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ひさしぶりに、吉祥寺駅北口付近を少し歩いた。昔の闇市の区画割がそのまま残っているような、ハモニカ横丁。代替わりはしているだろうが、私が三鷹のY電気に勤務していた頃と匂いは同じ。アーケードを五日市街道にむけて歩いていくと、右側に、この道がアーケードになる前からあった漢方薬局がまだあった。まだ開店前だったので、外からのぞくと、周囲の壁に沿って、引き出しのたくさんついた棚がならび、ショーウインドーには、瓶に入った標本のような薬が並んでいた。20代の頃は、無縁のままに通り過ぎていた私だが、60代の今は、「今度、店があいているときにまたきてみよう」などと思う。店は変わっていないけれども、その前を通る私の方は、すっかりかわってしまっているようだ。
February 28, 2009
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ひさしぶり・・・といっても、「一年未満ぶり」なのだが、中央線(または井の頭線)吉祥寺駅の北口方面を歩いていたら・・・五日市街道との交差点付近に大きなパーキング・ビルがあった。「え? こんなのあったかしら?」とちょっと考えて・・・すぐ気が付いた。これは、LAOXのあったビルだ。でも・・・まさか、パーキングになるとは!(となりに、小さいバーキングビルはすでにあったし)考えてみると、私はこのLAOXには、以前は随分お世話になっていた。1986年に富士通のワープロを買ってから、あれや、これや・・・ハードからソフトまで、まあ、いろいろ。母からたのまれる電気関係の「おつかい」もたいていLAOX吉祥寺ですませていた。なのになのに、数年前に、LAOXのならびにヨドバシカメラができてからは、ヨドバシカメラの前を通らなくてはLAOXに行けないこともあり、つい、手前の店に入ってしまうようになった。たとえ、見るだけの時でも。しかも、その階上にユニクロもあれば、どうしてもそちらに足が向く。さらに、昨年には、私の東京での滞在先から70メートルくらいはなれただけのサミットストアの上階にEDIONが出来たので、サミットでの買物もかねて、もうもっぱら、ご近所で便利をさせていただいていて、吉祥寺に行く回数も減った。サポートもしないで、閉店を残念がる私もどうかと思うが、大きな店がパーキングビルに変わるのは、なんとなく町から華やぎが減ったような気がするのは、なぜだろうか?我ながら、わがままで身勝手な感慨である。
February 28, 2009
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国立新美術館に「加山又造展」を見に行った。 壁一杯の大きな絵に、細かく細かく、技術の粋を尽くして完成された絵の数々を、間近に見られたのは本当に幸せで、要所要所での音声ガイドの助けもあり、よい時間をすごした。期待していった「夜桜」の絵もよかったのだけれども、特に圧倒されたのは濃淡の黒白だけで構成された「月光波濤」。白を、こんなに激しい、鋭い色だと感じたのは初めてだった。絵葉書を買ってきたので、ここにUPしたいところだけれども、問題があるといけないので、UPは入場券だけにしておく。(冒頭の「加山又造展」の文字をクリックすると、展覧会のホームページへのリンクがはってあります。) また、音声ガイドが「倣北宋水墨山水風景」のところで加山氏の言葉として (「倣」と入力してある字は、本来は真中の「方」がない字なのだが、ブログが受け入れてくれないので、便宜上、ここでは「倣」を使用した。ただし、これは単なる模倣ではなく、中国で明時代に一つのジャンルとして成立したものを意味するとのことなので、「模倣」の「倣」で代用するのは不本意だけれども)私は模倣を恐れない。継続しているものが模倣をすると、ただの真似だけれども、私の作品は、模倣されている作品との間に断絶がある。断絶しているものが模倣をすると、まったく新しいものが生まれるのである」(私の記憶をたどって書いているので、多少のくい違いがあるかもしれないが。)という趣旨の引用があった。「断絶したものを真似して、新しいものを生み出す」というのは、解るようで解らず、解らないようで解る言葉だけれども、しばらく暖めて考えてみたい。(もしかしたら、短歌にも通じる言葉のような気もするし)
February 27, 2009
