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『経哲手稿』16 ヘーゲル弁証法の批判前回、ヘーゲル哲学の「意識が他在のうちで自己のもとにある」に対するマルクスの批判を学びました。なんとか、大よその中心点については理解したつもりなんですが。しかし、考えてみれば、この問題に世界観の中心的問題があることからすれば、ここでのマルクスの究明の学習に、時間や苦労を惜しんだり、急ぎ働きをしたりしてはならないと思います。今回、もう一度腰を据えます。一、「意識が他在のうちで自己のもとにある」、この問題の位置ですが。前回のブログのこの言葉に対して、知人が「まるで禅問答のようだ」との感想を語ってました。私も同じなんです。最初にこの一文に接してそう思いました。しかしそうであればこそ、この問題の位置が大事じゃないかと思います。いったい何が問題なのか、どこが問題なのか、つかまなければなりません。弁証法の問題です。ヘーゲルは弁証法について『大論理学』の第三巻絶対的理念で書いていますが、万物の、とくに思考における抽象的な運動なんですが。それが弁証法の抽象的な一般的な形なんですね。その弁証法について、最初の著作である『精神現象学』ではどういっているか。前回紹介しましたが、意識の運動として、自己意識が外化する問題と、その疎外され外化したものを意識が取り戻す運動ということで書いていますね。これはヘーゲルが、同じ弁証法の運動について書いた異なった表現ですね。今回の「意識が他在のうちで自己のもとにある」ということですが、これは『現象学』の「絶対知」で書いていることですが、この認識の運動とは「対象性の廃棄」でもあると。この人がつくり出したもの、「外化されたものを意識がとりもどす」という運動なんだということを、そこを細かく述べた叙述の中にある言葉であり、問題です。マルクスのこのいち文に対する評価ですが、ここにヘーゲルの考え方の問題・特徴が明確に出ている、と述べています。それはどういうことか。マルクスはヘーゲルの著作全体に目を通して、それに対する批評をまとめています。その批判的検討の結果をまとめたことが、ここにしめされている認識なんですね。この結論の言葉だけを聞くと、「なんじゃ、これは」と、私などもやはりマルクスも、そのもととなるヘーゲルの文章も、同じように禅問答のような感じを受けちゃうんですが。しかしそれは禅問答とは違うんです。前後を読むと問題の所在がどこにあって、そこで見解に対してのど考察しひょうかしたのか。その認識の行程が見えてくると思うんです。そうした探究の苦労の結果としてでてきた結論的な評価であり、問題なんですね。とかくヘーゲルや弁証法について、耳にするような、だれか権威ある人の意見を口パクしていたり、テープレコーダーのような千年一律を繰り返しているような、枕詞のようなものじゃないんです。今を努力しているそれぞれの人の結果なんです。私などは、最近では枕詞にあうと、だれであれ「この、なまけものめ」と、気持ちの不満が抑えがなくなり、むしゃくしゃしてくるんです。二、さて本題の「意識が他在のうちで自己のもとにある」がもっている問題点ですが。この間の学習発信に、あまりにも反応が無いもんですから、「いったい関心者はいないのか」「観照だけをこととしているのか」、これが戦前日本の負の遺産か、とあたりに当たり散らしたりして。達磨大師の気分をとっくにとおりこして、憤懣がやるかたなくなってるんですが。まぁ、それもまた現実の一側面なんだと自分で自分に言い聞かせている次第なんですが。それはさておき、本題のヘーゲル弁証法の「一面性と限界」についてですが、前回に、その中心点的な点は抑えたつもりなんですが。マルクスは他にもいろいろ述べていますから、今回は項目的にだけでも、それを並べるようにします。1、現実を批判したヘーゲルですが、それにもかかわらず、それを外化(対象化)した後で、そのもとのままの現状を肯定してしまう、そうした考え方(原理的)の問題がある。2、ヘーゲルの宗教論や国家論(政治論)などの大勢への順応には、こうした原理的な問題が働いている。3、私の意識が反映したものとしての宗教と、それとは異なる宗教そのものとのギャップの問題です。自己の意識が既存の宗教とは異なる宗教を、否定された教説であったり、宗教を越えるものを求めるようになることもありうるということです。唯物論と宗教との関係ですね。4、「したがってヘーゲルにあっては否定の否定は」、仮象の中にある本質ではなくて、仮象の外にある本質が現れたものとしての仮象となる。仮象は、その外にある本質(概念)が現象したものとなる。本質の現れとなる。この問題はヘーゲルの概念弁証法として、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』で指摘している問題です。5、「したがって、否認と保存(肯定)とが結合されているところの止揚(揚棄)ということが、ある特別の役割を演じる」。いったいヘーゲルは止揚(揚棄)をどのような内容でつかっているか、とのことですが。6、『法の哲学』の「論理」展開ですが。論理の上で次々に移行することがらというのは、名簿がそうなように、それぞれの人は固有に生きて生活しているわけです。「移行」じゃなくて、おのおの現実に生活している。だから、その各々に対する私の意識は移行しても、それぞれが私との関係では生きている現実のおのおのの契機なわけで、独自に現実に生活しつづけているわけです。この問題が指摘されてます。7、「それらのものの現実的なあり方の中では、それらのもののこの運動的な本質は隠されている」。現実というのは自由・必然の関連のなかにあるり、この中では運動の本質とか、必然性ということはわからない。それは思考の中に出てきて初めて問題として問われることになる。ヘーゲルは宗教哲学、自然哲学、国家哲学、等々の事物の哲学的な意識というものの中において、はじめて仮象や真理というものを探究することが出来るようになるといってるわけです。人間の意識というものの、それがもっている固有の役割・意義というものを指摘しているわけです。8、「同様に」、『止揚』ということですが、「止揚された量は質に等しい」。こんな論理の展開を次々に繰り出す。論理学から自然、精神への「等しい」とされ、最後は「止揚された宗教は絶対知に等しい」と。こんな「論理」を展開している、ヘーゲルの哲学体系ですが、その展開の仕方の問題です。9、この止揚は、存在を止揚したものとしての思考というけど、思考の止揚というのは次々に論理的展開をするけれど、現実の存在については、そのものの動きは放っておかれる。ただ意識の検証という意味を持つだけにすぎない。現実の運動というのは、意識の元となる現実については、そのものの運動ということは考えられていない。10、ヘーゲルが相手にするのは現存在ではなくて、その意識形態、哲学的見解なんですね。観念論者として意識から独立した現存在というものを拒否する。客観性ということも、意識から独立したものではなく、客観性という意識が問題なんです。そしてその意識形態に対しては、たとえどんなに流行の考え方であっても批判的な対処をするんですね。物は拒否するけれど、意見については徹底的に吟味しようとする。11、ヘーゲルは、彼以前の意見を彼の契機とみているから、坦懐にそれを知るようにしているけれど、ヘーゲルが自身の見解をその総括として見ているから、自己見解というものが最高のものになっちゃうんですね。ところが、ヘーゲルだって歴史的に限られた存在ですから、そのまたさらなる発展があるわけです。この最高とのことと、どの様な過程・条件の下での最高なのか、この問題があります。だいたい、マルクスはヘーゲル哲学、弁証法の批判ですが、ここでその「一面性と限界(問題点)」について、以上のようなことをあげています。ちょっと私なりに意訳している部分もありますが、だいたいマルクスはこんな批判をしています。