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検察と小沢一郎の暗闘が続いている。毎日のように新聞は小沢の悪口を書いている。記事をみると、「関係者の言によれば」とか「・・・のことがわかった」という書き方をしているが、関係者とは検察のことで、「・・・のことがわかったというのは、検察からリークされたということであろう。どのような事件でも、裁判で白黒の決着をつけるまでは、それまで経過の取り調べを公表するのは正しくない。聞く必要のないことである。ところが今検察が最大限に活用しているのが、年調べ段階で得た情報のリークである。このは検察のやりかたでいかようにもできる。ところが馬鹿な新聞記者たちが裏もとらずに、リーク情報をたれ流しに書いて、検察に協力している。こうして小沢のことをさんざん悪く書いて、民主党のイメージダウンになると、今度は小沢がいるから民主党が危なくなると書きたて、小沢はやくヤメロと世論をあおり立てる。これはまさに検察の思うつぼである。民主党の大きな仕事は官僚政治を辞めさせることである。しかし150年以上続いた官僚政治はちっとやそっとではつぶれない。それいけない。自民党の勢力が温存すると、官僚は自民党の復活を待って今は面従腹背の態度で時期をまち、サボタージュをつづけるであろう。したがってもうそういう状態は二度とこないと言うことを官僚に悟らせ、全面降伏させるしかない。小沢がやっていることは地方の自民党支持組織を民主党に組み替える仕事をやっているので、いわば官僚政治にとどめをさす墓堀人の仕事である。この仕事ができるのは小沢氏しかいない。新聞記者が政治資金規正法違反という小正義をかかげて、一生懸命検察の陰謀にのって小沢つぶしに協力することは国民が選んだ政党の足を引っ張り、国民から購買してもらっているにもかかわらず国民を裏切る行為になることを深く考えるべきである。
2010/01/29
小沢一郎の問題は裁判で判決が出たわけではないにもかかわらず、メディアは一斉に被疑者扱いである。これは小沢つぶしに検察と組んでいるとしか思えない。その背後に小沢がいると困る勢力があることは確実である。小沢をつぶして、民主党内に権力闘争を起こさせ、影響力を削ごうという陰謀がはたらいている。小沢の検察聴取が終わった後も、新聞は毎日のように紙面一杯に小沢のことを書く。どの新聞もその繰り返し。これではメディアは必要以上に国民に影響を与える事になる。民主党は国民が選んだ政党で、国民は民主党に自民党がやれなかった昔年の弊政を直し、平成維新をやってもらおうと思っている。脱官僚政治をやってもらおうと思っているこの仕事を完遂するには今の民主党幹部の力では絶対足りない。彼らを束ねて彼らが持っていない能力、すなわち、支持組織作りの縁の下的な地味な仕事、自民党のことを知り尽くした上で、彼らの過去の地盤を掘り崩し、それを民主党の安定基盤につくりかえる仕事である。これをやれるのは小沢だけである。だから小沢をつぶしてはならない。いったい新聞社の編集委員の人たちや記者たち、テレビ局の人たちは、国民がのぞんでいる平成維新を妨害しようとしているのか。自民党政治に逆行させたいのか。新聞は毎日毎日くる。同じ記事がべたべたならぶ。すぐ勝手に世論調査をして内閣支持率が下がったと言う。少ない人数の、質問の仕方ではいかようにも操作できるやり方の調査で新聞の論説の支えとする。新聞報道の反復性の影響力はすさまじいといわねばならない。田中角栄という政治家が生まれたとき、メディアは一斉に今太閤とよんでその持ち上げぶりは異常だった。田中はロッキード事件で5億円のワイロを取り、金の面でダーティだったが、コーチャンというアメリカ人の意図的な漏洩で検察庁の捜査が始まり、ついに田中はつぶされてしまった。しかし田中は日中国交再開の大事を決断し、石油のルートづくりにソ連と交渉したりしていて、もっと日本のためにやってもらいたい政治家だった。こういう大局の判断はいつもメディアには欠如しているのである。有能な政治家をつぶすもっとも安直な手はカネの問題である。だから検察は内閣を脅かす最大の権力である。しかしこの権力も最高権力ではない。国民の判断がその上にあることを知るべきである。
2010/01/25
