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企業・団体などでは、管理職が部下との面談を定期的に行うことが多い。その際、管理職が陥りがちな落とし穴として、臨床心理士の宮城まり子さんは“アドバイスのし過ぎ”を指摘する。その理由は「会話は、話す方が満足感が高い」から。部下を指導するうちに、自分だけ“満足”してしまう上司が少なくないという。宮城さんは、大事なのは相手の話を最後まで聞く「傾聴」であり、「“言葉のプレゼント”をあげようとする必要はない」と本紙で語っていた。確かに、悩みを打ち明けられた時、具体的な解決策など示さなくても、ただ聞いてあげるだけで「気持ちが楽になった」「すっきりした」と言われることがある。親身に最後まで話を聞いてもらった時に、人は“分かってくれる人がいる”と前向きな一歩を踏み出せる。ただ“話を聞く”といっても、実は容易ではない。「傾聴」は受け身ではなく、能動的な行為だからだ。相手に向きあい、話に全神経を集中させる。途中で話を遮ったり、こちらの考えを押し付けたりしない。沈黙が訪れても待つなど、粘り強さが欠かせない。話し上手は聞き上手。話を聞くとは、相手を一人の人間として、受け入れ、尊重する心の表れ。ここに実り多き、励ましの第一歩がある。【名字の言】聖教新聞2018.1.21
April 30, 2018
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探検家、医師、武蔵野美術大学教授 関野 吉晴メコン川の水源に行った時、チベット人遊牧民の世話になった。私が医師だと知って何人かが遠くのテナントから、診てもらいたいとやって来た。その中にペーマツォという13歳の女の子がいた。親戚のお兄さんと妹に助けられて4時間かけてやって来た。右足が悪いので、やや引きずりながら歩いていた。右足の靴が左と比べて異常に大きい。靴を脱いでもらった。掌状のヤマイモのように足の指が巨大で、そのために足全体が大きくなっている。「生まれた時からこうなの」と聞くと、2、3歳のころから大きくなりはじめたという。ということは先天性の病気ではない。骨の悪性腫瘍の疑いが濃い。西洋医に見てもらうのは初めてだという。そこでは私は何もできない。同じように病院で診てもらいたいが、お金がなくて診てもらえない子があちこちにいると聞いた。旅医者には何もすることはできない。西安の国立大学の医学部長に相談してみた。当人は高所医学の専門家で診ることはできないが、付属病院の院長と整形外科医を紹介してくれた。中国では骨科と言う。そのうえ院長は「明日中国」という貧しい家庭の病人を支援する基金を紹介してくれた。母親を説得し、村で「明日中国」の基金を取り付け、西安の整形外科医に診てもらうと、先天性の「巨指症」であることが分かった。悪性腫瘍でなくてよかった。無事手術を終えて、遊牧地に帰っていった。しかし、チベットでは、重い病気を抱えているが、貧しさゆえに治療を受けられない子供たちがたくさんいる。ペーマツオは何千人、何万人といるのだ。【すなどけい】公明新聞2018.1.19
April 29, 2018
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社会活動家・法政大学教授 湯浅 誠関わりたい“黄信号”の子前回、現代の貧困は見えないと言いました。昔のように継ぎはぎだらけの服を着ている子は、少なくなりました。でも「7人に1人の子が貧困」という政府の数字もちゃんとした調査に基づいています。「見えなけど、いないわけではない」ということです。これに関して、私はある校長先生の言葉を思い出します。その校長は、学校に気になる子がいたことから、外部のNPOと連携して、夏休みの中家庭が食料支援を申し込めるよう、情報提供しました。校長はとても熱心な方で、自らを気になる家庭の訪問なども行い、課題を抱えた家庭は把握しているつもりでいた。しかし、実際の申込件数は、校長の想定の6倍に上りました。「見ているつもりで、みえていなかったんだなあ」と、校長先生は私に述懐されました。赤信号もバンバンともっているような子は、それなりに目立つし、実はみんな気付きます。地域でもそうでしょう。「大変なことになっている」とはた目で分かるような家は、口の出さなくてもみんな知っているものです。しかし、その手前には黄信号の子たちは「何とかできると言えば、何とかできている」し、自分から言わないし、はたから見ても分かりません。でも「苦しいか苦しくないかといえば、苦しい」のです。その子たち、親たちが「これはありがたい」と応募してきた結果が、想定の6倍という数でした。赤信号がともっている状態を放っておくわけにはいきません。しかし、それほど目立たなくても黄信号の子はいて、何かのきっかけで赤信号に変わっていきます。そうなる前に関われるといい、と私は思います。校長先生は私に言いました。「私も見えていなかったけど、全国の校長先生もそうなんじゃないか。まさか、ここまでとは思っていないんじゃないか」と。まじめな方だけに、思い言葉だと私は感じました。【世代を超えて考えたい「子どもの貧困」<2>】公明新聞2018.1.16
