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朝焼けの雲の動きは面白い。色を映すのはほんの一瞬の出来事で「お、これは?」と思って見ているとすぐにイメージは移ろい変わる。待たなければ良かった、と感じることもある。大抵きれいに思えるのは既に過ぎた事で1秒前はもう永遠に戻らない過去なのだ。過去というものはもう戻れないものだ。そんなことは判っている。判っているだけに心が疼く。雨雲が一瞬紅い龍となり尻尾を跳ね上げたかと思ったらまた灰色の雲になって消えた。
2007年07月31日
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コマクサには雨が似合う。そんなふうに感じるのは僕だけだろうか。20歳の頃、八ヶ岳の赤岳の夜に明るくて大きな流れ星を見た。いわゆる火球というやつだ。翌日、硫黄岳に向かう途中で雨に降られた。登山道の両脇に生えた淡いピンクのコマクサが雨の中でぼんやりと見えたのを覚えている。僕は独りで下を向いて歩いていた。ひまわりには青い空、白い雲が似合いそこには「陰」の面影はない。コマクサとの初めての出会いが雨の日だったせいか初夏の太陽の下で咲くコマクサは想像がつかない。
2007年07月30日
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自転車で通勤途中に商店街でイヨダじいさんに会った。14年前に僕が路面のビルの2階で店を始めた時から果物の配達の途中によく遊びに来てくれていた。今日会ったのは随分久し振りだった。70歳をとうに過ぎているが現役の山男だ。「イヨダさん、まだ生きていたんかい!」「何を言うか!毎月1回は山に行っとるわ」「お、エベレストのTシャツ格好いいじゃん」「わし去年ヒマラヤの6000m登って来たぞ」お世辞ではなく若い。耳元には補聴器ではなくi-podである。かっこいい、実にかっこいい。「イヨダさん、お通夜の時は招待してくれよね」「何を言っとる、まだ死なんわ」今度イヨダさんの家に遊びに行っちゃおっかな。
2007年07月29日
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今月号の雑誌に載せたエッセイは【動物虐待】である。何を隠そう、遠い過去であるが犬をいじめたことがある。中学1年の時にサカキバラタイゾウという随分古風な名前の同級生がいた。17歳の時、高校をサボってパチンコ屋に行った時に偶然タイゾウに会ったのが最後である。その頃タイゾウは既にヤクザの世界に入っていた。タイゾウは農家の息子なので小学4年の時から家の手伝いで軽トラに乗っていた。オートマではなくミッションである。いや、そんなことよりも子供は重要な働き手、アジアである。タイゾウの家にはVANという雑種の犬がいてタイゾウ同様 学習能力ゼロの犬畜生であった。熱い焼き芋をVANに向かって投げると空中でくわえるがあまりに熱くてキャン!と吐き出すのだ。もう1度投げても無視してればいいのにまたくわえ飛んでキャン!である。ある日、魚屋の大きな発砲スチロールの舟で遊んでいたVANは(尻込むVANに勇気出せよと声を掛けて乗せたのは僕とタイゾウ)風向きが悪かったため沖へと流れて行ってしまった。何年待っても帰って来なかったところをみると今頃はワイキキビーチでサングラスをかけ金髪犬をはべらせながらビニールチェアーに寝そべってトロピカルジュースでも飲んでるんだろう。
2007年07月28日
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どこの国へ行く時も地図を持つのは放浪の妨げになる邪道な事と感じてただ直感のアンテナを張って行動する。こんなタイプは海外で事故に遭えば自業自得だとなじられるんだろうな。深夜の森を歩いて夜明けには朝陽を受ける。空の紅は無常にうねる。 自分の動物的な部分を前面に出し地図通り歩く事に背くこんなタイプのヤツはいくら山を愛していても 山をナメていると思われ事故に遭った時には非難の嵐を受けるんだろうな。切り立つ岩の上から眺める東の空。エセ山男、放浪の達人の画像登場。 雨男コウベくんの伝説は不変である。(激涙)360度の展望は雲に遮られ視界100mに。幻想的なモノトーンの世界になる。ガウディっぽい自然の造形物。道に迷っても自分で道を探せ。そもそも道とは何なのだ?たくさんの人が歩いた跡に道が出来るのならあなたはそこに安息を覚えるのか。
