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太いブナの木の下に座る。さわさわと木々が揺れる深い森の中だ。落差45mあるといわれる滝が見えている。木漏れ日が揺れている。森の中で土に座り 木の葉を通して空を見る。こんなことすら非日常的であることを少し悔む。見上げた瞬間に構図も決めずに写真を撮ってみる。なるべく何気ない行為でそうすることによって日常に取り入れたかったという行為そのものに既に策略という嘘が見え隠れする。風が止まれば静寂の森である。秋の終わりにまた来ようかと思う。このブナの葉が黄金色に舞う時期に。
2007年08月31日
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立入禁止のラインを越えて火口を覗くと地面が割れて水蒸気が噴き出していた。その周囲は硫黄成分で黄色くなっている。山が生きている。草木が光合成をして成長しているとか鳥がいるとか 水が流れているとかそういうレベルじゃなくもっと原始的で根本的なもの。マグマとかマントルとかそういう規模のもの。そもそもその活動がなければ木も鳥も水も何も生まれてやしない そういう地球規模の営み。草木は刈ったり切ったり出来るし鳥は追い払えるし 水は堰き止められるけどマントルの対流活動は止められないレベル。そういう地球規模のスケールを感じた。仕方ないか、悪あがきは止そうか。山ってそういう肩の荷も降ろさせてもくれるし元気をくれたりもしてくれる。実際は山自体が教えてくれるんじゃない。山と対峙する内なるもう1人の自分が出す答え。顔をあげて吹く風を受け止めようか。
2007年08月30日
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いつもの帰り道とは逆に自転車を走らせ店からほんの2分のお目当ての場所に到着する。この時間ならちょうど天守閣のすぐ上に月が見られるはず。川沿いに桜並木のある岡崎城のほとりである。いつものようにライトアップされている城の上に赤い満月が浮かんでいる。川の土手に寝転んで受ける風は気持ち良い。しばらくのんびりと眺めた後今夜は川沿いの道を上を見ながら家に帰るとする。河原では花火をしている人達の笑い声。この街に住んでいて良かったと思う。とても日本的な、誇れる城下町。あとで知ったのだが河原で花火をしてたのは娘と息子とその友人達だった。まもなく夏休みも終わりである。
2007年08月29日
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森の中の薄暗い岩陰を覗き込むと蛍光塗料が飛び散ったように光るものがある。儚げに生えるヒカリゴケである。この画像はフラッシュも使わずに撮ったのだが一粒一粒は意志を持ったように存在を主張している。たまたま登山道の脇に生えていれば(正確には生えている横に登山道が後から作られれば)こうしてやっと存在が認められるのだが更に森の奥深くには人目に触れないけれどももっと群生しているヒカリゴケがあるはずである。森は奥が深い。僕ら人間が知り得るのはほんの一端で木々の向こうや地下はもっと神秘に溢れているだろう。地中で根が伸びて行く角度とか 水脈の経路とか自然の営みは奇跡的に素晴らしい。森を歩くと、人間も自然の一部であり自然に生かされているという感覚が強くなる。夜明けの森歩きは自分を謙虚にさせてくれる。そして感性を研ぎ澄まさせてくれる。ぜひお奨めしたい地球の歩き方である。
2007年08月28日
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翡翠(ひすい)色というのだろうか。焼岳の火口湖はそんな乳緑色である。白根山をはじめ硫黄成分の混じるカルデラ湖は大抵こんな色合いを醸し出す。山頂の風に吹かれていながら南の島の海を思っていた。乾いた空気と強い紫外線の陽光が徹夜明けの頭の中でシンクロしたのだ。BALI島クサンバ村近くの洞窟、ゴアラワ。その横の山道をくねくね歩いて行くと村人しか立ち入れない聖なる寺院がある。ここで祈祷師を呼んでお祈りをするのだ。すでに村に居候して1ヶ月以上経っていたので本来は立ち入れない寺院にも同行出来た。寺院の手前で来た道を振り返るとエメラルドグリーンの海が見渡せた。祈祷師の鈴の音がチリリンと鳴る。登山者のリュックに付けた鈴がチリンと鳴る。我に返り 焦点を合わせ 湖をまた見る。さざ波ひとつない静寂。
