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義務教育の中学生だけでなく、自らの選択で進学したはずの高校生や大学生からも、「何のために学校に通っているのかわからない」とか、「学校では役にも立たないことを詰め込まれるだけで勉強に身が入らない」という声がよく聞かれます。学校の意味についてはいろんな意見があると思うが、次の三点を上げておきます。1.いろんな事を学び経験する中で、自らの秘められた才能に気づく場です。人は誰でも、生まれながらに素晴らしい可能性の種を持っています。でも、植物の種が芽を出し美しい花を咲かせるためにはさまざまな環境条件が必要なように、人間の才能が花開くにもそれに相応しい環境が必要です。その環境を与えるのが学校だと思います。しかも、自分に見えている「開発された窓」や「隠された窓」はほんの氷山の一角にしか過ぎず、自分がどんな種を宿しているかのかもわからないのが実情です。自分ではわかっていない「閉ざされた窓」や「暗黙の窓」を開くには、序章に書いたマチスや本庄さんのように何らかの切っ掛けとなる学びや体験が必要です。つまり、「私は私」というものを見つけ、自分の花を咲かせる準備をする場なのです。2.仕事などを通して自己実現を図ったり、人生のそこかしこで出会う様々な問題を上手く解決して愉快に生きていくために、先人の築き上げてきた知恵を学ぶ場です。私たちが今謳歌している文明も、それぞれの時代を生きた先人たちが、そのまた先人の知恵を学び、それを踏み台にして累進的に発展させてきた産物です。3.人間は一人では生きられず、大事を成し遂げるには多くの他力を得る必要があります。そんな人間関係の機微を学ぶ場です。集団の中で、お互いに触発されたり助け合ったり、一つのことを共に成し遂げることで感動体験を味わい成長もしていきます。
2006.07.31
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明治生まれの母が、終戦後「修身」の教科が中学校から消えたとき、「修身を教えない国はやがて滅びる」としきりに嘆いた。当時、中学生だった僕は、単なる年寄りの繰り言と軽く聞き流していたが、長ずるに及んで、次第に母の言葉が真実の言葉として響くようになった。それは、現代の日本人から「恥じを知る」「誇りを持つ」「正々堂々」「自分を厳しく律する」「謙虚」といった、かって美徳とされた精神が消えてしまったことにある。社会道徳の低下も著しく、一歩街に出れば不愉快なことに連続的に遭遇する羽目となる。日本の社会の模範となるべき指導者たちの人格のあまりのお粗末さと無恥厚顔さは、こんな日本ではやがて国が確実に滅びるという絶望感にとらわれる・・・。選挙民の前で話したことが外国から批判されると、慌てて失言だと詫びる卑屈ともいえる態度の政治家。なぜ堂々と発言したことに責任を持てないのか・・・、と俳優の児玉清さんは言う。修身というと拒否反応を示すのが日本人の知識人だが、「善悪のけじめ」とか「自分を律する」ことの大切さを、幼い頃から徹底的に教えることは別の問題で大切なことです。
2006.07.30
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心にポッカリと穴が空き、「老後をどう生き、心の拠り所を何に求めたらいいのか」と仏教書を買いあさっては読み、高野山や比叡山にも登り、四国八八カ所巡りもした。知り合った若い僧に、「お釈迦様は生きる支えについて説かれたはずだが、仏教ではどうやって私のような者を救ってくれるのですか」と問いかけても、「救いを求める今の貴方そのものが宗教。ある日、かつ然と気づきますよ」と答えるのみであった。牧師も「聖書を読めば、すべて書いてありますよ。教会へいらっしゃい」と言うのみなので新興宗教にも走ったが、心の支えも得られないままにあっと言う間に更に四年の歳月が流れた。老いは容赦なく忍び寄り、「結局、生き甲斐を見つけられないままに老いていくのか? 何かを見つけなければ」と焦るばかりであった。それに追い打ちをかけるように、親しくしていた元同僚が自殺を図ったとの訃報が届いた。それに衝撃を受けて鬱状態になったが、精神科医にもまた「生き様については医学は手助けできません」と突き放された。このところ、このAさんではないが「自分の人生は一体何だったのだろう。老後の20年前後もどう生きたらいいのだろう?」などと、生き方や生き甲斐に悩んでいる人は多いようです。だが今の宗教家は例話のように適切に答えてはくれず、自由気ままに飄々と生きているように見えるのか、私のような者にも相談を持ちかけられることが多くなりました。そんなとき私は、「生き甲斐は他人が与えてくれるのものではなく、自らが創り出すものです。貴方自身が30年、40年積み重ねてきたものを必ず持っているはずだから、それらを社会に還元することを考えることです。大きなことを考えると大変だが、身近な人に何かをしてあげてはどうですか」と答えることが多い。この間NHKの朝ドラで、「自分の居場所ができて充実しているの・・・。幸せになろうと思ってなれるものではないのね。誰かを幸せにしてやろうと思って初めて(自分も)幸せになれるのよね」と言っていたが、全くその通りだと思います。そして、幸せはなるものではなく、自分の心で感じるものだと思います。幕末の歌人、橘曙覧(たちばなあけみ)の短歌のように生きれば、どんな人生でも幸せに感じることができるのではないでしょうか?たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時 たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭ならべて物を喰ふ時たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて喰ふ時 たのしみは機おりたてて新しきころもを縫て妻が着する時 たのしみは三人の児どもすくすくと大きくなれる姿みる時たのしみは雪ふるさより酒の糟あぶりて喰ひて火にあたる時たのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふときたのしみはそぞろ読ゆく書の中に我とひとしき人を見し時たのしみは書よみ倦(うめ)るをりしもあれ声知る人の門たたく時
2006.07.29
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上場企業の経理課員だったAさんは、帰宅途中の電車の窓から見える簿記専門学校で、熱心に机に向かう若者たちを眺めては羨ましく思っていました。そんなある日、サミュエル・ウルマンの『青春』という詩に出会った。青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。逞しき意志、優れた創造力、燃ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねるだけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失うときに精神はしぼむ。苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こういうものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は70であろうと、16であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。人は希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして威力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽い尽くし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて神の憐みを乞う他はなくなる。(松永安左エ門訳) 「年を重ねるだけで人は老いない、理想を失う時に初めて老いがくる。人は希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」という言葉に激しく心を揺さぶられ、安易なサラリーマンの道を選んで捨てた計理士への夢を思い出した。折しも、事業再構築を目指す会社ではリストラに伴う早期退職募集が始まり、55歳だったAさんは「元気なうちに辞めて第二の人生を充実させたい」と希望退職に応じ、何時も車窓から眺めていた件の専門学校に入学した。簿記はお手の物で3ヶ月で3級に合格したが、本命の税理士コースはそうはいかなかった。覚える端から忘れていき、4年間机にかじりついた末についに断念した。◆明日に続く
2006.07.28
