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ロシアからイギリスやイスラエルへ亡命した富豪たちが世界の混乱要因になっている可能性がある。 ボリス・エリツィン時代のロシアで国民の資産を「民営化」と「規制緩和」で手に入れて巨万の富を築いたロシアの富豪たちは「少数独裁者」とも呼ばれていた。エリツィンは心臓が悪かったこともあり、実際にロシアを動かしていたのは、こうしたエリツィンの取り巻きたちだった。 ところが、ウラジミール・プーチンの登場で富豪たちは権力者の地位から引きずり下ろされてしまう。プーチンの管理下に入ることを拒否した亡命者の象徴的な人物はボリス・ベレゾフスキー(イギリスへ亡命した後、プラトン・エレーニンと改名)。イギリスではジェイコブ・ロスチャイルド卿と息子のナット・ロスチャイルドなど大物が、ベレゾフスキーと手を組んでいる。つまり、イギリスで大きな影響力を持ったということだ。 ベレゾフスキーもイスラエルの市民権を持っていた時期があるのだが、この人物に限らずロシアから亡命した富豪の何人かはイスラエルへ逃げ込んだ。富豪だけでなく、庶民もイスラエルへ流れ込んでいるはずだが、こうした人々を受け入れるスペースがイスラエルにはない。つまり、パレスチナ人が住む地域を奪うしかないのだ。その結果が「入植」だと言えるだろう。 ところで、ロシアでは29日に地下鉄で自爆攻撃があり、約40名が殺され、多くの負傷者が出た。自爆したのはふたりの女性で、ロシアの治安/情報機関、FSB(連邦保安局)によると、ふたりは「黒い未亡人」と呼ばれる約30名の自爆攻撃細胞に所属し、チェチェンで訓練を受けたという。今年の2月、チェチェンの独立派を率いるドク・ウマロフは、軍事作戦の範囲をロシア国内に広げると宣言し、11月の列車爆破も自分たちが実行したと主張していたことから、今回の爆破との関連性を疑う人も少なくない。 FSBは、イスラムの反体制派を理論的に指導していたサイド・ブリャツキーがロシア当局に殺されたことに対する報復だとも分析している。この分析が正しいかどうかは不明だが、「黒い未亡人」のメンバーが30名程度だとするならば、さらなる爆弾攻撃が引き起こされる可能性がある。 実は、ロシア時代、ベレゾフスキーは「チェチェン・マフィア」を背景にしていたと報告されている。ベレゾフスキーはロンドンでロシアに対する軍事行動を示唆するような発言もしていたわけで、今回の事件と無関係だと断言することはできない。 ロシアではイスラム系の武装グループが自爆攻撃を実行、パレスチナにおける入植問題はイスラエル系のグループが引き起こしている。イスラムとイスラエル・・・「不倶戴天の敵」のように思えるが、背後関係を考えると結びついてしまうことも事実だ。
2010.03.30
日本には少なからぬ「冤罪事件」が存在し、中には処刑の恐怖に怯えながら刑務所で拘禁されている人もいる。そうした事件を調べると、なぜ起訴されたのか理解できない、あるいは逮捕されたことさえ理解できないケースが大半だ。無実であっても、状況証拠から逮捕され、起訴されても仕方のないようなケースもあるわけで、表面化していない冤罪が存在している可能性はきわめて高い。 交通違反の取り締まりが適切に行われていないことを実感している人は多いだろうし、迷惑防止条例では「推定有罪」がシステム化されている。交通違反にしろ「痴漢」にしろ「カネ」で方がつくのだが、有り体に言えば、国家機関による「カツアゲ」だ。カツアゲで逆らう人間は袋だたきにされることがあるのだが、裁判で戦おうとする人間に「重罰」を科す現在の司法システムと似ている。 1990年5月、栃木県足利市で女児が殺害されるという事件が起こり、ひとりの男性が容疑者として逮捕、起訴され、無期懲役の判決を受けている。いわゆる「足利事件」だ。 警察庁科学警察研究所が行ったDNA鑑定で女児の下着に付着した体液の型が男性のそれと一致したとされたのだが、その鑑定が不正確で、あてにならないことは当時から指摘されていた。信頼できない「鑑定」の結果を証拠にするような「非科学的」なことが日本の司法システムでは容認されていたと言える。 