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テレビで“警察に24時間密着する番組”が放送されていた。警察官が、自分の顔を見た途端に逃げ出した男性2人を追いかけています、捕まえた。その男性たちは在留許可のある中国人だった。どうして逃げた、と詰問する警察官に、男性たちはたどたどしい日本語で答える。犯罪性はまったくないのに、番組はその場面を流した。外国籍の住民は外人登録証明書を携帯していないだけで罰則を受けるのだから、彼らにとっての警察官は多くの日本人が見るその姿とは異なる。肌の色が違うだけで職務質問をされ、交通規制の際に見せた免許証に外国籍が記載されていると、やれ外国人登録証明書を見せろとか、それこそ犯罪者扱いなのだ。そういったことを外国籍の住民は嫌というほど味わわされている。国際結婚をした私の日本人の友人は、親に結婚を反対されていたため、子どもが生まれるまで親との関係は冷え切っていた。そして家族で山間部に住み、村の人に助けられながら、月1万円で自給自足の生活を送っていた。そして子どもの小学校進学の機に、夫の母国に移住した。その後、子どもは無事に育ち、日本の大学で学ぶようになった。そんなある日、日本に住む祖父が危篤であるとの知らせを受けた。彼は一目で国際児であることがわかるため、日ごろから何度も職務質問を受けている。そのたびに大学の友人が駆けつけてくれ、警察官にあれこれと説明をし、ようやく開放されていた。捕まったら最後、どれほど時間を拘束されるかわからない。祖父の家は、東京の渋谷駅近くの繁華街を抜けた先にある。彼は駅を降りて、すぐにはしりだした。すると数人の警察官が追いかけてきた。“ここで捕まったら、もうおじいちゃんに会えない”と思った彼は、人生にこれ以上ないほど必死に繁華街を走り抜けたそして祖母の家の扉をバンバンと叩き、「おじいちゃん! おじいちゃん!」と叫んでいるときに警察官に捕えられ、大騒ぎとなった。警察官からすれば、彼は“逃げた”ということになる。いざというときに走ることさえ許されないとは、あまりにも哀しい。祖父は孫の顔を見て、すぐに旅立った。【辛淑玉の「女の視点 命の視点」】灯台2015年10月号
October 31, 2015
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▶発端と経緯「アラブの春」きっかけに武力衝突へシリア内戦のきっかけになったのは、2010年暮れから翌年にかけて中東・北アフリカ諸国で広がった民主化運動「アラブの春」だ。シリアでも強権的なアサド政権への抗議運動が起こり、これが本格化する中、11年3月頃から政府軍と反政府勢力との武力衝突へ発展していった。翌12年6月には、ラドウース国連事務次官が「シリアは内戦状態にある」との見解を表明。13年8月には、アサド政権側による化学兵器使用で多くの市民が殺害された疑惑が浮上した。一方で、ISがイラクからシリアへと勢力を広げる中、米軍などがシリアでもISへの空爆を開始。先月30日にはロシアも“別の思惑”で空爆に踏み切った。▶勢力図4つの勢力による対立の構図現在のシリア国内の対立構図を「政府VS反政府勢力」と単純に色分けすることはできない。(中略)国内は大きく4つの勢力に色分けされる。まず、首都ダマスカスから地中海沿岸部はアサド政権が支配し、北部のアレッポ一帯などはISが押さえる。ほかに、トルコ国境はクルド人勢力が、北西部の農村部などは「ヌスラ戦線」という、アルカイダ系の民兵組織が支配している。内戦をイスラム教のシーア派とスンニ派、さらには少数派のキリスト教徒も巻き込んだ「宗派・宗教対立」と見る向きもある。(1)アサド政権がシーア派一派のアラウィー派の政権であるのに対して、シリア国内で多数を占めるのがスンニ派である。(2)サウジアラビアなど周辺のスンニ派諸国が反アサド勢力への支援をしてきた―—ことなどによる。▶現状死者25万人、避難民1200万人内戦勃発から5年目。国外に逃れたシリア難民は400万人を数え、国内避難民も800万人に上る。実に人口約2200万人の半数以上が家を失ったことになる。背景にあるのは「生命の危機」というひと言に尽きよう。今やシリアに住むことは、日常的に空爆や砲撃にさらされることであり、いつ命を失ってもおかしくないことを意味している。事実、これまでの死者25万人のうち3分の1が民間人で、その大半が子どもと女性だ。今月8月、米下院外交委員会・中東北アフリカ小委員会の公聴会で証言した国連児童基金(ユニセフ)の代表は、戦闘の常態化で就学できないシリアの児童は270万人を超えたことを明らかにした。【解説ワイド】公明新聞2015.10.14
October 30, 2015
