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息子のバスケの全国大会決勝戦は残念ながら負けてしまって準優勝。6年生で固めたチームなのだが5年生の息子も後半終了間近にはゲームに出してもらった。20点ほどの差がついてしまっていたのと、来年を見据えての事だったんだろう。負けはしたがいい経験をさせてもらった。確かに負けるより勝った方がいいに決まってる。でも負けからも学びがあるのだ。決勝まで勝ち進んだ喜びと最後に負けてしまった悔しさ。両方体験出来てラッキーだったじゃないか。そう、体験が全てだ。実際にゲームに出て相手のドリブルのうまさにボールを取ることが出来なかった事や目の前で優勝を喜ぶ相手チームを見た事、スタンドから母親達が声を枯らして応援してた事、その全てがその銀メダルに詰まっているのだ。堂々と胸を張れ。
2007年03月31日
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4月から6年生になる次男がバスケットボールで全国大会に出場中である。しかし旧6年生がメインのチームなので補欠だ。千葉の幕張で戦っている。試合の速報がヨメから入ることになっていたので今日の昼はドキドキで待っていた。メールが来た。何と決勝進出!何てことだ!明日、あと1勝で全国制覇!勝っても負けてもベストを尽くして来い。きっといい思い出になる。今日の日記 終わり。
2007年03月30日
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別に夜間の高校に行っていたわけではないのだが父親と妹には滅多に会うことがなかった。同じ屋根の家で暮らしていたのにである。たとえば有給を取って高校を休んで山で野宿してたりBerryくんの家に泊まりに行ったり夜中に小学校のプールにみんなで泳ぎに行ったり少々騒々しいバイクで夜中にツーリングしたりあるいは深夜レストランでバイトしてたり何かと夜中は私用で多忙だったのである。意志とは関係なく起きるのは11時過ぎになりしまった、今日も学校遅刻だ、まあいいか状態になり5時間目の授業から出ることになるのだがまあそんなことはどうでもいい、妹の話である。ある夜、居間に入っていくと妹(その2)がいて「兄ちゃん、久し振り!」と声を掛けてきた。「おお、お前大きくなったなあ」って感じである。妹達との思い出はあんまりない。「大富豪人の子だくさん」という諺があるが僕には姉1人と妹が3人いる。妹達とは1本のヤクルトやマミーを分け合って「お兄ちゃんの方が1ミリ多い、ズルい」とさすが大富豪らしい荘厳なケンカをした程度である。ヤクルト約70ccを4人で分けるなんてその当時から大富豪っぷり炸裂である。妹から見た兄のことをアビアントさんが日記に書いている。果たして僕は妹に感謝の1つでもされてるのだろうか。
2007年03月29日
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「チャラ男」という言葉を知ってるだろうか?髪は茶髪を通り越して金髪か銀髪、あるいは更にそれも通り越してピンクや黄色、赤、黄緑の混じった七色。日焼けサロンで顔は真っ黒、目の回りは白メイク、爪は黒とか赤、ジャージのすそを引きずりKittyちゃんスリッパ、これが正統なチャラ男ファッションである。我が愛知県岡崎市は田舎のくせにTOYOTAの工場が多いため人口は多い。そういう土壌の地方都市なので都会へのコンプレックスが強いと思われる。授業中の携帯でのメール使用は「個人のプライバシーの尊重」により先生はそれを指導しないそうだ。ニッポンもクソみてえな教育になってきたわけだ。生徒は「お客様」なのであろう。生徒に媚びを売って「好かれる先生」になる。生徒を叱って「嫌われる先生」にはなりたくない。侮辱されようが体罰は禁止なのでジッと我慢である。生徒にニヘラニヘラと愛想笑いしてやり過ごすのだろう。自分が先生でなくてよかった。多分就任初日に3階の窓からサッシごと生徒を下に蹴り落としてYahooのニュースに載るだろうな。最近はチャラ男がよく来店して下さる。僕はニヘラニヘラと揉み手をして「お似合いでございますよ」と愛想笑いをして・・・してるわけねえだろ!ああいう気持ち悪いファッションには共感しないしあのふてぶてしい態度も腹が立つ。髪の色や服装で人を判断するな、とも思うがやはりアレは男としてみっともない格好だと思う。でもああいうキモい奴らの方が社会に出てからはクソ真面目な臆病者よりもちゃんとしっかり主張したりしてやってくんだろうな。いつかはそういうファッションからは卒業するんだろうし。理解力のある心の広い男と思われたくて言うのではないが心理的にはチャラ男寄りである。
