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甘夏の朝市の始まりこの時期の小田原のみかん園ですが、まずは甘夏の木です。甘夏は、小田原方面では、そろそろ味がのってきます。「のってくる」というのは、農家の方の言葉でして、美味しくなるということです。真鶴・小田原のみかん園では、柑橘の年間サイクルとして、そのしめくくりは5月の甘夏です。甘くてジューシーになり、同じ甘夏でもグーンと美味しくなるんですよ。温州みかんの方は、今、みかんの花が咲きだそうとしています。早い木は、みかんの花の開花が始まりだしています。この時期みかん園は、みかんの花の香りがただよい始めています。万葉集にも、花橘の歌がたくさん集められていますから、みかんの花というのは、1000年をひきつぐ日本人のたのしみにしている季節感なんですね。みかん園の景色です。この時期の農家の苦労が分かりますか。放置していると、一雨ごとに雑草の繁茂がすごいんです。この時期、みかんの木に元肥を施肥しようとしてるんですが、木の根回りの草を取らないと、せっかくの肥料を雑草に与えるようなことになります。みかん園がきれいだというのは、人知れず、農家が草刈りなどの管理をしているからなんですね。汗びっしょりになる、大変な作業なんですよ。その農家の産物を、今回もあずかってきました。4月23日の多摩の団地朝市ですが。今季最後の清見オレンジに加えて、これからが本番の甘夏、その他にもレモンがならび、それに加えて、農家の掘りだした竹の子や、フキやミツバなどが並びました。すでに連休モードで、団地の朝は、人の出が少なかったんですが、幸にして、その静かさの中でも、買いに来てくれる人がいるんですね。袋にいっぱい買った言ってくれる人もいました。そりゃぁ、そうです。新鮮で、安くて美味しい農産物なんですから。それは農家の人たちがこだわりをもってつくった産物ですから、団地生活者に喜ばれるのも、当たり前といえば、場当たり前なんですが。それでも、つくり、運び、売るための努力しなければ、その価値は向け場のないものとなり、光らないわけです。小田原の農家の畑仕事というのは、その多くが高齢化して、手入れが出来なくなる畑も出てきていて、大変なんです。しかしですよ、それは新鮮で美味しい富を、宝の山をつくり出しているんですね。もっと社会的に評価されてしかるべきなんですが。
2022年04月30日
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『21世紀日本への期待』(都留重人著 2001年刊)都留重人氏は2006年に亡くなっていたんだそうです。私などにとり都留氏というのは、重視されるべき人であるとともに、謎の人でもあっだったんですが。私にとってのモヤモヤですが、今回、二つの著書により、幾分ですが解けました。一つは『いくつもの岐路を解雇して』(岩波書店 2001年11月刊行)。これは自叙伝なんです。もう一冊は、今回の『21世紀 日本への期待』(岩波書店 2001年11月刊行)。これは、都留氏の遺言であるかの様に、私などは読んでいるんですが。私などの視野に都留重人氏が入ってきたのは、東京都知事候補としてその名前があがった時でした。その時に思ったのは、都留氏というのは公害問題で発言していたことと、マルクス主義の系統のようだけど、国民所得論などわけのわからない近代経済学の問題を論じている、そうした謎の人だったんです。今回、自叙伝をよんでみて、ある程度ですが、分かったことは、第一に、都留氏は、シュンペーター、サムエルソン、レオンチェフなど、世界的に著名な経済学者と直接に懇親のある人だということ。第二に、戦前の軍国主義の日本社会の中で、治安維持法により検挙・投獄の憂き目を体験した人でもあったんですね。第三に、戦後はアメリカ占領下の中で、日本国の経済安定本部のかなめの役割も務めた人だったんですね。たんなる学者ということではなかったんです。まだ、その人の著書をちょこっと読んだくらいですから、四の五の言えるような立場じゃないんですが。ただ、この二冊を読んで感じたことですが、これは一種の遺言なんですね。それだけの思いが込められていることが、それが伝わってきました。「21世紀の日本」に何を提起しているか?その問題ですが。一つは、戦前の軍国主義と決別するとの節度が求められているということ。二つ目には、日米安保体制を解消して、自主的な立場をつくることで、世界に貢献できるとの信念です。三つ目は、経済学の問題です。これが都留氏の専門分野として努力してきたことなんですが。それが私などには、都留氏がどういう点を努力していたのか、なかなか分からなかったんですが。『21世紀 日本への期待』を読んでみると、ここでそのヒントを語られているものと読みました。そこには、国民所得の問題。マルクスの労働価値説が技術革新による将来像について。気候・環境の問題。OECDなど経済のグローバル化の根っこには多国籍企業の欲求がかかわっていること。私などは、不勉強なために、マルクス経済学というと、それは『資本論』。そして『資本論』というと、剰余価値の搾取の理論の解明ということでとらえてきました。しかし、それは大事な部分であるわけですが、それを繰り返しているだけでは、現在の問題を明らかにする上では、それが欠かせない必要条件ではあるんですが、それだけでは生きた現実を解明する上では足りないんですね。利潤追求を第一とする新自由主義が、国民生活にかぶせている諸問題をどの様に打開していくか。そのための探究は、『資本論』の理論を基礎としつつも、より具体的で今日的な諸問題への検討が求められているわけです。私などの頭は、テープレコーダーの様に、同じ基本を繰り返していた。しかし求められているのは、その基本を土台にとて、現実の諸問題と如何に切り結ぶかとの点にあるわけでして。この点では枕詞のようなことを繰り返しているだけでは、不十分だということです。今回、都留重人氏の『21世紀 日本への期待』を読んでみて、これが提起している問題ですが。今の日本の停滞した状況を直視して、それを打開するとはどのようなことが求められているのか。そのためには、現状のどこをかえて、どの様な将来像が求められているのか、そうした流れを促進するにはどの様な努力が必要なのか。都留氏なりに、この問題へ、これまでの努力してきたことの総括をしているんじゃないでしょうか。それは、現代に生きているものとして、心ある誰しもが耳を傾けるべき「遺言」としての性格をもっているんじゃないでしょうか。私などはそう感じたところです。
