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年末ジャンボは、 夢やぶれたけど… 今年は実家で年越しを迎えています。 今年もよろしくお願いします!
2008年01月04日
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先週の日曜日、子供のバレエ教室でクリスマスの持ち寄りパーティーがあって、下の息子を連れて3人で出かけた。集合時間まで、少し時間があるからと、駅をうろついていたら、目についてしまった・・・年末ジャンボ宝くじ我が家で一番欲が無く、くじ運がいいのは、だれあろう息子である。迷わず息子に選んでもらい、20枚購入 当たったら、ガンプラきちがいの彼に報酬として1/12スケールのガンプラを買ってあげるつもりです。1/12スケール ガンダム 巨大フィギュア HY2M HYPER HYBRID MODEL 1/12 RX-78-2 ガンダム 店の玄関に飾って、年に一度は彼のために「ガンダムの日」をもうける事を約束をしました。
2007年12月26日
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今朝、厨房に入ろうとしたら、履き物がない。 ピンク色のつっかけ。 娘がいつも私のを無断で履くから、もう一足用意してあったのに、それもない。 下駄箱の下をのぞいてみたり、食器洗浄機の下を見ても、シンクの下にはいつくばって探してみても、ない。 いやな予感がした。 誰の仕業かはだいたい察しがついていた。義父母の下駄箱でにでもつっこまれてしまったと思っていた。取り戻しに行きたかったが、朝っぱらから何か良くないことが起こりそうで、義母の顔は見たくない気がした。それとなく履き物を取り返してもらうよう夫に頼んでみたが、忙しそうで聞いていないみたい。 厨房は水浸しになるし、やはりいつもの履き物がないと不便なので、自分で取り返しに行くことにした。 厨房の勝手口を出て、義父母の玄関まで続く渡り廊下を歩いていると、なにやら、背後のゴミ袋から何か自分を呼ぶような気を感じる・・・・ もしや? いやいや、なんぼあの人でもそんなひどいことするわけないと、 良くない考え方をふりほどいてみても、 どうしても後ろを振り向いてしまった私。 そこには・・・・・・ うそ? 燃えないゴミの袋に無造作に2足のピンク色のつっかけがつっこんである。 なんで? なんで? 人の履き物を、 毎日履いてる履き物を、 自分で買った履き物を、 まだまだはける履き物を 本人にひとことの断りもなく、 代わりの履き物をプレゼントしてくれたわけでもなく、 何の権利があって なんで捨てられる????? 私の履き物がゴミに見えたってかい? あんたにとってゴミに見えたら、他人サマのものでも目にさわったら捨てるわけ? 少なくとも他人の私物に手をかけたら泥棒だろうが? むかむかむかむか~~~~~~~~~~っ。 ゴミ箱から義母に捨てられた履き物を拾い、 厨房で義母とガンとばし合いながらすれ違い、 悔しがりながら、洗剤つけてごしごし洗ってぴかぴかにして、また厨房に置いた。 破れるまで、履いてやる~~~~~~~~~こんちくしょ~~~~~~~ ゴミと間違われないようにぴかぴかに磨いて、下駄箱にしまえばまた捨てられるから、自分の家の下駄箱なのに、大事な履き物は仕舞えない。義母の目につかないところトイレの棚の奥に隠した。 なんで? こんなこと? なんで? 許される? こういうこと、学校で起こると、いじめっていうんじゃないの? 何の権利があって、こんなことするんだ?!と思うと、悔しくて情けなくて、朝から私のエネルギーは大ダメージ受けてしまった。 うちでは、義母とのこういう日常が、一緒に住んでいるスタッフさんの目の前で繰り広げられている。 最初は家の恥を他人に見られるのはとてもいやだった。でも、隠しきれないからしょうがない。ありのままを見て、自分の人生の肥やしにしてくれぃと今では思っている。 午前中に、食材の買い出しに、スタッフのT君の運転で出かけた。 私は、車の中で、まだ怒りが収まらず少々機嫌が悪かった。 T君が、ぼそっと言った。T:「おばあちゃん・・・・強烈っすね・・・・世の中で仲のいい嫁姑っているんでしょうか・・・ボクの母親もばあさんとすごく仲悪かったんですよね。」私:「嫁も姑もよっぽど利口でないと、無理だね。お互いに他人に譲れない生き方みたいなものがあって、お互いが踏み込まれたくない領域がある。お互いの自由を保証しながら相手の不可侵領域には踏み込まない、それを徹底して守らない限り平安はあり得ない。これが、嫁姑の仁義ってものよ。いい!?嫁姑には守らなきゃいけない仁義があるのっ。これは、よほど利口な人間でなきゃできない。たいていの人間は出来ないんだから、状況が許される限り別居すべし!これが、私の持論だっ。」T君のお母さんとおばあちゃんは田舎の自宅で美容室をしてるそうだが、いつも2人でやりあっていた、たまに田舎に帰ると母親からよく愚痴を聞かされたと、今朝の私とばあさんの険悪なやりとりの中に、田舎の母と祖母の姿がダブって見えたらしい。で、世の中の嫁姑って・・・と哲学してしまったわけだ。T君。「どうしたら、うまくやっていけるんだろう?片方が我慢したって解決にはならないですよね・・・?うちの母親も一人で我慢してきたのかな?」私「息子には言えないけど、たくさん耐え忍んできたんじゃない?耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んできたに違いない。逃げ場のない一つ屋根の下で、一日中同じフロアでばあさんと向かい合ってきたあんたの母親を思うとあたしゃ、切なくて涙がでるねぇ・・・・でもさ、息子2人ふるさと離れて大学やって一人前にするまで頑張ってくれてるんだろうから、愚痴くらいきいてあげてよね・・・」母親思い、女将さん思いのT君、こくりと頷く。嫁姑の仁義が守られない限り、同居の平和はない。仁義なき戦いは、今日も続く・・・・【送料無料選択可!】新・仁義なき戦い。 / 邦画
2007年12月11日
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今日は思い切り愚痴。 うちの美食家の義父。 こまったお人である。 3年くらい前からガン、肝硬変、食道静脈瘤を手術、腎臓も弱っている。糖尿病と、合併症のオンパレード。食事制限もきつく、蛋白質、塩分、糖質、油に糖分も厳しく制限された食事療法をきっちり守らないといけないと言われるお人である。 いまでは、排尿便も入浴も介助なしではいられない。 特に蛋白質の摂取には特に注意が必要で、便秘にも注意を払わなくてはならない。体内のアンモニア濃度も重要で、血中のアンモニア濃度が高くなると脳症を起こして突然認知症のようになってしまう。 だから、家族の努力は涙ぐましいものがある。栄養成分表とにらめっこで野菜中心の食事を作り、食事の一切を記録し、訪問看護師に見せて病気がこれ以上悪くならないよう努力している。 だのに、食事療法が守れないのだ。 若いスタッフにこっそりとコンビニに買い出しに行かせては、するめやスナック菓子や果物やジュースやヨーグルトやゼリーやプリンを買い込んで、秘密の場所に隠させているらしい。 私たちの部屋に、孫を訪ねるようなふりをして現れては、ドライフルーツをこっそりとっていったり、食事療法なんてクソクラエと思っている様子・・・ 厳しい食事制限をさせようとする奴らは皆敵とでも思っているのか、若いスタッフにお金を渡しては買い物をあれこれたのみ、彼らがとまどうと、「あいつらは、自分の都合しか考えてへんから、自分の体は自分がようわかる。スルメ食うた方がお腹の調子がええんや。おばあちゃんや息子に見つからん様にどこそこの棚に隠しといてくれ。」とか言ってるらしい。 スタッフたちは、一応どう頼まれたのか、ホントに買いに行ってもいいかどうか聞きにくるので、夫がじいさまを諭しにいく。 すると、じさまは、今度は手を変えて、結婚記念日だからとか孫に食わせたいからなどといろいろ理由をつけて、美食を手にしようとする。 で、わしの金やからと、寿司だのウナギだの、ケーキだのまんじゅうだのせんべいだのを手にしてしまうのだ。 食事制限する気がまったく無い。頑張って食事療法を支えようとする人たちに感謝もない。 必死に命を支えようとする人たちに背をむけてばかり。 なんぼ栄養表どおりの食事作ったって、食べなきゃしょうがない。 好き放題に食べ物選ばずこっそり食べているんだもん。 あほらしくなってきた。 いたちごっこじゃ。 正直、そんなに長生きしとうないんかい? 勝手にしなさい。 と、言いたくなる。 いったいこの病人にとって、本当の親孝行とは、残り少ない人生を好きなように満足するようにしてあげることなのか、生きる希望も見いだせ無いほど、食べる楽しみを一切合切とりあげて一日も長く生きていられるよう管理することなのか、正直わからなくなってしまう今日この頃である。
2007年12月06日
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父ちゃんが、出張から帰ってきた。5年前に宿のスタッフとして住み込みで働いていたI君が、一緒に帰ってきた。 調理師免許を持っていたI君は、3年間うちで働いて、2年前に人材派遣会社に就職して携帯電話の半導体工場なんかで働いていたが、その後愛知県で自動車工場で期間従業員として働いていたらしい。 自動車工場は仕事はきついけれど給料はいいみたいで、自分のパソコンを買ったり、外国に旅行したりと自分の趣味もぼちぼち楽しめているようだった。工場だから、仕事の無いときは、宿舎を出なければならない。両親もいない天涯孤独の身なので、帰る場所もなかったのだろう。 今時は、工場勤めも、生産に応じて雇用を調整されるから、しっかり実家のある人じゃないと居場所の確保が大変みたい。 昔は引きこもりがちな青年だったI君も、外で働いてちょっぴりたくましく、朗らかになったみたいだった。 菓子折やら、みかんやら、ケーキやらたくさんのおみやげと、宿舎から引き上げた大量の引っ越し荷物を運び込んで。 寄せ鍋をつつきながら久しぶりに一緒の夕食。 常備菜の切り干し大根やら、漬け物やミカンのならんだ食卓を囲みながら、 「おかずが、たくさんあって、うれしいな・・・」と言っていた。一人暮らしだと、おかずもそうそうたくさんは作らないもんね・・・ 私の漬けたニシン漬けが気に入ったようで、 「今年も、また漬けたんですか?」と聞くから、 「たくさん漬けたから、いっぱい食べてね。」と言うと、 「お袋の味がする・・・」って、つぶやいた。 I君のやさしいお母様は、I君がうちに来た3年前に病気で亡くなっている。 なんか、じーんときちゃった。 うちは、お金にはならないけれど、仕事を手伝ってくれる代わりに、食う寝るところに住むところを提供してあげるから、食うには困らない。2月ころまでうちを手伝いながらい心のリハビリさせて欲しいとのことだった。 ゆっくりリハビリしていくといい。 私も、自分のふるさとみたいに帰って来てくれるのは、なんだかうれしいしね。
2007年12月05日
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任天堂 百人一首 舞扇 木札 続いて、姉の5,6年教室をのぞきに、視聴覚室に入ると、総合学習にクラスのみんなで小倉百人一首のかるた取りに興じていた。 町内で年明けに行われる大会にみんなで出ることを目標にしたらしい。 3人ずつ組になって、かなり白熱した接戦を繰り広げていた。 ところで、 私は北海道生まれの北海道育ちだから、ごく普通に考えていたのだが、本州生まれのお母さんから聞くと、北海道の百人一首かるたは独特のものらしいのである。 北海道の百人一首は、木で出来ている。かるたは、毛筆の書体でしかも万葉仮名なんかを交えて文字が書かれている。 私も子供の頃はお正月といえば、家族や親戚と百人一首を楽しんだものだ。 さて、クラスを見回すと、どの子も恐ろしいくらい集中している。 教科の授業ならふぁ~~とあくびの出るような時間がたっても、みな目をぎらぎらさせて臨んでいる。 うちの娘も、こういったことに関しては、やたらと熱心である。 集中しながらも、かなりハイパーアクティブな脳の状態になっていることが予想できるような状態。 あとで、倒れるかも・・・久々に頭痛が起きるかも・・・ でも、こんなに熱心に取り組むんだから、こんなところで集中の練習もよいかもなんて思ってしまった。 授業の終わりには、子供達が大会に出るぞ、特訓しようと誓い合っていた。 こういう、全体の目標ができていくのも、いいねぇ~。 私もボケ防止にやってみようかな・・・ きっと子供には勝てないだろうな・・ 生き生き取り組む子供達を見ることが出来て、今日は本当に良かった。 いい学校だと思った。
2007年12月04日
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今日は子供達の学校の参観日だった。 子供達の通う学校は、僻地校で複式学級である。 姉は5、6年学級で全員で6人、弟は3,4年学級で全員で6人という小さな小さな学校である。 全校生徒は17名で、教職員は全員で9名いるから、すごくいい環境だと思う。3クラスすべてティームティーチングを行っている。 特別支援教育のモデル校といわれている。 最初に弟の学級を参観する。授業は音楽。指導は教頭先生。発達障害の子を含むこの小さな学級は、見事なチームワークと芸術的な完成度と生き生きした姿で、学芸会ではいつも親たちを感動させ泣かせてくれる。 今日の授業のテーマは、「リコーダー名人になろう」で、とても美しい旋律のメロディーを各自練習して一人づつ発表するところだった。 今、音楽も視聴覚教材が豊富なようで、リコーダーのためカラオケCDがあるのにビックリした。伴奏と主旋律、伴奏のみと子供の状態に応じて使い分けていた。 でも、こんなオーケストラ伴奏をバックにリコーダーを演奏したらとても気持ちよさそう。 4年生はリコーダーもタンギングの息の吹き方も、なかなかサマになっていて貫禄すら感じるが、3年生達はまだ、指の動きがぎこちない感じ。 伴奏をバックにすらすら演奏したい気持ちはあっても指がついていかない状態。ひとりひとり演奏するとき、自信の無い子には、タンギングだけがんばろうと声をかけて、子供に向かい合って教頭先生が立ち、子供の吹いているリコーダーを曲通りに指で押さえながら、向かい合った子供に吹かせた。 向かい合った子供はリコーダーを吹いてはいるが、いわば棒立ちで、正面に向き合った先生がリコーダーを持っている。しかも押さえながら。子供の後ろからなら私でももてると思うが、向かい合っては相当難しい。 1人で吹いたら、全然吹けない子どもも、先生が押さえてくれることで、しっかりタンギングしながら、歌うように主旋律を演奏している。感情こめながら。1人でようやくできるけれど、途中でれろれろになってしまう子は、突っかかった部分だけ先生が一緒にリコーがーを演奏して、助けていた。けれど、曲はあくまでも流れを途切れさせなかった。1人で出来るが自信の無い子には、主旋律付きの伴奏。自信のある子には、主旋律の無い伴奏のみのCDを流しながら。ほんと、一人一人の自信や意欲、状態を見定めながら、本当に1人1人を大切に扱ってくれているのが感じられ、子供達も目をきらきらさせながら、美しいメロディーを奏でていた。どの子もどの子も、同じくらい上手に吹けた。自分の子供時代はこんな支援なんてなかった。ウマイ子は優越感に浸り、演奏のヘタな子はヘタなままさらしもののように、ヘタなまま放り出されていた。だから、自信を奪われて音楽が嫌いになったりした子供もいると思う。子供達の演奏を聴きながら、今は指使いのできない子供も、それに応じた支援を受けることで、上手に演奏でき、自分の力で1曲みごとに歌い上げ、自信を失うことなく音楽って楽しい!と思えるだろうな。う~~~ん。どの子の演奏も、心がこもっていて、時々流れる先生の支援のメロディーと絡みながら私の全身をあったか~~~く包んでくれた。じ~~~んときちゃって。涙腺がゆるんじゃったわ。歳かな・・・・?でも、こんな素晴らしい授業を受けられるこの子達はなんて幸せなんだろうと思ってしまった。(後半へつづく。)
2007年12月04日