2007年03月28日
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既に40日間連続で休んでいない。しかも次の休みまであと20日もある。もはや曜日の感覚はない。刑務所に入る機会があっても案外うまくやり過ごせるかもしれない。正直、休みを自分で決めて休んだっていい。テナント代は1日あたり約5000円、こいつを生かすも殺すも自分次第である。5000円で自分の時間を買うと思えば安い。5000円札で鼻をかんで捨てると思えば高い。ギャンブルで簡単にその金額をすられる人もいればその金額があれば2ヶ月は食っていける国の人もいる。1日あたり5000円と引き換えにして家でのんびりしていようとは思わない。それと引き換えにしても満足する事のためなら休める。その点が会社員の有給と違うところだ。金勘定が絡んでくるのだ。会社員の人、有給や休日は有意義に使おう。贅沢な休み、これがいいね。そうだよねえ、トイモイさん。
2007年03月27日
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「無人島に持って行きたい物ランキング」にダントツNo1として君臨しているアイテム、それはゴムボートでも本でも水でも食料でもなく「携帯電話」というのはおかしな話である。そこには孤独はイヤだという心理もあるだろうし冷静に「救助を呼ぶため」という思いもあるだろう。ただ、その裏側には「自力で生き延びよう」という思いがない。孤独を楽しもうというポジティヴさもない。所詮「他人の力」によって脱出をするという前提が見える。しかしランキング1位というのだからおかしいのは僕の方かも知れない。世論とは常に、それが捏造されたとしてもそちらに傾いて行くのが常である。アジア各国、特に日本は他人と同じでないと不安になるという人種が多く実際僕が店でお客さんから最も多く受ける質問は「みんなどんなの買ってますか?」である。ちなみに質問の2位は「どれが人気ですか?」3位は「何が売れてますか?」と1位の質問と結局同じ質問であるが4位に「マリファナ売ってませんか?」というのもこれまた笑える質問である。時には「うん、あるよ」とか「合言葉は?」とか言って逆に質問者を驚かせるのも僕の仕事のうちであるが実際のところ売ってないのであるよ、ホント。そんなわけで今月号に載せた雑誌のエッセイは【ケータイなんて】である。
2007年03月26日
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サービス業の満足度についてダギリッチさんが日記に書いていた。ちょうど今その事について壁に当たっている。いや、ずっと前からいつもいつもそれが課題である。70店舗ほどのテナントが集まっているビルの中に僕の店もあるので当然色んなたくさんのお客さんが来てくれる。高額な物を少量扱うタイプではなく、数百円数千円の小物やアクセを扱っているしエスカレータ正面ということもあって人通りは途絶えることはない。もちろん全ての人が僕の店で足を止めることは不可能だし実際限りなく多くの人は素通りである。奥にもたくさんの店があるから当然だがそれはプレッシャーというか疎外感に繋がることもある。親子連れが多い日、年配の人が多い日、女性客が多い日など毎日客層の状況は違うから隣りの店が売れてるのに僕の店が売れない日やその逆の日もあるわけだ。小物を扱うがゆえに全てのお客さんの顔はとても覚えられない。お客さんが「店長、お久し振り!」と来店されても正直「え?あなた誰?」という事が多い。それでも「あなた誰?」なんて言えるわけないからいかにも「ああ、また来てくれましたね」というニュアンスで合わせて話を進めるうちに糸を捜すのだが結局わからない。でも髪型や服装なんかもきっと先回来店時と変わってるだろうから覚えられないのは仕方ないとも思う。相手が少なからず好感を持ってくれていても(男性客にしろ女性客にしろ)僕の心の中は「あなたのこと覚えてませんけど」と思っている。随分卑怯だな、と自分で思う。ごめんなさい。サービス業の人、こんな経験ない?