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ジャーナリスト 柳瀬光一「移民国家」ドイツが取った行動乳白色の柔らかな地肌に草花や魚の模様―—JR九州の豪華列車「ななつ星」には、人間国宝・第十四代酒井田柿右衛門の遺作となった洗面鉢が飾られている。豊臣秀吉の朝鮮出兵で佐賀・有田の地に連れてこられた陶工・李参(イサン)平(ピョン)が、日本で初めて白磁を製造したのが有田焼の始まりという。外国の先端技術が海を越え、日本の伝統文化に育ったのである。異文化の融合、グローバル化と多様性がイノベーション(技術革新)を生み出した、とも言えよう。欧州連合(EU)が戦禍のシリア難民の大量流入に揺れている。移民敗訴を訴える極右勢力を抱える欧州各国は当初、及び腰だった。移民襲撃が相次ぐドイツも同様だが、メルケル首相は「人間の尊厳を踏みにじる者は許さない」と難民受け入れの決意を国民に示した。これが転機となった。溺死したシリア難民の三歳児が海岸に漂着した衝撃映像に国際世論も高まり、消極派だった英仏も重い腰を上げ、EUは十六万人の受け入れを目指している。ドイツは「移民国家」である。五人に一人が外国人か帰化した人、またはその二世、三世なのだという。トルコや東欧の外国人を受け入れ、彼らの労働力や技術を活用しながら、高度成長を達成したのである。一方で、近年は少子高齢化、人口減、労働力不足に悩まされている。経済成長のためには、さらなる外国人労働者を招き入れるしかない。メルケル首相のメッセージには、移民国家であり続ける、という国民に対する強い思いが込められていたことを見逃してはならない。トップが目指すべき道を示したのである。日本の移民・難民の受け入れ状況支援の輪は海を越えて、米国、欧州、南米諸国など世界に広がりを見せている。しかし、日本の影は薄い。難民は「人種や宗教、国籍、政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた人々」と定義されているが、日本の認定実績は、申請の一%未満で、難民認定したシリア人はわずか三人にすぎない。日本にも九〇年代から集団密航、偽装難民が大量に押し寄せ、不法残留外国人の犯罪が激増した時期があった。そのトラウマもあるのだろう。政府は認定手続きをさらに厳格化しようとしている。そして、ドイツ以上のスピードで、少子高齢化、人口減、労働力不足が進みつつあるのに、外国人労働者を受け入れの是非をめぐる根本的な議論もいっこうに進まない。外国人を低賃金労働者としてしか扱わず、いまだ劣悪な環境で働かせているようでは、やがては彼らに見放されてしまうだろう。ましてや、イノベーションにつながる高度人材・先端技術の獲得など期待できるはずもない。有田焼の創業から四〇〇年を経て、この国の道筋はいまだ定まっていない。【本質に迫る!「ニュース解説」】第三文明2015年11月号
October 29, 2015
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社会で勝て 「誠実」で勝てこれからは、人間自身の持つ、いな人間のみが持つ、「努力」と「創造力」が勝負を決する時代だ。「以信代慧(信を以って慧に代う)」の生命哲理を持っている人生がどれほど強いか。勇敢なる信心がある限り、智慧は尽きることがない。* * *「誠実」こそ宝である。策でもない。命令でも、号令でもない。「誠実」こそが人を動かす。長い目で見た時には、必ず誠実の人が勝っている。そして状況がどう変わろうとも、我が胸中の誠は、誰人も奪うことはできない。* * *妙法は「生活」と「社会」と「宇宙」の根本リズムである。観念ではない。道理である。真剣な祈りから出発する。そして、これ以上ないという努力を重ね、死力を尽くす。これが「信心即生活」の生き方である。そこに、諸天も動く。* * *太陽は毎日、黙々とわが軌道を進む。きょうも、あすも、休むことなく、はつらつと昇り、天地を照らし、荘厳に沈む。そのリズムを崩さない。生活も太陽のごとく、単調のようで、これほど偉大な営みはない。赫々たる「生活の勝利」。それこそが「信心の勝利」なのである。【池田名誉会長「光の言葉 幸福の曲」】聖教新聞2015.10.25
October 28, 2015
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1898年、釈迦の故郷のカピラヴァットゥの村から約13キロメートル離れたピプラーワーでイギリス帝国の駐在官が一つの古墳を発掘しました。そして、その中から遺骨を納めた一つの壺が出てきました。そして、この「魚」かざりをつけた骨壺には、インドの古代文字で、「これは釈迦族出身の仏陀、世尊の遺骨である」と刻まれてありました。「人間」・釈迦はまさに死んでしまったのであり、このように、釈迦には「墓」もあり、「遺骨」もあるのに、「神の子」・イエスには「墓」もなく「遺骨」もありません。そして、前述のように、『イエスの伝記』(福音書)は、その初めから終まで『釈迦の伝記』(仏伝)の模造品(イミテーション)であり、イエスは、まるで釈迦のように、この世に現れたのであり、その意味においては、イエスは、まさに、釈迦の如く来た者「如来」(tathagata(タターガタ))ではありましたが、彼は、決して、釈迦のように、この世を去ろうとはしませんでした。彼は「如去」(sugata(スガタ))ではなかったのであります。かくして、釈迦が、再びは「この世」に帰って来ないことにおいて、その存在価値を持つのに対して、イエスは、再び「この世」に帰って来て、キリスト教徒を天国へ救い上げるということにおいて、その存在の意味を持っていると言うべきでありますが、その理由は、イエスが「釈迦」のように、この世に来た者であるばかりでなく、「弥勒」のように、将来、この世に来るべき者だとされているからであります。しかし、「臨終の日」(終末の日)に信者の枕に来て、信者を救い上げようと「約束」するのは、「弥勒如来」だけではありません。「阿弥陀如来」もまた、そうであります。ここに『仏説無量寿経』『仏説無量清浄平等覚経』などという漢語経典があり、これらの漢語経典に相当するサンスクリット語経典としては、Sukhavati-vyuha(『快楽の一杯ある国の美しい光景』)があります。これらは、みな現在、(天国にではなく、この地上の)西方十万億土の彼方に住んでいるという阿弥陀如来と、その国土(「極楽浄土」)についての経典であり、そして、イエスに投影されている「第三の男」というのは、この「阿弥陀如来」なのであります。[まさにイエスは、「釈迦」でもあり、「弥勒」でもあり、そしてまた、この「阿弥陀」でもありました。]【仏教とキリスト教 イエスは釈迦である】堀 堅士著/第三文明社