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歩行禅と名を付け歩くおのが禅独立独行みちくさ自由(コスモス、武蔵野支部歌会詠草)24日に開かれた武蔵野支部大会に参加させていただいて出会った一首。「歩行禅jというのは、作者の造語だろうが、言葉としては面白い。作者の自負心を感じる。と批評されていた。私も、これまで「歩行禅」という言葉を聞いたことがなかったけれども、作者の造語だと信じ込んでいて、辞書をひくこともなかった。ところが今日(26日)、NHKのスタジオパークをみていたら、ゲストの俳優、滝田栄氏のインドで修行した禅の話と、座禅の基本の指導があり(私もテレビの前でやってみた。)、 坐れない人は坐らなくってもいいんですよ。痛い姿勢はしなくてよいです。立っている人は立ってやる立禅、歩いている人は歩いたままの歩行禅というのがありますから。思い切り息を吐いて体を空っぽにしてから、大きく宇宙を吸込むように息を吸込むことを2回してから、1メートルほど先の床をみながら、おちついた呼吸を繰返してください。(要旨のみ)というような話をされていた。なあんだ、そうだったのか・・・。「歩行禅」は作者の造語ではなく、禅の方では認められている用語だったのである。作者は、批評を聞きながら、さぞ歯がゆい思いをしたことだろうと思われる。
February 26, 2009
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バンクーバーの日刊紙、Vancouver Sunによると、バンクーバーでは所により18センチまで積もる雪だとか。今年のバンクーバーは、本当に不順だ。雪掻きをしたり、塩を撒いたりする費用は、もうとっくに予算オーバーなのに!! ところで、今日は2月26日。2月26日で雪・・・といったら、私には2・26事件と切り離しては考えられないのだが、今の日本では、「玉置浩二と石原真理子の電撃結婚」の方がずっと大きな事件らしく、私の見るかぎり、2.26事件は、もうすっかり忘れ去られている感じだ。ま、それだけ時間がたったということなのだろうが、あの事件の処理が、その後の日本の歩みの方向に大きな影響をあたえた事件だと思うのだけれども。
February 26, 2009
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「おくりびと」が外国語映画部門でアカデミー賞を受賞。この映画の名前と、それが納棺士のストーリーであることは大分以前から知っていたのだが、年齢相応に別れを重ねてきた私としては、どうも「見たい」という気持ちはおきなかった。2週間ほど前だったか、夫君を最近亡くされたばかりの昔の同級生から、「見てきましたが、とてもよい映画で、心がなぐさめられました。」というメールが届いたときも、「日本に行ったらぜひみよう!」というほどの積極的な気持ちになれなかった。ところが、このたび、映画の紹介が何度も何度もくりかえし放送されるのを見ているうちに、私の父が、長女である私の姉、菊子を送った時、生徒さん方が出してくださった追悼文集に書いた文章の一部を思い出して、少し気持ちが変わった。口ではいわなかったが、父親は、娘が美しく装って旅立てたことに、とても慰められたようだ。人のそういう気持ちに触れたのたこの映画だったのだろう。今、映画館には大勢の人が詰め掛けているそうだ。きっと、私のように、だんだんに気持ちが変わって見に行く人も多いのだろう。アメリカでも、たくさんの試写会をして、多くの人に、実際にその映画を見てもらうことによって、理解を得て受賞をしたのだと、報道されていた。「おくりびと」というタイトルもよいし、それを「Departures」とする英語タイトルも見事。ちなみに、カナダでは、葬儀の後の集まりを、Celebration of Life と表現することがある。「実りある、豊かな一生でよかったですねと祝って送り出す」という発想には、最初は少し戸惑ったが、最近では、私もかなり気にいっていて、私も「お祝い」をして送り出してもらいたいと思うようになっている。そんな人生がおくれるかどうか、自信はないのだけれども。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以下、父の文章からの引用。おわかれ葬式のとき、どうしてもやめてもらいたいと思う行事がある。