現在でも捜査当局者は、適正な捜査だった、あるいは通常の取り調べだったと言っているようだが、こうした発言は、虚偽の自白を作り出す捜査や取り調べを全く反省していないことを示している。冤罪を生み出す捜査や取り調べが現在でも続いていることも意味している。無実の人間を死ぬまで刑務所に監禁しようとしたことを反省しているとは思えない。 そもそも、自分たちの取り調べに自信があるならば、その様子を音声や映像で記録ればいいのだが、当局は取り調べの可視化を嫌がり、自分たちに不都合な証拠の開示も拒否している。つまり、冤罪を反省していない。しかも、そうしたシステムを裁判所も容認してきた。 勿論、冤罪事件では、マスコミの果たしてきた役割も重い。警察や検察が流す情報を垂れ流すことで、当局が描くシナリオを一般庶民に信じ込ませ、冤罪を生み出す土壌を作り出してきたからである。今でもそうした行動をマスコミは改めようとしていない。 国家体制は意図的に冤罪を作り出すこともある。体制に刃向かう人々や団体を警察、検察、そして裁判所は「三位一体」で弾圧してきたのだが、最近では「体制内反主流派」にまで、その矛先は向いている。それだけ体制は危機的な状況にあるわけで、体制の崩壊を食い止めるために取り締まりを強化しつつある。つまり、民主主義を否定する方向へ進みつつある。 足利事件では、警察/検察/裁判所は真相の究明を妨害していたが、冤罪批判に抗しきれなくなってDNAの再鑑定を実施し、無罪が明らかになった。本当に、この事件を反省し、冤罪の再発を防ぎたいと思っているならば、他のケースはどうなのかを検証するはずだが、そうした動きは見られない。むしろ、隠蔽に走っている。この腐りきったシステムを作り替えるためには、少なくとも幹部を一新し、情報の全面開示を法律で定める必要がある。 どうやって?・・・裏金問題を徹底的に調べ、責任を追及すればいいだけのことだ。必然的に幹部は一新される。
2010.03.27
インターネットの検閲を「怪しからん!」と一般の利用者たちが憤慨するのは当然のことだが、いわゆる「自己検閲」で権力犯罪から目を背けてきたマスコミ、また電子情報機関と緊密な関係にあると言われている巨大企業の発言だということになると事情は違ってくる。「他人を批判する前に自分たちの姿を鏡で見ろ!」ということだ。 今では広く知られるようになったが、米英両国の電子情報機関、つまりNSAとGCHQは世界規模で通信を傍受するシステム、ECHELONを築いてきた。その始まりは第2次世界大戦が終わって間もない頃のことだ。 1948年、アメリカとイギリスは秘密協定を結び、それに基づいてUKUSA(ユクザ)という連合体を創設している。この二カ国のほかに、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドというアングロ・サクソン系の三カ国(他の「参加国」は形だけ)もメンバー国とされているが、あくまでも中心はアメリカとイギリスであり、残りの国の機関はその管理下にある。 エレクトロニクス技術が発達し、インテルサット衛星が打ち上げられた1970年代になると、監視システムも長足の進歩を遂げている。1974年にはNSAのデータベースに約7万5000名のアメリカ市民に関する情報が記録されていたのだが、その監視対象が全世界に拡大していく。 このNSAが築き上げた監視システムで、最も重要な拠点のひとつがイギリスのメンウィズ・ヒルにある基地。この基地の存在と活動内容は1980年にイギリスの調査ジャーナリストのダンカン・キャンベルが暴露している。キャンベルはその前からUKUSAの監視システムの存在を報告しているのだが、日本のマスコミは無視していた。(監視システムの詳細に興味があるならば、月刊「軍事研究」の2001年2月号に掲載された拙稿か、2005年に三一書房から出版された拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を参照ください) アメリカなどの情報機関は暗号ソフトに「秘密のカギ」を忍ばせ、情報の収集と分析を行うシステムにトラップドアを組み込んで全世界に販売してネットワークを広げてきた。