October 27, 2015
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インドは昔から「カースト」(Caste)の国であるといわれています。そして現在、二千種類以上のカーストがインドには存在しますが、この「カースト」の原語の「ヴァルナ」(varna)というのは、「色」殊に「皮膚の色」を意味しています。すなわち、「カースト」とは、皮膚の色にもとづく、人種(・ ・)差別(・ ・)を意味し、そしてまた、職業(・ ・)差別(・ ・)を意味しているのであります。さて、釈迦の時代のカーストは、「バラモン」(brahmana)(祭司)、「クシャトリア」(ksatriya)(武士)、「ヴァイシャ」(vaisya)(庶民)、および「シュードラ」(sudra)(奴隷)という四種類(四姓)から成り立っていました。そして例えば、古代インドの法律書「マヌの法典」(mannu-smrti)には、次のように規定してあります。「世界にある如何なるものもすべてバラモンの所有物である。バラモンは、その生まれが優れているので、実に、このすべてに対する権利を所有する」「バラモンのみが、彼自身の物を食べ、彼自身の衣服をまとい、彼自身の物を施す。他の人間たちは、バラモンのおかげで生きているのである」(一‐100)(一‐101)。このように「武士」「庶民」「奴隷」の上に絶対的権力をふるうこのカーストの最上位階級、バラモン(婆羅門)というのは、中央アジアの何処かから東進してインドに侵入したアーリア民族なのであります。人口数において極めて少数であったこの「白色(アーリ)人種(ヤン)」は、圧倒的多数の「黄色人種」や「黒色人種」の先住民と混血して、完全に同化されてしまうのを極度に恐れ、「バラモン村」という特別区域に居住していました。そして、彼らの持って来た民族宗教「バラモン教」の神々を武士階級と庶民階級には強制的に信仰させ、また、奴隷階級がバラモン教に触れることを禁止して、その権威を保とうとしたのでありました。この白人支配下のインドに生まれた釈迦は、この皮膚の色にもとずく過酷な人種差別と職業差別とに反対し、「人間みな平等」(「四姓平等」)の立場に立って、かの宗教を創始したのでありました。しかし、後世の仏教経典では、[この立場をまったく忘却して]釈迦の属した「クシャトリア階級」を「王者階級」に見立て、それを「バラモン階級」(祭司階級)よりも上位に置くことが慣習となっています。「クシャトリア」とは、「武士」という意味であって、「王者」という意味ではなく、また、釈迦の時代に、武士階級が祭司階級よりも社会的名声において優位を占めていたなどと思えません。かの『スッタ・ニパータ』によれば、そのことについて釈迦は次のように言っています。「生まれによって、バラモンとなるのではない。行為によって、バラモンとなるのである」(一‐7)「クシャトリア出身の者が、権威が少ないのに欲望が大きくて、この世において王の地位を得ようと欲するならば、それは破滅への入り口である」(一‐6)。彼は後世の仏教経典が飾り立ててそう述べているような王家の「太子」ではありませんでした。そして、そのことが、彼の「出家」の一つにさえなっているのであります。彼の父は、大国の「大王」でもなければ、小国の「王」でもなく、たかだかコサーラ国王の王から自治を許されていた一山岳種族の最高行政官、或は地方長官にすぎなかったようであります。マガダ王国のビムビサーラ王に初めて会った時、彼は次のように語ったと『スッタ・ニパータ』には書いてあります。「王よ、あのヒマラヤの山麓に、昔からコサーラ王国に属し、財宝と勇気を兼ね備えた一民族があります。その素性は『太陽の子孫』であると称し、種族の名を『釈迦族』と言います。わたくしはその家から出家したのです。[世俗的な]欲望をかなえるためではありません」(三‐1)。釈迦が「祭司階級」の出身ではなく、「武士階級」の出身であったこと、また、釈迦の体が「黄色」或は「黄金色」に輝いたと仏教経典の中にしばしば描かれていることなどから、彼は、かの白色人種がインドに侵入する以前からその土地(ネパール地方)に住んでいた土着の黄色人種の出身であったと推定されます。『ディーガ・二カーヤ』(二七「起世因本経」)によれば、「バラモンの生まれであり、その血統を継いでいるおまえたちが、バラモンの家庭生活を捨てて、この仏教僧団に入った時、他のバラモンたちは、お前たちの行動を非難したり、ののしったりしなかったか」と釈迦が尋ねたのに対して、或るバラモンは、次のように答えています、「はい。その通りです。バラモンの恥だ。バラモンこそは、最上の種族であり、しかも、皮膚の白い階級である。だから決して卑賤な種族の群と親しくしてはならない。彼らは皮膚の色の黒い者どもであるからだ、と言って私たちを非難しました。」