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人には、認められたいという気持ちがあります。ほめられたり、相談されたりすると、自分が認められたと思って、誰でも気持ち良くなります。子育てにおいて、親や先生に大切なのは、自信を持たせるほめ言葉や励ましの言葉です。京都大学元学長の平澤興さんは、「教育とはほめることです」と言っています。ある水泳選手は、不利という下馬評を覆し、オリンピックで見事金メダルを獲得しました。その陰に猛練習があったのは当然だが、一番効いたのは「お前が世界で一番速い。本気を出せば必ず金メダルが取れる」と毎日コーチから吹き込まれた言葉でした。画家の斎藤吾朗さんは、幼い頃からヤンチャで、家の襖、壁、柱など、何にでも鉛筆やチョークで落書きをして回る子でした。お父さんが病気がちのため、お母さんが呉服の行商で家計を支えていたのだが、お母さんは落書きを怒らず、「ゴロちゃん、また新しいのを描いたのね。上手だね」とほめてあげました。それで吾朗少年はますます調子にのり、曇ったガラスには指で、地面には棒きれで絵を描くようになりました。小学生になってからは絵画教室へも通い、多摩美術大学で油絵を専攻し、画家になった斎藤さんは、「思えば、私の画家としての生涯は、落書きを『上手だね』と言ってくれた母のほめ言葉で始まったのです」と語っています。言葉は、人の心をプラスにもマイナスにもコントロールします。人を一番やる気にさせるのは快感情報です。「あなたは本当に良い子ね。必ず素晴らしい人になる」と言い続ければ、だんだんそういう子になっていきます。そして、その人がやったことに感心し、拍手を贈れば、誰でもやる気になります。ほめるということの神髄は、探してでもほめることです。ほめるところがないと言うのは、相手に対する愛情が不足している証拠です。心中に相手を愛する温かい気持があれば、短所の中にも良いところを見いだすことができます。愛情を持って子供や部下を見つめ、良いところを探し出し、その開花に期待してほめて育てる。そうすれば、人間の命は輝きます。快感情報に反応するのが、人間が本来持っている命の火です。
2006.07.27
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神経症、アルコール依存症、不登校、家庭内暴力など心を病む人に共通しているのは、「自分は取るに足らない人間だ」と思い込んでいることだそうです。カウンセラーで牧師の田中信生さんは、その原因のほとんどは幼児期の体験に根差していると言います。赤ちゃんは、ハイハイをするまでの間は両親の愛情溢れる眼差しに守られて育ちます。泣いたりむずかれば、すぐに親は応えてくれ、ありのままの自分を100%受け入れてもらえます。それが、歩き始めたり言葉を話すようになる頃から少しずつ様子が変わってきます。「そんなことしちゃダメ」「またやっちゃったの、しょうのない子ね」「ダメねえ、○○ちゃんは」「危ないでしょう、そんなことしたら」などと、にわかに否定的な言葉が多くなります。100%受け入れてもらっていた時期と大違いです。小学校に上がる頃には、さらに否定的なトーンがエスカレートして、「何度言えば分かるの」「違うでしょう、そっちよ、そっち」「早くしなさい、ほんとにグズな子なんだから」「なによ、このテストは」「あんたって子は、お隣の○○ちゃんを見習いなさいよ」などとなってきがちです。ある調査によれば、子供たちの聞く言葉の80%以上が否定的な言葉だと言います。言葉は、それを聞く人の心に大きな影響を与えずにはおきません。小さい頃から消極的、否定的な言葉を聞かされ続けてきた子供が、消極的になって「自分は取るに足らない人間だ」と思うようになるのは当然です。ことの善悪や危険なことを教えるのは大切なことだが、理由もなく一方的に否定したり、子供の人格を否定するような言葉は避けなければなりません。同じことを教えるにしても、明るい前向きな言葉を使いたいものです。
2006.07.26
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どんな仕事に就くにしても、適齢期というものがあります。スポーツやピアノなどの芸術の世界なら、20歳前後には頭角を現すことが必要です。創造的な仕事、たとえばノーベル賞受賞者にしても、大体30代前半頃までに受賞の対象についてのヒントをつかんでいます。サラリーマンにしても、30代の評価は一生ついて回り、35歳頃までに社内で「こいつはできるな」と思われるような業績を上げないと先は見えています。35歳を過ぎたら、これという専門能力を持っていない限り転職も難しくなります。そういう専門能力を身につけるには、腰を落ち着けて最低1万時間は精進する必要があります。1万時間というと、最低でも5年間は必要です。だから、30歳ぐらいまでに色々なことを経験して、「自分はこれで勝負するのだ」というもの、つまりこれが自分の天職だというものを見つけ磨き上げる必要があります。◆それには、できるだけ若いときに何かに前向きに挑戦してみることです。昔から芸事の事始めは3歳からと言われるが、プロ野球やサッカーの選手にしても大部分は小学生のときに始めています。有名な画家のマチスは、若いときは法律を学んで法律事務所に通っていました。21歳のときに盲腸を患って手術後に家で静養していたとき、絵の好きな母親に「暇つぶしに絵でも描いてみたら」と勧められました。彼は、それが切っ掛けで絵を描きはじめ、自分自身の絵の才能に気がついたのです。もしこのとき、彼が絵を描かずに法律の本などを読んで退屈を消極的に紛らわしているだけだったら、あの天才画家は生まれなかったかも知れません。本庄修さんが、フラワーデザイナーの道を選んだ切っ掛けも偶然です。高専の土木工学を出たあと、青山の花屋さんに就職し好きな登山を続けていました。79年にキリマンジェロに登るつもりでロスに渡り、1,2年したら帰国するつもりで街中を歩き回った末にハリウッドの大手フローリストで働くことになった。たまたまオーナーと出席した世界最大のフローリスト大会の月例会議で、全米最大のフラワーデザインコンテスト、アメリカズカップ歴代優勝者3名によるデモンストレーションに出会いました。その色使いの大胆さ、ダイナミックな構成、独創的な表現に圧倒され、見ているうちに体中の血が沸き立ってきて熱くなってきたそうです。こんな経験は生まれて初めてで、自分もあんなデザイナーになりたいと思った。努力の甲斐あって、84年にシルビアカップに優勝して全米フラワーデザイナーのトップになり、次々と各種のコンテストでも優勝して全米に知られる著名人になったのです。何かに出会って、本庄さんのように体中が熱くなる瞬間があります。その時に躊躇せずに挑戦すれば、マチスや本庄さんのように運命を変えるチャンスに出会う可能性も生まれます。何にも挑戦しなければ出会いもなく、自分の適正もやりたいことも見えてきません。脚本家の橋部敦子さんは、2年半のOL生活の後、ジャズダンスのプロを目指して会社を辞めました。ところが、初めて自分のやりたいことを見つけて夢中になっていたとき、膝の故障で諦めなければならなくなってしまいました。ダンスを諦めた後、他にやりたいことなど簡単に見つからないと思い、アルバイトをやりながら歌や芝居をかじったり脚本を書いたりしていました。そして、日増しに表現することの面白さにはまり、プロになりたいと思い努力の末についに実現しました。何かを始めたとしても、橋部さんのように何らかの支障が発生して諦めなければならないかも知れません。途中で嫌になることもあるだろうが、それは自分に向いていなかったということで、また別の物に挑戦すればいいだけです。何事でも、始めるのが早ければ早いほど再チャレンジが可能です。とにかく、まず何らかの行動を起こすことです。
2006.07.25
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冬の午後、繁華街にあるハンバーガー店は満員だった。忙しそうに立ち働いているアルバイトが十数人、冷凍ポテトを揚げ、塩をふって紙の袋に詰めている。隆は最年長で今年31歳である。揚げる時間はタイマーをセットすれば良く、コツを必要とするほどのものでもない。彼のアルバイト生活は11年目になるが、今も時給は870円でしかない。高校卒業後、大学をめざして予備校に通ったが、「何のために勉強するのか、何のために大学に行くのか」という答が見つからず、少しも勉強に身が入らなかった。浪人2年目の秋に進学を断念した。「これからどうするの」と心配する両親に、「とりあえず働くよ」と宣言して近くのファミリーレストランでアルバイトを始めた。それから転々と店を替え、今のハンバーガー店が4店目である。就職のことはいつも頭にあるが、「やりたい仕事が思い浮かばないんです。好きじゃない仕事についてすぐに辞めるぐらいなら、バイトでも一緒かな」と思うと言う。だがこの間、一歳上の店長から「うちに就職しないか。歳を考えると最後のチャンスだぞ」と声をかけられて現実を感じずにはいられない。実際、月10万円程度の収入では、都会で自立した生活は無理である。毎晩、帰る途中で見るホームレスが急に自分の将来と重なって見え出したとも語る。◆フリーターの多くは、「若いうちは仕事よりも趣味を優先させたい」、「本当にやりたいことが見つからないと本気で働こうという気にならない。やりたい仕事が見つかるまでの腰掛け」などと言うが、そうやって本当にやりたい仕事に就けた人はほとんどいない。ある人は、仕事は回転寿司みたいなものだと言った。目の前を流れるネタは食べたいものばかりとは限らないが、時々『オッ!』という皿が回ってきます。それにありつくためには、取り敢えずは席についていて、目当ての皿が回ってきたときに素早く手を伸ばさないといけない。仕事も同じで、やりたいことばかりではないが、尻を落ち着けて何かに本気で取り組んでみない限り、責任ある仕事は任せてもらえず、本当の仕事の醍醐味など味わえるはずがなく、何が本当に面白いかも分からないものです。