2022年04月29日
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『ヘーゲル法哲学』学習(4) 君主権その2ヘーゲルの『法の哲学』第三部・第三章「国家」の学習をしています。今回も「君主権」(第275-286節)です。当方は、10年前になりますが、マルクスの『ヘーゲル法哲学批判』(全集第一巻)を学習してます。2011年8月14日に「君主権」についての学習ブログを発信してます。まったくの独力でしたが。第2回 マルクスの『ヘーゲル法哲学の批判から』(a君主権)を読んで | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)今回は、哲学者の福田静夫(日本福祉大学名誉教授 90歳)先生を講師にしての、ヘーゲル『法哲学』の学習です。ズームによる視聴ですが、その時は分からなくても、後からその録音で聞き返すことが出来るんです。さて、今回は「君主権」(第275-286節)です。 最初に、一番感じた点ですが、゛ヘーゲルやマルクスはむずかしい゛として、過去の世界に押しやるきらいがある、と感じます。それはわからなくもないんですが、ちがうんですね。とくに今回、福田先生の学識を聞くと、ヘーゲルの生きた姿がつたわってきます。それは今日の諸問題を考えるヒントをいろいろと提供してくれているんですね。それは研究者の地道な努力によるものですが。しかしそれは知られていない。せっかくの宝を持ち腐れにしちゃならないと思うんですね。やはりこの紹介の姿勢と中身が大事なんですね。一、今回学んだ点ですが、「君主権」ということですが。君主制にも様々な形態があると思うんですが。天皇制やルイ14世、エリザベス女王とか。ヘーゲルのころのフリードリッヒ二世とか。しかしここでヘーゲルが問題にしているのは、君主制の精神なんですね。ヘーゲルは、君主の権力というのは国家の三つの契機の統一体であると言ってます(第275節)。すなわち、憲法や法律の普遍性の契機、特殊なものを普遍なものにるす審議の契機、そして自己規定として決定する契機。君主権というのは、この三つの統一としての最終契機だというんです。それは、必ずしも君主でなくても、大統領でも、皇帝でも、首相でも、時代と社会によってさまざまな形態に置き換えれるわけですが、とにかくその君主権の精神がとるべき本質的条件を提起してます。二、ヘーゲルが言っているのは君主制国家の精神、そのあるべき姿ですが。ようするにそれは啓蒙的な立憲君主制の国家像じゃないですか。君主権は憲法や法律によって規定さされたものであること、また審議により個々のものを普遍化した事柄であること、そうした内容を君主として決定するのだと説いています。これって、イギリス、アメリカ、フランスなどの、近代の民主国家のありかたですね。けっして専制君主制じゃないんです。プーチンや専制的独裁君主のような勝手な、恣意的なものではないということです。注意して読むとそういうことを言ってます。三、後進的なドイツにおいて、先行する国々の特徴を、大きな時代の流れとして、その精神をとらえて、ひろげようとしていたんですね。しかしヘーゲルの時代は、フリードリッヒ二世の啓蒙的な君主制国家による近代化の時代でしたが、1840年代になると、言論の自由や、学問の自由が抑圧される専制君主国家にかわるじゃないですか、このためマルクスなどはパリに亡命せざるを得なくなるじゃないですか。君主制国家にもいろいろな形があるわけです。四、ヘーゲルとしても、単純に現状を理性的として肯定していたわけではないんです。ヘーゲルは、この国家が理念や精神に、そのあるべき姿に合わなければ、あるべき姿に変えられなければならないことも示唆しているんですね。また、人間の権利ということについても、個々人はイェーリングの『権利のための闘争』(1872年)じゃないけれど、時代の精神を身につけて、ちゃんとはたらきかけなければ、事柄は開けないんだとも言ってます。マルクスの結論的な評言-「ヘーゲルによってもっとも筋道だった、もっとも豊かな、そして究極的な形にまとめられたドイツの国家及び法の哲学に対する批判は、一面現代国家とそれにつながる現実との批判的分析でもある」(マルクス「ヘーゲル法哲学序論」)この26歳のマルクスが言いたかった点が、すこしですが分かるような気がしてきました。今回は、以上です。
2022年04月25日
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ウクライナ問題での「とことん共産党」です2月24日のロシアによるウクライナ侵略開始から2カ月がたちました。4月22日にウクライナ問題を主題にして「とことん共産党」が放映されました。4人による対談ですが。現地を取材した「赤旗」特派員や、ロシア駐日大使に直接意見した井上参議院議員の話は、注目です。また、この問題をりようして、憲法9条を変えて軍事力増強をはかろうとする岸田自・公政権のうごき。7月の参議院選挙では、国民が真に願う道がどこにあるか示さなくてはなりません。この番組は、そのための大事な材料が提供されていると思います。ネット生放送|エントリー│日本共産党中央委員会 (jcp.or.jp)
2022年04月24日