Anguttara‐nikaya(増(アングツ)支部(タラ・)経典(二カーヤ))(八‐20布薩)によれば、釈迦は、「修行者たちよ、例えば、ガンジス河、ヤムナー河、アティラバティー河、サラブー河、マヒー河などという名の多くの大河があるが、それらが大海に至れば、すべての前の名を捨てて、ただ『大海』とだけ呼ばれる。それと同じように、修行者たちよ、クシャトリア、バラモン、ヴァイシャ、シュードラという四つの姓が[世俗的には]あるが、彼らが如来の教法と戒律とによって出家すれば、彼らはすべての前の名と姓を捨てて、ただ『釈迦の子』(Sakyaputta(サキャプッタ))とだけ呼ばれるのである」と教えています。『釈迦の子たちの集団』、この仏教僧団は、このようにして、バラモン階級を頂点とする俗世間の厳重な人種差別制度・職業差別制度に反対し、それから離脱して、自由に思索し、自由に修行しようとする修行者たちの団体であり、俗世間から超脱することが「出家」の意義でありました。しかし、仏教僧団を取り巻いているかの俗世間の厳重な「カースト制度」が――特に釈迦という中心人物を失った後の――仏教僧団の上にその黒い影を落とさないはずはなかったのであります。釈迦族はすでに、――釈迦のまだ生きている間に――コーサラ王国のヴィドウダバ王によって攻め滅ぼされてしまっていました。アーナンダ(阿難)、アヌルッダ、ウパーリ、デーヴァダッタ(提婆達多)、ラーフラ(釈迦の実子)などという釈迦族出身者もいましたが、仏教僧団の修行者の内の六十パーセントは、サーリプッタ、モッガラーナ、マハー・カッサパ(大迦葉)などのようなバラモン階級の出身者でありました。【仏教とキリスト教 イエスは釈迦である】堀 堅士著/第三文明社
October 26, 2015
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「マリヤ」の名が釈迦の母の名、「摩耶」から来ており、かの男性すなわち、「ヨハネ」の名が釈迦の父の名「浄飯王」から来ているとすれば、彼、すなわち「イエス」(Iesous:Jesus(ジイザス))の名も、もちろん「釈迦」の名から来ているはずであります。そして、実に、釈迦の名は、漢語辞典では「悉(しつ)達(たつ)」、「悉達多」(Siddhartha(シッダールタ):Siddharattha)とあったとされているのであり、これを「ジイザス」と読むことは容易であります。かくして、かの「イエス」と称した「キリスト」もまた、像法の世の始めに現れた弥勒の内の一人であり、『悉(イエス)達』と称する『弥勒(キリスト)』だったわけです。ここに二千年来の「謎」が解かれました。 ◇「ジョン」と「メリー」というヨーロッパ社会にありきたりの人名が、実は、西洋から来ており、それは釈迦の「父」の名と「母」の名に由来していると説くこの書物が、このたび、第三文明社から出版されることになったのは誠に喜ばしいことであります。インドに始まった仏教が、東へ東へと伝播して東洋の東の果てであるこの日本に到着し、また、西へ行った仏教は、ユダヤから、ローマへイギリスへと伝播し、そして、大西洋を渡り、西部開拓の歴史を綴った後、更に太平洋を渡って、ついに、西洋の西の果てであるこの日本に到着したのでありました。その故にこそ、「東洋文明」と「西洋文明」に対する「第三文明」があるとしたら、それは、まさに、この日本の国から起こるべきものであると私は思っているのであります。【仏教とキリスト教 イエスは釈迦である】堀堅士著/第三文明社
October 25, 2015
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『妙法蓮華経』には次のように書いてあります。「もしも、この経を説かん時、人ありて、悪口をもってののしり、刀、杖、瓦、石を加うとも、仏を念ずるが故に、まさに、忍ぶべし。われは千万億土に、浄き堅固なる身を現じて、無量劫において、衆生のために法を説かん」(10-法師品)。「土塊、杖、或いは槍、ののしり、或いは迫害が、説法者に向かって来ても、彼はわたしを思って忍耐すべきである。幾千万、幾千の国土において、わたしの肉体は、堅固であり、幾千万劫という考えられぬほど永い間、この世に存在するもののために、わたしは、この教えを示すのである」(『サッダルマプンダリーカ・ストーラ』10-説教者)「『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、誰かがあなたの右の頬を打つなら、外の頬をも向けてやりなさい」「迫害する者のために祈れ」(マタイ五―38)「敵を愛し憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ」(ルカ六―27)というイエスの説教の真意は、実は、ここからきているものであります。 ◇「バラモン階級」(祭司(サドカイ)派)の支配するエルサレムの正統派ユダヤ教団からの激しい迫害と常に闘った「ユダヤ教異端派」の中で、十字架への崇拝をその特徴としているこの「イエス派」(キリスト教)は、かの『仏塔崇拝菩薩団』、殊に『妙法蓮華菩薩団』の一種であり、「十字架」は、「仏塔」の一変型にすぎないというわたしの推定の背景には、更に、次のような歴史的事実があります。『サッダルマプンダリーカ・ストラ』に、「雨は、一様に降り、その水量はわずかではなく、至る所に流れて大地を活気づけるであろう。