2007年03月23日
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まだポカラに向けて下山するには日程が余っていた。でもあの夕焼けを見ちまったから明日は下界に下りようと思った。今ここで旅を終えたなら充たされきった心のままで「あの夕陽を見るためにここまで来た」と自分に言い聞かせられる。人ってそういうもんだと思う。何かのきっかけがないと離れられない。旅だからだとか日常だからだとか飽きたからだとか切ないからだとかそういう事とは関係なく終わりは訪れる。各国のトレッカー達と最後の晩餐をした。最後ではない、いつかまたどこかで。アメリカでドイツでフランスでイタリアで日本でお互いを思った瞬間に再会は果たせる。手は触れ合えないけれど、想い出は共にある。翌日は独り、暗いうちから目が覚めた。最後のお別れをせずに宿を出た。昇ったばかりの朝陽はダウラギリを眩しく照らした。さほど眩しくもないのに手をかざしてみる。標高4000mの旅立ちは我ながら・・・。
2007年03月20日
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雪のうっすらと積もったガレ場を登るにつれて山頂しか見えていなかったアンナプルナの全貌が段々と視界の中に広がってくる。かつて海の底だったその岩の塊は今や地上で最も高い聖域の一部である。そのまがまがしくうねった地層は威圧的であるが同時に生命の儚さと奇跡を語りかけて来る。ヒマラヤの風は太古は海流だった。生命はその頃、この山と共に海にいた。ちっぽけな人間はその雄大なスケールを今この現世で見れた感激に打ち震えなぜ自分がここにいるのかを自問する。人類の進化の過程に思いを巡らせばまたたく間に消え行く雪のように意味はないが無駄ではないと本能が語る。数億年を経ての再会である。呼ばれたのか。
2007年03月19日
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「槍もステキですが、海外の山は高いので見るだけでもダイナミックでしょうね」と掲示板にくま娘さんからコメントを戴いた。槍ヶ岳をそれなりのアップで見るならば標高2000m以上の場所でなければ見れない。その場合、標高3180mの槍ヶ岳との標高差はおおよそ1000mほどということになる。それに対しヒマラヤトレッキングではほんの2000mの標高にいるだけで6000mから7000mの山がアップで楽しめる。標高3000mから4000mを歩きながらですらまだ山との標高差が3000mほどもあるのである。それは山を見るというより、地球を感じるという感覚に近い。ダイナミックであるし、胸が焦がれるほど再訪したい場所である。同時に「すぐ近くにあるのに届かない」という歯痒さというか無力さも心にピリリと刺さる。登るには許可証や大金も要るし、何よりも技術が要る。ヒマラヤの風はそういったほんの少しの切なさも運んでくるのである。槍ヶ岳をはじめ、日本の山は現実に登頂可能の山である。それに対しヒマラヤは、誰でも簡単に登頂することは難しい。登頂を目標とするピークハンターならトレッキングは欲求不満の山歩きとなるだろう。僕はピークハンターでもなければ何時間で登ってやろうというタイプでもない。気に入った景色があれば何時間も座り込むし寄り道したり昼寝したり好き勝手に行動する。トレッキングはそんな感じで楽しめる。ヒマラヤトレッキングは高いハードルではない。2週間、出来れば3週間の時間とカトマンズまでの格安航空券だけでOKだ。トレッキングに必要な装備はこんな感じ。 トレッキングルートからズームで撮影したアンナプルナ。
2007年03月16日
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久し振りにボウリングをやったので筋肉痛である。大富豪なのでわざわざボウリング場には出向かない。居間のイスをちょいと片付けてやったのである。ボウリングをやるぐらいのスペースなら充分ある。ビリヤードもやった。居間はまあまあ広いので充分出来るのである。ついでにテニスもやった。テニスぐらいならこれまた居間で問題ない。しまいには居間の座椅子を少しずらして野球もやった。居間はとてつもなく広いので170メートルの大ホームランを打ってもガラスは割れない。しかし床がフローリングなので打つ時に滑ったりするのが難点だ。
2007年03月15日
