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〇父は歌が好きで「平凡」・「明星」といった雑誌の歌の付録だけを古本屋から買い、食後の腹ごなしに歌っていたことを思い出します。私が音痴でなかったのは、一重に父の歌好きに拠るところ大でありましょう。 テレビが家庭に浸透する前は、専らラジオで音楽に接していました。「呉羽ホームソング」という朝の歌番組を聴きながら、父は出社の準備、子供は通学の準備をしていました。「こいさんのラブコール」や「公園の手品師」その他多くの曲はこの番組からヒットしていました。
2023.01.31
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〇711年(和銅5年)の1月28日,太安万呂がの『古事記』が完成。イザナギ、イザナミの神話時代を経て、わが国は古くは、大八州、秋津島、大和と呼ばれ、中国では倭という呼称を使用していました。701年(大宝元年)に制定された大宝律令にて日本と呼ぶことを定められました。その当時は、にほんではなく、やまと、ひのもとであり、漢字の知識が普及した奈良時代になって音読みの、にほむが一般的になり、更に室町時代に下って東国風の読み、にほん、にっぽんになりました。
2023.01.30
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〇小倉百人一首を選んだのが藤原定家、この系統を継いでおられるのが冷泉家。97番目の和歌来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ当時の和歌の大先生・俊成卿の子で、母は、美福門院の女房・伯耆という人。<この卿若かりし時、文治元年、殿上にて源雅行と争論に及び、燭を以て雅行の頬を打たれ、勅勘を受けらる。>父俊成卿深く憂い、あしたづは雲居に迷ふ年暮れて 霞をさへや隔て果つべきと詠まれたのを帝が気の毒に思われ、あしたづは雲居をさして帰るなり 今日大空の晴るる気色にとご返歌遊ばれ、後日許されました。後鳥羽院は彼の才能を愛されましたが、やや高慢な性格もあって疎遠になられました。後鳥羽院が武家政治に嫌気さされ、謀反を起こされましたが、疎遠だったことが奏功。しかし矢張り後鳥羽院との蜜月を懐かしみ、彼の選んだ百人一首の配列には水無瀬から山崎辺りの景色が織込まれていると解する学者も・・・。
2023.01.29
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〇第1回オリンピック大会(アテネ)でのマラソン競技では40Km、第2回大会(パリ)では25マイル(40.26)、次回のセントルイスは初回と同じ。そして1908年の第4回大会(ロンドン)以降は、42.195Kmと正規に定められました。ロンドン大会では、郊外のウィンザー城のグレートパークが出発地点で、競技場入口までの26マイル+競技場内の凡そ3分の2周した385ヤードがゴール地点だったのです。換言すれば、42.195Km。ウィンザー城を出発地点にした訳は、城内に滞在した皇族たちが窓から見物できるように配慮したもので、 また競技場を3分の2周走るようにしたのは、ロイヤルボックスから最も見易い位置にゴールインさせようと図ったから。 (参考図書:「雑学帝王500」北嶋廣敏著)
2023.01.28
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〇いつの間にか作詞をしておきながら、曲に仕上げず、放置したままのものが散見されます。 「梅ごよみ」1)どうせ実らぬ 恋ならば 蕾のままで 捨てましょか 女心の いじらしさ そっと抱き寄せ ささやいた 我慢なさいよ もう少し いつか叶うよ 二人の夢は 凍る朝(アシタ)に 梅の花 2)甘い言葉に ほだされて 貴方ひとりに すがりつく 女心の 浮き沈み 抱いて下さい 折れるほど 好きと云ってよ 何度でも きっと叶えて わたしの夢を 春を告げます 梅の花
2023.01.27
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〇助長とは、速成を望んで、かえって事を損なったり、余計な世話をやいて相手に迷惑をかける意味。渡辺紳一郎著『東洋語源物語』によれば、昔、宋というところに愚かな百姓が居て、自分の植えた苗の成長が遅いので、苗を一本ずつ引っぱって長くした。すっかり疲れて帰宅。「ああ、今日は疲れたぞ、何せ苗を助けて伸ばしたから」と言う。これを聞いて不安に思った息子が現場に行くと、苗はみんな枯れてしまったという故事によります。 現代言語セミナー編の豆本「まちがい言葉」には意味の間違い編にジンクスA 良いことが起こる前ぶれB 悪いことが起こる前触れの2択問題があって、正解はB。時々良いことにこの言葉を使っている人々が。
2023.01.26
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〇寒がりの身には背を丸め、空中に白息を吐きながら観る二月の梅よりも、暖かくなり、光の照度も増す四月の桜の方が親しいのですが、古来、花と言えば梅を指していたのですから、その良否を検討してみたいなと思いました。 先ず幹や枝ぶりから比較すると、光沢著き桜よりも盆栽的な幽玄風情の梅に軍配が上がります。桜の中には香りを放つ種も一部ありますが、梅の芳香は遠くからでも匂って来ます。花芯はどうでしょう。これは好みの問題ですが、やや粗い感じの梅よりも桜の蕊の方が、なよなよとして居て優れているように思います。しかし桜と言えば、この人を抜きにして語れない佐野藤右衛門さんに言わせれば、大衆的人気を攫う”染井吉野”よりも”山桜”こそ本物の桜と言うことから、素朴さが決め手になります。松竹梅という言葉があるように、古来、貴族は梅を愛でていましたが、御所の紫宸殿の前に桜が植えられて以来、桜に人気が集まりました。かの歌姫、鶯も梅の枝に停まります。ですから、ここんところは梅に花を持たせて、そろそろ耳にする寒梅を探し出かけませんか?
