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どうやら何年かぶりに風邪をひいたようです。微熱と、鼻水と、のどの痛みに頭痛。。。ちょっとだけ咳。体調、イマイチです。ところで今回、この話題を提供して下さった患者さんのご家族から、驚くような噂話を聞きました。入院患者さん同士の噂話です。どうも長らく手術待ちしていた患者さんか、そのご家族がまことしやかに言っていたそうなのですが。。。 「お金を渡せば、手術の順番が早くなる 若い患者さんは、早く手術してくれる」はぁこれ、ありませんから。そもそもですよ、米村先生がカネで動くような医者ならば、あたしゃボランティアでこんな活動を10年以上もやってませんてば。アホらし。これがホントなら、米村先生から大金ふんだくってまんがな。米村先生がこんな噂話を知ったら、嘆くだろうなぁ。。ぶち切れるかも。。。結構、怒るんですよねぇ何度、当たられたことか。。。アタシに当たるな。。。って言いたい。かなり以前ですが、ある患者さんのご家族から 「どうすれば、手術の順番を早くして頂けるのでしょうか」と聞かれたことがあります。この裏には、「お金を幾ら包めば良いのでしょう」 と言う意味を感じましたので、私、ついカチンときちゃいまして、この方からのご相談はお断りさせて頂きました。皆さん、命がかかっていて、誰もがじっと正規の順番を待っておられるのです。命がけは誰もが同じですからね。一般的な癌より6倍もの速さで進行すると言われる、スキルス胃癌の患者さんを最優先して手術しておられることは事実ですが、あくまでも、患者さんの病状と照らし合わせて順番を組んでおられます。進行の遅いタイプの癌の患者さんは、どうしても、お待ち頂く時間が長くなってしまうだけのことなのです。この点はくれぐれも、誤解のありませんように。肝心のテーマに戻ります。この70代の虫垂癌の男性患者さんは、再発です。どうしても、再発癌の手術は初回の手術より回復が遅れる傾向があります。この患者さんの場合は、年齢もありますけどね。連日、付き添っている奥さんは、ほんのちょっとの状態変化も見逃しません。良くなる分は良いのだけど、僅かでも後退してしまうと一気に悲劇のヒロインと化してしまいました。この 「悲劇のヒロイン」 という表現はお見舞いに出向いた娘さんが言われた言葉なんです。実の娘から見ても異様な光景であり、異常な状況だったと。毎日、不安から何度も何度も電話をかけてくる母親が心配となり、こちらも遠方からやって来られたのです。あの大雪の影響ですぐに来れなかったんですねぇ。長年連れ添った配偶者がステージ4の癌となり、手術して元気になったのに、2年という時間を経て再発となり。。。 ※2011年秋 虫垂癌・腹膜転移判明 2012年春 米村先生による腹膜切除施行目の前には、ぐったりしている夫。退院は延び、その分出て行くお金は増える。今後の治療費、生活費・・・そんな事まで考え始めてしました。癌治療はお金がかかりますし、病院が遠ければ交通費や滞在費もかかる。付き添いさんだって食費がかかるし、洗濯もしなければならない。先が見えない中で、お金ばかりが出て行く事実。そんな中で、これまでの経過を思い起こし、かかったお金を思い出し、あとどれくらい生きられるのか・・・なんて事まで考え出し・・・兎に角、早く良くなって貰わなければ、そのためにはどうしたら良いのか・・・と考えた時、この奥さんがしたことは、病室に来るナースや医師に逐一症状の変化を伝えました。これは一見、良い事に思えますし、必要なことでもありますが、ちょっとばかり度が過ぎてしまいました。ほんの少しの変化が不安で、その変化が起こらないようにとなんでもかんでも、患者さんにはさせずご自分で手を出すようになってしまいました。こうなると、患者さんの方はまったくもって動くことをしなくなり、故に、リハビリもしなくなり、回復がどっと遅れる結果になってしまったのです。つづく
2014年03月30日
