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数日前に丹生川町(にゅうかわちょう)についての日記を書いたが丹生川町には日本では珍しい入山制限区域がある。申し込みをしてガイド同伴でなければ入れない区域があるのだ。五色ヶ原という区域である。五色ヶ原HPの「写真集」をクリックすると滝好きにはたまらないようなきれいな滝が紹介されている。朝陽や夕陽に染まるこの滝を見てみたいものだがそれは恐らく誰1人として出来ないのだろう。入山料も1人なら2万円という、かなり高い設定だがグループで行けば割安になる。それほどの金額を払っても満足してもらえる自信があるのかかなりの盛況のようでもある。ヒマラヤトレッキングでも入山許可というのがあって僕はムスタン王国手前までというパーミットを確か数千円で申請したのであるがそれより向こう側に入るには7万円の申請料が必要だった。トレッキングパーミットの申請はパスポートと顔写真を持ってカトマンズのタメル地区の随分判りにくい裏通りに行った。カーペット屋の裏を抜けると小さな店がありえ?こんなとこで?と思ったものである。昔インドで有り金全部はたいてネパール行きのバスチケットを買いそれが偽チケットで平原の真ん中に放り出されたことがあるので少々臆病になってしまうような申請だったがその許可証で楽しくトレッキング出来たのである。五色ヶ原入山制限もそれと似ていて何だかとても惹かれる区域である。
2007年10月31日
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小6の息子の修学旅行が来週に近付いている。京都・奈良だそうだが京都は班行動だそうである。自分達でルートを決めて移動するらしいのだ。昨日は遅くまで自宅のパソコンで調べていた。小6がパソコンで京都を検索して調べているのには驚いた。これはまるで人形館巡りをするトイモイ氏と同レベルではないか。将来が危惧、いや、期待されるのである。修学旅行とか団体旅行といえば日本人をはじめアジア人の象徴的姿でもあるのだが 僕はどうも苦手である。団体で行動するならば行かない方がいい、と思いつつやっぱりしっかり修学旅行は行っていたのだが。しかしなぜか中学と高校の修学旅行の夜といえば池田ミツルくんのように女湯を覗いたりこれまた池田ミツルくんのように4階か5階の部屋の窓を中庭の池に落として遊んでしまったり酒、煙草を見つかったわけではないのだが先生に叱られて旅館の廊下で正座の図式である。結局何をしに行ったのかわからないというのが修学旅行の思い出なのであるが旅とは本来そのようなものですね?トイモイ先生。
2007年10月30日
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今日も秋晴れの中、自転車で通勤した。僕が通勤する早朝9時40分ともなるとまだ岡崎市民は深い眠りの中なのか早起きした年配の人にしか目にすることはない。まだ時間帯が早いせいか通勤による渋滞も見られない。そんなことを考えながらいつも10時開店ギリギリに到着する。今月号の雑誌のエッセイは【自転車】である。文中で自転車の金額を公表しているが何だか自分の富豪っぷりを自慢しているようで少しだけ恥ずかしかったりもするのである。
2007年10月29日
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インドに行ったことはあるが心斎橋氏やトイモイ氏、ハルジ氏のようにディープに浸かったわけではない。カルカッタでインド人を口論の末に車から蹴り落としたりハシシを密告され警官に宿を追い出されたり持ち金が15円だったのでスラムで野宿したりヒッチハイクでネパールまで縦断した程度である。ニューデリーやゴア方面には行った事がない。駅前の人混みの中でガキが平気で座ってクソをしていたり痩せ細った子供達が僕の足首をつかんで恵みを請うて来たり確かにインドの旅で僕の観念は大きく変わったがハルジ氏の日記にあるようなインド病にまでは至らなかった。いや、傍から見たら充分インド病に冒されていたのかも知れない。帰国後、クビになっていなかった会社にヒゲ面で復帰し持ち帰ったブツを会社内で摂取していた時、同僚同士が「アイツはもうダメだな」と僕の事を話していたことは覚えている。まあそれは癖になるモノでもなく僕は別にダメになったわけでもない。当時ネパールのカトマンズに行った時フリーク・ストリートでジャンキーになった日本人を見た。数年後に仕事で再び同じ通りを通った時その日本人は裸足にボロボロの服を着て数年前と同じようにうつろな目で叫んで歩いていたのを見て彼はもう日本に戻れることはないかもな、と思った。最近20年振りにインドを再訪した心斎橋氏のブログが1ヶ月前から更新されてないのは知る由もない。(笑)
