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2017年1月のみかん作業のまとめ普通温州みかんの収穫作業は、昨年の12月末ですべて終了してます。その後の、あと片付けが、年明けの1月の作業でした。その一つは、確定申告もありますから、2016年全体の収支のまとめです。これは、昨年一年間のみかん農夫の作業を、収支の数字としてまとめます。全体の状況を知るうえで、これが大事なんですよ。今年のみかんは裏年傾向だったんで、5キロ箱は宅配発送のみとして、通常の出荷は、小分けしてのビニール袋入りで出すようにしました。5キロ箱で62個と、500袋で、全部で1,170キロの出荷でした。早川の「だんだん園」が、わけてくれたおかげで、みかんの出荷量が確保できました。昨年までは、介護の仕事の本業があって、副業としての休日みかん農夫だったんですが、2016年3月末で職場の方は完全退職しましたから、みかん仕事の比重が高まったんです。やはり「だんだん園」の配慮ですが、昨年の11月から市民みかん園を借りて、みかんの供給量を確保するようにしているわけです。東京の住まいのまわりに、「早川・真鶴みかん」を提供していく、みかんを真鶴・早川で栽培して、それを都会の消費者に届ける、これが新たな仕事です。まぁ、体力の方が、続いてくれる限りでのことですが。それと、もう一つ、学習があります。自然を相手にして、ヘトヘトに動き回っているだけではダメなんですね。それだけでは、明らかに足りないんですね。私などは、様々なことから「歴史社会の認識の空白」というものを感じています。これまで、いろいろと、やり残してきたことがあるんですね。先送りしてばかりいてはならない、もはや時間はないんですね。戦後生まれの私などは、現在の憲法の下での生活が空気の様に自然に感じてしまうんですが。というか、戦後の民主主義社会というものへの認識が弱いんですね。他方では、その中に暮らしていながら、あの手この手でそれを壊したがっている人たちがいるんですね。これは、ひねくれものというか、無知蒙昧なんですが。しかし、それもこれも日本の戦後史、近代史には歴史的な根拠があるんですね。どちらに行くか、今、真っ向からの岐路になっています。今を日本に生きる私たちは、これを乗り越える力を持つことを歴史的な宿題にしているんですね。これは簡単そうですが、実際はなかなかそうでない。自然の自動作用ではなくて、人間の明確な認識と、合力が必要なんですね。この事態を、全体として、具体的に認識すること。それが間違いなく前進できる関係をつくることなんですね。この二つが、今、みかん農夫の年間の収支として問われていることなんですね。
2017年01月31日
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私の「歴史認識の空白」感について私の「歴史認識の空白」感について、いろいろな点から感じていたんですが。ひとつのきっかけは、戦後の日本文学とそこでの論争についての無知でした。そこには、戦前の民主文学の継承の問題があり、戦争責任論などがありました。1950年生れの私は、文学作品とそこでの議論を、ほとんど知らなかったんですね。より大きく、根本的には、2015年9月の戦争法の強行採決です。どうして現行の憲法の下で、憲法を基礎とするはずの政府と国会が、自衛隊の海外での軍事行動を国民の反対を拒否して、強引にすすめているのか。憲法の平和主義を基礎としてきたはずの国民意志は、なぜに総理大臣によって否定されるのか。こうした政治が目の前で展開されているとき、私たち国民はそれに対しどう対処すべきなのか。それらは、日本の政治というものを、近代の歴史について、あらためて学びかえす必要性を感じさせられていたんです。そうした材料の一つが、マルクス著『フランスにおける階級闘争』であり、不破哲三著『古典教室』第三巻での、それへの注釈でした。不破さんの解説は、「1895年エンゲルスの序文」についてですが、私は、同時に本体、フランスの政治過程と、それに対する見方も大事だと感じています。それは、明治憲法の特質、そして日本国憲法への社会の発展について。憲法が誕生し、それが新しい憲法に、社会が変わったということについて。憲法の変化には政治の変化があり、その基底には経済関係の変化があることについて。この学習が、先の「歴史認識の空白」を埋める作業であるんですね。こうした社会の変化を学ぶには、今という時は、大変良い機会なんですね。それは、私など、戦後世代がおっている歴史的な課題なんですね。最近、国会の演説で「でんでん」が問題になりました。普通分らないことがあれば、他の人に聞くと思いますが、「云々(うんぬん)」を『でんでん』と読んでしまった。まったく当人は違和感を感ぜず自然に、その台本通りに演説したつもりだったということです。これは、総理大臣が官僚の作文に頼り切って、国会答弁は役者が台本を読んでいるだけの実際がさらけ出されたわけで、閣僚は官僚に乗っかって政治をすすめているとの政治の実態が示されたわけです。たんに学識不足の不見識をあざわらうだけではすまされないわけです。安倍政権は、その方針は、台本書きしている官僚組織が背後で一体となって運営しているんですね。「政治を変える」ということが、どういうことなのか、その全体がかいま見えたことでもありました。国家の官僚組織が戦後政治の実際を、閣僚をもとにすすめている、その全体を変えるということですね。TPPにしても、沖縄にしても、原発にしても、戦争法にしても。民主党政権の崩壊の一面は、国策を変えようとの政策を、ごくごく一部分ですが、もった内閣が、国家の官僚組織に抵抗され、ねじふせられた面もなくはなかったのではないでしょうか。政治を変えるということは、もちろん議院内閣制では、国会議員の多数派が、共同の政策で国会に議席を持つことですが。新しい内閣を誕生させるということは、国民的なレベルでの共同が、社会の表に現れなければならないということです。日本の近代史では、今だもって、そういう経験をしたことがないんですね。それらが教えてくれているのは、重複しますが、日本の戦後政治の特質を学ぶこと、それとともに、近代の日本政治の特質についても学ぶことが必要です。これまで、国民を主人公という運動はあっても、そうした政治は、国民は未だ経験したことが、歴史にはないわけです。あらためて、よくよく学ぶことが必要になっているわけです。
2017年01月29日
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温州みかんの片づけが終わりました1月28日、真鶴と早川のみかん園に行ってきました。午前6時48分、小田原サービスエリアから見た富士山です。日出とちょうど重なりました。今日の課題は二つ真鶴園でのジュース搾りと早川園からの柑橘類の搬送です。まず、真鶴園ですが、これまでに選果して残っていた温州みかんですが、この間、ジュースにしぼってきましたが、いよいよ最後の1コンテナになりました。本日、最後のみかんから3リットルのジュースをしぼりました。これで温州みかんは、すべて完了です。私は作業をしていて、つくづくもったいないと思います。みかんを栽培していれば、出荷できない規格落ちみかんが、どうしても出来るんです。私などは、最後はそれを手工業的にジュースにしぼっていますが。本来なら、このジュース加工は、もっと農協なり国なりが、もっと専門的に機械で加工すれば、たくさんのジュースが出来るんです。100パーセントの天然ミカンジュースが出来るんですよ。ところが、今は、摘果みかんや選果みかんは、その多くが捨てられているんです。選果落ちしたみかんのほとんどは捨てられているんです。農協がジュース加工してますが、そこで受け入れているのは、組合員のごく一部の人の、しかもそこで出てきたもののごく一部しか受付ていません。なぜか?1970年代のみかんの輸入自由化によるものなんです。その後は、海外の濃縮還元のジュースが、安く大量に日本国内に出回るようになったんです。スーパーやコンビニで売られているのは、すべてそれです。国内産のみかんジュースでは、価格競争に勝てないんです。それ以来、農家は規格落ちみかんは、ほとんどを捨てるよりほかにすべがなくなっているんです。そして、政府はそうした状況を放置していて、なおかつ農産物の自由化を拡大しているんです。むかし、『怒りのぶどう』でしたか、アメリカの農家が生産物を捨てる様子が描かれていましたが、アメリカは今は国策で農家を守っています。農家の営業を守って、日本向けの栽培を国策で奨励しているわけです。一方日本政府は、TPPにもみられるように、農産物の自由化の促進なんです。「輸出できる農産物を作れ」なんてデンデンさんがさかんに言ってますが、それが日本国政府としての今の農政なんです。これでは、一般の農家にとっては、まったくの「ノー政」ですね。国富を捨てる政策なんです。もっと農家と消費者、国民は、こうした事態を変える為に、国内の生産能力と富を生かすために、お互いに理解し合って、現状の打開を探るべきだと思います。これが、真鶴園で、手工業的ジュース搾りをしていて、いつもながら感じさせられる、腹が立ってくる問題です。
2017年01月28日
