F&B 腐向け転生パラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 10
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 8
天上の愛地上の恋 昼ドラ風時代パラレル二次創作小説:綾なして咲く華 2
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 0
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 0
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生パラレル二次創作小説:最愛~僕を見つけて~ 1
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
腐滅の刃 平安風ファンタジーパラレル二次創作小説:鬼の花嫁~紅ノ絲~ 1
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 2
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 5
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 0
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 0
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 1
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~ 1
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
天上の愛地上の恋 昼ドラ風パラレル二次創作小説:愛の炎~愛し君へ・・~ 1
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
天愛×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 2
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
薄桜鬼×天上の愛地上の恋 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:玉響の夢 5
黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
天愛×F&B 昼ドラ転生ハーレクインクロスオーパラレル二次創作小説:獅子と不死鳥 1
天上の愛地上の恋 現代転生ハーレクイン風パラレル二次創作小説:最高の片想い 4
バチ官×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:二人の天使 3
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 2
薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 2
薄桜鬼×火宵の月 遊郭転生昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
天愛×火宵の月陰陽師クロスオーバパラレル二次創作小説:雪月花~また、あの場所で~ 0
薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 1
天愛 異世界ハーレクイン転生ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 氷の皇子 0
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 2
名探偵コナン×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 0
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その日は、雲ひとつない晴天だった。 エスティア皇国皇帝在位40周年記念パレードは、本日の主役である皇帝とその妻子達を乗せた馬車に乗り、彼らは国民に手を振っていた。その中で皇女ユーフィリアの隣に座っているユーリは、瑠璃色のドレスを纏い銀髪を結いあげて、ユーフィリアとともに国民に向かって手を振っていた。沿道を埋め尽くす人々は歓喜の表情を浮かべ、エスティア皇国旗を振っていた。「間も無く式典が始まります、ユーフィリア様。」「解ったわ。」パレードを終え、宮殿内の自室へとユーリとともに戻ったユーフィリアは、そう言って侍従を見た。「では、後ほど。」侍従が部屋を出て行くのを見計らって、ユーフィリアはゆっくりとソファから立ち上がった。「ユーリ様、あなたにお見せしたいものがありますの。」「わたくしに、ですか?」「ええ。」 ユーフィリアは寝室の引き出しを開け、拳銃をそこから取り出すなり、その銃口をユーリに向けた。「ユーフィリア様・・?」「ユーリ様、申し訳ないのだけれどここで死んでいただけないかしら?」「え・・」突然皇女が自分に放った言葉に呆然としているユーリに向かって、ユーフィリアは彼女に微笑んだ。「あなたはわたくしたちの・・わたくしとルディガー様の大いなる計画の邪魔となる存在なのです。ですから、ここで死んでいただけませんか?」「ルディガー兄様と・・手を組んでいらしたのですか? わざとわたし達をエスティアで保護して・・」「ええ、そうよ。後はあなたと家族を殺すだけ。」ユーフィリアがそう言って笑い、引き金を引こうとした時、ドアがノックされた。「ユーフィリア様、お時間です。」「解ったわ。」ユーフィリアは銃を下ろして背中にそれを隠すと、侍従に笑みを浮かべた。「ユーリ様、参りましょう。」「はい・・」ユーフィリアと共に彼女の部屋から出て式典会場である皇宮前広場にユーリが向かうと、そこには国民達で埋め尽くされていた。(一体皇女様は何を考えておられるのだろうか?)先程自分に銃を向けた時に浮かべたあの剣呑な表情を押し隠し、国民に向かって笑顔で手を振るユーフィリアを隣で見ながら、ユーリは嫌な予感がした。 式典は滞りなく進行し、終盤に差し掛かろうとした時、ユーフィリアが一瞬口端を歪めて笑った。「皆さん、本日はお忙しい中集まっていただいてありがとう。更なる国の発展の為に、わたくしからお願いがあります。」ユーフィリアは両手で銃を握り締めると、満面の笑みを浮かべながらこう言った。「ここで死んでいただけないでしょうか?」皇女の言葉に、国民達は一斉にどよめき始めた。「冗談ではありませんよ、わたくしは本気です。」ユーフィリアはそう言うと、銃の引き金を引いた。銃声が国民達のざわめきを掻き消し、額の中央に穴を開けた女性がゆっくりと地面に倒れた。「キャァァ!」誰かが叫んだ途端、国民達は悲鳴を上げて広場から逃げ出そうと一斉に動き出した。だが、出口には軍隊が彼らを待ち構え、国民に向かって軍隊は一斉射撃した。悲鳴と怒号の中、緑の芝生がみるみる緋に染まり、国民達が屍へと化してゆく。「ユーフィリア、一体これはどういうことだ!」突然始まった虐殺に驚愕と怒りが綯い交ぜとなった表情を浮かべながら、皇帝はそう怒鳴って娘を見た。「お父様、さようなら。」 宝石のような紫紺の瞳を煌めかせながら、ユーフィリアは笑顔のまま実の父親の額を撃ち抜いた。にほんブログ村
2011年05月02日
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修道院での生活にも慣れ、璃音はアベルとともに農作業やハーブの石鹸作りなどに勤しんでいた。「璃音、上手に出来たね。」「ありがとう、お父様。」アベルに完成した石鹸を褒められ、璃音は笑顔を見せた。「アベル、お客様ですよ。」「はい、今行きます。」アベルはそう言って璃音を残して作業場から出た。「お父様・・」作業場から出て行くアベルの背中を、璃音は寂しそうに見つめていた。 アベルが作業場から出て修道院の玄関ロビーへと出ると、そこには1台の馬車が停まっていた。「アベル様、ですね?」「はい。あなたは・・」「申し遅れました。わたしはカルロ、ルクレツィア伯爵家の者です。」「ルクレツィア伯爵家は・・レディー=ソフィー様はお亡くなりになられた筈では?」ルクレツィア伯爵家の者だと言うカルロに、アベルは思わず彼を見た。「ソフィー様は確かにお亡くなりになられましたが、わたし達の父・・あの子にとっては祖父にあたるルクレツィア伯爵家当主・ダヴィド様は生きておられます。」「その当主様が、璃音を引き取りたいと?」アベルの問いに、カルロは無言で頷いた。「璃音を・・呼んで参ります・・」璃音を呼びに、アベルは作業場へと戻った。生まれてからずっと、璃音とともに実の親子同様に過ごしてきたアベルだったが、こんなにも早く彼女と別れなければいけないとは。「璃音。」「お父様。その方は?」「璃音、話がある。お前のお祖父様が、お前を引き取りたいと言っているんだ。」「え・・それじゃぁ、お父様ともう一緒には暮らせないの?」気まずい沈黙が、璃音とアベルとの間に流れた。「璃音、これをお父様だと思って大事にしなさい。」アベルは自分の首に提げているロザリオを外すと、璃音の首にそれを掛けた。「お父様、いつかまた会える?」「ああ、会えるよ。」璃音は涙を流しながら、アベルに抱きついた。「どんなにお前と離れていても、心はお前の傍にいるからね。」「璃音、行きますよ。」カロルの手を不安げに握った璃音は、彼と共に馬車に乗り込んだ。「お父様、さようなら!」馬車の窓から身を乗り出し、璃音は修道院が見えなくなるまでアベルに手を振った。「璃音、元気で・・」アベルは馬車が見えなくなるまで、必死に涙を堪えた。 一方エスティール皇国では、皇帝の在位40周年を祝う式典の準備が進められていた。「ユーリ様、助かったわ。」「いいえ・・式典はいよいよ明日ですね。」「ええ。わたくしはもう休みます。」ユーフィリアはそう言うと、自室へと向かった。「ユーフィリア様、お手紙が届きました。」「そう。」自室に入ったユーフィリアは、女官の手からルディガーの手紙を受け取ると、それをソファに座って読み始めた。(ルディガー様、いよいよ明日が勝負ですわね・・)ユーフィリアはソファから立ち上がり寝室に入ると、鍵が掛けられたサイドテーブルの二段目の引き出しを開けた。そこには、正方形の箱が入っていた。「勝負は明日・・絶対に失敗できませんわね・・」 箱から拳銃を取り出すと、ユーフィリアはそれを撫でながらそう呟くと、口端を歪めて笑った。にほんブログ村
2011年04月28日
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「お休みなさい、お母様。」夕食後、羅姫はそう冬香に挨拶をしてダイニングから出て行った。「ちょっと待ちなさいよ。」部屋へと向かおうと羅姫が階段を上っている時、遥が息を切らして彼女の後を追い、羅姫の手首を掴んだ。「何かしら?」「どうしてあなたって無愛想なの? お母様もお父様もあなたのことを気にしているのに、あなたったらいつも不機嫌そうな顔ばかりして・・」「不機嫌そうな顔? それをさせているのはあなたではなくて?」遥にそう言い放った羅姫は、彼女の手を振り払うと部屋に入った。「やっぱり気に入らないわ、あの子・・」ドアの向こうへと消えてゆく羅姫の金髪を睨みつけながら、遥はそう呟いて自分の部屋へと入った。 遥とともに学校に通い始めた羅姫だったが、級友たちとおしゃべりする事も、共に遊ぶ事もなく、休憩時間は図書室で借りた本を読んでいた。「ではこの問題を羅姫さんに解いて貰いましょうか?」算術の時間、羅姫はさっと椅子から立ち上がり、黒板に書かれている計算問題をすらすらと解いた。「良く出来ましたね、羅姫さん。」「ありがとうございます。」教師に向かって頭を下げた羅姫が自分の席に戻ろうとした時、数人の級友達が聞えよがしに嫌味を言った。「すました方ねぇ。」「全く愛想がないわ。いくら学が出来てもあれじゃぁねぇ・・」女に学問など不要、必要なのは愛嬌と良い嫁ぎ先だと言われていた時代で、成績優秀で無愛想な羅姫はこの頃から教室で孤立した存在となっていた。(ただヘラヘラと笑って生きるなんて、わたしは嫌。)放課後、迎えの馬車を待っていた羅姫は、教室で図書室から新たに借りた本を読んでいた。「何を読んでいるの、羅姫さん?」突然頭上から声がして羅姫が本から顔を上げると、そこには担任の教師が優しい笑みを湛えて彼女を見ていた。「地理の本です。前に父上が夜眠る前に読み聞かせてくれたので。」「そう。羅姫さんは勉強が好きなのね。」「はい。わたしは知りたいんです、世の中の事を。学が良くて愛想がないと言われても、気にしません。」羅姫の言葉に、教師は溜息を吐いた。「羅姫さんは他の皆さんとは違うものを持っているのよ。その事を恥じずに生きることが、あなたには出来るのではないかしら?」教師の言葉を聞いた羅姫は、彼女に笑顔を浮かべた。「これからも勉強に励みます。」羅姫が本をランドセルに詰めていると、瀧丘家の執事、河野が教室に入ってきた。「お嬢様、お迎えにあがりました。」「ありがとう。では行きましょうか。」羅姫が河野とともに馬車に乗り込むと、そこには遥の姿がなかった。「遥さんはどちらに?」「遥お嬢様なら、お先にお帰りになりました。」河野とともに帰宅した羅姫がリビングに入ろうとすると、賑やかな笑い声が聞こえた。「お客様がいらしているの?」「ええ。奥様のお知り合いの方が。」養母の知り合いに挨拶をしておこうと、羅姫はリビングのドアを開けて中に入ると、そこには洋装姿の数人の女性達がソファに座っていた。「お母様、只今帰りました。」「あら羅姫さん、お帰りなさい。皆さんご紹介いたしますわ、養女の羅姫です。」「初めまして、羅姫と申します。」女性達に頭を下げると、彼女達はまるで珍獣を見るような目つきで羅姫の頭から爪先まで品定めするかのように見た。「まぁ、可愛らしい事。」「まるで西洋のお人形さんのようね。」「遥ちゃんとはまた違った可愛さねぇ。」羅姫が視線を感じて少し顔を上げると、冬香の隣で遥が恨めしそうな顔をして羅姫を睨んだかと思うと、彼女はリビングから飛び出して行った。(何よ、いつもあいつばかり!)突然現れた“新しい妹”に母の愛情を奪われてしまうと、遥は幼いながらも危惧していた。にほんブログ村
2011年04月28日
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―ユーリさん・・何処かで、蓮華の声がしてユーリが辺りを見渡すと、彼岸花の中に彼女は静かに佇んでいた。(レンゲさん・・生きていたんですね。)ユーリが安堵の表情を浮かべながら蓮華の方へと駆け寄ると、彼女はユーリを手で制した。―わたし達は行かなくてはなりません。どうか、あの悪魔を倒してくださいね。白い着物の袖を振りながら、蓮華は漆黒の髪をなびかせるとユーリに背を向けて歩き出した。(待ってください、レンゲさん!)不思議な夢から目を醒ましたユーリは、鉛のように重い身体を引き摺りながら寝台から降りた。「おはようございます、ユーリ様。」寝室にユーリ付の女官が入ってきたので、ユーリは彼女に微笑んだ。「ユーフィリア様がお呼びです。」「わかった。」女官に着替えを手伝って貰いながら、身支度を終えたユーリは寝室から出てユーフィリアの部屋へと向かった。「ユーリ様は、もうすぐ来られるかしら?」「ええ。」「そう・・」ユーフィリアはそう言うと、今朝届いたばかりのルディガーからの手紙を読み直していた。「ユーフィリア様、ユーリ様がお見えです。」「失礼致します、ユーフィリア様。」部屋に入ってきたユーリを、ユーフィリアは笑顔で迎えた。「ごめんなさいね、ユーリ様。朝早くから呼びだしてしまって。色々と相談したい事があって・・」「そうですか。相談したい事とは?」「実は、数週間後にエスティア皇国皇帝在位40周年記念式典があるの。その式典にも、ユーリ様達もご出席願えないかと思いまして・・」「ええ、是非出席させていただきます。」「そう・・ありがとう。」そう言ったユーフィリアの瞳は、妖しい光を湛えていた。「ではお母様、行って参ります。」一方、瀧丘子爵家の養女として新しい生活を送っている羅姫(らひ)は、遥(はるか)とともに小学校へ向かう為、馬車へと乗り込んだ。「羅姫さん、先に言っておくけれど、わたくしに恥をかかせないでね。」遥はそう言うなり、羅姫にそっぽを向き、その後学校に着くまで2人は何も話さなかった。 羅姫が遥とともに馬車から降りて小学校の校門へと潜ると、彼女は周りから好奇の視線を浴びた。―見て、あの髪・・―異人さんみたい・・遠巻きに羅姫を見ながらひそひそと話す女子児童達は、新参者を歓迎しようとする気が全くない事を態度に示していた。今まで鴾和家の、鬼族の里の中で暮らしてきた羅姫にとって、自分に向けられた好奇の視線には少し驚きもしたが、それに臆することは鬼族としての誇りが廃れると思ったので、胸を張って堂々と教室へと入った。「皆さん、新しいお友達を紹介しますね。瀧丘羅姫さんです。」「瀧丘羅姫です、宜しくお願いします。」羅姫は教壇に立ち級友達に向かって自己紹介したが、返ってきたのはやる気のない拍手だった。「あなた、どちらのご出身なの?」休み時間となり、羅姫の元に1人の女子児童がやって来た。「鬼族の里からです。」「そう。道理で髪や瞳の色が違うと思ったわ。」初めての学校生活は余り芳しくない結果に終わったが、羅姫はそんな事を気にもせずに、遥とともに帰宅した。「お帰りなさい、羅姫さん。学校はどうでしたか?」「余り楽しくありませんでしたけど、いずれ慣れると思います。」 淡々とした口調で学校生活初日の事を報告する羅姫を、冬香はどこか不安げな表情を浮かべていた。にほんブログ村
2011年04月27日
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翌朝、アベルと璃音は修道院で暮らし始めた。 物心ついた頃から修道院附属の孤児院で育ったので、農作業などはすぐに慣れたが、初めて土に触る璃音にとっては、些細な事でも大きな発見となった。「ねぇお父様、いつまでここに暮らすの? 伯母様のお邸は燃えてしまったのでしょう?」真紅の双眸を輝かせながら、璃音はそう言ってアベルを見た。「いつまでここで暮らせるかわからないけど、お父様はずっと璃音の傍にいるからね。」「そう・・じゃぁ、何も心配しないわ。」璃音はそう言ってアベルの手を握った。彼女と別れの時が来るなどと、アベルはまだその時は思いもしなかった。 アベルが璃音ともに修道院で新しい生活を送り始めている頃、ユーリ達も異国の王宮で新しい生活を始めていた。祖国に戻る術もないユーリ達は、ダブリスとは違うしきたりがあるエスティール宮廷での生活は気苦労が絶えず、一日が終わると同時にユーリは溜息を吐いていた。「ユーフィリア皇女様は、一体何をお考えなのでしょう? 突然ユーリ様を呼び出すなど・・」「解らない・・ユーフィリア様とは滅多に会わないし、会話も交わされないから、彼女が何を考えてわたし達をここに呼んだ理由が全く解らない。それさえ解ればいいんだけど・・」ベッドの上で欠伸をしながら、ユーリはそう言って寝返りを打った。「麗欖(れいらん)だけが宮廷に馴染んでいるようですね。ユーフィリア様もあの子を大層可愛がっておられますし。」匡惟はそう言って妻を見ると、彼女は複雑そうな表情を浮かべていた。赤の他人が我が子と親しくしていることを夫から聞かされたら、母親は心中穏やかではいられないだろう。「・・すいません、こんな話をするつもりでは・・」「いや、いいんだ。」ユーリはそう言って匡惟に背を向けた。「ユーフィリア様、ユーリ様達をここへ呼び寄せたのは何故です?」ユーフィリアはそんな女官の質問に対し、口元に笑みを浮かべた。「ユーリ様にわたくし、密かに憧れておりましたの。滅多にお会いする事が出来ない方だけれど、今は違う。わたくしはこれから、ユーリ様に色々な事を学べるわ。そう思わない事?」皇女の澄んだ紫紺の瞳を見つめながら女官は静かに頷いたが、主の本心は解らぬままだった。「もう休みます。お前達は下がって。」「お休みなさいませ、ユーフィリア様。」女官達が部屋から出て行くと、ユーフィリアは先程届いたルディガーからの手紙を読み始めた。「計画は、順調そうですわね・・」ユーフィリアはそう呟くと、手紙を蝋燭で燃やした。炎に仄かに照らされた彼女の顔は、少し歪んでいた。「ユーフィリア様からお手紙が届きましたわ。」「そうか。」ルディガーは妻・羅姫の手からユーフィリアの手紙を受け取ると、それに目を通した。「ユーフィリア様はなんと?」「君が気にする内容ではないよ。それよりも羅姫、そろそろ結婚式の準備をしなければね。お腹が目立たない内に。」「ええ、そうですわね。」羅姫はそう言ってそっとまだ膨らんでいない下腹を擦った。「ねぇルディガー様、蓮華達は今どうしているのかしら?」「さぁ・・元気にしているだろうね。」ルディガーは羅姫にはまだ、蓮華達に罪を被せた事を話していなかった。(羅姫、君は何も心配は要らないよ。わたしが居る限り、わたし達の敵は完全に排除する。)隣で眠る妻の髪を梳きながら、ルディガーは次の計画の為に動こうとしていた。(ユーフィリア、君は使えそうだ。このまま何とか上手くユーリを騙してくれよ・・)異国の協力者に向かってルディガーは密かに呟くと、眠りに就いた。にほんブログ村
2011年04月27日