ペロポネソス戦争というのは紀元前400年に起こったアテネとスパルタの戦いで、アテネが敗れてスパルタがギリシア世界の覇権をにぎった戦争であるが、この権力闘争のやり方は今でも変わらない。相手が強くならないうちに殺(や)れ、殺られる前に殺れ、という理屈で、アテネはスパルタがだんだん強くなってアテネの覇権を脅かし始めたので、自分が殺られるまえに戦争をしかけたわけである。これを検察対小沢一郎の権力闘争にあてはめてみる。本質は単なる法律問題ではなく政治問題である。特捜部はかなり自信をもっているようで、法の番人として疑惑ある者はすぐやるというのが検察の職務であり面子であるかもしれないが、民主党大会の直前に石川議員と大久保秘書を逮捕するというのはあまりにも大きな影響を期待するタイミングができすぎている。まだ裁判の判決がでたわけではないが、政治資金規正法違反自体はそれほどの大きな罪ではないが、検察はこの際大きく小沢―鳩山の勢力を削ぐ、イメージダウンをはかることがねらいであることがみてとれる。こうして小沢に人事で殺られる前に殺ったというのが本音だろう。愚かなマスコミはこのペロポネソス戦争にまきこまれて、「正しい報道」だとして大きく報道する。これで小沢は続投をやめろという正論が起こる。国民が選んだ政党、内閣の命運は主権をもった国民が政治的に判断するべきで、検察や俗耳に訴える正論ばかり書くマスコミにひきまわされたくない。このとき、こういう話を思い出した。ある国で国難が起こったとき、それを救う力があるのは、脛に傷をもつが、実力のある軍人だった。その軍人は裁判にかけられようとしていた。国難に際会していた国民は、それはちょっと待て、あいつに大任をやらせてからにしよう、といって、その軍人に難局に当たらせて国を難局を解決した。小沢一郎はやはり我が国にとって必要である。
2010/01/17
今年成人になった人は1990年生まれ、生まれてから一度も好況期を経験したことがない人たちだ。就職もきついし、年収300万以下でスタートしなければならない。しかし、幸いなことに都会に住んでいる人は親の家があるから寄港先があるからいいようなものの、地方に住んでいる人は経済がどん底だから地方にいてもつらいし、都会に出てきてもつらいと思う。最近のテレビ番組を見ていると、相変わらずのサスペンスもの、刑事もの、明るい人生の未来を予想させるような地方をバックにしたドラマや隣人たちや先輩たちの暖かさを描いたドラマはリアリティがなくなって、元気をもらうドラマは歴史物か韓国、中国ものに移行しているようだ。これも将来への楽観がなくなった今の時代を反映しているのだろう。しかし、人間は将来どう変わるかはまったくわからないものだ。今成功している人は誰でもこういう。自分が今のようになるとは、若いうちは予想もつかなかったと皆言う。私自身もサラリーマンをやめて独立してから今のような自分になると予想もつかなかった。決して金持ちになったわけでもなく相変わらずの貧乏生活だが、充実した毎日で悔いがない。ありがたいことに年金が生活の主な支えである。したがってだれでも、老いても、仕事がなくなっても年金で余命を支えられるような、セフティネットがある社会にすることがこれからの国民全体の使命である。しかし、そのこととは自分の人生を意義あるものにするための自己研鑽がかかせないだろう。このごろ、強く思うことは、人生は消費だということである。60年、80年を消費しながら、意義ある仕事をする。他人のために喜ばれるような仕事をする。健全な社会を構築、維持してこれから生まれてくる人たちのためにいい社会をつくる人生を送る。いい人生を消費するためのいちばんの要点は勉強することだ。長い苦しい時代でもそれがあとから考えて、あの失業時代、貧乏時代は図書館から本をかりてひたすら読みまくったことがよかったなあ、と思う日がかならずやってくる。毎日毎日、2時間でも本を読んでいると、それがどのくらい人間を豊かに成長させるかは、そのときはわからなくても後になってわかるものだ。だいたい言うことが知的になり、人から一目置かれるようになる。そうすると自然にいいチャンスがやってくる。人を雇おうとする人や、仕事を任せる人を探している人は、どこにいい人、実力のある人がいないか、いつも探しているからだ。毎日、明日は何をするかを決めておく。どの本を何ページから何ページまで読むことを義務づけ、ページに印をつけて置く。それを完遂したら充実感がむらむらと沸いてきて今日はよかったなあと思う。こういう日が積み重なっていけば、かならずいい結果が生まれる。しかし、そのときは予想がつかない。また肝心なことは予想などしてはいけない。結果というものは与えられるものだからだ。なぜそうなるのかということは、この世の中は善意の人が半分以上いて、その人たちが仲間に引き入れてくれるからである。
