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日比谷のシャンテシネで中国映画「戦場のレクイエム」を観る。1948年、国民党軍と共産党軍の内戦を題材に描いたもの。ある戦場で両軍の激烈な戦闘場面が繰り広げられる。連隊長グーは最後まで死守せよ、ただしラッパが鳴ったら撤退せよとの命令を受けるが、グーはラッパが聞こえなかったとして撤退せず、47人の部下は全滅し、自分だけが生き残る。しかし、あのときほんとうはラッパが鳴ったのに自分は爆音で聞こえなかったのではないかと自責の念に駆られる。自分を含め47人の部下は戦場離脱、失踪したと評価される。グーはそのことに反抗し、戦車2輌を破壊するなど大きな戦果をあげたとあちこちで主張するが理解されない。それで生き残りの隊員を探すなど懸命の努力をする。とうとう元の戦場跡に行って泊まり込みで47人の戦友の遺体を掘り出して証明しようとする。最終的には、証人が現れ、名誉を回復し、慰霊塔が現場に建てられ、英雄として勲章が与えられる。しかし、その過程で元ラッパ手と対面し、実はラッパは吹かなかったと告白した。グーは47人を犠牲にして本隊だけが撤退したと憤激する一場面がある。さて、この映画は中国人の名誉を重んじる価値観をよくあらわしている。中国人がもっとも重視する価値感は後世に自分の名を残すということである。中国では先祖崇拝の心が厚く、子孫は立派な先祖を崇め、自分も価値ある人生を生きて後世に名を残そうとする。このため今でも名誉回復の訴訟がたくさん進行している。日本人とはこの点が違っている。このごろ、だんだん真面目な風が久しぶりにもどってきたことがうれしい。いい映画があちこちで上映されている。その反面テレビがくだらなくなった。テレビの広告収入は自動車、保険が大半だったのが、激減したため、いい番組がつくれず、昔の焼き直し再編集か、くだらないお笑い番組、芸能人のおしゃべり、いつまでたってもつづくサスペンスもの、料理番組、つまり埋草だけで無駄な時間をつぶしている。テレビは衰退してもらいたい。その代わりに映画産業が回復してもらいたい。テレビは本来文化や情報のためのツールとして価値があるにもかかわらず、広告媒体となったために堕落した。テレビはニュース、情報番組、演劇、音楽、大相撲、野球などのスポーツ中継、その他生活番組だけで十分である。
2009/01/28
オバマ政権は真っ先に中東問題に立ち向かう姿勢を示した。中東、アフガン、パキスタンにベテランの特使を派遣することを決め、悪評の高いグアンタナモ収容所の1年以内の廃止を発令した。イスラエルを守ることを声明し、ガザからのミサイル攻撃をやめさせてイスラエル市民の不安をとりのぞくとともに、ガザの将来の望みのない状況をあらためたいと述べた。この問題は今後、イスラエルロビーの働きかけでイスラエル支持議員の強い議会との綱引きが過熱してくるであろう。イスラエルにとっては、もしガザから発射されるミサイルにイランから密輸した核弾頭が取り付けられることが最大の恐怖である。オバマ大統領がイスラエルを守ると約束したのは、もしイランがそういう措置に出るならイランへの核攻撃も辞さないという恫喝を示したものと思える。ハマス側は1300人の人的な被害を受けたが、国民150万が憎悪に燃えているならその程度の被害ではひるまないであろう。朝日に白リン弾の被害を受けたガザ市民の記事がのっていたが、恐るべきことである。戦争は戦闘員や武器を破壊して勝敗を決めるという伝統がなくなってしまい、戦闘員、非戦闘員に限らず被害を最大にする殺人数の競争になってしまった。おそるべき人類の退廃である。親兄弟を殺されたガザの子供は大人になったら憎悪に燃えて自爆テロを辞さなくなるであろう。こういう憎悪の悪循環は根絶しなければならない。オバマはイラクからの軍隊の撤退を16カ月以内に実施するが、その戦力をアフガンに移動させるという。アフガニスタンはイランとパキスタンに挟まれた地域で、ここが完全イスラム化されたらイランからパキスタンにかけてインドに匹敵する地域になる。イランの東部からパキスタンにかけて広漠たる山岳地帯にミサイル基地がつくられるなら、イスラエル、ヨーロッパへの脅威が高まる。オバマの中東政策は果してどこまで成功するであろうか。
2009/01/24
