F&B 腐向け転生パラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 10
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 8
天上の愛地上の恋 昼ドラ風時代パラレル二次創作小説:綾なして咲く華 2
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 0
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 0
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生パラレル二次創作小説:最愛~僕を見つけて~ 1
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
腐滅の刃 平安風ファンタジーパラレル二次創作小説:鬼の花嫁~紅ノ絲~ 1
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 2
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 5
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 0
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 0
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 1
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~ 1
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
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黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
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薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
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黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
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薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
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薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 1
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F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 2
名探偵コナン×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 0
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「ユーリ様?」匡惟は薬をベッドのサイドテーブルに置くと、浴室のドアをノックした。中からはユーリが苦しげに嘔吐する音が聞こえてくる。「大丈夫ですか?」ドアを開けると、そこには便器に顔を埋めて嘔吐するユーリの姿があった。「さっきから気持ち悪くて・・でももう大丈夫だから。」「ここに居ると冷えますから、ゆっくり身体を休めてください。」「わかった。」ユーリはゆっくりと立ち上がると、匡惟とともに浴室から出て力無くベッドに横たわった。「気つけ薬です。」「ありがとう。」ユーリは子宿し薬を口に放り込むと、喉を鳴らしてそれを飲み込んだ。その直後、ユーリは全身に甘い疼きが走るのを感じた。「匡惟、何を飲ませたの?」「ユーリ様、申し訳ありません。」匡惟はそう言うと、ユーリに土下座した。「あなた様が先ほど呑まれたお薬は、鬼族から貰ったものです。」「鬼族って・・あの、香とかいう奴に? 全身が疼いて仕方ないんだが・・もしかして媚薬か?」「いいえ、それ以上のものです。」匡惟の言葉に意味が判らず、ユーリは急に自分の身体に違和感を覚え、服の上から下腹部を触った。するとそこには、男として生まれてからついていたものがなかった。「匡惟・・わたし・・」「ユーリ様?」匡惟はユーリの様子がおかしいことに気づき、顔を上げた。「胸がある・・男なのに・・」ユーリは突然豊かになった胸を揉み始めた。(あの紙に書かれていたことは、そういうことだったのか。)匡惟の脳裡に、薬とともに入っていた紙に書かれた文章が浮かんだ。「どうしよう、匡惟。」「暫く休んでいてください。わたしは香と話をつけに行ってきます。」一度は香を信じた自分の愚かさを呪いながら、匡惟は部屋を飛び出して廊下を駆けていった。「何やら騒がしいのう。」隣の部屋では、鶯蘭が珈琲を飲みながら欠伸をしていた。「鶯蘭様、最近市場で妙な薬が出回っているようです。」アベルはそう言うと、濡れた髪をタオルで拭いた。「妙な薬? もしや鬼族が開発した性転換薬のことかえ?」「ええ。それを一度でも飲んだ者は、別の性別のまま生涯を送らねばならないらしいです。」「鬼族の考えることはようわからぬ。我ら妖は人間との戦いで絶滅の危機に瀕しておるからのう。それに雌が少なくて雄が有り余っておるから薬の力を借りてでも子孫繁栄させようという気はわからぬでもないが・・」「生々しいことをおっしゃらないでください。それよりもユーリ様が心配なので、少し見てきます。」アベルはさっさと服を着ると、隣の部屋のドアをノックした。「ユーリ様、おられますか?」中から返事がせず、アベルがドアノブを回して中に入ると、ベッドには全裸のユーリが眠っていた。 丸みを帯びた腰と豊満な乳房を持ったユーリの身体は、どこからどうみても女性のものだった。ユーリは男性だった筈なのだが、何故女性になってしまったのだろうか。(もしかして、あの薬を・・)「ユーリ様、そのような格好ではお風邪を召されます。起きて服を・・」アベルがユーリを揺り起こすと、彼はゆっくりと目を開けて真紅の瞳で彼を見つめた。「ユーリ様?」ユーリはアベルの腕を掴んで自分の方へと引き寄せると、彼の唇を塞いだ。「な、なにを!」ユーリはアベルから離れると、ゆっくりとベッドから立ち上がった。「ねぇ、抱いて。」薬の所為でユーリはおかしくなってしまったのかと、アベルは困惑の表情を浮かべながら女となったユーリの裸を見つめていた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけたら嬉しいです。
2010年11月11日
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迎賓館の夜会で起きた騒動は、その場に居合わせた客達によって瞬く間に妖狐界中に広まった。ユーリと匡惟は、気晴らしに近くの市場へと買い物に来ていた。「匡惟、何だかみんながわたしを見ているような気がするんだが。」布を頭から被り、伏し目がちに歩いてるにも関わらず、ユーリは市場を歩く度に人々の視線を感じていた。「あの騒動からまだ数日しか経っていませんからね。」匡惟はそう言うと、ユーリが被っていた布を剥ぎ取った。「急に何するんだ!」「別にあなたの美しい髪を隠すことはないでしょう。それにそんな姿でいたらかえって目立ちますよ。」「そうだけど・・」ユーリは匡惟を見た。「それよりもユーリ様、彼とはどうなっているんですか?」「彼というと?」「アベルさんの事ですよ。まだ彼の事を思い出しませんか?」匡惟の問いに、ユーリは静かに頷いた。「そうですか。」「余り彼の事は思い出したくないんだ。何故だか解らないけど・・」ユーリの脳裡に再び、あの部屋が浮かんできた。昔、父によって幽閉されたあの部屋が。小さな窓と、ベッドしかない殺風景なあの部屋が。あの部屋でユーリは、3年間も外の世界を渇望していた。「ユーリ様?」「わたしは・・二度とあんな所に閉じ込められたくない!」ユーリはそう叫ぶと、両手の爪で頭を引っ掻き始めた。みるみる銀髪に血が滲んできた。「ユーリ様、おやめください!」「嫌だ、もう嫌!」ユーリは絶叫するとゆっくりと地面に倒れた。「ユーリ様、しっかりなさってください!」匡惟はジロジロと怪訝そうな顔をして自分達の方を見つめる人々をねめつけながら、ユーリの華奢な身体を横抱きにすると、迎賓館へと戻った。「おや、またお会いいたしましたね。」ロビーに匡惟が入ると、そこにはあの夜会で摩於と踊っていた鬼族の青年・香が立っていた。「奥方様、どうかされましたか?」香はそう言ってちらりと匡惟の腕の中で気絶しているユーリを見た。「あなたには関係のない事でしょう、そこを退いていただけますか?」「あ、あなたに渡すものがあって来たんだった。」香はスーツの胸ポケットから1枚の封筒を取り出した。「この中に、我が一族に伝わる秘薬が入っております。今夜、奥方様にそれを飲ませてはいかがです?」「得体の知れない薬など、受け取れません。」「警戒心が強い方でいらっしゃいますね。中に入っている秘薬の名は、“鸛(こうのとり)の巣”。子宿し薬ですよ。」匡惟は香が嘘を吐いているのではないかと思ったが、彼の目はまっすぐに自分を見ている。ユーリとはまだ結婚してひと月も経っていないが、いずれは子どもを作ろうと匡惟は考えていた。「有り難く、頂いておこう。」「有難うございます。これは妖狐族や人間にもよく効く薬なんですよ。」香はそう言うと、匡惟ににっこりと微笑んだ。 部屋に入った匡惟は、ゆっくりとユーリをベッドに寝かせた。「ユーリ様?」そっと彼が手を握ると、ユーリは呻きながら握り返してきた。「わたしは・・どうして・・」「市場でさっき倒れたのですよ。一体どうなさったんですか?」「胸が苦しい・・」ユーリはゆっくりと身体を起こすと、口元を押さえて浴室へと入っていった。匡惟は、香から渡された封筒の中身を取り出した。するとそこには一粒のカプセルと、一枚の紙が入っていた。“相手に薬を飲ませると、劇的な効果が得られる。”にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年11月11日
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「ば、化け物め!」 恐怖で顔をひきつらせながら、鬼族の若者はユーリによって真っ二つに折られたサーベルを見た。「化け物? 一国の皇子相手に、失礼だな。」ユーリはそう言うと、穴が開いたドレスを摘んだ。「このドレス、高かったのにな。弁償はしてくれるんだろうね?」ユーリがにっこりと笑うと、若者は悲鳴を上げて床にへたり込んだ。「そこまでにしておけ。彼らを本気で怒らせたらどうなるか、君達はもう解っているだろう?」摩於と踊っていた青年―香は、そう言って冷ややかな目で若者を見た。「香様、しかし・・」「お前達、周りに迷惑をかけて申し訳ないと思わないのかい?」香が若者達をねめつけると、彼らは一斉に黙った。「うちの者達が、ご迷惑をおかけしてすいませんね。俺に免じて許してくださいますか?」彼はユーリに向き直ってそう言うと、そっと彼の手の甲に接吻した。「解った。」「ドレスは後で弁償いたしますし、この騒動で損傷を受けた建物の修理代は全てこちらで受け持ちますから。それでいいですよね、支配人?」「は、はい!」迎賓館の支配人は、そう言って愛想笑いを香に浮かべた。「摩於様、参りましょう。怪我の手当てをしなくては・・」「う、うん・・」槙野に連れられ、摩於が大広間から出ようとした時、視線の端で雲華亭の妓生達がひそひそと自分の方を見て囁きを交わしているのを見た。「すいません、女将さん・・衣装、汚してしまって・・」「いいさ。こんなもん、大した値段じゃないからね。」女将はそう言うと、にっこりと摩於に微笑んだ。「ありがとう・・ございます。」槙野とともに部屋に入ると、摩於は溜息を吐きながらベッドの端に腰を下ろした。「摩於様、怪我のお手当をいたします。」「わかった。ちょっと待ってね。」摩於はそう言うと、チョゴリの胸紐を解いて下着姿になった。「酷いですね・・あいつら、摩於様のお身体に傷を・・」鬼族の若者によって深く抉られた肩の傷を見ながら、槙野は顔をしかめながらその傷を消毒し始めた。 すると、その傷はみるみる再生し、みみず腫れ程度のものとなった。「摩於様・・」「あれ、酷い怪我してるのに・・どうして・・」摩於は驚愕の表情を浮かべながら、肩の傷を見た。「ユーリ様とマオ様、大丈夫でしょうか?」「2人は大丈夫じゃ。妖狐として覚醒めたからのう。」鶯蘭はそう言うと、煙管をくわえた。「もはや彼らは人間ではない。妖は人間よりも生命力もあるし、傷の治りが早い。」「そうですか・・では、もうあの方は人間に戻ることは・・」「ない。そなたがユーリを想っていることは知っておる、アベルよ。じゃがユーリは妖狐として生きる事を望んだのじゃ。そなたは静かにそれを受け入れなければの。」「ええ・・わかっております・・」アベルはそう言うと、首に提げているロザリオを握り締めた。 一方、迎賓館から遠く離れた場所に、鬼族達の邸があった。「香よ、今回の件は見事であった。よく若い者達を諌めてくれたな。」「いいえ、このような事、俺にとっては朝飯前です。」香はそう言って愛想笑いを上座に座る者に浮かべた。「して、迎賓館で見かけた妖狐というのは?」「それが、麗真国の皇子、摩於君でした。彼は仲間を助ける為に、果敢に戦いました。」「そうか・・摩於君が、妖狐として覚醒めたか・・」上座に座る者は、にやりと笑った。「どうなさいますか、父上?」「摩於君のことは、そなたに任せるぞ。」「はい・・」にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年11月09日
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摩於の全身から、凄まじい妖気が溢れ出た。「ま、摩於様・・」槙野はただ、呆然としながらも摩於へと近寄ろうとしたが、摩於まであと数メートルといった所で、彼が発する強い妖気に押され、引き返すしかなかった。「一体、マオ様に何が・・」「ほほほ、やっとあの子は真の変幻を遂げたのであろうよ。」緊迫した空気の中でただ1人、そう言って鶯蘭は鈴を転がすような声で笑いながら扇子を優雅に扇いだ。「真の変幻、ですか?」「そうじゃ。あの子はユーリの元へ来てから変幻したが、それはほんの小さなものに過ぎなかったのじゃ。我ら妖狐族はの、己や仲間の危機に瀕した時以外には、真の姿を見せぬものじゃ。恐らく、ユーリの危機を感じ取り、真の姿を見せたのであろう。」鶯蘭は嬉しそうに目を細めると、摩於の方を見た。今や彼は妖狐としての真の力が覚醒めようとしていた。「曲者を討て!」鬼族達が一斉にサーベルと日本刀を片手に摩於とユーリに向かって斬りかかった。紅い風が建物全体に吹き荒れ、周りにいた者達は目を開けるどころか、立っていられなくなり地面に蹲ってしまった。「美しい・・」そんな中、摩於とワルツを踊った青年だけがうっとりとした表情を浮かべながら立っていた。「化け物を殺してしまえ!」「殺せ!」鬼族達は紅い風に怯まず、摩於に突進していった。「守るんだ・・僕が、ユーリ様を!」摩於はそう叫ぶと、鬼族達の1人に向かって“気”を飛ばした。彼は悲鳴を上げ、全身を壁に打ちつけ、力無く床にのびた。彼から奪った日本刀を握ると、摩於は呼吸を整えて鬼族達へと突進してゆき、刀を振るい始めた。 今まで義理の母と姉2人に囲まれ、麗真国の後宮で平和に暮らし、未だ戦場というものを知らぬ摩於は、幾度となく修羅場を乗り越えてきた戦乙女のように、確実に鬼族達の急所を狙って刀を振るい、その返り血で美しい衣を汚していた。(摩於様・・)生まれた頃から我が子のように世話をしていた槙野にとって、狂気に彩られた紅い瞳を光らせ、艶やかな黒髪をなびかせ戦う摩於の姿が、信じられなかった。それは摩於ではなく、他の誰かが彼の身体に憑依し、意のままに操っているかのようだ。「血に濡れた姿が美しい・・ますます彼に惹かれましたよ。」背後で涼しい声がしたので槙野が振り向くと、そこにはあの青年が立っていた。「貴様、摩於様に何をする気だ?」「何もしませんよ。俺はただ、あの子に興味があるだけです。」蒼い瞳に細めながら、青年はそう言って槙野を見た。背後では、激しい剣戟の音が響いていた。「はぁ、はぁ・・」摩於は数人相手と互角に斬り結んでいたが、多勢に無勢で蒼のチョゴリと桃色のチマは無残に切り裂かれ、白い肌にはうっすらと血が滲んでいた。それでも、摩於はユーリを守る為に必死に戦っていた。(僕が守らないと、ユーリ様がこいつらに殺されちゃう!)誰に命じられた訳でも、頼まれた訳でもない、摩於はただ己の意志でひたすら刀を振るい、戦っていた。「摩於様、危ない!」槙野の声に気を取られた隙に、仲間を殺された鬼族の若者が摩於の右肩を切り裂いた。鮮血が右肩から滲み、蒼のチョゴリを赤黒く染めた。(ここで倒れる訳にはいかない・・ここで倒れる訳には・・)覚束ない足取りでありながらも、摩於は必死に敵と戦おうと体勢を立て直そうとした時、間髪入れずに敵が攻撃してきた。(駄目だ、間に合わない!)敵のサーベルが摩於の頬を掠めようとした時、ユーリが起き上がって素手で敵のサーベルを真っ二つに折った。「な・・」敵が唖然とした表情を浮かべたが、彼はユーリによって倒された。「大丈夫かい、マオ?」「え、ええ・・」そう言って摩於ににっこりと笑ったユーリの瞳は、禍々しい光を放っていた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年11月08日
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「アベルの事を、どうして忘れてしまったの? あんなに仲良かったのに・・」摩於がそう言うと、ユーリは溜息を吐いた。「わからない・・わからないんだ、どうしても・・」最後に自分が覚えていたのは、紅蓮に包まれている邸と、夥しい死体の山だけ。自分を呼ぶ声が、誰のものなのかわからない。いや、わからなくなったのだ。思い出そうとすればするほど、大切な誰かの顔や声すらも忘れてしまいそうになる。恐らく“彼”に関するネガティブな記憶が呼び起こされるのを、無意識に防いでいるのだ。あの日から―父や母に化け物扱いされ、あの部屋に幽閉されている頃の記憶を、ずっと。「わたしは・・わたしは・・」ユーリの真紅の瞳が、大きく揺らいだ。「ユーリ様?」摩於がユーリに近づこうとすると、ユーリは瘧(おこり)にでもかかったかのように身を震わせながら荒い息を吐き始めた。「人を呼んでくるよ!」摩於はチマの裾を翻すと、それを摘んで部屋から出て行った。―殺せ脳内に、誰かの声が響き始めた。―お前は、ここにいる人間を全て殺せ。(嫌だ・・そんな事したくない・・)自分の両肩に爪を立てながら、ユーリは必死に声から逃れようとしたが、無駄だった。―殺さなければ、お前が殺される。(駄目だ・・そんな・・)―銃を取れ。ユーリは悲鳴を上げ、床に蹲った。(そうだ・・殺さないと・・みんな、殺さないと!)「槙野、ここに居たの! 今すぐユーリ様の所に来て!」「摩於様、どうしましたか?」「ユーリ様の様子がおかしいの。もしかしたら・・」摩於が次の言葉を継ごうとした時、大広間から銃声がした。「今の音は・・」摩於達が大広間に駆け込むと、そこには眉間に銃弾を撃ち込まれた人間の男がゆっくりと大理石の床に倒れるところだった。「ユーリ様・・どうして・・?」銃を向け、微笑んでいるユーリの姿を、摩於は呆然とした表情を浮かべながら見ていた。「ユーリ様、銃をこちらに渡してください。」ユーリはくるりと匡惟に振り向くと、彼の腹に銃弾を撃ち込んだ。「みんな殺さないと・・わたしが殺されちゃう・・」そう言った彼の瞳は、狂気に彩られていた。夜会に集まった人々は、悲鳴を上げて出口へと殺到した。「あの者を殺せ!」迎賓館を警備していた鬼族達は、一斉にユーリに銃口を向け、躊躇いなく引き金を引いた。「やめて~!」ユーリは銃弾を全身に浴び、床に崩れ落ちた。「ユーリ様、しっかりして!」摩於はユーリの身体を何度も揺さ振ったが、彼はびくりともしなかった。彼はユーリを安全な場所へと運ぼうとしたが、鬼族達に囲まれてしまった。「死ね!」鬼族の1人が、腰に帯びたサーベルで摩於に斬りかかろうとすると、彼の結っていた黒髪がばらばらと解けた。「なんだ・・」「いけません、摩於様!」摩於はゆっくりと顔を上げた。その瞳は、ユーリと同じように真紅に染まっていた。「僕が、ユーリ様を守るんだ!」凄まじい“気”が、摩於の全身から溢れ出た。「これは・・美しい・・」にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年11月08日