2006.07.24
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栃木県立栃木高校の世界史の先生で野球部の監督でもある入江吉晴さんは、「勝つことも大切だが、それ以上に野球を通して得た自信とか連帯感を糧に、後の人生を歩んでいくことが最も大事だ」と言われます。進学校なので、ボールに触れたこともない初心者も入部してくる。そういう子には、「一番うまくなる可能性があるのはおまえたちだ」とまず言う。最初はノックも受けられない。硬球なので技術がなければ危険だから、「こういう練習をして、これがうまくできたらノックに混ぜてやるから」と目標を与える。グラウンドの隅でやっている練習にも意識を注ぎ、課題ができたら、間髪を入れずにその子をほめてやってノックに混ぜる。ビギナーの子にとっては、ノックを受けることが試合でヒットを打つのと同じ喜びになる。喜びを通して、試合には出られなくても、選手と一緒にプレーしているような連帯感が培われる。それこそが、高校野球の魅力であるとも言う。スポーツでも何でも、結果だけに一喜一憂したり、一握りのできる人だけが持て囃されるのではなく、それを通して成長する喜びや強い心、優しい心を培うことこそが大切です。
2006.07.23
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高齢化社会になって、年金問題や介護保険にと私たち高齢者は厄介者扱いを受け、肩身の狭い思いをしています。政治の世界でも、中曽根さんや宮沢さんが自分の意思に関係なく強制的に引退させられました。私の周りでも、大学のOB会や同窓会などに出ると定年後の話題が多くなりました。また、私よりも若い友人たちが脳溢血、くも膜下出血、ガンなどで相次いで倒れ、闘病を余儀なくされたり亡くなる人も増えてきました。そんななかで、本を書いたりNPO活動の一環として若者たちに生き甲斐教育をしている私に、定年や病気で不如意になった人たちから相談を受けることも多くなりました。このブログは、自分自身の指針にすべく普段から書き留めておいたものを、世話になった私の姉や兄に、また友人たちに、不如意な状況に挫けることなく、毎日を「明るく、楽しく、命輝いて」生きて欲しいと願って、フロッピーに編集して配布したものをベースに書き直したものです。皆様が、ありのままに現実を受け入れ、自分が「いま、ここに」生かされている不思議さを見つめ直し、感謝しながらイキイキと生きていくうえでの一助になれば幸いです。 また風が吹いているまた雲が流れている明るい青い暑い空に何の変わりもなかったように小鳥のうたがひびいている花の色がにおっている作者は失念しましたが、この詩のような状況もまた「有り難し」と感謝し楽しみながら毎日をお過ごしいただければと願っています。丁度1週間前に27回忌を終えた母の命日を前にして相次いで逝った二人の姉たちにこの原稿を捧げると共に、貴重は視点と知恵を与えて下さいました先賢の方々にこの場を借りて厚くお礼を申し上げます。なお、この修正原稿がいま出版社に行っていますので、縁が有れば上梓されることと思います。その節は宜しくお願い申し上げます。なお、1年間連載してまいりましたが、途中からお読み頂いている方もみえると思いますので、次回からは修正版を連載したいと思います。平成18年初夏 京都嵯峨野にて 著者記す
2006.07.22
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「私から年齢を奪わないで下さい。これは、私が年月をかけて作った私の財産なのだから」と言った言葉に深く感銘を受けたことがあります。世の中には(特に女性には)年齢を気にする人が多いが、今までがどんな生き方であったとしても、「年齢とは私の生きた証であり誇るべきものである」と私は思います。ミヒャエル・エンデは「モモ」の中で、「人間は、自分の時間をどうするか、自分で決めないと行けない」と書いているが、時間をどう使うかは自分に任され、その時間そのものが自分の命=人生そのものです。だから、一生の終わりに「何と私の人生はつまらないものだったか」という不平を言う権利は持っていないことになります。なぜなら、人生をつまらないものにしたのも、意味あるものにしたのも、すべて自分の責任なのですから。自分なりの生きる意味に気付いた人には生き甲斐が生まれるが、その意味を喪失したとき人は生きる希望と勇気を失います。自分の生きた命には意味があり、いつも楽しかったと言える歳の重ね方をしたいものです。渡辺和子さんがアメリカの修道院で修練を積んでいたときのお話です。修練院の広い庭は、夏もなれば雑草が我が物顔に生い茂り、草取りが大変だった。ある日のこと、草取りをしている渡辺さんたちのところに修練長がみえて、「草は根っこから抜くものです。むしっただけでは、またすぐに生えます」と厳かに仰り、面倒くさそうな彼女たちの顔を見て、「一本抜くごとに、この世から悪の根が一つ、根こそぎ無くなりますようにと、祈りながら作業しなさい」と続けられた。若い修道女たちは、その日の作業を終えたとき、庭は何時もと同じく綺麗になっていたが、いつもとは何かが違っていた。つまらない草取りの時間が意味のある時間に変えられ、一人ひとりの財産となったからです。時間の使い方は、かくて命の使い方となります。「時は金なり」というほどにお金を生み出す時間もあれば、お金には換算できない時間もあります。真に「私の財産」と呼ぶことのできる時間は、自分の魂を豊かにするものであり、永遠の世界につながるものとものを指すのではないかと思います。私たちは「ただ老いる」だけの日々を送りたくないものです。「ただ働く」だけの日々でもなく、生活の随所に愛を込め、意味を見出し、自分でしか作ることのできない財産としての毎日を過ごしたいと願っています。
2006.07.21
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この時期には、次の三点をしっかりと躾るだけで十分です。第一に、明るく元気な挨拶と「ありがとう」という感謝と労りの言葉を口癖にする。第二に、「はい」と素直に返事をして自分の心を開き、相手を受け入れる習慣をつける。この二つが身に付けば、コミュニケーションが円滑になり、人生が楽しくなります。第三に、整理整頓を常に行い、使ったら、その都度必ず元の場所に返す癖をつける。これがきちんとできるようになると、心も体もシャンとしてきます。円福寺愛育園の藤本幸邦園長は「履物をそろえると」いう詩で子供を躾てみえます。履物を揃えると心も揃う心が揃うと履物も揃う脱ぐ時に揃えておくと 履く時に心が乱れない誰かが乱しておいたら 黙って揃えてあげようそうすればきっと 世界中の人の心も揃うでしょうスリッパなどを揃える習慣は、次に使う人の身になって行動する本になります。それは、自利利他の心を養い、相手のことや次の人のことを思う「思いやりの心」を育てます。7人の子供を育てた大久保悦子さんは、『育て育てられの記』という本の中で、子育てに悩んでいる人は、とりあえず次のことをしてみてくださいと言われます。1.毎朝鏡を見て一番いい笑顔で笑う。2.その笑顔のままで家族に接する。3.「お父さんのおかげよ」と子供に話す。4.父と母に感謝する。5.すべて生かされているのだということに気づいて喜ぶ。6.毎朝、差し昇るお日様に感謝し、その光を深呼吸して体いっぱいに浴びる。7.夫や子供のよいところを見つける。8.夜寝る前に「あなたは健康で幸福で素晴らしい」と枕元で数回繰り返す。一つひとつは簡単なことだが、「当たり前のことを、ごく当たり前に、執念深く、確実に実行し続ける」となるとなかなか難しいものです。でも、今日から始めてみれば、1カ月もしないうちにあなたの悩みのいくつかは解決されていると思います。子供は善悪の基準がわからないので、人に迷惑をかけない生き方の大切さや、弱い者いじめをすることの卑劣さも、親が実践して後ろ姿で示すと共に、繰り返し言って聞かせたり、時には体で覚えさせることも大切だと思います。