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多摩市・永山団地の朝市今日は夏めく陽気となりました。恒例の東京・多摩市の団地朝市です。いろいろあって、少々疲れ気味ですが、そんなことは言ってられません。団地の生活者に、小田原のみかんを届けなければなりませんから。今日は、隔週の定例朝市の日で、群馬や多摩市からの野菜が並びました。新鮮で、安い農産物でして、見る人が見れば一般に得難いものがならんでいます。もっとも、当方は、小田原のみかんを毎週提供しているんですが。今回は、最終段階の清見オレンジと、これからが旬の甘夏、そしてレモンでした。それに、農家からあずかったフキとミツバです。午前11時に、残っている甘夏を野菜販売の人に託して、当方は、本日の販売活動を終了しました。
2022年04月23日
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ヘーゲル『大論理学』の学習から私などは、昨年・2021年に、ヘーゲル『大論理学』を学習しました。3月9日に第一回ブログを発信してから、10月15日の第三十八回の最終章「絶対的理念」まですすむことが出来たんですが。ヘーゲルは有名な人ですが、その著作を読むことは容易ではないんですね。「ヘーゲルは難しい」との経験則があると思うんですが、当然とも思うんですが。しかし、どうしたらこの山を越えれるか、近づいてゆけるか、そこが問題です。何故、ヘーゲルの『大論理学』学習なのか? 目的観を明確にすることが大事だと思うんです。私などの場合は、やはり弁証法でしたが、「いったい弁証法とはどのようなことなのか」ヘーゲルはそれをどの様に語っているか、確かめてみたかったんです。そして、私などの接近方法が役立てばということで、今回の発信です。ヘーゲルが難書とされるのは、その著作をひらいた人なら、だれしも感じることだと思うんです。問題は、これにどの様に接近するか、その道をどの様に探るかということです。私などは、一番の基本は、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』だとおもうんです。この著作が、ヘーゲル弁証法について、その成果と問題点を、本質的でありなおかつ簡潔に解説してくれているんですね。これはエンゲルスの1886年の著作ですが。マルクスが1883年に亡くなって、エンゲルスはその遺稿を整理していった中で、マルクスの業績をあらためてあきらかにしようとしていたんですね。もとになる初期の原稿は、出版されずに、誰の目にもふれることもなくしまわれていたんですね。唯物弁証法と史的唯物論の確立という、大事な問題が草稿として眠っていたわけです。エンゲルスが、その基本的な点を明らかにしておくこと、それが大事だと思ったんですね。第二に、マルクスの『1844年の経済学哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」ですが。それと『ドイツ・イデオロギー』が、エンゲルスをして書く気にさせた、そのもとになった草稿じゃないかと思うんです。今では、全集も出されていますから、誰しも手にすることは出来るんですが。これは、マルクスがヘーゲルと格闘した直接の資料です。25₋6歳のころの若い時代の努力の産物です。ここでヘーゲル哲学を批判的に検討してきたことをまとめているんですね。『経済学哲学手稿』は1932年になって初めて刊行されたものだそうですから、レーニンでも内容を知らなかったわけです。エンゲルスが弁証法を分かりやすく述べたものとしては、『空想から科学へ』があります。ヘーゲル弁証法と唯物弁証法について紹介していますね。そのもとになっている『反デューリング論』ですが、多岐にわたって弁証法について論じていますね。さらに、その同じ時期に書かれた『自然の弁証法』ですが、そこにはエンゲルスがヘーゲルの著作を読んで、弁証法に対する研究したことも残されています。これは研究ノート的な性格のようですが、この研究が基礎になっていろいろな著作のかたちで刊行されたんですね。これもまた、ヘーゲル哲学への接近していく道になっていると思います。第三は、レーニンの『哲学ノート』です。レーニンという人は、あの第一次世界大戦がはじまるころ、『大論理学』を研究して弁証法をつかみ取ろうとしていたんですね。それが『哲学ノート』の中に収められてますから、私たちでも見ることが出来るんです。これもまた、ヘーゲルの難攻不略の山を踏破していくときに、参考になるんじゃないかと思います。最後に、日本の研究者、哲学者のなかにも、脈々と地道な研究をしている人たちがいるんですね。不勉強な私などは、ずーっと日本での努力がなかなか見えずに、分からなかったんですが、それが最近、すこしずつですが見えてきました。そんなことが、私などのヘーゲル『大論理学』、弁証法へと、この難しい山に接近していく道となっています。
2022年04月22日
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タケノコご飯をつくりました昨日、小田原・石垣山で預かった農産物の中に、竹の子がありました。私もタケノコを1本購入して、炊き込んでみました。旬の味というのは大事ですね。舌には、あわい苦みのような刺激もあるんですが。それが、新しいことに何か挑戦したときのように、少し体をシャキッとさせてくれるような、そんな力を与えてくれます。
2022年04月22日
