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まだ、クーラーがいりません。室温26度です。部屋には風が静かに流れています。昨日、きょうと晴れです。風に揺れている洗濯ものを生活の一部に感じています。猫たちもいちばん好きな場所を選んで昼寝しています。娘ときのう久しぶりに日曜礼拝をお休みして田舎ドライブを。風は爽やかに高原を流れ木はどの木ものびのび。レストランからふたりで知らない家族づれを見ていました。近場で疲れを癒しているような姿をみているとこちらも在りし日を懐かしみ、そして現実を見つめるきっかけになりました。どこまでもどこまでも真っ直ぐに伸びて行く道路は眠くなりました。広い田園風景はこころまでゆったりしてきました。たまの気分転換になりました。早めに帰宅したなら義父から電話がありました。ズボンを汚してしまい替えが見つからないとパニックになっていました。周りにいた共同生活の女性の方々に指摘されたのがショックのようでした。また、取り敢えずあるはずだから捜して見るように伝えました。車の疲れを取ってから、夫の残しておいたズボンを短くして届けに行きました。義父は替えを見つけてズボンを着ていました。汚れ物が洗面所に山になっていました。心細かったのかも知れません。義母は今日検査の結果報告のために病院です。お互いに高齢同士でままになりません。子供達も定年まじか族で体もそれなりです。中々両親の思いを全て受け止めることがむずかしいです。そんなことを思うと夫は寂しさを残したけれど私を早く卒業させてくれたのかしら? と複雑です。出来ることをする。それしか言えないけれど、やはり出来ることで良しです。当事者の義父の寂しさに割り切ってお付き合いしています。娘が「おじいちゃんの話に付き合ってあげたならいいんだよね」と言ってくれたのが慰めになりました。病院でも要求することが多い患者サイドですが介護をして良かったことがあります。無理をどうしてもしちゃうことが多いからしてもらったなら、当たり前だと思わないことです。今の制度は問題がありますが、家族が関わっていかなければならないことも現実です。夫が逝ってその後の暮らしの変化です。一人になる人も多くいるけれど、高齢で頑張っている人たちも今日も生きています。平凡に暮らすことの感謝を思っています。
2009.06.29
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朝食準備中に今朝4時頃、マイケル・ジャクソンが亡くなったというニュースが聞こえて来ました。信じられないと思いながらそのままにして、いつもの暮らしがゆるやかに流れていきます。外国語の方も初級が中盤を過ぎようとしています。晴れから曇り、処によって雨で、臨時ニュースでは竜巻注意報が入って来ました。注意と言われても現地はたいへんでしょう。ここなら屋根が飛ばないことを祈るしかありません。やはり、マイケルの死が本当でした。「スマイル」の静かな歌い方にしんみり聞かされてしまいました。彼をよくは知りませんが、ラジオの解説は良いところをピックアップしていました。彼を偲ぶにぴったりな空間を考えた優しい配慮が感じられました。最期に聞かされる言葉で「いやー、ひどい人だった」と聞くぐらい哀しい言葉はありませんから。どんなにひどい人でも、お葬式の日ぐらいは哀しみに浸らせてと思います。義父からきのう急に暑くなったから夏服が欲しいと電話がありました。去年のがあると思い、探して見てから電話をと伝えました。その後で、近くの店で手ごろの半袖があり早速買い講座の帰りに連絡してホームまで。義父は喜んで「新しいのを着たかったんだ」と。私だって、1枚ぐらいは新しいのを着ると気分が変わります。高齢の義父もおんなじでした。義父は「もう帰るのか」と。まだ、義父の思いを聞けるほど私自身に余裕がありません。実の親だと思ってと出してくれた母の言葉どおりには行きません。「この辺でOKしてね。」と亡き夫に語りかけています。若くして逝ったマイケルも高齢の義父も同じ命です。そして、抜け殻のような私も。命のことをふと思わされたマイケルの人生でした。冥福をこの部屋から祈ります。フアンではなかったけれど知っている記憶の人として冥福を祈ります。
2009.06.26