2006.07.20
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「親」という字は、「木の上に立って見る」と書きます。可愛さから単に溺愛するのでなく、子供の将来を見据えて厳しく躾るのが、親の本当の役割であり愛情だと思います。躾は字の通り、『身(体)を美しく』見せる仕種です。仕種が美しければ、自ずと人に好かれ尊敬されます。そうすれば、勉強一筋で育った単なる学校秀才よりも、多くの人に囲まれてうんと楽しい人生を過ごせるはずです。ところで、子どもの躾は、物の道理が分かりかけてきた年頃からすればよいだろうと考えて、小学校の高学年あたりになってから急に厳しくしがちです。でも、それではもう手遅れなのです。なぜなら、物の道理がわかるということは、裏返せば子供の我が強くなりかけたということです。頭ではそうする方がよいと分かっていても、我が強くなっているので、親から注意されるとつい反抗するというわけです。ですから、子供を躾るには、「つ」のつく年齢(九つ)のうちが勝負です。「三つ子の魂、百まで」と言うように、この時代に体で覚えたことは一生忘れません。他の動物の子供と同じように、「つ」のつく年頃までは子供は親を真似て育ちます。親が率先垂範して後ろ姿を見せて教えることです。いくら立派なことを口では言っていても、親がろくに実践していなければ、子供が実行するはずがありません。言うことと行うことの一致が大切です。親がろくに挨拶も返事をしなければ、いくら口で言っても子が行うはずがありません。一家の最高責任者である主人が妻に「おはよう」と挨拶し、妻も何か言われたら口答えせず素直に「はい」と言って率先して示せば、子供も自然に見習うようになります。国民教育の父と言われた森信三先生のところに、あるとき登校拒否児を持つ母親が訪ねて来て、「どうしたらいいのでしょう」と相談したことがありました。すると先生は、「あなたは、ご主人から呼ばれたら、必ず『はい』とはっきり返事をしなさい」とだけアドバイスしました。それだけを実行したところ、二週間もすると、どんなに言い聞かせても学校へ行かなかった子供が登校を始めたそうです。登校拒否の原因はさまざまで、すべてがこのように解決するとは思わないが、挨拶や返事は、お互いが心を開くための最初のカギであることは確かです。◆明日に続く
2006.07.19
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慶応大学の卒業者に「もう一度学生に戻ったとして現在の会社を選びますか」と聞いたところ、七割の人が「違う会社を選ぶ」と答えました。その理由の半分以上が、「仕事内容に不満」でした。また、別の有力企業課長調査でも半数以上が転職希望でした。ある53歳の人は、「経済面ではどうと言うことはなく、むしろ世間の水準からすれば上の部に属しているだろう。それでいて、何時も悩んでいる自分を軽蔑しているもう一人の自分がいる。男としては、ただ人並みの経済的生活さえ享受できれば満足であるというわけにはいかない。大切なのは仕事の中味です」と打ち明けます。でも、40代を迎えてからでは最早手遅れで、40代以上の転職は難しく、できたとしても現在以上の給料を取れる人は2,3%しかいと人材会社の社長は言います。自分の価値観よりも安定と高収入を願って職選びをした人、他人の目を意識して自尊心を満たすためや親との摩擦を避けて名の通った企業を選択をした人は、それでは自分自身の人生を生きたことにならず、必ず後で大きな代償を支払わなければならなくなります。たった一回しかない人生で、いい歳になってから「自分の会社選びは間違っていた」と言うことが、どんなに悲劇かを君たちは想像できるだろうか? 下手すれば自分の人生の全否定であり、幸せな人生の終末を迎えることはできません。◆とにかく、自分に合わない仕事ほど疲れることはありません。大阪府公衆衛生研究所の調査では、不安、不眠、憂鬱などを訴えるサラリーマンが70%(厚労省全国調査62%)にものぼります。大阪の社員一万人以上の大企業での調査では、精神安定剤を服用している社員が11%いたとも言います。何とも恐ろしい数字です。逆に、他人の評価よりも自分の内的充実を選んだ人は情緒的に安定しています。自分なりの生きる目的が明確で、自分の人生に意味を感じている人なら、他人から見たら何という仕事ではなくとも、また大した収入ではなくとも精神的には安定し幸せなはずです。幸せとか働き甲斐というものは、自らの意思でつかみ取りに行くもので、絶対に向こうからはやってきません。外的な条件に惑わされることなく、自分の心の中をよく見つめることです。仕事選びの基準は、高い給料や整った福利厚生でもなく、有名企業で自尊心が満たされるということでもなく、ようはその仕事に使命感が持てるか否かが大切です。産業再生機構COOに就任した冨山和彦さんなどは、「断ったら一生後悔する」と年収が半分以下になるにもかかわらず売れっ子コンサルタントから転身しました。
2006.07.18
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生き甲斐がなければ幸せに感じることはできないから、自分がやり甲斐を感じる仕事を選ぶことも大切です。私たちの一番気力に満ちた大部分の時間を仕事に費やすのだから、働き甲斐を感じない仕事に就いては生き甲斐を感じることができないからです。仕事を通して感動を味わうことができれば、人生は自ずとワクワクしたものとなります。そのためには、体裁や給料などは二の次にして、まず自分の能力や価値観にあった仕事を自ら徹底的に探し、自分の可能性の発揮に向かってとことん努力することが大切です。君には潜在能力があり、未来にはいろんな可能性が開けています。その可能性を現実化して花開かせる場が仕事であり、仕事とは自分の生き様の一つの表現手段ともいえます。つまり、仕事をするというのは、生涯をかけて自分の可能性を最大限に発露し、自分の生まれてきた意味、つまり自分の存在価値を確認することでもあると思います。大学関係者も言うように、自分にあったやり甲斐のある仕事を早く決めれば決めるほど、目標が明確になり、勉強にも身が入るので実現の確率も高くなります。だが、「自分には何が向いているか」を見つけるのはそう簡単なことではありません。◆ジェイムス著『自己実現への道』に、鶏と一緒に育てられた鷲の話があります。ある男が、森で一羽の若い鷲を捕らえて鶏と一緒に育てていた。ある日、通りかかった博物学者が「何故鷲を鶏などと一緒に納屋に閉じこめているのか」と聞くと、男は「鶏と同じ餌を与え、同じように訓練してきたので飛ぶことができない」と答えます。博物学者は、鷲はまだ鷲の心を持っているから飛べるはずだと、納屋の屋根の上に置いて「お前は鷲なんだ、さあ翼を一杯に伸ばして飛んでごらん」と言うが、自分を鶏だと思っている鷲は、何度やっても飛び降りて仲間のところに戻ってしまいます。三日目に、今度は高い山の上に連れて行き、「お前は鷲だ。お前は地上のものであると共に天のものだ。さあ翼を伸ばして飛んでごらん」と励ますが、納屋のある庭を眺めて飛びません。そこで鷲を太陽の方へ差し出すと、ついにゆっくりと翼を広げ舞い上がります。人間もこの鷲と同じように、本来は鷲の才能を持っているのに、鶏として育てられているうちに自分を鶏と思いこんでいることが多いものです。だから、自分の本当の才能が何かを知り、それを開花させるために、学校でいろんな事を学ぶのです。また、胸が熱くなるような出会いから才能が開花することも多いものです。だから、若い間にいろんな事に挑戦してみることが大切なのです。
2006.07.17
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筑波大遠藤誉名誉教授が03年に行った日中韓3カ国の中学3年生2千人を対象とした意識調査があります。 中国 韓国 日本自国への誇りを持っていますか? 持っている 92% 71% 24%持ってない 0% 4% 12%自分の将来に希望を持っているか? 持っている 91% 46% 29%どうなるかわからない 2% 18% 29%全く持っていない 0% 1% 5%この「自国への誇り」の部分が一部の愛国心教育推進論者を勢いづけて一人歩きしたことを教授は嘆き、「将来に希望を持つ若者は自国に誇りをも持つ」という関連性を示唆したに過ぎないと強調され、国民に愛される国になりたければ、教育現場に国家が干渉することよりも、まず若者に生き甲斐と希望を与える社会を作る努力をし、国際感覚を養成することこそ先決であると言ってみえます。私も、大学生に「生き甲斐・働き甲斐・勉強の意味」を三位一体で考えるように指導しているが、生き甲斐作りこそ最も大切なことだと思います。◆多くの規則よりも愛情を北条氏の治世の時代に、町の人々が辻にたてられた新しい禁令の高札を読んでいると、後ろの方で「北条の世も永くはないな」とつぶやいた通りすがりの旅人がいました。それを聞きとがめた人々に、旅人は「だいぶ昔、わしがこの町に来たときは、高札の禁令は五条か六条しかなかった。ところが、今は20近くもの条項があるではないか。禁令を多くしないと治められないということは、幕府の力がそれだけ弱くなったということではないか。だから、北条の世は永くないと読んだのだ」と語ったそうです。中国、漢の高祖、劉邦は、秦を倒した直後、「法は三章のみ。人を殺す者は殺し、人を傷つけおよび盗すれば罪に抵る」と、秦の法律をすべて廃止したので人々は喜んだ。現在の学校はどうだろうか?先生たちは教育委員会から締め付けられ、学校では遅刻した生徒を校門を締めて死なせてしまったこともあるように、やたらに校則や規則をつくって生徒たちを縛っています。そうしないと学校が運営できないということは、教師たちの愛情というか指導力というか、そんな点が弱くなっていることの裏返しだとも思えてきます。もっと、自分の後ろ姿で生徒を引っ張っていく先生が欲しいものです。
