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1963年8月28日、「仕事と自由」を求める大規模な集会がワシントンDCで開かれ、25万人以上が参加している。この集会で中心的な存在だった人物がマーチン・ルーサー・キング牧師であり、このときに有名な「私には夢がある」という演説を行った。 集会では政府に対し、公立学校での人種分離を止めさせ、実行性のある公民権を法律で保証し、公民権活動家に対する警察の暴力を禁止し、2ドルの最低賃金を実現し、ワシントンDCの自治を認めるべきだというような要求が含まれていた。アメリカがベトナムへ本格的な軍事介入を始める前であり、ベトナム戦争については触れていない。 集会の姿勢が政府に対して弱すぎると感じたマルコムXは「ワシントンの茶番劇」と批判したが、翌年、公民権法が制定されているわけで、歴史的に大きな意味があったことは間違いないだろう。 その47年後、Foxニュースでショーの司会をしているグレン・ベックが同じ場所で集会を企画、数万人の参加者を集めた。前回の大統領選挙で共和党の副大統領候補に選ばれたサラー・ペイリンが名を連ねていることでもわかるように、目指している方向はキング牧師と正反対だと言える。いわば、キング牧師たちの理想にベックたちは挑戦しているのだが、それに反発する力は弱い。仕事も自由もなくしつつある現在のアメリカで、民主主義は瀕死の状態である。 ペイリンは知事の執務室にイスラエル国旗を飾っていた人物で、キリスト教原理主義の熱心な信者だということは前にも書いたことがある。必然的に彼女はイスラムを敵視している。 大統領選挙でペイリンはジョン・マケインとコンビを組んだ。つまりネオコンとキリスト教系カルトのコンビであり、狂信的な親イスラエル派だ。このふたりが万一、当選したならば、イラン攻撃へのハードルがバラク・オバマ政権より相当、低くなったことは間違いない。 そうした人脈がベックの集会を支えている。先日、ニューヨークではタクシー・ドライバーが「イスラム教徒だ」という理由から客に首などを切られているのだが、そうした出来事との関連性も考慮しておく必要がある。 ベックは庶民の声を代弁する形で銀行の救済を批判してみせるが、その一方で貧困層の救済にも反対する。所詮は口先だけで行動の伴わない「ガス抜き」にすぎない銀行批判とは違い、低所得者に対する攻撃はウォール街とタッグを組んでいて、金融機関が望む政策を実現するために有効だ。銀行批判は貧困層の切り捨てに合意させる「目眩まし」にすぎない。勿論、戦争に反対などはしない。「9/11」の真相究明などもってのほか、という態度だ。 差別発言を公然と行うこともベックが「人気」を獲得した秘密のようだ。フラストレーションが溜まると弱い者いじめを始める子供と同じように、アメリカのおとなも弱い者いじめをしたがっていると言える。演技なのか本音なのかは知らないが、少なくとも結果として、ベックは「型破りを演じる体制派」にすぎない。要するに、一時期のビートたけしと似ている。
2010.08.29
菅直人首相が27日にイギリスのトニー・ブレア首相と電話で意見交換したという記事を見た。まともな神経の持ち主なら、ブレアとの接触は極力避けようとするはずだが、菅首相やその取り巻きには、そうした神経がないらしい。たとえブレア元首相からの申し入れであったとしても、やんわりと断るのか、挨拶程度ですませるか、ともかく「意見交換」などする相手ではない。 ブレアはイラクからサダム・フセインを排除するため、ジョージ・W・ブッシュ米大統領と手を組み、偽情報を使って先制攻撃を実現した人物である。大量破壊兵器がイラクに存在しないことは、国連も米英両国の情報機関も知っていたにもかかわらず、アメリカ政府はすぐにでもイラクが核攻撃してくるような話を流し、イギリス政府は「45分」で「西側」を化学兵器で攻撃できると主張していた。 国連の査察団を率いていたハンス・ブリクスは米英を中心とする軍隊が先制攻撃する5週間前、調査をあと数カ月間、続けるべきだとを主張していた。この段階で彼は大量破壊兵器を発見していないし、存在しないと考えていたようだ。こうしたブリクスたちの姿勢にブレアは怒り、ブリクスに電話して、アメリカ政府は深く失望しているとドスを利かせて伝えている。 アフガニスタンに続いてイラクを攻撃した結果、100万人程度の住民が殺され、文化遺産や社会基盤が破壊/略奪されているのである。アメリカとイギリスは侵略者であり、略奪者でもある。ブッシュもブレアも本来なら、戦争犯罪人として裁かれなければならない人物だ。(日本の小泉純一郎元首相も共犯者だ。) 本コラムでは何度か書いているが、ブレアのスポンサーは「イスラエル政府」だった可能性がきわめて高い。1994年1月にブレア夫妻はイスラエル政府の招待で同国を訪問、その2カ月後にロンドンのイスラエル大使館でイスラエルの外交官からブレアは大富豪、マイケル・レビを紹介されている。それ以来、レビはブレアのパトロンだ。レビとブレアが会った2カ月後の5月、労働党のジョン・スミス党首が心臓発作で急死、ブレアが労働党の顔になる。こうした背景があるからこそ、ブレアはネオコン(親イスラエル派)に担がれたブッシュと一緒にイラクを攻撃、殺戮と破壊の限りを尽くしたのだ。 「ニューレーバー」にしろ「第三の道」にしろ、すでに化けの皮が剥がれ、誰にも相手にされなくなった・・・と思っていたのだが、そんな愚か者が国会議事堂に生息していたとは驚きだ。ブレアは菅首相に対し、「何かあれば何でも助言する」と語ったというが、国民を騙す方法、あるいはスポンサーの探し方でも教えるつもりだろうか? それから菅首相にひと言。マット・デーモンが主演した「グリーン・ゾーン」とロマン・ポランスキーが監督した「ゴースト・ライター」を是非、見るべきです。
2010.08.28