それはいよいよ出棺のとき、改めて棺のふたをとって、会葬者にお別れをさせることである。どんなに美人でも、死顔は美しくないにきまっている。なにも人間として一番美しくない顔を衆目にさらし、人に与える最後の印象を悪くすることはあるまい。私はつねづね「あれだけはやってくれるな」と家内に言ってあり、他所様の場合にもあれはご辞退している。当然菊子の場合も最初からあのことはしないことにして、葬儀屋にも式の運びを頼んでおいた。大勢来て下さるであろう若い生徒さんには、死という現実はあまりに厳しすぎるので、できるだけショックをさけ、かつての暖かくて美しい印象をそのまま持ち続けていただくためにも是非そうしたく、本人もそう思っているに違いないからである。葬儀はそのとおり進行し、皆さんが表へまわられた後、葬儀屋さんの手だけで棺の処理が行われたのであるが、生花を入れるとき偶然私の目に彼女の顔がうつった。・・・実に善い顔をしているではないか。・・頬は意外にふっくらしており、細長に閉じられた目が波形に横切って、まことに穏やかな顔付きである。・・・・(中略)・・・・私は、平素の主張をすっかり忘れ「良い顔をしているから会ってやれ」と思わず家族に呼びかけた。・・・(後略)
February 23, 2009
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東京に来たおかげで、「コスモス」3月号のバンクーバー作品を、仲間よりも一足先に読むことができた。今月掲載は、以下のとおり。粟津三寿刈跡に餌をもとむる白鳥の白き尾羽根は泥に汚るる晩秋の雨降り止まぬ刈跡に長き首上ぐ大(おほ)白鳥ら女のみのパーティに追はれ男らは階下の部屋にビール飲みをり生まれくる子は男(を)の子とふ診断にならばと飾る青き風船奥山和子刻刻と陽の上りくる黎明にすべなく染まる雪山の白気になるか夫が時時顔だして妻の麻雀チロリと覗く金淑子調剤の血圧の薬見事にも収めくれたり心臓(ハート)の動悸を年毎に届くカードの数減りて旧友(とも)らの便り遠のきてゆく佐藤紀子同い年なれどまつたく違ふ味 麻生首相と益川博士とりどりの温泉の素買ひ揃へ選びて使ふ 今日は湯布院〈ワンパクは社会性ある人になる〉クラス会での私的統計バンクーバーに雪降る今日を東京の冬陽差し込む縁側にをり菅原美知子寒空にふるへてゐるがの薔薇の花壷に活ければゑみてほころぶお互に趣味の異なる夫と吾の顔合せるは「ハイ」お茶タイム皿洗ふ窓に親しもひとつ星同じ位置しめ我を見守る田中澄江降り続く雨にうんざりする我に良き足止めと娘は笑ひ出す惚けもせず月々詠草送られる我の人生今は仕合せ鳴海登志子ひびきたる拍子木の音に始まりぬ「曽根崎心中」バンクーバーに染め抜きの垂れ幕かかる「曽根崎心中(そねざき)」のファンは大方異邦人たち琴、ピアノ、三味、尺八に拍子木が盛り上げてゆくカナダの歌舞伎
February 20, 2009
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10日ほど前から日本に来ていた夫が、「これを見てごらん」と言って「日本の軍隊」という古びた本を見せてくれた。 1950年(昭和25年)発行の飯塚浩二著。 まあ、古書店をまわるのが好きな彼のことだから、ここまでは、あまりびっくりはしないで「ああ、飯塚氏は、こういう本を書かれたのか」と開いてみたら、表紙をめくったところに、「謹呈 中野好夫様 飯塚浩二」と、すでに茶色くなったページに、几帳面なペン字で書いてあったのにはびっくりした。 お二人とも、もう亡くなれた方だから、持ち物の処分をなさった方があっても当然だとは思う。ただ、日本の将来の平和を思って、心血を注いで書かれたであろうこの1冊を、まだ物資の少ない昭和25年に出版するのも大変だったろうし、贈ったほうも送贈られたほうも業績のある方だから、そういうことも含めて価値があると私は思うのだが、ハードカバーで税込み525円。(当時の定価200円)本屋さんに置いておくよりも、喜んで持っている夫のもとにあった方が、本にもよいだろうと思った。主人が読みおわったら、私も読ませてもらうことにしよう。そっと読まないとバラバラになってしまいそうだけれども。
February 20, 2009
