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戦後プロ野球のスタートは1945年(昭和20年)11月23日、神宮球場で行われた東西対抗戦だった。 終戦からたった3か月後、東から西から握り飯を抱え、すし詰めの満員列車の通路に寝て、戦争を生き抜いてきた選手たちが集まった。バットやボールに触れたのは久しぶり、練習不足は否めないが、新鮮な息吹が感じられた。そこに登場したのが終戦とともに彗星の如く現われた ー 戦前には見ることのない、青空に白球が舞う華麗な打球を放つ打者 ー 大下弘だった。 この試合、まだプロ野球のセネタースに入団して間もない大下は東軍の5番打者で出場。6打数3安打、うち一本は右翼350フィート(約107メートル)のフェンスに直接ぶつけた三塁打だった。その後も行われた関西の東西対抗戦でも活躍し、この大会計4試合の本塁打賞、最優秀選手賞、殊勲賞をすべて一人占めして、鮮烈なデビューを飾った。 大和球士さんは、大下についてこう書いた。「五尺七寸(173cm)、すらりとした好男子ながら、手首の強靭さは稀れに見るところで、打球は大きく高く、大空から右翼スタンドに゛虹の橋”をかけわたした。虹のホームランであった」。そして、「戦後再開されたプロ野球は、大下の旋風的人気を中心にスタートを切ったといっても過言ではなかった。大下のホームラン見たさに観客は球場へ詰めかけた」。 大和さんは大下をべた褒めだったけれども、終戦後たった3か月で行われた東西対抗戦は、とても有意義なことだった。大和さんはこうも書いていた。「この試合には新鮮な息吹きが感じられた。プロ野球は復興する。復興の前奏曲であった。序曲でもあった。前日の雨はすっかり晴れ上がり、あくまで秋の空は澄みわたっていた。あたたかく、無風。絶好の野球日和であり、プロ野球の前途も、この日の大空のようであろうと思われた。大吉の占いが出たようであった。試合の内容など論じる必要はない。終戦後3か月で野球試合をやれたことに感謝しなければなるまい」。 また東西対抗戦については、大和さんは別の著書『真説・日本野球史』にも書いている。食べることさえままならない時であっても多くの人々が神宮球場に詰めかけた。いま新型コロナウイルス禍にあって野球を見ることは叶わなけれど、以下の大和さんの文章は、いつもボクの心にある。 「この試合(終戦から3か月後に行われた東西対抗戦)、終戦直後の大混乱期に開催されたにもかかわらず、4万5千人の大観衆が詰め掛けた。神宮球場で行われるのは1942年(昭和17年)以来5年ぶりではあったが、内野席を超満員にし、外野席も7割がたが埋まったという」 「一体どこから4万5千人もが集まってきたのであろうか。(中略)単純な野球愛というよりは、敗戦から立ち上がろうとする日本人の活力の発露と見る。野球人に強靭な精神力があったことは頼母しく、日本人に祖国再建の活力がみなぎっていたことはいよいよ頼母しい限りである。野球人、野球ファンが『ニ位一体』となって野球復活は快速調に進むことになる」 75年前と同様、いつか青空のもと、何万人もの人たちが晴れ晴れとした表情で球場に足を運ぶ日が来るでしょう。その日を夢見て、いまは辛抱ですね。 (写真)突如登場した白面の貴公子、大下弘 ~『激動の昭和スポーツ史 プロ野球』(ベースボール・マガジン社)より。【中古】 大下弘虹の生涯 / 辺見 じゅん / 新潮社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】野球五十年(増補新版) / 大和球士 【中古】激動の昭和スポーツ史 1 プロ野球 上【中古】
2020.04.29
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TBS系情報番組「ひるおび」(前10時25分)は27日、高校総体の中止決定に絡み、高校野球選手権大会の中止の可能性について取り上げた。リモート出演のコメンテーターの落語家・立川志らくは「予選の開催時期は違うとはいえ、本番(全国大会)は同じですから。方や中止にして、方や同じ学校教育の一環としてやっている甲子園がやってるというのは…。やっていい意味が、みんなちゃんと納得できるものがあればいけれど…。ちょっと難しいといえば難しい」と開催に懐疑的。(スポーツ報知) 高野連はぎりぎりまで開催方法を模索したいのでしょう。高体連は組織が大きすぎるから早めに結論を出す必要があったのでは? 高体連の決定ありきでモノを言うのはおかしい。立川志らくの「男はつらいよ」全49作 面白掛け合い見どころガイド [ 立川 志らく ]高校野球甲子園全出場校大事典別冊野球太郎 2020春【合計3000円以上で送料無料】
2020.04.29
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戦後のプロ野球は、1946年(昭和21年)春のリーグ戦からスタートを切った。 戦前からあったチームは巨人、阪神、阪急、中日、近畿、太平、資本系統から新チームと見做されるのはセネタースと金星だった。このシーズンの成績は、監督兼4番・山本(鶴岡)一人の活躍で近畿(南海)が優勝。次いで1ゲーム差で2位巨人、3位阪神。そしてこのシーズン中15連敗を記録した中部日本(中日)は最下位に終わった、105試合42勝60敗3分。 この中日について、大和球士さんの書いたことがボクには面白かった。曰く、「怪傑竹内愛一は中日の監督に就任したが、鹿児島のキャンプ地で、桜島の噴火をながめながら鹿児島焼酎を呑みすぎたため球団幹部の不評を買い、7月中旬に退団を余儀なくされた」と。 調べてみると、wikipediaには「酒呑みのトラブルで選手からは反発され、7月に中日を更迭された」とあり、さらに「中日を更迭された同年、プロ野球加盟を目指す東京カッブスの監督に就任するが、早朝からの飲酒・放蕩の不行跡のため、またしても更迭された」と書かれ、散々な言われようだった。※東京カッブスとは、戦前早稲田大で活躍し゛鉄人”と呼ばれた河野安通志が代表を務め、プロ野球 加盟を目指した球団。しかし、巨人の市岡忠男代表の猛反発に遭い加盟は叶わなかった。 酒が原因で監督の座を追われた竹内愛一とは、いったいどんな人? むくむくと興味が湧き、それまでの経歴を調べてみた。 中日の監督に就任前、41年は朝日軍の監督兼投手、42年、43年は監督に専念した。不惑の年近くになってプロ入りしたためか現役生活は41年のわずか1年間のみ、登板数はたった1試合だった。通算イニング数は2回1/3、打者18、被安打3、与四死球6、奪三振2、暴投1、失点5、自責点1、防御率3.00。何が何だかハチャメチャな成績だったものの、監督としてはチームをAクラスに導くなど、それなりに手腕を発揮した。 そして、高校時代にさかのぼるとーーー、 京都一商時代は2度甲子園に出場した。1度目の1920年(大正9年)夏は4番・ライトで出場しベスト8へ。2度目は翌21年夏、竹内はエースとなり、エース藤本定義を擁する松山商を破るなどチームを準優勝に導く大活躍だった。残念ながら竹内は準決勝で負傷し、決勝戦では井口新次郎のいる和歌山中戦に登板できなかったことが敗因だったようだが、この甲子園大会の中心には竹内がいた。 早稲田大時代も勢いは衰えず。特筆すべきは25年(大正14年)秋、20年ぶりに復活した早慶戦の開幕試合の先発投手だったこと。落ち着いたマウンドさばきで慶應打線を封じ、9回に1本の安打を打たれるまではパーフェクトゲームを予感させる快投を演じた。面白いのは2戦目、早稲田の先発は、竹内が甲子園で破った藤本定義だったこと。そして早稲田打撃の中軸に、和歌山中出身の井口新次郎がいたこと。 実は、竹内は東京カッブスを追われたあと、熊谷組が球団経営をもくんだ熊谷ゴールデン・カイツの総監督に就任する予定だった。結局ゴールデン・カイツ計画はとん挫するのだが、監督就任予定だった浜崎真二は竹内が総監督と知るや、すぐさま熊谷に断りを入れた。その理由が面白い。「竹内と言えば、生家である京都の仏具店を吞み潰したことで知られる大酒呑み。それに対して俺は一滴も呑めん。そんな男と一緒に野球をやれて云われてもできっこないわ」。 野球選手と酒は、切っても切れない関係にありそうだ。代表例でいえば、昔近鉄にいた永淵洋三が大酒呑みで有名、漫画『あぶさん』のモデルになった。仰木彬元近鉄監督もそうだった。あまりに酒好きゆえコーチから監督になるまで10年以上を要したと言う人もいたほど。近年では長野久義が大酒呑みで有名、一晩で100万円などザラだったとか。(写真)社会人野球・全京都時代の竹内愛一。~『激動の昭和スポーツ史 社会人野球』(ベースボール・マガジン社)より。高校野球甲子園全出場校大事典/森岡浩【1000円以上送料無料】------------------------------------ 今から75年前、1945年(昭和20年)11月23日、終戦から3か月後、神宮球場でプロ野球東西対抗戦が復活しました。まだ、生きていくことや食べることさえままならない時であっても、やっと開幕した野球に触れたいと願う多くの人たちや、長期間におよぶ閉塞感から解放されたいと願う多くの人たちが神宮に集まりました。以下『真説・日本野球史』(大和球士著、ベースボール・マガジン社)より。 「この試合(終戦から3か月後に行われた東西対抗戦)、終戦直後の大混乱期に開催されたにもかかわらず、4万5千人の大観衆が詰め掛けた。神宮球場で行われるのは1942年(昭和17年)以来5年ぶりではあったが、内野席を超満員にし、外野席も7割がたが埋まったという」 「一体どこから4万5千人もが集まってきたのであろうか。(中略)単純な野球愛というよりは、敗戦から立ち上がろうとする日本人の活力の発露と見る。野球人に強靭な精神力があったことは頼母しく、日本人に祖国再建の活力がみなぎっていたことはいよいよ頼母しい限りである。野球人、野球ファンが『ニ位一体』となって野球復活は快速調に進むことになる」 今は新型コロナウイルス禍で野球を見ることが出来ませんが、75年前と同様、いつか晴れ晴れとした表情で球場に足を運ぶ日が来るでしょう。その日を夢見て、今は辛抱ですね。 在宅勤務など家で過ごすことの多い今だから、ゆっくりと靴でも磨いてみてはいかがでしょうか。 ストレスを解放して心を落ち着かせ、あらたな活力が湧く効果が期待できるそうです。『靴磨きの教科書』(毎日新聞出版)より。 究極コスパ サフィール シューケア スターターセット (ダブル) 送料無料 当店限定 靴磨きセット 入門用 7種10点 初心者 セット SAPHIR PA-SA30
