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【元金5円で大富豪への道に突き進む方法】は過去に伝授したが皆さん実行して戴いただろうか?でもこれだけではただの富豪止まりになる可能性もあるので本日は更に確実に大富豪へ皆さんを誘いたいと思う。バンコクのボーベー市場の近くに骨董品屋がある。ここでは日本の¥100玉が売っている。その値段は何と10バーツ(約¥35)なのである。(ちなみに¥10玉も10バーツで売っている)そこで売ってる¥100玉を全部買い占めるだけである。¥35が¥100になるということは3500万円分買えば1億円になるのである。(ただし店内には3~4個しか売ってなかったと思われる)再度市バスのチケットを買った代金を差し引いても途中下車した価値はあったのである。降って湧いたような濡れ手にアワの臨時収入によりその日の晩メシは屋台でちょっとゴージャスに25バーツのラーメンか30バーツのラーメンか迷うまでもなくプラスチック製の椅子にふんぞり返って30バーツラーメンをくれたまえ、と余裕の大名気分であった。またまた業務連絡:ボーベー市場、Berryくん、覚えてるだろうか?駅でもないのに電車を飛び降りてTシャツとか売ってるゴミゴミした地域に行っただろ?ほら、中国人と値段交渉した場所だよ。
2007年05月31日
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今日はヨメの車のタイヤを買い換えた。スリップサインが出る直前の本来なら一番ウマいグリップ力を発揮するところなのだがギリギリで車検に受からなさそうだったので仕方なく替えた。新しく買ったタイヤは今回もYOKOHAMA製である。YOKOHAMAタイヤの特性はタイヤ温度が低い時はグリップも悪く温まればバツグンのグリップを発揮するということである。どのタイヤもそうなのだがYOKOHAMAは特に顕著である。そうそう、走り方を変えずに燃費を良くしたいならばタイヤの空気圧を規定より少し上げると良い。大抵の車は運転席ドアを開けた所に数値が書いてある。2.2と書いてあったら2.5ぐらいにすればいい。若干接地のゴツゴツ感が強くなるが実は少し上げた方がグリップも良くなる。3.0を超えるほどに上げてしまうと逆にグリップ力は落ちる。ちなみにFRでドリフト走行をしたい人はリアの空気圧だけ極端に上げてやればリアタイヤが滑ってくれるようになる。おっと、これを書いていたらヨメからTELがありタイミングベルトとサスペンションのインナーブーツ、ブレーキパッドも交換しないといけないようである。中古で買ったのでもう12万キロ走ってるしなあ。後ろのガレージに入ってるのが今回車検のヨメの車。それにしても手前のサバンナかっこいいなあ。ドライバーズ・ポジション見てよ。前輪と後輪の間、後輪に近い所に座るんだよ。ボンネットの無駄な長さがしびれる~!
2007年05月30日
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昨日の日曜日はこのビルに外国人がやたら多かった。岡崎城に観光に来た人達かと思ったら違ったようだ。その内の1人が僕の店にも来て一言二言話してみたら隣りの公園やこのビルの入り口で募金をやってるらしい。キリスト教の布教活動のために手作りポストカードを売るというやつだ。2年ほど前の日記に書いてあるが僕は彼らから逆に募金をしてもらったことがある。今回も僕には無料でポストカードをくれて募金のお願いはされなかった。(笑)宗教で思い出した。以前インドのパトナーという所で野宿したことがある。その町にはヒンドゥー寺院とモスクがすぐ近くに並立されており夜になるとヒンドゥー寺院は装飾されたネオンでケバケバしく光りその横のモスクの拡声器からはヒビ割れたコーランががなりたてていた。市場を歩く人はヒンドゥーもムスリムもごちゃ混ぜだった。安食堂でツァパティーとチャイの食事を済ました後僕は南京錠とストールを値切って買った。あの混沌とした無秩序が旅へ行く心をかき立てる。
2007年05月28日
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今日は長男の16歳の誕生日である。高校1年にしては親に対する反抗もなくいつも自宅で楽しく会話をする関係だ。山にも時々一緒に行くので親子というよりも弟だとか山仲間といった感じである。僕がワンマンな性格であるのに対し長男は真面目でフォロー役に回るタイプだ。直感で行動する僕に対し、息子はよく考えてから行動する。時にはそれがじれったく感じる事がある。たとえば物を買う時の時間。息子は選ぶのがノロいのだ。今朝は駅まで息子を送っていった。名古屋の方で部活の大会があるらしい。途中でコンビニに立ち寄る。「2分で買って戻って来い」と車の中で待つ。1分半ほどで走って帰って来た。うむ、よろしい。