2007年08月27日
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徹夜で焼岳に登った後に向かったのは露天風呂である。今回は日焼けで肌が火照っていたのでぬるま湯ではあるが無料の露天風呂に決定である。ここは混浴で、以前は女性客も入って来てなかなか出るタイミングが難しかったという記憶もあるのだが(いや、身体の一部が反応したという意味ではなく(笑))今回も金髪外人女性と混浴というナイスタイミングだったのである。残念ながら←赤字太文字 ビキニを召されていたが。そのあと向かったのは飛騨鍾乳洞である。エネルギーの全てを使い果たす行動をするのはもはやトイモイ氏を師と仰ぐワタシの信条熱意義務であり心なしか画像とか文体とかが彼とダブるのはご容赦戴きたい。誤字脱字には留意する所存である。 入場料¥1000、子供¥500。息子よりも潜入にワクワクしていたというのは内緒であるが一歩洞窟に足を踏み入れると別世界である。 フラッシュを使うと白くとんでしまうのでスポーツモードでブレないように撮影。 フラッシュを使うと白くとんでしまう挙句エログロい画像になってしまうので注意である。(笑) 子供と2時間もゆっくり探検。出口を出て外の眩しさに目がくらむのは朝9時頃ラブホテルから出て来た気分である。ああ、わかるわかる、なんて思ってますね?アナタ。
2007年08月26日
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次男(小6)と徹夜日帰りで焼岳にハイキングに行って来た。麓の登山口に深夜1:30到着。いつものようにウォーミングアップなしでハイキング開始。1度も休むことなく順調に森を抜ける。 深夜、頂上まであと1時間の草原。すごい突風とガス。明るくなり始めるまで岩陰で待機。こんな中でも寝てしまう息子。時々サッと厚い雲が途切れすごい星空。 朝焼けは見られず。雲の動きがすごいスピード。天気が好転する兆し。 焼岳小屋まで下山し軒先で待機。レトロな良い小屋だ。軒先の温度計は朝6時の時点で7度。先程までいた草原では多分3~4度だっただろう。突風によって体感気温はそれ以下だったと思う。 ガスに覆われた太陽。 焼岳直下。太陽が出て見事に晴れ始める。噴煙と雲はどんどん空気中に吸い込まれていく。 硫黄の匂いのする噴火口。ジェット機のような蒸気放出の音。 焼岳直下から上高地方面を望む。神降地が語源とも言われている。 穂高をズームで撮影。夜明けの悪天が嘘のような完璧な青空。 御岳の湖そっくりの焼岳火口湖。 焼岳をバックに記念撮影。相変わらず爽やかさが売りのワタクシである。画像中央やや右から登山道が見える。登頂は中央のドームを左に巻いて登る。とことんのんびり過ごし昼過ぎに下山。
2007年08月25日
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本当ならば今夜からはハイキングだったのだが山の方は雨が降ってるようで1日短縮した。仕方ない、また徹夜日帰りハイキングにしよう。残念ながら小屋に泊まることが出来ない。行き先は焼岳。深夜から登って山頂で朝陽を見る予定。予定では24日の明け方から天気は回復しその日の朝焼けは見事な色になると信じている。信じていれば何か1つは期待通りになるでしょう。
2007年08月23日
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久し振りにバンコクのカオサンロードを訪れたというトイモイ氏の日記を読んでそりゃあまりの変貌ぶりにビックリしただろうなあ、と思う。あそこの変わりぶりは確かに凄まじい。世界各国からやって来るバックパッカーを待ち受け歩道も露店がギッシリで歩くのにも苦労する。数年前からネパール人の店主が激増し僕にとっては買い付けの仕事もしやすくなった。店舗代は日本とさほど変わらないらしい。あそこはタイではない、無国籍である。吐き出して吐き出されて毎日放熱している。裏通りに行けば日本人ばかりが肩寄せ合って宿泊客のほとんどが日本人という宿もある。僕はそういう場所で泊まるのが大嫌いなので今は不便だが静かな少し離れた路地裏に宿をとる。カオサンロードは膨張し続けている。西側にあった静かなお寺の周りにも無数の店や宿が建ち、もはや安眠は無理である。壁のないホテルのエアコンルームで静かに眠るか郊外の安宿で窓を開け放ち扇風機で眠るか。アジアはやっぱり郊外でしょう。ただ、買い付けの利便性が問題なんだよね。