根拠もなくWikiLeaksの創設者、ジュリアン・アッサンジに対する逮捕令状を出したスウェーデンの検察当局が嘲笑の的になっているが、アッサンジが指名手配されているという話をタブロイド紙にリークしたのは警察だという。 つまり、警察は「臨時検事」に逮捕令状を出させる一方、タブロイド紙にリーク、同紙はWikiLeaks創設者が逮捕されるとセンセーショナルに報道し、約1日の間、アッサンジを容疑者に仕立て上げたことになる。 お粗末な「中傷工作」に見えるが、「何者か」によるジャブ、あるいは警告と考えるべきなのかもしれない。この「何者か」をWikiLeaksでは「米国防総省」かもしれないと考えている。当然だろう。 アッサンジを訴えたふたりの内のひとりとされる女性はイギリスのガーディアン紙に対し、暴力を振るわれたり、脅された事実はなく、レイプされていないと語っている。コンドームを使うかどうかで揉めただけだという。テレグラフ紙によると、別の女性がレイプでアッサンジを訴えようとしていたので、それを信じ、彼女の訴えを補強する話をしたのだと語っている。 要するに、かなり「いい加減」な話なのだが、こんな話を事件にしようとした警察と検察に疑惑の目が向くのは当然のことだろう。怪しげな話を中傷工作に使った可能性は否定できない。「女性を守る」という名目で冤罪を生み出し、体制にとって目障りな人間を社会的に抹殺する条例や法律を作っているのは日本だけでもないようだ。
2010.08.24
スウェーデン検察は8月20日の遅く、WikiLeaksの創設者、ジュリアン・アッサンジを「レイプ容疑」で指名手配した、と思ったら21日に取り消された。自分たちの悪事を暴く情報を持っている人間に対し、権力者が「中傷攻撃」するのはよくある話で、珍しくないのだが、今回の指名手配で驚くのはその慌ただしさ。 タブロイド紙のスクープで指名手配されていることが判明したのだが、検察幹部に気づかれないうちに逮捕しようと考えていた人物、あるいはグループが存在するのかもしれない。もしそうなら、暴走した人間が誰なのか、その正体が知りたいところだ。 言うまでもなく、中傷攻撃は、ターゲットの信頼度を下げて自分たちが受けるダメージを少しでも弱めるために行う。今回の騒動にどのような背景があるかは不明だが、近いうちに予定されている機密文書の公開にほとんど影響はないだろう。逮捕を考えていた人/グループが存在するならば、これは失敗に終わった。 かつて、日本では、公害問題に取り組んでいた人の元へ怪しげな女性が現れたり、某大学の学長選の有力候補が女性とのスキャンダルで失脚したりしたこともあるが、こんなハニー・トラップに引っ掛かることもないだろう。 ただ、体制側には、ターゲットをどうやって罠にはめるかを考えている人たちがいる。常人には考えのおよばないような計略を考え出すことがあるので、注意しすぎるということはない。
2010.08.23
最後の米戦闘部隊がイラクを離れたと報道されている。2011年の完全撤退に向かい、計画を順調に進めているバラク・オバマ大統領は、公約を守ったことになる・・・と考えるのはナイーブすぎる。何しろ、5万6000名のアメリカ兵はまだ残っているのだ。 5万6000名にうち、6000名は今月末までに撤退し、残るは5万。名称は「移行部隊」へ変更されても、引き続いて戦闘には参加するそうだ。つまり、撤退させる部隊だけ、名称を変更しなかったということ。極秘に動いてきた特殊部隊がどうなるかは、全くわからない。 だいたい、抵抗運動が収まってきたとは言えないだろう。先制攻撃以来、アメリカ軍は暴虐の限りを尽くしてきた。非戦闘員の犠牲者数として、「イラク・ボディ・カウント」なる団体の出している9万7196名から10万6071名という数字をメディアは使うことが多いが、この数字は表面化したものにすぎない。つまり、安全な場所から眺めてカウントした結果にすぎない。 実態に近い数字と考えられるのは、2006年10月にイギリスの医学雑誌「ランセット」に掲載された数字、つまり2003年3月から2006年7月までの間に65万4965名以上のイラク人が死亡、そのうち60万1027名は暴力行為(要するに戦闘)が原因だとしている。アフガニステンを含めると、現段階では100万人を超しているのではないだろうか。 これだけの人間を殺したアメリカ軍に対する憎しみがイラク人にないとは、到底考えられない。アメリカ政府と協力関係にあると見られているイラク人への憎しみもあるだろう。内戦を煽ろうとする勢力はイラクの内外に存在する。つまり、イラクに蔓延する混乱のエネルギーは高い。 それでも完全に撤退するなら、それもひとつの見識だろうが、米国務省は傭兵の数を倍増させて7000名にするという。引き上げた兵士の穴を傭兵が埋めることになる可能性がある。このところ、アメリカ軍は無人機を使って攻撃しているが、戦争の「ロボット化」も推進してくるかもしれない。 攻撃前、アメリカ政府はイラクでの戦争は楽勝で、すぐに終わると宣伝していた。日本のマスコミ社員も信じ切っていた人が少なくなかったのだが、サダム・フセイン体制が崩壊してから戦争が泥沼化することは、軍や情報機関の少なからぬ人が予想していたことだった。 この宣伝が正しかったと宣伝するため、2003年5月にはジョージ・W・ブッシュ大統領は「任務完了」と空母「エイブラハム・リンカーン」の艦上で演説した。演出過剰の政治ショーだったが、すぐに化けの皮がはがれる。その頃から戦争は泥沼化したのだ。 オバマ大統領としては、とにかく、中間選挙を乗り切りたいのだろうが、アメリカの利権を手放す覚悟がなければ、結局、2度目の「終了宣言」も同じことになりかねない。
2010.08.19
入手したアフガン戦争に関する機密資料のうち、手元に残っている約1万5000件の公開を準備しているとWikiLeaksのジュリアン・アサンジは話している。 アメリカ国防総省はカリカリきているようだが、それに共鳴する形で日本のマスコミもWikiLeaksを批判する報道を展開、機密文書の公開は「無責任」だと批判している。アメリカ軍の兵士がヘリコプターから明らかな非戦闘員を攻撃して殺傷した映像を無視したにもかかわらず、アメリカの「お上」がWikiLeaksを問題にすると、「お上」の立場から大きく扱い始めた。惨めなものだ。 日本以外では権力犯罪を「告発」している団体と表現されているが、日本では「暴露サイト」だとされている。こうした表現の違いを見ても日本のマスコミが何を考えているのか、容易に想像できるだろう。 ペンタゴンによると、公開に向けて作業が進んでいる文書は、公開済みの文書よりも軍にとってダメージが大きいらしく、公開は「無責任の極み」だという。ならば、なおさら公開が必要だ。アメリカ/NATO軍にとってダメージになるということは、知られたくない情報だということであり、犯罪的な事実が含まれているのだろう。 WikiLeaksが行っているメインの作業は、個人を特定できる情報を削除することにあるようだ。アメリカ軍は公開された文書によって個人が特定され、武装勢力に殺されることを、おそらく望んでいる。 先日、NATO軍に参加しているポーランド兵が面白半分に住民の家を爆破する映像を見つけた。