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昨日の千秋楽での決定戦では瞬間視聴率が30パーセントを越え久しぶりに低迷の相撲にも活気が帰って来たようでしたね。身体を張ってのスポーツですから、心身の維持管理やマスコミに対応するのもたいへんだんぁと思いながら、昼のニュースで見ていました。白鵬の負け方も勝ち方も、問題になることが少ないのに朝青龍のガッツポーズに横綱としてふさわしくないとか話もありました。しかし、とても感動的な勝ち方を評価されて尻すぼみになった風でした。私も息子達が外国で行う結婚式で私の服装のことで、抵抗しましたが相撲の様には行きませんでした。一度しているからということもありましたが、この不況の時代にどうかなということ、そして私自身、心が乗り気でなかったこともありました。夫がいないことも、400名の人数も言葉や環境の違いも負担でした。小さな街から出たことも少ない母の気持ちを見つめるには時に委ねるしか仕様がないようです。いつか、見える時が必ず来ると信じたいと思います。息子夫婦が人生で最初で最後の主役になれる日だからと。小さなミニ結婚式を無視されたような気分もあったかも知れません。母子家庭の暮らしをそのままに受け止めて無理なく暮らしてと願っていました。しかし、この問題は違った環境ですから、長い歳月が必要でしょう。向こうでの結婚式、どんなことがあってもふたりの幸せを願うのは親として当然です。向こうのご両親との再会、そして、そこでの宿泊。私はいびきと寝言をいうので、親戚以外は泊まったことがありませんでした。これも初体験です。また、片言英語とジェスチャ―でチャレンジです。「ああ、お父さん。傍にいてね。」と語りかけています。勿論、朝晩祈り続けて話し掛けて気持ちを整理しています。聖書を開いて、答えを探し待ちます。夫がかつて言っていた事が、ラジオからニュースで聞こえてきました。それは、パソコン関連の事件でした。キイーロガーと言われるもので、数字やアルファベッドを記録するもので空き巣に入った泥棒がパソコンに仕掛けて何と900万円も口座から盗んだと言う話でした。悪いことを考えるものです。記録されたパスワードを読み取るウィルスを仕掛けて、取り引きの口座を読み取ったとか。パスワードは絶対に守らねばならないのに、侵入されてきたなら、どうしようもありませんね。パソコン上でのお金のやり取りにはやはり慎重が必要のようですね。お金だけではなくプライバシーも関係してくると、せっかくのコミニュティーも何だか・・・ですね。映画のボンドシリーズを思い出していました。まだ、まだ未知の世界です。怖いものには触れないです。一番は、やはり自分の目、耳、頭で判断するのが安心です。オバマ大統領のホームページを開いて生で聞いている人もいます。英語は判らないけれど、聞きやすい、声がいいからとCDつきの本も売れているそうです。100年に一度の世界不況と言われていますが、これもたいへんなことです。びっくりしたり、驚いたり、感激したりと周りは慌しく過ぎて行きます。雪祭り会場も規模がやや小さくなりました。自然も明日が直ぐには見えにくいものです。何とかその時、その時乗り越えてきた先人たちの歩みに思いをはせています。不況も落ち着いて、息子たちの結婚式も無事に守られますようにと想像している夜です。この小さな街で今日も休めること感謝しながら・・・・。
2009.01.26
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朝ポケットラジオをつけると、モーツアルトの宗教音楽が聞こえてきました。ハイドンの影響を受けて作曲していたとか。13歳の曲だったことも驚きでした。天才は凡人とは違うかと関心して温かい布団から起きました。礼拝のためにバタバタと朝食を作り食べて小さなマイカーを飛ばして行きます。感謝、感謝。歌が大好きな時間です。このような時間が来ようとは、思っても見なかった時間でした。夫が生きて一緒だったならもっといい時間だったでしょう。石原裕次郎なみの声質でしたから。きょうも、求道者の方が涙、涙で歌えずに鼻水をかんでおられました。