April 28, 2018
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会津藩士の五男に生まれ、陸軍大将までに上り詰めた芝五郎が晩年、書き残した文にある。<故郷の山河を偲び、過ぎし日を思えば心やすからず>。石光真人編著『ある明治人の記録』には五郎の過酷な少年期がつづられている。「明治維新150年」の今年は、「戊辰戦争150年」でもある。鶴ヶ城の落城とともに、五郎の祖母・母・姉妹は自邸で自刃し、火を放つ。その時8歳の五郎は戦乱を逃れたが、家族の遺骨を焼け跡から探して拾ったのは2カ月後だった。やがて五郎は、父や兄と斗南藩(青森県下北半島)へ移住するも、当時は寒冷な不毛の荒地で飢餓に苦しみ、生死の境をさまよう。だが<堪えてあらば、いつかは春も来るものぞ。堪えぬけ、生きてあれよ>と自らを鼓舞し生き抜いた。徳川幕府に最後まで忠義を尽くした会津藩は、新政府軍から「朝敵、賊軍」とされ、理不尽な仕打ちを受ける。それでも数々の人材を排出し、郷土を再興した。翻って思えば、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で多くの人が故郷を追われ、平穏な暮らしを奪われた福島と重なって見える。明治維新は、日本の近代化の転換期だったとされる。ならば、現在の福島の復興への挑戦が再生可能エネルギーをはじめとする新産業創出への転換点となることを強く願う。【北斗七星】公明新聞2018.1.16
April 27, 2018
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一般社団法人 日本アンガーマネジメント協会 安藤 俊介 代表理事怒りは人間誰もが備える感情だが、あおり運転による重大事故のような悲劇を招くことにもつながる。そこで近年注目されているのが、アンガーマネジメントだ。怒りやイライラと上手に付き合うための訓練法で、誰もが習得可能な技術だという。日本における第一人者である「一般社団法人日本アンガーマネジメント協会」の安藤俊介代表理事にポイントを聞いてみた。カッとなったら6秒待つ!アンガーマネジメントは、1970年代にアメリカで生まれた。文字通り、アンガー(怒りの感情)をマネジメントする(上手に付き合う)心のトレーニング方法だ。日本に導入した第一人者である「一般社団法人日本アンガーマネジメント協会」の安藤俊介代表理事は「アンガーマネジメントを使えば誰でも怒りをコントロールすることができ、振り回されない生活を送ることができる」と協調する。実践するに当たり、まずは、怒りのメカニズムを知ることは必要だ。怒りは第二次感情と呼ばれ、その奥には苦しい・不安・つらいといったマイナスの感情(第一次感情)が潜んでいる。コップにたまった水がこぼれるように、心の中が第一次感情でいっぱいになると、第二次感情の怒りとなってあふれ出すのだ。例えば、妻がお酒を飲んで帰ってきた夫に激怒し、夫婦げんかになってしまったケース。夫は「たまに飲むくらいいいじゃないか」と不満に感じるかもしれない。こうした場合、「大切なのは、怒りの奥にある第一次感情が何かを探ること」とアドバイスする。妻の怒りは、夫の健康を心配するなどの気持などの「不安」で心のコップがいっぱいになった結果だ。不安の感情に双方が向き合い、解決のために話し合えば、自然と怒りは収束していくという。怒りは、生きる上で必要不可欠な感情だ。日常生活の中では、どうしてもイライラする出来事に遭遇してしまう。そこでアンガーマネジメントでは、「カッとなったら6秒待つ」ことを提唱する。怒りのピークは長くても6秒とされており、「1、2、3……」と数えている間に、少しずつ気持ちが落ち着いてくるという。6秒だけ待てば、怒りにかられた言動を避けることができる。他人の価値観認め、“自分ルール”を押し付けないアンガーマネジメントでは、イライラの原因を他人や環境のせいにするのではなく、自分自身が変わることを目標としている。その方法の一つが、自分の怒りの傾向性を把握するための「アンガーログ」の作成だ。アンガーログには、怒りを感じた出来事と怒りの強度を記録していく。記録した出来事の裏には「~べき」「~べきではない」という自分ルール(コアビリーフ)が隠れているという。例えば、タクシー運転手に道を間違えられてイライラした場合、「タクシー運転手は道くらい覚えているべきだ」という自分のルールが、怒りの原因になっている場合がある。こうした自分ルールにこだわらず、「知らない道もあるさ」などと、自分のルールを押し付けず、他人の価値観を認めることで、自分にとって“まあ許せる”の範囲を広げる作業をしていけば、無駄にイライラすることは減っていくという。安藤代表理事は、「アンガーマネジメントは誰にでも習得できる技術。効果を実感するために、まずは3週間継続してみてほしい」と述べている。公明新聞2018.1.14
April 26, 2018