2020.04.27
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仙台6大学野球連盟は24日、春季リーグ開催の再々延期を決めた。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、約2カ月遅れの6月13日開幕を予定していたが、「緊急事態宣言」の拡大や各加盟校の現状などを考慮。5月7日に予定していた運営委員会・監督会も5月下旬に延期し、あらためてリーグ日程や順位決定方法を協議する方針を示した。(日刊スポーツ) 岐阜市で3月、路上生活者の男性が殺害され、いずれも19歳の少年5人が逮捕された事件で、旭台は24日、現役の硬式野球部員2人が傷害致死容疑で逮捕されたことを認め、対応を発表した。捜査関係者によると殺人容疑で逮捕された3人のうち、2人も元部員。朝日大は同部に対しては無期限の対外試合を含む全ての活動を停止することを申し渡した。部の存続については今後、当該者に科される社会的制裁を見極めた上で対応。藤田明宏監督から提出された辞任届を受理したと発表した。(スポーツニッポン) 朝日大は東海地区大学野球連盟の岐阜リーグに所属。昨秋は、近年実力をつけてきた中部学院大や中京学院大の後塵を拝したが、かつては全日本大学選手権に3度、明治神宮大会に2度出場した実績があります。また、藤田明宏監督は09年夏の甲子園で県岐阜商を45年ぶりベスト4に導き、さらに13年春、息子の凌司との「父子鷹」で甲子園ベスト8に進んだのは記憶に新しい。 大学生が起こしたこの事件、その学生たちが属していた野球部監督は、いったいどこまで責任を負う必要があるのでしょうか? そのへんが難しいなと思うのです。----------------------------------------------------------------------------------------------- 今から75年前、1945年(昭和20年)11月23日、終戦から3か月後、神宮球場でプロ野球東西対抗戦が復活しました。まだ、生きていくことや食べることさえままならない時であっても、やっと開幕した野球に触れたいと願う多くの人たちや、長期間におよぶ閉塞感から解放されたいと願う多くの人たちが神宮に集まりました。以下『真説・日本野球史』(大和球士著、ベースボール・マガジン社)より。 「この試合(終戦から3か月後に行われた東西対抗戦)、終戦直後の大混乱期に開催されたにもかかわらず、4万5千人の大観衆が詰め掛けた。神宮球場で行われるのは1942年(昭和17年)以来5年ぶりではあったが、内野席を超満員にし、外野席も7割がたが埋まったという」 「一体どこから4万5千人もが集まってきたのであろうか。(中略)単純な野球愛というよりは、敗戦から立ち上がろうとする日本人の活力の発露と見る。野球人に強靭な精神力があったことは頼母しく、日本人に祖国再建の活力がみなぎっていたことはいよいよ頼母しい限りである。野球人、野球ファンが『ニ位一体』となって野球復活は快速調に進むことになる」 今は新型コロナウイルス禍で野球を見ることが出来ませんが、75年前と同様、いつか晴れ晴れとした表情で球場に足を運ぶ日が来るでしょう。その日を夢見て、今は辛抱ですね。
2020.04.26
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資金難のセネタースは東京急行電鉄に身売りし、チーム名を東急フライヤーズに改めた。チームの人気者は、終戦直後に彗星のごとく登場した゛青バット”大下弘。そして白木儀一郎(慶應商工ー慶應大)も大下に負けず劣らずファンを沸かせるエースだった。 球速も制球力もある好投手。1946年(昭和21年)は防御率2.58で投手十傑の第4位を占め、さらに翌47年は26勝を挙げ、防御率1.74で十傑首位、最優秀投手にもなった。しかし、その一方で人の意表を衝きアッといわせる趣味もあった。実はこの゛趣味”が人気者になった秘訣だったのかもしれない。 初披露は47年の開幕戦のことだった。2回裏、相手金星スターズ(ロッテの前身)の攻撃で一死後、6番小前博文が投ゴロを打つと、白木が難なく打球を拾い上げたため、小前は一塁へ走るのを諦めた。すると白木は一塁ではなく捕手の熊耳(くまがみ)武彦に投げた。熊耳も驚いたが、小前はもっと驚き、慌てて一塁へ走り出した。熊耳は気づいて一塁へ転送し、アウトにした。ファンは白木のこの奇策にやんやの喝采をおくった。 これに気をよくしたか、白木はこの年、計19回も゛趣味”披露することになる。しかも捕った打球は必ずしも捕手に投げるとは限らず、ショートに投げることもあれば、二塁に投げたり、ときには三塁へ投げたりもした。またある時はボーリングのようにプレート上から一塁へコロコロとボールを転がしたこともあった(笑)。必然的にファンは白木の投ゴロから目を離せなくなる。このユニークなプレーについて記者から聞かれると、「ダブルプレーの練習」と、人を喰ったような答えかたをしたらしい。 白木はファンの目を自分に引き付ける術を知っていたのだろう。まるでエンターティナー。なるほど野球選手の枠に収まる人物ではなく、新興宗教に帰依すると引退後は政治家(参議院議員)に転じた。 なお47年、日本野球記者倶楽部では日本代表野球チームを次のように決定した。当時の代表的選手がよくわかる。投 別所毅彦(南海)同 真田重蔵(大陽)同 若林忠志(阪神)同 清水秀雄(中日)同 白木儀一郎(東急)捕 土井垣武(阪神)一 川上哲治(巨人)二 千葉茂(巨人)三 藤村富美男(阪神)遊 杉浦清(中日)外 大下弘(東急)同 坪内道典(金星)同 金田正泰(阪神)参考:『大下弘 虹の生涯』(辺見じゅん著、新潮社) (写真)1946年、東急フライヤーズの前身東京セネタース時代。下の〇印が白木。アゴに特徴があり、西本幸雄さんに似ている。チームメイトからは「ロング・ロング・アゴー」と呼ばれた。そして上の〇印は゛青バット”の大下。ちなみに後列右から2番目は、大下をプロ野球に導いた横沢三郎セネタース監督兼選手。~『激動の昭和スポーツ史 プロ野球』(ベースボール・マガジン社)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今から75年前、1945年(昭和20年)11月23日、終戦から3か月後、神宮球場でプロ野球東西対抗戦が復活しました。まだ、生きていくことや食べることさえままならない時であっても、やっと開幕した野球に触れたいと願う多くの人たちや、長期間におよぶ閉塞感から解放されたいと願う多くの人たちが神宮に集まりました。以下『真説・日本野球史』(大和球士著、ベースボール・マガジン社)より。 「この試合(終戦から3か月後に行われた東西対抗戦)、終戦直後の大混乱期に開催されたにもかかわらず、4万5千人の大観衆が詰め掛けた。神宮球場で行われるのは1942年(昭和17年)以来5年ぶりではあったが、内野席を超満員にし、外野席も7割がたが埋まったという」 「一体どこから4万5千人もが集まってきたのであろうか。(中略)単純な野球愛というよりは、敗戦から立ち上がろうとする日本人の活力の発露と見る。野球人に強靭な精神力があったことは頼母しく、日本人に祖国再建の活力がみなぎっていたことはいよいよ頼母しい限りである。野球人、野球ファンが『ニ位一体』となって野球復活は快速調に進むことになる」 今は新型コロナウイルス禍で野球を見ることが出来ませんが、75年前と同様、いつか晴れ晴れとした表情で球場に足を運ぶ日が来るでしょう。その日を夢見て、今は辛抱ですね。激動の昭和スポーツ史 1 プロ野球 上【中古】【中古】 大下弘虹の生涯 / 辺見 じゅん / 新潮社 [単行本]【ネコポス発送】野球五十年(増補新版) / 大和球士 【中古】 在宅勤務など家で過ごすことの多い今だから、ゆっくりと靴でも磨いてみてはいかがでしょうか。 ストレスを解放して心を落ち着かせ、あらたな活力が湧く効果が期待できるそうです。『靴磨きの教科書』(毎日新聞出版)より。究極コスパ サフィール シューケア スターターセット (ダブル) 送料無料 当店限定 靴磨きセット 入門用 7種10点 初心者 セット SAPHIR PA-SA30
2020.04.25