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今日は、子供達の通う小学校でそば打ち体験があった。 子供達が農家の方から指導してもらいながら、畑の一部を使って実際に種をまいて育てた蕎麦の実が製粉所からそば粉になって帰ってきた。 地域の蕎麦打ち名人や蕎麦打ちの得意な父兄、農協の関係者の方などの指導を受けながら、各自練り、のし、切りの作業まで体験させていただいた。 自分で打った蕎麦は、一部をみんなで暖かい蕎麦、冷たい蕎麦、蕎麦団子やそばかりんとうなどにしてお昼にみんなで試食。 コシがあって、香り豊かなおそばを堪能してきた。 子供達にとっても、自分が育てたおそばだから、格別の思いだっただろうと思う。 これぞ食育というところか。 昨年も、学校で蕎麦打ち体験があったが、好評で、今年は育てるところから体験させていただいたが、今年はみんな思いのほか、上達していたので、指導者の方々も目を細めて喜んでくださった。 毎年、こうした体験を繰り返していけば、この地域の子供達は当たり前に蕎麦打ちの出来る大人になるのじゃないかしら・・・ 打ち立てのおそばも美味しかったけれど、おそばの切り落としで作ったお菓子がとっても美味しかった。 素朴で、どこか懐かしい味。 蕎麦打ちの道具が欲しいなぁと思ってしまったが、ひとそろいで5~6万円もするらしい。ちょっと、勇気のいる金額。 しばらくは、体験のみにとどまりそう・・・ 子供達、家に帰ってきたら、おじいちゃんおばあちゃんに、「最初から最後まで自分一人で作ったおそばだよ~」と言って誇らしげにお裾分けしていた。 じじばばもうれしそうだった。 こういうふれあいも、いいもんだね・・・
2007年12月02日
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今日は、午前中に来客あり。昔住み込みスタッフだったM君。昔お客様だったA子ちゃんと結婚してついに念願の北海道移住を果たし、ついにベビーちゃんにも恵まれて、顔を見せに来てくれた。 ばあちゃんとM君と3人でお茶を飲みながら、おしゃべりしているうちにお昼になったので、特製鶏がゆ(絶品なのだ)を作って一緒に食べていたら・・・・(娘)(窓の方を指さし)「あれって、ひび割れだよね?」(私)「うん、そうだね・・・・ぎょえ~~~~割れてるぅ?」 なんで? どして? あんな丈夫な窓に何があたったっていうのよ!! 食堂の南側の窓ガラスに蜘蛛の巣が広がったようなひび割れを発見! 三角形の木製サッシ、はめ殺しの窓。しかも、地上3メートルくらいの上の部分。 数日前まで、父ちゃんが出張に行く前には、あんなの無かった。 でもでも、食堂に面しているのは広大な原野。 石つぶて飛ばして走る自動車は通らない。 草だって枯れきっているから草刈りで石をとばしたこともないし。 ボール投げする子供の姿だってない。 小鳥が当たったってびくともする訳がない。 いん石でも落ちてきたか? この木製サッシのこの窓硝子は特注の強化ガラスで、三重構造で結露知らずの優秀な窓だったはず。 三角形の底辺近くの一点から放射状のひび割れ。 なぜなんだぁ?かつてガラス保険に入ろうかと思ったのに、掛け金のあまりの高額さに断念したことがあるが、これって修理したら一体いくらかかるんだ?! 旦那の出張先に写メールと電話。ただちに東京の設計士に連絡をとったら、外部から窓の一部に何かとんでもない力がかかったのでは?とのことで、ま、実物見てないからどうとでも言えるのだけど、ひょっとしたら最近近所にちらほら見られるハンターの流れ弾では?という憶測まで飛び交った。 最近近所にとてつもなくマナーの悪いハンターが近所をうろつくので、以前警察に相談したばかりだった。だって、子供の下校時間、数百メートル先を子供が歩いてるのに、農道に面した牧草地の真ん中に立っている鹿めがけてライフルぶっぱなしたり、国道脇や、農道に車を止めて車の窓からライフルぶっ放すハンターを家の周りで見かけたことがあったから。ハンター見かけたらつい神経過敏になっちゃう。最近流れ弾もどこからとんでくるかわからないから、かなわない。森に面した道路を走行中の車に流れ弾が貫通って話をこの間パーマ屋さんで聞いたし・・・ まあ、旦那は家にいないし、とりあえず弾丸かどうか、警察呼んで検証してもらった。 とりあえず、弾のあとみたいなものは見つからず、きっと自然現象でしょうということになり、ひとまずほっと一安心だったのだけれど。 警察の方々、お騒がせしてごめんなさい・・・ 原因不明だ。本格的な冬が始まる前に、直さなくては・・・・ トラブルが続くなぁ・・・
2007年12月01日
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家族の顔写真を入れて、それぞれの近況を添え書きし、カラフルに「謹賀新年」と印字された我が家の年賀状印刷が完了した。宛名印刷もすませ、あとは、出すだけ。やっほー。(私)「ばんざ~~~い!! できた~~~~~」(娘)「来年てさ、2008年だよね?」(私)「そうだけど、?」(娘)「たいへんだぁ。二〇〇七って印刷されてるよぉ!」 (私)「うっそぉ!・・・・・・・・」絶句。よく見ると、印刷された黒い文字の下に薄い緑色に地模様として印刷された大きな太い二〇〇七の文字・・・・どうしよう。全部、刷っちまったぜ。どぉしよう・・・・考え中。
2007年11月30日
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息子の空手仲間のお母様から、絞りたての牛乳を分けていただいた。その量な、なんと4リットルの焼酎の空き瓶にどーーんと入っている。 うれしいけれど、どーやって消費しようか途方にくれている。 ちょうど、常連客のファミリーが宿泊されているので、外遊びから帰ってきたところで、ホットココアをサービスしたら、とても喜んでくれた。さすがに、味は濃厚。 3時のおやつに、先日友人から教えてもらったばかりの、ミルクくず餅を作った。これは、牛乳を気軽に消費できてなかなかすぐれもののおやつだ。 牛乳300ccに、デンプン60グラムと、砂糖80グラムを鍋にあわせて、練り上げ、バットで冷まして、一口大に切ってきな粉をまぶせば出来上がり。 ほんのり甘い、ミルキーなくず餅になる。 今日は、お腹にやさしいオリゴ糖で作ってみたら、甘さ控えめでさらにいい感じ。 黒蜜かけても美味しいそう。 これ、手軽に作れてで美味しいので、お客様や子供の友達が来る時なんかにまた作ろう。 今日の夜ご飯は、牛乳を使って、ミルク煮でもしようっと。 白菜にしようか、ジャガイモにしようか・・・・
2007年11月28日
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【ラック】鹿レバー 50g持ち寄りパーティーで母会仲間の友人が、猟師さんからとどいたばかりのとびきり新鮮な鹿のレバーとハツをお裾分けしてくれた。 ビニールをあけてびっくり!一頭分の肝臓と心臓がごろんと出てきた。 私のよりも大きそう・・・・ いや~、心臓がごろんにはたまげた。 ボールの中で水に浮かんでいるその物体はとても食べ物とは思えず、その健康的な内蔵をしばし見つめ続けた・・・ 白雪姫を殺してその証拠に心臓を差し出すようにと命じられた心優しい家来は、愛らしい白雪姫を殺しきれずに森の中で獣を殺し白雪姫のものと偽ってこんな心臓を差し出したのでした・・・と、とんでもない妄想にふけってしまった。 レバーといっても、まるごと1個の健康的な肝臓と心臓は、レバーとかハツとかというしろものではない。ブラックジャックが人間の体に移植したらまた動きそうな内臓であった。 意を決して包丁を入れる。気分は料理というより解剖か手術である。おずおずと切り身にし、ネットでレシピを探した。 大量の鹿レバーとハツ。刺身で食べられるとは聞いたけど、そんな勇気も出ず、調理。あまりに大量なので、一つはバルサミコ風味の赤ワイン煮、二つ目は甘辛醤油の時雨煮。これは冷凍保存しておくことにしよう。晩のおかずはレバニラ炒めと相成った。 お腹をすかせて待っていた男性スタッフは喜んで食べてくれたけど。 やっぱ、わたしはレバーは苦手だ。 あのもさもさ感とちょっとした臭いがどうしても気になってしまう。 もうちょっと、おしゃれなジビエレシピはないかいな・・・? レバーペーストとか研究してみようかしら・・・
2007年11月27日
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昨日は、母親の会で恒例の持ち寄りホームパーティーを我が家で開いた。もう、7回目になるかな?毎年、宿もオフシーズンを迎えたこの季節に開いている。このパーティーは自閉症やADHD、アスペルガーなど軽度発達障害児者の親子の相互交流と親睦のためにはじめられた。 発達障害の子を持つ母親って、子連れで外食をゆっくり楽しんだことがない事が多いから、お互いに理解しあった者どうし集まって、子供達も一緒に遊んで、親たちも一緒に食事とおしゃべりを楽しもうと始まったのだった。 年間イベントの中でも人気が高く、この日ばかりは、外部の人も健常な子を持つ母親も、希望があれば参加できるので、隣町から参加する家族もぼちぼち増えてきた。 たまたま名古屋から来ていた常連客一家も飛び入り参加してくれた。 自閉症、ADHD、アスペ、場面緘黙、難聴、健常児、赤ちゃん、みんな一緒に遊んで、食べて、おしゃべりして、楽しい時を過ごす。親たちも、1年に1度、お互いの子供達の成長に目を細め合う。ホント、親も子もみんなみんな成長して、仲良くなって再会を喜び合って、楽しいひとときを過ごす。 それぞれ料理を持ち寄って、お料理の話題、子供の進路の話題、悩み、母親たちも思い思いに交流を楽しむ。 子供達も、健常児も障害児も思い思いに遊ぶ。年長の子は年少の子をリードしたり、けんかの仲裁をしたり、世話好きな子は小さい子が危なくないように守ったり、一緒にお絵かきしたり、パソコンしたりして楽しんでいた。7年前は、幼児さんばかりで、なにがなんだかわからないくらいめちゃくちゃだったけど、今はもう子供同士もお互いをよく理解しあい、仲良く何の問題もなく過ごせるようになった。母親達は子供達の和を信頼しきって安心して食事やおしゃべりを楽しめるようになった。楽になったね~・・・いや~~、ほんと。 私の今年の料理はデンプンを使ったミルクくず餅とじゃがいもニョッキ。じゃがいもニョッキは、キタアカリと道内産のハルユタカを使って、子供達の好きなトマトソースであえてみた。薄力粉で作るとふんわりふにゃっとするけれど、強力粉を入れることで、心地よい歯ごたえが生まれた。 デザートには、じゃがいもでんぷんのミルクくず餅。友人に教えてもらったのだが、食感と甘さはわらび餅のよう・・・でも、しっかり濃厚なミルクの味が際だって、とっても美味しいと大好評だった。 そのほかに、友人達が持ってきた手作りパン、フレンチドッグ、フライドポテト、焼きリンゴ、プリン、手作り人形焼き、ピザ、漬け物、果物、お菓子などがずらりとならび、子供も大人もお腹いっぱい食べ、幸せいっぱいの時を過ごせた。 7年前は幼児ばかりだったが、今はもう大きな子は高校生。うちの子も小学校高学年。参加者達のこどももが大きくなるにつれ、母親達の関心も、子育ての悩みから将来の進路へと移り変わってきている。 1年に一度のこのパーティー、せめて10年は続けたいな~・・・・
2007年11月26日
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ネットで韓国食品を取り寄せてみた。買ったのは、インスタントのカップトッポギ、韓国春雨、ザクロ茶、カリン茶、ゆず茶、カップのお粥数種。春雨は、大好きなチャプチェに使うつもり。お茶は、ゆず茶以外のお茶を楽しむため買ってみた。コーヒーばっかりもなんだし。味付けお粥もちょっと興味があって、購入。でも、一番欲しかったアワビがゆが手に入らず残念。まずは、即席トッポギをおやつに食べてみる。インスタントラーメンのように、小さめの器に入っている。早速ビニールを取り除いて中を見ると、袋に入ったトックと、味噌、紙切れが出てきた。ど~やって、たべるのかなぁ・・・だいたいの察しはつくものの、食べ方がわからない。全部、韓国語で書いてあるんだもん・・・英語の説明文載せてよ~~・・・ネットで日本語の説明をやっと見つけた。味噌をかけて、水50ccを注ぎ、かき混ぜて、レンジ700ワットで3分加熱。再度よくかき混ぜてから食す。たったこれだけの事なんだけど、知らないで作るのは不安だったし・・・食べた感じは、甘辛味噌の味はバランスがいいけど、辛さは結構強烈だった。眠たい午後に、ぱっちりと目が覚めるような辛さのパンチ。こんな辛いモン、むこうの子供は食うんか?ちょっと、ビックリした。顔がカ~っと熱くなってくるような辛さ。冬の北海道にはいいかもね。これくらいカプサイシンとらないと、やせないのかな?確かに、あちらに太めの人は少ないもんね。トッポギの味噌って、日本の味噌おでんの味噌の激辛バージョンって感じだから、味噌だれに合う物、こんにゃくとか、ゆで卵とか、さつまあげとか、いためたキャベツとお肉なんか入れたら、ボリュームアップだわね。なんだか、癖になりそうなお味だったわ。次回は、味噌おでん風に食べてみよう!!【旨い!辛い!たまらない!】トッポッキ!辛さでやせる?カップスタイル、超簡単電子レンジで2分30秒
2007年11月18日
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7日釧路を皮切りにスタートした、キエフ・バレエの2007日本公演。初日の舞台を見に行ってきました。だいたいこっち方面に住んでる人間にとって、本格的なバレエ公演、しかもロシアバレエのプロが演じる全幕物の公演なんて、本当に今まで縁がなかったので貴重な舞台鑑賞です。私の住む地域からも、町の教育委員会が芸術鑑賞バスなるものを用意してくれて、はじめてバレエを見に行く親子づれや農家のおばちゃんたちでわいわい遠足バスのような盛り上がり。このバスは本当にありがたかったです。だって、公共交通機関を利用すると、まともに親子で4800円もかかてしまうどころか、終電に間に合わなければ、さらにホテル代までかかるところだったのだから、無料の町バスが走ってくれて感謝感激でした。オーケストラも生演奏。娘も生オーケストラの公演ははじめてです。開演前は物珍しそうに、オーケストラピットにはりついて見学していました。幕が上がると、本格的な舞台装置。森や湖、お城などの風景が巧みに表現されているのも、豪華絢爛な衣装も、手足のすらりと長~いバレエダンサー達も、なにもかも新鮮な驚きです。一糸乱れぬコールドの美しさ、ウクライナバレエの若々しいフレッシュなダンサーたち。初々しくも、見事なテクニックで観客を魅了してくれました。当日のキャストがはっきり誰それと表示されてはいなかったのですが、パンフレットと見比べてみると、主役はエレーナ・フィリピエワが白鳥を、王子はセルギイ・シドルスキーが演じていたようです。ウクライナのダンサーについては詳しくないので、多分というところですが。悪魔は、すごいジャンプ力で足に何かしかけがあるんじゃないの?と思ってしまうくらいの跳躍力で楽しませてくれました。メイクが濃かったのではっきりとはしませんが、あのかわいらしい顔立ちは、どうも、ヴィクトル・イシュクというダンサーのようでした。悪魔が可愛い!!可愛すぎる!!王子の方が地味に見えた・・・パンフレットには、ゲスト・ソリストとして、イーゴリ・コルプがでかでかと紹介されていましたが、あの王子はコルプではなかったような気がします。はっきりしないけど・・・日本人ダンサーの女性が、頑張っていました。田北志のぶさん。立派にソリストとして演じられていました。会場には、バレエ教室関係者が多く来ていましたが、そのせいでしょうか・・・ダンサーがハイテクニックを見せるたびたくさん拍手を送っていました。幕が進むたびに、拍手の盛り上がりも、ダンサー達のテンションも、ぐぐっと盛り上がって、舞台が終わる頃には会場が熱気と感動に包まれて大きく一つになったような気がします。テレビでは絶対に得られない、観客と出演者たちの心の交流が感じられて、ぞくぞくっと来ました。娘は「拍手しすぎて、手のひらがかゆい~」といいながら、身を乗り出して見ていました。全幕、2時間30分はあったでしょうか・・・うちの娘が少しも飽きなかったのが、驚きでした。会場の子供達も少しも飽きることなく感動して見入っていたので、本当にいい芸術に触れることは、子供達にとっても生涯心に残る思い出になるのだろうなぁと、感慨もひとしおでした。バレエ教室のお姉さん方も感心してましたが、出演ダンサーの靴音が全く聞こえなかったことは、とても見事でした。ポアントはいて跳躍しても、男性ソリストが驚くくらい高いジャンプを見せても、どのダンサーも猫のように、ひたっと着地していたのが凄かったです。もうすぐ、くるみわり人形の季節ですよね。また、こんな立派なバレエ公演が見たいです。チャイコフスキー: バレエ 白鳥の湖 全3幕(DVD) ◆20%OFF!