三、私なりにこの箇所のくわしい紹介にこだわった理由ですが、第一は、マルクスがヘーゲル弁証法を批判していることの紹介ですが、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』で紹介してくれてます。世界観、方法の問題にかかわる基本的な大事な問題だと思っているからなんですが。しかし、その割には、この問題が、昨今では、あまり一般に問題にならないじゃないですか。また、問題になったとしても、ふつうには『資本論』の「第二版へのあとがき」とか、定番の部分の引用するくらいで済まされているじゃないですか。この大事な問題を、なんともったいない、粗末にしているかと、日ごろ感じているんですね。そうした中で、この『1844年の経済学哲学手稿』ですが、ここにもヘーゲルと格闘したマルクスの足跡が、たいへんリアルな努力の跡が残されていることを感じていたので、それを紹介したかったからなんですね。マルクスの世界観、唯物弁証法、ヘーゲル弁証法の批判、これを学ぶ上で、参考になる貴重な文献だと思うっているからなんですが。しかし、その割には、あまり紹介されることが少ないものですから。私などがあげれる文献というのは、せいぜい二冊。『古典入門 マルクス経済学・哲学草稿』(有斐閣新書 1980年刊行)と、『経済』2022年2月号の長久理嗣「『経済学批判』の方法を探るマルクス」くらいなんです。それとともに、第二に、私は2012年でしたが、一度その時点で『経済学哲学手稿』について、8回のレポートとしてブログで学習発信をしているんですね。だから、今回の学習というのは、その自己点検というか、再学習ということもあるんです。だから、他の人たちから無風というか、馬耳東風というか、反応がなかったとしても、へっちゃらなんです。検討べき対象が、刺激してくれる対象が、まったくないというわけではないんです。もっともっと切磋琢磨の刺激が欲しいところですが、仕方ありません。ということで、今回は終了です。次回は「ヘーゲル弁証法の肯定的な契機を、疎外規定の中での契機をとらえる」点にすすみます。
2022年02月28日
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ヒノキの巨木を伐る2月27日(日)は、小田原でヒノキの巨木の伐採作業です。みかん園の農道の斜面に巨木があるんですが。放置しておくと、この先、いつ倒れるか、危険度が先にゆくほど大きくなっているからです。たての写真が、技術不十分で横になり、見にくいんですが。木の大きさが分かるかと思います。巨木の伐採作業なんて、テレビでしか知らない当方にとって、根本で切って倒すのかと思ったら、違うんですね。そんなことをしたら、どう倒れるかわからないし、後始末が出来なくなります。ではどうするかというと、木の上にのぼって、上の方から枝を切り落としていくんです。木の上でチェーンソウを使うわけですから、体力も使うし、危険な作業です。一度木に登ったら、簡単には降りれず、緊張のままの状態が続くわけですから。当方が手伝った部分は、切った枝ですが、ロープで宙ぶらりんになった枝ですが、この枝を、ロープを引っ張って、安定した場所に積みおくことでした。「命綱」という言葉がありますが、まさにその言葉を実感する作業でした。テレビなどで見る伐採作業とは、たんに木を倒す作業とは、大ちがいでした。私などが思った伐り易そうな枝から、それから切っちゃダメだったんです。どの枝に命綱をかけて体を保つのか、全体の中のどの枝から切れば、片付いていくのか。どのくらいの長さできれば、宙づりにできて移動できるようになるか。作業の順番がきわめて計画的で、段取りが決定的なんですね。簡単なものではありませんでした。第一に知力と体力が必要でした。木に登るにも、木の上で体を支えておくにも、木を伐るにも、切った木を宙づりにするにも、一つ一つの作業の段取りと、作業の行程には、専門の技術と、独特の道具が必要なんですね。目の前でみて、まさに命がけの作業であることがわかりました。
2022年02月28日
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温州みかんの販売が終了2月26日(土)、多摩の永山団地でのみかんの朝市ですが。午前9時26分に、今季の温州みかんの販売を終了しました。寒い朝で、はじめるころは人通りもなく、いったいどうなるかと思ったんですが。さいわい、ポツ、ポッと足をとめてくれる人が出て来て、「そうですか、今年の温州みかんはこれでおしまいですか」「大きくて良いみかんですね」そりゃあそうです。農家の方が最後の高級みかんを選果して出してくれたんですから。「早めに来てよかった」と、うれしい反応です。とうとう、味見用に別に分けておいたみかんについても、「そのみかんでも良いから、ほしい」と。常連のお客さんが来たてくれたんですが、その時には、すでに温州みかんは終了していました。でも、お目当てのものはとってありましたから、失望されることはなかったんですが。午前9時26分でしたが、今季の温州みかんについては、すべて販売を完了することが出来ました。「このつぎはなんですか? 」との問いがあったんですが。通常でいけば、ネーブル、湘南ゴールド、4月の清見、5月の甘夏とあるんですが、農家の人の都合にもよるので、いつどのくらい出せるか、わからないんだけど、湘南ゴールドと甘夏については、自前でつくっているのもあるから、旬になれば、必ず出すから、と答えておきました。とにかく、温州みかんの大商いが、今回で終了しました。
2022年02月26日
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今季の温州みかんの終了当方の真鶴と小田原のみかん園は温州みかんが中心ですが、今回(明日・26日)の朝市で、終了します。中・晩柑橘の湘南ゴールドや甘夏(5月)が、まだこの先ありますが、主要な柑橘は温州みかんですから、大きな仕事が一段落するわけです。みかん園は、静かな落ち着きを取り戻しました。一般の農家はネーブルや清見の収穫・出荷がありますが、当方は、必要なら販売を「お手伝い」するくらいですから、依頼があるかどうかは、どうなるかわかりません。当方の朝市は、都会の団地住人へのサービスですから、値段が安いんですね。農家が自前でよい値段で出荷できれば、それにこしたことはありませんから。そうしたことで、一段落です。それでも、楽屋裏の、消費者の分からないところでは、いろいろ作業は続きます。若い木は樹勢が強いから、剪定作業をしないと密集した竹ぼうきのようになってしまいますし、今回はそれと、イノシシがみかん園への進入路を、2か所塞いできました。春の暖かい気候となれば、難行苦行の草刈りが、繁茂して来る雑草を相手にはじまりますから。それにしても、数日間、メディアとのつながりが切れていたら、世の中、大変ですね。ロシアがウクライナに軍隊を入れたというんですから。ロシアも中国も、以前から大国主義の抜けきれない根性をもっているんですね。軍事力の力で、他国を占領し、ねじ伏せようというんですから。千島問題だって、同じ問題の負の遺産です。侵略はもちろん反対ですが、大国主義・民族抑圧に対する批判が大事だとおもいます。国家間の民主的な関係づくりには、この大国主義の病根とはっきりとたたかう政治が必要です。かつてのソ連のレーニンの功績は、こうした事態をみるにつけ、今でも輝いているんですね。世界がこの経験に学んでほしいと思います。
2022年02月25日