オバマ氏は今日、アメリカの新大統領に就任する。前日はフィラデルフィアからリンカーンがやったように列車でワシントンに到着、今日はリンカーンが宣誓式に使った聖書を使うという。それほどリンカーンに対する思い入れの深さ。リンカーンが大統領になったのは1860年、実にきわどい時であった。イギリスとアイルランドで奴隷が解放されたのは、1834年、これは長い間のキリスト教諸派の努力の賜物であった。それがアメリカに波及し、北部の州では次々に奴隷制度が廃止され、奴隷は自由農民や都市労働者として吸収されつつあったが、南部の棉作プランテーション地域は、奴隷制度が産業地盤となっていたので、奴隷解放に反対し、11州は奴隷制度を維持するため合衆国離脱を宣言した。アメリカが分裂して2つの国になるかならないかと言う時に、大統領になったリンカーンは戦争になることを辞さなかった。こうして1861年から65年まで北部23州の動員兵力157万と南部11州の動員兵力90万が激突する大内乱になった。結果は、南部軍が敗北して講和がなった。リンカーンの有名な奴隷解放宣言は1863年に行われた。南北戦争ははじめは11州分離を許すか許さないかが争点で始まったが、リンカーンは、途中からはっきりと奴隷解放をしない州はアメリカにあらず、とことんやっつけると宣言したのである。この戦争は南北併せて65万人の戦死者を出すというアメリカ史上でも第二次大戦をしのぐ被害を出した。戦争の結果は、南部でも奴隷の解放を行うことになった。実際に奴隷はどうなったかと言うと、参政権と市民権が与えられたが、生活の道としては、一定の土地を与えられて自作農になった者、北部に移動して労働者になった者、従来の主人の小作農民となった者、プランテーション作業は同じだが、賃金制になった者などであるという。奴隷はそれまでは人間扱いされず所有者の財産であった。法的な保護から除外されていた。教育も与えられなかった。一番摩擦になったのは、雇主側の白人男性が奴隷の子女を自由にレイプしたことであった。奴隷は戸籍がないから年齢も名前も公式に記録されず、血縁のものが一緒に住んでいても親子関係とか家族関係として認められなかった。主人に忠節をつくし、従順なことが求められ、オバカでかわいげのあるサンボ・タイプがよいとされた。奴隷解放後は、ひとりひとり名前をつけ、登録制度をつくり、家族を一緒に住まわせるなどの事務が大変だったと言う。いずれにしても南北戦争はアメリカ史における最大の事件で、国内の最大の分裂を断固とした意志で戦争手段に訴えて解決するということであるから、それをなしとげたリンカーンは建国の英雄であるワシントンやジェファーソンより偉いといえるだろう。その結果、彼は暗殺されてしまったが・・。オバマもこれから国内での既得権者との間で激烈な闘争を始めなければならないだろう。既得権者は、資本家であり、経営者であり、労働組合であり、議会であり、議会に対して猛烈なロビー活動をする利益団体であろう。国際関係も緊張する。オバマがリンカーン的な気概を以てこの荒波に乗り込んで行こうとする勇気と緊張感はなみなみのものがある。
2009/01/20
水野和夫の『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(日経)を本ブログで取り上げてきたが、この本を書いた時点ではまだ今の金融危機は触れられていなかったが、最近の同氏の『金融大崩壊』(NHK出版生活人新書)はこの続編だとみていいだろう。そこでおさらいすると、95年のルービン財務長官の強いドル政策→輸入が増える→貿易赤字が出てもかまわない→アメリかに輸出する周辺国にドルがたまる→アメリカの景気を良くする=金利を上げる→周辺国のドルをアメリカに還流させる→そのドルをつかってBRICsなど新興工業国に投資して儲ける。この結果、水野はアメリカは金融資産を100兆ドル増やしたとしている。この儲けの源動力になったのが、普通銀行は12.5%のレバレッジしかできないが、投資銀行は30倍~40倍のレバレッジができたからという。1973年の石油ショックをどうして日本は克服したかというとひたすら省エネ技術で克服したが、アメリカではスタグフレーションが起きてインフレになった。それでマネーサプライ(通貨供給量)を減らすことで、克服し、金利も下げた。この頃は資本主義が円熟期に達し、実体経済では何をやっても儲からなくなった。そこで実体経済で儲けることをやめ、金融経済で儲けることに方針を切り替えた。しかし、自分の国には貯金がないから外国の貯金を利用しようと考えた。