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新型コロナウイルスの影響で開幕を延期しているプロ野球が23日、開幕から当面の間、無観客試合とする方針を固めた。無観客での公式戦実施は85年目で初。専門家からは台湾、韓国プロ野球の対策を参考にすべきとの意見が出され、ベンチでのマスク着用など異例の措置も提案された。6月19日の開幕を軸に大型連休明けの開幕日決定を目指すが、厳格なルールの下での開幕となる。(以上、スポーツ報知) NPBが開幕へ向けて始動したことは、この上なく嬉しいことです。これが大学野球、高校野球の”一歩前進”の契機になってほしいものです。もちろん小池都知事が言う「STAY HOME週間」厳守が大前提ですけれども。 そして他にも嬉しいことが。元近鉄バファローズの梨田昌孝さんが独力で食事や会話をできるようになったそう。元気になられたようで良かったです。ほんとうに良かった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今から75年前、1945年(昭和20年)11月23日、終戦から3か月後、神宮球場でプロ野球東西対抗戦が復活しました。まだ、生きていくことや食べることさえままならない時であっても、やっと開幕した野球に触れたいと願う多くの人たちや、長期間におよぶ閉塞感から解放されたいと願う多くの人たちが神宮に集まりました。以下『真説・日本野球史』(大和球士著、ベースボール・マガジン社刊)より。 「この試合(終戦から3か月後に行われた東西対抗戦)、終戦直後の大混乱期に開催されたにもかかわらず、4万5千人の大観衆が詰め掛けた。神宮球場で行われるのは1942年(昭和17年)以来5年ぶりではあったが、内野席を超満員にし、外野席も7割がたが埋まったという」 「一体どこから4万5千人もが集まってきたのであろうか。(中略)単純な野球愛というよりは、敗戦から立ち上がろうとする日本人の活力の発露と見る。野球人に強靭な精神力があったことは頼母しく、日本人に祖国再建の活力がみなぎっていたことはいよいよ頼母しい限りである。野球人、野球ファンが『ニ位一体』となって野球復活は快速調に進むことになる」 今は新型コロナウイルス禍で野球を見ることが出来ませんが、75年前と同様、いつか晴れ晴れとした表情で球場に足を運ぶ日が来るでしょう。その日を夢見て、今は辛抱ですね。 在宅勤務など家で過ごすことの多い今だから、ゆっくりと靴でも磨いてみてはいかがでしょうか。 ストレスを解放して心を落ち着かせ、あらたな活力が湧く効果が期待できるそうです。『靴磨きの教科書』(毎日新聞出版)より。靴磨きの教科書 プロの技術はどこが違うのか[本/雑誌] / 静孝一郎/著
2020.04.25
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日本高野連の小倉好正事務局長は22日、新型コロナウイルスの感染拡大の影響などで、全国の春季大会が全て取りやめになったことを受け、報道陣の質問に「加盟校・野球部員にとって、影響は大であると言える」と書面で回答した。 春季大会は沖縄県だけが無観客での開催に踏み切ったが、県内での感染の広がりなど、総合的な判断で準々決勝後に打ち切られた。小倉事務局長は「新たに導入された500球の投球制限も、ほとんどのチームが経験できていない。加盟校の部員は、冬の練習の成果を春の大会で試す機会がなくなり、悔しい思いをしている」と代弁した。 日本高野連は夏の大会の開催に向け、感染予防策などの検討を進めており「今後とも、都道府県の状況把握に努める」としている。(サンケイスポーツ) 一方、プロ野球では選手やスタッフの皆さんが動き始めています。 巨人は22日、川崎市のジャイアンツ球場で個人調整を実施。主将の坂本勇人内野手(31)の提案により、フリー打撃などを屋外で行った。 坂本は球団広報を通じ、「外で久しぶりにバッティング練習ができてよかった。いろいろな制限がある中で選手だけでなく、球団や裏方スタッフの方々も練習に協力してくれている。このような状況でも練習できていることに改めて感謝しています」とコメントした。 午前中のジャイアンツ球場は曇り時々晴れ。気温は18~19度ほどで過ごしやすい気候だったこともあり、普段は室内練習場で行っているメニューを屋外グラウンドで行い、選手たちは屋外のフリー打撃で現状の感触を確かめた。球団広報によると、少ない球団スタッフもマスクを着用し、間隔を取りながら外野でボール拾いを行うなど、選手の練習をサポートしたという。 坂本は「みんな、今できることを精一杯しているし、一日でも早い終息を願っています。ファンの皆さんに元気なプレーを、また球場で見てもらいたいですね」とナインの思いを代弁した。(サンケイスポーツ)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今から75年前、1945年(昭和20年)11月23日、終戦から3か月後、神宮球場でプロ野球東西対抗戦が復活しました。まだ、生きていくことや食べることさえままならない時であっても、やっと開幕した野球に触れたいと願う多くの人たちや、長期間におよぶ閉塞感から解放されたいと願う多くの人たちが集まりました。今は新型コロナウイルス禍で野球を見ることが出来ませんが、75年前と同様、いつか晴れ晴れとした表情で球場に足を運ぶ日が来るでしょう。その日を夢見て、今は辛抱ですね。 「この試合(終戦から3か月後に行われた東西対抗戦)、終戦直後の大混乱期に開催されたにもかかわらず、4万5千人の大観衆が詰め掛けた。神宮球場で行われるのは1942年(昭和17年)以来5年ぶりではあったが、内野席を超満員にし、外野席も7割がたが埋まったという」 「一体どこから4万5千人もが集まってきたのであろうか。(中略)単純な野球愛というよりは、敗戦から立ち上がろうとする日本人の活力の発露と見る。野球人に強靭な精神力があったことは頼母しく、日本人に祖国再建の活力がみなぎっていたことはいよいよ頼母しい限りである。野球人、野球ファンが『ニ位一体』となって野球復活は快速調に進むことになる」 『真説・日本野球史』(大和球士著、ベースボール・マガジン社刊)より
2020.04.23
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1948年(昭和23年)は、3組の強打コンビが誕生した。新人別当薫が藤村富美男と並ぶ阪神、合併で大下弘と小鶴誠が組む急映、川上哲治と阪急から復帰した青田昇が揃う巨人である。 とりわけ話題が集まったのは、慶大出の別当薫だった。(この名前を聞くとボクは「HOYAバリラックス2」という眼鏡のCMを思い出すけれども・・・)。この別当は、阪神監督の若林忠志に自ら志願して入団した変わりダネだった。そもそも別当は少年時代、阪神の長距離打者・景浦将の豪快なバッティングに魅せられたひとり。阪神に志願したのは、景浦への思慕でもあった。 景浦同様、別当の打撃も豪快だった。さっそく春のオープン戦9試合で6本塁打、46打数22安打の活躍を見せた。ファンも別当が打席に入るとホームランを期待する歓声が球場に溢れ、ヒットでは嘆息が漏れた。慶應ボーイらしいスマートで知的な印象、当時のスラッガーとして名を馳せた大下とは違うタイプで人気を二分した。 また、ボクは知らなかったけれど、投手もやる”二刀流”でもあった。慶應大卒業後に社会人野球「全大阪」に入団、47年の都市対抗に出場すると、投手としてチームをベスト4にけん引した。しかし準決勝では別当が温存され、その結果チームは敗れた。この敗戦の悔しさがプロに進むキッカケになったと言われる。(写真)社会人チーム「全大阪」時代の別当薫投手 ~『激動の昭和スポーツ史 社会人野球』(ベースボール・マガジン社) 木塚忠助も、48年に南海に入団し大いに注目された遊撃手。のちに当時南海自慢の”百万ドルの内野陣”を形成した。大和球士さんは木塚を”バカ肩”と評した。そして曰く「従来の遊撃手の守備範囲の常識をやぶり、左翼手の守備範囲とさえ思われる地点まで打球を追って拾い上げるや、バカ肩一センすると投球は一塁手のグローブにノーバウンドで達した」と。 さらに、「わがプロ野球が昭和11年に開始されて以来、これだけの超強肩遊撃手は出たことがなかった。比肩する選手さえいなかった」と言い、大和さんは最大級の賛辞を送った。wikipediaには、こんな記述があった。「三塁手の定位置を守っていた鶴岡一人の股間を抜けた打球を一塁に遠投して刺した」と。どれだけ凄い遊撃手だったか、この一文だけで分かろうと言うもの。ボクは個人的に思う、野球の花は遊撃手のプレーだと。そして遊撃手の花は、三遊間深くに飛んだゴロを一塁で刺すプレーなのだと。(写真)南海・木塚忠助 ~『激動の昭和スポーツ史 プロ野球』(ベースボールマガジン社)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今から75年前、1945年(昭和20年)11月23日、終戦から3か月後、神宮球場でプロ野球が復活しました(東西対抗戦)。まだ、生きていくことや食べることさえままならない時であっても、やっと開幕した野球に触れたいと願う多くの人たちが集まりました。今は新型コロナウイルス禍で野球を見ることが出来ませんが、いつか75年前と同様、晴れ晴れとした表情で球場に足を運ぶ日が来るでしょう。その日を夢見て、今は辛抱ですね。 「この試合(終戦から3か月後に行われた東西対抗戦)、終戦直後の大混乱期に開催されたにもかかわらず、4万5千人の大観衆が詰め掛けた。神宮球場で行われるのは1942年(昭和17年)以来5年ぶりではあったが、内野席を超満員にし、外野席も7割がたが埋まったという」 「一体どこから4万5千人もが集まってきたのであろうか。(中略)単純な野球愛というよりは、敗戦から立ち上がろうとする日本人の活力の発露と見る。野球人に強靭な精神力があったことは頼母しく、日本人に祖国再建の活力がみなぎっていたことはいよいよ頼母しい限りである。野球人、野球ファンが『ニ位一体』となって野球復活は快速調に進むことになる」 (『真説・日本野球史』(大和球士著、ベースボール・マガジン社刊より) 激動の昭和スポーツ史 1 プロ野球 上【中古】在宅勤務など家で過ごすことの多い今だから、ゆっくりと靴でも磨いてみてはいかがでしょう。 ストレスを解放して心を落ち着かせ、あらたな活力が湧く効果が期待できます。