2023.01.25
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〇『拾遺集』巻5恋に<物いひ侍りける女の後につれなく侍りてさらにあはず侍りければ 一条摂政>あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな解)私をしみじみ想ってくれる人はもういません。貴女にすてられた私はなす術もなく死んでいくのでしょうか?男のプライドをかなぐり捨てて純情な恋一途の歌ですが、その後全ての権力を一手にした一条摂政・藤原伊尹の若い日の一場面。大臣師輔の御曹司として出世し、「梨壺の五人」を監督もしました。花山天皇の祖父として後見役、摂政となって僅か3年、49才で没しました。美男子として鳴らし、豪宕な性格で、派手好き。華美なものを好み倖せの絶頂にいましが、寿命だけが足らなかったようです。参考図書・田辺聖子著『小倉百人一首』その他。
2023.01.24
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〇森鴎外の『山椒太夫』は原書を読まなくても気の毒な一家の話として周知の通りです。藤堂明保著『女へんの文字』では、その話から漢字へと話題が展開されていて、<古代の中国やエジプトに於いては、とても山椒太夫の比ではなく、奴隷は家畜以下の扱いで、逃亡を防ぐために、目を針で潰して全盲にするか、額に大きな入墨を施した様です。人民の民という字は、その状態の目を表現していて、民=メクラ奴隷の意味。睡眠の眠は目の見えない状態即ち眠っていることを指すのだそうです。 時代が下って宋や明の時代でも罪人の額には真っ赤に焼いた銅印を押し当て、どこに逃げても一見して判るようにしていましたが、水滸伝に登場する豪傑の多くは、この烙印を押された連中だとか。女奴隷も同様に針で目を突いたり入墨していた証があって、針を表す辛+女から出来た妾という字や、接合の接もその派生と言えるようです。
2023.01.23
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〇清水義範さんの『日本語がもっと面白くなるパズルの本』に良い問題がありました。<紋切り型フレーズの穴埋め問題> 次は新聞記事やテレビのニュースでお馴染みの紋切り型フレーズである。空欄を埋めよ。1)犯人は朝食を〇〇〇と平らげ、〇〇〇た様子も見せず、〇〇に取調べに応じている。2)夏休み〇〇の日曜とあって、湘南海岸には〇〇〇家族連が繰り出し、〇〇〇〇〇〇〇〇ほどの混雑でした。3)京都の葵祭が〇〇〇〇〇〇行なわれ、優雅な〇〇〇〇に見物客の〇〇が漏れていました。4)乗鞍岳では、〇〇〇〇〇秋の訪れを告げるナナカマドの紅葉が見頃となり・・・・・。さぁ一番ふさわしい言葉を当て嵌めて下さい。
2023.01.22
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〇『今昔物語』巻第26の第15話には、能登に住む黒鉄を掘る人夫が仲間との雑談で佐渡には黄金の花が咲いている場所があった等と語り合っていたのを、国司が耳にしたので、極秘に一人呼びつけ、今の話の真偽を尋ねたところ、私ならその金塊を掘り出せると言上したので、船と当面の食料を与えました。ひと月程してこの者が罷り来て、人ヶのない所で黒っぽい布切れに包んだ重いものを呉れました。布包みには凡そ千両もの黄金があり、彼を再び呼び出そうと国司は思いましたが、当の人夫はいずこへともなく行方をくらましてしまいました。恐らく極秘のうちに、彼は黄金を掘り出していたに違いなく、金は佐渡で掘れば見つかるという話だけが伝わっているのでした。
2023.01.21
