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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習27こんな言葉があります。「マルクスは、ヘーゲルの論理学から、この領域におけるヘーゲルの真の諸発見をふくむ核心を取りだし、弁証法的方法からその観念論的な外皮を剥ぎ取って、それを思想展開の唯一の正しい形式となりうるような簡明な形につくりあげるという仕事を引き受けることのできた唯一の人であったし、今でもそうである」これは、1859年にエンゲルスが「カール・マルクス『経済学批判』」の書評(『全集』第13巻)で述べたことです。今、私などは、うっそうとした森のなかを、あれこれうろうろしてますが、そこで問題となっている核心というのはこれです。一、これまでの要約ヘーゲルの弁証法ですが、『内容の魂として運動していく。それは一方では、みずから自分に対して他であるものとなり、他者に内在する内容となる。他方では、この展開された自分の現存在を自分のうちへとりもどす」こうした運動であると説明しています。(『精神現象学』「序論」)この「この展開された自分の現存在を自分のうちへとりもどす」ことが、「絶対知」の冒頭ですが、この対象性のはく奪というのはどの様な契機なのか、これが詳しく展開されてます。マルクスのこの「ヘーゲル弁証法の批判」は、この箇所を検討することでおこなわれています。はじめにアドバイスとして、要約的にヘーゲル弁証法の成果と問題点を指摘していました。そのあとで、それを参考にして、ヘーゲルのうっそうとした森のなかを探っているわけです。前回、第26回から「ヘーゲル弁証法の疎外の内部での肯定的契機」を探っています。『経済学哲学手稿』の『ME全集』(真下訳)ではP506第49文節、国民文庫版(藤野訳)ではP231第57文節からでしたが。(ここでは国民文庫版のページと文節で、問題の個所の特定することにします)P231 第57文節 (a)ヘーゲルは外化(対象化)したものをわがものとするという。それは人間がつくりだした対象的な本質を、それは疎外されたものとしてあるわけですが、それを自分自身のうちに獲得するということ、そのことの洞察だと。それは、神に対する無神論、私有財産に対する共産主義が、人間回復(ヒューマニズム)としてもつ関係と同様だと。そのことは、元の状態に後戻りすることではないし、空想的な世界にはしるといったことではない。ヘーゲルはあくまでも労働として人間が自己産出していくものとしてとらえていると。二、疎外のなかの肯定的契機(b)つづきです。マルクスによって、ヘーゲルの展開を追跡します。P233 第60文節 ヘーゲルは転倒しているけれど、転倒しているがゆえに積極的成果もある。(b)第一に、ヘーゲルは人間の産出行為を、形式的な抽象的な一般的行為としてとらえているんだけれど。それは、人間を抽象的な思惟するものとして、自己意識としてとらえているからだけれど。第61文節 第二に、このとらえ方の形式的で抽象的な為に、外化の廃棄(止揚)は外化の承認になる。どういうことか。ヘーゲルは自己外化、すなわち自己疎外としての自己産出の運動は、絶対的な究極的なおのれ自身を目的として、そこに落ち着いてくる、自己の本質に到達することだと。そのようにして人間の生を明らかにすることなんだと。第62文節 この外化と、外化により疎外された対象性の克服の運動、これがヘーゲルの弁証法においては真実の人間の生(創造)とみなされる。その生というのは一つの抽象であって、人間的生活が疎外されたものである。(どういうことか)このとりもどしの過程は神のような過程であり、人間をとおして神的なものがあらわれてくる過程だ、といっている。(どういうことか)ここには人間の現存在とは区別された抽象的で純粋な、絶対的な本質といったものがある。それが人間をとおして、経過していくそうした過程なんだと。それがヘーゲルは弁証法の過程なんだとは見ていると、マルクスは指摘しているとおもいます。(人間とは区別された純粋の絶対的本質があって、それが人間をとおして運動していく過程なんだと)運動の主体はなにか、どこにあるのか、P234 第63文節 第三に、この過程は一つの担い手、主体を持っていなければならない。ヘーゲルは、その主体は成果としてはじめてでてくることを洞察しています。「この成果、すなわち、おのれを絶対的な自己意識として知るような主体は、したがって神、絶対精神、おのれを知りつつおのれを示すところの理念である」-これはヘーゲルの認識です。「現実の人間と現実の自然とはたんに、この隠れた非現実的な人間とこの非現実的な自然との述語、象徴になる。したがって、主語と述語とは双方の絶対的な転倒の関係をもっている」-これがその関係に対するマルクスの批判です。ここには、二人の基本的な見方が、端的に見てとれると思います。一方は、人間を越えた絶対的精神といったものが出来てきて、存在する。人間もそれによって司られている。人間は絶対的精神の理念のあらわれだと。他方は、現実の人間や自然が主体であり、理念というのはそれから抽象されてくるものだ。これはたんに人間・自然と精神の根源性の問題だけではなくて、弁証法の運動における問題ですね。三、余論、この問題の参考文献この問題を取りあげている著作ですが。①エンゲルス「カール・マルクス『経済学批判』」の書評(1859年) ME全集第13巻冒頭に紹介しました。不破哲三さんが『エンゲルスと「資本論」』(上) (新日本出版社 P128)で紹介しています。②『反デューリング論』(1878年)、『空想から科学へ』ヘーゲルの弁証法は逆立していることが展開されてます。これは『ME往復書簡集』をみると、エンゲルスはマルクスと緊密に相談してだしていることがわかります。哲学部分についてはマルクスの見識を生かした共同作品ですね。③『フォイエルバッハ論』(1886年)これは1883年にマルクスが死去して、エンゲルスがその遺稿集のなかから『経済学哲学手稿』をみつけて、独自にさらに検討して、まとめ上げたものですね。エンゲルスは、青年のブロッホにアドバイスの手紙を送っています。「(②と③について)、このなかで私は、私の知るかぎりで現存の最も詳細な史的唯物論の説明をしておきました」と。(1890年9月21日付 全集37巻)今回は以上です。次回は第64文節からですが、あと残りは11文節でもうすこしです。
2024年09月30日
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みかん園の10月は、収穫のはじまり自然とは大したものです。この暑さが、いつまで続くのかと思っていたんですが。この一週間ですが、朝晩が涼しくなってきて、ようやく秋の季節を感じるようになりました。季節の変わり目です。いよいよ、みかんの収穫の始まりの月ですといっても「はじめチョロチョロ」でして、はじめは、ゆっくりと、慎重なうえにも慎重に収穫ははじめだします。早もぎすることは、厳禁なんです。せっかくここまで育てたんですから、熟したおいしいみかんを提供するということです。当方のみかん園は、少しの早生みかんと、大津、青島、そして甘夏が主体ですから、まだ早い。今の主要な作業は、雑草とつる草の草刈りです園主さんからのアドバイスです。みかん園の雑草は、『今は草刈をして、3-4月の若草の時に除草剤ようやくでおさえる』その時をはずすと、一年中を草刈りに追われるようになり、畑の管理が出来なくなる、と。『この間のあんたのように、草刈りだけでヘトヘトになっちゃう』と。その通りなんです。まだはぎ取らなければならないクズやヤブカラシが沢山あるんです。センダングサもあちこちで、人の背丈を越えて伸びているんですから。みかんの収穫が本格化する前に、何とかひと回り、草刈りしておきたいと思ってます。私はそれまでは、草刈り機だけで、除草剤は使わないようにしてきていたんです。しかし、園主さんから『これだけの広い畑を、ひとり草刈り機だけで抑えようとしても無理だ』とのアドバイスがありました。去年の2023年9月12日に「神奈川県・農業技術センター足柄地区事務所、根府川分室」を訪ねて、除草剤の使用と安全性について、指導員の方からのお話を聞いてみました。それ以来、草刈り機と除草剤散布を組み合わせて、雑草への対処を始めている次第です。みかんの収穫ですが収穫カレンダー(案内書)によると1、香酸柑橘は、すでに始まりだしています。 スダチ・カボスは、9月から10月中旬 ユズは、9月から1月上旬 レモンは、10月上旬から5月下旬2、早生みかんは10月です。 ゆら早生(極早生)は、10月上旬から10月下旬 宮川・興津早生は、10月下旬から11月上旬3、主要な品種は、その先です。 温州みかんの大津は、12月上旬から12月下旬 青島は、12月中旬から1月上旬、です。4、さらにその先に、 2月のネーブル 3月中旬の湘南ゴールド 3月下旬の清見 4月下旬から5月の甘夏こうした時期に、それぞれの柑橘が収穫されます。ようするに、10月から5月までは、さまざまな柑橘類の収穫と出荷があって、それが、8カ月間にわたって続いていくというわけです。しかし、これにも、二つの条件があります一つは、カレンダーは、あくまでも全国的な一般論のことです。当方の産地は、神奈川県の小田原方面です。みかんの産地としては、北限に位置してますから、南の九州や四国などの産地より、気候条件によって、みかんの成熟が遅い。それを自分の舌でその味を確かめてから、熟した時に、熟したものを収穫していきますから、そこには時間差があるわけです。もう一つは、これだけ多彩な品目ですが、自分自身で栽培しているものは、確かなんですが、しかし、それには「表年」「裏年」による、その年の収穫量が関係してきます。さらに、自園以外の、近隣の農家の方がつくっているものは、それぞれの都合があります。私が販売している価格よりも、もっと高価に買ってくれる先があれば、買い手があれば、当然のことですが、そちらの方に流れます。ネーブルや清見オレンジは、そうした事情で変わりうるんですね。私の方は、流通からあふれたものを、販売に協力しているわけです。しかし、もしも提供されると、農家のみかんは大量です。それを、限られた時間で販売することが求められますから、こうして、一般的に、予告をしている次第です。とにかく、電車は動き出しました柑橘の収穫ははじまりだしました。はじめは、ゆっくりとした速度の各駅停車ですが、やがてそれは急行から、さらに超特急となります。猫の手もかりたくなるような事態となりますが、まぁそれは、まだ先のことです。今は、今やるべきことに、力を尽くすということです。
2024年09月28日