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「話というのは、我が娘・槙のことか?」槙野の言葉に、匡惟は静かに頷いた。「あの女を、わたしは殺しました。」「そうか。さぞや槙は愛する男に殺されて嬉しかったろうな。」「ええ。菩薩のように微笑みながら逝きました。」匡惟はそう言うと、掌を見た。そこにはまだ、槙を手にかけた感触が、まだ残っている。「お松のお方様の死を、摩於様には暫く伏せておいた方が良いだろう。」「ええ。美津姫様が今では後宮で采配を振るっていると聞きます。彼女は母を亡くしたばかりだというのに、悲しみを面に出さずに懸命に上様を支えようとしております。」「そうか・・」槙野は溜息を吐き、一面に広がる銀世界を見た。 脳裡に浮かぶのは、後宮で采配を振るい、一国の王を意のままに操っていた娘の姿だった。いつから彼女はあんな風に変わってしまったのだろうか。その原因は自分にあると、槙野は解っていた。幼い頃、仕事が忙しく職場に泊まる事は何度もあり、娘の事は全て妻任せにしていたし、それに血のつながりがある我が子よりも、槙野は血が繋がらぬ皇子の育児に熱心になっていた。 子どもは素直で、残酷である。実の父に蔑ろにされ、自分の父を奪った摩於に対して槙が憎しみを募らせることは、想像には難くない。その憎しみは彼女自身が制御できぬ程深くなり、やがては彼女の魂を食ってしまったのだろう。「わたしが悪いのです、あの女がわたしを想っていることを知りながら、わたしはお松のお方様に想いを寄せていたのですから・・決して結ばれぬ女を、愛してしまったわたしが・・」「何を言う、匡惟殿。悪いのはわたしだ。最期の最期まで娘が抱える孤独と向き合わず、理解しなかったわたしが悪いのだ。」槙野はそう言うと、首に提げていたロザリオを指先で摘んだ。「ユーリ様とそなたは夫婦になったのか?」「はい。ユーリ様はわたしのことを愛してくれますし、わたしも彼の事を心から愛しています。」「そうか。だがアベル殿が可哀想だ。ユーリ様が“妖狐”として覚醒め、あの方はアベル殿に関する記憶を失ってしまわれた。それでもなお、アベル殿はユーリ様のことを一途に想い続けているというのに・・」「それはやがて時が解決してくれることでしょう。わたしはもう、ユーリ様ななしでは生きていけません。あなたが摩於様を必要としているように、わたしにはユーリ様が必要なのです。」匡惟の切れ長の黒い瞳が、槙野の戸惑った顔を捉えた。「そうか・・そなたはそれほどまでに、ユーリ様のことを・・」愛しているのだな。槙野は目の前に立っている青年が、純粋に愛する人を想い、通じ合っている姿を羨ましく思った。血を分けた我が娘にも一度たりとも彼女を抱き締めたり、愛していると言う言葉すらかけられなかった愚かな父親だと、彼は思った。もし時を逆回しに出来たなら、娘を心から愛せただろうに。(槙・・すまぬ・・)初めて彼は、心の中で亡き娘にこれまでのことを詫びた。“今更何をおっしゃいます、父上。妾はもう解っておりました、父上には摩於しかおらぬと。”何処かで娘の声が風に乗って聞こえてきたような気がした。槙野がゆっくりと振り向くと、そこには笑顔を浮かべている娘の姿があった。「槙・・」“摩於をお守りくださいませ、父上。どんな事があっても・・”槙野が消えゆく娘の手を握ろうとした時、娘は粉雪と化して空へと舞った。「槙野殿・・」地面に蹲り、涙を流す槙野の姿を、匡惟は何も言わずに見ていた。 一方、ユーリと再会した摩於は、大広間からユーリが泊まっている部屋に場所を移して彼と向かい合って話をしていた。「ユーリ様、アベルのことはもう忘れてしまったの?」「わからない・・あの人が誰なのか、もうわたしにはわからなくなってしまったんだ・・」「ユーリ様・・」にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをくりっくしていただけると嬉しいです。
2010年11月08日
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槙野の視線をものともせず、青年は摩於と踊り続けた。やがて音楽が終わり、彼はそっと摩於の手を離した。「お上手でしたよ、初めてにしては。」「そう・・でしたか?」そう言った摩於の頬は、心なしか紅く染まっていた。「あの、あなたのお名前は?」「ああ、俺は・・」「香様!」2人の間に、1人の令嬢が割って入って来た。「なんだ、君か。」青年はそう言って、鬱陶しそうに令嬢を見た。「なんだではありませんわ! この方は一体どなたなの?」令嬢の視線が、青年から摩於へと移った。「この子は俺の婚約者だ。」青年は摩於の華奢な腰を掴むと、自分の方へと引き寄せた。「婚約者、ですって? あなたの婚約者はわたくしでしょう!?」「それは君の勘違いだろう? 俺はあんたみたいな女と結婚するつもりはない。」「なっ・・」令嬢は頬を怒りで赤く染めると、青年を睨んだ。「あなたにはもう用はありません。ではこれで失礼。」(ちょっと、僕をこの人と置いていかないでよ~!)突然の事で訳が解らない上に、勝手に婚約者にされた摩於は、混乱の中自分を睨みつけている令嬢から一歩後ずさった。「摩於様!」令嬢が手を振り上げ、摩於を殴ろうとした時、咄嗟に槙野が彼女を突き飛ばした。「お怪我はございませんか、摩於様!?」「大丈夫だよ、槙野。」「ちょっと、いきなり人を突き飛ばすなんて、無礼でしょう!」「黙れ、女。この方をどなたと心得ておる! 麗真国第一皇子・摩於君にあらせられるぞ!」槙野がじろりと令嬢に睨みをきかせると、彼女は恐怖に慄いて口を閉じた。「もう一度この方に傷をつけようと思ってみよ、この槙野がそなたを斬り捨てるぞ。」槙野は摩於の肩を抱くと、そのまま令嬢の前から去った。「大袈裟だよ、槙野。僕は何もされていないのに・・」「いいえ、あの時わたしが行かなければ、あの女は摩於様のお顔に傷をつけるつもりでおりました。」「もう・・」つくづく過保護になりがちな従者に対して、摩於は苦笑した。「素晴らしかったですよ、先ほどの行動は、まさしくサムライそのものですね。」乾いた音がしたと思い、槙野が背後を振り向くと、そこにはあの青年が立っていた。「そなた、何奴?」「そんなに警戒しないでくださいよ、俺は怪しい者ではありませんので。」青年はそう言うと、にっこりと摩於に微笑んだ。「自己紹介が遅れました、俺は香(かおる)、鴾和(ときわ)グループの者です。」「鴾和・・そなたがあの・・」槙野の表情が一層険しくなり、摩於は怪訝そうに彼を見た。「槙野、どうしたの?」「摩於様、あの男には近づいてはいけません。あの男は危険です。」「どうして?」「何故なら、この男は・・」「マオ、どうして君が此処に!?」槙野が次の言葉を継ごうと口を開こうとした時、ユーリがドレスの裾を摘みながら摩於達の方へと駆け寄って来た。「ユーリ様、やっとお会いできた!」摩於はそう叫ぶと、ユーリに勢いよく抱きついた。「お久しぶりです、槙野様。」「匡惟殿。」「少しお話があるのですが、宜しいでしょうか?」匡惟の言葉に、槙野は静かに頷き、彼とともに迎賓館の外へと出た。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年11月07日
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西洋風の宿屋―迎賓館の大広間で開かれている夜会には、妖狐族や鬼族・烏天狗(からすてんぐ)族の貴族や、名だたる名士達が出席し、女達は美しいドレスと宝石で着飾りながらおしゃべりに花を咲かせていた。 その中で一際目立っているのは、大広間の中央舞台で舞い踊る雲華亭の妓生達である。彼女らが髪飾りや色とりどりのチマを揺らし、天女のように優雅に舞っている姿は、夜会に集まっている者達を釘づけにした。中でも、蒼いチマを幾度も翻しながら舞う幼い妓生の姿に、彼らは注視していた。彼女が踊る度に、艶やかな黒髪がシャンデリアの下で輝いて美しい光を放っていた。「まぁ、可愛らしい妓生だこと。」「きっと初舞台なのね、緊張しているわ。」貴婦人達はそう言いながら、その幼い妓生を見た。匡惟と話していたユーリは、彼女達の話を聞いて、ふと舞台の方を見た。(あれは、マオ!?)蒼いチマを穿いた幼い妓生は、薄化粧を施してはいるが、ユーリには摩於だと解った。「どうしたのですか?」「あそこに・・わたしの友人が・・」ユーリがそう言って舞台を指すと、匡惟もそちらを見た。(摩於様、何故ここに?)何故一国の皇子である摩於が、女装してこのような場にいるのか、匡惟には解らなかった。妓生達の舞が終わると、客達は一斉に彼女達に向かって拍手を送った。チマの裾を摘み、舞台から降りた摩於が辺りを見渡すと、そこには黒髪の長身の男と並んで立っているユーリの姿があった。(ユーリ様!)摩於が彼らの元へと駆け寄ろうとした時、間が悪いことに楽団がワルツを奏で始め、踊る男女の輪に阻まれてなかなかユーリ達の元へと近づけない。(どうしよう・・ユーリ様が目の前にいるのに・・)踊りが終わるのを待った方が良いのだろうかと摩於が思い始めていた時、彼の肩が誰かに叩かれた。「可愛らしいおじょうさん、俺と踊って頂けますか?」摩於がゆっくりと振り向くと、そこには金髪蒼眼の青年が立っていた。彼は白いスーツに、サーモンピンクのシャツを着ており、何処からどう見てもそれらが既製服ではなく、一流の職人の手によって仕立てられたものだと摩於にはわかった。(どうすればいいんだろ?)ふと周りを見ると、令嬢達が好色な視線を青年に送っていた。「俺の手を握るだけでいいですから。」「そうですか。」摩於は青年が差し出した手を握ると、彼は摩於を連れて踊りの輪に加わった。「うわわ!」初めてのワルツで、しかも慣れない恰好をしている為に、チマの裾に足を取られた摩於が無様に転ぼうとしていた時、青年が寸での所で彼の身体を支えると体勢を整えて再び踊り始めた。自然に摩於は彼のリードに合わせてワルツのステップを踏んでいた。―あの子、さっきの・・―どうしてあの方は、あのような子と・・―悔しい・・可愛くない癖に・・(なんだか僕、不味い状況に置かれてる?)背後から感じる令嬢達の剣呑な視線に、摩於は恐怖で身を震わせたが、自分を踊りに誘った青年は終始笑顔を浮かべている。一体彼は何者なのだろうか―摩於がそう思いながら青年と踊っていると、青年はじっと彼を見つめた。「あの・・僕の顔に何か?」「いえ、昔君に良く似た子と会いましてね。俺の初恋の相手です。」「へぇ、そうなんですか。」そんな2人の様子を、槙野が苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべながら見ていた。(鬼族めが、気安く摩於様の腰に手を回しおって・・許せぬ!)槙野の視線に気づいたのか、青年がちらりと彼の方を見て笑った。それは、人を小馬鹿にするかのような笑みだった。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年11月06日
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「あらぁ、可愛い子じゃない。」「きっとまだおぼこね。恥ずかしそうに俯いちゃって。」「こちらに来なさいな、取って食ったりはしないからさぁ。」化粧部屋に入ると、摩於を数人の女達が取り囲むなり、彼の髪をいじったり、頬を抓ったりした。「あんた達、さっさと支度おし。そんな格好でお客様の前に出る気かい?」「わかったわよ。それにしてもこの子は何処から拾って来たの?」「さぁね。土台がいいから、弄ればあんた達よりもっとマシになるだろうよ。」中年女は女達に憎まれ口を叩きながら、摩於の頭頂部で一括りにした黒髪を断りもなしに下ろした。「綺麗な髪だねぇ。少々ほつれているのはいただけないけど・・まぁいい。さ、そこに座りな。」摩於は中年女の言われるがままに、鏡台の前に腰を下ろした。「どうしようかねぇ、この髪は。簪を付けて余り仰々しくするのもどうかと思うし・・」「少し毛先を癖毛風にして、コテで巻いたらいいんじゃないかしら? その方が余り髪が傷まないでしょうし・・」「ま、それでいこうかね。誰かこの子に合う色のチョゴリとチマを持ってきておくれ。」ほどなくして彼女は桃色のチマと蒼のチョゴリを両手に持ち、笑みを浮かべていた。(摩於様・・)一方、摩於の身支度が終わるまで妓生達と花札をしながら暇潰しをしていた槙野は、ちらちらと奥にある化粧部屋の方を何度も見た。「まぁあんた、本当にあの子が気になるんだねぇ?」「摩於様はわたくしの実の子のような御方だ。一体どのような目に遭っているのか・・」「大丈夫さ。女将さんは悪いようにはしないよ。それよりも、あの子は幸せ者だねぇ、あんたみたいに片時も気に掛けてくれる男が居てさ。あたしなんかさっぱりさね。」槙野の近くに座っている女はそう言うと溜息を吐いた。「わたしにはお前と同じ年頃の娘がおったが、もう死んだ。」「そうかい。あたしは親父の借金のカタにされてここに売られてきたのさ。傍目から見りゃぁここは極楽だけども、一度暖簾をくぐって中に入れば二度と外に出てお天道様拝むこたぁできないのさ。苦界だからねぇ。」女は気だるそうに煙管をくわえた。「槙野、何処に居るの?」「摩於様!」その時、女達と同じような物を着せられ、薄化粧を施された摩於がチマの裾を摘みながら槙野の方へと駆け寄って来た。「余り走るんじゃないよ、折角のチマに皺が寄っちまうだろう?」「すいません・・」「摩於様、この格好はいかがなさったのですか?」「後で説明するから、槙野も一緒に来てくれる? いいですよね、女将さん?」中年女は摩於の言葉に頷いた。「好きにおし。さぁてと、夜会に行く者はさっさと外に出て馬に乗りな!」 数分後、着飾った女達が馬や輿に乗り、艶街を練り歩き始めた。その中に、まだ初々しい少女の姿があった。馬に乗った彼女の隣を、老人が厳めしい表情を浮かべながら警護していた。「ありゃぁ、何処の新入りだ?」「あの顔じゃぁ、将来は名妓になるだろうよ。」「水揚げの時が楽しみだ。」行列を眺めている男達は口々にそう言いながら、少女を品定めしていた。「ねぇ、何であの人達、僕の事見てるんだろう?」「摩於様がお気になさるようなことではありません。」行列はやがて艶街を出て、夜会が開かれている宿屋の前に着いた。「おやおや、誰かと思ったら。」宿屋の支配人と思しき男がそう言って、雲華亭の女将を見た。「今夜もたんまりと稼がせていただくよ。その為に可愛い娘を連れて来たんだからね。」「解ってるさ。」馬から降りた摩於は、槙野の手をひきながら、宿屋の中へと入った。そこには美しい盛りつけがされてある豪華な料理が並んでいた。「何をしているんだい、早くこっちに来な。」女将に呼ばれ、摩於は慌てて口端に垂れていた涎を拭くと、彼女達の元へと駆けていった。にほんブログ村
2010年11月04日
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「随分と遅かったではないかえ?」アベルが部屋に戻ると、そこには中華風の衣装ではなく、艶やかな紫のドレスへと着替えた鶯蘭が立っていた。「その恰好はどうなされたのです?」「これから夜会が1階の大広間である。そちは妾をエスコートするのじゃ。」「ですが、わたしのような者では・・」「何を言うておる。そなたは妾が見込んだ男じゃ、臆するでない。」鶯蘭は妖艶な笑みを浮かべながら、アデルの頬に唇を落とした。 隣の部屋では、夜会の為にユーリがドレスに着替える為、匡惟によってコルセットを締められていた。「苦しい・・」「後少しで終わりますから、我慢していてください。」匡惟はそう言うと、コルセットを締め終わった。「こんな鎧のようなものを姉上は毎日来ていたのか・・」ユーリはぐったりとした様子で、ベッドの端に腰を下ろした。「夜会がまだ始まっていないというのに、この位で疲れていてはどうします? さぁ、立ってください。」「わかった。」ぶすっとした顔をして、ユーリはゆっくりと立ち上がった。「まだ着替えておらぬのかえ、ユーリ?」ノックもなしに、彼らの部屋に鶯蘭が入って来た。「ノックくらいしてくださいよ。」「おやお前、直衣姿も良いが、洋装も決まっておるなぁ。」鶯蘭は好色な目で黒のタキシードに着替えた匡惟を見つめた。「兎に角、出ていって貰えませんか?」「無粋なことを申すでないぞ、匡惟よ。そなたにドレスの着付けが出来ると思うのかえ? ここは妾に任せるのじゃ。」彼女はそう言うと匡惟とアベルを部屋から追い出し、ユーリのドレスを着付けた。「やはり蒼はそなたに似合う色じゃ。銀髪がよう映える。」「そうですか?」「これから色々と忙しくなろうのう、そなたの祝言や披露宴で。」「披露宴なら匡惟の所で済ませましたから。」「そうはいかぬ。妾はそなたに一生のうちに最高の思い出を作りたいのじゃ。これまで長く生き別れておった母への罪滅ぼしと考えておくれ。」「解りました・・」ユーリはそっと、実母の手を握った。その時、彼はやっと自分の居場所を見つけたような気がした。「ねぇ、迎賓館って此処かなぁ?」「多分、方角が違うと思いますが・・」 一方、妖狐界へとやって来た摩於と槙野は、宿屋から遠く離れた艶街の中を歩いていた。店の紅格子には鮮やかな着物やチマ・チョゴリを着た女達がしなを作りながら道行く男達に色目を使っていた。「夜会までもう時間がないや・・」「あらあんた、此処で何してんだい?」摩於が後ろを振り向くと、そこには紫のチョゴリと藍色のチマを纏った中年女が立っていた。「あの・・迎賓館っていうところを探しているんですけれど・・」「ああ、あそこなら反対側さ。それよりもあんた、いい顔しているじゃないか? 丁度夜会に行く妓生の人手が足りなくて困っていたんだよ。」中年女はそう言うと、摩於の腕をぐいと掴んだ。「摩於様に触れるな!」「煩い爺だねぇ。なぁに、夜会が終わったらすぐに返してやるさ。あんたもついてきな。」中年女とともに紅格子の隣にある店の暖簾をくぐると、そこには紅格子に座っていた女達と同じような鮮やかなチマ・チョゴリを着た若い娘達が舞を踊っていたり、客に酌をしていたりしていた。「あの、ここは・・」「ここはあたしの城、雲華亭さ。これから身支度をするから、化粧部屋に来な。」「摩於様・・」「大丈夫、心配しないで。」心配そうな顔をして自分を見つめる槙野に微笑むと、摩於は中年女と共に化粧部屋へと向かった。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをくりっくしていただけると、嬉しいです。
2010年11月04日
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アベルは宿屋から出て、外の澄んだ空気を吸った。脳裡に繰り返し浮かんでは消えるのは、ユーリが自分に向ける笑顔だった。だが、その笑顔はもう自分には向けられることはない。ユーリには、もう大切な人がいるのだから。(わたしは一体、何をしているんだろう?)あの日―暴走したユーリを身を呈して止めようとした時、あの男に瀕死の重傷を負わされ、ただ病院の集中治療室で昏々と眠り続けていた時、不意に彼の脳内に女の声が聴こえたのだ。“ここから出たい?”脳裡に浮かんできたのは、ユーリと全く同じ顔をした銀髪紅眼の少女だった。豪華な金糸を使ったパフスリーブに、光沢のあるシフォンのパニエを使った水色のドレスを纏った少女は、ゆっくりとアベルの黒髪を撫でた。“可哀想に、こんな狭い所に機械で全身を繋がれて。わたしがあなたを自由にしてあげる。”少女はそう言うと、アベルの額に桜色の唇を落とした。その瞬間、アベルの全身に力が漲ってきた。「先生、早く来て下さい!」アベルの目が開くのを見た看護師が、慌てて医師を呼びに行こうと廊下を駆けていった。“さぁ、外に出て自由におなりなさい。”少女はにっこりとアベルに微笑むと、姿を消した。彼女が一体何者だったのか、未だに解らない。だが、自分を助けてくれた者だから、危害を加えない相手だろうとアベルは何故か解った。(ユーリ様・・)アベルはふと、ユーリがあの男と居る部屋の窓を見た。そこには灯りがついておらず、真っ黒だった。中で彼らが何をしているのか、想像するだけでも苦しい。(あなたは何故、わたしを忘れてしまったのですか?)ふと頬が何か濡れている感触がして、アベルがそれを指先で拭うと、自分がいつの間にか涙を流していることに気づいた。 一方、摩於は集中治療室のベッドで横たわっているユーリアを槙野と見つめていた。「肩の出血が酷く、一時期は容態が危なかったですが・・何とか一命を取り留められて良かったですね。」「うん・・ねぇ槙野、妖狐界に行こう。」摩於は、そう言うと従者を見た。「摩於様、妖狐界に行けばどうなるか、わかっておられるのですか?」「うん、わかってるよ。でも僕は、みんなを助けたいんだ。」「摩於様・・」槙野は、自分を見上げている主を見た。いつの間にか、摩於は大人への階段を上り始めている。ついこの前までは自分の膝の上に乗り、甘えていたというのに。「・・解りました。摩於様がそうおっしゃるのなら、わたくしもお供致しましょう。」槙野はそう言うと、摩於の前に跪いた。「ありがとう、槙野。」摩於は首に提げていた紅玉を摘むと、呪文を唱えて妖狐界への扉を開いた。「槙野、僕の傍をずっと離れないでね。」「ええ、わたしはずっとあなたのお傍におります。」自分に差し出された摩於の手を握ると、槙野は彼と共に扉の向こうへと歩き始めた。「ここが、妖狐界・・」槙野は一面に広がる銀世界に息を呑んだ。「あそこに街があるよ。きっとユーリ様はあそこに居る。」「そうですね・・」摩於と槙野が街の中へと入ると、近くの商店の軒先に張られてあるポスターに、彼らは釘付けになった。“今宵酉の刻、迎賓館にて夜会開催。”にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをくりっくしていただけると嬉しいです。
2010年11月03日
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「少し歩くから、足元には注意いたせ。」鶯蘭はそう言うと、ユーリと匡惟を見た。「はい・・」鶯蘭の言葉に頷いたユーリだったが、動きにくい長袴の上に裸足である彼にとって、雪の上を歩くのは困難だった。「ユーリ様、わたしにおぶさってください。」アベルはそう言って、ユーリの前で腰を屈めた。「そんな・・あなたに迷惑がかかる。」「ユーリ様、わたしが。」匡惟はアベルを睨みながら、ユーリの手をひいた。「ユーリ様はわたしがおぶいますので、あなたは引っ込んでいてください。」「いいえ、わたしはユーリ様の夫です。困っている妻をおぶうのは夫の役目です。」匡惟の言葉に、ユーリは激しく狼狽した。「アベルよ、気を落とすでないぞ。そなたにはこの妾がついておるゆえ。」落ち込むアベルの肩を、鶯蘭はポンと優しく叩いた。アベルは彼女に微笑んだが、それは少しひきつっていた。 雪の中をひたすら歩いていると、彼らの前に街が見えた。「宮城までは遠いから、この街に泊まるぞ。」鶯蘭は領巾を振り回しながら、嬉々とした様子で街の中へと入っていった。そこには見慣れない服を着た人々と、街並みが広がっていた。数軒の屋台からは美味しそうな食べ物が売っており、そこからは湯気が出ていた。「あの、さっきは・・」「何ですか、ユーリ様?」匡惟は、そう言ってユーリを見た。「さっきは、おぶってくれてありがとうございます。」「いえ、いいんです。当然の事をしたまでですから。」ユーリは匡惟の言葉を聞き、頬を赤く染めた。「着いたぞ。」中華風の街中に突然、場違いな西洋風の宿屋が建っていた。「あの・・ここですか?」「そうじゃ。それよりも、部屋割りはそなた達夫婦と、妾とアベルがそれぞれ隣の部屋を使うことになったからの。」鶯蘭はアベルの背中を押すと、さっさと隣の部屋へと入っていった。「取り敢えず、入りましょうか。」「ええ。」匡惟とユーリが静かに部屋に入ると、そこには天蓋付きのベッドと、二つの枕が置いてあった。ユーリは、枕を見るなり頬を赤らめて俯いた。「大丈夫、何もしませんよ。」匡惟はユーリの手を握るとそう言って笑った。その言葉が嘘だと解っていながらも、ユーリは嬉しかった。「ほんにあの2人は仲が良いようじゃ。」壁越しに2人の遣り取りを聞きながら、鶯蘭はくすくすと領巾を口元で覆った。「随分と楽しそうですね。」「当り前であろう。人の幸せ癪の種、人の不幸は蜜の味だと言うであろう? それよりもここでじっとしているものもなんだから、妾が今からそなたの運命を特別に占ってやろうぞ。」鶯蘭は懐からタロットを取り出した。「面白そうですね。」「妾の占いは当たるぞ。1枚タロットを選べ。」「では・・」アベルはそっと、テーブルに並べられたカードを1枚、引き抜いた。「余り良くないカードじゃ。そなたは焦るあまり闇に心を捉われ過ぎておる。そのうち、闇に食われてしまうぞ?」「それでも・・わたしはユーリ様を取り戻したいのです。」翠の瞳が、ゆらりと揺らめき、アベルが纏っていた黒い瘴気が少し和らいだかのように見えた。「外の空気を吸ってきます。」アベルが部屋から出て行った後、鶯蘭は煙管をくわえると、その中に火をつけた。「難儀な男じゃ・・」彼女は口端を歪めて笑った。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年11月02日