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雨と風と陽射しのお天気です。まるで梅雨のようです。夕べのテレビから「ぼくの妹」のオダギリジョーの演技に興味があってついつい見ました。兄弟関係に疑問を持ち、実際には体験出来ないからシンディラ物語みたいに夢でもいいからこんな兄弟がいてもいいかなと。千原ジュニアの演技、お笑い芸人は演技上手と聞いていましたがまた、違ったジャンルを見せられて新鮮でした。俳優のようになれ、人生はドラマ、自分が主人公。演技者になれ・・。よく聞かされてきた会話です。主人公でも時には脇役に回りたいときもありましたが。考えて見れば、自然に演技してきたような。良くても悪くても。楽しんでいたかも。楽しんでいるうちはまだ余裕があったかもしれません。人生の先輩は明るく笑って女優にならなければ駄目よと言っていました。(はい、はい)周りを見回せば、我慢して静かにしているひとが一般的では?連れ合いがなくなって、冷めたこころで見るようになっていて感動は何処に忘れちゃったのかな?娘は明るく若々しくを求められているようです。若いのに冷めて見るくせがついたというのを聞くと演技でも明るく行くかなと思うこともあります。しかし、いつでもどんな時も自然に思うがままにでしたから、そのリズムはそのままでしょう。大切な肉親を失ってからも現実は流れています。どこにもあるありふれた現実のひとつです。様々な移り変わりから少しづつ私達家族も歩んで行きます。感動するってやっぱりいいですね。恋の場合、盲目と言われますが、何か微笑ましくさえ。現実の前の前菜のような。何も怖くない。見えていないから。前菜の感動を見る時間のない今日の若い人、感動は若い人に与えられた特権のように思います。臆病は若い人には縁ないほうがいいのかも。私の場合はすっきりして飄々と、し過ぎています。その隙間を埋めるべく、「60歳のラブレター」でジーンを貰っています。夢・・どんなに小さくとも誰にも大切なものですね。年を加えても夢を持たなければとても息苦しい感じですから。命のエッセンスのようなものです。そして、夢が大きすぎて潰されそうというのも無くなりました。現実が見えてきているからです。プチハッピーの情報です。1ヵ月後に皆既日食があるそうです。20代に見たあの日食がまた、見られるのでしょうか。確かあの日は、昼頃だったような。明るいのに少しづつ、フィルターをかけたように景色が薄茶色の見たこともない景色の色でした。自分も自然の今の時に生きているって感動していました。また、見たいものです。46年ぶりとか。きょうのような天気でないことを願って感動を見たいものです。
2009.06.22
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風が吹き荒れています。家の中でラジオを聞きながら書道の締め切りに向けています。嫌いならのんびりマイペースで来られなかったでしょう。感謝です。亡くなった父は木彫りで枕を作っていました。家のまわりは自然がいっぱいだったので川魚やどじょうを取りに行き、山歩きもしてきのこ汁をご馳走になりました。孫とカブトムシ取りにも喜んでいました。いものこ汁にどじょう汁、さんまのすり身を作ってもらいました。さて、私は帰省した子に父の様に、特別の料理はありません。スピード料理と苦肉の料理(冷蔵庫にあるもので)がレパートりーです。東京の息子に電話をしましたが留守電でした。折り返し電話があるのですが、今回はありません。巣立った息子です。感謝なのです。していることは、自分をもてあましている私です。生きている証しを遠くに探さないで傍に手にある、こころにあるものを探しましょう。「チルチルミチル・・・青い鳥」です。飽きることなく、風が強く吹き荒れています。ストーブをつけるには無駄遣いみたいです。「嵐が丘」の最初の頃のシーンのような景色です。こんな風の日にお墓参りしている人がいるでしょうか?墓石が風にあたっているのを想像しています。農家のひともああ、いい加減にお天とう様欲しいなと困ったさんでした。景気にも影響がこなければと願うばかりです。今年の6月は去年とは違います。クーラーもエコポイントがあたわってもどうなのでしょうか。タートルにカーディガンが心地よい土曜日です。見事に咲いたジャーマンアイリスを部屋に生けて遺影に6月の花を見せています。
2009.06.20