そうした出来事をアメリカや日本の有力メディアは報じない。無人機や掃討作戦で多くの非戦闘員を占領軍が殺してきたことも事実だ。WikiLeaksが公開した映像も、そうした種類の殺人を明らかにしている。当然、WikiLeaksはアメリカ側の思惑通りにならないよう、つまり犠牲者が出ないように 細心の注意を払い、作業していることだろう。 国防総省にしろ、日本のマスコミにしろ、WikiLeaksが公表する機密文書によって被害者が出ることを盛んに「警告」するが、占領軍(アメリカ/NATO軍)による大量殺戮は気にもとめない。こうした虐殺を止める最も有効な手段が機密文書の公開、つまり事実を明らかにすることだ。軍もマスコミもその事実を恐れている。 軍とマスコミのコンビで演じている「猿芝居」のひとつが「埋め込み取材」という代物だ。いわば、アメリカ流の大本営発表システム。「埋め込み取材」をした記者の中にも戦争の実態に迫った人がいるという弁解じみた主張があるが、そんなシステムに乗らずに取材し、はるかに重要な情報を明らかにしているジャーナリストは少なくない。少なくとも、アメリカの有力メディアは「アメリカの戦争」の実態に迫ろうとはしていない。ベトナム戦争の時と同じだ。勿論、日本のマスコミはアメリカよりも無惨だが。 2001年からアメリカのメディアが報道してきた内容が、WikiLeaksの公開した映像や機密文書の足元にも及ばないことは明らかだ。WikiLeaksを英雄視するつもりはサラサラないが、これは事実である。ジョージ・W・ブッシュ政権の時代、偽情報であろうと何であろうと、戦意高揚のためなら何でもメディアは書いていた。日本のマスコミが戦争の障害になりそうな人々を攻撃していたことを忘れてはならない。その責任をどうとるつもりなのか? 開戦前から統合参謀本部やCIAの上層部で、アフガニスタンやイラクへの攻撃が「大失敗」に終わることは見通されていた。そうした意見を公表することをマスコミが拒否したということも忘れてもらっては困る。戦争が「大失敗」だということを隠しきれなくなってから、「戦争は大失敗なんだよ」などと言っても大した意味はない。 マスコミの報道なので、どこまで信用できるのか不明だが、ともかくマスコミによると「国境なき記者団」もWikiLeaksに批判的なのだとか。この団体がどういう代物なのかを考えてもらいたいものだ。 秘密の裏では必ず腐敗が起こる。その腐敗を放置しておくと国家であろうと社会であろうと早晩、崩壊することになる。
2010.08.17
ロマン・ポランスキーが監督した映画「ゴースト・ライター」のDVDが発売された。今年の2、3月に欧米では相次いで上映され、アジア諸国、南アメリカ、そしてイスラエルでも公開されている。ただ、日本で上映される予定は今のところないらしい。日本で見るためにはDVDに頼るしかない。 イギリス首相の自伝をまとめていたゴースト・ライターの水死体が発見されるところから映画は始まる。その後任ライターが主人公であり、首相は明らかにトニー・ブレアがモデル。首相が大学時代にCIAとむすびついたのではないかとライターは疑惑を抱くようになり・・・という展開だ。 この映画が衝撃的な理由は、そのリアリティーにある。荒唐無稽な「謎解きミステリー」とはわけが違う。本コラムでも書いたことがあるが、現実では、ブレアが緊密な関係にある相手はイスラエル政府。マイケル・レビという富豪を介してイスラエル政府はブレアに大きな影響力を及ぼしてきた。歴史的に労働党は労働組合を重要な資金源にしていたが、ブレアの場合はレビがスポンサーになったため、労働者/庶民の利益に反する政策を強引に推し進めることができた。 このレビという人物はエンターテイメントの世界で富を築いた人物。CBSレコードのモーリス・オブステインを後ろ盾として1972年にマグネット・レコードを設立し、この会社を1988年に1000万ポンドでワーナー・ブラザーズに売却、その資金を元手にM&Gというレコード会社を作り、それも1997年に売り払っている。 こうして資産を築いたレビの払っている税金の額は、年間5000ポンドとか1万ポンド程度にすぎないと言われているが、タックスヘブンにワイアートなる会社を所有しているほか、ロンドンの北に邸宅を所有、さらにイスラエルのテルアビブ郊外に別荘を持っているところをみると、大富豪である。「税金を払っているのは貧乏人」だと言った人がいるようだが、その基準からしてもレビは金持ちだ。 レビとブレアが結びつく切っ掛けが問題。1994年1月にブレアは妻のチェリー・ブースとイスラエル政府の招待で同国を訪問しているのだが、3月にはロンドンのイスラエル大使館でイスラエルの外交官ギデオン・メイアからレビを紹介されたのである。その2カ月後に労働党のジョン・スミス党首が急死、7月にブレアが後任の党首に選ばれた。そして1997年の選挙で労働党が勝利し、ブレアは首相になる。 事情を多少なりとも知っている人が見れば、映画の「CIA」はモサドである。イギリスの政治はイスラエルが操っていたなどという話にしたら、大変な騒動になってしまう。さすがにポランスキーも「ブレアはモサドの手先」という設定にはできなかったのだろう。 オックスフォード大学時代、ブレアは「下品な噂」というロックバンドでギターやボーカルを担当していたようだ。その頃につきあっていた女性は、後にサイコ映画の監督になるマリー・ハロン。ブレアは1975年に大学を卒業してすぐに労働党へ入り、1980年にはチェリー・ブースと結婚している。 その2年後、イスラエル軍はレバノンを軍事侵攻してPLOを追い出し、難民キャンプも制圧した。その年の9月、サブラとシャティーラでファランジスタ党が数百とも3000名とも言われるパレスチナ人を虐殺しているが、それはイスラエル軍が監視する中での出来事だった。 この事件を切っ掛けにして、西ヨーロッパ各国ではイスラエルへの見方が厳しくなり、イギリスの労働党も「親イスラエル」から「親パレスチナ」へシフトしていく。そうした時期にブレアは頭角を現していった。 首相就任後、ブレアは労働党を「親イスラエル」へ引き戻している。つまり「労働者との決別」と「イスラエルへの回帰」がブレアの政策であり、「ニューレーバー」の本質だというわけだ。2001年にブレアはジョージ・W・ブッシュ米首相と手を組んでイラクへ先制攻撃を仕掛けているが、同じ「親イスラエル派」としては当然の行動である。 さて、「ゴースト・ライター」の上映が視野に入っていた昨年9月、ポランスキーはスイスで拘束された。チューリッヒのフィルム・フェスティバルへ出席するためにスイスを訪れていたのだが、アメリカの捜査当局から要請されて逮捕したようだ。 1977年、ポランスキーはアメリカで事件に巻き込まれている。麻薬を使い、13歳の少女をレイプしたなど、いくつかの容疑がかけられていた。当初、ポランスキーは容疑を全て否認していたが、司法取引で罪の軽い違法な性交渉を認めたようだ。 ところが、1978年にポランスキーは厳しい判決が出ることを「予知」してヨーロッパへ逃走している。スイスでの拘束直後、事件当時に検事だったデイビッド・ウェルズの驚くべき証言が注目された。ウェルズによると、判決前に判事のローレンス・リッテンバンドと「私的に」会い、ポランスキーを刑務所へ入れるべきだと要求していたというのだ。 ウェルズは事件を「過去のもの」だと考えて口を滑らせたのだろう。当然、この発言は問題になる。慌てた彼は、アメリカで放送されると思わなかったので嘘を言ったと弁明している。
