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昨日は外語大今期最後の酒井授業で、「イラク―狼の谷」というトルコ映画を観た。この映画の話はフィクションだが、描写はイラクのキルクークあたりの激戦場の現実をかなり忠実に映像化しているという理由で教材に選ばれた。あらすじは、トルコ映画であるから、トルコの情報将校が主人公で登場する。彼ら一行が秘密にイラク入りし、米軍にひどくとっちめられる。別なところでアラブの結婚式が進行している。大勢の客が慣習で祝砲を撃つ。すると米軍部隊が武装集団だと誤解して急襲し、全員を容疑者として拘引し、サムという隊長が抗議した新郎をピストルで射殺する。トレーラーに詰め込まれた婚礼の客たちは収容所に運ばれる。そこにサディスティックな下士官(血の凍るような異常性格者を演じた俳優は秀逸)がいて、自動小銃でトレーラーのアルミ壁越しに自動小銃をぶっ放す。中は血の海になり、死者の内臓はくりぬかれて移植用に持ち去られる。新郎を殺されたレイラという新婦は復讐に燃えて、トルコの情報将校の一行を助け、サムに戦いをいどむ。サムの部隊は武装集団の殲滅戦に乗り出すが、レイラもトルコ将校もいっしょこたに敵として扱う。私はキルクーク作戦に従軍したアメリカ人ジャーナリストの生々しいルポを読んだが、なるほどこの映画の描写はこのルポをそのまま映像化した感じであった。武装勢力がたてこもる民家を武装装甲車から小型ミサイルを発射して跡形もなく粉砕するシーン、恐怖にひきつった顔の米兵が各家のドアを蹴破って武装勢力を捜索するシーンと銃撃戦、自爆テロに遭って手足をもがかれ、血の海の中であえぐ民衆の姿、テロ容疑者を肉体に痕跡を与えないあらゆる手段で拷問する収容所の米兵、一方、外国人ジャーナリストを処刑しようとする武装勢力にイスラム高位聖職者がアラーの教えにそむくといって禁止する場面など、酸鼻をきわめるシーンが連続して観るに耐えなかった。これほどの残酷シーンは日本人の映画監督はとても撮れないだろうと思った。さて、問題はこの映画がトルコで観客四百万人を動員し、トルコ映画史上最大のヒット作になり、イスラム諸国でもヒットしたという事実である。トルコはNATOの加盟国であり、イスラエル、アメリカと軍事同盟を結んでいる国である。冷戦期はソ連の南下を防ぐ強力な防波堤であり、中東の戦争にはいっさいかかわっていない。そのトルコがアメリカ軍を徹底的に悪者扱いにした映画をつくり、アメリカ軍将校に復讐し、国民がそれに喝采したということは、反米感情が中東全体に広まっていることの表れであろう。1月5日から9日間にわたってブッシュ大統領が中東諸国を歴訪して、イランに対する経済封鎖、軍事的な包囲網を説いて回ったが、サウジをはじめとする湾岸の友好国でさえこぞってイランは敵だとは思っていないから賛成できかねるといって断った。アメリカの中東政策が完全に破たんしたことの現れであろう。外語大ではアラビア語、ペルシャ語、トルコ語科の学生が中東各国の主要新聞の記事を翻訳して「日本語で読める中東メディア」を開設した。ぜひ活用してください。http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/news_j.hyml
2008/01/31
日本国民の古紙回収率は70%という驚異的な数字だ。これも森林破壊はやめてほしいという国民の願いから発したものである。私が住んでいる府中市のごみ箱を開けてみても燃える紙類ゴミはめっきり減少しているのがわかる。それなのに、製紙会社は古紙使用率何%とうたっておきながら、その率をごまかしていたのだ。これは国民の環境保護の願いや努力をうらぎるものだ。今から35年くらい前の東京の空は黄色ぽい灰色でスモッグ空といわれた。今の中国と同じだった。それが今では青空が広がっている。これは企業の省エネ技術のたまものであろう。同じように製紙会社も二酸化炭素を吸収してくれる森林破壊を食い止める社会貢献をしてほしいわけである。