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領有権問題が解決されていないフォークランド(マルビナス)諸島の沖で、イギリスが石油の掘削を始めようとしている。そのため、アルゼンチン政府は激しく攻撃し、ラテン・アメリカ諸国の政府もアルゼンチンを支援する発言をしている。 四半世紀以上前の話になるが、1982年4月、領有権問題をめぐってアルゼンチン軍とイギリス軍は軍事衝突している。6月にアルゼンチンが降伏して事態は沈静化したが、イギリス軍の圧勝というわけではなかった。 例えば、5月4日にアルゼンチン軍のエグゾセがイギリスの軍艦、HMS(陛下の船)シェフィールドに命中して損害を与えている。イギリス軍はこのフランス製のミサイルに苦しめられた。 5月7日、イギリスのマーガレット・サッチャーはパリでフランスのフランソワ・ミッテラン大統領と会談し、ミサイルを無効化するコードを教えないと、アルゼンチンを核攻撃すると脅したという。これはアリ・マグーディが『ランデブー』というタイトルの本に書いた話だ。 この戦争では、戦闘中にアメリカが軍事情報をイギリスに伝えていたとも言われている。当時、アメリカは中央アメリカの武装集団をアルゼンチンで訓練し、ニカラグアの革命政府と戦わせようとしていた。そのプランが「フォークランド戦争」で難しくなり、歴史的に中央アメリカと関係が深く、1982年初頭からニカラグアの反政府ゲリラ「コントラ」へ武器を提供していたイスラエルの存在価値が高まっている。 このイスラエルも1973年の「第四次中東戦争」で核兵器を使う寸前までいった。10月6日に始まった戦争でイスラエルは窮地に陥り、同国政府は8日に首相執務室で核ミサイル発射の準備をすることに合意、エジプトとシリアの軍事司令部を第一目標にすることにしたのだ。 アメリカと同じように、イギリスもイスラエルも核兵器を「有効に」使ってきた。だからこそ、イランやイラクが核兵器開発に一歩でも近づくようなことは許さないのだろう。イスラム諸国が核兵器を「有効に」使うと困るということだ。そのためにイスラエル側はイランに対して核攻撃を使用するという話を流し、いくつかの国の政府を脅しているかもしれない。 1980年代にイギリスの放送局BBCはプルトニウムの極秘プロジェクトをテーマにしたドラマ「The Edge Of Darkness」を制作したが、昨年、アメリカでリメークされて世界的には話題になっている。日本のマスコミが取り上げたがらない理由も想像できる。
2010.02.28
アメリカの権力者に従うことで日本のエリートは自分たちの地位を維持してきた。昨年7月に実施されたIAEA(国際原子力機関)の事務局長選挙で当選した天野之弥も例外ではない。その天野事務局長のオフィスから興味深い二つの報告書の内容が草稿段階でメディアにリークされた。 ひとつは、イランの核兵器開発が予想より進んでいるかもしれないとするものであり、もうひとつは、イスラエルが破壊したシリアの施設が核関連のものだった可能性があるといものだ。 いずれも新しい証拠、あるいは情報が出てきたわけではなく、核兵器の開発を進めていることを示す十分な証拠はないとされていた結論を、「開発しているかもしれない」と言っているだけらしいが、アメリカのメディアは表現の変更に飛びつき、イラク攻撃前の「大量破壊兵器報道」と同じ動きを見せ始めた。偽情報でアメリカを戦争へと導き、推定で100万人を超すイラクやアフガニスタンの人々を虐殺していることを全く反省していないようだ。 こうした焦臭い動きは、遅くとも2月上旬にイスラム側も察知していたようで、シリアのワリド・モアレム外相はスペインのミゲル・モラチノス外相に対し、近い将来にイスラエルとアラブ諸国が戦争を始めるかもしれないと語っている。 イスラエルが世界有数の核兵器保有国になることを許し、インドやパキスタンの核保有も認めているIAEAがイランやシリアの「核開発」に神経をとがらせているのも奇妙な話なのだが、この矛盾をアメリカや西ヨーロッパの国々は気にしない。 イランやシリアが実際に攻撃されたとしても大規模な正規戦には発展しないと見る向きは多い。アメリカがイスラエルへの反撃を許さないであろうし、これまで対イスラエル戦の中軸だったエジプト政府はイスラエルやアメリカの協力者に過ぎなくなっている。そもそもアラブ系の人々は戦争に向いていない。 こうした状況ではイスラム諸国の政府は動こうとしないだろうが、一般民衆は別だ。ゲリラ戦が始まる可能性がある。軍事的な緊張が高まるだけならば、イスラエルの戦争犯罪やドバイでの暗殺を誤魔化し、原子力発電の建設を促進させることになるかもしれないが、戦争が勃発すれば石油の生産にも大きな影響を及ぼすわけで、世界経済は破綻してしまう。天野事務局長のIAEAは世界を危険な方向へ導こうとする勢力に荷担していると見られても仕方がない。