私も「つみがとがをにのう」の詩にこころ打たれてこらえていた思いがゆるんだように涙が流れていたことがありました。曲を聴くと小学校で歌っていた「輝く星座」のメロデーです。この曲には、まだ古い詩があります。「いつくしみふかき友なるイエスは」です。イノセントラブにも流れていましたね。ゆずの片方の方と篤姫で和宮を演じた女性が出ていたドラマです。罪の深さや悩みや痛みに比例するのでしょうか。涙を流して少しは心が癒されていたでしょうか。今の私は、詩を味会う立場になって来ました。昨日の朝刊の見出しは「とにかく働きたい」と大きなスペースを割いて印刷されていました。遠くイギリスでは、ホンダが4ヶ月操業休止とか。息子の会社にも例外なく影響がきているらしいです。そんな中、3月に慌しく2度目の結婚式に参加すること伝えたなら、ホッとしたような声でした。招待状を発送していて決まった事のようでした。こちらでの結婚式は向こうでは伝わっていないということも寂しい限りでしたが、何しろ考え方も言葉も違うので戸惑うばかりです。その時に応じて守られ乗り越えて行けますようにと兄弟姉妹に祈って頂きました。何があっても、全ては委ねつつ歩んで行く人生です。夫が言っていたなるようになる。ケセラ、ケセラと夢を捨てないでひとあし、ひとあし守られて行きますように。
2009.01.18
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屋久島の縄文杉には圧倒されました。7200年の樹齢、幹の周りは16メートル。ピラミッドより古い時代を生き抜いている樹をテレビで見て驚きました。自然が生き生きしていて圧倒されました。人が作る建築物もこれほどはもたないでしょう。この目で見たい気分になりました。元気を頂くような気分でした。見た人はどんな思いだったのでしょうか。C・Wニコルさんの解説に神さまの言葉が出ていました。世界に誇れる自然遺産ですね。夕べ、深夜雷と雨が降ってきて気候の変化に戸惑いました。今年は雪が少なく、雪祭り会場も準備に入っていますが雪を集めるのに大変かもしれません。木彫り教室の仲間と別れて、公園のイルミネーションを写真に写している人に混じり、デジカメに写しました。かつてこの街にすんでいた叔父夫婦に見せて上げたかったからです。叔父の白黒写真の雪祭りにあこがれを持った頃から、今度は病床にいる叔父へ届けようとしている私が立っていました。ふるさとの雪も去年、少なくて驚きました。雪わたりなんて、今の子供達は想像出来るのでしょうか。2月頃はよく近道のために、雪わたりをしていました。畑などはよく歩きました。まんがを読んで、畑にあった古井戸に落ちて亡くなった少年も今なら命を落とすこともなかったでしょう。それにしても、やはり冬の寒さは、行動も気力も動物と一緒みたいです。朝の布団から、出るのに時間がかかります。ゆっくり出来る時間に感謝です。春がくれば、私管理人も食事当番です。それまでは、戸惑っていますが考えられなかったゆっくり時間を頂こうと思っています。
2009.01.15
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冬は空の色や寒さ、気候が関係するのでしょうか。うっかりすると、だらだらとしてしまいます。夕べ録画しておいた城山三郎の「そうかもう君はいないのか」を今、見終えました。臨終の場で夫婦がふたりだけでのシーンがありました。私達も夢でした。しかし、現実には夫の両親、兄弟家族がいました。寂しがりやさんの夫にお似合いの終わりでした。モルヒネの点滴を見ながら、消えて逝く命を見守るだけでした。在宅でしたから、その前に二人の時間はありましたが。その分で良しとしましょう。でなければ、欲張り。困らせるなよ。といわれそうです。夫にも家族がいてそこから分かれて私とひとつの家族を作ったのですから.いつかは、誰にも訪れる別れ。でも、突然くるなんて誰も想像したくないでしょう。オノヨーコさんの元気さを見て、今の私を見てがっかりします。夫が比べるなよと言っているのが聞こえてきそうです。自然体の私を認めてくれていたことに感謝でした。お互いの世界を侵入しない時間をみとめ合い、その方が長続きするよねと言っていたあの頃。