しかし品質維持競争の前に、コンプライアンス経営も棚上げにされてしまった。あちこちの企業がかかげる環境保護を訴える美しいイメージ広告、国民はこういうのでだまされていないだろうか。日本企業がCSR(企業の社会的責任)のテーマに一番多く選ぶのが、よりよい商品、サービスを社会に提供すること、コンプライス経営であり、次に多いのが環境保護である。一方、国民が企業に求める項目でいちばん多かったものが、環境問題、製品の安全性、消費者保護(2002年環境省調査)であった。ところが、ヨーロッパの企業が社会貢献の項目に選ぶもので多いのは、途上国における貧苦問題、紛争の解決、人権の尊重、保護などで、「あなたがわが社の製品を買えば、途上国で学校が建設されます」とか「エイズが撲滅されます」というように、CSRというよりも企業活動の一部をなしている。日本企業が右に習えみたいに環境、エコばかりいうのはいいが、それ以外に社会の深刻な問題、青少年の非行や麻薬使用、医療、教育などいたるところに問題があるのに、こういう分野をテーマに選ぶ企業はほとんどない。私が聞いたところでは、企業が社会貢献のテーマを選ぶ時に、「わが社がやるのにふさわしい分野は何か」という議論になると、あまりシリアスなテーマは避ける、行政とか政治にかわってくる問題は避ける、負担的に重たいテーマは避ける、ことになって、最も無難な環境が選ばれるということになる。私は、教育、医療、ワーキング・プア問題に企業はもっと乗り出してもらいたいと思っている。
2008/01/29
元リクルート社員の藤原和博和氏が校長になった杉並区立の和田中学校では、塾の講師を招いて公立の中学校の教室をつかって進学のための特別授業を始めた。東京都教育委員会ははじめは教育の機会均等に反すると言って反対したが、一転して容認に転じた。藤原氏のアイデアは非常に良いと思う。どうせ夜はあいている学校の教室を有効利用して塾を開けば安い授業料でやれるから、生徒にとっては塾に通うよりトクである。しかもカンドコロを教えるプロからならうから効果が高い。都の教育委員会が最初、教育の機会均等を損なうとしたのは、公立の学校をつかって、公立の学校が一部のできる生徒に優遇的機会を与えるのは問題だとしたわけだが、この理屈をすりぬけるために、できない子の底上げの授業もやることにし、運営主体も地域の父母団体にしたのはよかった。今はあらゆる手立てを講じて人材を育てる選択肢をふやし、可能性を広げなければならない時代になった。私は公立学校が一般的に振るわない理由は、文科省という役所が画一的な指導・管理を押し付け、学校や先生の独創性を奪っているからだと思っている。学校教育制度は学齢に達した子供を地域で集めて、段階的に教育をほどこす制度であるが、同じ年齢だといっても、さまざまな家庭環境で育った子供、素質も千差万別の子供、早熟の子もあれば、おくての子もあるのに、彼らを一堂に集めてやるというのは乱暴というものである。教えるのは全国で何十万という先生という名の教育労働者あるいは公務員である。学校教育の目的は、国家社会の成員となれるような、つまりちゃんと会社勤めができるような人間をマスとして育てることにある。だから最低必要なのは読み書きソロバン能力と社会常識である。こういうのは、「教育」かというと、そうではなく「国家運営論」の一部なわけである。だからだいたい荒削りになってしまうのは避けられない。先生という教育労働者の中にはすぐれた人もいるが、全員がそうであるとは限らない。平均的なレベルの人たちである。こういう国家運営論を言う人は、政治家とか官僚とか評論家とか、社会の上層にいるおえらい人たちである。はっきりいうと、こういう国家運営論は本当の「教育」とは関係がない。本当の教育は個人レベルで考える教育である。藤原氏がやったことは、国家運営論の手段としてつくられた学校の空き教室を有効活用して、個人レベルの教育機会を創り出したことにある。これからはできる子はもっとできるように(単なる学力でなく)育てるのも一つとする多様な教育機会の創出が必要になってきた。