2007年08月22日
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今は新空港になってしまったバンコク。空港から市内へはタクシーかエアポートバスが手段である。昔のドンムアン空港だった時はそれに加えて電車と市バスという手段も選択出来た。夕闇迫る頃、あるいは深夜、市バスの来るのを待って不安と期待の混じった感情で道路脇に立つ。来る時はすぐ来るが来ない時は1時間も来ない。それがバンコクの市バスであり既に旅人としての幸運、不運が試されている気分だ。電車で市内に入るのもまた情緒がある。異国の乗客を眺め、眺められるのもよし、連結板の上でタバコを吸いながら風に吹かれて南国の風景を眺めるのもよし。ああ、線路脇で子供が手を振っている。トイモイ氏の日記の画像にあるバンコク駅、正式にはファランポーン駅が終点である。その周りで堕落的な宿を探してもいいし市バスを乗り継いで別のエリアに宿を探すのもいい。Berryくんと行った時のように信号待ちで停まっている電車から飛び降りてスラムの中に紛れ込むのも悪くはない。旅は移動手段が大きなウエイトを占める。いや、これは正しくない。移動のために移動する、移動こそ旅そのもの。目を開けたまま夢を見る。それが旅をする人の特権。
2007年08月21日
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海外、特にアジアなどダラリとした国とかビーチとかで自由気ままに過ごした後、帰国当面は精神的社会復帰が課題となる。彼なんぞ帰国後20年、未だに社会復帰出来ないのである。(笑)僕は精神的社会復帰は果たしていないものの何だかんだと日本の消費社会にまんまとアジャストしうまく潜り込んで利用し利用されながらその延長線を生業とさせて戴いている。「現実逃避」1度も転職せず会社勤めをしていた人達からこう言われた事がある。いや、今はもうわかっている。僕に浴びせたその言葉の中には多分に妬みも含まれそんなに世の中甘くないという嘲笑も含まれていたと。ではあなたがたの行動1つ1つは現実逃避ではないのか?服を買うこと、車を買うこと、ビデオを観ること、行楽に出向くこと、全ては言ってしまえば現実逃避でも有り得るのではないか?夢を見てるだけの者は負け犬で夢の実現に取りかかる者は現実逃避者。だったら喜んで逃避者になれ。フリーページに【社会復帰】をアップしました。本日発売の雑誌に掲載されるエッセイです。
2007年08月20日
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本日はすげえタイトルなのでアクセス数急増と思われるがもう時効なので大目に見てやって欲しい。全国の7~800人ほどの女性はギクリとしてるだろうが安心してくれたまえ、アナタ達とのことではないのである。20代前半、バンコクのチャイナタウンを歩いていた。将来輸入雑貨店を始めるという夢を持ち自分自身に投資していたのである。彼のように人形館に目を向けることもせずつまりそれは彼よりも志がほんの少し高いのか散財ぶりが板に付いていない臆病者なのかただただ1日中歩いていたのである。この問屋街エリアを制覇すれば将来いつか必ずこの苦労が報われると信じていた。少し間抜けであった。市場でマンゴスチンを1kgも買って日も暮れた頃、路地裏にHOTELの看板を見つけた。HOTELの名前は24だとか37だとか そんな感じで番号がホテル名なんてシンプルだなあと感心していた。バンコク通の方ならこれだけで笑うだろう。バカ、それはラブホテルなんだよと。とにかくマンゴスチンの入った袋を持ってチェックインした。独りである、小さなリュックである。部屋は100バーツ、やや高め。入ってびっくり、大きなベッドに大きな鏡。ここで僕はようやく気付いたのである。その後、部屋のドアは延々とノックの嵐を受けるのであった。「女はどうだ?」HOTEL側からしたら明らかにおかしな客である。ラブホテルに男独りで泊まり、女を後で呼ぶでもない、女はどうだ?と声を掛けても要らないと答え、ただ袋に半分ほど残ったマンゴスチンを食い切れないからやるよ、とだけ言う日本人だったから。
2007年08月19日