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戦前の「天皇機関説」問題当方は福田静夫先生のヘーゲル『法の哲学』を学習しているんですが。1821年にヘーゲルが刊行した『法の哲学』ですが。ヘーゲルは1829年にはベルリン大学の総長にも指名されるくらいの人物でした。今回の講義を聞いていて、ヘーゲルの「君主権」というのは、審議権と執行権とを両立させなければならないといった中身だというんです。これって、戦前の日本の美濃部達吉氏がとなえた「天皇機関説」と同じじゃないですか。というのは、私は以前に一冊の本を紹介しました。『苦悶するデモクラシー』(美濃部亮吉著 1973年刊)を読みました | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)戦前の大日本帝国憲法ですが、その天皇制のとらえ方をめぐって、二つの見解が綱引きっをしていたんですね。片や、審議で決まったことを執行する機関、ないし法人のような役割としての天皇制。他方は、そんな議会などへの制約などなく天皇は神のような絶対的な存在だと。1935年になると天皇機関説は不敬であり、国賊的だから撤回せよと、軍部につながる政治家や学者、メディアが騒ぎ出す。社会から追放されることになったんですね。これが、戦争への思想統制の布石になったわけです。今のロシアの社会を見れば、戦前の日本の治安維持法がどの様なものであったか、だいたいわかるじゃないですか。しかし、力には力の軍備増強せよとか、敵基地をたたく軍備をもてとか、政府に都合の悪い科学者会議候補をはずせとか、憲法9条をかえろとか、・・・。かつてと似たようなきな臭い流れですが、今のウクライナ問題を利用して日本社会で起きているじゃないですか。この逆こうする流れをとめる機会に、7月の参議院選挙にしていかなければなりません。今であれば自由に議論が出来る日本でもあります。逆流を押し返すことに、お互いに力を尽くす時だと思います。先日のことですが、近くに住む年配の方が「私の歩んできた道を文章にしたい」と言ってました。それは、今の若い人たちは戦争が国民をどんなに苦しめることになるのかわかってない。だから、自分自身が体験してきたことをしっかり書き残しておきたい、知ってもらいたい、ということなんですね。そうした気持ちもわかりますね。私などのヘーゲル『法哲学』の学習もそうしたことなんですが、お互いに、できうることで力を尽くすということです。
2022年04月17日
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4.16の朝市何とか、本日も東京・多摩市永山団地での朝市を終了しました。今回は、清見オレンジと甘夏が初登場です。幸にして、昨日までの雨が上がってくれました。旬の柑橘は、湘南ゴールドから清見オレンジに移ってます。いちいち、あれこれの要望に対応するには、くたびれちゃって、丁寧な対応が出来なくなりますから、湘南ゴールドと清見オレンジをセットにして袋詰めしました。とにかく、今回も、あずかった柑橘を販売する目途をたてて、朝市を引き上げてきました。日本は平和でよいですね。これも邪道を許さずに頑張ってきてくれた先人のたまものです。逆に言えば、邪道を許さず、それに対して厳しい態度を徹底することが求められています。そうしてこそ、庶民の暮らしの平穏が維持できるわけです。まだまだ、暮らしを覆そうとする邪道に対して、寛容でありすぎるきらいがあるように思います。とにかく、あれこれの作業が続いてきましたから、今はひと休みです。
2022年04月16日
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憲法審査会での日本維新の会の発言4月14日に衆議院の憲法審査会がひらかれました。私は、その日は仕事があったんで、翌日15日の新聞とフェイスブックの紹介で知ったんですが。そこで日本維新の会の馬場、足立の二人の議員ですが、二人が連携して、日本共産党に対して質問するとして難癖をつけていました。その発言ですが。「憲法に自衛隊を書きこめ」ということ、憲法を変えろと言ってるんですね。その改悪案を正面から提起するとともに、形の上では、憲法9条を守れという共産党にたいして「共産党はおかしい」と難癖をつけてるんですね。そのやりとりの様子を、是非視聴してみてください。衆議院インターネット審議中継 (shugiintv.go.jp)この共産党に対する質問という形はとってますが、中身は学術的には難癖の類ですね。真理を議論することで追究するものではなく、はじめからためにする議論なんですね。自分たちのレッテルを相手に貼り付けようとしているんです。しかもその中身というのは、国民の憲法の基本原則を否定しようとする攻撃なんですね。「憲法に自衛隊を書きこめ」ということなんです。「そのために今の憲法をかえろというのが私たちの主張です」と素直に言うんじゃなくて、憲法9条を守ろうとする日本共産党にたいして、護憲の政治的な大黒柱の一つに対して、何でも「共産党は悪い」といいさえすれば、自分たちの特異な見解が、なにかもっともらしい印象を与えれるかのような、勝手な思い込みです。こうしたやり方で、自分たちの憲法改定をすすめようとしている。しかし、こうしたやり方というのは、まともな議会での議論を否定しようとするものですね。議論をバカにするものです、反共の言動で護憲派を脅かそうとしているんです。それにしても、こんな初歩もわきまえない議員が大手を振って闊歩しているというのは、日本の議会政治の汚点ですね。
2022年04月15日
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枯れ枝の野焼き今回は、雨が降り出す前に野焼きをしてきました。これまでに剪定で出てた切り枝や、枯れた木を集めておいたんですが。この間は、苗木の植えつれや草刈り、元肥の施肥を優先してきたんです。春分の日を過ぎるころから、この時期は、一雨ふるごとに雑草が繁茂してきます。冬は一面枯れ野だったところが、今では若草の繁茂にかわっています。生命力に富んだ自然の景色ですが、ちょっと放置していると、雑草が1メートルを超えてひろがりだします。みかんの枯れ枝は、放置すると枯れ込みが広がりますから、枯れた枝は払うようにしています。隣の空き地に山のように積んである枯れ枝が分かるでしょうか。枯れた野原での野焼は、延焼する危険があるから出来ませんが、若草の中でのこと、夜には雨が降りだすとの予報を聞けば、それはもう野焼きして、切り枝を後片付けする良い機会です。山積みされていた切り枝でしたが、今回、野焼きして後片付けすることが出来ました。雨の降りだす前には、もう一つ、みかんの木の根回りの草刈りをして、元肥を撒いておきました。晴れていれば、甘夏の収穫が始まりだすみかん園のこの時期ですが、雨が降り出す前には、この野焼きをしておくことも、みかん畑の後片付けとして、大事な仕事になっています。