2008/01/26
じわじわと物価が上がってきた。収入は上がらない。株価も上がらない。福田内閣はまったくの無策そのものである。こういうときにたとえガソリン代が25円下がれば、その分だけでも焦眉が開ける。国民が困っているときですから、ほんのすこしですけど、ガソリン税の暫定分を廃止して、国民にお返しします。36年間もいただいてありがとうございました、というのが筋というものであろう。ところが首相も官房長官も「税収に2兆6千億円も穴が開いたらどうするつもりですか」とうそぶく。これは財務の下っ端役人の言い草ならわかるが、国のトップに立つ人間の言うことではない。それを10年間も再継続というのは目の前にある油揚げをさっとトンビがさらっていくようなキタナさである。既得権は絶対放すまいとする醜い姿である。道路建設に使うより、道路上を走る車のガソリン代を浮かす方が国民経済的にははるかに有益である。国民が気分よく働けば、経済が回って、税収にもそれが跳ね返ってくる。それがお互いの美学というものだ。国民の生活をとにかく回してあげることが第一なのだ。困った挙句に財源をねん出するという場合の原則はひとつしかない。まず税金で受益しているところから削るということである。それも大きく受益しているところの割合を大きくする。税金で生活している官僚は給料の一部が減らされても仕方がないのである。日清戦争やその他の戦争で中国が負けたとき、膨大な賠償金が課された。財源に関税を差し押さえられた。役人は下っ端の者まで給料を半減させられた。第一次大戦で負けたドイツは膨大な賠償金を負わされ、官僚をはじめ、国民の給料は減らされ、塗炭の苦しみを味わった。これは国家の失敗の責任はまず国家の官僚が率先してとるのが順序であるからである。ところが、日本の政治家、官僚は国民から取った既得権は自分たちのものだと考えている。国民にはどうしても渡さないと考えている。
2008/01/21
正月明けの6日、久しぶりに高尾山に登った。頂上は人でいっぱいだった。薬王院の壁に十善戒がめ書いてあったので写して帰った。曰く、不殺生・・みだりに殺生しない不偸盗・・盗まない不邪淫・・男女の道を乱さない不妄語・・うそをつかない不綺語・・むやみにしゃべらない不悪口・・粗暴な言葉を使わない不両舌・・中傷しない不慳貪・・ものに執着しない不瞋恚・・おこらない不邪見・・まちがった考え方をしないお、ruつまり人間がしてはならないことが書いてある。これだけしなければ、かなりまともな人である。他の宗教でも戒律があって、してはならないことを数多く挙げている。法律でも規則でもそうだ。Must not, should notである。「ベカラズ」で道徳、倫理を防衛している。 山を下りながら、考えた。どうしてネガティブな禁止項目が優先されたのだろう?たしかにネガティブな禁止はわかりやすいし、誰でも反対しない。人間が生まれつき備えている良心にかなっていることだ。それをさらにつよくダメ押ししたのであろう。でも、「こうしなさい」「こうしたらいいよ」「こうしたら人に喜ばれる」という徳目はあるようで少ない。自分が欲しないことは人にするな、愛の心、慈悲の心、惻隠の情、善、仁という総括的な教えでひっくるめて、あとはすべてケースバイケースで適用せよ、ということになる。「・・したらいけない」「must not」とくりかえし人間は教えこまれると、だいたい悪いことはしなくなるだろう。しかし、いいこともしなくなるのではないだろうか。私はこのネガティブ語をひっくりかえしてポジティブ語にして教えたほうが、いいような気がする。世の中の賢人のような人が、自分の失敗談などを交えてポジティブ話にして話す習慣をひろめたらいいのではないだろうか。
2008/01/20