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夏山天気予報サイトというのがある。今週の槍ヶ岳の最低気温は3℃か、涼しいなあ。で、週間予報を見ると23日に予定していた焼岳は延期になりそうである。休みの日に家にいるというのは耐えられない。カズさんのようにヨメといるのが苦痛だとかヨメに追い払われるというのではない。(笑)(はっ!また実名書いちゃった!)何ていうのかなあ、焦ってしまうのだ。まるで昼間に教育テレビの囲碁の番組を見てるみたいにイライラというか時間がもったいなく感じてしまう。ついついパソコンで仕事をしてしまうのも腹が立つしさ。子供に夏休みの旅行をプレゼントしてあげたいし。長男は毎日高校の部活に明け暮れ、次男はバスケとソフトボールの試合に引っ張りだこなのだ。なかなか子供とどこかに行く機会がない。子供にはもっと色々体験させてあげたい。うちの子は放っておくと部活とか勉強とかなんか枠にはまった事しかしてねえからさ。優等生って疲れねえか?おめえら。父親を見ての反動なのだろうか?(苦笑)
2007年08月18日
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プロ野球中継は全く観ないのだが高校野球というか「熱闘甲子園」は必ず観ている。夜11時からはいくらネット販売が忙しくてもパソコンをオフにしてTVを観る。僕は小学生の頃から野球が大好きだったのだ。小学生の時は明けても暮れても神社でソフトボール。会社の社会人野球にも入っていたし自分達でソフトボールチームを作って市の大会に出たり他チームと試合をしていた。ある時、市の有名な強豪チームからスカウトされた。もう頂点ともいうべきチームからである。このチームはA級グループに所属していて強豪8チームで年間通じて闘い、首位は全国大会に出るのだ。僕はピッチャーをやっていたしバッティングもまあまあ、足も速いし肩も良い、と自負していた。ところがそのチームに入るとやはり上には上がいた。というよりも僕が1番ダメなのである。自分のチームではピッチャーで3番を打っていたのだが新チームではライトで9番、あるいは控え選手だった。高校時代に野球部だったというおっさんの集まりなのだ。ソフトボールのくせしてカーブとかチェンジアップとかある。右バッターの僕の顔めがけてやってくるボールに思わずのけぞるとボールはストンとカーブしてストライクになる。決め球はアウトコースのボール球。見送るとググッとシュートしてストライクになる。もはや僕が高校球児あがりの中年おっさんに勝るものは年齢の違いによる足の速さだけだったのである。試合終盤に代走で出て盗塁するぐらい。はじめは屈辱的な気分を味わったがまあ同じレベルになるには無理だろ、僕は僕の出来ることを、と割り切って楽しませてもらい、2年で僕はチームを辞めた。毎週日曜日の早朝6時に試合開始だったしな。(^^ゞ高校野球を観ていると僕は選手に乗り移ってしまう。投げているピッチャーになりきって次は何を投げようか考え、バッターになりきって決め球を絞ってドキドキしキャッチャーになっては次はスライダー投げろとサインを送り滑り込んで来る選手を見てはセーフ!と叫ぶ審判になるのである。もう、1人で色んな役になるので大変忙しいのであるよ。(笑)
2007年08月17日
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うちの子供達はおかげで反抗期というのがない。来週、独りで焼岳ピクニックに行こうと野宿か小屋泊まりかあるいは徹夜日帰りかと色々考えていたら小6の次男が行きたいと言い出した。よし、じゃあ小屋泊まりにして2人で行こうとしていたら高1の長男も「ずるい、俺も部活休んで行く」と言ってきた。よし、じゃあ男3人で行こうということになった。中学、高校ともなれば大抵は反抗期になる。僕も反抗期というか、その頃は家にあまりいなかった。親とどうしても合わなかったのである。昼から高校に行き、5、6時限目が終わったらそのまま友人宅で集まって遊び、深夜4時に帰宅だった。タバコ、シンナー、バイク、(その他)が日常で2時間前まで一緒にいたヤツが翌日には暴走の果てに事故やって死んだりけれど誰も泣かずに追悼暴走だ、なんて懲りずにやっていた。そんな環境で育った僕が今 家族に恵まれ高校時代に羨むような家族関係だった同級生達は反抗期に入った息子や娘にてこずっている。「山に行くなら日誌と防火ポスター終わらせろよ」次男は今頃、夏休みの宿題をがんばって片付けてるだろう。晴れますように!