2007年05月27日
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Berryくんの日記に遠足のことが書いてあった。小学生にとって遠足でときめくこととは1位:お菓子を食べること、2位:芝生広場で遊ぶこと、であってみんなで歩くことや行く場所そのものはどうでもいいのである。遠足中の悲惨な事件というのも記憶している。別のクラスのWくんが列を乱して歩いてて先生にビンタされた後、電車に乗ってたら窓から黄色の帽子を風で飛ばされて叱られ、まもなく学校着という時にビチビチ糞尿を漏らしたのである。おそらく彼のタブー言葉のキーワードは「遠足」であろう。注)高校進学後、彼は女子更衣室の細いロッカーの中に立てこもり それがバレて先生達に引きずり出されたというのは Berryくんも覚えてると思う。(^^ゞ おそらく彼のタブー言葉のキーワードは「ロッカー」であろう。秘密の業務連絡:Berryくん、遠足で行った刈谷の亀城公園といえば 「オマエやれや発言」でクビになった引越屋から帰社時に 家に帰らずそのままその公園に花見に行って 腹いせに同僚9人で酔っ払いおじさんを池にブチ込んだ場所ですわ。 おじさん、手と足を持たれてバンザイしながら池ポチャでしたわ。
2007年05月25日
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ネパール旅行から帰って来た常連さんが店に来た。ポカラという町であるネパール人と仲良くなり「ナゴヤから来た」と言ったら「オカザキに日本人の友達がいる」と言われたそうだ。「ナゴヤというより本当はオカザキからだ」と答えると「じゃあサイトウは知ってるか?」と僕の名前が出たらしい。何でも以前僕の住んでた長屋群に住んでたらしい。でも延べ10数人のネパール人がいたから誰だかわかんない。おそらくこのあたりのネパール人ではないかと思われる。世界は狭いねえ。以前は韓国の日本大使館からFAXがあって「今ネパール人を拘束してるが日本での身元保証人はあなたになってるが それは本当か?」という内容のものもあった。めでたく日本に入国出来たそのネパール人は真っ先に僕の店にお礼を言いに来た。名前も知らないヤツだったが今では6年来の仲良しだ。彼のネパールの実家に居候をしに行った事もある。ところでさ、海外に行って日本人に会って「どこから?」なんて訊いた時、「東京」と答える人多いけど「東京のどこ?」って訊くと「実は埼玉です」だとか「実は栃木」「実は福島」「実は山梨」とか随分「エセ東京」が多いんだよねえ。
2007年05月24日
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某雑誌に載せた今月号のエッセイは【ケータイとトイレ】です。先々月にこの雑誌で「ケータイを持ってない」と書いたら読者さんからかなりの反響がありまして今月号でケータイネタを再度書きました。うちの家族もヨメ、長女、長男はケータイを持っていて小6の息子と僕は持っていません。よくTVで「彼、彼女、主人、嫁のケータイを覗いた事あるか?」そんな話題でやってますが、僕は1度も覗いた事ありません。というか、ズバリ、見かたを知らないのです。知ってても見ないと思います。内緒で覗いたらこんなものが!というエピソードがあったらここに内緒で公表して下さい。
2007年05月22日
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べったりと黒く塗り潰したような夜空に月と金星が浮かんでいた。金星、宵の明星を見ると時々昔を思い出す。子供の頃から世界にはばたくビジネスマンになるべく数々の英才教育を受けて来たのだが実は数々というのは嘘で、行ったのはそろばん塾のみである。そのそろばん塾も2級を取ったのでまあいいやと思いある時は友人と、ある時は独りで近くの神社でタバコを吸いながらサボってばかりいた。タバコは父親のをいつも失敬していた小6である。神社にはとても登りやすくて見晴らしの良い木があって西側の街並みの灯が見渡せた。空には金星があった。時には金星は滲んで見えた。父親の機嫌を窺い よい子のふりをしている家。いつも家には帰りたくなくて 満天の星空の下で眠りたいと世界の貧困など知らない ある意味幸せな子供だった。自分の子供にはそんなふうに宵の明星を眺めて欲しくない。