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ご多分にもれず、我が家のPCもXPでございます。もはやこれまで~と諦めて、ようやく昨日、どたばたと入れ替えました。普通なら 「7」か 「8」かと言うところでしょうけど、VISTA です。そもそも、PCって細胞分裂でもするんだろか・・・ってな感じで、我が家にはPCが転がってるし、ノートPCは積読の本のごとくだし。。。何故こんな現象が起きているのか、私にはさっぱりわかりません。みんな中古やジャンクですけどね。まぁ、うちの博士の趣味ってとこかしらん。先日の話の続きです。今回、なぜこのような話に焦点を当てたかと言うと、患者さんの回復を、あろうことかご家族が妨げてしまうこともある事を実例をもとにお伝えするためです。何故、そのような事態に陥ってしまったのか。。。それは、私自身も経験した超閉鎖的な空間に居続けた故に起こるご家族の精神不安が原因だと考えます。精神状態が普通ではいられないのは、何も患者さんだけの特権ではないです。家族も同じです。時に。。。人は自分の命なら、諦めることもできましょうが愛する人となると、それは難しい。それが、頼り切っていた相手ともなれば尚更のこと。その人がいなくなった後の生活など、一瞬たりとも空想しようものなら大変です。苦し過ぎます。耐え難いです。米村先生のところには、遠方から来られる患者さんが多いです。こういった患者さんが手術、入院となると、ご家族はホテル等に泊まっての連日の付き添いとなります。中には、病室に泊り込むこともあります。非日常生活の開始です。つづく
2014年03月28日
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ちょっとばかり前、再発の虫垂癌の患者さん(70代・男性)のご家族から、風変わりな経過報告が届きました。再発後、先だって手術を受けたばかりです。この患者さんの話は、過去に何度か書いていますので、「あっ、あの患者さんかな」と察しがついても、今回は気付かぬふりで宜しく今回は病状の方はちょっと置いておいてですね、入院中の 「困った」 に視点をおきます。でも心配しないで下さいね。ちゃんと回復して退院となりましたから今回の内容は、私自身の経験も織り交ぜます。遠方からの来院で、1ヶ月を越えるような入院生活となると、「普通」じゃいられないのは、何も患者さんばかりじゃないですからね。今回は、そんな付き添い側が陥りそうな 「危険」 な話を。先ずは、私の話。2002年、私は父の病室に泊まり込んで看病していました。父の状態から、病院側から付き添いを頼まれた形でした。目を離すと、栄養の点滴の針を抜いてしまったり、鼻に入れている管を抜いてしまったりする父でしたからね。その間2ヶ月弱。病院までの距離は、車で高速を飛ばして2時間半~3時間というところ。病院は近くに2軒のコンビニがあるだけで、な~んもない場所でした。泊り込む家族としては、このコンビニでお弁当やおにぎりを買って食べるか、病院内の食堂、これが昔の社員食堂みたいな食堂で、お世辞にも美味しいとは言えない・・・そんな場所で済ませるしかない食生活でした。にコンビニ弁当は飽きるほど食べたから、未だにコンビニ弁当は、どんなに美味しくなってもあまり買う気になれません。24時間体制で付き添っていたので、常に病室に篭りきり。個室だから、話し相手もない。脳挫傷を負って前頭葉を負傷した父は、話相手にはなりません。病室で父の側にいてもこれと言ってする事はなく、本を読んだり、転寝をしたり、テレビを見たり。。。唯一の安らぎは、ヒゲさんとのメールでした。今と違って学習機能もなければ、ネットにも繋げないようなケータイの時代でした。たまに、病院内にノートPCを持ち込んでいる若い男性患者さんを見かけましたが、ネットに繋ぐ手法と言えば、公衆電話にテレフォンカードを差し込んでのダイヤルアップ回線。。。(お若い方は知らないでしょうねぇ 時代は、恐ろしい程の速さで流れていますねぇ)癌専門病院ですから、この患者さんも癌患者さんです。