2010.08.16
8月15日は「終戦記念日」だという。戦争が終わった日。そこには日本、あるいは日本人の姿が見えない。まるで人ごとだ。65年前のこの日、「終戦の詔勅」が放送されたのである。勿論、ラジオで。いわゆる「玉音放送」だ。 「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ、非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ、茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。朕ハ帝國政府ヲシテ、米英支蘇四國ニ對シ、其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨、通告セシメタリ。」(句読点は引用者) ポツダム宣言を受諾する、つまり連合国に対して降服すると伝えたと「臣民」に発表したのである。宣言の受諾は8月9日の「御前会議」で決まり、翌日には連合国側へ打電している。16日には停戦命令が出され、9月2日にはミズーリ号で重光葵と梅津美治郎が降伏文書に調印し、日本の敗北が正式に決まった。つまり、8月15日は「降服放送記念日」ということだ。 その後、源田実など無謀な戦いを推進した軍の幹部、戦前から戦中にかけて思想弾圧を行った検察や特高警察の幹部、裁判官たち、そしてプロパガンダで国民を操ったマスコミの人間は責任を問われないまま要職についている。日本国憲法は「象徴」という形で天皇制を維持した。戦前も戦後も支配体制の基盤に基本的な変化はない。 勿論、憲法が違うわけで、国民の権利は拡大しているが、基盤に変化がないため、しばしば「戦前レジーム」が頭をもたげる。軍/自衛隊、警察、検察、裁判所、マスコミ、いずれも戦前レジームを引きずっている。 考えてみれば、降伏文書に調印した後も、日本の支配層は「国体」が「護持」されたと考え、戦前レジームそのままの政策を続けようとしていた。支配層だけでなく、庶民も真剣に戦争や戦前レジームを反省したとは思えない。 むのたけじは『戦争絶滅へ、人間復活へ』(岩波新書)の中で、「ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場ではやっているんですよ」と言っている。その通りだろう。これは日本軍だけの問題ではない。現在、アフガニスタンやイラク、あるいはパレスチナでも似たことが起こっている。 1945年9月26日、日本の降服が正式に決まった24日後に哲学者の三木清が獄死した。この件をロイターの記者が山崎巌内相に質問したところ、内相は天皇制に反対する人間は逮捕すると言い切っている。その発言が持つ意味を全く理解していない。この程度の人間が「支配層」を形成しているから、日本は安易に戦争を始め、日本人を含むアジアの人々に辛酸をなめさせることになったわけだ。 このインタビューが記事になった日の午後、ダグラス・マッカーサーは「政治、信教ならびに民権の自由に対する制限の撤廃、政治犯の釈放」を指令し、六日後の10月10日に政治犯は釈放されている。 それから65年。日本は変わったのだろうか?
2010.08.14
羽田空港発、伊丹空港行きの日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯に墜落し、乗員乗客524名のうち520名が死亡したのは25年前の8月12日のことだった。例によって、マスコミは叙情的な記事や番組で誤魔化しているが、この事件の真相は現段階でも明らかになっていない。隔壁が損壊し、尾翼が内部圧力で吹き飛ばされ、操縦系統も失われて墜落したとうシナリオが有りえないことだけは確認されている。 このシナリオを主張しているのは運輸省事故調査委員会。武田峻委員長によると、「昭和53年(1978年=引用者注)大阪国際空港における事故による損傷の修理の際に行われた後部圧力隔壁の不適切な修理に起因しており、また亀裂が隔壁の損傷に至るまで進展したことは点検整備で発見されなかったことも関与していると推定いたしました」という。 しかし、そうした事態になれば、客室で急減圧が起こり、酸素マスクをつけなければ手の痙攣、チアノーゼによる指先の紫色化などが起こる。ところが、異常が発生してから約9分後でも123便の機長は酸素マスクをつけていないにもかかわらず、手の痙攣や意識障害が起こった様子はうかがえない。つまり、隔壁は破壊されていない可能性が高い。 尾翼が内部圧力で吹き飛ばされたというシナリオを実現するため、隔壁破壊を考えついたのだろうが、隔壁破壊がなかったとするならばい、尾翼は外部圧力で吹き飛ばされた可能性が高まる。その「外部圧力」とは何なのかを示唆する証言を1995年8月にアメリカ軍の準機関紙、星条旗が掲載している。日本のマスコミも伝えていたが、当然、重要な箇所は削られていた。 ともかく、同紙の記事によると、事件当日、日航機のそばをアメリカ軍のC-130が横田基地に向かって飛行していた。その輸送機に乗っていたマイケル・アントヌッチが証言者だ。 日航機と管制との遣り取りを最初に聞いたのは大島上空を飛行中で、最初の緊急コールは切迫している様子が感じられなかったという。ところが、18時40分のコールは叫び声のようで、明らかに異常だったため、横田基地の管制から許可を受けた上で日航機に接近を図っている。 日航機は18時56分に墜落、その地点を米軍機は19時20分に特定し、報告している。運輸省に捜索本部が設置されたのは19時45分なので、捜索を始めた時点で日本政府は日航機の墜落現場を把握していたはずだ。