2006.07.16
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仏教では、私たちはこの世に、仏様になるための修行に来ているのだと言います。ですから、私たちの生きる目的は仏様になることです。その修行ができた人から、あの世に帰れるそうです。道元禅師は、仏になるのは簡単だとして、次のように教えました。・悪いことはするな。・迷いに執着しないようにせよ。・あらゆる人たちに深い友情を持て。・目上の者を大切にし、目下の者に目をかけよ。・どんなことも嫌がらず、嬉しいことがあっても溺れるな。・たとえ善いことでも執着にならないようにしろ。・心配したりせず、伸び伸びと、大らかにやれるようになれ。それが仏だ。「なんだ」と思うような単純なことだが、これを淡々とこだわりなくやるとなると、なかなか難しいものです。ですから、私たちは何時までも仏になれずにいます。◆私の仏様に対するイメージは、穏やかで慈しみ深い微笑をたたえたお顔です。13人兄弟の末っ子で姉たちに育てられたような私は、今は亡き長姉の顔を見ると何時も仏様を思い出したものです。若い間は随分と苦労した姉の、老年になってからの福よかな笑顔を見るとホッとしました。だから、私の理想は、何時も笑顔を忘れない人生です。一度しかない人生だから、楽しく笑って暮らし、笑って死んでいきたいものです。いまわの際に、「楽しかった」「ありがとう」「生まれてきて良かった」と言える人生でありたいものです。よりよく死ぬためには、無条件の愛の絆の中でよりよく生きることです。それは、日々を「明るく、楽しく、逞しく、心豊かに」過ごして、周りの人たちとできるだけたくさんの楽しみを共有することです。◆くも膜下出血で危篤状態になったAさんのお話です。Aさんの周りで、妻と子供二人が見守りながら、お父さんとの楽しかった思い出を語り始めました。すると、ほとんど平らだった心電図が音を発しながら波打ちだしました。家族は声を揃えて、「わっ、パパが生き返った。頑張って!」と言いながらしがみついたが、心電図はまた元のように反応がなくなりました。しばらくして、「あの時、パパはこんな面白いことを言ったよね」と話しをしていると、また心電図の波が大きくなりました。そんなことを繰り返してうちに、「体はもう動かないけれども、周りの声は聞こえ、楽しい会話に反応している」ということに気づきました。そこで家族は、それぞれ最後に伝えたい言葉を語りかけ、「もう言い残すことはないくらい言い尽くしたね」と家族三人が口に出した時、不思議にも命の火が尽きたと言います。実際に聴力は最後まで残るそうですから、この方々のように見送って欲しいものです。いい音楽、いい絵、いい文学、そしていい家族と友、それに少々の美味しい食べ物とお酒、そして自分を活かせる仕事、そういうものにどっぷりとつかりながら、心豊かに毎日を楽しみながら笑って暮らし、「楽しかった」「生まれてきて良かった」「皆ありがとう」と感謝しながら笑って死んで行けるのが一番の幸せだと思います。
2006.07.15
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私たちは、自分の命が残り少ないと知ったとき、何を望むのでしょうか?奥さんを先に亡くし、62歳で大腸がんの手術をしたものの2年後に再発して、再手術は無理と診断された人がいました。息子さんは、「オヤジは小さい頃から私を連れてよく山歩きをした。山川に親しみ、自然の楽しみ方を教えてくれた。もう、そう長くは生きられないのなら、オヤジを連れて旅行をしたい」と、先生に無理を言って退院させました。そして、勤めを辞めてフリーターになり、ライトバンを買って何時でも寝起きできるように後部座席をベッドに改造し、月に何回か旅行に出かけました。とうとうある日、旅行中の山道で父親の病状が急変しました。「すぐ、近くの町にある病院を探すから、しっかりして」そういう息子に父親は、「いや、もういい。病院には連れて行かないでくれ」と答えました。死期が近いことが二人にはわかったのです。息子さんは車の窓を開けて、大声で叫びました。「オヤジ、あれが○○山だ。こっちに見えるのは××峠だ」しばらくうなずいていた父親は、やがて静かに息を引き取ったそうです。(山好きの私には理想だが、どうもうちの子供に望むのは無理ですね)◆残された時間を、人のために使おうとする人もいます。それは、生きようという希望にも結びつき、大きな心の支えにもなります。46歳になる婦人は乳ガンと診断され、しかも手遅れで後数カ月の命と宣告されました。彼女は、父親の故郷である山口に旅をし、旅から戻ると大学生と中学生の二人の息子のために、自分の生い立ちや生き方などを書きつづりました。そして、自分がいなくなっても困らないように、息子たちに料理を教えました。最後の1カ月は、「美しい母親としての思い出を残したい。日々衰えていく姿を見せたくない」と、息子たちの病室への入室を禁止しました。そして、自分の好きな童謡などをテープに編集して子供たちに残したそうです。どんな死に方をするにしても、最後に「生まれてきてよかった」「楽しかった」「ありがよう」という言葉を残せる人生でありたいものです。
2006.07.13
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あなたは、無意識のうちに子育てのコストをどこかで取り戻そうと思っていないでしょうか?「そんなことを考えたことはない」と言うかもしれないが、子供の親への恩返しをまったく期待していないと言い切れる人も少ないと思います。この頃は、男の子よりも女の子を欲しがる親が増えています。それは、娘の方が老後の面倒を見てもらえるからであり、子育てを老後の先行投資と考えている表れであると、東京学芸大学の合川充助教授は言います。「親の恩を忘れて、少しも親の言うこと聞かない」「看護が嫌なもんだから施設に入れて顔も見せない」などと嘆いている親御さんがよくいます。でも、作家の安部譲二さんはこう言っています。「親孝行なんて、生まれたときから5つまでのあの可愛らしさで、たっぷり一生分済んでいるのさ」子供が20歳になったら、「お前たちは自分の責任で生きていけ。そのかわり、親の面倒なんか心配するな」と親の方から早く子離れした方が精神衛生的にもいいと思います。近藤富枝さんのエッセイにこんな一節がありました。「書斎の下を流れる川で、一組の鴨が14羽の子鴨を産んだ。いつも母鴨は、優しく微笑みを浮かべているような表情で子鴨を眺めている。ときどきパン屑を投げてやると、父鴨も母鴨も自分たちは食べずに、子鴨たちが争って食べているだけである。散歩をするときは、父鴨が先頭で、子鴨たちを間にはさみ、しんがりを母鴨が護っていた。そのうち、母鴨による猛烈な飛翔訓練が始まった。1カ月ほどたったある朝、窓から眺めていると、次々と子鴨たちがやってきたが、親鴨たちはいない。『何故だろう』と考えて、これは親鴨が子離れをしたのだと気がついた。鴨が子を可愛がり、一家仲良く暮らし、教育に身を入れるところまでは、『よくやってるな』と微笑ましく眺めていた。しかし、その子離れの見事さには参った」われわれ人間も、この親鴨を見習いたいものです。
2006.07.13