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不破哲三著『古典教室』第三巻の紹介 その2引き続き不破哲三著『古典教室』第三巻(新日本出版2013年11月刊)を読んでいますが、 今回は、第五課「マルクス、エンゲルス以後の理論史」を読みました。 もともと当方は『フランスにおける階級闘争』の「1895年エンゲルスの序文」について書かれた著作を探していたんですが、この『古典教室』第三巻の第四課にその解説を見つけました。 せっかくなので、その次の第五課「マルクス、エンゲルス以後の理論史」を、この学習会の締めくくりだったようですが、それを紹介させていただきます。これが、大きな歴史的な科学的社会主義の理論史の、コンパクトにまとめた紹介だったんです。 第五課「マルクス、エンゲルス以後の理論史」は、三つの章からなっています。 一、レーニンの革命運動と理論史 二、スターリン時代とはなんだったか 三、日本共産党の理論闘争史『古典教室』の第一課から第四課は、マルクスとエンゲルスの理論の紹介でした。今回の第五課は、そのマルクスとエンゲルスの以後の歴史です。 まず第一は、ロシア革命の流れの中でのレーニンの理論活動です。レーニンの仕事を、大きな仕事を太い糸において、筋においてしめしてくれています。これはこれで、レーニンの大仕事を読み解く上で、大きなプレゼントだとおもうんですが。 第二は、どの様な点でスターリンと対峙するようになったのか。 あらためて社会主義・共産主義にとってスターリンが歴史的にはたした負の傷が大きいこと。誕生したソビエト連邦をスターリンはどんな社会に変えてしまったか。これは、日本共産党の綱領路線がつくられてからの、その後に発展させられてきた理論と裏腹な関係だと思います。 第三は、自主的に綱領をつくってから、その綱領路線をどの様に発展させてきたか。その後、様々な問題や事件にぶつかるごとに、認識と理論を発展させて、今の状況をつくってきたことです。その大きな流れを示してくれています。 今というのは当たり前で自然のようになっていますが、それには多岐な側面があって、今存在している状況を認識するというのは、そうそう簡単なことではないようです。やはり、こうした歴史を知らないと、自然で当たり前のような感覚になっているから、意外と現実がわからないんですね。 ということで、こうした大きな視野での科学的社会主義の歴史の歩みを描いて見せるというのは、容易なことではないし、これはすごいプレゼントなんだとおもいます。読みっぱなしにしておくのはもったいないので、あえて紹介させていただきました。
2017年01月27日
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不破哲三著『古典教室』第三巻を読んでます 不破哲三著『古典教室』第三巻(新日本出版社 2013年11月10日刊)を読んでいます。私は、昨今の安倍政治を見るにつけて、政治について考えさせられてますが。その政治論を考える材料として『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で、フランスの政治史を学んでみようとして、それとの関連で『フランスにおける階級闘争』にも焦点が当たったんです。それで、エンゲルスの「『フランスにおける階級闘争』1895年序文」を、昨年末に読み直すことになりました。それで感じたのは、この論文は、第二の『共産党宣言』ともいえるくらいの中身をもつものなんですね。http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201612290001/ しかし年末は、みかんの収穫と出荷で、この学習は止まっていたんです。最近、不破哲三さんが『古典教室』第三巻で、このエンゲルスの「1895年の序文」について、懇切な解明と解説をしてくれていることを知りました。さっそく取り寄せたんですが。 これは、2011年12月6日、2012年1月24日におこなわれた学習会とのこと。学習会があったことは、当時の新聞で知ってはいたんですが、具体的な中身については、今回初めて読ませていただきました。 これを読んでいて感じたんですが、このエンゲルスの「序文」を、こうして正面から取り上げるということは、古典の研究として当たり前のような感じもしなくもないのですが、この不破講演を読むと実際はそうでないことが分かります。旧ソ連や他の資本主義国の歴史的な経過からして、このテーマは長く捨てられていたテーマだったことがわかります。 むしろこうして「序文」の中身を正面からとらえ、生かしていくことというのは、いまだ世界を見ても奇特な状態になっていて、多くの探究や解明はこれからの努力にかかっているということが見えてきます。 私などのこうした問題を探る問題意識なんですが。私は1950年生れなんです。1945年から戦後の71年が過ぎました。日本国憲法が施行されて以降の生まれなんですが、たった5年前には、それとは異なる日本社会の体制があったんですね。大きな社会変革があったんですね。 それにもかかわらず、私などは戦前の日本社会の認識が実感的に疎くて、ずっと自然に現行の憲法があったような感覚が働くんですね。これは歴史理解の不十分さから来ることなんですが。そこに「歴史認識の空白」といったものを感じていたんですね。佐藤静夫著『戦後文学論争史論』などを読んだのも、そうした空白を埋める為だったんですが。このエンゲルスの「序文」を読んでいると、こうした歴史的な社会変化というものを感じさせられます。 1848年当時、フランスやイギリスと、ドイツとの間には、社会条件の違いがあった。近代の民主主義制度とそれ以前の社会制度の違いが。近代以前の社会がまったくの暗黒の社会と見がちなきらいも、私自身あるんですが、これもまた歴史認識の弱さなんですね。時代社会に大きな違いがあったことは、日本社会の歴史経験からしても、理解としては不十分ながら、体感的にはたしかに明らかなんです。 そして、戦前日本やロシアというのは、この『共産党宣言』の時代のドイツの状態に、専制的社会状態にあったということです。 戦後の改革が、この社会変化をつくったんですね。私たちが日ごろ暮らしている社会、現代社会の歴史的条件というものを、歴史社会の特性をつかむためには、ここのところの検討と理解が欠かせないんですね。エンゲルスの「『フランスにおける階級闘争』1895年序文」は、この変化をつかむヒントを与えてくれています。(写真ソフトがメンテナンス中のようで、修理が完了したら、写真を添えるようにします〉
2017年01月26日
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久野収・鶴見俊輔著『現代日本の思想』を読む戦後認識の空白を埋めるために、いろいろ当たっていますが、今回読んだ本は、久野収・鶴見俊輔著『現代日本の思想』(岩波新書 昭和31年11月刊)です。最初、この本は、以前に誰の講演か忘れましたが、その中で、一節が引用されたことで、それを確かめるために入手したものと思います。 その一節というのは、「すべての陣営が、大勢に順応して、右に左に移動してあるく中で、日本共産党だけは、創立以来、動かぬ一点を守りつづけてきた。それは北斗七星のように、それを見ることによって、自分がどのていど時勢に流されたか、自分がどれほど駄目な人間になってしまったかをはかることのできる尺度として、1926(昭和元)年から1945(昭和20)年まで、日本の知識人によって用いられてきた。」(二、日本の唯物論-日本共産党の思想 P54)でした。その後、本の裏には1992年5月に全体を読んだことになっているんですが。ほとんど中味について、読んだという記憶が無かったんですね。この本は5つの章からなっています。一、日本の観念論-白樺派二、日本の唯物論-日本共産党の思想三、日本のプラグマチズム-生活綴り方運動四、日本の超国家主義-昭和維新の思想五、日本の実存主義-戦後の世相 この5つです。読んだはずのこの本の中身の記憶がないとの点では、当方は、そのころは多分にせっかちでしたから、5つの思想の紹介について、そのものの客観的な紹介についてたどれていなかった。個々の材料の知識もなかったことから、パッパと三段跳びのような読み方をしていた。気に入ったところだけ読むといったことで、そのものにそくしての読み取りが出来ていなかったと、今回読んでみて思います。この本の刊行された昭和31年といえば、1956年ですから、今から61年も昔の本なんです。しかし、私などの目下の課題からしたら、今日的で、重要な刺激的な著作でした。私などがこれまで読んだことのある数少ない著作が、また名前だけは知っていた人物たちが、この中にポツポツと出て来るんですね。それが、それぞれが流れとして、関連するグループのはたした役割、仕事ということの中に紹介されていたんですね。バラバラだったのが、時々の流れとしてつながって来るんですね。しかも、5つ思想のそれぞれが重要だと感じました。歴史の流れなんですね。もちろん、この中で下されている個々の評価(特徴)が、妥当かどうか、正確かどうかは、問題を感じる点もあるんですが。しかしそれ以上に、二人の著者は、ここにたくさん紹介されている著作について、その対象を読んでとらえた上で、それぞれの思想が、日本社会の歴史で、人々に果たした役割をとらえようとしているんですね。そしてその素材となるものを客観的に紹介してくれています。諸思想を知るための案内書になっているんです。それは、現在につながる思想の客観的な流れでもあるんです。この歴史の中に特徴と役割を果たし諸思想が現代の社会にも形を変えて脈みゃくとしてつながっているんですね。まぁ、現代におきている問題が、歴史の流れの中において見えてくわけです。少し古い本ではありますが、私などが知りたかったことを、歴史認識の空白的な部分を、その中身の是非はともかくとして、埋めてゆくうえで、アドバイスしてくれている著作でした。確かに以前にも読んでいるんですが、以前に読んだ時は、そうしたこの本の客観性が、まったくと言っていいくらい読み取れてなかった。本は読みっぱなしにしていてはダメだということですね。
2017年01月24日