少なくとも、アメリカ軍から情報は伝えられていたはずだ。地上でも目撃者から正確な墜落位置を知らされていたのだが、捜索隊は別の場所を探している。故意に発見を遅らせようとしていたとしか考えられない。 ともかく、C-130が墜落現場に到着した直後、厚木基地から海兵隊の救援チームが現地に向かい、20時50分にはヘリコプターが現地に到着し、2名の隊員を地上に降ろそうとした。ところが、このときに基地から全員がすぐに引き上げるように命令されている。日本の救援機が現地に急行しているので大丈夫だということだった。それでもC-130は現場に止まり、21時20分に日本の救援部隊を乗せた航空機が現場に現れたのを確認してから米軍の救援チームとともにその場を離れている。 ところが、自衛隊がこの時点で救援活動を始めた事実はない。この事件では4名の生存者がいたが、墜落直後には何人かの荒い息づかいが聞こえ、「おかあさん」と呼ぶ男の子の声や、「早く来て」という若い女性の声が聞こえたとする証言がある。日本の捜索隊が墜落現場に到着したのは翌日の8時半だが、迅速な救援活動が行われていたならば、もっと助かった人は多かった可能性がある。 状況証拠は、自衛隊を徹底的に調査するべきだったことを示している。もし、自衛隊に何らかの責任があったなら、自衛隊も日本政府もその後、アメリカ軍に頭が上がらなくなったはずだ。
2010.08.11
ホルムズ海峡を航行していた日本のタンカーが何らかの衝撃を受け、側面が大きくへこむという出来事があったのは8月4日のことだ。当初、その原因は不明だったが、ここにきてアラブ首長国連邦の当局は、自家製の爆発物による攻撃だと断定した。 言うまでもなく、ホルムズ海峡は石油輸送の重要ポイントであり、ここが危険だということになると日本にとっても死活問題になりかねない。地図を見ればわかるように、南側にはアラブ首長国連邦やオマーンがあり、北側にはイランがある。つまり、イスラエル/アメリカがイランを攻撃して戦争になれば、この海峡を通航するリスクが高くなることは明白であり、最悪の場合は通行できなくなる。こうした事実を考慮せず、アメリカやイスラエルの尻を追いかけている日本政府に対する警告だった可能性もあるだろう。 そのイスラエルは5月31日にガザ支援船を公海上で襲撃し、多くの死傷者を出した責任が問われ、国連の調査も始まる。日本のマスコミなら「国際世論」と表現するのかもしれないが、イスラム諸国やEUでイスラエルを批判する声が収まらないため、とりあえずイスラエル政府も国連の調査を受け入れたのが現段階。 しかし、イスラエル政府が本気で調査を受け入れたわけでないことは明白だ。相変わらずベンジャミン・ネタニヤフ首相は襲撃を「自衛行為」だと正当化、兵士への質問は許さず、自分たちの意に沿わない調査は止めさせるという強硬姿勢。犠牲者が出たのはトルコ政府が自分たちの言いなりにならなかったからだというわけだ。 そうした中、国連はイスラエルの宿敵、ヒズボラのメンバーを含むレバノン人数人をラフィク・ハリリ元レバノン首相殺害の容疑で起訴すると言われている。事件があったのは2005年2月のこと。国連国際独立委員会のデトレフ・メーリス調査官が安全保障理事会に提出した「報告書」では、犯人像が不明確なまま、シリアやレバノンの情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できないと主張していた。よくわからないが、シリアやレバノンの情報機関が怪しいというわけだ。 この調査が杜撰だったことを示す一例が、暗殺に使われた三菱自動車製の白いバンに関するもの。2004年10月12日に日本の相模原で盗まれ、ベイルートに運ばれたのだとされているのだが、その経路が示されていない。本来の所有者が誰なのかも不明だ。2005年と言えば、まだ戦争熱が冷め切らない頃で、アフガニスタンやイラクに続き、イランを攻撃する雰囲気が高まっていた時期である。前にも指摘したように、レバノン情勢はイラン攻撃と密接な関係がある。 この暗殺に関し、アーマド・アブアダスという人物が「自爆攻撃を実行する」と宣言する様子を撮影したビデオをアルジャジーラは放送したが、この人物が本当に実行犯ならばメーリス調査官のシナリオは崩壊する。そこで、アブアダスが途中で自爆攻撃を拒否したため、シリア当局に殺されたという話が流された。 メーリス調査官が採用した証人の信頼度に疑問を投げかける人も少なくない。例えば、ドイツのシュピーゲル誌によると、同調査官の重要証人であるサイド・サディクは有罪判決を受けた詐欺師であり、この人物を連れてきたのはシリアの反体制派リファート・アル・アサドだというのだ。サディクの兄弟によると、メーリスの報告書が出る前年の夏、サイドは電話で自分が「大金持ちになる」と話していたという。 もうひとりの重要証人、フッサム・タヘル・フッサムはシリア関与に関する証言を取り消している。レバノン当局の人間に誘拐され、拷問(ごうもん)を受け、その上でシリア関与の証言をすれば130万ドルを提供すると持ちかけられたと話している。 そしてヒズボラの指導者、ハッサン・ナスララーは今年の8月9日、暗殺前にイスラエルのスパイ機がハリリについて調べていることを示す映像を公表したという。イスラエルが暗殺に関係していることを示唆しているというのだ。 少なくとも、早い段階から国連国際独立委員会のシナリオには無理があると言われていただけに、ナスララーの主張を無視することはできない。今の時点でメーリス調査官のシナリオを持ち出してくると、戦乱が拡大する可能性は小さくない。イスラエルやアメリカのネオコンが望む展開ではあるだろうが。
2010.08.10
8月7日、タリバンの広報担当者は、ペルシャ語あるいはダリ語(アフガニスタンで使われている主要言語のひとつ)の聖書、GPS機器、そして地図を持ってアフガニスタン北部で伝道していた「キリスト教の宣教師」を殺害したと発表した。アメリカ人男性5名のほか、アメリカ、ドイツ、イギリスの女性ひとりずつ、合計8名で、逃走を図って殺されたとしていた。 また、IAM(国際支援伝道団)によると、射殺されたのは12名のチームのうち10名で、そのうち6名がアメリカ人、2名がアフガニスタン人、またイギリス人とドイツ人が1名ずつだ。 アフガニスタンでは、戦争と並行する形でキリスト教原理主義のグループが「布教活動」をしていると言われている。その目的が宗教的なのか、軍事的なのかは不明だが、如何わしいと感じる人は少なくなかった。 しかし、今回、犠牲になったIAMは、そうしたキリスト教系のカルト集団とは違うようだ。アフガニスタンで医療活動を始めたのは1966年からだとIAMは説明、「タリバン犯行説」に疑問を表明している。金品が盗まれていることも公式発表を疑っている一因だという。 2名が生き残っているわけだが、そのうちのひとりと見られる運転手がアフガニスタン当局に拘束されたという話が伝わっている。この人物が事件に関わっているかどうかは不明だが、現時点でヒラリー・クリントン米国務長官のように断定的なことを言うべきではないようだ。