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子供と触れ合う時間をつくろうとしない父親は、確かに男親ではあっても、子供にとって真に必要な父親にはなれないと、ベンジャミン・スポック科博士は言っています。父親が仕事を終えて、長い通勤時間をかけて帰宅するころには、小さい子はもうぐっすりと寝込んでいる。朝も早い。週末でさえ、会社の付き合いゴルフや趣味娯楽などで妻子を置いてきぼりにしがちです。こうして父と子の距離はだんだんと広がっていきます。「忙しすぎて子供と触れ合う時間がない」というお父さん、今やらなければならないと思っていることは、果たして父親になることを放棄するほど重要なものでしょうか?単身赴任や子供の進学で別居しても、手紙や電話を通して触れ合いを保つことはできます。京都の大学に娘を出した名古屋の知人は、できるだけ毎日葉書を書くようにした結果、家にいたときよりも親密な関係をつくることができたそうです。どんな状況であろうとも、子供を育てる役割を放棄せず、「先生が悪い、母親が悪い」などと言うことなく、子供と真剣に向き合う姿勢を持ち続けてほしいものです。では、父親は子供をどのように育てていけばいいのでしょうか?「父親は、手綱を緩めたり引き締めたりすべきだ」(アメとムチを使い分けて導け)と『英雄伝』著者で古代ギリシャ思想家プルタコスは言い、内村鑑三も「怒らざる愛は偽りの愛である。少なくとも浅き愛である。子を持てる親は育児の道として、イスラエルの賢者の言《ムチを加えざる者はその子を憎むなり、子を愛する者はこれを戒む》を聞くべし。」と、教育におけるムチの重要性とともに、深い愛から生まれる厳しさは、子供にも通じるものだと言っています。家庭とは 父厳しくて 母優し それでいいのだ 我が家は違う人並みに 叱られてみたい 時もある 俺の父親は 俺が恐いのかと中学生の狂歌にもある通り、子供も怖い存在であることを望んでいるのですが、心から すがりつこうと するときは いつもお父さん 逃げてしまうよでは、怖いが尊敬される父親には遠い存在と言わなければなりません。また、欲望むき出しの人が増えている今日、「アレが欲しいコレが欲しい」と強力に主張して譲らない子供の欲望を抑えるのも大切な父親の役割だと思います。そんな時こそ、全体のバランスを見て、本能的な欲望が強過ぎる場合には、「ダメだ」と一言発してそれを制限するように気を配り対処することが大切です。
2006.07.12
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勉強するのも働くのも、全ては幸せな生活を送るためです。では、幸せとは何か?辞書には、『幸せ』とは「心が満ち足りていること」とあります。ところが、人間の心ほど不思議なものはありません。全く同じ状態でも、自分自身の置かれた状況次第で、満ち足りた気分になったり、そうでなかったりします。たとえば、ひもじい時ならお握り一つでも満ち足りた気分になるが、満腹の時ならどんなに好物のお菓子を出されてもあまり嬉しくも美味しいとも思わないはずです。同様に、お小遣いが底をついている時なら千円でも手に入れば嬉しいが、何万円も使えるお金がポケットの中にある時ならそれほど嬉しくも感じないのが人間です。これは、財産やその他諸々のものに対しても同じです。つまり、幸せ不幸せ感は、その時々の心が感じるもので、自分の心の持ち方次第でいかようにも変化する儚い物だと言えます。人間の心は一人ひとり違い刻々と変化するので、人間の心を満ち足りた状態にするものとしての絶対的な基準はないが、大きく分ければ次の二つがあります。一つは、収入や資産、社会や会社などにおける地位や名声、権力や権威の高さという他人の目にも見える外面的なものがあります。これらは相対的なものなので、他者と比べてなかなか満足することがありません。それに金や地位などがあればあったで、他人に盗られたり侵されたりしないかと不安になり落ち着かないものです。そんな心の落ち着かない状態では、本当に幸せだとは言えません。また、幸せ感は【充足÷欲求】で表すことができるが、人間の欲求は「もっと、もっと」と膨らんでいくので、それが満たされないと絶えず飢餓感に苛まれ満たされることがありません。だから、欲求を制しない限り人間は永遠に幸せ感に浸ることができません。もう一つは、精神や教養の豊かさ、人との関係の豊かさ、過ごす時間の豊かさのように他人の目には見えない内面的なものがあります。これらは競争する必要がありません。お金や地位などはなくても、心豊かに幸せ感いっぱいに過ごしている人は沢山います。ようは、幸せとは心の平安です。スローライフはいい例で、欲望を減じて「いま」に感謝し、目に見えない心の豊かさを追求することでも幸せ感を感じることはできます。まずは、自分は何で心を満ち足りさせるのかを自問してみて下さい。
2006.07.11
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誰にも、進路を選択しなければならない時期が必ずやってきます。受験の時も、理系か文系か、どの大学にするかと迷ったはずです。人は毎日、選択に迷いながら生きています。大学の三回生や四回生になっても「やりたいことが分からない」という学生が多いが、それは自分の求める幸せの形や自らの特性が明確でないことから起きます。それらの見極さえがついていたら、自ずとやるべきことは明確になり、後は制約条件などを勘案して最も効果的な方法を選択すれば良いだけで、迷うこともないはずです。これが幸せだという一つの正解はなく、一人ひとりの描く幸せの形はみな違います。幸せの形が違えば、それを実現するための方法(勉強するのも、働くのも、全ては幸せな人生を送るための一つの手段にしか過ぎない)も違って当たり前です。登山に例えてみると分かりやすいと思います。君が登りたい山(求める幸せや夢の大きさ)は、どんな山だろうか?・登山なんて苦しいことは真っ平!飲んで食って、寝て起きて、楽して遊んでいたい。・高い山は嫌だが、高原で美味しい空気を吸って、皆でワイワイと楽しみたい。・多少は努力して、日本100名山のような存在感のある山に登りたい。・せめて日本一の富士山に登りたい。・生まれてきたからには世界最高峰のエベレストを目指したい人の願望は100人100様で、その目指すものによって身につけるべきもの(知識や技術など)も違い、その難易度によって必要な努力の程度も期間も違ってきます。だから、進路を決めることはとても大切なことです。将来は遠い先にあると思いがちだが、君の今ある状態が、「過去に何をしたか、何をしなかったか」の結果でしかないように、未来の君も「今、何を念い」、そのために「今、何をするかしないか」で決まります。1.自分の求める幸せの姿や夢を明確に描き、2.それを実現するためにどんな仕事に就くのか、3.そのために何を身につける必要があるのか、4.それをどうやって身につけるのかということを、早く決めれば決めるほど、準備のための時間もあり実現の可能性は高まります。どんなことにも旬の時期があり、選択の幅は歳を取れば取るほど狭まってきます。
2006.07.10
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教育とは、子供に感動を与えることだ。どんなことでも、自分の力でやり遂げた喜びは、人間が生きていく上で大きな光を与える。 (教育評論家 吉岡たすく)新日鉄釜石がラグビーで日本一を続けていた頃、仕事が終わってからチーム全員で二時間練習する。その後、一人ひとりが自分に課題を与えて、自ら進んで、暗やみの中、寒さの中、凍てつくグランドで黙々と練習していた。この「自ら課題を与えて、進んで練習した」ところに強さの秘密があった。人間は一人ひとり顔つき、体つきが違うように、サッカーの選手もそれぞれの個性や特性に違いがあり、得手、不得手がある。私は、そうした部下の特性を判断して、それぞれの特質にあった指導をしている。決して、画一的に一定の型にはめる教え方をしていない。選手の才能に対して、結論を急いではならない。プロとして才能が足りないと思っても、いろいろな角度から分析し、それから対処法を考え、練習の積み重ねの中で判断していく。(鹿島アントラーズ時代のジーコ)それぞれに、蘊蓄のある言葉です。
2006.07.09
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「無常」「如幻」「三世不可得」の三つの観が、人間の執着を打ち破る一番確実な方法で、これを極めれば「日々是好日」を味わい楽しめる、と清水寺の森清範貫主は言われました。「無常」観とは、方丈記ではないが「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、元の水にあらず」で、悲しみも喜びも、苦しみも楽しみも、お金の有る無しも、幸せも不幸せも、時々刻々変化して瞬間も止まることなく彼方へと流れていく世の儚さを達観することです。「如幻」観とは、秀吉の辞世の句「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪華の事も夢のまた夢」ではないが、人間の一生は夢、幻のごとしと悟ることです。「三世不可得」観とは、「今」という一瞬が昨日となり明日となるのであって、昨日も今日も明日も一体であり、白隠禅師の師正受老師が「一大事と申すは今日只今の心なり。それを疎かにして翌日あることなし」と言ったように、今という一瞬を大切に生きる心です。人間の一生なんて、儚い幻のようなものです。その儚い一生を、お金や地位、名誉にこだわってあくせく生きるのは愚かなことに見えてきます。この三つを体得したら、いま現在の苦労も幸せも、金持ちも貧乏も、いつかは流れ流れて変化していくものだとわかり、すべて小さなことのように思えてくるはずです。◆作家の井上靖さんは、「幸福は求めない方がいい。求めない眼、求めない心、求めない体、求めない日々に人間の幸福はある」と言われました。何かを求めようとすると、それにとらわれ、それが得られないと不満を持ちます。いかに恵まれている人でも、さらに求めることで不満が湧き出てきます。今日一日を精一杯生きよう、「現在只今」目の前のことに一生懸命に取り組もう。そう思えば、おのずと充実した日々になるはずです。法句経にも、こんな言葉があります。「諸法を心に支配され、心を主とし、心よりなる。人もし汚れたる心を持って、あるいは語り、あるいは行なわば、苦の彼に従うこと、車輪が牛馬の足に従うごとし。人もし浄き心を持って、あるいは語り、あるいは行なわば、楽の彼に従うこと、影の形に従いて離れざるがごとし」南無の会の無能唱元さんは、「汚れた心」とは現在に満足せず現在を憎む心、「浄き心」とは現在に感謝する心だと言います。現在に感謝し好意を持っていれば、未来も好意をもって報い、幸福となってあなたに返ってくるはずです。
