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〇毎年7月の下旬、大山崎歴史資料館では「夏休み子ども歴史教室」という工作が行われています。過去の企画を列挙すると、山崎の駅舎、大山崎山荘の版画、合戦用の兜、或る年は大砲、そして翌年は利休に因む国宝茶室「待庵」の組立て。 予め資料館の職員が作った「起し絵図」を組立て、本物の20分の1の大きさのものを作るのでした。1日目は図面の切取りで、全部で12片。この内、幾つかは窓の部分をカッターで繰り抜いたり、仕切り(壁や床)を差し込む為の切れ目を入れたりしなければなりません。 当時ボランティア・ガイドの1員だった私が担当したのは小学2年と1年生の愛らしい兄弟でした。同時にふたりの面倒を見るのは大変で、より幼い弟のシュウ君にいろいろアドバイス。怪我をしないよう、支えの指の置き所などを注意します。お兄ちゃんはそれを聴きながら、一人で頑張ります。 建物の内側の窓格子や、竹垣などは配られた時点で描かれていましたが、白紙のままの外側は子供たちが描くのでした。1年のシュウ君もお兄ちゃんのカズ君も懸命に頑張りました。そしていよいよ各ブロックの貼り合わせ、差込などを番号順に行うのですが、私は不器用なので、ガイドの先輩女性に助けて貰いました。お蔭さんでふたりとも見事完成。延べ26名ほどの参加の子は6年生が3、4人、3年生が多く、2年生そして1年生は1、2名。子供等はお薄の茶と和菓子を頂き、記念写真を撮って貰い、散会しました。
2023.06.30
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〇梅雨さ中、蒸し暑い日が続きますが、1時間程の快晴となると真夏日の陽の勢い。わが家でも既に、ほうじ茶から麦茶への夏バージョンに変更しています。大阪の住吉に住んでいた頃の麦茶は、米粒より遥かに大きめの麦のこげ茶色した粒を一ㇳ掴み、二タ掴みして大きな薬缶に入れ、沸騰しても暫く熱し、粒の形状が壊れるまで。すると台所じゅうに麦の香が漂い、その香が充満するのを感じながら、ガスの栓を締め、更に大きな容器の中に薬缶ごと入れ、冷ましたものを麦茶と称していました。飲んでも薫っていました。こんにちスーパーなどで売り出している麦茶は、粉状に挽かれたものばかり。あまり薫って来ませんね。これでは不満がありますね。
2023.06.29
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〇5年ほど前、大阪の夕陽丘付近で吟行句会があった折、歩道にヤマモモの実が沢山落ちていました。見ていると、数個が落ちたので、それを拾って口に含んだところ、実に甘く、野趣に富んだその味わいに驚いたものでした。わが住宅地の、とあるお宅にはヤマモモが見事に熟していて、食べたいなと思いながらも交渉する勇気もなく、時期が過ぎつつあります。長岡天満宮公園の梅園近くのヤマモモは小粒で甘みも無く、対象外です。いつか、美味なヤマモモを食す機会のあることを夢見ながら余生を暮らして参ります。ここまでは、2日前に予め書いておいた内容ですが、昨日、道端に10粒ほど落ちていたので、そっと拾い上げ、居宅にて妻と賞味しました。もう少し真っ黒に熟した方が、甘くって良かった筈ですが、一応満足しました。
2023.06.28
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〇某年某日、家内と京都市内へ出掛けました。目的は一部の古本を売ること、そして高島屋の催しを見ることの二つでした。京都市内には多くの古本老舗がありますが、今回用意したもののうち芭蕉俳句の注釈書、蕪村のもの、古美術書、その他はどれも買取の値打ちが無いと言われましたが、阪急電車沿いのスケッチブックや正倉院の解説書などは三冊で千五百円の値をつけて貰い、先ほど却下されたものを含め十冊ほどを二千円で購入して貰いました。七階の催し展示場は江戸・明治・大正・戦前戦後の昭和に流行った”おもちゃ”がいろいろ並べてありました。昭和三十年初期は私の少年時代にあたります。グリコの付録や、メンコなど懐かしいものばかりでした。
2023.06.27