2007年10月27日
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高山市から新穂高に向かって車を走らせると丹生川町(にゅうかわちょう)という場所がある。住んでみたい地域のひとつである。山への往路で通る時は深夜なのでわからないが帰りに丹生川に入ると驚かされるのが沿道の花。車窓を横切る色は延々とカラフルで圧巻である。きっと町内全体で手入れしているのだろう。役場の担当課だけでは手入れ出来ないほどの花である。花にあまり興味のない男の僕ですら目を奪われる。この写真を撮った場所は毎回行く蕎麦屋の前から。この店のざる蕎麦がまた美味いのだ。これを食べてから市販のざる蕎麦は食べれないほどだ。今回新しく「岩魚の塩焼き」の看板を見つけた。次回は寄ってみようと思っている。丹生川町は古き良き日本の面影を残している。
2007年10月26日
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今回のミッションは焼岳ハイキングではなく露天風呂でリングいぶし加工だったのを思い出した。今日はその激務について報告しておく。その前に混浴露天風呂の概要をツラツラと読み流して欲しい。そう、この露天風呂に銀製品を付けて入ると真っ黒になってしまうのである。銀製品を黒くするにはなるべく高温の硫黄成分に浸すことである。したがってグラグラと沸き立つ120度の熱湯に手を突っ込む。皮膚はただれ激痛が襲うがリングを放してはいけないのである。なんてのはウソで、ただリングをして風呂に入るのみであった。ちなみに入浴中にご婦人が入って来られたが子羊の僕は早々に退却したため今回も僕のヌード画像はお預けとする、すまん。 これが入浴前のリング。 これが入浴中のリング。見事にスペクトルに変色してきている。というわけで最終的に真っ黒にいぶされてきたので激務完了をここに報告しておきます。
2007年10月25日
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麓では紅葉が艶やかだというのに岩場ではモノクロの世界である。それは拒むようなモノクロではなく希望がもうすぐ見えてくるようなトンネルの出口に近付いたような明るさである。足を止めて深呼吸をして頭上を見上げる。白い太陽の輪郭だけが見えている。麓からの風が吹き抜けて舞い上がり厚い雲に隠れていた焼岳が姿を現す。光あるもとへ。
2007年10月24日
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足元は落ち葉の海である。その落ち葉の下は去年の落ち葉である。その落ち葉の下はその前の年の落ち葉である。その落ち葉の下は更にその前の年の落ち葉である。 その落ち葉の下は更にまた・・・・・・・・・・・。 眩暈がするほど深い森。誰も・・・・・いない。
2007年10月23日
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焼岳への道はキノコ道である。森の中のあちこちにキノコが生え「これは食えるのか?」と想像が膨らむ。 かといってキノコはむやみに食ってはいけない。0.3gの摂取だけで3時間のトリップを引き起こすシロシビンが含まれているものもあるからだ。 有名なベニテングダケは0.5gで幻覚を引き起こす。こんな森の中でキノコトリップをしてしまっては背がブナの木ぐらいに高くなってしまうので危険である。 といいつつもキノコを見てしまった以上キノコは胞子菌だったよなあだとか食べた熊もトリップするんだろうかとかキノコ雑念に囚われての森歩きであった。 無知は罪である。これは何ダケ、あれは何ダケ、とキノコの名前と効能(笑)を知っていればもっと楽しいキノコ道歩きが出来るのである。 でもトリップしながら紅葉の森を歩けばサイケデリックな山歩きになるのは間違いないよなあ。ヒカリゴケの前で30分は固まって動けなくなるだろうな。(笑)
2007年10月20日