2007年11月13日
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父ちゃんとスタッフたちは明日帰ってくるから、静かな夕べは今日でおしまい。今日も子供のリクエスト料理。なにが食べたいかと聞くと、生協で買ったベーグルとニョッキが食べたいとのこと。 冷蔵庫で出番をまっていた、とっておきの水煮とまとの瓶を苦労して開けた。これは、富良野で宿やってる知人から分けていただいた激うまトマトの水煮なのだ。トマトソースはなんといっても手作りが好き。自分の好きな味にできるから。タマネギをとことんとことん炒めてできたトマトソースは激うまでした。これをニョッキにからめて・・・イタリアのパスタチャンピオンのレシピで作ったニョッキというものなんだけど、前に自分で作った時はどのレシピでも、ふわふわ~ほにょっとしてた。これは、なかなかの歯ごたえだ。むちむちともちっぽい食感。娘曰く「イタリアのトッポッキみたい・・・」たしかに、むちむち感は韓国のトックのような感じかも。昨日のアップルパイのリンゴのコンポートがたっぷり余っていたので、煮汁ごとヨーグルトに入れたら、なんだか、コンビニで売ってる「リンゴヨーグルト」みたいになって美味しかった。今日届いた生協のチルド品でハム&チーズ入りベーグルが届いたので、さっとトーストした。もう一品はやはり生協で調達した、大豆タンパクの唐揚げ。その名は「まめからくん」食べた感じは、まるで鶏の唐揚げみたい。トマトソースとの相性も良し。なんだか、気がついたら、生協ばっかりじゃん。生協ディッシュだわ。かくして今日も、宿のだだっ広い食堂にスポットあてて、カフェ気分でおしゃべりしながらゆっくり夕食を子供達と楽しんだのでした。天然酵母と国産小麦のベーグル 全粒粉 ポッポのパン
2007年11月12日
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今日は、ホリデー。我が家には私と子供達だけ。夫は、大好きな中島みゆきのコンサートを聞くため札幌にはるばる出かけていった。スタッフさんも、交通費をうかして都会で遊べるチャンスなのでみんなくっついて出かけた。泊まりがけなので今日と明日は静かな我が家で自分の時間が堪能できる。やっほー♪今日は家がやけにだだっ広い。いつもは8人分のまかない料理をつくっているけど、今日は子供と私の分だけ。小さなお鍋で、ささっと作れてしまう。片付けも簡単。なんだか、開放感でいっぱいな気分。子供達は、家でなにかおいしい物を料理したいらしい。朝から焼きそばのリクエスト。私は朝から、韓ドラが見たい・・・テレビの前から動けないでいると、子供達がキッチンでごそごそしている。ドラマを見終わって、キッチンに行ってみると、にんじんやらタマネギやら、キャベツやらウインナーが刻んで置いてある。麺もほぐしてあり、あとは炒めるだけという状態になっている。ここまでやれるなら、最後まで作ってよね・・・と思いながらも、後は引き受ける。3人分だと、小さいフライパンでいいのね・・・と感慨深い。 レース編みなんかしながら、テレビを見まくり、平和な気分に浸っていると、今度はアップルパイともちもちパンを作るという。まあ、冷蔵庫に紅玉もあるし、冷凍庫にパイシートもあるし、きのうの豚チリ鍋の添え物のレモンも残っていたので、ネットでおいしそうなレシピを探して早速一緒に作る。ちょうどパイシートが4枚入っていたので、アップルパイは2つ焼いて、1つは焼きたてのアツアツにチーズ味のアイスクリームをのっけて食べた。子供達と作ったお味は格別。おいしかった~~~~。もう一つは、よく冷やして食べることにする。アップルパイのフィリングを冷やしている間に、生協で購入した「もちもちパンミックス」でごま入りもちもちパンを作る。これ、とっても便利。卵と牛乳と粉を混ぜてまとめたものを丸めてオーブンで焼けば出来上がり。幼児さんでも作れそうな優れもの。だいすき!もちもちパン冷蔵庫に転がっていたカボチャで子供達の大好きなリゾットを作って、今日のランチはちょっとカフェ風にしてみた。デザートとプチパン付きなのだ。親子でのんびり食堂のテーブルについてカフェ気分に浸った。1年にそう何度もない、こんな休日・・・良き日でした。
2007年11月11日
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ただいま~~~。ホントに久しぶりの日記です。いままで、どこ、ほっつき歩いていたかと言えば・・・・健康オタクの私。シリアルでおなじみケロッグさんの、第2回オールブランマラソンに、参加していたのでした!!90日間、一日1食ただひたすらにオールブランを食べ続け、ケロッグサイトのmyブログを写真つきで更新していくこの企画。90日間分のシリアルをただでいただけるというおいしさに、ついふらふらと食べたこともないのに、「シリアル界の平野レミを目指します!!」なんて強気の意気込みで挑んだら、ランナーに選ばれてしまった。と言うわけで、7月から9月末まで、宿のクソ忙しい時に90日マラソン参加というテーマを背負い込んでしまったのでした。サラダ、ケーキ、お好み焼き、シリアルバー、カレーと、ありとあらゆることにチャレンジできた90日間は忘れられない思い出となりました。ほんっと、楽しかったぁーーー。オールブランて、小麦の外皮だけでできていて、ちょっと食べづらいところもあるんですよね。でも、食物繊維の含有量が1食分で1日に必要な食物繊維の50パーセントもとれるというすぐれもの。他のシリアルのように、甘い味が強くないので、料理の素材として使いやすく、ケーキやマフィン、クッキーなどのお菓子や、お好み焼きなどにすると美味しくいただけちゃうんですよね。詳しくは、ケロッグさんのウェブページを見てみてほしいな。今は第3回オールブランマラソンが展開されていて、おもしろレシピがのぞけます。これはいい。とおもったら、ぽちっとクリックして投票することもできて、応援もできちゃう。なるほど、こんな食べ方があるわけね・・・と感心しちゃいますよ。おもしろいので、おすすめサイトなのだ。私の参加した第2回オールブランマラソンは、もう終わっちゃっていて、私の結果はというと、途中何度かアクシデントがあったりして何度かパスしちゃったので、優勝はできませんでした。結果は3位。でも、真夏の殺人的忙しさの中で、よく完走できたと自分をほめてあげたいです。★税込3150円以上で送料無料★【ポイント最大10倍中 11/14 23:59迄】ケロッグ オールブラン 245gケロッグ オールブラン ブランフレーク プレーン 260g(約4日分) ※訳あり 賞味期限 2007.11★税込3150円以上で送料無料★【ポイント最大10倍中 11/14 23:59迄】オールブラン クリスプ 40g★税込3150円以上で送料無料★【ポイント最大10倍中 11/14 23:59迄】オールブラン シリアル・ビスケット アップル&ハニー 30g私のオールブランマラソン参加をきっかけに、家族やスタッフみんなが、シリアルやドライフルーツにはまったり、ブランフレークやグラノーラなど日常的にいただくようになりました。ほんと、お腹がスッキリするといいことたくさんありますよーーー。ふふふ、ほんじゃね。
2007年11月10日
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夫が誕生日を迎えた。いつもはいい加減に祝っていたけど、今年くらいはささやかにお祝いすることにした。 最近楽天のポイント集めが楽しくなってきたから、ショッピングはもちろん楽天市場で。なにをプレゼントしたかというと・・・以前アルバイトの子が持っていたアウトドア用のサーモマグ。魔法瓶仕立てになっている、ステンレス製のマグカップね。おれも、あーいうの、欲しい・・・と、羨ましそうに見ていたから。これで、自分の家の自動販売機で缶コーヒー買うのが、少しは減るか・・・けっこういい値段がしたけど、さすが、いいものはいい。確かに、缶コーヒーを買う機会は減った。ゆっくり、コーヒーを楽しめる。しばらく、暖かい状態で飲める。ただそれだけなのに、なんだか快適・・・カードも楽天のグリーティングカードで。最初は、かわいいアニメーションか、キレイな花の写真にしようかと思ったのだけど、選んでしまった、ゲーム付きグリーティングカード。その名は「焼き肉亭」肉を1枚ずつ、はしでつまんでジュージュー焼くだけのゲームなのだが、ひっくり返すタイミングや焦がさず焼き上げてクリアするのがなかなか難しい。音の臨場感もさることながら、失敗するごとに、関西弁で「生焼けや!」「焦げとる!」などど、きついつっこみを入れられる。単純なゲームなんだけど、ついつい熱くなってしまう。というもの。 まあ、夫も単純な人だから、けっこう楽しんでジュージュー言わせて遊んでくれていた。 娘が、お昼にサプライズでハンバーグを作ってくれた。星形(ヒトデ?)のハンバーグ。父親のだけ、でっかいハート型でケチャップで誕生日を文字って、「生」と書いてある。 一生懸命考えて、書きやすい字を選んだ訳だが・・・それを見た父親は、「なんで?ナマって書いてあるの?オレのだけ生焼けとか?」と、無神経な質問をぶつけ、娘をむっとさせていたのだった。
2007年05月07日
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GWのちょっと前、子供たちの通う小学校で家庭訪問があった。 学校から帰るなり、息子(小4)がそそくさと厨房に入った。 何をしているかと思ってのぞいてみると、マイフライパンで担任の先生にごちそうするんだといって、卵焼きを作っていた。 先日、ちぎった焼き海苔とチーズを入れて、厚焼き卵を上手に作ってごちそうしてくれたので、褒めちぎったのがうれしかったらしい。 「先生に何かおつまみになるものを用意しなくちゃ。俺が用意するから。まかせて!」と言って、おおはりきりだった。 息子の担任の先生がやってくるころ、テーブルの上には、お皿にどーーんと海苔&チーズ入りの厚焼き卵がつまようじに刺さって並んでいた。 先生にしてみても、びっくりしただろう。 家庭訪問に行ってお茶うけに厚焼き卵がどーんと用意されている家庭はめったにないだろう。 変な母さんだと思われても何なので、一応説明はした。 息子が、学校から帰ってから一生懸命作ったということ。 先生に自慢の卵焼きをごちそうして、普段学校ではなかなか発揮できないいいところを見せたかったんだということ。 先生のことを心から信頼して、自分を受け入れてほしいとアクションしているということ。 先生、うれしそうにひときれほおばって、 「おいしいです。僕が作るより上手だ。」 と言って、もうひときれ食べてくれた。 3月に学校でちょっと不適応を起こして荒れていた息子が、最近はとても調子よくなじんでいる。すかっと男らしくてスポーツマンタイプの今の先生とはウマが合うようでほっとした。 先生とは、息子の苦手とする点や、自閉的傾向として特徴的なところを確認し合い、家庭学習を通して通常の授業に参加できるよう学校と家庭とで情報を共有しながらサポートしていこうと話し合った。 算数と国語(特に漢字)は、絶対的に経験不足なので、苦手意識を克服させるよう、躓きの特徴をとらえて、どこにフィードバックさせてから、現在の授業に参加できるようにしむけるか、家庭学習のやり方などを交えて一緒に案を出し合いながら、話し合った。 宿題は、出したり出さなかったりするよりは、継続的に続けて出してもらった方が本人も続けやすいだろうということで、苦手分野をちょっと易しめのプリントを継続して出してもらうことにした。 宿題を一時的にためても、週末に取り組める分量であることが望ましいこと、週明けにミニテストをするなど小さなゴールを与えてもらうと、モチベーションが高まるんでないかとか、息子にとって必要で、他の子にとっても役に立ちそうな方法について、話合った。 特別支援とはいっても、特別な事をしてもらうために先生にたくさんの残業をしてほしいとは思っていない。 宿題のプリントもどこかのワークブックのコピーでたくさんだ。 先生に望むのは、もっと内面的なことなのだ。 息子がみんなと一緒の教室で楽しく、社会的ルールに則って、学習や遊びに参加しながらいろいろな経験を積んでいく中で、 その子の持てる特徴ゆえに、たびたび起きてしまうちょっとした失敗やひずみを いかにひとつひとつ、ていねいに拾い上げてもらうか。 ともに、感じ、受け入れ、見守ってもらえるか。 そのために、親として、精一杯のことをさせてもらいたい。 どんな小さな問題も、おや?と思ったことがあれば、お互いに意見交換して確認しあっていくことが絶対不可欠なのだ。その上で、必要に応じて専門家の意見を求めて行けばいい。でも、私に言わせれば、専門家よりも身近な人間との暖かい関わりの中で充分に育って行けるだろうと思っている。 どんな問題も、先生一人で抱え込んだり、結論を出したりしてほしくはない。 先生が親としての私の声に耳を傾けてくれさえすれば、いくらでも学校にとって不可解な行動を理解可能にしてみせるし、先生も息子のことで追い詰められることもないだろう。私にしてみても、学校と家庭とで裏腹な行動があれば、一番身近な人間として息子の内面に起きた変化を知るきっかけにもなるだろう。 息子にとって、先生は親以外の絶対的信頼の置ける1人の大人としてあってほしい。先生1人が悩んでみても、長い時間の中では疲弊してしまう。先生には子供たちとたくさん会話してほしい。一緒に遊んでほしい。子供と共にいることを心底楽しんでほしい。特別なプリントなんてなくてもいい。ここからここまでやっとけ、って言われれば、一緒に取り組んでもいい。 とにかく、先生1人に息子のことでは負担に思ってほしくないんだと、自分なりに一生懸命伝えたつもり・・・少々くどかったかもしれないが・・・ 自分や仲間や先生を、好きでいて、信頼できて、一緒にいたい、役に立ちたいと望むことの出来る人間関係を作っていけること。 気が進まなくても、めんどうでも、取り組み続けていったことで得られる充足感。 私が親として学校に望むのはそんなとこ。 お茶を何杯もお変わりしながら、卵焼きつつきながら、そんなこと延々と話し合った家庭訪問だった。
2007年05月05日
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念願の学習机を手に入れて、自分の居城を築きあげた子供たち。部屋も広く、片付けやすくなったせいか、以前よりずっと片付いている子供部屋。自分たちの部屋を、姉弟で片付けているときのこと・・・姉「ねえ、ちょっとティッシュとってきて。」弟「あいよ。」姉「ゴミ箱に手が届かないから、これ捨てて。」弟「あいよ。」姉「冷凍庫にアイス入ってるから、食べよ。あんた、持ってきて。」弟「へえ、ほんと?・・・・はいよ。(と言って2人で食べる。)」姉「ちょっと、そこの紙とって。」 「これ、そこんとこ、入れて。」 「あれして。」 「これして。」 「どうして。」 「こうして。」弟「いいかげんにしろーーーーーっ!!おれは、おれは・・・・」弟「シンデレラじゃないんだ~~~~~~~~~~~っ。(涙)」笑うしかなかった。