2007年07月27日
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今日の予定は夕方早々に店を閉めて夜8時自宅出発、多分深夜0時頃に麓に到着、そのまま夜中の森を歩いてこの山まで行くつもりである。去年の10月にハルジさんと登ったルートで朝になったらもう少し足を延ばしてみるつもりだ。天気が良いといいのだけれど。
2007年07月24日
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ハルジさんの友人に心斎橋ワタルさんがいるのだが今日は心斎橋さんのブログを紹介する。この「ユナイテッド93」を僕は観てみたいと思いつつ仕事に明け暮れてまだ観ていないのだが心斎橋さんのブログ及び文中のリンク先を読んでますます観てみたくなってしまった。911テロの裏を知らない善良健全な国民ならこの映画でアメリカの愛国心を見せられてアメリカ良い国自由と平和バンザイと思うだろう。映画やニュースの洗脳力はすごいんだなあと思う。僕は911テロアメリカ自作自演研究家ではないのでもっともなコメントを書く資格はないがアメリカって戦争するためなら手段を選ばない怖い国、そんな気がするよ。
2007年07月23日
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新潟中越地震の影響で自動車工場の稼動が止まり愛知県のトヨタ系会社も金曜日は臨時休業になった。急遽仕事が休みになったせいで僕の店も金曜日は休日並みの客足だった。まさか新潟地震が僕の店の売り上げにも関わってくるとは何とも素直に喜べない感じがした。思い起こせば阪神大震災の時も今日は何も売れなくても当たり前、むしろ買い物は自粛してもいいのに、と思っても通常通りにアクセは売れたし レンタルビデオ屋は大盛況だった。TV番組がニュースばかりでつまんないという図式だ。イラクで戦争が起これば軍物衣料が売れる。そんなもんなのかなあ、と何だか妙な感覚である。自分以外の場所で惨事が起きても人々の物的欲望は変わることがない。さみしいぞ、おかしいぞ、と思ってみても実際僕も店に出て商品を売ってるわけで煮え切らない気分でお金を数えてる。だけど何かおかしいよなあ。新潟が被害・損害を受けてる反対側でそれの影響でモノが売れてる、しかも贅沢品が。レジ前に募金箱を設置した。このビルの方針だが置くも置かないも任意だ。すげえ自分を偽善者っぽく思ったが置かないより置いた方がいいような気がした。
2007年07月22日
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人の噂とは面白いものである。僕の店がしばらく営業停止になっていたという噂が一部の人達の間で話題になっていたというのだ。罪状は「マリファナを売っていて捕まった」そうである。(笑)まあ確かに売ってたけどさあ。(ウソ)僕が逆にそのお客さんに質問してみた。「いつ頃?」「誰が言ってた?」彼らの返事から何となく想像が出来た。去年の夏、テナントでありながらも強引に2週間店を閉め家族でBALI島に行って来た時のことらしい。アミで店舗を囲って「休む!」とだけ看板を出して行ったのでそれを不審に思ったんだろう。「あの店長く閉まってるね」「喫煙具だけじゃなくマリファナも売ってて捕まったんじゃねえの?」それが尾ひれが付いて「あの店摘発されたんだって」そんなふうになったのだろう。まあ今日で無罪が実証されたのだがそれにしても昔 2チャンネルのスレで「あの店長はコカインで廃人だよ」という噂が立てられたり何かと僕を悪人に仕立て上げたいようである。(笑)確かにうちの店は喫煙具やアミ、ペーパー、ローラーなどその部類の人が好きな商品がよく売れる。そういった裏の世界が好きな人達が良くも悪くも広告塔になってくれているのである。彼らの仲間内での「一緒に吸いたい人ナンバー1」に僕の名前が挙がっているというのは名誉なことなのか不名誉なことなのか?(笑)あのねえ、キミ達とは一緒に吸おうとは全く思わないし第一仕事に追われててそんな時間はありませんってば。次回から店を休む時は「営業停止中」とでも書いておこうかな。
2007年07月21日