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みかん畑の後片付けに行ってきました1月23日、今日は、みかん畑の後片付けでした。真鶴園ですが、こちらは、朝一番は、切り枝のゴミ出しです。この間に倒れた木や、密集した枝を切って束ねてあったので、午前8時までに、それらを燃えるごみとして集積場に出しました。二つ目は、選果みかんをふたたび選果しましたが、規格落ちしたみかんが、2コンテナ出ました。これをジュースにしぼりました。選果で追熟していたみかんですが、これは知人へのプレゼント用にしました。しかし、出荷するのはこれが最後です。残りはジュースにしぼるようにしています。残った2コンテナが残りましたが、今日はこのうちの1コンテナをジュースにしました。三つ目は、温州みかん以降の、他の柑橘の収穫です。ハッサクが、小木に9個ついていました。これは全収穫です。はるみが、3個ですが、目残しでなっていました。これもすべてとりました。それとカボスです。18個ついていました。これも全収穫です。あと、レモンが2個ついていたので、その内の1個を収穫してきました。小木は、果実をいつまでもつけていると、木が弱っちゃうんですね。今日の真鶴園はここまでです。午前10時には、JA湯河原に移動しました。ここが、みかんの発送の扱い所になっているんですね。ここから、ゆうパックで、みかんを1箱出荷してきました。そのさい、JA職員の人と立ち話になったんですが、今年の出来を聞くと、「まずまずの出来だけど、全体として今季は、どちらかというば裏年という人が多かった」と。これが全体的な評価なんですが、やはり私などの経験とも重なっていました。ただし、農家の栽培は、表と裏のバランスを取ってますから、もっとも、表年と裏年による収穫量のギャップは、当方ほど極端ではないはずですが。さて、午前11時半に、次は早川園へと移動しました。今日の石垣山ですが、ちょうど、この頭上から箱根山にむかって、黒い雪雲がかかっていました。ほどなく、時々ですが、小雪がちらついてきて、寒い陽気でした。しかし、遠距離農夫は、小雪なんてなんのそのです。早川園の今日の仕事は、キウイの手入れです。キウイは、手入れの仕方を知らないので、去年はほとんど手つかずでした。おかげで細く枝が、ねじれた蔓のように巻き付いて、絡み合っちゃっていた。これじゃあ、キウイの実がつかないというんですね。実際4個しかならなかった。今回は、なるべく、そうした枝を取り除いて、全体を切り縮めるようにしました。やり方もわからず、うまくは出来ませんが。まぁ、何もやらないよりかは、少しはましでしょう。そのあとで、ちらつく雪と相談しつつ、キウイの木全体にマシン油乳剤を散布してきました。こんな陽気に散布するなんて、普通では、寒すぎるので避けるはずなんですが、そこが、やはり遠距離農夫のなせる業です。越冬害虫を駆除するため散布する機会というのは、そうそうありませんから。多少無理しても、断固実施しちゃうわけです。気休めかもしれませんが、2リットルの散布をしておきました。以上が、本日のみかん収穫後の後片付けの作業でした。まだあと少し、切り枝など、後片付けが残っていますから、全体的には今は農閑期のはずでますが、まだまだ往復しなければなりません。
2017年01月23日
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佐藤静夫著『戦後文学論争史論』を読んで その2この本の紹介は、今回が二度目ですが。私は、自分の戦後の歴史認識の空白を感じていて、その不足を埋める一助として、この本を読んだのですが。著者の佐藤静夫氏ですが、1919年生まれで、すでに2008年5月6日に89歳で亡くなっていました。私が問題に感じていたのは、戦後民主主義、日本国憲法が自然なものとして、自然に昔からあるような感覚があることなんですね。一般的知識として、戦後の民主的改革によるものであることは知ってはいるんですが。戦後の生れ、1950年生れの私としては、ある意味では仕方のないことでもあるのですが。この本は、戦後の文学論争史を取り上げています。「政治と文学、戦争責任、主体性論」など、戦後直後に、日本文学の分野で行われた議論がまとめられています。戦前の治安維持法などでの思想統制化でおさえられてきた精神状態の中には、戦後の変革の中にあって、保守体制の側だけでなく、新たな民主主義的な運動の中にも、戸惑いというか、民主的変革の意義をとらえない風潮があることが指摘されていました。当時の戦後日本文学の分野においても、「政治と文学」論争の中に、この問題の議論があることが指摘されていました。この中で、宮本百合子の、それに対する指摘が紹介されています。「民主主義の課題にさえ、外からあてがわれたように思って、何となしに、その手にのるものか、という風な眼つきにさえも見える」「そのために、自分の問題としての民主主義がつかめないとともに、日本の民主主義のために自分がどういう存在であるかという関係も明瞭にされない」(『誰のために』(1946年10月))。百合子は、他にも、『今日の生命』(46年3月)、『1946年の文壇』(46年10月)などで、問題を論じていたんですね。ようするに、戦後民主主義の自然視してしまう風潮というのは、戦後生まれの私などの問題だけではなくて、敗戦の同時代者の中にも、同様の事態があったというんですね。日本の歴史にその根拠があるというんです。本日、1月22日、日曜の政党討論を聞いていたら、今日の政党の中にも同じ問題がありました。「憲法の改正問題」について、政党の代表者が、軽々しく憲法の改正をもてあそんでいる。憲法をいじくりまわすような議論を、軽口を平然としてペラペラしゃべくっているんですね。まるで井戸端会議をまとめるかのように。公人でありながら民主主義の大切さへの自覚が感じられない面々が与野党にいるんです。あらためて、歴史とともに現在の事態を、捉えかさなければならないと感じました。もう一つ、ここで、問題に対する批判の仕方が問題になっています。本質的な点では正しいんだけれど、しかしその批判の仕方がアクロバット的だと。結論を決めつけるようで、客観的な論証に欠けるような批判の仕方の問題が問題になっています。「第三者に対しても論点を明瞭にして、問題を正しく会得させていくために必要な客観的叙述にかけていたのは残念でした。文芸評論が、論争の当事者だけに分かり、その感情を刺激しあうような楽屋おちのものであることは」考えなければならないと述べています。これは、最近の大会での挨拶で、「正しいことだからといって、良いことだと思って教師然として、一方的に押しつけてしまうきらいがあるけれど、本人としては確信をもって熱心に語っているつもりだれど、それがかえって相手に腹を立ててしまっている。相手に通じていない」状況があることが、自己反省として語られていましたが。問題の中身は違うんですが。しかし、批判の仕方として、歴史には類似しているような経験があるということのようです。やっぱり、戦後の文学史ですが、この『戦後文学論争史論』一つをとっても、いろいろ学ぶべきものがあるということです。その対象は広大で宇宙的な世界なんですけど、それでも、いろいろ接近の仕方を工夫して、なるべく自らの歴史空白を埋めていかなければならないと感じています。
2017年01月22日
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朝市は盛況のうちに終わりました1月21日、多摩市の団地で、今年最初の朝市が開かれました。これは、去年の12月から始まったもので、まだ3回目なんですが、地元の農家のつくった新鮮野菜とともに、当方の用意した柑橘類も並べさせてもらいました。この写真は、去年の暮れのものです。今回もカメラを用意していたんですが、売り子役でドタバタしているうちに、気がついたら、大方の商品が売れてしまい、朝市は終わっちゃったんですね。シャッターチャンスを逃してしまいました。当方は、早川産のネーブル、伊予柑、レモン、ダイダイを出品したんです。ネーブル32袋、伊予柑44袋、レモン52袋ですが、一度に沢山の量は届けれませんから、数日前から少しずつ届けておいたんですが。市場の始まる前から、売れていた、売ってもらっていたようです。朝市の始まるはずの午前10時でしたが、その前でしたが、当方も、今日は売り子役で頑張ろうと売り場に出てみたところ、ダイダイを除いて、すでにほとんどの商品が消えていたんですね。今回は午前9時から朝市は開店していたようで、たくさん並べてあった野菜だそうですが、今回は商品が少なかったという説もありますが、とにかく、柑橘類もふくめて、残りの商品は、あとほんのわずかになっていました。この朝市は、いわゆる一般商品流通による野菜や柑橘ではありません。地元の農家がつくった、新鮮で安くておいしい産物が並べられています。手作り野菜の、産直です。一般の商品流通では、形や大きさ、外見が整い、量がないと流通に乗せてくれないのですが、JAなどでは品質管理と数量管理が求められて、満たないと扱ってくれません。多摩市の近郊農家には、そんな大規模に野菜づくりをしている農家なんかありません。しかし、小ぶりとか多少形は劣っても、新鮮で美味しい野菜がつくられているんです。地元の農家は、精魂込めて野菜づくりに頑張っているんです。柑橘だって、これはレモンで見た場合ですが。多摩市のスーパーの野菜店舗では、アメリカ産のレモンが3個198円で売られています。アメリカくんだりから、船で運ばれてくわけで、収穫してから三週間は立っているはずです。大量の船荷ですから、防腐剤の薬剤散布もして、傷みを抑えて搬送してきているはずです。それと比べたら、早川産のレモンは、とりたてです。無農薬で、安全・安心で、それでいて4個200円です。なにもアメリカのレモンを買わなくても、国産の安心で新鮮なレモンが手に入るわけです。農家と消費者とにとって、このうえない共存の流通が出来るはずなのに、それがはかられない。農家の振興にもなるし、消費者にとっても願ったりで、これが応援されれば大喜びになります。ところがです、「農業版の『競争力強化法』を制定します。肥料や飼料を1円でも安く仕入れ、農産物を1円でも高く買ってもらう。そうした農家の皆さんの努力を後押しするために、生産資材や流通の分野で、事業再編、新規参入をうながします。」これは1月20日に始まった通常国会の安倍首相の施政方針演説の、その中の一節です。「農家の大規模法人化、輸出競争力のある農産物を作れ、そのための農協改革だ」というんです。これを政府は農業政策として、この間推進してきているんです。「なにをトンチンカンなことをいってるか」ですが、安倍演説の文章を読んでみてください、とんでもない農業「改革」です。現在の農業事情から如何にかけ離れているか、要するに農業法人をつくりたいというんです。兼業の農家を「再編」して、つぶして、農地を大規模に法人経営に集約化するというんです。一般的な農家の人たちにとっては、この実際が何を意味しているか、よくわかるはずです。問題は、消費者も含めて国民的なひろさでの、問題認識であり、事態に対する声なんです。「この農業破壊政策を転換せよ」との声を、大きくあげなければ、現実にすすめられている暴走政治の農業政策を変えることは出来ないということなんです。 今日の朝市ですが、そうした事態を、じっくりと体感する場となにりました。まぁ、怒っていただけでは、ダメなんですが。