2007年04月15日
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子供たちの新学期が始まった。今週は比較的に帰りが早く、友達と遊ぶのにはもってこいだ。宿の方もゴールデンウィークのちょっと前までは休館だから、ちょっとは家庭気分が味わえる。プレハブ小屋のお遊びルームも、機能充実したし、娘は親友の女の子とその妹を家に招いた。近所の牧場の姉妹である。 このお宅とは、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいている。 私が住む地域は、子供が歩いてお互いの家に行ける範囲に家がないし、田舎でも不審者情報が後を絶たないので自転車で行き来するのも心配だし、必ず親が車で送り迎えしてやらないと子供同士遊ぶこともできない。地域があまりに辺鄙なので学童保育もない。でも、地域の人間関係が濃厚なので、遠くの親戚よりも甘えられる。 私たちも、よく子供を預けたり預かったりする。一緒に夕食を食べたり、一緒に温泉に入ったりして、1日預かる。お互い子供を預かるのに、無理はしない。いつもの自然な生活の流れの中で、生活のペースを変えない。だから、保育所時代から今まで続けて来られたんだと思う。 預けた方は、ちょっとだけのんびり自分の時間を確保できるし、子供たちは4人で遊んだり、年齢別に2つに分かれたりして思い思いに楽しく遊ぶ。けんかは全くない。兄弟けんかさえしない。 子供たちにはちょっとしたルールをいくつか与えておいて、そのルールを逸脱しない限り、自由に遊んで良いことにしている。1.どこでどう遊んでもいいから、みんなで協力してちゃんと片付けること。2.スタッフのお兄さんお姉さんの休憩中は、部屋におじゃましないこと。3.お客さんがいるときには、部屋の中か、外か、プレハブ小屋のお遊びルームで遊ぶこと。4.お客さんやスタッフさんには礼儀正しくすること。 ルールを破ったらみんなまとめて叱ったりすることはある。でも、それは保育所時代に1度か2度あっただけ。今は本当に楽だ。 子供が4人集まれば、ちょっとした子供社会になる。 子供は親よりも友達の親の言うことはちゃんと聞くものらしい。いつもは口答えする我が娘も、友達がすんなり受け入れていると、素直になるので、子供を預かった日は怒鳴ったり怒ったりということがなくなり、こちらも楽なのだ。 親に注意されたら、すぐにけんかになるのに、友達にそれはよくないよ、こうしたらいいんじゃない?と指摘されるとちゃんと直そうと努力する。子供の魔力とでも言おうか・・・ そんなこんなで、昨日の夕食はみんなでおでんパーティー。娘の生徒会長就任と、親友の副会長就任をお祝いして、大鍋でドーーンと作ったおでんをわいわい言ってつつきあった。 娘と友達が言った。 「新しいクラスの学級通信の名前が『おでんくん』に決まったんだよ。」 「へー、またどうしてそんな名前になったの?」 「クラスの仲間をおでんの材料に見立てて、いろんな仲間たちがクラスという一つのお鍋の中で一緒に仲良くおいしくなれたらいいねって、それでつけたんだよ。」 「それは、すばらしい考えだね。いい名前だよ。」 子供の発想力ってすばらしい!!! 我が家も、老人を含め、8人から10人の雑居家族を構成しているけど、お互いの世代の違いや考え方の違いからくる騒動は後を絶たない。 子供たちの話を聞きながら、ああ・・・子供たちの方がずっと上手に人間関係を調整する力があるわ、と思ってしまう。 我が家の大人たちも、この子らを少しは見習って、一つ鍋に上手く収まってくれたらどんなにいいことだろう・・・ 今の大人たちは、がんばっても、たわしや草履の入った、闇鍋だったりして・・・ なんだかね・・・ ため息・・・
2007年04月10日
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新学期が始まった。娘は、最高学年に突入。 かわいい新1年生が2人、スクールバスに乗ってくるからと言って、ねぼすけの娘が、一人目覚まし時計で起きた。信じがたい出来事である。 いつもはなかなか起きられないのに、ふとんをひっぺがしても、たたいても、蹴っても起きなかったのに。1年生の世話を焼きたいばかりに、早起きして、6時半には朝食まで済ませていた。 スクールバスは、地区の小学生、中学生、高校生全部を乗せて、小学校、中学校、高校と回ってくれるので、娘たちが乗車するのは、7時。 バスが来る国道までは700メートルくらいある。まっすぐな道なのだが、子供の足で歩くなら、10分から15分かかる。だから、家を出る目安は6時45分。 でも、いつもめいっぱい寝てしまうので、この道を5分くらいで全力疾走していた毎日。へたすると、バスの方が、遠くから走ってくる娘を見つけてしばし待っていてくれたりする。「家をもう2分早く出るんだよ。」と、何回運転手さんに言われたことか・・・どうか、これがいつまでも続きますように・・・ 娘の学校で生徒会の選挙が行われた。 娘が、生徒会長に立候補するという。その横で、僕は書記に立候補すると息子。 娘の対戦相手は、クラスのライバル。なにかというと、いつも競り合うらしい2人だ。 息子の方はというと、相手がクラスのライバルの男子1人と、6年生の女の子だというので、「僕はどうやったって、完敗だね。」と言っていた。 娘は、朝の掃除の時に、1日の命運をかけて、リタリンを飲んだ。 そして、彼女のマニュフェストは・・・ 「私は、学校を明るく楽しい場所にしたいと思います。みんながもっと仲良くなれるよう、みんなを引っ張って、笑顔がいっぱいに広がる学校にしたいです。だから、私に1票入れてください。お願いします。」 だったそうな・・・ 結果は、下級生票を集め、ライバルの女の子に1票差で競り勝ったとのこと。 息子は、6年生には惨敗したけど、ライバルに2票勝っていたというところで、面目を保ったようだ。 が生徒会長ということは、 行事のたびに、会長の挨拶というのがあるわけだから、 また、ひとつ冷や汗の原因が増えたような気がする。 まあ、何がどう出るかわからない子ではあるから、 挨拶代わりに、歌って踊っちゃうかも・・・ 何が、どう転んでも、驚かない自分になろうと自分に言い聞かせる。 なにはともあれ、 これをきっかけに、精神的にぐぐっと成長してほしいなー・・・・ と思ってしまう母なのでした。
2007年04月07日
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新学期には6年生と4年生になる子供たちなのであるが、子供の勉強スペースはいたって簡素。学習机なんて場所をとるし、高いから買っていなかった。 どうしてたかっていうと、ホームセンターで1000円くらいの座卓と、机の両脇にプラスチックの引き出し、机の上には100均のブックエンド。それに、1000円程度の蛍光灯。これで、すませていた。実際これで済んでいた。 常識的な親なら、小学校入学と同時に学習机をかってあげるものだけど、私たち夫婦はあえて買わなかった。 なぜなら、親の私たちの幼少の頃、それぞれに学習机を持っていたけれど、まず、学習机に向かって1人落ち着いて勉強するなんてことはめったになかったから。 どこで、勉強したかというと、家族と一緒のこたつの上だとか、茶の間のテレビの前だとか、台所のお母さんの見える場所だとか、なにせ、人のいるところでなければ勉強道具を広げられなかった寂しんぼうの私たち・・・ そんな私たちの子供が、部屋の片隅に置かれた学習机におとなしく向かっている訳がない。まずは、安い最低限の道具を与えておいてどの程度活用するか、傾向を見てから次の手を考えようと決めた。 案の定、日中ならば、食堂のやわらかな陽のさしこむ広い木のテーブル、冬は2階のこたつの上、夜は茶の間のテーブル、と予想通りに子供たちはさまよった。 小学3年と5年になってから、少しは自分の机に向かうようになった。漫画を書いたり読んだりすることが圧倒的に多くはあったが・・・・ そんな彼らに、勉強スペースをグレードアップしてあげることにした。 でも、学習用机は買うつもりはぜんぜんない私たち。 なにを、与えたかというと、 パソコン用デスク。9800円。 いーーーんだ。これが。 それに、3段のサイドチェストと、その上に3段のデスクトップチェスト。 すんごい収納力。 パソコン用デスクは、棚板が4枚ついていて、上2段にちょいとした本と、飾り物が置ける。コンセントも2口あって、テーブルは学校の教室の机の天板くらい。その下にスライド式の板。足下の棚板にランドセルや絵の具セットなどが置ける。 2人の子供それぞれに持っていた子供用洋服ダンスとおもちゃや本が入っていたカラーボックスを完全にとりはらって、部屋のスペースを広くとることを試みた。 押し入れは扉を完全に取り払い、カーテンをとりつけ、押し入れに大きめのプラスチック引き出しを入れて、子供たちの衣類を全部収納。 カラーボックスのガラクタはいるものといらないものに分けて、必要なものだけ、机の横の引き出しに全部収納。 使用頻度の低い本やおもちゃは、外のプレハブ小屋を遊び小屋にすることにして、タンスとカラーボックスを運びこみ、そこに入れさせた。 ほれぼれするくらい、ゴミが出た。 部屋が広く、明るくなった。 何より、子供たちには、学習机が与えられたことがうれしくて仕方ない。 子供たちが家から出て行っても、私たちがパソコンデスクとして活用できるから、都合が良い。 勉強はかどれば、いいけど・・・・ あー、つかれた・・・・
2007年04月03日
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リバティプリントで、春らしいものなんか、つくりたいな・・・こーんな感じの生地で、LIBERTY タナ・ローンバラのつぼみこんな感じのワンピース作ったら2枚仕立てワンピース娘に似合うかな・・・・もうちょっと、フェミニンなデザインのワンピースの型紙ないかな。
2007年03月31日
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リバティプリントで、春らしいものなんか、つくりたいな・・・こーんな感じの生地で、LIBERTY タナ・ローンバラのつぼみこんな感じのワンピース作ったら2枚仕立てワンピース娘に似合うかな・・・・もうちょっと、フェミニンなデザインのワンピースの型紙ないかな。
2007年03月31日
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雅姫のリバティノート 買っちゃった!! リバティプリントって、存在すら知らなかったが、 二十数年前、とても憧れていた喫茶店を経営するフラワーデザイナーのお姉さんがいて、その人の自然にとけこむようなライフスタイルが雅姫さんとなんだか似ていて、 お姉さんはいつもコットンリネンのピンタックブラウスとお花畑みたいなティアードスカートを小粋に着こなして、 いつも、部屋を花いっぱいにして、おいしいコーヒー入れてくれた。 雅姫さんのリバティプリント談義を読んでいたら、あの憧れだったお姉さんがあまりにもよみがえってきて、胸いっぱいになってしまった。 私にはちょっとかわいすぎるリバティプリントだが、 せめて娘には、上品な小花のリバティプリントのワンピースが似合う清楚な女性になってもらいたいな・・・ と、思い、ただいまリバティプリント研究中。
2007年03月31日
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春は近しといえど、まだ雪に覆われた、北海道の大平原。宿の食事の仕込みやら、仕出しの用意やらで厨房でかけずり回っていたとき、ばあちゃんが、買い物袋に入れたゴミらしきものを見せながら、「おかーちゃん、これ、ほって(捨てて)ええんやろ?」と聞いてきた。見ると、袋の中には、娘の去年買ったばかりで一度も身につけていないピンクの手袋と、バレエの先輩からいただいた、これまたまだ一度も身につけていない手編みのマフラー。マフラーはなぜか、糸が引きちぎられてずたずた・・・ これは・・・たしか、去年の冬の初めに「冬のソナタ」に影響された娘が、雪だるまづくりにはまり、食堂の窓の外に雪だるまを作って、それに自分のジャケットと、一番のお気に入りのマフラーと手袋を着せたものの残骸ではないか。 あの雪だるまは、しばらく宿泊客の目を和ませてくれたのだが、やがて何度も大雪に見舞われながら、雪の山の中に埋もれてしまっていた。 いつか、春になれば、掘り起こせるさと、のんきに構えていたら、最近のぽかぽか陽気でそいつが雪の中から姿をあらわしたらしい。 ばあちゃんの目には、それが、子供の死体に映った。 「どえらいこっちゃ。救出せねば。」 ばあちゃんは必死で掘り起こし、マフラーをごりごりに凍り付いた雪の中から渾身の力を込めてべりりとひっぺがした。それでマフラーはずたぼろに・・・ あと、1週間待てばもうちょっとましな姿で掘り起こせただろうに・・・待てないのよね・・・ 目に入った刺激は、直ちに処置しなければならない悲しいサガ。 お気に入りのグッズが一冬、風雪にさらされるということが、その後自分にどのような影響を及ぼすかなんてことは考え及ばぬ娘・・・ こーなることは、予知できなかった訳ではなかったが、 娘よ。少しは学習できたかな。 雪だるまアイスクリーム
2007年03月28日
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卒業生とそのPTA、退任する先生方を見送る送別会が近所の研修センターで催された。うちの父ちゃんは、及ばずながらPTAの副会長。立場上は主催者だ。毎年、暇だから、夫婦そろって参加するのだが・・・今年に限って忙しい。お馴染みのお客さんが、親戚を連れて我が宿で昼食会を開くという。いつもは、よその仕出し屋さんの料理をのんびりつつくのに、夫は送別会の仕出しの寿司とオードブル38人分の注文まで受けたらしい。うちで、作ることになってしまった。納品は5時半。宿の夕食は6時。懐石料理も用意せねば。ひぇ~~~~~~!!間に合うんか?めっちゃくちゃ、過密スケジュールだぞ。しばらくぶりに早朝から、厨房に缶詰になった。無事にすべて終えたがただでさえ太い足がむくむ・・・ああ・・・でも・・・できあがった料理を見ると思い出す。ダーリンって、板前だったんだナ~ってことを。父ちゃんの寿司&オードブルって、サイコーだわっ。 うちは、宿屋だけど、近所に料理屋がないからと、時々頼まれる仕出し。家で、イベントがあるたびに自分たちが食べるオードブルを作るたび、「これが売れたらな~・・」なんて 冗談で言っていたけれど、冗談で売ってみたら法事やら歓送迎会やら会合やらでときどき注文が入るようになった。あんまり、儲からないけれど、こんな形でよそ者の私たちが地域に役に立てるのってちょっとうれしくもある。 料理人の旦那が、頭を悩ませて献立考えるのも、良い勉強かなーとも思う。けど、それにしても、疲れた。子供たちに、足裏揉んでもらお・・・世界特許のはくだけリフレクソロジーサンダルリゲッタバーネル【ブラック】