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〇嵐山に温泉が湧いたという話はもう周知でしょうが、その昔、しだれ桜で有名な円山公園に温泉が敷かれたなんて現代の京都人は殆ど知らないことでしょう。長楽寺山の中腹に金閣寺を模した三層楼が聳えていました。それは明治六年、医師:明石博高氏が興した炭酸鉄を含む人工温泉「吉水温泉」の景観だったのです。入浴料金が高かったものの、温泉の人気は高まるばかり、それに便乗して「也阿弥ホテル」が明治十二年に開業されました。 京都に生まれた最初のホテルで、食事はすべて洋食。日本美術を研究したフェロノサ夫妻も泊った記録があるようです。しかし二十年後の明治三十二年、焼失再建、七年後再び火災で全焼して以来、類焼した吉水温泉と共に断ち消えとなってしまったようです。
2023.06.26
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〇6代目菊五郎が没されたのは1949年、私が5才の年だから、彼を知るよしもありません。東京都出身、本名・寺島幸三。寺島と聞けば、今は娘の寺島しのぶさんの活躍を目にしますが、その母・富司(旧名 藤)純子さんの本名も寺島。菊五郎と縁があるようですね。凛々しい屋号「音羽屋」、初代中村吉右衛門と共に「菊吉時代」を築いた実績を持っておられた。兄は6代目尾上梅幸、弟の6代目坂東彦三郎を亡くし、更に12代目片岡仁左衛門、初代中村鴈治郎といった名優も他界したのだから重圧もあっただろうに、芸道に精進、磨きをかけ、「演劇の神」と称せられるようになられました。最期の言葉→「まだ足らぬ。おどり踊りてあの世まで。」
2023.06.25
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〇去る19日(月曜)、25日の吟行句会の題材を求め、先ずは今宮神社に寄りました。小さな赤い太鼓橋などをカメラに収め、本殿礼拝。境内を歩いていると、男女の職人が青いビニールシートの上に碧い葉を束ねて茅の輪を作っている最中でした。 ところで6月の末日には「みなづき」を食べてお祓いをしますね。あの小豆入りの餅が三角形をしていますが、何を形どったものなのでしょう?<あてなるもの(上品なもの)、けづりひ(削り氷)にあづまら(甘葛)入れて、あたらしきかなまり(金属製の浅い椀)に入れたる>と『枕草子』にも記されていて、清少納言らは、削り氷に甘いシロップをかけた、かき氷のようなもの夏の涼味として食べていたようです。洛北に六ケ所あった氷室から天皇に届けられていたようで、6月1日には「賜氷の節」という節会が宮中で行われていました。これに因んで、氷の形を模した三角形に作られるのが「水無月」です。北区の鷹峯から氷見峠を越え、杉坂へ向かう街道から少し逸れた北の方に、栗栖野氷室が残っています。
2023.06.24
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〇古来から髪は女性の命に等しい大切なもので、吉田兼好も「女の髪のめでたからんこそ、人のめだつべかんめれ」と徒然草に書き残しています。その頃の美容法では、黒胡麻を9度蒸し9度水にさらし、粉にしてなつめのにくとまぜて丸め、日に20粒ずつ朝夕飲めば黒髪になれるという記録もあるようです。短い髪の女性を助ける法として”おちやない”という商売つまり落ち髪はないか?と言って買い歩き、それをかもじ(加文字)つまり鬘にして売り歩く商売があったようです。源氏物語や枕草子、栄華物語にも表記されていて、髪の短い女性に鬘が利用され、表着(ウワギ)の裾から1尺2寸ほど出るのが良いとされていた由。鬘の種類、舞妓、芸妓、花魁などの髪の種類や装飾品については「日本髪の世界」に詳しく出ています。 この日記の話題には奈良本辰也編『京都故事物語』(河出書房新社)を参照させて戴きました。
2023.06.23
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〇改造社版『志賀直哉全集』第九巻には、龍安寺に寄せた直哉の一文が収録されています。<龍安寺方丈の庭は相阿弥の作で、一樹一草も使わぬ石だけの庭である。大小十四の石が五十余坪の平地に五つのかたまりに置かれてあるだけの庭である。・・・奇抜で思ひつきのやうであるが、吾々はそれから微塵も奇抜とか思ひつきとかいふ感じを受けない。それは相阿弥の作する動機の深さから来る。・・・吾々は広々とした海に点在する島々を観、島々には鬱蒼たる森林の茂るのを観る。(ここが一番主張したい部分でしょう)<自分は桂の庭が(小堀)遠州の長編傑作であるとすれば、これはそれ以上に立派な短編小説であると思ふ。・・・相阿弥が石だけの庭を残して置いて呉れた事は後世の者には幸だった。>直哉の考えは、他の名園がその時代のまま現在に受け継がれているのか不詳であるけれど、龍安寺の庭では<吾々は当時のままでそれを(=相阿弥の思い)感ずる事が出来る。>と述べています。 受験浪人時代の私は川端康成の『新文章読本』を片手に、漱石から潤一郎、そして短文の名手・志賀直哉をも手本にしていました。俳句と言い、簡潔な構成の中に、自分の思いを読者に伝える事は技術を伴いますので、飽きる事のない修行の世界のように思えるのです。