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『経哲草稿』15 ヘーゲル弁証法の問題点についてマルクスの『1844年の経済学哲学草稿』のヘーゲル哲学批判の続きです。問題は唯物弁証法の世界観がどのような努力(検討によって)でつくられたかということです。エンゲルスは『フォイエルバッハ論』(1886年)において、マルクスが1883年に亡くなったあとですが、こうした内容についてのエッセンスを紹介していますが。いわば無名の若いころの二人には、この探究過程-世界観の確立過程については、なかなか発表できる機会がなかったんですね。この主題では、ともに、マルクスとエンゲルスの共作ですが、1859年の「カール・マルクス『経済学批判』(書評)」と1876年-78年の『反デューリング論』、この二冊があるんですが。前者については昨年の2021年9月26日に紹介しました。ヘーゲル『大論理学』35 マルクスとエンゲルスのアドバイス | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)マルクスのヘーゲル哲学批判ですが。1843年の『法の哲学』(国家論)の批判に次ぐものですが。ここでマルクス(当時26歳)は、ヘーゲル弁証法そのものを検討しています。この『経済学・哲学手稿』では、前回に続いて、ヘーゲルの『現象学』の最終章「絶対知」において、冒頭の一節をとおしてヘーゲル弁証法を検討しています。その一節を8つの文節に区分して検討していますが、前回は第二文節の「自己意識の外化が物性を措定する」について紹介しましたが、今回は第六文節の「他在そのものの中でおのれのもとにある」を検討しています。岩波文庫『経済学・哲学草稿』(城塚登・田中吉六訳1964年刊)では、P209から215です。一、どの様な文章が問題なのか。同じく「絶対知」の冒頭部分ですが、「意識がこうした外化と対象性とをまた同じように止揚し、自己のうちに取りもどしてしまっているという契機、したがって『意識がそれの他在そのもののうちにあって自己のもとにある』という契機が存しているのである」(P209)との部分ですが。ヘーゲルが弁証法について述べたものですが、同じことを「序論」では次の様に述べてます。「学問においては、充実した内容の魂としてみずから運動していく。そのさい、存在者がどう運動していくかというと、それは一方では、みずから自分に対して他であるものとなり、他者に内在するものとなる。他方では、この展開された自分の現存在を自分のうちへとりもどす。一方の運動においては、否定性は区別し現存在を定立するはたらきである。他方の自分に帰る運動においては、否定性は規定された単純性が生ずることである。」(『世界の名著』中央公論社 山本信訳 P130)このいち文について、マルクスは7ページにわたって問題にしているわけです。ここに「ヘーゲルのにせの実証主義、見せかけだけの批判主義の根がある」と分析してます。それはどういうことか。細かく追跡することは出来ませんが、中心とおもわれる点を紹介します。二、『意識がそれの他在そのもののうちにあって自己のもとにある』-二つの問題の指摘があります。一つは、「意識が他在そのもののうちにある」、思考におのれの力以上のことをさせている点です。「思考が他在そのものとなる」と。思考は疎外された対象そのものをとらえれるのか、この点をいってます。それとも対象性という思考なのか、だとすればそれは唯心論ですが。これはフォイエルバッハが批判している点でもあります。(『将来の哲学の根本命題』第30節)ようするに唯物論か観念論かの問題です。もう一つは、これが問題なんですが、ヘーゲルの「否定の否定」にある問題です。ヘーゲルの弁証法観にある問題です。これもやはりフォイエルバッハが指摘している問題ですが。「ヘーゲルによれば否定の否定は真の肯定である。結局、最初の出発点に、キリスト教のふところにもどって来る」(同 第21節)。これはどういうことか。ヘーゲルは、仮象の現実からその本質をとらえるとしますが、ところがその本質(現実性)からそれの現れたものとして、仮象の現実そのものを現実性であるがごとく是認してしまうとの問題をもっているんです。そうしたことを「他在そのものの中で自己である」といってるんです。どういうことか。具体的な例をあげるとすれば、プロイセンの専制国家はヘーゲルにとって現実ではあっても、現実性ではないんです。しかしヘーゲルは政治哲学の中で本質的な政治体制を思考して彼の哲学の中に、頭のなかに理想を描く。次に、その理想の現れたものとしてプロイセンの専制国家を曖昧な言葉で認定するがごとく表明していく。フォイエルバッハは、宗教と哲学との関係ではヘーゲル哲学の問題点を指摘しているんですが、マルクスは、もっとことがらは一般的なもので、『法の哲学』にも、『論理学』にも、『自然哲学』にも、「天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもの」、ことごとく関連してくる問題だと。ヘーゲルのごまかし方ですが。その一つの形が、『止揚』という言葉で、「論理的に」つなげるかのようなごまかしです。マルクスは『法の哲学』の例をあげてます。『論理学』の例もあげています。ようするにマルクスは、その根本にはヘーゲルの「否定の否定」のとらえかたに、弁証法というもののとらえ方の問題がある。現実の関連から概念をみちびきだしてくるんじゃなくて、概念がはじめにあって現実はその現れだとするヘーゲルの「概念の弁証法」に、観念論の考え方に原因していると洞察し、それを論証しているんです。まぁ、私などは、そのように読み取ったんですが、いかがでしょうか。今回は、ここまでです。次回は、「ヘーゲル弁証法の肯定的な契機-疎外の規定の内部での-をとらえる」です。このおかしなヘーゲル弁証法ですが、マルクスはその中な貴重な成果があると示唆してますが、はたしてどうでしょうか。
2022年02月22日
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『経済学哲学手稿』14 へーゲルの「自己意識の外化が物性を措定する」とはマルクスは、ヘーゲルの『現象学』最終章「絶対知」ですが、「自己意識の外化が物性を措定する」の意見を問題にします。この見地はどういうことか、ここにはどのような問題があるのか検討していきます。この一文からの問題を文庫のページで4ページ半もの検討をしています。今回、私としては、ここで検討している中身ですが、その吟味にただちに進むんじゃなくて、文章の内容の検討からすこし離れて、何がここで問われているのか問題の輪郭を探ってみたいとおもいます。それが何が問題なのか、問題の位置を知ることで主題がみえてくるのではと思いますから。一、「自己意識の外化が物性を措定する」ですがこの問題は、マルクスがヘーゲル弁証法を検討する中で問われていることです。いったいこの「ヘーゲルの弁証法」って、どういうこのなの? この問題があります。近代においてヘーゲルが初めて弁証法というものを意識化したんですが。その弁証法とは何か。私などが読んでいると、ヘーゲルは『大論理学』(1812年)の最終章「絶対的理念」は、思惟の中にある思惟としての弁証法を正面から取り上げています。ここが最も集中して弁証法というものを述べている部分かと思います。なかなか分かりにくい論理学ですが、しかし確かに、ここでまとまった形で弁証法について述べています。だけど、いったいいつからヘーゲルは弁証法を述べだしているか? それまでにもヘーゲルは述べています。1807年の最初の著作である『精神現象学』においても、言い方こそ違ってますが弁証法を様々に語っています。ここでマルクスは、「ヘーゲル哲学の誕生の地」-『現象学』において、その弁証法を調べています。(だいたいヘーゲルの著作というのは、とれもこれも理解しにくいものです。だけど科学的社会主義を学ぼうとする以上、理解できる度合いはともかくとして、ヘーゲルそのものに当たらないわけにはいかないじゃないですか。エンゲルスが残したアドバイスをもって、その言葉をもってこれを理解したとするわけにはいかないじゃないですか。レーニンの『哲学ノート』がそうなように、自主的に調べてみる必要があると思うんです。なかなかやっかいですが、私なども何回か挑戦しています。それは、そもそも簡単に理解できるくらいなら、これまで多くの先人が苦労してきたようなことは無いわけで、大事な課題として私たちの前に歴然としてあるわけです)ヘーゲルは『精神現象学』の「序論」ですが、弁証法について、こんなふうにも述べてます。