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〇インターネットはバーチャルな世界だから怖いとか信用できないと仰る人に度々会いますので、私見を述べたいと思います。インターネットの世界では、何処の誰とも明らかにしないで言葉のアクションを起すことが多いので、虚構の世界、仮想の世界と言ってしまえば、正にその通りで危険と背中合わせにあるとも言えましょう。しかしながら、いろんな方のブログを拝見していますと、たった一行ほどの言葉の中に、その人のお人柄、人格が見えて来るものです。短期間に判断してしまうから、予想だにしなかった被害を被ったりするのでしょう。日本は世界に誇れるほどの語彙の豊かな国ですから、一つのものを指すにもいろんな表現法があり、それを形容する言葉を織り交ぜると<幾種類もの言葉の帯が連なる>ことになります。この<言葉の帯地>を鑑賞の目で見ることによって、その帯地の製作者の生き様なり、信条なり、性格なり人柄なりが浮き彫りにされて来ます。従って、鑑賞の目を肥やすことによって、自分の判断力の精度を高めて行くことが出来るのではないでしょうか。 単語というものは画布における絵の具のようなもの。語彙の連なりは線や模様・形のようなもの。そして言葉は多くを語れば良いというものでなく、できるだけ簡明なものが相手に伝わり易いものなのでしょうね。
2023.01.20
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〇戦国期までは天子も将軍職も世襲制に慣って来ていましたが、自分の息子たちよりも後世を託すには能力者が良いという考えを記したものが、斉藤道三の遺言状で、京の妙覚寺に残されています。<わざと申し送り候意趣は美濃国の地、織田上総介の存分に任すべきの条、譲状、信長に対し贈り遣わし候事> この時は長男の義龍によって道三は滅ぼされたので、遺言通りになりませんでしたが、後年、孫の義興が信長に奪回されています。 歴史的には秀吉が五大老に秀頼の事を託した部分が強調されていますが、宣教師フランシスコ・パシオ宛の手紙では、 一旦家康に政権を譲り、秀頼が成人した暁には豊臣家に政権を戻して欲しい意向が記述されているそうな。秀吉の時代ではまだ、世襲制には戻らぬ戦国の名残があった事は秀吉にとって不幸と言えましょう。 家康とて、二代目将軍に誰を推すか、意見が多々あったようで、裏を返せば、群をぬいて秀逸な子が無かったとも言えそうです。
2023.01.19
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〇梅雨の走りになって、買い溜めする買物客も多いのか、向いの八百屋からは威勢のいい商い声が聞こえて来るが、骨董を並べる清六の店には、客らしい客も無かった。京造りは間口が狭い上に奥行が長いので、奥の土間は暗かった。おしめ等を洗っていた咲代は、ふと、その手を止めた。店先でことりと音がしたからである。「あんた?---お客はんらしいえ。」「うん」生返事だけで、出て行きそうにもない。夫の居るだろう見当に顔を向けて、「あんた!お客はんと違うかて言うてますのに・・・?」「うん、今行く」 言葉数は増えても調子は同じであった。ほんに仕様のない人という素振りで、前掛けで手を拭き拭き、咲代は店に出て行った。が、直ぐに戻って来た。「確か、ことっと音がしたのに、誰も居やはらへんわ。もう、今日で三辺目え。けど、あんなもん盗みに来る人もあれへんやろな。」と言われて、「何言うねん!店に出したアるもんには、一つ拾万円からするもんかてあるのんや。商売もんに何ということ言うのや、ほんまに、えらい女房もろたもんや。」「へえ、えらい女房で悪おしたね。あたしが居いひんかったら、この子の世話、あんた、して呉れはりますのんか?」どうですと言わんばかりの目を夫に向けてから、咲代は背中の末子の寝顔を見ようと、体ごと首を捩じった。首に力が入るから、口がへの字になる。それが清六の癪に障った。「お前が居いひんかったら、この子も出来へんかった筈や。ほんまによう産む女や。」「あたしに産ました人は、あんたどすやろ?・・・ほれほれ、ひどいお父さんやなア、かわいそうに、かわいそうに。」そんな言葉を残して、咲代はまた洗濯にかかった。この末子で七人目であった。もうこれ以上はーーーという意味で、末子と名付けたのである。清六は、元来、のんき症で、父から土地等の不動産を譲り受けていることは、一層、彼を暢気にした。それに清六は古いものが好きで、惚れ込んで貰った咲代が、年々古女房になっていくのに、内心安らぎを感じているのであった。また、古道具屋という商売も、いわば彼の趣味道楽に近かった。毎朝古めかしい品物に、一つ一つ叩きをかけることが、彼の生き甲斐であった。ここ二、三日は知人から借りた戦記ものの古本を、奥の部屋で読み耽っていて、店番もルーズになっていた。