外国の貯金を利用するには、前もって道ならしが必要である。それが、IT革命と時価会計システムの他国への普及だった。IT革命でアメリカはずいぶん経済成長し、双子の赤字をゼロにすることができた。しかし、ITバブルが崩壊した。アメリカはデフレに向かうことを極度に恐れ、膨大な財政出動と金融緩和を行った。この結果、ずっと上がっていた住宅価格が上昇をやめず、金利も下がらなかった。企業収益も下がらなかった。ドルの信認が増し、世界中からドルが集まってきた。アメリカに投資すればこんなにもうかりますよという客寄せが時価会計システムだった。株式や証券を期末決算の時点で時価評価したものが企業の収益に加わるシステムにすると、経常利益を総資本で割った総資本事業利益率(ROA)が大きくなるから、経営者は株価を上げることに専念する。配当をできるだけ高め、その代わりに労働分配率つまり給料を下げる。あるいは低賃金国で製造し、コストを下げる。BRICsのような新興工業国に投資してキャピタルゲインを上げる。アメリカの赤字以上の金を集めさえすればアメリカ経済はまわっていけるという冒険が成功したから、どんどんもうかるという観念が生じ「バブルはその中にいるときはバブルだとはわからない」(グリーンスパン)となった。水野は言う。日本にもこの手が使えたはずだと。日本のほうがアメリカより貯蓄が多く1500兆円もあった。この金をアメリカの国債など買わないで、政府ファンドか何かにして、レバレッジさせて中国、インドなどの新興工業国(これこそ実体経済で成長している)に投資すれば、2000兆円くらいになったという。だが遅かりし、日本にはそういう構想力のある人がいなかった。今日の朝日はトヨタの国内生産半減を伝えている。これは30年前の第一次オイルショック直後の生産量であるという。これ以外にも自動車各社の生産量削減が報じられ、派遣労働者はほとんど全員切られることになった。アメリにおける自動車の年間販売台数はサブプライム問題以前の06年は1650万台、08年10月はこれを年間予測1052万台に落としている。ビッグスリーへの打撃は大きいが、日本の自動車輸出にもろにひびき、深刻な事態になった。水野は、日本の企業をグローバル圏企業とドメスティック圏企業に分け、後者のグローバル経済に依存しない国内需要だけに頼る企業は成長がなくなり、だんだんどん詰まりにおちていくと分析しているが、この本では、ドメスティック企業もグローバルに市場を広げないと生き延びれなくなるとしている。国内中小企業がどうしてグローバルするか。ヒントは韓国、中国などの市場への参入しかない。若い人が円高を利用しておおいにアジア諸国、ユーラシア地域を旅行してユーラシア感覚をつけるときだろう。
2009/01/17
構想日本から来たニューズレターによると、国と自治体の「事業仕分け」の結果を比較すると、国の不要な事業は全体の11%、市町村は13%、都道府県は10%という概算結果が出た。これは昨年秋ごろから、文科省、環境省、外務省、財務省などの自民党の河野太郎氏の無駄撲滅プロジェクトを傍聴して、私も実感したところである。何十年もの間、こういう無駄な仕事と予算が使われ、それを外部から誰もチェックされなかったわけである。4省の仕分けの結果、約14%が「国から手離すべき」と判定され、これを国全体にひきのばすと、83兆円×14%で約12兆円の歳出削減が可能になる。したがって今2兆円の支給金がバラマキ、景気刺激にもならないと批判されているが、この6倍もの金があまっているわけである。これを使えば、医療だとか、今困っている人の救済だとかは難なく解決できる。ここのところ、週刊文春、週刊朝日とも選挙予想をしているが、両方とも民主党の完全勝利を予測している。同じ週刊朝日で、規制緩和の旗振り役だった中谷巌氏が、『「改革」が日本を不幸にした』という記事で大勢の貧苦層を作り出してしまったことに「懺悔」の告白をされているが、口を拭って言論を180度変えてしまう人が多い中で、率直でよいと思った。いちばんの失敗は平成16年に施行された派遣法の改正であろう。私が通訳をしていたときは、この派遣法が適用されていた。通訳以外にコンピュータ技術者など特殊技術者など26業種が適用されていた。それが平成15年に製造業に単純労働者を1年から3年の期間で派遣できるように拡大して改正された。雨後のタケノコのように派遣業者ができて、単純労働者を派遣するようになった。私が通訳をしていた時は、企業と直接契約のときは、1日15000円をもらっていたが、派遣業者が中に入ると、とたんに8千円になった。7千円がピンハネされたわけである。今の単純労働者がどれくらいもらっているかは知らないが、同じようにピンハネされているらしい。こういう制度ができると、企業にとって都合がよいので、瞬く間に普及した。問題は、こういう法改正をするときに、悪徳業者が発生することを予測できなかったか、なんとかなるだろうという程度で通ってしまったのか。派遣労働者に失業保険制度を適用しておけば、最低のセキュリティになったが、それも財界と派遣業者はコストがかかるといってしなかった。