2010.02.19
イスラエルが新たな難問を抱え込んだ。先月、アラブ首長国連邦のドバイでハマスの軍事部門を創設した幹部、マームード・アルマボーが暗殺されたのだが、その実行犯としてモサド(イスラエルの情報機関)の名前が挙がり、イスラエル政府を批判する声が西ヨーロッパでも高まっているのである。モサドが国外で何者かを暗殺したからといって驚くような話ではないのだが、イスラエルを見る目が世界的に厳しくなり、問題になっているわけだ。日本やアメリカのようなイスラエルに寛容な国は少なくなっている。 ドバイの警察が2月15日に発表したところによると、暗殺犯は11名で、そのうち6名がイギリスのパスポートを、また3名がアイルランドのパスポートを使用していたというのだが、アイルランドには該当するパスポートを発行した事実がなく、イギリスのパスポートも偽造されたものだった。モサドの関与が明確になれば、ドバイ警察はイスラエルのベンジャミン・ネタニアフ首相に対する逮捕令状を出すと主張している。 殺されたハマスの幹部はイランの武器商人と会うためにドバイのホテルに泊まったと言われているのだが、その商談はモサドが設定したもので、ターゲットをおびき出す罠だったようだ。 17日にはイギリスの外務省がイスラエル大使を呼んで偽造パスポートに関する説明を求め、ゴードン・ブラウン首相は暗殺の調査を警察に命じている。イスラエル政府の周辺から資金を得ていたトニー・ブレアが首相の座を降りた現在、同じ労働党政府でもイスラエルへの対応は変化している可能性がある。 一方、イスラエル国内ではモサドを統括しているメイア・ダガンに対する辞任要求が出ている。ガザ地区への軍事侵攻で国連、そして多くの国の人々を敵に回したことを危惧している人々は、今回の暗殺にも批判的だろう。 ガザへの軍事侵攻を調査した国連の委員会は、イスラエル側に人道法や人権法に違反する多くの行為があったとする報告書をまとめている。この委員会のリチャード・ゴールドストーン委員長は「ユダヤ系」なため、「反ユダヤ主義」という呪文を使うことができない。そこで、ハーバード・大学のアラン・ダーショウィッツ教授はゴールドストーンを密告者だと中傷して問題になった。この教授はアメリカでイスラエルに批判的な学者を攻撃し、職を奪う工作を実行してきた人物だ。 ドバイの暗殺はモサドが実行したという話が公的な機関から出てくる直前、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官はカタールとサウジアラビアを訪問し、イランが「軍事独裁体制」に向かっていると主張し、制裁を強化するべきだと叫び始めた。イスラエルへの援護射撃にはなるだろうが、状況に大きな変化は起きそうにない。
2010.02.19
トヨタ自動車のハイブリッド車「プリウス」で不具合が見つかり、問題になっている。瞬間的であろうと、アクセルが戻らなくなったり、ブレーキが利かなくなるというから事態は深刻だ。アメリカでリコールするのは当然だったが、当初、日本で販売されている車は問題ないと会社側は主張していた。それが、ここにきて日本でもブレーキの利き具合で苦情が出ているということが発覚、トヨタ経営陣の信頼に対する鈍感さを見せつける形になった。 苦情の中には「前の車にぶつかった」というものも含まれているそうで、トヨタ車の問題は事故を調べたはずの警察、苦情が寄せられていた国土交通省も承知していたはずである。おそらくマスコミも事態をある程度は把握していた可能性が高い。トヨタが対策を完了してから小さく公表するつもりだったのかもしれないが、日本以外で問題が大きくなったため、隠し通せなくなったのだろう。 日本でトヨタは政府やマスコミから守られ、「ぬるま湯」に浸かってきた。第2次世界大戦が終わって間もない頃にトヨタは「国策」で倒産を免れ、1980年代にはアメリカの「投資家」がトヨタを批判する意見広告を朝日新聞に載せようとして広告代理店と契約したところ、直前に新聞社側が掲載を拒否するという出来事があった。