2023.06.22
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〇もう13年も前の事ですが、かつては世界のトップ選手だった空手の荒賀知子監督の率いる華頂女子高が、京都府予選団体組手で24連覇を果たしたと新聞で報じていましたが、いずれにせよ競争でトップを取ることは並大抵な練習だけでは掌中にできない筈で、心技が一体化してこその結果だと思います。 わたしは学生時代、グリー・クラブという男性ばかりの合唱団に在籍し、2年間指導され、それを活かして3年次にはクラブの運営側に立って人事という職を担いました。合唱という音楽性を追求するクラブ活動を通じて人格の育成に努めることが趣旨でしたが、それこそ死にもの狂いの練習を重ね、部始まって以来の関西での初優勝を果たすことができました。 学生生活は或る程度時間に余裕がある為、無駄にも近い練習を積み重ねた訳なのですが、社会人になって、数年躊躇してから職場部門では常勝の合唱団に入ってみると、さして練習時間を積まないのに、その合唱団に潜在する伝統的なレベルという貯金のお蔭で、トップの成績を維持していました。その合唱団は指導者が合唱界の中心的人物であった事も相俟って、合唱界に君臨していたのかも知れません。無駄とも言える練習量をこなして得た初優勝の感激に較べると、この合唱団での優勝の実感が希薄なものに思えたりしました。しかし乍ら現在、合唱活動を復活するとすれば、気楽な気持ちで合唱を楽しみたいものです。
2023.06.21
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〇小説家:佐藤愛子さんの実兄、詩人サトウ・ハチローさんの「小唄と絵」という本から 「海水浴シャンソン」 あなたの水泳着に LOと あたしの水泳着に VEと 二人並んで歩く 時は LOVEとよめるわ 嬉しいわ はじめて逢うたも 水の中 恋を語るも 水の中 なかをとりもつ さざなみに 浮いた噂の たつ二人 夕べ汀の さびしさに 砂にのこした 足の跡ならんでみだれて また並ぶ お安くないよな 足の跡 泳ぎつかれて パラソルに 影をかくした あたし達 つもる話の 砂の山 くづしてつきない ものがたり左ページには清水三重三さんの挿絵手前に太い横線の入ったパラソルが少し描かれ肩を組んだ水着の男女、二人とも逞しい。
2023.06.20
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〇米国野球のパイオニア、最初のプロ球団レッドストッキングスの投手・アーリ・プレイナードは大リーグのゲーム数が年間65試合だった時代に勝ち星を64個挙げ、チーム優勝に貢献。1869年には65試合の全試合に登板しという記録が残っています。このアーリの愛称がAsa(エイサ)だったので、チームの支柱となる投手のことを、「エイサのように頼りになる投手」と言われるに至り、のちに訛ってエースと称され、今日に至っています。
2023.06.19
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〇番付は相撲に限らず食べ物などにもありますが、浪花ことばおお番付というものを父が残していて、その中身を挙げると、東方横綱 けったいな しぶちん西方横綱 えげつない がしんたれ東方大関 あほだら しんきくさい西方大関 あかんたれ あほくさい東方関脇・小結 西方同じく いとさん ごりょんさん いけず ぼんち おえさん へんねしこのほか列挙すれば すかたん あんじょう せんぐり いちびる ごんたetcなごやことば番付東西大関 なんだいも とろくさい関脇小結 だちかん えいわいも ちょろまかす いこぬとる?ete最近訛りをテーマにしたテレビ番組もありますが、父郷や母の里など、田舎のある人は幸せなのかも知れませんね。
2023.06.18