朝青龍が療養を理由にモンゴルに帰っていたときにサッカーをして遊んでいたことがばれて2場所出場禁止になり、マスコミでのバッシングが続いたが、私は2場所出場停止という罰をあたえたのであるから、マスコミのバッシング、とくに横綱審議会委員の内館女史の発言は言いすぎ、個人的な嫌悪の出すぎだと思っていた。その朝青龍が帰ってきて相変わらずの強さを発揮し、相撲人気が盛り上がっている。朝青龍応援の声もあがって人気の強さを思わせる。スポーツ紙は早速「ヒール」という名称を与えている。「ヒール」とは何かと辞書を引いてみたが見当たらず、プロレス界の悪役という意味があることを知った。一方で横綱の品格ということをさかんに言いながら、悪役にして面白がるというのはいかがなものか。勝手なものだ。江戸時代に雷電為衛門という荒技の力士がいて、相手力士を持ち上げて土俵に故意にたたきつけたり、柱に投げ飛ばしたりしてやんやの拍手喝采をあびたという。雷電は大関で終わったが、この時代にはあまり品格の何ぞということは言わなかったのではないかと思う。つまり荒くれである。荒くれは我が国では昔から珍しくなかったし、別に悪者というのではない個性であった。男の喧嘩は一種の華であった。威勢のいい神輿行事には喧嘩も刺身のつまみたいに入っていて、このときばかりは天下御免、世の中も許容していた。ところが、今は荒くれはいなくなって、男はすっかりおとなしくなった。ところが、モンゴルでは数十年前の日本と同じで、荒くれがいて、それが朝青龍というわけであろう。朝青龍をみていて、一時はあまりにも強くて憎らしいと思ったことがあるが、やはり強いというのはひとつの価値である。こういう強いのがいるから、いかにこれを倒すかが力士の目標になり、相撲のしまりになって盛り上がる。私は朝青龍について品格だのどうだのとは言わないことにした。
2008/01/18
9.11事件を起こしたテロリスト19人のうち、16人はサウジ・アラビア国籍だった。2007年10月のイラクでアメリカ軍に逮捕された外国人武装勢力の国籍別統計では、アルジェリア42人(7%)、エジプト5人(1%)、ヨルダン11人(2%)、リビア112人(19%)、モロッコ36人(6%)、サウジ・アラビア244人(41%)、シリア49人(8%)、チュニジア32人(5%)、イエーメン48人(8%)、その他15人(3%)であった。この中でも飛びぬけて多いのがサウジ・アラビアである。アルカイダのオサマ・ビン・ラディンもサウジ出身である。サウジと聞けば、古代的で、なんとなく穏健な感じで、お金持ちの国というイメージであるが、どうしてこう誤解していたのかとつくづく思う。今日の外語大の酒井授業でこのことがよくわからされた。サウジ・アラビアは王制で、ワッハーブ主義を国教としており、厳格なイスラム教を国是としている。今だに鞭打ち刑などが存続している反西洋、反近代主義を国是とする国である。ワッハーブ主義とは何かを調べてみたら、コーランに書いてあることやムハンマドの言葉をまったくの事実だと信じ、それを忠実に実践する原理主義である。18世紀にアラビアで起こり、ワッハーブ王国をつくったが、オスマン・トルコ時代に滅ぼされた。しかし、アラビア半島に根強く生き残り、サウド王家によって復活した。中東では、50年代、60年代はエジプトのナセル大統領が英雄で、近代主義、欧化主義をすすめ、エジプト、ヨルダン、イラク、シリア、イランなどはどんどん共和制に変え、議会をつくり、世俗的な近代化をすすめた。欧米に対抗するためのアラブ民族主義、社会主義が真っ盛りであった。サウジのような王制国家は封建的で時代遅れとして一蹴され、嘲笑された。サウジは危機感を抱き、自分こそアラブの盟主だとして、イスラム主義を提唱し、ソ連よりの社会主義、共産主義に石油収入をどんどん注ぎ込んで対抗した。アフガニスタンにソ連が侵攻すると、勇敢なイスラム戦士を投入して戦わせ、それにアメリカがのって、共同でソ連軍を敗退させた。この頃はアメリカとイスラム主義者は完全な同盟者であった。しかし、ソ連がいなくなってどうなったか。アメリカはイスラム戦士を用済みにし、テロリスト扱いにした。ここではじめて反欧米主義のイスラム主義がアメリカと衝突することになった。イスラム諸国はアラブ民族主義、社会主義、共和制などいろいろ欧米化を進めたが、どうしても西洋起源のものはうまくいかなかった。第三次中東戦争に破れて絶望的になったときに何を見出したか。暖かいヒューマニズムが残っていたイスラム主義が見直されたのである。庶民ばかりでなく、著名な学者やジャーナリスト、芸術家までイスラム主義を再評価した。日本にたとえると、なんといったらいいのだろうか。水戸光圀がとなえた皇国史観への回帰、武士道、日本精神の再評価ということにたとえられるのか。欧米の過酷きわまる権謀術数政策にひきまわされたあげく、イスラム諸国がたどりついたものがこれだった。いまこれがイスラム圏全体にじわじわとネットワークでひろがりつつある。