2022年04月15日
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『ヘーゲル法哲学』の学習(3)「君主権」福田静夫講師の第2回『ヘーゲル哲学』学習会が、4月10日に開かれました。通しでは26回目とのことですが、国家論の「君主権」(第275節-286節)を学習しました。コロナによりズーム学習をしてくれているので、私なども視聴することが出来るんです。ただ、ライブの視聴だけでは、私などの頭には大よそのことしかわかりません。後から録音CDを送っていただけるので、それを聞き返すことで、福田先生の講演の正確な内容が理解できるわけでして。私などの発信は、CDが届くまでには約1カ月の時間差ができますから、その間の視聴をもとにしての勝手な感想なんです。福田先生の実際の話は、もっとうん蓄の豊かなものだということを断っておきます。「君主権」(第275節-286節)について一、君主権と聞くと、「なんと時代遅れなことを」と感じるかもしれませんが、そうじゃないんですよ。私などは、マルクスの『ヘーゲル法哲学批判』を学習したことがあるんですが。マルクスは『ヘーゲル法哲学批判』「序論」で、総評を述べています。「ヘーゲルによってもっとも筋道だった、もっとも豊かな、そして究極的な形にまとめられたドイツの国家及び法の哲学に対する批判は、一面、現代国家とそれにつながる現実との批判的分析であるとともに、他面またドイツの政治的および法意識の従来のあり方全体の決定的否定でもある」(全集第1巻)『法の哲学』は1821年に刊行されてますが、1829年にヘーゲルはベルリン大学の総長に指名されているんです。プロイセン国家からも重要視されていたわけです。ヘーゲルは、「君主論」の本質をどのようにとらえていたか。前回、戦前の日本の「天皇機関説」の源流には、ヘーゲルの君主権の機関説があるんじゃないかとの仮説を紹介しましたが。二、ヘーゲルは「君主論」をどのように規定しているか。第275節ですが。ここでは君主権は3つの契機があり、その総体をもつと。1、憲法・法律の普遍性、2.特殊なことを普遍に関連づける審議、3、最終決定すること。ヘーゲルは、みずからを国立大学の総長に指名したような、啓蒙的な君主権をイメージしていると思うんですよ。それは、憲法の普遍性とも合致していて、それをもとにして個々の意見を審議により普遍的なものにする、議会制民主主義のような、さらに君主はそうした中身を決断し・執行するものだ、と。ここには、イギリスやアメリカ、フランスの近代民主主義の精神を、後進的だったプロイセン国家がどの様にすすんでいくのか。ヘーゲルの法哲学の世界的なスケールの大きさがあると思うんです。マルクスの言う「ヘーゲルによってもっとも筋道だった、もっとも豊かな、そして究極的な形にまとめられたドイツの国家及び法の哲学に対する批判は、一面、現代国家とそれにつながる現実との批判的分析である」ということですが、こうした点にもあるんじゃないでしょうか。三、ところが1831年にヘーゲルがコレラで突然死して以降のプロイセン国家は、どうなったか。マルクスが体験しだした君主制は、憲法や審議などに対立して蹴飛ばして、勝手な恣意を押しつけてくる、要するに専制君主制の政治反動ですね。ライン新聞は検閲され禁止され、学問の道はとざされ、結局自由な発言はできずに、国外追放を強いられる。おなじ「君主制」といっても、ヘーゲルとマルクスとでは、その体験や認識とでは大きなギャップがあったわけです。マルクスは、ヘーゲルの哲学的な考え方にも、原理的な問題があることを指摘しています。君主権の理念が、概念と存在が一致するものとしてあるのが現実だというのはおかしい。概念があくまで本質的なもので、現在の諸形態というのはその現れ(仮の姿)だというのは、逆立ちしている、と。それはぎゃくであって、現実の諸形態・諸問題を総括する中から、その概念がつくられるんだと。四、今日の私たちから見ると、どうか。日本は、天皇機関説を追放して、神がかり的な天皇絶対主義に転換した。それは『満蒙は日本の生命線』、『鬼畜米英』の戦争への道、その結果が、国民の苦難な敗戦だったわけです。しかし、日本では、その誤りの本質的反省が、責任ある人たちからは、一向になされてませんね。ドイツとも、イタリアとも違って、大事な点を曖昧にごまかしている日本です。戦後70年、国民が苦難の中から手にした平和・民主の憲法ですが、ここへきて第9条を変えたい、軍備増強して、核兵器を共有したい、なんてことを。何故、この逆流が起こるのか。なぜ逆流が大手を振っているのか。その自民党・公明党の政治路線ですし、さらにそれに野党の一部も加わろうとしているんですから。ここは、根本的に、戦争か平和か、問われている問題ですね。戦後の国民主権、憲法の理解が問われるということですね。それは古今東西の、世界の学術の歴史が積み重ねてきたことにたいする誠意の問題ですね。それ引き継ぐのか、それともなげ捨てるのか、それが再び問われているわけです。私などのヘーゲルやマルクスの学習も、そうした一環としてあるわけです。
2022年04月11日