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「待っていたよ、“龍の炎”よ。」老人はそう言ってアベルの方へと一歩近づくと、彼の前髪を掻き上げた。その額には、あの奇妙な文様が現れていた。「やはり、あなたが“龍の炎”でしたか。」アベルの額を見つめながら、アンドリューは驚愕の表情を浮かべた。「あなた方は何者なのですか?」「わしらはマリナラル・・かつて異端とされ、処刑された神の子孫じゃ。」老人はアベルの額にそっと触れると、彼から離れていった。「人魚の末裔も、そこにおるのか。」「璃音とあなた方には、何か関係があるのですか? それにアンドリューさん、どうしてレディー=ソフィーを・・」「君の質問に丁寧に答えるとしましょう、アベル。その前に夕食にしませんか? ルクレツィア伯爵邸を出てから何も食べていないでしょう?」(何か妖しい・・)アンドリューと謎の老人の解せない態度に疑惑を抱きながらも、アベルは璃音の手をひいて彼らと共に食堂へと向かった。 修道院の食事なのだからさぞや粗末なものかと思いきや、食卓に出てきたのは熟成されたハムやチーズ、バター、葡萄酒などの豪勢な食事だった。「アベル、あなたは確か修道院附属の孤児院で育ちましたね?」「ええ。それが何か?」「あなたは知りたくないですか? 何故突然あなたが、“龍の炎”を使えるようになったのか。そして、何故“彼女”があなたに人魚の末裔を託したのか。」思わず魂を吸い取られそうなアンドリューの勿忘草色の瞳を、アベルはじっと見つめていた。彼は深呼吸すると、ゆっくりと口を開いた。「あなたが何かを知っているというのなら、わたしは真実を聞かなければなりません。」「そうですか・・長い話になりますが・・」アベルの言葉を聞いたアンドリューは、老人に目配せした。「わしがそなたに一度だけ、真実を話そう。」微かに食堂内を照らす燭台の炎が揺らめいた。 夜の帳が下りると、提灯の仄かな光が活気で賑わう花街を照らす。置屋や揚屋がひしめく通りで、香欖(からん)はある置屋の下働きとして独楽鼠のように働いていた。「香欖、ちょっときぃ。」置屋の女将がそう言って白魚のような手をひらひらと振りながら香欖に手招きした。「あの、何かご用でしょうか?」「このままお前を下働きとして置屋に置いてゆく訳にもいかへんし、明日からうちの仕込みとして芸事の稽古を受けよし。」「え・・」「あんたは光る子やと、置屋の暖簾をくぐったあんたを見た時から解ったんや。あんたは下働きには勿体ない子や。」両親を亡くし、訳も分からぬまま姉と逸れ、途方に暮れていたところを人買いに攫われ、この置屋へと連れて来られた香欖は、未だ状況が掴めないでいた。「あんたが芸事に励んで、有名になったら、別れた姉さんも見つかるんと違う?」女将の言葉に、幼い香欖の心が決まった。「解りました。明日から芸事に励みます。」(姉上、いつかきっと会えるよね?)部屋の格子窓から見える月を眺めながら、香欖は離ればなれとなった姉を想った。「お父様、これからわたしたち、どうなるの?」夕食の後、アンドリュー達から用意された部屋に入った璃音は、そう言って不安そうにアベルを見た。「大丈夫、お父様がついているから、璃音は何も心配しなくてもいいよ。」「うん・・」眠りに就いた璃音の髪をそっと撫でながら、アベルは溜息を吐いた。これから先の生活がどうなるのか、アベルにも解らない。だが璃音の前では、不安がっている顔をしてはいけない。彼女を守れるのは、自分だけなのだから。(しっかりしなければ・・)にほんブログ村
2011年04月26日
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「大丈夫ですか、ユーリ様?」「ん・・」匡惟の声で、ユーリは目を覚ました。(確かわたしは、急に倒れて・・)「匡惟、ユーフィリア様は?」「皇女様ならお部屋にいらっしゃいます。それよりもこれからどうなさいますか?」匡惟はそう言って、ユーリを見た。「どうって・・ダブリスに戻るに決まっている。そして兄様にお会いする。」「ダブリスに戻ることは無理です。先ほどダブリス側の国境が封鎖されたとの知らせを使者から聞きました。」国境が封鎖されたということは、それほど疫病が国中で猛威をふるっているということか。今すぐルディガーと会って、彼に問い質したいことが沢山あったが、彼に会う前に二度と故郷の土を踏めぬ事を知ったユーリは、溜息を吐いた。「ユーリ様、ユーフィリア様がお呼びです。」「解りました、すぐに参ります。」今後の事を考え始めながら、ユーリはユーフィリアの元へと向かった。「ユーリ様、先程は倒れられましたけれど大丈夫ですか?」「はい。それよりもユーフィリア様、ダブリス側の国境が封鎖されたというのは本当の事でしょうか?」「ええ。疫病はもうダブリス中に猛威を振るい、リヒトの街は一面焼け野原になったとか。恐らくそれも悪魔の仕業でしょうね。」ユーフィリアは紫紺の瞳を曇らせながら、庭園の中を歩き始めた。「ユーフィリア様、ルディガー皇太子様は・・わたしの兄です。」「知っております。ルディガー皇太子様は一体何をお考えなのでしょうね?」「それは・・わたしにも解りません。」ユーリにとってただ一つ解るのは、ルディガーが完全に常軌を逸しているということだけだった。「足元に気をつけて歩きなさい。」一方アベルと璃音は、アンドリューとその部下から背後に剣を突き付けられながら、リヒトの地下通路を歩いていた。「一体わたし達を何処へ連れて行くつもりです?」「行けば解ります。後少しで出口です。」暗闇の中をアベル達は歩き続けると、やがて地下通路の出口へと出た。そこには、蔦に覆われた修道院が建っていた。「ここは・・?」「ちょっと失礼。」アンドリューはそう言ってアベルの前に出ると、首に提げていた鍵を取り出し、十字を切った。すると古びた扉が軋んだ音を立てながら開いた。「お父様、怖いよ・・」不気味な風音に怯えながら、璃音はアベルの腰にしがみ付いた。「大丈夫、お父様がついているからね。」「こちらです。」アンドリューとその仲間が靴音を響かせながら修道院内へと入っていき、アベルは璃音の手を繋ぎながら慌てて彼らの後を追った。荒れ果てた外観とは違い、修道院内の大理石の床は鏡のように磨きあげられ、中庭の芝生も綺麗に刈り込まれている。「ここは、一体何処なのですか?」「ここはわたし達の家です。“お父様”があなたにお会いしたいとおっしゃるので、少々手荒な事をいたしましたが、こちらに連れて参りました。」アンドリューはそう言って笑みを浮かべたが、夜会の時に浮かべたものとは違うものだと、アベルは感じた。暗い感情を押し隠したかのような笑みを浮かべながら、アンドリューは修道院の最奥部にある部屋の前で止まった。「“龍の炎”と人魚の末裔の娘を連れて参りました。」「よろしい、入りなさい。」重厚な扉の向こうから、しわがれた老人の声が聞こえた。「失礼致します。」アンドリューとアベル達が部屋の中へと入ると、窓際に立つ老人がゆっくりと彼らの方を振り向いた。 老人の瞳は、アンドリュー達と同じ勿忘草色だった。にほんブログ村
2011年04月26日
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「ん・・」羅姫(らひ)が目をゆっくりと開けると、そこにはレースの天蓋がかかった寝台の上だった。「気が付かれましたか?」ドアが静かに開くとともに、女中が部屋に入ってきた。「ここは、何処?」「旦那様を呼んで参ります。」女中は羅姫の質問には答えずにそう言うと、部屋から出て行った。「ねぇあなた、あの子はもしかして、鴾和家の・・」「そうかもしれないな。あの子は追手から逃げる途中に崖から落ちたのだろうな。」「これからどうなさるおつもりですの? あの子は親兄弟を亡くしているのでしょう? うちの養女にするしかありませんわ。」「そうだな。これも主がわたし達とあの子をひき会わせたのかもしれないな。」晃之介がそう言って溜息を吐くと、女中が部屋に入って来た。「旦那様、あの子がお目覚めになりました。」「解った。冬香、君も来てくれ。」「ええ、あなた。」夫の部屋を出た冬香は、鴾和家の姫・羅姫が眠る部屋へと向かった。(一体此処は何処なの?)その頃羅姫は、自分が寝かされている寝台から部屋の内装を見渡しながら、鴾和家の寝殿造りとは違う趣の部屋でありながら、ここが上流階級に属する者の邸である事に理解した。「失礼致します。」部屋には先程の女中が入って来た。「旦那様と奥様がお見えです。」彼女はそれを言うと、部屋から出て行った。その後、背広姿の男性と、洋装姿の女性が入って来た。「あなたが、羅姫さんね?」「はい。わたくしは鴾和家の姫、羅姫です。助けて頂いてありがとうございます。」羅姫は女性に礼を言うと、彼女に頭を下げた。「わたくしは瀧丘冬香と申します。こちらは主人の晃之介よ。羅姫さん、これからあなたは瀧丘家の養女としてわたくし達と暮らしましょう。」「奥様の養女ということは、わたしはあなた方の家族になっても良いのでしょうか?」羅姫の問いに、洋装の女性―冬香はにっこりと笑った。「ええ、そうよ。これから宜しくね、羅姫さん。」この瞬間、羅姫の新しい人生が始まった。 その夜、彼女は瀧丘子爵家のダイニングルームで晃之介夫妻とその子ども達とともに夕食を取った。「お母様、その子だぁれ?」遥は突然現れた金髪の少女をじろりと睨みながら、そう言って両親を見た。「この子は羅姫さん。あなたの新しい妹よ。」「ふぅん、そうなの・・」羅姫は遥の敵意に満ちた視線を感じながらも、振り袖を着ながらもピンと背筋を伸ばしてワイングラスの水を優雅に飲んだ。 純和風の邸宅に住みながらも、香や鴾和家の者達は時間さえあれば羅姫と香欖に西洋のテーブルマナーをはじめ、礼儀作法や舞踏、刺繍やピアノなどの教養や、武術などを厳しく叩き込んでいた。それは、鴾和家の跡をいずれ継ぐ娘達が社交場に出ても恥を掻かぬようにとの親の想いからだったのだろう。それらが今確実に自分の中に生きていると、羅姫は感じた。「この子が、僕の新しいお姉様になるの?」冬香の隣に座っていた涼太が、円らな瞳を輝かせながら羅姫を見た。「ええ、そうよ。仲良くしてあげてね、涼太。」「よろしくね、お姉様。」「こちらこそ。」夕食の後、羅姫は用意された部屋の寝台に入り、ただじっと天井を見つめていた。その時初めて、両親が永遠にいなくなってしまった事を、彼女は解ったのだった。にほんブログ村
2011年04月25日
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夜明け前の山道を、一台の馬車が走っていた。 そこには瀧丘家(たつおかけ)の主、晃之介とその妻・冬香、そして彼らの子ども達である娘の遥と、息子の涼太が乗っていた。彼らは親戚の法事が終わり、この山道を抜けて帰路へとついている途中だった。「お母様、川に何か浮かんでるよ。」涼太がそう言って窓の外に流れる川を指した。「馬車を停めろ。」御者にそう命じるなり、晃之介は馬車から降りて川へと向かった。滔々(とうとう)と流れる川に、小さな少女の身体が浮き沈みを繰り返していた。晃之介は服が濡れるのも構わず川へと入り、少女を川から救い出した。「おい、しっかりしろ、おい!」彼が少女の頬を叩くと、彼女は薄らと蒼い瞳を開いた。「袋・・袋は・・?」晃之介は少女が首に提げている袋を見た。あの中には何か大切な物が入っているのであろう。「大丈夫、あるよ。」「あなたは・・」「こんなに濡れているね、可哀想に。」晃之介は寒さで震える少女の身体に自分が纏っていた羅紗織のコートで包むと、馬車の中へと戻って行った。「あらあなた、その子は?」「川で溺れていたんだ。」「まぁ、こんなに冷えて。それに全身傷だらけ・・きっとあそこの崖から落ちたのだわ。」冬香はそっと少女の頬を撫でた。「お母様、この子どうなさるの?」「それはお父様がお決めになることですよ。」馬車は再び動き出し、やがて山道を抜けた。 一方、ユーリと匡惟はエスティール皇国第二皇女・ユーフィリアと向き合うようにソファに座っていた。「その・・本当なんですか? ルディガー兄様が悪魔と契約し、ダブリスを滅ぼそうとしていると?」「ええ。今回の疫病は悪魔の仕業です。そしてあの方は・・ルディガー様は疫病を広めた罪をあなたの大切な友人に着せようとなさっているのです。」ユーリの脳裡に、香と蓮華の顔が浮かんだ。(まさか・・そんな・・)「ユーフィリア様、失礼致します。」「お入りなさい。」部屋に入って来た女官の顔が少し蒼褪めていて、ユーリは何か悪い知らせがあると感じた。「実は・・鬼族の里の者が、疫病を蔓延させたという罪で一族郎党処刑されたと。」「そんな・・」鬼族の里に滞在していた頃、香と蓮華は何かと妊娠中のユーリの体調を気遣ってくれ、良くしてくれていた。友人達が無実の罪を着せられ、処刑されたことを知った彼女はソファから立ち上がろうとしたが、その途端に気を失ってしまった。 隣で妻が顔を蒼褪めて鬼族の一族が処刑されたという知らせを受けているのを見た匡惟も、俄かに信じられなかった。ただ一つ解っているのは、ルディガーがダブリスを崩壊させようとしていることだ。「行かなければ・・鬼族の里に・・」ユーリはそう呟くなり、ソファから立ち上がると覚束ない足取りで扉へと向かったが、その身体は床に崩れ落ちた。「ユーリ様、お気を確かに!」「誰か、お医者様を!」女官達が慌てふためく中、ユーフィリアだけ平然とした様子で紅茶を飲んでいた。「どうなさったのかしら、ユーリ様?」目の前でユーリが倒れたというのに、平然としている皇女を、匡惟は思わず睨みつけた。にほんブログ村
2011年04月25日
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「敵の手にかかることなく自害して果てたか・・」馬から降りた敵兵は、互いに抱き合うような形をして果てている香と蓮華を見つめた。 金色の睫毛に縁取られた蒼い瞳は、もう開くことはないと知りつつも、鬼族の次期頭領である香がまだ死んでいないように思えた。彼はちらりと喉元を蓮華に切り裂かれ、息絶えた大将の遺体に転がっている懐剣を拾い上げ、白銀の刃を濡らしている血を懐紙で拭うと、刀身を鞘に納めた。「浅野殿!」「敵は自害して果てた。撤収せよ。」「はい・・それは・・」小姓の視線が、男が握っている懐剣へと移った。「この懐剣は我らのものではない。いずれ元の持ち主に返す日が来るまで、わしが預かっておく。」「は・・」「ゆくぞ、もうここには用はない。」再び馬に乗った男とその小姓は、鴾和邸から立ち去った。 同じ頃、高台へと女房達や里の者達とともに避難した羅姫達は、そこから鴾和邸が炎上し崩れ落ちるさまを見た。「父上、母上・・」羅姫は涙を堪えながら、血が出る程に唇を強く噛み締めた。その時、上空から羽音が聞こえたかと思うと、一羽の鷹が彼女の前に舞い降りた。(この鷹は、父上の・・)鷹の首に何かがぶら下がっていることに気づいた羅姫は、それを鷹の首から外して袋の口を開けた。そこには母・蓮華が愛用していた簪と、両親の結婚指輪が入っていた。「姉上、どうして泣いているの?」弟の言葉で、羅姫は初めて自分が泣いていることに気づいた。「何でもない・・」彼女はギュッと、両親の形見が入った袋を握り締めた。「羅姫様、香欖様、参りましょう。」「解ったわ。」(父上、母上、もう泣きません。鬼族としての誇りを持って生きてゆきます。)女房達と里の者達とともに、羅姫と香欖が山を下っていると、遠くから地鳴りのような蹄の音が聞こえた。(何?)「姉上!」馬の嘶きとともに、老人や子ども達の泣き叫ぶ声と、刀で肉を切り裂く音が風に乗って聞こえた。「香欖様、羅姫様、早うお逃げくだされ!」状況が解らずに呆然と立ち尽くしている羅姫達の手を、鴾和家の女房が引っ張った。「退け、女。わしらはお主が隠しておる子らに用がある。」「お願いです、どうか羅姫様は・・羅姫様達はお助けを!」女房は羅姫達を敵の手に渡すまいと彼女達を守るように立ち塞がったが、敵は躊躇いなく刃を女房の首に突き刺した。「お逃げ・・くだされ・・」女房は口端から血を流しながらも、羅姫達に微笑んだ。「香欖、行こう。」羅姫は恐怖に震えている香欖の手を握り、恐怖で委えている足を何とか奮い立たせると、袋を握り締めてその場から逃げた。「逃がすな、追え!」「矢だ、矢を射て!」キリリと、敵兵が矢をつがえる音が背後から聞こえ、羅姫と香欖は我武者羅に暗闇の中を走った。「香欖、大丈夫だから・・」羅姫がそう言って隣に居る弟を見ると、彼は敵兵の矢に射たれ、地面にゆっくりと倒れていった。「香欖、しっかりして!」「殺すな、生け捕りにしろ!」敵兵の声がすぐ近くで聞こえ、羅姫は弟をその場に残して再び走り出した。(ここまで来れば、もう・・)敵兵の声と彼らが持っている松明の炎が見えなくなるのを確認した羅姫がほっと安堵の溜息を吐いた瞬間、彼女の足元の地面が崩れ、彼女は崖から川へと真っ逆様に落ちていった。にほんブログ村
2011年04月24日
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「父様、母様!」 香と蓮華が次々と斬りかかっている敵を迎え撃っていると、遠くから子ども達の声がしたかと思うと、彼らは自分達のすぐ傍に立っていた。「羅姫(らひ)、香欖(からん)、来てはなりません!」蓮華は自分達に駆け寄ってきた双子にそう叫ぶと、彼らを睨んだ。「だって、わたし達だけ逃げるなんて出来ません!」「そうです父上、わたし達も戦って・・」「駄目です、お前達は逃げなさい。逃げて、生き延びなさい。」蓮華は腰を屈め、息子と娘にそう優しく諭すと、彼らの小さな背中を押した。「父様・・母様・・」炎に照らされた両親の黒髪と金髪は、禍々しい光を放っていた。「お前達は生きなければならない。鴾和の血を途絶えさせては・・鬼族としての誇りを途絶えさせてはいけないんだ。だから・・」香はゆっくりと振り向き、羅姫と香欖の頭を交互に撫でた。「俺達の生き様を、鬼族としての誇りをしっかりと目に焼き付けて逃げろ。」「父様、母様・・ここでお別れです。」羅姫は涙を袖口で拭い、両親に別れを告げ、弟の手を引いて邸から出た。「羅姫様、香欖様、ここにおられましたか! さぁ早う、高台へ!」邸から出てきた女房達は羅姫と香欖の手をそれぞれ引きながら、高台へと向かおうとしたが、香欖は足が地面に貼り付けられたように全く動こうとしなかった。「嫌だ・・父様と母様が・・」香欖は、燃え盛る邸の中へと入ろうとしていたが、羅姫が彼の頬を叩いた。「今は耐えるのです! 耐えて生き抜くのです!」真紅の瞳を涙で潤ませながら、香欖は邸から背を向けて姉達の方へと向かった。 邸の中では敵の断末魔と血煙が上がり、蓮華と香が握る刀は血と脂に塗れて重くなっていた。「蓮華、大丈夫か?」「ええ・・何とか・・」全身に返り血を浴びた彼らは、肩で息をしながら互いの背中を預けた。互いの息を合わせ今まで敵を斬って来た2人だったが、最早体力も限界が来ていた。彼らはここが己の死に場所だと、悟っていた。「香様、覚えておられますか? 昔、あの池で夏になると姉とわたくしと香様と3人で泳いでおりましたね。」「ああ、女房達や父上達にこっぴどく叱られたものだったな・・あの頃が一番、楽しかったな・・」「ええ・・あの子達は、これからどうなるんでしょうか? 楽しい思い出も作れずに、申し訳ないです・・」「何を言う。あの子達なら大丈夫だ。俺達の子だからな。」香はそう言うと、口笛を鳴らした。すると上空に旋回していた鷹がひらりと彼の腕に舞い降りた。「これを子ども達に。頼んだぞ。」香は鷹の首に袋を提げさせると、鷹は甲高く鳴いて再び上空へと飛んでいった。彼が鷹の姿が徐々に見えなくなっていくのを見届けていた時、背後の茂みから敵の残党が飛びかかって来た。「香様!」蓮華は敵の首に刃をめり込ませ、その返り血が白い顔を緋に染めた。「済まない、蓮華。」「何をおっしゃいます、わたくしはあなたの妻。今わの際までお供致します。」蓮華がそう言って香に微笑んだ時、香の脇腹を銃弾が貫いた。「香様!」「疫病を広めた忌まわしき鬼め、ここで成敗してくれる!」陣羽織の裾を翻しながら夫に向かって白刃を振り下ろす敵大将の喉元を、蓮華は懐剣で切り裂いた。「魔物め!」2発の銃弾が蓮華の首を襲い、彼女は吐血して香の腕の中で絶命した。「蓮華、お前を独りには死なせぬ・・」香はそっと絶命した妻の目を優しく閉じると、刃を頸動脈に突き立てた。朦朧とする意識の中で、香はかつてここで過ごした懐かしい日々を思い出していた。(羅姫・・香欖、済まない・・)宝石のような美しい蒼い瞳をゆっくりと閉じ、香は妻とともに27の短い生涯を終えた。にほんブログ村
2011年04月23日
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「やっと見つけた、人魚の末裔を。」 勿忘草色の瞳を狂気で輝かせながら、アンドリューはアベルの背後に隠れ、恐怖に震えている璃音を見つめた。「いや・・来ないで・・」「怖がることはありませんよ。」アンドリューはそう言うと、何かの印を結んだ。その途端、璃音の小さな身体は誰かに突き飛ばされたかのように床へと吹っ飛んだ。「璃音!」「彼女を助けたければわたしと来るのです。」アンドリューは壁にぶつかり痛みで呻く璃音を見ながら、アベルの方へと向き直った。「一体あの子に何をした!?」「煩い口ですね。暫く黙って頂きましょうか。」そう言うなりアンドリューはアベルの鳩尾を拳で殴った。(ユーリ様・・)意識を失う前、アベルは愛しい人の名を呼んだ。(今、誰かに名を呼ばれたような気が・・)一方、ユーリは夫と息子と共にエスティール皇国第二皇女・ユーフィリアに謁見する為に兵士に引率され、彼女の部屋へと向かっていた。「どうされましたか、ユーリ様?」眠っている息子を肩に担ぎながら、匡惟は妻が突然歩みを止めたことに気づいた。「いや・・さっき誰かに呼ばれたような気がして・・」「気のせいでしょう。」「いや、確かに・・」その時、部屋の扉の両脇を固めていた警備兵達がゆっくりと扉を開いたので、ユーリ達は慌てて部屋の中へと入った。「ユーフィリア様、ダブリスのユーリ様がお見えになられました。」「そうですか、お前達はもう下がりなさい。」久しぶりに聞いたユーフィリア皇女の声は、何処か嬉しそうな様子だった。ユーリ達がゆっくりと顔を上げると、そこには薄紅色の長い髪を結いあげたユーフィリア皇女が、宝石のような紫紺の瞳を輝かせながら彼らを見つめていた。「お久しぶりです、ユーフィリア様。こちらはわたくしの夫の匡惟と、息子の麗欖(れいらん)です。」「まぁ、可愛いこと。」「ユーフィリア様、わたくしに何故お会いしたいのですか?」「実は、この世界が滅びるかもしれないのです。」ユーフィリアはそう言って、窓の外を見た。「この世界が、滅びる?」ユーリの美しい眦が上がり、隣に立っていた匡惟も険しい表情を浮かべた。「ええ。あなたのお兄様・・ルディガーは悪魔と契約し、ダブリスの国民を殺そうとしているのです。」2人は、皇女の言葉を聞き絶句した。(ルディガー兄様・・)ユーリの脳裡に、幽閉される前に王宮でルディガーと過ごした楽しい幼少期の光景が浮かんだ。(どうして、わたし達は何処かで間違ってしまったのでしょうか・・) ダブリス王国の首都・リヒトの街は紅蓮の炎に包まれ、人々は逃げ惑いながらも炎の渦に巻き込まれて命を落とした。王宮から少し離れた大聖堂の尖塔の上に腰掛けながら、漆黒の羽根を畳んだリュミエルは、口端を歪めて笑った。「愚かな人間どもよ、燃えてしまえ。」「まぁ、綺麗です事。」「そうだろう、羅姫。この炎はわたし達の未来を照らす祝福の炎だ。」ルディガーは狂気に彩られた蒼い瞳を煌めかせながら、眼下に広がる炎を嬉しそうに見下ろしていた。 悪魔が放った業火は一晩でリヒトの街を焼き尽くし、その炎は鬼族の里にまで伸びようとしていた。「皆の者、高台に逃げよ!」「早うお逃げなさい!」里の者達を安全な場所へと避難させながら、蓮華と香は共に背中を預けて向かい来る敵へと刃を振るっていた。「父様、母様!」女房達に連れられて邸を出ようとしていた2人の子、羅姫と香欖(こうらん)は両親の元へと駆け寄ろうとしたが、女房達に止められた。にほんブログ村