2006.07.08
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葬式について、南直哉禅師が次のように語ってみえます。「葬式は、死んでしまった人はもうこの世のことは全部お終いになっているのだから、別れが身にしみて耐えている『残されて生きている人たち』のためのものである。別れとは、残された人が、それまでのいろいろな行きがかりやしがらみ、愛憎悲喜万般をご破算にして赦すことである。愛憎も生前の積もり積もった屈託も、そこで断ち切らなければならない。葬式でするのは、その断ち切りであり赦しである。本人が断ち切り難く赦し難いものを、儀式の形を借りて強引に切らせ、けりをつけてしまう。『引導を渡す』というけれども、これは死者に渡すと見せかけて、その実、残された人に渡しているのである。そして、私たちは死んだ相手を赦し、今度は仏に対して、恐らくは有ったに違いない自らの罪を仏から赦されなければならない。拝むとは、仏の前で自分を省み、自分を変えていき、生き方を深めていくことである。それが本当の供養であり、『彼の死を無駄にしない』ということである。何も変わらなくては、彼の死がムダになる」◆また、仏教における葬式の内容は得度式であるとも聞きました。「度」は「渡る」と同じ意味で、「得度」とは「彼岸に渡り得たり」と読んだらよく、仏の弟子になる儀式が得度式だそうです。得度式では戒名(法名)をいただくが、たった一度のかけがえのない人生を、わがまま気ままな私の思いを先とせず、「天地の道理、仏戒に従って生きてまいりましょう」という誓願を起こしたときにいただくのが戒名です。ですから、本来は死んでからいただくのでは遅いわけで、天地の道理、生き方を聞く耳、読める目、それを行ずる体のあるうちに、一刻も早くいただくものだそうです。「泥多ければ、仏大なり」という言葉があるが、泥(人生の悲しみや苦しみを象徴)は仏をつくる大切な材料であり、泥を嫌っては仏は作れません。しかし、泥はあくまでも泥であり、泥を仏として昇華させるには、その昇華の方法を学ばなければなりません。泥を肥料として仏を作り花を咲かせていけるように、此岸(煩悩の世界=現世)から彼岸(浄土)へ導くことを引導といいます。だから、生きているうちに戒名をいただいて引導を渡してもらうのが本筋といえます。
2006.07.07
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食生活の乱れは子供の生活の乱れを招き、子供の生活の乱れは食生活の乱れに現れると言われます。現に、不登校の子供の生活は昼夜が逆転し、家族が揃う食卓に着くこともまれになってきます。非行や学級崩壊の学校を三つも再建した校長先生も、「お母さんが晩ご飯を作らない家庭、晩ご飯にお母さんの味のない家庭から、非行が生まれる気がする」と言います。小中学生にお母さんの感想文を書かせると、「お母さん、ご飯を炊いてくれてありがとう」というのが多いということです。この頃では、「忙しいから」と総菜コーナーで買ってきた総菜やインスタント物で食事をすませる家庭も多い。すると、子供はほとんど会話もしないで黙々と食べているだけです。手作りの料理を置いたときには、子供が「おいしい」とか「まずい」とか、「忙しいのに大変だね」などと言ってくれ、そこから会話が生まれます。昔は、どこの家庭にもお袋の味がありました。子芋やヒジキなどの煮物、キンピラなど、どれも地味な料理です。総菜屋で買ってきた「お袋の味」と称するものは、決してお袋の味ではありません。「お袋の味」の本質は、お母さんが家庭のことを思って腕を振るう後ろ姿にあります。それを見て育つから、子供たちは「お袋の味」を美味しいと思うのです。「食は人を作る・料理は食べる人のことを考える・食卓を囲んで家族の会話が生まれ心と体の健康が生み出される」が料理学院創立者江上トミさんの信念で、どんなに忙しいときでも、家族一人ひとりの顔を思い浮かべながら夕食を作ったそうです。舅の好物が出たり孫の好物が出たりと、毎晩、中心となる献立は誰かの好物で、「今晩はおじいちゃまの日よ。お芋の煮っころがしを食べてみて。明日はハンバーガーだからね」と幼い孫娘に優しく言って聞かせる。全員で食卓を囲むうちに、子供はお年寄りの食べ物に興味を覚え、大家族の和を自然と学んでいったそうです。また、この頃の子供が凶暴化した原因の一つは、食生活にあるとも言われています。モルモットに子供の好きなスナック菓子と清涼飲料水を与えて飼育したところ、大人しくて噛みつくようなことはないモルモットが、一週間後には噛みつくようになったそうです。このような物ばかり摂っていると、カルシュームが不足して凶暴化するのです。
2006.07.06
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妊娠7、8カ月頃の胎児を超音波映像で見ると、母親をふいに驚かせたりすると、胎児は体をグッと縮めるといいます。母親が驚いただけでこうなのだから、持続的に夫婦仲が悪くて喧嘩が絶えなかったり、「子供などいらないのに」という心理的状態で母親が過ごしているとしたら、胎児は常に萎縮しながら過ごすことになります。また、歩くようになる1歳未満までの赤ちゃんにとって、授乳から排泄の世話、場所の移動、暑さ寒さの調整などをすべて母親に頼るしかなく、母親がすべてです。その時、「本当は子供など欲しくなかったのに、できてしまったから仕方なく生んだ」などと思いながら嫌々お乳を与えたとしたら、そういう心理状態はすぐに子供に移ってしまい、その子供の無意識な心は荒れ放題に荒れていると思っていいそうです。このように、母親の心理状態はそのまま子供の潜在意識に植え付けられ、その後の人格形成に決定的な影響を与えると言います。また、子供の誕生から6、7歳までの生活で最も重要な大人は母親です。子供は、この時期に母親を通して愛情とは何かを学ぶとFBI心理分析官も言います。小児科医の久徳重盛さんは、現代の子供の異常の60%は母親の育児が原因となった母原病で、子供が病気になったら次の点をチェックして欲しいと言います。□子供があまり好きでない。それほど可愛いとは思わない。□子供は少ない方がよい。子供がいることがそんなに幸せとは感じない。□育児について不安が多い。□育児に手がかからないようにしたいから、おとなしい子、便利な子がいい。□育児よりも外で働く方が楽しい。□しょっちゅうガミガミ言い、カッとなって叱ることが多い。□子供をほめたり、おだてたりすることがあまりない。□「子供のことだからまあいいじゃない」とつい過保護、溺愛しがちである。□ゼロ歳児から三歳時のころ、他人に預けてもあまり気にならなかった。□子供をイキイキと楽しい気持ちにさせてやることが少ない。□たくましい子に育つと思わない。問題が起きてから慌てるのではなく、幼児期にお母さんの母性を発揮して慈しんで育てれば、子供はひとりでによい子に育ちます。母親の責任は重いが、それだからこそ育て甲斐もあるのでは?。
2006.07.05