2008/01/15
さて、寺島さんの定点観測によると、アメリカはまず脱9.11時代への局面転換に入るという。イラク戦争での米軍兵士の戦死は3898人(昨年12月21日現在)に達した。累積戦費は7119億ドル、08年での追加要請は2400億ドル、これでベトナム戦争5年間の戦費(現在価格計算)を上回る。ちなみに多国籍全体の兵士の死者はアフガニスタンも含めて4942人である。イラク人はどれくらい死んだかというと、6万人から15万人と見積られている。ついにブッシュ大統領自身も間違った戦争であったことを認めるに至った。財政は双子の赤字は1兆ドルを超えた。つまり経常収支赤字は昨年度8610億ドル、財政赤字は2482億ドル。(補足すればクリントン時代に奇跡的にゼロにしたのに、あっという間に10兆ドルに累積した。奇しくも日本の累積赤字1000兆円と一致)実力以上に旺盛なアメリカ人の消費を満たすには、ほんとうは輸出してドルを稼がねばならないが、アメリカは自国通貨がドルだから、足りない分は紙幣を印刷するか、金利を高くして外国から借りて補う。今たくさんドルを持っている国は、日本9351億ドル、中国1兆4550ドル、ロシア4360億ドル、韓国2553億ドル、このほかにサウジアラビアなどが産油国がたくさんもっている。アメリカはというと、586億ドルである。すでにドルは21世紀に入ってから4割下落しているが、こういう国たちがドル下落を嫌ってユーロに変える動きがさらに強まれば、さらにドルは下落する。原油相場はすでにバレルあたり100ドル前後になったが、これはアメリカのテキサス州での取引価格を指標にしたもの、アメリカも産油国であり、歴史的に最大産地のテキサス州価格が基準になっていたものがいまでも続いており、原油のガソリンへの精製能力や輸送事情、季節、災害などによって変動する。いまではBRICSの需要が旺盛で供給が逼迫したことのせいにされているが、実情はそれほどでもない。これは原油価格がドル建てだから高値に引っ張られてしまう。しかし、こういう馬鹿高値だと、ドルが下落するわけである。寺島さんは恐ろしい予測をされた。アメリカはサブプライムによる不況脱出のため、アメリカは再び軍事産業を中核とする産業構造に回帰するという。軍事産業は戦争を前提としているから、こわいことである。成長力の維持とファンダメンタルズの悪化が同居し、成長率は07年の予測は2%に落ちるとされる。ここからは私の意見であるが、サブプライム問題はバーナンキFRB議長が金融恐慌回避のため、強引な手、「ヘリコプターからドルを銀行に撒く」で抑え込む。アングロサクソンはこういう超法規的なこと(エクイティ)を平気でやってしまう民族だからである。いま中間選挙でオバマ現象が起こっている。黒人系アメリカ人のパウエル、ライスが国家最高の地位にのぼったが、この流れはとまらないのではないか。オバマ議員は黒人とスエーデン移民の母とのハーフだそうだが、アメリカは、かつてはイギリス系白人がナンバーワンで次がフランス系白人というふうに先進白人国の「系」がついた人がエリートだったが、いまでは世代を重ねるごとにゴチャゴチャに混血しているから何々系というふうに表現できなくなった。かつては多種の移民をるつぼに入れて溶かしてひとつのアメリカ人化というのがスローガンだったが、やがてサラダボウルになり、いろいろな色のついた人種がいろとりどりの材料としてサラダをつくり、これがアメリカだとしたが、黒人とヒスパニックの合計が30%を超えた今ではそれも通用しなくなりつつある。オバマは新しいアメリカ人の出現というアピールで若者の心をつかんでいる。もう戦争に駆り出されるのはいやだという気持ちも手伝っていよう。オバマの方がアメリカを変える度合いがヒラリーより一歩進んでいるのは間違いない。