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新潟・下越地域(村上市)の旅新潟・下越地域(山形県境)を、9月24日-26日に旅してきました。これは新潟在住の方が準備してくれたもので、得難い貴重な旅でした。新潟は、言わずと知れた米どころ、いまは、まさにお米の収穫期です。陽にあたると黄金色に輝いて、重く垂れ下がった稲穂を、コンバインがあちこちでさかんに収穫していました。一、この旅で、江戸時代の3つの身分の家を見ました日本の江戸時代の歴史文化が、今に生きて残っているのを感じさせられました。今回の旅で、江戸時代の3軒の住宅を訪ねました。 ①村上藩の城下の商家、②隣の関川村の豪商の館、③中級藩士の家、です。1、村上藩の城下の商家の家々新潟県村上市では、今、「第24回城下町村上の町屋の屏風まつり」を開催しています。9月15日から10月15日まで、ですが。城下の町屋にある屏風を、その家のなかで見せてくれてます。案内図によると52軒があり、それぞれ無料で見させてくれています。私たちが見させてもらった町屋の屏風ですが、25番 きつかわ-鮭がずらりとつる下がってましたが、サケの加工場のお店です。17番 木戸畳工業-お城の畳もここでつくっていたとのこと。11番 九重園-京都の宇治茶にも学んで、江戸時代から村上茶をつくっているお店です。8番 推朱のふじい-木の下地に彫刻し、漆を塗って生活財をつくっている。これって、おのおのが職人なんです。それが町屋にそれぞれ店を構えていて、それぞれが自慢の大きな屏風をもっている。この屏風まつりの時には、家と屏風を一般に無料で見学させてくれるんです。おまけに、それぞれの商家の家主さんによる家業と屏風についての歴史の解説つきです。これには多少とも経済学を学んだ一行ですから、それぞれの家主さんから生業の状況について、得がたい具体的な歴史を引き出してました。2、隣の関川村の豪商の館次はお隣の関川村の豪農・渡邊家の住まいです。山里にあるんですが、それは越後米沢街道に面した3,000坪の敷地です。もともと村上藩で郡奉行をしていたけど、藩主が姫路に国替えの時に息子に家督を譲って隠居し、1667年にこの地に住むようになった。二代目は廻船業を営むようになり、酒造りまでも始めたとのこと。三代目は米沢藩に、1726年に融資し幕末までに10万両以上を用立てた、と案内パンフにあります。3,000坪の敷地ですが、この家には、最盛期には75人の使用人がはたらいていたという。1000町歩(ha)の山林と、700町歩(ha)の水田からは、約10,000俵の小作米を集めていたという。庭園も立派だし、米蔵がいくつもあったそうで、大きな味噌蔵をみさせてもらいました。これは、武士と商人が一体となった姿ですね。「豪農」、有力な農家といっても、3代目の経済力は、幕末の伊豆の江川太郎左衛門以上の力をもつような存在になっていたということですね。3、村上藩の中級藩士の家3軒目は村上藩の中級藩士の若林家の家です。若林氏は村上藩の分限帳では、17人くらいの家臣を束ねる物頭役で150石とり、藩士としては中級上位だったとのこと。庭の広さのわりに、その家はかなり質素で小さなものだったので、これが組頭の人の家かと感じた。「封建制度でチャントものを重箱のなかに詰めたように秩序だっていて、何百年たっても、ちょいとも動かぬ有様、家老の家に生まれたものは家老になり、足軽の家に生まれたものは足軽になる。先祖代々、家老は家老、足軽は足軽、この間に挟まっているものもは同様に、何年たったも変化はない。」これは、福沢諭吉の『福翁自伝』の一節です。(日本の名著 中央公論 P238)この3軒の住宅を見ると、江戸時代というのは、厳しい身分制度とその秩序維持が厳しくはかられていたこと、それにもかかわらず、経済の発展が、あらたな独自的なものをつくりだしつつあることを感じさせてくれます。それは、江戸の街並みでは、スクラップ・アンド・ビルドで次々に消えていく。それが東京では一般的なんですが、しかし、新潟県村上市では違っていた。たしかに街並み、町屋の基本が、しっかり区割りに残されていました。しかしそれだけじゃないんです。今回の「屏風まつり」で質疑できたことですが、その家主さんたちが、それぞれの屏風とともに、暮らしの様について、話を弾ませて生きた解説をしてくれたんです。これは、町屋に住んでいた職人さんたちの気持ちが、今に生きている人による紹介でして、その質疑で語られたことは、日本の歴史の具体的な証言だったんですね。これは私などは、今の金儲けの日本の歴史において、歴史に抗いつつ、ながされ消えゆく社会文化ですが、それを少なくとも今は祭りとして、日本国民に伝えてくれている貴重な証言だと感じました。いったい誰が、この歴史文化を未来に生かしてゆくんでしようか。二、江戸時代に鮭の増殖に成功していた今回の旅のおどろきの第二弾ですが、江戸時代に鮭の繁殖を村上藩が取り組んでいたということです。今日、乱獲から魚の保護が、クジラにしてもマグロにしても国際的に協定議論が交わされています。今回の旅で「イヨボヤ会館」を訪ねました。イヨボヤは、この村上地方の方言だそうで、「鮭」(サケ)のことだそうです。青砥武平治(あおとぶへいじ 1713-1788)、江戸時代中期の村上藩藩士です。彼が、サケが生まれた川に帰って来る習性を生かして、産卵を保護して、稚魚を放流することを提言したんだそうです。武士がその知識により、村上藩に進言したんだそうです。放流した鮭は3年たつと、元の生まれた川に帰ってくる。とるためにはその保護が必要だと、これはすごいですね。それに対して、村上藩の対応もすごい。その提案を採用してサケの種川をつくり、環境保護をしたというんです。これもまたすごいですね。それが成功して、藩財政にとっては、コメともに鮭の増収が柱の一つになっていたというんです。「新巻鮭」、サケを正月に食べるという習慣が、日本社会にはあるじゃないですか。 江戸時代に、乱獲ではなくて、増殖することを、藩の事業としてすすめて成功したというんですね。「イヨボヤ会館」ですが、それを鮭の博物館として、その自然保護の経験を今に紹介してくれています。私などは、これをはじめて知ったのですが。今に生かせないでしょうかね。三、日本海の穏やかさと、冬の厳しさ今回の旅は、能登半島豪雨の直後でした。中止にすべきか幹事さんも迷ったと思います。結果的にはさいわいでした。この旅では日本海は穏やかだったんです。湖のように静かだったんで、宿の方に聞いたんです。「大丈夫でしたか?」と。すると、『雨は昨日まで降っていた。だから幸いだった。日本海は、夏場は比較的に穏やかなんだれど、冬場はきびしい』とのことでした。これも知りませんでした。当方は、相模湾ですが、太平洋にそってますから、波打ち際にはつねに寄せる波ひく波がある。今回ほどの静かな海というのは、まるで波打ち際が湖のようで、こうした海は知らなかったんです。イルカも、時々ジャンプして、右に左にと泳いでいました。イカを追いかけているんだそうです。北前船ですが、輸送の動脈の千石船ですが、それが日本海を基本航路としていたことが、コメの搬送が中心だったでしょうが、日本海航路を基軸としていたことが、納得でした。四、同窓生の交歓今回の旅でも、夜遅くまで交歓がありました。もう歳ですから、翌日もありますから、以前のように夜中まで議論するようなことはないんですが。各人が、この一年経験してきたこと、直面している問題、今頑張っていることなど、語り合えば、話のネタは尽きないんですが。それに、立憲の代表選挙での野田氏の当選、自民党の9名の総裁選挙もおこなわれているし、それと、日々の暮らしの関わりもありますから。しかし、問題は「傘がない」、次回の同窓会をどうするか、井上揚水じゃないけど、この議論だけでヘトヘトとなりました。とにかく、無事に、貴重で楽しかった新潟の旅を終了しました。
2024年09月27日
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知人の訃報本日、9月22日の夕刻、Nさんの訃報をききました。9月18日に亡くなられたとのことです。この写真は、数年前に愛夫を亡くした時のもの。その後は、諸般、より真剣な生きざまで、それまでよりも、むしろ元気なくらいでした。高齢からの不自由にもかかわらず、政治のこと、地域の歩道橋の安全整備、聴こえ補聴器問題、マイナ保険証問題、等々、地域から、さまざまな要求と意見の声をあげてくれていました。いつも自宅には、図書館から何冊も本を借りてきていて、そのメモをつくっては、その感想をみんなに語っておられました。『日本のさきの戦争は、まだ終わってない。戦後の平和・民主の日本は、いったいどこへ行っちゃうの!さいきんの事態をみていると、心配で心配で、いてもたってもいられない』まわりが心配するくらい、ますます情熱的に、生きておられました。この9月の市議会では、当人も提起されていた問題が、取り上げられたんです。『ぜひ、聞きたいことがある』ともいってました。その報告会が9月21日にあったんですが、その場に当の声をあげた当人があらわれなかった。みんな、『あれっ?』だったんですが。翌日の22日でした。ひとり息子さんから連絡をいただきました。当人が、天に住む愛夫の、彼方へ行っちゃったと。合掌。
2024年09月23日
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八王子・鹿島の「くらしと政治」懇談会東京・八王子はの鹿島地域で、9月21日(土)に「くらしと政治」懇談会が開かれました。これは去年・2023年の7月から開かれてるくらしの懇談会で、今回で8回目です。冒頭に、二つのうれしいニュース懇談会の冒頭に、二つのうれしいニュースの紹介がありました。一つは、八王子での学校給食の無償化の実現です。6月議会での採択ですが、この9月の二学期から実際に無償になります。これは若い子育て世代にとっては、大きなプレゼントかとおもいます。また、長年の重ねられてきた市民要求の一つの運動でしたが、これまで拒否してきた八王子市政ですが、それをみんなの力で動かしたことです。自民・公明が多数派の八王子市議会ですから、これは珍しいことなんですよ。もう一つは、望月しょうへい市議のご結婚の発表です。この鹿島懇談会には、望月市議(日本共産党)は、毎回市政や都政の動きを紹介してくれているんです。おかげで井の中の蛙の私たちが、日本と世界にも関心が刺激されているんですが、最近では黒ネクタイばかりを使っている私などですが、何年ぶりでしょうか、がぜん明るい未来を感じる朗報でした。懇談会で議論になった二題です1つは、マイナ保険証問題です。これまでの保険証では何が問題なのか。保険証が12月からなくなったら通院はどうなるのか。国民の疑問は山積しており、その不安は切実です。この懇談会でも、不安と疑問、質問がだされてきていた問題でした。望月市議から、9月6日の八王子市議会でのこの質問が報告されました。これだけ大騒ぎさせていて、今現在、12%しか「マイナ保険証」をつかっている人がいないとのこと。参加者からは、「12月で従来の保険証は発行しなくなる」と国や担当大臣は言ってるが、いったいどうなるのか?」質問が出されました。望月市議は、「少なくとも、八王子市では「資格証明証」を、当人からの申請がなかったとしても送付すること。それが当面は現行保険証の代わりとなる。その先は国政が決めることで、まだ不明です」とのことでした。戦後つくられた国民皆保険制度、この社会保障制度の基本が、いいかげんな政治家のもてあそびによって、1億国民が右往左往されている事態が紹介されました。それとあと1つ、補聴器助成の問題ですまわりを注意して見ると聴覚障害が多々います。補聴器購入への助成問題です。私自身もそうですが、耳が聞こえにくくなっている人が、私などのまわりに多々います。高齢化によるものか、「なんていったの?」と、難聴にある人がまわりにも多々います。この事態に東京都も、聞くところによると、補聴器の購入助成に動き出した、とのこと。