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静かな山を歩いて来た。森の中で擦れ違う登山者もなく焼岳小屋の宿泊客は僕1人であった。小屋に着いて挨拶をしただけで放浪の達人さんですね、と言われた時は驚いた。(笑)日頃のラットレースから解放されただ薪ストーブの炎を見つめ静寂のランプの夜に包まれる。この小屋は多分、山好きの人が思い浮かべる「山小屋とはこうあるべき」という想像上のマニアックで玄人好みの小屋だろう。ヒマラヤ奥地の宿の雰囲気に近い。焼岳周辺の紅葉のピークは来週だろう。土日は既にグループの予約が入っているようなので10月中の平日の宿泊をお薦めする。自分がなぜ山が好きなのか再確認させてくれるような素敵な夜だった。焼岳小屋のアルバイトのシンゴくん、お陰でのんびりした楽しい夜だったよ。ありがとう。詳しい日記はこちら
2007年10月19日
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ハイキングの日程を今夜出発に決めた。天気予報を見ると明日の昼は晴れだがあさっては下り坂に向かうようだ。そして今回は下山後の露天風呂で仕事絡みの事もしてくるのである。それは「リングのいぶし加工」だ。この日の日記の最後の画像のように硫黄成分の湯で銀製品が黒くなるのである。ということで今回のミッションは「リングいぶし加工」。そのついでに紅葉とハイキングを堪能して来よう。仕事関連なので往復高速代など経費で落とせますか?(笑)先回のハイキング時にお土産で買ったざるそばがすげえ美味かったので今回はたくさん買って来る予定。
2007年10月16日
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火曜日の夜か水曜日の夜から紅葉ハイキングに行く予定だ。天気図を見てどちらで出発になるかは当日の夜に決める。日帰りでもいいが、1泊を山奥でのんびり過ごすのもいい。どうせ平日の山小屋は貸し切り状態が予想される。焼岳にまた行こうかと考えている。この日に見たブナやカエデやナナカマドの葉が今週は完璧な紅葉時期だろうと思うからだ。あるいは南岳の冬季避難小屋で寝袋にくるまって独り静かな夜を過ごそうか。
2007年10月15日
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無神論者の僕は時々、信仰心はエゴではないかとそんな失礼なことを思うことがある。七夕の短冊には「おもちゃがほしい」合格祈願の絵馬には「○○高校合格」初詣では十円、百円、千円と現状の財政状態と世間相場、祈願のご利益を推し測り日頃唱えもしない願望を頭に浮かべる。お寺への寄付は多いほど徳を積むとされデカい葬式ほど肉の塊となった人のためと言われ日曜日のミサに出て日頃の罪を懺悔すれば神の祝福を得られるとひざまずく。トイモイ氏の日記に同感するが確か神様の謳い文句は「平等」ではなかったか?そしてその平等の名を汚すのは他ならぬ人間ではないのか?平等というのはあり得ない。容姿や財産、職業、境遇などみんな違うのは当たり前。あとは各人が脳みそという豆腐のような物体の中でいかに自分を満足の位置に持って行くか。まあいいや、とりあえず神様、1つだけ願いを叶えて。「願いが全て叶いますように」それみろ、エゴだ。
2007年10月14日
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真保裕一の黄金の島巻を読み終えた。彼の作品は背景に絶望感や葛藤が渦巻いている。そして文章表現が巧みで上手い。何たってやり切れないラストがいい。「黄金の島」とはアジア人から見た日本の事である。日本にさえ行けば大金持ちになれる、という妄想は確かに未だに彼らの中にある。そして彼らの生活からしてみれば日本での苦労なんて苦労とは呼べないほどにちっぽけかも知れない。屋根のある家で寝られる、食事にありつける、警官に殴られない、それだけでも幸せかもしれない。インドのカルカッタで路上や橋の下に住む人達、這いながら食べ物を下さいと僕の足首にすがり付いた女の子、駅の構内で警棒でボコボコに殴られていた男の子、あそこでは今もそんな光景が繰り広げられているのか。そして僕ら日本人の苦労はといえば物を買った反動のくせに支払いローンがとかケータイにメールしたのにまだ返事が来ないとか欲のために欲に縛られ更なる欲を求めている。黄金の島、日本に住む当の日本人にとって僕らの求める黄金の島はどこにある?所詮「何もない南の島がいい」という本末転倒で皮肉な考えしか浮かばない。