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「あなたは・・」ユーリはじっと、青年を見た。宝石のように美しく煌めく翠の双眸を、何処かで見た覚えがあったが、思い出せない。「わたしを思い出せませんか、ユーリ様?」青年は、そう言うとユーリの白くて華奢な手首を掴んだ。その瞬間、ユーリの脳裡に様々な映像が浮かんだ。幽閉された狭く寒い部屋。いつも扉越しに話しかけてくれた青年。熱風になびく銀髪。紅蓮の炎に包まれる邸宅。「ユーリ様、思い出してください。」青年が、優しい声でユーリに話しかけた。まるで、幼子を宥めるかのように。「あ・・」あの日から、全てが変わった。父を助けた、あの日から―「ユーリ様、気を確かに!」匡惟に抱き締められ、ユーリは我に返ると、青年の手を乱暴に振り払った。「お前は誰だ?」真紅の瞳で青年を睨むと、彼は冷たくユーリを見下ろした。「本当に、あなたはわたしのことをお忘れになられたのですね。」「可哀想にのう、アベル。心から愛しく想っているユーリに振られるとは。」青年の隣で、美女がそう言って愉快そうに笑った。(アベル・・)その名は、何処かで聞いた事がある。だがまだ思い出せない。「吾子よ。」美女が、ユーリの手を握った。「我らと共に参ろうぞ。一族の者がお前の帰りを待っておる。」「一族の・・者?」ユーリはじっと、美女を見つめた。「そうじゃ。そなたは妾が産んだ吾子じゃ。やっとお前を抱き締める事ができた。」美女は涙を流しながら、ユーリを見た。「ユーリ様、そやつの耳に言葉を貸してはいけません。」「そなた、同族か? ならばそなたも妾とともに来い。」美女はにっこりと笑うと、匡惟を見た。「もう人間界なぞ居るのはうんざりしているであろう? 妖狐界で自由気ままに妾と暮らすのじゃ。」「妖狐界・・」人間の父と恋に落ち、匡惟を産んで間もなく命を落とした妖狐の母が住んでいた世界。「そこには、わたしと同じような・・」「半妖の者など、今更おってもおかしくはない時代じゃ。純血に拘る愚か者は何処の世界にも居るが、そういう者は一部に過ぎぬ。」美女は結い上げた銀髪の後れ毛をなびかせながら、そう言うと笑った。(そこに行けば、わたしは・・)妖狐界にいけば、美女の言う通りに自由気ままに暮らせるのだろうか。「ユーリ様。」「匡惟、わたしはこの人とともに妖狐界に行きたい。」ユーリはそう言うと、夫を見た。「本当に、いいのですか?」匡惟の言葉に、ユーリは静かに頷いた。「では、行くか?」ユーリと匡惟は、美女と青年の元へと向かった。「連れて行ってください。」「解った。」美女の手を、ユーリはそっと握った。「後悔するでないぞ。」「解りました。」美女は呪文を唱えると、妖狐界への扉を開いた。ユーリと匡惟は、青年と共に妖狐界への扉の中へと向かった。そこには、一面の銀世界が広がっていた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年11月01日
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「ユーリ様の元へ案内いたしましょう、鶯蘭様。」アベルはそう言ってユーリの母・鶯蘭の前に跪くと、彼女にいつものような、優しい笑みを浮かべた。「そうかえ。そなたのような者に会えたこと、妾は嬉しく思うぞ。」「ありがたきお言葉、頂戴致します。」2人の様子を遠くから見ていた槙野は、アベルが闇の側についたことを確信した。彼の全身から漂う黒い瘴気が、その証拠だ。(一体アベルさんに何が? それに今になって、ユーリの母君がいらっしゃるとは・・)「そこな人間、何を妾を見ておるのじゃ?」槙野の視線に気づいた鶯蘭は、不快そうに鼻を鳴らすと彼を睨んだ。「そなた、何故此処に来た? 此処にはユーリ様はおられぬというのに・・」「妾は吾子に対して酷い仕打ちをした人間どもを罰する為にきたのじゃ。」「罰する?」「そうじゃ。」口元に嫣然とした笑みを浮かべながら、鶯蘭はゆっくりと槙野の方へと近づいた。「妾の愛しい吾子を、ここにおる者達は幽閉したのじゃ。その報いを受けさせねばならぬ。」「報い、だと・・」背筋に悪寒が走るのを、槙野は感じた。「そうじゃ。」鶯蘭は領巾で口元を覆いながら、アベルの方へと向き直った。「アベルよ、妾を吾子のところへ案内してたもれ。」「では、こちらに。」アベルはそう言うと、鶯蘭に手を差し伸べた。彼女がアベルの手を握ると、2人の全身は黒い瘴気に包まれた。「アベル、行っては駄目・・」ユーリアの叫びは、アベルに届く事はなかった。「変な天気ねぇ、さっきまで晴れていたというのに・・」「そうねぇ・・」一方、奉奠にある匡惟の邸では、女房達が縫い物をしながら空を覆い始めた黒雲を御簾越しに見上げながら不安そうにそう言い合った。そんな中、新婚夫婦の寝室では、白昼でありながらもユーリは匡惟に抱かれていた。「あ、ああっ!」匡惟の指で胸や下半身を愛撫される度に、ユーリは長い銀髪を振り乱しながら喘いだ。「もっと聞かせてください、あなたの声を。」匡惟はそう言うと、ユーリの髪に口付けた。「きゃぁ!」「魔物が、魔物が出たわ!」「誰かぁ!」女房達の悲鳴が聞こえたかと思うと、刀で肉と骨を断たれる嫌な音が隣室に響いた。「一体何事・・」匡惟が眉根を寄せると同時に御簾が捲られ、女房達の返り血で染まった領巾を振りながら、銀髪の美女が寝室に入って来た。「会いたかったぞ、我が吾子よ。」美女は紅の双眸で愛おしそうにユーリを見つめると、彼の方へとゆっくりと近づいていった。「あなたは、誰?」「妾はそなたを産んだ母じゃ。」にっこりとユーリに微笑む美女の背後には、剣を持った青年が続いて寝室に入って来た。「ユーリ様、やっと見つけましたよ。」青年は翠の瞳でユーリを見つめながら、彼に向かって手を差し伸べた。“ユーリ様”またユーリの脳内で、あの声が聴こえた。(まさか、あの声は・・)ユーリはじっと、自分に微笑んでいる青年を見た。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをくりっくしていただけると嬉しいです。
2010年11月01日
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鮮血が緑の芝生に飛び散り、白い獣に襲われたユーリアは右肩を押さえて芝生の上に蹲った。“人間の血は美味くないな・・”白い獣はそう言って唸ると、摩於の方を見ながら舌舐めずりした。「あんた・・一体何者なの?」“我は・・”白い獣が忽然とその姿を消し、代わりに銀髪の美女が立っていた。「妾は鶯蘭。吾子を迎えに来た。」ゆったりとした薄紫の衣を纏った美女は、そう言うと真紅の瞳でユーリアを見た。「吾子・・?」「ユーリに決まっておろう。あの子は何処におる?」「解らないわ。どうして今更あなたは現れたの?」「そなたには関係のないことじゃ。」美女はユーリアに背を向けると、摩於をじろりと見た。「このような所に我が同族がおるとは、奇遇じゃのう。」彼女は衣擦れの音を立てながら、ゆっくりと摩於へと近づいていった。「若君、お下がりください!」槙野はそう言うと、刀の鯉口を切った。「退け、人間よ。そなたには用はない。」「黙れ、妖が!」槙野は刀を上段に構え、美女に斬りかかろうとした。だが彼女はひらりひらりと彼の攻撃をかわしていた。彼女が動く度に領巾(ひれ)が風に舞い、太陽の光を受けたそれはキラキラと美しく輝いた。「おのれ・・」槙野は攻撃をかわされ続け、肩で息をしながら美女を睨みつけた。「どうした、まだやるかえ?」口端を歪め、美女は馬鹿にしたような笑みを槙野に向かって浮かべた。「お主、何を企んでおる?」「妾は吾子に会いたいだけじゃ。」美女はちらりと辺りを見渡しながら、我が子の姿を探した。「ユーリは此処にはいないわ。」「嘘を吐くでない。ここに来れば妾は吾子に・・ユーリに会えると思うて来たのじゃ。ユーリを何処に隠した?」芝生に蹲り、肩を押さえて呻くユーリアの金髪を美女は勢いよく掴むと、彼女はそう言ってユーリアの脇腹を蹴った。「言え、ユーリを何処に隠したか、言え!」「知らないわよ・・」「おのれ・・妾を愚弄しよって、人間風情が!」美女は鋭い爪をユーリアに向けようとした。「お待ちください。」背後から凛とした声が聞こえ、ユーリア達が一斉に振り向くと、そこにはアベルの姿があった。「アベル・・あなた・・」ユーリアは信じられないような表情を浮かべながら、アベルを見た。「ユーリ様が何処におられるのか、知っております。」「そうか。では案内致せ。」美女がそう言うと、アベルは彼女ににっこりと微笑んだ。「ええ。」「アベル?」ユーリアは何処かアベルの様子がおかしいと思い始めていた。「槙野・・アベルさんに、何か黒いものが・・」摩於がアベルを指すと、彼の全身から黒い瘴気が漂っていた。「まさか、彼が・・」槙野は呆然とした様子でアベルの背中を見た。「そなた、名は?」「アベルと申します、鶯蘭様。」アベルはいつものように、美しい笑顔を美女に浮かべると、そっと彼女に手を差し伸べた。「アベル、か・・良い名じゃのう。」美女―ユーリの実母・鶯蘭はそう言うと、目の前に立っている天使のような青年をじっと見た。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月30日
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ユーリが消え、その行方が判らぬまま、数ヶ月が過ぎた。まだアベルの意識は戻らないままだ。「ねぇ、本当に・・本当にユーリの居場所がわかるの?」ユーリアはそう言って、自分と向かい合って座る麗真国皇子・摩於を見た。「うん。多分これを使えば・・」摩於は首に提げていた紅玉を掲げてユーリアに見せた。「ちょっと、見せて頂戴。」「いいよ。」摩於は首から鎖を外すと、それごとユーリアに紅玉を渡した。ユーリアはそれを、太陽の光を時折翳しながら見た。何も仕掛けがないが、これで一体どうやってユーリの居場所が判るというのだろう?「あのね、太陽の光じゃぁユーリ様の居場所は解らないよ。」「そう。じゃぁ月の光では?」「多分解るかもしれない。でも普通の月じゃだめ、紅い月の光でないと。」血の色をした宝石に、紅い光を当てる―妖狐の紅い髪と瞳と同じ色。「ねぇ、アベルの方はどうなっているの?」「あのままよ。意識が全く戻らないの。医者はあのまま植物状態になるんじゃないかって・・」ユーリアは溜息を吐きながら椅子から立ち上がると、太陽の下美しく輝いている白薔薇の生け垣を見つめた。 それは、ユーリのように清浄で美しいものだった。彼の瞳は幻の薔薇と呼ばれた蒼い薔薇のように、神秘的でいて翳りがある蒼い光を帯びていた。だがその瞳は緋に染まっているだろう―もし“妖狐”のユーリが覚醒めていたのなら。「ユーリア様、僕は思うんだけど・・ユーリ様はアベルを傷つけたくなかったんだ。多分、“妖狐”の本性が覚醒めてしまって抑えがきかなくなってしまったんだと思う。」「そう・・」摩於は、テーブルに置かれた紅玉を鎖ごと掴むと、またそれを首に提げた。「紅い月の晩は、確か明後日だったわね? その時に試さないと・・」「うん。」摩於はそう言って、ユーリアを見た。「若君、こちらにおられましたか。」槙野が摩於の元へと駆けてきた。「槙野、どうしたの?」「落ち着いてお聞きくださいませ・・お松の方様が・・身罷られました・・」「母上が!?」摩於の真紅の瞳が、驚きで見開かれた。「ええ。槙に殺されたと。槙は、その罪を己の命で贖(あがな)ったようです。」「そう・・姉上達は?」「ご無事です。あれほど精気を失われていた上様も、お元気になられました。」「良かった。」摩於はほっと溜息を吐いて、涙を流した。その瞬間、彼の銀髪がみるみる漆黒へと戻っていった。「え・・どうして・・?」「何ということだ、変幻が解けるとは!」槙野がそう叫び、幼い主を抱き締めた。「どうしたの、何が起きたの!?」「摩於様の変幻が解けてしまったのです。昔から半妖の者の変幻が解けると、不吉の兆しだと我が国では言い伝えられております。」「不吉の・・兆し・・」その言葉を聞いた時、ユーリアは悪寒が走った。何かが距離を計りながら、ゆっくりと近づいて来る気配がした。間合いを詰めながら、ゆっくりと・・「ユーリアさん、危ない!」摩於の鋭い声とともにユーリアが振り向くと、そこには鋭い牙を剥き出しにした白い狼が彼女へと飛びかかってきた。ユーリアは呪文を唱えようとしたが、遅かった。鮮血が、緑の芝生を濡らした。 同じ頃、集中治療室で生命維持装置に繋がれているアベルの全身を、黒い光の膜が包み始めた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月29日
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ユーリはうとうとしながら匡惟の帰りを待っているが、彼は一向に帰ってこない。仕事が忙しいのだろうか。「大変ですわ、ユーリ様!」慌ただしい足音がして、式神の綾乃がユーリの部屋に入ってきた。「どうしたんです?」「匡惟様が、槙の方様を殺害したと!」「え・・」突然の知らせに、ユーリは言葉を失った。「それで、匡惟は?」「大丈夫ですわ、きっと帰ってこられますわ。」綾乃はそう言ってユーリに微笑んだ。 一方、正室が自害し、更に側室である槙が殺されたと知った国王の顔は、どこか穏やかだった。「そうか、槙が死んだか・・」そう言った彼の目には、久しぶりに生気に満ちていた。「いかがなされますか、上様? 下手人を・・」「良い。槙は死んで当然の事をしたまで。あのような女に惑わされていた余が馬鹿であったのだ。」槙の妖力によって惑わされ、操られていた国王は、彼女の死によって漸く正気を取り戻した。「美津をここへ。母を目の前で亡くした悲しみは計り知れぬものであろうから、久しぶりに娘と積もる話をせねばの。」「ははっ!」 匡惟は、紅龍を握り締めながら、呆然と槙の骸を見ていた。冷酷無比な心を持ち、今まで悪辣な振る舞いをして国を混乱させた妖女であった彼女の死に顔は、その悪行に似合わず穏やかなものであった。彼女の胸には、紅龍の刃が埋もれていた。匡惟がそっと柄を握り締めてひくと、刃が絡まった肉を断ちながらずるりと抜け、彼女が纏っていた美しい衣を赤黒く穢した。「お前は、わたしを愛していたのか・・それほどまでに・・」彼女が死ぬ直前、匡惟は彼女の涙と、笑顔を見た。そして、彼女が最期までどのような想いを自分に、実父に抱いていたのかを匡惟は初めて知った。 彼女は他人から愛される事を望んでいたが、愛はいつも彼女が手に入れたと思った瞬間に、指の隙間から零れ落ちていった。幾度も、幾度も。「匡惟。」澄んだ声が背後から聞こえて匡惟が振り向くと、そこには美津姫が立っていた。「姫様・・」「わたくしはこれから父様の元に参ります。」「わたしは、どうなるのですか?」「いいえ・・この女の死によって、父様は正気に戻られた。だから誰も、あなたの罪は咎めません、安心なさい。」美津はにっこりと匡惟に微笑むと、守り刀を握り締めながら、彼の元を去っていった。 匡惟がユーリの元に帰って来たのは、もう日付が変わる頃であった。「匡惟・・」夫婦の寝室に入り、ユーリの顔を見た瞬間、匡惟は彼を抱き締めた。「どうしたの、匡惟?」「ユーリ様・・」ユーリはそっと、匡惟の手に触れると、それは冷たくかじかんでいた。「こんなに手が冷たくなって・・暖めてあげる。」ユーリの白くて美しい手が、大きくて逞しい匡惟の手と重なった。彼の優しい体温が、徐々に匡惟の冷えた心と身体を癒してゆく。「ユーリ様、もうわたしにはあなたしかいないのです・・あなたしか・・」「わかってるよ、わたしだってお前しかいないんだ・・」“ユーリ様”また聞こえてくる謎の声をユーリは無視し、夫を優しく抱き締めた。彼の手が自分の衣にかかり、ゆっくりと脱がしてゆくのを、ユーリは見ていた。蝋燭の仄かな灯りが、2人の密事を静かに照らしていた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月29日
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「今頃あの男はお松の亡骸を抱えて泣いておろうな・・」 お松の方が自害したという報せを受け、宮廷中が大騒ぎになっている中、その犯人である槙の方―槙は、そう言って自室でほくそ笑みながら、お松の方を殺害した懐剣を弄っていた。彼女の脳裡には、彼女が最期まで守ろうとしたあの半妖の子の顔が浮かんだ。人間と妖狐との間に産まれた、穢れた血の子。子が授からぬ自分にとって、いずれは麗真国の王となる摩於は厄介な存在であった。ダブリスへと向かう摩於付の女官に金子を握らせ、彼を殺すように仕向けたのに、あの忌々しい男が邪魔をした。(父上、何故妾の邪魔ばかりするのです? 実の娘よりも赤の他人を選ぶとは・・) 槙は、憎い男―血が繋がった実父である槙野清之介の顔を思い出したが、父の顔はどれも自分に向けられたものではない笑顔を浮かべているものだった。その笑顔は、どれもあの半妖―摩於に向けられたものだった。 父は、自分が幼い頃からあの半妖に付きっきりだった。母・千陽(ちよ)はいつも自分に優しく接してくれていたが、槙はいつも父を求めていた。友人達の父親のように、自分を抱き締めてくれる大きくて逞しい手や、おんぶをしてくれる大きな背中、自分を乗せてくれる力強い肩に、彼女はいつも飢えていた。何故自分の父親は、殆ど家に帰ってこないのか。一度槙は、その事を母に聞いてみた。すると母は、こう言った。“槙、あなたの父君はあなたを愛しておられるのと同じように、摩於様を愛しておられるのですよ。”その時の彼女の笑顔は、どこか寂しげで何かに耐えているように見えた。幼い槙は、父が母を苦しめているのだと勝手に思い込み、父への憎しみを募らせていった。やがて彼女は美しく成長し、入内して国王の側室となった。だが彼は槙の肉体を欲するが、彼の心は正室であるお松の方と、遅くに産まれた摩於だけに向かっていた。父を自分から奪った摩於は、愛する男の心も自分から奪っていったのだ。(妾を愛してくれぬ者はおらぬのか!)愛に飢えた槙は、宮廷陰陽師である匡惟と恋に落ちた。だが匡惟もまた、お松の方に惹かれていき、次第に槙から離れていった。父への憎しみは日に日に深くなり、それとともに自分から何もかも奪っていったお松の方への憎しみが槙の心を浸食していった。(妾は誰にも愛されぬ・・誰にも愛されぬのなら、他人の幸せを奪うまでじゃ!)人から愛されなければ、他人の幸せを奪えばいい―槙はもう、憎しみという名の鎖に雁字搦(がんじがら)めになっていた。その事に気づきながらも、槙は他人を害することを止めなかった。虚ろな心を憎しみで埋める事しか、今の彼女が出来る唯一のことなのだから。極楽よりも自分には地獄が似合いだ―槙はそう思いながら口端を歪めて笑った。「槙ぃ!」ふと顔を上げると、そこにはかつて恋焦がれていた匡惟が怒りで美しい顔を歪ませ、緋の髪をなびかせながら自分を睨みつけていた。「妾を殺しに来たか、匡惟。」そう言って槙は、匡惟を見た。「地獄へ行け、槙ぃ!」匡惟はそう叫ぶと、腰に帯びていた剣の刃先を自分に向けた。その剣が何なのか、槙には解った。それは魔物の血を浴びた退魔の剣―紅龍。かつて愛した者に殺されるとは、自分はなんという果報者だろうか。匡惟は獣のように唸りながら、槙の胸に紅龍の切っ先を沈めた。その時、槙はうっとりとした表情を浮かべながら匡惟を見た。「そなたに、殺されるとはの・・」磨き上げられた極上の黒曜石のような瞳で、彼女は匡惟を見ながらふっとにこやかに笑った。(匡惟・・父上・・妾はそなたらの愛が欲しかった・・)死に間際になって、槙の脳裡に浮かんだのは、父の笑顔だった。「ま・・き・・?」刃を胸に沈め、自分の腕の中で息絶えた女の穏やかな死に顔に、匡惟は驚いた。「お前は、そこまでわたしに愛されたかったのか・・?」妖女として麗真国を恐怖に陥れた女の最期は、呆気ないものであった。だが彼女は、ただ愛情に飢えていただけであったのだ。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月26日
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“ユーリ様”また、あの声が聞こえる。匡惟のものではない、誰かの懐かしい声。“ユーリ様”まるで自分を思い出してくれと言わんばかりの声を、ユーリはそれ以上聞きたくはなかった。(・・煩い・・)わたしはお前なんて知らない。わたしを呼ぶな。“ユーリ様”どんなに念じても、どんなにその声を拒絶しても、その声はユーリの脳内に直接響いてきて離れない。(煩い煩い煩い!)腹立ちまぎれに、ユーリは枕上(まくらがみ)を掴んで床に押し倒した。派手な音がして、それが床に転がった。「ユーリ様、いかがなされました?」音を聞きつけた匡惟の式神が部屋に入って来た。彼女は床に転がっている枕上と、ユーリを見つめた。「大丈夫・・少し、疲れてて苛々していただけだから・・」「そうですか、お怪我はありませんか?」式神はそう言うと、ユーリの白い手を掴んだ。「大丈夫だから。」不意に寒さを感じて身を震わせながらユーリが外を見ると、雪が激しく降り始めており、それが部屋の中に入ってきていた。「蔀戸を閉じて参ります。」「ありがとう。」式神にそう言ってユーリが微笑むと、あの声はもう聞こえなかった。(あの声が誰かのものなんか思い出さなくてもいい・・わたしは今、幸せなんだから・・) 同じ頃、出仕した匡惟は、後宮内を包む黒い不気味な霧を見て寒気がした。「おや、匡惟殿ではないですか?」背後から声を掛けられて振り向くと、そこには職場の同僚が立っていた。「後宮を黒い霧のようなものが包んでいるが・・一体あれは何だ?」「霧、ですか? わたしには見えませんが?」同僚はそう言ってきょとんと首を傾げた。(一体何が、後宮で起きているのだ?) 後宮では、お松の方と槙の方が向かい合っていた。「あなたがこちらにおいでになるとはお珍しい事。お話とは何かしら?」お松の方はきっと槙の方を睨んだ。「あの守り刀は何処にあるの?」「何の事かしら?」「とぼけても無駄よ、あなたが持っているのは解っているのよ。大人しく守り刀を渡せば、許してあげる。」そう言って槙の方は、お松の方を冷たい目で睨んだ。まるでそれは、情を持たぬ蛇のような目であった。「わたくしは何も知りません。」「そう・・」槙の方は諦めたかのようにお松の方に背を向け、隠し持っていた懐剣で振り向きざまにお松の方に向かってその刃を首筋に立てた。お松の方は頸動脈から大量の血飛沫を上げながら、几帳に倒れ込んで動かなくなった。几帳に母の血が飛び散り、その陰に隠れていた美津は思わず声を上げそうになったが、必死に両手を口元で覆い、それを堪えた。「馬鹿な女・・半妖の若君がそこまで愛おしいか? ならばそやつを殺してやる。」槙の方は昏い笑みを浮かべると、部屋から出て行った。「匡惟殿、大変です!」「どうかしたのか?」匡惟が仕事をしていると、同僚が慌てて部屋に入って来た。「お松の方様が・・自害されたと!」「自害だと!?」その報せが嘘であるように祈りながら、匡惟はお松の方の部屋へと向かった。そこには、無残にもちぎれたロザリオと、几帳にもたれかかるようにして息絶えているお松の方の姿があった。(槙め、許さぬ!)母のように慕った女性を殺され、匡惟の髪が怒りで緋に染まった。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月26日