2007年05月21日
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おそらくこの国の官僚よりも日銀関係者よりも我々バックパッカーの方が通貨に関してはシビアなのである。ほんの数ポイントでもレートの良い両替商を探し歩きその情報は同じバックパッカーどもに伝達される。両替商屋はほんの些細な利益に走ればすぐにバックパッカー達から見捨てられるのである。米ドルと日本円の価値が今や世界ではガタ落ちでそれに気付いてないのは当事国のみである。金利の安い日本円を借りてアメリカで資産運用する、いわゆる円キャリーのおかげでアメリカの貸し付け業は成り立ち日本の貸し付け金利が上がらないのはアメリカからの圧力のせいだと思われる。ハルジさんのブログにはすごく的確なことが書いてある。先日もタイバーツ建てで海外送金したけどアジアの勢いは止まらないね、レートがすごい。円の弱体化を思い知らされた。アジアで仕入れて日本で商売する、これってあと10年もすればメリットなくなるんじゃない?日本の露店でアクセ売ってたイスラエル人、イラン人などはとっくに日本を見捨てて他の国でのビジネスに変わっちゃってるし。悲観主義はよくない。でも日本人はもっと現実も見るべき。バックパッカーの旅をオススメしたいぜ。
2007年05月20日
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一部の人から「買い付けに行ったのでは?」と思われているが何のことはない、こっそりと仕事に打ち込んでいたのである。買い付けをしてくるだけのカネは唸るほどあるのだがセントレアに行くまでのバス代が捻出できないのでしばらく買い付けに行く予定はない。毎日 商品画像を撮るためにデジビデを使っている。デジカメだとピアスなどのマクロ撮影が上手く出来ないのでSONYのデジビデで静止画像で撮っている。液晶画面を見ながら明るさを調整出来るので便利である。先週はその商売道具の調子が悪くなった。撮影は出来てもパソコンが読み取らないのだ。まだ買ってからたった14年しか経っていないのに。精密機器というのはややこしいもんである。画像の取り込みが溜まってしまっていていよいよ新機種を買わねば、と思っていた。ほんの14年前の機種なのに多分修理部品がないのである。で、最後に再アタックしてパソコンにつなげてみたらなぜか何の問題もなく直っていた。でも振るとカラカラと音がするのはなぜ・・・?
2007年05月18日
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BALIで買い付けて来たリングが品切れ間近だ。これは絶対売り切れると思っていたから大正解である。このリングを作っている工房を探し当てるには随分苦労した。アグン山アタックのためにウブドゥという村のコテージに滞在した。絵画や音楽、舞踊などが盛んな芸術の村である。そこの従業員に結構な時間を割いてもらって彼のバイクで銀細工の村まで仕入れに行ったのである。その時の日記はこちら店ではなく工房を探して欲しい、とインドネシア語で説明する。何軒廻っても値段が高い、デザインが悪いのいずれかで時には僕の店の値段の数倍で売ってる店もあった。日本人ツアー客がバスで寄る店である。ツアーで廻るのはお金持ちだし、BALIだからということであんな値段でも買って行くんだろう、とゾッとする。もう諦めて帰りかけた時、1本の細い路地が目に留まった。何かを感じる。「最後にこの路地で探したい」と入って行くとビンゴだった。頭の中で思い描いていた工房。「ビジネスで来た、このショーケースの中を全部買う。値段は?」と単刀直入に切り込んでいく。英語よりもインドネシア語、インドネシア語よりも現地語の方がずっと安く買えるというのがBALIの特徴だ。現地語が何とか少しは話せるのでそれが武器となる。ブラッフを織り交ぜてお互いが電卓を叩き合う。そして交渉成立。半日かけて一緒に探し回ってくれたコテージの従業員はあっけなく数百万単位のインドネシアルピアが消えるのを見てただ驚いていたし、なぜかそれを見せたのは失礼な気がした。「これは俺の金じゃねえ、店の金なんだよ」だなんて言い訳のようなセリフで肩をすくめてみせた。バイクのガソリン満タンと彼の日当分のお礼をして所詮俺も日本人ツアー客と根本は同じだよなあ、とバイクの後ろのシートで溜息をついた。業務連絡~うちのヨメへということでリング品薄なのでBALIに買い付け行って来てよろしいですか?