2007年10月13日
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店のお客さんが最近ミステリーサークルに凝っているそうだ。You tube で2分ほどの映像を見ることができる。ただただ「ほえ~!」と驚くばかりである。しかしだよ、何だか人為的な感じしない?人間が作ってるんじゃないかって。このエイリアンの顔なんて映画みたいじゃん。そもそも最初にミステリーサークルが発見された時はただの丸い着陸痕だけだったのにさ近年だんだん模様がエスカレートしてるんだよねえ。そのお客さんは「これは宇宙からのメッセージです!」と言ってるけど僕としては心斎橋さんやBerryくんのようなタイプの奴等が美術的アートとしていたずらで作ってるような気がするんだよね。トイモイさんだったらこんなの作る時間があったら飲んでるだろうし。You tube では「人間がサークルを作る実験」とか「2つの光る球体がアッという間にサークルを作る映像」とか時間を忘れて見入っちゃうのもあるよ。聞いた話ではチベットの砂マンダラを電磁波で瞬時に作ることも実験に成功してるらしい。いやあ、深いよ、叡智というものは。ところで何でみんな宇宙人の物真似する時って胸を叩きながら「ワレワレハ、ウチュウジンデス」ってやるの?宇宙人は日本語話せねえだろ!(笑)
2007年10月12日
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昨日はビルの空調が寒くてやや風邪気味だったので家に帰ってからチャイを作った。と言っても紅茶に黒コショウとしょうがを入れただけである。やはり本場のチャイとは味が違う。今でこそ1杯のチャイはカトマンズ市内では5ルピーとか10ルピーになってしまったが20年近く前は1杯が1ルピーだった。昔は路地にチャイ屋の屋台がウロウロしていて今のようにガラスコップではなく素焼きの器だった。飲み終えたチャイの器を屋台主に返そうとするとアゴと目で路上を指すのだ。飲み終えた器は地面に捨てろという意味だ。路地にはそうやって捨てられて割られた器が散乱していて人やリキシャや牛に踏まれて土に還っていた。それがつまり、カトマンズの色である。
2007年10月11日
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時々アジアの安宿のロビーなんかには祖国からギターを持って旅をしている白人がいる。ロン毛にバンダナの見るからに「ヒッピー!」って感じで1969年からタイムスリップして来たようなヤツである。彼らはロビーで、時には通りに出てギターを弾く。演奏すること自体が自己主張と言ってしまったらそれまでだがどうやら彼らのレパートリーには共通性があるのだ。演奏曲は必ず下記の3曲が含まれるのである。(あるいはこの3曲のみしか弾けないかも)1、ツェッペリンの「天国への階段」 イントロから2分ほどまでは聴いていられるが 素人ヒッピーが恍惚のブッダ目をして入り込んで行く後半はシラケる。2、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」 本物のギター間奏が見事なのでヒッピー素人とのギャップにシラケる。decoさんが紹介してるよ。3、ジョン・レノンの「イマジン」 ヒッピーの目指すユートピア世界と見事につながる曲だし 演奏も歌詞も簡単なので聴く側と合唱できるが やはり恍惚のヒッピー演奏者と距離を置きたくなる。個人的にはみんな好きな曲なんだけどね。ヒッピーってこれもレパートリー持ってるぞ、という情報があれば求む。(ちなみにビーチでの定番はロッドの「セイリング」ね。)
2007年10月10日
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娘が犬のミニチュア・シュナウザーを飼い始めた。生後3ヶ月のバブちゃん(オス)である。娘の部屋で室内犬として飼う。ドイツの犬なので名前はドイツ人らしくセバスチャンにしようという僕の意見と6/30生まれだから「むさお」あるいは「ロミオ」にしようという息子の意見は却下され、ルークと名づけられた。娘は本当に嬉しそう。動物学校で担当している犬「ルティ」の子供なので売りに出ていたけど「これは私が買うしかない!」と。彼女にとっては特別な思い入れがあるようだ。早く火の輪くぐりや一輪車の芸を覚えないかなあ。