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〇殷の時代、彼らは祭祀に際して、実に気前よく生贄を捧げました。ヒツジはウシに次いで重要なものとされ、「豚犬の牲」よりも上位に置かれていたようです。ヒツジは1万年の前から野生のヒツジから飼い慣らされ、緬毛、毛皮、乳、肉と、衣食住にとても有用な家畜として遊牧民には欠かせない動物でした。部首としての漢字に、「美」がありますが、これは良いという意味で容姿が良いと美人、味が良いと美味、美味しい。国を付すれば、美国つまり阿美利加、美利堅(メリケン)となりますね。
2023.06.17
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〇2003年の7月の終りからこの楽天サイトを無料で拝借し日記を綴っていますが、毎年、この時節になって登場するのは”捩り花”。’04年は6月23日に綴っていて、この時母はこの世の人。’07年の6月30日は母が亡くなった余韻が感じられ、捩花のほか、初蝉にも触れています。’06年7月10日はちょうどリフォームの真っ最中。南面の庭にはまだそこそこ捩り花が生息していたようで、大工さんや工務店の社長にお裾分けしている記事が。’07年はやはり6月30日に捩花を綴っています。’08年の7月3日の日記には南の庭では全滅、玄関の前に咲く2,3株に触れていました。それがいつの間にか見当たらなくなってしまい、寂しい限りです。
2023.06.16
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〇渡辺淳一著の旅館・ホテルの紹介書のページを繰っていると、石川県山城温泉の「べにや無何有」に家内も私も惹かれました。<この宿には、春夏秋冬、毎日見ていても飽きない自然の趣がある。新緑の緑も、盛夏の清水も、秋の紅葉も、白い雪におおわれる冬も、それぞれに見る者を憩わせ、慰める。その一隅に突然出現した赤松に包まれた方林円庭でヨガや護摩焚きなどが行われるのは、ここが「薬師山」と呼ばれる白山信仰の聖地だからだろうか。>と渡辺淳一氏。
2023.06.15
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〇人間の体内には無数の血管が走っていますが、その流れが悪くなると健康状態に変調を来たします。同じように家々が密集している場所や植木の手入れを怠っている庭にも同じことが言えそうです。某日トイレに入っていた時、涼やかな音色が聞えてきました。何となく聞き覚えのある金属製の風鈴の音色。随分遠い所から聞えているようで居て、小さな音ながらしっかり耳元にささやく音色です。何を隠そう、これは金属製の火箸を四本吊り下げた風鈴で、姫路名産第五十二代明珍宗理作の銘品でした。風鈴の短冊には「只許清風到」(只清風が到るを許す)と書かれた山田無文の筆。昭和を代表する禅僧で禅文化研究所を興し妙心寺派管長、花園大学名誉学長だった無文禅師は、私が某行千本支店の外交をしていた頃はお元気でした。若き時代、病床から眺めた風から悟りを得ようと仏門に入ったとされる山田無文さんらしい風の音色が耳に快く聞えます。またこの涼やかな音は、父亡きあと荒れ放題だったわが家の庭をせっせと綺麗にしてくれた家内の労力の生み出す風の音色でもあるのです。
2023.06.14
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〇私の住んでいた処は帝塚山中という、世間では兵庫の芦屋に次ぐ高級住宅一等地でしたが、それほどの事はありませんでした。プロ野球南海ホークスの全盛時代で鶴岡(当時は山本)監督、後日近鉄の監督をした岡本選手、その他有名人の家が案外近くにありました。鶴岡監督の家の近くに、鬱蒼とした樹木のある小道があって、そこに浄化槽のようなコンクリート造りの溜池があって、マンホールのような丸い穴が幾つか空いていました。何気なく覗いたら、2m半ぐらいの底の地面にビニールで包まれた荷物がありました。竹棒で突っついていると、何とそれは人の生首のように見えました。姉ともう一人の三人だったかな、とにかく震えあがって交番に駆け込みました。駐在所の巡査さんが、嘘ついたら只で済まさんぞと言うのですが、見てしまったンだから、怖気ず巡査を其処へ案内しました。後は任せなさいと言われ家に戻りました。その晩、寝床では姉とずっと手を繋いでいました。眠れませんでした。後日、それは馬主が競馬の首を切断して捨てたものとの説明を受けました。 家から15分くらい歩いた処に万代池と言う、中之島のある手ごろな池があって市民の憩いの場所でした。そこにはテレビで一時有名になった占い師、田中佐和さん・・・高速道路で迷い込んだ二匹の子犬が見えます。結局、この恋は叶えられないでしょう・・・というの名文句の占い師の家もありました。池の貸しボートにも乗ったことがありますし、小魚や海老を釣ったり掬ったりした場所でした。夏の夜、穴から這い上がってきた蝉を捕まえて家で羽化した思い出の場所でした。