必死に情報を集めていたのか、当時は滅多になかったブログでも書いていたのか・・・公衆電話にずっと座り込んでいる姿を見ました。何と申しましょうか。。。もの凄く狭い世界にずっと入り込んでいた感じです。たまに話す相手は、顔なじみになった看護師さんくらい。医師の噂話や、病院の中の話とか聞きましたね。私の場合は、こんな風でしたから、院内で他の患者さんやそのご家族との交流はゼロ。隣の部屋の患者さんさえ知りませんでした。患者さん同士が会話する光景も見た記憶がありません。実に閉鎖的な社会空間だった気がします。こんな空間に毎日いたら、おかしくもなりましょう。。多分、私も十分おかしくなっていたんじゃないかと思います。考えることは父の病状のことばかり。既に、治療対象外となっても、その都度出る症状、対処内容、全部、事細かに記録していましたからねぇ。意味ないのに。。。その行動が病院側からは 「要注意患者」 と思われていたフシがあります。これから書こうとしている、虫垂癌の患者さんのご家族の話は、私の当時そのものかもしれません。つづく
2014年03月25日
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久しぶりにお若い患者さん(20代)の近況が届きました。過去にも、この患者さんの話は書いています。ご相談メールを送ってこられたのは、患者さんの母親です。癌患者となった若き息子を不憫に思う心と、母親としての責任との狭間で揺れ動く心模様を書いてきました。当時20代前半だった息子さんが胃癌・腹膜播種・肝転移と診断を受けたのは2011年2月ですから、3年前になります。この頃、腹水も認められていましたから、正真正銘のステージ4の末期。手術対象外であり、シビアな余命宣告も付いてきました。診断を受けた後、癌専門病院に転院して抗癌剤治療を受けていた頃、2011年の秋に相談メールが届きましたから、かれこれ、私とは2年半くらいのお付き合いです。その後、米村先生の元へ来られ、米村先生の手術(腹膜切除+術中温熱療法)を受けたのは、2012年2月。2年前です。開腹するとやはり癌は進行していて、暫定的ではありますが、ストマを余儀なくされました。その後、術後の抗癌剤治療 ゼローダ+シスプラチン 施行。シスプラチンは術後2年経つことから 「卒業」 となり、今はゼローダのみです。患者さんは20代前半から半ばとなり、普通の生活を送りお元気です 過去には、抗癌剤治療中の副作用の辛い期間、アルバイトを休む事に対してクビ宣告をした雇い主、そうではなく、理解を示してくれる雇い主の話を書きました。今回の話はですね。。。。シスプラチンを 「卒業」 してから、どうもゼローダの薬屑が見当たらない。飲んだところを見かけない。不審に思って、お母さんは尋ねたそうな。すると、「部屋で飲んでる」 とぶっきらぼうに答える息子。でも、なんだか嘘臭い(母親のカン)20代も半ばになった息子に、どこまで干渉して良いものやらで悩んでいる時、たまたま、お知り合いの訃報が届いたのだそう。やはり胃癌で手術を受けた方で、術後は、抗癌剤治療を本人の意思で拒否していた方だそうです。数年経てのことですから、術後の抗癌剤治療の拒否が原因とも言い切れるものではありませんが、ご主人とそんな話をしていたのを、息子さん、聞いていたようです。それから、これまで通り薬屑を見るようになったとか。。。思わず、お母さん、笑ってしまったようです。以前は、未来なんか全く見えなくて、息子が不憫でならなくて、短い命なら、やりたことをやらせて、叱ることもせず何でも言うことを聞いてあげよう。。と思った時もあったけど、今は、見え始めた未来の為に 「叱る」 こともあり。。。癌という病気が、成長させた息子の一面を見ることもあり。。。いつの間にか普通の 「親子」 になってます3年前、胃癌で腹膜播種で、肝臓に転移があると言われ、腹水まであったのですから、今のこの時は正に、奇跡。。。医療関係者なら、誰もが 「奇跡」 と言うはずです。
2014年03月22日