それだけでなく、PROMISやTIA、あるいはMATRIXと名づけられたシステムは、個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの記録、投薬の記録、通信記録、運転免許に関するデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関するデータ、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードの記録などを記録している。日本のNシステムと類似のシステムによって、自動車での移動も監視されるはずだ。日本で導入された住基ネットがこうしたシステムのベースになる可能性は高い。 さらに、大手のソフト会社は政府機関の要求を受け入れ、インターネットや電子メール関連のソフトウェアのセキュリティ・レベルを下げている。個別のケースでは、ロータスのノート・システムにトラップドアが組み込まれていることをスウェーデン政府が発見、マイクロソフトのオペレーティング・システム(OS)、Windowsのセキュリティ機能をコントロールするソフトウェアに複数のカギが存在していることも発見され、少なくともひとつはNSAが侵入するためのものではないかと疑われている。 ちなみに、PROMISが開発されて間もない1979年と80年に法務総合研究所は「研究部資料」でこのシステムを取り上げているが、開発したINSLAWと交渉したのは敷田稔(後の名古屋高検検事長)であり、当時、アメリカの日本大使館で一等書記官を務めていた人物が原田明夫(後の検事総長)である。 原田は法務省刑事局長の時代に「組織的犯罪対策法(盗聴法)」の法制化を進め、また検察の裏金の実態を暴露しようとした三井環を逮捕させ、スキャンダルを封印したとされている。裏金の話は、古川利明著『日本の裏金(上、下)』(第三書館、2007年)に詳しい。
2010.03.25
アメリカ政府がインドネシア軍への支援を強化する動きを見せ、反体制派の暗殺を繰り返してきた特殊部隊への訓練も再開しようとしていると調査ジャーナリストのアラン・ネアンは伝えている。この特殊部隊は昨年後半、アチェ州(スマトラ島の北端)で独立派の活動家9名を暗殺した事件にも関わったという。 ネアンによると、この暗殺は軍や情報機関も参加した作戦の一環で、暗殺チームのメンバーを現地の警察は拘束しているが、それ以上のことはできないでいる。バラク・オバマ政権は「テロとの戦争」を実行するため、こうした暗殺作戦の実行者たちと手を組むことを決め、資金を提供し、武器を供給し、軍事訓練を実行しようとしている。すでにCIAは動き始めているようだ。 確かにインドネシアでは爆破事件が起こっている。バリ島のナイトクラブやジャカルタの高級ホテルが爆破されて数百名が殺されたことは日本でも報道されているが、その一方で軍や警察はイスラム武装勢力も利用し、数十万の市民を殺害している。東チムールにおけるインドネシア軍の虐殺を記憶している人も少なくないだろう。 そもそも、インドネシアに「テロ」を持ち込んだのはアメリカである。1950年代に貴族階級出身のインドネシア人をアメリカの大学、例えばカリフォルニア大学のバークレー校、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学、コーネル大学などへ留学させ、手なずけ、「近代的エリート」を育成した。 こうした留学生は「バークレー・ボーイズ」とか「バークレー・マフィア」と呼ばれているが、後にスカルノ打倒の中核部隊になった。また、インドネシア国内の大学に通う学生も軍から訓練を受けていた。 そして1965年10月1日、小集団の若手将校が6名の将軍を誘拐のうえ殺害、ジャカルタの主要箇所を占拠し、自分たちはCIAの支援を受けた反乱軍の一部だと放送、スカルノから権力を奪取すると宣言した。 この宣言をはさみ、9月から10月にかけてアメリカにとって好ましくない人々を親米派が虐殺し、翌年の3月にスカルノは排除された。この間、犠牲になった市民の人数は30万から100万人と推計されている。日本では長い間、「共産党のクーデター未遂事件」だとされていたが、その実態はアメリカを黒幕とするクーデターだった。 さて、活動家殺害の報告をインドネシア軍は否定し、ネアンを逮捕すると脅しているのだが、軍を信用しろという方が無理だろう。オバマ大統領の訪問延期も、事件と関係があるかもしれない。 さて、歴史的に日本の大企業、官僚、政治家はインドネシアと利権で結びついている。こうした権力者の手先として生きてきた日本のマスコミは1965年の出来事もきちんと報道してこなかったが、今回は・・・やはり期待することはできないだろう。