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気温が低いです。寒いくらいです。タートルの服に上着も重ねています。エルニーニョ現象?やる気も今一です。車で大學構内に入って行くと学生の熱気が気持ちがほんのりしてくるようです。だめもとで何となく始めた外国語も新鮮で、共通している言葉があり意外です。文化の違いに躓いていますが、それは棚上げして。語学のためにドラマを見たりしています。でも、シナリオに無理あるんじゃない? も棚あげしています。去年は何となく前向きに歩いていたのに今年はお天気の影響なのか、意識的に動かなければそのままです。義父や義母がだんだんに高齢になっていくのを見ると切なくなります。1年の無情を知らされています。別に寝込んでいるわけではないのですが。若く元気だった頃みんなで公園や食事のお店で会食をしていたこと・・・思い出すとみんながあの時と違ってきているので懐かしくて切なくなります。楽しいことはいつまでも続きません。悲しいことも同じです。ということは知っていても、こころが割り切れないもどかしさがあります。それはそれとして10年以上も通信でやっと初段を前にしています。チンタラ、チンタラやっているだけでそれなりに上がってくるのも不思議気分です。今月は臨書が上がっていて、思いもかけず嬉しくなりました。一人でコツコツもやらないよりはいいみたいです。中級のアイヌ刺繍も1ヵ月だけ申し込みました。何かを探して・・・。街の空気を吸いたくなりました。じっとしているよりはきっといいこともあるはずです。たとえ、小さな世界でもです。遠い友人のことが気になって来ました。この寒さで農作業もたいへんでしょう。彼女の短歌は生活から生まれるものなのでハッとさせられるばかりです。彼女から刺激を受けて、介護生活もどれだけ励まされたことでしょうか。この頃の寒さで気分も今ひとつは私だけでしょうか?
2009.06.19
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ニセアカシアの乳白色の花が満開の季節が来ました。車から見上げる大きな木です。石原裕次郎さんの歌を思い出しながら、車を走らせます。林にある木は自然のままに咲いていて伸び伸びしています。分離帯の木は反対に交通の妨げにならないように旗のように刈り込まれています。同じアカシアの木を見ながら林に自然に咲いているほうがいいなと思っています。帰るところがあるっていいことです。小さな家であってもです。「お帰り」と待ってくれる人がいなくなってもやっぱり私の帰る家です。この小さな家を今日はお掃除でした。きのうの「たけしの本当は気になる家庭の医学」のテレビの影響を受けて重い腰を上げました。埃りもそうですが、カビの舞い上がる映像にはビックリでした。窓を開けて冬のカビを丁寧に掃除し終えて安心しています。珍しく娘や息子の部屋の掃除も簡単に終えて気分がすっきりしています。娘の部屋は合いも変わらずのロマンはありません。娘に作って上げていた手作りの人形たちも片付けました。唯一「リカちゃん人形セット」のみ残しました。息子の部屋のガラス戸を開き、外の空気を入れたなら、飛び立って空(から)になった鳥の巣を思い出しました。使い込んだフランスベッドも型が古くなりました。高校生まではトロトロに使い込んでいた部屋でした。本棚にはいつのまにか娘の本が置かれています。成鳥の息子は今頃仕事でふうふう言っているのかな・・・。気分を切り替えて区役所まで用事です。役所ではこの間手続きをした定額給付金の看板も見えました。高齢になったなら、面倒くさいのではと思っていたので看板を見てなるほどと思いながら階段を下りました。65歳になれば、年金のことで今度は確定申告です。手続きに追われていた頃から中休み状態になりました。申告手続きはいつも億劫になりますが、やれば安心するものです。今日のように掃除をしてから嫌な区役所も案外すんなりゆくものですね。ついでに、お菓子作りが苦手な私ですが聖餐式のパン作りの試作品完成です。味は良かったのですが、舌触りが今ひとつです。一歩前進です。課題が見えたので解決に工夫を入れなければ。思いの他、掃除がスムーズに出来たのでチョコチョコ残しておいた雑事がさばけた日になりました。何となく気分が少し前進です。3月に書くはずだったお礼の手紙一気に書く事が出来ました。掃除効果に有り難うです。やる気が出なかった気分を後押しして貰いました。
2009.06.17