2007年03月27日
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小学校の修了式を目前に控えたある日、娘が私に訴えた。「ねぇ、お母さん。卒業式にはお父さんじゃなくてお母さんが来てよ。卒業生を送ることば、私が読むんだから。」「お父さんはPTAの副会長さんだから、来賓席に座って見ててくれるでしょ?お父さんが出席するということは、母さんが家に残って仕事するということなんだな・・・」「お父さんじゃ、やだーーー!」「なんで?」「だって、去年の卒業式ん時、来賓席で居眠りしちゃったんだよ。あたし、恥ずかしかったよー。」「そ、そりゃぁ、恥ずかしいね・・・今年はちゃんと言っとくから。」「言っても無駄だよぉ。誰かの挨拶が始まったら、子守歌になっちゃって1.2の3で寝ちゃうんだから。しかもだよ、すんごくおっきく船こぐんだよっ。自分の頭が落っこちそうになってびっくりして首振りながら目が覚めるんだよ。ステージの上でだよ。信じられる?みんな、くすくす笑うの。頼むからお母さんが代わりに座って!」「無理だよ。諦めな・・・」 というやりとりがあって、卒業式当日、スーツをばりっと着込んで出かける夫に、「今日は絶対に寝ちゃだめだよ。」と言ったら、「ばーか、寝るわけないだろう。」と憮然として答えていた。だいじょーぶかな・・・と心配しながら、昼の用意をしていたら、ただいまーと子供たちが帰ってきた。夫は学校に残ってなにやら打ち合わせがあったようだった。「今日は、無事に卒業式できたかい?お父さんどうだった?寝なかった?」と聞くと、息子が、ひとこと「とうちゃん、めいそうしてた・・・」てことは、やっぱ、寝たのか・・・居眠り防止アラーム
2007年03月26日
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夏の大会を最後に、バレエに転向する。 そう決断してから、娘は最後の大会に全身全霊をかけたみたいだった。気合い十分の娘を応援しに、中学生たちが学校帰りに町の公園に集まり稽古をつけてくれたりした。 大会当日は、繁忙期の夏の宿の仕事を放り投げ、私も応援に駆けつけた。親子にとって特別な思い入れで望んだ大会だった。 結果はチームで準優勝。 会場にわき上がる歓声の中で、私は、小さな子供みたいに、大声あげてスタジアムの客席で泣きじゃくっていた。表彰台の上で、はじけるような笑顔で首にメダルをかけてもらう娘の姿が涙でかすんで見えた。ADHD持ってても、ここまで来れたんだ・・・娘が底力をみせてくれた。もう、これで幕を引こう。 一緒に歩いた楽しかったこと、苦しかったこと、悔しかったこと、いっぱいいっぱいいろんなことがあふれ出した。 告知通り、大会月の最後のレッスンで今までお世話になったお礼とお別れを告げた。 バトン教室では、騒然となった。選手としてこれから育てられて、やっと花開く下地ができたのに、今更やめるなんて、なに考えてるのかと、呆れられた。 でも、子供にとって、その子が輝ける一番いい環境に身を置かせてやりたい。娘のコンディションをちゃんとわかってくれて、その時その時の成長を見守りながら向き合ってくれる先生に、娘が出会えたのなら、迷わず選ぶ。 電車で往復3時間かかることなんて、これまで7年間バトンで根性つけた娘にとっては苦痛でも何ともないのだ。 娘は、今、あこがれのポアントデビューを果たし、バレエ教室の中等科で、バレエを中心にヒップホップやタップも時々教えてもらい、普通の生活も楽しみながら、教室に寝袋を置いて、弁当もって、電車にゆられながら通っている。 あこがれの先輩にかわいがられながら、年下の後輩を愛おしみながら、心底楽しんでいる様子。母は心から、思うのです。 できることなら、子供は、人のぬくもりの中で育ってほしい。 アスリートにはならなくていいけど、踊る楽しさ、共に力を合わせて作品を作っていく楽しさ、喜びを感じながら、過ごしてほしい。 その経験を通して、自分自身を高揚させながら、自分が楽しみきることで、 おひさまのように誰かをぽかぽかとさせてくれるような いっしょにいたいと思ってくれるような ほっとできるような人間に育ってくれたらいいな。 そして、バトンで得た力。目標に向かって困難を乗り越えていくことで得られる自信。他人への思いやりや、支えてくれる人に感謝する心。自分らしく生きることをためらわずに選択すること。自分を信じること。いつまでも、大事にしてほしいと。
2007年03月25日
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娘は、選手生活を2年間続けた。バレエも2,3年経過してくると、娘にも、バレエ教室での友人との人間関係が育ち始め、新しい目標が定まってきたようだった。それは、バレエ教室に通うすべての女の子の憧れ、ポアント。バレエ教室の方も、峠越えからやっと解放された。 最寄り駅まで送迎してくれる教室が見つかり、電車で往復3時間もかかってしまうが、自力で行けるのも魅力で、3年生の終わり、教室を変えたのだ。 新しいバレエ教室の先生は、関西出身の明るい感じの人で、奥さんがバレエを、旦那さんは昔劇団員で発表会のたびに新作のユニークなダンス劇を書き下ろしながら、タップダンスとヒップホップを教えている小さな小さな教室だった。 娘が初めて体験レッスンに行ったとき、先生は一緒にいろいろ体を動かしながら子供の力を見定めて、娘にあったプログラムをつぎつぎ繰り出した。 娘は、目にハートマークが見えるくらい、その先生にぞっこんに惚れ込んだみたいだった。先生ご夫妻も、娘を自分の子供のようにかわいがってくださるのだった。週3回のレッスンが条件だったので、ここを選べばバトンを続けるのは難しい。 バトンをやめるかどうか、娘とじっくり話し合った。バトンが大好きだったから簡単に結論は出なかった。半年かけて話し合って、4年生の夏の大会を最後に、バトンをやめてバレエに専念する事を娘は選んだ。ついに出会ってしまった。娘の良いところも悪いところも理解して向き合ってもらえる人に。この人について行こう。この人になら娘を安心して託せる、と。娘も、私も思った。
2007年03月24日
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娘の合宿レッスンで、私が食事当番を担当して一緒に過ごしたあるときのできこと。 合宿所に集合してまもなく、娘が先輩と指導員にぐるりと取り囲まれて、鞄の中身を全部出して並べている。何をしているかというと、いつもなにか忘れ物するので、親切にも(?)みんなで点検してくれているとのことだった。 さあいよいよ食事がはじまろうというとき、子供たちが自分のお椀に自分で味噌汁をよそうため、列をつくって並んでいた。そこに、高校生らしき担当の女の子が、「いい?いつもよそ見をしているから、味噌汁こぼしちゃうんだからね。今日は絶対こぼさないでよっ!」と娘に言っている。娘がうつろな目をして、「はい。」「はい。」と聞いている。すっかり萎縮した様子。食事の席についても、娘の顔に緊張の色ばかりが浮かび、笑顔ひとつ見せない。我が目を疑いながら、遠くから、私は様子を見ていた。 「あっ。」見事に、肘をひっかけて味噌汁こぼす娘。呆然とする娘。先輩の女の子はうんざりした様子で「ほら、もぉ・・・また、やった!こういうときは?どうするんだっけ?」ぞうきんをとりに走る娘。その拭き方がまたぎこちない。 見るに見かねて、手を出して助けてくれた子がいた。「こーやって、助けてもらったら、なんて言うんだっけ?」と、先輩。「あ・・ありがとうございました。」うつむく娘。いやーーー、良い勉強させてもらったと思う。今時、そうそうないよ。こんな経験子供にはさせてやれるもんではない。丁稚が奉公先で経験してるような風景だった。 ちょっと突き放しながらも、人としてのあたりまえのあり方を先輩は教えてくれ、娘はそこでけんめいにそれを受け入れようとしていた。そこで、身についた集団生活のためのスキルは絶対将来役に立つだろうと思う。とはいうものの、 自分って、なにやってもだめな奴・・・という思い。自信のなさ。自分で決めて行動すると裏目裏目に出てしまう。この集団の中で自尊心を守るということは、難しかったかもしれない。理想と現実のギャップは、いやと言うほどよく感じただろうけれど。 ADHDを背負う子にとって、一番大切なセルフエスティームと呼ばれる自尊感情。これは一番失ってはいけないものだというが。 娘がこの世界に身を置き続けると言うことが、果たしてこの子のために本当になるのだろうか。わたしは、いつもいつも、この疑問を自分にぶつけていた。 選手権レッスンの指導員は「キル・ビル」とあだ名される、猛烈な性格の女性で、メンバーはたとえ40度の熱を出しても、熱中症で倒れても、偏頭痛でちょいと休んでも、吐いても、平気でレッスンさせる人だった。 先生の話を聞くときは、全員ぴくりとも動かぬ不動の姿勢。そんな中、娘が、耐えきれず手をぶらり。その目立つこと。当然、全員の前で怒鳴られる。やる気がないなら、メンバーからはずすと。それは、1人でもかければそのチームが大会に出られないことを意味する。 子供たちがぎすぎすしていた。それを取り巻く親たちもぎすぎすしていた。みんな極限状態のストイックな状態に身を置いて、戦闘モードになることで、モチベーションを高めようとしていたみたいだった。 会の代表者からは、相変わらず、娘についての苦情が高校生から寄せられていると呼び出しがあった。今度は、 「集中力がない。やる気が見えない。」 「もう、教えるのはいやだとまで言われている」とのことだった。空回りと停滞の小学校3年生はただひたすらこんなことの繰り返しの中で過ぎていった。バトンとバレエ両天秤かけながら。いずれ、どちらかを選択しなくてはならない日がいつかやってくるだろうと、覚悟を決め、その日を待ちながら。セルフエスティームを育てる心の学習
2007年03月23日
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バトンチームの一員となって、集団の中で揉まれた経験が彼女にもたらした意味も、また、計り知れない。自分以外の人間に歩調を合わせること、自分の好きに行動したい衝動を我慢すること、ルールから外れた行動をとれば時に非難される、ということを通して自分を調整していくことを学べたから。集団行動の中で、協調して目標を達成するために志の高い仲間と共に歩んだ経験は、普段の学校生活で得られるものより、苦しみも喜びも大きかった。 今度は選手だから、今まで習ったことのない高度な技術も、どんどん教えてもらえる。しかもいったんチームで演技が始まれば失敗は絶対に許されない。他人に迷惑をかけないということをかなり意識できるようになった。 週に5回のレッスン。週末は早朝から夕方まで、軍隊か宝塚の音楽学校学校みたいな規律に縛られた生活。本人の希望も叶ったし、やることができてなによりと思ったのだが、本人は相当なストレスとプレッシャーとの戦いを繰り返していたようだ。 週の大半が、大会に向けてのレッスンだったから、彼女は息抜きの場を学校に求めてしまった。いかに無神経に見える娘にも精神的な緊張が続いていただろうから、週初めの月曜日からしてぐったりしていた。運動会の練習のころになると体力も限界に近く、学校での生活に随所に気のゆるみが目立ち始める。 しかも算数の勉強でちょっとした躓きを覚えてから、学校生活で不適応を起こし始めた。落ち着きがなくなり担任からもたびたび注意を受けた。家では親や弟に八つ当たりをした。 精神的にちょと荒れた時期であった。 ちょっと困ったのは肉体的にいろいろ不調が続いたことだった。 原因不明の激しい偏頭痛。ひどいときには子供用セデスを飲んでもきかなかった。これは、ときに泣き叫ぶほどひどく、時に嘔吐するほどだった。脳腫瘍を疑い脳外科を受診した。MRI検査で異常は見つからず、偏頭痛の重い症状とわかった。 医者から血管を収縮させる頓服をもらい対処した。 アクロバティックなボディーパフォーマンスの練習で腰を痛めたこともあった。 知り合いのマッサージ師にたのんでマッサージしてもらうと、全身の筋肉があり得ないくらい固まっているという。 しばしば起こす腹痛や嘔吐も、横隔膜のあたりの強い張りからきているようだった。 精神的にも肉体的にも、極限状態まで疲れ果てているようだった。 娘は、バトンを通していろんなことを学べてはいるけれど、どうしてこんなに苦しまなくてはならないのか、見ているだけでも辛い毎日だった。
2007年03月22日
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娘はバトンが大好きだった。 でも、大きな集団に指導者は1人。1人の指導員が月に数回教室を訪れ、限られた時間内で全員を指導するのは限界があった。指導者もお姉さんを主に指導しにきていたようなものだったから、娘にとってはほとんど存在感はないのに等しい。娘には姉さんたちが主に教えてくれる。あとは、目で盗め・・・という感じだろうか。当然お姉さんたちは指導のプロじゃない。普通の中学生高校生である。しょせん子供が子供に教え合う世界。 「これはここをああしてこうして、こうじゃなくて、こう・・・」 という「なにそれ文」の世界・・・ 不器用でただでさえコミュニュケーションの下手な娘にわかろうはずもない。そのうち、お姉さんたちだって、根負けしてくる。こりゃだめだ、もういいやと。そうなのだ。そこまで、お姉さんたちも、娘につきあう責任もないだろう。彼女たちだって充分いそがしい。自分のことだけで精一杯の年頃なのだから。というわけで、娘は、なんとなく放っておかれるまま数年間を過ごしてきたわけだから、なかなか行動に統率がとれなかった。 そんな不器用な娘が、バレエを始めてからぐーんと伸びた。その違いは?バレエの先生が、立ち方、重心の取り方、バランス、動く、止まる、といった基本的な動作を、ひとつひとつ、手取り足取り、体を触りながらできるまで繰り返し教えてくれたからだと思う。 ADHDの特徴のひとつに、衝動性とセルフコントロールの難しさがある。 娘はバレエを通して、心地よい音楽に合わせて動きのセルフコントロールを学習したのではないかと思う。 動きたくても止まる、動きを止めたくても動き続ける、早く動きたいけどゆっくり動くとか。自分の気持ちとある意味うらはらに体を動かしていくわけだから、すごく脳の訓練になったんじゃないかと思う。 過去の発達検査で、娘は短期記憶や作業記憶の弱さを指摘されたことがあった。娘がバレエレッスンで頭を混乱させながら、1つ1つ新しいことを覚えていくたびに、彼女の頭の中にすんごい勢いで、脳のシナプスがうにょうにょうにょと、手を伸ばしている様子が見えるような気がした。 娘には感覚を統合する力が弱いというか、手と足と一緒の動作が覚えられるまでに人の何倍も時間が必要だった。バレエは手と足の協応運動の訓練にもよさそうだ。 バレエを始めて、以外だったのは、 娘がちゃんと立つことが出来ていなかったことである。 娘は走るのも速いし、足も丈夫だし、ちゃんと立っていると思っていた。でも違った。重心が悪い。