2010.08.10
広島に続き、長崎に原爆が投下されたのは65年前の8月9日だった。アメリカが2カ所で原爆を使いたかった理由のひとつは、言うまでもなく、2種類の原爆が存在したからである。広島に落とされた原爆がウラニウム235で作られていたのに対し、長崎の場合はプルトニウム239で、その威力はTNT火薬に換算して21キロトンに相当すると言われている。 原爆を投下するまでもなく、日本の降服が時間の問題だということは、日本側の動きを見ていれば明らかなことで、アメリカ政府もその辺は十分に理解していたはずだ。日本国内でも1945年の初めには「平和関連株」、平和な時代に儲かる会社の株式が買い集められていたと兜町の古老から聞いたことがある。降服のハードルは「国体護持」、要するに天皇制を存続させられるかどうかという点だけだった。 フランクリン・ルーズベルト大統領が4月12日に急死したことも原爆投下の決定に影響した可能性がある。5月8日には、原爆の使用に反対していた科学者レオ・シラードとの会談が予定されていたのだが、実現しなかった。 大統領の急死は政府の基本政策も大きく変化させた。1933年以来、ホワイトハウスはルーズベルトを中心とする「ニューディーラー」が主導権を握り、ファシズムや植民地に反対する姿勢を明確にしていたのだが、そうした雰囲気をルーズベルトの死は一新させたのである。 実は、1944年の大統領選挙でルーズベルトの死を見越し、副大統領候補がヘンリー・ウォーレスから無名の上院議員だったハリー・トルーマンにすげ替えられている。ウォーレスは筋金入りの反ファシスト/親ソ連派と見られ、副大統領の時代からFBIに監視されていた。そして、ルーズベルト大統領が執務中に急死した。 その結果、ホワイトハウスでは、親ファシスト/反ソ連の勢力が主導権を握ることになり、アメリカ政府はナチスの元幹部や協力者の逃走を助け、保護し、雇用することになった。日本でも「右旋回」を主導することになる。 勿論、ルーズベルトが生きていても原爆が投下された可能性はあるが、回避された可能性も十分にあった。原爆後の核戦略、つまりソ連を核攻撃するプランが練られることは困難になり、「冷戦」を演出することも難しくなっただろう。ソ連への攻撃プランに関しては、後にジョン・F・ケネディ大統領とも衝突することになる。 大戦が終わった直後、クレムリンが何を望んでいたかは別にして、軍事面でも経済面でも、ソ連に西側諸国を攻撃する能力はなかった。ドイツとの死闘で疲弊し、戦争どころではなかったのが実態だ。だからこそ、アメリカの内部には「チャンス」だと考えた勢力が存在した。そうした中で、最も攻撃的な主張をしていたのが「焦土化作戦」で悪名高いカーチス・ルメイである。ケネディ大統領とも激しく対立した。 好戦的な雰囲気の中、喜ばれたのがドイツ軍の伝説的な情報将校、ラインハルト・ゲーレンの「ソ連脅威論」である。彼がソ連関連の資料を携えてアメリカのCIC(陸軍対敵諜報部隊)に投降したのは1945年5月だが、親衛隊は1942年の冬からアメリカ側に接触していた。1945年の初めには、ナチ親衛隊の高官だったカール・ウルフに隠れ家を提供して降服の手順などが話し合われている。 ゲーレン側としては、「ソ連の脅威」を強調することで自分たちを高く売ろうとしていたのかもしれないが、アメリカの軍事強硬派としても、自分たちの戦略を実現するうえで便利な存在だった。
2010.08.08
アメリカやイスラエルは「ミサイル防衛」を周辺国、あるいは自分たちにとって脅威だと考えているらしい。2007年にイランはロシアから4基の地対空ミサイルS-300を購入する契約を結んだのだが、この計画をアメリカとイスラエルは激しく反対していた。今年6月に国連がイラン制裁の決議をしたことを受け、この契約は履行されていないらしいが、最近、イランはベラルーシから2基、別のルートから2基、手に入れたという。 昨年7月、マルタ船籍の貨物船「アークティック・シー」が「行方不明」になるという事件があり、ロシア海軍の艦船が捜索にあたっている。どうやら、船の位置は確認できていたのだが、乗組員の安全を考えてこの事実を当局は公表していなかったようだ。 スウェーデン沖で警察を装った一団にハイジャックされ、8名が逮捕されたというのだが、「公式見解」に疑問を持つ人は多く、イランへS-300を運んでいた同船をイスラエルの情報機関が襲撃したのだという噂も流れている。 こうした噂が出るほどイスラエルはイランのS-300購入を嫌っているのだが、自分たちがアメリカからさまざまな最新兵器を提供されてきたことは気にもとめない。イスラエルの圧倒的な暴力に支配された「中東の平和」が彼らの望みなのだろう。 その一方、ロシア政府の意向を無視する形でアメリカのバラク・オバマ政権はポーランドへの「SM-3(スタンダード・ミサイル 3)」配備計画を推進、日本とは次世代型のSM-3を共同開発している最中で、米ミサイル防衛局の広報担当によると、すでに日本はこの研究開発に10億ドル(約900億円)を支出しているという。この新型を2018年頃には「イランの弾道ミサイルからの脅威」に対抗するため、NATO諸国に配備する予定だという。アメリカやイスラエルの基準に従うと、このSM-3も周辺国への脅威になる。
2010.08.07
ナオミ・キャンベルからダイヤモンドの原石を貰ったと「ネルソン・マンデーラ子ども基金」のトップだったジェレミー・ラクトリッフェがステートメントを発表した。キャンベルの国際法廷における証言を基金側は否定していたのだが、前のトップが個人的に受け取っていたようで、ラクトリッフェから捜査当局へ原石は提出されたという。この問題は、南アフリカに飛び火するかもしれない。
2010.08.06
