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国家の品格」の藤原正彦さんが、競争といったって小学5年生と1年生とが競争したら1年生は勝てないに決まっている、と言うのは至言である。資本主義は誰でも起業できる機会の平等、勤勉努力による報酬、という時代から、独占、グローバル、機械、コピー、僥倖という要素で勝者を決めてしまった。ディズニーランドというとてつもなく大きい投資が行われると、もうちまちました町のテーマパークなどに誰も二度と行かなくなってしまう。しかもディズニーランドはすべて機械と人形と巧妙な仕掛け、楽しい音楽、低賃金のアルバイトという人間を使わない方式だからコストはかからない。マイクロソフトはいったんウインドウズとかワード、エクセルというソフトを定着させてしまったら、あとはバージョンアップするたびに売れるわけである。おかげでビル・ゲイツは日本の西和彦氏の同年の友達ていどだった頃から20年間でとてつもない大金持ちになった。今毎日のように手を変え、俳優を変えて宣伝している入院保険は、入院したら部屋代が1日1万円かかるという恐怖心をベースに、入院の可能性が低い若い人の平均保険料をアピールしてもうけているが、グローバルに加入者をたくさん集めた会社は保険料をますます下げることで金を集められる仕掛けになっている。資本主義の本質は人間嫌い、雇用嫌いであるから、科学を動員してテレビ、CM、映像、音楽、何でもコピーですます。1つの会社が独占して膨大な消費者を抱えこみ、生産する商品があまりにも多様化、短期化すると、やがて管理不全に陥ってくる。組織、システムの機能不全が起こってくる。今そのような問題が多発しつつある。
2007/01/31
「女性国際戦犯法廷」の放映に関し、NHK側が原告の期待権を裏切り、予算権をにぎっている政治家の発言を過度に忖度して番組の内容を当たり障りのないように自主規制したことにきびしい判決が出た。当たり前の判決である。馬鹿な幹部が事前に政治家に会いに言って「これ、いかがでしょうか」なんて聞いたら、一般論を述べられ、ごもっともと引き下がったというわけである。なんという覇気のなさであろうか。せっかく、現場が意欲的に企画していたのが、こういうことで抑えられたら、ジャーナリストはやる気がなくなるだろう。戦時の性暴力というのは古今東西の大問題であるが、ほとんど対策も研究も行われないのが実情である。軍隊の補給で公式にまったく欠けているのが実はセックスである。20代の男が何十万人も外国に長期滞在するのであるから、当然この問題が発生し、精神的に凶暴になってくる者が出る。私は戦時中天津に住んでいたが、天津の日本租界にはいたるところにピーヤと称する慰安所があり、外出した兵隊を相手していた。どんな辺鄙な前線にもこうした慰安所が出張し、これは商売であるとともに、兵隊さんのため、お国のためという意識さえあったのである。韓国出身者が多かったと聞いているが、こういう人が訴訟に訴えたとき、日本人一般および一部のインテリは彼女たちを汚いものでもみるように蔑んで見た。彼女たちは日本軍に協力したのに、これは冷たい態度であったと思う。満州でロシア軍の日本人婦女暴行がひどかったが、ヨーロッパ戦線でもロシア軍、ドイツ軍などおしなべてすさまじかったらしい。しかし、それほど報道されていないのはよくわからない。性処理問題に日本軍自体が関与していたかであるが、アヘンの売買でも馬賊の利用などでも特務機関が関与していた事実があるから当然ありえることである。こういう問題に光を当てようとしたNPOの人やNHKの現場の人は立派であると思う。
2007/01/30
資本主義の行き過ぎ 417世紀、イギリスのホッブスは「社会とは万人の万人に対する戦いである」と恐ろしいことを言ったが、つづいて出たロックは人間は労働をしさえすれば、生きていけるし、その成果を我が物とすることができると私有財産制の正当性を打ち立てた。これが資本主義の始まりである。勤勉、節約、努力、まじめに働きさえすれば生きていけるというのが、近代人間社会の約束ごとであり、希望であった。それから200年以上もたっているのに、いまだにまじめに働く意思があるのに働き口が得られない人がいる。中学高校を卒業したのに全員就職できない。35歳以上の人は求人窓口でお払い箱である。こういうことで働き口のない人はどうなるかというと、希望を失い、ヤケクソになる。