この地上に、或る薬草が生えるであろう。或は雑草、灌木、喬木、高い木、太い木、いろいろの穀物、野菜が生えるであろう。山野に、谷間に、森林に生えるであろう。雲は雑草、草、灌木、喬木のすべてを活気づけるであろう」(五―薬草)と書かれてある部分が、『妙法蓮華経』では、「其の雨はあまねく等く、四方に、ともに下り、流れそそぐことを無量にして、率土に満ちうるおす。山川険谷の幽邃に生ずるところの卉木、薬草、大小もろもろの樹、百縠、稲稼、甘蔗、葡萄は、雨のうるおすところ、豊足せずということなし」(五―薬草喩品)となっています。これは、この経典がかなり西方の国で編集されてシナ(China)に伝来したものであることを暗示しているのであります。何故なら、「葡萄」は、インドの植物でもなく、品の植物でもなく、その原産地は、カスピ海南岸地方であるとされており、ペルシア語のbudawa(バダーワ)が「葡萄」「蔔萄」、「蒲桃」などと漢音訳されたものであると思われるからであります。【仏教とキリスト教「イエスは釈迦である」】堀 堅士著/第三文明社
October 24, 2015
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スポーツジャーナリストの二宮清純氏は、数々の名勝負を取材している。講演で以前、一番感動した場面としてソウル五輪(1988年)背泳ぎ100メートル、鈴木大地選手の金メダルを挙げた。バサロ(スタート後の潜水)に世界が度肝を抜かれた決勝戦だ。本命バーコフ(米国)との予選差は1秒39。「メダルは困難」とみられた鈴木選手は捨て身の作戦に出る。練習でも25メートルだったバサロで30メートルに挑んだ。バーコフが慌てたのは言うまでもない。重圧に弱い日本人選手が見事に心理戦を制した。それ以上に二宮氏を感動させたのは、彼の執念だ。1ミリの勝負と予想し、爪を3センチほど伸ばしていたという。指が折れるほど強くゴール板を突いた。バーコフとの差は0秒13。まさに爪の差で「金」をつかんだ。二宮氏は「勝つか負けるかの分水嶺は執念。最後は実力ではなく、準備力の差」と語る。【北斗七星】公明新聞2015.10.10
October 23, 2015
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「平民宰相・原敬がとても良いことを言っています。資源のない日本で唯一誇れる資源は人材である、と。それって文化でしょ。日本が世界で生きていくためには、これを生かした平和産業しかありません」(歌手・俳優、美輪(みわ)明宏(あきひろ)さん=読売)【ちょっといい話】潮2015年10月号
October 22, 2015
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「日本人には、65歳で定年になったらあとはゆっくりしよう、という考え方も多いと思います。でも、そこでさまざまなことをスローダウンしてしまうと、衰えを表面化させてしまうのではないかと思います。年齢は忘れて、古希を迎えようが、90歳になろうが、やりたいことをやり続ければいい。年齢は何かをやろうとする時、それを阻害するものではないのです」(テレビキャスター・草野仁(ひとし)さん=産経)【ちょっといい話】潮2015年10月号
October 21, 2015
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「正確でないものも多いですが、速報性のある情報はネット上に満ちています。そうした現代では、読書に求められる役割は、知識を身につけるというよりはストレッチ効果だと思います。さまざまな考え方に触れる、知らない世界を創造する、いつもと異なる使い方をすることで、脳は鍛えられていきます」(文芸批評家・市川真人(まこと)さん=読売)【ちょっといい話】潮2015年10月号
October 20, 2015
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「進化論で有名なチャールズ・ダーウィンは『最も強いものが生き延びるのではなく、最も賢いものが生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できるものである』と言っています。どんな困難な環境に直面しても、レジリエンス(変化に対応する力)をもってそれにうまく適応し、自分をしなやかに変えていくことで乗り越えられるのです」(ピースマインド・イープ副社長、市川佳(か)居(おる)さん=日経)【ちょっといい話】潮2015年10月号
October 19, 2015
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「僕の基本姿勢は絶対に『出来ない』とは言わない。それから途中でやめないことや。やめなければいつかは必ずできる。弟子にはそればっかり言うねん」(刀匠・河内國平さん=日経)【ちょっといい話】潮2015年10月号
October 18, 2015
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事業で成功したり、研究で成果を収めた人の口から「たまたま」「運がよかった」という言葉を聞くことが多い。だが、だからといって彼らの“勝利”は宝くじのような、ただの偶然の産物のはずはない。努力は必ずしも、すぐに成功に結びつくわけではなく、成功にはある種の運がいる。だが、努力した者だけに、その運をつかみ取る権利は与えられる。人生の一つの“真理”だろう。【名字の言】聖教新聞2015.9.29