「学問が組織されるには、ただ概念それ自身の生命にまかせさえすればよいのである。学問においては、充実した内容の魂としてみずから運動していく。そのさい、存在者がどう運動していくかというと、それは一方では、みずから自分に対して他であるものとなり、他者に内在するものとなる。他方では、この展開された自分の現存在を自分のうちへとりもどす。一方の運動においては、否定性は区別し現存在を定立するはたらきである。他方の自分に帰る運動においては、否定性は規定された単純性が生ずることである。」(『世界の名著』中央公論社 山本信訳 P130)同じ趣旨ですが、もう一か所引用します。「真なるものは、本質的に主体である。主体である以上、それは、弁証法的な運動、すなわち自分自身を産み出し、展開し、そして自分へ帰ってゆく過程にほかならない。」( 同 P141)これが、ヘーゲルが『現象学』で明らかにしている弁証法です。マルクスが「ヘーゲルの現象学とその終極成果における偉大なものは、運動させ産出する原理としての否定性の弁証法だった」(『経哲手稿』(国民文庫版 P216)と指摘している点ですね。それは、言い方をかえると、人間にとっての労働の役割。「労働による対象化と、その疎外された対象性のはく奪」との問題です。一方で、それが少なくとも、ヘーゲルにとって、人間の認識から、自然と社会の、森羅万象のすべてにおいて、生きているものとしてつかんでいることがうかがえます。ところが他方では、ヘーゲルを読んでみるとわかるかと思いますが、それがなかなかはっきりしない、すっきりしないんです。何故、はっきりしないのか? この問題こそが、マルクスが1844年に直面していたことじゃないでしょうか。この『経済学哲学手稿』のヘーゲル批判の、中心問題じゃないでしょうか。二、「労働による対象化と、その疎外された対象性のはく奪」ということですが。これは、表現をかえて弁証法の抽象的な言い方によると「否定の否定」ということだと思います。この抽象的な一般法則が、人間の歴史的な行為の基本にも貫かれているということです。ところが、何故かはっきりしない。どうしてか?『大論理学』の第三巻を読んでいると、客観性というのは客観的な意識のことだ、だから意識は主観的なものが客観的意識をとらえることだ、といったヘーゲルの認識が出てきます。このことは、2021年8月29日付のブログで紹介したんですが。ヘーゲル『大論理学』27 第三巻概念論・第二篇客観性その2 | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)こうした考え方の大もとになっているのが、今回の「自己意識の外化が物性を措定する」ということじゃないでしょうか。だいたいヘーゲルは、同じ観念論者の中でも、フィヒテなどの主観的観念論者とはちがって客観性ということを認識している客観的観念論者です。だけど、その「客観的なもの」というのは、普通私たちが考えているような、人間の意識から独立した客観的な存在を認めるといったことではないんです。唯物論的考え方じゃないんです。そこがややこしいところですが。客観性という思考だというんです。今回の『現象学』の「自己意識の外化が物性を措定する」ということですが。この考え方ですが、客観的世界というのは人間の意識がつくっているものだ、客観性という人間の思考でありと、あくまで精神こそが最高のものだとの考え方です。これって唯心論の考え方による客観性なんですね。マルクスは、この考え方がヘーゲル哲学のベースにあることを批判したんですね。三、それというのは、フォイエルバッハが1841年『キリスト教の本質』ではっきりした転換点をつくった唯物論の方向ですが、マルクスはこの同じ唯物論の立場から、この『1844年の経済学哲学手稿』でヘーゲルの唯心論的な客観的観念論を批判しているんですね。ただフォイエルバッハは唯物論を主張しながら、唯物論を明言していません。当時は同時代として多分に変化の可能性を持っていたと思うんですが、1886年の40年の歴史を経てみると『フォイエルバッハ論』が指摘するようにフォイエルバッハには足踏みする弱点があったということ。また弁証法についても「否定の否定」ということを哲学的な論理的矛盾としてしかとらえていなかったフォイエルバッハは、唯物論からのヘーゲル批判はしても、弁証法というものをとらえることや批判することは出来なかったんですね。これに対してマルクスの場合は、同じ唯物論の基本でも、そこにもいろいろな形があることを研究するし(『聖家族』)、ヘーゲルの弁証法のとらえかてについても、ヘーゲル哲学の全体を視野にしてみると、たんなる哲学的な論理矛盾ではなく、もっと一般的なもので、人間の思考(認識)でも、自然分野でも、社会の諸分野でも、森羅万象のすべてにはたらいている法則性であることをみていたこと。ヘーゲルが、エンチクロペディーの体系で、全一的な法則性を指摘している見方に着目しています。ただしそのヘーゲルの弁証法はそのままでは使えないこと。そこには「自己意識の外化が物性を措定する」との問題ですが、精神と自然の根源性の問題では、精神(概念)がすべてを規定しているとのヘーゲルの転倒問題や、すべての契機を総括的したヘーゲル哲学の絶対性の考え方については、マルクスは歴史的に発展していく理論を探るべく、批判しているわけです。今回は、ヘーゲルの「自己意識の外化が物性を措定する」との主張がもつ一面性と誤りの問題をさぐるべく、とりまく全体的な関係を見てみたわけですが、理解するための材料になったでしょうか。これを執拗に追跡したマルクスの立場・考え方が、これが少しでも見えてきたら幸いです。それが歴史の流れだったわけですが、論理的にも不可避的な必然性をもったものとしてみてとれるんじゃないでしょうか。同時に、それはそれぞれの人の立場を踏まえつつ、各人が発展の過程を探る立場だということも見えてくると思います。さて、今回はここまでです。次回は、ヘーゲルの「他在そのもののなかでおのれのもとにある」についての検討です。
2022年02月20日
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2.19永山団地の定期朝市2月19日(土)、東京・多摩市の永山団地で定期朝市がひらかれました。「定期」というのは、当方の小田原みかんだけでなくて、地元の多摩市や縁ある群馬の農産物が並ぶためです。定期朝市は、隔週に開かれています。しかし、当方のみかん市については毎週の土曜日に開催しています。というのは、みかんというのは「春宵一刻、値千金」で、刻々と旬が変わる生鮮食品なんです。今、みかんというのは、それこそいろいろな種類はありますが、いろいろな品種の、それぞれの旬の食べごろを出しているんです。したがって、隔週などと悠長なことは言ってられません、それこそ毎週なんですが、その時に食べごろのみかんを、朝市にしてひらいているわけです。それがみかん農家のポリシーなんです。今回のみかんですが、これまでは温州みかんの青島・藤中等の在来種でしたが、今やその時期は最終盤です。今回で、温州みかんについては、みかん小屋から無くなります。今回は、温州みかん他に、ハッサクとレモンを出しました。それとキンカンをだしました。農家からは、その他にも、フキノトウやアシタバなどの産物も出してくれてんですが。これからの柑橘ですが、ネーブル、湘南ゴールドと続くようで、4月の清見、5月の甘夏まで続いていきます。これは小田原方面のみかんなんですが。当地としては、こうした柑橘が旬の柑橘として続いていく、とのことです。わたしなども、今は旬の柑橘なのか、これからは何か、農家の人に聞いて、予告の宣伝をしている次第です。
2022年02月19日