2020.04.21
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1949年(昭和24年)の都市対抗野球では、別府星野組のエース・荒巻淳が注目を浴びた。なぜなら昨年も都市対抗で大活躍するも、準決勝で三塁打を放ち三塁に滑り込んだ際に肩の骨を骨折し、決勝戦を欠場することになり優勝を逃した。 そんな経緯もあり、今回は、別府星野組にとっても、荒巻にとっても”捲土重来”を期す大会だったが、試合を重ねるたびスピードを増す好投を見せた荒巻の星野組が優勝を果たした。荒巻のほか、台北工を出た関口清治が4番、その前を立教大出のプレーイング・マネージャー西本幸雄が打つ強豪星野組だったが、この優勝を最後に解散し、10人ほどの選手たちが揃ってプロ野球に移った。 この時の事情について、西本の証言がある。「別府星野組はトンネルを掘るのが得意な会社だったんだけど、時間が経つうちに規模が縮小された。給料の遅配もあったし、会社の経営状態が良くないのは分かっていた。ノンプロの場合は3~5年プレイしたら野球から離れることになる。会社の状態を考えたら、一緒に野球をやっている選手に『おまえらはここに残れ』とは言えないわけや。だから都市対抗の前に『頑張って、みんなで優勝しよう。優勝すればその時、働き場所ができるから』と、尻を叩いたね。あの頃、ノンプロで野球をやっている選手がそう簡単に転職できる状態ではなかった」。(※1) 星野組は見事に優勝した。そして選手たちのプロ新球団・毎日オリオンズへの移籍も実現した。これは都市対抗の陰で西本が窓口となって毎日と交渉を進めてきた成果。選手たちを路頭に迷わせることなく”転職”に成功した。選手の中には西本、関口のほか、32歳の今久留主淳や弟の功、そして荒巻らがいた。もっとも荒巻は元々プロから注目された投手であり、毎日が直接交渉した。 この経緯に興味のある方は、「西本幸雄、職業野球選手になった頃」をご覧ください。 さて、荒巻淳(あらまき・あつし)のこと。 大分商時代、1942年(昭和17年)夏、文部省が主催したいわゆる”幻の甲子園”大会に出場した。当時から注目された投手で「球が速いだけでなく、縦にストンと落ちる変化球」も評価が高く、細身の体から小躍りするようなフォームはファンを魅了、甲子園の活躍が大いに期待された。 ”幻の甲子園”に興味のある方は、”幻の甲子園”と呼ばれる、正史に記録されない大会があったをご覧ください。 しかし1回戦の仙台一中戦では投球が乱れ、スコア2-3でまさかの初戦敗退となった。「荒巻は、相手が格下の東北の学校ということでナメてかかり、試合前夜は夜更かしし、さらに上半身裸のまま寝たため完全に体調を崩していた」とチームメイトの証言もある。(※2) この失敗を教訓としたか、大分商卒業後、大分経済専門学校(現・大分大学)に進学、「全国専門学校野球大会」で優勝投手となり、社会人野球の強豪・別府星野組に入団した。この頃から、大リーグインディアンスのボブ・フェラーのニックネームにちなみ「和製火の玉投手」の異名をとった。 毎日に入団後は、1年目から大車輪の活躍。いきなり26勝8敗、防御率2.06という数字をあげ、新人王、最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得した。2年目以降もエースとして活躍し、プロ通算173勝の成績を残した。(※1)『悲運の闘将 西本幸雄』(ぴあ)(※2)『幻の甲子園』(早坂隆著、文藝春秋)------------------------------------------------------------------------------------------------------ 今から75年前、1945年(昭和20年)11月23日、終戦から3か月後、神宮球場でプロ野球が復活しました(東西対抗戦)。まだ生きていくこと、食べることさえままならない時であっても、ついに開幕した野球に触れたいと多くの人が集まりました。今は新型コロナウイルス禍で野球を見ることが出来ませんが、いつか晴れ晴れとした表情で球場に行くことが出来るでしょう。その日を夢見て今は辛抱ですね。「この試合、終戦直後の大混乱期に開催されたにもかかわらず、4万5千人の大観衆が詰め掛けた。神宮球場で行われるのは1942年(昭和17年)以来5年ぶりではあったが、内野席を超満員にし、外野席も7割がたが埋まったという」 「一体どこから4万5千人もが集まってきたのであろうか。(中略)単純な野球愛というよりは、敗戦から立ち上がろうとする日本人の活力の発露と見る。野球人に強靭な精神力があったことは頼母しく、日本人に祖国再建の活力がみなぎっていたことはいよいよ頼母しい限りである。野球人、野球ファンが『ニ位一体』となって野球復活は快速調に進むことになる」 (『真説・日本野球史』(大和球士著、ベースボール・マガジン社刊より) (写真)別府星野組時代の荒巻淳 ~『激動の昭和スポーツ史 社会人野球』(ベースボール・マガジン社)リンクなしリンクなし昭和十七年の夏 幻の甲子園 戦時下の球児たち【電子書籍】[ 早坂隆 ]在宅勤務など家で過ごすことの多い今だから、ゆっくりと靴でも磨いてみてはいかがでしょう。ストレスを解放して心を落ち着かせ、あらたな活力が湧く効果が期待できます。
2020.04.20
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1949年(昭和24年)春、日本のプロ野球の生みの親・正力松太郎は「日本にも2リーグ制を作りたい。そのために現在の8球団に4球団を加え、12球団にしたい」と高らかに宣言した。東京六大学野球こそが日本の野球の象徴的存在であり、プロ野球は蔑まれていた時代。しかしここにきて正力らの尽力により、プロ野球もやっと人気が沸騰するに至り、前述の正力発言が生まれた。 そしてこの49年は、巨人にとっても様々な事件が起きた年だった。そのひとつは「別府引き抜き事件」。この事件の背景には、当時巨人の監督だった三原脩の、打倒南海の執念があった。それは・・・、 ちなみに前年の順位を紹介すると、優勝は南海。そして5ゲーム差で2位巨人、大きく離されて3位阪神(17ゲーム差)、4位阪急(20ゲーム差)と続く。つまり戦後優勝のない巨人にとって、南海を倒すことが至上命題。 そのため三原が企てた策は南海のエース・別所毅彦の引き抜きだった。あまりにも短絡的、単刀直入すぎる感があるけれども(笑)。以下は、三原が当時選手だった青田昇に語った内容で、以後脈々と続く巨人のトレード戦略の基盤とも言えて興味深い。 「別所が今シーズン、巨人で1勝もできなかったとしても、彼の(昨年の勝ち星の)26勝が南海から消えるだけで、ウチが優勝できるのだから」。(※1) 結局、別所は49年開幕から2か月間の出場停止処分を受けるけれども、別所をはさんで巨人と南海の感情はこじれこじれた。当たり前である。南海にとっては自チームのエースを勝手に奪い取られたのだから面白いはずがない。そんな両者が4月12日から後楽園球場で3連戦を戦った。険悪な空気が漂う遺恨試合とでも言おうか。 そして1勝1敗で迎えた第三戦目にとんでもない事件が起きた。世に言う「三原ポカリ事件」である。 興味のある方は、こちらの「三原ポカリ事件」をどうぞ。 (※1)『三原脩と西鉄ライオンズ 魔術師』(立石泰則著、小学館)より。2か月間の出場停止処分を受けていた別所投手は、6月5日、巨人のユニフォーム姿で現れた。~『激動の昭和スポーツ史 プロ野球』(ベースボール・マガジン社)より~野球五十年(増補新版) / 大和球士 【中古】魔術師 上 三原脩と西鉄ライオンズ(小学館文庫)【電子書籍】[ 立石泰則 ]魔術師 下 三原脩と西鉄ライオンズ(小学館文庫)【電子書籍】[ 立石泰則 ]激動の昭和スポーツ史 1 プロ野球 上【中古】【エントリーでポイント10倍!(4月16日01:59まで!)】【中古】スポーツ雑誌 全18巻 激動の昭和スポーツ史(2) プロ野球下 昭和40年〜平成元年
2020.04.18