いわゆる「スーパーモデル」のナオミ・キャンベルがハーグで開かれている国際法廷で証言した。1992年から2002年にかけてシエラレオネであった内戦に隣国リベリアの大統領だったチャールズ・テイラーが介入、反政府軍を武装させて訓練、さらに指揮して数千人を殺害させた責任を問われている。(内戦で死んだ人は合計数万人になると言われている。) テイラー元大統領の支援に対する代償として、シエラレオネの反政府勢力は自分たちが採掘したダイヤモンドを提供した疑いがあり、実際にテイラー元大統領がダイヤモンドを持っていたかどうかを確認するため、キャンベルが証言することになったという。法廷では1997年に2、3個の「汚らしい石」を受け取ったと認め、その石は「ネルソン・マンデーラ子ども基金」に寄付したとも証言したが、基金側はそうした物を受け取っていないと主張、彼女の証言を否定している。 戦争とは悲惨なものだが、特に内戦はむごたらしい。アフガニスタンやイラクの状況を見ればよくわかるはずだ。もっとも、アフガニスタンやイラクの場合はアメリカ軍の軍事侵攻で「内戦」が誘発されたのだが。 2006年10月、イギリスの医学雑誌「ランセット」(電子版)でイラク人犠牲者に関する新しい調査報告が発表されているのだが、それによると、2003年3月から2006年7月までの期間に65万4965名以上のイラク人が死亡、このうち60万1027名は暴力行為が原因で、その56パーセントは銃撃、13パーセントは車の爆破、14パーセントはその他の爆破、空爆によるものは13パーセントだという。調査の主体はアメリカのジョーンズ・ホプキンス大学ブルームバーグ公衆衛生学部とイラクの医者たちだ。 占領軍はイスラエル仕込みの掃討作戦を展開し、多くの非戦闘員が犠牲になっていると報告されてきたが、Wilileaksが公表したアメリカ軍の内部資料は事態の深刻さを再確認させる内容で、殺人部隊の存在も明確にした。 背後にイスラエルが存在しているかどうかはともかく、アメリカ政府は「体制交代」だけのために先制攻撃を仕掛け、おそらく現段階では100万人程度の住民が犠牲になっている。勿論、社会システムや文化遺産も破壊した。 戦争を始めたジョージ・W・ブッシュ政権の閣僚たち、その戦争を引き継いでいるバラク・オバマ政権の高官たち、そうした侵略を支援したイギリスのトニー・ブレア元首相や日本の小泉純一郎元首相たちは、テイラー元リベリア大統領よりも悪質な戦争犯罪人だと言われても仕方がないだろう。 ところで、テイラー元大統領から「汚らしい石」を受け取った後、キャンベルはロシアの「不動産王」、ウラジミール・ドローニンの恋人になっている。
2010.08.06
65年前の8月6日、アメリカ軍は広島へ原爆「リトル・ボーイ」を投下、上空580メートルで爆発させた。ウラニウム235を使った爆弾で、そのエネルギーはTNTに換算すると13から18キロトンに相当、14万人を一瞬のうちに殺したとされている。勿論、核兵器はそれだけで終わらない。放射能の影響が続くのだが、詳しいデータは日米両国政府が隠してしまい、明確になっていない。 原爆が実戦で使用されたのは広島と長崎だけなのだが、放射能/放射線による障害という点では「劣化ウラン弾」によると見られ深刻な影響が最近、イラクで問題になっている。2005年頃からファルージャで奇形児が急増、ガンは4倍、14歳以下に限ると12倍に増え、白血病は38倍になったという。また男の生まれる率が激減し、男女の比率は女1000名に対し、男は850名にすぎない。 2004年の春、アメリカ第1海兵遠征軍のジェームズ・マティス司令官は、ファルージャで激しい掃討作戦を展開し、多くの市民を殺害した。当然、市内では反米感情が高まったのだが、そこへ「ブラックウォーター(現社名:Xe)」に雇われた軽武装の傭兵4名が送り込まれ、待ち伏せ攻撃で殺害されたのである。予想された犠牲だと言えるだろう。 この出来事を利用して占領軍側はさらに激しい攻撃を展開、その際に劣化ウラン弾や白リン弾が使用されたと言われている。「核兵器」と「化学兵器」が使われたのである。その影響がないと考える方が不自然だ。 ところで、原爆の研究開発は1939年8月、ナチスがこの爆弾を手にする危険性を懸念した科学者、レオ・シラードがアルバート・アインシュタインの同意を得てフランクリン・ルーズベルト大統領宛に書いた手紙が切っ掛けだとされている。手紙は同年10月、アレキサンダー・サックスが大統領に手渡し、「ウラニウム諮問委員会」が設置されて研究がスタート、マンハッタン計画につながる。 しかし、ドイツの敗戦が時間の問題になり、原爆の実用化に目処がたったころ、シラードとアインシュタインは原子爆弾の使用に反対するようになる。シラードは1945年5月8日に大統領と会う約束を取りつけるのだが、4月12日に大統領が急死したため、会談は実現しなかった。 新大統領はハリー・トルーマン。4月25日にはヘンリー・スティムソン陸軍長官とレスリー・グローブス少将(当時)がトルーマン大統領と会い、原爆について説明している。 核爆発の実験に成功したのは7月16日のこと。24日にトルーマン大統領はソ連側へ原爆の保有を知らせたのだが、ソ連はその事実をすでに知っていた。5月の時点で原爆を投下する候補地に挙げられていたのは京都、広島、横浜、小倉だというが、7月25日になると京都が除かれ、広島、小倉、新潟、長崎になっている。 第2次世界大戦後、原爆や水爆が使われなかったのは「運」が良かっただけである。アメリカの場合、1950年代から核兵器の使用を準備、1963年にひとつのピークを迎えた。さらに、1983年にも全面核戦争の危機があったことがわかっている。アメリカの「友好国」だというイスラエルの場合、第4次中東戦争(1973年)で核兵器の使用を閣議決定している。言うまでもなく、核兵器保有国は、その核兵器を「使うため」に持っているのである。
2010.08.05