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午後に「ルーキーズ最終章」何となく見ました。先生と生徒の高校におけるドラマでしたが、何となく熱い、燃えてるっていいなと、ドラマを見ながらふーんという思いで、木彫りをしていました。燃えるといえば、今こちらでは18回めの「ヨサコイ・ソーラン」が大通り公園会場でテレビ放送されました。元気で衣装も工夫が凝らされ踊りも独創的なものまであり、プロみたいな演舞になってきています。ゆうべのNHKテレビでの録画を見ながら夢中っていいなと、何処かに置き忘れてしまったような日々を懐かしんでいました。色の薄いこころの色みたいです。仕事をしていた時は色々な問題を様々な方法で紛らす事が出来ました。今は、今日のようなはっきりしないお天気みたいです。自分の出来ることで紛らすしか仕方がありません。外は寒く14度とか。もう少しで完成する木彫りの作品をサクサク彫っています。昨日は、庭の手入れをする近所のご夫婦と他愛もない話などしてこの憂鬱を少し紛らしていました。花はいいです。植物から生命を教わります。結局、この寂しさも夫でなく、私で良かった・・・のかな? 何かをきっかけとして封印したような寂しさが溢れると一日がやれやれです。若い時は、出来るだけ一人を避けていました。今は違います。自然に委ねるがいいようです。改めて母子家庭、父子家庭の残された家族の形を想像しています。思いを馳せて、勇気と希望を捨ててはいけないわとつぶやいています。それでも、人生は面白いと思える日がいつか来ますようにと。そして、希望は大切な生きる支えです。こうして、書いている内に自然に気持ちが整理されていくのが少し実感できます。空巣症候群というか、目的を見失いそうになっていた自分の弱さを認めて、少しづつ前進です。息子達や娘も頑張っています。何とか2年間過ぎました。色々なことが、少しづつ落ち着き緊張の糸が緩んで来ています。考えて見れば今が一番いいのだよと思う方がベターなのかも知れません。障害者になった夫のために改築したお風呂もこころの痛みが少しだけ薄らいで来ました。夫の麻痺の真似をして両下肢を浮かべ、バランスの不安定さをわざと作り、夫の不自由さを疑似体験してみたお風呂も少しづつ遠くなって行っています。どんなことも遠くなって行く。それが、切なくなる・・・。良くあることと思うには他人事みたいで寂しくなります。障害を受けた夫をお風呂に入れた時息子も、娘も看護士さんも私もいたことを思い出すことがあります。自分でお風呂に入れることは当たりのことですが夫を思い出すとありがたみが解ります。小さなことのようで振り返ればそのことを気付かせてくれたあの瞬間。改めて、そのことを忘れてはいけないと知らされた一日になりました。
2009.06.13
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朝から雨です。ヨサコイソーランの明日は晴れる予報ですが。ラジオで空からおたまじゃくしや魚がペタペタ降って来たと夕方のニュースで聞こえてきました。新聞を今朝、改めて見ると小さくその記事が載っておりました。事実がわかるとなんーだと笑えたらいいですね。意外に意外な事かも知れません。7月からゴミの有料化で残りを少しづつ片付けています。思い出の品々は子供達の歩いていた顔が見えてきそうです。思い切りどんどんゴミ袋に入れたならいいのに一応点検しながら片付けしているので気持ちが後むきに誘われています。思い出の品々は所詮はゴミ? でしょう。手作りの作品は厄介です。こころを鬼? にして片付けようと思いつつ今日はこれでお休みです。ゆうべのNHKの「ためしてガッテン」のスロージョギングを10分間、家の中で始めました。血圧にも糖尿にも問題ないそうです。1日30分でいいとか。体脂肪と体重をどれだけいい感じで減らせるのか。あまり期待せずに、文字どおりにスローで行きたいです。スロージョギングの効果下半身の毛細血管を育てる、前頭葉の重さを増やして判断力、記憶力、意欲を高めるとか。股間節障害で走ること諦めていました。スローなら出来そうです。座ってする趣味の世界なので、期待したいところです。ラジオから、木曜日の日に今日は、命のメッセージが聞こえてきました。今生きている熱い思いが、眩しく聞こえてきます。見たこともない人の心の声を静かに聞いています。