2007年08月16日
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先日、山の中で夜を過ごしたせいで また野宿したい願望が出て来ている。高校時代からそれはもう「野宿の達人」と呼ばれるほどに色んな場所で野宿をした。特にお気に入りは八ヶ岳の麓だった。甲斐大泉だったか甲斐小泉だったかで野宿した時は夕暮れ時に熊を見て慌てて逃げたこともあった。野宿中におっさんに声を掛けられ別荘に泊めさせてもらったこともある。日本の山は国定公園なので指定された場所以外ではテント禁止である。僕はテントは張らずに夜中に山の中で寝転がることも多いのでそれって別に禁止されてる行為でもないわけでいつかまた寝袋にくるまって山で夜を過ごそうかと思う。8/23日はやっと定休日なのでその前後の1日を絡めてどこかに行こうかと思案中である。今日、どこに行こうか検索していたら焼岳なんていいんじゃないかと思った。野宿を前提に考えていたのだが焼岳には焼岳小屋という小さな山小屋があることを知った。日本でも指折りの小さな小屋だという。ランプの灯りで過ごす夜、とある。おお、そそられるじゃないか!ネパールトレッキングの夜を思い出す。実は野宿か小屋泊まりか真剣に悩んでいる。
2007年08月15日
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「山の上で見る星空ってどんなだろうか?」とBerryくんが言った。昨日2人でペルセウス流星群を見ながらの会話である。「オリオン座が星に埋もれ過ぎてわかんないほど」と答えたがそれはオーバーな表現ではない。僕は夜の山を歩くのが好きだ。天の川、流れ星、人工衛星、星雲、全てが見えてそれは素晴しい。あの午前4時前の空、たまんない。ヒマラヤでじっくりと星を見るのはキツかった。真冬の時期で標高4000m、夜明けは氷点下になるのは当然でけれど夜明けの薄明るくなる時間の前に必ず起き出して窓越しに、時には外に出て満天の星を眺めた。時計を持ってない。星の位置を見て時を知る。もちろん日本の星と傾きが違うが大体何時頃かは判断できる。やがて4等星が消えかける頃ついに宿から外に出て歩き出す。夢遊病者になるのも面白い。誰も知らない紫色に身を浸す。ミルク色の朝靄は地球の息吹だ。まだ寝ている旅人達より少しだけ素敵な旅。
2007年08月14日
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Berryくんとペルセウス流星群を見に行った。予定していた廃寺のある山方面の天候が悪かったので急遽別の方角へ見に行った。廃寺恐怖体験レポートをお伝えする予定だったのだがスマン。Berryくんちへ迎えに行った後あてもなく車を走らせた。目的地はただ「暗い所」だ。結局名古屋の北東部の某場所で車を停めた。暗い坂道をズンズン歩いて行くと広場があった。「おお、ここで見ようか」と思ったがその見晴らしの良い所はお墓であった。「ここはイカン」と100mほど離れた場所に寝転がる。そこでは20個ほど流れ星を見た。ただ薄い雲があったせいか思っていたよりも流れない。雲が出て来たのでもう帰ろう、と帰路に着いた。途中、また晴れて来たので今度は田んぼの真ん中で車を停めた。残念ながら街明かりがあってそんなに暗くない。それでも数個の流れ星を見た。Berryくんと一緒に星を見たのは随分久し振りだった。ただ、彼といると時のブランクなんて感じない。告白するが、彼とどんな会話をしたかというとやはり当然トイモイ談義であったことは言うまでもない。田んぼ道で空を眺めたら街明かりが雲に反射してナトリウム色に見えた。
2007年08月13日
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昨夜はヨメと長男、次男と一緒に近くの丘の上まで流れ星を見に行った。夜9時、薄曇りということもあってペルセウス流星群は見れなかった。頭上を指して3人に星の説明をする。あれがベガ、あれがアルタイル、あれはデネブ。白鳥座の先端部分の星はアルビレオ。きれいな2重星なんだって、と解説する。ベガとアルタイルの真ん中、天の川をほら、こうやって南に辿って行くといて座があってあれは銀河系の中心方向だってさ。その右側、あの明るい木星の下に見えてるのがサソリ座で・・・、ここでちょうどみんなで見ている南の空に流れ星1つ。いつか僕が死んだ後、この夜の平凡な時間を子供達は記憶に残しててくれるのか、と考える。そしてその次の世代にもつなげて欲しい。地面に寝転んで見た夜空は広かった。
2007年08月12日
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流星群を見るのはどうやら廃寺のある山の山頂になりそうである。一応申し訳程度に鎖で囲ってはあるが落ちたらかなりのダメージがある山頂の一枚岩だ。だが確かにあそこは展望が良い。そういえば廃寺を過ぎてから鎖場があるんだけど片手に懐中電灯を持ってるってことは片手だけで鎖場を登ることになるのである。今回も何か起こるのだろうか?Berryくんと山奥で流れ星を見た高1の夏、深夜にダムへ行く途中にトンネルがあった。トンネルの中で人の話し声聞こえたよね?足音聞こえたよね?壁には「ようこ」って落書きがしてあったよね?Berryくん、覚えてるだろうか?あの話し声と足音は僕らの恐怖心から生じた空耳だったのか?Berryくん、今回さあ、廃寺のある所で写真撮ってみようか?ほら、あのトンネルの時と同じようにさ。またネガにボンヤリと写るものがあるかもよ。今回はお盆だぜ?帰って来てるんじゃないの?ちょっと気が進まないけどさあ、これはザ・ブロガー トイモイ氏に近付くための試練かなあ?やめといた方がいいんじゃない?と自分で言うのシャクだからみんなが「やめておけ」ってコメントくれないかなあ。(笑)