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月給の120%を飛行機、レンタカー代に費やし今日も100%のパワーをブログに費やす男、ザ・誤字脱字ブロガートイモイ氏が今日もゆく。今回は鍾乳洞に果敢に潜入である。さて、探検隊のカリスマとして川口浩や藤岡弘がいる。鍾乳洞、洞窟、ジャングルなど世界を駆け巡る彼らの勇姿に子供時代の僕は食い入るようにTVを見た。何たって「人類未踏の地に人喰い虎出現!」なのである。「我々はこの河の氾濫によって3日間足止めを食らった」という様子を対岸からTVカメラが写しているのである。洞窟に潜入すれば脇役隊員が崩落事故に巻き込まれる。熱帯雨林の沼を行けば脇役隊員はアナコンダに巻かれるのである。それらは全てたまたまカメラが収めている。足跡を発見する時は必ず脇役隊員が見つける。彼に与えられた台詞は毎回「隊長!こっちに来て下さい!」である。あとは「バカ野郎!気を付けろ!」と言う隊長の叱咤に「はい、すみません!」程度なのである。子供時代は神社や臨海地帯を友人とよく探検した。友人が「隊長!こっちに来て下さい!」と言う場合、駆けつけてみて発見するのは大抵エロ本であった。(笑)
2007年07月20日
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今日のタイトルはズバリ!エロくてすまん。なぜこんなタイトルになったかというと7/18日は妹その1の誕生日だったからである。は?それがどうした?と思われるだろうから妹その2の誕生日も記しておく。妹その1に遅れることちょうど2年、妹その2の誕生日も7/18日だからである。そして僕と姉の誕生日も全く同じ日。4年違いの3/21日なのである。ついでにいうなら父と母も6歳違いではあるが8/13日と8/12日。狙ってデキるモノではないよな。子供産むのはションベンやクソするのとワケが違うねんで。どや?タイトルに納得やろうが。(笑)
2007年07月19日
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現在では知る人もいるのだが戦時中という事で公表されなかった大地震がある。三河大地震である。体験談を読むとその酷さがうかがえる。僕は祖母から直接聞かされていた。軍によって被害は少なく発表されたがとんでもない被害だったらしい。当時まだ子供だった僕の父は未だに少しの地震でも跳ね起きる。父は震度3程度の揺れともなれば子供も顧みず庭に向かって猛ダッシュである。以下、深夜に震度3だったか4の地震があった時の記憶。父:パジャマで庭までダッシュ。50mを4秒台の新記録。母:寝室で起き上がっていただけ。 「ああいう時は外に出ろ!」とどやされる。姉:地震によってではなく父のゴーというダッシュ音で目が覚める。僕:ああ、地震か。オヤジ外にいるやん・・・。(また寝る)妹:朝になってから「地震あったの?ふ~ん」さて、1番危険なのは誰なんだろう。
2007年07月18日
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いつになるかわからないけれどももう1度アタックしたい山がある。去年の8月に登ったBALI島最高峰アグン山である。あれは自分の中でトップクラスのハイキングだった。先回は深夜に登頂を開始して山頂で日の出を見るスケジュールだったがもし機会があったなら別の長いルートからジャングルの中で1泊して登ってみたい。山に登った人にしかわからないかも知れないがたとえその時に大変な思いをして「もう山はしばらく結構だ」と思っても時が経てば沸々とまた行きたくなってしまう。しかも以前よりもキツい刺激を求めて。生きている証を再確認したいのか生き物が出す脳内分泌がなす本能なのか更に、もっと、と言葉にならない何かが衝き動く。どうかそのチャンスがありますように。いや、訂正だ。チャンスがありますように、ではない。そのチャンスを得るために何をするか。答えは自分にある。 <おまけ>
2007年07月17日
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カトマンズで雨に濡れた事が1度だけある。2週間のヒマラヤトレッキングを終えてカトマンズの居候先に帰る途中の事だ。数年前まで自由に歩けたダルバール広場は今や通り抜けさえも通行料が必要になりスラムへの道の最短距離で歩いていたら広場の入り口で通行料を求められた。細かい雨が降り始めていた。「友達の家に急いでいる」と説明した。別に急いで行く必要もなかったがただこれ以上濡れたくなかっただけだ。案外すんなりと金を払わずに通してくれた。広場を抜けて寂しいスラムへ入った。ひび割れたレンガ塀が袋小路を囲っている。水溜りを飛び越えて居候先へ着いた。家族は不在であった。冷たく濡れた身体を丸め、暗い階段に座り込んだ。やがて木の階段を上がって来る足音が聞こえ僕は足音の主を見上げて「今帰ったよ」と笑った。子供の頃に傘を持たずに学校に行って帰り道で雨に降られて帰っても親はいなくて玄関で待っていたら母が買い物から帰って来た、あの時の気持ちと同じだった。「ただいま」と言うべきか「おかえり」というべきか黙って抱きしめられたい気分のようだった。