2009/01/15
早いものでもう正月も10日を過ぎた。去年暮は水野和夫の本でいろいろ勉強させてもらった。水野は企業をグローバル圏企業とドメスティック圏企業に水野は分け、前者はグローバルな需要に対応して生産力を準備する。したがって国内需要のサイズだけの生産力よりはるかに多くを生産する。しかし、外国の市況が悪化して消費が減ると、とたんに生産過剰になり、今のような派遣切りを行って生産調整をする。後者は国内の消費を相手に生産しているが、国内の需要はもうこれ以上増えず、次第に経済が縮小している。このことは実感として感じていたが、水野はデータ的にそれを実証してくれた。今の派遣切りの問題については、派遣労働システムをやめること、同一労働同一賃金の原則を守り、正社員、非正社員の区別をなくしていくこと、ワークシェアリングして雇用全体を守ること、従来の給与体系に守られて高額給与をもらっている社員の給与カットは避けられない、これを非正社員に分け与えること、セフティネットを構築すること、などすべて検討する問題は出尽くしたと思う。ドメスティック圏企業の活性化をどうしたらよいか。ドメスティック圏企業はセフティネット的役割も期待されているので、雇用を最大保証しなければならないと思う。この中でまた過剰競争したり、イノベーションしたりした結果、大量首切りという事態になることは避けねばならない。雇用を確保しながら、生産性を上げるという方策しか残されていない。私は零細企業をずっとやってきたが、ワークシェリングと同時に業務シェアリングという発想を世の中に定着させたいと思う。私がやってきた零細企業は、努力してすこしマーケットが広がってきたなと思うと、すぐ既存の大企業、中企業が同じようなことをはじめてマーケットを横取りしてしまう。力の強い者にはやはり勝てない。しかし何年もすると彼らは所詮採算が取れないとわかって、やめてしまうが、しかしそのときには私が開拓したマーケットは回復しない。さんざんブランドがどうの、品質がどうのと悪宣伝のかぎりをつくされるからである。身の丈のビジネスをさせてくれれば、生き延びることができる小企業や零細企業の分野はかなりあるが、彼らはなかなか伸びることができない。たまたま成功したところがあると、金科玉条のように褒めそやされるが、そういうのは稀であって、何万何千というマスに対してはかならず政策対応が必要である。この世の中は弱いものをつぶしていくことがあまりにもひどすぎると思っている。日本の企業は同業者が多いために、狭い市場を食い合い、シェアの取り合いに明け暮れて、どうしても安売り競争で自分の首を絞め、伸びきれない。右肩あがりの高度成長時代は成長の中でいろいろな問題が自然解決されたり、うやむやにされたりしてきたが、これからは日本の国内マーケット依存企業は経済縮小の時代に入るのであるから、どうしたら雇用を守れるか、零細小企業を生かしてやれるか、職を失った人にどういうセフティネットで救済するか、経営者、政治家、労働組合、そして国民全体がが真剣に考えないといけない時代になった。
2009/01/12
米中好伴侶時代ハーバード大学の国際政治学教授のジョセフ・ナイ氏が駐日大使に決まった。ナイ氏は典型的なアメリカ政治学会の重鎮で、『国際紛争 理論と歴史』田中明彦・村田晃嗣訳 有斐閣)という名著がある。日本の若手官僚がアメリカに出張留学する時は必ずこの教授の講座を聞くのが普通である。それで日本人にとって評判がよい。しかし、こういう人が駐日大使に起用されることが日本にとってほんとうに有利になるとは限らない。アメリカにとっては使える人であろうが。アメリカが中国を重視するか、日本に重きを置くかは、客観的に考えることで答えが出る。カーター政権時代の大統領補佐官であったズグニュウ・ブレジンスキイが冷戦後の世界戦略案を作っていて、今でもこれが定番になっている。