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第2回『ヘーゲル法哲学』学習会4月10日(日)、福田静夫(日本福祉大学名誉教授)の『ヘーゲル法哲学』学習会を視聴しました。第三期だそうですが、第2回目の今回は、『法の哲学』第三部第三章「国家論」の第275節「君主権」の第286節までです。「君主権」などというと、私たちとは関係ない時代錯誤のことような印象をもつかと思うんですが、ヘーゲルの『法の哲学』は、そうじゃないんです。今回、私などがこの学習会から学んだことを一点紹介します。ヘーゲル『法哲学』は、戦前の美濃部達吉氏の「天皇機関説」の源流だったんだということです。「天皇機関説」は、1935年に美濃部達吉氏が、日本の法学会・政界から追放されたことですが。教科書にさらっと書かれていただけで、その中身が何なのかちっとも知らなかったんですが。1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が制定されたことは、事実として知ってましたが。そこでは、当然ながら国民の権利、君主権と議会との関係が、問題になっていたはずじゃないですか。そんなことがらは、「日本史」教科書では、ほとんど問題喚起はされてません。しかし、この問題をめぐって「天皇機関説」事件がおきた。日本が戦争に傾く中でのことです。天皇は議会で決めたことを執行する機関である、とのそれまでの憲法論の常識的解釈説でしたが、それが力を強めた軍部やメディアの横やりで、天皇の至上にたいしてそんな学説は国体に反すると(1935年(昭和10年)、これが天皇機関説問題です。東京帝国大学元教授で法学者・貴族院の美濃部達吉氏ですが、このために公職追放され、たたかれたんです。それは国民の権利が否定されたことだったんですね。戦争への道だったんですね。今にしてみれば、それが分かるんですが、戦前の日本の右傾化の一つの節目だったんですね。このことは、現在の日本学術会議の6名の任命拒否とかさなりませんか。今回の『ヘーゲル法哲学』の学習会ですが、ここで何が問題だったのか、はっきりわかりました。ヘーゲルというベルリン大学総長は、1821年の『法の哲学』で君主権(天皇)機関説だったんですね。ようするに、議会で決めたことを統治権者として執行するのが君主権の役割で、議会(国民)の意志を越えて勝手なことをしてはならないというのが、ヘーゲルの主張だったんです。それから60年余を経て美濃部説が、日本が憲法を学んだプロイセンにおいてそれが常識的な見解を、常識的な説として展開していたんです。ところが、世の風向きというか、ある時期から特異な見解により攻撃されることになたわけです。天皇の大権を犯すふとどきな説だと。日本の軍部や政治家、メディアの戦争方向への路線に捻じ曲げるために、この見解がたたかれる事態になっていたんですね。ヘーゲルという人は、君主権を啓蒙君主の理想として持ち上げますが、その内実というのは近代の民主主義の主張に沿っていたんですね。プーチンや安倍氏や、自民・公明・維新の政治路線とは、まったくのおお違いだったんですね。時は隔てても、学術か野蛮か、戦争か平和か、同じような問題が問われているということです。まぁ、これが今回、私などが学んだ、ヘーゲルのポリシーです。
2022年04月10日
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大事な対談なので記録させてもらいます2022.2.11ネット企画 「赤旗」と日本共産党を語る - YouTube下の写真は、対談とは関係ありませんが、スクープとして、その今日版です。
2022年04月10日
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人道支援の陰でおかしな実態がロシアのウクライナ侵攻は、他国を破壊し殺害しても、「それは知らない」と。人を人とおもわず、ごまかしで支持をかためる、そんな輩もいることをしめしています。同時に日本では、世界の戦争反対・人道支援の世論の陰で、おかしな実際が明らかにされました。4月10日付「しんぶん赤旗日曜版」のスクープですが。防衛省ですが、「「反戦デモ」は敵として、メディアの自由報道も破壊活動として調査している」との内部文章が明らかにされたんです。まるで、プーチンの国内対策や、戦前の治安維持法を連想させる実態が、今日の日本で実際に行われているというんです。そんなことは、国民も国会でも憲法からして絶対に許されることではないんですが、このことは防衛省の一人歩きがはじまっているということです。最初に、この問題を耳にしたのは、3月31日付「しんぶん赤旗」でした。2015年の安保法制の成立以降、こうした活動が始まっているという記事でした。衆議院の3月30日外務委員会で、共産党の穀田恵二議員が、防衛省の記者を対象した勉強会の資料によって、この問題を取り上げたんですね。私としては、こんなことは初耳だしたが。憲法も民主主義もあったもんじゃありません。これじゃぁ、ロシアの現在の国内対策や、戦前の治安維持法と同じじゃないですか。自分たちに都合の悪い、団体・市民については、あらかじめ調査しておいて、いつでも禁止・拘束できるよう準備する、それが安保法制の具体化だというんですから、ことは重大です。それで、インターネットで国会を、3月30日衆議院の外務委員会の質疑を見てみたんです。衆議院インターネット審議中継 (shugiintv.go.jp)すると、「しんぶん赤旗」の報道の通りでした。小っちゃな共産党が、国民の権利と民主主義を守って、奮闘していました。だけど、相手は国家組織の、防衛省組織ですよ。問題を指摘されても、「誤ってました」とはいわない。プーチンと同じで、実際にはその方向を押しすすめることをうかがわせているんです。総理大臣や閣僚は、それを追認する人しか、その地位にたてないというんですから問題です。沖縄の事態も、核兵器廃絶条約も、軍事費増も、原発政策も、・・・みな自民・公明・維新の共通の政治のレールの上にあるわけです。これを変えるということは、7月の参院選挙での、政治路線の選択に、憲法を生かす政治に、そうした国民による政治転換・選択にかかっているじゃないですか。ここにむけて、今、一人ひとりに何が可能か、そこに努力を集中することが、求められているということです。今回のスクープは、そのことを私たちに提起してくれています。