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東都大学野球連盟は17日、今春1~4部のリーグ戦と入れ替え戦の通常開催を断念すると発表した。新型コロナウイルスの感染拡大の収束が見られないための措置。8月に延期された全日本大学野球選手権に出場する代表校決定はトーナメント方式などを含め協議する。秋のリーグ戦開催にも影響する可能性があり、現場の監督から競技継続希望者のためのアピールの場を設けるよう要望があったことも明らかになった。 この日、春のリーグ戦の通常開催断念を発表する中、瀬尾健太郎事務局長は「秋のリーグ戦も通常通り開催できるとは思っていない」とし、現場の監督からは、野球継続希望者をスカウトの方々に見てもらえるトライアウトのような機会を設けてほしいという声も上がった」と明かした。 今年の東都大学リーグでは、昨秋覇者の中大の強打者・牧や「サニ・ブラウンに勝った男」こと俊足を誇る五十幡をはじめ、と東洋大のエース・村上、亜大の名手・矢野ら多くのドラフト候補がいる。(スポニチ)家で過ごすことの多い今だから、ゆっくりと靴を磨いてみたいものです。ストレスを解放して心を落ち着かせ、あらたな活力が湧いてきます。スムース革 M.モゥブレィ セントアンドリューセット オリジナル丸缶入りミニシューケアセット M.MOWBRAY 靴磨き 靴の手入れ 初心者 入門セット ギフト おしゃれ 梅雨対策 説明書付 ※宅配便発送 z20z
2020.04.18
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東都大学野球連盟は17日、新型コロナウイルス感染拡大の影響で春季リーグ戦と入替戦の通常開催を断念すると発表した。福原紀彦理事長は「部員、関係者の健康と安全を第一と考え、春季リーグ戦と入替戦の開催を模索しておりました。しかしながら、事態の好転が望めない状況を踏まえ(中略)断腸の思いではありますが、通常開催は取りやめることとしました」とコメントした。 今後については、(1)入替戦に出場する権利・機会を失った加盟校(2部~4部)への措置(2)公式戦不開催に伴う記録の取り扱い(3)全日本大学野球選手権(8月12日開幕予定)への出場校決定方式などを再協議する。 創設を80年を超える東都大学野球連盟だが、リーグ戦断念は第二次世界大戦で中断した1943年~45年を除き、初の事態となる。また、1950年秋季から開催している入替戦の中止は2005年春季以来となる。 また医療関係者から今年度中の収束は見通せないとのアドバイスから、秋季リーグ戦の通常開催も厳しい見方をしている。(スポニチ) 今後については、首都圏の緊急事態宣言が解除されることを大前提とした上で、全日本大学野球選手権への出場校を決定する方法を模索していく。東京六大学リーグが予定している1試合総当たり戦やトーナメント制の開催が候補に挙がっている。 また、同連盟によると、入れ替え戦は50年秋から開催。最近では05年春に当時1部だった亜大が不祥事で出場停止となり、1、2部入れ替え戦を開催せずに2部優勝校の立正大が自動昇格した例がある。(スポーツ報知) 秋季リーグ戦については、連盟事務局は通常開催できない可能性を覚悟している。事務局の「私案」として、移動リスク軽減のため、加盟21大学の地域性を考慮した地域リーグ戦を行い、決勝トーナメントを加える方式もあるとした。(日刊スポーツ) ある程度は予想できたものの、リーグ戦と入替戦の中止は残念。暗いニュースばかりが続くけれど、新型コロナウイルスに感染した元近鉄バファローズの梨田昌孝さんがICUから一般病棟に移ったという朗報が。嬉しい、とにかく嬉しい、ホッとした。別冊野球太郎 2020春 ドラフト候補最新ランキング【電子書籍】家で過ごすことの多い今だから、ゆっくりと靴を磨いてみたいものです。ストレスを解放して心を落ち着かせ、あらたな活力が湧いてきます。別冊2nd 革靴自慢。 エイムック 【ムック】革靴自慢 2M.モゥブレィ ステインリムーバー 300ml クリーナー M.MOWBRAY シューケア 水性ソフトタイプ 汚れ落とし 皮革 梅雨対策 ※宅配便発送 z20z靴磨きセット サフィール ノワール クレム1925 ミニボックスセット(リボン付き)【あす楽】シューケアセット。サフィール ノワール クレム1925 とアプリケータブラシの靴磨きセットです。サフィール ノワール 1925
2020.04.18
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1949年(昭和24年)、前年優勝した南海の切り札投手別所を巨人が奪ってしまう事件が起きた。これが世に言う「別所引き抜き事件」。 南海側は奪われたとし、巨人側は別所が入団を希望したから入団させたと称した。もともと7年前、別所は巨人入り希望していたと言えばそれまでだが、当時は未完成の大器に過ぎなかった。だが、いまや南海を背負って立つ大立て者であった・・・。「別所引き抜き事件」をもっと知りたい方は、こちらをどうぞ。魔術師 上 三原脩と西鉄ライオンズ(小学館文庫)【電子書籍】[ 立石泰則 ]魔術師 下 三原脩と西鉄ライオンズ(小学館文庫)【電子書籍】[ 立石泰則 ]靴磨きの教科書 プロの技術はどこが違うのか別冊2nd 革靴自慢。 エイムック 【ムック】【M.モゥブレィ】 M.モゥブレィ ステインリムーバー300 300ml 【靴:靴ケア用品・アクセサリ:汚れ落とし】【M.MOWBRAY】
2020.04.16
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関西六大学野球連盟は15日、新型コロナウイルス感染拡大を受けて25日に変更した春季リーグ戦の開幕をさらに延期し、6月8日以降の開催を目指すと発表した。無観客試合で、1回戦総当たり方式に変更して準備を進める。森川敏朗理事長は「政府の緊急事態宣言が5月上旬で終われば、各大学の活動も再開できる」と説明。しかし、感染をめぐる状況が好転しない場合は、トーナメント方式も念頭に置き、「中止は考えていない。どんな形でもやりたい」と話した。(サンケイスポーツ) 森川理事長の「中止は考えていない。どんな形でもやりたい」という言葉は力強く、今後の光明のように思いました。別冊野球太郎 2020春 ドラフト候補最新ランキング【電子書籍】靴磨きの教科書 プロの技術はどこが違うのか
2020.04.15
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南東北大学野球連盟は13日、新型コロナウイルスの拡大感染を受け、春季リーグ開幕を4月25日から6月20日に再延期すると発表した。本来の開幕日は4月11日だったが、3月21日に2週間遅らせると発表していた。(日刊スポーツ) 最も優勝回数の多いのは東日本国際大、全日本大学野球選手権でもお馴染みですね。
2020.04.14
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阪神大学野球連盟は13日、来月4日に予定していた春季リーグ戦の開幕を、すべての部で6月21日に再延期することを決めた。新型コロナウイルス感染拡大に伴う措置。今後の情勢によってはさらに変更する場合があるとしている。また、先月30日の時点では2試合総当たりとしていたが、今シーズンの特別措置として1試合総当たりとすることも発表した。無観客試合、ポイント制を採用することに変更はない。(スポニチ) 安倍総理の言う「接触機会の最低7割、極力8割削減」の起点は「感染拡大前の平時との比較」であるらしい。即ち、それは昨年11月とのこと?。恥ずかしながら、ボクは初めて知りました。次に、今日話題になったこと。続いて、寅さん。『男はつらいよ 第1作』(昭和44年8月公開)。なんといっても志村喬さんの演技が凄い!DVD 立川志らくの「男はつらいよ」全【合計3000円以上で送料無料】
2020.04.13
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1950年の日本シリーズは、セ優勝の松竹ロビンスとパ優勝の毎日オリオンズが覇を競った。そして4勝2敗で優勝したのは毎日だった。監督は毎日新聞社から出向中した湯浅禎夫(米子中ー明治大)。日本シリーズ第1戦の勝利投手は”不惑の年齢”若林忠志(本牧中ー法政大)。打線は別当薫(甲陽中ー慶應大)、呉昌征(嘉義農林)、土井垣武(米子中)、本堂保次(日新商)らが活躍した。 実は毎日は、この年が球団創設1年目。シーズン、日本シリーズを通じて活躍したのは、毎日球団創設にあたり阪神から引き抜いた上記の選手たちだった。別当、呉、土井垣は打撃十傑の2、3、4位を占め、本堂も7位だった。いずれも阪神の主力選手だった彼らが、なぜ皆揃って毎日に移籍したのか?※これには、その直前の2リーグ分裂時に起きた阪神の”掌返し”の行動が、毎日の報復手段を招き、選手引き抜きにつながりました。そのへんの事情に興味ある方は、こちらをご覧ください。 さて、毎日は、阪神から選手を引き抜いて戦力アップをはかる一方で、強豪社会人チームの一本釣りにも成功した。別府星野組だ。その監督兼任の選手が、のちに近鉄バファローズ監督の西本幸雄だった。当時は会社の経営状態が悪化し、給料もろくにもれない状態。この頃にプロ野球参入を表明した毎日新聞社が全国のめぼしい選手の勧誘をすすめていた。西本は好むと好まざるとにかかわらず、交渉窓口をやらされる羽目になった。「俺は(指名されなかった他の選手も抱えておくことができんから)全部の選手を引き取ってくれるか?と言った。みんながそれほど安定した生活はしていないわけや。野球を頼りにして就職しているような選手ばかり。そしたら、毎日が了承してくれた。みんながみんな、プロに入れるような選手ばかりじゃなかったけどな」 「当時俺はもう29歳やったから、『いつまでも野球してられへんから毎日新聞で雇ってくれるか?』と言って、そういう約束ができた。選手を10人ほど連れて、毎日に入ることになったんや」 この時、西本と同時に別府星野組から毎日へ入団した選手に、左腕快速投手の荒巻淳(大分経専)がいた。この荒巻は1年目から大活躍し、新人ながら防御率2.06、投手十傑で堂々の首位になり、チームを日本一にけん引した。野球五十年(増補新版) / 大和球士 【中古】プロ野球伝説の名将 鶴岡一人/著 川上哲治/著 西本幸雄/著 稲尾和久/著コロンブス columbus 靴用汚れ落とし チューブ入り靴クリーナー 低臭 ツヤ革靴専用 汚れ落とし ミンクオイル配合 evid