2017年01月21日
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2016年のみかん仕事のまとめ毎年1月には、みかん仕事をまとめるために、箱根・大平台に行ってます。確定申告もありますし、一年の区切りなんですね。「一夜明くけば、豊かなる春とぞ成りける」は、西鶴『世間胸算用』の、最初の話の締めの言葉です。今年も、1月16日でしたが、出納帳と電卓をもって出かけてきました。ゆったり、のんびりとした温泉-姫之湯の休憩室の一角ですが、ここで一年のみかん仕事のまとめしました。さて、今季の、2016年のみかんの収穫と出荷ですが、みかんの出荷は、11月-12月で、1.5キロの袋で500袋、5キロ箱で62箱の出荷でした。今年の裏年とみかんの木の立ち枯れで、予測した出荷量が確保できるかどうか、心配していたんですが。今年も、早川のみかん園の協力も得て、不渡りを出さずに済みました。出荷は、全部でだいたい1200キロでした。これは全部が売り物というわけではなく、一部は親戚・知人への季節のたよりの分も入ってますが、これからの総収入は、12万円でした。これが儲けになっているか?といえば、このために、八王子-真鶴・早川間を、88回往復してます。ガソリン代で17万6千円、高速料(まだ12月分が来てませんが)で10万円かかってますから、交通費だけでも、とても、とてもなんですが。まぁ、17万円かけて、どこか外国へでも遊びに行ってきたつもりになって、これさえ出費を覚悟しておけば、あとは、さまざまな無限な宝を創造することができるんです。時には、温泉で休養も採るようにして。「真鶴と早川では、こんなみかんが採れるんですよ」との発信です。みかんと温泉、それと相模湾の地魚が、歴史と豊かな自然の富があるということです。東京人は、その気になれば、直ぐ近くにも楽しめるところがあるんです。ときには、ひごろむしゃくしゃを忘れて、深呼吸することが大切なんです。当方としては、このみかん作業を通じて、自然と社会の学習(発見)です。それにより、旧友の人たちや、住まいの地域の人たちとも、交歓が出来るわけです。もしも、これがなかったなら、定年退職後はどうなっていたか。とりまく政治社会の環境の中で、不十分なことがらだけがやたら目について、団地の片すみで、うろうろと何を考え、何をしていたやら。ですから、みかん仕事は、まったくの採算ぬきの道楽仕事というわけでもないんです。「赤字」ではなくて、この事業への必要経費なんです。このみかん仕事は、適当な運動にもなりますし、あくせくして疎遠になりがちな友人知人たちとも、年賀状のかわりもはたしています。なによりも都市の勤労市民へ、酸っぱいみかんを届けることで、この都会の近郊でも、歴史と自然があり、安全で、安く美味しい産物がとれるんだと、ささやかでも、貴重な宝があるんだと、明日の活力を発信してゆくことなんです。これは全体として、十分に拡大再生産が出来ているということなんですね。これが、今季の収支のまとめです。
2017年01月20日
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今、梅の香りがただよっています1月19日、真鶴・早川へ柑橘を搬送するために行ってきました。みかんもさることながら、今日は、みかん園は梅の花が満開に入ってました。あれこれドタバタして、気づかぬうちに、いつしか梅の盛りの季節に入っていました。みかんの方は、早川園からレモン、伊予柑、ネーブル、ダイダイを搬送し活きたこと、真鶴園の温州みかんの後片付けで、選果とジュース加工をしてきたんですが、みかん園のあたりは、梅の香りがただよっていて、梅がそこはかな香りと花で、存在をアピールしていました。みかんの方は、引き続き後片付けと、次の柑橘の出荷で、相変わらずドタバタしているんですが、この梅の香りと花を見ると、気分が少し和らぎます。梅は、なによりの憩いの花です。その香りを、瞬間ではありすが、すべての作業をとめて確認するようにしています。この香りを、むかしの人たちは大事にしていたんですね。 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほいける 『古今和歌集』巻一・42みかん園のある西湘方面は、今、梅まつりを目前にしています。普段は静かな小田急・新松田駅や御殿場線の下曽我駅ですが、この時期ばかりは、駅も辺りもにぎやかになります。何たって、3万5千本の梅園が、ひろく一般に開放されるんですから。曽我梅林には、花と香りを楽しみに、風流な人たちが、わざわざ遠路はるばる出かけてくるんですよ。そのくらいの余裕が欲しいものですが。ことしは、第47回の梅まつりだそうですが、様々な催しがあります。この時ばかりは、ひろい梅の畑は、境界をとり払って、一般の立ち入りが開放されてます。若い人も交じって、風流人たちが静かに梅の花の下を散策しています。私の方は、みかん園で梅を楽しみ、梅まつりを紹介するのが、せいぜいなんですが。花見の宴をたのしむ万葉人にあやかりたいものです。
2017年01月19日
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伊予柑とネーブル、朝市の準備していて思う当方は、1月21日に近くの団地で開かれる朝市の準備しています。伊予柑とネーブルをでしますが、これは小田原・早川で先日収穫したものです。 この数日、新聞を見ていて、農業についての2つの記事をよみました。一つは、安倍政権が昨年11月29日にまとめた13項目の「農業競争力強化プログラム」で、この通常国会に関連法案を出そうとしているそうです。もう一つは、岡山大学の小松泰信教授の見解ですが、1月15日付『赤旗』ですが、インタビューに答えた談話の中に、それとは対照的な農業政策の方向が紹介されていました。 この二つの農業政策ですが、その力点がじつに対照的だったんで、注目しました。1、安倍政府の方は、農産物の輸出競争力の強化に重点を置いています。その為の農業生産物の流通・加工構造の改革、JA全農の事業刷新だそうです。こちらはもう、原発、武器と、そして農産物と、何でもかんでも輸出第一の安倍政権です。いったい今の政府は農業について、どれだけの認識があるのか、責任をもつのか疑問です。2、他方の小松教授の農業を見る視点ですが。「農業を基幹産業として位置づけ」をしっかりさせて、安全・安心な農産物の生産、自然豊かな国土と環境を大切にしていく方向を探っています。ここから安倍政権の農業政策を批判しています。安倍政権による農業の規制を緩和して、中小農家をつぶして農業法人による輸出産業へ再編しつつある流れを、当然かと思いますが批判しています。私などが、この談話の中で、とくに共感した部分ですが、農家で、農産物の輸出で活路を見出したい人はそれでいいのですが、多くの農家はそうはいきません。それよりも、生産者と消費者が体験や交流を通じて、お互いに理解し合い、結びつくこと、地域社会とつながった、愛されて、あてにされる農業づくりをめざす。私などの体験からしても、こちらの方が、より現実的で、日ごろの努力と重なっていると思います。それは多くの農家や農協の人たちが、日ごろ努力していること重なってます。どうして国の農政は、こうした基本的な実情を理解しようとしないのか。この現実を応援せず、農業を破壊しつづけているのか。それは、今の政権の農政が、トップダウンで大企業の望む農政を押し付けているんですね。自公の農林議員族は、一般農家のために努力するのではなく、トップの意向を農家に無理してでも押し付けているのが実際の姿なんですね。農家は日ごろの仕事の忙しさにかまけているだけでなく、この今の現実をもっとよく見て、もっともっと怒って、押しつけられている農政を実際に変えなければ、自分たちだけでなく、国民にとっての農家の明日がなくなりますね。
2017年01月18日
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政権交代のどこに問題があったかたまたま手にした二冊の本ですが、それぞれの著者が、同じ問いかけをしていました。「政権交代によって何を変えることができ、どこに誤りがあったのかを検証することが、今の政治学に課せられた使命である」「平成21年の政権交代は、政党の談合ではなく、国民の投票そのもので政権交代をやった最初のものでしょう。日本の長い歴史で国民が初めて政権を選んだ画期的なものだった。その歴史的な成果が無残に自滅していったわけですが、その原因や背景をどう考えるか。ここがこれからの政権交代で、新たな政権をつくる際の一つの基本になっていくと考えているのですが」1月15日から始まった日本共産党第27回党大会ですが、志位共産党委員長は、安倍自公政権をかえるため、野党と市民の共闘を前にすすめること、そのためにどのような努力が必要か、この主題について報告・提起したわけです。冒頭では来賓として参加した民進党、自由党、社民党、沖縄の風の各代表が、安倍政権を変える為にともに力を合わせよう、とあいさつしました。共産党大会は、討議は、まだ明日まで開催中ですが。そうした中、たまたま手にした二冊の本、一つは、『政権交代とは何だったのか』(山口二郎著 岩波新書 2012年1月20日刊)、もう一つは、『野党協力の深層』(平野貞夫著 詩想社新書 2016年12月25日刊)です。まだよくは読み込めてませんが、山口二郎教授は、民主党政権のブレーン的な存在だったんじゃないでしょうか。その意見が生かされたとは思えませんが。平野貞夫元参議院議員は、国会職員を長く務め、小沢一郎氏と行動を共にした「知恵袋」的存在だそうです。この二人が、どうして民主党政権は失敗したのか、この問題点についてそれぞれ反省しています。これからの新たな政権交代が、その誤りを繰り返さなてために、ということですが。「何が問題だったのか?」 その問題を問いかけて、それぞれ答えを探っているんですが。その答えを、このお二方がどう認識しているか、それをこれから読まさせてもらいますが、同時に、大きくは、この共産党大会の報告・討議も、また来賓の3党・1会派のあいさつも、これらもまた、現時点でのこの問いへ答えようとしていることなんですね。この問題は、今、野党の各政党はもちろんですが、さらに市民や国民レベルでも、自身のかかわりの問題として、失敗させないために、検討しなければならない問題だということですね。知恵と行動が、歴史に試されているんですね。