2007年07月15日
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どいつもこいつもなぜ聖地に向かうのか解らなかった。そのうち自分もじゃあ行ってみようか、と思い始め周りの言葉に洗脳されたというか何というかここまで来たなら行かなくては、と思うのが不思議である。答えはそこかしこに転がっているのにそこに行けば本当の答えが落ちているのか。答えは拾うものでもなく貰うものでもなく自分の内から湧き出るものだと解らせてくれる場所、それが結局聖地なのかも知れない。これが聖地かと幾分落胆し、その終点にしらけ、自分はもっとすごい良い答えがある場所を知っているとそう思った瞬間に本当の聖地は見える。場所の問題ではなく心の問題だと気付くのである。聖地ムクティナートに着く少し手前にジャルコットという迷路のような村があり小さな茶屋でチャイをすすりながらまだ見ぬ聖地ムクティナートに思いを馳せた。のんびりし過ぎて辺りは暗くなりそれでも先へ向かって歩き出すと半分凍った池の中に空が映っていて逆さまになったアンナプルナが揺らいでいた。先へ向かおうとさせる聖地の呼び声、それ自体が神聖なものであり聖地の像そのものは偶像なのだ。
2007年07月14日
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自宅の庭に素焼きのアジアチックな鉢がある。ヨメがバンコクの王宮あたりの通りにあった鉢を見つけまたその中に薄紫色の蓮がぽっかりと咲いているのを見て似たような鉢を去年ホームセンターで買ったのだ。蓮を浮かべてあるのだが、金魚も入れてある。子供が夏祭りの金魚すくいで持ち帰ったのだが今では寂しく1匹だけになってしまっている。僕の実家には日本風庭園の中に池がありたくさんの金魚が泳いでいた。今もきっとまだその子孫が泳いでいるだろう。ガポガポと音を立てて大雨が雨樋から溢れると子供だった僕は妹と一緒に縁側に立ち網戸越しに増水している池を見守った。金魚が逃げてしまうことがあったからだ。小学校6年の夏休み、課題図書で「青い金魚」という本を読んだ。読書感想文で何かの賞に入ったのを覚えている。切ないあらすじで、挿絵の雰囲気を今も覚えている。金魚は憐れだ。小さな池や鉢の中が世の中の全てでまるで死ぬ為に生まれて来たようだ。そしていつの日か死んだ時小さな子供の手によって穴を掘られ庭の隅に埋められて道すがらの花を添えられる。金魚を飼う事すら薄情に思う夏である。
2007年07月13日
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居間で扇風機をつけている。部屋の隅にはBALIで買った大きめのメロディーチャイムがキンコンと柔らかい金属音を出している。かん高くも低くもなく、優しい音色だ。去年の夏の終わりにBALIの空港内の免税店で余ったインドネシアルピアで買ったものだ。免税店で物を買ったのは初めてだったかも知れない。なにせ免税店は町中と比べてとてつもなく高いからだ。余ったルピアといっても大した金額ではなかった。再両替しても千円もいかなかっただろう。免税店で売っている物はやはり町中の3~5倍の値段で「みんなよくこんな所で買い物するなあ」と思いつつボーディングまでの時間を持て余しながらインドネシア色濃い雑貨屋を冷やかしていた。そこで目に止まったのがこのチャイムだった。10本の長短のアルミ棒が揺れて触れ合うと懐かしいような儚いような音色が静かに響く。ポケットの中のルピアを全部出してネシア語とバリ語を交えながら上手く値段交渉した。ダメならダメでいい、他の店でチョコでも買うから、と。結局表示価格の3分の1ほどで買えることになった。空港直営らしき免税店では値引きはまず無理だろう。いかにもテナントとして入っている感じで洗練されてない店なら空港内であろうが値切れる。この音色を聴くとウブドゥ村の昼下がりを思い出す。軽いまどろみの中、竹製の椅子に座っていた夏の終わりを。いい音だ・・・。