2011年04月23日
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ダブリス王国を離れたユーリ達を乗せた馬車は、東へと向かっていた。「あの・・ここは何処ですか?」「ここはダブリスの隣国・エスティール皇国です。此処まで行けば疫病に罹ることはないでしょう。」兵士はそう言うと、ユーリに微笑んだ。「わざわざ送っていただき、ありがとうございます。」「いいえ、わたしは仕事をしたまでですから。ユーリ様方に会いたいとおっしゃるお方がおられまして・・」「わたしに会いたい方というのは?」「エスティール皇国第二皇女・ユーフィリア様です。」「ユーフィリア様が、わたしに?」ユーリの脳裡に、数年前の出来事が浮かんだ。 エスティール皇国第二皇女・ユーフィリアとは宮殿で開かれた舞踏会で数回会った事があるが、会話を一言二言交わしただけで、余り彼女とは親しくなかった。「はい。なのでこのままユーリ様方には皇宮に入っていただきます。」ユーフィリアは何故今になって、自分に会いたいと言い出したのだろうか?その理由は何なのかユーリが考え始めている間、馬車は皇宮の美しく装飾された白亜の門の下を潜った。「そうか、疫病がとうとう国中に広がったか・・」一方ダブリスでは、王宮のバルコニーからリヒトの街を見下ろしていたルディーガがそう言って背後に控えている悪魔の言葉を聞き、口元を歪めて笑った。「はい。どうされるおつもりですか?」ルディガーはゆっくりと悪魔に振り向くと、そっと彼の頬を撫でた。「街を焼き尽くせ。全員殺せ、1人たりとも逃がすな。」「御意。」悪魔は漆黒の羽根を広げると、外へと飛び立っていった。「行くぞ、我が妻よ。」「はい、あなた。」ルディガーが差し出した手を、羅姫はそっと握ると彼と共に部屋を出た。(何だか嫌な空だな・・)アベルがルクレツィア伯爵邸に用意された部屋の窓から空を見上げながらそう思っていると、部屋に璃音が入って来た。「お父様、嫌な空ね。」「ああ。どうしたの、璃音?」「あのね・・」璃音が口を開こうとした時、階下から突然悲鳴が聞こえた。「璃音、ここにいなさい。」「わかったわ。」アベルが階下に降りて悲鳴が聞こえた居間に入ると、そこには男の生首が転がり、レースのカーテンには赤黒い血が飛び散っていた。「一体何が・・」蒼褪めているレディー=ソフィーの方へと駆け寄ろうとしたアベルは、彼女の傍に首のない男の死体を見つけた。耳元で、冷たい音がした。「神よ、どうか我らをお救いくださ・・」レディー=ソフィーが祈りの言葉を捧げようとした時、彼女の喉元を白銀の刃が貫いた。「アンドリューさん・・どうして・・?」サーベルを握り締めている男の名をアベルが呼ぶと、彼―アンドリューはゆっくりとアベルの方へと振り向き、レディー=ソフィーの喉元から白銀の刃を抜いた。レディー=ソフィーは糸が切れた操り人形のように床に崩れ落ちた。「見られてしまいましたね。あなたにだけはこんな姿を見られたくはなかったのに。」アンドリューはそう言うと、刃を濡らす緋の血をペロリと舐めた。その瞳は、禍々しい光を湛えていた。「どうして・・こんな事を・・」「さぁ、自分でもよく解りません。」口端を上げて笑ったアンドリューは、ゆっくりとアベルの方へと近づいてきた。「お父様?」ドアが軋む音がして、璃音が居間に入って来た。彼女は目の前に広がる惨状を見て悲鳴を上げた。「彼女が、人魚の末裔ですね?」アンドリューの狂気じみた視線が、アベルから璃音へと移った。にほんブログ村
2011年04月22日
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激しい剣戟の音が、死の宮殿内に響いた。「随分と弱いのね。」そう言ってドレスの裾を翻しながら、羅姫は香を見た。彼の結い上げられた髪は崩れ、漆黒のドレスは血で赤黒く滲んでいた。「羅姫・・お前は・・あの男を・・親殺しの男を愛しているのか?」「ええ、とっても。わたくしを甦らせてくださったんですもの。」羅姫は優雅に微笑むと、香を見つめた。「わたくし、まだ死にたくはなかったの。美しく若い時にどうしてわたくしが死ななければならなかったのか、何故死んでしまったのかが解らなくて、暫く彼岸に呆然と立ち尽くしていたわ。そんな時、あの方が手を差し伸べてくださったの。」うっとりとした表情を浮かべながらルディガーとの出逢いを語る羅姫の顔を見ながら、香は胸が張り裂けそうだった。既に死んだ彼女が甦って目の前に居るというのに、当の彼女は他の男を想っている。(もう羅姫とは終わったんだ。しっかりしろ!)自分を叱咤した香は、剣の切っ先を羅姫に向け、突進した。彼女の胸に、香の刃が深々と突き刺さった。「どうして・・香様・・」紅の瞳を驚きで大きく見開かせながら、羅姫は生前愛した男を見つめ、彼の手を握ろうとした。だが香は廊下に倒れた羅姫を放置し、そのまま宮殿から出て行った。「羅姫、しっかりしろ、羅姫!」胸に剣が突き刺さったままの妻を抱き上げ、ルディガーは慌てて彼女を医者の元へと連れていった。「お帰りなさいませ、香様。まぁ、一体どうなさったんですの!?」「あちこち血だらけではありませんか!?」鴾和邸へと香が戻ると、彼の姿を見た女房達が悲鳴を上げ、慌ただしく衣擦れの音を立てながら廊下を走って行った。「香様・・」「蓮華、宮殿で羅姫に会った。」香がそう妻に告げると、彼女は蒼褪めた。「姉様が、宮殿に? それは本当ですの?」「ああ。ルディガーが羅姫を甦らせたらしい。悪魔と契約してな。」「では最近の疫病も、国王の死も全て、悪魔が関わっているんですね?」「恐らくそうだろう。俺はユーリが心配だ。あいつも疫病に罹らなければいいが・・」香の嫌な予感は的中し、ユーリは疫病に罹り、床に臥せっていた。全身に広がる謎の発疹と、高熱が彼女に襲い掛かり、ユーリは呼吸をすることがやっとの状態だった。「どうすれば妻の病は治りますか?」「まだ疫病の原因が掴めていないので、なんとも言えません。」医師はそう言って申し訳なさそうに匡惟に向かって頭を下げると、家から出て行った。「母様、死んじゃ嫌だ~!」麗欖はユーリの枕元でそう叫ぶと、彼女の手を掴んだ。「大丈夫、母様は死なないから。」ユーリが息子の頭を撫でていると、外から蹄の音が聞こえたかと思うと、軍服に身を包んだ数人の男が家の中に入って来た。「何だ、貴様ら!」匡惟がユーリと麗欖を庇うように男達と彼らの間に立つと、男の1人がじっと匡惟を見た。「あなたは、土御門匡惟様ですね?」「ああ、そうだが、貴殿らは?」「わたくし達は摩於様の命により参った者です。今すぐ妻子を連れてここから離れてください。」「だが妻は病気で動けぬ。」「この街に居る限り、奥方様の病は治りませぬ。」男の言葉に首を傾げた匡惟だったが、彼の言葉に従い匡惟達は荷物を纏め家を出ると、家の前には馬車が停まっていた。「父様、これから何処行くの?」「さぁ、わからない。でも大丈夫、母様の病気は治るから。」匡惟達を乗せた馬車はやがてダブリス王国を離れた。するとユーリの肌から謎の発疹が突然消えた。「ユーリ様、もう大丈夫ですか?」「ああ。」にほんブログ村
2011年04月20日
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「お前は・・死んだ筈じゃ・・」「何をおっしゃっているの?」羅姫(らひ)はそう言って、香に再び微笑んだ。その笑顔は、彼女が生前自分に向けて何度も浮かべたものだった。あの頃は可愛いとさえ思っていた笑顔が、今では不気味なものに見えてならない。夜風になびく金髪も、レースをふんだんに使ったアイボリーのドレスも、全て禍々しく見える。常世の者でなければ、香は以前と同じような目で羅姫を見られただろうか?「あなたは彼女が死んだと思っていらっしゃるのですか?」不意に背後から声が聞こえて振り向くと、そこには黒い羽根を広げたリュミエルが立っていた。「何故、彼女が・・死んだ筈の羅姫が此処に居る!?」「それは、主が望んだからです。」リュミエルはちらりとルディガーを見た。「主は、彼女を常世から生き返らせ、自分の妃に望まれた。故に、ここは死の宮殿と化したのです。」「そうか・・そういうことか。」香はそう言うと、ルディガーを睨んだ。「お前は恋人を殺した者達の復讐を果たす為に、父親を殺したのか!」「ご名答。流石鬼族の若様だ。君とお手合わせ願いたいところだが、生憎わたしは忙しくてね。彼女に相手をして貰おう。」ルディガーは香に背を向けると、闇の中へと消えた。「宜しくお願いしますね。」「羅姫・・」優雅に自分に向かって礼をする羅姫を、香は何処か悲しそうな目で見つめた。(お前を忘れようと前に進もうとしている時に限って何故、俺は・・)「今夜は素敵に殺し合いましょうね。」羅姫はそう言って花が綻ぶかのような笑顔を浮かべた。昔、香達と共に過ごした頃によく浮かべていたものと同じ笑顔を。「ありがとうございました。」ルクレツィア伯爵邸の前で馬から降りたアベルは、そう言ってアンドリューに頭を下げた。「今夜はとても楽しかったです。お休みなさい。」アンドリューはアベルの前に跪くと、アデルの手の甲に接吻した。(アンドリューさん、素敵な方だった。)闇の中へとアンドリューの銀髪が煌めき、それが次第に遠くなってゆくまで、アベルは彼の背中を見送っていた。「ただいま戻りました。」「お帰りなさい。今夜は遅かったから、ドレスを脱いでお風呂に浸かってゆっくりとお休みなさいな。」「はい・・」レディー=ソフィー付きのメイドの手によってドレスを脱がされ、下着姿となったアベルは浴室に入った。「アベル様、今夜は素敵な殿方とお会いになられたのですか?」「ええ。アンドリュー様という方と。何でも彼はサフィア出身だとか。」「サフィア出身・・ですか?」タオルを持っていたメイドの顔が急に強張った。「何か問題でも?」「サフィアといえば、疫病が発生した地域に近い所ですわ。噂では、マリナラルの呪いとか。」「呪いなど、ある訳がないでしょう?」アベルはメイドの言葉を鼻で笑ったが、彼女は本気で呪いを信じているようだ。「余り関わりにならない方がよろしいですわ。」メイドはそう言うと、浴室から出て行った。 アンドリューは夜の街を馬で駆けていた。彼の脳裡には、舞踏会で会った黒髪の令嬢の姿が何度も浮かんだ。「今夜はいい出逢いがあったみたいだね?」頭上から声がしたかと思うと、銀髪の少年がアンドリューの前に現れた。「またそんな格好でうろついていたのか。」「いいじゃない、別に。それよりも鬼族の若様と宮殿で会ったよ。」少年はそう言って笑うと、アンドリューの前から姿を消した。にほんブログ村
2011年03月30日
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香とリュミエルは同時に地面を蹴り、着地した。「勝負、あったな。」「ええ。」香は破れたドレスの裾から血で滲んでいる足を見た。対するリュミエルも満身創痍の状態で、身に纏っていた黒服はところどころに破れている。「あなたと遊戯(たたか)えたことは嬉しかったですよ。まだ遊び足りませんがね。」暗赤色の瞳で香を見るとリュミエルはそう言って笑った。「俺もだ。」香とリュミエルが互いに睨み合っていると、突然宮殿の中から銃声が聞こえた。「今のは・・」「どうやら、動き出したようですね。」リュミエルは意味深長な言葉を発すると、黒い羽根を広げて闇の中へと消えた。(アベル、何処に居る?) 一方宮殿の裏口から外へと出たアベルとアンドリューは、宮殿の外れにある厩へと向かっていた。「ルクレツィア伯爵家のお邸までお送りいたしましょう。」「ありがとうございます。アンドリューさんは?」「わたしは独りで帰れます。さぁ、乗って。」アンドリューは栗毛の馬に跨ると、アベルに向かって手を伸ばした。アベルがその手を掴むと、アンドリューは軽々と彼を自分の後ろに乗せた。「しっかりつかまってくださいよ。」「はい・・」アンドリューが手綱を振ると、馬は嘶いて宮殿から出て行った。「っち、逃がしたか・・」次第に宮殿から遠ざかってゆく2人の姿を、宮殿の屋根から見ていた誰かがそう言って舌打ちした。(動き出した・・一体あいつは何を言っているんだ?)庭園から宮殿の中へと戻った香は、静寂に包まれた廊下を歩いていた。さきほど銃声がしたというのに、誰かの悲鳴や叫び声もしない。一歩進む度に宮殿内を包む瘴気の存在を感じる所為か、香は先程から何者かがここに潜んでいると感じていた。(ルディガーが何か企んでいるのだろうか? だとしたらあいつは一体・・)香が廊下の角を曲がろうとした時、彼の足元の地面に何かが突き刺さった。「やっと会えましたね、鬼族の若様。」視界の隅で銀髪が揺らめいたかと思うと、香の前に1人の少年が立っていた。「お前、何者だ?」「わたしは何者でもありません。やっとお会いできたのにすぐにお別れするなんて残念です、若様。」「待て!」謎の少年を追い掛け、次の角を曲がった香は、そこで信じられない光景を目にした。白い大理石の床が真紅に染め上げられ、そこには累々と死体の山が出来ていた。その前にたっぷりと血を吸ったサーベルを握っているのは、ルディガーだった。「やぁ、来たのか。」ルディガーはそう言って香に気づくと、口端を歪めてにぃっと笑った。「お前、これは・・」「わたしは復讐を果たしたまでだ。さてと、残りは君だけだ。」彼はサーベルの刃先を香に向けた。「ルディガー・・」リュミエルとの戦いで体力を激しく消耗した香は、立っているのがやっとだった。だがこの男が何かをしでかす前に、止めなければ。「あら、こんなところにいらしたの?」香とルディガーが睨み合っていると、突然ルディガーの背後から1人の少女が出てきた。(まさか、そんな・・)糖蜜色の美しい髪、宝石のような紅の瞳。その少女は、死んだ筈の羅姫だった。「驚いたかい? ああ、彼女の紹介が遅れたね。彼女はわたしの妻となる羅姫だ。」「初めまして。」 煌びやかなドレスを身に纏い、緋に染まったそれをひらひらとさせながら、羅姫はにっこりと香に微笑んだ。(c)clefにほんブログ村
2011年03月30日
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アンドリューとともに宮殿の裏口へと向かったアベルは、正門とは違う空気に恐怖を感じて足が竦んだ。「大丈夫です、わたしがついていますから。」アンドリューはそう言ってそっとアベルの手を優しく握った。「はい・・」アベルは彼と共に、薄暗い闇の中へと歩を進めた。「本当に、宮殿の外に出られるのでしょうか?」「出られますよ。」松明に照らされた通路の先の闇は深く、その奥に何が潜んでいるのかも判らぬほどだ。(わたしは本当にこの人を信じてもいいのだろうか?)今晩初めて会ったばかりの男に、心から信頼してもいいのだろうかと、アベルはそう思い始めていた。「わたしの事を、信用していないのですか?」不意にアンドリューから話しかけられ、アベルははっと我に返った。「え、ええ。あなたとはさっき知り合ったばかりですし。」「どうやらあなたは、人と関わる事を何処かで恐れているようだ。」「え?」アンドリューの言葉に、アベルの瞳が大きく見開いた。「初対面の相手でも、気軽に話せる関係を築くことはいくらだって出来ますよ。ですがあなたは、余り人と話したがらないし、人との間に壁を作っているように思えてならないのです。」アンドリューはそう言うと、アベルに一歩近づいた。「アンドリューさん、わたしは実の親の顔を知らずに、孤児院で育ちました。孤児院にはわたしに良くしてくださる先生達が居ましたが、同年代の子達と遊ぶのが苦手で、いつも独りぼっちでした。」アベルは初対面のアンドリューの前で、孤児院時代の孤独を吐露した。 物心ついた頃から実の親を知らず、孤児院で育てられたアベルだったが、どうしても同年代の子ども達と遊ぶ事が出来ずにいた。それが何故なのか、自分にも解らないままだった。自分から積極的に声を掛けて遊びの輪に入ろうとしたが、その途端潮が引いたみたいに子ども達はアベルの周りから居なくなっていったのだ。それは神学校時代でも同じことだった。「わたしは、みんなと仲良くしたかったのに、みんなはわたしと仲良くはしてくれませんでした。」「そうですか。そんな事があったのですね。わたしも、あなたと同じ想いを抱えながら生きてきました。」アンドリューはそう言うと、松明を通路へと向けて、再び歩き出した。アベルも、慌ててその後を追った。 通路の奥―出口付近まで辿り着いたアベルは、時折何者かに見られている気配がして、その度に後ろを振り返ったが、誰も居ない。「どうしましたか?」「いえ・・さっきから誰かがわたしを見ているような気がして・・」「気のせいでしょう。決して後ろを振り返ってはなりませんよ。」「はい・・」アンドリューにそう言われたものの、つい振りかえってしまいそうになったが、アベルはドレスの裾を摘んで彼の後へと続き、宮殿の外へと出た。 その頃庭園では、香とリュミエルが死闘を繰り広げていた。「なかなかやりますね。」リュミエルは暗赤色の瞳を煌めかせながら、先ほど香に傷つけられた右肩を押さえた。そこからは、赤黒い血が滲んでいた。「お前こそ。」香は余裕綽綽の笑みをリュミエルに浮かべたが、身に纏っていた美しいドレスは切り裂かれ、その原型を申し訳なさ程度に留めているに過ぎなかった。「今まであなたのような方と戦ってきましたが、そこいらの雑魚とは違うあなたに、少し魅力を感じましたよ。」「悪魔といえば、耳元でキーキー喚くしか能のない奴らだと思っていたが、お前は違うらしいな。」「何をおっしゃる、あんな連中とわたしを同じ目で見ないでいただきたいですね。」リュミエルはそう言って口元を歪めて笑ったが、その目は全く笑っていなかった。漆黒の闇に染め上げられた庭園の中で、蒼と白の薔薇が何処か神々しいようで禍々しい光を放ち、まるで己の姿を誇示するかのように咲き誇っていた。(c)November Queenにほんブログ村
2011年03月29日
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ルディガーに乱暴される前に寸での所で逃げ出したアベルは、人気のない廊下に蹲って嗚咽を漏らしていた。ルディガーに縛められた両手首が、まだ痛む。ユーリと共に過ごした宮殿は、ルディガーが皇太子となってからすっかり空気が変わってしまった。もうこれ以上こんな所には居たくない―アベルはそう思い、ドレスの裾を摘んで再び廊下を歩きだそうとした時、切迫した声が向こうから聞こえた。「皇帝陛下が、お斃(たお)れになった!」「皇帝陛下、ご逝去!」(皇帝陛下が、お亡くなりになられた?)皇帝の突然の訃報に、アベルは呆然と立ち尽くした。(何だ、宮殿(なか)の方が突然騒がしくなったようだが・・)「どうなさいましたか?」香が宮殿内の異変に気付き、ゆっくりとそちらに首を向けた時、黒服の男から声を掛けられ、さっと彼の方を見た。「いいえ。それよりもあなた、お名前は?」「わたくしですか? わたくしは、リュミエルと申します。」「リュミエル様・・素敵なお名前ね。わたくしはアレクサンドラですわ。」香はそう言って偽りの笑みを顔に貼り付けると、そっと男に手を差し伸べた。だが男は少し警戒しているようで、香の手を握ろうともしなかった。「アレクサンドラさん、とおっしゃいましたね? 偽名を使って自己紹介するのはいただけませんね。」リュミエルはそう言って暗赤色の瞳を煌めかせながら笑った。「お前・・一体何者だ?」「わたしですか? わたしはルディガーと契約を交わした魔の眷属です。あなたと同じようにね。」鳥の羽音が耳元で聞こえたかと思うと、鋭い剣先が月光の中で閃いた。「くっ!」ドレスの裾を捲り上げ、二本の短剣を取り出した香は、リュミエルの攻撃をかわし、隙を突いて彼の向う脛を蹴った。「なかなかやりますね。殺し甲斐がありそうだ。」リュミエルが振るった剣は香の頬を掠め、僅かに剣先に付いた香の血をリュミエルは美味そうに舐めた。「さぁ始めましょうか、殺し合いという遊戯(おあそび)を。」「望むところだ。」香はそう言うなり、地面を蹴りリュミエルへと突進した。 アベルは皇帝の訃報に戸惑いながらも、必死に宮殿から出ようとしていた。「そこの女、何処へゆく!?」背後から声を掛けられたのと同時に、近衛兵の槍がアベルの首筋に押し当てられた。「わたくしは怪しい者ではございません。わたくしはエルザ、ルクレツィア伯爵家のソフィー様の友人です。」アベルの言葉を聞いて近衛兵は槍をアベルの首筋から離した。「間も無くこの宮殿は閉鎖される。」「ありがとうございます。」アベルが優雅に礼をすると、近衛兵は廊下の角へと消えた。(危ないところだった・・)ほっと胸を撫でおろしながらアベルが宮殿の出口へと向かうと、そこには我先に宮殿から出ようとする貴族達でごった返していた。「退け、わたしが先だ!」「いいえ、わたくしが先よ!」前に進むもうにも、人の波が寄せては引くの繰り返しで、なかなかアベルは宮殿の外へと出る事が出来ない。「またお会いしましたね、エルザさん。」そっと自分の手を握るアンドリューを見たアベルは、溜息を吐いた。「アンドリューさん、外にはなかなか・・」「裏口がありますから、そこから外に出ましょう。」「ええ。」アンドリューとともに、アベルは宮殿の裏口へとまわった。にほんブログ村
2011年03月28日