イスラエルのイラン攻撃が差し迫っているという警告が流れている。いかなる状況であれ、戦争が始まればアメリカ政府はイスラエルを支援するしかなく、そうなれば世界のイスラエル批判は吹き飛んでしまうというシナリオらしい。アメリカではネオコンだけではなく、議会もメディアも親イスラエル派。こうしたこともイスラエル政府を強気にさせているようだ。 過去を振り返ると、第3次中東戦争(1967年)でイスラエルはアラブ諸国の攻撃が迫っているという偽情報でアメリカ政府を騙したうえ、アメリカの情報収集船「リバティ号」を猛攻撃して30名以上の乗組員を殺し、100名以上を負傷させている。イスラエルはアメリカを同盟国などとは考えていない。道具だ。第4次中東戦争(1973年)では劣勢の中、核兵器の使用をイスラエル政府は閣議決定しているのだが、結果として、この決定がアメリカ政府への恫喝になった。 イスラエルは「建国」の際に欲しい土地全てを手に入れることができず、第3次中東戦争でも予定した領土の拡大に失敗している。所期の目的を達するため、ガザやヨルダン川西岸を攻撃し、入植を続けているわけだ。レバノン攻撃も同じことだろう。 そして現在、イスラエルは中東を自分たちに都合良く作り替えようとしている。その手始めがイラクからのサダム・フセイン排除だった。王制時代のイランはイスラエルと緊密な関係にあったが、イスラム革命後は関係が悪化している。 勿論、イランの内部には、現在でもさまざまな立場の人がいる。「近代化」で富を築いた人たちもいるが、多くの庶民には苦しみを強いるものであり、その庶民に支持されて誕生したのがマフムード・アフマディネジャド政権。つまり、イスラエルにしてみると、この体制は変えねばならない。それが攻撃の目的だ。イラクの「大量破壊兵器」と同じで、核開発は単なる攻撃の口実にすぎない。 アメリカでは6月にデニス・ブレアがDNI(国家情報長官)を辞任、ネオコンに近いと言われるジェームズ・クラッパー空軍中将が後任として指名された。NIMA(国家画像地図局、2004年にNGA:国家地球空間情報局へ名称変更)の長官を務めてい2003年3月、アメリカ軍がイラクを先制攻撃する前に、イラクからシリアへ禁止された軍事物資が運ばれていると断言したのがクラッパー。勿論、この話は間違い(あるいは嘘)だった。 このクラッパーが上院の公聴会で「朝鮮が韓国を攻撃する」と主張したことは本コラムでも書いた通り。東アジアの軍事的緊張を高める人事だと言えるが、それ以上に中東を不安定化させる人選だとも言える。 Wikileaksに政治的な背景があるかどうかは知らないが、少なくとも結果として中東での戦争が厳しい状況だと言うことを明確にした。政府やメディアのプロパガンダとは違うということだ。また、イスラエルのチャンネル10はベンジャミン・ネタニヤフの本音を明らかにしている。こうした動きを見ていると、イスラエルのイラン攻撃が差し迫っていると危機感を持っている人がこれまで以上に多いような気がしてくる。
2010.08.04
5月31日午前4時30分、多くの人が寝込んでいると思われる時刻にイスラエル軍は公海上(ガザから約100キロメートルの海上)でガザ支援船「マビ・マルマラ」を襲撃し、活動家など多数を死傷させた。イスラエル政府は世界的に巻き起こった批判の声を無視、国連の調査も当初は拒否していたのだが、イスラエルを取り巻く状況は悪くなるばかり。8月2日になり、ベンジャミン・ネタニヤフ首相は国連の調査を受け入れると表明せざるをえなくなった。アメリカ政府は国連の調査をイスラエル政府自身による調査より重要視はしないとしているが、それはオバマ政権の願望でしかない。 勿論、国連の調査がスムーズに進むとは誰も思っていない。調査を指揮するのはニュージーランドの元首相ジェオフリー・パーマーとコロンビアのアルバロ・ウリベ大統領で、調査団にはイスラエルやトルコからも参加する。調査団を拒否できないなら、内部に入って働きかけたり情報を収集する方が得策だとイスラエル政府は判断したのだろう。つまりイスラエル政府が積極的に協力するとは考えにくい。パーマー元首相が「困難で厳しい」調査になると言うのも当然のことだ。 また、コロンビアのウリベ大統領は親アメリカ派の人物で、アメリカに軍事基地を提供、ベネズエラのウーゴ・チャベス政権とは敵対関係にある。アメリカのネオコン(親イスラエル派)は2002年にチャベス政権打倒を目指すクーデターを仕掛けて失敗したほか、チャベス暗殺も計画したと言われている。このときのシナリオと酷似した展開でクーデターを成功させた国がホンジュラスだ。 そのチャベスはアメリカと対立する一方、ラテン・アメリカだけでなく、イスラム諸国やアフリカの国々との連帯を目指している。アメリカにとっては気に入らない存在だ。そんなこともあり、キューバ政府とともに「カリブの海賊」と呼ばれている。この「海賊」が善玉なのか悪玉なのかは読者の判断に委ねる。 ガザ支援船の襲撃では、イスラエル政府の内部にも快く思っていない人たちがいるようだ。例えば、モサド(イスラエルの情報機関)の長官を務めていたメイア・ダガンは6月1日にイスラエル議会で支援船襲撃を批判している。モサドといえば、暗殺をはじめとする破壊工作を世界規模で実行してきたイスラエルの強力な「暴力装置」だが、その長官でさえ「遣りすぎ」だと考えることを現政権は行っているわけだ。 そうした強硬路線の中心にいると見られている人物がアビグドル・リーバーマン外相。イスラエル国内では、メディアが「大本営発表」的な報道を行っていることもあって強硬路線を支持する人は多いのだが、国外に出れば、イスラム諸国だけでなく西ヨーロッパの国々でも暴力的な政策は批判され、リーバーマンの評判も悪い。メディアがイスラエルにとって都合の悪い報道をしないアメリカや日本では反イスラエル感情は高まっていないようだが、世界的に見るとイスラエルを取り巻く状況は悪化している。「イスラエル支持競争」をしているアメリカの議会は異様だということでもある。 モサドの長官だったダガンだけでなく、ベンジャミン・ネタニヤフ首相もリーバーマン外相と対立、両者の間には軋轢があるとする話も伝わっていた。「悪玉」のリーバーマンに「善玉」のネタニヤフという構図だ。悪いのはリーバーマンであり、首相のネタニヤフはそれほどでもないと感じた人もいるだろう。 しかし、この構図が7月中旬に崩れてしまう。ヘブライ語の放送局「チャンネル10」がネタニヤフがアメリカ政府を愚弄している場面を放送したのである。2001年に撮影されたその映像の中で、彼はアメリカを操ることは簡単だとした上で、アメリカ人の80%はイスラエルを支持し、ビル・クリントン政権や国連との対決も怖くないと強調している。 それから9年、イスラエルを取り巻く環境は大きく変化した。アメリカを操るだけでは世界を操れない時代に入っているのだ。「アメリカの時代」は終焉を迎えようとしているとも言える。マスコミの報道を見ていると、1990年代、つまりクリントン政権の時代から日本の権力層はネオコンにすり寄った。アメリカの保守本流から離れ、イスラエル/親イスラエル派に接近したことを意味している。その選択が日本にとってきわめて危険だということを菅直人政権は理解しているのだろうか?
2010.08.03
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