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『経済学哲学手稿』13ヘーゲルの一面性と限界について「次は、このヘーゲルの弁証法がもつ『一面性』と『限界』の問題です。肯定的な理解を全面的にしようとすると、その中から否定性が出て来ると。ヘーゲル弁証法の問題点がどこにあるのかという問題です。」-これは昨年の12月31日の第8回通信の終わり部分ですが、これが今回の主題です-『経済学哲学手稿』、今回の「ヘーゲルの一面性と限界について」の部分ですが、『国民文庫』(藤野渉訳)ではP217、ME全集(真下信一訳)ではP496からです。ここのテーマですが、マルクスはヘーゲル哲学、その弁証法をどの様に批判したかです。それは、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1886年)のテーマでもありますが、マルクス(26歳)は1844年にヘーゲル弁証法をどの様につくりかえたのか、唯物弁証法の世界観をどの様に確立したのか、この問題がここでのテーマなんです。これは科学的社会主義にとって大事な問題ですね。一、ここまでの流れを確認しておくと。マルクスはヘーゲル弁証法を検討するために、ヘーゲルの哲学の全体を、すなわち『精神現象学』や論理学をふくむ『エンチクロペディー』を一べつしています。それが必要だったんですね。そこから1.ヘーゲルにおける二つの誤りを指摘しています。人間がつくりだし、おかれている疎外ということを、ヘーゲルは思考の問題としてとらえていること、そしてその疎外を克服するという問題も思考の問題としてだけ立てていること、客観的な意識から独立した問題を、客観性という意識・精神の問題としてとらえていることの問題です。この二つの誤り問題ですが。しかし同時にマルクスは、2.ヘーゲルの成果として、現象学でもとらえている弁証法ですが、これを偉大な成果として確認しています。問題はここからです。ここでの課題ですが、この弁証法ですが、このヘーゲルの弁証法を具体的に検討すると、独特のヘーゲル流にゆがんだものになっちゃっているという問題です。この歪みを具体的に識別する(正す)ことが、ここを批判することが、ここでの主題となっているわけです。よくヘーゲルの「逆立ち」という問題、「逆立ち」との言葉で指摘されてますが、その具体的な中身をあきらかにするという問題です。この問題の要点については、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』の第四章で紹介しています。しかし、それはエンゲルスなりによくまとめられた要点でありますが、そのそもそもの元となっているのが、ここでマルクスが考察している内容であり、考察の過程の成果なんですね。この関係を原典を考慮して、いろいろな角度から自主的にしらべてみること、これがここでの問題となっているわけです。二、マルクスのここで「ヘーゲルの一面性と限界」を解明しているくだりですが、序論的な部分と、『現象学』の「絶対知」を具体的に検討するとの2つの段取りをとって説明しています。序論的部分というのは、P217の「さしあたり次のことだけは先に言っておこう」として述べている点と、P217-219「主要点はこうだ」として述べている事柄です。その後で具体的にヘーゲルの『現象学』を吟味していきます。この2段階です。「さしあたり」での一面性についての指摘ですが、1、ヘーゲルは労働を人間の本質ととらえているけど、労働の肯定的面だけ見て否定的な面は見ない。2、ヘーゲルの労働は、抽象的精神的な労働だけしか見ていない、と。3、先行する哲学を個々の契機として総括していくことで、ヘーゲル哲学が絶対的なそのものとみる。こんな点にヘーゲルの一面性を指摘しています。次の「主要点」というのは、この「一面性と限界」の問題で、ヘーゲルの哲学の全体を検討してきたことの結論をまとめたものとおもいます。その検討した結果の要点であり、問題点を整理したものとおもいます。これにつづいて、『現象学』の「絶対知」の部分において、その問題点をより具体的に検討していきますから、その「主要点」の中身はここでは略しますが。何故、こうした二段階でヘーゲルの問題点について叙述するかということですが。一つは、マルクスが自分がつかんだ問題点を整理して、これからの検討を進めるうえで、より問題を明確にしようとすることにあると思います。もう一つは、これからこれらを読んでいこうとしている人達への配慮があると思います。いきなり『現象学』の検討に入ると、細かな事柄をあれこれ検討しようとすると道に迷うことになる。いったい何が問題なのか、どういうことを検討しているのか、何故そんなことをするのか、私などにも五里霧中とになるにになるんです。マルクスはそうしたことが分かっているから、この序論的部分をおいて、これがこの後の問題の輪郭をあきらかにして、この後の検討をしやすくしている、その理解をしやすくするために、水先案内的な役割を意図して書いているように思われます。三、さて、『精神現象学』の最終章「絶対知」の部分に対するマルクスの検討ですが。マルクスがここでしているのは、最終章の「絶対値」の部分の吟味です。『精神現象学』は岩波書店の全集版では全体で1166ページもあるんです。マルクスが取り上げているのはそのうちのP1137-8の、たった2ページ分なんですよ。この2ページを、そのものを8つの文節に分けて書き抜いています。マルクスは、ここにヘーゲル哲学がもつ大きな問題点があることを明らかにしているんです。なんともすごい検討の結果であり、意識性と集中力を感じさせられるところなんです。ヘーゲルの「絶対知」から書き抜いた8つの文節ですが。マルクスは、そのうちの2つの点を、文節を、とくに問題にしています。その一つは、第2文節の「自己意識の外化が物性を措定する」ということです。もう一つは、第6文節ですが「他方、このことのうちに同時にもう一つこういう契機がふくまれている。すなわち、自己意識はこの外化を対象性をもまた同様に止揚しておのれのなかへ取り戻したということ、したがってそれの他在そのもののなかでおのれのもとにあるということ」。このうちのとくに「他在そのものの中でおのれのもとにある」という点を問題にしています。この2つの点を問題として検討していきます。この引用文からだと、問題をつかめないと思います。これはいったいなんなのか? ここで何を言っていて、何が問題なのか?ただこの文面をよんで、これを出発点にして、あれこれこねくり回しても、問題はつかめない。そこからは五里霧中になったり、迷路にはまり込むような気持にもなるのも当然かと思います。そうなると、マルクスが言っていることを得心しようとして、1つ1つこまかく解説したり、解釈したりしてすることになりがちになる。だいたい考案したり推測したりすることではないとおもいます。こうした問題を解く鍵が、先の「水先案内」の部分にあるとおもいます。それは全体を検討してきたた結果であり、全体から引き出されてきた要約なんですね。今回ももう大分長くなりましたので、ここまでです。次回は「絶対知」の冒頭ですが、第2文節「自己意識の外化が物性を措定する」このヘーゲルの考え方がもっている問題点について、マルクスの検討した中身を、検討してみたいと思います。
2022年02月19日