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週末の土曜日は、千葉に出かけて参りました。今回のルートは、久里浜からフェリーに乗って千葉へ渡り鴨川へ1年ぶりに行った鴨川シーワールド。イルカも、シャチも昨年より技が磨かれていてとっても良かったですそれから東京ドイツ村へギリギリ入園時間に間に合ったけど、もっとゆっくり見たかった。。。今日は2013年2月23日に書いた、60代女性患者さんの近況を。この患者さん、腹水が2L以上溜まる状態からの癌闘病スタートです。丁度2年前に、腹水と同時に癌が見つかりました。PET CT で大腸付近が光り原発が腹膜という珍しい癌です。その後、米村先生の元へ来られ、抗癌剤治療が開始されたのですが、過去の日記を読んで頂くとわかりますが、抗癌剤治療中にこの患者さんも異常行動を起こすようになったんです。多くの場合、欝状態になったり、先だって書いた50代の腹膜偽粘液腫の女性患者さんのように、行動や言動に異変が生じると、大きなストレスが原因とされます。癌という病気なのだから、これは致し方ない、精神科医のお世話になりながら治療を頑張りましょう。。。となります。ですが、この腹膜癌の患者さんの場合は、アカシジアという症状だったんです。抗癌剤治療を受けるにあたり、心配するのは抗癌剤独特の辛い副作用です。吐き気や、脱毛、食欲不振、下痢、倦怠感等々。。兎に角、抗癌剤にばかり目がいきます。でも、この患者さんの場合はこの抗癌剤の副作用を防ぐ為の吐き気止めによる副作用(・・ややこしい)で、こうなってしまったのでした。誰もが気軽に服用している吐き気止めで異常行動、言動を起こすようになるなんて、驚きました。薬が原因なら、止めたらよろし・・・で吐き気止めを止めたら、普通に戻りました。2012年9月に無事に手術となり、今現在に至ります。それから1年ちょっと経った昨年の11月に、再発らしき兆候が見られたので術後の抗癌剤をUFT/ユーゼルからTS-1に変えました。腫瘍マーカーのCA125 が微妙な推移をしていて現在、経過観察中。検査上は、なんとも言えない状況ながら、当のご本人は大変もってお元気です。目下の趣味?は神社のお参り。朱印帳にご朱印を集めておられます。神社に詣でてするのは 「お願い」 ではなく、これまでの感謝の気持ちを伝えておられるのだとか。今、この時をこのような状態で迎えられている喜びと感謝の気持ちを神様にお伝えしているのだそう。娘さんも神様に、「お礼」を言う日々だとか。そうこのご家族、一時は本当に地獄の日々でした。短すぎる余命宣告、何とか前を向こうと必死になれば、異常行動に言動。家族皆が連日夜も眠れず、神経過敏となり、神経が擦り減り疲れ果ててしまったこともありました。もう緩和ケアにいくしかない、もう無理、もうダメ。。。と。でも、今は普通の生活を取り戻し、検査結果に不安はあるもののあの辛い頃を思えば今は十分幸せなんです。で先日の米村先生の外来で、おかしな推移をする腫瘍マーカーをみて、画像検査結果をみて、 わからん。。。と呟く米村先生にこの患者さん、何て言ったと思います わからんのなら、またお腹を切って中を見ますか焦ったのは米村先生と付き添いの娘さんです いやいやいやいや いやいやいやいやと言葉を発したんだそうな確かに有る意味、爆弾発言ですな。腹膜に癌が見つかって2年。抗癌剤治療して、腹膜切除+術中温熱療法を受け、そして今、普通にお元気に過ごしておられます
2014年03月16日