2010.03.24
民主党の藤田幸久参議院議員を攻撃する文書が掲載されたのは、3月8日付けのワシントン・ポスト紙だった。同議員が2001年9月11日にアメリカで起こった攻撃(日本のマスコミは「同時多発テロ」と名づけている)に関する「公式見解」に疑問を表明してきたことに我慢がならなかったようだ。航空機に突入された世界貿易センタの南北2タワーの崩壊が科学的に見て不自然であり、7号館の崩壊は説明不能だとする見方が広がりつつある中、ある種の人々は相当、危機感を持ち始めているのだろう。 事件の前、アメリカが推進していた「新自由主義経済」は崩壊寸前で、ソ連が消滅したことから軍需産業も苦しい状況に陥っていた。そもそも1970年前後にはアメリカの戦争を軸にした経済システムは破綻し、「反共の闘士」と見られていたリチャード・ニクソンもデタント(緊張緩和)へ舵を切ろうとしていた。 そうした経済状況を「カジノ化」と軍事的な緊張で乗り切ろうとしたのが1970年代の後半から1980年代にかけてのアメリカ。1991年12月にソ連が消滅すると、脳天気な人々はアメリカが「唯一の超大国」になったと浮かれ、軍事力で世界を制圧できると信じた。そした考えに基づき、1992年にアメリカ国防総省の内部で「DPG(国防計画指針)」が作成されている。 当時の国防長官はディック・チェイニーで、実際に書き上げたのは国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツを中心として、I・ルイス・リビー国防副次官、そしてザルマイ・カリルザッド国防副次官補というネオコン(新保守/親イスラエル派)の人脈だった。 この好戦的なガイドラインは権力層の内部でも危惧する人間がいて外部にリークされ、次の大統領選挙では民主党のビル・クリントンが当選した。ネオコンたちはメディアを使って新大統領をスキャンダルで攻撃したが、その大半が嘘と誇張で作り上げられた話だったことをインターネット・マガジンが暴露し、クリントンを辞任させることはできなかった。クリントン時代に日本のマスコミがクリントン攻撃に同調していた意味を考えるべきだろう。 そして2000年に行われた大統領選挙では、ネオコンが担いでいたジョージ・W・ブッシュが当選したと認定された。選挙で不正行為、例えば投票の妨害や投票用紙の問題が指摘されているのだが、徹底した調査が行われることなく、新大統領はブッシュということになった。次の選挙で電子投票が導入された理由を、投票操作をしやすくするためだと言われるほどアメリカへの信頼はなくなった。 何とかブッシュを当選させた権力層だが、それで問題が解決されたわけではない。経済が破綻している事実に変化はなく、カジノ経済も行き詰まり、ネオコンの好戦的な政策は軍の上層部からも拒絶されていた。一言で表現すると、クーデターでも起こさないとブッシュ政権のスポンサーたちは持ちこたえられない状況だった。 そうした中、2001年9月11日に事件は起こる。まず4機の旅客機がハイジャックされるのだが、FAA(連邦航空局)はその事実に気づきながら対応せず、NORAD(北米航空宇宙防衛軍)も反応していない。2001年6月頃、如何なる迎撃も国防長官の許可が必要だとする命令を国防総省が出していたことが大きな理由だ。当日、いくつかの軍事演習が実施されていたようで、これも現場を混乱させる一因になっていた。ちなみに、この年の5月から6月にかけてNORADは巡航ミサイルでアメリカの東海岸が攻撃されるという設定の演習を実施しているのだが、その筋書きを書いた台本の表紙はオサマ・ビン・ラディンだったという。 ペンタゴンが何によって攻撃されたのかは、未だに不明である。