家庭が崩壊する、犯罪に走る。資本主義が社会主義より優れているというのなら、絶対にこういう事態を生み出してはならない。しかし資本主義は本質的に低賃金が好きである。日本が60年代に高度成長したのは、農村にいたいくらでもいた2,3男坊を低賃金で雇えたからであった。大卒の半分以下の給料だったので、私は気の毒に思っていたのである。冷戦後は共産圏に入っていた低賃金地域の人たちがどっとグローバル市場に参入したから途端に日本の中小企業でさえ、対抗できず、生産拠点を低賃金地域に移動せざるをえなくなった。そして大企業も人件費抑制に懸命になり、大量リストラ、契約社員化、非正社員化、パートなどでななめにきって人件費総額を削減した。最近は正社員の残業代を払わないようにするホワイト・エクゼプションまで画策した。はっきり言って終戦以来50年つづけてきた賃金平準化努力はおしまいになった。この格差をどうするかというと、大変な問題になろう。思い切ったこと、たとえば正社員の賃金も見直すようなことをしないと、安心して眠れないような重大な不安定国家になるだろう。
2007/01/29
資本主義の行き過ぎ 3またもや資本主義の行き過ぎを象徴するような事件が起こった。フジテレビの納豆ダイジェスト捏造事件である。本でも新聞でも映画、演劇などなんでもお金を出してみるのが原則だったのが、民法テレビは購読料、聴視料に当たるものを広告収入で補おうとした。だからテレビはタダで見れる。タダだから、人々はあまり文句は言えない。視聴率が高ければ広告料は上がるから当然テレビ会社は視聴率の高い番組に走る。視聴率の高い番組といえばいわずと知れたことで大衆迎合され、その上、コストが安いものだ。こうしてデータまで捏造して詐欺行為を行った。使用前使用後写真の捏造などは三流四流の闇会社がすることだが、それを一流会社がするとなれば、もう世は終わりである。後世といわずあと十数年もすれば人々は、テレビとスポンサーシステムがくっついた方式は限りなく弊害があることを認めるようになるだろう。その弊害は、民族の美俗とか伝統文化、学問や芸術の純粋性などを容赦なく資本主義の宣伝広告性が踏みにじっていくことにある。過度のエンタメ主義、低俗文化、低俗なCMがはびこると、いくら教育教育と言っても、教育が傍から破壊されていく。美しい日本文化が破壊されていく。テレビ会社の経営者、番組制作者、スポンサー企業の経営者、広告担当者、広告会社のテレビマンは自分の子供が観て困るような番組を提供しないことが、公共倫理の基準である。
2007/01/24
資本主義の行き過ぎ 2 今日はブランドのことについて述べる。商品は製造が確かで、品質がよくて安定していることがいちばんである。消費者がそれを認めたときに製造者、商品に対して信頼感が生まれる。そして不良メーカー、劣等品が淘汰されていく。たとえば食品の場合、量目が正確、衛生的、価格がリーズナブル、などのことが消費者の信頼を獲得する。私が食品メーカーのセールスをやっていたときは、食品業は中小企業や零細個人商店などが多く、味噌も醤油も砂糖も塩も油なども量り売りだった。乾物、お総菜は個人商店が売っていた。そういうときに大企業は規格品をつくって盛んに宣伝広告した。量目は正確ですよ、包装は衛生的ですよ、品質は抜群ですよ、値段も買いやすい単位になっています、と商標を売り込み、アイドル人形を作り、CMソングを流し、あの手この手のブランド作戦で消費者の意識づけを行った。こうして昭和30年代で中小零細個人企業はあらかた整理され、スーパーにブランド商品がずらりとならんで対面販売などはなくなった。立派なブランド商品のみが残り、安心できるようになったのであれば、不二家のような問題は起こらないはずである。森永のような事件も雪印の事件もないはずだった。ところがどっこい、この始末である。ブラン、ブランド、ブランドで、次第にメーカーは消費者の信頼性を日々獲得する努力から、ブランドの維持拡大のほうにのみ戦略が動いてしまったのである。こうして非ブランド商品を駆逐した後に、傲慢なブランド商品の堕落が起こった。そうでなくても、一流といわれる会社や官庁の信頼性などはとっくに崩れてきている。大企業・官庁のエリート社員が痴漢をしたり、会社の金を横領したり、酔っ払い運転をしたり、手抜き商品を作ったり、払うべき保険金を払わなかったり、そんなことは日常茶飯事になった。これはブランドのおごりである。ブランド品だからとゆめゆめ信用してはならない時代になった。