2009.06.11
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6月の気持ちの良い風が小さな庭にも吹いています。剪定した木々もサラサラ揺れています。洗濯物も太陽の光を受けています。3日前に夕方のラジオから20歳の全盲の青年がピアノコンクールで優勝したというニュースが聞こえて来ました。彼の嬉しい顔が朝刊で拝顔できるかとワクワクしていたなら3日めに1面に掲載されました。アメリカで開かれたバン・クライバーン国際ピアノコンクールで日本人で全盲での優勝は始めてのことらしいです。始めての演奏会もオファーがあり、岩手県北上市で6月に演奏会が決まっているそうです。岩手の芸術意識に先を越された気分です。札幌には10月、来札のようです。私はこのような夢のような経験がなかったので、多くは語れません。彼の名前は辻井伸行さんです。ご家族の嬉しさも伝わってきそうです。嬉しいニュースはこちらまで元気を頂いています。感謝です。夢のような時間のテーマでラジオが話しています。私にとって、過ぎた全ての日々が夢の時間でした。そして、これから、歩んで行く日々が夢の時間でしょう。夫を吹く風や陽射しや影に感じるにはちょっと無理です。夢を見させてもらっただけでも感謝しなくてはと思う気持ちもあります。寂しい時は無理しないことが一番です。そのきっかけを叩いてくれるかのように南こうせつさんの「夢の時間」の歌が聞こえてきました。始めて聞く歌でした。なんて優しい歌・・・。詩と曲に思わず動かしていた手を休めました。ボーとしている私に合わせたようにと思いました。どんな時にも夢を持って生きたいと思う人々の思いがいっぱい見えてきそうでした。寂しいのは私だけではないよねと。夫に「おい、おい。俺のせいにするな。」と可哀想かなと。6月の風を静かに窓からみています。介護で揺れていた頃がだんだん遠くなります。夢を見ていたのかと痕跡を探している私にもてあましています。ギガンチュームの玉が5個揺れています。元々の家族にお嫁さんが加わったような気分です。考えても見なかった時間にいます。花からも慰められている昼下がりです。今日からヨサコイソーランが始まりました。同じ風に吹かれながら踊りに汗を流している人たちも雨でなくて良かったでしょう。不況でも、何かに夢中はよいことです。
2009.06.10
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伸びた庭木に小さな毛虫が。花が終わった木から剪定です。毛虫もカットです。青く柔らかな紅葉やマルメロの葉に小さな穴が見えます。取ろうとするとブランコのように毛虫が糸を出してゆらゆら降りてきます。毛虫も生きる術があるんだと感心しながらも殺虫剤の前に手取りです。剪定し終えた庭木はヘアーカットしたように軽く爽やかにすっきりしました。春に伸びた若木は高枝ばさみと植木ばさみでちょき、ちょきと考えていた以上に楽ちんでした。庭木を剪定するとき思い出の木があります。1つがライラックの木なのですが、この木は古くなると横へひょこひょこと若い芽を出して木に成長して行きます。だから、剪定の時はライラックの根元から離れたところに若木が出ていれば根をひっぱって切ります。黙々と機械的に動いていく作業ですが終わると気分がいいですね。夏の暑さにもこれで大丈夫って。介護していた頃は時どき気分転換に出ていた庭でした。今は時間があります。なのに、なんだか機械的で色のないような気分で庭にいます。それでも毛虫をつかまえ、アブラムシに殺虫剤かけたりといつものように作業が出来ることで救われているのかなと思います。何も考えずに、ただ、庭木や花がきれいに咲けるようにそれだけを考えて体が動きます。介護の時も庭の手入れを普通にできれば、何だか乗り切れるそんな気がしたものでした。だた、黙々とした後の庭のきれいさに何となくほっとしている日になりました。剪定した庭木の傍に、夫の好きだったギガンチュームの玉が夏を待つように風に静かに揺れています。庭の手入れの後は、すっきりした木々を見て独り悦にいます。園芸セラピーをされていたのでしょうか。
2009.06.09