公式のシナリオでは航空機が突入したというのだが、そのためには、航空機はペンタゴンを巻くようにして右へ急旋回したうえ、超低空で地上に痕跡を残さず工事中の部分へ突入しなければならない。しかも消防車が到着する前にAPの記者が撮影した写真では、直径が約五メートルの穴が開いているだけで、航空機の残骸が見あたらない。また、ペンタゴンの防空システムが機能せず、ミサイルが発射された形跡がないという大きな問題も解決されていない。 疑問点を書き連ねていくと長くなりすぎるのでやめるが、超大国の幻影が消えつつあるアメリカに追随する人にとって、「アメリカは被害者」でなければ自分の世界観にとって都合が悪い。もっとも、9月11日の出来事が「アルカイダ」によるものだったと仮定しても、それまでアメリカが行ったことを考えれば、「報復」、あるいは「反撃」にしかすぎず、その後の大量虐殺を正当化することもできないが。
2010.03.23
本人の意に反する形でX行為に及ぶようなことが許されないことは当然のことである。社会面で取り上げられるような暴行事件だけでなく、外形的には合意に基づくように見えても、社会的に優位な立場にあることを利用した行為も決して許されない。そうしたことを「猥褻規制」に結びつける動きも決して許されない。言論の弾圧は性描写の規制から始まる。 東京都は「青少年健全育成条例」を改定し、アニメなどに登場する「18歳未満と判断される架空の人物」の性描写を規制対象にしたいようだが、すでに刑法で性描写は規制されているわけで、刑法が規制していない範囲の描写を規制することになる。規制する側の人間が猥褻な妄想を好むタイプであれば、それだけ規制は厳しくなるだろう。「キスは許さない」にとどまらず、「門が開いた」というような表現も「いたずらに性欲を興奮させる」と感じ、「目をふさぎたくなる」と思う人間が出てきても不思議ではない。 子どもの「健全な育成」を考えるのならば、「性描写」よりも「戦争描写」の方が大きな問題である。アニメは大量殺戮のオンパレードであり、人の命を軽んじる「空気」を日本に広げている。人間本来の営みであるX行為よりも、大量殺戮にすぎない戦争を美化するような描写を規制するのが筋である。東京都もPTAも性的な行為には神経質だが、人殺しには無神経だと言わざるをえない。 規制は極端な場合だけだという弁明は信じない方がいい。「国旗」や「国家」の問題でも強制しないという条件で導入されたが、東京都は堂々と強制し、裁判所も強制を容認している。言うまでもなく、裁判所も思想統制の歯止めにはならないわけだ。 マスコミも裁判所と同じで、思想統制の「抵抗勢力」にはならない。21世紀に入ってから「ジャーナリスト」が絶滅の危機に瀕しているというようなことが日米欧で言われるようになったが、その主な原因は、ジョージ・W・ブッシュ政権時代に展開された露骨な情報操作への協力にある。 実は、1970年代の後半からアメリカの有力メディアは体制に批判的で気骨ある記者を排除するようになり、1980年代に始まった「規制緩和」はそうした傾向を一気に強めている。日本もその後を追っていた。ブッシュ政権はそうした実態を明確にした結果、ソ連時代のイズベスチア(政府機関紙)やプラウダ(ソ連共産党中央委員会機関紙)と同じように信頼されなくなったのである。 日本のマスコミは元々、体制的な色彩が濃い。テレビは勿論、週刊誌にも新聞にも「反体制派」など存在しない。気骨ある記者がいれば、間違いなく排除される。「左」の新聞など、一部の人間のプロパガンダか妄想にすぎない。 そうした傾向は、広告収入が増えた1980年代から特にひどくなった。スポンサーが喜び、政府や官僚を怒らせないような記事を載せ、番組を作る方が「コスト・パフォーマンス」は良い。そこで、カネ儲けのため、取材に手間隙をかけなくなったのである。読者や視聴者に記事や番組の質を理解する能力はないと高をくくったのだろうが、そうした経営姿勢がここにきてメディア離れの大きな原因になっている。(注)楽天のレギュレーションで「公序良俗に反すると判断された表現が含まれています」という理由で完全な形では掲載できません。
2010.03.16