2007年05月11日
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山奥の部落というものは不思議だ。どうしてこんな不便な場所に住んでいるのか。ネパールの奥地でもひっそりと暮らしている家族がいた。塩津温泉郷というほぼ廃業状態の部落があり宿泊は要予約と書いてあった。つまりそれは料理や部屋の準備は何も出来てないという事で予約が入ればもてなしの準備をするという事だ。川で魚を捕って来て、山で食材を採って来る。布団を干して部屋の掃除をする。そういう隠れ家のような宿に泊まってみたいと思う。夕方は早くから陽が隠れ、街灯もなく森の木々の擦れ合う音だけが聴こえる。こたつやストーブではなく囲炉裏であることが望ましい。僕が外国人であり、日本を訪れる機会があるとしたら東京や京都ではなくこういった田舎に来たいと思う。その国の伝統的な生活様式で暮らしている先住民、語弊があるかも知れないがそんな感じである。実際、僕がアジアに行く時もそういったものを求めそれが一時の安らぎではないかと思ったりするのだから。そしてそういう宿で泊まる夜は深く、朝は驚くほどにみずみずしく白い。
2007年05月10日
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1ヶ月前にヨメと行った岩古谷山(いわこやさん)に今回はピクニック仲間7人で別ルートから登った。垂直絶壁の一枚岩を見上げたり洞窟の脇を通ったり鎖場をよじ登ったりと楽しいルートだった。1ヶ月前には薄ピンクと黄緑色だった山は全てが幾層もの緑色に変わっていた。濃密な空気に溢れた山の中を歩くのは気分がいい。何を考えながら歩いていたかと思い返してみても何も考えていなかったことに思い当たって気分がいい。生きている実感3割、生かされている感覚7割。
2007年05月09日
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来客の3~4割は外国人である。ほとんど毎日英語を使う。ブラジル人のお客さんも多いのでポルトガル語も習いたいと思っている。今日はブラジル人のお客さんから「この店は【ピアスの安い店】と仲間で呼んでるんだよ」と言われた。そうやって口コミで広がるのは嬉しいことだ。最近は新作ボディピアスを増やしたので来客数は増えたが客単価がガクンと落ち込んでいる。まあどちらがいいかは決められないけど。あまりにボディピアスが売れていくので先日はバンコクにメールでオーダーをした。膨大な時間がかかる注文数と種類なので現地でピックアップしてると面倒だからだ。8日の火曜日は店を休んでピクニックに行って来る。GWをがんばって働いた自分へのご褒美だ。それでも去年のGWよりも売り上げ大幅ダウンだったよ。
2007年05月07日
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離れの部屋に眠っていた本を引っ張り出してきて読んだ。ブックオフで買ったけれども読む機会がなかった本だ。吉本ばななのマリカのソファーというやつだ。思い出す景色が色々と出てくる。「ああ、これはあの村のあそこだな」って感じ。濃密なBALIの空気がよみがえる。ただ、文章が下手だよな。名前が売れた者勝ちといった感じ。彼女の作品はある程度読んだが文章力ではなく雰囲気勝負だね。僕が小説に求める「儚さ」「暗さ」が出てるからいいか。悪いけどオススメの本にはならない。
2007年05月05日
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永遠に続くものというのはこの宇宙に何か1つでもありますか?人はなぜ永遠なんていう言葉を作ったのですか?絞り出すような願いから生まれた言葉ですか?草木の一生、人の人生、天体の周期、どれをとっても永遠ではない。満月というのは一晩続くのではなく実は一瞬のことなんです。だからこそ。
2007年05月03日
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GWになるとT○Y○TA系、DENS○系の知り合いが店に遊びに来る。(企業名がわからないように一部伏せ字にしてあります)行く所がない、と言うのだ。9連休だ10連休だ、と嘆いているのである。何と羨ましい愚痴なんだろう。そして僕は何だか複雑な心境になる。行く所がない、じゃあ達人の店に行くか、という発想は少なからず彼らの頭の中に僕の存在がインプットされている証拠であるが悪く考えれば、行く所がないから最終手段として「仕方なく」僕の店にでも行こうと思われているだろうことである。そこには彼らが思いを巡らせた挙句、「そうだ、こんなGWでも仕事してるヤツは達人しかいない」と思うと同時に「ヤツなら大型連休の過ごし方の良い案を持ってるかも」と感じてブラリと遊びに来るという経緯があると思われる。そしてここからが重要なのだ。彼らは独り、あるいは子供を連れて来るのだが、絶対にヨメさんは同伴していないのである。この疑問は以前雑誌に載せた下記のエッセイを読んで下さればわかるだろう。GWはガマンWEEKなのである。トイモイさんを見習ってほしい。彼は昨日、1泊でハワイに行って来たぞ。
2007年05月01日
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