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つけ放しにしておいたラジオからベートベンとゲーテのお話が聞こえてきます。ベートベンは恋愛を沢山したそうですが、実ることはなかったそうです。ラインワインが大好きで死の淵に間に合わず、ついたとき「遅かった」と言ったそうです。56歳の若さだったようです。一方、ゲーテは高齢になっていていつものように朝食とラインワインを飲んでやがて倒れて「もっと、光を」と言って亡くなったそうです。どこかできいたようなセリフです。対照的な終わりです。そして、何となく石川啄木の単行本を出して見ています。義父から譲り受けたものです.寂しい歌から、よく書いたものだと感心です。 「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみの中にそを聞きにゆく」この歌から啄木の行動的さが見られます。私の場合は駅の雑踏に行けば、そのまま故郷へ向かう列車に乗りそうで暫らくは駅には近づけませんでした。そのくせ、「ふるさと」や「赤とんぼ」で見事にうるるんです。禁句な歌です。ひとりで聞く歌です。ふるさとは夫と過ごした処だと思うようになっています。今も母がいるところは生まれ育んでくれた大切な処です。どちらも比べられない処になっています。こうして家にいて先人の人生から本や音楽に触れるのも悪くありません。お昼頃に地震がありましたが、学内で学生に混じり仲間と揺れがおさまるのを見ていました。お仲間は残してきた家族の心配でした。私は口には出しませんでしたが猫ちゃん達でした。(レベル、どうしたの?)学内にでると林からセミの声が聞こえて来ました。そろそろ、ライラックも終わりヨサコイソーランが始まります。今の私は遠くでセミのように音を聞いているでしょう。あの稚内南中ソーランが強烈的で参加再開したなら、リピーターになって観戦したいなと思うほどですが。素朴で生き生きした先人の暮らしが伝わってくる踊りだったからです。短い夏がそこまで来ています。夫のいない夏がここにも来ています。
2009.06.05
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猫が高齢になってだんだん体に問題が出て来ています。2,3日前から鼻づまりが酷く呼吸が苦しそうでした。づーと昔、祖父が喘息でした。それを思い出しておりました。悪い事を考えるのは止めようと思いながらも、何か気持ちが前に行かない日になっていました。気持ちに引っかかる事があると、弱いものです。知り合いの家で止めた車のエンジンを切らずに話をし始めて、そのまま相手の家のドアを向かおうとしました。エンジンを止めていないことにビックリ、そしてがっかりしてしまいました。いくら、猫のことで気がかりだとしてもそれはだめですよ。って苦笑を越して、気をつけようと気持ちを切り替えました。そして、今朝猫をつれて病院へ。レントゲンでの結果は肺の心配はなく、鼻が原因と診断されました。小さな体なので呼吸の荒いのが大きく聞こえてきます。抗生剤と目薬を出してもらい帰路につきました。慌しく木彫り教室へ向かう途中で目に映ってきた文字を見るとなんとデジタルの時計の数字です。デジタルではなく、アナログの好きな私が今日は何の障りもなくすんなりと時間の数字が頭に入りました。何と1時間も早く家を出たのでした。いつもある本もありません。いつも持って歩いていたメモ帳を出して娘と書いた俳句の手直しです。娘の俳句は元気が出てくるような歌でした。 吉報を 携えいざゆかん 父の墓いつ見ても手前味噌ですが感心しています。よく解りやすい表現に感心しています。(あれ・・季語はいずこにありや)そして、私。 春雨に 娘と向かう 墓参り 何と平凡な、そのままじゃないの。と思ってもう1つ加えてみたのが 春雨や 夫眠る墓 山起きるこれも、何かのぱくりのようかって苦笑です。下手の横好きを楽しむことが出来ました。なんて思いながら時間はあれあれというまに。時間がいいところで、駅に向かう途中後から声が。教室のお仲間でした。時間が早すぎた顛末を語りながら駅の階段を下りました。たかが猫のお話で笑いあいましたが、彼女もわんちゃんで看取った話でうるうるんでした。人が聞いたなら笑うかもねと言い合いつつ。話を聞いてくれるだけでいい。そんな日に、時に感謝でした。遠く離れて、家族よりも近い他人と言いますがそれがあったから今日まで歩んでこられたんだなぁとしみじみ思いました。
2009.06.04
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