アメリカがイランと同じような、あるいはそれ以上の「宗教国家」だということを再確認させる判決が11日にサンフランシスコの巡回控訴審で言い渡された。学校で毎日行われている「忠誠の誓い」に「神の下で」という語句を加えたのは特定の宗教(つまりキリスト教)を非キリスト教徒に強制する行為であり、憲法に違反しているとする訴えを退けたのである。大統領も演説の最後に「神の加護」なる語句を付け加える国であれば、裁判所がこうした判決を出しても不思議ではない。 とは言うものの、この決定をアメリカの圧倒的多数が支持していわけでもない。今回の判決も2対1で判事の判断が割れている。1954年に議会が「神の下で」という語句をいれたのは、国教の考え方を子どもに教え込むことが目的だったと少数意見の判事は主張しているが、その通りだろう。 2002年6月には今回と逆の判決が言い渡されていた。「神の下で」という語句を加えたのは、(キリスト教の)神を信じない人はよそ者だとするメッセージであり、宗教と国家の分離を定めた憲法に違反するとしていたのである。 ところが、この判決を議員たちは激しく非難し、最高裁は訴訟を起こした人物に裁判を起こす権利がなかったとして判決を棄却している。その人物は父親として、娘に替わって2000年に裁判を起こしていた。最高裁の判決を受け、男性は新たな訴訟を起こしたのである。 アメリカは「神」の名の下に先住民を大量虐殺して誕生した国であり、中東では宗教的な理由からイスラム教徒を敵視する人物を掃討作戦の指揮官にしてきた。勿論、ウィリアム・ボイキン中将のことを指している。アメリカでは狂信的なキリスト系カルトが大きな影響力を持っているのだ。 権力者にとって「神」は便利な「呪文」である。何しろ、神は神聖で侵すことのできない存在であり、合理的に説明できない、不適切で不公平な倫理に反するような行為であっても、「神の意志」というひと言を付け加えれば正当化できる。 ところで、今回と逆の判決が言い渡された2002年といえば、ジョージ・W・ブッシュ政権が偽情報を撒き散らしながら危機感を煽ってイラクを先制攻撃しようとしていた時期にあたる。その時よりも現在のアメリカはカルト的になっているように見える。神にすがるしかないほどアメリカは無惨な状況になっていると解釈できるかもしれない。
2010.03.13
8日に「第82回アカデミー賞授賞式」が行われ、「ハート・ロッカー」が作品賞などを受賞し、大ヒットしている「アバター」は完敗した形だ。両作品とも見ていないので作品自体に対する評価はできないのだが、マスコミの報道を見ていて気になることがある。 作品賞に選ばれた「ハート・ロッカー」はイラク駐留米軍の爆発物処理班の日常を描いているらしく、「時事性」が受けたと解説する人もいるが、日本以外では「アバター」もイラクやアフガニスタンへの軍事侵攻をモチーフにしていると解釈されている。アメリカの先住民虐殺と考えることも出来るが、それだけではない。アメリカの「虐殺体質」を描いているとするならわかるが。ともかく、「アバター」が受けた一因は、その時事性にあると考えるべきだろう。 「ハート・ロッカー」は従軍記者の書いた作品が元になっているそうだが、それだけで胡散臭いと思うのは私だけだろうか? アフガニスタンやイラクへの軍事侵攻で従軍した記者は事実上のプロパガンダ要員にすぎなかったわけで、「ハート・ロッカー」の監督がイラク戦争と正面から向き合う意志がなかったとしか思えない。そんなものではなく、帰還兵を丹念に取材したというならわかるが。なぜ爆発物が仕掛けられているのかを考えて映画を制作したのかどうか・・・。 ところで、アフガニスタンでアメリカ軍が数週間にわたって展開してきたタリバンの重要拠点攻撃がフィクションだった可能性が高まっている。マルージャでの「攻防戦」なのだが、人口8万人の都市という説明が嘘で、農家が点在するだけの農村地帯で、タリバンの拠点という話もどこまで本当なのか・・・。マルージャが都会でないことはISAFの将校も認めているほか、現地の写真も伝えられている。 2月2日に米海兵隊が行ったブリーフィングで、アフガニスタンの南部にある人口8万人の町で400名から1000名の反政府軍が隠れているとされてからマルージャは都会だということになったようだ。 アメリカ軍側としては、タリバーンが拠点とする都会を制圧したということになれば、アメリカ国民も満足すると判断したようだ。このフィクションをアカデミーはどう評価するのか、聞いてみたい気がする。