姿勢が不安定でバランスが悪く、ふらついてしまう。しかも、振れ幅が普通に立っていられる人の振れ幅よりずっと大きい。娘のような多動の子が動き回ってしまうのは、ひょっとすると、立っているときにときに、ふらふらと振れ幅が大きく、不安定で落ち着かないからなのかな。動き続けている方が、倒れる心配もなく安心なのかな?これは、我が子を見て感じた私の勝手な想像だけど。 ただ立つという練習を、延々とものすごく時間をかけて練習させられた。安定して立ち続けるということが、この娘にとってどんなに大変だったのか、はじめて思い知らされた。 バトン教室では かつて、娘がちっとも話をきいてくれない。やる気がない、と言われたが、 話の内容を長く記憶できなかったから、忘れちゃっただけだ。そして、 話を聞いてもわからなかったから、学べなかったのだ。 その学び方では、学びきれなかったから、できなかったのだ。 やる気がないわけじゃない。 本人だって、一緒にやりたかったのだ。 怒られても、怒られても、懲りない奴と言われたが、 懲りてないんじゃなくて、なんで怒られていたのかわからなかっただけだ。 どこが、どうみんなと違ってて、それがどう悪くて、どう直せばいいのかが 娘にはわからなかっただけなのだ。 でも、贅沢は言えなかった。 子供が子供に教えるサークルでは、お姉さんが娘と一緒に向き合ってくれるだけでもご苦労な事であったから。指導の仕方に口をはさむことはできなかった。 バトンを長く続けていくための絶対条件は、いま私たち親子のすぐ目の前にある環境に娘がいかに適応できるか、にかかっていた。 そのためにも、多動や衝動性を周囲が気にならなくなるまで改善すること。 教室で覚えきれない事は家で反復練習して補い、遅れを取り戻す努力を続けること。 あらゆる生活場面で人に迷惑をかけないこと。 目立たない。勝手にしゃべらない。人の話をちゃんと聞く、といったソーシャルスキルを獲得するのが絶対条件である。 それらの条件が、満たされたら参加を許される世界。娘を潰すことなく、それを求め続けることは、できるのだろうか。それが、はたして娘にとってどういう意味をもつのだろう。私は、答えの出ない問いかけを自分の中で繰り返す。 バレエを始めたことで、娘のがんばりが見えてきた。 バレエが個的で感覚統合的な訓練だとしたならば、 バトンは社会的協調性を鍛える訓練と位置づけられそうだ。 バトンを通して、彼女に必要な支援も、見え始めてきた。バレエとバトン、どっちも一長一短がある。けれど、当時の娘にとってはどちらも大切だったし、どちらも必要だった。どちらからも学べることがありそうだったからだ。
2007年03月21日
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娘は、家族やスタッフたちにとっかえひっかえ送り迎えしてもらいながら、峠の山道を越えて、週に1回のバレエと週2,3回のバトンに並行して通った。 バトン教室では、たくさんのアスリートたちが、明日の全国大会や世界大会を目指して血のにじむような努力をしていた。中学生高校生の彼女たちにとっても、最大の悩みは、町にバレエ教師がいないことだった。技術も相当に高度になると、審査の分かれ目になるのは、芸術性だった。センスというか、見ている者を感動させる感性というか、踊り心みたいなものに更に磨きをかけるには、今の指導の中では、限界があった。 がんばってバレエ教室に通おうとしても、教室での責任も重かったので、中学生以上になると、他に習い事やサークルをやりたくても長く続ける事は難しかった。 中高生の子供たち自身が指導者不足を補い、教室の運営そのものに深く関わっていたから、バトン以外の活動を許される環境ではなかった。 そんな中、娘は低学年だし、特別レッスンのお呼びもなく、体をもてあましていた。学校の勉強もそう忙しくはない。現在は病床の身であるじいちゃんも、当時は自由に車を運転できた。支えてくれる人は大勢いる。やってみて無理ならあきらめればいいや。やってみるなら今だと思った。 娘はアスリートではなかったけれど、常識外れな破天荒な考えの家族に恵まれたおかげで、バレエとバトンの両方に楽しく通うことが出来た。 初めてのバレエの発表会には、小学校から校長先生や担任の先生ご一家も見にきてくれた。そこで、みんなが何よりも驚いたのが、娘が踊りの中で長時間ぴたっと動かずに止まっていたことだった。 ワルツ4小節ごとに動きが変わってピタッと静止する動作を数分間繰り返す。みんな目を疑った。学校では授業中でも、体育館で整列しているときも、いつも一人手をぶらぶらさせたり、顔をさわったり、足をもぞもぞさせたり、どこか一カ所でも部分的に多動の残るのはしかたないとみんながあきらめていたのに、ダンスの中では音楽のかかっている一定時間ずっと静止状態でいる姿を見たのは驚きだったのだ。そして、学校では見たことのない娘の豊かな表情にも。 バレエは、静止の苦手な娘にとって、自分の動きをしっかりコントロールする療育的効果をしっかり担ってくれていた。しかも、バトンを数年間やってきてもなかなか身につかなかったことが、マンツーマンの指導で半年で改善されている。これは、本人のやる気の問題というよりも、指導内容がいかに本人の腹に落ちているかどうかの問題であったからだと思う。根気強く 子供の目線で、あきらめずにかかわり続けてくれたからこそ、子供に変化がもたらされたのだろう。 バレエは、バトンの技術を補うという面でも、計り知れない効果をもたらした。半年後には、姿勢が改善され体型も変化していた。肩胛骨が下がり、以前より首が長く見えるような気もする。ひざの裏側も以前よりよく伸びている。股関節が前より柔軟になって、開脚も楽そうになっている。以前は踊っていてもいっぱいいっぱいに見えたへなちょこっぽい動きがシャープに変化した。なにがどう違うのか、うまく分析できないけれど、踊りらしくなったというか、品が良くなったというか、見栄えが確かに良くなった。 その年の冬、娘は念願のオーディションに合格し、晴れてバトントワリングチームの一員となった。
2007年03月21日
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じいさん、ばあさんが娘のバレエ通いをぐずぐずためらう私を、部屋に呼んだ。 「ちょっと、そこ、すわりぃ。」 ばあさんは、長方形の金属の菓子箱を取り出して、ふたをあけて見せた。 中に入っていたのは、主人の兄の写真がのったクラシックコンサートのチラシと、パンフレットとポスターと、チケットを売った後と思われる郵便振り込み用紙の分厚い束の綴り。 主人の兄は、今、関西で高校の音楽教師をしている。友人たちとピアノの演奏会をしたり、慰問コンサートをしたり、合唱団の指導をしたりしている。 彼らが何を言おうとしているのかわからないまま、私は2人の話に耳を傾けた。 主人の父は腕ききの鋳物職人だったが、夫婦共働きしても経済的に苦しい長屋暮らし。そんな生活の中で、主人の兄が3歳のとき、ピアノをやりたいと言いだした。 ピアノ教室の門をたたくと、兄はなかなかの才能を見せた。はじめは紙の鍵盤で練習させていたが、そうもいかなくなり、ローンを組んで大変な思いをしてピアノを買った。 長屋は部屋中がピアノになった。職人仲間はあいつら頭がおかしくなったんちゃうか、と笑ったが、有名なピアニストが来日すれば一緒にコンサートを聞きに行った。 ピアノの技術が上がれば、たいそうなレッスン料払ってそれなりの先生に師事した。 そんな兄が音大を受験し、みごと合格してしまった。喜ばしい反面、両親は莫大な入学金がすんなり用意出来なかった。 両親はすぐさま保険を解約して用立てたがも数十万円足りなかった。定時制高校に行きながら仕事をしていた主人が北海道旅行のためにため込んでいた旅行費用を差し出した。家族全員の有り金全部集めて、なんとか、兄は入学できた。 奨学金と、アルバイトで何とか学費をつなげ、さて、卒業という段階になった。 今度は、大阪府内の大きなコンサートホールで、オーケストラをバックに卒業リサイタルに出演できるという。夢のようなお話だった。ところが参加費用として1人300万円かかるという。 学友たちは、資産家の両親を持つ者がが多かったから、どうってことない金額であったろうが、じいさんばあさんには途方もない金額だったに違いない。 どうがんばってみても、素人のピアノリサイタルに1人3000円の入場料をとるという、高価なチケットを1000枚売りさばくしか 方法はなかった。 じいさん、ばあさんはただひたすら、チケットを売り歩いた。結果、売りさばいて300万円作りあげた。 じいさん、ばあさんは生涯忘れられない思いで、ブラームスのピアノ協奏曲に酔いしれたに違いない。 2人は私に向かって口をそろえて言った。「おかあちゃん、バレエがいくらお金かかるいうたかて、峠超えかて、それが、なんぼのもんじゃい、いうんや。」 「そや、そや、親ちゅうもんはやな、子供の夢を叶えるためなら、どないなことでもその気にさえなればできるんもんなんや。」 「それが、親ちゅうもん、ちゃうかぁ?」 「そや、そや。」 「やらせたり!やらせな、あかん」 「そや、あかんのや!」 「・・・・・」 この2人にとって わたしの悩みなんざ、鼻くそみたいなもんだったろう。 もう、わたしには何も、返すことばは、見あたらなかった。
2007年03月20日
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バトンを始めてから4年。娘はオーディションに何度か挑戦し落ち続けた。特別レッスン受けてみるみる成長していく友人たちを羨望のまなざしで見ながら、時間と体をもてあましているようだった。そんな娘が私におねだりしてきた。 「わたし、バレエが習いたい。」 「え?」 「バレエ学校に行けば、踊りももっと上手になるでしょ?オーディションだって合格できるようになれると思うの。お願い、バレエやらせて。」 「やらせてったって、おまえ、バレエ教室なんて近くにはないよ。」 「やるぅ、やりたいったら、やりたい。一生懸命やるから。」 無理無理・・・と一笑に付しながら、ネットで誰でもできるバレエレッスンビデオみたいなのを購入して娘にあてがった。 よろこんで、レッスンのまねごとみたいなことを始めたが、後ろ姿を見ていると、つぶれたカエルみたいでなんとも無様。ちがうなぁ。やはり、ひとりよがりで練習しているつもりになってるだけじゃ、だめかな・・・と思い、とりあえず、教室を探してみた 隣接する町の有名なバレエ教室に電話をした。そこのオーナー先生が電話口に出られた。結局電車で通っても、レッスンの時間には間に合いそうもなかったので、ご縁はないとあきらめたが、いろいろと娘の状況や希望を熱心に聞いてくれて、厳しくも暖かいアドバイスをくださった。 バトン教室で受けているレッスンがバレエの専門知識のない人が教えているものである限り、成長途上の子供の体にとってきわめて危険で有害なことであり、それはバレエとは言わないということ。 子供の体の成長にとって、正しい姿勢や動きのコントロールはバレエ独特の専門的な知識をもって慎重に教授されなければならないこと。 バレエはどんなダンスにも基礎になるので、きちんとした指導者のもとで習うことをおすすめしたいこと。さいごに、その先生がこうおっしゃった。 「お母さん、子供さんが、そんなにやりたがっているのなら、たとえ私の教室でなくてもいいから、是非その子にバレエをやらせてあげましょうよ。」と・・・ どこの誰かも知らない一人の迷える母の問い合わせに、ここまで情熱的に熱くバレエを勧めてくださったその先生の人柄に、深い感動を覚えてしまった。 私の住む町にはバレエ教室なんて1件も存在しなかったのだが、夫が山むこうの隣町にある1件のバレエ教室を見つけた。 「ここなら、週1回くらいなら、通わせてやれるんじゃないか?」 「通わせてやれるって、簡単そうに言うけど峠を超えて往復2時間、レッスン入れて4時間つきあうってことだよ。」 ものすごく大変そうに思えることを、この夫は何のためらいもなく、言ってのける。住み込みのスタッフたちも、「行かせてあげようよ、運転手は何人もいるんだし。」と言ってくれた。みんなの熱い応援にも、まだぐずぐずしていた私を、今度はじいさんばあさんが、ちょっと話があるからおいでと、私を部屋に呼んだ。
2007年03月19日
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バトン教室では、娘が幼児さんだったころは、発表会のステージで棒立ちになっていても、鼻くそほじってても、かわいいから何でも許された。落ち着きなくて、レッスンから逃げ出しても、お姉さんが、「まてーー。」とにこやかに優しい声で追いかけてくれた。 ADHDであろうとなかろうと、どの子もそうであったから。 とはいっても、活躍の場がお祭りのパレードや発表会くらいであった幼年時代は瞬く間に過ぎ、障害名を突きつけられた小学校入学を迎えると、だんだん状況は変わっていく。 何をするにしても自覚をともなった行動が求められていくのだ。甘えがだんだん許されない状況へと周囲の状況も変わっていく。精神面での成長を期待されはじめるのだ。 技術面でもシビアに技量を問われる段階へと突入し、単調な練習を繰り返すレッスン。下に後輩も入ってきた。下の子たちのお世話もしなくてはならない。いつまでも幼児さん扱いはしてもらえなくなる。 私もこの頃から娘がADHDであるということを知るわけであるが、だんだん参加していた同じ年代の子供に比べ、娘の習熟度の低さや行動の幼さが誰の目にもはっきりとしてくる。 集中力の乏しさ、落ち着きのなさ、レッスン中の絶え間ないおしゃべり。 「○○ちゃんは、やる気がないみたい。」 「教えても、自分勝手にやってしまう。」 「わがまま。」 「また、あの子が・・・」 「めんどう、見切れない」などとささやかれ始める。 そればかりか、宗教団体が運営するバトン教室だったから、宗教的教義から母親としてしつけの至らなさにおしかりを受けたりもした。しょっちゅう、代表者から呼び出されてお説教された。宿屋が忙しくてほったらかしで育てた私が悪かったのかと自分を責めたり、一生懸命育てているのに、私の何が足りないって言うの・・・といらついたりしていた。 娘のADHDについては、私もよく理解していなかったし、不安でいっぱいだったから、周囲の人に理解を促す行動なんて、考えつかなかった。 ADHDについて詳しく書かれた本を書店で見つけるのも難しかった。 娘がレッスンについていけなくなりつつある。人前でおおっぴらに叱られる姿を見るのは忍びない・・・ 夜な夜なインターネットで大学の研究室にメールを出したり、医学論文を読んだり、同じような子を育てている親のホームページを読んだりした。 娘の関わりには、理解と支援が必要と気づいてからは、膨大な量のインターネットの資料をファイルして、教室の代表のところに日参した。ところが、 「なぜ、愛する我が子を障害者に仕立て上げたがるのか理解できない。」と言われ、 「他の子供がいるのに、特定の子にだけ、特別扱いは出来ません。」そう、言われた。 何ともいえない絶望感と無力感に包まれていた私だったが、救いだったのは娘が、どんなに叱られても、へいちゃらな極楽とんぼであったことだった。音楽に合わせて体を動かすことが大好きだったから、他のことは一切彼女にはこたえなかったらしい。理解する力がなかっただけかもしれないが・・・ 私の感情としては、今すぐにでもやめてしまいたかった。でも、娘があんなに楽しんで参加しているのを見ると、引きずられるように、娘について行くしかなかった。 他の子が大会のオーディションに合格して、たくましいアスリートに成長していくのを横目で見ながら、娘が楽しんでいればそれでいいやと、割り切った。 娘がADHDというハンデを持つということがここでは通用しないことも、いつか、社会に出たときに役に立つさと割り切った。 つらいこと、くやしいことに出会うたび、世間の風の冷たさを親子で知るのも悪くないさと開き直った。 お祭りの余興で踊る娘が私に問う。 「私、みんなと比べてどうだった?」 上手かったといえば嘘になる。だから、 「一番笑顔が輝いていたところが、一番よかった。」と答えた。 娘の笑顔がいっそうはじけた。