休みの日、庭の手入れが私で、料理を作ってくれたり、そうじしてくれたのが夫でした。手際よく簡単な美味しい料理でした。時代が変わり、息子も同じように台所に立ち、大学卒業したばかりの妻に料理をてほどきしています。100年に一度の世界不況はみんなに影響がきているようです。分相応の生活なら無理がありません。息子たちにも雑草のように負けないように歩んで欲しいという思いがあります。父親を亡くした家庭の進学率も難しく、ついにあしなが育英会も定員の3倍以上でたいへんなようです。娘の時は使わして頂きました。ほとんどの学生が、ほかにも支援を受けて学業に励んでいるでしょう。今年の20歳のはたちの人たちの望みは 1 仕事、就職 2 お金 3 自分のスキルアップとテレビに映っていました。恋愛、恋人が欲しいは下の方にあったそうです。娘も同じような考えのようです。男性なみに1から3まであてはまっています。その中で、息子は結婚を就職して1年目に出来たのですから何といいましょうか。恋は盲目。これからが現実でしょう。娘の方が現実派のようです。私達夫婦の最後をつぶさに見ていたせいか、とてもリアルです。たとえば、背の高すぎる人は介護たいへんとかです。もっと、いくと棺おけも特注だわねとか。恋も負けそうです。とはいえ、それぞれに歩んでいる二人です。子供達のことは、黙って聞くだけでいいからと言い残してくれた夫。私は、声なき声を思い出し、きょうもよろしくねと声かけて一日が始まります。城山三郎の「素直な戦士たち」も、夫と語り合っていた頃も遠くなりました。第3の人生・・・慣れるのに時間が必要でしょう。趣味があっても、心を動かすのがたいへんなこと。多くの先輩のみなさんに脱帽するばかりです。それでも私ばかりではないと少しは見渡せるようになってきてはいます。ゆっくりと行きたいのに親孝行なのでしょうか。息子のもうひとつの結婚式。今は熊さんになっていたい気分なのですが。贅沢な悩みかもしれません。
2009.01.13
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夕べのNHKスペシャル「男と女の脳」について興味深く見ていました。3年もすれば、情熱も冷める訳も説明していました。知らない内に、男は子供を産むのに適しているかを。女は子供を産んだなら助けてくれる男かを本能で見分けているというお話でした。科学で、恋する脳のメカニズムも説明がありました。科学はどんなささいなことでも研究材料になるのかと思いました。どうも、違う性同士のグループの方がベストだと結んでいました。男は常に戦闘モード。女は守りになる性質があるので両方をミックスすればバランスがいいということでした。今夜はその第2夜です。息子から長いメールがきました。お願いのメールでした。自分たちの披露宴の件でした。どうも、行き違いで結婚式のようです。突然の報告でした。びっしりと自分たちとご両親や親戚の方のことで埋め尽くしてありました。招待が700名で実際は400名ぐらいとか。地味婚の私たちの逆を行くものでした。想像できませんでした。しかも、3月でした。招待状も出すばかりとか。うーん。向こうの結婚式は、よくは解りませんが名古屋に似ているかなと思いました。立派な人と結婚しましたと広めるのが親の幸せなのだとか。私は違います。両親、友人、知人にお世話になりました。感謝の日として考えていました。価値観の違いにまだ慣れていません。夫は自分達が育てた子供だから、自分達にも責任がある。最後にそう言っていました。ミニ結婚式、披露宴で認めて欲しかったのですが、向こうの国の親戚の人たちにまだ結婚したとは知らせていないと聞き、落胆しました。結婚式は一度で済んでいたと思っていたのです。むこうの衣装でわたしも着るようです。なぜ、チラッとその話が出た時オーバーに「エーッ」と困って「アイ アム ソーリー」とか言えなかったのでしょう。息子は違和感もないようですが、私は逆に日本人であることを意識させられた日です。向こうの方達は民族衣装を着れば喜ぶでしょう。夫が恋に盲目になっていた息子に勘当だと言っていた言葉を思い出して苦笑しています。息子の願いを聞くのが一番穏便なのでしょう。全て丸くおさまるのでしょう。全て、始めての経験。失敗しながら乗り越えて行くのでしょう。今回の反省から、どんな状況でも自分達の思いを一心になって伝えなければ、何も起こらないということです。自分の考えを嫌われ覚悟で伝えることが大切だということです。世帯主の孤独を感じます。夫のがんこに異論を言っていた頃が懐かしいばかりです。何が正しくて、そうでないか。親は木の上に立って見ると言いますが、降りて来てと息子に言われて、戸惑っている2年目世帯主です。義母はいかなくてもいいと断言してくれていますが・・・。夫のあの毅然さが少しでも欲しいくらいです。