2008/01/13
さて、日本の経済はどうかというと、2007年の経済成長予測は2.0%、この数字があげられる理由は、大企業のリストラが進んでいること、つまりIT化や人件費を下げるためのあの手この手が打たれて企業内容がよくなったこと。輸出が好調だったこと。対中国・アジアの貿易がよかったこと、などだが、ここ数年の悪材料はさらに悪化が進行、産業の2極分化、勝ち組、負け組の格差が広がっている。07年10月水準でいえば、なんと素材原料は199.5、中間財115.7の伸びで鉄鋼などのメーカーはうはうはである。ところが最終財は92.3、このうち耐久消費財は79.1、非耐久消費財は103.7という状態で流通業界は低迷、とにかく消費が先細りである。これは都市中間層の勤労者家計可処分所得が6年間に6.8%も減っているからである。地方はもっとひどい。ワーキング・プアの問題はどうか。06年の雇用者5115万人のうち、非正規雇用は1707万人で33%に達し、このうち、年収200万円以下層が75%、テレビが毎日のようにネットカフエで寝泊まりする若者の姿を映し出す。企業は内容が好転したというのに、なぜ非正規雇用者を正社員にしないのかというと、全体の人件費引き下げが至上命題であり、企業のもうけは所得収支11.4兆円が貿易収支10.3兆円を上まわり、つまり上場企業の経常利益の7割は輸出の好調とか海外資産の運用でもうけているので、勤労者に回す気など起こらない、ということがあげられる。労働分配率は62%にまで落ちてしまった。昨年の企業正社員採用はたしかによかった。ボクは正社員でボーナスがもらえるが、3、4年前の先輩は非正社員でボーナスがもらえないというふうに、ワーキング・プアの問題は解消しそうにない。
2008/01/12
寺島さんの講演で強調された重大な世界潮流の一つは2007年(10月まで)も中国に対する貿易総額がアメリカを抜いたことである。輸出に関しては対米20%、対中国15%、輸入は対米11%、対中国25%であるが、総額は対米16.3%、対中国17.8%である。ただし、ホンコン、シンガポール、台湾までをひっくるめた大中華圏でみると、輸出は対米20%をはるかに抜いて30%、輸入は対米11%の倍以上の26%、さらにアジアでひっくるめると、輸出は48%、輸入は44%、つまり我が国はアジアでメシを食うようになったということである。人の動きでみてみると、2006年の日本人出国者は1754万人で、このうちアメリカは367万人、中国は377万人である。アジアは618万人である。アメリカといっても80%はハワイ、グアムで西海岸までいれて90%である。。では、2006年に来日した外国人は733万人で、このうちアメリカ人81.7万人、中国人81.2万人で、中国人は10年前から4倍に増えた。2007年の10月までの統計ではアメリカから69万人、中国から82万人でアメリカをオーバーした。したがって物流も人流もご近所づきあいになったということである。GDPでいうと、中国のGDPはドイツと肩をならべて3兆2千億ドル、大中華圏ではドイツを追い越し、日本に迫ってきている。さらにロシアというのがものすごく成長して、天然ガスと石油生産量ではダントツの1位2145万BDで、2位のアメリカ1679万BD、3位のサウジアラビア1198万BDを抜いている。いまや大国家になりつつある。さて、寺島さんのデータをみると、いつまでもアメリカとの軍事同盟に固執して、ユーラシアの国を仮想敵国みたいに考える人がいかに時代錯誤かがわかる。「正論」とか「諸君」に書いてオダッテいる諸君はどちらが正論か考えてもらいたい。
2008/01/11