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母の13回目の命日なので、墓参に行く。(本当は、命日の前に法事をしたかったのだが、いろいろあって、日本に来られなかったので、お経は3月1日にお願いすることになっている。)あまり宗教心のない私がこういうことをするのは、ちょっとおかしいと思うのだが、姉や父の法事をきちんとこなしていた母を思うと、やはり、母はしてほしいのではないかと勝手に思ってしまい、お経をあげていただかないと落ち着かない。本当は、亡くなってからそういうことをしても何になるわけでもなく、この世にいる間に、もっとやさしくすればよかったのに・・・と思うのだが、アトノマツリ。昔から誰もがが言う本当に平凡な感慨だが、そういう感慨を持たずにいられないのは、やはり私が平凡な人間なのだなと、実感することしきり。
February 19, 2009
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日本について最初のうちはいつもそうなのだが、早く目覚めた。戸外の気温はわからないけれども、ベランダに出てみると風がつめたくて、体感気温はかなり低いと思う。見下ろしたところ、井の頭通りには、もうトラックがたくさん走っているし、タクシーもちらほら。昼間より多少交通量が少ないという程度だ。歩道には、まだ四時少し過ぎだというのに、向かい風によろよろしながら自転車で大型犬の散歩している人がいた。さて、このみなさんの「元気」に、ちゃんとペースをあわせていけるものかどうか・・・
February 19, 2009
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17日から18日にかけては、バンクーバーから成田への移動日。コスモスに出す詠草を推敲&清書して、友人が自費出版した短編小説を読んで、そのお礼と感想を書いて、映画「東京ソナタ」を見て、その間2度食事をして、少しだけうとうとしたと思ったら、もう着陸。あっと言う間の9時間半だったけれども・・・・やはり若いときのようにはいかず・・・疲れた。
February 18, 2009
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「最近、早起きができなくなって、NHK短歌もNHK俳句もずーっと見られないでいる」と、先週のブログに書いたら、とたんに神経がさめたらしく、先週金曜のNHK学園全国俳句大会も見られたし、今朝のNHK短歌も見ることができた。「したいことがあったら、まず旗印をかかげよ」とよく父に言われていたのを、改めて思い出した。で、そのNHK短歌、選者辺見じゅん、ゲスト天満敦子。以前、バンクーバーの歌会で、Uさんが天満敦子の望郷のバラードの歌を歌ったことがあるのを思い出した。その時、私も、ネットでダウンロードをして聞いたのだけれども、私にも感動的な曲と演奏であった。ゲストとして話される天満敦子氏は、おおらかな感じの方で、こういう方ならあの厚い音色が出るのも不思議はないと思わされた。今日、印象に残ったのは、咳として吐けぬものあり冬の夜は肋骨の檻なることを知る(小原奈美)作者は、17才とのこと。自分の心の中の割り切れぬものを、「咳として吐けぬもの」と表現したり、「肋骨の檻」になぞらえる感覚といい、とてもうらやましい感性。将来、伸びてくる方かもしれないから、名前を覚えておこう。他人ごとながら、どうか、「時分の花」に終わりませんように。
February 16, 2009
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第一話日本では、女性が意中の男性にチョコレートをあげる日ということになっているが、カナダでは、男性が女性にバラの花をあげたりすることが多い。今日も、飛行場を対岸に見る川岸に、鳥を見に行ったら、白いティーシャツとGパンの若い男性が、デジカメを構えている。「まあ、元気のよいこと!」とダウンの膝丈コートの手離せない私は、びっくりした。被写体は?と見ると、上半身全部かくれそうな大きな赤い花束(近くによってみなかったから、よくわからないけれども、多分バラ)を持った、女性。ああ、そういうことか。と思わず、にこにこしてしまった。近くにある車には、店では見るが、車に実際につけてあるのは初めてみるHappy Valentine!と書いたハート型の風船が、宙にふらふら、ぶらぶら。幸せで、寒さも忘れてしまっているのかな? ・・・・・・・・・・・・・・・第二話孫が、行っている保育園では、教室の前に郵便受けがおかれ、そこにI love you letter を入れることになっているのだそうだ。I didn't get any last year, but I hope I will get any this year.と言う。そうか・・。今年は誰かが書いてくれるといいね。君も、誰かに書いてあげたらどう?と言ったら、何やらクレヨンで一生懸命練習していた。しかし、中学ではじめて英語を習ったころには、自分の孫と英語で「愛」の話をするようになるとは、夢にも思わなかったなあ・・・