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九死に一生をえた源頼朝2月13日の『鎌倉殿の13人』は、頼朝の真鶴町岩からの脱出が放映されました。真鶴町岩というのは、私などの故郷なんですね。これが岩海岸なんですが。頼朝は、ここから漁師の船で、晴れた日には遠くに霞んで見える房総半島の対岸めざして、脱出したんだそうです。番組と、そのあと歴史説明で紹介されてましたが。『みかん園のある所の歴史だから、 どう描かれるかはわからないけれど、見てほしい』と。この日の番組の始まる前に、大勢の人たちに紹介しました。なにしろ故郷に残された、わずかな歴史舞台ですから、ドラマチックないちページですから、だれかれ見境なく、幼なじみから、みかんにかかわってくれている人たちから、声掛けが可能な人たちのすべてに電話しちゃったんですね。私は、10年前ですが、ブログで「謡坂(うたいざか)」を紹介しました。源頼朝の危機脱出を、謡坂(うたいざか)の碑文に読む | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)頼朝にとって、石橋山からこの脱出まで、最大の危機だったことがうかがえます。私などはそれだけの期待と思い入れがあったんで、番組が放映された直後は、「なーんだ、これだけか」と思ったんですが。しかし、よくよく録画を見返してみると、「土肥実平」が出てきたり、「岩浦」が出てきたり、小舟で渡ったことなど。(実際に東京湾をあの対岸まで、漁師の小舟で渡ったことは確かですが、しかし、あんな番組のように、数人が1艘の船を手漕ぎで渡るなんて、とても無理なんです。あの遠くまで、波の中を、いったいどのくらいの距離を、どのくらいの時間をかけて渡ったか。専門の漁師の人たちが、かなりの人で協力しないと、渡れっこないんです。そこはドラマのドラマたるところなんですが)よくよく見返してみると、ドラマの話の筋書きをはじめ、それなりに各所に時代考証がされていると思えるようになったんですが。それでも「歴史のリアリティー性とドラマとでは、やはり違うなぁ」と、感じさせらるんですが。最後には岩海岸の紹介が出てきたんで、「まぁそういうことだ」と納得することにしたんです。歴史の史実の中には、ドラマチックなことがあります。ここでも、石橋山の合戦で敗れた頼朝ですが、そのたった3₋4カ月後の10月には、富士川の合戦で、7万の平家軍に恐怖心を掻き立てるような、総大将として現れるんですから。たった数カ月後ですよ。この短期間につくられた歴史の変化というのは、いったいどうしたことでしょう。この点も、私などは、それをこのドラマがどの様に紹介するか注目しているんですが。
2022年02月14日
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みかんの朝市を終えて本日も、無事にみかんの朝市を終了しました。温州みかんについては、いよいよ今期の最終段階にあるんですが。その他の柑橘については、清見、ネーブル、湘南ゴールドと、5月の甘夏まで、これからについても、小田原のみかん園から美味しいみかんを提供していただくことになっています。当方は、小田原・真鶴のみかん作業に出かけると、現地では、テレビや新聞、パソコンなどとのつながりが切れてしまうものですから、東京に戻ると、みかんの販売とともに、ポストなどにたまっている、それらの情報について目を通すことになります。今回は、しんぶん「赤旗」と日曜版についての魅力です。その編集局長と編集長が語ってくれています。【イベント情報】2月11日(金・休)「『赤旗』と日本共産党を語る」を開催します | 日本共産党 東京都委員会 (jcp-tokyo.net)https://www.youtube.com/watch?time_continue=7&v=K1uxymC9DNA&feature=emb_title全体は2時間くらのインタビューなんですが、この中身は現在を生きているものにとって、大事なことだし、聞きごたえがあるものと思います。あらためてききかえすことが、おそらく必要になると思うし、いつでも出来るように記録しておきます。
2022年02月12日
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『鎌倉殿の13人』で大勢に電話しちゃいました今回は『経済学哲学手稿』の番外編です。゛NHKドラマ『鎌倉殿の13人』を見ている?゛幼なじみや、案内したことのある同窓生に、電話しちゃいました。20人以上にこの便りしちゃったとおもいます。というのは、当方の現実ですが、出身は神奈川県・真鶴町岩で、石橋山の合戦に敗れたあとの源頼朝が、房総半島に逃げるために船出したところなんです。また今みかん園のあるのが石垣山ですが、そこは合戦のあった石橋山のすぐ隣にあるんです。ようするに、故郷の昔の出来事と、今の仕事場が、今回のNHKドラマの舞台となったわけです。゛『鎌倉殿』をみている?゛゛そこがドラマの舞台になっているよ゛と。番組を見てない人もいますから、注意を喚起している次第です。源頼朝の旗あげ、石橋山の合戦ですが、300対3000の合戦で、さんざんな負け戦だったんです。しかし頼朝はやけを起こさず、自害しないんです。箱根山中を逃げのびて、私の故郷の岩村から漁師の小舟で、太平洋のように遠くはるかな先の房総半島に逃げたんです。不思議だと思いませんか? たいがい負けた武将は自害しちゃうじゃないですか、しかし頼朝はそうしなかったんです。小舟で相模湾を渡って逃げるなんて、ちょっと考えられないことです。推測するのに、その背後には、関東の武士団や農漁民の絶大な支持があることを感じていたとしか、必ず勝てると考えていたからじゃないでしょうか。そうとしか考えられないんですが。はたして、どうか?この旗揚げと敗戦は一つの歴史的な史実です。それは『平家物語』や『源平盛衰記』、『東鑑』など、様々な形として語り伝えられています。それらの様々な資料を基にして、このドラマはつくられているわけですが。私などは、合戦のあった石橋山の佐奈田零社をみているんです。伊豆山権現も見ているんです。また土肥実平が逃亡の目途をたてて舞ったという謡坂ですが、小学校への通学路にそれがあったんです。実際の場所を見ているんですね。だから現地の地形観など、独特に臨場感からして、逆にドラマのシーンをチェック出来る面があるんです。そのことは郷里の人たちも同じだと思うんですが。そんなことから、それこそ何十年ぶりかですが、『番組を見ているか?」といった会話になるわけです。私などのが岩村に住むようになったのは、被おじいさんの代で、明治の中頃です。ですから、それは頼朝からは千年ちかいタイムラグがあるんですが。それでも、何故、明治の中頃に、山梨県から岩村に落ち着くようになったのか、これもまた謎なんですね。となかく、石橋山の古戦場というのは、早川のみかん園のすぐ隣でして、そこにある佐奈田神社は、豊臣秀吉の一夜城とともに、私などがみかん園に来た人を案内する定番の場所となっています。この戦で負けた頼朝ですが、湯河原の土肥実平の道案内で、大庭方の追討を危うく免れて、真鶴町岩の海岸から漁師の小船で房総半島の方に逃げたんですね。ようするに、私などの郷里に伝わる出来事が、今ドラマになって紹介されているんです。それんな縁で、「『鎌倉殿』をみている?・・・」幼なじみから、当地に案内したことのある知人にたいして「神社をおぼえている?」など連絡して、新たな交歓がはじまっているわけです。一、問題はここからですが。ドラマのもとになっている事柄ですが、私などの故郷のことでもあり、これまでに関係する歴史書(『平家物語』、『源平盛衰記』、『東鑑』など)をさぐったこともあにはあるんですが。子どもの頃の遊びの場だったところから、地理的にしみついた独特の臨場感を感じることもあるんですね。もちろんドラマにより新たな認識を得ることもありますが、私などの体感した景観が、このドラマにどの様に描かれ、どのように演じられるのか。私などの遠い郷里の現実性ですが、それがこのドラマの中にどのような形で表現されているか、この点も注目している点なんです。要するにそれは、現実関係とその意識形態なんですね。これって哲学的には唯物論的な関係だとは思いませんか。実際の関係、存在と、それがどの様に意識化されているのか、どう描かれているのか、この点が関心問題の一つになるわけです。二、同時にもう一つの問題、日本の歴史の、この時代の歴史過程の問題があります。これがまた不思議なんです。頼朝が石橋山の合戦で、300対3000でさんざんに負けたのは6月です。それからわずか数カ月後の10月は富士川の合戦となります。落ち武者の頼朝が、鳥の羽ばたきでも、平氏の大軍を震い上がらせるような大軍の総大将として現れるんです。この短期間の変化はどうしたことか。なにか人の個人的な力をもってしてはどうあがいても逆らい難いような、歴史の必然性といったものを感じませんか。