2017年01月17日
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大逆事件の内山愚童の墓です12月16日、箱根大平台にある内山愚童のお墓によってきました。手前の石、名前も何も刻まれてない石がお墓です。大逆事件に連座して処刑された、若き住職のお墓です。もちろん、えん罪でしたが、そのお墓には、名前を刻むことが許されなかったんですね。曹洞宗の総門は、愚童の名誉を回復して、その業績を顕彰していますが、国家とその司法は、依然としてなしのつぶてです。当方は、大平台に来た時は、なるべくよるようにしています。http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201303070000/今日は天気も良くて、墓地にある梅の古木も花をつけていました。青空に梅の花がよく映えていました。何故、ここに足が向いたかというと、いま政府は、20日召集のこの通常国会に、「共謀罪」法案を出そうとしているからです。あらためて1911年の幸徳秋水や内山愚童の大逆事件の危険がよみがえります。戦前の治安維持法による国民弾圧の歴史がよみがえってきます。今の政府や国家には、それらへの反省などまったくないわけですから。だから、勝手な疑いだけで、権力が国民を縛るようなこうした法案は、民主主義以前の戦前社会への回帰であり、またぞろ新手の憲法否定です。そうした思考をもつ政治家がいるわけですから、まったく危険です。まだ、幸徳秋水や内山愚童は、追悼がされていないんです。あの世にあっても、まだ安心出来ないんです。
2017年01月16日
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佐藤静夫著『戦後文学論争史論』を読んでます私は戦後日本の文学に、疎い存在ですが、今一冊の本を読んでいます。『戦後文学論争史論』(佐藤静夫著 新日本出版社 1985年刊)です。以前に、この本は、刊行された時に、そして1995年に、私などは、読んだことになっているんですが。今、あらためて、耳新しく読んでいるんですね。当然ながら、戦後の日本の歴史については、学校教育で学んだはずですが、あらためて思うんですが、自分自身が求めなければ、事柄の客観性はとらえられないということですね。だいだい、事柄の一般性では、ありえない事態が起きているでしょう。今、政治の世界では、政権与党が、責任を持つべきはずの日本国憲法ですが、それを、根本的に否定して、変えようと腐心してる。ごまかして国民に主権を捨てさせようとしている時世です。戦後70年の歩みの中で、どうして、こうした事態が国民の代表者たる政治の世界で起きているのか、それが政治世界でまかり通れるのか。私などは、その原因をつかむためには、あらためて日本近代の歴史というものの学習を、戦後の政治の諸条件を、学びかえす必要を感じています。この『戦後文学論争史論』は、その認識を埋めるためのものですが、たしかに、以前に読んでいるはずなんですが、今、あらためて読んでみると、以前には、よく理解できていなかったことがわかります。この本は、冒頭にありますが、「1946年からほぼ3年間の間に、戦後の初期に置ける論争―政治と文学の問題、文学者の戦争責任の問題、主体性の問題、転向の問題など」について、ふり返っています。それは、1980年代半ばの時点にあって、政治の反動化に直面した下で(それは、今につながっているわけですが)、あらためて日本の終戦直後にあった議論を問い返してるんですね。私など、最近感じていたんですが、昨今の戦争法を強行するなどの政治的動きですが、日本の歴史を戦前の状況をなつかしみ、そこに戻したがっている勢力があること。この事態は、日本の敗戦状況の理解がなくては、今おこっている状況は、やはり理解出来ないということなんですね。それは、私などが生まれた、たった5年前におきた大きな変化なんですが。私などには、結果的な自然のように見えてしまうんですね。もちろんこれまで、学校の義務教育などで、戦後の日本史を学んではいるんですが、そこでは、日本国憲法の三原則は習いましたが、しかし、「立憲主義」―憲法が最高法規であることは、そこからの逸脱については、主権者国民の負託に反するものとして禁止されなければならない、などということは、最近の現実にてらして、60歳も過ぎた今の時点になって、ようやく現実的に新しく学んでいる始末です。そのことが示しているんですが、憲法論だけではないんです。戦後の民主的改革というのは、大きな歴史的な変化ですが、それは確かにおこなわれて、今日その社会体制のもとで私たちの暮らしの基礎になっているわけです。ところが、国民というか、私自身の認識、自覚が弱いということなんですね。あたかも自然に、自動的に変わったかのような、安易な認識がある。(これは自己反省ですが)それが、いとも容易に政治的反動をきたしてしまう、厳しく批判する国民運動が弱いという原因になっているわけです。それが今問われているわけです。この間に、それが憲法論として問われました。いや、今現在、問われつづけています。同様に、この文学の歴史でも、「1946年からほぼ3年間の間に、戦後の初期に置ける論争―政治と文学の問題、文学者の戦争責任の問題、主体性の問題、転向の問題など」についてでも、同じことが問われているんですね。最近、梯明秀著『戦後精神の探究』、大岡昇平著『俘虜記』などを読みました。かつてこの『戦後文学論争史論』を読んだときは、こうした事実的素材について、ほとんど(まったく)読めてませんでしたから、事実素材を知りませんでしたから、この本の問題にしている事柄の客観性にせまるのが、私などには四苦八苦の難儀なことだったんですね。今日、わずかですが素材となるものを読み、具体的な政治反動を体験させられている折ですから、よくよくこれを読むことができます。それが具体的で身近な事柄として読めるんですね。「なるほど、そうしたことが問題だったのか」「どうして、以前は苦労の割には、氷の上を滑るような読み方しかできなかったのか」「どうして事柄の客観性を読み取れなかったのか」今ごろになって、蛍光灯の様ですが、思い当たるようになっているんですね。だけど問題はこれからなんですね。少なくとも、今日、民主・平和の国民的共同を強めて前進するためには、文学面では、日本近代の歴史をふりかえって、大事な成果をつかんでおくこと、その為には、この著作も必要な一つだと感じています。
2017年01月14日
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今日から第三弾ネーブルオレンジの販売です1月13日、ネーブルオレンジの販売を始めました。みかんと言えば、温州みかんが一般的ですが、季節のおうじて、今は様々な柑橘を楽しむことができます。年が明けて、今、ネーブルオレンジが旬になりました。柑橘類は、酸っぱいものを楽しむ人と、敬遠する人との、二通りの人に分かれますが、ネーブルオレンジは、太陽の恵みで、とってもジューシーな柑橘です。果汁の発散を果皮がとめてますから、カットしてガブリです。年末から年初めの温州みかんに次いで、昨日からの第二弾のレモンでしたが、今回は、それに加えて第三弾のネーブルオレンジです。初めてのこと、いわば味試しですから、11袋つくって置いてみました。ネーブルは、その名前はかなり知られていると思うんですよ。しかし、実際にその味を知る人は、ましてや買い求める人は、まだまだ少ないと思います。私などは、これまでは、温州みかんを販売するだけでしたが、せっかく早川のみかん園にかかわった以上、そこでとれる柑橘類の味を、知ってもらわない手はありません、もったいない。しかし、人に提供するには、ある程度まとまった量がないと出来ませんから。これまでは、収穫しても、個人的な楽しみくらいにとどまっていました。それが、この1,2年で変化しました。せっかく、早川・真鶴でとれる多彩な柑橘類があるんですから、真鶴からの出荷に限定することは無いんです。周りで採れた柑橘の味を、同じように都会の消費者に提供しない手はないわけです。これまでの年末活動を、ちょっと変えるだけのことですから。もっとも、その為には、都会人の新たな「味覚の創造」が必要になります。何たって、一般的には、早川・真鶴の柑橘なんか、ほとんど食べたことがないんですから。南国産の柑橘や、アメリカ産のレモンは食べていたとしても。真鶴・早川産の柑橘も捨てたものじゃないんですよ。実際に、様々多彩な柑橘類が栽培されていますから、本当の旬の味を楽しめます。フレッシュで、とってもジューシーで美味しいんですよ。それに、なんたって安くて、手軽るなものですから。これが、今回のネーブルの木です。「早く採ってくれないかなぁ」そう木が言ってるかのようですが。現地・早川の石垣山でも、秀吉の一夜城跡をめざして登って来る人たちがいますから、やがて、このネーブルも、道の途中の販売所で売れてなくなってしまうと思うんですが。なんたって、都会からその産地までは、80キロも離れてますから、行楽で行ける人は良いですよ、ただし誰しでもが、遠路出かけれるわけではありませんから。そうなると、都会で、その旬の、フレッシュな味を楽しめる人は限られてるわけです。そこに私などの生産流通ですが、ささやかでも必要で意義あることだと思っています。まぁ、体力が続く限りのことですが。さて、はたして今回の、初めてのネーブルオレンジの団地市場へのお目見えですが。はたして、都会の消費者は、一歩踏み出してくれるでしょうか。新しい味覚のはずですが、手を出してくれるでしょうか。