February 14, 2009
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今年の冬は寒かったので、バンクーバーでの越冬はあきらめて南下したかと思っていたスノーギース、最近、よく空を渡っているのをみかける。これが南下したけれども、春が近づいたから北に帰っていく途中のスノーギースであるか、バンクーバーで越冬したスノーギースであるかは、尋ねてみるわけにも行かないから分らないのだけれども・・・。 あ、あの声はスノーギースだ!とカメラを持って外に飛び出す。大声で鳴き交わしながら、パタパタパタパタとんで行く。そのスピードの速いこと!真っ白な鳥なのだが、逆光で黒く見える。しんがりは、小さな矢形の一群れ。見守るような二羽も一緒に。
February 14, 2009
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バンクーバー短歌会の例会の日。バレンタインでーの前日ということで、かわいい袋にいれたクッキーを配ってくださった方がいて、華やいだ雰囲気があった。また、歌会後、同じ建物にある和食レストランからお弁当をとって一ヶ月遅れの新年会。ひさしぶりに短歌そのもの以外の話として、会のこれからのことなども話し合うことができて、こういうことも必要なのだろうと思った。短歌の勉強は・・・ 私以外の方たちはちゃんとしていらして、はっとするような意見や案がたくさんでたけれども、私ときたら、なんと眼鏡を忘れて、まったく冴えなかった。13日の金曜日って、こういうことなのかな?とか思いつつ・・・考えこんでばかりいたのが恥。
February 13, 2009
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「2010年のオリンピックまであと一年」のカウントダウンの行事が、午後6時からあちこちで始まっている。ラジオをつけていたら、一般の電話で意見を聞くトークショーで、「あなたは、2010年のオリンピックにもりあがっていますか?それともどうでもいいですか?(Are you excited about the 2010 Olympic, or you can't care less?)」という質問を出していた。かかってくる電話の賛否いろいろだったが、日本のテレビで見るほど、バンクーバーの人たちが興奮状態にあるということでもないように感じた。「オリンピックまでに、ホームレスがなくなるように対策を講じる」という公約が、はかどっているように見えないのとか、招致したときには考えられなかったほど経済状況が悪くなり、準備に必要な資金を出してくれるスポンサーが減ったことなどへの心配で、気持ちが消極的になっている人も多いようだ。それでも私の周囲では、うちの夫と長男が、かなりオリンピックに興奮しているのは確かだ。夫は8日から日本に行っているのだが、「少しでもオリンピックのお役に立たなくては」と弟妹や友人へのお土産には、すべてオリンピックのロゴが入ったものを買って行った。実にささやかだけれども、協力は協力だ。長男は、わずかでも協力しようと、車のナンバープレートもロゴの入ったものに変えているし、息子のシャツや下着に、アイロンプリントで、オリンピックのロゴだの五輪だのをつけてやったりしている。スピードスケート場の初めての一般公開の日には、妻子とすべりに行ったりもしているし。私も興味のないようなことを言ってはいるけれども、わざわざこんなことを書くくらいだから、かなりの興味はあるのかもしれない。なにしろ、私が生まれたのは、東京でオリンピックがあるはずだったのが中止になった年だから、こうしてオリンピックを開くことのできる平和のありがたさを、子供の時から叩き込まれているから・・・・かな?