補聴器が必要だといっても、20数万円もかかるんですよ、しかもその調整が必要だというんです。望月市議によると、9月に質問したところ、八王子市では難聴者の実態調査をしているところで、難聴者にたいする施策制度を具体的にどうするか、まだこれから先のことだというんです。この懇談会では、参加者した多くの人が難聴の状態ですから、この機会に、東京都や各区市の情況をキャッチして、私たちとしても対策をさぐろう、ということになりました。もう一つ、PFAS問題です今、有害が問題になっている有機フッ素化合物(PFAS)ですが、八王子ではどうなのか?の問題です。東京や周辺自治体では問題になっているが、この八王子ではどうなのか。問題は起きてないのか。調査はしっかり行われているのか、こうした質問が出されました。問題の大本には、今の国政問題がある今、自民党の総裁選挙が行われていますが、国民の要求からは遠くかけ離れた、裏金隠しと軍拡政治を競う自民党内選挙です。それが終われば、そのメディアでの大宣伝をしたことで、国民の総選挙に打って出ようとしています。すべての基本は、この基軸のところで、赤と白の綱引きだということです。すべての努力は、この総選挙で、動向が決まるということです。この懇談会もそうですが、平和と民主主義、国民生活を守るために、いまこそ、民主勢力は力を合わせようということです。最後に、八王子市議団の25年度の対市要望です9月11日に共産党八王子市議団は「市への重点要望」を提出したそうです。9項目57課題とのことです。望月市議によると、その内容は、「日本共産党八王子市議団」のホームページで掲載されているはずとのことでしたが、ありました。これから、自分たちの要求と市議団の要求とを突合せしてみるつもりです。
2024年09月21日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習26『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」も、残りあと8ページ、11文節となりました。前回で、「国民文庫版」のP234、第63文節まで来ました。ここで、その先をさらにすすむべきか、それとも前回の紹介した第56文節-63文節にたいして、私などの感想をコミットしておくべきか、どうするか迷いましたが。急がば回れ、です。今回は、前回のP231第56文節からP234第63文節ですが、そのなかで感じた点を、検討しておくことにしました。一、最初に、残りの内容について、そのスケッチですマルクスの「ヘーゲル弁証法批判」は、残りの8ページですが、そこには以下の3点があると思います。1、マルクスの「ヘーゲルの思い」を検討した総括的見解があります。第64文節-66文節です。2、その根拠をさぐる、『小論理学』の最終章・第244節について。第67節・68節です。3、最後は、人にとって抽象の世界だけではむなしい。自然を直観したくなるのは、人の外部性について。第69文節-72の最終文節です。こうした結論的な問題が、この後のしめくくり部分ですが、最後にあります。二、前回の第56文節-63文節を理解するヒント前回のヘーゲルの見解に対するマルクスの評価ですが、何を言いたいのか、わかりましたか。なかなかそれ読み取ることは、厄介なことだろうと思います。私自身も感じています。そうした中で、私などには、少なくとも2つのヒントがあると思っています。1つは、マルクス自身が提供してくれているヒントです。くりかえしになりますが、以前にマルクスが難関を越えるための示唆を与えてくれてました。ア、「国民文庫」P217第20・21文節「ヘーゲルの一面性と限界」について「さしあたり」言っておく、との点です。イ、同、P217第23文節「現象学の最後の章。主要点はこうだ」と、アドバイスしてくれている点です。これがマルクスが、ヘーゲル批判を読み解くうえで、与えてくれているヒントです。2つ目のヒントは、後年においてエンゲルスが提供してくれているアドバイスです。ア、『反デューリング論』と『空想から科学へ』です。この著作はマルクスとエンゲルスが協議したうえで書かれたものです。かつては、科学的社会主義の『入門書』の意義をもち、関心者のみなさんすべてにプレゼントしてくれたという、そういう『空想から科学へ』なんです。イ、もう一つは『フォイエルバッハ論』です。これはマルクスが亡くなった後に、エンゲルスが科学的社会主義の世界観の確立についてまとめたもの。「この中で私は、私の知るかぎりで現存のもっとも詳細な説明をしておきました」(1890年9月21日付 エンゲルスからブロッホあての手紙)といってます。三、本題の、第56文節から63文節のマルクスの批判についてですただし、前回紹介したヘーゲルの見解に対しての、マルクス『経哲手稿』でのそのもの自体の論評については省略します。ダブりますし、あまりにも長くなりすぎますから。P231 第57文節 (a)外化したものを自己のなかに取りもどしていく対象的運動。ここには基本があると思うんです。疎外された自己をとりもどす。人間中心のヒューマニズムということか、ルネッサンス以来の近代の精神をヘーゲルは引き継いでいる、という評価です。第59文節 ヘーゲルは「それ自身を否定(疎外)することの、肯定的な意味をとらえている。「ヘーゲルは抽象の内部で、労働を自己産出行為としてとらえている」これは、以前に予告として、P216第19文節ですが「ヘーゲル現象学と、その最終成果-その偉大なもの」としてマルクスが強調していた点ですが。ヘーゲルは人間の自己産出を、一つの過程としてとらえている。それは外化・対象化されたものに対して、他方では対象性のはく奪として、外化したものを止揚することとしてとらえていること。ヘーゲルが「労働の本質をとらえ、対象的な人間を、現実的なるがゆえに真なる人間を、それは人間自身の労働の成果として理解している」こと、それはマルクスがこの箇所でのヘーゲルの見解を評価していたんですね。さらに、ここには人間の疎外にとって、ヘーゲルが類的な諸力というものが働いているとの指摘を評価しています。電気釜、自動車、スマホの社会的な、類的な意識と力ということですね。P233 第60文節 (b)ヘーゲルの転倒性ですが、それによって、マルクスは逆に効用を指摘しています。第一に転倒性は、ただ形式的な行為として現れる。それは抽象性によるから、と。これはなにか。以前に第13節でフォイエルバッハの「否定の否定」が、ヘーゲルの主張している点をとらえていないことが指摘されてました。フォイエルバッハの「否定の否定」ということのとらえ方は狭いことを指摘していました。ここでは、ヘーゲルの「否定の否定」の積極的な意味について、それは歴史の運動にたいして、抽象的、論理学的、思弁的な表現を、基本的な運動の仕方といったことを指摘して言います。それはフォイエルバッハのように、ある特定の問題(神と哲学)の場合というだけでなく、もっと広く、一般的な基本的な事柄をとらえる見方を与えてくれる洞察なんだと。個別の問題点じゃなくて、大きな基本的な運動の仕方についての、ヘーゲル流の哲学的に表現したものなんだと。P233第61文節「第二に、とらえ方が形式的かつ抽象的であるために、外化の止揚が外化の確認になる」以前にヘーゲル弁証法の問題点として、「外化の止揚が外化の確認になる」ということは、「前進のウソ」(P228第46文節)、「原理のウソであり、ごまかしである」ととまで、否定視されていたと思うんです。しかしここではそうではない。むしろそれが積極的な役割を果たしているといっている。これは、いったいどういうことか。以前のところあれば、ヘーゲルの「神-人間・哲学-神」の「否定の否定」(第41文節)が問題になりました。「否定」されたはずの現状が、「否定の否定」ということで元のまま肯定されてしまう。これはまやかしの現状肯定主義だと批判していたんです。ところがここでは、「おのれ自身を目的として自身に落ち着いてくるような、おのれの本質に到達したところの人間の生の表明である」と肯定的に評価されている。いったいどうしたことか。両者において、どこが共通しているかというと。「おのれの本質に到達した人間の生の表明であり、自己確認」、この人間中心のヒューマニズムの生成が、共通して据えられているということですね。これはヘーゲルの近代思想や啓蒙思想にたつ点を、マルクスは評価しているんじゃないでしょうか。その人間自身の、自己の内面的な確信が大きな基礎として大事なんだということ。だけど、同時にここでマルクスの強調している点は、「否定の否定」には新たなものを生み出していくこと。出発点にあった人間が、そのままの姿で肯定されるわけではなくて、試行錯誤はあったとしても、やがては新たな人間に発展していく、自己変革的な存在なんだということですね。ヘーゲルの『歴史哲学講義』ですが、そこでは「自由の世界史的な発展」との大きな歴史観を提起しています。私は、以前に『ヘーゲル 歴史のなかの弁証法』で紹介しました。しかしそれは講義の記録なんです。推敲されたものではなく十分には書かれていないように思います。材料や研究の不足もあったでしょうし、ヘーゲルの歴史観や方法にも問題があることが指摘されています。同時に思うんですが、なんたってヘーゲルという人はベルリン帝国大学の総長の立場にもあったくらいの人ですから、その立場からして、その発言はかなり配慮されたものであって、そこには自身でも内面的な葛藤があったんじゃないかと、私などは思っています。第62文節 「ヘーゲルの抽象的な形式としての弁証法において、この運動が真実に人間的な生の運動と見なされる」「しかしその生の運動というのは抽象的なものであり、それは神の過程のあらわれとして、人間とは区別された抽象的に純粋で、絶対的本質があり、その神的な純粋なものが、人間をとおして、みずからを通過させる過程だとみなされる」。人間とは別に、神のような純粋で絶対的本質があって、人間の思想や行為というのは、その本質の現象形態なんだといってます。これは、客観的な観念論の立場を指摘したものですね。しかしヘーゲルは、少なくとも、俗世間にある神のすべて合理化したり弁明したりしているのものではありません。神にふさわしいような神の絶対的理念といった存在を想定(前提)している。しかし、それは現生のなかからそうした理想が抽出されるのではなくて、はじめにそうした神的な存在があるんだというのがヘーゲルの考え方ですから、そこが逆立ちしているとされる点です。すくなくともヘーゲルは、現状の歪んだもの(社会や政治や宗教など)を、「現実的なものはすべて合理的であり、合理的なものはすべて現実的である」の命題をもって、なんでも合理化しようとするような立場ではないことだけは確かだと思います。以上、前回に紹介した『国民文庫』のP231の第56文節から、P233の第63文節までについて、私などが感じた事柄です。