それによると東アジアの錨は中国であり、日本は外されている。日本の軍事能力はアメリカの外交手段になっておらず、アメリカ軍の延長にすぎないという見方をされている。アメリカべったりの国というのは、アメリカの子分とみなされるから、外国からはその程度の評価しか受けない。ブレジンスキーは日本の役割はアジアに限定せず、どこでも役に立たせるプレイヤーとしている。役に立つ同盟国というのは、時にアメリカの代わりになってアメリカと敵対する国とか国交のない国に対して、自身の影響力を行使して地域の安定や危機回避に貢献することができる国である。北朝鮮とかイラン、パキスタン、ロシアなどに対して中国の影響力は効く。経済的には、自国よりも人口が多く、潜在成長力があって大マーケットになりえる国は付き合う価値がある。中国はアメリカの過剰な消費に自国商品を売り込めるし、アメリカは中国の低賃金労働を利用して輸入商品を安く入れて利益を上げることができる。さらに過剰農産物の輸出先、企業の投資先としては絶好である。中国にとってアメリカは国土面積も同じぐらいであり、気候風土、荒地を持っていること、貧苦階級が多いことなど共通するものが多く、中国が将来政治体制を変えていく場合にはアメリカの州制度がモデルになる。ひるがえって回顧すると日本は満州国を傀儡国家にし、中国の沿海部分、GDPの80%の部分を占領して、行政をしていたが、このために英米などの連合国が経済封鎖をして物資が入らなくなったので、日本本国のみならず占領地もものすごいインフレが高進した。英米に代わって日本が物資を供給すればよかったが、日本は供給能力はまったくなかった。日満支経済ブロックといっても破壊のみで機能しなかった。倒れてしまった大男を助け起こすにはそれ相応の大男が必要だが、日本は小男だったので助け起こせず、中国人の怨嗟の声を聞くだけであった。ここ10年の間に中国が立ち上がってきたのは、アメリカの過剰消費と投資力であった。つまりアメリカは力のある大男だったので中国という大男を持ち上げる力があった。別に助けるつもりがなかったが、結果としてITバブル崩壊後のアメリカの膨大な財政出動と低金利がアメリカのインフレをもたらさずに奇跡と思われたのは、中国に対するケインズ的効果が働いて、中国を近代化離陸に引っ張り上げた。つまり付き合うなら力のある図体の大きい相手がいいというわけである。中国では英語熱が猛烈に盛んになっている。外国留学先のトップはアメリカである。国際的に孤立をふかめるアメリカにとって中国は好伴侶で、中国人は一般的にアメリカに対して好感情を持っている。東洋風の差異に寛大で大まかというのがアメリカの気質にも合っている。
2009/01/10
アメリカの一極支配の構図が終焉するに及んで、いろいろな地政学的な変化が進んでいる。中東では、アメリカの友好国といえば、イスラエル、サウジアラビア、エジプトの3つがあげられるが、そう簡単な友好国ではない。まず互いに忌み嫌っている。サウジアラビアはアメリカに最も忠実な同盟国とみられていたが、アメリカでは9.11以来サウジアラビア嫌いが広まっており、サウジアラビアでも反米意識が高まっている。両国の友好関係が消失しているのが現状である。アメリカが民主主義を中東に広めるならば、まず影響力を及ぼしやすいサウジアラビアからはじめるべきだが、ケネディ政権以来失敗している。もしサウジアラビアが民主的選挙をするならば、たちどころに反米的な政権が出現する。ウサーマ・ビン・ラーディンが帰ってくるだろう。9.11の犯人は19人中15人がサウジアラビア国籍であったというが、今イラク、アフガニスタンで戦っている反米イスラム武装集団にはサウジアラビア人がもっとも多く、将校にはエジプト人が多い。彼らは本国からの「脱藩者」ではない。本国の別な勢力によって献金を受けている分派とみなければならない。サウジアラビアの宗教団体や民間団体はあまり区別せずに寄付や献金を送っている。サウジアラビア政府はこれを禁圧できない。サウジアラビアは冷戦時代は積極的に自分から金や人員を出して共産主義勢力と戦ってきた。イスラム主義と共産主義は不倶戴天の仲であったから、アフガンで戦った。湾岸戦争の費用のほとんどはサウジアラビアが出した。アメリカの議会が戦費支出を承認しないときはサウジアラビアがドル箱として金を出した。サウジアラビアはアメリカ軍に基地を提供し、上空飛行権も明け渡し、ヨーロッパからインド洋にすぐ出てアジアに行く戦略的中継地として絶好だった。