2009.01.12
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今年も1月が3分の1終わります。全く日々の速さに戸惑うばかりです。昨日、オノ・ヨーコさんを久しぶりにテレビでのパホーマンスを見ることが出来ました。想像する、こうなればいいなぁと良いことを思う。そうすればいつか実現すると。一日にひとつでも良い事するだけでハッピーになれますという言葉も印象的でした。日曜礼拝で賛美礼拝をして、そこで生かされていることに対して感謝し賛美をひとり、ひとりがしています。毎週繰り返される賛美礼拝に出られる幸せを素直に思えるようになってきました。讃美歌も詩から、霊的に揺り動かされる時があります。一般の人も参加していますが、涙、涙の人もいます。霊的に疲れた人の方がより、動かされるのかなと思います。今の私が出来る事は、礼拝に参加できることです。1週間、心して始まります。生身の人間ですから、いい加減な時だってあります。「主がついていれば」を召されるままにリクエストし、今まで聞いたことのなかった歌を歌うのも新鮮です。雪掻きでだるくなっている心身にホットミルクが入る感じです。なかなか御心のままにという心境は難しいのですが、それが自然に出来ますようにと祈っているから不思議です。今、イスラエルがパレスチナを攻めて、多くの死傷者を出していますが、ヨーコさんの語るように世界の人々が平和な生活をしていることを想像したいと思います。想像は誰にもできますから。息子夫婦から、年賀状が来ました。分相応の暮らしを少しでも理解してくれていることを想像したいと思います。全てが良き流れに行きますようにと。祈れる者として感謝です。それにしても、祈ることがあり過ぎます。亡くなった祖母を思い出しています。私もその年齢に来ているの?まだ、すべきことがあるんですね。去年漬けた鮭のイズシも教会で好評でした。このようなことでも、灯りが見えてくる私なのです。生活の不安が無く、みんなが安心して暮らしている。そんなことを想像したい私です。生きることが辛くなったり、寂しかったりした時負けないで、こうなればいいなぁと想像するだけで気持ちが少し軽くなります。グラグラと来たなら、あのヨーコさんもしている「想像してごらん・・・」イマジンの歌に合わせて想像したいですね。
2009.01.11
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夕べのテレビで森進一を途中から見て、過ぎしのことを振り返りました。[襟裳岬]の詩と曲で夢を見失っていた自分の心に灯りが射したことを思い出しました。 日々の暮らしはいやでも やってくるけど 静かに笑ってしまおうこの詩の部分に私も目を開かされました。ほかにも「異邦人」では、喪失感を随分共感していました。今は、恋愛はただ懐かしいだけです。青春にありがとうです。今週は、姪の長男出産で少し落ち着いた頃を見計らって妹と連れ立って訪問しました。義姉が産後の手伝いに来ていました。一辺に古里の地にいるようでした。血縁関係の故でしょうか。新しく誕生した赤ちゃんや子供に結ばされていることを温かく感じました。ここは、北海道です。なのに、出身が同じなので古里にいる錯覚すらありました。翌日は友人の病院へ付き添いを無事終えてそして、今日教会でもちつきがありました。もともと朝に弱い私ですが、参加してきました。出かけて、私も役に立っていたような気がします。若い人たちからも、元気をもらいました。もちつきも少しだけして、もっぱら中で調理でした。