2020.04.12
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関甲信学生野球連盟は11日までに、「現時点で開催時期を明言することは現実出来ではない」とし、春季リーグ戦の開幕の延期を決めた。新潟医療福祉大が所属する1部リーグ開幕日は当初予定の4月4日から4月11日に延期し、3月24日の緊急理事会で開幕日を再延期して4月25日開幕を目指していた。次回の理事会は5月10日を予定しており、その時点での社会情勢を考慮したうえで、開幕時期、運営方法などをあらためて議論する。(日刊スポーツ) 上武大や白鴎大など20校が加盟、1部2部は各6校、3部は8校。「関甲信」というだけあって移動距離は遠い。ボクにとっては上武大が印象深いけれど、昨秋優勝は白鴎大。山田啓太(4年、東海大相模)と大関竜登(4年、真岡工)の左右両腕が2季連続優勝に向けてチームをけん引する。 中国地区大学野球連盟は11日、緊急理事会を開き、新型コロナウイルス感染拡大の影響のため、中国六大学野球春季リーグ戦再開を6月以降に延期することを決めた。4日に倉敷マスカットスタジアムで観客を入れて開幕。しかし第2週(11日、12日)の会場の津田恒美メモリアルスタジアムなどが使用不可になったことを受け、開催が困難な状況になっていた。岡田麻里専務理事は「学生には野球をやらせてあげたいが、命の方が大事」と話した。(スポニチ) 4月4日に開催を強行したものの、第2週から球場を利用できなくなり、残念ながら延期に追い込まれました。 近畿学生野球連盟は8日、新型コロナウイルス感染拡大を受け、24日に予定していた春季の開幕を6月以降に延期すると発表した。トーナメント制を採用しての開催で、入れ替え戦は行わない。(サンスポ) 1・2部リーグともに6校、3部リーグは7校、計19校。こちらも入れ替え戦はなし。昨秋2部に降格した大阪工業大は早期の1部復帰を目指していたでしょうが、残念。なお昨秋の1部優勝は大阪市立大、2位は和歌山大と国公立大が上位を占めていました。別冊野球太郎 2020春 ドラフト候補最新ランキング【電子書籍】『男はつらいよ 第2作 続・男はつらいよ』(昭和44年11月公開)浅草のコメディアンらしいドタバタが盛り込まれています。そんな渥美さんを見て、マドンナの佐藤オリエさんが笑いを堪えながら演技するシーンがあります。これが実に面白かった。また、この作品で母親と再会を果たしますが、なぜコテコテの関西弁のミヤコ蝶々さんが母親なのか、いまだにボクにはわかりませんけれども・・・(笑)。自宅勤務のお供に、寅さんをどうぞ!DVD 立川志らくの「男はつらいよ」全
2020.04.12
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首都大学野球連盟は10日、常務理事会を開催し、春季リーグ戦の開幕日を6月21日に決めたことを発表した。試合方式については、1部は1試合総当たりで勝率制。6月21日から7月19日までの日曜日のみ開催し、入れ替え戦は実施しない。当初は4月4日に開幕予定だったが、3月27日に4月25日以降への開幕延期を発表していた。同連盟はすでに開会式の中止や無観客試合の実施などを発表している。(スポーツ報知) どうやら各連盟の春季リーグ戦は、1試合総当たりの勝率制が主流になりそう。 首都大学リーグの加盟校数は16。東海大や日体大をはじめとした6校が1部リーグ、残り10校が2部リーグを構成。3部はないため、通常の場合、2部を5校ずつ2つのグループに分けて勝率を競う。その後に順位決定戦を2戦先取方式で行っている。今春、2部の運営方法は未発表だが、1部との入れ替え戦はない。 昨秋は1部最下位、さらに1・2部入れ替え戦で敗れ2部に転落したのは大東文化大。今春1部復帰を目指していただろうに、試合さえできないのは残念。大東大にはドラフト候補の左腕・江村伊吹(4年、北越)がいる。別冊野球太郎 2020春 ドラフト候補最新ランキング【電子書籍】
2020.04.12
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1936(昭和11)年に創立以来、プロ野球界が次第に盛り上がり始めたのは40年代後半だった。全8球団中4球団が黒字、残る4球団も黒字間近と言われた49年春、球界に激震が走った。それは日本プロ野球生みの親、正力松太郎氏の一言だった。「日本にも米国と同様に2大リーグを作りたい。そのためあと4球団ほど増やしたい」。 8球団だからこそ経営の安定化が見えてきた矢先の球団増は様々な波紋を呼んだ。賛成派と反対派に分かれた抗争は、紆余曲折の果てに15球団2リーグ制の決着し、この体制で50年のシーズンが始まった。ちなみにセ・リーグは巨人、中日、阪神、松竹、国鉄、広島、大洋、西日本の8球団。一方のパ・リーグは南海、大映、阪急、東急、毎日、西鉄、近鉄の7球団。 ボクが愛してやまなかった近鉄バファローズの前身、パールスが誕生したのはこの時だった(正確には、南海と合併時の44年―47年に近畿日本軍、グレートリングを共同で球団経営をしていたが、単独では初めて)。監督に藤田省三氏を招き、東京六大学で人気だった選手たちを入団させた。その代表的な選手が、先日亡くなられた関根潤三投手だった。 この時の経緯が面白い。日大三中ー法政大を通じて藤田監督と師弟関係にあった関根さん自身が語る。「当時、新しく近鉄ができて、藤田さんが『来い』って言うわけです。その時分は大学の監督に呼ばれたら『ハイハイ』ですから。お金も条件も何も聞いてないの。命令だったから。仕方なしに行って・・・。親は反対しましたけどね」。 プロへ行くこと自体に社会の評価が低かった時代、関根さんにとっては何の覚悟もないプロ入りだった。しかしその後、プロ球界との付き合いはエンドレスに続いた。現役時代の通算成績は、投手として65勝94敗、防御率3.43(通算8年)。打者としては通算打率.279(通算16年)の好成績を収めた。また、監督としては弱い時代の大洋、ヤクルトを率い331勝408敗だった。 ボクにとって関根さんの印象はTV『プロ野球ニュース』の好々爺然とした語り口しかない。そしてもうひとつ思い出すのは、日大三中ー法政大ー近鉄を通じてチームメイトだった根本陸夫さんのこと。この人も監督時代はいつも弱い球団を率いていた。例えばダイエー時代・・・と書き始めたけれども、これもエンドレスになりそうなので、この続きはいずれ。 関根潤三さんのご冥福をお祈りいたします。 野球五十年(増補新版) / 大和球士 【中古】伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編 増補改訂版廣済堂出版高橋安幸 / 廣済堂文庫【中古】afb【中古】 近鉄球団、かく戦えり。 / 浜田 昭八 / 日本経済新聞社 [文庫]【メール便送料無料】【あす楽対応近鉄バファローズの時代 プロ野球史上最も熱かった球団の59年史 (知的発見!BOOKS)[本/雑誌] / 大阪バファローズ研究会/編
2020.04.11
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近畿学生野球連盟は8日、春季リーグ戦開幕についての方向性を決めた。開幕を6月以降に延期し、詳細な日程は未定。1~3部全てでトーナメント制を採用し、入替戦は行わない。(スポーツ報知) 新型コロナウイルスが猛威をふるい、外出を控える日々はストレスがたまりますね。そんな時は家で靴磨きはいかがでしょうか。『靴磨きの教科書』(静孝一郎著、毎日新聞出版)によれば、「ゆっくりと靴を磨くことは、ストレスを解放して心を落ち着かせ、あらたな活力を得るひとときにしている人もいる」とのことです。靴磨きに興味ないよ、とおっしゃる方もぜひ、この機会にお試しください。ま、この豚毛ブラシは少し値段が高めですけれども。
2020.04.08
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東都大学野球連盟は7日、緊急事態宣言の発令に伴い、最短で27日を目標としていた春季リーグ戦の開幕を再延期すると発表した。日程については今後、加盟21校で協議して決めるとした。また、緊急事態宣言が解除されるまで、加盟校はすべてのオープン戦を中止する。加盟校のうち、7日時点で17校が自粛し、4校が自主練習のみ行っている。リーグ戦は当初、4月6日に開幕予定だった。(スポーツ報知) 今日、緊急事態宣言が発令されました。この内容を真摯に受け止めたいと思います。ただ、ニュースキャスターが「三密を避けて」と熱く語るほど、毎日通勤電車に揺られる身には、どこか”浮世離れ”して聞こえました。