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「え・・今何と?」「何度も同じことを言わせないでいただけるかしら? わたくしはアベルの母親よ。」黒髪の女性はそう言ってユーリアを見た。「あなたがアベルと実の親子だという証拠は何かお持ちですの?」「疑り深い方ね。まぁいいわ。」女性はバッグの中からロザリオを取り出した。ユーリアはそのロザリオと同じものをアベルが持っている事を思い出した。「ここでは何ですから、少し静かな所でお話ししません?」「ええ。」ユーリアはちらりと槙野達に視線を送ると、彼らはユーリアと女性を残して集中治療室の前から去って行った。「ねぇ槙野、あの人が本当にアベルのお母様なのかな?」「さぁ、どうでしょう?」槙野はそう言って、主の肩を叩いた。 病院内のカフェで、ユーリアと女性は向かい合って座り、互いの顔を見ていた。「ねぇ、わたくしはアベルの実母よ。あなたとお話しすることは何もないわ。」「あなたがそうお思いになられても、何故あなたが突然アベルの母親として名乗りを上げたことを聞きたいのよ、わたしは。」「もしかして、金目当てでわたくしが現れたと思っているのね? 安心して頂戴な、そんな事をしなくてもわたくしは裕福だから必要ないわ。」女性はそう言うと、胸をツンと反らして挑むようにユーリアを見た。「アベルは孤児院の前に捨てられていたと、マキノさんから聞いたわ。」「あの頃は、事情があってアベルを捨てたのよ。あの頃わたくしはまだ10代の、馬鹿な少女だったの。奥さんと別れて結婚するという男の言い訳にまんまと騙されてアベルを産んだのよ。でも結局彼は奥さんと離婚せず、わたしは路頭に迷ってあの子を捨てたの。それは今でも後悔しているわ。」女性の言葉を、ユーリアは慎重に聞いた。彼女が嘘を吐いていないかどうか疑っていたが、彼女の目はじっとユーリアを見つめている。「あなたは何故、20年以上経った今になって、アベルの元に来たの?」「わたくしはアベルを産んだ後、親が決めた男と結婚したわ。彼との間に娘を2人産んだけど、跡継ぎは産めなかったの。」「だから、アベルを引き取ると? それは無理よ、アベルはあなたの存在を知らないし、知ったとしてもあなたの元には行かないでしょう。」「どうしてそんな自信満々にそういうことを言い切れるのかしら? アベルとわたくしは血が繋がった親子なのよ?」「一度アベルを捨てておいて、自分の都合が悪くなると彼を引き取るの? そしてあなたの身勝手で彼を捨てる気でいるの?」「腹を痛めて子を産んだことがないあなたに、母親の何が解って? 上から目線で偉そうな事ばかり言わないで。」女性は荒々しく椅子から立ち上がると、カフェから出て行った。ユーリアは、湯気が立ったコーヒーを見つめながら、女性の言葉を思い出していた。確かに自分は“女”になったが、“母親”には一生なれない。妊娠・出産の辛さや痛み、苦しみは女にしか解らない。それを彼女から指摘されて、ユーリアは悔しかった。だが、子どもを捨てておいて平気な顔をして自分の都合が悪いと子どもを引き取りたいと言い出す母親の無神経さには、怒りを通り越してあきれてしまった。(アベルにはアベルの人生があるわ。)アベルの意識がまだ戻らない今、彼を守るのは自分しかいない―ユーリアはそう思い、コーヒーを一口飲んだ。 カフェを出ると、槙野と摩於が外で待っていた。「彼女との話し合いはどうでしたか?」「全く駄目。アベルが意識を取り戻さない限り、あの女と話しても無駄だわ。」「そうでしょうね。アベルさんはこのまま、母親の存在を知らない方がいいかもしれません。」「わたしも、そう思うわ。」ユーリアはそう言って溜息を吐いた。「それよりも、ユーリ様は何処へ消えたのでしょうか?」「さぁ・・解らないわ。」「僕なら、解るかもしれない、ユーリ様の居場所。」摩於は首から提げた紅玉を掲げながら言った。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月26日
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「匡惟様、起きていらっしゃいますか?」御簾の向こうから女の声がしたので、匡惟は夜着を羽織って部屋の外に出ると、そこには彼の式神・綾乃がいた。「綾乃か、どうした?」「あの女が、何かを企んでいるようです。」「あの女とは、槙の方か?」匡惟の言葉に、綾乃は頷いた。「そうか。摩於様が槙野殿とともにダブリスへと向かって以来、妙な動きをしていると思っていたが・・」「お松の方様のお命が危のうございます。彼女に護衛を付けますか?」「いや、それは必要ない。それよりも綾乃、ユーリ様の母親はどうしている?」「鶯蘭様の消息は未だ解っておりません。それよりも匡惟様、いつまであの方をお傍に置いてゆくおつもりですか?」綾乃はそう言って主を見た。「それは、どういう意味だ?」「あの方には妖狐の血が流れております、あなた様と同じように。」「わたしはユーリ様を同族ではなく、1人の人間として愛しているのだ。だから、ユーリ様を妻にした。」「そうですか・・では、これで失礼致します。」綾乃は匡惟に頭を下げると、彼の元から去っていった。匡惟はそっと御簾を捲り、御帳台の中で眠るユーリを見た。この28年間の中で、彼は匡惟が唯一手に入れた、得難い宝だった。 彼もユーリと同じように、妖狐の母と人間の父との間に産まれた半妖であった。妖狐の母は匡惟を産んですぐに亡くなり、父は妻の忘れ形見である自分を目に入れても痛くないほど可愛がった。だが世間は半妖の子に対して冷たい視線を送り、親達は匡惟を怖がって自分の子どもを匡惟と遊ばせなかった為、彼には同年代の友人はいなかった。使用人達や親戚連中は匡惟に妖力が覚醒めると、すぐにそれを封印しようとした。だが、無駄だった。 孤独な思いを抱えながら、匡惟は生きてきた。それが、ユーリとの出逢いで全て変わった。自分と同じ境遇に置かれているユーリと、何か通じるものがあった。戦場で本能に任せて戦う彼の姿を見て、匡惟は瞬時に彼に心を奪われた。欲しいものは全て手に入れる―それは匡惟が28年間生きてきた中で得た自分なりの考えだった。匡惟はゆっくりと部屋の中に入り、眠っているユーリの髪を撫でた。「ア・・ベ・・ル・・」彼の唇を塞ごうとした時、ユーリは“彼”の名前を呼んだ。アベル―ユーリの心を捉えて離さない“彼”。ユーリの中から“彼”の記憶を消した筈なのに、何故かユーリは“彼”のことを時々呼ぶ。“彼”はユーリにとってどういう存在なのか気になるが、今はどうでもいい。ユーリが自分の傍に居れば、それでいいのだ。「ん・・」ユーリの真紅の瞳が、ゆっくりと開いて自分に焦点を合わせた。「お目覚めですか?」「匡惟、起きてたんだ・・」ユーリはそう言って低く呻くと、ゆっくりと起き上がろうとした。「まだ寝ていなければいけませんよ、ユーリ様。昨夜は無理をさせてしまったので。」匡惟の言葉に、ユーリは昨夜の出来事を思い出して顔を羞恥で赤く染めた。「これから出仕します。」「そう・・じゃぁ何か手伝いを・・」夜着を羽織ったユーリは、匡惟の身支度を手伝った。「今日はなるべく早く帰れるようにします。もっとあなたを抱き締めていたいですから。」匡惟はそう言うと、ユーリの唇を塞いで部屋から出た。 一方、匡惟に瀕死の重傷を負わされて集中治療室で意識不明のアベルに、今日もユーリアや槙野達が見舞いに来ていた。「まだ目覚めないわね。」「ええ。」ユーリアが溜息を吐いていると、菫色のドレスを着た黒髪の女が集中治療室の前を通りかかった。「あの、あれがアベルさん?」「ええ、そうですけど、あなたは?」「わたくしはエリザベト、彼の母親です。」にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただければ嬉しいです。
2010年10月26日
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一部性描写が含まれております、苦手な方は閲覧をご遠慮ください。 匡惟の手にひかれ、ユーリが部屋へと入ると、そこには彼の親族がじっと自分を見ていた。「匡惟、これがお前の妻か?」「はい、叔父上。紹介いたします、わたしの妻の、ユーリです。」匡惟はそう言うと、ユーリを親族に紹介した。「初めまして、ユーリと申します。」「匡惟が妻にと思った者はどんな方かと思ったが、これほどまでに美しい方だとは。」匡惟の父親と思しき男がそう言ってユーリに微笑んだ。ユーリが部屋の中を進むと、そこには祝膳が設けられており、自分達が座る高砂席には餅が置いてあった。「今日は目出たい席だ、大いに飲み交わそうぞ!」親戚達の言葉で、匡惟とユーリの所顕(披露宴)が盛大に行われた。 子の刻になり、ユーリと匡惟が寝殿から出て夫婦の寝室へと向かうと、そこには真新しい寝具が置かれていた。「ユーリ様、足元にお気をつけて。」ユーリが内袴と打衣を捌きながらゆっくりと御帳台へと向かうと、後ろから匡惟に抱き締められ、首筋を吸われた。「ん・・」「やっと、あなたをこの腕に抱く事が出来る・・」匡惟はそう言うとユーリの髪を自分の方へと振り向かせると、彼の唇を塞いだ。「んふぅ・・」匡惟の舌が生き物のように自分の口腔内を蠢く感覚に、ユーリは気が狂いそうになった。匡惟の大きくて逞しい手が、ユーリの白い肌の上を優しく這い、愛撫してゆく。「あ・・匡・・」「大丈夫です、怖がらないでください。」匡惟はそっと、ユーリが纏っている衣を脱がし始め、御帳台の上に彼を押し倒した。彼の乳首を舌で愛撫すると、彼は眉根に皺を寄せて声を出さないようにしていた。「嫌・・」「嫌じゃないでしょう? もうこんなに蜜が溢れ出ているのに・・」匡惟はそう言うと、ユーリの袴の帯を解くと、それを一気に脱がしてしまい、奥の蜜壺に指を入れて中を掻き回した。「ああ~!」快感が電流のように全身を襲い、ユーリは大きな声を上げた。匡惟は荒い息を吐きながら、纏っていた直衣を乱暴に脱ぎ、ユーリに覆いかぶさった。その時、指とは違うものが腰に押し当てられ、ユーリは少し恐怖に震えた。「力を抜いて・・大丈夫ですから・・」匡惟はユーリの銀髪を梳きながら、彼の唇を塞いだ。匡惟が自分の中に入ってくるのを感じたユーリは、痛みの余り彼の背中に爪を立ててしまった。だがやがて、痛みは快感へと変わり、ユーリの中でそれが激しく渦巻き始めた。「ユーリ様、愛しています・・誰よりも・・」匡惟が腰を振る度に、ユーリの内部が彼自身を締め付け、それが快感の波となって彼に襲い掛かる。「あああ・・もう・・」ユーリが口端から涎を垂らしながら甘い声で喘いだ。「ユーリ様、愛してます・・」匡惟はユーリの中で絶頂に達した。その瞬間、視界が全て白く染まり、ユーリは意識を失った。“ユーリ様”匡惟のものではない、誰かの懐かしい声がする。それが誰なのか、ユーリは思い出せないでいた。何度も聞いた声なのに。今はただ、匡惟の大きくて逞しい腕や手に抱かれながら眠りたかった。外から冷たい風が部屋に入って来て、ユーリは人肌の温もりを改めて感じながら、ゆっくりと眠りに落ちた。新婚夫婦の寝室には、粉雪が月光に煌めいて白く光った。「匡惟様、起きていらっしゃいますか?」御簾の向こうから女の声がして、匡惟はゆっくりと目を開けた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月25日
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槙野が摩於とともにユーリアの部屋へと向かうと、そこには暗い表情を浮かべているユーリアの姿があった。「ユーリア様、アベルさんは何処に?」「マキノさん、意識を取り戻されたのね、よかった・・」ユーリアはそう言うと、深い溜息を吐いた。「一緒に来て、アベルの所へ案内するわ。」ユーリアとともに王宮を出て、槙野達は馬車で病院へと向かった。「ここは・・?」病院内に入ると、そこには消毒液の匂いが染み込む廊下を槙野達はユーリアに続いて歩いていった。角を曲がると、そこは「集中治療室」と書かれていた。槙野が窓硝子越しに見ると、そこには生命維持装置に全身を繋がれているアベルの姿があった。「アベルさんに、一体何があったんですか?」「ユーリが、“妖狐”として覚醒めたの。あたし達がユーリの内部から出た時、ユーリは何処にも居なかった。」「ユーリ様が、覚醒めたと・・?」槙野は思わず拳を握った。「槙野、どうしたの?」槙野の隣に立っていた摩於がそう言って怪訝そうな顔で彼を見た。「何でもありませんよ、若君。」「アベルはいつ起きるの?」「さぁ、暫くは眠っていますが、きっとお目覚めになる日が来るでしょう。」「そう・・今日から僕、アベルの為に祈るよ。」摩於はそう言うと、ロザリオを握り締めた。(アベル、早く起きて・・あなたの事を待っている人達が、こんなに居るのよ。)ユーリアは硝子越しに眠っているアベルに向かって語りかけた。 同じ頃、麗真国の後宮では、摩於の実母・お松の方が不穏な気配を感じて怯えていた。「お母様、どうかなさったの?」「何だか嫌な予感がするわ・・美津、こちらに来なさい。」美津は母の言葉に従い、衣を捌きながら彼女の傍へと向かった。「あなたに、これを預けるわ。」そう言うとお松の方は、懐から守り刀を取り出した。それは美しい細工が施されたもので、職人が精魂込めて作った一級品だというのが美津にはわかった。だがそれ以上に、その守り刀の意味を、美津は知っていた。「これは、確か・・」「摩於の本当の母君様のものよ。もし何かあったら、この刀を抜いてあの方をお呼びなさい。そうすれば、あなた達を助けてくださることでしょう。」「はい、お母様・・」美津は母の手から、守り刀を受け取った。彼女は、母が自分の死期を悟っていると感じた。 同じ頃、奉奠に居を構える貴族の邸には、ユーリの姿があった。身に纏っているものは菊の刺繍が施された蘇芳色の打衣で、彼が動く度に衣擦れの音が板張りの床に響いた。「ユーリ様、ご用意は出来ましたか?」「ああ。」ユーリがそう言って御簾を少し捲って外を見ると、そこにはあの喪服姿の男がいた。今日は白の内衣に、海老染めの直衣を纏い、腰下まである長い黒髪は結い上げて立て烏帽子の中へと収めてある。「とてもお似合いですよ、ユーリ様。」「ありがとう、匡惟(まさただ)。」「では、参りましょうか。」男の大きくて逞しい手を、ユーリはそっと握って彼とともに部屋から出た。寝殿には、彼らの為に一族が集まっていた。「あの匡惟が惚れた女とは、一体どのような女だろうなぁ?」「さぁ、あの変わり者を好いた女子も、また変わり者。変わり者同士なら似合いだろう。」一族の者達が色々と話していた時、寝殿に新郎新婦が入って来た。新郎に手をひかれ、恥ずかしげに俯く新婦の姿は、まるで月の女神の化身のようだった。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月25日
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「あなたは一体、誰なのですか?」アベルは、喪服姿の男を見た。「わたしか? わたしは彼の同族だ。君はアベルだね?」「何故、わたしの名を知っているのですか?」「彼の内部を探るうちに、何度も君の名前が出て来たよ。どうやら君は彼に取って大切な存在だったんだね。」血腥い戦場において、涼しげな表情を浮かべながら男はそう言うと、アベルの顔を覗き込んだ。彼の切れ長の黒い瞳が、この状況を楽しんでいるかのように見えて、アベルは腹立たしくてならなかった。「これは一体、どういうことなんですか? この惨状は・・」「彼が引き起こしたものだ。いや、正しくは彼の奥底に眠っていた妖狐の血と力が引き起こしたというべきか。」男は目にかかっている漆黒の前髪を鬱陶しそうに掻き上げながら、ちらりとユーリの方を見た。 ユーリは長い銀髪を血で染め、揺らしながら次々と敵を斬っていた。彼が纏っている白い服は赤く染まり、紅い瞳を狂気で輝かせながら剣を振っている。(何て楽しいんだ・・人を殺すのは。)ユーリは次々と自分が振う剣の刃に倒れてゆく人間達を見ながら笑った。人間なんて、皆滅びてしまえばいいのだ。誰かがしなければ、自分が彼らを殲滅するだけだ。「ユーリ様、おやめください!」遠くから、誰かの声が聞こえる。その声は、懐かしいものだった。だが、誰の声なのか解らない。「ユーリ様!」再び声が聞こえたが、ユーリは構わず怯える人々に向かって刃を振り下ろした。銃弾の雨をかいくぐり、発砲している兵士達が恐怖に慄く顔を嬉しそうに見ながらユーリはためらいなく彼らに刃を向けた。「ユーリ様!」「無駄だよ。彼はもう君が知っている“人間”の彼ではない。彼はもう我々の仲間だ。だから、君には此処で消えて貰うよ。」男はそう言ってアベルに向かって腕を伸ばしたかと思うと、彼の腹部を貫いた。「ここで暫く寝ておいてね。」アベルはゆっくりと地面に倒れ、意識を失った。 ユーリは夥しい死体の山の上に立ち、肌に付いた人間の返り血を舌で美味そうに舐めた。「随分と、楽しまれたようですね?」闇と同化していた男が、そう言ってユーリの前に姿を現した。「ああ。だってこんなに沢山のご馳走、食べるの初めてだったから。」ユーリは男に抱きつきながら、彼を見た。「お前も食べない?」ユーリは近くの死体から心臓を抉り出し、それを男に差し出した。「遠慮しておきます。それよりもユーリ、もうここから離れた方が良さそうですね。」こちらに向かってくる村人達の気配を感じて、男はそう言うとユーリの華奢な腰を掴んだ。「そうだね。もうお腹一杯だし。」ユーリは男に微笑んだ。男はユーリとともに戦場を後にした。アベルは、腹部に空いた穴から血を流しながら、静かに横たわっていた。「アベル、しっかりして!」ユーリアが瀕死のアベルと共にユーリの内部から脱出した時、そこにはベッドに横たわっているユーリの姿がなかった。「ユーリア様・・」「お願い、アベルを助けて!」医師達は腹部に穴が開いたアベルの返り血を浴びたユーリアの姿に呆然としながらも、手術をした。「一命は取り留めましたが、後は本人の生命力に頼るしかないでしょう。」「アベル、頑張って・・」ユーリアは硝子越しに、生命維持装置に繋がれてベッドに横たわっているアベルに声を掛けると涙を流した。 その頃、喀血し一時意識不明となっていた槙野が目を開けると、そこには心配そうに自分を見つめる主の姿があった。「大丈夫、槙野?」摩於はそう言うと、槙野の手を握った。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月23日
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「ユーリ様のご容態は?」アベルがユーリアに呼ばれ、ユーリの部屋へと向かうと、そこには深刻そうな表情を浮かべたユーリアが、未だ眠り続けているユーリの手を握っていた。「全然よ。脈も呼吸も弱くなっているわ。これ以上放っておいたら死んじゃう。」ユーリアは溜息を吐くと、アベルを見た。「アベル、これからユーリの内部に潜るけど、あなたも来て欲しいの。」「ユーリ様の・・中に?」アベルはユーリアの言葉に目を丸くした。「ええ。もしかしたら、あの子の内部で何かが起こっているのかもしれない。完全にユーリとわたし達が戻れる保障はないわ。それでも、わたしと一緒に行く?」アベルは、ユーリを見た。彼に一体何が起こったのか、何故未だ眠り続けているのかを知りたい。「行きます。」「・・あなたなら、そう言うと思ったわ。」ユーリアはそう言ってアベルに微笑むと、呪文を唱え始めた。「わたしの手を握って。」「はい・・」アベルは、ユーリアの手をしっかり握り、ユーリの内部へと潜った。 目を開けると、そこには緋の炎が辺りを包んでいた。時折化け物の咆哮と、人々の悲鳴が聞こえてくる。「さぁ、ユーリを探すわよ。」「は、はい・・」ユーリアとともに、アベルは血と炎で赤く染まった戦場の中を走った。どこもかしこも無残な死体が転がり、アベルはそれらを見て吐き気を催した。(一体、誰がこんな酷い事を?)「何処にもユーリは居ないわね。一体何処に・・」ユーリアがそう言った時、一発の銃弾が彼女の胸を貫いた。「ユーリアさん!」アベルが慌ててユーリアを抱き留めた。「居たぞ、化け物だ!」「殺せ!」「火あぶりにしろ!」突如2人の前に、狂気で瞳を輝かせた人々が手に鎌や鍬を持って現れた。「やめろ、わたし達は化け物なんかじゃ・・」「煩い、黙れ!」村人の1人が手に持っていた鉈をアベルに向かって振りおろそうとした。アベルが死を覚悟して目を瞑ったが、何も痛みが走らなかった。そっと目を開けてみると、腰下まである銀髪をなびかせながら、ユーリが剣を振っていた。「ユーリ様・・?」アベルの声に、ユーリがゆっくりと彼に振り向いた。ユーリは全身返り血を浴び、白い肌も、銀髪も何もかもが緋に染まっていた。「ユーリ様、一体何があったのですか?」ユーリはアベルににっこりと笑うと、一歩彼の方へと近づいた。「ユーリ様、良かった、ご無事で・・」アベルはユーリの背中に両腕を回し、そっと彼を抱き締めた。その瞬間、ユーリは鋭い犬歯でアベルの首筋に噛みつき、その肉を食い千切ろうとした。「ユーリ様、おやめください!」アベルがユーリを突き飛ばした時、彼の瞳が紅くなっていることに彼は気づいた。「ユーリ様・・?」目の前に居るユーリは、いつも自分に笑顔を向けているユーリではない。「一体あなた様に何が・・」「彼はやっと覚醒(めざ)めたのだ。」緋に染まる戦場の中から、凛とした声が響いたかと思うと、黒の喪服に身を包んだ長身の男がアベルの前に現れた。「覚醒めた・・?」「そうだ。もう誰にも彼は止められない。」男はそう言うと、ユーリがアベルに背を向けて再び戦場へと向かった。「よく見ておくことだ、君が敬愛してやまぬ主の真の姿を。」男はアベルの肩を叩くと、愉快そうに笑った。ユーリは剣を振い、動くもの全てを斬っていった。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月22日