2022年04月10日
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今朝の朝市東京・多摩市永山団地の朝市は、午前10時半に終わりました。多摩の永山団地は、桜の舞い散る、春の暖かな日差しで、いたって静かだったんです。聞いたところ、明日・4月10日が多摩市長・市議補選の投票日だそうで、最終盤とのことでした。それと、自治体選挙と朝の静けさとが、どう関係しているのか、私などにはわかりませんが。こんな平和でよいのか、何とはなしにむしゃくしゃしてくるんですね。同じ様なときに、駅や高層住宅にミサイルが撃ち込まれているんですから。しかもその事実があるのに、「我々ロシアは知りません、ウクライナ側のでっち上げでしょう」なんてことですから。政治家の信頼は、真実すら否定するゲスの象徴といった事態が続いているわけですから。今に朝市をやっているどころじゃないだろう、との気もしてくるわけです。しかし、異常事態の周辺では、しっかりと事態を直視して、日々の生活をしっかりさることで、支援の輪も作れるということですから、今日の朝市も続けるということです。農家の産物の販売と、団地生活者の暮らしを整えることですから。しかし、「大変だ、大変だ」と、ジャーナリズムに口裏合わせて付和雷同しているだけじゃダメです。このロシアの侵略戦争は、日本の国民にも、団地生活者の、農家にも、具体的なマイナス影響を与えてくるはずです。ただですら、若者の非正規雇用が蔓延して来ている事態ですし、農家の高齢化が進んでいる中ですから。この事態は、亡国の政治は、今こそ「核兵器の共同使用せよ」「敵基地をたたく軍備をもて」「憲法9条を変えるべきだ」なんて輩が、日本国内でも国民の危機意識につけこんで、とんでもない主張を強めているんですから。これまで、民主的有識者として存在していた人達は、今その人となりが問われています。この事態の中で、外野的な良識的発言者にとどまっていてはならないんです。それだけでは足りないんです。この機会を利用して、おかしな方向へ国民を扇動しようとしている動きに対して、断固としてストップをかける勇気を持つこと。「それはおかしい」とはっきり言う必要があります。しかし、それだけでも足りません。どうしたら、長年主張してきたことですが、どうしたら本当に国民本位の政治方向に切り替えれるのか、その現場現場で、その平和・民主の暮らしをひらく現実的な政策方向を示さなければなりません。それが問われているわけで、「たいへんだ」「たいへんだ」「たいへんだ」と、壊れた蓄音機のようなみたいな、枕詞なようなことでは、だめなんです。その人となり、これまで生きてきた生き様の真価が、今の事態の中でまさに問われているんです。どんなに小さな力だったとしても、お互いにもてる力を尽くすべき時なんです。それが問われている時なんです。
2022年04月09日
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富士山と柑橘セット4月5日の富士山です。小田原厚木道路の平塚から見た富士山です。みかん園は、春分を過ぎて、雑草の繁茂が始まりだしました。除草と元肥の施肥、剪定と、一見すると春ののどかな景色の中ですが、難行苦行がはじまっています。今回の柑橘の出荷ですが、湘南ゴールドとレモン、甘夏のセットを送りました。これから、清見オレンジと甘夏に入っていきます。柑橘の年間サイクルでは、これがいよいよ最終の段階です。
2022年04月08日
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ヘーゲル『法の哲学』の学習(その1)3月13日から哲学者の福田静夫(日本福祉大学名誉教授)を講師として、『ヘーゲル法哲学を読む会』が始まりました。私も今回から参加させていただいてます。第三期目だそうで、『法の哲学』第三部「倫理」の第三章「国家」の「自立的な国内体制」第272節からですが、月に一回のペースで、この一年をかけて終わりまですすむとのことです。一、今、何故、ヘーゲルの『法の哲学』を学ぶか、ですが。この間、私などはマルクスの『1844年の経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」を学習してきたんですが。これはマルクスがヘーゲル『法哲学』を批判的に検討した、その結論なんですね。ここから唯物弁証法と唯物論的歴史観の考え方を引き出しているんです。だから科学的社会主義を学ぶ上では、大事な部分となっているわけです。二、今日的な面があると思うんですよ。今、ロシアによるウクライナ侵略戦争が問題になっていますが。あらためて、国際法とは、憲法とは、民族自決権とはなんなのか、問い返される日々だとおもいます。「生命線をまもるために」と他国に攻め入るなんてことが、『満蒙は日本の生命線』などということが、今の時代になってですよ、それが現実にくりかえされているんですから。あらためて、しっかり学び直しておくことが求められていると思うんです。日本の場合、ウクライナ支援はよいのですが、あいまいなところがあるじゃないですか。「力には力」の論理で対抗しようとする、敵基地に出かけて攻撃するとか、核兵器を共有するとか、そうした方向に政治が傾いているじゃないですか。戦後、国民の平和憲法の原点が、解釈改憲でずるずると変えられてきている流れがあるじゃないですか。そうした時代社会の中ですから、あらためて近代民主主義の流れを、『法の哲学』において、学び直そうと思っているんです。三、ヘーゲル『法の哲学』の中身ですが、どのようなものか。マルクスはこんな結論的批評を書いてます。「ヘーゲルによってもっとも筋道だった、もっとも豊かな、そして究極的な形にまとめられたドイツの国家および法の哲学に対する批判は、一面、現代国家とそれにつながる現実との批判的分析であるとともに、他面またドイツの政治的および法的意識の従来のあり方全体の決定的否定でもある」(「ヘーゲル法哲学批判序論」国民文庫 P340)ヘーゲルの『法の哲学』は難解ですから、マルクスが引き出したようなとらえ方が私などに出来るかどうかは、これからの学習の進展のよるものですが。それでも、これは頭の片隅に置いておくべき批評だと思っています。四、福田静夫先生の学習会ですが、これはヘーゲル『法哲学』そのものの学習会です。ヘーゲルの著作は、私などにとっては、どれも読むのがなかなかやっかいなものなんです。私など素人がどう考えても理解しがたいところがでて来るんです。そうした中ですから、福田先生はまさに「渡りに船」なんですね。長年ヘーゲルを研究されてきた方であって、難解な文章を読み解くアドバイスをしてくれているんですから。さて、どの様な成果を得れるか、これからが楽しみです。