2017年01月13日
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本日から、早川産レモンを売り出しました1月12日、早川のみかん園「だんだん園」から柑橘類を搬送してきました。伊予柑、ネーブル、レモン、デコポンの4種類です。さっそく、夕方の商店街に、まずはレモンを並べてみました。レモンは、一袋4個入りで200円です。当方も、味試してみたのですが。レモンをしぼって紅茶に加えるようにして、これで、身体も気分もすっきりです。太鼓判ですね。小田原方面のみかん農家ですが、ここでも、少量ですが、レモンをつくっています。小田原厚木道路の手前の道沿いにある農家の直売所を見させてもらいました。「参考にしたいので、みさせてください」と声をかけたところ、生産農家の店主の方が、「どうぞ、どうぞ」とこころよく見させてくれました。当方としては、レモンの価格についてもリサーチさせてもらいました。レモンの価格のリサーチといえば、もう一軒、帰り道に、ホームセンターにある東京の物産市場ですが、のぞいて見ました。そこでは、アメリカ産のレモンが、3個198円で売られていました。遠路アメリカから運んでくる、まさか飛行機ではないでしょうから、どうやって、長期間、腐敗をおさえているんでしょうか?アメリカの農家は、いったい1個たり、どのくらいの価格で出荷しているんでしょうか?聞いてみたいんですが、売っている人では分らないでしょうね。足元で、国内産レモンが、安全でフレッシュなレモンが採れるというのに、どうして東京の物産市場で、アメリカ産のレモンを売っているのか?これが現在の安倍政権の農業政策なんですね。TPPで関税を自由化したら、国内の農家がどういう事態になってしまうか。こんなところに、実際の先取りした動向をみてとることができます。当方の見立てだと、産地直売であれば別ですが、送料・搬送費が上乗せされるとなると、逆立ちしてもアメリカ産とは釣り合いません。いったい、アメリカ産は、どうしてこんなに安く日本市場に出せるのか? 謎です。防腐剤をかけて、日本まで運んできてるだろうことは、想像できますが。この実際状況を、国政調査権などを行使して、調べてほしいところです。今日も快晴でした。小田原方面の自然は素晴らしいですよ。みかん園から見た小田原と相模湾です。左の方には、小田原城も見えてます。これが、当方などが採ったレモンの木です。青空に映えて、レモンが良い色をしているでしょう。なんで、このすばらしい自然の恵みを淘汰させ、打ち捨ててしまうのか、アメリカ産のレモンを輸入して、販売しようなんて、関係がすすんでいるのか。これが規制緩和による自由化政策であり、これは自国の農業を切り捨てる亡国の農政ですね。みかん農家にとっては、経験済みのはずです。1970年代に「グレープフルーツ」の自由化をしたでしょう、その時以降に、すでにTPPの自由化方向は、みかん農家とっては体験済みなんです。その後の事態の検証もまともにせず、ましてや反省もなく、その同じ方向を、「もっとやれ」というのが、今日の農政です。農家にとっては、信頼して頼れるような政治では、今ではなくなっているんですね。当方などは、ささやかな抵抗なんですけど、この時期、まずは国内産レモンを、その安全で、フレッシュで、安いレモンを、都会の国民に届けて、実際に味わってもらって、このすばらしい価値を確認してもらうこと。これが、私などのみかん農夫の目下の活動です。
2017年01月12日
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温州みかんの今季最後の出荷です今季の温州みかんですが、ついに本日、最後の出荷です。これですべて終了です。小屋にはジュース加工用のみかんがありますが、とにかく、なんとか無事に、ここまで来れました。これが終われば、早川のみかん園には、そのあとに、次の柑橘―伊予柑、ネーブル、レモンなどが、「今度は、私の番だ」と控えていますが。それは、この温州みかんに比べれば、わずかな量です。お楽しみ程度のものですから。やれやれ、これで、みかん仕事は一段落します。
2017年01月11日
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大岡昇平『俘虜記』を読む私は、戦後の文学について、ほとんど読んだことがなかったんですが。私などの憲法観ですが、それがなんとなく自然に与えられた感覚があるんですが、これは、日本の歴史認識にかんする空白によるものなんですね。前回の梯明秀著『戦後精神の探究』(勁草書房)などを読んで感じます。それで、少しずつでもその空白を埋めようということで、何か日本の先の戦争体験を記録した文学はないかと本棚を見たところ、たまたまですが、この作品があったわけです。大岡昇平(1909明治42年-1988昭和63年、79歳)については、まったく初めてなんですが。その『俘虜(ふりょ)記』は、1949年の作品です。集英社の日本文学全集80に掲載されていました。この本で、34ページですから、比較的に短い作品です。1944年3月に召集されて、フィリピンのミンドロ島に派遣され、1945年1月に米軍の俘虜となったそうです。作品は、守備隊が米軍に追いたてられて捕虜になるまでの体験が書かれているんですね。こんな一節があります。「私はすでに日本の勝利を信じていなかった。私は祖国をこんな絶望的な戦いに引きずり込んだ軍部をにくんでいたが、私がこれまで彼らを阻止すべく何ごとも賭さなかった以上、彼らによって与えられた運命に抗議する権利はないと思われた。一介の無力な市民と、一国の暴力を行使する組織とを対等におくこうした考え方に私はこっけいを感じたが、今無意味な死にかりだされていく自己の愚劣をわらわないためにも、そう考える必要があったのである。」(P10)この作品全体がそうですが、人間の緊張した精神というものは長く続くものではありません。しかしその緊張を記録している作品です。直後には生死の境をさまよった大変な体験に、自身の生き方も翻弄されただろうと思います。周りにいた多くの人たちが戦死し、自分が生き残れたのはたまたま偶然にすぎないんですから。ある程度時間がたって、事態を直視することが出来るようになったわけでしょうが、だけどやがて人間は時のながれとともに、いつのまにか角が取れて、すべては懐かしくも淡い想い出にかわっていくと思います。一般的にはそうしたきらいがあると思います。大岡氏のこの作品ですが、そうした傾向にさからって、あえて刻み付けた作品です。1949年という時点にたって、この自分の戦争体験について直視した作品です。真剣に真正面から自分と戦争とに向き合ったのが、この作品なんだとおもいます。こうした作品は、ある時の、ある瞬間にしか、決定的な時にしか書けない作品だと思います。私は大岡氏のほかの作品は読めてませんから、軽軽に断定的なことは言う資格がないのですが、それでもそう感じます。こうした作品が残されたことは貴重ですね。憲法の平和主義ですが、その基盤にはこうした国民の大きな体験が礎になっているということなんですね。これらは、私などの生まれた時から、たったその5‐6年前に日本社会が体験したことなんですから。誰も悲惨なことを、あえて子供に語ろうなんてしません。子どもが求めていたらまた別だったでしょうが。まだ思い起こせば、その痕跡が、ありうるはずなんですね。私などは、遅まきながらではありますが、いそぎ、もっともっと歴史認識の空白を埋めなければならないと思っています。それが、現在のトンチンカンな政治の逆流を、指導者のお粗末さを、国民的に正すための力になると思っています。
2017年01月10日
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『戦後精神の探究』(梯明秀著)を読むこれだけ憲法を蹂躙している安倍内閣ですが、国民の支持率が高いというんですね。マスコミが問題を批判せず、公報の役割しかしない点も大きな原因ですが、戦後70年の歴史にも、その要因があると思います。戦後史を学びかえしてみることが、一つの課題になっていました。今回、梯(かけはし)明秀著『戦後精神の探究』(勁草書房 1975年10月刊)を読みました。この本は、これをプレゼントしてくれた人が、昨年亡くなり、議論の機会を失いました。すこし遅いんですが、とにかく目をとおしてみた次第です。梯明秀(1902年-1996年)氏は、哲学者で、戦前は『唯物論研究会』で活躍したとのこと。戦前のマルクス主義哲学を探究したものは、治安維持法で弾圧され『転向』をしいられた。この書の中身ですが、第一部の1、2、3章は、終戦後の昭和24年に刊行されたものです。サブタイトルが「告白の書」とありますが、第2章は自信喪失と虚脱の状態、第3章はそれをふりかえることで、復調の兆しをつかむまで。第二部は、戦前に執筆した哲学論文集です。第三部は、1975年に復刊するにあたって、旧版の「戦後精神」を、あらためてふりかえったものです。昭和10年代の日本国家が、マルクス主義をというよりも、民主主義を、犯罪として追及する前近代国家だったこと。戦後、民主主義がうたわれるようになっても、思想弾圧の後遺症は、直ぐには回復できなかった。この書は、その戦後の精神的傷跡を生々しく刻んだ書なんですね。もちろん今は、戦後の民主的改革の結果は、国民の常識になっていますが。その転換の根本的意義をつかむ国民意識が弱いんですね。政治家が勝手なこと平然としているのも、国民の意識と対応にも問題があります。どのような犠牲の上に、今日の民主主義的制度がつくられたか。その社会変化は、何か自然に、季節が変わるように、社会が変わったかのように。すべては自然にまかせて自動的に変わったかのようにうけとめるきらいがあります。それは私なども、戦後社会に生まれたものとしてそうなんですが。それが、安倍内閣の戦前への逆行しようとする政治にたいして、平和憲法の下で自衛隊を海外の内戦国に派遣する、こうした事態への国民の対応なんですが。さすがに、というより、2015年は有史以来初めて国民の底からの声がはたらいたんですが。しかし、まだまだ、弱いんです。歴史的な弱さがあるんです。その後の事態を見ても、反応の鈍感さ、あまさがあるとおもうんですね。もちろん、変化はしてきていると思うんですが。今の日本の位置というのは、あらためて戦争国家からの転換した歴史を、民主主義憲法の確立した意義を、近代の日本の歴史の中で、具体的にいろいろな側面をつかみかえすことが求められていると思うんです。私などが、この間、あれこれ読んだりしてきたことの基本は、そこに問題があるんですが。そして今回は、また一つ加えました。梯明秀著『戦後精神の探究』ですが、戦前からのマルクス主義の哲学者が、戦中の治安維持法の国家により強いられた苦難、それによる後遺症とそこからの立ち直りを、リアルに刻んだ本でした。これは、現在というものが、どの様な先人の犠牲と苦労の上にあるのか、かけがえのないものであるのか、そうした認識を加えてくれる本でもありました。