しかし、今はとっさの直感から、彼は店先に飛び出た。棚の一番手前にあるべき布袋の置物が無くなっていた。今朝、いつになく荒っぽく叩きをかけて、その出っ腹から音がしたので、よく覚えている。清六は、やられたと思った。盗んだ者も憎かったが、気の緩んでいた自分に腹が立った。仏像だの、甲冑だの、鏡台だの、櫛だの、等身大の人形だの、骨董ものでゴタゴタした店先であるだけに、ぽっかり空いてしまった棚の隅の空間が、淋しかった。・・・・清六の肩が落ちた。咲代が後ろに来て、じっと見守っているのも知らなかった。盗まれた布袋の銅像は、値打ちものではなかった。たゞ、その腹の丸みが、他の布袋のものより秀でていた。黒艶のある豊かな腹の丸みに、清六は一家の安泰を託していたことに、この時、初めて気付いたのであった。それから、そばに妻の居ることに気付いた。淋しげで虚ろな彼の目と、それを慰める咲代の目がしばし無言の語らいをした。 そこへ、老紳士が入って来た。咲代は奥へひっ込んだ。老紳士客は、やヽ大きな武者人形に目を付けたようであった。色褪せているにも拘わらず、その人形を見つけてくれた老紳士を、清六は有り難く感じて、揉み手をしながら、したり顔で上客に接した。盗まれた布袋のあった場所は、やはりぽかんと空いた侭で淋しかった。・・・<昭和44年6月20日作>
2023.01.18
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〇或る落語の演目に入る前の桂米朝師匠の枕話ですが、「味の素」社から贈り物が届いたのだそうで、「味の素」を何度か話題にしていたお礼だったそうで、NHKでも商品名とは思わず使っていて、以降、化学調味料という表現に変えたとか。味には甘、酸、辛、苦、渋の五味があると言われていますが、今一つ、「うま味」という概念もあって、この旨味を出す調味料がこんぶとかつおぶし。湯豆腐を煮る場合でも、鍋底に昆布を敷いておくと、少し粘っこさも。昆布=グルタミン酸、鰹節=イノシン酸の旨味は、香辛料料理を主体とするインド人やパキスタン人には解って貰えません。この他、椎茸のグアニル酸、貝類のコハク酸もありますね。醤油などの味付けの場合、私は目の直感で判断し、味見ましない場合が殆どです。
2023.01.17
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〇ひとむかし、鱗華句会後の寄り道でいつもの三猿がつるんで居酒屋の暖簾をくぐり、俳句談義三昧。呑み直しにゆく先輩猿二人と袂を分かち、ふらふら木屋町界隈を南へ向うと、阪急地下乗降口近くの高瀬川小公園に三番叟みたいな格好した若者の群れを発見しました。問えば立命館大学の”和太鼓どん”というクラブのライブを挙行するとのアンサーでした。私は彼等の瞳の輝きに、「これは行ける」と直感しまし。 岩手県は”七つの頭(ズ)の舞い”に魅せられた若者が真摯に、その世界を探索するという奇縁から端を発したサークルだとの説明を聞きました。 先ずは二年生ペアー舞い。脇の振り、手振りのしなやかさ、身のこなしのメリハリに、つい惹き込まれてしまいました。続いて三番叟みたいな取り合わせの四人の舞い。それから随時繰り広げられる絵巻物。何故、年歯も行かない学生達に、かくも見事に舞い納めることが出来たのでしょう? やれ、もっと背筋を伸ばしなさいとか、あの場面は鋭角に剣を振りなさいとか、四人が等間隔を保ちなさい等、酔いの勢いで私なりにアドバイスをしました。彼らに数千円のカンパも致しました。偶然とは言え、その宵の絵巻物の、夢とも現とも知れぬ成り行きに、京のふところの深さを再認識したのでした。
2023.01.16