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昨年、2013年3月25日に書いた虫垂癌の患者さんの近況です。過去にも何度かこの患者さんの話は書いております。ざっと書きますと。。。2009年1月に腹膜炎で手術を受け、その後の病理検査で虫垂癌が判明。PET CT で腹膜播種が確認されました。その後、遠路ながら直ぐに米村先生の元へ来られ、手術日程が決まりました。ですが、手術日までまだ間があるというある日、突然の腸閉塞。地元病院に救急搬送となり、そこでは緊急手術の提案がなされるも、そのまま、本来の手術日を待つこととなりました。そして、予定通りに米村先生の手術を受けたのが2009年4月です。1月に虫垂癌・腹膜播種が見つかってから、ご主人は直ぐに米村先生に辿り着いたのですが、本人に真実を伏せていたこともあって、遠くの病院での手術の説得に時間が必要でした。 なんで大阪くんだりまで行って手術受けないといけないのよ ここの病院でいいじゃない と、奥さんに文句を言われながら、 頼む、大阪で手術を受けてくれ 俺の一生のお願いだと、ひたすら頭を下げまくりました。。。まぁ、これは私の妄想が入ってますけど、実際、これに近いことはあったようです。あんなこんながありまして、2009年4月、そう、もう5年前ですね、米村先生の元で、腹膜切除+術中温熱療法を受けたのです。それから半年後に尿管に穿孔が見つかり、2010年1月に、尿管の穿孔を塞ぐ手術が行われました。術後の抗癌剤治療は2012年春に卒業となり、今に至ります。はい、ちょっとだけ早いけど術後5年経ちました腸閉塞を起こしたと電話が来た時は、まさか、こんな5年後が迎えられるとは私も思ってませんでした。私自身が感動というか、感激というか涙うるうるです本気モードで嬉しいです。で、つい先日、ご主人が写真を送ってくれましてね。そこには、ご主人と患者さんであるカズコさん、そして、自営業を営んでいるので職場のスタッフと、なんと、たまたま訪れたという、有名人が写ってました。誰かって?アルピニストで有名なあの方カズコさん、本当に普通にお元気されてます。お仕事と、家事をちゃんとこなしておられます。それでも悩みはあるようですけどね。これ、ご主人がこっそり教えてくれたんですけども、 もうじき、1年ぶりの米村先生の外来日なんですが、 米村先生に見せる顔がないと言うか、診せる腹がないって ダイエット敢行中です太っちゃったみたいです。以前も、同じようなことがありましてね。お腹が膨らんできて、まさか、腹水それとも、腫瘍って相当ビビっていたのですが、CT検査の結果、米村先生の診断は ただの脂肪、太りすぎやだったんですだ・か・ら・・・ダイエットせなってなったみたいですよ。写真で見る限りでは、そんなに太ってませんけどね~普通だと思うけどなぁ。。ここは癌患者というよりも、複雑な乙女心ということで
2014年03月13日
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3年前の今日は、大変な地震でした。あの日。。。本当はうちの博士、仙台行きの予定でした。それが前夜の8時、どうにも資料が揃わないからと急遽中止となりました。予定通りに仙台に行っていたらどうなったのか。ここもかなり揺れ、地震直後の停電で信号機も消えました。直ぐに流通も滞り、ガソリンスタンドには長蛇の列。スーパーからはお米やパン、インスタント食品、レトルト食品が消え、トイレットペーパーや乾電池もなくなりました。ニュースで関東の品不足を知った、そりゃないよさんのお母さんからお米やパン、即席ラーメン等々がダンボール箱に沢山入れて送られてきました。他にも北海道や関西、九州の患者さんのご家族から、ご支援の打診を頂いたんですよね。あの時の感謝の気持ちは、今も忘れていません。ところで、今日は昨年9月に書いた、腹膜偽粘液腫(50代・女性)の患者さんご本人から、愉快な近況が届きましたのでお知らせします。 (※過去の日記を参照方)前回までの日記にも書きましたけど、病気や入院を機に精神を病んでしまう方は実は珍しくはありません。多くの場合、一過性であり、ご自分をちゃんと取り戻しておられます。ですが実際、そういった精神異常とはどういったものなのかわかるような、全然わからないような。。。と言うのが、周りの方々の正直な感想ではないでしょうか。それで実際、「おかしい」 状態を経験されたこの患者さんご本人のお話をご紹介します。この患者さんの場合、過去の日記を読んで頂くとわかりますが、癌という病気になった事に加え、手術後に起こった消化管穿孔で、ドレーンを付けたままの生活を1年過ごしました。