とにかくこれは、日本の歴史にある事実なんですね。時代に大きな変化があり、その一コマに頼朝という存在があったということなんですね。社会全体としては、圧倒的には平氏の強大な権力が、日本全体を支配していた中での出来事であり、変化だったとおもうんですよ。ここには、歴史のとらえ方、時代社会のとらえ方の問題がありますね。確かに歴史観の問題があると思うんです。だけどそれだけでは済まない。ただ唯物史観というのは、ものごとをつくりだす打ち出の小づちじゃありませんし、いくら公式的なことをふりまわしても、それで歴史の流れを理解できるわけではありません。理論的な説明にはなっていません。事実を基礎として、論証と説得力、ここに大事な点があると思います。唯物論的歴史観とはなんなのかの問題と、この基本理論を具体的な歴史研究にどの様に生かすのか、どの様にその力が発揮されているのか、この点が問われるとおもうんです。この問題は歴史家の人たちにより、いったいどの様な研究がされてきたのか。歴史家の人たちの間では、歴史観というものがどの様に問われてきたのか。そうしたことが、探られなければならないと思います。三、たまたま私などの関心から『鎌倉殿』の鎌倉時代が問題になりましたが。そのことから哲学観、歴史観が問われましたが。しかし、やはりこの歴史の問題には、マルクスのヘーゲル哲学批判の現実性ということが関係していると思います。それが基本問題としてあると思います。あらためて「唯物論的な歴史観とはなんなのか? 唯物史観というのは現代にどの様な問題を提起しているのか」「その努力は、現代人にどのような力を与えてくれるか」-こうした問題がにあると思います。そんな問題も、頭の片隅に置きつつ、『経済学哲学手稿』の残りを探ってみたいと思います。
2022年02月11日
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『経済学哲学手稿』11 仕切り直しと、残りの二つ昨年(2021年)3月9日に始めたヘーゲル『大論理学』の学習ブログは、総選挙の前の10月15日に第38回目「絶対的理念」で終了しました。総選挙後の11月2日から始めたマルクス『経済学哲学手稿』の学習ブログですが、みかんの収穫という大仕事(体力勝負)が12月-1月とあったため、実際上この間は中断していました。収穫の山場をこした今、あらためて仕切り直しで、『経済学哲学手稿』学習を再開しています。今回は、あらためてこれまでの位地と、残されているテーマの確認です。一、あらためて問題に関係している諸著作をみておきます。ヘーゲル(1770.8-1831.11) 1、1807年『精神現象学』 2、1812年『大論理学』 3、1817年『エンチクロペディー』 4、1831年の論理学講義フォイエルバッハ(1804-72年) 5、1839年「ヘーゲル哲学批判」 6、1841年『キリスト教の本質』 7、1842年『哲学改革のための暫定命題』 8、1843年『将来の哲学の根本命題』マルクス(1818-1883年) 9、1843年『ヘーゲル法哲学の批判』 10、1844年『経済学哲学手稿』 11、1845-46年『ドイツ・イデオロギー』エンゲルス(1820-95) 12、1886年『フォイエルバッハ論』二、手稿の全体像と、問題の輪郭ですが。第9回(1月18日)のブログで、この草稿の全体像を描いてみました。どこまで学習は来ているのか。残りのテーマはどのくらいなのかをつかむためでしたが。1、マルクス『1844年の経済学哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」の学習ですが。第10回(2月1日)ブログは「そもそも何が問題か」でしたが。ヘーゲルが哲学史の歴史で初めて弁証法を意識的にとらえたんですが。その弁証法とは何なのか、弁証法をどの様にとらえるか、それが問題です。それは世界観でもあり、ものごとの探究方法の問題でもあるはずなんですが。わかったようでいて、じつはヘーゲルの批判がなされていなかった。ヘーゲルの著作というのは、じかにあたるとわかるんですが、なかなか読むのも理解するのが厄介なんです。ヘーゲルが1831年に亡くなってから、ヘーゲルの弁証法を問題にしたのは、フォイエルバッハがはじめてだったんですね。しかし、それは主として唯物論の立場からのヘーゲル批判であって、そのこと自体はフォイエルバッハの大きな功績なんだけど、肝腎の弁証法そのものの内容についてはとらえきれておらず、それを批判することはできていなかったんですね。こうした歴史的な状況があった。この事態に対する認識が、ここでのマルクスの新たな探究の出発点になっているんですね。結論からすれば、マルクスはここからの探究をはじめだして、唯物弁証法の世界観と唯物論的歴史観を発見することになるんですが、それを基礎に『資本論』はじめとするその後の様々な業績をかさねていく結果になっていくんですが。しかし「弁証法」「唯物弁証法」「唯物史観」といっても、その中身というのは、テキストの言葉の引用やきまり文句で理解できるようなものはありませんから、あくまで一人の人の認識努力の探究の結果で習得するものであって、そうした努力過程の全体なわけですから、問題はその後の私たちが、どれだけ真摯な努力をかさねているか、そのことこそが問われているわけなんですね。2、この著作はエンゲルスが『フォイエルバッハ論』でアドバイスしていますが、マルクスはどの様にヘーゲル哲学を批判したのか。自らの世界観を確立したのか、それを主題にしています。マルクスは、ヘーゲル哲学の問題点を検討するために、ヘーゲル哲学の全体像をまとめています。『精神現象学』『エンチクロペデー』(体系)、『論理学』などを。このこと自体が大変な努力なわけですが、これを基礎作業にしてヘーゲル哲学の批判をしていくわけです。 ところでこの草稿の執筆は、マルクスが26歳の若かい日々の努力です。それを考慮せずに、えてして人はここでのマルクスを絶対的なものと扱う(解釈する)場合があったり、また後年の到達した見地から不十分さを指摘する傾向が多々あるように思います。しかしそれは評価の仕方として適当でないとおもいます。ものごとは探究過程ですから、後に到達した見地から、外からみての誤りや不十分さを指摘することは簡単にできるかと思います。がしかし、それでは外的な続きあいであって、大事な内的な発展過程をとらえそこなうと思います。後期を何か完成されたものとしてとらえて、それに対してそれ以前を不十分なものとみるのは、形式的で解釈学的な議論だとおもいます。だいたいその晩年だって、大きく見れば発展の中の一つ過程のことですから。その見解はその前提条件によっているわけです。3、マルクスは、ヘーゲル哲学の全体像を紹介した後に、次のような柱建てで検討してるように思います。これは私などの勝手なまとめなんですが。(1)「ヘーゲルにおける二重の誤り」を指摘します。これは第4回目(11月22日)で紹介しました。(2)次に「ヘーゲル現象学と、その終極成果としての弁証法」について。これは第8回目(12月31日)で紹介しました。ここまでが、だいたいこれまで学習してきたことの到達点です。これから先の、これからのテーマですが、少なくとも2つの主題があると思います。(3)「ヘーゲル哲学の一面性と限界」について(『国民文庫』版のP217から) ここでヘーゲル弁証法の問題点が検討されていると思います。(4)「ヘーゲル弁証法の肯定的な諸契機-疎外の規定の内部での-」( 同 P231)だいたいこんなことを見取り図にして、残りの部分を学んでいこうと思っています。
2022年02月08日