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「誰か、ここを開けてくれ!」堅く閉じられた扉を、ユーリは何度も叩いたが、外からは何の反応も無い。やがて彼の白魚のような手から血が滲んできた。「誰も居ないのか!」ユーリは声が嗄れるまで外に向かって叫び続けたが、外には人の気配がしない。(嫌だ・・独りは嫌だ・・)ユーリは床に蹲り、両足の間に顔を埋めながら泣いていた。誰も自分の事を気にかけてくれない。自分が化け物だから。人々と話す事も、触れあう事も、外に出る事も自分に許さなかった父。血の繋がりはなくとも愛情を注いでくれたのに、途端に掌を返したかのように自分を避けるようになった母。そして自分を“化け物”呼ばわりする人間達。人間界に居場所が無い事くらい、わかっていた。わかっていたのに、そこに縋りついて生きるしか幼い自分にはできなかったのだ。(もうこんな世界、要らない。)こんな世界に縋りついて生きるなんて、真っ平だ。滅んでしまえばいいのだ、こんな世界は。(そうだ・・何を今まで躊躇してたんだろう? 殺せばいいんだ。)ゆっくりと顔を上げたユーリの双眸は、緋に染まっていた。「誰かいるの?」外から声がして、ユーリは扉に耳を押し当てた。「君は誰?」「僕? 僕はアベルだよ。君は何ていう名前なの?」「ユーリ。」「ユーリっていうんだ、綺麗な名前だね。ねぇユーリ、僕と友達になってくれない?」自分を恐れ嫌っていた人間から友になろうと言われ、ユーリは涙を流した。今までそんな事、誰も言ってくれなかったから。「わかった、友達になろう。」 “アベル”との扉越しの交流は、半年間続いた。毎日彼が来てくれるのを、ユーリは楽しみに待っていた。「ユーリ、今日は君に話しておきたいことがあるんだ。」「話?」ユーリは嫌な予感がした。「あのね・・僕、貴族の家に貰われるんだ。だから君の元にはもう来れないんだ。」“アベル”の話を聞いたユーリは、深い絶望感に包まれた。彼も、自分を捨てた。自分が化け物だから。もう、人間なんて信じるものか・・ “アベル”がユーリの元から去って、数年の月日が経った。ユーリは狭い部屋の中で、人間への憎しみを募らせていた。(みんな大嫌いだ、人間なんて!)ある日の夜、外からはパーティーをしているらしく、賑やかな笑い声と音楽が扉の外から聞こえた。 人間達の不快な笑い声を聞かぬよう、ユーリが両耳を両手で塞いでいると、突然扉が開かれた。「ユーリ、君も一緒に楽しもうよ。」扉を開けた誰かは、そう言うと廊下へと去っていった。ユーリは覚束ない足取りで初めて外の世界に出た。賑やかな音楽に誘われてユーリが部屋の中に入ると、集まっていた人間達は皆恐怖で凍りついた。「化け物はここから出て行け!」ユーリは身体の奥底から湧きあがる激しい怒りに支配され、自我を失った。我に返ると、全身人間達の返り血に濡れていた。「あっはっは、いい気味だ!」紅蓮の炎に包まれた建物を見上げながら、ユーリは笑った。その時、背後に人の気配がして、ユーリがゆっくりと振り向くと、そこには自分と瓜二つの顔をした青年が立っていた。「やっと、会えた。」その青年は自分が大嫌いだった“人間”のユーリだった。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月18日
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ユーリが野盗達を惨殺した事件以来、彼はアドニスによって宮殿の奥にある部屋に幽閉された。そこにはベッドと机だけの殺風景な部屋で、ユーリは外から出ることも、誰かと話す事もできなかった。アドニスは他人や外の世界とユーリが接触すればまた暴走すると思い込み、馬鹿な占い師の助言を妄信していたからだ。(どうして僕はこんな目に遭わないといけないの? 僕は父上を守りたかっただけなのに・・)ユーリはこの一件以来、己の血に流れる“妖狐”としての自分を嫌悪するようになった。(あんなの、自分じゃない!)周囲は半人半狐のユーリに冷たい視線を送った。―ねぇ、あそこでしょう・・―ああ、確か・・―狐の子・・侍女達の囁き声が扉越しに聞こえると、ユーリは反射的に耳を塞いだ。(みんな僕の事嫌いなんだ・・僕が、化け物だから。)殺風景の部屋で、ユーリは孤独な心を独りで抱えながら毎日を過ごしていた。 ユーリが幽閉されてから3年の月日が流れ、漸く彼は部屋から出る事を許された。「ユーリ!」部屋を出て久しぶりに朝日を浴びたユーリの元に、“姉”となったユーリアが彼に駆け寄って来た。「可哀想に、あんたは何も悪くないのに・・可哀想に!」ユーリアはそう言うと、ユーリを抱き締めた。彼女の腕の中で、ユーリの心を覆っていた分厚い氷が少し溶けたような気がした。しかしどんなにユーリや異母妹・アデルと楽しく語らっても、心の何処かにはまだ深い孤独感を抱えていた。自分はここには居場所はないと、いつも思っていた。かつて心から慕っていたアドニスとは疎遠になり、溺愛してくれた母でさえもユーリを腫れもののように接した。(僕は誰にも必要とされていないんだ・・)ある夜の事だった。ユーリが自室で眠っていると、突然息苦しさを覚えて彼が目を開けると、そこには自分に馬乗りになり、自分の首を絞めている父の姿があった。「いや・・お父さん・・」「お前さえ・・お前さえいなければ・・」父は殺意に満ちた瞳で自分を見つめていた。「お父さん・・やめて・・」すぐに女官達と秘書官達が駆けつけてきて、父をユーリから引き剥がした。ユーリは涙を流しながら、父の手形が残った首を見た。(お父さんは僕の事が憎かったの?)父に殺されかけたことにより、ユーリの中の孤独感が一層深くなっていった。その夜以来、ユーリは両親と距離を置くようになり、寄宿制の学校に通った。学校ではいつも独りで、心を許す友などいなかった。卒業後ユーリは成人して国政に携わることとなり、父とのぎくしゃくとした関係は変わらずにいたが、時折国政のことを話し合ったりするような仲になっていった。だがそれは表面上だけで、一度生じた父とユーリとの深い溝は、埋まる事はなかった。 いつものようにユーリが廊下を歩いていると、きょろきょろと何かを探している青年を見つけた。短い黒髪と、宝石のような翠の瞳を持った青年は、まるで天使のようだった。「どうしたんだい?」「あ、あの・・ここへ行く道がわからなくて・・」天使はそう言うと地図を広げた。彼を見た瞬間、ユーリは彼に運命を感じた。「わたしが案内してあげよう。」この天使との出逢いが、ユーリの心を未だに覆っている氷を少しずつ、少しずつ溶かし始めた。ユーリは自分では気づかぬほどに、天使―アベルに恋心を抱いていた。 ユーリは眠りの世界の中で、必死にアベルの姿を探していた。緑に囲まれた森の中、ユーリは何度も彼を探したが、彼は何処にも居なかった。やがて辺りが暗くなり、気づくとあの部屋の中に彼は居た。かつて深い孤独を抱えながら過ごした部屋に。にほんブログ村↑ランキングに参加しております。クリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月16日
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「父上、しっかりしてください、父上!」 馬車から飛び出したユーリは、地面に倒れた父の逞しい身体を激しく揺さ振ったが、父は目を開けてくれない。「なんだぁ、この餓鬼。」「あいつ、確か妖狐との混血児らしいぜ。」「へぇ~、だったらこいつを花街にでも売るか。こいつが両性だったら言うことないがな。」男達はにやりと笑いながら、ユーリを見た。「坊や、ここで服を脱いでくれねぇか? 変な事はしないからよぉ?」男達の手が、ユーリの肩先に触れた。「汚い手で、僕に触れるな、この下郎共が!」ユーリは邪険に彼らの手を振り払うと、きっと蒼い瞳で彼らを睨んだ。「この野郎、お高くとまりやがって・・化け物が!」男達の1人が、そう叫んでユーリの頬を張った。その衝撃で、華奢なユーリは地面に転がった。だが男はそれで気が済まず、ユーリの内臓に狙いを定めて何度も彼を蹴った。(僕はこんな奴らなんかに殺されて堪るか!)―なら、彼らを殺してしまえばいい。突如、頭の中から声が聞こえた。(誰?)―殺せ、みんな殺してしまえ・・(そうだ・・こいつなんか生きていても何の価値もない。)「どうしたぁ、くたばっちまったのかぁ?」「餓鬼は弱いからな、可愛がりようがねぇぜ。」「おい、大丈夫か?」ユーリを蹴った男がそう言ってユーリに触れようとした時、ユーリはゆっくりと立ち上がった。「僕、皆さんにお願があるんですけど。」「何だ? 何でも聞いてやるぜ。」にやにやと笑う男達の前で、ユーリは笑顔を浮かべた。「ここで全員、死んでください。」ゆっくりと顔を上げたユーリの銀髪は、徐々に緋に染まっていった。「お、おい・・」「何だこいつ・・」「やばいぜ・・」男達が恐怖におびえる瞳には、妖狐として覚醒めたユーリの姿があった。「あなた方を、楽には死なせませんよ。だって・・あなた方は畜生にも劣る輩ですから、屑には屑なりの死を与えなければね・・」10歳の子どもとは思えぬ強烈な妖気を纏いながら、ユーリはゆっくりと男達の方へと歩いていった。 熱風が頬を優しく撫で、ユーリはそっと目を開けた。肩までの長さがある銀髪が、ふわりと揺れた。手に変な感触がしたので見てみると、そこには人の血がついていた。手ばかりではない。服にも、髪にも、顔にも血がついていた。(僕は、一体・・)「ユーリ・・」遠くで父の声が聞こえ、ユーリは父の姿を探した。そこには医者の手当てを受けている父の姿があった。「父上!」「陛下に近寄るな、化け物が!」父の傍へと駆け寄ろうとしたユーリに、医師は罵声を浴びせ彼を睨みつけた。その時、視線の端に肉片と血が飛び散っているのが見えた。「あ・・」(僕は、あいつらを・・殺した・・?)「あああ・・」(僕が・・僕が・・)脳裡に、緋の髪を振り乱し、男達に何度も刃を突き立てる自分の姿が浮かんだ。「嫌だぁ~!」ユーリは気絶した。それから彼は、父に頼んで妖狐の血と力を封印した。「父上、僕はこんな力欲しくありません。」「わかっている・・わかっているよ、ユーリ。」にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしてくださると嬉しいです。
2010年10月03日
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夫・アドニスが死産した息子の代わりに連れて来た妖狐との混血児・ユーリを、彼の妻である王妃・アドリエンヌは亡くなった息子の代わりに育てることにした。ユーリの母親が夫を惑わした憎い妖狐であっても、ユーリはまだ非力な子どもなのだ。 アドリエンヌはユーリを溺愛した。王妃がユーリに愛情を注いでいる様子を見ていた貴族達は、“亡くなった皇太子様の身代わりを可愛がるなんて”と陰口を叩いていたが、王妃はそんな連中のことなど気にしなかった。 王妃と皇帝の深い愛情によって、ユーリはすくすくと成長し、彼は7歳の誕生日を迎えた。「誕生日おめでとう、ユーリ。」「ありがとうございます、母上。」王宮内で盛大な誕生パーティーが開かれ、王妃はユーリの美しい銀髪を優しく梳いた。「今日は体調の方は大丈夫? 苦しくない?」「はい、大丈夫です。」産まれてからこの7年間、ユーリは度々熱を出して寝込むことが多かった。丈夫で活発なユーリアとは対照的に、遊び盛りの年頃であるユーリは1日の大半をベッドの上で過ごしていた。その事を、貴族や女官達はあることないことを言っていた。“ユーリ様には汚らわしい血が入っているから、病弱なのだ”と。「ユーリ、気分が悪かったら直ぐにお父様やお母様におっしゃい。」「わかりました、母上。」パーティーは滞りなく終わり、部屋に戻ったユーリは、ベッドに崩れ落ちる様にして倒れた。「ユーリ、どうしたの?」弟と着せ替えごっこをして楽しもうと思い、部屋に入ってきた兄のユーリアは、ベッドで力無く倒れているユーリアを発見した。すぐさま侍医が呼ばれ、ユーリは風邪で寝込んだ。「どうして直ぐにお母様に言わなかったの?」「だって、そんな事をしたらお父様やお母様が悪く言われちゃう・・」「まぁ、ユーリ・・」アドリエンヌは幼いながらも周囲の噂に傷つき、両親を懸命に守ろうとしている息子のけなげな心に涙を流した。「気にする事はないのよ。わたくし達はね、あなたがいなくなってしまうことの方が怖いのよ。」「お母様・・」 その後ユーリは回復し、彼は身体を鍛える為に父と剣や馬術の稽古を始めた。「お前は筋がいいぞ、ユーリ。」「ありがとうございます、父上。」父に褒められたユーリは、ひたすら武術の稽古に打ち込むようになっていった。その頃、ダブリス王国の南部では、反政府組織が旅行中だった貴族の馬車を襲い、その一家を惨殺したという衝撃的な事件が起きた。王国からの独立を掲げ、住民達は結束を固め、独自の組織を立ち上げていた。その幾つかの組織の中には、事件を起こした反政府組織が入っていた。王国軍は直ちに南部へと侵攻した。15日間にも及ぶ激しい戦いの中、反政府組織は壊滅状態となり、南部は王国の監視下に置かれることとなった。 ユーリは10歳となり、父とともに武術大会に出場し、見事優勝を果たした。「よくやったぞ、ユーリ。わたしはお前の父としてこんなに誇らしい日はないぞ。」笑顔を浮かべながら自分を褒めるアドニスの横顔を見つめていた時、突然2人を乗せていた馬車が急停車した。「どうした?」「は、反乱軍が・・」御者の悲鳴と共に、獣のような咆哮が辺りに響いたかと思うと、馬車は反政府組織の残党によって瞬く間に取り囲まれてしまった。「父上・・」「案ずるな、ユーリ。彼らを余り刺激せぬよう、わたしが話をつけてくる。」アドニスは恐怖におびえる息子の手を握ると、馬車から降りて行った。ユーリは反政府組織の男と何かを話す父の姿を、窓からじっと見ていた。数分後、銃声がして父が地面に力無く倒れた。「父・・上・・」この時、ユーリの奥底に眠っていた妖狐の力と血が、覚醒(めざ)めた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年10月03日
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「あんた、ユーリに何したの!?」ユーリアはそう言うと、キッと女性を睨みつけた。「何もしてないわ。ただ彼を見ていただけよ。」女性はにやりと笑うと、ユーリアに近づいた。「あなたの可愛い妹さん、返してあげるわ。」女性は地面に置いていた何かをユーリアに渡した。「アデル・・」それは、アデルの生首だった。「余りにも煩いから、わたしが殺しちゃったわ。まぁ、この子はいずれあなた方に始末される運命だったから。」女性はそう言いながら、唖然としているユーリアを見た。「あなた、目的は何なの?」「目的なんかないわ。わたしはただ、面白おかしく生きたいだけ。」ユーリアが女性に掴みかかろうとした時、突然地面が激しく揺れ始めた。「もうすぐアデルの内と外を繋ぐ扉が閉まるわ。早くしないとあなた方、元の世界には戻れなくてよ?」「そんなこと、わかってるわよ!」女性の狙いを聞き出せずに、ユーリアは舌打ちして気絶しているユーリを肩に担ぐと、アデルの内部から出た。「お姉・・様・・?」アデルがゆっくりと蒼い瞳を開けると、そこにはユーリアの安堵した顔があった。「もう熱が下がったのね。良かった。」「ユーリ兄様は?」「ユーリ兄様はお部屋で休んでいるわ。それよりもアデル、もうお休みなさい。」「ええ。お休みなさい、お姉様。」アデルの部屋を出たユーリアは、溜息を吐いてユーリの部屋へと向かった。ドアを開けて中に入ると、寝台にはユーリが眠っていた。「ユーリ、あなた一体どうしちゃったの?」ユーリアが突然倒れて数日経つが、未だに意識が戻らない。女性と何があったのだろうか。「ユーリア様、失礼致します。」ドアがノックされ、アベルが部屋に入って来た。「ユーリ様のご容態は?」「相変わらずよ。それよりも、マキノさんは?」ユーリアの問いに、アベルは俯いた。「喀血なさってから、床に臥せっておいでです。マキノ様はうわ言のようにマオ様のことを何度も呼んでおります。」「そう。あの人は本当に、マオ様の事を愛しておられるのね。」「ええ。マキノ様はマオ様を実の息子のように思っておりますから。彼は何としてでもマオ様をお守りするとおっしゃっておられましたし。」「血の繋がりがなくても、親子の絆というものは存在するのね。やっぱり人間は、独りでは生きていけないのね。」ユーリアは溜息を吐きながら、ユーリの手を握った。「あなたにはまだユーリの事、まだ話していなかったかしら?」「え?」「あのね・・ユーリには、アデルとマオ様と同じように、妖狐の血が半分流れているの。」ユーリアの言葉に、アベルは驚愕の表情を浮かべた。「では、ユーリ様は・・」「厳密に言えばこの国の皇太子ではないの。本当の皇太子は死んだのよ、産まれてすぐに。」ユーリアはアベルを見つめながら、ユーリの出生の秘密を少しずつ話し始めた。 ユーリの母親は、摩於君と同じように、帝を惑わした妖狐と同じ一族の妖狐だった。名を、鶯蘭(エンナン)といった。鶯蘭は、銀髪蒼眼の美女であったが、高慢な性格の持ち主だった。彼女はダブリス王国に仕える貴族の養女となり、皇帝主催の舞踏会で、皇帝に近づいた。やがて鶯蘭は彼との間に双子の男女を産み落とした。同じ頃に、皇妃も待望の男児を産んだが、その子は亡くなってしまった。皇帝は鶯蘭から双子の片割れの男児を取りあげ、彼をユーリと名付け、皇太子として育て始めた。鶯蘭とその娘の消息は、未だわからない。にほんブログ村
2010年09月30日
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ユーリアとユーリは、変幻を迎えたアデルを救う為、彼女の内部に潜った。そこは、何の生き物が住んでいない広大な砂漠だった。「ここが、アベルの内部?」ユーリは目の前に広がる砂漠を見て、驚愕の表情を浮かべた。あの可愛らしい異母妹の心の中に、こんな世界が広がっているなんて知らなかった。「そうね。ここがアベルの内部・・彼女の精神世界よ。」ユーリアは周囲を見渡しながら、砂漠を歩き始めた。荒涼とした砂漠を歩いていると、何処にも生き物の気配がない。まるで、アデルがそれを望んでいるかのように。(アデルの変幻体は何処に居るんだろう?)ユーリがそう思い始めた時、突如何処からか歌声が聴こえた。「姉上、今何か聴こえませんでしたか?」「え? 何も聴こえないわよ?」「おかしいな・・」空耳だろうかと思った時、再び歌声が聴こえてきた。ユーリは気になって、歌声が聴こえる方へと向かった。「ユーリ、何処行くの?」砂漠を暫く走ったところに、急に豊かな水と緑に囲まれた森が彼らの目の前に広がった。「ここは・・」「一体どうなってるの? 砂漠の次は森・・」2人が呆然と森を見つめていると、歌声とともに白い光がぽうっと浮き上がってきた。やがてそれは人の形を為し、銀髪蒼眼の女性が2人の前に現れた。「わたしと、同じ顔?」ユーリは自分と瓜二つの顔をした女性を見て驚愕の表情を浮かべた。「やっと会えたわね。」女性はそう言うと、ユーリに向かってにっこりと笑った。「貴様は誰だ? アデルは、わたしの妹は何処にいる?」ユーリは腰に帯びていた剣の柄に手を伸ばしながら、女に詰問した。「まぁまぁ、そんなにいきり立たないでよ。あなたの可愛い妹さんは無事よ。それよりも、あなたは本当にわたしの事、覚えていないの?」くすくすと笑いながら、女性はそう言ってユーリの周囲を踊るように回り始めた。彼女が回る度に、白いドレスがひらひらと揺れる。「わたしはお前など知らない。」「あらぁ、そうなの? 残念ね。」ユーリの言葉を聞いた女性は、そう言うとユーリを見た。「わたしの瞳をじっと見て。」「え・・」女性から目をそらそうとしたが、遅かった。彼女の蒼い瞳を見ていると、ユーリは魂を吸い取られたかのような感覚がした。その瞬間、脳裡に様々な映像が飛び交い始めた。紅蓮の炎に包まれた建物。その前で嬉しそうに歌う女性。長い銀髪が、熱を孕んだ風になびく。だが、その銀髪にはところどころ血のようなものがついていた。歌い終えたのか、女性はゆっくりと誰かに振り向いた。彼女が身に纏っているものは、誰かの返り血で赤黒く染まっており、ドレスと思しきそれは、無残に裾が引き裂かれ、すらりと長い足にも返り血が付いていた。蒼い瞳が煌めき、彼女は形の良い唇を歪めて笑った。その口元には、真紅の血が滴っていた。彼女は誰だ?自分と瓜二つの顔をした彼女は・・“わたしは、あなた。”「嫌だ・・」狂気を美しい顔に貼り付けた女性が、そっとユーリの頬を撫でた。“いらっしゃい、さぁ。”「嫌、嫌だ!」だが女性はユーリの言葉を無視し、彼を抱き締めてその唇を塞いだ。その瞬間、ユーリの足元の地面が突然崩れ落ちた。「ユーリ!」ユーリの意識はゆっくりと、闇へと堕ちていった。にほんブログ村
2010年09月28日