昨夜は椿山荘で東京中小企業家同友会の祝賀会があり、そこで寺島実郎さんの講演を聞いてきた。圧巻だった。2月18日午後7時からに東中野のテラハウスで当会でも寺島さんの講演会を行うが、その予告をかねて昨夜の講演要旨をいくつかのキーワードに分けて、私の解釈を加えて説明しよう。まず世界は金融資本が肥大・独走する時代になったということ。2007年の世界経済の平均実質成長率は3.5%、世界貿易の実質伸び率は7%、世界株式市場時価総額平均伸び率は14%。つまり倍々ゲームというか、やたらに株が高くなった。つまり投機が盛んだということである。日本ではゼロに近い低金利だというのに、借り手がすくない、困って借りたい人には銀行は貸さない。だから金余り現象が起こっている。21世紀ともなれば世界中に超大金持ち、金持ち、小金持ちがいっぱいだ。中東の石油成金だけでなく中国やロシアにまで超大金持ちが出てきた。そればかりでなく、日本の個人預金1500兆円が狙われ、一部が流れだしている。ダブダブの金はどこに向かうか。金は10年で3倍になり、ニッケルは20倍だとか、銅、鉄、鉛までレアメタルは軒なみあがっている。株、国債はもとより、石油が投機商品化してバレル100ドルになった。1974年に第一次石油ショックがあったときはいきなり30ドル以上になって日本中が大慌て、銀座のネオンが消えてまっくらになるという騒ぎになった。しかし、100ドルになったのに日本は意外に平静。これはどういうことかというと、日本の石油利用効率が血のにじむ省エネ努力で36%減ったうえに、円高が高値を半分吸収しているからである。もしそうでなかったらショックは2倍で日本沈没だった。日本でタダみたいな金利で銀行に預けているより、これをアメリカの銀行に預けたら、しかもですよ、銀行から金を借りて、右から左にそれをアメリカの銀行に預けたら、寝ていても2.5%の金利が稼げるだろうということは馬鹿な人でも考えつく理屈。いちおう規制で抑えられているにせよ、利口な人はやっているはずである。大口小口あわせて100兆円くらいが最近流れだしている。これを円キャリーという。今、日本の利口な奥様たちが小口のお金でドル貯金や外国の債券を買っている。これがなんと細流が集まって大河になる理屈で、1兆円以上に達し、金融肥大経済の一翼をしっかり担っているのである。外国ではこれをミセス・ワタナベの小口円キャリーの脅威と言っているそうである。なぜワタナベかわからないが・・。個人預金1500兆円をなんとか外国に利用されないで日本自身が産業の育成などにつかう道をみつけることが課題である。政治家、財界人、学者は何をしているのか。
2008/01/10
宮部みゆきの「楽園」1はどういう展開になるかうずうず期待させられながら、2にひきずりこまれた。2は圧巻であり、巻を措く能わずというかたちで一気に読んだ。ウーンとうなった。1600枚の大作である。もうずっと前、自宅の床下に身内の者を殺して埋め、時効になるまで、誰にも知られずに住んでいた事件が報道されたが、宮部はこの事件をモデルにしたわけでなく、この事件の報道より前に、自分の姉が知らぬ間に殺されて亡骸が床下に埋められている夢をみたことから、それを小説のプロットを思いついたと巻末に記してある。私は実際に起こった事件の報道をみたとき、殺人という恐ろしさより、埋めた死体の上に15年以上も住んでいた者の心理はどういうものであったか、この方に名状しがたい恐怖を覚えた。毎日のようにそれを意識しておびえるように暮らしていたのか、あるいは案外、時間とともに忘れていくが、時折、思い出してきりきりと心が苛まされたのか、これは想像を絶する話である。宮城みゆきの設定は、どうにも手におえなくなった不良の娘を親が殺してしまうのであるが、ごく普通の親(いい人だといわれるような)がそういう悲劇に陥ってしまった流れを描きながら、自分たちの幸福を守るために誰かを排除しなくてはやっていけなくなる、殺す瞬間は理由などない、という人間の悲しさ、暗部を引きずり出した。