February 12, 2009
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バンクーバー短歌会会員作品薄らと雪積む路地に新しき轍つけゆく黒き車が(とみこ)直ぐ立てるポプラの枝が冬空にビュッフェの線を鋭く描く(友)あまた咲く秋明菊の白き花あるかなきかの風に揺れゐる(奈津)霞みたる目に苛立ちていく度も眼鏡拭きをり顔近づけて(虹) 消防士、宇宙飛行士、パン屋さん、五歳児の夢くるくる変る(のりこ)マリーナのあまたひしめく帆柱に電飾点るクリスマスイヴ (ふみ) 高き枝に柿の実ふたつ光りゐてひそけき里は冬の陽の中(みき)老いたれど三度の食事作り得る今の幸せかみ締めてゐる(みちこ)しろがねの月の光は過ぎし日を思ひめぐらす我を照らせり(ゆりこ) 夏の間を働きくれし菜園に「ご苦労さま」と石灰撒きぬ(よしこ)口開けて日の出パクリと飲みこめば生命(いのち)満ちくる霜降る朝に(茜)起きぬけにくらりと眩暈したりけり地球の軸のややにずれしか(あき)鏡の王女(おほきみ)の墓訪ね得ず冬の日落つる桜井の駅(粟)この潮路押し来る力日々ありて東の沖から年新たまる(唐)「怪人(ファントム)」をニューヨークにて観たること虹見たるごときらきら言へり(梢)パソコンに向ふ時間と反比例夫との対話少しずつ減る(沙羅)九十になりても止まぬわれの癖テレビ見ながら編物をする(すみえ) 葉の落ちし高き梢の枝あひに丸き鳥の巣ありて鳥ゐず(希)
February 10, 2009
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カナダでも、「NHK短歌」と「NHK俳句」を毎週テレビでみることができる。・・・と、これは、あくまでも可能性にすぎないということを最近実感している。短歌的情報は少ない暮しをしているので、せめてこの時間くらいは集中して見ようと、いつも5時にはおきて、しかるべく準備をして、まじめに見ていたのだが・・・・どうも、この数ヶ月、「あっ」と思って飛び起きるともう6時とかいうことが多く、さっぱり見られていない。あとで録画を見ることはできるのだから、かまわないといえばかまわないのだけれども、心構えとして、なんだかすっきりしないので、今日こそは見ようと思ったのに、やはり、ダメであった。以前は、「チャンネル権の獲得には最適な時間」だと喜んでいたのに・・・。もっとも、最近、「ま、いいか」的心境になることが他にも多くて、だんだん生活態度が緩んでいるのに気づく。これが年齢というものかと思うけれども、私の母は、今の私の年齢にはもっともっときっちり暮らしていたなあ・・・。 「ま、いいか。」
February 9, 2009
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TV JAPAN で「ALWAYS 三丁目の夕日」を見た。昭和33年の東京の町を再現してあるということで、その当時は受験勉強などをしていた高校生だったなどと思いつつ、なつかしく見る・・・はずだったのだが、大分雰囲気が違うような気がする。本当にあんな風だったのかなあ・・・東京タワーができる。テレビが普及し始めた。都電が走っていた。集団就職の人たちが、主として東北から来はじめた。氷の冷蔵庫が電気冷蔵庫に代わりはじめた。とか、そういうところは記憶と同じなのだけれども、東京タワーがすぐ近くに見える港区とか品川区のようなところで、あんなに交通量が少ないということはなかったのではないだろうか。事実、世田谷の三軒茶屋から渋谷まで通学の途中にのっていた路面電車も、車の渋滞のために、朝夕はのろのろ運転で、どれだけ時間がかかるかわからないくらいだったし。それに、近所との付き合い方も、もっともっと「現代的」で、今考えても、あまり違和感がないような感じだったように思う。あんなに、他人に心を開く人がいたように思わなかったし・・・子供にあれこれこまごましたオモチャを売る店なども、私の子供の頃には、学校の前などにあったけれども、昭和33年にもなったら、もう無かったような気がする・・・・世田谷には。同じ東京の中でも、地域差がいろいろあったということかもしれないし、私の記憶が少し混乱しはじめているのかもしれない。それも、自分に都合のよい方に・・・。ぎんなんを炒つてひすいの実を食みぬ思ひ出長者の母とふたりで(鈴木千登世 『桟橋』97号)こういう映画を見ても、つい、自分の体験と比較して語りたくなってしまうあたり、私も大分「思い出長者」になってきたこと!