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「マキノ様、何故あなたはマオ様をお守りしようと・・実の娘と対立してまで、彼をお守りしようとしているのですか?」アベルはエメラルドの瞳で槙野を見つめながら言った。「わたしは、摩於様に命を救われたことがありました。」槙野はそう言って、昔話を話し始めた。 あれはまだ彼が、血気盛んな若者であった頃。当時の彼は、帝を警護する武士の出身でありながら、禁教とされる異国の神を信じ、密かに仲間を集めては祖国の改革を進めようとしていた。だが、仲間の裏切りと禁教者狩りにより、槙野は奉行所に逮捕された。そこで彼は両手首を拘束したまま天井からぶら下げられ、連日鞭打たれ、火責めをされるなどの厳しい拷問を受け、生きる屍となりつつあった。しかし彼は、篤い信仰心とこの国をいつか変えてやるという確固たる意志はどんなに打ち据えられても決して揺らぐことはなかった。 彼は奉行所から脱走し、その足で宮殿へと向かった。己の手で帝を討とう―長い牢獄生活の末、過激な思想に脳内を支配された彼は、帝がその日宮殿を留守にしていることなど知らず、後宮へと忍び込んだ。そこで彼は、お松の方と出逢った。「何をしているのです?」警備の者に捕まり、奉行所にひっ立てられそうになった槙野の前に、お松の方はそう言って膝を屈めて彼を見た。「わたしは・・」槙野が口を開いた時、彼は1人の少年と目が合った。几帳の物陰から自分を見ながら、くりくりとした円らな黒い瞳を輝かせている。「摩於、もう寝る時間でしょう?」「かあさま、あのひとは?」少年はそう言って、槙野を指した。「摩於、この方は明日からあなたの遊び相手になって下さる方ですよ。」お松の方の突然の言葉に、槙野のみならず奉行所の役人達も唖然とした。「お松の方様、何をおっしゃられます! こやつは国賊ですぞ!」「お黙りなさい。彼をこのような行動に駆り立てたのは、この国が衰退している確固たる証でもあります。」有無を言わせぬ強い口調で、お松の方はそう言うと、摩於に向き直った。「摩於は、この方をお傍に置きたい?」少年はとことこと槙野の傍に歩いて来て、大きな声で言った。「ははうえ、このひとといっしょにいたい!」それが、摩於と槙野の出逢いだった。「あれから長い時が経ち、摩於様の存在はわたくしにとって大きなものとなりました。そして摩於様も、わたくしを実の父のように慕うようになりました。」槙野はそう言って溜息を吐いた。「そうですか・・そんなことが。何だか羨ましいです、わたしは孤児院で育ったものですから、親の愛情などこれっぽっちも知らなくて。」「孤児院?」「ええ。何でも孤児院のシスターが、門前に捨てられているわたしを拾ってくださったそうです。大勢の仲間と共に暮らして寂しくはなかったんですが、幼いながらも心の何処かで両親を求めていたのかもしれません。多分、あなたの娘さんもきっと・・」「娘はわたくしを恨んでおります。血が繋がった自分よりも、摩於様を取ったわたくしを。もう二度と、彼女はわたくしを・・」許すことはないでしょう、と槙野が言おうと口を開いた時、突如胸が苦しく鳴ったかと思うと、彼は激しく咳き込んだ。「マキノさん、大丈夫ですか!?」「大丈夫です・・多分航海中に風邪をひいたのでしょう・・」槙野がそう言ってアベルを安心させようと顔を上げようとしたが、再び彼は激しく咳き込み床に蹲った。「マキノさん!」心配そうに槙野の顔を覗き込んでいたアベルは、ふと槙野が蹲っている床を見て白皙の美貌を蒼褪(あおざ)めさせた。 司祭館の質素な茶褐色の床に広がるのは、鮮紅の液体だった。「マキノさん・・」「・・まだだ・・摩於様を残してわたしが死ぬ訳には・・」蒼褪めているアベルの隣で、槙野はぎりぎりと唇を噛み締めながらそう呻くように言うと、意識を失った。「誰か、お医者様を!」にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけたら嬉しいです。
2010年09月24日
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アベルと槙野と入れ替わりに、異母妹・アデルの部屋へと入ったユーリアは、凄まじい妖気を感じた。(この妖気・・アデルのものかしら? だとしたら、危険だわ。)ユーリアはゆっくりと、アデルが眠る寝台へと向かい、その端に腰を下ろした。高熱に魘され、苦しそうに喘ぐアデルの髪は、緋に染まっていた。緋の髪―それは妖狐の髪。(やっぱり、来たのね。もうすぐ来るんじゃないかと思っていたけれど。)ユーリアは呪を唱えながら、アデルの額に触れた。その時、電流が彼女の指先を少し焼いた。「っ痛・・」痛みに顔をしかめながら、ユーリアは慌てることもせずに、慣れた手つきで氷水に火傷した指を浸した。(早くこの子の覚醒を止めないと。)「アデル、アデル!?」扉の向こうから慌てふためいた声がしたかと思うと、ユーリが銀髪を振り乱しながらアデルの方へと駆け寄って来た。「姉上、アデルは一体どうしてこんなことに?」「落ち着きなさい、ユーリ。アデルは今、妖狐として覚醒しようとしている所なのよ。」「そんな・・アデルの中に眠る“妖狐”は、彼女が産まれてすぐに封印した筈ですよ!? それなのに今になって何故・・」「わたしにも解らないわ。それよりも、今はアデルの命が最優先よ。ユーリ、あなたにも手伝って貰いたいの。」ユーリアはそう言って弟を見た。「これから何を、なさるおつもりですか?」ユーリは嫌な予感がして、姉の言葉を静かに待った。「アデルの内部に、一緒に潜るのよ。」予想通りの言葉に、ユーリは絶句した。「本気ですか?」「ええ。今しなければ、アデルは・・“人間”としての彼女は消滅する。」「そんな・・」 一方、ユーリアからアデルの部屋を追い出されたアベルと槙野は、司祭館にあるアベルの部屋に場所を移し、アベルは槙野の話を聞く事にした。「先ほどのお話の続きを、聞かせていただきませんか?」「わかりました。若君・・摩於様は、実はお松の方様の実のお子様ではないのです。」「では、一体誰の・・」「それが判らないのです。ただ一つだけ判っているのは、摩於様の本当のお母君は、この世総てを司る妖狐だということです。」「妖・・狐・・?」アベルは少し頭が混乱しながらも、槙野の言葉を反芻した。「ええ。その妖狐は齢三千年の女で、陛下を惑わし国を滅ぼそうとしていました。しかし陛下は妖狐を退治するどころか彼女と恋に落ち、彼女は摩於様を産み落とした後に妖狐界へと戻ったと。」「妖狐界へ? 乳飲み子を置いて何故彼女は・・」「その妖狐は唯の妖狐ではありませんでした。彼女は人間と敵対関係にある妖狐族の皇女だったのです。それに、彼女には当時許婚が居ましたから。」「そんな・・その事はマオ様の母君は?」「存じております。お松の方様は皇女様達を産んだ後、ご自分にはもう子が産めぬ身体だと知り、血の繋がらない摩於様をご自分のお子としてお育てしたのです。摩於様の秘密を知っているのは、わたしと陛下、そしてお松の方様、そしてあなただけです。」槙野は鋭い光を宿した黒い瞳で、アベルを見た。「アベル様、この事はユーリ様には決して話されませんよう、お願いいたします。」「はい。それよりも何故、マキノ様は妖狐についてお詳しいのですか?」「それは、わたしの娘・・槙が妖狐の血を受け継いでいるからです。」「マキ?」初めて聞く女の名に、アベルは少し戸惑った。「はい。わたしの娘でもある槙は、陛下の側室として後宮で権勢を振っております。宿場町で摩於様を亡きものにしようとした女官は、その娘の息がかかった者だったのです。」摩於が妖狐と人との混血であること、そして槙野の娘が麗真国皇帝の側室で摩於を亡きものにしようとしている―衝撃の事実を知ったアベルは、暫く声も出せずに槙野をただ見つめることしかできなかった。 彼の瞳の奥に、まだ隠されている真実を探すかのように。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけたら嬉しいです。
2010年09月24日
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「そうか、そんなことが・・」その日の夜、アベルから槙野の話を聞いたユーリは、そう言って溜息を吐いた。「わたしもマキノさんのお話を聞き、大変驚きました。ここでは信仰の自由があるのに、麗真国では異国の神を信じることも許されないなんて・・」アベルは溜息を吐きながらユーリを見た。「ユーリ様、わたしはこれからどうすればいいんでしょう? 目の前で苦しんでいる方達に対してわたしは何もすることが出来ない。」「アベルに出来る事を、すればいい。」ユーリは、アベルの手をそっと握った。「今自分が出来る事を考えて、すればいい。この世には不条理なことばかり起こるけれど、嘆いたり怒ってばかりいても仕方がない。」「そう・・ですね・・」アベルはユーリの蒼い瞳を見つめながら、微笑んだ。(わたしにしか出来ない事・・わからないな・・)ユーリの部屋を出て、司祭館にある自分の寝室で休んでいたアベルは、何度もユーリの言葉を思い出していた。 ユーリはいずれこの広大な王国を治めねばならぬ身で、その為に彼は日々精進しているが、自分は今まで何の目的もなく生きている。(ユーリ様はとてもお美しい・・)容姿の美しさのみならず、内面からもユーリは光り輝くものを持っている。自分がそんな彼の隣に立てる資格があるのかどうか、アベルは悩み始めていた。悩んでも仕方ないだろうと思い、アベルが目を閉じようとした時、廊下から激しい物音がした。「ユーリ様、ユーリ様はおられませんか!」ベッドから飛び起きたアベルは司祭館を飛び出した。「どうしましたか?」王宮へと向かうと、そこにはアデルの部屋の前で慌てふためく数人の女官達がいた。「アベル様・・アデル様が突然発作を起こされて・・」「発作?」アベルが女官達とともにアデルの部屋の中に入ると、彼女はベッドに横たわり、熱に魘(うな)されていた。「熱が下がらないのです。お医者様から頂いたお薬を飲ませたのですが、それも効かなくて・・」アデルの髪が緋に染まっていることに、アベルは気づいた。「アデル様の髪は、いつからあんな風になっていたのですか?」「数時間前ですわ。その時から高熱を出されて・・」「それは、妖力が高まっているのかもしれません。」背後から凛とした声がして、アベルと女官達は一斉に扉の方へと振り向いた。そこには、槙野の姿があった。「マキノ様、妖力とは一体?」「ちょっと失礼。」槙野はアデルの前に立つと、そっと彼女の髪を梳いた。「こちらには、魔術師のような方はおられませんか?」「いいえ。でもユーリア様なら・・」「その方を至急呼んで頂きたい。このままだとアデル様の命が危ない。」女官達が慌ただしくアデルの部屋から出て行くと、槙野はアベルをじっと見た。「アベルさん、あなたにはもう一つ、お話しておきたいことがあります。我が君、マオ様のことで。」「マオ様の?」槙野はアデルの言葉に静かに頷いた。「摩於様は、母君であるお松の方様以上に、妖狐の血を濃く受け継いでおります。それ故に陛下は摩於様を疎んじておられているのです。」「妖狐の・・血?」「かつて麗真国の祖は妖狐であったとわが国では言い伝えられております。妖狐は我が国にとっては王の象徴、聖なる象徴として崇められており、当然のことながらその血を受け継ぐ摩於様は崇められる存在なのですが・・摩於様の場合、少し事情があるのです。」「事情?」「ええ。ここだけのお話ですが、実は摩於様には・・」槙野が次の言葉を継ごうと口を開いた時、ユーリアが部屋に入ってきた。「アデルが大変って、本当なの?」「はい。」「後はあたしに任せて。」ユーリアはそう言ってアベルと槙野にウィンクすると、彼らを異母妹の部屋から追い出した。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただければ、嬉しいです。
2010年09月23日
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「マキノ様、それは・・」アベルは、異国の使者が首に提げているロザリオを見た。「わたしもあなた方と同じ宗教を信じる者です。故国でこれを付けていることだけで死罪になりますが、こちらではそんな事はないようですね?」槙野はそう言って漆黒の双眸でアベルを見た。「そんなに、麗真国は酷い状態なのですか?」「ええ。我が国は今、改革派と保守派が対立し、幾度も争いが起きております。改革派は信教の自由を掲げておりますが、皇帝陛下は異国の宗教を忌み嫌い、信者達を取り締まっては火刑に処しております。」アベルは槙野の話を聞き、生きながら炎に焼かれる信者達の姿が脳裡に浮かんだ。この国では普通に信教の自由があり、国民はそれを当然の権利のように享受しているのに、麗真国ではそれ自体も許されぬとは。「そんなに酷い事が行われているのですか?」「ええ。火刑に処されるまで、水責めや火責め、土責めなどの拷問を受け、途中で信仰を捨て何とか命は助かったものの、廃人同然となる信者達も中にはおります。わたしの娘も、その中のひとりでした。」槙野は淡々とした口調でそう言うと、もうこれ以上は話したくないという素振りを見せた。「そうですか。あなたは余程辛い思いをされてきたのですね。」アベルは目の前にいる老人を慰めようと手を伸ばしたが、止めた。「アベルさん、あなた方が吸う事のできる自由な空気は、決してわたし達は味わうことができません。祖国が変わらぬ限り・・」槙野はそう言うと、アベルに背を向けて女官とともに用意された部屋へと向かっていった。(マキノ様・・)彼の背中を静かに見送りながら、アベルは初めて自分がどれ程恵まれた環境に生まれ育っていることを知った。「アベル、どうした?」ユーリの声ではっと我に返ったアベルは、ゆっくりと主の方を見た。「少しマキノ様とお話をしておりました。」「そうか。マキノ殿から異国の珍しい話でも聞けたか?」「ええ、少しは。お部屋に伺った時にお話致します。」今この場であの話をユーリには聞かせたくなかった。「そうか、楽しみにしているぞ。」ユーリは花のような笑顔をアベルに向けると、そっと彼の手を握った。 その頃、ユーリの異母妹・アデルと、麗真国皇子・摩於は、広大な庭園で遊んでいた。「ねぇマオ、あなたのお母様はどんな方なの?」アデルはそう言って摩於の傍に腰を下ろすと、じっと彼の顔を見た。「僕の母様はとても優しい方なんだよ。怒ったことなんか一度も見た事がないんだ。それに姉様も僕には優しいんだ。」「そう。わたくしのお母様やお兄様はいつも怒ってばっかりよ。それにいつもわたくしを仲間外れにして、おふたりだけでコソコソと何かを話し合っているのよ。マオには優しい母様や姉様達が居て羨ましいわ。」アデルは溜息を吐いて母と兄の事を思った。 宮廷から追い出された時、母は怒り狂い、兄は悔しげな表情を浮かべていた。幼い自分は何故2人がそのような顔をするのかがわからなかったが、その日から2人が自分の前から姿を消し、異母兄の元に引き取られたことだけはわかった。いつも自分に対しては怒ってばかりで、一度も抱き締めてくれたり、微笑んでくれたりしたことがない母と兄。唯一の肉親である2人が急にいなくなっても、アデルは寂しいどころか逆に嬉しい気持ちで一杯だった。いつも自分の傍には優しい異母兄がいるからだ。「ねぇマオ、あなたは誰か嫌いな人は居るの?」「嫌いな人?」「そうよ、嫌いな人。」「そうだなぁ・・僕の母様に意地悪をする女官達が嫌いだよ。不吉で汚らわしいとか、平気で酷い事を言うんだもの。アデルは?」「わたくしは母様や兄様が大嫌い。でもユーリ兄様は大好き。いつもわたくしに優しくしてくださるもの。それにあの天使様も。」にほんブログ村
2010年09月06日
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「お帰りなさいませ、ユーリ様。」麗真国の使者達とともに宮殿へと戻ったユーリを、重臣達と女官達が出迎えた。「ただいま。父上は?」「陛下なら体調が優れないとお部屋で休まれております。」「そうか・・」外交など厄介な事は全て自分に押し付けるー父のそんな厄介な一面を知っているユーリは、そう言って溜息を吐いた。「マオ様、マキノ様、こちらです。」馬車から降りた摩於と槙野の案内役を務めたユーリは、彼らとともに皇帝の居室へと向かった。「陛下、おられますか?」「ああ、居るよ。」「麗真国の使者様がおいでになりました。」扉の向こうから、皇帝の深い溜息が聞こえた。「お通ししろ。」ユーリはそっとドアを開いて、先に摩於と槙野を部屋に通した。「陛下、こちらは麗真国皇子・マオ様、隣にいらっしゃるのはマオ様の従者のマキノ様です。」『お初にお目にかかります、皇帝陛下。』槙野はそう言って皇帝に跪いた。「ユーリ、この者は我らの国の言葉を話せるのか?」「ええ、どうやらそのようです。宮殿に来るまで彼らと会話しましたが、何も支障はありませんでした。」ユーリはそう言いながら、宮殿に入る前に槙野と交わした会話の内容を思い出していた。「わたしたちを匿って欲しいのです。」宿場町を出て数日後、ユーリをホテルの中庭に呼びだした槙野はそう言うなり彼に向かって頭を下げた。「それは、どういう意味です?」「話せば長くなりますが、若君・・摩於様は何者かにお命を狙われているのです。」「マオ様が?」「はい。摩於様には2人の皇女様達がおられますが、摩於様だけが“ある力”を持っておられるのです。」「“ある力”?」「その力は摩於様のお母君・お松の方様もお持ちになっておられます。その力を生まれながらにして持った者は流刑になるか、生まれてすぐに殺されてしまうほどの恐ろしい力なのです。」槙野の話を静かに聞いていたユーリは、彼が言う“ある力”のことを知っていた。何故なら自分も、その力を持っているからだ。 無事摩於達と皇帝との謁見が終わり、ユーリは彼らが滞在する部屋へと案内する為に廊下を歩いていた。「ユーリ様、お帰りなさいませ。」廊下の角を曲がると、黒髪の天使―アベルがそこに立っていた。彼の隣には、異母妹が立っていた。「ユーリ兄様!」「アデル、久しぶりだね。」「兄様、そちらの方はどなた?」アデルはそう言って摩於を興味深げに見た。「アデル、こちらは麗真国のマオ様だよ。マオ様、こちらはアデル、わたしの異母妹です。」「初めまして、アデルと申します。」摩於は自分ににっこりと微笑んでくれる少女に対して、微笑み返した。「摩於です、宜しく。」「ねぇマオ、一緒に遊ばない事?」「いいね、遊ぼう。」摩於とアデルは中庭へと駆けていった。「ユーリ様、こちらの方が麗真国の使者の方ですか?」『初めまして、マキノと申します。』「アベルと申します、宜しくお願い致します。」アベルに向かって頭を下げた槙野の胸に提げていたロザリオが、シャラリと揺れた。にほんブログ村
2010年08月27日
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「ねぇ、聞いた? 皇太子様が麗真国の使者を直々に迎えに行ったんですって。」「まぁ、本当なの?」「昔貿易していた国とはいえ、所詮は小さな島国じゃないの。どうしてそんな国の事を気に掛けようとなさるのかしら、皇太子様は。」 ユーリが麗真国の使者を迎えに行く為に彼らがいる宿場町へと向かってから数日が経ち、アベルは廊下を歩いていて偶然女官達の立ち話を聞いてしまった。何も悪い事はないというのに、彼は咄嗟に廊下の角に隠れた。「それよりも、クレメンテ様はどうしたのかしら? 最近お見かけしないけれど。」「ああ、あのお方なら今朝方陛下から宮殿を叩きだされたそうですわ。何でも、国の金を横領していたとかで。」「そんなの口実に過ぎませんわ。陛下はあの女に見切りをつけたのよ。」「それもそうね。」「アンブロワーズ様ももはや皇族ではいられなくなるでしょうね、いい気味だこと。」女官達は悪意のある笑い声を上げながら、噂話に興じた。その時だった。「母様の悪口を言うな!」怒りに震えた少女の声がしたかと思うと、女官達が一斉に悲鳴を上げた。アベルが廊下の角から出て彼女達の方を見ると、彼女達は頭から汚物を被っており、その傍らには金髪の7,8歳位の少女が両手に桶を持って彼女達を睨んでいた。「いきなり何をするの、この子は!」「とんだ乱暴者ね!」「全く、育ちが悪い娘・・」女官達は全身から悪臭を放ちながらも、少女に向かって悪態をついた。「お黙りなさい、人の噂話でしか楽しめない俗物め!」少女はそう言って彼女達に向かって行くと、桶の中に残っていたものを全て彼女達にぶちまけた。「このクソ餓鬼が!」女官の1人が少女に向かって平手を打とうとした時、アベルは彼女の手首をつかんだ。「おやめなさい、子ども相手に手を上げるとは。それにあなた方の話を先ほど聞いているとこの子があなた方に汚物を投げつけたくなる気持ちがわかりますよ。」アベルは翠の瞳で冷やかに女官達を見つめながら言った。女官達はぶつぶつと何かを言いながら彼らの前から去っていった。「ありがとう、助けてくれて。」金髪の少女はそう言ってアベルに頭を下げた。「いいえ、わたしは当然のことをしたまでです。あなたのお名前は?」「わたしはアデル。ユーリお兄様に会いに来たんだけれど、何処にもいないの。」「ユーリ様でしたらお仕事で暫く宮殿を留守にするそうです。もしあなたが良ければ、わたしと一緒に遊びませんか?」「あなたと? いいの?」「ええ。」天使のようなアベルの微笑を見た金髪の少女―ユーリの異母妹・アデルは、その瞬間にアベルに一目惚れしてしまった。(何て綺麗な人。まるで天使様みたい。)アデルはそっと、アベルの手を握った。 一方、ユーリ達は宿場町から離れ、無事山脈を越えて一路王都へと向かっていた。「もうすぐ王都に着きますよ、若君。」「そう・・」変化した姿を人々の前に晒したくないからか、以前しきりに駕籠の外を覗いていた摩於は、ちらりと外を控えめに見るようになっていた。「ねぇ槙野、この国では酷い事、されないよね? 」「ええ、勿論ですとも。」「そう・・なら良いや。」摩於はそう言うと興味を失くしたかのように俯いた。「摩於様・・」(摩於様は怯えていらっしゃるのだ・・自分がこれからどうなるのかを。)槙野はそっと懐にしまっていたロザリオを取り出した。故国では禁教とされている宗教の信者となってもう何年になるのかわからない。信者であることを知られれば、それは即ち死に繋がる。だが、この国では違うことを彼は信じたかった。にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年08月17日