大根卸しにしょうがをすり醤油を適当に混ぜてその中につきたての餅をちぎって入れました。幼い頃、大人たちがしていたことを見ていたのを私の手が手際よくちぎっているうちに亡くなった祖母や年老いた母の手がふとよぎりました。ナマス餅(さっきの大根おろし+しょうがおろし+醤油適量)が好評なのには意外でした。簡単なので誰にでもOKです。ほかに、ほや餅などもありますが古里を思い切り振り返ったひとときでした。歌から心を揺さぶられることもありますが今の私は「食」のようです。息子夫婦が帰省したときもやはり「食」でした。今年は、鮭のイズシのために2本ぐらいつけようかなと思っています。素人でも作れるなんて嘘のようですが昔のひとの知恵に感謝です。冷蔵庫から出して直ぐに食べられるのも魅力です。夫が生きていたなら、いつものクセで冷蔵庫を開けて鮭のイズシを見つけて「おっ、うまいものがある、ある」と言って自分で出して食べていたかも知れません。時間が出来たから、作り始めた北海道の味。そして、古里の味。好きな料理を作り、教会の人たちと食べた餅。この2年あまり、体のリホームのような時間でした。世代交代を感じながらも、森進一さんのSPレコードに親近感を覚えていました。森進一コンサートに若かった時、叔母と聞きに出かけたことがありました。手作りの赤いロングドレスをはかせた人形と手紙を持って行きました。コンサート会場で、当時はプレゼントを手渡しが出来ました。しかし、手渡ししたのは、一緒に行った叔母でした。じれったいとばかりに、私の代わりになんと壇上の下まで行きおまけに握手までして来ました。叔母の嬉しそうなお顔。今でも忘れられないことです。その時、すでにC型肝炎になっていたなんて微塵も気づきませんでした。副作用のある治療を乗り越えてあのかすれ声で歌っている姿から、今叔父の末期の介護をしている叔母がもし、見ていたなら気持ちが少しでも軽くなっているかなと思いをはせていました。
2009.01.10
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穏やかな新しい年が明けました。庭には雀や四十カラ、コゲラ、ひよどりが元気に餌台に来ています。何年か前には、雀が一羽も飛んで来ない年が2~3年ほどありました。また、今年になって賑やかに来ています。去年の暮れにどっさりと、降り積もった雪も暖気でカサが落ちているようです。昨日の道路がそろばん道路でした。どこに車輪が行くのか余裕を持って走らねばなりませんでした。道路を走る振動が我が家まで伝わってきていました。今朝、早くきた除雪車が家の前に掻いて行った雪をママさんダンプで片付けました。こうして、元旦が始まりました。2年前は記憶がはっきりしません。1年前はやっと哀しみがきていました。今年は静かに二人でささやかに料理を夕べに作り10時近くにゆっくりお屠蘇から始めました。酒呑みの人や若い人がいないので実にシンプルなものです。料理の品も変化しました。遠くに飛行機のエンジンが聞こえてきます。息子たちはお嫁さんの国へお里帰り中です。ミニ結婚式場で向こうのお父さんから400名ぐらい呼んで披露宴のお話が出て戸惑いました。また、向こうへの旅費や雑費、そして、何よりもその気持ちに添えないこちらの思いとがありました。こちらはふたり。あちらは400名です。まだ、向こうの習慣に合わせる気力がありませんでした。息子にそのことを伝えた時、がっかりしていました。息子はお嫁さんの家でどのように説明したのでしょうか。息子が自分の立場を理解して事に当たる・・・まだ年若いのですがいつか理解してもらえるかなと期待しています。冷たいと思われるかも知れませんが、私はして上げられる事しかできないのが現実です。まず、第1のレッスンです。忍耐と共感が試されるときです。何もない年などありません。暮れの深夜にアジアの子供たちのドキュメンタリーをテレビで思わず見てしまいました。貧しいけれど、障害はあるけれどこの地球で生きている。信じられないほど生き生きと暮らす姿がありました。優しさがありました。私にとって、年末のプレゼントのようでした。
2009.01.01
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