2007年10月09日
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この時間でやっとネット販売の仕事が一呼吸ついた。そろそろ新聞配達のキクちゃんが起きる時間ではないか!どこかに出掛けていたり映画を観てたりしてた時に限って落札がガバ~ッとあるのである。(今夜はF1レースを観てた)この調子で毎日売れるといいんだけどねえ。倒れる直前のようにフラフラになって布団に入ってもいつも30分は寝付けられない。本当に寝付きが悪くて困るほどである。だから朝起きる時は低血圧も相まって苦痛である。世の中3連休のようで山なんかすごい人出だったようだ。いいなあ、3連休取ってみたい・・・。10/18日(木)まで休みなしである。(泣)
2007年10月08日
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呼吸法についての日記を書いたのだがとんでもないニュースを見つけた。マウンテンバイクで時速210kmを出したというのだ。こういうアホは世界中にけっこういる。以前ヒマラヤトレッキング中に聞いた話ではフランス人が標高5500mほどの峠を自転車で越えたという話があった。問題はどうやって登ったかである。(笑)御岳でもジャグリングをしながらの登山者がいたしマウンテンバイクのタイヤ痕を見たこともある。山の山頂まで流しそうめん用の長い竹を持って行き2人で食べるのが最高!という60歳過ぎの男性2人組みに南岳で直接話を聞いたこともある。しかも彼らは日本100名山踏破を目指していた。「よ~やるわ・・・」という行為は僕は大好きだ。トイモイ氏のことを僕は尊敬すらしている。みなさんも何かアタックしてみてくれ。「よ~やるわ・・・」が多い人生ほど面白くない?
2007年10月07日
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こいつを使い始めたら通勤時間が短縮された。以前は20分ほどかかっていたのだが今では10分程度である。でもほとんどは1番重い18段で走っている。山を歩くためのトレーニングである。かなり足にくる。呼吸は荒くならないように深呼吸でこぐ。山でも1歩1歩吸ったり吐いたりしていると体内の水分が呼吸と共に蒸発するので僕は4歩歩く間に1回吸い、6歩歩く間に1回吐く。そしてまた4歩の間は無呼吸。それも意識してみると判ることで普段は呼吸を考えた事はない。心臓の音を聞くことは滅多にない。余程キツい急な登りでは呼吸が早くなることがある。そんな時に初めて心臓がトクトクと言う。トライアスロンとかマラソンとかやってる人はどんな呼吸法をしてるんだろう?子供の頃に教えられた2回吐いて2回吸う、というのは何だか間違ってるような気がするんだけど。
2007年10月07日
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「この出品物に対して違反申告がありました」というYohooからの警告メールが止まらない。昨日の日記にも書いたが明らかにいたずらである。朝昼夕とコンスタントに来ていたのだがなんと深夜にもその警告メールは来ていた。明らかに1人によるいやがらせである。オメエ、いつ寝てるんじゃい。(笑)しかしまあ、そのクソ野郎の執拗さはもはや恨みすら混じっているような感じだ。そこまで丸1日も僕を目の敵にしてチェックし続けている執念には感心すらする。そんな引きこもっていたずらしてるパワーを仕事にぶつけてみたらどうなんじゃ、ボケが!それだけマメならかなり出世すると思うぞ。迷惑メールも朝パソコンを開けてみたら160通・・・。今日は朝からカンフー服とカンフーシューズが到着。段ボール3個分入荷したので仕事します。
2007年10月06日
