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最近、生活の格差が開いてきて、それが固定化しつつあるという。中流が減って下流が増え、二極分化に向かいつつあるという。そのとおりだと感じることが多い。私の住んでいる府中でも、数十年来観察していてそう思う。まず小さな小売店というものがめっきり減ってしまった。魚の小売店などはないに等しい。引売り業者もいなくなった。中型のデパートとスーパーも駆逐された。今では大型店同士の競争がすさまじくなっている。この前までけっこうはやっていた大型店のそばにさらに大きい超大型店がドーンと出て、品物は豊富、値段も安く売るで、すごい叩きあいである。やがて何店かが店をたたむだろう。どこのスーパーでもレジ係りを募集しているが、相変わらず1時間850円である。それも朝9時から11時半までとかの細切れ時間の勤務者を求めている。この時間だけ人が要るので30分まで刻んでいる。いくらなんでも勝手すぎるのではないか。こういう人の月収はせいぜい10万から15万くらいにしかならない。この1時間850円というのはあまりにも安すぎる。こういう低賃金に支えられているから大型スーパーがさらに増えるのだ。嘱託、派遣社員、契約社員、フリーターなど非正規社員は全体の勤労者の3分の1にも達しており、やがて半分になるだろうと言われている。この人たちは退職金も企業年金もボーナスも出ない。正規社員とほとんど変わらない仕事をしていても給与は正規社員よりも3割も安い。企業にとってこれほどありがたいことはない。こういう状態は問題ではないか。経営者、政治家は真剣に考えるべきである。私も嘱託を長くやったが、どんなに屈辱的な思いをしたことか、今でも涙が出るほどだ。そういう人が今大量に増えつつあるのだ。
2006/02/26
毛沢東が政権を取ったとき、中国の人口は5億人か6億人くらいだったと思われる。そのうち85%くらいが農民で、一人当たりの耕地面積は日本の農民とほとんど同じだが、生産量は半分以下、華北のほうはとくに貧しく、子供たちは着るものがなく全裸、家畜にやる餌もないので、アヒル、豚などを放し飼いにしていた。工業は未発達で日本の中小企業程度のローテク。広い国なのに鉄道総キロ数はせいぜい日本の倍、灌漑施設などは貧しく、資源は偏在していて、自然災害が起こるたびに数百万単位の餓死者が出ていた。たえず国内はバラバラで国民意識というものもできていなかった。中国は北はソ連、南はインド、東南アジア、東は日本という具合に地理的に包囲されている感じで、空軍も海軍もなく無防備に近かった。中国政府の歴代の危機感はここにあり、毛沢東の焦燥もここにあった。一刻も早く工業を起こしてインフラや兵器の自主生産ができるようにしないとせっかく作った社会主義国が崩壊するというあせりで、夜は睡眠薬を飲まないと眠れない状態だった。反対派による暗殺の恐怖にもつねにおびえていたとユンの本に書いてあった。そのようなあせりが軍事超大国計画になり、強引な「大躍進」政策になった。ツルハシ、スコップで土を運ぶ人海戦術による大運河建設、7千万農民をつかっての土方高炉で無駄なクズ鉄づくり、過密農法による農業増産策など、世界から冷笑された50年代の記事はいつも中国が発信源だった。経済封鎖されて技術を導入するあてがないから常にソ連、東ドイツに頼り、分不相応な大量の農産物を出して交換した。この無理が自然大災害と重なって3千万という犠牲者が出たと劉少奇が公式に認めている。追い詰められた毛沢東は劉少奇、彭徳懐とついに妥協して政策を緩めるが、その仕返しを紅衛兵をつかった文化大革命で行う。このあたりはまるで古代の帝王の権力闘争さながら、水滸伝レベルの話である。毛沢東が行う闘争手段は軍部を背景にした、大規模内乱も辞さないぞ、というおどしで反対派は沈黙してしまう。後世の歴史家はこの文化大革命を「毛沢東の乱」と名づけるのではないだろうか。この毛沢東の乱は日本まで影響し、全共闘の騒乱になり、伝統ある左翼社会主義が日本でも崩壊してしまった。ユンは毛沢東の圧政、人命軽視戦略により7千万人が犠牲になったと書いている。毛沢東が死に、冷戦が終わってと小平の時代になってやっと中国も変わった。時移ってここ一〇年高度成長が続き、今では中国は世界の工場といわれるまでになった。ここにくるまでに百年、中国の国民がなめた辛酸ははかりしれないものがあった。それだけに中国人も政治的な学習を経たおかげで、かなりの識者も国内が割れて内乱が起こることを最も恐れている。今後の中国は施政者の恣意的な専制から法律に基づいて運営する社会に切り替えていくことが必要である。国際社会が時間をかけてそういう国内環境につくり変えていくことが国際社会のためにも必要である。毛沢東は自己や一族のための栄耀栄華を求めたのではなく、家族、近親者はみな不幸な結末を遂げている。大国化の基礎を築いたという点で中国の国民は毛沢東という存在を評価しているのであろう。