2007年07月12日
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名刺を持たない主義である。海外で取り引き先と商談する時は仕方なくパソコンで作った英語の名刺を交換するが日本では「俺、名刺ねえから」で終わりである。店にいると色んな営業マンがやって来る。紺やグレーのスーツに身を包み「わたくしXX会社の○○と申します」とうやうやしく白地に黒文字の名刺を差し出してくる。悪いが全くインパクトなしである。せいぜい変わった名前の人だなと思うのが関の山、ましてや会社の名前なんて全く覚えずにゴミ箱行きだ。こちらが必要としていない業種の営業マンがやって来た時はズバリ言う時もある。「どうせ捨てるから要りません」キツい言い方だが捨てられるなら他の店に配った方がいい。せっかく会社が経費を使って作ってくれた名刺なのだから。もらって嬉しい、とっておきたい、知り合いに見せてあげたい、そんな名刺ってないのだろうか?そもそも名刺とは何の役目を果たす物なのか、ただ配って捨てられて終わりの物なのか、連絡先が書いてあるだけの必要事項だけではなく会社の宣伝、営業マンの宣伝になるべき物のはずである。自分の名刺を見てほしい、インパクトはあるか?例:「XX株式会社 営業主任 トイモイ」 をこのように変える。 「XX株式会社営業主任は表の顔で 休みともなれば北海道日帰りもやっちゃうザ・ブロガー トイモイ」へえ~、と相手が食いついて来たらこっちのもの。売り込めるチャンスは前より広がる。
2007年07月11日
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ふと気が付いたのだが昨日の日記のアクセス数がすごかった。なぜなんだろう?と考えてみた結果、昨日のタイトルは考えようによっては随分マズい&エロいからだったのかも知れない。世の中そういうもんであろう。それはさておき、先日の音楽座談会の担当者さんが出席した6人の昔の写真も雑誌に載せたいと言って来た。「ロックを聴いていた若い頃」というアイデアだろう。僕はすんなりと「イヤだ」と断った。なにせ、まあBerryくんなら知っているのだが高校時代の写真はひどいものばかりである。髪型がパーマ、眉毛がない、その他モロモロで明らかに読者さんがドン引きすると思われるからである。1枚面白い写真があった。20代後半頃、ネパールから帰って来てすぐ撮った写真でヒゲ面の写真を発見したのだ。しかも民族衣装で合掌ポーズ付きである。(笑)おまけに目が座っている。今の方がよっぽど若く見えるぢゃないか。今のチャラ男の方がセンスがいいぞ。やはり昔の写真は封印すべきである。業務連絡:Berryくん、キミが目を無理矢理こじ開けられて 目薬を刺されてるアップ写真が見つかりました。 画像載せてもいいですか?ということで今日もちょいエロタイトルでいくとする。
2007年07月10日
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初めてピアスを開けるとか髪を染めるとか大抵は夏休みに入ってすぐってのが多いみたいですね。売ってる当事者が言うのも変ですがどうして耳に何かを付けたがるのかよくわかんない。まあおしゃれのため、と言えばそれまでだけどボディピアスを開ける人はどんどん大きな穴にしていく。なぜ大きな穴にしたいのかわかんない。自傷行為に近いものがあるような。うちの店はまるでボディピアス屋さんのようになってます。ボディピアスは別にヘソとかに限らず下の画像のように耳に付ける人がほとんど。透明のキャップみたいなのが見えますよね?これは拡張ニードルと言って、円すい状になってます。これでグイグイと穴を広げていきます。ちなみに直径30ミリの拡張ニードル、完売しました。 モデルは当店の常連さん。背景に飾ってあるのは全部ボディピアスです。
2007年07月09日