2024年09月20日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習25今回の主題はヘーゲル弁証法の「疎外のなかにある肯定的契機をとらえる」ですが。『経済学哲学手稿』の国民文庫版・藤野訳では、P231(第56文節)からP239(第68文節の終り)までです。ME全集・真下訳では、P506の第48文節からP512の第68文節まで、です。一、これまでの問題を簡単におさらいします1、ヘーゲルの弁証法とは何か。学問の成り立ちは、「存在者がどのように運動していくか。一方では、自分に対して他であるものとなり、他者に内在する内容になる。他方では、この展開された自分の現存在を、自分のうちに取りもどす。自分自身の契機にする。一方の運動は、否定性で、区別し現存在を定立するはたらきである。他方、自分に帰る運動では、否定性は規定された単純性が生ずることである」(『精神現象学』「序論」)。2、この「他方」の問題ですが、自分がつくりだしたはずのものが、それが小説であっても自動車とか社会であっても、自分と異なった「疎遠」なものとして目の前に現れるわけですが。今回の主題、「疎外のなかにある肯定的契機をとらえる」というのは、ヘーゲルが『精神現象学』の「絶対知」で「対象性のはく奪」としている見解ですが、これは人がつくりだしたのに疎遠になっているものを、人間が自己に取りもどすということです。そのことをヘーゲルは「自己意識が対象性を措定する」「それの他在のそのもののなかで、おのれのものとなる」といった形で主張していた。これは、このヘーゲルの見解に対するマルクスの分析であり、批判ですね。3、これまでマルクスは、ヘーゲルのこの見解にある「一面性と弱点」の問題点を分析してきました。しかし今回の箇所は、このヘーゲルの弁証法ですが、その「疎外のなかにある肯定的契機をとらえる」ということです。これは、26歳の若きマルクスですが、このヘーゲル哲学をどの様に考察して、どのような価値あるものを析出したのか。その成果は今や常識的な結果となっていますが、私などが問題とするのは、その結果をつくりだすためにマルクスはどのような努力をしたのか、その過程の問題です。4、このヘーゲル弁証法批判の課題ですが、この探究には先人がいます。エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1886年)です。マルクスが1883年に死去して、残された草稿集のなかから『経済学哲学手稿』を見つけたんですね。共に歩んだ努力ですが、歴史に埋もれていたんです。どのように唯物弁証法はつくりだされたのか。科学的社会主義にとって基本問題です。66歳のエンゲルスです。この若き頃の草稿に目を通して、晩年にはいる学識をもって、ことがらに疎くなりがちな、なにかと忙しい現代人のために、若ものたちにも理解しやすいようにと、主題をまとめ返したんですね。以上が問題の輪郭であり、おさらいです。二、本題、『経済学哲学手稿』そのものをつかむ国民文庫版ではP231(第56文節)からP239(第68文節の終り)ですが、これはヘーゲルの主張のそのものをつかむということです。がまんしてお付き合いください。P231 第56文節「疎外の規定のなかでの肯定的な規定をとらえる」-これがここでの主題です。P231 第57文節 (a)外化したものを自己のなかに取りもどしていく対象的運動。すなわち、これは、対象的世界の疎外された規定を取り消すことで、止揚することで、人間の対象的本質を現実にわがものと獲得することについての、そのことの疎外された洞察だ。天上の神を止揚するものとしての汎神論・無神論は、人間中心のヒューマニズムの生成であり、私的所有の止揚による共産主義は、現実的な人間生活をとりもどすことであり、これが実践的なヒューマニズムの生成であるのと同じだ。58文節 人間がつくった対象的世界をとりもどすという止揚というのは、昔のふるい時代にかえることではなく、ものごとを節約して我慢するような生活ではない。むしろはじめて人間の本質が、現実的なものとして生まれ出てくることである。59文節 ヘーゲルは「それ自身を否定すること(疎外すること)の肯定的な意味」をとらえる。人間は自己疎外し、人間本質を外化する。そしてその対象性をはく奪することで自己獲得する。ようするにヘーゲルは抽象の内部で、労働を自己産出行為としてとらえている。そして、人間が自分自身に疎遠なようにふるまうい思うのは、生成しつつある(社会的な)類的意識と類的な生活よるものだと、とらえている。P233 第60文節 (b)ヘーゲルの転倒性の帰結により、人間の自己産出行為は、第一にただ形式的な行為として現れる。それは抽象的な行為だから。なぜなら、人間的本質そのものを、ただの抽象的な思考的な本質として、自己意識としてみているから。(自己意識が対象を措定する。対象的世界というのは自己意識なんだとの認識)61文節 第二に、とらえ方が形式的かつ抽象的であるために、外化の止揚が外化の確認になる。ヘーゲルにとっては、自己外化と自己産出の自己対象化の運動は、絶対的に究極的に、おのれ自身を目的として自身に落ち着いてくるような、おのれの本質に到達したところの人間の生の表明である。(変革していくべきはずの自己が、そのままで自己肯定されてしまう)62文節 だから、ヘーゲルの抽象的な形式としての弁証法において、この運動が真実に人間的な生の運動と見なされる。しかしその生の運動というのは一つの抽象的なものであり、それは神的な過程のあらわれとして、人間とは区別された抽象的に純粋で絶対的本質があり、その神的な純粋なものが人間を通して、自ら通過する過程だと見なされている。P233 第63文節 この過程は一つの担い手を持っていなければならない。だがその主体は成果としてはじめて生成する。その成果というのは、おのれを絶対的な自己意識として知るような主体であり、そうした主体は神的なもの、絶対精神、おのれを知りおのれの実をしめすところの理念である。現実の人間と現実の自然とは、この隠れた非現実的な人間・非現実的な自然の述語や象徴となる。したがって、主語と述語とには双方の絶対的な転倒の関係をもっている。そこには自己内循環(不断の旋回)がある。(ここには、人間のいとなみは、自分に帰ってくるんだけど、人間よりも純粋な神的なもの(本質といったもの)によっていて、人の疎外の克服もそのあらわれなんだ、といったヘーゲルの思想がある)まぁ、今回はここまでですね。残りは、P234第64文節から、P241第74文節です。これからヘーゲルが自身の弁証法にたいしての悩める意識の問題が出てきます。終わりまで、あと少しだということです。
2024年09月20日
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「十五夜」の月9月17日(火)は「十五夜」でした。小田原から見えた満月の月です。『源氏物語』にも、月を見ての思いが記録されていたかと思います。道長の歌にも歌われてます。 この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へばその歌ごころは、私などにはわかりません。どの様なメッセージをこの歌に込めているんでしょうか。私などが勝手に思うには、むかしから、この満月を多くの人が感動して見てきたと思う。だけど人の人生は短い。満月をひとの今の人生にたとえれば、満月の時というのはこのほんのひと時なんだよ。その時を喜ぶとともに、満ち欠けする月と人生にたいして、覚悟して備えよう。そのように勝手に、私流に解釈しました。というのは、私などは、小田原でみかん園を営んでいて、思うんです自分も齢74になります。自分の体力も、頑張ってはいるんですが、その峠を越えてるのを感じます。まわりのみかん園の園主さんたちを見るに、同輩なんですが、というか、むしろ私などが青年部の部類なんです。今の農政は、農家に心を寄せていません。「あんたたちが、自力で活路を開け」といったことで。1960年代以降、ずっと減反と農産物の自由化をすすめてきたわけです。外国から安い農産物を輸入して、国内の農家を成り立たせなくしている。「宅地並み課税で40万円の税金支払いに対して、必死に手入れしてみかんの収入は15万円」こんなんじゃ、まともな農業はやってけっこないじゃないですか。大事な子どもたちに、その後を継がせるなんてわけにはいかないじゃないですか。そのため、70-80代の高齢者が、農作業の担い手です。あと5年の先は、今の放任策、首絞め策を変えれないとしたら、農家はどうなるのか。今行われている自民党の総裁選挙で、この現実が少しでも語られてますか。かつては、国民の食政策を守るために政治家も農学者とともに努力してきていたんです。しかし、今の現実はどうか。「新しく、変える」なんて、調子のいい言葉を並べたてていますが、その態勢は、実体は、今の流れにずっぽりつかって、その促進をそれぞれ競っているわけです。したがって思うんです。仮定法で読むと、 「望月の欠けたる ことも なしと思へば」ですが、逆読みすれば、「もしも、欠けていく事態が予想されるとすれば」、です。そうした事態をよくよく検討して、為政者というものは、それに対して、しっかりと備えなければならない。戒めの句と読みました。ひるがえって、今の自民党総裁選挙です。「政治資金をごまかし」「軍備を大増強し」「原発を再稼働し」「農業を破壊する」口先だけのせこい誤魔化しで、基本路線はこれまでの継承なんて、反省なき政治は、現状を厚化粧したごまかしです。この事態を、本当にどうしたら変えれるのか、それが私たち国民に問われています。
2024年09月18日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習24主題は、ヘーゲル弁証法の「疎外のなかにある肯定的契機をとらえる」ですが、最後の部分で、問題のもっとも勘所となる個所に来ています。国民文庫 藤野渉訳では、P231の第56文節から、P239の第68文節の終わりまでです。ME全集 真下信一訳では、P506の第48文節から、P512の第66文節までです。一、マルクスの弁証法観マルクスは具体な事柄が勝負でしたから、問題の抽象的な方法(唯物弁証法)については余り述べてません。あえてあげるとすれば、『資本論』第2版のあとがきですが、その一つかと思います。「弁証法は、その合理的な姿態では、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、その必然的没落の理解をふくみ・・・なにものによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり、革命的なものである」(1873年1月24日)。いま学習している『経済学哲学手稿』ですが、これはその原点です。それはマルクスが26歳の時のもの。この探究の成果ですが、当時のプロイセンとフランス政府によっての国外追放、「24時間以内にフランスから出て行け」とのことで、このことのとりこみによって、出版社との契約するところまで出来ていたんですが、そのドタバタです。結局、お蔵入りせざるをえなかったんですね。これは直面する諸問題に対して抽象的な問題ですから、その後のなかで、あえてこの問題を取り上げるような機会がなかったんですね。一つに、「もしいつかまた、そんな仕事をする暇でも出来たら、ヘーゲルが発見したが、同時に神秘化してしまったその方法における合理的なものを、印刷ボーケン二枚か三枚で、(岩波文庫で30ページくらい)、普通の人間の頭にもわかるようにしてやりたいものだが。」(1858年1月16日ころのエンゲルスへの手紙、全集29巻)。また二つに、1868年5月9日のディーツゲンあての手紙にも、のべています。「(『資本論』の)経済学的な重荷を首尾よくおろせたら、『弁証法』の本を書くつもりです。