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ルディガーが大広間へと入ると、踊っていた貴族達は一斉に彼の方を見た。詮索めいた周囲の視線をものともせず、彼はアベルの姿を探した。(アベル、一体何処に居るんだ?)ルディガーは、蒼いドレスを着た黒髪の令嬢と目が合った。「どうなさいましたか?」「い、いいえ・・」ルディガーと目が合い、慌ててアベルは目を伏せた。「皇太子様とお知り合いなのですか?」「いいえ。ただ一度、助けていただいたことがあって・・」「そうですか。」アンドリューはそう言って、アベルに微笑んだ。やがて曲が終わり、彼はそっとアベルから離れた。(漸くお出ましか、ルディガー。お前の化けの皮をここで剥がしてやる、覚悟しろ。)軟弱な青年を半ば突き飛ばすかのように彼から離れた香は、ゆっくりとルディガーの方へと近づいた。「皇太・・」「やっと捕まえた。」ルディガーに声を掛けようとした香の手を、誰かが握った。彼が振り向くと、そこには黒服の男が柔和な笑みを浮かべて立っていた。「失礼ですが、あなたは?」「金色の髪、蒼い瞳・・まさしく、わたしが求めていた方。」男はそう言って香の手の甲に接吻すると、暗赤色の瞳で香を見た。男と視線がぶつかった瞬間、香は彼の背中から漆黒の羽根が微かに覗いていることに気づいた。「少し、お話ししませんこと?」「ええ、勿論ですよ。」男と大広間を出る前、香はちらりと銀髪の青年と何かを話しているアベルを見た。(アベル、奴に気づかれるなよ!)「アンドリューさんは、どちらのご出身ですか?」「サフィアの出身です。」「サフィアの・・だから勿忘草色の瞳をしていらっしゃるのですね。」ダブリスの東北部に位置するサフィア地方の民は、かつてこの国を支えたマリナラルと呼ばれる民族が治めていた地域であり、マリナラルの子孫たちは銀髪で勿忘草色の瞳をしているといわれている。だが忌まわしい“黒髪狩り”が行われると同時に、マリナラル達も迫害の対象とされ、その存在は書物の中でしか登場するだけのものとなっていた。「ええ。わたしの曽祖父はあの迫害から唯一逃れたマリナラル直系の子孫でした。」アンドリューとアベルが仲睦まじい様子で話をしていると、突然アベルは誰かに手を掴まれ、悲鳴を上げた。「また会えたね。」「ル・・皇太子様・・」何とかルディガーに気づかれぬようにと気をつけていたのに、とうとう彼に気づかれてしまった。「少し君と話したいことがある。いいかな?」「はい、構いませんが・・アンドリューさん、今夜はこれで。」「ええ。」ルディガーはアベルを連れて大広間を出て、自室へと入るなり彼をソファに押し倒した。「な、何をなさるんですか!」「今夜の君は美しいね、アベル。君が男であることが残念だ。」「離してください!」ルディガーと揉み合っている内に、アベルは彼の頬を引っ掻いた。つぅっと、ルディガーの頬から血が滴った。「そんなに君はわたしが嫌いなのか? わたしは君をこんなにも・・愛しているというのに!」ルディガーはアベルの首を両手できつく絞め始めた。「い・・や・・」苦しそうに酸素を求め、喘ぐアベルは、渾身の力を込めて彼の鳩尾を蹴った。ルディガーは身体を二つに折り曲げて激しく咳き込んでいる隙に、アベルはドレスの裾を摘んで彼の部屋から逃げた。人気のない廊下まで走った後、アベルは嗚咽を漏らした。にほんブログ村
2011年03月26日
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「あなたは一体、誰なんですか?」 青年に突然手を掴まれ、踊りの輪に加わったアベルは、ワルツのステップを踏みながら彼にそう尋ねると、彼はにこりと笑うだけで何も答えない。「初めて見かけるお嬢さんだ。あなたのお名前は?」「エルザです。」「エルザ・・良い名前だ。わたしはアンドリュー、宜しく。」「は、はぁ・・」そんな彼らを、香は少し離れた所で見ていた。―一体何処のどなたなのかしら?―お綺麗な方達よねぇ。―引け目を感じてしまうわ・・そんな香を見てヒソヒソと囁きを扇子の陰で交わしている貴婦人達の会話は、彼には筒抜けだった。(女装なんてしなければ良かった。こんなに色々と言われて・・)溜息を吐きながら、香はボーイが運んできたシャンパンを一口飲んだ。「すいませんっ!」「何かしら?」突然声を掛けられた事に戸惑いながらも、香は咄嗟に自分の前に立っている青年に笑みを浮かべた。「あの、もしよろしければ、あの~、僕と一緒に・・あれ、違うな・・え~と・・」(誘いたいならさっさと誘え、苛々する!)青年に向かってそう怒鳴りたい気持ちを抑えて香はにっこりと青年に微笑んで彼の手を掴んだ。「わかりました、参りましょう。」青年は香に半ば引き摺られるようにして、踊りの輪へと加わった。「痛っ!」「す、すいません、こういった場所は初めてで・・ワルツも余り上手くなくて・・」そう言って自分に詫びる美女に向かって、アンドリューは苦笑した。「余りお気になさならないでください。わたしもそうでしたから。」「え、あなたが?」アベルは思わず青年の顔をまじまじと見つめてしまった。こんなに優雅なステップを踏む青年が、自分のようにワルツが下手だった時期があっただなんて、想像できなかった。「ええ。それよりも皇太子様は都市部住民への地方強制移住策は本気で施行されないそうです。あれは、単なる脅しだとか。」「脅しですか?」「相手に勝つ為にはまずは相手を恐怖で怯えさせるのがいいのです。まぁ、皇太子様が何をお考えなのかが解りませんが。」青年はそう言うと、溜息を吐いた。「あ、あの・・迷惑でしたか?」「いいえ、ちっとも。」香は何処か軟弱そうな青年に笑顔を浮かべながら彼と踊っていた。 その頃ルディガーは、父王の寝室に居た。父親は、寝台に横たわり目を開けたまま絶命していた。彼の傍らには、葡萄酒がシーツを赤く染め、空になったグラスが転がっていた。「これでよろしいのですか?」「ああ。これでわたしを邪魔する者は居なくなった。父上は病死したと伝えろ。」「はっ!」侍従が皇帝の寝室から出て行くと、ルディガーは冷たい目で父を見下ろすと、彼の手を握った。「愚かな王よ、さようなら。これからはわたしがこの国を治めます。」ルディガーはマントを翻しながら、王の寝室を去った。「病死と偽った殺人か・・それが復讐の序曲とはね。」黒い羽音とともに、1人の青年がルディガーの蒼い瞳を暗赤色の双眸で見つめた。「まだこれからだ、わたしの復讐は。」「そうか。ではわたしはお前の復讐を見物させて貰うとしよう。」青年はそう言ってルディガーに微笑むと、羽根を広げて闇の中へと消えた。「皇太子様、こちらにおられましたか!」慌ただしい足音とともに、父王の側近であるヴァインベルク卿がルディガーの元へ駆け寄って来た。「早く大広間にいらしてください。舞踏会の主役が不在では・・」「解った、すぐ行く。」ルディガーは靴音を響かせながら、大広間へと向かった。そこに想い人と敵が居ることも知らずに。にほんブログ村
2011年03月25日
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アベルがレディー・ソフィーとルクレツィア伯爵家の女中達によってコルセットを締められているのと同じ頃、鴾和邸でも香が悲鳴を上げていた。「蓮華、そんなにきつく締めるな!」「我慢してくださいませ、香様。そんなことでは貴婦人にはなれませんわよっ!」「そうですわよ、香様!」何処か嬉々とした表情を浮かべながら、蓮華と彼女付の女房達が香のウェストをコルセットで容赦なく締め付けていた。「何故俺が女装して王宮舞踏会に行かないといけないんだ? 夫婦同伴なら、お前と俺で行けばいいだけじゃないか!」「新しい皇太子様は、こちらの顔をご存知のようですわ。何せあちらには不知火がおりますからね。敵地へわざわざ乗り込むような無謀な事できる筈を出来る訳がありませんでしょう?」「そうだな。だが何故俺なんだ?」「それはあなたが鴾和家の次期当主だからですわ。お義父様に女装させる訳には参りませんし。」そう言ってにっこりと笑う妻の顔を見た香は、深い溜息を吐いた。「それにしては結構張り切ってるな。数日前に仕立屋やら宝石商やらが邸に来たのはこの舞踏会の為の準備だったのか。」子ども達には絶対に見られたくないなと香はそう思いながらも、蓮華によってウェストを極限までに締めあげられた。蓮華達が選んだのは、まるで喪服のような漆黒のドレスだったが、胸元は大きく開いていた。「これじゃぁ俺が男だとばれるんじゃないか?」「いいえ、ちょっとした仕掛けをいたしましたの。」香が女中達の手によってドレスを着ると、彼の胸が突如大きく膨らんだ。「どこから見ても絶世の美女ですわね、蓮華様?」「ええ、そうね。」きゃっきゃっとはしゃぐ妻達を見ながら、香は急に豊満になった胸元を見下ろすと、再び溜息を吐いた。 その夜、ラミレス宮殿の大広間で開かれている王宮舞踏会には、ダブリス中から集まった貴族や名士達の顔が揃い、令嬢達や貴婦人達は社交界の噂話に花を咲かせていた。「ねぇ、新しい皇太子様は本当に強制移住策を実行なさるおつもりなのかしら?」「もし本当だとしたら、わたくし達どうなるのかしら?」「農作業なんて出来ないわ。」他愛のない話をしながら、女達が笑って居た時、急に大広間の入口が騒がしくなった。「あら、何かしら?」「さぁ・・」彼女達がちらりと入口の方へと顔を向けると、艶やかな黒髪を結い上げ真珠を鏤(ちりば)めた髪飾りをつけ、蒼いドレスを纏った美女と、大きく開いた胸元に宝石を鏤めた漆黒のドレスを纏った金髪の美女が丁度入ってくるところだった。「カオルさん、どうしたんですか、その胸は?」「ちょっとな。それよりもどうしてお前がこんな所に居る?」「わたしも何故こんな所に居るのかが解りません。」2人の美女―香とアベルはそんな会話を交わしながらも、道の両側に出来た人垣を困惑気味に見た。「一体なんなんだ、この状況は。俺達が来る前は皆普通に喋っていたぞ。」香はきょろきょろとルディガーの姿を探していたが、彼の姿は何処にもなかった。(ルディガーの奴、一体何処へ・・)アベルは慣れない踵の高い靴で大広間を歩きながら、不知火の姿を探していた。一歩歩く度に、ハイヒールの爪先に刺すような痛みが走った。何とか痛みを我慢して歩いていたアベルだったが、不意にバランスを崩して転びそうになった。 その時、誰かが咄嗟に彼の手を握った。「あ、ありがとうございます。」「おや、見慣れないお嬢さんだね?」そう言った青年は勿忘草色の瞳を輝かせながら、アベルの顔をじっと見た。「あの・・」「話をするのは後にして、一緒に踊ろうか?」青年はアベルの手を握ったまま、踊りの輪へと加わった。「僕がリードするから、安心して。」にほんブログ村
2011年03月24日
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ルディガーが都市部の住民を地方へと強制移住させる政策は、その日の午後に発表された。「そんな・・生活はどうすれば・・」「急に地方へ行けと言われてもねぇ・・」「皇太子様は一体何をお考えなのだろうねぇ?」住民達との間で今後の生活への不安が囁かされている中、ラミレス宮の中庭でルディガーは不知火とともに優雅に茶を飲んでいた。「ルディガー様、本当に強制移住政策をなさるおつもりですか?」「まさか。あれは単なる脅しだ。都市部の住民達が一気に地方に雪崩れこんで来たら要らぬ諍いや混乱が起こる。本気でそんな事を思ってはいないよ。」ルディガーはそう言って腹心の部下を見つめた。「そうですか。では何故、あの司祭の前では・・」「彼を、わたしの元に置く為だ。アベルには特別な力が備わっている。それに、アベルは“彼”に似ている。」「“彼”とは?」不知火の問いに、ルディガーは不機嫌そうな表情を浮かべた。「では、わたしはこれで。」不知火がルディガーに一礼して彼の元から下がろうとした時、ルディガーは不知火にそっとメモを握らせた。 彼は人気のない廊下でそっとルディガーから渡されたメモを開くと、そこには今夜舞踏会が開かれることが書かれていた。(舞踏会か・・)不知火はメモを炎で燃やすと、廊下を再び歩き始めた。 同じ頃、アベルはミサの準備をしながらルディガーが自分に放った言葉の意味を考えていた。“君は助けてあげる。”一体、彼は何を企んでいるのだろうか。ただ単に恋人を殺した者たちへの復讐として、強制移住策を考えるような男ではないと、アベルは思っていた。「アベル、君に手紙が来たよ。」「手紙、ですか?」同僚から手紙を受け取ったアベルは、その封筒にルクレツィア伯爵家の蜜蝋が押されていることに気づいた。レディー・ソフィーからだろうか。アベルがそう思いながらペーパーナイフで封筒を開けて折りたたまれた便箋を広げると、そこにはレディー・ソフィーの流麗な字が書かれていた。そこには仕事が終わったらルクレツィア伯爵邸に来るようにと一行だけ書かれていた。一体レディー・ソフィーはどうしてこんな手紙を自分に寄越したのだろうかと思いながらも、アベルはルクレツィア伯爵邸の前に立った。 暫く門の前で待っていると、執事らしき青年が邸の中から出て来た。「アベル様、ですね?」「はい、そうですが・・」「どうぞ、こちらへ。ソフィー様からお話は聞いております。」青年と共にルクレツィア邸の一室へと通されたアベルは、そこで妙に上機嫌なレディー・ソフィーを見た。「あら、いらしたのね。」「あの、お話というのは・・」「今夜、王宮で舞踏会が開かれるの。そこであなたに美しい貴婦人に変装して欲しくてお呼びしたのよ。」レディー・ソフィーの言葉を聞いたアベルは目を丸くしたのも束の間、彼はルクレツィア伯爵家の女中達によって羽交い絞めにされた。「どうして、わたしなのですか?」「あなた綺麗な顔をしていらっしゃるから、女装も似合うのかなぁと思っていたのよ。」レディー・ソフィーはうきうきとした様子でアベルにそう言うと、てきぱきと女中達に次々と指示を出した。あれよあれよという間に、地味な黒の法衣から、煌びやかなドレスへとアベルは着替えさせられ、その上薄化粧まで施されてしまった。(わたしが、どうしてこんな・・)鏡に映る貴婦人と変身した己の姿を見て、アベルは溜息を吐いた。「とても素晴らしいわね、お前達もそう思わない事?」「ええ。」「これなら、殿方も放っておきませんわね。」にほんブログ村
2011年03月23日
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突然目の前に現れた大きな狼に、璃音は悲鳴を上げようとしたがそれをぐっと堪えた。 狼に会った時は悲鳴を上げてはいけない、狼を睨んで決して背中を向けずにゆっくりと後ずされ―以前世話になった老夫婦がそう教えてくれた通りに、璃音はじろりと狼を睨み付け、ゆっくりと後ずさった。 すると狼は大きな身体を揺すりながら、璃音の前に座った。(え?)飼い慣らされた猟犬ならともかく、野生の狼が自分の前に座っているという、予想外の出来事に幼い彼女はどうすればいいのか解らなかった。「あなた、一体何なの?」「璃音、ここにいたのね!」慌ただしく裏口のドアが開く音がして、エプロンを付けたアベルの友人が出てきた。「ごめんなさい小母様、勝手に外へ出て行ってしまって。」璃音はそう言ってアベルの友人に詫びると、彼女はそっと璃音の髪を優しく梳いた。「あれはあなたのお友達?」「え?」璃音が何気なく後ろを振り向くと、そこには先程の狼が居た。狼は尻尾を振りながら、じっと璃音を見ていた。「解らないけど、そうかも。」「そう。早く中に入りなさい。」「解りました、小母様。」金髪を揺らしながら璃音が家の中へと入ると、狼もその後に続いた。「ミシェル、ごめんなさい。」厨房に入ったアベルの友人は、そう言って夫に詫びると、彼は妻に微笑んだ。「今は忙しくないからいいよ。それよりもその狼は何処で?」夫の視線が妻から璃音の傍に居る狼へと移った。「さぁ、さっき璃音が遊んでいたら急に現れたのよ。妙に人懐っこい狼だけれど。」「小父様、もしよければここで飼ってもよろしいでしょうか? 決してご迷惑はおかけしませんから。」璃音がそう言って頭を下げると、友人夫婦は彼女が狼を飼うことを許した。「決して厨房には近づかせないでね。」「解りました。」 一方、王宮内で仕事をしていたアベルが廊下を歩いていると、背後から誰かに肩を叩かれた。「久しぶりだね、アベル。」「シラヌイ・・」そこには、アデルを殺した憎い男が立っていた。「わたしに何の用だ?」「ルディガー様が、先ほど都市部の住民を全て地方へ強制移住させることを決定致しました。」「そんな・・」「ルディガー様曰く、自分の恋人を殺した奴らがのうのうと安穏な暮らしをしているのが気に入らないんだとか。」不知火はそう言うと、口端を上げて笑った。彼の横をアベルは通り抜け、ルディガーの部屋へと向かった。「皇太子様、よろしいでしょうか?」「どうぞ。」「失礼致します。」アベルが部屋に入ると、そこの内装はユーリが居た頃とは全く違っていた。「都市部の住民達を地方へ強制移住させるとは、一体どういうことなんですか?」「別に意味はない。ただ気に入らない相手がわたしの視界に入らないようにしたいだけだ。」「そんなの、まるで子どものようじゃないですか!」アベルの言葉にムッとしたルディガーが、荒々しく椅子を引いて立ち上がった。「わたしが皇太子となった暁には、わたしの恋人を殺した全ての者を排除すると決めたんだ。これはまだ序の口だ。」ルディガーはそう言うと、アベルに優しく微笑んだ。「アベル、お前だけは助けてやってもいい。」「いいえ、お断りいたします。」「強情だな、君は。そんな所も好きだけれど。」にほんブログ村
2011年03月18日
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(やっと、あいつらに復讐できる。)ルディガーは口端を歪めて笑うと、右手首に残る醜い火傷痕を見つめた。それはあの日、恋人の火刑を止めようとして負った悲しい傷だった。恋人の死を間近で見て発狂し、今まで離宮での静養を余儀なくされてきたが、今は違う。「ルディガー様、失礼致します。」ドアが不意に開き、不知火が入って来た。「間もなく議会が始まります。」「解った。シラヌイ、君には感謝しているよ。わたしに力を与えてくれたことを。」ルディガーがそう言って不知火を見ると、彼は照れ臭そうに笑った。「何をおっしゃいます、ルディガー様。わたくしは当たり前の事をしたまでです。」「そんな事を言わずにシラヌイ、お前には何か褒美をやらなければな。何が欲しい?」「では・・」ルディガーの言葉を聞いた不知火の瞳が微かに煌めき、彼は主の耳元で何かを囁いた。「・・解った。今すぐにとはいかないが、叶えてみせよう。」「ありがとうございます。では、参りましょうか?」「ああ。」ルディガーはマントを翻すと、部屋から出て行った。 一方、アベルはユーリの元を訪ねた後、王宮へと戻って行った。「アベル。」「ユーリア様、おはようございます。」廊下で車椅子を押しているユーリアに、アベルはそう言って会釈した。「ユーリ様に、今朝お会いいたしました。少しお加減が悪いご様子で・・」「そう。水害の影響もあってか、南部で疫病が発生しているのよ。ほら、あなたが以前滞在していた村も、水害で無くなってしまったじゃない?」「ええ・・」アベルの脳裡に、濁流に呑まれ消えてゆく村の光景が浮かんだ。もう数ヶ月前の事だが、あの村で体験した理不尽な出来事は一生アベルの記憶から消えることはないだろう。だが、困っている自分と蓮華に優しく手を差し伸べてくれたあの老夫婦のことも、忘れたくはない。彼らは今、どうしているのだろうか?「アベル、あなた今日はあの子・・璃音ちゃんと一緒じゃないの?」ユーリアはそう言うと、いつもアベルの背後に隠れている金髪の少女の姿を探した。「娘はわたしが王宮に居る時は、友人の家に預かって頂いております。この子にとって、ここは安全な場所ではありませんから。」「そうね・・」人魚の血をひく娘で、由緒ある伯爵家の孫娘である璃音の存在を宮廷人達が知れば、彼女を政治の道具として利用する輩が少なからず現れることだろう。それを考え、アベルは王宮で宮廷付司祭として働いている間は、娘を友人宅へと預けていた。「今日、議会で皇太子様が重大な発表をするそうよ。」「そうですか。何だか嫌な予感がするんですが。」アベルとユーリアは、議会が開かれている東翼棟を見つめた。 ルディガーが不知火とともに議会場に入ると、それまで談笑していた貴族達が沈黙し、一斉に彼らを見た。「今日はご多忙の中、わたくしの為に時間を割いていただきありがとうございます。」ルディガーはそう言って壇上に上がり、蒼い瞳で貴族達を見た。「本日より、首都に住んでいる全ての者達は、地方に移住して貰います。」彼の言葉に、貴族達は一斉にどよめいた。「それは一体、どういう事なのですか?」「今この王国が崩壊の危機に瀕しているのに、あなた方は何も知らずにパーティー三昧の日々を送っているでしょう? そんな暇があったら農作業に勤しみなさいと言っているのです。」ルディガーは貴族達に向かって、彼らを小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。 同じ頃、ユリシスの友人宅で、璃音は毬つきをしていた。「あ、蝶々だ!」璃音が蝶を追って路地へと面した裏口へと出ると、そこには一匹の狼がじっと彼女を見ていた。にほんブログ村
2011年03月16日
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ユーリは椅子に腰を下ろすと、再びルディガーの写真を見つめた。 あの事件以来、王宮の奥深くで幽閉されていた時、ルディガーは1人の司祭と恋仲になっていたが、彼の名は知らなかった。だがその彼が火刑に処されたということ、そのショックでルディガーが精神に異常をきたして離宮へ療養に行った事は、風の噂で聞いていた。 その兄が、自分と代わってこの王国の皇太子となったことに、ユーリは驚きを隠せなかった。「どうしました、ユーリ?」仕事から帰ってきた匡惟が、リビングの椅子に座り朝刊を見つめている妻に話しかけた。「匡惟、ここに写っているのはわたしの兄様なの。」「そうですか・・」銀髪紅眼のユーリと、金髪蒼眼の青年は全く似ていないが、腹違いの兄弟姉妹などは王侯貴族の間では珍しくもない。「わたしはこのまま、お前と暮らせるかしら?」「暮らせますとも。きっと皇太子様は、あなたの事をお忘れになられておられることでしょう。」「そうね・・」ユーリはそう言うと、朝刊を丁寧に折り畳んでマガジンラックの中へとしまった。「大丈夫ですか、顔色が余り良くないですよ? それに今朝は余り食べていらっしゃらないようですし・・」「大丈夫、少し気分が優れなくて。寝ていれば治るから。」「ですが・・」言い募ろうとした匡惟に、麗欖(れいらん)が勢いよくぶつかってきた。「とうさま、あそんで~」妻に似た円らな紅い瞳を輝かせながら、麗欖はそう言って匡惟を見つめた。「麗欖、お父様はお仕事から帰ってきたばかりなのよ。」「え~!」自分の思い通りにならないとわかったのか、麗欖は不満そうに頬を膨らませた。「ユーリ様、お部屋でお休みになられては? わたしは麗欖と散歩に行ってきますから。」「済まないわね・・」ユーリはゆっくりと椅子から立ち上がると、寝室へと入っていった。「かあさま、どこか具合が悪いの?」「少しね。でもすぐに良くなるよ。とうさまと散歩に行こうか。」夫と息子が家を出た後、ユーリは寝室で横になっていたが、全身を襲う倦怠感はなかなか消えてくれなかった。今朝夫が愛情を込めて作ってくれた朝食も、食べようとして猛烈な吐き気に襲われ、結局食べられなかった。一体どうしてしまったのだろう、自分の身体は。ユーリが溜息を吐きながら寝返りを打とうとした時、突然左半身に猛烈な痒みが襲った。(何だろう?)夜着の裾を捲ってみると、左腕には赤い発疹が浮かんでいた。(これは・・)謎の発疹の正体が判らず、ユーリは痒みに耐えて眠ろうとした。その時、ドアを叩く音がした。こんなに朝早くから誰だろうと思いながら、寝室を出たユーリはドアを開けた。「ユーリ様ですね?」そこには、かつて愛した男が立っていた。「アベル、どうしてここに?」「やっとお会いできた、ユーリ様。」アベルはそう言うと、そっとユーリを抱き締めた。「どうしてダブリスに居るの、アベル?」「実は・・」アベルはルディガーに会った事や、アデルの身に起きた悲劇についてユーリに話した。「アデル様は、シラヌイという男に操られて殺されました。」「シラヌイ・・確かレンゲさんの兄君だったわね?」「ええ。ルディガー様・・今の皇太子の側近として、奴は王宮に居ます。」「そう。何だか厄介な事になりそうね・・」ユーリはそう言うと、美しい眦を上げた。その頃ルディガーは、ユーリのものだった部屋でほくそ笑んでいた。にほんブログ村