2007年08月11日
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好きなのには訳がある。満月の宵。光っては崩れ、うねっては崩れ、逆巻き、のた打つ浪のなかで互いに離れまいとつないだ手を苦しまぎれに俺が故意(わざ)と振り切ったとき女はたちまち浪に呑まれて、たかく名を呼んだ。俺の名ではなかった。太宰の初期の短編の中の一節である。題名を「葉」という。何という題名と内容の一致しない話だ。僕がこの人のブログを文学と呼ぶのにはかくかくしかじかそういうワケで多分に太宰の文体と似ているのではないか?そう思うからである。太宰と同じく、実生活でも酒に溺れてはいまいか?ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることができるならば。 (これも太宰の「葉」より)
2007年08月10日
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愛知県津具村にある白鳥山(しらとりやま)は小さな水晶のクラスターが見つかる山である。過去この山には3度登ったことがある。頂上まで片道1時間ほどの簡単なコース。車は麓の神社横に駐車出来る。初めて登った時は独りで水晶を見つけながら歩いた。その時に麓の神社の中で誰かが踊っているような音がしていた。誰もいないのに不思議だな、と感じた程度だった。2回目の時は友人と朝9時頃駐車場に到着した。小雨がパラつく重い朝だった。神社の軒先で登山靴の紐を結んでいると中からドン、ドン、、ドドン、、、と音がした。歩く音ではない、踊っているようなリズム。しかし神社は閉ざされており人もいない。聞き耳をたてているとまた確かに聞こえる。同行の友人も「何だ?」と不審がっていた。まさかこんな朝に霊なんて、と思いながらでも少し怖いのでそこから離れて歩き出す。すると1本の立て看板。「昔、龍の怒りを鎮めるために踊りが捧げられた。 これが花祭りで踊る由来である。 踊りは一晩中続けられる。」みたいなニュアンス。数ヵ月後、今度は息子と行った。その時もドン、ドン、ド、、ドン、と床の鳴る音。息子は気味悪がった。湿っていた床が気温の上昇のために反発して戻る音だよ、と息子には言い聞かせてみたものの2人共そんな科学的現象の音ではないことはわかっていた。あまりにもドン、ドン、とリズミカルなのだから。さて、頂上に行く途中には苔むした神社がもう1つある。滅多に誰も訪れないような森の中である。
2007年08月09日
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来週のペルセウス流星群をどこで見ようかと色々候補地を考えているのだがそうだ、高校生の時にBerryくんと行った岐阜県の八百津というのはどうだろう!と思い立った。(高校1年の時のBerryくんとの小旅行はこちら)僕は槍や穂高方面にハイキングに行く際深夜の国道41号を飛ばして行くのだがその途中にいつも八百津の看板を目にするもののそこで停まる事はなく素通りである。Yahooの地図で八百津を検索してみた。終点駅だった八百津駅がない!廃路線になったんだろう。駅前からでも天の川が見れた八百津駅。今はきっとマンションなんかが立ち並び僕達の思い出をぐちゃぐちゃにしてるんだろうか?それともひっそりと昔のままか?廃路線になったのだから開発はされてないだろう。高校を出てから車の免許を取った。行動範囲は随分と拡がった。色んな所に行きたくても行く術が限られてた学生時代。色んな所に行ける術があっても行く暇が作れない今。昔の方がやはり夢が多かったのか。何が夢なのかもわからなかったけれども少なくとも今よりは上を向いていた。大人になると夢と欲の区別がなくなるのか。それともそれらは始めから同じものなのか。ペルセウス流星群はショボい場所ではなくそれなりの夢が転がってそうな場所で見ようか。
2007年08月08日
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来週はペルセウス流星群の見える週だ。8/12前後が見頃である。別に12日限定とか13日限定じゃなく11日でも14日でも見えるのだ。夜中の10時から04時ぐらいなら1時間に数十個の流れ星が見えるようである。ここで業務連絡であるが、Berryくん、一緒に見に行こうよ。候補としては11日の夜出発がいいんだけどさあ。天気次第なんだけど。候補地としていい場所があるんだけどここって登り始めが怖いんだよね。滅多に車が通らないトンネル横に車を停めて登山道に入るとまず洞窟があるわけよ。その後、階段を登ると廃寺があって不動明王の石仏とかが安置されてる。その横には高さ20mほどの枯れた滝があってさ上からちょろちょろと水が落ちて来てる。もうそれだけで霊が集まる要素たっぷり。(^^ゞそこを抜けて鎖場を登ったりすると途中に展望台があるんだけどさここの軒先には梵字のおフダが貼ってあったりする。更に20分森を抜けると頂上。頂上は1枚岩があって光害も邪魔な木もない。遠くに数軒の民家が見えるだけ。助けも呼んでも全く無駄な場所。7月にはピクニックしてた人が近くで落ちて死んだよ。どうよ、ここ行く?これ読んでる人で参加したい人はご連絡を。あるいは愛知県でここはオススメってスポットある?