October 17, 2015
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「いまの時代に必要なリーダーとは、先頭に立って指揮を執る人のことを指すのではない。いろんな人の立場を考え、その場その場で最適の判断を下す人こそふさわしい。勝ち続ける必要はない。ときには失敗も、敗北もあえて引き受け、それを糧にして新たな道を模索することが賢明な判断となる」(京都大総長・山極寿一さん=京都)【ちょっといい話】潮2015年10月号
October 16, 2015
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日蓮学者たちが、日蓮を過激な人と認識する理由として、高木豊が挙げているのが「是一非諸」の論理である。「一つの実が是で諸々は非である」という意味であろうか。耳慣れない言葉であるが、高木豊の造語であろうか。高木豊によると日蓮がこの立場にあったから、日蓮が過激であったと認められなければならないとする。しかし、この高木豊の日蓮認識は正しいであろうか。日蓮は、その根本とすべき一法として法華経を置いていることは事実であるが、その法華経はまた「蘇生の法」であるととらえているのが日蓮である。阿弥陀仏や大日如来ではなく、法華経を根本におくならば、念仏信者や真言信者のすべてが否定されるのではなく、彼らの持つ良き本質が蘇生してくるという立場である。だからこそ、多くの念仏信者が日蓮の法華へ改宗することができたのである。具体的に言えば、日蓮の信徒に阿仏房や千日尼がいる。この名前は明らかに阿弥陀信仰から来ている。しかし、日蓮は彼らに改名を迫ることは決してなかった。入門してからも「阿仏房」の名で、「千日尼」の名で彼らに呼びかけたのであった。 ◇客観的にみて、日蓮が過激な主張をしていたとはとても思えない。だからこそ、多くの女性信徒が安心して供養を捧げられたのであった。だからこそ、生まじめな宮仕えの武士や百姓たちが弾圧にもめげず信仰を貫けたのであった。権力の側からの合理的解釈ではなく、日蓮を信仰せざるを得なかった当時の信徒たちの側から、ものごとを見ていくことが必要であろう。日蓮が厳しかったのは、根本・本尊を取り違える当時の指導者たち、当時の僧侶たちに対してであった。彼らこそ民衆を塗炭の苦しみに追いやっているとみなしていたからである。このような日蓮の言葉が「阿仏房尼御前御返事」にある。「浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし、重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし」(御書1308頁)日蓮のこの無類の優しさは、その立脚点が、原理主義や過激思想とは無縁であることを示している。【日蓮自伝考――人、そしてこころざし】山中講一郎著/水声社
October 15, 2015
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脳に悪いこと動かない、健康に興味がない糖尿病や肥満、高血圧などの生活習慣病は脳の枝枯れ(ネットワークが細くなること)を起こす要因になると指摘されています。脳の健康を保つためには、体の健康を壊さない、衰えさせない努力をすることも大切です。【脳と体のハッピーエイジング】パンプキン2015年9月号
October 14, 2015
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脳に悪いこと同じ世代の友人しかいない同じ世代の友人ばかり接していると、話題が限定されてしまう場合が少なくありません。自分と世代が違う人と接するときは、相手の関心に話を合わせるなどの対応がより必要になり、認知活動を高めることになるのです。【脳と体のハッピーエイジング】パンプキン2015年9月号
October 13, 2015
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ジャーナリスト 柳瀬光一あの事件が伝えたこと「下流老人」という言葉には希望がない。NPO法人代表・藤田孝典氏の造語だが、彼の著書に接したとき、真っ先にあの痛ましい惨事を思い浮かべた。六月末の昼前、東京・杉並区の男性(七一歳)が神奈川県内を走行中の新幹線車内で焼身自殺し、逃げ遅れた女性一人が死亡、二八人が重軽傷を負った。自殺の動機が「月一二万円の年金では生活できない。税金や保険も高い」と聞いたときは、その身勝手さに憤慨したものだが、どうやら現実は思った以上に過酷なようだ。下流老人の生活水準は生活保護レベルか、それ以下。生活保護基準は月の収入十数万円。自殺男性も申請すれば需給できた可能性が強い。六五歳以上の相対的貧困率は今や、高齢男性の三割、女性の五割近くに達している。一人暮らしの場合、税金と保険負担を除いた年間可処分所得一二二万円より下が相対的貧困となる。自殺男性の例をみるまでもなく、この防衛ラインは極めて脆弱なのだ。高齢者二人世帯の平均生活費は税金と保険負担込で月二七万円、足りない分は退職金などの貯蓄を切り崩している。