2010.03.09
日本のマスコミにとってトヨタ自動車は大切な金づるであり、必死に擁護したくなる気持ちは理解できるが、それにしても度が過ぎる。戦後、いや戦前から続く日本の権力構造を守るために政界で続けているプロパガンダと根は一緒だ。 そもそもトヨタは「国策」で守られてきた企業で、官僚たちとは一心同体の関係あり、警察も協力的だ。マスコミからもチヤホヤされる。そうした環境にトヨタの経営者は慣れすぎ、国外でも自分たちは特別だと錯覚しているようで、カネの力で何とかなると思っているのかもしれない。 アメリカの政府や議員がアメリカの会社を優遇していることを批判し、「謀略だ」と主張する人もいるようだが、アメリカでアメリカの企業が優遇されるのは当然のこと。日本の企業が対等な立場で商売できると思う方がおかしい。勿論、ルール上は対等であっても「ホームタウンディシジョン」ということはあるのだ。 そうした意味で、トヨタ経営陣の対応はお粗末以下だった。日本のマスコミの中にはアメリカの自動車会社もリコールしていると叫んでいるが、トヨタが批判されている最大の理由はリコールせず、情報を隠したことにある。問題が見つかったなら、すぐに情報を公開するべきだと批判されているのだ。 アメリカでは刑事事件で警察や検察は証拠を基本的に全て開示するように求められている。当然のことなのだが、日本では被告に有利な証拠や証言を隠すことが認められ、冤罪を生む要因のひとつになっている。アメリカでは裁判の記録も基本的に公表している。情報自由法に基づいて行政情報が公開されていることも有名だ。 日本にも情報公開法は存在するが、質的に全く異なっている。そうしたギャップがアメリカにおける日本関係の情報公開の遅れにつながり、問題になっていることも忘れてはならない。勿論、日本で公的な情報が秘密にされるのは、支配グループの都合だ。庶民に知られるとまずい情報がたくさんあるということ。だからこそ政権の交代を嫌がるのだと言えるだろう。 ところで、1969年にトヨタは重大な事故を経験している。同社が開発し、静岡県にあるヤマハのテストコースで走行させていたレーシング・カーが事故を起こし、運転していた福沢幸雄が事故で死亡したのだ。運転ミスだという主張もあるが、その一方でブレーキ系統の故障が原因ではないかと推測する人もいた。いずれにしろ、警察が詳しく調べたようには思えない。今回の問題でも日本の警察には事故の情報が蓄積されているはずだが、過去のいきさつを考えると期待はできない。 オートマ車が市場に出始めた頃、アメリカでは暴走の危険が指摘されて、大きな問題になった。これは日本車に限った話ではなかったが、この問題を日本のマスコミが報じたのは1年程度後のことだったと記憶している。そうした意味で、今回のトヨタの情報隠し問題では、日本のマスコミも共犯関係にあると言える。 トヨタに限らないが、日本の巨大企業は自社工場で働く労働者や下請け企業に適切な対価を支払わず、利益を溜め込んで日本社会を破壊してきた。非正規雇用を増やした結果、労働者の技術水準が大幅に低下しているだけでなく、中堅エンジニアの疲弊も危機的な段階に達している。精神的な問題で仕事を続けられなくなり、その穴を他のエンジニアが埋めているのだが、人員を補充しないために技術部門は崩壊寸前になっているというような話はしばしば聞く。 労働者や下請け企業へ適切な対価を支払うべきだとする主張に対し、それなら国外に出てしまうと大企業の経営者やマスコミは脅すが、日本の経営者には、外国の企業と渡り合うだけの能力はない。この点は今回のトヨタが証明している。日本の生産システムは優秀な現場が愚かな経営者を支えているのであり、日本社会が崩壊すれば、日本の巨大企業は外国企業の餌食になるだけだろう。
2010.03.05
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