2007年03月18日
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娘がまだADHDだとも知らなかった2歳の頃、彼女のあまりの多動を心配した私は、有り余るエネルギーのはけ口を習い事に求めようとした。 町の教育委員会に問い合わせ、町内にスポーツバトンクラブがあると教えてもらい、早速クラブの代表者に問い合わせた。 「幼児さんから高校生まで、いろんな年代の子供とふれ合えて、社会性もつくし、体力、集中力ともに育つので、おすすめします。おむつさえとれていればOKです。」とのことだった。だが、そのとき、まだ娘はおむつがとれていなかった。 とりあえず、スポーツバトンの発表会を見に行った。釘付けの目で、しばし娘の動きが止まった。それだけでも、私には衝撃的だった。おむつをとらねば。気合いが入った。 娘はバトンチームのことをバレリーナと呼んで、 「わたち、ばりりーな、なる。」と言った。 私は、おまるに座らせながら、 「うんち、ぽっとんって、ここにでたら、ばれりーなになれるよ。」 と、言った。 そのほかにも、バレエ、ジャズダンスなどの他の習い事も発表を見に行った。 アップテンポでがんがん踊るものに特に惹かれていたようだった。 さらには、ふらふらと、ステージに近寄って、 「わたちも、おどるのぉーー!!」と言って、押さえるのに苦労した。 そして1年後のある日、 「うんち、ぽっとん、でた。ばれりーな、なる」 バトンクラブに連絡して、すぐに見学に走った。 面会に応じてくれた担当者のバッグに、小さなバトンが1本入っていた。 娘は、それを静かに引き抜くと、黙ってすたすたと練習している集団の中に進んでいった。 「わたしたちと、いっしょに、やってみる?」先生が、やさしく問いかけた。 娘は、こくりと頷くと、子供たちの列の中に混じって練習を始めた。 担当者は、私を振り返り 「おかあさん、決まりですね。シューズを買ってきてください。」と言った。 私は、ちょっと呆然としながら、近所のスーパーに白いバレーシューズを買いに走った。 心配していた母子分離も特に問題なく進み、娘の担当の小学生が決められた。 トイレに連れて行く担当の子、技術を教える子、休み時間に遊んでくれる子。 遠征の時の食事風景なんて、お姉さんが娘の口の周りについたカレーをそっと拭き取る姿なんて、母親よりずっと上手だった。 クラブに参加する幼児は、当時少なかったから、とにかくちやほやされて、娘はそりゃぁもう、幸せだった。 町のお祭りや、発表会など、母親がいなくてもお世話係の当番がなにくれとなく、娘の世話をしてくれた。 幼児期をじっくりと年長のお姉さんに可愛がられながら過ごせたこと、集団のルールを根気よく教えてもらえて自然に身についたこと、母親の手を離れて、自分で自分のことをすることなど、ここで育ててもらったありがたい力は、とても家庭でしつけきれるものではなかったと思う。 小学校も高学年になった今、娘の子供扱いの上手さと根気の良さには、親の私も感心してしまうほどだ。これは、彼女にとって、自分がしてもらったことをそのまま再現しているに過ぎない。この、力は彼女の人生の宝ものと言えよう。 うちは、宿屋だから、夏休みやGWには、たくさんの家族連れがやってくる。特に、幼児さん大好きだから、よく、幼児さんに慕われる。ぴったり子供をマークして、遊びながら危険がないよう見守ってくれるから、お母さん方によくありがたがられる。 だから、むすめはうちでは幼児接客主任なのだ。 副主任は、息子。 息子も、幼児さんの時、姉のついでにクラブに放り込んだので、幼児さんの扱いはほんとうに上手。 幼児期の記憶の核が楽しいものだということ、これは長い人生の中で一番大切なことかもしれない。
2007年03月18日
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今日は朝から息子と、授業中にむくっときたらどうするか、リハーサルを行った。 1.はい、と手をあげ、「先生、トイレ行かせてください。」 と言って離席する。 2.トイレで落ち着くまで待機。 3.所用をすませ、すっきりして席に戻る。 4.これで誰も驚かないし、誰にも迷惑かけないし、自分も困らない。とね・・・ 授業の終わる頃、学校に電話。「今日はどうでしたか?」特別支援教育担当の先生曰く。 1時間目は卒業式の呼びかけの練習。もう少しでおわろうかという時、息子がもぞもぞし始める。困った顔。ぴんと来て、廊下に連れ出す。教頭が一足先に廊下で待機しており、トイレに連れ出す。とりあえず、落ち着きを取り戻す。 でも、自分からは言えなかったようだ。だって、授業中でなかったから。まさか、体育館の中で厳粛なムードの卒業式のリハーサル中とは、想定外だったらしい。 ま、自閉症らしいとこだよね。私もうっかりしてた。問題解決の道は獲得したわけだから、明日がんばって自分で乗り越えてもらおう。 姉は、そんな息子の様子の変化を察知して気をもんだらしい。姉なりに心配してくれたようで、帰りのバスから降りたら、ずっと弟に寄り添って仲良く歩いて帰ってきた。いつもなら、ゆっくり歩きたがる弟を道に一人残し、ぶっちぎりの全速力で走って帰ってくるハイパーアクティブな娘が。 「あいつはいつも、学校でみんなに待ってぇーーと叫んでいるけど、みんなそんなに甘くはないから、あたしくらい待ってあげないと可哀想でしょ?」だって。 いいとこ、あるじゃん。 見直したよ。
2007年03月16日
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家では、楽しく陽気で、お料理好きな食いしん坊のノー天気男である息子。もうすぐ10歳の壁を乗り越えなくてはならないであろうと、日々覚悟は決めていたが、ついに来た。学校から電話が。 3歳の時、ちょっとした自閉傾向があって、療育を始めた。ちょっとした遅れはあるものの、ゆっくりペースの発達ながら、同じ年代の許容範囲なので、学校のちょっとした配慮と関係機関の支援を受けながら、普通学級に所属している。 ゆっくりペースながらも模範生のような1,2年生をなんら問題もなく過ごし、ちょっと自我が芽生えた3年生になってから、ちょっとずつ周囲とのずれを本人が認識しはじめ、日常的に問題は軽くあったものの、学校とこまめな話し合いで大きな事態には至らなかった。心配されたいじめや不登校もなく、学校に行くことは楽しんでいる。 夏くらいを境に、算数の遅れが目立ち始めた。苦手意識が一層強まっていく。宿題もたまりはじめ、家庭学習の必要を余儀なくされるが、なかなか進まず、遅れがなかなかとりかえせない。学校で、みんなのスピードに追いつけないいらいらが、だんだん爆発するようになってきた。 秋に相談があり、地域の心理士さんの学校支援を受けながら、ケース会議に参加させていただく。学校の取り組み方の見直しを協議した。 で、息子と絶えず対立していた児童については、必要以上に息子に接近する傾向があり、支援を必要とするのはむしろ息子より相手だという見解と、息子が達成感を得られる課題の与え方の工夫をはかるという方針が立てられた。 具体的には、課題を少し易しくするか、ショートステップにするなどである。 早速、息子対応のプリントを作ってくれたのだが、学習に遅れはあるものの、息子にもプライドちゅうもんがあった。みんなよりレベルの低い問題を自分一人だけ与えられるのは耐え難かったのだった。 みんなとおなじプリントを要求。ところが、ペンが進まない。いらつく。助けを求められない。先生の「早くやって」「まだ、終わらないの?」という言葉に傷つてしまう。授業中噴火。 先生も一生懸命なんだけど、空回りして、疲れてしまっているのを感じる。 学校全体で息子のピンチを救うべく動き始めているらしい。 特別支援教育コーディネーターの先生から、授業中のおちんちん露出行為と放尿ありと連絡あり。信じられない、しばし茫然自失。 着替えを持ってはしり、最近の問題行動の出現状況の記録を確認。愕然とするほど多い。 家ではあんなに楽しそうにしている姿からは想像できない。 落ち込んで学校から帰ってきた息子と、おやつを食べながら、様子を伺う。 「最近、どぉ?学校。」 「うん・・・・あんまり」 「なんか、つらいことでも、あるの?悩みとか、困ったこととか、なかった?」 「先生におれ、無視されるし。」 「無視?されてるように、感じるんだ。どんなとき?授業中とか?」 「国語とか、算数とか。」 「おしっこ出ちゃったときも、算数だったけね。どうしちゃったんだろうね。」 「わかんないけど、なんにもしてないのに、おっきくなっちゃったんだ。そしたら、気になって全然集中できなくなっちゃったんだ。」 「つらかった?」 「つらすぎるよ・・・」 「どんなとき、とくにつらい?」 「先生はさ、おれが、できるていどの問題あたえればいいかと思ってさ、みんなでさっさと進んでしまうんだ。俺だけ、取り残されるみたいで、つらいよ。」 「じゃ、みんなの見えないところで、おちついてやらせてもらったら?」 「そんなのいやだ。おれは、みんなと一緒がいい。みんなと同じものがやりたい。でも、おれはスピードがゆっくりだから、俺が易しい問題を早くやるんじゃなくて、みんなと同じ難しいのを、ゆっくりやりたい。考える力をつけたい。おれは、ヒントがほしいんだよ。でも、先生はそれをくれないんだ。おれが間に合うようにがんばっているあいだ、みんなが時間あまったら、発展問題とかやって待っていて欲しいんだよ。」 「そうか・・・・なんか、先生一生懸命なのに、君とかみ合ってないみたいだね。ちょっとつらいね。」 「つらいよ。つらすぎるよ。おれ、先生にこっち向いて欲しいと思って声をあげても、無視されているような気がする。おれは、ちゃんとコミュニケーションをとれる先生に見てもらいたいよ。」 「コミュニケーションて、どんな?」 「ヒントが欲しいときにヒントくれて、俺のペースで勉強させてくれて、俺が先生俺を見てくださいって、大きな声で呼んだときに、ちゃんと振り向いて反応してくれることだよ。」 「ふーーーん。」 一応言っておくが、先生はかなりまじめで熱心な方である。ひたむきすぎるくらい。でも、どうも、相互交流ができてないみたい。 先生の一連の努力の中に、息子の思いの存在する余地がない。つらいな。 息子の言うことに、うなずきながら、ちょっとわかるなーーと同情もわいてしまう。 夕方、特別支援教育コーディネーターの先生が家庭訪問された。問題行動の裏の心理的背景がちょっと見えてきたので、これから、心療内科の先生の門などたたきながら、心の問題をケアしていきながら、すこしづつ苦手なことや壁を越える心の強さを培っていくべく、学校ともがっちりスクラム組まねば。 娘にも、それとなくフォローよろしくと頼んでみた。 弟の気持ちを分かるのは、あたししかいないかも、と、ちょっと胸をはっていた。 息子よ。今日の苦しみを、先生、かあちゃん、とうちゃん、ねえちゃんで 君が無事乗り越えるまで、見守り、応援するからねーー。 あしたは、おいしいもの食べて、元気になろーな!
2007年03月15日
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11年前にライダーさんとして何度も泊まったお馴染みの女の子が、泊まりに来た。おかえりなさい。と迎えて、昔話に花が咲いた。 クロスカントリースキーのツアーに行って、スキーの板を折っちゃった思い出だとか、うちの娘がまだ生まれたばかりだったこととか、元気だった?と、なにげに聞いたら、 心を病んで、仕事も辞めて、今やっと落ち着いて、授産施設に通所しながら、社会復帰をはじめたばかりだという。喫茶店で働いたり、得意な洋裁で作品作っては、バザーで売ったりしているという。 もと、OLでばりばり仕事も遊びもこなしていたのに、障害者だからって1ヶ月働いても、1万円しか収入が得られないという。障害者自立支援法ができて、以前より収入も減ったという。彼女は、自分は介助なしで仕事できるからいいが、本当に困っている重度の仲間がいるんだと話してくれた。 工芸も、洋裁の作品も、バザーに出せば、すごく安い価格なので、みんな飛びついて買ってくれるが、きちんと仕上げたものだから、市価より少し安いくらいの値をつけたいけど、売れなくなったら困るし、えられるお金も少ないので、働いてもなんだか張り合いがないんだと話していた。 法律は、企業も障害者を雇用しなければならないとうたってはいるけど、彼女たちのような能力の高い仕事をする障害者の自立がしっかり確保されているわけではないのは、誰の目からみても明らかだ。 私には分からない。授産施設だからって、なんでバザーなの?なんでこんなに安くなきゃならないの?ちゃんとしたマーケティングして、ちゃんと売る方法はないの?ネットで大もうけとはいかなくても、月1万が2万や5万になったら?ちゃんとしたビジネスが成り立つかもしれないじゃないの? 彼女とお茶を飲みながら、夢について話した。ネットもいいかもという話題になって、彼女が語り始めた。 いつか、自分の作品をネットショップで販売してみたい。オークションで売ってみたい。自分が障害者であろうとなかろうと、作品のセンスや品質だけで評価されたい。 自分の抱く夢や希望を、もうすでにかなえてしまっている人や、かなえられる方法を知っている、まだ会ったことのないだれかとつながってみたい。 自分の病気のコンディションに合わせて、仕事が出来るときに仕事をして、それを発表したりちゃんとした価格で売ったりしてみたい。 自分の意志で選択して未来を切り開く、そのための支援がほしい。制度や施設に当てはめられるのではなくて。 また、バイクに乗って、旅がしたいな・・・ いいね、いいね、どんどん出てくるじゃない。 目がきらきらしてきたじゃない。 いつ、どこで、だれと、何をしていても、 ささやかな、夢だけは いつでも、持っていたいよね。 生きる希望も、何かを考えるわくわくも、何かを始めるどきどきも 夢の種から芽生えてくるから。 また、一層元気になって、ただいまって、帰っておいで。 お互い、夢に向かって、小さな1歩を踏みだそうね!!