2020.04.07
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中国地区大学野球連盟は6日、11日から周南市野球場で開催を予定してい中国六大学野球春季リーグ戦の第2週が施設使用ができなくなったため、実施できないと発表した。今後については、検討したうえで検討する。中国六大学リーグは4日に170人の観客を入れて、当初の日程通り開幕した。5日も予定していた2試合が行われた。(スポーツ報知) 「選手たちに試合をやらせたい」連盟の熱い気持ちも、「市民の安全安心を守る」自治体のミッションの高い壁には勝てなかった、そんなところかもしれません。もちろん、連盟にとってはそういった阻害要因も織り込み済みだったでしょうが、意外に早すぎたのかもしれません。◆◆靴磨きの教科書 プロの技術はどこが違うのか / 静孝一郎/著 / 毎日新聞出版靴磨き 豚毛ブラシ M.MOWBRAY モゥブレィ モウブレイ ワークブラシ革靴自慢。 ALL ABOUT LEATHER SHOES (エイムック 別冊2nd)革靴自慢 2【1000円以上送料無料】
2020.04.06
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前回の続き。 まず、「野球統制令」について。 東京六大学連盟に対しては、1940年秋、41年秋、42年秋の3回にわたり、1回戦総当たり制に追い込んだ文部省訓令四号を指す。正式な名称は「野球の統制並に施行に関する件」(1932年3月発布)。 スポーツ人気の高まりや興行化を懸念した文部省による”野球浄化”を目的とした施策。具体的には、大学が入場料を徴収する試合を許可制とし、選手への金銭援助などの特別待遇を禁止した。ほかに平日の試合開催も許可制とし、無秩序な海外遠征も承認事項とした。文部省にとって”野球浄化”の最終目標は、六大学野球部の莫大な収入の削減とし、収入減と試合数減をセットと考え、六大学伝統の「二戦先勝」の試合形式の変更を企図した。(『野球と戦争』より) この「2戦先勝方式」は1925年、東京六大学リーグの開始とともに始まり、試合数に大きな差が生まれた。試合が一番少ないのは全勝もしくは全敗の10試合だが、引き分けなどもあって3回戦、4回戦と長引くと試合数は増える。過熱する六大学人気は試合が増えれば収入も増え、腐敗の温床ともなる。また、優勝校の世界一周旅行など常軌を逸した祝賀行事も増え選手たちを勘違いさせる、そういった考え方が文部省内部に色濃くあった。 そのような文部省と、その意向を忖度しつつ「1年2季(春秋)」と「2戦先勝」を堅持し収入を維持したい連盟側との交渉は長期に及び、結果うまれたのが「春は2試合総当たり、秋は一本勝負」といった変則開催。「1年2季」は維持できたが、「2戦先勝」は文部省によって一蹴された。連盟側にとってはまさに”妥協の産物”だったが、この秋の一本勝負というのが、1940年秋から始まった「1回戦総当たり制」を指す。翌41年は平日だけでなく土曜日開催さえも文部省から却下され、試合は日曜日のみになった。さらに当日券の販売禁止、雨天順延は当事者校で無料開催と、連盟側が文部省の好き放題に振り回された体だった。 なお、1回戦総当たり制になった各リーグ戦の結果は下記表のとおり。(1)1940(昭和15)年秋 明大が2季連続優勝した。清水秀雄(米子中ー南海軍ほか)、本来は野手の 児玉利一(大分商、のちに名古屋ドラゴンズほか)に変わる超速球投手・藤 本英雄(下関商、のちに巨人ほか)によるものだった。(2)1941(昭和16)年秋 早大が石黒久三投手(長岡中)の巧投で優勝した。(3)1942(昭和17)年秋 早大が吉江英四郎(仙台一中、のちに急映フライヤーズほか)の力投があっ て優勝した。この頃、慶大は一塁・飯島滋弥(千葉中ーのちにセネタース ほか)、二塁・宮崎要(佐賀商、のちに西鉄クリッパースほか)、三塁・ 宇野光雄(和歌山中、のちに巨人ほか)、遊撃・大館盈六(愛知商)らの 軽快なプレーが光り、”百万ドルの内野陣”といわれた。※その後、1943年(昭和18)年3月29日、軍部を背景とした文部省の野球弾圧はますます激しくなり、学徒の武道以外のスポーツを禁止する通達を出し、春のリーグ戦は中止となった。その後、有名な”最後の早慶戦”が行われたのが同年10月16日、この試合をもって戦前の六大学野球は幕を閉じた。 (1)1940(昭和15)年秋順位大学名試合勝利敗戦引分得点勝率1明大541040.8002慶大532030.6002早大532030.6004法大523020.4005帝大523020.4006立大514010.200 (2)1941(昭和16)年秋順位大学名試合勝利敗戦引分勝率1早大54100.8002慶大53110.6002明大53200.6004立大53200.6005法大51310.2006帝大50500.000 (3)1942(昭和17)年秋順位大学名試合勝利敗戦引分勝率1早大53110.6002明大53200.6002立大53200.6004法大52210.4005慶大52300.4006帝大51400.200 (4)1946(昭和21)年春順位大学名試合勝利敗戦引分勝率1慶大55001.0002東大54100.8003早大52300.4003明大52300.4005立大51400.2005法大51400.200参考)『野球と戦争』(山室寛之著、中公新書) 『野球百年』(大和球士著、時事通信社) 『早慶戦110年史』(ベースボール・マガジン社) 『東京六大学野球80年史』(ベースボール・マガジン社)野球と戦争 日本野球受難小史【電子書籍】[ 山室寛之 ]野球のグラブのオイルは、靴磨きに使ってはいけません!靴磨きの教科書 プロの技術はどこが違うのか[本/雑誌] / 静孝一郎/著SANOHATA BRUSH(サノハタブラシ) 豚毛 黒 新型コロナウイルスが猛威をふるい、外出を控える日々はストレスがたまりますね。そんな時は家で靴磨きはいかがでしょうか。『靴磨きの教科書』(静孝一郎著、毎日新聞出版)によれば、「ゆっくりと靴を磨くことは、ストレスを解放して心を落ち着かせ、あらたな活力を得るひとときにしている人もいる」とのことです。靴磨きに興味ないよ、とおっしゃる方もぜひ、この機会にお試しください。ま、この豚毛ブラシは少し値段が高めですけれども。
2020.04.06
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東京六大学野球連盟は5日、都内で臨時理事会を開き、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、春季リーグ戦開幕を5月末(30日が有力)とし、1946年春以来の1回戦総当たり方式で開催すると決めた。 同連盟の井上崇通理事長は「感染拡大が予断を許さない状況ですから、今は5月末開幕としましたが、場合によっては6月もあり得る。感染状況次第では無観客、最悪中止も考えています」と沈痛な面持ちで話した。 また3回戦勝ち点形式による伝統の8週制を断念し、1回戦総当たりで開催するのは1946年春以来。8週制での開催を断念した理由について「神宮はプロ併用日もあり、できる日とできない日がある」と説明した。 ちなみに1回戦総当たり制は、当時の文部省訓令「野球統制令」の制限による1940年秋、41年秋、42年秋、そして戦後初のリーグ戦となった46年春以来、史上5回目となる。(スポーツニッポン) 春季リーグ戦は5月末開幕へ延期、そして1回戦総当たり制となる。3回戦勝ち点制と比べて”一発勝負”になるため、投手力の優れたチームが有利になりそうだ。となると、木澤尚文(4年、慶應高)や佐藤宏樹(4年、大館鳳鳴高)など前評判高い投手のいる慶應が有利か。しかしまだ実績に乏しく、追う早法明立にしても決めてを欠き、戦況は予断を許さない。とまれ、順位はどうであれ、まずは無事に開幕できることを祈りたい。 さて、1946年春にも1回戦総当たり制で開催された。この時の状況を、大和球士さんが著書『野球百年』(時事通信社)に記していた。「六大学はいっせいにリーグ戦の準備にかかったが、六大学リーグ戦の本城である神宮球場はアメリカ軍に接収されて使用できないために、上井草球場と後楽園球場を使用してリーグ戦の幕を開いた。戦前に活躍した選手たちも母校に帰り、懐かしい顔が揃ってきた。食料、球場といろいろの条件は悪かったが、明るい希望に燃えて再開された春のリーグ戦では戦前の優秀選手を揃えた慶大が優勝した」。 当時の主な選手には、慶應の別当薫(のちに大阪タイガース、毎日オリオンズなど)、早稲田の蔭山和夫(のちに南海ホークス)、明治大の杉下茂(のちに中日ドラゴンズなど)、法政大の関根潤三(のちに近鉄パールスなど)らがいた。 なお、1940年秋、41年秋、42年秋については後ほど。雑根バイブル 組織の道しるべ [ 樋越勉 ]教えすぎない教え [ 岡田 龍生 ]ニッポン野球の青春 武士道野球から興奮の早慶戦へ [ 菅野真二 ]新型コロナウイルスが猛威をふるい、外出を控える日々はストレスがたまりますね。そんな時は家で靴磨きはいかがでしょうか。『靴磨きの教科書』(静孝一郎著、毎日新聞出版)によれば、「ゆっくりと靴を磨くことは、ストレスを解放して心を落ち着かせ、あらたな活力を得るひとときにしている人もいる」とのことです。靴磨きに興味ないよ、とおっしゃる方もぜひ、この機会にお試しください。