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勉強と仕事と幸せな人生は三位一体私は、人は皆、幸せになるためにこの世に送り出されてきたのだと思います。だから、人は皆、幸せを求めて旅をします。歌を歌うのも、楽器を奏でるのも、絵を描くのも、スポーツをするのも、真理を探求するのも、仕事をするのも、総ては生き甲斐を求めての一つの旅姿です。◆でも、幸せの形は人それぞれです。・倉本聡さんは、人生の価値を、どれだけ金を稼いだとか、どれほど蓄えたかではなく、感動や笑いでどれほどの量の涙を流させたか、その量で自分の人生をはかりたいと言ってみえました。・「容疑者 室井慎次」で柳葉演じる主人公に手錠を掛ける検察事務官の役を演じた野本学二さんのように、年収3千万円の弁護士の職を投げ打って38歳で役者の道に飛び込んだ人もいます。・また「お金命」のホリエモンのような人もいます。あなたは、人生の価値=幸せ感を何に求めますか?また、登山に例えると分かり易いが、登山などまっぴらという人、ハイキング程度が良いという人、日本100名山に登りたいという人、富士山に登りたいという人、ヨーロッパアルプスに登りたいという人など人さまざまだが、どの程度の山に登りたいかで準備も努力の仕方も違ってきます。人生も同じで、どの道を選ぼうと、どれだけ高い理想を持つかで日々の生き方、時間の使い方が違ってきます。◆その求める幸せの形は人それぞれだが、私は基本的には自分の持って生まれた特性を最大限に生かして、「明るく・楽しく・逞しく・心豊かに」命輝いてワクワクしながら幸せな毎日をおくるために生まれてきたのだと思います。それには、毎日ドキドキ、ワクワクしながらやるべきことがあることが第一条件です。人間にとって、短期間の息抜きは別として、毎日何もすることがなければ、「何のために生きているのだろう」と虚しくなってきて生きる気力もなくなるはずです。定年になると生気を失う人が多いのも、夢ややるべき予定がなくなるのが大きな要因の一つです。たとえば、水を汲んで遠くにあるドラム缶に入れ、一杯になったら今度は別のドラム缶に移すという無意味なことを毎日させられたとしたら、あなたは気が狂うはずです。勉強に身がはいらず苦痛に感じるのも、いろんな事に触れることによって自分の適性を見極め、「愉快に生きるための知恵を学ぶ」という勉強の意義が分かっていないからです。また、仕事はその人の生き様の表現であり、貴重な人生の大部分を費やすのだから、働き甲斐のある仕事に就かない限り、毎日を明るく楽しく命輝いて生きていくことはできません。 幸せな人生、つまり生き甲斐のある人生と働き甲斐とは表裏一体の存在です。働き甲斐は、その道での一流のプロとなり、その場になくてはならない存在になることから生まれます。それには好きだけでは限界があり、自分の適性を見極めて得手で勝負することが大切だと思います。それも、一流になるためには、見極めた適正を修行を積んで極限まで磨き上げる必要があります。だから、自分の「生きる目的」や求める「幸せの形」を明らかにしたうえで、それを実現するための仕事を選び、その道での一流のプロになり愉快に行くための智慧を学校や社会で学ぶ必要があります。つまり人生を楽しく生きるためには、これらを三位一体で意識することが大切だといえます。
2006.07.04
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何処の家でも ご飯を食べるしかし なぜ食べるのかを知ろうとしない私がこんなことを言うと みな馬鹿にして笑うだろう (良寛)こんな詩もあります。どのように生きるかに焦る人は多い 何の為に生きるかに悩む人は少ない生きる目的さえハッキリしていれば どのようにしてでも生きていけるのに良寛の言葉や詩ではないが、私たちは個々の現象だけに目を奪われて「何のために」を深く考えようとしない傾向があります。良い学校に入るのが本来の目的ではないはずだしまた良い会社に就職するのが本来の目的でもないはずです。ホリエモンのよう「夢も心も金で買える」と沢山のお金を儲けるのも本来の目的ではありません。良寛は「何のためにご飯を食べるの」と問いかけているが、君は何故ご飯を食べるのだろう?生きるため?では生きて何をするの?私は、たった1回のやり直しのできない人生なのだから、毎日「明るく、楽しく、心豊かに」ワクワクドキドキして命一杯に生きていかなければ、人間として生まれてきた甲斐がないと思っています。良い学校に入るのも、良い会社に就職するのも、恋をするのも、総て、「明るく、楽しく、心豊かに」ワクワクドキドキして命一杯に生きていくための手段に過ぎません。君たちも、ホリエモンのように人生を誤らず、ズーッと楽しい人生を送りたかったら、自分というものをしっかりと見つめて、自分の人生にどんな意味を求めるのかを深く考え、サザンクロスのように真北を示してくれる永遠の人生の目的=生きる目的を明確にすることです。つまりビジョンを持つことです。組織も個人も本当のビジョンを持つことで人生は創られていきます。ビジョンの実現に向かって生きるプロセスそのものが人生の幸せだと思います。自分にとっての「生き甲斐とは何か・働き甲斐とは何か」をハッキリと認識した上で自分の特性を生かした最適の職業に就いてその場になくてはならない存在になって自己実現を図り毎日ワクワク、ドキドキ生き甲斐に溢れた幸せな人生を送って欲しいと思います。そうやって、自分にとっての「勉強の意味、就職の意味、幸せの意味」の三つを関連づけてしっかりと認識することが、毎日をワクワクドキドキして生きて行くには大切だと思います。大学関係者も、「目的を持って入ってきた学生は入学時の成績が多少悪くても伸びる」と言っています。
2006.07.03
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アメリカ・ニュージャージー州で、家が貧しくて勉学の機会が十分に与えられない黒人の子供たちに、補修授業を行っているモリソンさんは、教育の基本は愛情と楽しさと言う。親や家族のように、子供たちに愛情を注ぐ。ときには子供たちを抱き締めてやり、ときにはキスをしてやる。教育とはつまり、親が子にかける愛情持つことである。だが、それは甘やかすということではない。悪いことには、毅然とした態度で臨む必要がある。また、教育に一番必要なことは楽しいことである。教育が苦痛であってはならない。それでは長続きしない。学ぶことの楽しさ、学ぶことによって開けていく可能性、学ぶことによって広がる希望、そうしたものが大切である・・・。ひるがえって、日本の教育はどうだろうか?子供が明日も来たくなるような授業を、果たして学校でしているだろうか?将来のためと言って嫌々させられている勉強や、子供のためではなく管理者側が楽なように校則で一律的に縛る学校が面白いはずもありません。本当に子供の側に立って、明日もまた来たくなる楽しい授業を心掛けて欲しいものです。
2006.07.02
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老人問題は、実は楽しく生きるということと切実に関連しています。何世代もの人間が一緒に住み、年寄りも役割を分担しながら生き甲斐を持てる家庭。そんな家庭を創ることが、楽しく心豊かに生きるということではないでしょうか?イギリスではホスピスが発達しています。日本でなら点滴を打って病床に寝かされているような患者が、玉突きなどをして楽しそうに遊んでいます。それは、肉体的な苦痛を除去する方法がうまく行われているからです。日本ではなかなか望めないが、自分自身の心の持ち方次第ではどうにでもなります。ある末期ガンの女性は、子供たちのために、彼女がその人生で聴いた美しい音楽や童謡をテープに吹き込むことで、死の前の時間を過ごしたそうです。子供達は母の死後、母親が彼らに歌ってくれた子守歌や童謡を、再びその肉声で聴くことができたのです。このように死の前の時間を過ごすことができれば、きっと死の恐怖からも逃れられるし、充実した時間となるのではないでしょうか?◆『死の瞬間』の著書で有名なキュープラー・ロス博士が、医者から「お亡くなりになりました」と宣告されて3分から5分後までに息を吹き返した2500人ほどに、息を吹き返すまでに、どんな体験をしたかを調査した結果、三つの共通点がありました。一つは、死んだ瞬間に、肉体と意識が分離して、自分の遺体をとり囲んで家族が泣き、医者が死を宣告している光景を、はっきり見たということです。一つは、自分よりも先に死んだ肉親や愛した者がそばに来て、助けてくれようとしているのを、はっきりと感じたということです。最後の一つは、愛と慈愛に満ちた光に包まれ、その光の源の方向に行きたいと思ったが、その瞬間に息を吹き返したということです。その調査以後、博士は「私は、我々の死後にもう一つの世界があることを信じます」と言っています。そして、ガンに侵された子供たちに「僕たちどうなるの」と聞かれた時、「あなたは、サナギの殻をここに残して、あの世でチョウになるの」と言えるようになったということです。あの世や極楽の有無を考えても意味がありません。でも、有ると考えれば、死ぬのも怖くないし、生きている間も自分の身を清く正しくしていけるのではないでしょうか。人生とは、生まれた途端に死に向かって歩き始める旅です。死は不浄なものでも、忌み嫌うものもなく、私たちが蝶になって巣立っていく新たな誕生の瞬間でもあります。自分の人生の最後をどう綺麗に終わるかで、その人の一生が決まります。毎日を命輝いて生きた証として、安らかに有終の美を飾りたいものです。
2006.07.01
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