2010/01/12
不安の心理 1「この先どうなるかわからない」、と言って不安がる人もおれば、なんとかなるさ、と楽観している人もいる。「この先どうなるかわからない」というのは人類発祥以来の不安症候群であろう。だからそれをのりきるための努力を人類はしてきた。私の場合は、「この先どうなるかは個人の場合も国の場合も、企業の場合もまったくわからない」と思っている。しかし、運が悪いということもあるが、毎日一生懸命生きていれば、何とかなると思っている。この「何とかなる」はケセラセラではなく、確信である。朝起きたら、紙に「今日やること」を書いて、すこし多めに書いて、それをやったら充実感が残って、夜は疲れてぐっすりねむることができる。こうして何日か何十日か、何百日かたてばよくなる日がかならず訪れるのでる。あまりにも先のことをくよくよ考えてもどうなるものではない。とにかく何か動いて余計なことを考えないこと、考える葦を一時やめることである。失業している人はつらいだろうと思う。果たしていい仕事にありつけるのかどうか、その不安な気持ちは想像するにあまりある。しかし、実力のある人はかならず2年くらい失業して間に再就職していることがわかる。失業している期間を何とか乗り切ることである。しかし、母子家庭や資本主義の悪しき性格、人をクビ切る、人員を減らす、機械にやらせる、賃金の低い国に持って行く、などのために失業して、もう年をとって、再就職もかなわぬ人が生活補助に頼らざるを得ないことも事実だ。こういう人は資本主義を採用したのが国である以上、最悪の状態に立ち至った人は救わねばならない。それは善意の人たちの税金で補わなければならない。これはいってみれば資本主義のコストである。不景気だとはいっても、その被害は人によって異なる。年収9百万円の人が年収6百万円くらいに下がってもやっていけないことはない。しかし年収200万円の人はこれ以上は下げられない。ましてや、天下りで独法に行き、たいした仕事もしていないのに1600万円もとっている人は半分に下げても構わない。あまりにも人件費が高いがために資本主義がやっていけないのであれば、比較的に高額の給料をもらっている人の分を下げるしかない。政府や自治体はいろいろ難しいこともあろうが、まじめに一生懸命やってもらうしかない。そのうちにいい日が必ずやってくるのである。
2010/01/10
昨日は多摩大学で元東大総長をつとめた政治学者の佐々木毅氏の講演を聴いた。日本の政党はいかに存続の基盤を強化すべきか、人材の育成はどうするかを論じたもので、きわめて常識的なものだった。 自民党は伝統的に医師だとか、農漁民だとか、小商店主だとか、郵便局だとか、建設会社だとか、宗教団体、遺族会だとかの団体とギブアンドテイクして支持母体を確保していたが、それが小泉時代になって全部離れてしまった。無党派層というものに切りかえてやったのはいいが、結局は自滅に自らを追いやった。いま小沢氏がやっているのは、こういう支持母体の掘り起こしで、こういう広範な支持母体がないと政党は安定しないということであろう。そして新人議員に地元の支持者をしっかり固めよと指導している。佐々木氏が最後に強調したのは、自民党時代は20世紀の時代で、それは国内的にも国際的にも終わりになった。21世紀にはまったく新しいことをやらねばならない。20世紀的なものはどんどん壊して行かなければならないということであった。藤井財務相が健康問題で辞任し、菅氏に変わった。これからいよいよ霞ヶ関の解剖が始まるだろうと期待する。この内閣はとにかく明治維新的なことをしてもらわねばならない。頭を切り換えねばならない人たちは官僚の人たちであるが、もうひとつはメディアの論説やトップ記事を書く人たちである。今日の毎日のトップ記事は相変わらず小沢、鳩山のカネの問題であるが、こういうのは大事なことをしてもらう政治家の足を引っ張りすぎないようにしてもらいたい。政治家がカネを必要とするのは、我が国の個人献金というのがあまりにもすくないことに原因がある。立ちゆかなくなったNPOが毎日のように解散し、死屍累々の状態を連ねているのも結局はカネである。こういう日本の社会の体質を前提にした上で、寄付の文化をつくるために、メディアは、寄付した場合の税額控除の幅をもっと大きくするなどのキャンペーンをはってもらいたいわけである。