この異常事態が、長期間続いたことからストレスが溜まり、精神に異常をきたしたのでは?というのが、医師の見立てでした。そのおかしい時期を、ご本人が振り返っての感想なのですが、テレビでも鬱病を克服したタレントさんが、ご自身の体験を語る番組を見て、実に頷けるのだそうです。共通しているのが、強迫観念に駆られる、疑心暗鬼に陥るという点です。この患者さんも、絶対的味方であるご主人が 「悪党」 に思えたんだそうです。常に自分を監視している悪党だと。そうそう当時、 ひろりんさんも、相当の悪党だと思いました(笑)ってありました。今思うと、本当に笑えますってで実際に起こした異常行動なんですが、あげたらキリがないんですけど・・・って前置きがあって、幾つか教えてくれました。トイレに立てこもったり、夜な夜などこかの妖怪と交信したり、塩をそこらじゅうにばら撒いたり、醤油で煮ただけの大根を食べまくったり。。。(ん~、確かに異常だ、 ご主人の方が、気が狂いそうだったというのも頷ける)それが今は、こんな当時を冷静に思い出し、自分は確かにおかしかったと、ご自分で認めておられます。消化管穿孔を塞ぐ手術を受け、その際に再発の癌が見つかり、癌の切除が行われ、その結果、暫定ストマと新たに出来た消化管穿孔のドレーンの生活となりました。状態だけを見ると以前のストレス生活と、あまり変わってはいないように思えますけど、大きく違うのがこの精神状態です。2ヶ月に1度の定期外来を、ちょっとした観光と捉え、台所には米村先生とのツーショット写真を置き、普通の日常を過ごしておられます。おかしかった頃は、周りの誰もが 「ドレーン生活のせい」 だと思ってました。だからこの穴さえ塞げば、きっと戻ると信じてました。辛いことには原因があって、その原因さえ取り除けば明るい未来が見えると誰もが思います。だけど、実際はその 「原因」 を取り除いても何も変わらないことの方が多いです。「何かのせい」 にすれば気が楽になります。でも、肝心要はそこじゃない。何かのせいではなくて、辛いとしか感じられない真の原因は、自分の中にある。。。。んじゃないかなぁ。それを乗り越えなければ何が変わっても、何時までも辛いままなんじゃないかなぁ。この患者さんの場合、おかしな事に、長引いたが為の入院生活で得た米村先生との触れ合いが、自分を取り戻すキッカケとなりました。だから、米村先生との写真はこの患者さんにとって、何よりのお守りです。米村先生のお陰で、私も「相当の悪党」から仲良しのお友達になれました良かった、良かった
2014年03月11日
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本来の癌サポに戻るつもりでしたが、もう一つだけこの話題、書かせて下さいませ~うちの母、「ボケ老人」 判定されていた(と思われる)内科入院中の病室は介護施設のようだったと書きました。つまり、自分のことが自分で出来なくなった要介護のご老人ばかりで、こういった患者さん方を担当する看護師さん方は、何でもかんでも、やってあげな仕方ない訳です。だから母でもお願い事をすれば、看護師さんは 「はいはい」 って何でもやってくれました。本当に優しいというか、親切というか・・・実に至れり尽くせり病室だったんです。ところが、整形外科病棟に移ってからは環境はガラリ。ここは、一時的に手や足が不自由な方の集まりで、基本、何でも自分で出来る方々の集まりです。(中には、要介護の痴呆の患者さんもいましたけどね)内科にいた頃のノリで、看護師さんに頼み事をしようものなら、 「そのくらいは自分でやって」って返ってきます。最初は、この違いにびっくりしました。そもそも私自身が、癌患者さんしか知らない。癌センターや、大学病院の環境しか知らない。癌患者さんばかりをみている看護師さんしか知らない。えっ、えっ、えーーーーって感じで、ある種のカルチャ-ショックというか、アタシって何て世間知らずというか・・・ここは、自分でやらないかん病棟なんですよね。