弁証法の正しい諸法則はすでにヘーゲルにちゃんとでています、ただし神秘的な形態で。肝心なのは、この形態をはぎ取ることです」(全集第32巻P450)ここで述べているのは、いま私たちが学習しているところの、ヘーゲル弁証法の「疎外のなかにある肯定的契機をとらえる」こと、まさにその問題ですね。当時、マルクス自身が刊行できたものとしては、『独仏年誌』『聖家族』『共産党宣言』のなかでふれられたことくらいしかなかったわけです。ですから、マルクスの「弁証法を紹介したい」との思いというのは、まさにその通りだと思うんです。二、その後の時代のなせるわざしかし、このマルクスの思いは、すこしはその後の歴史の中で癒されているんです。一つは、1876年からの『反デューリング論』です。これは、エンゲルスの著作ですが、マルクスとエンゲルスの書簡を見ると明らかですが、マルクスとよく相談して、ヘーゲル弁証法の問題点を書いているんですね。もう一つは、1886年の『フォイエルバッハ論』です。マルクスが1883年に死去して、その遺稿集の束のなかから、エンゲルスはお蔵入りされていた初期の草稿集を目にしたんです。それに基づき検討し直して、忙しい現代人にも理解しやすいような形にして刊行してくれたんですね。さらにもう一つ、1933年にソ連で『マルクス・エンゲルス全集』が刊行されたこと。そのなかで『経済学哲学手稿』そのものが、刊行されたということです。ですから、レーニンもこの『経済学哲学手稿』は目を通せなかったわけです。しかしさらに日本語へ翻訳・刊行する問題があります。私などがこの『経済学哲学手稿』(『国民文庫版』)を目にすることが出来たのは、1970年頃のことでした。三、私自身の『経済学哲学手稿』への挑戦日本で『経済学哲学手稿』が刊行されたのは、手元にある国民文庫版ですが、その第一刷は、1963年3月15日となっています。私が手にしたのは、刊行されてから7年後というわけです。その後、岩波文庫版、ME全集版と、少なくとも3種類が刊行されました。しかし、この書が刊行されるのと、それが読まれ理解されるとのあいだには、どれだけの時間と努力が必要なのか。これは私などの勝手な意見ですが、『資本論』もそうですが、それは天まで持ち上げられるんですが。はたして、本当にそれをどれだけのひとが、真摯に読む努力をし、かつ理解すべく努力しているのか。公認的にはなっているんですが、いろいろ感想意見を目にはするんですが。率直なところ、『あなたは、本当にそれを読んだの??』と疑問に感じる場合が、多々あるんですね。自分勝手な解釈をもって、「私こそ真に理解したものだ」なぞと、のたまわっているのを目にします。日本社会は、まだ討論する機会というものが少ないんです。個人の内的な努力にとどまっていることが多いと思うんです。出版界も商売ですから、儲けにならなければ、出版されることは少ない。それはマルクスの時代とも共通です。がしかし、現代は、戦後は民主主義的社会ですから、刊行されて議論される可能性は、大きいと思うんです。ただし、もう一つの問題は、それを受け止める衆人の側に、文化的な高揚がなければ、猫に小判となるということです。戦後の民主憲法ですが、それを80年大切にしているものを、「大切にせよ」と言ってきた政治家が、くちをそろへて「憲法を改正して、たたかえる国家にせよ」なんて、自民党の幹部みんなが言っている事態ですから。「なにを寝ぼけたことをいうのか、それでも政治指導者なのか」、テレビに向かって、そう言ってやります。しかし、テレビに言っても仕方がないことで、今やそこをどうするかが問題です。まぁ、今回は、余論です。これから、最後のマルクスの努力の圧巻の部分に入るにあたって、その前に、気がかりな点を紹介させていただきました。
2024年09月15日
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引き続き炎天下の草刈り9月も上旬ですが、みかん園は引き続き炎天下での草刈りです。朝晩は、すずしい秋風を感じるようになりましたが、しかし日中は厳しい残暑です。引き続き、援農者の力を借りて、草刈りの続きをしています。この畑については、援農者の力をかりて、9割のところまで草刈りがすすみました。「赤とんぼ」が悠々と飛んでいます、秋がすぐそこまで来ているということです。しかし、まわりを見ると、手が及ばなくなった畑が、草刈りが及ばなくなった畑がふえています。私なども74歳。今年は頑張るとしても、あと何年くらいこの自然の力と競争できるか、です。それは、私だけじゃなくて、まわりの農家の人たちの共通の状況です。ただ草刈り対応しているだけでたりない。有識者や全国の経験から、この高齢化した農業の将来をどう切り開くのか、問われています。自民党の総裁選挙がきょう告示されるはずですが今回、私などのみかん畑は、小田原の3000人くらいの地域集落なんです。狭い集落ですから、「○○和子」さんという方ですが、私などは、てっきり知人の人かと、早合点しちゃったんですが。写真と地域の方とで確かめてみたところ、知人の方とは別に、同姓同名者がいて、その方だったと知りました。三人の「和子さん」をしりました一人は74歳(1950年生)、二人目は80歳(1944年生)、三人目の方は94歳(1930年生)であると。和子さんの三名を知りました。「和子」というのは、「平和の和」ですよ、「和をもって宝となす」ですよ。当人がというよりも、それを名づけた親の人たちの思いですが、よく出ていると思いました。1950年生れの和子さんは、戦争の惨禍の経験を経て、平和憲法のもとで名づけられたもの。1944年の和子さんは、第二次大戦の最中の大変な最中に生まれた子どもに対する名前です。1830年の和子さんは、日中戦争のころに生まれた子どもに付けられた名前です。私などの父は1920年代生まれで「勇」ですが、知人には「勝子」の名前の方もいます。ともに、それぞれの名前が、当時の庶民の心を、世相を映していると思いませんか。しかし戦争のさなかに、「和子」と名づける両親がいたこと。そこには、庶民の強く勇気ある願い、ポリシーを感じた次第です。「昭和」という元号ですが、「世の中を、和をもってあきらかにする」という意味をもってますね。それは、庶民が国民的に歓迎した元号だったんじゃないでしょうか。ところが現実のすすみゆきですが、朝鮮や中国、アジアへの武力制圧によって、「大東亜共栄圏」のどという、武力の力をもって「和」をひらく形に捻じ曲げられていった。「それはおかしい、あやまりだ」との知識人もいたでしょう、庶民の素朴な願いとも真逆な方向に、マスコミも政治家も大合唱して戦争へすすんでいった。今回の、自民党総裁選挙を見ていると感じますそこに、明暗が二重写しになって、見えてくるんですね。国民と政治家のずれというか、大きなギャップですね。国民は、「平和・民主の憲法を変えろ」なんて思っていない。「中国の脅威に、54兆円もの軍備増強が必要だ」なんて思っていない。「ゴミを出す原発をさらに再稼働、増設しろ」「汚染水を海洋放出する」なんて誰も思っていない。「国民の食生活を支える農家を減反や輸入で首を絞め、放置する」なんて、いったいなにしてるのか。そうしたなかでの、今回の総裁選挙です。総裁選といのは、事実上の首相選びですよ。国民には投票権はないけれど、それで決まる。そこでは、一点のニンジン(国民要求)をぶら下げることで、自己をアピールしようとしている。しかし全体として合唱しているのは、これまでと同じ軍事大国への道ですよ。「政治資金の組織犯罪」を正面から正そうとする人はいないし、「労働規制の緩和」であり、「軍備の拡大路線」であり、「憲法改悪であり」、「原発再稼働」ですよ。いずれの候補者も、これまでの政治を支えてきた人たちですよ。反省は取り繕いでしかなく、中身は岸田首相の申し送りを、その推進を競っている。あらたに「トップになったら、これをやります」なんて流れのなかの個々人の思いというだけのこといいですよ、これまで一っしょに進めてきた安倍・菅・岸田政治を、しっかりと反省するなら。しかし誰もその反省がないんです。いわずもがな、総路線を引き継ぐとしているんです。そのなかで、「いやいや、私は心のなかでは、この点をやりたいと思っていた」などと言い出している。それなら、少しでもこれまでの政治生活なかで、それを示唆していましたか。言明してきていましたか。そんなこと、まったく無いじゃないですか。いずれも政官財の構造的な流れにどっぷりと身をゆだねてきた人たちじゃないですか。なのに、総裁選になってですよ、これまで野党や知識人、国民が求めてきた要求を、ちょろっとニンジンに掲げる。「ばかにするな!」これまであんた方は、いったい何をしてきたのか。自分たちの多数をかさにして、蹴飛ばして、つぶしつづけてきていた事柄じゃないですか。それをこの総裁選になったら、手のひらを反して、自己宣伝のために使うなんて、まったく、あいた口がふさがらない。あきれてしまします。「今まで、あんたはどうしてきていたんだ」。「いま、本気で180度、切り替えるとでもいうのか」。「軍事費を増やそうとしていて、どうして国民の福祉教育だ、増税はなしだなんて言えるのか」決意のかっこでごまかそうなんて、まってくのペテン師じゃないですか。そうした中でのマスコミですがNHKはじめマスコミが、候補者の垂れ流しの大本営発表です。「誰が選ばれるのか」、競馬予想なみの報道をさかんにしています。これは劇場の楽しみじゃないんです。国民の生活のかかった政策選択、日本の進路の選択が問われる政治なんです。政治と政策の真相を問おうとせず、当選者予想ばかりを流している。本当に、そんな白痴状態でいいんでしょうか。私たちは、この大合唱の流れに身を任せていて、いいんでしょうか。憲法を守るべきはずの公務員に対して、そのリーダーたちに、この国民の大きな疑問ですが、ここでものを申さずしていいんでしょうか。この事態に、今、国民一人ひとりが問われています明らかに庶民の思いと、今の政治・マスコミの合唱とは違っています。ウソも100篇言えば、本当らしくなるんでしょうか。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ともいうんでしょうか。主権者は一人ひとりの国民です。明日の自分たちを、どのように賢明に開くか、問われています。そこが今、国民に問われています。