2011年03月13日
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「もしかして知らなかったの、わたしのことを?」ルディガーの蒼い瞳が、アベルを射るように見た。「はい・・ユーリ様からは何も・・」「そう。話したくないのも解る気がするな。わたしの母親はこの国の王妃で、ユーリには夫ともに虐待を加えていたからね。」「虐待?」アベルの翠の瞳が、驚きで大きく見開かれた。「ユーリは国王・・父を守る為に野盗を殺した。だが彼は感謝されるどころか、それまで尊敬し、憧憬の対象だった父によって宮殿の奥にある部屋に幽閉された。その時彼はまだ10歳だった。」「そんな・・」ユーリの辛い過去を、アベルは初めて知った。初めて彼に逢った時は儚げで優しい印象を持っていたユーリだったが、そんな彼が実の両親に幽閉されていただなんて。「父と母はユーリの存在を消した。可哀想なユーリ・・この国の皇太子でありながら半妖ゆえに蔑ろにされるなんて。わたしは美しい弟が両親から酷い仕打ちを受けているのを見ながら、彼を助けようとしなかった。いくらでも、彼に手を差し伸べる時があったのに・・」ルディガーはそう言ってじっと両の掌を見た。「わたしはその頃、君に良く似た男と恋に落ち、愛し合っていた。同性同士で結ばれないことはわかっていても、わたし達は互いに真剣だったよ。だが彼は黒髪であるというだけで、生きながら炎に焼かれた。」アベルの脳裡に、あの夢が浮かんできた。広場のような場所で火刑に処される夢が。「彼が殺されるのは耐えられなかった。わたしは炎を消そうと火刑台に飛び込んで、“死んだ”。」ルディガーは溜息を吐くとそっと軍服の右袖の裾を捲り上げた。そこには、赤紫色に変色している夥しい火傷の痕があった。「彼は救えなかったけど、わたしは永遠の命を彼から貰った。アベル、わたしは必ず君を手に入れる。」「わたしはあなたのものには決してなりません。わたしの心はいつも・・」「ユーリとともにある、と? 君はユーリを失った癖に、まだそんな事を言っているの?」教会内に春の陽光が注がれ、ルディガーの蒼い瞳がそれを弾いて宝石のような輝きを放った。「わたしは、あなたのものにはなりません。たとえあなたに穢されようとも・・」「強情な天使様だねぇ。でも気に入ったよ、ますます君が欲しくなった。」ルディガーはそう言うと、アベルの唇を塞ごうとした。「わたしに触らないでください!」アベルはそう叫ぶと、ルディガーの頬を打った。小気味良い音が教会内に響いた。「また会おう、可愛いわたしの天使。」ルディガーはアベルに投げキスすると、教会から出て行った。(ユーリ様、わたしはあなた様が抱えていた深い孤独を知らなかった・・あなたがどんな思いで、この美しい宮殿の中で過ごされてきたのかを!) その夜、失踪したユーリの代わりに、帝位継承者第2位であるルディガーが皇太子となった。(漸くお前の仇を取れるよ。)皇帝主催の晩餐会で、ルディガーはワインを飲みながらほくそ笑んだ。今までこの胸に、恋人を奪った者たちへの復讐を誓って生きてきた。大切なものを奪われた時、人は暫く嘆き悲しむ。そして、怒りと憎悪を次第に抱くようになり、遂には悪魔に魂を売り渡す者もいる。力を欲する者はこの世に幾らでもいる。だが力がない者は虐げられ、どんなに理不尽な目に遭っても泣き寝入りするだけだ。自分は今、力を手に入れた。(絶対に仇を討ってあげる・・あいつらに地獄の苦しみを味あわせてやる・・)シャンデリアの光の下で、ルディガーの蒼い瞳が冷たく輝いた。「ルディガー・・兄様・・?」翌朝、ユーリはダブリス王国の新皇太子となったルディガーの写真を朝刊で見て、絶句した。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月28日
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「ん・・」全身に倦怠感を感じながら、アベルは翠の瞳を開くと、隣で微かに何かが動く気配がした。「おはよう、アベル。」それは、蒼い瞳で自分を愛おしげに見つめるルディガーだった。その瞳を見た途端、アベルは彼に昨夜何をされたのか急に思い出した。身体を無理矢理開かされ、快楽という名の毒を彼に注ぎ込まれたことを。「やっとお目覚めかい? お寝坊さんだねぇ。」「ここは何処ですか?」「わたしの寝室だよ。またいつでもおいで。」ルディガーはそう言うと、舌なめずりしてアベルを見た。アベルは無言で床に散らばった服を着ると、寝室から出て行った。「強情な天使だねぇ。まぁ、そっちの方が落とし甲斐があるけど。」ルディガーはそう呟くと、狂ったように笑った。(わたしは穢されてしまった・・)宮殿へと帰る道すがら、アベルは胸に提げたロザリオを握り締めた。脳裡にはあの金髪の青年に穢された記憶が浮かんでは消えてゆく。彼の唇を、彼の手を何故自分は拒めなかったのか。逃げようと思えば逃げることもできたのに、しなかった。(わたしは魔に魅入られてしまった・・)自分を見つめていたあの蒼い瞳が、脳裡から消えない。「アベル、アベルなのか?」不意に肩を叩かれ、アベルが振り向くと、そこには香が立っていた。「カオルさん・・わたしは・・」「俺が悪いんだ。油断した隙にお前を攫われてしまった。もっとよく俺が気をつけていれば・・」蒼い瞳に憂いを帯びた光を放ち、そう言って俯いた香の肩に、そっと触れた。「ご自分をお責めにならないでください。」「わかった。これから宮殿に行くのか?」「はい。」宮殿へと向かう司祭の背中が見えなくなるまで、香はその背中を見送っていた。「アベル、銃撃されたと聞いたが、大丈夫かい?」宮殿の通用門へと通り、教会へとアベルが入ると、神学校時代の同窓生であるフランソワが話しかけて来た。「ああ、もう大丈夫だよ。それよりもフランソワ、久しぶりだね。いつからここに?」「数ヶ月前さ。それにしてもアベル、アデル様のミサのこと、聞いたよ。君の唇からは美しい言葉が紡ぎだされていたって。」「美しいだなんて・・わたしは、アデル様の冥福を想ってあんな事を言っていただけだよ。」「そう。アデル様は君とお親しい間柄だったからね。ユーリ様とユーリア様が宮殿からいなくなられてから、アデル様は気落ちされていたと聞いていたよ。あんな母親と一緒だから、無理もないだろうな。」「そうだね・・」アベルの脳裡に、強欲なクレメンテの顔が浮かんだ。「アベル、戻って来たんだね。君にお客さんだよ。」「わたしに、お客様ですか?」事務所を出ると、信徒席に座っていた青年―ルディガーがゆっくりと立ち上がった。「会いたかったよ、わたしの愛しい天使。」ルディガーはそう言うと、そっとアベルの頬を撫でた。「どうしてあなたが宮殿に? それにそのお召し物は・・」「ああ、これかい?」金モールの釦が嵌めこまれた純白の豪華な軍服の裾を摘みながら、ルディガーはアベルに微笑んだ。「君にはまだ伝えていなかったね、わたしがユーリの・・前の皇太子様の兄だということを。」「え・・?」今までユーリの口からは姉や腹違いの妹のことしか聞いていなかったので、ユーリに兄がいたというのは初耳だった。「驚いているね、それは無理もない。これからは毎日ここで会えるんだね。」驚愕の表情を浮かべたアベルの黒髪を優しく梳くと、ルディーガは彼の肩越しに不敵な笑みを浮かべた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月28日
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「あ、いやぁ・・」耳元で聞こえる女の嬌声。ルディガーは欲望のままに女を抱いていたが、虚ろな心は何をしても満たされることがなかった。あのままあの司祭の足を割り、欲望のままに突き荒らしておけばよかったのだ。そうすれば、焦燥感に駆られる事などないのに。全身に纏わりつく女の香水が疎ましくて、ルディガーはガウンを羽織って浴室へと入った。 頭から冷水を浴びると、モヤモヤとしていた気持ちが徐々に晴れてゆくのを感じた。(絶対にわたしは・・)次は失敗しない。あの司祭を必ずものにしてみせる―ルディガーはそう決意すると、浴室を後にした。 アベルが退院を数日後に控えたある日の事、彼が風呂に入りたいと言い出したので香はそれを快く引き受け、一般病棟から少し離れたところにある浴室へと向かった。「アベル、もう大丈夫か?」「ええ。それよりもカオルさん、わたしの為に時間を割いてしまってすいません。」「気にするな。まぁあれからあいつは姿を現すことはなかったからいいものの、いつ襲ってくるかもしれんから安心できないな。」香はそう言って溜息を吐くと、浴室の引き戸を開けた。「湯を溜めておいたから、ゆっくり浸かるといい。」「ありがとう・・ございます。」香はアベルに微笑むと、浴室から出て行った。アベルは病院着を脱衣所で脱ぎ捨てると、浴室の中へと入った。ボディソープを泡立て身体を洗うと、数週間溜まっていた垢が次々と排水口へと流れていった。「はぁ・・」アベルが髪を洗おうとした時、不意に浴室に誰かが入ってきた。「カオルさん?」「残念でした、わたしだよ。」ゆっくりとアベルが振り向くと、そこにはガウン姿のルディガーが立っていた。「どうして、ここに? もしかして昨夜の続きを・・」「そうだよ。」ルディガーはガウンの腰紐を解くと、均等に筋肉がついた逞しい裸身を露わにして白いタイルの上を優雅な足取りで歩き始めた。「やめて・・来ないでください。」恐怖で身を竦めるアベルに、ルディガーは優しく微笑んで彼の前に跪いた。「怖がらないで。」彼は両手で包み込むようにアベルの頬に触れ、ゆっくりと彼の唇を塞いだ。(主よ・・)アベルは咄嗟にロザリオを掴んだ。(遅いな・・)ナースステーションでカルテの整理をしていた香は何だか嫌な予感がして浴室へと向かった。昼間と違い、夜の病院は人気がなく、サンダルの音がやけにリノリウムの床に響いた。「アベル、居るか?」香が浴室の引き戸を開いて懐中電灯で中を照らすと、そこには誰も居なかった。(くそっ・・)もう大丈夫だと油断して、アベルから目を離してしまった。香の脳裡に、癖のある金髪の青年がアベルを抱き締め、不敵な笑みを浮かべている姿が浮かんだ。「あぁあぁ~!」閉ざされた天蓋の中で嬌声が絶え間なく響き、ルディガーは不敵な笑みを浮かべながら自分が組み敷いている黒髪の青年を見下ろした。「狂ってしまえ。わたしの為に・・」青年の胸では、ロザリオが蝋燭の光を受け、儚い輝きを放ちながら揺れていた。神へ助けを乞う言葉を紡ごうとした青年の唇を、ルディガーは塞ぐと、舌で口内を蹂躙した。(やっと、手に入れた・・わたしの天使。)宝石のような蒼い瞳が、天蓋の隙間から僅かに漏れた月光を受けて妖しく煌めいた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月28日
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アベルは青年に組み敷かれ、病院着は剥ぎ取られ、彼の裸体を覆うのは白いシーツだけだった。そのシーツも今、青年によって剥ぎ取られようとしていた。ぎりぎりとアベルは唇を血が出るほどに噛み締めながら、青年が立ち去るのを待った。「足を開いて。」「嫌です。」「そう・・なら仕方ないな。」青年は固く閉じられたアベルの足を割り、剥ぎ取ったシーツを床に放り投げた。「綺麗だね・・もしかして・・」青年がアベルの窄まりに指を入れようとした時、彼の頬をナイフが掠めて壁に突き刺さった。「そこまでだ。」怒気を孕んだ低い声がしたかと思うと、病室に1人の看護師が入って来た。「誰かと思ったら、大聖堂で会った若君様か。その格好、良く似合っているよ。でも女装してまでここに居るなんてねぇ・・」「黙れ!」香はそう叫ぶと、壁を蹴って青年の側頭部に見事な回し蹴りを喰らわした。「乱暴な看護師さんだなぁ。興が削がれたから、もう帰るよ。」青年はそう言って香に蹴られた部分を擦ると、窓を割って外へと出て行った。「アベル、大丈夫か?」「ええ。それよりもカオルさん、その格好は?」「ああ、これはだな・・」香はふと我に返ると、少し恥ずかしげにナース服の裾を摘んで溜息を吐いた。「何だか嫌な予感がすると蓮華が言うものだから、この病院に看護師として潜入した。病院関係者には予め術をかけてあるから心配ない。」「そ、そうだったんですか。でもどうしてカオルさんが?」「蓮華にさせようと思ったんだが、あいつが俺の方がいいと言ってな。余り乗り気じゃなかったが・・」「お似合いですよ。」「別にこんな状況の中で褒めて貰ってもな・・」香はそう言って溜息を吐いた。「それよりも、人が来るまでに服を着ないとな。」アベルは羞恥で顔を赤くしながら、床に散らばっていた病院着を着てベッドに横たわった。「あいつに何をされた?」「犯されそうになりました。カオルさんが来てくれなければ、危ないところでした。」「明日から理事長にお前の警備を厳しくするよう言っておこう。あいつは油断も隙も無い奴だからな。それよりもアデル皇女の事だが・・」香の口からアデルの名が出た途端、アベルの顔が曇った。「あいつが事件に関わっていることは間違いない。それよりもアベル、あいつには気をつけろよ。今夜の事もあるし・・」「ええ。カオルさん、あの人の事を知っているんですか?」「あいつはルディガー、不知火に血を与えた“不死者”だ。これは俺の推測だが、ルディガーはお前の能力を狙っている。」「“龍の炎”を、ですか?」「ああ。お前の能力は“不死者”を殺せることが出来る唯一の力だからな。」「カオルさん、彼が来る前、不思議な夢を見たんです。広場のような所で、火刑に処されている夢です。」「そうか・・」 アベルの病室から抜けだしたルディガーは、家に帰りたくなくてあてもなく街を彷徨っていた。後少しのところで、アベルと契れたのに、それをあの生意気な鬼族の若君が邪魔をしてくれた。彼さえいなければ、アベルとひとつになれたのに。溜息を吐いて顔を上げたルディガーの前には、娼館が建っていた。病院で邪魔をされ、鎮まらぬ昂りを誰かにぶつけるには丁度いい場所だ。「どのような子をお好みで?」「そうだな、黒髪の女がいい。」「わかりました、ではこちらへ。」女将に部屋へと案内される間、ルディガーの心は既に冷め始めていた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月24日
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夢を、見た。 夢の中でアベルは、全身を荒縄で縛められて身動きが出来ない状態に居た。(どうしてわたしはこんなところに?)ふと辺りを見ると、広場には人々がアベルの方をじっと見ていた。憎しみに満ちた彼らの目が、アベルは怖かった。「これより・・・・の火刑を行う。」金糸で刺繍された壮麗な法衣を纏い、緋の帯を腰に巻いた枢機卿達がそう言ってアベルを見た。「この者はこの世に混乱を生じさせただけではなく、悪魔へ魂を売り飛ばした忌まわしき黒髪だ!」枢機卿の1人が発した言葉を聞いた人々は歓声を上げた。「地獄の業火に焼かれるがいい!」不意にアベルは足元に熱を感じた。やがてそれが炎だと気づいた時は、彼はもう腰の辺りまで炎に包まれていた。炎から何とかして逃れようと身を捩ったが、荒縄に縛められていては何も出来なかった。「やめろ、やめてくれぇ!」何処からか悲鳴がした。それが誰の声なのか解らぬ内に、アベルは生きながら炎に焼かれた―嫌な汗をかきながら、アベルはベッドから起き上がった。(何だったんだろう、今のは・・)再び目を閉じようとしたが、アベルはまたあの夢を見るのではないかという恐怖を感じ、なかなか眠る事が出来なかった。ざわめく心を鎮める為に、アベルは物心ついた時から肌身離さずに身につけているロザリオを握り締めた。その時、誰かが病室に入ってくる気配がした。看護師だろうかと思いアベルがドアの方へと目を向けると、そこには大聖堂で自分を撃った青年が立っていた。「あ、あなたは・・」「大聖堂では手荒な事をしてすまなかったね。傷はまだ痛むかい?」青年の白い指先が、すぅっと右胸の上を触れた。触れられた途端、甘い疼きがアベルを襲った。「あぁ・・」「もう大丈夫そうだね。」青年は口元を歪めて笑うと、蒼い瞳でアベルを見た。「何をしに来たのですか?」「こんな状況でわたしが君に会いに来た理由なんて、ひとつに決まってるじゃないか?」青年の言葉に潜む彼の真意を察したアベルは、彼から逃れようと身を捩った。「そんなにわたしが嫌いかい、司祭様?」「お願いです、お帰り下さい・・」「嫌だと言ったら?」青年はそう言うと、アベルに馬乗りになり病院着の胸紐へと手を伸ばした。「嫌、やめてください!」「そんなに罪を犯すことが耐えられない? それともあなたは、あの皇太子様以外の男とは契りたくないのかな?」「どうして・・ユーリ様のことを・・」アベルは青年に心を読まれ、驚愕の表情を浮かべながら彼を見た。「君は皇太子様を失ってもなお、彼の事を恋慕っているんだね。彼はもう君のものではないのに。」「ユーリ様はもうわたしの心にはいらっしゃらない・・だからわたしは己のすべき事をするだけで・・」「満足だとでも言いたいのかな? そんな偽善的な感情はもう捨てたらどうだい?」青年はそう言うとアベルの病院着を脱がし、そっと彼の胸に舌を這わせた。「ひぃっ!」逃げようとしても、シーツに縫いとめられた手を動かせずに、アベルは空に浮かぶ月に照らされ、気が狂いそうになった。「怖がらないで。」青年の唇がゆっくりとアベルの唇に近づいた。(主よ、お助けください・・)にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただければ嬉しいです。
2010年12月24日
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青年―ルディーガは溜息を吐きながら葡萄酒が入ったグラスを揺らしていると、不知火が部屋に入って来た。「あの司祭様の事は何か判ったか?」「ええ。彼は3歳の時に両親と死別したことになっております。」「死別したことになっている? ひっかかる言い方だね。もしかして、彼の両親は生きているとか?」不知火はルディーガの言葉に頷いた。「はい・・母親は身勝手な女で、結婚の障害にならぬようアベルを捨てました。父親は依然として行方不明のままです。その母親、今は貴族の正妻に収まっております。」「そうか・・ありがとう。」「ルディーガ様、どうしてあの司祭様の事を気にするのですか?」「何故か惹かれたんだよ、彼に。」ルディーガは窓の外に映る月を眺めた。漆黒の空に浮かぶ銀色の月が、ルディーガの髪を美しく照らした。蒼い瞳は憂いを帯びていた。「シラヌイ、君は一目惚れを信じるかい?」「いいえ・・わたしは余りそういったものは信じません。」「そうか。わたしはあの司祭様と目が合った時、全身に何か激しいものが走ったような気がしたよ。長い時の中で忘れかけていた感情が、甦ってくるようだった。」ルディーガはグラスをテーブルに置くと、じっと掌を見た。右の掌には、昔負った醜い火傷の痕があった。それを見るたびに、ルディーガは“あの日”のことを思い出さずにはいられなかった。最愛の者が目の前で火刑に処された時の事を。「ルディーガ様?」はっとルディーガが我に返ると、不知火が慌てた様子で砕けたグラスを片付けていた。どうやらいつの間にかグラスを握りつぶしてしまったらしく、左手にグラスの破片が突き刺さっていた。「ルディーガ様、手当てを・・」「いい。」差し伸べられた不知火の手を、ルディーガは邪険に振り払い、寝室へと入った。天蓋付きの寝台に横たわり、血塗れの左手を舐めると、さざ波立っていた心が少し鎮まるのを感じた。昔は普通の人間で、恋人も居て家族も居た。黒髪だという理由で、恋人が目の前で惨殺されるまでは。(どうしてわたしは、満たされないんだ。富も権力も持っているのに、何も満たされない・・いつまでわたしは、孤独な夜を過ごすんだ?)身体を丸くしながら、シーツを頭から被り、ルディーガは目を閉じようとしたが、なかなか眠る事が出来なかった。その理由は、とうの昔に解っている。隣に眠る恋人の姿を、求めているのだと。名前を思い出そうとしても、思い出せない。―ルディーガ様。桜色の唇でいつも自分の名を呼ぶ時の彼の顔は憶えているというのに。美しい天使のような清らかな心根も、黒檀のような艶やかな髪も、宝石のような美しい翠の双眸も。彼のすべてを憶えているというのに、何故名前だけが思い出せないのだろうか。思い出そうとすると、あの司祭の顔が浮かぶ。(彼は違う・・違うんだ・・)あの司祭は恋人ではない。同じ黒髪で翠の瞳を持つからといって、見ず知らずの他人を、恋人の姿に重ねて見たりはしない。(わたしは・・)冷ややかな月明かりが蒼褪めたルディーガの端正な美貌を照らし出す。蒼い瞳をゆっくりと彼は閉じて、眠りに就いた。いつまでこんな苦しい思いを抱えて生きてゆかねばらなぬのだろう。終わりが来ないと知りつつも、ルディーガはいつまでも不死の呪いから解放される日を待ち続けていた。それが、無駄な事だと解っていても。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただければ嬉しいです。
2010年12月22日