2010/01/08
内田樹氏の「日本辺境論」を正月読む。久しぶりに読み応えのある本を読んだ。この本はいろいろな点で肺腑をつくというか、かなりえぐったことを指摘してくれたので、ずいぶん頭の体操になった。教育がこれから非常に大事だということが改めて身にしみてわかった。しかし、どうもスッキリしないのはなぜか。ということは、やはり日本を辺境として認めてしまうことはいやである。もちろん真ん中ではない。しかし、辺境か真ん中かということまで考える必要はない。辺境などときめてしまう必要はない。今、坂本龍馬ブームで歴史ものが今年はおおはやりだ。これは日本人が自信をもつためによいことだと思う。龍馬は最初は攘夷派だったが、江戸に出て勝海舟にあってからはコロリと開国派に転じた。攘夷と開国。日本と中国をくらべると中国はずっと攘夷でやってきて、今でも基本的に攘夷である。日本は、「きょろきょろ世界を見回して(丸山真男の表現)」きた国として開国が基本だった。中国は攘夷をずっとしてきたので、ずいぶん外国に侵略され続け、国は一時は破綻に瀕した。日本はというと、開国に回ってからアジア侵略の方に回り、ずいぶんトクをした。この前3回やった「坂の上の雲」ではたくましい明治の元勲たちの若い群像や軍人たちの凛々しい姿を堪能したが、やがてあの軍人たちの2世3世が居丈高にのぼせ上がったのが昭和だったので、複雑な思いで観た。いろいろ考えてみると、開国ばかりでは中身をずっととられてしまう。どこかで絶対攘夷の部分を守っておかなければならない。ヨーロッパ人は本質的に侵略的で、自分より後れた国のものは尻の毛まで引き抜いてしまうという民族である。中国は150年もの間攘夷をやってきたので、いたぶり尽くされたが、長い歴史のレンジでみたら、攘夷は民族の矜持を維持する上ではよかったのではないかと思う。
2010/01/04
正月が開けた。1年が早く過ぎさる感じが強い。おそらく1年は12ヶ月しかないからだろう。1ヶ月は忙しいとすぐ追われるように経ってしまう。それが12回だから1年は経つのが早い訳である。ともあれ、昨年は政権交代があり、その結果がじわじわと世の中に及んでいる。ことしも不景気だが、「閉塞感」というヤツがだんだんなくなっていくのではないかお思うと楽しい。年末はいそがしくてとうとう年賀状は100枚どまりだった。そうしたら出さなかった方からたくさん頂く。申し分けないく気持ちでいっぱいだ。今年は毎日新聞をとることにした。新年のトップ記事は、「財務省と組んで「脱官僚」選択」という縦の大見出し。横に「消えた急進改革人事」とある。やはりそうなるだろうと思った。事業仕分けを見に行ったとき、財務省のお役人があたかも仕分け人側に立ってお膳立てするようにいたからだ。財務省は徴税権と予算作成権があり、この役所が他の役所にお金を配分しているのだからまさに権力の中枢である。政治主導ならまずここを落とさなくてはならぬが、官僚のバリケードがあつく、さりとて徹底抗戦もかなわず、民主党側も財務省を味方に取り込まないといろいろなことができないからいわば、妥協というか、野合というか、そういう状態が現状だろう。順序としてはそれしかないので、トップ記事のような表現は当たらないと思う。結局官僚を使いこなすということは官僚の中の有力な部分を取り込んでいくしかないのではないか。普天間の記事が減った。沖縄の米軍基地は台湾に近いところ、中台戦争起きたときにいわばヘリコプターの航続距離内というか、射程距離内というか、すぐ行ける距離というのが沖縄の値打ちらしい。もし今年の5月まで日本のどこの地域も基地はごめんだ、ということになったら、日本人全体が米軍基地を欲していないという意思表示になり、そういうことも相手に感じ取らせる外交になるわけである。私ももう人生の終盤に入ったのだから、今年やることは拡散はやめて集中と静謐な生活の中の思考、執筆にはげもうと思う。
2010/01/02
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