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石橋山の古戦場を紹介します当方は、小田原・早川のみかん園に通っています。2月6日(日)のNHK『鎌倉殿の13人』に、石橋山の古戦場が紹介されました。それは、みかん園ある場所のすぐ隣なんです。これが石橋山の古戦場です。真鶴道路は今でも、交通渋滞する難所なんですが、鎌倉時代も同じく難所だったんですね。大ぜいの軍勢があったとしても、それが動くには、狭い道しかなかったはずです。今も昔も、自然の要害として変わりがないんですね。このブログは13年前のものですが、この石橋山の古戦場について紹介していたんです。何かしら、参考になるかと思い紹介させていただきます。石橋山の古戦場です | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)
2022年02月07日
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伊豆山神社を紹介しますNHKの『鎌倉殿の13人』をみていたら、2月6日に熱海の伊豆山神社が紹介されました。以前に学生時代の同窓会で、この伊豆山神社を案内したことがあります。早いもので、それから10年が過ぎたんですが、その準備で下見した時に、2012年9月22日ですが、ブログで紹介していました。今回は、あらためてですが、参考になることもあるかと思い、紹介させていただきます。「伊豆の旅」の準備2、熱海の伊豆山神社 | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)ついでに、海岸にある「走り湯」についても紹介させていただきます。源頼朝も入った、伊豆山権現の走り湯 | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)「入った」というのは、源頼朝は、伊豆山神社に詣でる時に、この湯で身を清めてから、石段を登って行ったというんです。これは10年前のことですが。最近では、伊豆山の地は、業者が不法投棄した土砂のために、大規模な土石流が発生して、人命や家屋がながされるという大災害が発生した地でもあるんですが。
2022年02月07日
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今朝の団地朝市でのこと2月5日(土)、今朝の多摩の団地朝市でのこと。一人の男性ですが、インターネットのブログを見て、みかんを買いに来てくれたとのこと。お聞きすると、わざわざ相模原の方から、ここでみかんを買うために出かけて来てくれたとのこと。永山団地の商店会というのは、相模原からだと小田急や京王線でかなりの時間がかかるんですよ。さらに永山駅から、尾根幹線近くの永山商店会までは、これまた結構な距離があるんですよ。それを、わざわざここでみかんを買うために、はるばる出かけて来てくれたというんです。ありがたい話じゃないですか。ブログを見て、永山商店会の場所を探して出かけて来てくれたというんです。そして、6袋も買っていただいたんです。みかんは水ものですから6袋ともなると、かなり重たいんですが、それをナップサックに入れて、背負って帰っていかれました。お聞きすると、農水省関係にお勤めとのことでした。まずみかんの味を試してくれたんですが、『うん、美味しい!』と、にっこりとして言ってくれました。私なども、感動したんですが、これを小田原・早川の農家の人が聞いたら、きっと喜んでくれると思います。
2022年02月05日
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湘南ゴールドの網掛け小田原・早川のみかん園ですが。2月2-3日に湘南ゴールドの木に網掛けしてきました。みかん園から温州みかんが消えて、けたたましく鳴いていたヒヨドリが少し静かになりました。今は鳩の様なお腹をしているヒヨドリなんですが、どうやら今は、他所に食べ物を探しに行っているようです。その数がだいぶ少なくなりました。しかしこれから、湘南ゴールドや清見が熟してくるようになると、必ず、また戻ってきます。今でも湘南ゴールドの熟した部分は、突っつかれています。それで、農家は、木に網掛けをしています。当方も、加害をふせぐために網掛けをしました。なにしろ五段の脚立よりも高い木ですから、網掛けするのも大変な仕事なんですが。それをしておかないと、格好のえさ場になっちゃいます。本来なら樹形をもっとコンパクトなものに、また密集したところをすいておくべきだったんですが。一番狙われそうな3本の木に網掛けしたんですが。それで手もちの網をつかいはたしてしまいました。全部の木にかけるわけにはいかなかったんですね。はたしてどうなるでしょうか。
2022年02月04日
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『経済学・哲学草稿』10 そもそも何が問題か12月-1月は、農夫はみかんの収穫でてんてこ舞いでした。学習は中断しがちだったんですが、それは、あらためて仕切り直しをするようなものになっています。そもそも何が問題なのか。哲学の学習、マルクスはヘーゲル哲学をどの様に批判したのか。この問題は、口幅ったくも、世界観の学習ということです。かつて、私などの若かったころは、1970年代ですが、『空想から科学へ』や『フォイエルバッハ論』などの学習は必須のものでした。それは世界観的な事柄への学習という意味があったと思いますが。いまでは、それから時代も社会もさまざまに変わってきました。「哲学学習だ、今さら何言ってるのか…」といった気持ちもなくはないのですが。しかし、違うと思うんです。今の変動した社会だからこそ、政治的も激動しているこの時期だからこそ、この基本的な問題での学習が欠かせなくなっていると思っているんです。もちろん、人はそれぞれの懸案をもっていますが、それぞれの前進をひらくためには、この基本学習は欠かせない課題としてあると思っています。これが私などのこだわりの要因なんですね。さて、『1844年の経済学哲学手稿』ですが。これは1932年にソ連で初めて刊行さたものだそうです。ですからレーニンですら中身を見ることは出来なかったでしょうし、おそらくエンゲルスが1883年にマルクスが亡くなって、その遺稿の束の中で見れたくらいかと思います。日本では、科学的社会主義が自由に研究が出来るようになったのは1945年以降のことですし、『国民文庫』版(藤野渉訳)は1963年の刊行ですから、比較的に最近のことでして。従って、その中身は必ずしも一般に広く知られたものとはなっていないと思っています。そうはいっても、すでに半世紀の50年は経過しているわけですから、研究者の間においてはいろいろ取りあげられたとは思うんですが。私などが、今こだわっているのは、これがマルクスたちが世界観を確立した過程を記録している原典の一つだということです。それを解釈したものは、その後に、それこそ山なすほど刊行されたでしょうけど、そのもとになっているのはこのあたりにあるわけです。エンゲルスの『フォイエルバッハ論』ですが、これはマルクスが1883年に亡くなって、遺稿集でこの世界観が形成された過程の原典的資料をみた。当時は『経済学哲学草稿』についても刊行できずにしまわれていたわけですから、1880年ころは、エンゲルス以外には目に出来た人はいなかったわけです。しかも難解な用語で格闘をしている大部の束です。そのままでは混乱のもととなりますから、出せません。これを現代人に理解しやすくするために、これを探究するためのアドバイスとしてエンゲルスは1886年に『フォイエルバッハ論』を書いたわけです。いわば、世界観の学習へのアドバイスとして、こころみているわけです。ですから、これをきまり切ったことがらの様に、当たり前のように、いわば教科書風に扱ってはならないということでして、あくまで私たちが探究することをうながそうとするための手引きだということです。それにどれだけ真摯に答えているか、それが私たちに問われているわけです。今回は仕切り直しでして、構えの再構築でした。「ヘーゲルの一面性と限界」は、次回です。
2022年02月01日
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