2007/01/21
資本主義というのは、力の強い者はどこまでも勝ち、力の弱い者はどこまでも負けるという世界である。私は力の強い者しかできないことは力の強い者がやるのがよいが、力の弱い者でもできるところは力の強い者は力の弱い者に譲るルールが必要であると思う。その例として大スーパーの良し悪しを論じる。大スーパーがないところは町が盛っている。大スーパーがなければ、小売店が100軒くらい軒を並べられ、それが町をつくっていける。ダイスーパーが出るための土地の面積がなかったところは商店街が幸いに存続している。中小の小売店でも扱えるような物まで大スーパーが売る必要はないと思う。大スーパーというのは要するに、自分の建物の中に商店街を作ってしまい、マーケットを独占してしまうのである。いったいどういう権利があってこうした横暴をするのだろうか。この結果、周辺の町はさびれてしまうのである。スーパーに行って物を買ったり売ったりしても会話がない。黙ってレジに行き、金を払って帰るだけである。買うほうと売るほうと会話が成り立っている商店街は活気がある。スーパーは万引き防止のためにあの手この手で防犯カメラを備え付け、万引きを捕まえる専門要員を雇っている。もちろん、万引きする方が悪い。しかし盗っ人にも五分の理で、万引き心を誘うような無人の店というのも罪があるのである。人間はそれほど弱い。万引きから倫理が崩れていきやすい。大スーパーは便利ではある。新開地は大きな道路ができてみな車にのって人々は郊外の大スーパーや専門店に行く。こういう町は住宅地のど真ん中に超大スーパーがあってあとは住宅だけである。町というところは買物をするところだけではない。歩いて楽しむところでもある。用があってもなくてもぶらつきたくなる空間である。そういう雰囲気の場所が大スーパーによって壊されていく。
2007/01/15
世田谷の八幡山から上北沢、明大前、梅が丘、豪徳寺、上高井戸のあたりを歩いた。明大前、梅が丘、豪徳寺、上高井戸のあたりは母の実家だから何度も里帰りして知っていたし、戦後は2、3年住んでいたから、あの界隈は懐かしいところである。久しぶりに歩いて見た。昔はあの界隈は石垣に囲まれた大きな邸があったり、生垣に囲まれたひっそりとしたたたずまいの家があって、どこからかピアノの音がかすかにもれ聞こえてきた。どこの家にも樹木があって緑に囲まれていた。石畳にはびっしりコケが生えていた。今はそういう雰囲気はない。代が変わって地所が細分化され、思い思いの様式の小住宅が重なるようになり、分譲住宅がモルタルの壁をさらし、その間に小さなアパートやマンションが割り込んでいる。道路は相変わらず狭くほとんど一方通行だ。さいわい駅前には大きなスーパーを立てる余地がないから昔ながらの小売店が残っている。そういう店で小市民といった主婦や勤め帰りの人たちが買い物をしていた。世田谷区は人口40万、東京でも豊かな区というイメージを持っている。しかし小市民の吹き溜まりといったら失礼だろうか。一方、江東区とか墨田区は昔のようにいかにも貧しい人たちが住んでいた地域というイメージは薄れ、昔の工場地帯はマンションの林立である。昔川向こうに住んでいた人たちは、周辺の多摩地区や豊かな人は港区などの高級マンションに移り住んだ人が多いという。独特の下町気質というものも見られなくなった。この50年で東京はおどろくほど変貌した。東京のまちのどこにもにあった隣近所のおつきあいとかいうものがなくなってしまった。
2007/01/13
「大奥」という映画をみたので江戸城の続きを書く。この前大名の江戸城の席次のことを書いたが、徳川幕府の時代が260年も続いたことはちょっと稀有のように改めて思ったのである。日本史に接する場合、戦国、織豊時代までは波乱万丈、物語り的には血沸き肉躍るといった感想をもつが、1600年の関が原合戦以後、徳川政権がはじまってからは、180度転換し、以来260年もの長い間、内乱がなく太平が続いた。この変化はどう考えたらよいであろうか。私見によれば、あまりにも長い間戦乱がつづき、豊臣政権の朝鮮侵略、明の地域までの侵入という大戦争に家臣たちがもう嫌だという拒否反応をしめしたのではないかと思う。戦国時代を終わらせるために、関が原で東西両軍に分かれて天下分け目の決戦を行った。