February 8, 2009
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大相撲四十八手の決まり手を初老の夫は汗かき実演(作者未発表 バンクーバー短歌会出詠歌)歌については、短歌会で話し合うのだけれども、ふと「初老」というのは何歳くらいを言うのだろうと気になって、広辞苑(第五版)をみたら、なんと、(1)老境に入りかけた年ごろ。「―の紳士」 (2)40歳の異称。とあり、具体的には40歳という数字しかでてこない。人生50年だった頃に出来た言葉とすると、それも頷けるけれども、40歳が初老ということは、私の場合、息子たちの一人が初老以上、もう一人が初老 と思うと、ガクッと来る。ま、しょうがないか。天増歳月人増寿 と言うではないか。ま、楽しくやりましょ。 ・・・・・・・・ ただし、精選版日本国語大辞典(小学館)をみたら、初老とは「四十歳の異称。また老人の域にはいりかけた年頃。寿命がのびた現在では五十歳から六十歳前後をさすことが多い。女性では月経閉止期、男性では作業能力が衰えはじめたときから老化現象が顕著になるまでの期間」と、いささか好意的(?)である。詳しい分、多少、性差別のある表現だが、まあ、我慢することにしよう。同じく私の電子辞書にはいっている明鏡国語辞典(大修館書店)を見たら、初老とは「中年期をすぎて高齢期にさしかかる年頃。もと四十歳をいった。現在では六十歳前後と意識される。」と、さらに好意的だ。手元に少し古い版だが、国語辞典第三版(三省堂 1989年)があるので、参照したら(1)40歳。 (2)老年に近づいてからだがおとろえかける時期、おもに50代と、それでも広辞苑第五版よりもいくらかやさしい。手元にはないけれども、人間的表現が楽しい新明解の説明は、きっともっと優しいのだろう。広辞苑だって、第六版はもっと思いやりがある表現になっているかもしれない・・・・とひそかに期待したりして。
February 6, 2009
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「うちの4歳の孫は、歌ったり踊ったりはけっこう上手なのに、年齢の割りに絵がうまくない」というのが私の観察だが、本人はそんなことは考えずに、楽しんでいろいろ描いている。小さい子は褒めて育てるのがよいと思うので、私も一応、褒めたりしているのだが、どうももう一つ、「褒め心地」がよくない。今日も、人の絵を描いてくれたが、もうすぐ五歳に近い四歳にしては、少々頼りない。 しかしこの形、気がつけば、下の写真の像とよく似ている。 これは、イヌクシクとよばれて、草木が生えない北極地方で、狩りや旅の際の目印としてイヌイットの人たちが立てた石の道標を模して、バンクーバーの海岸に立てられているものだ。イヌクシクというのは、「人の形」というイヌイット語だそうだから、人間の姿を簡略に簡略にとしていった究極の姿・・・というか、あまり文明の進んでいない頃の創造物なのだろう。昔のイヌイットさんたちが、四歳の芸術感覚だと言ったら失礼だから、孫が昔のイヌイットさんのような素朴な感性を持っていると思っておこうか。そうしたら、褒め言葉に多少の真実味をこめられるだろうから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれれ? 結局、孫自慢?ちなみに、2010年のオリンピックのロゴは、この像にヒントを得て作られている。
February 3, 2009