2006/02/25
毛沢東が「建国に功あり」といわれる理由は、国際社会ではまったく無名であった男が国盗りに成功するという、中国歴史はじまって以来始めて台湾をのぞく全国統一を成し遂げたからであった。これだけで偉業である。しかしそれには国際環境がものすごく有利に働いたと思う。この環境をうまくつかう点で毛沢東は異常な才能があった。まず徹底的に利用したのがソ連で、スターリンは最終的に自分の同類である毛を信頼したのではないかと思う。国民党を日本軍に重慶まで追い詰めさせ、それを利用した。農村地帯に広大な空白地帯ができ、フランスより広い地域が共産党の支配下に入り、国民党の支持基盤であった地主層を完全に抹殺して根拠地を広げていった。農村で共産軍が主にやったことは交通線の破壊で、これで都市の物資が不足し重大な社会危機が起こり、日本軍がいなくなった後、革命の機運ができあがった。さて、ユン・チアンがこれまでの共産党言葉から普通の言葉で書いてくれたおかげで、実状がよくわかるようになったが、ユンは、国民党と共産党、共産党のライバル同士の政治路線の違いを書くことを怠っている。共産党内の権力闘争にはこれといった正当非正当の基準はなく、それぞれが原理主義的で妥協というものが成立しないから結局は力によるつぶしあいになる。毛沢東が謀略をつかって同志を裏切り、友軍でさえもつぶすようにしむけたというのは一般の善悪基準でははかりかねる部分がある。相当党内の批判を浴び、孤立していながら、最終的には有力な幹部が毛沢東になびいたのはなぜか。当時の共産党といっても国民党と出たり入ったりしていて、党員がマルクス主義のマの字でさえ果たしてどこまで理解していたかどうかは疑問である。また幹部には教条主義的な人が多かったのではないか。延安時代の写真を見ると、ほとんどの幹部が軍服姿なのに毛沢東だけは無帽で、政略家の風貌をしている。長征の間も籠にのって本を読んでいたという。それも中国の古典などが多く、外国に行ったこともなく、外国語の文献を読んでいたということもないが、国際的な状況をうまくつかんで利用する動物的なカンをよく働かせている。したがって勉強量では他の幹部より相当勝っていたのではないか。スターリンの手の内をよく読み、コミンテルンのいうこともほどほどに聞き、中国式の革命の方法を研究していた。共産軍兵士の意識を鉄の意志にかえるための洗脳教育を徹底し、恐怖心によって中国人のもつもろもろの悪癖を根絶やしにするすべを心得ていた。国共内戦になってから共産軍から国民党に寝返った者は少なく、国民党から大多数の兵士が共産軍に寝返った。毛の兵士の意識改革の効果が出た。建国後すぐ朝鮮戦争に参加したが、多くの幹部の反対を抑えて強行した。これまた無謀というべき大決断である。マッカーサーは原爆を使用する承認をトルーマンに得ようとしたが、トルーマンはマッカーサーを解任した。原爆をおとされてもかまわないという人命を湯水のごとく使い捨てる毛の人海戦術が毛の戦略であった。(つづく)
2006/02/23
ユン・チアンの『マオ』を読んだ。この本を書くのに480人という膨大な数のかなりの国内外の著名人から無名の関係者まで取材し、その名が巻末に公開されている。ただし中国内に住む人は書かれていない。参考文献は膨大な量で巻末に載せられないので、インターネットでダウンロ-ドしたが、これまた何十ページにも積み重なった膨大な量である。1990年代になってから旧ソ連の文献が解禁されて、それが新たな情報源になっているほか、中国語文献もどっと出ている。よくもこれだけの情報を収集して書いた著者の執念と努力に驚かされる。さて、感想であるが、中国革命には予想以上にソ連がかかわっていたことがわかった。ある時点まで国民党もソ連の指導を受け、中国革命はコミンテルン、ソ連からの兵器、資金などが相当量流れ、日本降伏後、日本軍の武装解除をするため国民党軍は2ヶ月も遅れて華北に到着するなど、まったく弱体化していたことがわかる。共産党の八路軍も“はだし”同然の兵隊で一時は国民党軍に追いまくられて東北の奥まで追い詰められる。それが勢いを盛り返すのは、ソ連領からの補給を受け初めてからである。また膨大な日本軍の兵器弾薬をソ連から受け継いだことが大きい。