが少し寂しかったが、あげる時にはあげるのだと解って、少し安心したりして。何のお祝いかな?と思いつつ歩いているうちに、「ご即位20年おめでとうございます」というポスター(?)が、東京駅の通路に貼ってあって、納得。おめでとうございます!!
November 12, 2009
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かわいいオバアチャン人形を見かけて、衝動買い。 滅多に衝動買いはしないはずの私なのだけれども、気が緩んでいたのかもしれない。それにしても、なんだか、ほっこりとゆとりのある明るくてかわいいオバアチャン人形。これからは、私もこんな感じのおばあちゃんになれますように!
November 11, 2009
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人形町の人形市に行った。テント形式のブースが、人形町通りの両側の歩道にずーっと並んでいた。案内マップによると、56店だそうだ。お目あては、マクドナルドの近くに立った「山ぶどう」のブース。コスモスのお仲間 & ブログのお仲間 のたまにやんさんをが、出品しておいでと伺ったので・・・。ブログに写真の出ていた猫ちゃんのお人形があったすぐ見つかったけれども、すぐには声をかけられない人気ブースでした。 ひとまわりして戻ってきて、折り合いを見て、ゴアイサツ。お会いしたことはないのに、この方に違い無いとすぐわかって声をかけるのも、オバーチャンなればこその度胸かな?きちんとしていて、先生にも大事にされている生徒さんだった。立ちよる人たちの質問にも、丁寧に答えていらしたし・・・さすが!思い切り手のかかっている、細かい細かい裂き織の服や袋物やマットを見せていただきながら、こういうものは、やはりあきないで織り上げる根気と、いい加減なことでは妥協せずにすぐにやり直す誠実さと潔癖さと、美しいものが好きという心がなくてはできないのだろうな・・・と思った。(仕立ての技術も必要だし)たまにゃんさん、先生! お仲間のみなさん。ありがとうございました。とてもよい目の保養をさせていただきました。☆ 私には、こういうことは出来ないのだけれども、織については、亡くなった姉が、30代の頃、某美術大の講座を受けにいったりして、織機も自宅においていたりしたので、なんとなく、懐かしい思いがあって、つい目が行く。ある時期には、そういうものを見るのがとても哀しかったりしたものだが、亡くなってから30年近くたった今は、ただ懐かしく、暖かい気持ちになれる。時が思いを熟成させてくれたのか・・・もしれない。☆ 「山ぶどう」といえば・・・札幌の植物園で紅葉した山葡萄の葉を見た。ちょっと大きめの葉が常緑樹にからまっていたのが、とても美しいので何の葉だろうと近寄ったら「山ぶどう」と書いてあった。
November 10, 2009
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義妹が、いろいろに落款を作ってくれたので、意識がその方に行っているせいか、本屋さんでみかけて買ってしまった本。「知らないで使うのと、知って使うのとでは、みかけは同じでも違う・・・」というのは、タテマエの話で、今まで知らなかったことが多すぎるとわかり、ちょっとはずかしくなるような本であった。
November 9, 2009
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日本に一時帰国をしてから、18日。その間、「松井選手のヤンキーズ」という言葉を、テレビやラジオで何度耳にしたことか・・・。「松井選手の(所属する)ヤンキーズ」の ( )部分をこちょっと省略しただけで、しかも、そのために親しみを持つ視聴者もいるであろうことは容易に推察できるけれども、さあ、それでいいのかな?たとえば、蒙古で「朝青龍の大相撲」と放送したら・・・日本での反応はどうなのだろう?
November 8, 2009
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『さまらばれ』は、書と表装:久保椋佳、歌と添え文:草市潤 の本。意味としては、「さもあらばあれ」ということだという。短歌にしても、俳句にしても、また文章にしても、書に構成される場合は、書家の考え通りでよく、たとえ原作の字を多少変えてもよいのだと聞いている。でも、それでは、一字ずつ考えて言葉を紡いだ人の立場としては、心外な場合もあるだろう。であれば、自分の言葉を、自分の字で書けるようになれば、一つの完成の形である・・と思っていたのだが、それだけではなかった。今度は、その字をきちんと見せられるものにするには、表装の作業が必要だったわけである。費用の関係もあり、人に見せる必要がない関係もあって、私が自分の作品を表装してもらうことは、学生時代にしか経験していないが、そういう場合も、自分で知識がないので、プロの方のオススメにしたがって、適当なところでお願いすることになっていた。文+書+表装を一人でやれれば、それはより完成した形になるのだけれども、よりよい技術を求めれば、理解しあった同士での、異業種交流ということになるのだろう。それがこの一冊。草市潤の言葉が、久保椋佳の書と表装で美しく、あるいは渋く、シックに活かされて、楽しい一冊であった。中でも、一番好きだったのは、この一枚。思わず、豊かな世界に触れた気持ちがする。 <(うまくスキャンできなくて、少しまがってしまいましたが・・・)
November 7, 2009