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〇1年の中で最も嬉しく興味のあるテレビ番組が掲題の女子駅伝。生憎、本日は俳誌の記事の1つ「鈴鹿野風呂俳諧日誌」の毛筆書を大学の先生方と読み下す仕事の為、ライブ感で観ることはできませんが、去年の暮れからこの時を待ってきました。地元の有利性もあって京都が18回の優勝を残していますが、5位以内なら、他府県に譲ってもという寛容さも個人的には思っています。前日のテレビ番組で未だ9区の区間記録が破られていない福士加代子さんの解説も拝聴しました。跨線橋や中学生区間など逆転劇が毎年繰り広げられます。京都新聞の特集の過去の成績一覧表を基に、1位経験数及び5位までの入賞経験数を並べますと、岩1-6、山形〇ー2,福〇ー1、茨〇ー2、群〇ー3、埼1-7,千3-18,東〇ー4,神2-10,長〇ー1,静〇ー1,愛2-9,京17ー35、大3-10,兵4-22、岡1-10,広〇ー6、福岡1-11,長崎1-11,熊1-12、宮〇ー4,鹿1-7となっていて、京都、千葉、大阪、兵庫そして九州は佐賀、大分を除けば、可能性のある地域とも言えますね。
2023.01.15
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〇「想い出にかわるまで」「ひらり」「都合のいい女」「毛利元就」などで著名な脚本家・内館牧子さんの絶妙なコメントの附された恋愛指南書が掲題の作品で、未婚の女性には是非一読して戴きたい読み物です。 あの人のどこがいいかと尋ねる人に どこが悪いと問い返す枕出せとはつれない言葉 そばにある膝知りながら思い切られぬ心が不思議 こんな不実にされながら惚れられようとは過ぎたる願い 嫌われまいとの この苦労私しゃロウソク芯から燃える ぬしはランプで口ばかり惚れた証拠にゃお前の癖が みんな私の癖になる唄もうたわずお酌もせずに 花をあびてる石地蔵あなた恋しと鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす思いなおして来る気はないか 鳥も枯れ木に二度止まるおろすわさびと恋路の意見 きけばきくほど涙出ると、まぁ全部で48もある中から適宜選んでみました。これらの作者の粋な表現の妙には感服するばかり。内館氏は、これらの一つ一つに女性ならではの解説や余談をエッセイ風に仕上げて居られます。
2023.01.14
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〇飽食の時代となった今日、行政では医療費節約を鑑み、メタボ予備軍らしき人々にダイレクトメールを送り付けます。一方では少しぽっちゃり系の方が病原菌への抵抗力があるという説も。私ら夫婦はその易きに流れるかと思えば、決してそうではなくて、体重を気にします。 さて、長岡京市では名産タケノコから名づけたものか、「のこちゃん体重日記」という体重測定記録グラフをインターネット上でも提示。私ら夫婦はもう14年来、のこちゃん体重日記のグラフその他の情報を書き記しています。つけ始めた当初は、一挙に二キロほど減少したので弾みが付きましたが、その後散歩その他の努力も顕著に数字に表れないものの、諦めないで体重・各計数値とにらめっこしています。
2023.01.13
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〇俳句結社「京鹿子」では、いつも髙木夫人のご尽力のお蔭で毎月の俳誌の発刊や企画展その他の催事に参画させて戴いています。掲題の書はh23年に逝去された智氏がS45年4月号~同48年5月号に於いて30回連載を組まれた記事を智様ご逝去後、奥様が再度改修の上h26年に発刊されたもの。野風呂先師の序文集の紹介、叢書の紹介、創世期の記事や日野草城や水野白川らの紹介、野風呂句集、海道句集、年間行事の吟旅、その他多岐に渡って京鹿子の歴史と世情とを紹介しておられ、特に京都の俳諧歴史を知る上で便利な書物で、私も再々利用させて貰っています。 尚、髙木智氏はおりがみの先駆者とも言われた方で、18を数える著書も今も売れているようです。
2023.01.12
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〇掲題の書は古本屋で200円で手に入れたもので、番町皿屋敷から助六由縁江戸桜まで34項目。浄瑠璃38種。他に清元や常盤津、長唄、おまけに小唄集まであって致せり尽くせり。 子供の頃に観た、与三郎や弁天小僧、助六などの名セリフは、雀百の諺のようにほぼ暗記していますので、たまに宴会などで披露します。
2023.01.11