満州国軍20万も共産軍に編入され、日本兵が武器の操作などの指導を行ったことも書かれている。こうして逆転現象が起きるわけである。また、毛沢東がソ連から工業化技術や原爆などの軍事技術をひきだすために、その代金として膨大な食糧を輸出し、それが国民を飢えさせ、劉少奇や彭徳懐の背反にあったことが改めてわかった。国際社会から経済封鎖されていた逆境の中にあってどれほどの無理が行われていた、読むと体毛が逆立つ思いがする。この本は毛沢東を一貫して冷酷無残な、友軍、同志でさえも使い捨てにして粛清してしまう悪逆非道の独裁者として書かれている。一片の評価も与えていない。脚色のための誇張などを差し引いても膨大な傍証によってそのリアリティが物を言う。これを読めば誰でも毛沢東を全否定したくなるが、今日でも、中国は、毛沢東を「建国に功あり、治世に罪あり」として半分の功績を讃えている。おそらく秦の始皇帝に次ぐ中国大陸が生んだ英雄として、今でもその肖像が飾られているし、本屋でも毛沢東全集が正面に飾られてある。これは結局何なのか。一方でこの本が問わず語りに描き出した毛沢東像について考えたことを次に書きたい。
2006/02/22
ここのところブログを休んでしまったのは、忙しかったことと、今、ユン・チュアンの『マオ』(上下2冊・講談社)を読んでいて、このどえらい毛沢東評伝にすっかり頭が占領されてしまったからだ。ようやく1冊半くらいを読んだ。ここ数年の間でこのくらい刺激的な本に出合ったことはない。読み終わった後、ゆっくり考えて感想を書くことにしたい。昨日、松山真之介氏の講演を聞いた。この人はWebooks&ジェイカレッジという1万人の読者をもつメルマガの発行人で、講演の題名は、ネット時代の楽しい生活基盤というのを中国語風に「網縁時代的生活楽基」としている。最初に、自分は朝4時に起床している。この早起き習慣を確立しなかったら今の自分はありませんといい、早起きは3文の徳どころではなく、1年間で2・3ヶ月分の時間を増やせるのだという。また、妄想しなさいというのも面白かった。モウソウゲームをやったらとたんに会場が盛り上がった。聞きながら、この方の語りは誰かに似ていると思いながら思い出せなかったが、あとで思い出したのはかつて予備校講師で授業巧者ピカイチだった苅田剛彦氏だった。若いのに大した賢人だと思う。人をひきつけるすべを知っている。終わったあと、隣の席で、あなたは「金槌で殴っても変えられない人を溶かすすべの達人ですな」といったら、そう言われたのははじめてだと答えられた。とにかく楽しい一日だった。
2006/02/16
ポランスキー監督のオリバー・ツイストはさすがに完ぺき主義で重厚な芸術作品だった。主人公の子役や俳優連がすごい。イギリスの文化の厚みを感じた。私は歴史物は必ず観に行くのは、過去の状況がありありと想像できるからである。さて、原著者のC・ディケンズは1812年~70年の生涯だから、彼が描いたロンドンは1820、30年の頃ではないだろうか。この頃は映画が描くように貧富の差が激しく、主人公たちのようなスリ稼業の貧しい少年や売春婦、泥棒、乞食、酔っ払いなどがロンドンにたくさん居た一方、スリの対象になった金持ちの地主やジェントルマン、貴族などは快適な生活をしていた。マルクスが告発した少年の過酷な長時間労働などを想像させる場面も出てくる。イギリスの人口は1800年に1050万だったのが、1870年には2600万人に増え、ロンドンの人口は100万、人口爆発の時代といわれ、都市化の問題がひどかったといわれた。1837年から1870年からイギリスの黄金時代とよばれるビクトリア時代が始まる。帆船は蒸気船になり、鉄道が発達し、アメリカ大陸や豪州、植民地などへの移民や赴任が多くなり、19世紀の中ごろには世の中が一変し、この映画にみられるような貧苦問題は解決したのかも知れない。この映画に描かれる裁判官や救貧院の役人はやたらに威張っていて権威主義の塊である。一方オリバーをスリ仲間に引き入れた老人のボスや売春婦は人情があって優しい。イギリスにも今の途上国のような時代があったわけである。それもほんの150年ほど前に。イギリス貴族は山高帽にステッキを持っているが、なぜ若い年齢の者までステッキなどもっているのか不思議に思っていたが、イギリスの小説にやたらに貴族が下僕や乞食、物売りなどをステッキで叩いたり追い払う記述が多いので、これは歩行用ではなくそういう道具なのだなと思ったのである。
2006/02/05
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