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某雑誌の来月号の特集枠に載る対談に出席してきた。テーマは「音楽」なのでそれ相応の人が集まった。選ばれた6人が自分の音楽について語る談話形式だったのだが話はどんどん逸れて行き、時々編集部の担当者さんが軌道修正のために話題を元に戻す。それでもクラプトンの話が出たりするとどんどんマニアックな話になって行ったりギブソンのアコギが、なんて言葉が出るとそれについてディープな会話に逸れていく。あんな取材なら毎日でもOKだよ。本当に楽しい時間を過ごさせてもらった。今日集まったメンバーに対して「無人島に1枚持って行くアルバムは?」という問いがあった。A氏 「ビートルズのホワイトアルバム」B氏 「ディレク&ドミノスのレイラの入ってる2枚組」C氏 「エリック・クラプトンの461オーシャンブールヴァード」D氏 「(マニアック過ぎて忘れた)」E女史「マディー・ウォーターズ」僕 「ストーンズのベガーズ・バンケット」そんな趣味の集まりだった。最近僕はB氏とCDやDVDの貸し借りをやっている。今日の対談はカラーグラビア特集で(マジ)7/20日全国書店一斉発売である。(ウソ)岡崎市の書店で手に入れることが出来ます。
2007年07月08日
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瞳の大きな痩せて小柄な若い女が店に来た。まあまあ名の通ったDJと一緒に暮らしてた女だ。彼の逮捕が原因で離れ離れになったと聞いた。出所してから連絡が取れないが彼を知らないか?と言う。最近この店に来ていませんか?と。そういえばよく2人で来てたね。彼が彼女の所に戻らなかった理由は知らない。気が失せたのか優しさからなのかそんなことは他人のことだから興味ない。やつらの情報ルートなら大抵わかる。多分、いや必ず見つけ出せる自信がある。問題は彼と連絡が取れた後だよなあ。きっと戻らなかった理由があるし今更彼女の元に戻るとは思えない。この店は思い出の場所なんです、か。ありがたいことを言ってくれるじゃねえか。わかったよ、一肌脱ぐか。悲しい決着でも覚悟しろ。
2007年07月07日
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ハルジさんのブログを読んで思い出したのだが湯灌(ゆかん)という仕事がある。※これは最近知り合いになった人のHPであるが ブログを読むと仕事の内容がよくわかる。病気でも事故でも亡くなられた方の化粧などは病院専属の下請け業者さんがやるようであるが病院でその処理をする業者さんよりもこうして個人でやってくれる会社の方が評判が良いようである。高校時代に仲の良かった後輩がいた。ロック小僧の彼は部屋でギターをかき鳴らしステレオからはハードロックが流れていた。そんな彼がある日病院でそのバイトを始めた。マスクをして死体をアンモニアか何かの風呂に担いで入れる。浮いて来たら棒でつついて浸すという作業だったそうだ。1体3万円だったか1日3万円だったか、かなりの高給と聞いた。「センパイ、俺カネ貯めてギター買いますよ」と言っていた。しかしその後、彼は全く僕の家に遊びに来なくなった。数ヶ月ほど経った頃だったか、夜に彼の家を訪ねた。部屋からは青白い灯りがカーテン越しに光っていた。静かで不気味な青であった。親に案内されて部屋に入って行くと彼はいた。ベッドに座ってぼんやりと水槽を眺めていた。「センパイ、久し振りですね、熱帯魚飼い始めたんですよ。 こいつは1匹3万の○○、こいつはですねえ・・・」と延々とたくさんの熱帯魚の説明を始めた。こう言っては失礼だが、狂気だった。きっと事故で酷い状態の死体の処理もやったんだろう。真っ暗な部屋で水槽の灯りだけがブクブクという音と共に、そしてそれが今や彼の全てだった。それ以来会わなくなったし、彼の噂は聞かない。
2007年07月06日
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高1の長男の同級生達が時々僕の店に買い物にやって来る。ピアスやリング、ネックレスなどをつけたい年頃だ。今日来た子は長男と中学が同じだった子だ。その子は何だか勉強や家庭で悩んでるようだった。誰でも高校生にもなれば親をうるさく感じるし学校もかったるい。僕もそうだった。(アクセに興味はなかったけど)授業をサボる、夜遊びする、親に叱られるなどある程度の子なら誰でも通る道だ。「大河(うちの長男)はどう? 彼女いる?夜遊びする?成績はいい?」などとうちの息子について色々尋ねてきた。うちの息子は真面目だ。部活もやってる、成績もいい、夜遊びもしない。タバコもシンナーも吸わない、ゲーセンも行かない。無免許でバイクを乗り回したりもしない。人に迷惑をかけない、親や姉弟を大切にする。とても僕の子供とは思えないほどである。(笑)「厳しく育ててるの?」とその子が訊いてきた。僕は子供に勉強しろとは1度も言ったことがない。門限なんてないし、そもそも夜遊びもしない子だ。怖いようだがもう既に大人の仲間のようだ。自分で努力し、自分で行動をわきまえ自主的に勉強もやっている。(僕から見たらそれは時としてつまらんヤツと思うこともある)子供は親の操り人形じゃねえ。子供として扱うのではなく、1人の人間として向き合えばグレたりしないと思うんだけど。高校生のお客さんと接していると親としての勉強にもなる。