サウジアラビアがアメリカと同盟したのは、周囲にエジプト、イラク、イラン、ソ連などの強国からアメリカに防衛してもらうためであった。それで石油の利権を守りとおした。サウジアラビアの石油は、主に日本、ドイツ、アメリカ軍現地用に使用され、アメリカ本国の需要の15%を賄っている。サウジアラビアの石油はアメリカの色がついており、シーレーンの防衛はアメリカの制海権の中で行われているので、日本は石油を通してアメリカのコントロールを受けざるを得ない。自衛艦の石油補給や米軍輸送はそのための代償である。サウジアラビアはイスラム教の聖地メッカをもっているので、面子としてアラブの大義を譲るわけにはいかない。だからイスラエルの存在を嫌い、パレスチナ自治政府を支援している。タリバーンの政府もいちはやく承認した。しかし、イスラエルの存在を承認するようになり、イスラエルにパレスチナとシリアの占領地を返還し、エルサレムの聖地を開放する条件でイスラエル・アラブ間の和平協定案を出した。これはアメリカにとっても絶好のチャンスだったが、アメリカは無視した。これがアメリカと袂を分かった根本理由である。ガザに対するイスラエルの攻撃は、ハマスがイスラエルに武装攻撃を仕掛けるのでこの武装能力を撤去しないかぎり、アメリカは調停しない態度を表明したが、まずイスラエルがガザを海上封鎖して民需品の貿易や漁業まで圧迫しているからで、この海上封鎖をやめさせない限りハマスの抵抗はやまない。このうようなアメリカのイスラエルへの過剰な庇護が中東全体を反米的にしてしまった。サウジアラビア人はこれほどまでしてアメリカに尽くしたのにアメリカにこき使われただけに終わったと憤慨している。冷戦が終わると、中国がサウジアラビアから石油を買うようになり、武器も輸出するようになったのでアメリに対する依存度はほとんどなくなった。さらにドル安なのでサウジアラビアはユーロに切り替えようとしている。サウジアラビアの石油がドイツに行かなくなった場合の代替補給はバクーの石油をアゼルバイジャン、グルジアを通るパイプラインで送ることになろう。このプロジェクトをアメリカが主導して進めているが、このあたりがロシアとの間で黄なくさくなって、再び第二冷戦の恐れがでてきた。
2009/01/08
私が12年間勤めた会社を辞めたのは、性に合わないサラリーマン生活にきりをつけて自分が本当にやりたいことをして人生を終えないと、死ぬ時になって後悔するだろうと思ったからである。この結果はおきまりのように貧乏生活を何十年もつづけ、家族に迷惑をかけてしまった。だから家族には頭があがらない。しかし、自分にはこれしかなかったと思っている。民主党の菅さんは色紙に「人生唯一回」と書くらしいが、この思いは私と共通している。天童荒太氏が描く悼む人は、路傍に花が添えられていたら、誰かがその近くで事件あるいは事故に巻き込まれて亡くなったと思い、近くの人に、どんなことがあって人が亡くなったのか、3つの質問をする。その質問とは、その人は「誰に愛されていたか」「誰を愛したか」「人に感謝されたことがあったか」である。この方程式は、人生の核心をついていると思う。例えば、前に書いたように、私は親にたっぷり愛されていたから、人をむやみに憎んだりする必要がなく、愛することができたと思う。私がサラリーマンをやめて半分ボランティアのようなことをやってきたのは、要するに好きだからやっただけの話だが、人に感謝されたことは間違いないと思う。要するに、著名人の講演を安い料金で誰でも聴けるように企画・実施したのだが、これは私自身が著名人の話を聞きたいから、ついでに他の人にも経費を出してもらって聞いたということになるのだが、そんなことを誰もしなかった時代にしたことで感謝された。講演が終わったあと、大勢の人が私のほうをみて、「ありがとうございました。いい話を聞かせていただきました」とお礼してくれたからである。それにしても、まったく不思議なことだが、私より数十倍もお金がある人がたくさんいるのに、大きな会社がものすごい額の広告費をつかっているのに、国のGDPの5分の1くらい税金を集めている官僚がいるのに、私がやったようなささやかだが、人に感謝されることを誰もやらなかったのである。だから私は、この社会は根本的に何かが欠けて動いていると思っている。つまり「利」でしか動かない社会なのである。私は親に愛されたから他人一般を愛する気持ちを持てた。