2023.06.13
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〇2冊を図書館に寄贈し、次なる5冊を借り出しました。 1)鈴木昶『身近な「くすり」歳時記』 12か月の薬草、例えば6月は紫蘇と薄荷、 十薬と玉葱、琵琶と杏など。2)『司馬遼太郎の風景』 NHK 湖西のみち、竹内街道、砂鉄のみち、陸奥の みち、潟のみちなど。3)渡辺淳一著『一度は泊まりたい日本の宿』 おおらかな自然に包まれるよろこび、新感覚 の和モダンな宿。4)城南山人著『古代文字動物園』 漢字を象形文字からにもときます。5)八尋舜右著『北方の王者』 奥州の藤原四代の歴史を小説風にまとめた読 み易い書。
2023.06.12
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〇クラスの中に日本のお人形さんのような、三日月眉毛で色白で、大柄な癖にしっとりとした人が居ました。私は佐賀から転校して来て、偏差値的に遅れをとっていたので、算数が苦手になっていました。担任の先生は良くできる子と出来ない子とをペアーになさいました。奇しくも、私のペアーはその裕子さんでした。彼女は字も美しく、数字をノートの枠いっぱいに大きく書き入れる人でした。きちんとした数字でした。先生の採用されたたペアー方式は、男のプライドを傷つけるものでしたが、裕子さんから懇切丁寧に教えて貰ったので、その誠意に応えるべく、私も必死に頑張りました。先生は私が普通並に問題を解けるので、ペアーを外してしまわれました。嬉しいような、淋しいような気持ちになりました。・・・裕子さんのことがすっかり気に入って、何か気持ちを伝えようとしてノートの切れ端に、愛の感情も含ませたお礼の言葉を綴り、それをどう手渡すかいろいろ悩んだ末、帰り道にある彼女の家のポストに入れました。彼女は一回りも二タ回りも大人でした。私のことには触れないで、相変わらずにこやかに振舞っていました。二学期三学期はあっと言う間に過ぎ去って五年生のクラス替で彼女とは別のクラスになってしまいました。その内、裕子さんは北海道へと転校して行きました。これが私の淡い初恋でした。・・・今頃どんなお婆さんになっているのでしょう。きっと孫に囲まれて穏やかな笑みをたたえた女性になって、幸せに暮らしていらっしゃることだろう。
2023.06.10
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〇世の中、成程そんなもんかなぁと思った次なる文章。「少年院を出ると暴力団からお迎えが来ますので、そちらのお世話になります。暴力団のお世話で、乱暴しなくなるんです。これが野放しだったら、もっと犯罪が増えます。」またこんな文章も。「暴力団は逮捕者が出ると、結構ゼニがかかるんですわ。差し入れとか、家族の世話とか・・・。だから警察のお世話にならんように気をつけろやと、言うて聞かせま。」因みに写真検非違使庁跡碑は将軍綱吉公母君桂昌院の生家(葭屋町通下立売通上がる真敬寺跡地)にも近い場所にあります。
2023.06.09
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〇<物語と史蹟をたずねて>『北方の王者』は、みちのくに繁栄した藤原四代を綴った歴史小説。<風は去った。秋の陽だけが、あかあかと水量のおちた川面に照りはえている。猿ヶ石川の瀬にのぞんだ小灌木の薮のなかを、百騎ばかりの集団が影絵のように駆けぬけた。>こういう書き出しで、悪路王アルティ、奥六部、前九年の役、後三年の役、藤原四代の祖、平泉の仏群、中尊寺確立、落慶法要、運慶の秘仏・・・と23節に分けて、学術的にして、散文風の歴史小説を書かれています。年表や奥六部略図などの付録も有難いです。
2023.06.08