2022年04月04日
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ヘーゲル『法哲学』の学習 その1通信事情がおかしいので、簡単にしておきます。3月13日からヘーゲル『法哲学』の学習に参加しています。哲学者の福田静夫(日本福祉大学名を教授)先生を講師にして、ヘーゲルの『法の哲学』第三部・第三章「国家」を、これから1年間をかけて学んでゆきます。1回目は、3月13日に第25回目として自立的な国内体制(第272節―274節)を学習しました。2回目の第26回は、4月10日とのことですが。それなりに学習をまとめて発信したんですが、2回が2回ともどうしたわけか消えちゃったんですね。どうも回線の調子がおかしいようです。
2022年04月03日
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4月2日多摩団地の朝市やれやれ、今回も団地朝市は無事に終了しました。今回は、自前の湘南ゴールド10コンテナの販売でした。10コンテナといえば200キロで、尋常な量ではないんですが、早川農協から、3コンテナ分の注文を取って、宅配便で事前に発送しました。また、昨日は、3コンテナ分を多摩と稲城の地域団体から注文を取って届けておきました。したがって、この永山団地の朝市では、残り4コンテナ、すなわち80袋の販売を予定していたわけです。それだって尋常な量ではなかったんですが。その他に、フキ、菜花、アシタバ、レモン、ブタンの販売がありました。午前11時には、残りの柑橘と野菜については、現地の無人販売に切り替えて、本日の当方の朝市販売は終了としました。
2022年04月02日
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綿貫観音山古墳を見てきました私などは、古墳というのは、関西と九州にあるくらいの認識だったんですが、関東にも前方後円墳があちこちにあるんですね。3月28日に、群馬県高崎市にある前方後円墳、「綿貫観音山古墳」を見る機会がありました。用事で群馬に行ったんですが、そのついでに、歴女の案内で、その古墳を見てきました。長さは100メートル近くあるんですよ。また、高崎市の地図を見たら、古墳はここだけじゃないんです。それこそあちこちに、いくつも古墳があることを知りました。私などにとっては、これまで「古墳は関西や九州の西の方にある」との認識だったんですが、「関東平野に大きな古墳がある」なんてことは、まったく知らなかったんですね。この認識は、改めなけれはならないことが分かりました。「綿貫観音山古墳」は、1973年に登録されたとのことで、横穴式の古墳だそうです。私などの学生時代に、発見と調査が行われていたということです。知りませんでしたが。だけど、それ以上のことはわからないんです。関東平野は広いですから、水田が広く作られていたでしょう。おそらく、富や力というのは、どれだけのお米を取れるか、どれだけの水田をもっているかで、集落の規模や、集団の力が決まってきていたんでしょう。長い時代の中では、その広い水田をめぐって、さまざまな争いもあったでしょう。「兵どもの夢の跡」です。しかし、この大きな前方後円墳が、今に残っているということは、奇跡的じゃないでしょうか。日本の政治というのは、政治屋的な、学術などは蹴飛ばして、目先の利益ばかり追いかけていますから、儲からないものは大切にしないし、すぐに遺跡などは壊しちゃって、宅地などに開発しちゃうじゃないですか。科学者会議の6名の排除ですが、こうした誤った決定を、今もって直そうとしないじゃないですか。そうした中で、これだけ大きな古墳が残されたこと。いわれもよくわからない中で、こうして今日まで史跡として保全され、残されてきたというのは、一つの良識ですね。これは日本の歴史にとって、一つの宝ですね。もっと詳しくこの古墳について、知りたくなったんですが。残念ながら月曜日は歴史博物館は休館日だそうで、見ることが出来なかったんです。発掘された埋蔵品や歴史資料などが展示されていると思うんですが、それを見ることが出来なかったんです。群馬の空っ風、寒風がふきつけている古墳そのものしか、今回は見ることは出来なかったんです。それでも、私などにはこれまでまったくの空白だった関東の古墳時代の歴史でしたから、そこには、まだよくはわからないけど、大きな歴史が隠れていそうだ、ということです。今でこそ、東海道の海沿いの道が、交通や鉄道のメインルートになっていますが、どうやら、その昔は本州の中央部分を通るみち、中山道の方がメインルートだったようです。古墳のある位置をみていると、そんな感じがしてきました。失礼しました。記憶から消えていたんですが、高崎の八幡山古墳に、以前に言ってました。へぇ~、関東にも前方後円墳があるんだ | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)
2022年04月01日
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