2017年01月09日
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平野貞夫著『野党協力の深層』を読む平野貞夫氏は、小沢一郎氏と行動を共にしてきた人とのこと。その人が、2016年12月25日に『野党協力の深層』(詩想社新書 星雲社)を出版しました。この本の基調は、安倍自公政権がすすめている政治を、政権交代させること、そのため野党協力を促進させようというものですが、注目されるのは、長年、国会に係わって来た同氏の立場から見た政界の現状と流れです。本の帯のタイトルには「共産党の大転換」とありますが、この本の全体が、戦後共産党は「いかに大転換に至ったか」との視点です。共産党の変化という点を、平野氏の目から見てまとめたものです。当事者というのは、自分自身の変化や周囲の変化をつかむことが難しい面がありますが、この著作は、共産党の変化と、取り巻く政治・社会の変化していることを指摘しています。これまで水と油のように対立してきた政党であり人だったんですが、現状の、安倍自公政権がすすめる政治をかえるためには、野党協力をすすめて政権交代をはかること。この点で、共同できる面が広がっていることを指摘しています。この本自体が、対抗する野党の政党状況、社会状況が変わってきたことの現れだと思います。そうした変化を、よくつかむことが大事だと思います。この本を知ったのは、1月5日付「しんぶん赤旗」の潮流でした。そこで、この本を知ったのですが。まぁ、一般のメディアなどでは、絶対に紹介などしてくれるはずのない著作です。少なくとも、それぞれの野党共闘をすすめようとしている人たちの考えを知ることも大切です。共通点が、今どこにあるかをしっかり確かめておくことも、野党共闘を強めて、政権交代を実現するために、大切なことだと思います。
2017年01月08日
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みかん栽培の締めくくりマシン油散布1月7日(土)は、みかん栽培の締めくくり、マシン油散布でした。本来なら、昨年末のうちに済ませておくべき作業で、一年の締めくくり作業なんですが、年を越してしまいました。みかんの木ですが、いかに背丈が高いかが分かるかと思います。通常農家は、管理しやすいように、もっとコンパクトに抑えてあるんですが。そこが、にわか農夫の剪定術の心得の無さを示していますが、7段の脚立を使わざるを得なくなっています。マシン油ですが、これは農薬とはいえ、比較的に人体に無害な薬剤です。この時期に散布することで、カイガラムシなどの越冬害虫を駆除しています。果皮の表面にでるスス病の発生を抑えるために散布しています。これは散布したあとですが、葉の表面がテカテカ輝いているのが分かるでしょうか。表面をコートすることで、越冬害虫を窒息させているんです。マシン油散布は、真鶴園では、午前7時15分から11時30分まで、7リットル×6の計42リットルを散布してきました。ついで、早川園に移動して、同じくマシン油散布、こちらは、12リットルの散布をしてきました。今朝は、途中の厚木・中津川の橋げたは、マイナス1度でした。冷え込みが厳しくなると、この散布は抵当でありません。また、明日午後からは雨マークが予報されてますから、散布のタイミングとしては、本日のうちに済ませておくのが、適当だったわけです。このマシン油散布は、一年の締めくくりであるとともに、新たな年のはじまり、みかん栽培の最初の一歩です。当面ですが、この間の、みかんの選果により、残ったみかんについて、販売とジュース加工の作業、ようするにあと片づけがあります。それと、早川園にはネーブルと伊予柑がとれるんですが、これを、1月末に開かれる朝市に出荷を予定しています。これはその伊予柑です。しかし、何分人間の方がくたびれています。なにしろこの二カ月、東京―真鶴・早川間を、休みなく19回も収穫往復してきましたから、身体の方がガチガチにかたまってます。ひとまず、休養をとりつつ、適当なペースで、あと片付けをするようにして、同時に、次なる柑橘の出荷のための準備をすすめます。
2017年01月07日
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宮本百合子のゴーリキイ論を読んでいますこの間に、ゴーリキーの「幼年時代」と「私の大学」を読んだのですが。ロシア社会というものが、ぐっと身近かになりました。〈やはり革命前のロシアは、日本社会と類似してたものがある〉というのが一番の感想です。『幼年時代』は、彼の4歳から8歳くらいの頃のことですよ。それを44歳に書いているわけです。自伝が基本ですが、彼自身と家族、その社会状況を描いてます。まあ、なんとも、とりまく社会関係をよく描いたものです。ロシアの社会が見えてきます。宮本百合子が、ゴーリキーとその作品について書いてます。「宮本百合子全集」第10巻なんですが。ゴーリキーに関しては、少なくとも6つが書かれています。1、「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」(1933年10月)2、「逝けるマクシム・ゴーリキイ」(1936年8月)3、「私の会ったゴーリキイ」(1936年8月)4、「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」(1936年8月)5、「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」(1936年8月)6、「マクシム・ゴーリキイの伝記-幼年時代・少年時代・青年時代」(未完)これらを百合子が書いたのは、戦前の1933年、1936年なんです。今、それらを読んでいるんですが、あの戦前の時代に百合子は、よくぞゴーリキーについて、コンパクトに、その魅力について紹介したものです。ゴーリキーとその作品は、戦前にあっても、それだけ紹介する意義があったからでしょうし、また、その紹介する百合子も、あの時代にあって、なかなか勇気と理性がひかっています。それらは現代的なんですね。本当の「国際的な連帯」というのは、口先三寸でぺらぺらしやべり散らすことではなくて、こうして真実を語ることで、時代や社会を越えた共感を抱かせる力をもつんでしょうね。
2017年01月05日
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梅の花が咲き始めました1月4日、まだ三が日が過ぎたばかりだというのに、神奈川県真鶴町のみかん園ですが、梅が早くも咲き始めてました。関東は、今年の年末年始は、暖かく晴れた日が続いていますが、この陽気にさそわれて、梅の花が開花を始めています。梅の木は、どんどん伸びていきますから、「梅を切らないばか」ともいわれて、剪定をしないと、高くなり過ぎて実が採りにくくなります。「万花に先駆けて咲く梅の花」、草花がようやく芽を出そうとしているころ、まだ花の少なく寒い時期に、梅はいち早く花を咲かせて楽しませてくれます。メジロが来てました。チョコチョコと、枝から枝へ飛び回って、写真には収まってくれないのですが。『万葉集』には、梅を歌った歌がたくさん載っています。巻第五には「梅のうた32首と序」があります。天平2年(730年)正月13日に、九州の大宰府ですが、大伴旅人の家に集まって、梅の花見の宴をひらいたそうです。序に、その様子まて紹介されてます。その時に読まれた一首です。 春さればまづ咲く宿の梅の花 ひとり見つつや春日暮らさむ (818 山上憶良)むかしの人は、現代人より自然に敏感で、ささやかなことでも暮らしを楽しんでますね。
2017年01月04日