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―お前に、永久(とこしえ)の命を与えよう。遠くで誰かが自分に話しかける声が聞こえる。―わたしの血を飲めば、痛みも苦しみも全て忘れられる。口内に、鉄錆のようなものが広がる。それが誰かの血だと判ったのは、暫く経った時だった。―さぁ、それを飲み干しなさい。必死に血を飲み干そうとしたが、身体が本能的にそれを拒絶した。そしてアベルは、血を地面に吐こうとした。その直後、胸が苦しくなって彼は激しく咳き込んだ。「アベル!」謎の青年の腕の中にいたアベルが突然激しく咳き込むのを見た香は、不知火を押し退けて彼の元へと駆け寄った。「どうした、しっかりしろ!」「カオルさん・・わたしは一体・・」アベルは苦しそうに息を吐きながら、うっすらと翠の瞳を開いた。「失敗に終わったな。」謎の青年はそう言って美しい顔を歪めて舌打ちした。「ルディガー様、お諦めください。この司祭様は決して僕達の仲間にはなりません。」「シラヌイ、もしそうだとしてもわたしは彼を諦めることは出来ないよ。」青年は不知火にそう言うと、母親が我が子を見るような慈愛に満ちた表情を浮かべながらアベルを見た。「いつか迎えに行くからね。その時を待っていておくれ。」「う・・」青年はゆっくりとアベルの身体を地面に下ろした。「お前、一体アベルに何をした?」「何も。確か君は鬼族の若君だったね?」青年の蒼い瞳が、射るように香を捉えた。「それがどうした?」「君には家族や、君を慕ってくれている一族の者達が居る。羨ましい限りだ。わたしには何も・・」青年が次の言葉を継ごうとした時、慌ただしい足音が裏口へと近づいて来た。「ルディガー様、もう行きませんと。」「そうだね。」青年は名残惜しそうにちらりとアベルを見ると、裏口から外へと出て行った。「さきほど銃声が聞こえましたが、一体何が!?」「司祭様が強盗に撃たれました!」警官達の怒号や人々の叫び声などが聞こえ、アベルはゆっくりと上半身を起こした。「司祭様?」「わたしは大丈夫です。わたしはアデル様の納棺に立ち会わなければ・・」立ち上がろうとした時、アベルは激しい眩暈に襲われた。「そんな身体では無理です、司祭様! 誰か、担架を!」周囲が騒然とする中、アベルは担架で病院に運ばれた。青年に撃たれた胸の傷は幸い急所を外れていたが、感染症の危険がある為暫く入院する事となった。「アベル、大丈夫?」「ええ、何とか。」荒い呼吸を繰り返しながら、アベルはベッドに横たわった。「今日はもう帰るわね。このところ色々と辛い事があったから、ストレスで身体が参っているんだと思うから、暫く休んでね。」蓮華はそう言ってアベルの手を握った。「璃音は・・?」「あの子なら今夜、わたし達と一緒にホテルに泊まることになっているから、心配いらないわ。」「そう・・ですか・・」蓮華はアベルに優しく微笑むと、病室から出て行った。「アベルの様子は?」「少し心配だけど、休めば大丈夫ですわ。それよりも不知火お兄様が・・」「あいつとは、必ずケリをつける。」香は病院の白い廊下の先を、険しい目で見つめた。 リヒト市内には貴族や豪商達など、上流階級の居住区があり、その中に一軒の瀟洒な邸が建っていた。シャンデリアの下で、あの青年が溜息を吐きながら葡萄酒を飲んでいた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月22日
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「さっきまで撃たれて地面に倒れてたのに、どうしてまだ生きてるのかって聞きたい顔だね? 答えは簡単。僕はある人の血を貰ったのさ。」「ある人?」「その人の血は反魂の作用があってね、一度死んだ者に飲ませるとその者は永遠に生きられるのさ。確かそうでしたよね、ルディガー様?」不知火はそう言った時、裏口の扉が軋んで青年が入って来た。輝くような金髪を季節外れの冬風になびかせ、蒼い双眸で彼は蓮華達を睨みつけた。「そうだよ、シラヌイ。わたしが君に血を飲ませ、仲間にした。この者達は?」「僕達の敵ですよ。といっても同胞ですが。」「あの黒髪の司祭は?」「確かアベルといって、あの小娘と仲が良かったとか。」不知火の言葉を聞いた青年は、じろりとアベルを睨み付けると、彼の方へと近づいてきた。(何だろう・・この人・・)青年に見つめられる度に、アベルは奇妙な感覚に捉われてならなかった。「君は、何故ここにいる?」「アデル様に永遠の別れを告げる為です。」「永遠の別れ、ね。」アベルの言葉を聞いた青年は、馬鹿にしたような笑みを浮かべた。「人間は一度死ぬと二度と生き返らない。それが自然の摂理だが、わたしはその摂理に反することが出来る。アベルといったね? どうだ、君が愛してやまぬアデル皇女をわたしが甦らせてあげようか?」「アデル様を・・ですか?」「悪くはない話だろう? 君は愛する者と一緒に居られるし、アデル皇女は不死の者となり君の命が尽きるまで一緒に居られる。君はアデル皇女の死をまだ受け入れられないのだろう?」「そ、それは・・」青年の言葉の通り、アベルはアデルの死を受け入れられないでいた。彼女は死ななくても良かったのだ。彼女には誰かの妻となり、母となる未来があった。だが彼女にはもう・・「さぁどうする? 君さえ良ければアデル皇女を甦らせてやろう。」アベルの心の中で、アデルが甦って欲しいという気持ちと、彼女の死を受け入れなければならないという気持ちがせめぎ合い始めていた。「アベル、彼女の死を悼むのなら、現実を受け入れろ! それがどんなに辛いものだとしても、現実から目を背けるな! お前が苦しむだけだ!」香の言葉に、アベルの心の霧が晴れた。「さぁどうする?」「お断りいたします。わたしは現実から目を背けることは出来ません。一度逃げてしまえば、一生逃げ続けることになる。そんな事は嫌です。」「そうか・・では仕方無い、君にはここで死んで貰うことにしよう。」青年は銃口をアベルに向け、引き金を引いた。「アベル!」黒の法衣を血で濡らし、アベルは地面に崩れ落ちた。視界が徐々に霧がかかったかのように翳ってゆく。脳裡に、出逢った頃のユーリの姿が浮かんだ。ユーリと一緒にはなれなかったが、ユーリが家庭を持ち幸せに暮らしている姿を見ただけでアベルは満足だった。「ユーリ様・・わたしはあなたに会えて・・幸せでした・・」翠の双眸を涙で潤ませながら、アベルはゆっくりと目を閉じた。―君を死なせるのは勿体ない。何処かで誰かの声が聞こえる。―君が望まずとも、わたしは君を気に入った。自分の身体を、誰かが抱き上げる感覚がした。そこで、アベルの意識は途切れた。「ルディガー様、そいつをどうなさるおつもりで?」不知火の問いに青年は答えず、己の指を噛んでそこから血を出した。「おやめください、ルディガー様、それは・・」「黙っていろ。」青年は己の血を口に含むと、荒い息を繰り返し吐いている司祭の唇を静かに塞いだ。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月22日
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アデルの告別式は、リヒト市内にあるエンデミュオン大聖堂で行われた。皇族や貴族のみが参列した通夜とは違い、告別式には市民達の参列が許され、彼らは若き皇女に最期の別れを告げようと長蛇の列を作っていた。「アベルさん、大丈夫? 少し顔色が悪そうだけど。」疲れと悲しみを引き摺りながらアデルが信徒席に凭れかかっていると、喪服姿の蓮華がそう言って彼の方へと駆け寄って来た。「レンゲさん、心配には及びません。それよりも今日は色々とお忙しいのに来ていただいてありがとうございます。」「何を言ってるの、あなたの事が心配で来たのよ。」蓮華はアベルの手を握った。「カオルさんは?」「香様なら大聖堂の入口で知人に会ったから少し話をしてくるって言って、さっき出て行ったわ。」「そうですか・・」アベルは少し不安げな表情を浮かべながら、外を見た。「お前が、アデル皇女を陥れたのか?」人気のない大聖堂の裏口で、香はある人物と対峙していた。「流石鬼族の次期頭領ともあろうお方、ご彗眼でいらっしゃる。」そう言うと、香の前に立っている青年はにやりと笑った。「何が目的で、何の罪もない皇女を陥れ、操った? 返答次第ではお前は地獄に行くことになるぞ。」香は剣呑とした光を宿した瞳で青年を睨み付けると、拳銃を取り出した。「そうですか。その時はあなたもお供していただきましょうかね?」青年は香の妖気に臆することもなく、銃口を香に向けた。「俺の問いに答えろ。」「わたしは、この国の終焉(おわり)を見たいのです。長い間この国に蔓延り続けていた根は腐りかけ、この国を疲弊させている。今一度この国を壊し、再生するほか道はないのですよ。」「戯言を。」「皇女の死はわたしにも、あなた方にとっても有益なものだとは思いませんか? 彼女は和解した者に向かって銃弾を撃ち込んだ。その蛮行は後世に語り継がれるでしょうね。彼女の行動によって、国内の不満はもはや爆発寸前、いつ国が壊れるかわかりません。わたしはただそのきっかけを彼女に与えただけに過ぎない。」「黙れ! 皇女を罪人に仕立て上げて悦に浸る外道が!」青年の言葉を聞いて激昂した香は、怒りの銃弾を彼に向けた。 乾いた銃声が外から聞こえ、アベルと蓮華は嫌な予感がして聖堂から出た。「香様!」蓮華は裏口で地面に蹲る香を見つけた。「蓮華・・すまない・・」「しっかりなさってください、香様! 今治療しますから!」蓮華は香の傷口に向けて呪を唱えた。「蓮華、アデル皇女の死は仕組まれた事だった。彼女は罪人に仕立て上げられ、殺された。」「それは、本当ですか?」「ああ。誰かが裏でアデル皇女を操り、彼女を唆した。そいつが誰なのか、お前も知っているだろう?」香の言葉を聞いた蓮華の顔が強張った。彼女の脳裡に、不知火の顔が浮かんだ。「まさか・・あの人は、死んだ筈・・」「勝手に殺さないでくれるかな、蓮華? 僕はまだ生きてるよ。」神経を逆撫でするような声と、生ぬるい風が蓮華達を包んだ。「不知火お兄様・・」「久しぶりだね蓮華、元気にしていた?」呆然と自分を見つめている蓮華に向かって、不知火はにっこりと彼女に優しく微笑んだ。「不知火・・」香は銃口を不知火に向け、撃鉄を起こし引き金を引いた。銃弾が不知火の額を貫き、彼は地面へと崩れ落ちた。「痛いなぁ。」不知火はけろりとした様子で起き上がると、香を睨んだ。「お前・・」にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月22日
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「今日は部屋で休むわ。何だか疲れちゃったから。」「お休みなさいませ。」教会から去っていくユーリアの背中を見つめると、アベルはしんと静まった教会内を見つめると、その中から出て扉を静かに閉めた。ふと何かが大理石の廊下に落ちた音がして、アベルはアデルから貰った鍵を慌てて拾い上げた。死に間際、アデルはこの鍵を自分に託した。アベルはアデルの部屋へと向かった。 彼女の部屋は生前と変わらぬ様子で、今にもアデルが扉を開けて中に入ってきそうな感じがした。アベルは鍵を握り締めると、引き出しの一番上の段にある鍵穴にそれを挿し込んだ。ガチャリという音がして、アベルが引き出しの中を開けると、そこには一通の封筒が入っていた。『アベルへ』アデルの筆跡で書かれたその封筒を震えながらアベルは手にして封を切ると、中からアベルの誕生石であるエメラルドのネックレスと彼女の手紙が入っていた。『この手紙をあなたが読んでいるということは、もうわたくしがこの世にいなくなっているということね。 わたくしはあなたの事を今まで実の兄のように慕っていたけれど、ユーリお兄様とあなたが失踪なさったと聞き、気が狂いそうでなりませんでした。 もしかしたらあなたは兄様と心中してしまったのではないかって一瞬思ったわ。だってあなたと兄様は愛し合っておられたから。』(アデル様は気づいていた・・ユーリ様に対するわたしの想いを・・)まだ子どもだと侮っていたアデルは、密かにアベルがユーリに想いを寄せていることを知っていた。『もしあなたと兄様の遺体が発見されても、わたくしは驚かないわ。でも何処かで元気にしているのなら、それでもいいの。わたくしはユーリお兄様に幸せになって欲しいの・・アベル、あなたにも。わたくしがこの国の母となれば問題は解決する、そうでしょう? 簡単な事ではないと解っているけれど・・わたくしはあなた達の笑顔が見たいの。特にユーリお兄様の心からの笑顔が。』(アデル様、わたし達のことをこんなにも・・こんなにも気遣ってくださっていたのですね・・)ネックレスを握り締めながら、アベルは涙を流した。アデルは幼いながらにも自分とユーリの幸せを願っていた。だがユーリの幸せは、アベルの傍にはなかった。ただ単にアベルは、自分の望みをユーリに知らぬ内に押し付けているだけだった。だからユーリはアベルの元を去った。それだけのことだ。(アデル様、わたしはあなた様の事を忘れません・・)アベルはアデルから贈られたネックレスを握り締めると、部屋から出た。「アベルさん、こんなところにいたの。」黒いドレスに身を包んだ蓮華がそう言ってアベルを見ると、彼は涙を流していた。「今はそうっとしておいてやれ、蓮華。」「香様・・」「実の妹のように接していた皇女様の死を看取ったんだ。さぞや辛いに違いない。」香はそう言うと、涙を流しているアベルを見ると、妻の肩を抱き寄せてその場から去った。 一方不知火は、アデルの死によって王国内での不満が爆発寸前の状態にあることを感じてにやりとほくそ笑んでいた。(もうすぐだ・・もうすぐこの国は我ら鬼族のものとなる。)興奮に震えた手で、不知火は肌身離さず身につけているロケットを開いた。そこには彼が愛してやまぬ亡き姉・羅姫の写真が入っていた。「姉さん、見ていてね。姉さんが望む世界をもうすぐ作ってあげるからね。」季節外れの雪は止むどころか、ますます激しくなり、吹雪がまるで皇女の死に天が怒っているかのようだった。“彼女はまだ死ぬべきではなかった”と。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月22日
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ダブリス王国皇女・アデルの訃報は国内外に大々的に報道され、その報せは麗真国の摩於と槙野の耳にも届いた。「そんな・・アデルが死んだなんて・・」忙しい公務の合間に部屋で休んでいた摩於は槙野の口からアデルの訃報を知ると、黒い瞳を驚きで見開かせてそう呟いた。「わたくしもまだ信じられませぬ・・あんな天真爛漫な姫君が虐殺などという蛮行をなさる筈がありません。」「アデル・・」摩於の脳裡に、昔アデルと遊んだ記憶が浮かんだ。あの時自分に浮かべたアデルの笑顔がもう二度と見られないなんて、未だに信じられない。一体、彼女に何が起きたのだろうか。 アデルの遺体は宮殿内の教会に安置され、葬儀の準備で司祭館は目が回るほど忙しかった。そんな中、彼女の最期を看取ったアベルは、涙を堪えながら同僚達と葬儀の準備をしていた。(アデル様・・)死の間際に自分が好きだと告白したアデルは、今はもう冷たい骸となり棺に納められている。そんな辛い現実を早く受け入れなければと頭では思いながらも、アベルは彼女の死を認めたくはなかった。(しっかりしろ。)ここで未練がましく立ち止まってはいけないと、アベルは何度も自分を叱咤した。アデルの死を嘆き悲しんだところで、彼女が黄泉の淵から甦ることはないのだから。「アベル、ここにいたのかい。」不意に背後から声を掛けられてアベルが振り向くと、そこにはアドリアンが立っていた。「アドリアン様、何かわたくしにご用でしょうか?」「アデル様の葬儀を、君に取り仕切って貰いたい。」アドリアンの言葉を聞いたアベルは瞠目し、全身が金縛りに遭ったかのように動けなくなった。「わたしのような若輩者がそのような大役を務められるかどうか不安ですし・・申し訳ありませんが・・」「ユーリア様たってのご希望なのだよ。」「ユーリア様の、ですか?」アベルの問いに、アドリアンは静かに頷いた。「君が生前、アデル様と親しかったこと、そして何よりもアデル様が君を実の兄のように慕っていたことなどをユーリア様はわたしに教えてくださってね。わたしはアデル様の葬儀を君に任せたいと思ったのだよ。」「ユーリア様は、参列されるのですか?」「ああ。」「承りました。」 もう季節は春だというのに、アデルが死んだ日は何故か季節外れの雪がリヒトの街を覆っていた。彼女が死んだ夜、宮廷内の教会では法衣に身を包んだアベルが祭壇に立ち、若すぎる皇女の死を悼むとともに、彼女の人柄などを称えていた。「わたしは彼女ほど笑顔が似合う女性はいらっしゃらないと思いました。その笑顔が見られなくなってしまったことは大変辛く思います。ですが彼女は神の御園へと旅立ち、天上からわたし達のことを見守ってくださることでしょう。」アベルはそう言って言葉を切ると、信徒席の最前列―皇族専用の席に座っていたユーリアを見た。車椅子に乗ったユーリアは、涙を浮かべながらアベルを見つめていた。それは、悲しすぎる再会だった。「アベル、久しぶりね。」「お久しぶりです、ユーリア様。」通夜が終わった後、アベルはそう言ってユーリアに頭を下げた。「笑顔で再会したかったのに、あたしったら駄目ね。こんな時こそ明るく振る舞おうと思っていたのに・・」「わたしもです。でも心は嘘を吐けません。」「そうね、そうよね・・」にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月22日
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アキュール離宮で起きた事件は、瞬く間に王国全土に知れ渡った。 反乱分子と和解した皇女が彼らのみならず、離宮に居る者達を全員虐殺したという衝撃的な事件の真相は、事件から一週間経ってもまだ解らずじまいだった。そんな中アベルは今日も、アデルの病室へと向かった。事件から彼女は病院に搬送され、辛うじて“生きて”いた。だが薔薇色の頬は蒼褪め、蒼い瞳は閉じられたままだ。「アデル様・・」アベルが変わり果てた皇女の手を握ると、彼女の目がゆっくりと開いた。「アベル・・?」「アデル様、意識が戻られましたか!?」アベルがアデルを見ると、彼女は弱々しく彼に微笑んだ。「わたくしはどうして・・ここにいるの?」「アデル様、離宮でのことを憶えていらっしゃらないんですか?」「解らない・・何も憶えていないのよ・・」アデルはそう言うと苦しそうに咳き込んだ。「わたくし・・死ぬのかしら?」「大丈夫です、あなたはきっと助かります。」アデルを安心させる為に、アベルは咄嗟に嘘を吐いた。「アデル様のご容態は?」数分前、アベルはアデルの担当医にそう尋ねると、彼の顔は曇った。「余り良くありません。殺傷力の高い銃弾により肝臓や肺の近くを撃たれており、一時は出血性ショックにより手術中に死亡しそうなりましたが、何とか持ちこたえました。ですが、感染症の危険もありますしまだ予断を許されない状態です。今夜が峠でしょう。」「そんな・・」5年振りの再会に喜んだのも束の間、アデルが死の危機に瀕していると知ったアベルは絶句した。(どうして・・どうしてこんな事に・・)自分との再会を喜ぶ、弾けるような笑顔を浮かべていたアデルが死ぬなんて、信じたくなかった。現にこうして彼女と話をしているではないか。彼女が死ぬなんて、何かの悪夢に違いない―アベルはそう思いながらも、無理にアデルに向かって笑顔を浮かべた。「いつ・・退院できるの?」「もうすぐですよ。退院したら、昔ユーリ様達と4人で行った海に行きましょう。海水浴にはまだ早いですけど。」「そうね・・アベル、あなたに渡したいものが・・あるの・・」アデルはそう言うと、ベッドの横にある引き出しの一番上の段を指した。「そこに・・わたくしの部屋の引き出しの鍵があるの・・」「これですね?」アベルが引き出しから鍵を受け取りアデルに見せると、彼女は安心したかのような笑みを浮かべた。「中に・・あなたへのプレゼントがあるの・・気に入ってくれたらいいけど・・」「アデル様、もうお休みになってください。」堪えていた涙が溢れ出て自分の頬を濡らしているのにも構わず、アベルはそう言って無理に笑おうとした。「あのね・・わたくし・・アベルのことが・・好きだった・・」アデルはアベルの手を握り締めると、ゆっくりと目を閉じた。その刹那、彼女の異常を知らせる機械の音が甲高く鳴り響いた。「アデル様?」バタバタと慌ただしい足音がしたかと思うと、看護師と医師が病室へと入って来た。「アデル様、しっかりなさってください!」「少し出ていってくれませんか?」看護師の肩越しに、医師が懸命にアデルに蘇生処置を施しているのが見えた。だが、機械は甲高い音を出し続けるだけだった。「嫌です・・アデル様、嫌です!」ベッドのスプリングが軋む音がする度に、アデルの華奢な身体が揺れた。「午後2時50分、ご臨終です。」医師の口から残酷な言葉を告げられた時、アベルは床に崩れ落ちた。ベッドの上には、まるで眠っているかのような安らかな死に顔を浮かべているアデルが横たわっていた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月20日
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「アデル様は今ごろ会場へと向かっている頃でしょうね・・」司祭館で仕事をしながら、アベルは溜息を吐いて蓮華を見た。「ええ。それにしても突然アデル様があんな事をおっしゃるなんて・・それに、あなたの事を急に邪険になさるなんて、おかしいわね。」アデルの様子がおかしい事に、蓮華も気づいていた。数日前の彼女の姿から見てみると、何かがおかしい。13歳の少女が急に会いたくてたまらなかった友人相手に冷たい態度をとるだろうか。有り得ない。彼女が何者かに操られているならともかく、まだ精神的に未熟な彼女があんな態度を取るのには、何か理由がある。「ねぇアベルさんはアデル様と親しかったの?」「ええ。5年前、ユーリ様やユーリア様がまだ宮殿におられた頃、アデル様と4人で遊んだり、出かけたりしてました。その頃のアデル様はとても愛らしくて、まるで天使のようでした。」「そう・・あなたと再会した時のアデル様は、あなたが言っていた天使のような笑顔でわたし達を迎えてくれたわよね? でも今彼女からその笑顔が消えているのよ。」蓮華の言葉に、アベルの顔が曇った。「アデル様はわたしが居ない5年の間に、色々と苦労をなされたんでしょう。その間、幼い彼女の心は傷ついていったんでしょうね・・」「そうね・・」人は変わる。この世に産まれ落ちてから、幼き心はいつしか傷を負い、それが塞がらぬ内に徐々に傷つき、穢れてゆく。ふと気づけば、穢れを抱いた心はやがて闇へと堕ちてゆく。その勢いを誰にも止めることは出来ない。神でさえも。「レンゲさん、わたしがここに戻ってきたのは間違いだったでしょうか?」「それはわたしには解らないわ。」「そうですよね・・」 数時間後、リヒト郊外のアキュール離宮にて、アデルはダブリス王国を悩まし続けていた反乱分子達と和睦を成立させた。「これでわたくしのお蔭で、王国が新しく生まれ変わることができますよね?」アデルはそう言って不知火を見ると、彼は彼女に優しく微笑んだ。「ええ、あなたが犠牲となれば。」「何を・・おっしゃっているの?」不知火は紫紺の瞳でアデルを見つめた。「新しい歴史を紡ぐ為には、犠牲が必要なのですよ、アデル様。」「そう・・ではわたくしは何をすればいいのかしら?」「簡単な事ですよ・・」不知火の口が不吉な言葉を吐くと、アデルは憑かれたようにそれに静かに頷いた。「わかりました、あなたの言う通りにいたしましょう。」不知火から拳銃を受け取ると、アデルは天使のような笑みを崩さずに部屋から飛び出した。「アベル様、どうかなさいましたか?」丸腰で近づいて来た男に向かって躊躇い無くアデルは引き金を引いた。「これでいいのだわ・・わたくしは間違ってなどいない・・」鮮血に濡れた廊下を、アデルは熱に浮かされたようにそうぶつぶつと繰り返し呟きながら歩いていた。彼女の華奢な身体を包んでいるドレスはぼろ布と化し、裾に施されたレースが辛うじて原形を留めていた。「よく出来ましたね、アデル様。」「シラヌイ!」両手を広げて自分へと向かってくるアデルを、不知火は躊躇いも無く撃った。皇女の長い金髪が波打ちながら、大理石の床に広がった。彼女の蒼い瞳は、徐々に光を失った。「アデル、起きて! アデル様が・・」アキュール離宮で起きた事件をアベルが知ったのは、その日の真夜中のことだった。「そんな・・アデル様が・・」にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月20日