2020.04.05
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中国六大学野球リーグが4日、新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、岡山・倉敷マスカットスタジアムで、170人の観客を入れて開幕した。 6月8日に開幕予定だった全日本大学選手権が8月12日に延期。全国26連盟のほぼ全てが春季リーグ戦を延期した中で、優勝校が神宮切符を得るリーグでは先頭を切って開幕し、2試合が行われた。岡田麻里専務理事(60)は「中国地方は比較的、感染者が少ない。できるときにやっておかないと、後ろになればなるだけ感染者は必ず増えてくる」と説明した。(スポーツ報知) 延期が相次ぐ中、中国六大学は観客を入れて開幕に踏み切りました。決断した理由は、中国地方は比較的感染者が少ないこと、そして日程を延期すればさらに感染者の増加が予想されることがある。また、何よりも「学生たちに試合をさせてあげたい」といった連盟の気持ちが後押ししたよう。暗いニュースばかりの昨今、観客を入れた開幕は、とても明るいニュース。なんとか無事にシーズンを終えてほしいものです。 なお、開幕戦の東亜大-広島文化学園大戦は、プロ注目の最速151㌔右腕、東亜大・中内亮太投手(4年)が1失点、10奪三振で完投勝利した。※中国六大学リーグ加盟校は20校、1部~4部まである。ここ数年その実力ぶりが注目されているのは、野村昭彦監督(元広島カープ監督・野村謙二郎氏の実弟)が率いる環太平洋大。2018年秋の明治神宮大会でベスト4に進出、当時まだ1年生投手だった仲尾元貴の変則モーションが印象的でした。別冊野球太郎 2020春【合計3000円以上で送料無料】ベースボールマガジン 2020年1月号/別冊新年号(BBM0712051)『野球 書籍・DVD ベースボールマガジン』
2020.04.05
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既報のとおり、今年度の全日本大学選手権は、8月開幕が決まった。8月の開催は実に63年ぶり。長嶋茂雄がいた立教大が全国を制した1957年以来のこと。 この頃の立教大は「立教三羽ガラス」と呼ばれた長嶋茂雄(佐倉一高)、杉浦忠(挙母高)、本屋敷錦吾(芦屋高)がおり、まだまだ東京六大学が”華やかなりし時代”だった。他大学に目を転じても、のちにプロ野球で活躍する俊英ぞろい。慶應大には佐々木信也(湘南)や藤田元司(西条北)、明治大には秋山登、土井淳(ともに岡山東商)や近藤和彦(平安高)、早大には森徹(早大学院)、法政大には山本一義(広島商)らがいた。変わり種では、投手として大成を期待され明治大に進み、のちに”悪役俳優”として名を成す八名信夫(岡山東商)も。 さて、立教優勝に話を戻すと、いかに豪華な顔ぶれであっても、選手だけで優勝を勝ち得たわけではない。”スパルタ式”で鍛え上げた砂押邦信監督の存在があったからこそ。当時在籍した部員によれば合宿、合宿の日々で「軍隊か刑務所に入ったような雰囲気」だった。 長嶋らが入学した頃は、しごきがさらにヒートアップ。昼間の猛ノックが終わって、夜になると長嶋ら何人かの新人を呼び、東長崎の合宿所から池袋の監督の自宅までランニング。バットの素振りも多いときは500回。暗闇の中でボールに白い石灰を塗り、キャッチボールをし、ノックをした。うかうかしているとバットで尻をひっぱたかれるほど。これが有名な”月下のノック”。あまりのつらさに耐えきれず杉浦らは合宿所を脱走して実家に帰り、マネージャーに連れ戻されたこともあったという。 実は、全日本大学選手権を制した57年、砂押はすでにチームにいなかった。その2年前の55年春、立教はリーグ5位に終わり、砂押は「自分は力いっぱいやっている。お前たちはやる気があるのか。俺がイヤだったらいつでも辞める」と言い放ち、それが大沢昌芳(のちに啓二)ら選手たちによる”監督排斥”運動につながり、退陣していたのである。もし砂押監督時代が続いていたら、57年の全国制覇はあったのだろうか。いや、57年の優勝は砂押監督の功績だと思いたい。 ※砂押邦信。茨城県水戸市生まれ。水戸商で主将、4番、エース。2学年下に石井藤吉郎(のちに早大)がいた。その後立教大に入学。好村三郎主将のスパルタ訓練を受け、軍隊式の厳しい練習が砂押に大きな影響を与えたと言われている。その後、立教大監督を辞任後は、茨城の社会人チーム日鉱日立を率いた。 長嶋や本屋敷らは砂押監督に恩義を感じていて、立大卒業前、十数人で日立を訪れ、日鉱日立と感謝の意を表すゲームを行なった。球場は超満員、ゲーム前、砂押がかつての教え子にノック。砂押にとって忘れられない一日となったという。 DVD/スポーツ/長嶋茂雄現役引退試合〜栄光の背番号3〜DVD/スポーツ/長嶋茂雄大事典〜帰ってきたミスタ-ジャイアンツ〜全日本大学野球選手権大会 2007 [ (スポーツ) ]全日本大学野球選手権大会2010 [ (スポーツ) ]
2020.04.04
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全日本野球協会(BFJ)の山中正竹会長が3日、新型コロナウイルスの世界的拡大の影響で、東京五輪など侍ジャパン各カテゴリーが出場予定だった国際大会が中止、延期となっている現状を受け、「すべての野球人の皆さま」と題したメッセージを発表した。すべての野球人の皆さま 本来ならば、新たな環境で思う存分、野球を楽しむ「球春」を迎えるところでしたが、新型コロナウイルスの感染の拡大が止まらず、世界中がその対応に昼夜を問わず格闘している、まさに異常な事態となっています。 国内においては、各野球団体が感染拡大防止に向けてさまざまな対策を模索する中、残念ながら、選抜高校野球、プロ野球をはじめ、ほとんどの野球大会・イベントが中止や延期となってしまいました。 世界に目を転じてもWBSC、BFAの主催する各種国際大会のスケジュール変更の通知が届く毎日です。 いま、私たちは、何をなすべきなのか。 何より、新型コロナウイルスの感染拡大を終息させることが最優先です。感染の終息こそが、日常を取り戻し、活動再開への近道です。今こそ選手の皆さん、指導者の皆さん、野球を支えてくださっているすべての皆さんと気持ちをひとつにしたいと思います。 感染拡大防止へ皆さんとともにできることはまず、集団での活動を差し控えることだと強くお伝えしたい。 人々が心身ともに健康であること、その健康を維持していく中でこそ、野球の社会的価値が発揮されます。どうか、再び輝く野球の日常を取り戻すそのときまで、思いを一つにしてそれぞれの立場で力を尽くしていきましょう。2020年4月3日 山中 正竹「我が道」山中正竹スポーツニッポン新聞社三省堂書店オンデマンド三省堂書店オンデマンドスポーツニッポン新聞社若き日の誇り 〜法政大学野球部黄金時代〜 松永怜一、田淵幸一、山本浩二、山中正竹
2020.04.03
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全日本大学野球連盟は2日、都内で臨時常務理事会を開き、6月8日開幕予定だった全日本大学野球選手権を8月に延期することに決めた。新型コロナウイルス感染拡大の影響を考慮した。日程は8月12日に開幕、決勝は8月20日の予定。球場はすべて神宮球場で行う。(スポニチ) 全日本大学野球選手権の日程が大幅にずれたことで、全国各連盟の日程調整に余裕が生まれたよう。なお、無観客試合は想定していないとのこと。
2020.04.02
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東京六大学野球連盟は1日、都内で常務理事会を開き、11日開幕予定だった春季リーグ戦を5月中旬に延期する方針を決め、5日に開く臨時理事会に諮ることになった。同連盟の内藤雅之事務局長は「小池都知事からの大規模イベントの自粛要請は12日までとなっていて、通常開催は断念した。今の社会情勢や各校の授業開始のスケジュールなどを鑑みて5月中旬の開幕が妥当と判断した」と説明した。開幕日や運営方法などは、臨時理事会で詳細について協議した上で決定する。(スポーツ報知) 先日来、大学野球連盟ごとの開幕延期の記事について紹介してきました。それは、やがて新型コロナウイルス禍が鎮まり、”心躍る球春”到来までのプロセスを記録したいと考えたことがきっかけでした。いま残念ながら、事態は長期化の様相で、日々状況の悪化ばかりを伝えることになり少々疲れ気味です。でもいつかは”球春”がやってくるでしょう。そう信じて、これからも日々記録の更新を続けたいと思います。 第二次世界大戦終結から3か月後の昭和20年11月、職業野球の東西対抗戦が神宮球場で開催されました。戦時中、野球をはじめとした娯楽のなかった多くの人々が、心躍らせて球場に詰めかけたそうです。どれほどの喜びだったでしょうか。私も今なら、その喜びの大きさを心から想像することができます。今回のコロナウイルス禍も終結する日が、一日も早くやってくることを祈りたいと思います。
2020.04.01
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