これもリハビリの一つなんですよね。何でもかんでもやってあげちゃ、本人の為に良くないんですよね。母も最初こそは、ぶちぶち文句言ってましたけど、文句を言っても仕方なく、許された僅かの自由空間の中で、(ベッドの上で右にごろん、左にごろん程度ですが)努力しつつ自分でやっておりました。と言うより、やるしかない環境となりました。結果的に、これも良かったのだと思います。人間って優しさだけを与えられても、ダメな生き物なのでしょう。体調悪くても、痛くても、出来ることがあれば、無理の無いていどに自分でやるようにしないと、生きる張り合いって生まれないものらしい。。。です。まぁ、これも一つの症例ということで
2014年03月05日
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先日、経過を書いた患者さん、「80歳恋する乙女さん」は体の回復は順調で、既に退院されています。精神的な面は、まだイマイチ状態ですけども、ご自宅で過ごすことで少しずつ戻っていくでしょう。術後の入院は基本的には、全てにおいて2週間を予定していますが、患者さんの状態により左右します。「80歳恋する乙女さん」 は予定より5日ほど延びてしまいましたが、これは、やはり年齢的なものを加味してのことのようです。娘さんからは、 手術待ちしている患者さんをお待たせしてしまって、すみませんとのメッセージを頂いております。ベッドは今もフル回転状態でして、退院患者さんが出ると次の患者さんの手術・・・ってな感じなのです。3月の手術予定も、患者さんサイドから複数ご連絡を頂いております。日程が決まった患者さん、今も連絡待ちの患者さん、体調を整えて頑張って下さいね。ここからが本題です。内科に入院して1ヶ月経つころ、ようやく 「戻ってきたかな」 という状態になりました。病状の方は画像上、肝臓の膿瘍はほぼなくなりました。それでも、CRPが 4で下げ止まってしまいました。それに平行して、入院当初から訴えていた腰痛が消えないどころか、更に増した様子。そこで再度検査をしたところ、今度は、脊髄近くに大きな膿瘍が見つかりました。骨にも顕著な炎症が見られます。骨に異常が見つかったことから、ここで、内科から整形外科に戻ることとなり、また、病室の引越しとなりました。処置としては、肝臓の時と同じで針を刺して膿を抜きます。場所柄、針を留置するのは危険なので、今回は吸い取るのみ。その後、抗生剤を駆使しての菌退治です。ただ今回ばかりは、場所が場所だけに絶対安静が義務付けられました。骨が炎症を起こしているという事は、骨折しやすくなっているということ。ここが折れたら、下手すると半身不随になってしまいます。一生、歩けない立てない状態になる可能性が大です。ここから、正真正銘の「寝たきり生活」が始まりました。食べるのも、トイレも、何もかもベッドの上です。起き上がることは許されず、「ギャっチアップ 30」 の指示。これは、30度まで起き上がっても良いということ。これは食事の時だけです。こんな状態が、実に丸々3ヶ月続きました。3ヶ月も続くとは、思っていませんでしたけど、1~2ヶ月はかかると予想はしていました。さぁ、大変です。本気モードの寝たきり生活ですからね。やっと回復してきたと思った 「ボケ状態」 がまた逆戻りになると危惧しました。ところが、ここは整形外科病棟。同室の方々は、アクシデントで骨折して入院している方ばかり。皆さん、頭の方はしゃきしゃきしておられます。若い頃、仕事で単車を乗り回していたという90代の姉御肌のお婆ちゃんには、驚きました。頭はうちの母より、ずっと若い動けずとも、話し相手には事欠かなくなりました。ここに来てからは、テレビカードはどんどん減りましたし、新聞が届くのが楽しみになりましたし、こそこそとケータイから電話をかけてくるようにもなりました。丸々3ヶ月の寝たきり生活の後、ようやく炎症も治まり、CRPも下がり、退院となったのが、今から1年前。今はですね、お陰様で友達と旅行に、カラオケにと杖も使わずに自由に動き回っております。