2007年08月07日
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郡山ハルジさんの日記に僕の名前が出ているのだが、ここであえて弁明させて戴くと僕は別にジャンキーではないのである。百歩譲って言うならば、過去ほんの数十回だけ(笑)マジックマッシュルームを誤食してしまったことがあるだけである。そう、何だろうコレ?と見ているうちに手が滑って1回につき0.5gほどを飲み込んでしまったというワケだ。まあ数年前までMMは合法だったわけなので、さして目くじらを立てるほどのことでもないのだが。さて、MMの幻覚効果は抜群である。横になってステレオの照明を見ているとイコライザーは床を突き破り天井を突き抜けるというすごい振れ幅なのである。同業者のF氏が泊まりに来てモロッコ音楽やガムラン音楽、シタール音楽を聴きながら誤食してしまったこともあるのだが、1曲30分ほどの音楽も大層ドラマチックで部屋の中に音が浮かんで見えるのである。それどころか全ての音は宇宙の法則に従って存在するという事がわかったのである。1秒とは無限であり、無限とは1秒なのである。F氏は感動して泣いていた。至福の涙である。明け方、外に出て地面に座っていると土の表面からは気泡が出ている。土の中にある酸素が放出されてプチプチと音をたて、ゆっくりと上昇していくのが見えるのだ。まるでオーブのように、あるいは水槽の中からブクブクと出る泡のように、それらの気泡は地面から数十センチの所で大気と混ざり合う。とまあ、昔のMM体験はこんな感じであるが、こういう事を体験したことのない人達は「そんなの幻覚だろ」と一笑に付してしまうだろう。だがマリファナにせよLSDにせよコカインにせよ、それらを体験した事のある人は「通常の生活感覚とトリップ中の感覚のどちらが正しいか」という境界線がゆるくなるのではないだろうか。正しいか正しくないかの境界線なんて個々によって違うし、そもそもどちらが正しいかという問題提起すらどうでもいいのである。先に書いた地表からの酸素放出も実生活レベルでは見ることは出来ないが、もしかして酸素そのものが赤や青といった色があるものであったら普通の状態でも見えるものかも知れない。この世に見聞きする様々な奇怪な事象において、自分には見えないからそれは信じないとか、科学的に証明されないから信用出来ないとか大抵の人は感じているだろう。僕もそうだ。だがそれらの事も「ありなんじゃねえの」と「許す」許容範囲が、世間で違法とされている物を摂取しただけで変わってくるのである。道徳とはある意味洗脳である。NHKがマウスにTHC成分(マリファナに含まれる成分)を与えると攻撃的になるだとかいう実験結果を放送していたが、マリファナを誤って吸い込んでしまった経験のある人ならばその結果は捏造された嘘という事はわかるだろう。1度やれば廃人になるとかいう嘘の情報も、それなりの知名度のある情報源が流せばそれは事実にすり替わる。まあ何だかんだ言っても所詮は豆腐のような物体だか液体だかわかんないような脳みそを通して世界や宇宙を見てるんだよなあ。それ自体が奇跡であり不思議だよねえ。慣れないというか初めての書き方なのでワケわかんなくなってきたので終わり。こう考えてみるとハルジさんって頭の中の考えを理路整然と文章にする才能があるよなあ。
2007年08月06日
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今回はちょいと変わったアングルで花火を捉えてみた。何か都会的な雰囲気のする花火の写真である。 花火を撮る時は右目はファインダー内を見ながら同時に左目は外を見ている。左目の実世界の映像で爆発前の上がって来る花火を捉えデジカメのシャッターラグを逆算してスポーツモードで撮影。まあそんな本能的なセンスは僕だけの特権としてそんなことより嵐である。突風である。いきなり近くに雷が落ちたかと思ったら突風が吹き荒れすごい雷雨となった。(その状況はBerryくんがブログで紹介している)稲光と花火、落雷音と花火の破裂音がビルの群れにこだましてすばらしい。僕はビルの中に逃げたので濡れなかったが外で見ていた人達は阿鼻叫喚、逃げまどっている。しかし屋根のある場所はどこにもない。5階のテラスから逃げまどう人の群れを見ていたらビートルズの「Rain」という曲を思い出した。演奏を逆転録音しておりサイケデリックな曲だ。♪Rain~ But i don't careとにかく最高最悪の花火大会だった。遠方から岡崎市に来てくれた人や濡れてしまったほとんどの人に申し訳ない。僕のせいじゃないけどさ。 【追加:去年の花火の画像】