脱税事件を起こしても大きく扱われることはない。 これまでトヨタは下請け企業や労働者から利益を搾り取り、肥大化してきた。日本は現在、適切な対価を受け取れない非正規雇用の増大で社会の存続さえ危うくなっているのだが、そうした社会ができあがる上でトヨタの果たした役割は小さくない。 日本でトヨタは政府やマスコミから守られてきた。それが普通だと経営者は錯覚したのかもしれないが、アメリカで問題が発覚したときに経営陣の反応は鈍かった。アメリカを拠点とする自動車メーカーが苦しい現在、日本を拠点とする自動車メーカーが弱みを見せれば通常よりも厳しい状況に追い込まれることは当然である。その程度の認識もトヨタの経営陣にはなかったのだろう。非正規雇用の人々を使い捨てたり下請けいじめをする前に経営陣をリストラする必要がある。
2010.02.05
横浜地裁は4日、「横浜事件」の元被告に対する刑事補償の支払いを決めた。この事件については本コラムでも何度か取り上げているので繰り返しになるが、あらためて事件の概要を確認しておきたい。 日本がハワイの真珠湾を奇襲攻撃した翌年、1942年に世界経済調査会に所属していた川田寿が逮捕されて事件は始まる。川田は1930年にアメリカで結婚、41年に帰国してから外務省と密接な関係にある世界経済調査会に就職したのだが、アメリカ時代に共産党関係の活動をした疑いがかけられ、妻の定子とともに逮捕されたのだ。川田寿の交友関係から同調査会の益田直彦が1943年1月に、また高橋善雄が同年5月に逮捕され、さらに満鉄関係者へと捜査の手は伸びた。 その一方、1942年には雑誌「改造」に掲載された論文「世界史の動向と日本」を書いた細川嘉六が検挙され、捜査の過程で写真が発見された。その写真は細川が書いた『植民史』の刊行記念で催された会食の際に撮影されたものだったのだが、特高警察はこの会食を「共産党再建準備の謀議」だと「想像」し、会食の出席者を逮捕していったのだ。 横浜事件では、雑誌「中央公論」の編集者など60名以上が治安維持法に違反した容疑で逮捕され、30名以上が有罪判決を受け、そのうち4名が拷問で獄死している。釈放直後に獄中の心神衰弱が原因で死亡している人も何人かいた。 特高の最高責任者は内務省の警保局長だが、「摘発」の最中、1943年には町村金五が局長に就任している。この人物は自民党の有力議員、町村信孝の父親だ。金五は1945年に警視総監となり、戦後になってからは政治家に転身した。つまり、1952年に衆議院議員、59年には北海道知事、71年には参議院議員となり、第2次田中角栄内閣では自治大臣に就任している。 町村が警保局長として思想弾圧を実行していた時期に内務次官を務めていたのが東条英機の懐刀と言われた唐沢俊樹だ。唐沢も1932年から36年にかけて警保局長を経験している。戦後、1955年に衆議院議員に当選、岸信介内閣では法務大臣に就任している。横浜事件を戦後の自民党政権は反省していなかったわけだが、この問題を容認してきたマスコミも責任を免れない。 今回、横浜地裁は横浜事件に関し、初めて特高警察、検察、そして裁判所の責任にも言及したが、これまで同事件について裁判所は捜査当局や裁判所の責任を回避してきた。そうした司法システムの実態が小沢一郎に対する攻撃であり、政党のビラを配った住職の逮捕、起訴、有罪判決にもつながっている。 戦後、日本の警察や検察は刑事事件でいくつもの冤罪を作り出し、「日米同盟」にとって都合の悪い政治家や左翼活動家を排除してきた。これは捜査当局の「お家芸」であり、小沢一郎が初めてターゲットになったわけではない。 昨年の春から検察は小沢を攻撃し続け、強制捜査も実行したのだが、結局は起訴できなかった。自民党は勿論、マスコミも同じことをされれば、起訴される理由を見つけられてしまうはずである。つまり、検察は小沢が「シロ」だということを証明したに等しい。朝青龍の騒動がなければ、検察の無様な姿はより明白になったことだろう。朝青龍の問題を燃え上がらせた某週刊誌に検察は感謝すべきかもしれない。 ただ、これで問題が決着したとは言えない。このところ、日本の司法システムは「体制内反主流派」に対しても理不尽なことをやるようになっている。それだけ日米同盟に基づく利権につながる人々は危機感をもっている。おそらく「次の一手」を考えているグループが存在するはずだ。
2010.02.05
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