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〈T高校を51年前に卒業した人たち〉と、〈同じ年にS高校を卒業した人たち〉のゴルフの親善試合 または 対抗戦があり、〈S高校を51年前に卒業した私〉も、今年は仲間に入れていただいた。・・・・・・・・・・・・・・・・・場所は、神奈川県小山市の富士グリーンヒル ゴルフコース。東名に乗った頃から、富士山が見えはじめ、快晴&適温。・・・・・・・・・・・・・・・・・「グリーンは、富士を背にして右方向へ速い」と説明を受けたので、グリーンに乗るたびに、あたりを見回して富士山を探す。そんなに頼りにされているとは知らない富士山は、泰然自若で美しい。あっちでもこっちでもそれぞれが、笑ったり、嘆いたり、開きなおったりしながらラウンド中。結果は相手チームの圧勝だったし、私も相手チームの勝ちにはおおいに貢献してしまって申し訳なかったのだけれども・・・それでも言わせていただけば、楽しかった。そもそも、高校時代に、50年後にこういうことがあるなんて想像もしなかったし・・。
November 6, 2009
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文京区の大円寺に墓参に行く。いろいろの経緯があった後で、婚家と実家、両方の墓が10メートルと離れないところにあるので、労を惜しむわけではないが、結果的に「便利」である。(こういう言い方は失礼ではあるのだけれども) xxxxxxx お寺の本堂の仏様たちにも、境内にある観音様にも、子育て地蔵さまにもお参りして、最後に、門の傍の ほうろく地蔵さまにお参りしてくるのが、恒例のコースなのだが、 今回、気が付いたのは、ほうろく地蔵さまに納められている多くの焙烙にかかれている願い事の内容。脳梗塞、脳出血、うつ病、眼病、くも膜下出血 などの病気の平癒といってしまえばそれだけだが、年齢のせいか、その一枚一枚に必死さが読み取れて、「どうか、みなさん、治っていますように」と、本気で手を合わせてしまった。これまで、焙烙に書かれている字に目をとめたことはなかったのに、今回、ふと注意を惹かれたのは、だんだん、そういう病気が他人事でなくなってきたということだろう。ちなみに、立て札によると、ほうろく地蔵は 八百屋お七にちなむ地蔵尊。天和二年(一六八二)におきた天和の大火の後、恋仲になった寺小姓恋しさに放火の大罪を犯し、火あぶりの刑を受けた。お七を供養するために建立されたお地蔵さまである。 寺の由来書によると、お七の罪業を救うために、熱した焙烙(素焼きのふちの浅い土鍋)を頭にかぶり、自ら焦熱の苦しみを受けたお地蔵様とされている、享保四年(一七一九)に、お七供養のために、渡辺九兵衛という人が寄進したといわれる。 その後、このお地蔵さまは、頭痛・眼病・耳・鼻の病など首から上の病気を治す霊験あらたかなお地蔵様として有名になった。 お七が天和の大火の時に避難し、墓もある円乗寺はすつ近くにあるとある。
November 4, 2009
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バカなことをしてしまった。万一、どなたかの参考になるかもしれないので、恥を忍んでUP。数日前、玄関ホールの電球が切れた。(ここまではよくある話)切れた電球を外そうとすると、ソケットにいれる金具部分が電球について来ず、外れてきたのはガラス部分と多少の金属線。「ソケットと、電球の接触部分がさび付いてしまったのかな? 以前、カナダで屋外につけておいたクリスマスライトにもこういうことがあって、息子が修理してくれたっけ」とか、軽く思ったが、外すべき道具もなく、道具を買いに行くよりも電気屋さんに頼んだほうが早いかと、商店街の電気屋さんに依頼した。ふだんは、電機用品をその店で買うことはないのに、悪いとは思ったが他に心当たりもなく。で、家に来てくれたご主人が呆れて言うことには、「電球が大きすぎたんです。これは40Wまでしか入れてはいけないソケットです。 そこに、100W なんか入れるからこういうことになるんです。すごい熱を持ってとけてしまってるじゃないですか。」外してもらった部分をみると、たしかに溶けて・・・。そして、さらに眼鏡をかけてよくみると、薄れた字で受け口の方に「40Wまで」の表記もあった。「これで電球が切れたからよかったんですよ。そうでなかったら火事になる可能性もあった」・・・なんて脅かさないでくださいよ。その前にヒューズが切れるでしょう?早速そこを修理してもらって、一つだけ電気屋さんが持ってきてくれた省エネタイプのW数のわりには明るいという電球に交換してもらった。(でも、暗い)電気屋さんが帰ったあと、他のところも全部チェックしたら、同じタイプの照明器具が他に、5箇所もあったので、この機会に全部電球を取り替えようと、ひとつずつ外したら、一箇所だけだが、外そうとした電球が同じように壊れてしまった。「悪いけど、もう一度・・・」と電気屋さんに来てもらい、そこを直して、「新しい電球はうちで買ってよね」と言われて「はい」と言ったら「安くしますが、とりよせに2日間かかります」とか言われ・・・請求書は出張費2回と修理費と電球五個と合計約2万円と、完全復旧まで4日間。結果は、安全で暗い家庭になった。火事になって、自宅ばかりか他所様にご迷惑をかけたかもしれないと思えば、2万円は安いのだろうなあ・・・とは思うが、息子達に知られたら「おかあさんっ!」と叱られそう。最初に来てもらって、電気屋さんがいるうちに、他の箇所をチェックしたら、すくなくとも出張費一回分は倹約できたのに・・と、これもバカだった。
November 4, 2009
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今日訪ねた某一流会社で、30代の女性担当者が「この運用は当社で担当しておりますので、私にお伺いください」と言ったり、資料を差し出して「どうぞ、拝見してください」と言ったりする。たまりかねて、「はあ、拝見させていただきます。」とわざと恭しく受け取ってみたりしたけれども、そのお嬢さんにも、立ち会った上司にも私の気持ちは通じた様子はなかった。そういうことばかりに気をとられて、話の本筋を聞き逃すといけないので、極力、気にしないようにして用事を済ませてきたのだが、妙に疲れた。
November 2, 2009
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