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「助けて、母上・・苦しいよ。」摩於は必死に遠い故国に居る母を呼びながらシーツを小さな手で握り締めた。その円(つぶ)らな瞳は血のように赤く染まり、長い銀髪は彼が動く度にゆらゆらと揺れた。「摩於様、どうなさいましたか?」部屋に槙野が入って来た。「槙野・・苦しいよ。」「摩於様、そのお姿は!」自分を見つめる槙野の顔が驚愕と恐怖で綯い交ぜとなった表情を浮かばせていた。「僕、死んじゃうの?」「いいえ、あなた様は死にません。」槙野はそっと摩於の手をそっと握った。(もう若君が変化(へんげ)するとは・・)槙野の脳裡に、後宮内で出発前夜にお松の方と交わした会話が浮かんだ。「槙野、そなただけじゃ、あの子を守ってやれるのは。」お松の方はそう言って槙野をじっと見つめた。「もしあの女があの子の秘密を知ってしまったら、ただではおかぬであろう。」「わかっております、お方様。わたくしは命ある限り摩於様のお傍におります。」槙野はそっとお松の方の手を握った。主税の正室となり権謀術数や嫉妬渦巻く後宮を治めている彼女の手は華奢で今にも折れそうだった。「わたしはいつか、あの子やあの子の姉達よりも早く世を去るであろう。その時は、槙野・・」「わかっております、お方様。」お松の方は槙野を潤んだ目で見つめながら、袖口で何度も涙を拭った。「若君・・」槙野は高熱で苦しんでいる摩於の手を一晩中握った。 朝日の光で槙野が目を覚ますと、ベッドには摩於の姿はなかった。「若君、何処へ?」槙野が部屋を飛び出すと、廊下で悲鳴があがった。そこには、銀髪紅眼となった摩於が立っていた。「若君、何を・・」「ねぇ槙野、僕はどうしたちゃったんだろう?」槙野はそっと摩於を抱き締めた。「大丈夫です、若君。これが本来の若君のお姿なのです。」「本当? 僕、変じゃない?」「ええ、ちっとも。」「そう。」槙野が摩於を安心させていると、廊下から足音が聞こえた。「若君、お部屋に戻りましょう。」「うん。」2人が部屋に戻ると、そこにはユーリアと数人の女性達がいた。「あら、マオちゃん。」「この人は?」「若君を助けてくださったユーリア様ですよ。」摩於はじっとユーリアを見つめた。「僕を助けてくれてありがとう。」「まぁ~可愛い~、食べちゃいたいわぁ。」ユーリアはそう叫ぶなり、摩於を抱きよせ豊満な胸の谷間に彼の顔を埋めた。「ユ、ユーリア殿っ」「く、苦しい・・」「照れちゃって益々可愛いわぁ。」ユーリアは摩於が窒息しそうになるのにも構わず、グイグイと胸を彼の顔に押し付けた。「ユーリア様、もうその辺にしておいてはいかがです?」「全く、ユーリア様は可愛らしいものが相変わらずお好きですのね。」ユーリアの供の者と思しき女性達はそう言いながらクスクスと笑っていた。「姉上、こんな所で何油売ってるんですか?」突如頭上から凛とした声がしたかと思うと、摩於の身体が突如自由になった。「あらぁ、迎えに来てくれたのぉ。」そう言ってユーリアが抱きつこうとしているのは、腰までの長さのある銀髪と蒼い瞳を持った美しい青年だった。「初めまして、マオ様。わたしはユーリ、ダブリス王国皇太子です。」にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年08月16日
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麗真国首都・奉奠(ほうてん)。 千年もの長きにわたり国王が治めて来たこの国は、滅亡の道へと少しずつ辿っていった。国王や重臣達による立憲君主制国家であるこの国の仕組みを変えようと、数人の若者達が彼らに叛逆を起こし、内戦が勃発したのが数年前の事だ。内戦によって奉奠などの主要都市は甚大な被害を受け、地方に至っては地面には石より死体の方が多く転がっているという酷い有様であった。当然民の生活は今迄以上に苦しくなり、娘や妻を艶街へと売り飛ばす農民の数が年々増加していた。 だが一般庶民のそんな苦しみも知らず、貴族達や富裕な商人達は毎晩のように宴を開いては夜明けまで飲み騒いでいた。それは、国王も例外ではなかった。奉奠の中央部に位置する麗真国宮殿の最奥にある後宮では、華やかな花の宴が開かれ、煌びやかな衣装を纏った女達が舞を舞っていた。「上様、どうです、今宵の女達は? 妾が上様の為だけに集めた女達ですのよ。」「皆良い身体をしておる。」女達の舞を見ながら鼻の下を伸ばしているのは、麗真国王・主税(もんど)であった。30代後半であったが、頬は痩け、彼の目は濁っており、若さが微塵も感じられなかった。 その原因は、主税の隣に座っている女にあった。艶やかな黒髪を背中で流し、白地に金糸で刺繍された豪華な着物を纏った女の名は、槙(まき)。最近主税の寵愛を受けている側室の1人である。「ねぇ上様、あんな女達よりも、妾を抱いてくださいませ。そろそろ上様の御子を抱きとうございます。」猫なで声を出しながら、槙は主税にしなだれかかった。「子は摩於だけで充分じゃ。」「あら、そうでございましたわね。」槙はそう言って笑ったが、目は笑っていなかった。「摩於は今頃何をしておるのかのう。」「あの子なら大丈夫でございますよ、上様。」宴が開かれている部屋から少し離れたところに、主税の正室であるお松の方とその2人の娘達が住んでいた。「毎晩煩い事。父上はどうしてあんな雌狐に魅入られてしまわれたのかしら。あんな育ちの悪い女・・」「いけませんよ、そんなことを言っては。」「母上はあんな女に父上を奪われて悔しくはないのですか? 母上はあの女とは違って摩於を産んだ国母であるというのに。」「もうよいのです。」お松の方はそう声を震わせながら、俯いた。「母上・・」お松の方の娘であり、麗真国第一皇女・美津はそんな母の姿を見て溜息を吐いた。 宴が終わり、主税と槙は主税の部屋へと入った。「槙よ、そなたはこの世で一番何が欲しいのじゃ?」「あなた様でございます、上様。」槙はそう言って妖艶な笑みを主税に浮かべた。「上様、いずれは摩於様を王にするおつもりですか?」「余の子で男子は摩於のみ。余の跡を継ぐのは当然であろう。」「そうで・・ございますか・・」主税に抱かれながら、槙はきりりと唇を悔しげに噛み締めた。(早く摩於様を殺さねば。松の方と生意気な姫君達も消えて貰わねばなるまい。妾の為にも、早く。) 一方ダブリス王国のとある宿屋の一室では、刺客に襲われ一命を取り留めた摩於君がベッドの上で苦しげに喘いでいた。「母・・上・・」寝床の中で母を呼ぶ摩於の黒髪が、徐々に白銀へと変わっていった。彼が首に提げている紅玉が、きらりと暗闇の中で光った。にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年08月14日
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(摩於様、どうかご無事で!)槙野はひたすら闇の中を駆けていた。「ねぇ、もう少しで着くの?」「ええ。」一方、摩於は凛に連れられて森の奥へと進んでいくところだった。「槙野には僕がお前と居る事をちゃんと言ったの?」「ええ、言いましたよ。心配なさらなくても大丈夫ですよ。」凛はそう言って摩於に微笑んだ。彼女は摩於に気づかれぬよう、懐剣を取り出した。「摩於様、着きましたよ。」凛は幼い主に微笑むと、彼の首筋に刃を突き立てた。「若君!」槙野が凛と摩於の姿を確認して彼らの方へと駆けていったが、その直後摩於は首から血飛沫を上げてゆっくりと地面へと倒れ込んだ。「若君、しっかりなさってください!」槙野は慌てて摩於の小さな身体を揺さ振ったが、摩於は目を開けなかった。「おのれ、よくも若君を・・」「それはこちらの台詞だわ。この餓鬼の所為で、我ら一族は滅びたのよ。」凛はそう言って忌々しげに槙野の腕に抱かれている摩於を見た。「そなた、まさか・・」凛の言葉に、槙野の表情が一瞬強張った。「あなたも我ら一族のことはご存知でしょう、槙野様?」「誰に命ぜられて若君のお命を奪ったのだ?」「それはお教えできないわ。あなたもここで死んで貰います、槙野様。」凛はそう言うと槙野を睨んだ。その時、彼女の左胸に深々と矢が突き刺さった。「どうやら、間に合あったようね。」槙野が後ろを振り向くと、そこには弓を構えているユーリアの姿があった。「若君が・・摩於様があの女にやられた。」「ちょっと退いて頂戴。」ユーリアは弓を地面に置くと、摩於の傷ついた身体の前に両手を翳した。するとそこから眩い白い光が放たれ、摩於の全身を包み込んだ。「これで大丈夫だと思うわ。」「そなた、一体何者だ?」「安心して、わたしは魔物じゃないわ。それよりもここは危険よ、出ましょう。」「ああ。」槙野は摩於を抱きあげ、ユーリアと共に森から去っていった。 その後しばらくすると、闇の中からぼうっと人影が浮き出て来た。それは1人の美しい女だったが、彼女はどこか禍々しい気配を放っていた。「作戦は失敗か。」女はぼそりとそう呟くと、地面に転がっている凛の遺体を見下ろした。「あの女、よくも妾の部下を・・この借りは必ず返してやろうぞ・・」現れた時と同じように、女は闇の中へと消えていった。「マオ様の様子はどう?」「まだ目を覚ましておらぬ。それよりもそなた、あの光はなんだったのだ?」「ああ、あれはあたし達ダブリス王家の者しか持っていない力よ。それにしてもマオ様の首に提げていた紅玉のことであなたと話したいのだけれど。」「あの紅玉は摩於様の母君であるお松の方様が摩於様の息災を祈る為に託されたものだ。何でも、お松の方様にはそなたと同じような力をお持ちだというお噂がある。」「ふぅん、そうなの。マオ様を襲った女官、あたしの推測にすぎないんだけど、あの子は誰かに操られていたんじゃないかしら? マオ様の母親を快く思わない人達に。」ユーリアがそう言った瞬間、槙野の顔が少し強張った。「心当たりでもあるの?」「少しはな。実は我が麗真国内の後宮にはお松の方様の他に3人の側室がいてな、その中の1人がお松の方様と摩於様を目の敵にしているのだ。」「その人の名前は?」「槙という。摩於様の父君、麗真国王はあの女に操られ、摩於様を亡き者にしようとしておる。わたしは摩於様を守る為、この旅に同行したという訳だ。」「何処の国も色々と訳ありなのね。うちにも強欲婆が居るわよ。でもそのマキっていう女よりはマシかもしれないわね。」にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年08月12日
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槙野はじっと自分の前に立っている金髪の女―ユーリアを見た。(この女、我らを陥れようとしているのかもしれん。)だがユーリアは槙野から目を逸らすことなく、じっと見返してくる。「そなたのことを信じよう。」「ありがとう。じゃぁここで立ち話するのは何だから、あなたのご主人様の部屋でゆっくり話しましょうか?」ユーリアはそう言うと槙野とともに摩於の部屋へと向かった。 同じ頃、摩於はなかなか戻って来ない従者をベッドの端に腰を掛けながら待っていた。「槙野、遅いなぁ。まだ帰って来ないのかなぁ。」艶やかな黒髪を揺らしながら、摩於は退屈そうにそう言うと大の字になってベッドに寝転がった。「母上や姉上達は、元気かなぁ・・」少し目を閉じた摩於の脳裡に浮かんだのは、遠い故国で自分の身を案じている母と2人の姉達の姿だった。「摩於、無事に帰ってくるのですよ。」ダブリス王国へ旅立つ日の朝、母―お松の方はそう言うと、摩於の首に何かを提げた。そっと摩於が鎖の先に付いているものを見ると、それは真紅に煌めく紅玉だった。何故母がこれを自分に託したのか、摩於にはわからなかった。「この紅玉がそなたを護ってくださることでしょう。」お松の方は袖口で涙を拭きながら、摩於を見送った。「母上にお会いしたいなぁ・・」長い船旅を経て異国情緒溢れる港町に興奮した摩於だったが、時が経つとともに故国に居る母達を恋しく思う気持ちが徐々に大きくなってきている。(槙野は、寂しくないんだろうか?)物心ついた頃から何かと自分に口うるさく小言を言いつつも、母同様自分に深い愛情を注いでくれる槙野にも家族は居る筈だが、異国に来て自分のように家族のことを思い寂しくなったりはしないのだろうか。槙野はいつも何を考えているのかがわからないけれど、頼もしい従者だった。「早く戻って来ないかなぁ、槙野・・」「あなたが麗真国王子・摩於君様ですね?」ベッドに寝転がった摩於は突然背後から話しかけられ、彼は飛び起きた。 ドアの前に、1人の女が立っていた。確か、今回の旅に同行している女官達の1人だと摩於は思い出したが、彼女の名前はわからない。「お前、名前は?」「摩於様、わたくしは凛と申します。少しお話したいのですが、よろしいでしょうか?」「え・・でも槙野からは決して自分が戻って来るまで部屋を出るなと言われたし・・」「槙野様の了解は頂いております。さぁ、参りましょう。」凛と名乗った女は、そう言うと摩於の返事を待たずに彼の手を掴んで部屋から出て行った。「ねぇ、何処行くの?」「ここよりもっといい場所でございますよ、摩於様。」女は摩於に微笑んだが、その笑みはどこか昏いものだった。 一方、摩於の部屋へと入った槙野とユーリアは、部屋の主がいないことに気づいた。「おのれ、ぬかったわ!」槙野は吼える様にそう言うと、廊下を走っていった。「ちょっと、何処行くの?」「摩於様が何者かに攫われた!」「わたしも一緒に探すわ!」ユーリアと槙野は摩於を探す為、宿屋を後にしようとした。「もし、そこのお侍様。」背後から声を掛けられた槙野は、ゆっくりと振り向くと、そこには1人の女が立っていた。「そなた、確か若君に付いていた女官の1人だな?」「はい。先ほど凛という者が、若君様を連れて山の方へと入っていくのを見ました。」「そうか。」妙な胸騒ぎがしてきて、槙野はぐっと刀を握り締める手に力をこめ、宿屋から出て行った。にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年08月08日
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麗真国の使者達が乗り込んだ馬車は、一路王都を目指していた。 彼らがプリンスヴィチェを出て2日後、一行は難所であるヴェルガ山脈へとさしかかっていた。「ねぇ、この山脈を無事越えられるの?」馬車の窓から顔を出し、険しい山脈を見た麗真国王子・摩於(まお)は、そう言うと不安そうに供の槙野を見た。「大丈夫ですよ、若君。わたし達には神のご加護があります。」槙野は幼い主君にそう言って微笑むと、首に提げたロザリオを握り締めた。「そうだよね、大丈夫だよね。」不安そうな摩於の表情が徐々に和らいでゆくのを見て、槙野はほっとした。(こんなところで若君を・・摩於様を不安にさせてはいけない。)山脈の麓には、宿場町があり、そこには旅人の疲れを癒やし、美味しい料理で旅人の胃袋を満足させる旅籠「柏亭」があった。「若君、山脈に入る前にひと休みいたしましょう。」一行は柏亭で一晩休み、翌朝山脈入りすることとなった。「いらっしゃいませぇ!」 一行が柏亭へと入ると、そこには揃いのドレスを着た娘達が一斉に彼らを出迎えた。「ようこそお越しくださいました。さぁ、お部屋へご案内いたしますわ。」娘達の中で一番背の高い女がそう言うと、槙野の手を握って旅籠の奥へと入って行った。「こちらですわ。」「かたじけない。済まぬが、少し若君と2人きりにしてくれぬだろうか?」「かしこまりました。」女が翠の瞳でちらりと摩於を見たことに気づかず、槙野は摩於をベッドの端に座らせた。「良いですか若君、もし万が一わたくしが死んでも、必ずやユーリ様と会い、この密書をお届けください。」槙野は懐にしまっていた封書を取り出し、素早く摩於が纏っている水干の懐に入れた。「どうして、どうしてそんな事を言うの、槙野? 僕と槙野はずっと一緒に居るんだもの、変な事言わないで。」「摩於様・・」摩於は知らない。彼の父親が摩於の命を狙い、使者達の中に暗殺者を紛れ込ませていることを。「申し訳ありませぬ、摩於様。少し長旅で疲れていたものですから、頭がぼうっとしてしまいまして・・」槙野は摩於にそうごまかすと、彼に向かってにっこりと微笑んだ。「なぁんだ、変な槙野!」摩於は大声でそう言うと、屈託のない笑みを槙野に浮かべた。彼も笑い返したが、その目は笑っていなかった。 その日の夜。夕食を終えた槙野は、摩於とともに部屋へと戻ろうとした時、背後に強い視線を感じて振り向くと、自分達を部屋に案内した女が居た。「少し顔貸してくれないかしら? あなたと色々とお話ししたいのよ。」「若君、先にお部屋にお戻りになって下さいませ。」「わかった。」摩於が自分に背を向けて廊下を走り出したのを見送った後、槙野は女の方に向き直った。「そなた、何奴。」腰に帯びている刀の鯉口を切ろうとした時、女は豊満な胸の谷間から短剣を取り出した。「そんな物騒なもの振り回しちゃぁ危ないわ。自己紹介が遅れたわね、わたしはユーリア。旅籠でバイトしてる可愛い女の子っていうのは仮の姿、本当はダブリス王国の元皇太子よ。」「そなたが、ダブリス王国の元皇太子だと?」「今は隠密の仕事をしているの。たとえば、あなたの国・麗真国に纏わる黒い噂・・マオ様が暗殺されるっていうやつを調べているのよ。」「知っているのか、若君が・・摩於様がお命を狙われていることを?」「ええ、勿論。だからこうしてあなたと話をしようと思っているんじゃない。山脈に入る前に、あなたの可愛いご主人様を暗殺者達から守る方法を考えるのよ。」女はそう言うと、翠の双眸を煌めかせた。「あたしを信じる、信じないは、あなた次第よ。」にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年08月06日
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行列に割り込んだことにより、無礼討ちにされた母子の遺体はそのまま放置され、行列は何事もなかったかのように港へと向かって進んでゆく。「ねぇ、今何か音がしたけれど、どうしたの?」その行列の中心―護衛達が常に固まっているところに、漆塗りの駕籠があった。その籠の中で、1人の少年が供の者に話しかけた。 少年の年の頃は12,3といったところで、藤色の水干を纏い漆黒の髪を頭頂部で結い上げている。「若君がお気になされることではありませぬよ。」そう言った供の者は、白髪に髷を結い、黒羽織の下には朽葉色の着物を纏っていた。「ちょっと外を見てみようっと。」少年は好奇心に駆られ、駕籠の中から外の景色を見ようと窓際へと寄った。「若君、なりませぬ。外を見るのは、船に乗ってからですぞ。」供の者はそう言いながら少年を諌めると、彼を自分の隣に座らせた。「槙野はいつも煩いんだから。たまには少し優しくしてくれてもいいのに。」「わたしが敢えてあなた様に厳しく接しておりますのは、あなたの為でもあり、麗真国の為でもあるのですよ。」「またいつもの小言。いい加減飽きたよ。ねぇ、これから行くダブリス王国には、銀髪蒼眼の皇子がいるって本当?」「ええ。ユーリ様とおっしゃって、とても慈悲深く民に慕われているそうですよ。」「へぇ、会うのが楽しみだなぁ。」少年はこれから始まる長い船旅の果てに広がる異国の世界に、胸を弾ませていた。やがて彼と供の者は船へと乗り込み、船は彼らを乗せて静かに港から離れていった。 一方ダブリス王国の南部の街・プンスヴェチェでは、港から入って来る交易物の運搬に追われている港湾労働者達が今日も汗水垂らして働いていた。「なぁ、麗真国の使者が今日来るらしいぜ。」「本当か? あの国は内戦が起こる前は貿易で栄えてた国だったのに、今では無法地帯だっていうじゃねぇか。」「どうせ金をせびりに来たんだろうさ。この国の財政が危ないってのに、よその国を援助できるかっての。」「使者の目的が金なら、皇帝陛下はあいつらを門前払いするんじゃねぇか?」「ま、その方がありがたいけどな。」労働者達はそう言った後、再び仕事へと戻っていった。 「若君、起きてくださいませ。」突然肩を揺さ振られ、少年はゆっくりと目を開けた。「ん・・もう着いたの?」「今港に入ろうとしているところですよ。降りる支度をしなければなりませんから、お召し替えを。」「このままでもいいよ。」「いけませんよ、若君。あなた様は麗真国を代表してダブリス王国に来ているのですから、そんな軽装で人々の前に出て行っては馬鹿にされますよ。」「え~、嫌だ~!」少年は頬を膨らませ、駄々をこね始めた。(若君はいずれ麗真国を背負って立つ御方なのに・・こんな駄々っ子が国を治められるのだろうか?)駄々をこねる少年の隣で、彼の供として今回の船旅に同行した槙野加太朗(まきのかたろう)はそう思いながら眉間を揉み、麗真国王子・摩於君(まおぎみ)を見た。「槙野、ユーリ様に早くお会いしたいなぁ。」きらきらと輝く漆黒の瞳で自分を見つめる幼い次期国王を、槙野は慈愛に満ちた目で見た。「わたくしも早くユーリ様にお会いしたいですよ。ですが若君、ユーリ様にお会いになる前に色々と身に付けなければならぬものがおありなのは、わかっておいででしょうね?」「またいつもの小言。槙野といるとゆっくり寛ぐことが出来ないや。」そう言った摩於は言葉とは裏腹に、屈託のない笑みを槙野に浮かべた。「摩於様、槙野様、こちらへ。」摩於付の女官がそう言って2人の元へと駆け寄って来た。「さぁ若君、参りましょう。」「うん!」摩於は自分の教育係である逞しい男の手を、しっかりと握った。にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年08月04日
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「ユーリ、何処行ってたのよぉ。」王宮にユーリが戻ると、ユーリアがそう言って彼に抱きついた。「あ、姉上、苦しいです。」「もう、照れちゃって、可愛いぞ。」ユーリアは豊満な胸をユーリの顔にグイグイ押しつけた。「一体何処行ってたの?」「あの女のところですよ。」やっと姉の乱暴なスキンシップから解放されたユーリは、荒い息を吐きながらそう言って彼女を見た。「あ~、あのクソババアのところ? なんか嫌味でも言われたの? それとも、高価な壺を買わされたとか?」「別に何もありませんでしたよ。向こうに言われる前にさっさと嫌味を言いまくって帰りました。」「それでこそあたしの可愛い弟よ。それにしても聞いた? 麗真国の狸爺どもが近々ここに来るそうよ。」「麗真国の使者がですか?」ユーリの美しい眦が少し上がった。 麗真国は海に浮かぶ東の島国で、昔から交易が盛んな国であり、ダブリス王国のみならず、西のアッシリア王国とも交易をしていた。しかし麗真国は数年前内戦が勃発し、交易が途絶えてしまっている。その麗真国の使者が来るということは、余程麗真国は逼迫した状態なのだろうか。「なんでもさぁ、最近内戦の影響で大陸に逃げてくる人達が多くて、自国では取り締まれないからうちでも取り締まって欲しいってお願いするみたいよ。」ユーリアは気だるそうな様子でそう言って前髪を掻きあげた。「難民達を大陸中で取り締まるよりも、難民達を守った方がいいのでは?」「そうするとさぁ、人件費やら難民達の施設やらでただでさえ上がっている国民の税金が上がるし、財政破綻を起こすのよ。だったら守るよりも追い出しちゃえってことになるじゃない?」ユーリアはそう言って溜息を吐き、豊満な胸の前で腕組みした。「厄介な問題ですね。それよりも姉上、クレメンテはヴィクトルと組んで何かを企んでいるようです。」「あのクソババアは厳しく監視しないとね。大丈夫よ、あたし達の部下がちゃんと監視するから。あ、やだもうこんな時間。バイトに遅れちゃうわ~!」ユーリアはそう言うと、ドレスの裾を捲くしあげて廊下を大股で走って行った。「姉上、あなたって人は・・」ユーリはそんな姉の後ろ姿を見送りながら溜息を吐いた。「ユーリ様!」背後から耳障りな甲高い声が聞こえたかと思うと、いつの間にか隣に1人の少女が立っていた。「君は?」「マルガリテと申します、ユーリ様。以後お見知りおきを。」少女は優雅に腰を折って挨拶した後、瑠璃色の瞳をキラキラと輝かせながらユーリを見た。「マルガリテか、覚えておこう。」ユーリは気だるそうに言うと、少女に背を向けて歩き始めた。(ユーリ様がわたくしの名前を覚えてくださった!)少女―マルガリテは憧れの人に名前を覚えて貰い、舞い上がっていた。「嬉しいわ、ユーリ様がわたくしの名前を覚えてくださるなんて。」マルガリテはそう言いながら廊下をスキップしていた。その時、彼女は1人の司祭とすれ違った。黒髪に上質なエメラルドのような翠の瞳を持ったその司祭と、マルガリテは何処かで会ったような気がしてならなかった。(多分、わたくしの気の所為だわ。)マルガリテは大してその司祭に気を留めず、スキップしながら廊下の向こう側へと消えていった。 一方、麗真国の使者達の行列が港へと向かっていた。道の両端には民達が頭を地面に擦りつけ、ただじっと行列が過ぎるのを待っていた。行列の最後が港の入口へとさしかかろうとした時、1人の子どもが行列の中へと入って行ってしまった。「無礼者!」「お許しください、つい出来心で!」護衛の1人が腰に帯びていた刀の鯉口を切り、母子ともども斬り伏せた。母子は道の真ん中で息絶え、彼らの血が土を赤褐色に染めた。にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年07月29日