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その夜、不知火はアデルの部屋へと向かうと、彼女は嬉しそうにドアを開けた。「お前達はもう下がっていいわ、この方とお話しすることがあるから。」「ですが、皇女様・・」「わたくしの言う事が聞けないの?」アデルはそう言うと、ジロリと女官達を睨みつけた。「で、では・・」彼女の視線にたじろいだ女官達はそそくさと部屋から出て行った。「これでやっと2人きりになったわ。シラヌイ、お話って何かしら?」「実はアデル様に、お願いがありまして・・」不知火はアデルの耳元に何かを囁いた。「それは、確かなの?」「ええ。近々戦いの兆しがあります。それを防ぐ為にも、王国内で殺戮行為を繰り返している恐怖分子達と手を組むべきかと。」「わたくしが、テロリストと手を組めとおっしゃるのですか? シラヌイ、いくらあなたのお願いでもそれだけは承諾できません。彼らはこの王国に仇なす者達ですよ。それなのに彼らと和解し、手を組めと?」「アデル様がそうお思いになられるのはもっともです。ですが王国内では王党派と彼らとの間で無益な戦いが繰り広げられ、その度に罪なき者の血が流れました。そんな事を繰り返しても、何もならないでしょう?」不知火の言葉に、アデルの蒼い瞳が少し翳った。「確かにあなたが言う事は間違っていないとわたくしは思うけれど、でも・・」「アデル様、迷いは禁物です。あなたはいずれこの国を背負う方。一時の迷いがこの国の運命を大きく左右するのです。」「わたくしが、この国を動かすというのですか?」アデルの言葉に、不知火は静かに頷いた。「アデル様、ご決断を。」不知火の真摯な光に満ちた紫紺の瞳を見ていると、アデルは何故か彼の言葉に無意識に従ってしまう。「わかったわ、わたくしはあなたの言う通りにするわ。」「ありがとうございます、アデル様。」(愚かな小娘だ・・) 数日後、謁見に来ていた貴族達は、アデルが放った言葉に衝撃を受けた。「長い間ダブリス王国は、王党派と反乱分子達との戦いで疲弊してきました。ですが、本日を以ってわたくしは彼らと和解することにいたします。」―今、アデル様はなんと・・―テロリスト達と和解するだと? そんな馬鹿な!―一体どうなるんだ、この国は。貴族達の間で戸惑いの声が囁き交わされる中、少し離れたところでアデルの言葉を聞いていたアベルは呆然とした様子でそこに立っていた。(アデル様、あなた様は一体何をお考えなのですか?)「アデル様、お話しが・・」「ごめんなさいアベル、先約があるからこれで失礼するわ。」謁見の間を出たアデルに声を掛けたアベルだったが、アデルは何処かアベルを避けるように彼と目を合わさずに女官達とともに廊下の角へと消えていった。(アデル様・・?)数日前までは自分との再会を喜んでいたのに、今日はまるで掌を返したかのように冷たい態度を取るアデルに、アベルは困惑した。「どういうつもりだ、アデル。何故あんな事を・・」「全てを終わらせる為ですわ、お父様。」皇帝の私室に呼ばれたアデルはそう言うと、皇帝を見た。「全てを終わらせる為、だと? それは一体どういう意味だ?」「それはこれから解りますわ、お父様。」 同じ頃、不知火は宮殿内の部屋である人物と会っていた。「どうだ、首尾は?」「上々です。アデル様が先ほど、和解宣言を致しましたし。」「そうか。何と言ってお前はアデル様を誑かしたのだ?」「誑かすなど、人聞きの悪い事をおっしゃる。ただアデル様に助言を呈しただけですよ。」「ふん、まぁいい。これで建国以来700年も続いていた皇室も無くなるという訳だ。」 アデルの発案により、リヒト郊外で反乱分子達との和睦締結の場が数日後に設けられることとなった。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月20日
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「あなたが・・わたしの・・」「ええそうよ、わたしがあなたのお母様よ。」そう言って女性はアベルを愛おしそうに見つめた。「ここでは何だから、中でお話ししましょう。さぁ、神父様もいらして。」女性とともにアベル達はダイニングへと通された。「丁度お茶の時間だったのよ。色々と聞きたい事がおありでしょう?」女性は紅茶を一口飲むと、アベルを見た。「どうしてわたしを捨てたんですか? 腹を痛めて産んだわたしを手放したのは、何故ですか?」「それは・・仕方がなかったのよ。わたしはまだ若くて、あなたを1人で育てる力がなかったの。わたしは再婚して家庭を持っているけれど、あなたの事を今まで一度も忘れたことがないのよ。お願いアベル、許して・・」女性は椅子から立ち上がると、アベルの手を握った。「わたしは、あなたとは暮らせません。」翠の瞳に決意の光を宿らせながら、アベルはそう女性に告げた。「アベル・・?」「あなたがわたしを捨てざるおえなかった事情は解ります。けれど、わたしはあなたの事を一度も思ったことはありません・・酷な事ですが、それを理解してください。それと、わたしはもう2度とあなたにはお会いいたしません。」アベルはそう言うと、椅子から立ち上がった。「アベル、それがあなたの答えなのね? あなたを捨てたわたしへの・・」「はい。」アベルは女性に背を向けると、ダイニングから出て行った。「アベル、待ち給え!」玄関ホールへとアベルが歩いていると、ゲオギルスはそう言ってアベルの手を掴んだ。「あれでいいのか? ちゃんとお母様と話し合うことは・・」「ありません。ただ、母がわたしを捨てた理由が判っただけでもいいです。」アベルはそう言って、ゲオギルスを見た。(アベル・・お前はいつからそんな冷たい瞳をするようになった?)ゲオギルスはそう思いながらも、慌ててアベルの後を追った。「シラヌイ、来てくれたのね、嬉しいわ。」「アデル様、ご機嫌麗しゅうございます。」アデルはお茶会に不知火の姿を見て、貴族達の面前に関わらず新参者である彼の方へと駆け寄った。「余り居心地は良くないだろうけど、あなたが居てくれるだけでわたくしは嬉しいの。」「そうですか、皇女様にそのようなことを言っていただけるとは嬉しい限りです。」不知火はそう言って、紫紺の瞳を煌めかせながらアデルに微笑んだ。アデルは恥ずかしげに俯いた。―まぁ、ご覧になって・・―あの青年は何者なの? やけにアデル様と親しいようだけれど・・―もしかして、ねぇ・・お茶会に集まっていた貴婦人達が、扇子の陰でヒソヒソとそう囁き合った。「アデル様、わたしがここに居ては余りあなたのお立場が・・」「何を言っているの。わたくしがあなたに居て欲しいと思っているのよ、何も気にすることはないわ。だから、今日は一緒に居てくれる?」アデルはそっと不知火へと手を伸ばした。不知火はアデルの白魚のような手を優しく握った。「あなたのお望みのままに。」紫紺の瞳に再び見つめられたアデルは、頬を赤く染めた。(単純な娘だな。まだ幼いから無理はないか・・)「ねぇシラヌイ、こんな所で言うのはちょっと恥ずかしいけれど・・今夜、わたくしの部屋に来てくださらない?」「ええ、わかりました。必ず参ります。」アデルは嬉しそうに不知火に微笑むと、長い金髪を揺らして不知火から離れていった。(今夜が楽しみだわ。)(馬鹿な小娘・・もう僕に夢中だな。彼女を操るにはもうひと押し必要か。まぁいい、彼女はこれで・・)アデルの背中を見送りながら、不知火は口元を歪めて笑った。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただければ嬉しいです。
2010年12月19日
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翌朝、アベルは璃音のことを話し合う為に、ルクレツィア伯爵家へと向かった。「本当に、あなたの気持ちは変わらないのね?」レディ=ソフィーはそう言うと、冷ややかな目でアベルを見た。「はい。わたしはあの子を手放すつもりはありません。」「仕方ないわね。それよりもあなた、自分をお産みになったお母様にお会いしたくない?」「母は死んだと聞かされました。もし母が生きているとしても、自分を捨てた彼女に会うつもりはありません。」「そう、残念ねぇ。あなたが貴族だと判れば、あなたが愛する璃音とずっと一緒にいられるのよ? それでも会いたくないと言うの?」レディー=ソフィーの言葉に、アベルは驚きで目を見開いた。「わたしが・・貴族?」「そうよ、今までその事を知らずに生きてきたの? あなたはね・・」レディー=ソフィーの口から、衝撃的な事実を聞いたアベルは呆然とした様子で伯爵家から出て行った。(わたしが、貴族だったなんて・・)『あなたは貴族の跡継ぎなのよ。だからわたくしがわざわざあなたから璃音を取りあげるなんてまどろっこしいことをせずに、ずぅっとあの子とあなたは一緒に居られるわ。』初めて自分の出生を知ったアベルは、どうすればよいのかわからなかった。だが貴族であれば、璃音と一緒に居る事が出来る。自分を産んで捨てた母に、会いさえすれば。(わたしの母は、何故わたしを捨てたのだろう?)貴族の女性であった母が、乳飲み子であった自分を捨てたのには、深い事情があったに違いない。その事を確かめる為に、アベルは孤児院へと向かった。「アベル兄ちゃん!」孤児院の門をくぐると、7,8歳位の少年がアベルの方へと駆けてきた。「久しぶりだね、マリウス。」宮廷付司祭になる前に、アベルは他の子ども達の面倒を見たりしていたので、彼らからは実の兄のように慕われていた。「院長先生に会いに来たの?」「うん。先生は何処にいるのかな?」「お部屋に居ると思うよ。ねぇアベル兄ちゃん、折角来たんだからあとで一緒に遊んでよ!」「わかったよ。」アベルは少年の頭を撫でると、孤児院の中へと入った。1階の廊下の突き当たりが、院長室だった。「失礼致します。」「お入りなさい。」アベルがドアを開けると、そこには院長のゲオギルスが椅子に座っていた。「お久しぶりです、院長先生。」「アベル、立派になりましたね。今日は、何か聞きたいことがあってここに来たのでしょう?」ゲオギルスは淡いブルーの瞳で、アベルの心を見透かすかのように彼を見つめた。「はい、院長先生。わたしの母について、お聞きしたいのです。」「時が来ましたか・・アベル、わたしについてきなさい。」「はい。」ゲオギルスとともにアベルは孤児院の裏口から外へと出た。「これから何処へ向かうんですか?」「あなたの母親の元ですよ。」裏口で待機していた馬車に乗った2人は、やがて上流階級が住まう地域の中にある邸の前で馬車を降りた。「ここが、あなたの母親が居る家ですよ。」ゲオギルスはそう言うと、ドアノッカーを叩いた。「どなた?」ドアが開き、家の中から自分に似た黒髪の女性が出て来た。「あなた・・もしかして、アベルじゃなくて?」「はい、そうですが・・」「アベル、会いたかった!」女性はそう叫ぶなり、アベルに抱きついた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月19日
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「香様、どうしてここへ?」「ああ、少し仕事でな。この宮殿に魔物が潜んでいるという情報を得たんだが、その気配はないな。」香は蓮華と踊りながら辺りを見渡した。ここには魔物の姿はおろか、その気配すら感じられない。「人目の多い場所にいるとは限りませんわ。もしかしたら、この宮殿内の何処かに・・」蓮華がそう言った時、大広間の入口から悲鳴が聞こえた。「もしかしたら魔物かもしれませんわね。」「行ってみるか。」香と蓮華が悲鳴のした方へと向かうと、そこには令嬢が蒼褪めながらバルコニーの方を見つめていた。「どうした?」「さっき魔物が・・魔物が向こうに!」「ありがとう。蓮華、行くぞ!」香と蓮華はバルコニーから外へと飛び出した。「大丈夫か?」「ええ。それよりも何だか獣の臭いがしません? とても嫌な臭いだわ。」蓮華はそう言うと、口元を覆った。獣の臭いは2人が中庭の奥へと進むにつれて酷くなっていった。暫くすると、漆黒の闇の中で何かが動く気配がした。「蓮華、下がっていろ。」香は腰に帯びていた日本刀の鯉口を切った。すると、闇の中から口元を血で濡らした狼が香に向かって突進してきた。「縛鬼伏邪(ばっきふくじゃ)、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」香は呪を唱えると、狼の横腹を薙ぎ払った。狼は断末魔の叫び声を上げ、霧散していった。「今のは、一体・・」「この宮殿に潜んでいる魔物だ。まだ気配を感じるということは、他にもいるようだな。」「ええ。戻りましょうか、香様。」蓮華がそう言って背を向けて歩き出そうとした時、血の臭いを感じた彼女は、その時初めて中庭に倒れている少女を見つけた。緑の芝生と長い金髪を血で濡らし、少女は苦しそうに呻きながら蓮華に向かって助けを求めるかのように手を伸ばした。「待っていて、今助けてあげるからね。」蓮華は呪文を唱えると、少女の傷口にそっと触れた。「この子は確か・・」「香様、この子を知っているんですか?」蓮華の問いに香が答えようと口を開こうとした時、血相を変えたアベルが彼らの元へと走ってきた。「璃音、しっかりしろ、璃音!」「アベルさん、どうしてこんなところに璃音が?」「それはわたしにも解りません・・一体何があったんです?」「魔物に襲われたのかもしれん。あいつらにとって人魚の血肉は人間と同様不老不死の力を得ると同時に、妖力が増すものだからな。」香はそう言うと、血の気のない璃音の前髪を掻き分けた。額には、人魚の証が刻まれていた。「璃音は助かりますか?」「ああ。蓮華が力を使って治療したから心配は要らない。しかし、まだ警戒が必要だ。夜は余り出歩かないようにしないとな。」「ええ・・」アベルは璃音を抱き上げると、蓮華と香とともに中庭を後にした。(アベル、その子は誰なの?)アベルの腕に抱かれている少女を廊下で見かけたアデルは、アベルに声をかけようか迷ったが、結局彼に声を掛けることをやめた。部屋に戻ったアデルは溜息を吐くと、寝台に寝転がった。脳裡に何度も何度も浮かんでくるのは、少女を心配そうに見つめるアベルの姿だった。(あの子はわたくしよりも大切な子なの、アベル?)アデルの心があの少女の登場により、少しざわつき始めた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックっしていただけると嬉しいです。
2010年12月19日
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初めて出る舞踏会に、アデルは気後れしていた。自分を見つめる沢山の視線と、彼らが呼吸する音に耐えきれなかった。「お綺麗ですわ、アデル様。」自分に寄り添うように立っている女官がそう言ってアデルの美しさを褒め称えたが、そんな言葉は彼女の気持ちを励ますどころか、ますます恐怖心をあおり立てるだけだった。「ごめんなさい・・少し外の風に当たってくるわ。」ドレスの裾を摘むと、アデルは人気のないバルコニーへと向かった。(早く部屋に帰って休みたい。)アデルは溜息を吐くと、バルコニーから見える王都の街並みを眺めた。あの街に住む人々は、自分の事をどう思っているのだろうか。愚かな強欲な女に良いように操られている哀れな皇女。何も言わぬ愚かな人形。(わたしは何も出来ない・・お母様の暴走を止めることもできない・・)蒼い瞳を涙で潤ませていると、誰かが自分の肩を叩く感触がしてアデルはゆっくりと振り向いた。「どうしたのですか、そんな暗い顔をして?」そこには、紫紺の瞳で自分を見ている青年が立っていた。「いえ、ちょっと嫌な事があって・・」「そうですか。誰にだって泣きたいときはありますよ。でも、あなたのような美しい人は涙よりも笑顔の方が似合いますよ。」青年の言葉に、アデルは少し笑顔を浮かべた。「そう、その笑顔ですよ。もう大丈夫ですね? 一緒に踊りませんか?」青年が差し出した手に、アデルはそっと握った。 一方蓮華は、踊る人々を見ながら溜息を吐いていた。今まで慣れぬ土地で暮らすことに精一杯で、家族の事を忘れて来た彼女だったが、着飾った男女が踊る姿を見て、不意に夫の事が恋しくなった。(香様・・ごめんなさい・・わたしは・・)蓮華が涙を流し心の中で夫に詫びていると、誰かが彼女の肩を叩いた。「蓮華、やっと見つけた。」蓮華がゆっくりと顔を上げると、そこには夫―香が立っていた。「香・・様・・どうして、ここに?」「お前をやっと見つけた。もう、離さない。」香はそう言うと、蓮華を抱き締めた。「会いたかった、香様・・」香は蓮華の唇を貪った。(レンゲさん、良かった・・)踊りの輪の外で、香と蓮華が再会を果たしているのを見たアベルは、安堵の表情を浮かべた。「余所見はしちゃ駄目よ。」レディー=ソフィーはじろりとアベルを睨んだ。「す、すいません・・」「まぁいいわ。璃音はあなた達と一緒に居るんでしょうね?」「ええ。ですがわたしはあの子をあなたに渡す訳にはいきません。わたしにとってあの子は命そのものなんです。」「わかったわ。あなたがそれを望むのなら、わたくしはあの子のことを諦めるわ。」レディー=ソフィーは溜息を吐くと、アベルから璃音を引き離す次の策を考え始めた。「ありがとう、ダンスに誘ってくださって。」「いいえ。丁度女の子達の視線に耐えられなくなって相手を探していたら、あなたを見つけただけのことですから。でもあなたと知り合えて良かった。」「わたくしも・・あなた、お名前は? わたくしはアデル。」「アデル・・良い名ですね。わたしは、不知火といいます。」青年の紫紺の瞳が妖しい光で煌めいた。「シラヌイ・・何だか幻想的で素敵なお名前ね。」「ありがとうございます、そんな事言われたのははじめてです。」「あの・・あなたの都合がよろしければ後でお話ししませんか?」「ええ、喜んで。」青年はそう言うと、アデルに微笑んだ。愛する姉の代わりにはならないが、この少女は利用できる―地獄から甦った不知火はそう思いながら、優雅にワルツのステップを踏んだ。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーからクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月17日
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暫くアベルがアデルに寄り添っていると、女官達の足音よりも荒々しい足音が聞こえたかと思うと、乱暴に扉が開かれ、狡猾な悪女―クレメンテが部屋に入ってきた。「お前、お前は・・」真紅の双眸を驚愕で見開きながら、クレメンテはアベルを見つめた。「お久しぶりです、クレメンテ様。お噂はかねがね聞いております。性懲りもせず何かを企んでいらっしゃるとか。」「何とでも言えばいいわ。ユーリとユーリアという強力な後ろ盾が居なくなった今、お前が何かした所でわたくしに何の影響もないのよ。」クレメンテはそう言うと、勝ち誇ったような笑みをアベルに浮かべた。その笑みを見て、アベルは吐き気を催しそうになった。この女は強欲を満たす為なら何でもする。「クレメンテ様、ひとつお聞きしたいことがあるのですが、宜しいでしょうか?」「なぁに?」「アデル様、少し失礼いたします。」アベルはそう言うなり、アデルのドレスの袖を捲った。「アデル様から聞きましたが、あなたは実の娘に折檻をしているそうですね? それも毎日のように。その上まだ年端もゆかぬアデル様に縁談を持ち込んだとか。」「アデルほどの年頃に縁談話があるのは王族として生まれた者なら当然の事です。わたくし達はお前達のように時間を一分でも無駄にしたくはないのよ。おわかりかしら?」まるでアベル達庶民は暇人だと言うかのようにクレメンテはそう彼に吐き捨てるように言うと、アデルを睨んだ。「アデル、良かったわねぇ、あなたの愛しの天使様が見つかって。でもお前は一生彼とは結ばれないわ。お前の結婚相手はこの国なのよ。その事を早く自覚して貰わないと困るわね。」「はい、お母様・・」クレメンテは娘の返事を聞くと、さっさと部屋から出て行った。「何なのかしら、あの態度は。あれが腹を痛めて産んだ娘に対するものなのかしら?」今までの一部始終を見ていた蓮華がそう言って憤慨した。「あの女は自分のことしか考えないんですよ。アデル様を王位に就かせ、その裏から自分が政をしようと企んでいるのでしょう。毒蛇のように陰険で狡猾な女ですよ、彼女は。」「でも、あの女の腹から生まれたアデル様が母親に似ていなくて良かったわ。」蓮華はそう言うと、先ほどから黙っているアデルの手をそっと握った。「あなたの事は、わたし達が守ってあげるわ。だからあんな女なんかに負けないで。」「ありがとう・・」アデルは蓮華の笑顔に、母から傷つけられた心が少し癒されたように感じた。 その夜、蓮華はアベルとともに国王主催の舞踏会へと出席した。5年前に皇太子と失踪した司祭が宮廷に突如として姿を見せ、貴族達は一体何があったのかと訝しがった。「やはりこのような場に出てくるのは不味かったでしょうか?」アベルはそう言うと、溜息を吐いた。ちらちらと、貴族の令嬢達やご夫人達がアベルの方を見ては何かを囁き合っている。失踪した司祭が女連れで戻ってきたこと、そしてその司祭が晴れやかな場にいるという不自然さが噂話の格好の種となるのだから、仕方ないと言えばそれで充分なのだが。「あら、あなたはアベルさんじゃなくて?」もうそろそろ舞踏会から辞そうかとアベルが思っていると、突然背後から聞きなれた声が聞こえて彼が振り向いた。そこにはレディー=ソフィーが立っていた。「あらレンゲさんもいらしていたのね。素敵なドレスだこと。」真紅のドレスを纏った蓮華をチラリと横目で見ながら、アベルに向き直った。「踊って下さらない事?」楽団が音楽を奏で始めた時を見計らって、レディー=ソフィーはそう言うなりアベルに手を差し出した。「ですが・・」「わたしに気兼ねせずに行って来たら?」「すいません・・」半ばレディー=ソフィーに引き摺られるようにしながら、アベルは彼女とともに踊りの輪に加わった。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月17日