しかし、それで長い老後を乗り切れる、と安心はできない。女性の平均寿命は八六・八三歳、男性八〇・五〇歳。二〇一四年ランキングでは世界一位と三位だった。一方で、自立して暮らせる健康寿命は女性七四・二一歳、男性七一・一九歳。問題はその先、病気や介護、家庭問題などのリスクと折り合いをつけながら平均寿命までの10年前後をどう乗り切るか。高齢世帯の平均貯蓄額は一二〇〇万円だが、五〇〇万円に満たない世帯は四割にのぼるという。自殺男性も健康寿命に到達した頃には貯えが尽き、一気に下流に転落したようだ。超長寿社会の未来GDP(国内総生産)の二倍、一〇〇〇兆円を超える巨額債務を抱えた財政立て直しのためには、年間一一五億円にも達する社会保障給付額の伸びを抑えなくてはならない。これからは高齢者に厳しい時代となろう。マクロ経済スライド方式の導入によって年金支給額は実質目減りし、医療負担も重くのしかかる。そして、介護については八月から所得や資産に応じて、利用者負担が増額された。少子高齢化、人口減のなかで格差が進み、「高齢者の九割は下流化する」と藤田氏は指摘する。経済大国となった日本を貧困、格差社会という影が覆いつつある。戦後七〇年の成果であるはずの超長寿社会の実現が絶望と不幸を招くのだとしたら――希望のない社会に未来はない。【本質に迫る「ニュース解説」】第三文明2015年10月号
October 12, 2015
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脳に悪いこと手抜きが大好き、変化が苦手いわゆる「手抜き家事」や「時短家事」など、効率化を求める工夫をすること自体は脳を使いますが、同じことを漠然と続けることは、脳にとってマイナスになります。変化がない分、変化がない分、使う脳の部分を減らすことになるからです。【脳と体のハッピーエイジング】パンプキン2015年9月号
October 11, 2015
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脳に悪いこと人の悪いところばかり気になる人の悪いところばかりを見て相手を嫌だと思えば、自分の脳の働きは止まってしまいます。反対に、人のいいところを見つけることは、違う見方を探すことなので、脳をより働かせることになります。苦手な人と接することは、脳を活性化させるチャンスなのです。【脳と体のハッピーエイジング】パンプキン2015年9月号
October 10, 2015
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脳に悪いことイヤイヤ物事に取り組むやらなければいけないからといって、その家事や仕事などをイヤイヤながら行っているときは、脳はほとんど伸びません。能動的な思考で楽しんで取り組むと、脳は活発に動きますが、受動的で面倒だと感じると、脳の力は発揮できなくなります。【脳と体のハッピーエイジング】パンプキン2015年9月号
October 9, 2015
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中学校の元校長だったから、マスコミ的に話題になったのだろう。64歳の男が、フィリピンに行って少女をお金で買い、〇〇〇〇な行為をさせて写真に記録し、お宝のように保存していたという。その人数は延べ1万2600人余り。報道によると、男は1988年から3年間、フィリピンの日本人学校で教壇に立っていた。そのときに味を占めたのだろう。2014年まで年に3回、フィリピンを訪れては。毎回2週間ほど滞在し、買〇行為を繰り返していたという。自分の教え子と同じ年ごろの子供達を搾取したその行為の背後には、「仕返し」の文字が見え隠れする。彼にとって学校という職場は、本当につらく鬱陶しいものだったのだろう。と同時に彼は、性〇をコントロールできない、人間として最も劣った存在だったと断言できる。彼が所有していた写真は14万7000枚余り。少女ごとにその写真に番号をふって保存していたというのだから、さすが整理整頓を旨とする教育者。基礎的学習ができている証拠だ。彼は「仕事のプレッシャーが強く、海外でたがを外すことで解放感を味わっていた」と供述した。私はその言葉を聞いて、かつて私がインタビューをした、ある米兵の言葉をふと思い出した。「あなたたちはどうして沖縄で、少女をあのように強〇したり殺したりできるのですか?」との質問に、その米兵は「簡単だよ。アメリカではできないことをしたいんだよ」と笑いながら答えた。そして「沖縄では何をしても裁かれないことを僕たちは知っているよ」と。よくDV(ドメスティック・バイオレンス)の被害者が、「うちの夫は、いつもはいい人なのですが、ときどきカッとなって……」と語るが、その夫は上司や自分より強い相手に対しては、カッとなって手を上げることはない。いつも計算ずくで殴(なぐ)る相手を選んでいる。抵抗できない、もげられない相手にだけ、その暴力を発揮するのだ。元校長も、かの米兵も、DV夫も、品定めをしたうえでの行動なのだ。そこが卑しい。【辛淑玉の「女の視点 命の視点」】灯台2015年6月号
October 8, 2015
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脳に悪いこと計算は電卓やスマホを使う計算するときに、電卓を使うほうが便利で早いからといって 暗算をしなくなると、思考系脳番地が衰えてしまいます。買い物をするときなどは、頭の中で値段を一つずつ足していき、レジで答え合わせをしてみましょう。【脳と体のハッピーエイジング】パンプキン2015年9月号