私の親が私を愛してくれたのは、そのまた親の祖父祖母が親を愛してくれたからだと思う。人に感謝されたことがあったか、というのは、人を愛したといっても、愛された側の証言が必要だからである。人を愛した人は、あの人はいい人だった、あの人のおかげをこうむった、と人に感謝されて覚えてもらえる。いいことをして人に愛され、著名になった人、死んでも作品が残る著名人は最高であろう。しかし、著名になることは目的ではなくて結果だと思う。皆、死んだ後も人に覚えられたいと思っている。悼んでもらいたいと思っている。不幸にして愛されなかった人は、性格が歪んで人を妬んだり、憎んだりするであろう。そうするとますます負の悪循環が始まる。そういう方は人をとにかく愛することから始めないと悪循環から脱することができない。
2009/01/07
昨日は日比谷のシャンテ・シネで素晴らしい映画を見た。その名は「英国王給仕人に乾杯!」チェコのイジー・メンツエルの監督作品。天才がつくった絶品。これほどしゃれて贅沢な作品はない。まるで極上のブランディにほろ酔ったような気分になった。監督は小さい時からチャップリン、ルネ・クレール、ルノアールの映画を見て育ったというが、明瞭にその影響が見て取れる。最初はルネ・クレール調にチャップリン風のおどけが入り、まるでおとぎ話のよう。それがだんだんルノアール調のリアリズム風になっていくが、軽妙な音楽でおとぎ話との間を行ったり来たりする。原作はチェコの作家ボフミル・フラバルという短編作家らしいが、この原作は相当な時代長編なので、部分をつないでつくったという。原作は翻訳されていない。しかし、これは明らかに映画作品になっている。ドイツ系の多いチェッコスロバキアのズデーデン地方がやがてヒトラーによってドイツに併合される。チェコはドイツ色に塗りつぶされる。それからプラハの春がソ連の戦車によって踏みつぶされるが、パンフレットにあったメンツエルの談話によると、ひどかったのはそのあとにできた人民政府であったという。このあたりの東欧の歴史の移り変わりがよくわかる。映画は高級ホテルの給仕人の物語であるが、ホテルというものは宮殿を模したものであるという。ドアボーイは守衛兵の守衛を模し、中にいるホテルマンやメイドは皇帝の侍従である。ホテルは豪華けんらん、贅沢三昧、侍従には品格、マナー、ディグニティが要求され、フロックコートに蝶ネクタイ、ベルボーイは白に丸帽、客は皇帝の賓客であるから堂々として、チップは気前よくはずまないといけない。ホテルマンやウエイトレスはある時期まで全部客のチップでまかなっていたらしい。給仕人長がいちばんチップの実入りがいいから、足をひっかけれれて転げ、客の前で大失敗してその座を奪われる。このチップ制は戦後アメリカから田舎者の客たちが押し寄せてから通用しなくなり廃れたらしい。とまあ、こういう1930年代からのホテルの世界を描いているから、暇な金持ちたちのたまり場のテーブルの間を給仕人はまるでダンスでも舞うようなパーフォーマンンスをきかせる。英国王給仕人というのは若い主人公ではなく、その上にいるマルトン・フバ演じる上級給仕人のことで、彼は若いころ英国王の給仕人をしていたことが誇りである。だからナチスの軍人がやってきて、「ハイル・ヒトラー」と右手を前にあげて挨拶を強要されるが、この人は絶対にしない。それで監獄行きになる。このあたりがチェコ人の反独根性とホテルマンの意気を表して、題名の所以となっている。主人公は要領よく立ち回り、ドイツ人女性と結婚し、やがてユダヤ人から没収した切手を売ってホテル王になるが、そのホテルがナチスの優生学実験所となり、たがて戦争が終わって、今度はチエコの人民政府により全財産を没収され、収容所送りとなる。14年後に釈放されてスカンピンの生活になるが、人間の味を出して乾杯で終わる話である。これ以上は解説はやめ、まあ、御覧ください。映画を見終わってから日比谷公園の派遣村を見に行った。400人くらいの人が国会にデモに行っていなかった。留守番役の労働組合の人に聞いた話では、今日で廃校になった小学校など4か所に移住し、千代区役所で生活保護を受け、それ以外に10万円の借用を受けるという。一時的な解決にはなった模様。このあと、渋谷に出てオーウエル原作のアニメ「動物農場」を見た。この話はまた書く。
2009/01/06