ドストエフスキーならキリストの救いにすがるテーマになるが、宮部はどんな人間でも、たとえ極悪犯人であろうとも、たとえひとときであろうとも、人間は楽園を見出してそこに生きるよすがを求める動物である、と宮部は説明した。宮部の細部の描写でうまく特徴を表現する人物の描き方は見事だ。なんでもない日常の光景のうしろにある暗部、たいていの家庭がもっている人間の暗部をすこしずつ小出しにしながら読者をそこに連れていく息をもつかせぬ見事な手法。男性作家は戦争とか社会悪とか企業の暗部とかを好んで書くが、宮部のような女流作家は、一般家庭の中にある、人に知られずにいる暗部を描くことで男性作家と棲み分けているのだなあ、と思った。とくに愛情を与えられずに育った人間の欠落感、ゆがみというものが永遠のテーマというか、宮部みゆきに期待することは大きい。
2008/01/05
正月2日はテレビ「ビッグ・ダディ」を堪能。3時間近い番組が実におもしろかった。第一回放送をみたのは去年の秋ごろで以来続きを楽しみにしていた。話は岩手県の山村で妻の突然の出奔から7年間、男4人、女4人の子供をそだててきたビッグ・ダディ(40歳くらい、マッサージ業、アウトドアー系のたくましい男性)が、岩手の山村の分校が閉鎖したので、遠い町に高校の上の子を通わせるのは交通費がかかるというので、新聞で移住募集広告を見て奄美大島に移住を決意する。地元の人の好意で家賃3000円の家を借り、マッサージ業をしながら、畑を耕し、釣りをして子供をそだてる、まるで小説のような事実の話である。今回の第2回(実際は再放送)では7年前に当時7か月の末の子を置いて出奔した元妻がいきなり訪ねてくる。しかもビッグ・ダディの子供でないらしい三つ子を連れて。ダディは同衾を避けて近くの家で寝る。3日で早く帰れと追い返す。この元妻は名古屋の新聞販売店の配達員。なんと2ヶ月後、この店をやめて、背水の陣で奄美にやってきて、復縁をせまる。何とも勝手な女。ビッグ・ダディは復縁はあくまでノー。しかし元妻は近くで別居すれば、子供たちをくらせると希望し、ビッグ・ダディもそこまで拒否できない。そこで分院を計画し・・。ところがまたまた元妻が勝手な動きをしはじめた・・・で終わった。・・とまあ、続きが楽しみだが、見て感じたのは、このビッグ・ダディと元妻がいかなる名優にもおとらぬ“名演技”をみせたことに感心した。もちろん子どもたちもである。もちろん演技ではなく事実だからいかなる演技もかなわないわけである。名優は役になりきるために、セリフを覚えるだけでなく、モデルの人を観察してその心情や性格を理解しようと努力するわけだが、やはり実際を超えることはない。ところがなんとこの番組のビッグ・ダディと元妻はほんものそのものだから、いかなる名優の演技を超えたわけである。この放送の感想にはたくさんの書き込みがあり、それがまたおもしろかった。
2008/01/04
今年はいよいよ変化が顕著に現れる年になりそうだ。経済は苦しくなるだろうが、国民にとってはよい年になる。イラク特措法延長が衆議院で可決されるだろうが、こういうことをすると、なぜそこまでする必要があるのかと白けた空気が広がる。総選挙があり、政権が交代すると、世の中の雰囲気が変わってくる。政治の馬鹿さ加減がだんだん修正されてくる。国際的には、イラク戦争が完全に失敗だということがわかり、アメリカの政治に変化が現れる。福田内閣は日本の環境技術を中国に売ることで友好提携の歩み寄りを示したのはいいことであった。日本は立ち位置をすこしユーラシア大陸の方にシフトし、それをつっかえ棒にすれば、アメリカの属国的状態に甘んじてしまった意識から脱することができる。国民の独立自尊の意識が高まってくる。格差問題は解消しないだろう。国民ぜんぶで考えなければならない問題だ。昨年は「偽」の年であった。「偽」はなにも食品ばかりでなく、行政、司法、経済、メディア、言論などすべてにわたっている。「偽」を見分ける能力、技術、分別力の向上がこれからの課題だ。
2008/01/03
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