October 7, 2015
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脳に悪いこと老後をゆっくり過ごしたい便利で楽な暮らしは、脳の機能をどんどん衰えさせてしまいます。定年になって楽な趣味を作るだけでは足りません。定年前のエネルギーを維持できるくらいの新たな仕事や趣味を持つことが、脳を衰えさせない秘訣です。【脳と体のハッピーエイジング】パンプキン2015年9月号
October 6, 2015
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脳に悪いこと融通が利かないなにごとも融通が利かず、変化を好まない性格は、脳の成長を妨げる原因になります。マンネリは脳の敵です。他人の意見に耳を傾け、いろいろな角度から物事を考えることで、ふだん使われていない脳の番地は動くのです。【脳と体のハッピーエイジング】パンプキン2015年9月号
October 5, 2015
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脳に悪いこと何でもネガティブ(否定的に)に考える無関心やネガティブな考え方をすると脳の血流が悪くなってしまいます。思考が止まった状態が続くと「つまらない」と感じるようになり、ついついストレスがたまりがちに。このような傾向にある人は、脳の動きが鈍くなります。【脳と体のハッピーエイジング】パンプキン2015年9月号
October 4, 2015
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脳に悪いこと一方的に話をする、自慢話が多い人と話をするということは、脳にとって良いことですが、相手の話を聞かずに、こちらから一方的に話をするのは要注意です。記憶力が低下すると、脳に鮮烈に刻まれている記憶ばかり出やすくなるため、自慢話が多くなってしまうのです。【脳と体のハッピーエイジング】パンプキン2015年9月号
October 3, 2015
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人生においても、社会においても、立ちはだかる試練を前に、「不可能」と決めつけて、諦めてしまえば、それまでである。しかし、どんな困難も、打開できないわけがないと一念を定め、挑戦していけば、そこから、未だかつてない「可能性」を引き出し、「希望」を創りあげることができる。 ◇厳しい現実の中で、重圧に押しつぶされそうになることがあるかもしれない。病気との闘いもあるでしょう。しかし、私の恩師もよく言われました。「どんな辛いことも、後になれば、大したことではなくなる。必ずや、あの時、頑張り抜いて本当によかったと、爽やかに思い返せるものだ」と。 ◇途中に何があろうが、嘆かず、焦らず、へこたれず、自分らしく断固として朗らかに走り抜いていただきたいのであります。【慶南大学「名誉教育学博士号授与式」SGI会長の謝辞】聖教新聞2015.9.22
October 2, 2015
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小説家 中村 彰彦柴犬など和犬の特徴は、耳が立ち、尻尾がくるりと巻いているところだろう。対して江戸時代初期にポルトガル、オランダの商人によって日本に持ち込まれた洋犬は、唐犬と憹(のう)犬に大別された。唐犬は短毛で耳と尻尾が垂れている大型狩猟犬、憹犬はやはり耳と尻尾が垂れた長毛の「むくいぬ」のことだ。ところで『訓蒙図彙(きんもうずい)』(一六六六年刊)という絵入り辞典には、次のようにある。「小ナル大ヲ狗ト曰(いう)、大ナルヲ犬ト曰」要するに在来種や唐犬、憹犬などのうち大型犬のものが犬であり、小型犬や仔犬はひとまとめにして「狗」と表記されたのだ。時代小説などで、「ううぬ、幕府の狗め」といった台詞を使われたことがある。この場合「犬」でなく「狗」とされるのは、敵をつまらない存在=心身ともに貧弱な者、と決めつけていたからだろう。しかし、小さい生き物の方が可愛い、という感覚からすれば「狗」は「犬」より尊ばれる。大名家の奥方、姫君たちにもっとも人気のあった狗は、狆(ちん)である。会津藩最後の藩主松平容保の義姉照姫も狆を可愛がっており、鶴ヶ城での籠城戦の間もその狆は照姫の膝の上に上がっては胸元や肩にじゃれつく無邪気さだったという。また、江戸時代に大円寺のあった港区三田四丁目からは犬猫の墓四基が発掘され、そのうち三基には「御狆」と刻まれていた。「三田御屋鋪大奥御狆」という墓碑銘も出てきた。これらは、大円寺を菩提寺にしていた薩摩藩島津家の女主人ないし姫たちのペットだったと考えられる。(関口すみ子『大江戸の姫さま―ペットからお輿入れまで』)。では、これらの狆は牡か牝か。それは調べずともわかる。大名家の奥殿に入れる男性は、藩主と十歳以下の若君のみ。犬猫とて牡は入れなかったから、狆もすべてを牝と断定してよいのだ。【言葉の遠近法】公明新聞2015.9.9
October 1, 2015
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