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〇藤原定家の孫、為相が冷泉家を興してから七百数十年、和歌の家として守り伝えた文書典籍と共に、冷泉家の奥方、姫君に慈しまれてキタもの一つに美麗な「貝合せ」という遊具。貝合せは一対左右二片の貝殻はきちんと合致しますが、別同士では合わないことから、二夫に交わることがないという婚礼調度の一つです。真っ白に輝く貝を押し開ければ、金泥の地に酔芙蓉、仏桑華、菫、山百合、牡丹、鷺草などその数二百を優に超える図柄が上等の絵の具で美しく描かれています。
2023.06.07
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〇久しぶりに京都市バスに関することを書きますと、四条河原町のバス停の案内ガイドさんの件です。いろんな男女のガイドさんが居られますが、今回話題にするのは、1)拡声器を使いながら大声で捲し立てる→ 耳を覆いたくなる程。観光客はどう思われ ますか?2)市交通局の教本通りに、立ち並ぶ客を強制的 に、歩道側にはみ出さぬよう、きちんと順番 に並ぶことを強要するアナウンス、指導→ 整然と並んで待つことが大切ですが、交通 手段に市バスを選んで貰ったという感謝の 念がひとつも感じられない。 これは市長も実態把握に来られると良い。 市バス事業は、毎年大きな赤字を計上しています。その原因のひとつに、70才以上の高齢の市民は全て少額の料金を払うだけで、無料乗車証を貰え、本来得るべき収入を放棄している現状。(改良案)京大病院その他治療中の資料を提出した高齢者のみ、無料乗車券証を交付する。まとめとして申し上げたいのは、全国、海外からお越しになった乗客への「感謝の念」を徹底することが肝要かと思うのです。
2023.06.06
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〇昨日から実家に泊まり、母と一緒に日本女子バレーに声援を送りながらテレビを観ていました。そんな加減で今朝は長岡の散歩です。見知らぬ者同士がどちらからともなく交わす朝の挨拶、「お早よう御座います~♪」いつものように石段を掃いて下さる御婦人に挨拶しながら八条ケ池の周りを散歩します。錦水亭の赤壁の部屋が5つほど池畔に並ぶ景色をカメラに収めます。その錦水亭では7時半の早朝から煮込みなどの下拵えに余念が無い様子。 筍の下拵へや錦水亭 天神様のぐるりを廻って再び石段に戻って来たら、あの御婦人が石段以外の場所まで箒で丁寧に掃いて居られました。無論、石段には枯葉一つ落ちて居ません。何かしら、こちらの心まで掃き清めて頂いた気持ちになります。そして、ふと、これに似たようなことを想い起こしました。それは冒頭の日本女子バレーでした。髪を振り乱し、全身でボールをキャッチしようとする純粋な執念、流れ落ちる汗、汗、汗・・・。 最近いろんな不手際や忌まわしい事件が多発していますが、それらは安易な道や手段で目的を達しようとすることに起因しているように思います。お金は懸命な労働の対価として得なければ、その値打ちが分かりません。幸せという永遠のテーマも、懸命な毎日の結果、手元に惹き寄せることが出来るのではないでしょうか。 毎日、石段を隅から隅まで掃き清める御婦人の姿、堂々と闘うことによって得られる栄光へ挑戦する女子バレーの姿、地味であってもコツコツ仕事を全うするサラリーマンの姿、美の真髄へ限りなく研鑽する芸術家の姿・・・みんな一緒だね。
2023.06.05
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〇随分前に図書館で借りた書物で、各社の辞書の一長一短を比較しながら、いったいどの辞書が優れているかを纏めたものがありました。辞書には、日本国語大辞典、大辞林、広辞苑、大辞泉、日本語大辞典、新選、講談社、三省堂、現代例解、学研国語大辞典、集英社、旺文社、新潮現代、角川新、新明解、福武など多々あります。 例えば「御用達」の読み方、”ごようたし”ではなく”ごようたつ”を認める辞典があったり、「他人事」は本来”ひとごと”の当て字であるのに、”たにんごと”を併記する辞書が多くなっているし、現にアナウンサーにはそう読むヤカラも少なくありません。次なる当て字はインターネット情報から一部です。