2007年08月05日
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男3人で貸し切り露天風呂に入った後山道を街に向かって帰ろうとしていた。「待てよ、カップラーメン残ってたよな。 川に降りて行って食おうぜ」と提案した。小さな橋を車で渡る。おお、あった。岩場が広がる河原だ。車を停めて獣道を3人で下る。緑が濃い、水が蒼い。コンロに火を点けるのはコウベくんの役である。川の水を汲むのは息子の役である。そろそろ僕の身長に近付いた息子が頼もしい。カップラーメンの準備も息子の役である。僕はカメラで2人を撮りながら立ちションをする役である。そして僕にはもう1つ重要な役があった。2人に「うむ、ご苦労」と言う役であった。
2007年08月04日
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実は内向的な性格も少しは持っているので雨だれなんかを見ていると飽きないのである。予想に反して粒同士が重なり合ってそうして2人は共に堕ちて行く。アミダくじを見ているような気にもなる。ただ、決定的に違う所はアミダくじには希望的観測が含まれているが雨だれにはその要素がない。アミダくじは1本の線を単独で下がって行くが雨だれは粒同士が合わさって引力に耐え切れなくなりふいに滑り落ちて行く意外性がある。だから飽きない。雨だれを見れば僕に限らず誰もが雨粒を自分に重ね合わせたりあるいは過去にタイムスリップしたりする。何て少し感傷的に書いてみてしまったが「日帰り露天風呂あります。朝10時より」というのを息子と僕と友人の3人で登った燕岳の下山後に見つけまだ少し時間があったので車の中で待っていたというセンチメンタルのかけらもない時に撮ったただの1枚。
2007年08月03日
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この画像はつまり、雲の上にいなければ見れないわけでこういう非日常的な風景は見ていて飽きない。雲海の上っ面を明るく照らす太陽の光、まさに極楽浄土のような光景である。死んだおばあちゃんは熱心な仏教信者でいつもお参りを欠かさなかった。てっきり天国に行けますように、とそればかりを願っているのかと思っていた。死ぬ1年程前だったか、僕にこう言った。「死んじまったら天国も地獄もないよ、 今この人生のうちに天国も地獄もある。」神妙そうに聞いていた僕だったが実は「そんな事はわかってるって、おばあちゃん今頃わかったか」だなんて失礼な事を思っていた。彼女は体験でそれを語り、僕はただの知識で知ったふりをした。人の数だけ天国も地獄も真実も嘘もありそして天国なんて誰も見たことはないけれどもこの画像を見てほとんどの人は同意するだろう。「わあ、天国みたい」と。
2007年08月02日
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吹きさらしの稜線の隅に枯れ木があった。過去に生きた厳しい時間の痕跡が残る。実はまだ生きているのかも知れないな。夏の日差しにさらされ、冬の寒さに耐え今はただ眠っているように見える。過去の痕跡が残る物はモノクロにしてやるのが1番似合う。とは言うものの、たとえモノクロにしなくともその存在自体が既にモノクロだったのだが。山を歩いていて、アジアを歩いていて何物かにカメラのレンズを向ける時僕は「これはモノクロだな」と頭の中で既にモノクロでそれを見ている。哀愁ではない、愛燐でもない。ある意味それに敬意を表する愛着というのか。それに再生を願うわけでもなく潔く朽ち果てろと思うでもなく。自然のままに。全ては時が解決させる。そうしてまた歩き、いつか枯れ木と同化する。
2007年08月01日
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