2007年07月05日
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山仲間の友人コウベくん(通称雨男)が店に来てくれた。彼が来る時はいつも山へのお誘いである。その場でスケジュールと日程を提案し7月末に燕岳へ行くことになった。良き山仲間でもある僕の長男も一緒に行く。先回ハルジさんと徹夜日帰りで登った燕岳であるが今回も日の出に間に合うように夜中の森の中を歩いてまあどこかの岩の上で昼寝でもしながらどこかの山小屋で1泊して来ようという案だ。問題はやはり天候である。何たってあれだけ槍穂高に行っていながらまだ槍ヶ岳を1回しか見たことがないというほどの自他共に認めるコウベくんだからな。だから今回は予備日を2日とっておいた。7/24の夜の出発日が雨なら翌日、ダメならその翌日。巨大台風が停滞しないのを祈るばかりである。
2007年07月03日
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金曜日から早くも「夏物セール」が始まった。まだ夏本番ではないのにもうセールだ。土曜日も日曜日も夕方近くまでガラガラの客足でヤバい!と胃を締め付けられるような感じだった。しかしどの日も夕方以降はとんでもなく大忙しで店内にお客さんが溢れかえった。ほんの数時間前までの焦りが嘘のように。コンスタントに来客があればいいのに。ヒマでも大忙しでも精神上よくないようだ。先週から頭痛と肩凝りがひどい。夜は眠りが浅く何度でも起きてしまう。息抜きにどこかに出掛けたいが定休日はもう9月中旬までない。勝手に店を閉めて休めばいいのだがこれからのボーナス時期から夏休みはうかうか休んでもいられない。会社員は週5日働くだけだしボーナスもあるしいいなあ、と思うがそれはそれで大変なこともある。僕にはない「人間関係のストレス」とかさ。会社員を10年やったことあるのでそれも分かる。自分が1番恵まれている、そう思うのが1番の特効薬かもね。僕もまだまだ甘ちゃんである。静かなどこかに出掛けたい!
2007年07月02日
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金曜日にバスケ部の小6の次男が「スタメンから落ちた」と泣きながら帰って来たらしい。よほど悔しかったんだろう。次男はチーム内でも2~3番目のポイントゲッターである。去年の全国大会準優勝の補欠メンバーに5年生ながら入っていたほどなのでそこそこ上手い。僕は次男と次のようなやり取りをした。僕: 「なんでスタメン落ちしたか自分でわかる?」次男:「ディフェンスが弱かったんだと思う。 それからロングシュートも決まらなかった。」僕: 「先生はポイントゲッターを1人外して 補欠の子を試合に出してあげたかったんじゃないかな? 補欠の子は試合に出れたってことで自信が湧いて 今までよりもっとがんばるだろ? それに対してスタメン落ちした本人はどう思う? 悔しいと感じてもっと練習するだろ? ということは2人共が上手くなる。 てことはチーム全体が強くなっていくんじゃない? スタメン落ちしたからといって落ち込むだけの選手は そこまでで終わりってことなんじゃないかな? 早稲田のハンカチ王子が投げるといつも勝つよね? でもあの人だって毎試合投げるわけじゃないんだよ。」次男:「え!ハンカチ王子って毎試合投げてると思ってた。」僕: 「そんなことしたら他のピッチャーが伸びないじゃん。 監督ってそういう精神的なこともちゃんと考えてるんだよ。」翌日の土曜日の試合で息子はスタメン選手として返り咲きチーム内で最も多くシュートを決めて圧勝した。スタメン落ちしたことで泣いた息子のピュアさが好きだ。監督には「息子をスタメンから落としてくれてありがとう。」と言いたい。
2007年07月01日
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