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「ユーリ、お前に聞きたい事があるが、いいか?」ダブリス王国皇帝・アドニスはそう言うと、ユーリを見た。「何でしょうか、父上?」「クレメンテが先ほど閣議室に入って来て、自分達を宮廷から追放させるというのなら、ユーリの秘密をバラすと言ってきたのだ。」アドニスは机の上に置いてある書類をユーリに手渡した。「これは・・」ユーリは書類に目を通した途端、全身を雷に打たれたような衝撃が走った。「もしこの文書が公となれば、国家転覆の危機に瀕することだろう。あの雌狐め、何処までこのわたしを愚弄する気か・・」紅茶のカップを乱暴に置いたアドニスの顔は、クレメンテに対する怒りで少し赤く染まっていた。「あの女がこの書類を持っているなど、思いもよりませんでした。ですが、これしきのことでわたしがあの女に屈することはありません。せいぜい彼女の足元を掬ってやりましょう、父上。」「そうしよう。あの女はもう用済みだ。若気の至りであの女を妾にしたのが間違いだった。だが過去を悔んでも仕方あるまい。」顎鬚を弄りながらアドニスは溜息を吐いた。「陛下、クレメンテには我慢なりません。あの女には元の世界へと帰っていただきましょう。」アドニスの重臣であるクリオがそう言って椅子から立ち上がった。「あやつらはこの王国の膿です。さっさと始末しなければ。」閣議でアドニス達はクレメンテ母子をどう宮廷から追放させるかを話し合って終わった。「ユーリ様、クレメンテ様がお呼びです。」自室に戻ったユーリがソファで寛いでいると、ロシェルが困惑の表情を浮かべながら主を見た。「あの女がわたしに何の用だ?」「さぁ、わかりません。」「まぁいい、あの女とはゆっくり話をしてみたかったんだ。」ソファから立ち上がったユーリは、クレメンテの自宅へと向かった。 一方、クレメンテは苛々とした様子で数分おきに窓の外を見ながら刺繍をしていた。「そんなに窓の外を見なくても、奴は必ず来ますよ、母上。」アンブロワーズはそう言って母の肩を優しく叩いた。「そうね。」馬の嘶きが外で聞こえたかと思うと、ドアが開いてユーリが中に入って来た。「あなたがわたしをこんな所に呼び出すなど、珍しいですね。」そう言ったユーリは、蒼い瞳でジロリとクレメンテ母子を睨みつけた。「あら、あなたとは一度じっくりとお話ししたいことがあったのよ。」「あなたがどんな手を使おうが、あなたが宮廷から追放されることは変わりはしませんよ。いい加減、己の身分が分不相応なものだということに気づいたらどうです?」「まぁ、あなたがそんな口をわたくしに利くだなんて・・」美しいクレメンテの細長い眦が上がった。「失礼、わたしはあなたという人間が大嫌いでね。言いたい事を言って帰ろうと思ったのですよ。こんな淀んだ空気の中にいつまでも居ると気分が悪くなりそうなので。」ユーリはそう言ってクレメンテの隣に立っているアンブロワーズを見た。「宮廷から追放される事はわかりきっているから、お前もそろそろそのだらしのない根性を改めたらどうだ? まぁ、君を雇ってやるという所があったらそれは奇蹟に近いことだろうが。」アンブロワーズは怒りで顔を染め、異母兄を睨みつけた。「じゃぁわたしはこれで失礼しますよ。ヴィクトルに宜しく言っておいてください。」ユーリが部屋を出てドアを閉めた瞬間、クレメンテのヒステリックな叫び声と、陶磁器が割れる音が部屋の中から聞こえた。「ユーリ様、こんな所に何のご用でしたか?」愛馬に跨ったユーリは、何も知らないヴィクトルがそう言って自分に話しかけてきたのを冷たい目で見た。「君の馬鹿なご主人様に会ってきたのさ。宮廷から追放される日は近いというのに、悪あがきするのはみっともないと君からご主人様に伝えてくれ。」ポカンと口を開けて自分を見ているヴィクトルを残して、ユーリはクレメンテ邸から去った。にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年07月29日
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「先ほど何か騒ぎがあったようだが・・大丈夫だったかい?」ユーリはそう言ってアベルに駆け寄ると、赤く腫れた足首を擦っている彼を見た。「大丈夫です。少し踊り疲れてしまって。」「そうか。もう帰ろうか。」「ええ。」自分に差し出されたユーリの手を、そっとアベルが握ろうとした時だった。「あら、誰かと思えば次期国王陛下ではないの。」神経を逆撫でするような声が背後から聞こえ、ユーリがゆっくりと振り向くと、そこにはクレメンテとアンブロワーズが立っていた。「おやおやこれは、クレメンテ様。あなたはもう宮廷から追放されたと思いましたが?」そうクレメンテに話しかけるユーリの声は、先ほどのアベルに向けてのものとは全く違った、冷たいものだった。「まさか、わたくしは宮廷から追放されるわけにはいかないわ。やっと掴んだ地位ですもの。」「それはそれは、成り上がり者らしい考えですね。ですが陛下はあなたの事は飽きてしまわれたようですよ。」ユーリはそう言って暫くクレメンテの反応を見た。彼女は、悔しそうに唇を歪め、舌打ちした。「今の内に荷物を纏めることですね。無一文で宮殿の裏口から叩きだされる前に。」ユーリは汚らわしい物を見るかのようにクレメンテを睨むと、彼女に背を向けアベルとともに大広間から出て行った。「あの方は?」「あの女はもう宮廷から追放される身だ。君が気に掛けるほどの者ではないよ。」アベルはユーリの蒼い瞳が冷たい光を宿していることに、少し恐怖を覚えた。(この方は一体、何をお考えなのだろう?)「アベル、わたしのことをどう思う?」「どう思うとおっしゃられましても・・まだあなた様とお知り合いになって間もないので、余りあなた様がどのような方なのかわかりません。」「そうか。では言い方を変えよう。わたしは君のことを守護天使だと思っている。わたしの事を守り、支えてくれる天使だと。」ユーリはそう言ってアベルを抱き締めた。「ユーリ様?」「お願いだ、アベル。ずっとわたしの傍に居てくれないか?」「ずっと、お傍におります。」ユーリの腕の中で、アベルはそう言って彼を見上げた。その唇に、ユーリの唇が静かに落とされた。 舞踏会が終わった後、クレメンテは自宅で苛々と爪を噛んでいた。「おのれ、あの青二才が、わたくしにあんな口を利くだなんて。」彼女の脳裡に、異形の容姿を持った憎たらしい皇子の姿が浮かんだ。ユーリは黒髪蒼眼と金髪翠眼容姿を持つ両親から、銀髪蒼眼の容姿で生まれた。ダブリス王家の中で、銀髪蒼眼の容姿を持って生まれた者はユーリ以外今まで誰1人としていなかった。ユーリは王家に不幸をもたらす者だと、クレメンテは頑なにそう思っていた。「どうにかあの皇子を宮廷から追放しなければ・・」クレメンテがそう呟いた声は、静かに闇へと消えていった。 翌日、彼女は頭から黒い頭巾をすっぽりと被り、ある場所へと向かっていた。「おや、誰かと思えばクレメンテ様じゃないかい?」一軒の民家の中から出て来たのは、クレメンテが昔世話になっていた老婆だった。「ねぇ、ちょっと相談があるのだけれど、いいかしら?」「いいよ。どうせまた厄介なお願いだろ?」「良くわかっているじゃないの。」クレメンテはそう言って口端を歪めて笑った。 ユーリが閣議へと向かう為廊下を歩いていると、人々が何かヒソヒソと話をしている。大して気を留めずに彼が閣議室へと入ると、そこには険しい表情を浮かべた皇帝の姿があった。にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年07月28日
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「あ、あの・・」突然数人の令嬢達に取り囲まれたアベルは困惑の表情を浮かべながら、彼女達を見た。「あなた、何処のどなたなのか存じ上げませんけれど、ユーリ様を誘惑なさらないでくださる?」そう言ってアベルをキッと鋭い目つきで睨んだのは、先ほど彼に声を掛けた1人の少女だった。彼女の薄茶の髪はシャンデリアの下で美しく金色に輝き、まるで天使の輪のようだった。肌理が細かくシミひとつない乳白色の肌はまるで陶磁器のようだったが、宝石のような瑠璃の瞳は険しい光を湛えていた。「あの、あなたは?」「わたくしはマルガリテ。あなたのお名前は?」「ア、 アンネです。」「アンネさん、ユーリ様とはどのようなご関係なのかしら?」「ただの友人同士です。」「へぇ~、そうなの? ただの友人同士であれば、ユーリ様があなたをエスコートして舞踏会にご出席なさるかしら?」マルガリテと名乗った少女は険しい表情を浮かべながらアベルに尚も突っかかって来る。(何だろう、この子・・)厄介な子に絡まれたとアベルが思い始めた頃、誰かが彼の肩を強く押した。突き飛ばした、と言った方が正しいような、乱暴な押し方だった。アベルは強かに尻を打ちながら、床の上に転んだ。「まぁ、みっともないお姿ね。」「まるで蛙のようだわ。」頭上から意地の悪い笑い声と言葉が聞こえ、アベルは素早く立ち上がろうとした時、足首に激痛が走った。「わたくし達に決して逆らわないことね。」アベルの足首を細く尖った靴の踵で踏みつけながら、マルガリテは嗜虐的な笑みを口元に浮かべた。「さっさとユーリ様から離れなさいな。」「ユーリ様はマルガリテ様のものなのよ。」アベルは身を捩り自分の左足首を踏みつけている少女から逃れようとしたが、彼女はそんな彼の様子を見てますます彼の左足首に全体重をかけて踏みつけた。アベルは悲鳴を上げず、歯を食い縛って静かに耐えた。「生意気ね、新参者の癖に!」反応が鈍いアベルに苛立ちの表情を浮かべたマルガリテは、取り巻きが持っていたグラスの中身を彼に向けてぶちまけようとした。その時だった。「お前ら、大勢で何弱い者いじめやっとんじゃぁ!」後方から男の野太い声がしたかと思うと、マルガリテがアベルの視界から消えた。「何をなさるの、無礼者! あなたの事を父に言いつけますからね!」憤怒の表情を浮かべながら、マルガリテは金髪の女性を睨みつけた。「やれるもんならやってみぃ。その代わり倍返しにしたるわ。」マルガリテの表情は憤怒から恐怖へと変わり、取り巻き達を引き連れて大広間から出て行った。一体何が起こったのかがわからないアベルは、呆然と金髪の女性の背中を見つめていた。すると、その女性はゆっくりと自分に振り向いた。「大丈夫、怪我しなかった?」そう言った女性は、あのユーリアだった。「ユーリアさん?」「ごめんねぇ、怖かったでしょう? こんな怖い姿、アベルちゃんには見せたくなかったなぁ。」先ほどまでの猛々しさとは打って変わって、数時間前に自分に見せたお淑やかな貴婦人の姿にユーリアは戻っていた。「この事は弟には内緒だからね。」「は、はい・・」ユーリアはアベルの答えを聞き満足気な笑みを浮かべると、大広間から去って行った。(奇妙な人だな・・)にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年07月26日
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舞踏会が始まる数時間前。アベルは生まれて初めてコルセットをユーリ付きの女官達の手によって着けられ、ウェストを思い切り締めあげられていた。「うう、吐きそう・・」「耐えてくださいませ、アベル様。女はいつもこの苦痛に耐えているのですから。」ユーリ付きの女官・アデーレがそう言ってアベルを見た。「どうしてわたしが女装なんか・・ユーリ様がなされば宜しいのに。」アベルは恨めしそうな目で、女官達に弄られている自分を笑いながら見ているユーリを睨んだ。「何を言う、アベル。君はダンスが出来ないと言ったじゃないか。それにわたしは女装をしてでも正体が見破られてしまうだろう。」「それはそうですけれど・・何故わたしなんかと舞踏会に出席を? ユーリ様のお相手でしたら、わたし以外にもっと素敵な女性がいらっしゃることでしょうに。」「君と一緒に行きたいんだよ、どうしても。」ユーリの蒼い瞳が急に真剣な光を帯びてアベルを見つめた。「君とでないと意味がないんだ。」「ユーリ様?」ユーリの蒼い瞳に見つめられたアベルは、金縛りに遭ったかのように身体が動かなかった。(この方は、一体何を考えていらっしゃるのだろう?)彼の蒼い瞳を見つめていると、アベルがその中で溺れ死んでしまいそうな気がしてならなかった。「アベル・・」「はぁ~い、ユーリちゃん! 元気にしてたぁ!?」ユーリが何かアベルに言おうとした時、突然部屋のドアが乱暴に開かれ、野太い声とともに1人の女性が入って来た。 突然部屋に乱入してきた女性は豊かな金髪の巻き毛を揺らし、ユーリに勢いよく飛び付くなり、豊満な胸ごと彼を抱き締めた。「いい男になっちゃってぇ、あたし嬉しいわぁ~!」「あ、兄上、苦しい・・」「兄上じゃなくて、姉上でしょう?」「あの・・どちら様でしょうか?」そんな2人の遣り取りを呆然と眺めていたアベルは、そう言って金髪の女性を見た。「初めましてぇ、あたしはユーリア。ユーリの姉でぇす。よろしくねぇ。」女性はにっこりとアベルに微笑むと、豊満な胸を揺らした。「ユーリ、可愛い子ねぇ。この子を女装させたらそこいらの女共より綺麗だと思わよぉ。」「姉上、少し黙っていてくれませんか・・」ユーリは低い声で呻くように言うと、眉間を揉んだ。「わかったわ、もう黙ります。舞踏会思いっ切り楽しんでいらっしゃい。」女性―ユーリアはユーリとアベルに向かって交互にウィンクすると部屋から出て行った。「あの方は?」「一応わたしの姉だが、元男で、この王国の後継者だった。色々あって帝位継承権をわたしに譲り、今のような姿になったんだ。」「そう・・だったんですか。」「まぁあの人は何かと頼れる方だから、味方に付ければ万々歳だ。さてと、そろそろ行こうか。」「は、はい・・」ユーリの差し出された手を支度を終えたアベルはぎこちなく握り、部屋を出て大広間へと向かった。 そして現在、彼はユーリとともに踊りの輪に加わっていた。先ほどからアベルは刺すような視線を背後から感じていた。「あの、ユーリ様」「何だ?」「誰かの視線を感じるんですが。」「気にするな。」踊り疲れてアベルがバルコニーへと向かった時、彼は突然数人の令嬢に取り囲まれた。「あなたが、ユーリ様のお気に入りの方?」にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年07月25日
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翌朝、アベルはアドリアン司祭のミサを手伝う為、教会へと向かった。信徒席には貴族達で全て埋まり、アドリアンの説教を静かに聞いていた。だが彼らの視線はアドリアンではなく、新人司祭のアベルに向けられていた。―あの美しい司祭様はどなたかしら・・―まるで天使のような方だわ・・―上質なエメラルドのような美しい瞳に一度でもいいから見つめられてみたいわ・・信徒席の間を歩く時、背後から令嬢達の視線を感じたアベルだったが、何故自分が彼女達に見られているのかが理解できなかった。「朝早くからすまなかったね、アベル。」「いいえ。とても勉強になりました。」アベルはそう言うと、王立図書館へと向かった。その途中、彼は昨夜アベルに渡されたメモを取り出して再び開いた。(ユーリ様はわたしに何をお話したいのだろう?)メモを握り締めながら廊下を歩いていると、前方が急に騒がしくなった。(どうしたんだ?)ちらりとそちらを見ると、そこには数人の侍女を引き連れた黒髪紅眼の女が自分の方へと歩いてくるところだった。(誰なんだろう、あの人は。)宮廷に出仕してまだ日が浅いアベルは、その女がクレメンテであるということを知らずにいた。再び歩き始めると、クレメンテはすれ違いざまちらりとアベルを見て笑った。「あの者は?」「アベル=シャメル、数日前にあの神学校からこちらにやって来たばかりの新人司祭ですわ。」「そう。」クレメンテは口端を上げて再び笑った。 王立図書館で次回のミサに関する資料を探していたアベルは、ふと甲高い靴音が聞こえ、ちらりと隣の書棚を覗いた。そこには、漆黒の軍服を纏った鳶色の髪をした男と、純白の軍服を纏ったユーリの姿があった。「殿下、お探しのご本はこちらでよろしいでしょうか?」「ああ。」アベルは2人の会話を、静かに聞いていた。数日前初めて会った時の優しくも儚げな雰囲気とは違い、今のユーリには何処か近寄り難い雰囲気が漂っていた。隣にいる男は誰なのだろうか。アベルがユーリに話しかけようとした時、漆黒の軍服を纏った男と目が合ってしまい、慌てて彼から目を逸らし、彼は慌てて図書館から出て行った。それから宿舎でミサの準備をして時間を潰すと、ユーリと会う時間が刻々と迫って来た。アベルが中庭へと向かうと、噴水前でユーリが彼に笑顔を浮かべて手を振っていた。「ユーリ様、お話したいことって何でしょうか?」「アベル、突然な事で悪いんだけど、今夜の舞踏会に君も出席してくれないか?」「わたしが、ですか?」アベルは少し面食らった顔をしながら、ユーリを見た。「わたしはダンスや宮廷作法など身につけてませんし、それに舞踏会には貴族の方々もご出席されるのでしょう? そんな所にわたしが行けば分不相応だと笑われてしまうかもしれませんし・・」「心配しないで、わたしがついている。」ユーリはそう言ってアベルに微笑むと、そっと彼の手を優しく握った。温かいユーリの体温が掌から伝わるのを感じ、アベルは頬を赤く染めた。彼に触れられただけで、こんなに胸が高鳴ってしまうのは何故なのか、まだ彼は解らずにいた。 その夜、皇帝主催の宮廷舞踏会が開かれ、大広間では美しく着飾った貴婦人達や令嬢達が笑いさざめき合っていた。その中に、1組の男女が楽団の奏でるワルツの調べに乗せて踊っていた。黒髪に映える真紅のドレスを纏った女は、愛おしそうに相手の青年を見上げていた。その青年は、ユーリであった。「ユーリ様、周りにはバレていませんね、わたしのこと。」「ああ。思い切り今夜は楽しもう。」ユーリはそう言ってアベルに微笑んだ。にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年07月23日
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「遅くなりまして申し訳ありません、クレメンテ様。」クレメンテが紅い双眸で窓の外を眺めていると、扉が開いて1人の男が入って来た。漆黒の軍服を纏い、絨毯の上を優雅に歩く男に、クレメンテはゆっくりと振り向いて彼に微笑んだ。「遅かったわね。待ちくたびれたわ。」「急に抜けられない会議がありまして。クレメンテ様とのお約束を優先したかったのですが・・」男はそう言うと、クレメンテの華奢な手に口付けた。「お前が来てくれただけでも充分よ。それよりも例の書類は上手く軍から持ち出せたんでしょうね?」「はい、こちらに。」男はクレメンテの前に恭しく跪き、彼女に茶封筒を差し出した。「助かったわ。」クレメンテはそっと封筒の中を覗き込んだ。そこには、あの憎らしいユーリの秘密が書かれている極秘書類が入っていた。「ねぇヴィクトル、わたしを助けてくれないこと? あの憎らしいユーリを何としてでも宮廷から追い出したいのよ。」そう言ったクレメンテの瞳が、禍々しい光を宿しながら輝いた。「わたくしが出来る事がありましたら、何なりとお申し付け下さいませ。」ヴィクトルは再び女主人の手に口付けた。「あなただけよ、宮廷内でわたしの味方なのは。」クレメンテは忠実な下僕の美しい鳶色の髪を撫でながらそう呟き、再び窓の外を見た。空には白銀の月が静かに浮かんでいた。 一方、宮殿内の教会では、アベルが静かに祭壇に向かって祈りを捧げていた。彼の脳裡に繰り返し浮かんでくるのは、天上におわす父なる神ではなく、ユーリの姿であった。(何故わたしはユーリ様にこんなに惹かれているのだろう? 神に仕える身であるというのに・・)神学校で同性間の恋愛に溺れ、廃人と化してゆく同窓生たちの姿を目の当たりにしてきたアベルは、彼らは悪魔に魂を喰われてしまったのだと思っていた。そして自分は悪魔に魂を喰われてしまわぬよう、神にこの身を捧げようと誓ったのだ。それなのに何故、一度会っただけのユーリに心を奪われてしまったのかがわからなかった。もしかしたら、もう悪魔に魂を喰われ始めているのかもしれないと、アベルはそう思い始めていた。(主よ、どうかわたしを忌まわしき悪魔からお守りください・・)美しい翠の双眸が見つめる先には、天の父の玉座が月光に照らされ、美しくも妖しげに輝いていた。アベルはゆっくりと立ち上がり、教会を出ようとした時に初めて自分以外の人間が居ることに気づいた。「驚かせてしまったかな?」そう言ってユーリはゆっくりと信徒席から立ち上がり、アベルに微笑んだ。「い、いいえ。」「そうか。アベル、君は何を神に祈っていたんだ?」「色々な事を。ユーリ様は何を祈っていらしたのですか?」「この国がもっと良い国になるよう、祈っていた。」ユーリの蒼い瞳が月光に照らされ、美しく輝いた。「そうですか。ではわたしはこれで。」「また会おう、アベル。」ユーリはすれ違いざま、アベルの手に何かを握らせた。教会を出てすぐアベルがユーリに手渡されたものを確認すると、それは丁寧に折りたたまれたメモだった。彼は人が居ない所でそっとメモを開くと、そこには流麗な文字でこう書かれていた。“明日午後3時に中庭の噴水前で待っている。”そのメモに書かれた文字を見た瞬間、アベルの胸が少し高鳴った。まるで、恋焦がれていた男に恋文を初めて貰った娘のように。そっと愛おしげにメモを撫ぜようとしたアベルは慌てて我に返り、それを大切そうに折りたたんだ。闇に包まれた廊下に、彼の靴音が木霊した。にほんブログ村↑ランキングに参加しております。押していただけると嬉しいです。
2010年07月22日
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