2024年09月12日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習23前回・第22回では、ヘーゲルの「それの他在としての他在において自身のものとなる」に対するマルクスの批評ですが、全集第40巻のP502の第33文節からP506の第46文節ですが、そこでのマルクスの論点を大まかに紹介しました。今回は、そのマルクスの論点を、私なりに検討してみます。簡単に言えば、ヘーゲルの弁証法-「自分自身をうみだし、展開し、そして自分に帰っていく過程」ということ。「対象性のはく奪」ということですが。ヘーゲルの『精神現象学』の「絶対知」での「意識の対象性の克服」ですが、「自己意識の外化が物性を措定する」(第二項)、「それの他在そのもののなかで、おのれのもとにある」(第六項)、ですが。マルクスは、ここの言葉の中にヘーゲル弁証法の「一面性と限界」を見てとり、『この論述のなかに思弁のあらゆる幻想をひとまとめに持っている』と指摘しています。それはどういうことか、これが問題です。「それの他在そのもののなかで、おのれのもとにある」全集第40巻のP502の第33文節はじめの部分は、三項から六項までのヘーゲルの主張の確認です。その上で、38、「それの他在そのもののなかで、おのれのもとにある」(第六項)ですが。マルクスは、このヘーゲルの言葉の中にある問題をさぐります。ヘーゲルは、意識は直接にその他者(感性、現実、生)であるといっています。それは「自己意識の外化が物性を措定する」(第二項)との認識からして、当然でもありますが。これが問題の第一です。フォイエルバッハはこの点について、「ヘーゲルは思考によって力にあまる仕事をする思想家である」(『将来の哲学の根本命題』第30節)と指摘しています。これは唯物論の基本的立場ですね。マルクスもこの立場にたってます。しかしまだこの時点の段階では、唯物論と観念論の違いというのは、打ち出されたばかりです。その基本的な立場の違いが洞察されたところで、問題になりだした初めの段階ですね。39、第二にマルクスは、この考え方の中にあるニセの批判、現状を肯定していることを問題にします。それは、どういうことか。ヘーゲルは、人間にとって精神世界は、人間を揚棄したもの、否定したもの、疎外したもの、外在化したものとなどと、とらえていました。ところが、その人間にとって、産み出された第二義的であるはずのものが、ヘーゲルにあっては同時に、そのままの姿において承認してしまい、それが人間のあり方だとの意味になっている。「止揚」「揚棄」「アウフヘーベン」という意味は、高める、保存する、あらたな本質を得る、といった意味があるはずじゃないですか。ところが、前にすすむはずのところで、もとの古いすがたを肯定してしまうヘーゲル。これじゃぁ、肝腎の宝がなくなっちゃうじゃないか。これがマルクスです。この点について、ですが、やはりフォイエルバッハが指摘しています。「近世哲学の、汎神論の矛盾、それは神学の立場での神学の否定である。しかしその否定が再び神学であるとの矛盾。この矛盾が、とくにヘーゲル哲学の特色をなしている。」「ヘーゲル弁証法の秘密は、結局、ただ神学を哲学によって否定し、それから再び哲学を神学によって否定することである。最初にはすべてがひっくりかえされるが、それから再びすべてがもとの場所に置かれる。」(『将来の哲学の根本命題』第21節、P43-46)マルクスは、このフォイエルバッハによるヘーゲル弁証法の批判ですが、「それはあたっているよ」と評価しています。ただし、「しかし、これはもっと一般的に理解すべきである」と指摘(批判)しています。森羅万象にとっての一般的な原理が、ヘーゲルの「否定の否定」にはある。たとへば、理性は非理性としての非理性のもとでおのがもとにある、となるんだから。ここには、宗教や国家でもいえるし、ヘーゲルの後にみられる順応的な態度についても、その根底的な原因をなす考え方の基本がここにある、とマルクスは指摘しています。当時、26歳のマルクスです。ヘーゲルの「否定の否定」に対するマルクス分析41、「否定の否定」の理解に関する問題です。「揚棄」(アウフヘーベン)ということは、本来なら、見かけ上のものを否定して、本当のものをつかむことじゃないですか。本物をつかんだら、見かけ上のものは否定されるじゃないですか。ところがヘーゲルによると、その肝心な本質をとらえたあとで、以前の見かけ上のものが、そのままもの形を確めてしまう、ここに原理的な問題があるとの点です。あるいは、人間と概念のとらえ方にも問題をきたすという。ある人間は見かけ上のものであるからして、それ仮象の姿としては否定される。真の人間というのは、その人から独立にある、本質的なものというものがあり、人はそのあらわれとなる。その人から独立した本質(概念)なるものが、主体へと転化することらよりその人が人となる、といったことをヘーゲルは言っているようです。そうなると、仮象と本質が、否定と肯定が、「止揚」という言葉で結びつけられちゃう、こうという問題をもっていると。実際、ヘーゲルの「止揚」の使い方には、こうした彼の独特の役割を果たさせている場合が多々あると。42、このことを、後年の『法の哲学』にみています。私権が道徳に、道徳が家族に、家族が市民社会に、市民社会が国家に、国家が世界史に、と。次々に止揚により、世界の場が展開していく。しかし、実際には、それぞれは人間の諸契機として存在しつづけている。人間の現存在の諸契機として、相互に関連しつつ、存在している。そして、それぞれの領域は、それぞれのなかで、歴史的な運動をしている。こうしたヘーゲルの展開の仕方では、それぞれの領域には実際の関連や運動や歴史があるわけですが、それらが隠されてしまう。それ自身の持つ運動が見えなくなる、そうした問題が指摘されてます。43、さらにマルクスの指摘ですが、ヘーゲルにとって外在は自己意識の外化ですから、意識の問題としてしかとらえない。彼がとらえ批判しているのは、あくまで人間の意識としての学説、諸々の学説にたいしての哲学的な批判ということになる。マルクスはヘーゲル対する指摘として、次のようなことも紹介しています。「理論を問題とするあり方のなかでは、それらのものの実際の運動する本質は隠されている。それは思考するのなかで、哲学の思索なかではじめて現れ、開示されるのである。」「一部は私自身のあり方の内部で、疎遠なあり方において確認する。一部はそれらそのものの特有な本源的な姿において私はそれらを確認する。というのは、それらは私には、それらのもの自身の真のあり方の、すなわち私の哲学的あり方にとっては、見かけだけの他在というのは、比喩として、感性的外被のもとに隠された姿として見ているからである。」思想家としてのヘーゲルですが、彼は現実を具体的にとらえようとしてますが、それはあくまで現実ということの思想・哲学を問題にしているということなんですね。私などは、ヘーゲルとマルクスが何を言っているのか、理解に苦しみます。しかし、何を言っているのか、何が問題なのか、それをとどうしても追跡するじゃないですか。それに付き合うじゃないですか。その試行錯誤しての詮索した結果ですが、なんとも、客観的な観念論というのは、いとも普通人にとって単純なことがらを、じつに厄介なとらえ方をするものだと、あらためて感じさせられるし、マルクスですが、彼はその考え方をじつに丹念に追跡しているものだと、あらためて感じさせられます。44、ここでは、同じ問題を、『論理学』と『精神現象学』で指摘しています。同じ問題が、形を変えてとらえていることを確認します。ということで、ようやくにして問題点の結論です45,46、ヘーゲルが問題にしているのは、存在に対して、その思考であり、思想です。直接的な感性を、理性や思考に高めることをもって、ヘーゲルは現実を「止揚」したものと考える。マルクスの評価です。「この思考の止揚は、その対象を現実のなかでそのままにしておくにもかかわらず、これを現実に克服したと信じている。そしてこの直接的な感性な対象をもって、思考にとっては自己意識の検証と見なしている」それは、ヘーゲルが、思想を問題にしているだけだからです。現実はそのままにしておいて、ただ理解の仕方を、解釈を変えているだけなんですね。そのことをマルクスはとらえた。従って、そこからは自ずから、次の言葉が浮かんでくるでしょう。「哲学者たちは、世界をさまざまに解釈しただけである。肝要なのは、世界を変えることである」これは、1845年4月にマルクスが手帳に書いたメモです。内容からしても、書かれたころの時からしても、重なってきます。以上をもって、ヘーゲル哲学、弁証法の「一面性と弱点」についての学習とします。次は、「ヘーゲル弁証法批判」の最後のテーマです。「ヘーゲル弁証法の、この疎外した規定の内部での、肯定的な諸契機をとらえる」ことです。
2024年09月09日
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衆議院東京21区の共通政策づくり討論会9月8日(日)、衆議院選挙・東京21区ですが、立川での共通重点政策づくりのための討論会が、市民と立憲野党が参加して開かれました。これは、東京21区の市民連合連絡会が主催したものですが、市民連絡会が、共通政策作りへ向けて、政策の問題提起をして、そのあと、参加した各政党・政治団体(立憲民主党、日本共産党、新社会党、緑の党・立川)が、自らの政策を紹介をしました。この提起を受けて、参加した東京21選挙区(立川・日野・八王子)の市民ですが、主権者として自身が直面している問題や要求がさまざまに発言され、共通政策作りへ懇談をしました。「自民党の総裁選挙は、すべての候補が、軍事費増と憲法改悪を競い合うなど、ひどすぎる」「金権政治を反省して正そうとする候補が誰もいない」そうした中で、立憲民主党の党首選挙が、昨日からはじまりましたが。「立憲民主党の代表選挙での報道を見ていると、各候補の発言は『維新などの保守と連携したい』とか、『国民民主党と連携したい』とか。この間に国民のなかかで努力してきた、市民と野党の共闘の対応づくりや、憲法と立憲主義破壊をとめることや、脱原発方向へ切り替えることや、消費税を下げること等々で、これまで努力してきた重要点が、その党の幹部の姿勢としてはっきりしない。「この間の自民党政治への批判はどうなっているのか、もとのひどい事態にもどろうとでもいうのか。これでは、この間の国民の苦難に対し何を考えていたのか、その姿勢が疑いたくなる」「金権政治によって歪んだ自民党政治を、どうしたら変えれるか、その根本が問われている」。この懇談では、参加者から、教育の現場からの声や、福祉・医療・介護など、日ごろのくらしで感じている怒りですが、今、この事態を何としても変えてほしいと、各分野から切実な要望として発言されました。自民党政治を変えるために、市民連合連絡会として、引き続きお互いの共通の政策を練り上げて、共同の力を出し合えるよう、引き続き努力しようと、熱く話しあわれました。