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毎日、3分30秒ずつ日が長くなっていくそうで、今日あたりは、かなり日暮れが遅くなってきた。こうして、春分の日までに昼夜が同じ時間になるのだと思うと、心強い。12月の大雪の雪かきの結果として、あちこちに出現した雪の山はまだ消えきらないけれども、空気が柔らかくなってきて、一番寒い盛りはすぎた実感がある。日本では明日が立春だろうか。こちらでは、ground hog dayで、今年も、ニューブランズウィックのground hog さんが占ってくれて、あと6週間で春が来るという予想がでたようだ。ground hot day 関連で、2007年の2月の日記に書いたので参照してみたら、部屋の中にカクタスの花が咲いたところまでまったく同じ。私の暮しもこうしてみると、あまり進歩もしていないけれども、この年齢になれば一昨年と同じように同じ日を迎えられたことを感謝するべきなのだと思う。「おぞだこ味ぢさす」のお菓子をたべて、体調を崩すこともなかったし・・。
February 2, 2009
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1月7日消印の「桟橋」がSAL便で今日届いた。1月15日消印の「コスモス」もSAL便で今日届いた。まあ、「余地があったときに飛行機にのせてくれるから、まちまちにはなるけれども、船便よりは早い」という約束のSAL便だから、早かったり遅かったりしてもしかたがない。でも1月5日にテキサスで投函した航空便がまだ届かないのは、ちょっと困りものだ。アメリカもカナダも、郵便物が減るばかりなのに、今までの組織を崩すわけにはいかないので、郵便は毎年赤字になっているのだそうだ。その結果、ほとんど毎年1月には郵便料金が値上げになるし、その反面、Eメールが便利で、無料だったりすることもあって、私信ばかりでなく、仕事の書類も請求書などもほとんどがメールでくるし、以前は小切手で送っていたお金も、インターネットバンキングで振り込めるようになったりしているから、うちでも本当に郵便は少なくなった。そして、郵便は赤字になり値上げして、値上げするとますます郵便が少なくなって・・・どうなるのかな?それにしても、正岡子規の時代には、朝、都内の友人に「歌会をするよ」と葉書をだせば、午後か夕方には人が集ってきたというほど、はがきが早く届いた由。信じられないような、本当の話だ。
February 2, 2009
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最近、中国の袋菓子で漢字を「の」でつなげて、どことなく日本風にしてあるものを見かける「柚子の蜜」とか「蜜の露」とかまあ、そんな感じでいろいろ。(お菓子だけでなく、「足の閤」というマッサージ屋さんもあるし)でも、今日見たのは、ちょっと変っていた。名前は、「奇の味」??? 裏返してみると、やはり中国製。 「奇」というとあまりよいイメージがないが、「珍味」みたいなものかと思へば、まあいいか。でも、その横のキャッチフレーズを見て当惑した。「真心こめてつくるりました」の「真」と「心」が一字のようになっているのも、よいとして、二行目が「おぞだこ味ぢさす」???? どんなものか、ためしてみたくて、無駄使いとしりながら一つ買ってしまった。実際には、これは3種類あって、1つはペパーミント味の黄色っぽい菓子、1つは、梅で赤い菓子、そして私の買ったこの黒っぽい梅。味は、紹興酒に入れる梅干とちょっとにている。日本円にして、100円くらいか?食べてみても、理解にはつながらなかったこの、「おぞだこ味ぢさす」とは?キーボードの全部となりを打ってしまったのを、誰も日本語がわからなかったのでそのまま通ってしまったとかいうことではないか・・それとも、自動翻訳ソフトが何かの勘違いをしたのか・・・まさか、普通の日本語で私が知らないだけなどということだけは、ありませんように。
February 1, 2009
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