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今日は朝からネット商品にいたずらがされている。「この出品物に対して違反申告がありました」という警告がYahooから8件も送られて来たのである。(まだ増えると思われる)こんなの出品してるボディピアスの落札シカトキャンセル率は相変わらず高いしこの頃なんかおかしいんだよねえ。陰湿な雰囲気が漂っているのだ。確かにいたずらするクソ野郎が目を付けるほどに商品の露出度が高いということではあるがこちらは遊びじゃなく本気でやっているのにこういういたずらはウザいんだよなあ。最近、ここ2年ほど前から何かおかしい。店頭に商品を見に来てくれるお客さんでもこちらの呼び掛けも無視してジッと固まって動かず「この人ブッ飛んでるのか?」って人が多くなっている。5分10分と動かずに時々ブツブツ言いながら気付くとどこかに行ってしまっている人が少なくない。今日は「公園の噴水遊びの声がうるさい」と告訴のニュース。それだけでも「ええ~」と思うのにそれを騒音と認定する裁判官もヘンじゃない?この国はだんだん笑わなくなっている気がする。
2007年10月05日
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BALI島ウブドゥ村の犬もタチが悪かった。市場の東からプリルキサン美術館へ抜ける裏道を野良犬ストリートと名付けたほどである。あまりにうるさく吠え立てるので小さかった娘を抱き上げて肩車をした。縄張りを通り過ぎると途端に静かになる。15年程前、その裏道に宿を取っていた。当時は次男もまだ生まれておらず家族4人で1週間ほど滞在していた。ハイビスカスの咲き乱れる中庭を歩いて行くと独立タイプのコテージが並んでいた。市場で大きなバケツを買って来て子供達のお風呂にしていた。水を汲んでおいて太陽で温めるのである。その裏通りにはおばあさんがやっている駄菓子屋があり¥1にも満たないお菓子を売っていた。通りの喧騒は聞こえないが時折風に乗ってガムランの音が聞こえて来た。この裏通りが本来のBALIの姿であり僕の原点はこの裏通りにある。去年は家族5人でここを何度も通ったがおばあちゃんの駄菓子屋はなくなっていた。あの犬どもの子孫はまだ元気に吠え立てやがった。乾燥した砂埃が舞う小さな裏通りの話である。
2007年10月04日
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夜明けの裏通りに野良犬がたくさんいて異邦人の僕に向かって唸り声をあげていた。どうやらこの路地は突破出来そうにない。寝過ごして急いでいるのに!昨夜は泊まってもいないD&Dホテルの屋上までタイマッサージをしに行かなければならなかったし夜景を見ながらのんびりしなきゃならなかったしカオサン通りまで出て焼き鳥食わなきゃいけなかったし冷たいシャワーも浴びなきゃいけなかったのだ。出発の荷物もそこそこまとめただけで倒れ込むように寝込んでしまったのである。もう空港までのバスは行っちゃったかもしれない。タクシーを拾って1時間で空港に着けるのか?しかも、この野良犬どもだ。どうすりゃいい?50kgの買い付け荷物を担ぎ、迂回してバス乗り場に着いたらバスはもういなかった。いや、正確に言えば まだいなかった。目覚まし時計の時間が狂っていていや、正確に言えばインドネシア時刻のままでタイの時刻に合わせ直してなかったのだ。へたへたと座り込んで、笑ってタバコに火をつけた。彼女の日記TO DOと彼の日記NOTHING TO DOをモジってみたよ。
2007年10月03日
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小6の次男が学芸会のセリフの練習をしていた。この子はいつもメインに近い役をやる。「村の子供C」ではないのである。今回は女工をいたぶる軍人の役みたい。(いたぶるといってもそういういたぶるぢゃないよ)かなりセリフが多い。これも少子化による影響か?そういえば去年の息子は時代劇の役人の役だった。峠の茶屋で一休みするシーンがあってそこでのセリフがなかなかよろしかった。「うん、この味はうまい!」 おわり
2007年10月02日
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子育てにもやっとメドがつきはじめた42歳。と思いきや、家族が1人増えるかも知れない。その件について家族会議をする。つまり、やめるかどうするかということなのだ。どうしても欲しい、というのが娘の意向。まもなく3ヶ月である。結局は娘の熱意に負けてOKを出した。え?皆さん何かすげえ想像が膨らんでませんか?ミニチュア・シュナウザーを飼うことにしたんですよ、生後3ヶ月の。娘のあの嬉しそうな顔ったら。(笑)
2007年10月01日
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