2024年09月08日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習22今回は、ヘーゲル『精神現象学』の最終章「絶対知」の一節から、「それの他在としての他在において自身のものとなる」に対するマルクスの検討です。『ME全集』第40巻の、P502の第33文節からP506の第46文節までの14文節が対象です。途中から目にする方は、これを見て『なんじゃ、こりゃぁ』との気もするでしょう。私なども、いろいろ取り込みがあって、この間に中断していたので同じです。あらためての「まき直し」で、問題とその所在を確認するために、すでに3回のブログ発信をしているところです。一、あらためて、探究の流れの確認「それの他在としての他在において自身のもとにある」、突然にこんな言葉を聞かされては。誰しも困惑せざるを得ないと思います。いったい何を言っているのか、だいたい何が問題なのか、まずはこれまでの流れを大まかに確認します。1、ヘーゲルは近代に、哲学者として初めて弁証法を提起した。マルクスの『経済学哲学手稿』は、まずこの点の業績を評価しています。第14文節(P496)「ヘーゲルの『精神現象学』とその哲学の最終成果は弁証法であり、それは『動かし、産み出す原理としての否定の弁証法だ」として、その内容のいくつかを紹介しています。ではヘーゲル自身は、その弁証法をどの様に述べているか。『精神現象学』の「序論」から。〇「哲学に求められている肝心なことは、命題の弁証法的運動を叙述すること。命題は真なるものが何であるかを表現すること。真なるものは、本質的に主体である。主体である以上、それは弁証法的な運動、すなわち自分自身を産み出し、展開し、そして自分に帰っていく過程にほかならない。」(『世界の名著』「ヘーゲル」中央公論社 山本信訳 P141)〇「学問においては、充実した内容の魂としてみずから運動していく。そのさい、存在者がどう運動していくかというと、それは、一方では、みずから自分に対して他であるものとなり、他者に内在するものとなる。他方では、この展開された自分の現存在を、自分のうちへとりもどす。すなわち、一方の運動においては、否定性は、区別し、現存在を定立するはたらきである。他方の、自分に帰る運動においては、否定性は、規定された単純性が生ずるということである。」( 同 P130)はじめにマルクスが指摘したヘーゲルの弁証法というのは、こうした点かと思います。少なくとも、ヘーゲルは、この最初の著作『精神現象学』(1807年)において、弁証法を意識的に紹介しようとしているんです。そのことは確認できると思います。ヘーゲルは、その後1831年に亡くなるまで、この弁証法を世界のさまざまな分野において追跡し、まとめて、その著作や講義で述べているんですね。2、しかし、そのヘーゲルの弁証法には、偉大な成果の面とともに、大きな問題があった。マルクスの『経済学哲学手稿』ですが、これは、この両面をはじめて明確に提起したものです。この間の学習に付き合っていただいた方は、そうした課題がわかっていただけると思いますが。ヘーゲルの弁証法には「一面性と限界」があった。その点の析出が課題です。ヘーゲルはその弁証法を「意識の外化と、その対象性の克服」だということで、『精神現象学』の「絶対知」の冒頭で、8点にわたって述べています。それに対してマルクスが検討しているわけです。マルクスは、とくに二つの点を丁寧に分析しています。1つは、第2点目の「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」の点です。これはこれまでの学習でみてきたところです。2つは、第6点目の「この外在化と対象性を同時に揚棄して自身のうちへ取りもどしており、したがって、それの他在としての他在において自身のもとにいる」。これが今回学習しようとしている点です。この二点において、マルクスはヘーゲルの弁証法が持っている問題点を吟味しているわけです。そうしたことが流れであり課題であるとは分かったとしても、「なんでそんなことが問題なの? 」と戸惑うだろう私などに対して、マルクスはこれまでに、そのことの中心的な意味・内容を、アドバイスしてくれてました。それが、「あらかじめ、言っておく」(第16文節(P496))と指摘してくれている箇所です。さらに、そのおもな「要点の紹介する」(第17文節から21文節(P497))との箇所です。マルクスは、これらをヒントにして、とかく困難を前して投げ出しがちな私たちに対し、どんな苦労をしてでもヘーゲルを読み解くように、そうした努力をするだけの内容があるよ、「頑張れ」といってくれているわけです。二、大まかに、その論点をさぐる「それの他在としての他在において自身のものとなる」は、P502の第33文節から、P506の第46文節までの全部で14文節あります。やはりこれを読み解くのは簡単なものではありません。それで、マルクスの主張をつかむために、各文節でどんなことを言っているか、私なりに各節の内容を短く整理してみました。読み解いていく上で、なにか刺激になればさいわいです。第33文節(P502) 「絶対知」冒頭でのヘーゲルの8点の指摘について、その第三、四、五、六点についての主張を、それぞれ確認しています。第34文節 「対象性の揚棄」は、ヘーゲルにとっては疎外された対象の特定の各性質だけでなく、対象ということそのものが妨げ(癪[しゃく])になっている。しかしその空しさは積極的な意義をもつ。第35文節 意識、あるいは知るということ。第36文節 ヘーゲルの言っている「他在のうちで自己のものになる」を確認する。第37文節 マルクスの結論的総評-「こうした説明のうちに、あらゆる幻想がいっしょくたになっている」第38文節 第一に「他在は自身のもとにいる」のなかには、フォイエルバッハが「思考の力にはあまることになる」と指摘した点が妥当している。第39文節 第二に人間の外化したものとしての精神世界を揚棄したにもかかわらず、それをもとのままで人間の真のあり方として復興してしまう。これはニセの肯定主義であり、見せかけだけの批判だ。フォイエルバッハの「否定の否定にへの批判」は当たっている。だけど、それは狭い。ヘーゲルの宗教・国家に対して順応するのは、この原理そのものに問題がある。第40文節 原理のウソを宗教論において見る。第41文節 「したがって」、ヘーゲルの否定の否定に対する考え方の問題。否定が肯定と結ばれている。そこには「止揚」ということが独特の役割をはたしている。 第42文節 『法の哲学』では、論理の展開で説明されるが、各々は人間の各契機である。各契機は人間のあり方としてそれぞれ運動しているが、それにより各々の運動が隠される。第43文節 ヘーゲルは精神(学問、哲学)だけを動的にみている。そのもととなっている現実は隠されている。自己を本質として、諸学説をその現れとみている。第44文節 論理学と現象学の関係。論理の本質のあらわれとして、現象が寿限無寿限無とつづく。第45文節 「止揚」の内容は、対象をそのままにしておいて、ただその解釈を変えるという解釈論。第46文節 ヘーゲルの止揚する現存在は、現実そのものではなくて、この学説を問題にしているだけ。学問上では批判的な解釈をのべているが、しかし現実の事態はあるとおりにみとめている。以上が、マルクスのヘーゲル哲学の、弁証法の「一面性と制約」にたいする分析です。以前に紹介された「あらかじめ」「要点」のアドバイスですが、それがどのようなヘーゲルを検討する中から引き出されたものなのか。ここでは直に、生にヘーゲルの検討がなされているということです。この学習から私などが何をつかむか問われます。これからの楽しみです。しかし、次のことは確かですマルクスが、あらかじめアドバイスとして述べていたことですが、これは、ヘーゲルの「絶対知」の検討から、必然的に引きだされてくる事柄だということです。この検討から引きだされた評価であり、結論であることが見えてきます。以前に読んだときは、いったい何をいっているやら・・・モヤモヤしていた面もあったんですが、この検討作業を調べることによって、何を言っているのか明確になります。これは、唯物弁証法とは、どのような中身で、どのように確立したのか。エンゲルスが『フォイエルバッハ論』において説明していることですが、これはその元になっているものですから、この箇所を読み解くことで、より明確になります。私などには、唯物弁証法を理解する上で、これは学習の一つの大事な道だと思います。三、この検討に対し、私などの感じた点ですが1、ヘーゲルは確かに弁証法を発見し、まとめたんです。しかし、まだそのままでは原鉱石のなかの金ですね。その解析をはじめてマルクスがしてくれた。今日では、すでにヘーゲルの業績とその批判というのは、ある程度は常識的になってきていると思います。がしかし、それでも一方では、まともな検討の対象とはしない多くの不毛な風潮があると思います。同時に他方では、「そんなことは、当たり前なこと」との当たり前の前提のように当然視する態度もあるかと思います。肝心なのは、真摯な努力がどれだけなされているのかです。そうした中で私は思うんです。研究者の個々人の探究というのは、良心的な人は研究されていると思いますよ。ある程度は常識的なこととされてます。しかし、私などの目には、その議論も関連する刊行物もほどど届いてないんです。議論がなければ、世間に周知のものとはならないじゃないか、なにをなまけているのか、と。戦後80年がたちますが、私などが見るのにマルクスの『経済学哲学手稿』「ヘーゲル哲学批判」に対する、しっかりとした丁寧な検討というのは、ほとんど見当たらないんですね。この弁証法を理解するうえで、科学的社会主義の哲学を理解する大事な材料であるにもかかわらず、世間はいったい何をしてるんだ、と。馬耳東風の状態をぼやいていたんです。しかし、ボヤくことをやめました。馬耳東風じゃない、討議の場がないだけで、心ある人たちはその世界の中で努力しようとしている、そのことを感じるようになったからです。他者に対しなげいているんじゃなくて、これは自らの問題であること。「努力をオープンにしつつ、さらに進め」、との気持ちにようやくにして悟りを得たということです。2、しかしまわりを見ていると、最近でも「マルクスは、弁証法について、まとまった著作を残さなかった」などの意見が見られます。これは、マルクスの書簡にある「(『資本論』に)時間を取られて、まとめることが出来ないんだ」という言葉から来ていると思いますが。確かにマルクスの生前には、「ヘーゲル法哲学批判」も「経済学哲学手稿」も「ドイツイデォロギー」も刊行されずに、草稿のままに人知れずにしまわれていたんです。その時点では妥当です。しかし、その後1932年には旧『ME全集』として、その中にはこれらの作品が刊行されているじゃないですか。日本でも戦前から先人の弾圧下での努力した話も聞きます。ましてや、戦後民主主義の下では、日本でも翻訳され刊行されているじゃないですか。民主的な学習・討議も可能じゃないですか。それなのに、私などには、今、学習の材料が、ほとんどない状況です。今日、『経済学哲学手稿』は、翻訳されて刊行されているんです。そのなかで、「マルクスは、弁証法について、まとまった著作を残さなかった」なんてことが、とっくに死語になっていることが、今でも時たま、聞かれるわけですから。これは討議が不足していることをしめしているとおもいませんか。ですから、このことは言えると思うんです。いくら個人が研究していたとしても、またそれが本になって出たからと言っても、討議がなければ、人知れず埋もれていく。それがみんなの討議やさらなる研究発表として、共同の努力が尽くされなければ、豊かなものにならないし、私などの一般人の目にまではほとんど届かないんです。活発に議論が尽くされてこそ、全体のものとなり、豊かになるんだと思います。やはり、それが足りないと思います。宮本百合子の『歌声よ おこれ』ですが、これは、やはり今でも求められていると思います。民主主義を徹底する課題をもつ日本です。民主主義を真に確立するためには、民主主義の中身をつくりだすこと、それに反するものとはしっかりとたたかうこと、戦前の亡霊が自民党政治に幅を利かせています。こんなことをまかり通らせていいんですか、犠牲者が報われると思いますか。これで歴史を前にすすめると思いますか。私たちの前には、この課題が厳然としてある、ということです。だいたい、活発な議論がなければ、せっかくの宝があったとしても、持ち腐れになるじゃないですか。レーニンの『哲学ノート』をみると、あの困難が山積していた世界大戦のさなかに、弁証法をつかむために、ヘーゲルの『大論理学』をはじめ、諸著作を読んでいた。それくらいの努力を、今日の民主主義的な条件下の日本にあって、自由はあるんです。しかしその自由を生かして、そうした努力を形にするような人は、誰れか出て来ないんですかね。私などはそうした努力がはやく出てくるのを楽しみにしているんですが。今回、悟ったつもりが、さらなるぼやきとなりました、ここまでです。マルクスの「ヘーゲル弁証法批判」も、おわりまであと少しです。