これまで、「ボケたんじゃ」と思われる症状の患者さんの報告は、年齢は50代~届いています。うちの母のように手術というよりも、入院を機にどうやら起こっているようです。一過性の方が殆どで、皆さんが、本来の自分を取り戻しておられます。ただ、残念ながら取り戻せないまま、癌が進行して他界された方もおられます。有る年代を越えると、治療と言う名の入院が、自分という人格を失わせるキッカケを作ってしまう場合があります。予測不能だし、対処マニュアルがある訳じゃない。そんな中でも、病気の進行は待ってはくれない。だから、「治療という名の入院」 を拒否することはできません。一つだけ言える事は、自分が大切にされている、愛されていると感じることが何よりの薬になるってことかな。本人が感じないと意味ないです。骨折したお婆ちゃん方、家族が来て心配してああだこうだ言われると本当に嬉しそうでしたから。良い笑顔でした。長々と余談にお付き合い頂きまして、ありがとうございました。次回からは、本来の癌サポートにもどります。
2014年03月03日
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今、見ごろの河津桜を見て来ましたこちらは、松田山ハーブガーデンの 「河津桜」こちらは、南伊豆、下賀茂の 「菜の花畑」一面の菜の花は、圧巻で一見の価値は十分にありますこちらは下賀茂の 「河津桜」 みなみの桜でお馴染みですこちらが本場の 河津の 「河津桜」私的には、この中での一番のお薦めは、下賀茂の 「河津桜」です本場、河津ほどの知名度がないせいか、人も少なく河津ほどの観光化もされてもなくて、それが良いです。実に素朴で、ありのままの愛らしい河津桜並木というイメージ。こちらも広範囲の桜並木です。穴場です。本題に入ります。母の治療は、膿瘍が大きいので、直接肝臓に針を刺して膿を抜くという処置でした。抗生剤の投与と併用して、2週間ほどのドレナージ。徐々に膿は抜け、抗生剤の投与でCRPも少しずつ下がっていきます。私は、何とか母との会話を盛り上げようと努力しました。問いかける内容に、意図的にちょっとひねりを入れるようにしました。少しでも、「考える」 という 「作業」 をさせねばと思ったんです。例えば、「今日、先生の回診あった?」 と聞けば、「あった」「なかった」の一言で答えが終わってしまいます。だから畳み掛けるように、あったのなら 「何時頃?」 と聞く。なければ、「昨日は何時頃、先生、みえたんだったっけ?」と聞く。また、 「病室は乾燥しているから、何時も使ってるクリームを持ってくるよ どこに置いてあるの?」と質問する。洗面台の近くに置いてあることは承知していますが、敢えて聞きます。読まないから要らないと言っても、家では毎日、隅々まで読んでいた報知新聞を毎日持って行きました。もともと、王長嶋時代からの熱狂的なジャイアンツファンです。そのジャイアンツの記事を、そうそう何時までも無視出来ない筈です。文字を読むのは面倒でも、写真は簡単に目に入りますからね。読まないまでも、「見る」 ようになりました。そのうちに、「老眼鏡を持って来て」「何時も使っている虫眼鏡持って来て」と言う様になりました。また、「見ない」 って言っていたテレビも、「私が明日の天気予報が見たいの」 と言ってわざと点けます。そうすると、やはり母も目はテレビに動きます。見るのかな・・・と気にしながら様子を伺います。なかなか、この興味は続かなかったけど、これも時間が経つにつれ変化していきました。病室の環境は相変わらずで、たまに、おしゃべり好きのお婆ちゃんが入ってきてくれて、話し相手が出来たと思っても、直ぐに退院か別の病室に移動。だから頭の運動をして貰いたくて、それが目的で毎日、病室へ行きました。毎日行くと、私が来る時間が気になるようで、時計を気にするようになりました。段々、日常生活の当たり前の概念が戻ってきました。次回につづく
2014年03月02日
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