東軍が勝ち、つづいて大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼすと、徳川家康は西軍から没収した領地を功労ある西国の大名に与え、以後はお互いの損得を考えて戦争はもうやめようじゃあないかと大名たちといわば談合して徳川時代を起こしたのではないかと思う。そのことは武家諸法度によく出ている。家康は巧みな大名統制術を操り、大名を弱体化させるとともに、幕府の戦力、経済力をますます強化して、他の大名が手も足も出なくするようにみちびいていった。鎖国をきびしくして大名が外国と通じて反乱する可能性も絶った。こうして数十年も経過すると、戦国の荒武者たちも年老い、死んでいって、やわな二代目、三代目となる。将軍家に仕えるための基準は戦闘力から忠誠度に変わっていく。将軍は恩を売り続けるが、恩を受けるほうの大名は軍事的には骨抜きになっていく。エネルギーが残っているのは、辺境の外様だけである。大名としては徳川の恩にむくいるために幕末の動乱期に幕府側を支えなければならないが、もうそんな忠誠心も義務感は涸れてしまっていたと思われる。こうして二六〇年続いた徳川幕府は、最後の将軍慶喜でさえ終わりにしようと思っていたのではないかと思う。
2007/01/11
昨日、江戸博物館で江戸城展を見た。とてもにぎわっていた。この江戸城は焼けてしまって跡形もないが、残念なことである。もし健全なままで残っていたら東京一の観光名所になっていただろう。見ていて、思ったことはなんと日本の将軍は質素だったのだろうということだ。あれだけの城だったのに、金銀財宝などはなく、みるべき遺産はない。北京の紫禁城、パリの王宮、ローマの法王庁、セント・ペテルブルグの王宮などの豪華絢爛さは腰を抜かさんばかりだが、日本はかくの如しであった。いちばん興味をもってみたのは、江戸城の大名の詰間である。かつて260くらいの大小の大名がいたわけだが、彼らそれぞれが江戸城に登城したとき、通された部屋によってランクづけがわかるようになっていた。部屋には7ランクあって、大廊下、溜間、大広間、帝鑑間、柳間、雁間、菊間の順である。大廊下、溜間はいわがご三家およびその分家の人用の応接間。いわば身内であるが、大広間になるといちばん大きく豪華で、上段、中段、下段の部屋に分かれ、上段に将軍が座して公式の儀式を行う場所であった。能舞台もすぐそこについていた。ここに入れるのはだいたい2けた万石のエリート国持ち大名で24家あった。次の帝鑑間は、10万石以上の大名。水野、丹羽などの5万石あるいはそれ以下の例外もあるが60家あった。次の柳間は10万石以上も以下もあるが、4位に官位がおよばないか、五位の外様大名である。80家でいちばん多い。いちばん元気がありそうな大名群である。次の雁間はヒトケタ万石。その他大勢組といったところ。45家。最後の菊間は1万石程度の小大名。35家。たとえば、江戸城を再建して、100間以上はあるのを全部のままにして、観光客がきたとき、ここは大広間、ここは雁間、ここは大奥、ここは浅野内匠頭の刃傷沙汰があった松の廊下というふうにガイドが説明して、当時の封建制をしのばせれば、ずいぶん勉強になってたのしいだろうと思う。20年くらいかけてもこのプロジェクトはやるべしである。
2007/01/05
大晦日から正月の間、浅田次郎の「中原の虹」1,2巻を買ってきて読んだ。満州馬賊張作りんを描いているが、馬賊の特徴をよく描いていると思う。2巻の終わりは西太后と光緒皇帝の同時死で終わっている。ところで昭和ヒトケタから40歳後半くらいまでは司馬遼太郎の本を読んで影響を受けた。司馬遼太郎は戦国時代、織豊時代を書き、幕末から明治をよく描いた。傑作は「坂の上の雲」だった。だが、長く続いた徳川時代のことはあまり書いていない。空白に残している。むしろこの時代を描いたのは藤沢周平ではないだろうか。また、司馬は大正人なのに、大正以後、昭和は書いていない。「つまらない」と言っていたようだが、司馬のアペタイトを刺激しなかったのだろう。むしろ嫌悪していたのではないか。一人の作家が描く世界は、それだけでその作家の一生をかけて表現する世界であるから、それはそれですばらしい作家の生涯であるが、残念なのは、空白を残して去ったことだ。浅田次郎は年齢的にこの空白にいどんでいく世代である。「中原の虹」の3巻以降を楽しみにしている。
2007/01/03
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