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娘が車の免許を取った。今夜は早速迎えに来てもらおう。今やAT車の普及率は90%以上と言われているがうちの車は2台共マニュアル車である。だから娘もマニュアルにも乗れる免許である。ご存知のようにクラッチは左足を使う。AT車では当然左足は使わない。右脳を刺激するには左足の親指を刺激させると良い、これは医学的にも立証されている。特に末梢神経から刺激を送ると良いのである。副交感神経は脳にクロスしているので右脳を鍛えるには左側の身体の細胞を使い、左脳を鍛えるには右側の身体の細胞を使うと良い。病院のリハビリでもこれは常識である。ホーキング博士だとかのすげえ天才は大抵右脳が異常に発達している。あるいは左脳に障害があるためそれを補おうとして右脳がその分発達している。僕はこれを実の息子で実験してみたのである。産まれてから3歳ほどまでは左手をメインに使わせる。それを過ぎたらバランスのために右利きに矯正する。それだけで手の組み具合は左手が優位になる。子供の頃にパズルをさせる時は左手でやらせた。息子は今でも抜群にパズルをするのが早いし瞬間記憶力や知能指数もかなりのものである。ただ、全ての要因はそれだとは断定出来ない。これを書くと全世界の90%以上のAT運転者を敵に回すしデンソーをはじめとするAT自動車産業に文句を言われるが「ATは人類の右脳の発達を妨げる」と言うのが次回の学会でワタクシが発表しようとしている題名である。まあ、その分ゲームで左手を使ったりパソコン使ったりで実際は右脳の発達が阻害されてることはないのだろうが多分ひと昔前の右脳の形態と現在の形態とでは発達している部分が違うんだろうと思う。昔の人間は裸足で歩く機会が多かったからもう少し右脳への信号がビビッとしてただろうけどその代わりパソコンや車やゲームがなかったから思想も含めて脳の回路も今とは随分違っただろうなあ。
2007年03月14日
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今日はいつもより1時間早く店に入った。真っ暗なビルの中、僕の店だけに電気が点いている。天然石ネックレスのアップ画像撮影と雑貨の撮影。ダウンライトの光を使って丁寧に撮る。自営業というのは自分がやった分だけ収入に結び付く。誰からも背中を押されることはないし誰からも咎められることもない。締め切りは自分で作るものである。何があろうと責めるのは自分自身だ。退くも攻めるも自分自身の判断。他人の顔色を伺う必要もない。これは気が楽である。BGMは音量を絞ってBLUESをかける。絞り出すような「サード・ディグリー」を聴きながら暗闇の中で僅かな優越感と静かな闘志。
2007年03月12日
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ビル内の雑踏から逃れ誰もいない喫煙スペースでタバコを吸う。外で吹き荒れる風の音が聞こえている。隣りのビルは解体中である。その廃墟となった空間が風を一層無機質にさせる。コンクリートに囲まれたこのあたりはビル風によって更に強い風が吹く。自然の営みなんて感じられない。この日の嵐が懐かしい。風とはこう吹くべきなのだと思う。何かを運ぶため、何かを感じるために。
2007年03月11日
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僕の店の約2割弱のお客さんは外国人である。その大抵はブラジル人が多いのだが昨日は欧米人と東洋人の男性コンビが来店した。2人共たどたどしい日本語で話している。その会話を聞いて東洋人が日本人でないことがわかる。会話に加わってみるとアメリカ人と韓国人だった。2人は日本語学校に通う仲間だったのだ。サンフランシスコから来たアメリカ人は日本に来て3ヶ月で平仮名、カタカナが読める。韓国人の方は来て半年、かなり話せる。お互い日本語で話をしているという事は韓国人が英語を話せないという事が想像出来る。この場合、それがお互いにとって日本語を学ぶプラスになるんだろうと思った。妹はオーストラリアに2度 短期留学したことがある。2度目の時は友人と行ったので向こうでも日本語で話をしてたそうでだからその時は英語の勉強にならなかったようだ。ろくに上達もせずに帰って来た。やはり何かを習得するには必要な事がある。僕の場合「逃げ道を絶つ」極端のようだがこれは近道だと思う。
2007年03月10日
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弘君ママさんの感動の日記を読んで安心したことがある。募金活動は全てがニセモノではないという事だ。かつて僕の心が清く正しく美しかった頃、こんなこともした事がある。好きな言葉は「濡れ手にアワ」、「ノーリスク・ハイリターン」騙しのテクニックの向上に日々精進しているワタクシにも遠い昔にはほんの少しの光があったのである。
2007年03月09日