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〇上前淳一郎さんの「読むクスリ 10巻」の最初の項に書かれているのは、田島令子さんが作られた、ストレスを聞いてあげるお部屋のこと。裕福な家庭に育ち、若くして重役の一人に名を連ねる程だった環境から、ご尊父の死から急転降下、実権も資産も父の愛人に奪われてしまった田島さん。 死の淵に立つ程まで悩んだ自分の経験を180度回転して逆利用、世の中に不満・悩みを持つ人々のストレスをじっくり聞いてあげる商売を始められた由。 当時30分500円の料金で、8畳ほどの部屋にはテーブルと椅子2脚だけの殺風景な造りでしたが、聞き上手の田島さんのお人柄で、大いに流行ったのだそうです。仕事のこと、職場の人間関係の悩み、家庭や夫婦のこと等、これまで誰にも聞いて貰えなかったことをお客さんは一気に吐き出し、すっきりして帰る・・・そう言う利点が受けたようです。
2023.01.10
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〇河出文庫本に京都新聞社の編になる『京都・町並散歩』(200数頁)があります。京生まれ京育ちの数倍もの想いを寄せる府外の人々を癒すのは寺院ばかりか、京の町家風情にあるのではないでしょうか。桟瓦屋根に始まり、琺瑯製の白板に「上京區 夷川通堺町東入 絹屋町」と書かれ、下には軍服の仁丹の広告のある町名表示板。 随分前、「大阪俳人クラブ」の編集担当だった折には、大阪も含め、京の変わった町名などをシリーズにて掲載。また屋根から睨む銀色素焼きの鍾馗さん、切子格子、犬矢来、福田平八郎画伯の「雨」にも描かれた”むくり屋根”の丸いカーブ、出入り口がニ重構造の”猿戸”、虫籠窓、数少なくなったけれど”ばったり床几”、酔っ払いの小便除けの朱色の”鳥居”、瓦屋根に始まり、琺瑯製の白板に「上京區 夷川通堺町東入 絹屋町」と書かれ、下には軍服の仁丹の広告のある町名表示板。祇園・宮川町に多い長簾、屋号入りの麻のれん、江戸・明治の名残”軒吊り看板”、祇園祭の土産”ちまき”、”牛つなぎ”、平瓦と漆喰で構成された”なまこ壁”などなど。京の観光としては名所よりも町並みを歩くことをお薦めする所以の一つがここにあるのです。
2023.01.09
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〇 家計簿に女を綴る秋灯下 星子という句を詠みましたが、正に私の母は克明に記した家計簿を残していました。嫁した先の家計を任された主婦の歴史書が家計簿であると言っても過言ではありません。’82年度の新年には正月から皆が集まる様子が日付ごとに記されています。またこの年には3歳だった長女が風邪をこじらせ脱水症状で入院した1週間の記録や、妹の長女(姪)のお雛様の準備、亡父との月2、3回の宝塚歌劇の観劇や歯科医への通院。84年度には長姉だけが貰っていたお雛様一式を、永年不満の煙を燻らせていた次姉にも買ってあげたことやご近所さんからの戴きものまで家計簿の余白に記録してあります。家内も姑にならっています。
2023.01.08
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〇日本女性史を語る上で、林屋辰三郎氏は<裏から歴史を動かす存在であった>とされています。紅という字も紺という字も、色は糸によって表され、糸は女性によってつくられて来ました。政治と女性との関係を見ても大河ドラマ「鎌倉殿の13人」からもよく解るし、経済面でも稼ぐのは男の役目、その出し入れの実権は主婦が握っている場合が大半ではないでしょうか。先ほど紅と紺を挙げましたが、近代日本という観点に立てば、京の「女紅」についても触れる必要があります。賀茂川にかかる丸太町橋の西詰めに「女紅場址」の石碑があり、知事・植村正直によって4つの中学及び64区の小学校のほか、同じく女紅場とい名の芸妓たちへの学校も建てました。女学校には、新島襄夫人の八重子や志士梅田雲浜の妻千代などが教壇に立っていました。
2023.01.07