暮れから正月にかけて天童荒太『悼む人』(文芸春秋)を読む。この作家は、『永遠の仔』を読んで感銘した作家の一人だ。今回の作品もものすごく大きな問題を扱っていて、この作家のいわんとしていることをどれだけ理解したかは自信がない。「愛」がこの作家のモチーフであろう。愛を受けることの少なかった人間についての描写がすごくリアルである。今回もそういう人物が出てくる。私は幸い子供時代に親の愛をたっぷりうけて育ったから幸せだったと思う。したがって愛を受けることのすくなかった人の気持ちに想像を至らせることが不足していると思う。私は15歳で両親に死に別れたが、私の一番下の妹は親の記憶がないから気の毒に思っている。しかし妹は親戚のよき人たちに育てられ、母の弟の妻、つまり義理の叔母にひどくなついて今でも代理母だと言っている。妹も叔母の愛で救われたと思う。私は両親を15歳で亡くしたもののその間にたっぷり愛を吸い込んだのだ。だから妹より幸せだった。愛というものは何か、人間を一人前につくりあげる不可欠のものなのだろう。去年秋ころ、東金市で5歳の女の子が殺された。これ以外にも数え切れないほど全国で幼い、若い命が不条理に殺人によって奪われたり、事故で死んだりした。もしこの子たちが平均寿命まで生きたとしたら、70年、60年の残りの人生のいろいろ人生の可能性があったはずである。それが突然断ち切られた。この人たちの運命というのはどういうものなのだろうか。例えば80ページのノートがあって、最後のページまでぎっしり書き込まれるのが人生だとすれば、この子たちのノートは数ページで終わってしまって、残りのページが空白のまま残されたのである。この人たちはそのうち忘れられていく。親兄弟の記憶も薄れてゆく。生きていたという事実が確かにあったのに。だからあたしたちは生きていたのよ、覚えていてね、という願いを死者たちは必死でもっているではなかろうか。そこに見ず知らずだが、「悼む人」が来て覚えてくれるというのはどんなにうれしいことだろうか。この小説は生死、愛といくことについていろいろなことを考えさせてくれる。
2009/01/05
お正月、もう私の年ではどうという感慨もない。淡々とした心境の正月、ただ、年のはじまりだという新たな気持ちになり、早速去年の受取などの整理をした。新聞が来た。どっしりした量はスーパーのチラシ広告。ほとんど見ないでリサイクルの袋に入れる。もう30年以上前だったか、お正月の新聞はとっても分厚くて、1ページの紙面は大きく富士山に初日の出がかかっている写真だとか、京都のキンピカの金閣寺だとかがドーンと出ていて、次のページは紋付き袴姿の著名人とか首相とか財界の大物とかが新春を寿ぎ、新年の抱負を語る談話があって、その次のページは時の文化人の新春座談会とか放談会で、そのまた次のページは華やかな和服姿の芸能人とかスポーツマンが「今年はがんばるぞ」みたいな希望のセリフが躍る、華々しい編集だった。しかし、そういうものがなくなったのは、第一次オイルショックか円高不況以後だったのではないだろうか。日本の前途に希望がだんだんもてなくなりつつあるときは新聞社は無条件でうかれた紙面をつくれなくなったのかもしれない。そして今年の朝日の第一面ときたら、「陰るハリウッド」とか「西松建設、融資偽装か」である。量もペラペラ。大みそかは7時ころから3時間あまりもテレビで歌謡曲を聞いた。昔はやった演歌を聴いているといろいろと当時を思い出す。日本の演歌はいちようにあるさびしいペーソスが流れている。女ごころの切なさとか、愛し愛されるとろけるようなセクシュアルな喜びとか。1960年ころまでは日本の人口の半分は農漁民で、進学率も大したことはなく、皆が貧しかった。とりわけ東北とか北海道など北のほうは貧しくさびしい歌が多い。都会に働きに出て故郷の親を想う歌とか、ふるさと懐かしの歌が多い。歌手は哀切の心情を歌いあげる。忍耐して、涙をこらえて、頑張って上に這いあがっていく。こう考えると下積みの生活をしていた人たちが、がんばって今の日本を築いてきたことがわかる。こういう演歌が、ある時期に労働歌とかうたごえ喫茶でのロシア民謡とかが一時全盛で、(ただこれは放送しない)それからだんだんフォークとかボーカルとか都市風の歌に変わっていく。それにしてもテレビ局は昔の映像を蔵から引っ張り出してきて編集して、安上がりにつくっている。死んだ人まで出てくるのはなんだか幽霊を見ているようで、あれだけは美空ひばり以外はやめてくれないかといいたくなる。
2009/01/01
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