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今日はとっても厄介なネックレスのリメイクの仕事があった。引き受けたはいいけど直してる途中で「ヤベえ、できねえ」パーツを通す穴がコンマ数ミリ通らなくて太さ1ミリ弱のパーツをコンマ数ミリ削って何とか完成。3分で出来ると言ってしまったのに10分ほどかかってしまった。でもそのお陰で待っててくれる間に別のアクセとシルバー磨き布を買ってくれた。ちなみにリメイク代金は高くても¥200です。取り替えたパーツ代だけ戴く。今日のは持ち込みだったから無料。どうしても代金を払わせて下さい、と言ってくれるお客さんには「じゃあレジ前の募金箱に¥10ほど入れておいて下さい」と言う。アジアで災害があった時とかタイに行った時に寄付するとかそんなふうに使わせて戴いております。ちょいとリメイクした手間賃が寄付に変わって恵まれない子供が少しでも救われるなら嬉しいじゃん。相変わらず財布が売れたら一部を自腹で寄付してます。そろそろ1億円ぐらいになるんじゃないかな?(ウソ)
2007年03月08日
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1日に娘が高校を卒業した。それに続き今日は息子が中学を卒業である。もう高校の推薦合格は決定しているので明日からはとことん遊びまわるらしい。先日マウンテンバイクを予約したようだが(結局5万円弱の自転車。それでも高えよなあ)春休みはそれで2泊3日の自転車旅行に出るようである。先日は地図を検索してプリントアウトしていた。娘も長男も問題はない。もう立派な人間で、子供というより妹や弟という感じがする。小さい時に基本的な道徳は教えておいたのであとは色んな体験をして自分を磨いていけばいい。カウンセラーの話を以前書いたかもしれないがその仕事の内容は「相手の話を聞くだけ」である。こうした方がいい、こうしなさい、とアドバイスしてもダメだ。「それは大変ですね、どうすれば解決出来るのかなあ?」と相手に同調し、一緒に考えるように(それがフリでも)本人に考えを固めさせるのがベストだそうだ。要は相手の背中を押すのが仕事だ。導こうだとか教えよう助けようなんて考えは捨てその人自らに答えを出させるのが仕事だ。相手は自分の分身でもなければ操り人形でもない。これは教師と生徒にも当てはまると思うのだが。冷めた親子だと思うかもしれないがこれでも無償の愛情を持っている。あいつらのためなら命すら投げ出しても幸せである。
2007年03月07日
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最近はアクセサリーのリメイクの依頼が多い。今日はがちゃがちゃと赤珊瑚の付いたブレスをネックレスに作り変えて、という注文が来た。そのブレスは2種類の石が付いており1種類は50個、もう1種類は67個。これをいかにバランスよく配合してお客さんが満足してくれるネックレスにするか。両方同じ数を使うのなら簡単だ。順番にワイヤーに通していけばいいのだから。しかし今日の注文はいわゆる「数学的」であった。最近は数種類の天然石をミックスするブレスの注文も多い。お客さん(ほとんどが女性)の手首を見て瞬時に出来上がりの寸法を予想する。ラピス、水晶、タイガーアイなどを見栄え良く作る。ネックレスなら多少の長さは何とでもなるがブレスというのは寸法がシビアだ。ちょっとゆるい、ちょっときつい、じゃダメなのだ。プロとしての自覚と自信を持っている。
2007年03月06日
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台所にピーナッツパンが置いてあった。日雇い土方時代に毎日毎日食った味だ。冬の寒い朝の6時に工務店に集合してワゴン車のガラスの霜を取り払い出発する。現場に向かう途中にコンビニに寄るのが慣例だった。別にピーナッツパンが好きだったわけではない。普通の菓子パンが¥80だったのに対しそのピーナッツパンは¥50だったからだ。10時の休憩にプレハブ内の折りたたみ椅子に座りそいつを水筒のお茶で口の中に流し込む。15分の休憩の後、また26mの足場を登る。鉄骨や鉄バシゴを肩に食い込ませてくたばってたまるか、とまた思う。くそったれが~、今に見ていろ、ここで諦めるというのはその程度の男だという事だ。さっきの一撃で足の小指の骨が折れたかヒビが入ったな。どんな痛さでも我慢してやる。そもそも医者に行く金なんかねえ。どんなに眠くても足の小指が痛くても俺が往復のワゴン車の運転をして行くよ。運転手手当てで日当が¥500プラスになるんだからさ。みんなは疲れただろ、後ろの席で寝てろよ。たかが1時間ぐらい集中力で乗り切れるよ。我に返って台所に座ってパンを食ってる自分に気付く。なあんだ、ピーナッツパン、案外うめえじゃんかよ。