2024年09月06日
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台風10号の後の、みかん園へ手入れ小田原・早川のみかん園へ、9月3日(火)-4日(水)に手入れに行ってきました。今回の台風10号は、小田原でも550ミリ前後の大変な大雨が降りました。地域全体の被害のほどはまだ分かりませんが、さいわい、当方のみかん園は大事なしでした。みかんの木は、果実の肥大がはじまってます。早生みかんは、10月には小木から収穫が始まると思います。今回、9月4日(水)には、暑い日差しの下でしたが、今回も援農の人が来てくれました。作業は、みかん園の草刈りです。この写真ですが、どこにみかんの木があるのかわかりますか。二本あるんですが。繁茂する雑草に覆われて、この写真ではどこまでがみかんの木なのか、識別しにくいですね。今回、この木の周りの草刈りもしました。援農の方が来てくれると、ひとりで、ショボショボと草刈りしている場合とは大違いなんです。みかんの木の周辺の雑草は、かなりのところおさえれているんです。これが今回の草刈りの対象です。手前は、前回に草刈りしたところです。この炎天下では、1時間の草刈りで、汗びっしょりのヘトヘトです。今回の草刈り終了後に、援農者が手入している畑を見てみました。畑の様子に援農者も驚いてました。わずか1-2週間の前にきれいに草刈りしたはずの畑です。それが、今回見たら、地面が草で見えなくなってました。もしも草刈りしてなければ、背後にある高い雑草ですが、それが全体を覆ってしまっていたでしょう。小さなみかんの木などは、もう完全に埋もれちゃうことになっていたでしょう。今回の台風の大雨を受けて、雑草たちはますます生きいきと繁茂してくるわけです。みかん農家は、どこも同じです。いずこも、繁茂してくる雑草との間で、この炎天下の中でも、草刈りに頑張っているんですね。それできれいな畑が維持されているんです。次の写真を見てください、気になってるのは、人の力よりも自然の力のが大きいことです。みかん畑の境界にお茶の木が植えられてるんですが。お茶の木が大きくなり、それにクズが巻き付いてせり出してきている。それがみかんの木に巻き付いていたんです。今回、草刈り機とトリマーをつかって、畑の端側の草刈りをして通路をつくりました。写真の上の方に、当方が行きたい畑があるんですが、雑草に埋もれちゃってます。そこに行こうとしたんですが、まったく通れなくて。今回できたのは、そこへ行くための道づくりでした。本題の畑の草刈りは、まったくできていない。当方の手入れしている畑は、写真の上の方にあるんですが、その手前の畑が、小屋の裏手にある畑ですが、数週間前は綺麗だったんですが、今回みたら、雑草が繁茂しだしている、人の手が及んでないんです。これは、つい最近のことです。自然の力が、畑を占領して押しつぶそうとしてるんですね。今回の台風は、それ自体の被害はたいしてなかったんですが、それ以上に、もっと大変な問題が、今の農家に押し寄せてきています。農家の人たちは、みな体力のギリギリまで頑張っているんです。私なども「小田原・石垣山のみかん園を守ろう」とのことで、援農者の人たちと協力して、今回もギリギリ頑張ってはるんですが。問題は、台風以上の大きな問題が、見ての通り、提起されているということです。
2024年09月05日
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みかん園の8月には雨も今回の台風10号は、湘南地域にこれまでにない雨をもたらしました。台風の目が、中心は来なかったのに、その大きな渦がかかり続けた。小田原では8月26日(月)の夜には強い雨が降った。それから9月1日(日)まで降り続いた。断続もありますが、大雨が1週間も降り続いたことになります。台風一過で、富士山も見えだしていましたが、それでも、やはり雲がかかってました。みかんは、嵐と大雨に耐えていました。しかし、まわりの雑草ですが、この大雨で、雑草の方は大喜びで、息を吹き返しだしてます。ニュースを見ていて、気になるんですが大雨の瞬間は、そのひどいところをニュースが報道します。しかし、いったい、この台風の被害の全体な状況はどうなんでしょうかね。水害にあった人たち、その家、水に使った車、田畑、崩れた道路、鉄道。台風が過ぎると、これらのことはニュースから消えます。もちろん、実際を把握するには時間もかかるのは分かりますが、それでも、まったくの明と暗、すっかり報道から消えてしまうというのは、どうしたことか。被害の状況はどうだったのか、広域ですが、どのような被害がおきたのか。ニュースに頼るのは一つ方法ですが、国が責任をもって把握し、発表するようにはなっていない。被災にあった人たちに、どうしたらよいのか。どのような支援制度により、国や県、市町村から支援がはかられているのか。被災した人たちとしては、自力は限られてます。その被災者の人たちに対して、それをつかみ、どのような対応がもとめられているのか。氾濫する川の様子や、街や田畑が水に使った様子を、最悪のメディアからの報道でしか分からない。マスコミの方は、台風が過ぎて雨が止んだら、報道から消えるわけです。これまでも、そうでしたが。あとは暗闇で、どのような努力がなされているのか、わからない。はたしてこれで、被災した人たちにとっても、明日は我が身である国民にとっても、この災いが生きた教訓になるんですかね。今やニュースの焦点は総裁選挙ですがそこでは台風のために延期するとの選挙の都合の問題としては考慮はされてますが、被災の現実をどうつかみ、この国難にどう対処するのか、この肝腎なことが語られてない。実際に言ってるのは、「軍備増強で国を守る」「憲法を変えて自衛隊を明記する」とか。ようするにこれは、支持基盤のとなってる社会的な闇の勢力にたいして、政官財の諸悪の政策の推進を、忠誠のあかしとしてアピールして、競い合っているわけです。そこには、国民の置かれた状態や、切実な声はない。これじゃぁ変わらないし、悪い方向へ方向へと、草木もなびいているわけです。いやいや、私が言いたかったのは、その問題ではなかったんです8月は台風のシーズンです。以前に8月のみかん作業と、8月の作業の結果を紹介していたんですが、その中に、あらかじめの台風に対する考慮が抜けていたんです。毎回、どうも結果論的な認識であり、対応だった。8月の台風の影響による雨ということ、それを念頭にすることが弱かったという反省です。今年は、 去年(2023年)は 一昨年(2022年)は 8月13日台風5号 8月1日雨 8月13日台風8号 8月19日台風7号 8月9日台風6号 8月16・17日雨 8月26日から9月1日台風10号 8月13日台風7号 8月24日雨 8月23・24日雨 8月30日雨ようするに8月のみかん園というのは、中心課題は、9月までにみかん園の草刈りを終えるために、草刈りを進める時期なんですが。カンカン照りの猛暑の日差しの下でのこと、それと同時に「野あき」です。台風とその影響による雨ですが、これが毎年やってくる時期なんですね。雨が降れば、表での仕事は出来ません。この二つの自然を考慮して、作業を組み立てておかなければならないということです。毎年、9月に入る時、反省させられていたんです。思ったより草刈りがすすんでいない、と。それには、こうした自然条件が、かかわっているんですね、今回の台風のおかげですが、この数年の記録を調べ返してみたんですが、酷暑と台風の影響、それは『源氏物語』にも出てくるむかしからのことですが、あらためて、その認識を新たにさせられました。
2024年09月03日
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台風被害は、住まいと畑の見回り大雨をもたらした今回の台風10号ですが、小田原・早川のみかん園の被害はどうか、9月2日(月)に見回りに行ってきました。今回の台風10号は、結果として台風の中心は、小田原のみかん園には来なかったんですが。しかし、それにもかかわらずニュースで報道された通り、神奈川県の海岸沿いの地域では、長期間降り続きました。これまで当地では、こんなに雨が大量に降り続くなんてことは経験したことがないんですが。小田原のみかん園でも、8月27日(火)午後から、28、29、30、31、9月1日(日)まで、雨が降続きました。私などは、27日昼に帰京して、八王子から注視するしかなかったんですが。降水量は、たちまちに300ミリが伝えられ、さらに降り続き500ミリ余とのことです。今日・9月2日は晴れで、雨は収まりました。しかし、この地域でも、まだ全体の様子は分かりません。私などは、八王子-小田原間の交通に支障がなくなるまでは動くことはできません。以前の経験で、直後にむかったら、途中の厚木市あたりが道路の開通待ちの車で、めちゃくちゃで。動けなくなり、ゆくことは不可能で、帰ることも容易でなく、難義したことがあります。今日・9月2日(月)は、午前9時半発でしたが、途中の交通事情は、いつも通りにもどっていました。それで、小田原・早川のみかん園の見回りに行ってきました。相模川も酒匂川も、中州は見えだしていましたが、草は倒されていて、一変していました。今回の眼目は、みかん園と周辺の見回りと、近所の人たちのお見舞いのみです。この台風は、勢力も大きく、ゆっくりした移動でしたから、ニュースにも見られますが、各地に大きな被害をもたらしていると思います。被災された受けた方々には、お見舞い申し上げます。上の写真は、9月2日(月)正午頃の、みかん園から見た小田原の市街地方面の様子です。天気は晴れ、台風一過の強い日差しにもどっています。左の電柱の先の方のところに小田原城が見えています。鉄塔の右側に広がっているのは相模湾ですが、泥水により海の色が変わっています。これは、酒匂川が運んだ泥水が海に流れて、それが広がっている様子です。雨の大きさを示しています。台風の中心は当地からは遠くにあるのに、その大きな渦によって海から湿った風が吹きつけてくる。それが丹沢山系や箱根山にぶつかって、小田原に今回の大雨をもたらした。それが長時間続き、500ミリ余と、当地の降水量も大きくなった。これまで雨というのは、台風の中心が通過するせいぜい1日か、2日のことでしたが。今回の場合は、台風の中心が来ていないのに、7日間も大雨が続いた。こんなことは、これまでには経験したことのないことでした。今回は、行って、見て、帰るのとんぼ返りの小田原行きでした。とにかく、住宅とみかん畑の周辺で、何か問題が発生していないか、その現地見聞です。また、近所の人たちはどうか、問題はないか。そのことを、ざっと見てまわっただけで、すぐのとんぼ返りでした。さいわいにして、見聞できた限りでは、いずれも、大事はありませんでした。やれやれですが。これから、残暑か雨かの、目まぐるしい天候ですが。明日からふたたび、全体の状況を調べながら、普段の作業にとりかかります。
2024年09月02日
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