沈菜=キムチ、火酒=ウォッカ、肉汁=スープ、浮石糖=カルメラ、混合酒=カクテル、卵糖=ステラ、自鳴琴=オルゴール、風琴=アコーディオン、伊達男=ダンディ、直昇飛機=ヘリコプター、小熊猫=レッサーパンダ、恐怖分子=テロリスト因特網=インターネット、保齢球=ボーリング、一物有人=モーツァルト(笑い)、義徳瓦=エドワード、査理=チャールズ、尼格来=ニコライ、墨瓦蘭=マゼラン、諾貝爾=ノーベル、火斗=アイロン、復古趣味=レトロ、単軌鉄道=モノレール、子守熊=コアラ、輪盤賭=ルーレット(笑い)、孑然=ひとりぼっち口令=パスワード、鹿十=シカト(笑い)、我が国独自のものと、どうやら中国で使われている当て字が混在していますが、ちょっとした情報を安易に、手軽に拾えるのがインターネットの至便な長所ですね。しかし、携帯電話に夢中になり過ぎて、交通事故に遭ったり、加害者になってしまうことは、器械に人間が使われ、毒されている惨事であるという認識を忘れないで居ましょう。
2023.06.04
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〇西陣には、さして知られていない寺が多く、智恵光院五辻上るには本隆寺の豪壮な西門。夜泣き松や千代野井もあって享保・天明の大火を免れたかた不焼寺とも言われています。近くに西陣聖天さんと親しまれている雨法院。さらに北には長谷川等伯の障壁画四十二面有する妙蓮寺。そこから堀川通を東に行くと裏千家、表千家に因む茶亭、茶道具屋もあって楽しい。本阿弥光悦作の「三巴の庭」のある本法寺。鞍馬口まで足を延ばすと寺町通には、普茶料理を出して呉れる閑臥庵もあって若い人が利用しているようです。
2023.06.03
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〇首都が東京に移るまでは京都が日本の中心で、昔の標準語は京ことばをもじって使われて来ました。平安朝のころ、京の感動詞に「なう」という語があって、その発音は「のう」と「なあ」の中間音であったようです。それが室町時代に「のう」(主流)と「なあ」(分流)に分かれました。紀州(和歌山)は、大阪を素通りして海と川で京と結ばれ、交易も盛んであった為、「のう」が伝わり、女性が呼びかけに使う場合に「もし」をつけ加えて「のう、もし」となり、それが詰って「のし」となったようです。「のう」より新しい「なあ」は紀州より遅れて交易を始めた名古屋地方に伝わり、ここでも「もし」が加わって「なあ、もし」となり、それが詰って「なも」になったようです。京、大阪では「のう」と「なあ」が使い分けられていたものの、「のう」が廃れ、「なあ」が残りました。「あんなあ」「なあなあそうやろ」最近の京女はあまり使わないようですが、「あのね」の意味の「あんなあへぇ」もその類です。 江戸幕府は大阪を直轄地とし町人の経済力を削ぐために大阪城の修理等に事寄せて、しばしばご用金を取り立てました。安請け合いは禁物と大阪商人はお呼び出しの折には、「さようでございますか」(さよか)と否定とも肯定ともつかない言葉を使って対処していたようです。そろばん勘定に長けた浪花商人は場合によっては曖昧さを大切にしました。だから証文などよりも口約束で取引は成立。その代わり約束を破った場合は商人として身の破滅を意味していました。従って幕末の大阪では商業取引の99%が手形決済であったらしく、京都は50%、一方江戸では殆ど現金決済だったようです。大阪では<現金な>一回切りの取引形態として軽蔑し、信用本位の長い取引関係を本領としていました。義理が立たぬ、男がたたぬと西鶴の芝居に何度も使わせているセリフは、こういう背景があったのでした。インターネットを利用し、あっと言う間に大株主に躍り上がり、会社の規模を急成長させることは、この時代の大阪や京都人には考えられないことだったようですね。
2023.06.02
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〇かつて日本テレビで放映された「マジカル頭脳パワー」から抽出してみました。 ある側 無い側 タコ イカ スリ ドロボウ 浮き 竿ここまで頭能指数 140 雨 雪 無駄 利益 忍び スパイあらら頭脳指数 70まで下がったよ 揚げ きつね ちどり しらさぎ 大根 人参もうお解りですね♪次の問題 馬 鹿 空 海 はしご 階段ここまでで解答できたら 120 O型 B型 愛 恋 水 油ここまでだと頭脳指数 80 千 万 児童 大人 辞典 辞書もうお解りね 20
2023.06.01
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