2007年03月13日
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上の娘は、保育所の年長さんの時に、ADHDと診断を受けた。今、えじそんくらぶで活躍中の田中康雄先生が、まだ緑が丘病院のドクターだった時、娘の通う通園センターに出張でお見えになったことがある。そのとき、あらかじめいろいろな資料を用意して娘と実際に会ってもらった。 そこで、言われた、「筋金入りのADHD」だと。 でも、「愛嬌があって、宿の看板娘」だとも。 娘は幼少時から、カンが強く育てにくさを感じていたが、療育施設と保育所との連携で大分落ち着いてきていたときだったので、就学を考えるとき、普通学級としか考えていなかった私にとって、特学とか、介助の先生という考えがまだなかった。 「修学指導委員会を受けますよね?」と、療育機関から問われたとき、なにからどう考えていけばいいのか、全く分からなかった。結局受けなかったのだけど。 療育機関とは、その当時ちょっとぎくしゃくしていた。当然修学指導委員会を受けるべきとする療育機関側と、その気のない自分。まだどういう支援が必要かもわからない状態で枠組みだけを確保する必要がどうしてあるのか、自分で納得がいかなかった。 療育機関の主張は、発達障害=手間暇がかかる=複式学級を担任する先生には負担が大きすぎる、あとから気づいても、先生の増員ははかれない。何かあった場合は、担任にとっても、子供本人にとっても、不毛な時間を費やしてしまう。というものだった。 ただ、わたしとしては、子供が発達障害を持っているから、負担が増えるとか、介助の先生をつければ、それだけで支援が確保されたと考えたくはなかった。 就学指導委員会を蹴ってしまったことで、緊張して過ごした一年ではあった。幸い心配された問題は全く起きなかった。子供の通う学校は、小さな町の全校生徒17人ほどの、小さな学校だ。複式学級で、同じ学年の生徒は4人、2学年併せても6~7人ほどである。同じクラスに同じく発達障害の男の子がいて、その子に介助の先生がついていた。17人の生徒に9人の教職員。事務員さんから用務員さんに至るまで教育活動に積極的に参加している。都心の大きな学校ならともかく、この規模でなら学校全体の取り組みとしての支援をやれないはずはないでしょうと思った。 入学してからは、クラスメイトからときおり特異な目で見られながらも、小さないざこざも先生に報告していただき、両者一体となって試行錯誤した。幸い小さな学校で、校長先生の理解もあり、発達障害の子も、知的障害を持つ子も、その子その子に合った形での支援が展開されている。子供たちも、保育所のときからだから、ものごころついたころからのつきあいで、気心は知れ合っている。入学から5年。 学校のスローガンは 「みんなちがって、みんないい」になった。 その子その子のやる気を大事に。1人1人の違いを認め合おう。きらきらの輝きを見つけよう。そんな気風が、校長が替わっても維持されている。 うちの娘は、介助の先生がついたらついたで、きっと喜んで頼りにしていただろう。今となっては、介助がつくつかないよりも、大事なことがあったと思う。それは、どの子の問題も課題も喜びも学校全体で受け止めて関心を持ってもらうことだ。学校全体がどれほど、子供たち親たちの願いを受け止め、子供に寄り添えるか。それだけで、学校全体が伸びて、子供も伸びやかに育つ。 うちの子供たちの学校は、今、地域の特別支援教育モデル校に指定されている。 うちの子らと関わり続けてくれた先生は、ご夫婦で、何年も勉強して、特別支援教育コーディネーターの資格を取られた。 小さな学校だからなのか、発達障害も知的障害も、一緒に学習発表会や運動会をしている。このまぜこぜ具合がまた、見ていてとても感動する場面が多い。 運動会のグループ競争でも、リレーの走る順番や距離は子供たちが話し合って決める。それぞれの全力を出し合って、白熱の競技が展開される。 走るのが速い子、木登りの得意な子、虫博士、絵のうまい子、それぞれがクローズアップされ、健闘をたたえられる。力の足りない子は助けを求め、それをこぞって助ける子たち。本当に他人の子を見てその成長ぶりに泣ける運動会なのだ。 性格も、体格も、体力も、持てる力も様々だから、いろんな人間がいることを、その交わりの中で子供は学ぶし、どういう場面で、どう助けてもらうかを、子供たちは学んでいく。逆に、どんなとき、自分は、誰を助けられるのか、学んでいく。障害を持つ子が、そうでない子を助けるときだってあるのだ。この子供たちを見ていると、特別支援教育なんて特別なものじゃなくて、障害を持つ子だけのものじゃなくて、いろんな子がいることを、いろんな人がいることを、関わり合い理解することで、助け合って行くことを学んでいきながら、それぞれができるせいいっぱいのことをこつこつ積み上げていく、ただ、それだけのことなんじゃないかと思ったりする。
2007年03月12日
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2月は台湾、韓国人の旅人が多かった。一昔前は、アクセスとか全然わかってない人が多くて、北海道は予想外に広くて移動しきれずに無断キャンセルというも随分多かったけれど、 随分とネットの情報が行き渡ってきたようで、何に乗って、どこに行って、何をして、何を買い、何の体験をするかきっちり調べてきている人が多かった。乗換駅や時刻表もきちんと調べてあるし、確認もきっちりとってくれた。主要な駅の観光案内所にも中国語を話す職員がいるので確認の電話もあった。 台湾、シンガポールの人はチェックインのとき、なぜか子供たちにおみやげをくれる。珍しいあちらの民芸品や菓子など。おかげで、同宿のお客さんやうちの子供たちは喜んでいたけれど。 彼らは日本に着いたら、秋葉原に立ち寄るらしく、家族が一人一台ずつデジカメを持って歩いていたのが印象的だった。特に、台湾の人は雪が珍しく、北海道は冬こそが魅力だと言っていた。家の周りで、雪遊びして大はしゃぎしていた様子が印象的だった。 台湾人客はロイズや六花亭のお菓子を大量に購入する傾向がある、と、台湾人バックパッカーから聞いた。なんだか、台湾人観光客には、高度経済成長期の日本のような、勢いを感じる。 韓国の若い人たちは、上手に日本語を操る人が多かった。あちらで、日本のドラマが大流行らしく、ドラマで自然に日本語を覚えたという。すごいな・・・若い力は。 日本人のおばさま方も、韓ドラマの影響でハングル習う人が増えたのと同じか・・・ 私も、韓国ドラマでハングル覚えられるかな? 驚いたのは、韓国ではヨン様は不評らしい。日本ほどの人気ではないとのことだった。 ウォンビンは人気あるらしいけど。 いづれも、おどろかされるのは、どの国の旅人も、英語を巧みに話すことだ。 なぜ、日本人だけが、こんなに長い時間をかけて英語を勉強してるはずなのに、会話がヘタなのだろう?なぜ、海外に旅行に行く若者が多いのに、英語を話せないのだろう・・・ 子供たちが学校で月に1度、外国人の先生が訪問されて、コミュニケーション遊びをするという体験授業がある。受験英語ではなくて、コミュニケーションの道具としての英語を身につけていってほしいと思う。 それと、外国人旅行客と話すとき、思うのは、日本人として日本の文化を話すことが苦手だということ。 外国人旅行客はみんな、自分の国の文化をきちんと説明できる口を持っていたのが印象的だった。 日本人のアイデンティティに乏しい自分を恥じてしまう。おひな様ひとつにしても、満足に説明できない自分が恥ずかしかった。これからは、自分の国を堂々と語れるおばさんになりたい。
2007年03月10日
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卒業旅行シーズンだというのに、航空運賃が高い。黙っていても人が動く3月。旅人の足が遠ざかる・・・そんな中、けなげにも、苦労して北海道まできてくれる旅人がいた。 北海道&JR東日本パスを利用して来たという。乗り換えに次ぐ乗り換え、タイムロスを防ぐ裏技まで駆使して来てくれたという。 裏技というのは、札幌駅で乗り換えると3時間待ちになってしまうところを、もっと手前の駅で降り、乗り換え便と行き会う次の駅まで、タクシーを飛ばすという裏技だそうで、本州の学生さんグループがよく、こんなローカル駅を使いこなすものだと感心した。 3時間のタイムロスを防ぐことで、ゆったり観光も楽しめたそうだ。気骨のある若い旅人に出会うと、なんだかうれしくなってしまう。 本当に少なくなった日本人バックパッカー。彼らはどこへ、行ったの?彼らは、お手軽便利な海外へ・・・ そうだよね。うちのスタッフもみんな、海外経験者だもん。バリ、タイ、インド、中国、ヨーロッパ、ニュージーランド、オーストラリア、アメリカ・・北海道行くのと韓国行くのと旅費はたいして変わらないんだと。学生のうちは、時間的経済的にゆとりがあるので、海外へ。就職して、休みがあまり取れなくなったら国内の温泉へ、ということらしい。 なるほどね・・・
2007年03月10日
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先日、宿にお泊まりいただいた札幌の大学院生とおしゃべりを楽しんだ。本州育ちの彼らが北海道に住んでみて、どうしても理解できない北海道独特の文化があるそうだ。生まれも育ちも北海道の私にとっては当たり前のことなんだけど、本州の人からみるととても不思議な現象らしい。Q:北海道の人って、赤飯に甘納豆を入れるでしょ?あれって、信じられないっすよ。A:確かに、入れてる。甘納豆派と小豆派が存在するけど。 特に、おばあちゃんの同居する家庭に甘納豆入り赤飯は浸透していたように思う。 食紅でうっすらピンクに色づけした赤飯に、でっかい甘納豆。甘納豆の甘さとほんのり塩味のコントラストが甘納豆派にはたまらない。 本州ではあり得ないお話のようですが、本当のお話です。でも、私の実家では小豆の赤飯がすきでしたけど。 スーパーマーケットでも両方売っていたりする。食べ比べてみれば、以外にはまるかも・・・
2007年03月09日
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夫と、娘がインフルエンザに倒れて以来、私は鼻水すすりながら健闘しているのだ。でも、わたしもやばい。なんだ、このからだの節々の痛みは。鼻水が滝のように流れる。頭がボーーっとする。時間の問題かも。しかし、まだ元気な2人のスタッフと息子を道連れにはできないのだ。料理つくるのも、しんどいな。こんなとき。土鍋料理なのだ。というわけで、今日の賄いは「鶏がゆ」作り方は1.土鍋に湯を沸かす。2.鶏もも肉を1口大に切って、土鍋に投入3.丁寧にアクと油をすくい、よくだしが出たらば、酒と塩で味を調える。4.ご飯投入。ふっくら煮えたらできあがり。5.大量の白髪ネギを用意。(斜め薄切りでもよし) ホントに大量に。用意したら、醤油とごま油で和えておく。出来たお粥にこのネギを薬味にいただきます。お好みで、松の実を散らしてもよし。これだと、お粥はちょっと苦手という人でも、たいてい喜んで食べてくれます。シンプルな味つけなので、塩にはこだわりたい。「海の精」とか、ちょい高めだけどおすすめ。ホントにうまい塩です。我が家のマイブームは、バリ塩。バリ好きの友人からいただいたもの。甘みがあって、まろやかなお味。日本ではなかなか手に入らないので、バリ旅行に行く友人に頼むといいかもしれません。
2007年03月08日
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タミフルって、副作用に腹痛、吐き気などの消化器症状、発疹などの皮膚症状、精神神経系の症状などが報告されているけれど、ニュースなどで死亡事故なんかが報道されているから、飲ませる側としては、慎重にならざるを得ない。飲ませたら、気になる間は、そばを離れるべきではないだろう。 今回病院では、タミフル以外の薬は一切出なかった。いつもの風邪なら処方される解熱剤さえも出なかった。40度近い熱がまる2日続いたら、どんな健康な人間もおかしくなっても不思議はない。 娘も、タミフルのせいなのか、インフルエンザの高熱のせいなのか、幻覚、幻聴、興奮、不安、意識の混乱などはひどかった。今、自分がどこにいるのか、全くわからなくなってしまっていたようだった。 30分に1回、不安からパニックを起こしていた感じ。 「なんで、なんで?全部くるくる回ってるの?なんでぇーーー?!」 「それはね、熱が高いせいだよ。心配しなくいいよ。」 「なんで、窓の向こうが真っ暗なの?」 「だって、今、夜だもん。」 「えっっっl?朝じゃないの?なんで?なんで?」そりゃ、寝てばっかりだと、わからなくもなるさね・・・ 「体がぁーーーー、シ、シューマイになった気分だぁ。た・す・け・て・・・」 「外出したぁーーい。風にあたりたいのぉ。」外は、まだ冬。氷の世界よ。真っ暗よ。何いってんの?下敷きでぽよぽよと仰いであげた。 「はぁーーー、きもちいいぃ。」目を開けたまま、寝ないでよ。怖すぎる。暗闇に浮かぶ半目開きの寝顔。 こんなやりとりを30分に1回ずつ繰り返しながら、午前4時ころには、だんだん熱が下がってきた。さすがだよ。タミフル・・・ 朝には、すっかり、平熱になっていた。ときどき、熱が上がったり下がったりするものの、目に見えて良くなってきている。今は、へらへら笑ってアニメをみられるほどになった。 やばいのは、今度は夫だ。寝込んでしまった。寒気がするらしい。今日、パソコンも復旧して、安心したのもつかの間。ほっとしたら、その心の隙間にインフルエンザはやってくる。 スタッフたちに、早く病院に行って、早くタミフル飲んでね、と言われていた。でも、このタミフルって、寝ぼけのひどい人にはより強い精神症状が現れたりするんじゃないかと、心配である。夫の奇行だけは、勘弁してほしい。 免疫つけよう。エキナセア
2007年03月07日
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学校から電話があった。 娘が38度以上の熱を出したので、迎えに来るようにとのことだった。寝起きが悪いのはいつものことなので、別に気にもならずにたたき起こしてしまった。ありゃりゃ、可哀想なことしちゃったわ。 家に帰るなり、あのハイパーアクティブな娘が寝込んでしまう。だが、いつもより会話がかみ合うの気がするのは、なぜなんだろう・・・ 夫が言う。 「ばあさんも、こいつもそうだけど、高熱出して寝込むくらいの状態でやっと人並みになるんだよ。」 そうかもしれない・・・と思った。 まあ、今日は様子を見ることにしようと、豆腐やらゼリーやらアイスクリームやスポーツ飲料を与えて様子を見た。 なんだか、病人であるのをいいことに、自分でできることまでやらされているような気がした。ま、いいけどね。病気の時、母さんに優しくしてもらった思い出の一つや二つは誰でもあるもの。病床で、娘があえぎながら何か書いている。何かとのぞいてみれば、「私が生徒会長になったら、うんぬんかんぬん」どうやら明日、生徒会の選挙らしい。「明るい学校にしたいです。みんなをまとめたいです。」ってあんた、家の中もまとめてくれ。と、母は思った。 学校に連絡すると、生徒会長の選挙だけ、来週に延ばしてくれたそうだ。よかったね。娘よ。一夜あけると、熱が40度近くになっていた。病院に連れて行くと、インフルエンザのA型だった。タミフルが処方された。軽くゼリー飲料を飲ませてから、タミフルを飲ませようとしたら、娘が、 「いやーん。わたし、はしっちゃう。こわい。」と言った。うちは高層マンションではないし、家から道路も遠い。家の中で徘徊しても取り押さえる人間は多いから、思い切って飲ませてみた。40度もの熱が続くと、意識が混濁してくるようだ。うわごとばかり言っている。目が開いていても、夢の中にいるらしい。半目開きで寝ている。これは、タミフルのせいばかりでもないだろう。 夜中には、高熱が微熱に変わっていた。だが私も不安で寝られない状態だ。娘の奇行が心配だ。明日の状態を見て、また病院に行くかどうか決めようと思う。風邪予防ならエキナセア
2007年03月06日
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