2007年03月05日
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同業者の知り合いから相談を受けた。ある日、日本著作権協会からTELがあり「店のBGMは何を使っていますか?」という質問。「CDを聴いています」と答えたら「店舗でCDをかけるのは著作権違反ですので 年6000円、法律施行の2002年まで遡って請求します」と今度は請求書が送られて来たらしい。その人は消費者センターに問い合わせてみたがそういう法律は確かにあるので払って下さい、との事。僕は腑に落ちなかったので色々調べてみた。確かにそういう法律があるようだ。でも協会のHPには金額の請求はない、というようなニュアンス。色々な人に訊いてみたらやっぱりその手のTELや請求書が来るらしい。けれどみんな無視してるようだ。僕が思うにそれは法律の盲点をかいくぐった詐欺だと思う。消費者センターも実態を把握出来てないんだと思う。しかし簡易裁判命令も無視したら敗訴するかもしれない。そこで僕がその人に提案したのはCDは聴いてるが日本著作権とは関係のない海外で直接買って来た現地のCDを聴いている、という返事。これならば日本の著作権は関係ないだろう。しばらく様子を見て無視するようだ。店舗を構えてる皆さん、こういう電話が来たら「有線かラジオを聴いている」と答えた方がいいよ。多いんだわ、イヤなTELって。右翼やヤクザの脅しとかさ。小冊子30万?買わねえよ。他のヤクザから守ってやるから100万?どっちも1度でも払ったらカモ名簿に載るんだろ?バカ言ってんじゃねえよ、自分は自分で守るよ。電話もFAXも切っちまいたいよ、全く。
2007年03月03日
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息子がマウンテンバイクのカタログを貰って来た。値段を見て驚いた。高いのになると¥824,000だとか¥740,000なのである!¥82,400とか¥74,000ではない。はちじゅうにまんよんせんえんなのである!ゼロが1個多いのだ。もちろん息子はもっと安いのを買うつもりだが。それにしても27段ギアってなによ?「18段じゃちょっと重いな、19段にするか」なんてそんなにシビアなギア比が必要なのか?おい。そんなにガチャガチャとギアいじるとチェーン外れるぞ。何はともあれ、車が買える金額ではないか。ちなみに今ヨメが乗っているカローラワゴンは車検付きで45万、その前のミツビシリベロワゴンは25万で買った。大富豪も締めるところは締めるのである。自転車の種類は違うがハルジさんも今年になって自転車を買ったと言うがたかが自転車、されど自転車である。
2007年03月02日
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昨日は興味深いことが起こった。中国株の暴落により日本とアメリカの株価も下がった。911テロ以来の大幅下落だった。もちろんそれとリンクしてドル安が起こったのである。日本では「ドル安」ではなく「円高」と報道したがこれは同じようで違うと思う。この一件でドルは弱くなったな、と思った。実際ロッテルダム石油市場では今やドル建てではなくユーロ建てでの支払いに移行している。ドルを守るために石油宝庫の確保は必要なのである。湾岸戦争の時に当時の国防長官で、バーリントン社というイラク内のインフラ事業を牛耳っている人物、911事件の時にはたまたまシェルターの中にいた人物、ご存知の通りそれがアメリカの現副大統領チェイ二ーである。昨日カブールで起こった自爆テロ事件は「極秘電撃訪問中」の彼をターゲットにしたという報道がある。極秘なのになぜそこにいることがわかったか?情報はアフガニスタン軍部を通して実行犯らに的確に筒抜けになっていたと思われる。チェイ二ーがなぜカブールに行ったかは数日前のイギリス軍順次撤退の報道と関連する。他国の便乗撤退を食い止めるためと容易に想像がつく。先日バンコクでアフガニスタン人と話した折、実際はNATO軍は我々によって包囲されており基地からもろくに出られない状態だ、と聞いた。春になればアフガンゲリラは本格的に攻撃をするらしい。「早く平和になるといいね」と言ったら以外にも「闘いは長くやってくれないとなあ」という返事が来た。(もしかしたらブラックジョークかも知れないと思ったほどだ)それがアメリカの考えと共通していたのでなんだかデキレースのような戦争という感じがした。
2007年03月01日
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