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アベルが全てを話し終えると、アデルは涙を流した。「そう・・色々と大変な目に遭ったのね。ユーリお兄様はお元気でよかった・・5年前、ユーリお兄様が失踪してから気が気でなかったわ。何処かでお亡くなりになられているんじゃないかと思って・・でもそうじゃなくて、安心したわ。」「アデル様・・」妖狐界へとユーリとともに渡ったことは、アデルには申し訳ないと思った。突然愛する者が2人も消え、この5年間アデルはどんな思いで過ごしてきたのだろう。あんな母親の下で、彼女は何度も眠れぬ夜を過ごしていたのだろうか?「アデル様、今までご心配をおかけしてしまったことを、お許しください。」アベルはそう言うと椅子から立ち上がり、アデルに向かって跪いた。「いいのよ、もう。あなたとユーリお兄様が無事だと知っただけで、安心したわ。それよりも、あなたが居た村が水害で今大変なんですって?」「ええ。その村では長年、黒髪だというだけである神父が無実の人間に拷問を加え、重労働を課しておりました。こちらをご覧ください。」アベルはそう言うと、床に置いていた鞄の中からあの神父が今までしてきた悪行を纏めた書類を取り出し、彼女に渡した。「酷いわね・・こんな方が教会にいるなんて、信じられないわ。」「ええ。ですが天が彼に罰を下しました。彼の魂は地獄で朽ち果てることでしょうね。」「この書類は国王陛下に近々わたくしの手から渡しておきましょう。教会本部の腐敗ぶりを暴く材料になりそうだから。」「ありがとうございます。」アベルが頭を下げた時、廊下から慌ただしい数人分の足音が聞こえた。「アデル様、アデル様!」「何なのです、騒がしい。何があったのです?」13歳の少女とは思えぬ落ち着き払った声を扉の向こうで控えている女官達へと放った。「クレメンテ様が、宮殿へお戻りになられました!」「お母様が? 数日は戻って来ないとおっしゃっていたのに。」「予定を切り上げてお戻りになられたようです。何でも、急用を思い出したとかで。」「急用ですって?」アデルの顔が強張った。もしかすると母は、縁談相手を宮殿に連れてきたのだろうか?「アデル様?」「大丈夫よ、アベル。お母様がお戻りになられたの。もしよければわたくしとともにお母様のお部屋に行ってくださらない? 何だか嫌な予感がするの・・」アデルはそう言うと、胸を押さえた。「お顔の色が悪いようですが・・少し横になられてはどうですか?」「いいえ、大丈夫よ。」アデルは椅子から立ち上がると、急激な眩暈が彼女を襲った。「アデル様!」大理石の床に倒れこみそうになったアデルの華奢な身体を、アベルは咄嗟に抱き留めた。「大丈夫・・大丈夫だから・・」アベルはふと捲れ上がったアデルのドレスの袖口から、赤黒い痣のようなものを見てしまった。「お母様はね、わたくしの事が嫌いなのよ・・」「そんな・・」アデルはこの5年間、母親から激しい折檻を受けていたのだ。その痛みも苦しみも、幼い彼女は1人で全て抱えひたすら自分やユーリが帰ってくるのを待っていたのだ。「本当に・・わたしはアデル様をお捨てになってしまいました・・何度詫びてもアデル様の心が・・」「あなたは優しいのね、アベル。昔から変わっていないわ、そういう所は。」アデルの白魚のような手が、そっとアベルの涙を指先で拭った。「あなたはいつも誰かの為に泣き、誰かの為に怒り悲しんでいた・・自分の為に動くことが大好きなお母様とは大違いだわ。」アデルは蒼い瞳を涙で潤ませながら、自分の元に再び舞い降りて来た天使の顔を見た。自分の為に泣いてくれている、優しい天使の顔を。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月17日
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「ここが、あなたがユーリ様と過ごしたところなの?」 アベルとともに宮殿の門をくぐった蓮華は、その壮大であり、また瀟洒な建物に目を丸くした。「ええ。わたしはここで司祭を務める初日に司祭館への道を迷ってしまって・・困っているところをユーリ様が案内してくださったんです。」アベルはそう言うと、5年前この廊下でユーリと初めて出逢った時のことを思い出した。 あの時、彼が天上から舞い降りた天使のようだと思っていたが、彼の正体がこの国の皇太子であることを上司から知って面食らったことがあった。だがそれがきっかけで、ユーリと知り合うことになり、彼と話している間は慣れぬ仕事や環境に戸惑うことが多かったアベルの心に一時の安らぎを与えた。隣には、いつもユーリの笑顔が浮かんでいた。だが今は、その笑顔はもうない。ユーリは夫である匡惟にその笑顔を浮かべているのだ。もう2度と、アベルに笑顔を見せることはない、永遠に。「アベル? アベルなのでしょう?」背後から不意に呼び止められたアベルは、足を止めてゆっくりと背後を振り向いた。そこには、5年前にユーリと同時期に逢った、彼の異母妹・アデルが立っていた。「アデル・・様?」「アベル、あなたなのね!」そう言うとアデルは、金髪を揺らしながらアベルの胸へと飛び込んだ。「良かった、生きていたのね! てっきり死んだのかと思ったわ!」「アデル様、お久しぶりです。お元気そうで、何よりですね。」「ええ。そちらの方は?」皇女の視線が、アベルから蓮華へと移った。「こちらはレンゲさん、鬼族の次期頭領の奥方様です。」「初めまして、アデル様、蓮華と申します。」蓮華はそう言うと、ドレスの裾を摘み優雅に礼をした。「鬼族・・ではあなたは、この国に戦争をしに来たの?」先ほどまで笑みを浮かべていたアデルの顔が、急に険しくなった。「戦争だなんて、滅相もございませんわ。そのようなお話、誰からお聞きになられたのですか?」「お母様からよ。でもわたくしは信じないわ、あの人の話すことなんか。」アデルはそう言うと言葉を切り、俯いた。「アデル様・・」璃音の伯母・レディ=ソフィーから聞いた話によると、クレメンテはアデルを王位に就かせようと何かを企んでいるらしく、もう彼女には縁談が来ているという。まだ遊びたい盛りの皇女に結婚の話を出すとは、クレメンテは娘の事を何も解っていない。彼女は自分を中心に世界が回っていると思い込んでいる。だからこそ、決して娘が何を思っているのかを解ろうともしないし、娘を自分の思い通りに動かそうと思っているのだ。「ここではなんだから、わたくしの部屋でお話ししませんこと? お母様は今日、遠方に出かけているから、暫く戻らないと思うわ。」「ええ、そういたします。」アベルの言葉を聞いたアデルは、蒼い瞳を輝かせると彼から離れ、廊下を歩きだした。「ユーリア様のお姿が見られませんが・・」「ユーリアお姉様は、療養に行っていて、暫く戻ってこないの・・5年前の怪我が酷くて・・」アデルの言葉に、血塗れになって倒れていたユーリアの姿が脳裡に甦った。「ユーリア様にお会いすることはできませんか?」「大丈夫だとは思うけれど・・皇族と会うのはお母様の許可が必要なのよ。」「そんな事、昔はありませんでしたよ? もしかしてそれは・・」「お母様が勝手に作ったのよ、あなた達が消えてから。」アデルはそう言うと、アベルの手を握った。「ねぇアベル、どうして黙ってユーリお兄様とわたくしの前から消えたの?」「アデル様、実は・・」真実を求める皇女の瞳を、アベルは逸らす事ができずに、彼は彼女に今まであった事を全て話した。ユーリのことも含めて、全てを。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月17日
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ダブリス王国王都・リヒト。 ラミレス宮にある王宮庭園の中で、1人の少女が立っていた。腰下まである長い金髪をなびかせ、彼女は憂いを帯びた蒼い瞳で冬空を見上げていた。少女はそっと、首に提げてあるロケットを開くと、その中を見た。そこには幼い頃の自分と、大好きだった異母兄・ユーリと天使の姿が映っていた。「アベル・・ユーリお兄様・・」そっと写真に映っているユーリと天使の名を呼びながら、少女は涙を流した。「アデル様、こちらにいらっしゃられましたか! あの方がお呼びですよ!」女官の声がして、少女は涙を拭って彼女の方へと振り向いた。「今行きます。」先ほどまで憂いを帯びていた彼女の瞳には、それは消え失せていた。「アデル、あなたに縁談を持ってきたわ。」「縁談、ですか? わたくしに?」「ええ、そうよ。あの忌々しいユーリとユーリアが居なくなった今、あなたがこの王国の後継者よ。その婿選びには慎重にしないとねぇ。」そう言って自分に微笑む母・クレメンテの顔は邪悪そのものだった。5年前、ユーリが突然謎の失踪をし、ユーリアが無期限の療養を要する身体となってしまってから、国王にお払い箱にされたクレメンテはこの機会を逃すものかと大手を振って宮廷へと舞い戻ってきた。蛇のような狡猾で陰険な彼女は、絶縁した息子・アンブロワーズではなく、愛らしい皇女である娘・アデルに王位を継がせ、宮廷を乗っ取ろうとしていた。国王はクレメンテの思い通りにさせないようにしていたが、彼女は国王よりも一枚上手であった。「でもわたしはまだ13ですわ、お母様。それにユーリお兄様はいつかきっと戻って・・」「お黙り!」クレメンテは乱暴にカップをソーサーの上に置いて椅子から立ち上がると、アデルの頬を打った。「2度とわたしの前でその忌まわしい名を口にするんじゃないよ、アデル! わかったわね?」母に打たれ、床に蹲っていたアデルは、きりりと唇を噛み締めながら母を睨みつけた。「なんだいその目は? ええい憎らしい!」暫くすると、部屋には打擲の音が響き始めた。「アデル様、大丈夫ですか?」「大丈夫・・1人にしておいて・・」アデルは床に蹲りながら、ドレスの袖を殴った。そこには、今しがた母から受けた打擲の跡が痛々しく残っていた。(ユーリお兄様、アベル、どうしてわたくしの前からいなくなってしまったの?)孤独だった幼い自分を愛してくれたユーリとアベルは、もう宮廷にはいない。何処に居るのかさえ、生きているのかさえわからない。(会いたいわ・・)アデルはロケットを握り締め、嗚咽を漏らした。 同じ頃、璃音を連れたアベルと蓮華はリヒト郊外の宿に部屋を取った。「ここが、アベルさんの故郷なの?」「ええ。王宮でわたしはユーリ様と出逢い、彼と恋に落ちました。短い間でしたけど、ユーリ様の隣に居られた時間は、何よりも嬉しくて大切な時間でした。」今はもう、ユーリの隣に立つ事すら許されないが。「そう・・あなたはその時からユーリ様の事を・・」「言わないでください、それ以上は。辛くなりますから。」「ごめんなさい、わたしったら・・じゃぁ、隣で休んでいるわね。」蓮華が部屋を出た瞬間、アベルは溜息を吐いた。(皮肉だな・・ユーリ様の面影が残る宮廷に、再び戻る日がくるだなんて・・もうあそこにはユーリ様はおられないのに・・)妖狐界へと渡ってから5年。ユーリとともに戻って来れる日を待ち遠しく感じていた昔の自分と、ユーリを失い魂の抜け殻となってしまった今の自分は、どちらが本当の自分の姿なのだろうか―アベルはそう思いながらゆっくりと目を閉じて眠りに就いた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月15日
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「楽しかったね、お父さま。」「ああ。」サイアス家へと戻ったアベルと璃音は、家の前に立派な五頭立ての馬車が停まっているのを見た。王宮で一時期暮らしていたアベルにとって、その馬車は貴族のものだとはっきりと解ったし、何よりもその馬車に刻まれている紋章に見覚えがあった。「璃音、中に入ろう。」「うん・・」買い物袋を抱えながら2人が家の中に入ると、身なりのいいご婦人がゆっくりとキッチンの椅子から立ち上がった。「あなたが、璃音?」「は、はい・・」ご婦人は結い上げた艶やかな黒髪に少し覆われた蒼い瞳で、アベルの背中に隠れた璃音を見て、形の良い唇で笑った。「やっと会えたわ、わたしの可愛い姪っ子。」ご婦人はそう言うと身を屈めて、璃音を抱き締めた。「あの、あなたはどなたですか?」「わたくしはソフィー=ルクレツィア、この子の母親の姉ですわ。」「ルクレツィア・・あのルクレツィア伯爵家の?」ご婦人が自己紹介をした後、アベルの眦が少し上がった。ルクレツィア伯爵家といえば、ダブリス王国宮廷では国王の親衛隊長の任を受ける名門貴族である。その伯爵家と璃音とどのような関係があるのか?「あの・・わたしの娘と、あなた様とはどのようなご関係が? 確かこの子の母親はただの村娘ですが・・」「村娘ですって!? 何をとんでもないことをおっしゃっておられるの、あなたは! この子の母親―つまりわたくしの妹・静歌はれっきとした貴族の令嬢でしたのよ、あの男と駆け落ちするまでは!」そう言うとレディー=ソフィーは高らかに笑った後、璃音の出生の秘密を明らかにした。 アベルは村で静歌から聞いた話は全くの出鱈目で、本当のところ、彼女は伯爵家の書生として暮らしていた青年と身分違いの恋に落ち、駆け落ちした末に辿り着いたのがあの村だったという。その後静歌は青年の子―璃音を身籠ったが、青年は不慮の事故で亡くなり、彼女は未婚の母として璃音を産み、アベルに娘を託した。「わたくしはこの子を家に連れて帰らなければなりませんわ。」「それは出来ません、ソフィー様。璃音は静歌さんからわたしが託された子です。わたしは血が繋がらぬとも父親としてこの子を育てて参りましたし、この子もわたしを父と慕ってくれております。ですからどうか、わたくし達のことは放っておいてくださいませんか?」「そうはいきませんわ。あなた、何処かで見たお顔だと思ったら・・ユーリ様のお傍にお仕えしていたアベルという司祭様ね? ユーリ様のことが何処におられるのかご存知?」「ユーリ様は・・」今ユーリの居場所をこの女性に教えたら、ユーリの幸せな生活が壊れてしまう。叶わぬ苦しいユーリとの恋ではあったが、彼女の幸せを壊したくはない。「何処にいらっしゃるのか、わたしは存じません。」「そう・・ユーリ様が失踪されてから、アデル様が困った立場におられるというのに・・」「アデル様が、ですか?」王宮の中で異母兄ユーリにいつも笑顔を見せ、摩於君と仲良く遊んでいた金髪の巻き毛が愛らしい皇女の顔が、アベルの脳裡に浮かんだ。「ええ。ユーリ様が失踪され、ユーリア様が深手を追われて療養なさることになった今、ダブリスの後継者はアデル様のみ。けれどもアデル様の母親―あの狡猾なクレメンテが息を吹き返して宮廷を乗っ取ろうと企んでいるのよ。」クレメンテという名を聞いた途端、アベルの背中に悪寒が走った。「話がそれてしまいましたわね、アベル。璃音の事はまた日を改めて話し合いましょう。今日はこれで失礼するわね。」レディー=ソフィーはそう言うと璃音ににっこりと微笑むと、家から出て行った。彼女を乗せた馬車の音が遠ざかるまで、アベルは呆然とキッチンに立ち尽くしていた。(あの女に宮廷を乗っ取られてはならない、絶対に!)にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月15日
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村全体を突如として襲った水害は、死者・行方不明者300人、崩壊家屋4000戸と、甚大な被害を及ぼした。村人達は水害による復旧作業に日夜追われていた。幸いサイアスの家は川から離れていた為、家も工房も無傷のままだったが、弟子達の中には家が崩壊し、家族を失った者もいた。「ただいま。」「お帰りなさい、リンダさん。」「今日は大変だったわ・・水害の所為で遺体の保管場所が少なくなってしまってね・・終いには納屋にまで保管することになってしまったのよ。」リンダはそう言うと、深い溜息を吐いた。人の死に毎日直面している看護師という職業に就いている彼女にとって、今回の水害は悪夢以外のなにものでもなかった。行方不明者の遺体が連日上がり、その保管場所に苦労するほどその数は増え続けているが、死人の相手よりも生きている人間を治療しなければならない彼女は病院で遺体の処理や患者の治療などを朝から晩までこなさなければならず、疲労が溜まっていた。「顔色悪いですね・・大丈夫ですか?」「ええ。こんな状態だからね、わたしだけが休んでたら迷惑がかかるでしょう? でももう限界なのよ・・」「リンダさん・・」キッチンで溜息を吐くリンダの姿を、璃音はドアの隙間から見ていた。(わたしの所為で、みんなが苦しんでしまったの?)璃音はただアベルと蓮華を助けたいが為に起こした行動が、こんな結果をもたらすなんて知らなかった。その所為で自分の大切な人が苦しむだなんてことも、知らなかった。(わたしは、悪い子なの?)その夜、璃音は自分がした行動が間違っていたのかどうかを一晩中考える余り、一睡も出来なかった。「璃音、入るよ?」アベルが璃音の寝室へと入ると、彼女はまだ寝ておらず、ベッドの上で天井を睨んでいた。「どうしたの?」「ねえお父さま、わたし悪い子なの?」「どうして、そんなことを聞くの?」「だって・・わたしの所為でみんなが迷惑しているでしょう? わたしはお父さまを悪い人から助けたかっただけなのに。それなのに・・」「璃音・・」いつも明るくて笑顔を見せてくれていた璃音が、夕食の席では珍しく暗い表情を見せていたからアベルは彼女の事を気に懸けていた。彼女は何を悩んでいるのかは、想像できた。しかしまだ5歳の彼女が、自分達を救う余りに起こした行動が正しかったのかどうかと自責の念に苛まれている姿を目の当たりにしたアベルは、胸が痛かった。「璃音は悪い子じゃないよ。大丈夫、みんないつかは立ち上がれる日が来るから。それまで、みんなの手伝いをしてくれるかな?」アベルはそう言うと、璃音を優しく抱き締めた。「うん、わかった。」「いい子だね。もうおやすみ。」アベルはそう言うと、璃音の額にキスをして部屋から出て行った。 翌朝、璃音とアベルは久しぶりに村を出て町へと向かった。水害により市場の再開が困難になってしまった為、村人達は乗り合い馬車を乗り継いで片道1時間半もかかる町へと買い物に行かなければならなくなった。「わぁ、お父さま、あれ見て!」初めて見る大きな町に璃音は興奮しっぱなしだった。彼女はとある店のショーウィンドウに並べられていた髪飾りをじっと見つめていた。「それが欲しいのかい?」「うん!」アベルは財布と、髪飾りの値札を見た。「大事にするんだよ。」「お父さま、ありがとう!」そう言ってアベルと手を繋いで歩く璃音の髪には、蝶の髪飾りが揺れていた。「やっと見つけたわ、あの子を・・」雑踏の中で、1人の女がそう言って遠巻きに璃音を見つめた。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただけると嬉しいです。
2010年12月15日
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璃音は、網の中で必死に尾鰭をバタつかせながらもがいたが、無駄な事だった。「人魚を捕えたぞ! これから肉を捌いて食ってやる!」牢の中から、欲望に目をぎらつかせた汚らしい男がぬうっと現れた。「わたしの娘を離せ!」「お前の娘? 忌まわしい黒髪野郎から、こんな可愛い金髪が産まれるもんか!」男はそう言って下卑た笑みを口元に浮かべた。「可愛い人魚だ、殺すのが惜しいなぁ。」網の中で璃音は恐怖に怯え、悲鳴を上げた。「この円らな瞳から永遠に涙を流し続けさせて、その涙が出来る宝石や薬で一生遊んで暮らすっていうのもなかなか・・」「黙れ!」アベルがそう怒鳴り、男を睨むと、彼は全身を炎に包まれた。そして牢番の男と同様、炭化して運河の波に呑みこまれて消えてしまった。「お父さま、あの人に何をしたの?」「わ、わたしは何も・・」何もしていない。ただ男を睨み付け、黙れと言っただけだ。それなのに牢番もあの男も、全身を炎に包まれて死んだ。「アベルさん、あなたはもしかして、“龍の炎”を操れるのかもしれないわ。」「“龍の炎”ですか?」「鬼族達の書物の中に、人間が炎を自由自在に操れる事が出来る者が現れた、と書かれてあったわ。もしかしたらあなたがそうかもしれない。」「わたしが?」蓮華の言葉を、アベルは信じられなかった。だが自分に害をなそうとした男達を焼き殺した。それが特殊な能力でなければ、何と表現すればよいのだろうか?「ここから出るわよ。」「はい・・」蓮華は牢の中に入り、懐剣で璃音を縛めてみた網を切った。「璃音ちゃん、どうやってここから来たの?」「湖から上流を遡ってきたの。今度は逆よ。」「そう・・」「大丈夫、わたしが案内するから。」璃音はそう言うと、勢いよく氾濫している運河の中へと飛び込んだ。蓮華とアベルは彼女の後に続き、激流に流されぬように必死に璃音の後を追いかけた。湖へと向かって2人が泳いでいる間、先を泳いでいる璃音の尾鰭がきらきらと光っていた。「もうすぐよ。」璃音がそう言った時、アベル達の頭上で轟音が響き、その直後に何かが崩れる音がした。「危ない!」アベルが振り向くと、彼の頬を瓦礫が掠め、水底へと沈んでいった。 湖へとやっと辿り着いたアベルと蓮華は、酸素を求めて水面から顔を覗かせた。「死ぬかと思ったわ。」蓮華はそう言って、水を吸って重くなったスカートを絞った。「ええ、本当に。璃音が居なかったらあのまま水底に沈むところでした。」璃音とアベル達はサイアスの家へと戻った。「アベルさん、無事だったの!?」家の中へと入ると、そこにはリンダと彼女の両親が安堵の表情を浮かべながらアベル達を見た。「どうしたんですか、リンダさん? 何かあったんですか?」「さっき運河が氾濫して橋と堤防が崩落してね、村が濁流に呑みこまれたのよ。幸い父さん達とわたし達は助かったけど・・」サイアス達が家から出て村の表通りを見ると、そこには濁流に押し流され瓦礫の山と化した民家や商店が並んでいた。その先には、頑丈な石造りの教会が、尖塔の部分を残したまま崩れ落ちていた。「天罰が下ったのですね。」「ええ。」 数日後、神父の遺体は下流へ5キロ離れたところで発見された。魚によって目玉や肉を喰らいつくされたその遺体は、原形を留めていなかったという。にほんブログ村ランキングに参加しております。↑のバナーをクリックしていただければ嬉しいです。
2010年12月13日
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