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ロシア国民の実際側面を描いた ゴーリキーの『幼年時代』(1913年)を読む 昨年12月15日、ロシアのプーチン大統領が来日しましたが、領土併合の異常を正して真の友好関係をつくるという根本問題が問われました。 当方は、最初の日露和親条約(1855年)が結ばれた具体的状況が、伊豆半島の戸田造船資料博物館にあることを紹介しました。真の友好の基礎をそこに見ました。 同時にもう一つ、友好の基礎となる宝があります。 今回のマクシム・ゴーリキーの『幼年時代』を読んだんですが、ロシア国民の現実に対する理解、それとの関連で、政治の歪みをとらえるとの問題です。 この作品には、ロシア国民の生活の実際面が描かれていました。これを読むと、プーチン大統領を見ていただけでは分らないロシアの現実関係が見えてきくると思います。 マクシム・ゴーリキー(1868‐1936年、68歳死去)の『幼年時代』は、彼が1913年の45歳の時の作品です。 今日、私たちは、この作品を手近かに見れる機会は少ないと思うんです。私などは、最寄りの市の図書館でみつけました。河出書房版「世界文学全集24」(湯浅芳子訳 昭和31年刊)ですが。これが私などの正月休み期間中に読もうと借りていた一冊なんですが。 この内容は、1872年のゴーリキーが4歳の時に父が亡くなったころからの、幼少期の家族の様子を描いたものですが、45歳のゴーリキーが、回想とともにロシア社会の様子を、当時の庶民生活の状況を描いたものなんです。それは、13節・119ページにわたってリアルに書いています。 もちろん実際のロシア国民の生活を、この作品だけで現代まで普遍化することは出来ませんが、しかし生活の実際の側面が見えてくるとおもいますよ。そこに世界的な文豪の力があります。 これまで私などは、ゴーリキーのこの作品についての、具体的な論評を目にしたことは無かったのですが。 それで調べてみたんですが、宮本百合子が書いてました。 1、「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」(1933年10月) 2、「逝けるマクシム・ゴーリキイ」(1936年8月) 3、「私の会ったゴーリキイ」(1936年8月) 4、「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」(1936年8月) 5、「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」(1936年8月) 6、「マクシム・ゴーリキイの伝記-幼年時代・少年時代・青年時代」(未完) 以上「宮本百合子全集」第10巻) 同時代人として、直接にインタビューまでしていたんですね。 この作品を、宮本百合子がどのように評価しているか、まだ読めてませんが、これもまた注目される所です。 今回は、作品を知るための輪郭の紹介だけでしたが、国民的な苦難というのは、日本もロシアも共通するものがあると思いますよ。是非ご一読をお勧めします
2017年01月03日
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私の読書法について私は文学・小説の世界については疎かったんですが、職場を退職して自由になる時間ができたことと、近くに市の図書館があったおかげで、身近になりました。その棚には、万巻の書が並んでいます。その多士済々の宇宙的世界に、どうやって接近していけるのか。私なりの勝手な、一つの見方、方法なんですが。梓林太郎著『回想・松本清張 霧の中の巨人』(祥伝社)を読んで感じていたんですが。作家は、人それぞれテーマの取材をする方法をもっていると思いますが。有名な作家ともなると、出版社に追われて、5本も6本も同時並行で執筆している。この本は、松本清張に関して、その様子がある程度伝わってきます。名だたる人というのは、責任をもって、それだけの内容をつくっているんですね。しかし、多く人は、1つの注目作品を世に出した後、出版界に追われる身になっても、ネタがない。中身の無い、名前だけの本も多々ありうるということです。とにかく出し続けなければ、その世界で生きてけませんから。中身のある作品かどうかを判別できる力が、読む方の側に求められていることです。「あの人の作品をほとんど全部読んだ」という人もいます。たしかに、それはすばらしいし、それも一つの方法なんでしょうが、執筆者のなかには、いいかげんな自転車操業の作品もあるということです。おまけに、世界には大勢の文学者がいるわけですから、とてもそれを広い人たちには出来ない、自ずから読む時間も限られてますから。では、どうするか。私などが試みとしてやっている方法なんですが。1、自分自身の問題意識を大切にして、広大な文学世界に接すること。好奇心のおもむくがままにといった漂流は、続きません。2、社会的な定評は尊重しつつも、丸呑みせず、自分の評価を大切にすること。著名な作品は広く尊重しますが、必ずしも真に受けしません。3、読むのは一点突破でせざるを得ませんが、広がりと、流れも見ておくこと。読みっぱなしというのは、もったいないと思います。4、その作家自身が書いた「半生の記」が、入口や問題を示唆してくれていること。作者自身の自己評価は、正直な人の場合、一番のヒントを与えてくれます。私などが、文学の大海を読む時間は限られてますし、対象はどんどん広がってますから、この広大な広がりの進行と、ごく限られた一点の力、このギャップをどうするか。やはり、主体的能動的に読めるようになれば、もっともっと世界も広がり、自分の選択力も吸収力も、アップすると思っているのですが。まぁ、大海をすすむ一艘の小舟なんですね。12月29日、夜明直前の、根府川からの景色です。
2017年01月02日
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「一夜明くれば、豊かなる春とぞなりける」 井原西鶴『世間胸算用』の最初の話からです 私は昨年3月末に介護用具の貸与会社を完全退職し、年金みかん農夫となりました。 第一に、今季も12月はみかん仕事であけくれました、その結果です。 この10年余、毎年12月は、みかん収穫で体力の限界に挑戦しています。 今季は11月4日の初収穫に始まって、12月30日の残払いまで、東京-真鶴・早川間を19回往復してきました。 1、今年のみかんの収穫ですが、(真鶴園には、成木が14本あります) 早生 普通温州 早川「だんだん園」 計 2014年 4コンテナ41.5c 8c 53.5c 2015年 19 68 20 107c 2016年 3.5 38 8(市民みかん園)+6 55.5c(1,110キロ) (コンテナは収穫したみかんを入れる容器で、1コンテナには約20キロ入ります) 今年は裏年で、去年との収穫量の違いは、おもには隔年結果によるものです。 2、昨年からは、早川「だんだん園」の市民みかん園からの出荷がくわわりました。 これまで、真鶴みかんだけでは、隔年結果による起伏が大きすぎて、年によっては「ない袖はふれない」なんて勝手な迷惑をかけてきましたが。今回からは、市民みかん園の栽培も加わって、安定した出荷が出来るかと思います。「早川・真鶴みかん」の誕生です。 3、さらに多摩市の団地で新たな活動です。昨年12月から、団地の商店街で、新たに「野菜の朝市」が始まりました。 これまでの消費者が第一なんですが、その販路をあふれたみかんについて新たな販路が開けそうです。だいたい、自然の生産は予想が難しいのです。その中で、生産ともに販売の両にらみするのは、生産者にとって荷が重いんです。一般の農家は、販売を農協が引き受けてくれているから、それによって生産に力を注げるわけです。 これにより当方としては、販路への心配をへらして、その分みかんづくりに集中できそうです。以上は、みかん農夫の新展開です。 さて第二は、みかん農夫といっても、現代に生きる人間ですから、その存在を探ってます。 今の憲法の下で、どう考えても戦争法などできないはずのことが、おしすすめられている。こうした動きをみとめるわけにはいきません。海外に軍隊を送って戦争するなどということは、先の敗戦の国民体験からして、その痛切な反省を蹴飛ばすようなものです。 農業にとっても、国民生活をも無茶苦茶にしてしまうこうした政治を転換せること。これに、どんなに微力であっても、どのように合力するかが問われています。 これとも関連して、昨年末にエンゲルスの「フランスにおける階級闘争」序文(1895年)を読んで、それをブログに紹介しました。 これは、エンゲルスの晩年の論文ですが、ここで彼は『共産党宣言』について、基本思想(唯物史観)に正しさを確認しつつも、本質的な点で訂正をしているんですね。社会変革の条件に付いてですが。そこから現代に通じる革命観の変化を解明しているんですね。ガンの病床にあった身としては、ギリギリの努力だったでしょう。 この序文に関連した叙述を探したところ、10数年前の出版ですが、不破哲三氏が『新・日本共産党綱領を読む』(新日本出版社 2004年2月刊)をだしていました。この序文の思想が「多数者革命」ということで、今日の日本社会の発展にも重なるものがあると、日本の綱領の基本的な思想だと、その点に光をあてていたんですね。 一方、レーニンのロシア革命ですが、これは基本的にはロシアの専制国家の下での社会発展をめざした革命でした。専制国家の下での革命、いわば、戦前の安維持法下での社会変革の事業に似たような状況です。日本とロシア、国民の苦難は似ていた。レーニンの認識の場合は、「誤り」というよりも、大きくは彼が直面した歴史社会による制約条件だったんですね。社会一般には、レーニンの全体を否定しする風潮があるんですが、それは問題なんですね。 他方、今日の日本の場合ですが、エンゲルスの提起を正面から吟味すべき条件にあります。 日本は敗戦の結果、国内外の先人の努力により、民主的政治体制をつくりだしたんですね。それによって、新たに問題を直視できるようになったということです。 このことの意義はおおきい。私たちは、今日の歴史的条件をしっかり認識して、現代を生きていける状況がある。これは幸いなことですね、歴史は無駄には過ぎてこなかったということです。 このエンゲルスの『フランスにおける階級闘争』序文ですが、私たちの生き方に、そうした根本的な示唆を与えてくれています。 不破さんの著書からすると、すでに10数年前には、その正面からの探究が始まりだしているということです。あまりそれは、社会生活ではさほど話題になっていないように思うのですが、私の取り違えでしょうか。これは、大きなすばらしいプレゼントですよ。 ということで、この「みかんの栽培-四季の変化」ですが、さらに今年も続きます。東京と真鶴・早川の80キロを往復しながら、みかん農夫と学習人との「二足の草鞋」です。今年も、どうぞよろしくお願いします。
2017年01月01日
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