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〇池内淳子さん主演の「女と味噌汁」は芸者上がりの女性が、茶の淹れ方、そして味噌汁などを通して粋な振る舞いを随所に披露したドラマでお茶の間の人気を博していました。このドラマの作家・平岩弓枝さんが「きょうと」という冊子に書いておられる記事があります。ドラマが始まると、地方への旅行地でお味噌を土産に頂戴したり、料理自慢の年配の主婦からわが家の味噌を味わってというお誘いも多々。平岩さんはドラマを書くに際して、辻留の辻嘉一に会って、歓談。味噌汁の味の決め手は上等の味噌を使うことにあるようで、拙宅を例に取れば、大晦日の8時半、家内が白味噌を買い忘れているのに気づき、二人してスーパーmandaiにて買い求めセーフ。蓋し、亡母以来、極上級の白味噌ではない安価なものでしたので、雑煮の味噌味は今ひとつ。家内が近在の農家から購入した大振りの頭芋が近年にない美味だったので功を奏しました。
2023.01.06
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〇一般投稿から成り立つ『大語海』から拾ってみました。〇あしたの滋養。〇あたし 伝記になあれ!〇足の向くまま、昨日むくんだまま〇あ痛っ、口がふさがらない。〇(歌)愛、あなたでふたり♪〇愛とは公開しにくいもの。〇悪銭でもいいから身につけたい。〇愛って絶えるものなのね。〇浅き夢見し飽きもせず---宝くじ〇穴があったら歯 痛い。〇足に向って撃て!---威嚇射撃。〇(歌)明かりをつけましょ ボンヤリと♪ーーー省エネ時代。〇あがきのヤマも今宵限りーーー試験前夜。〇あっしには何の×÷(カケワリ)もござんせんぜーーー+-(タシヒキ算) 〇あいつ同化してるぜーーーカメレオン。みなさま、初笑いになりましたか?
2023.01.05
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〇小冊子「きょうと」No. 45には、松本清張の「京の料理」、司馬遼太郎の「京都と神戸」なるエッセイが載せてありますが、「花脊」と題して鈴鹿野風呂先師の五句があります。 芒穂の花火開きにぬれつつぞ 分水嶺なす花背峠の葛嵐 法師蟬一山こぞり流し鳴き 思ひきや保津源流の秋の水 紅白のげんのしようこも花背らし本誌、葛西宗誠氏の写真と國分綾子氏の文章による「琴の糸」は工芸の神髄を語るものです。
2023.01.03
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〇田辺聖子さんからいろいろ学んでいます。その著『小倉百人一首』の20番、元良親王のわびぬれば今はたおなじ難波なる 身をつくしても逢はむとぞ思ふ難波は「みをつくし」を導くための掛詞。その昔、難波の入り江には水脈を知らせる杭が立てられていました。掲題はそれを指しています。 ところで陽成天皇が退位あそばした後の第一皇子で恋愛を含めた風流人でした。藤原時平が息女・京極の御息所とよばれた褒子を、醍醐天皇の後宮に入れるつもりで入内させたのに、父君の宇多法皇が一目ぼれあそばし、溺愛され傍からお離しにならなかったのに、元良親王がちゃっかり言い寄って恋人になさったようです。兎にも角にも、気立てのお優しい絶世の美女だたようです。
2023.01.02
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〇皆々様、明けましておめでとう御座います。 本年も宜しくお願い申し上げます。 京都には老舗の料理屋・旅館が多くありますが、その設えは小憎らしいほどの気配りが見て取れますね。老舗ばかりか、最近は京町屋をリフォームし、いかにも京都らしい雰囲気を醸し出した新参の食べ処も沢山誕生しているようです。微に渡り細にわたり造形的な美の翳を演出し、彩り豊かな料理を戴きながらの目の遣り場は、ほんの小さな坪庭。四方の廂によって方形に切られた空の色、その真下は小宇宙ながら季節感を漂わせる辺りは、いかにも京雅ビの真髄なのかも。 水野克比古さんの写真集『京都 壺庭』は京都御所の藤壺、萩壺から始まって、上賀茂神社、伏見稲荷大社、松尾大社と続き、仁和寺、随心院、南禅寺や上京、中京、右京、左京、下京、東山など至る所の坪庭が収められています。何かと忙しい現代ですが、わたし達の心の中にも小さな”壺庭”を設えておきたいものですね。
2023.01.01
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