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くよくよと心配ばかりしている人に向かって、「もっと前向きに考えろよ。ポジティブに考えろよ」と励ます人がいる。これはもちろん、一面で正しい。しかし、こういうことをいう人が、本当にポジティブかごいうと、そうでもないときがある。しかし、ポジティブに考えようと人一倍こだわる人は、実はネガティブなことを見たくない、とネガティブを避けている場合がある。これを偽ポジティブ陣と呼ぼう。「矢でも鉄砲でも持ってこい!」という言葉がある。これは矢も鉄砲も、きたらきたでしかたがない、と迎え撃つ気持ちがある。これに対して、「矢がきたらどうしよう、鉄砲がきたらどうしよう」と心配しているのが、くよくよ性の人。そして、偽ポジティブの人は、「矢のことなんか考えるな、鉄砲なんかこないさ。きっと素敵な未来がやってくるよ」と、人生の暗い一面を見ないようにしている人だ。本当は、人生には、ときには時期もやってくると、うすうす感づいてはいるのだが、それを認めるのがこわい。そこでカラ元気を発揮して、くよくよ性の人を、やたらと励ましてしまう。アリとキリギリスの話でいえば、キリギリスのような人だ。冬になったら困りそうだということは考えないようにしている。実際に今が冬でも、「寒い」と感じないようにしている。他人から見たら、かなり困った状況におちいっているのに、本人は平気な顔をしている人がたまにいるものだ。キリギリス人である。一方、くよくよしているだけの人は、冬がくることは予想しているし、冬になれば「寒い、寒い」と寒がることはできる。しかし、冬のために適切な準備をしたり、「寒いから毛布を手に入れよう」とか、「暖かい小屋を建てよう」ということができない。しかしこういう人は、冬を乗り切る技術さえ身につければ、いちばん賢い人間になれる。適切な準備をして冬を乗り越える、アリのような人間になれる。寒いと感じる心があるなら、ぜひ、それをなんとかする手だてを考えてほしい。同じように「寒い」と感じている人間と集まって、その寒さをどう乗り切るか、知恵を寄せ合おう。そんな人が、キリギリスのめんどうまで見てやれる人間なのである。【気持ちの整理「不思議なくらい前向きになる94のヒント」】斎藤茂太著/三笠書房
April 25, 2018
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仏法では、「変毒為薬」、毒を変じて薬と為すと説いています。災いも変じていけるのが信心です。風があってこそ、凧が空高く舞い上がるように、苦難、試練を受けることによって、境涯を大きく開き、幸福の大空に乱舞していくことができるんです。【新・人間革命「勝ち鬨」29】聖教新聞2018.1.12
April 24, 2018
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事実を確かめるのがこわいので、その“代用”として悩むことを使っている場合がある。例えば、知り合いの編集者は、執筆を依頼するときに、著者の先生に電話やメールの一本をするのが、なかなかできないという。「先日お送りした企画書、ご検討いただけたでしょうか」やるべきことは、電話やメールをして、確認するだけである。相手がOKするか、断られるか。結果はふたつにひとつだ。ところが、連絡をして、もしも断られたらどうしよう。今からまた企画を立て直すのはたいへんだ。締切にも間に合わない。ことわられたとき、他の先生にもことわられたらどうしよう、などと考えて、なかなか連絡ができないのだという。断られたときの心配ばかり浮かんでしまい、結果を聞くのがこわくて、その代わりに悩む。また、自分でもそれがわかっている。ダメならダメで、次の対策を練る必要がある。先延ばしは、自分で自分の首をしめているようなものだ。しかし、それができない。それはひとえに「度胸がないのだ」と彼はいう。確かに、悩み深い人というのは、度胸がない人が多い。悪い結果を受けとめる度胸がないので、くよくよする。しかし、こういう繊細な人は、くよくよすることも大切なのである。人間がどんなときに大きなショックを受けるかというと、まったく心の準備ができていなかったときである。予想外の不幸に見舞われたとき、人間は回復しがたい傷を負う。例えば、八十歳の親が病気で長く患って死んだときより、五歳の子供を突然、交通事故で亡くしたときのほうが、悲しみがより深いだろう。心の準備ができていなかったからだ。繊細な人間は、悪い結果を心配することで、もし本当に悪い結果になった場合の心の準備をしているといえる。楽天的に信じていたことが突然ダメになってしまったら、ショックが大きい。何の代替案も考えられないほど立ち直れなくなってしまうかもしれない。だから、あらかじめくよくよしておくのも、それはそれで有効な方法なのだ。そう自分をなぐさめながら、事実を確かめる行動に移そう。【気持ちの整理「不思議なくらい前向きになる94のヒント」】斎藤茂太著/三笠書房
April 23, 2018
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編集者・江戸研究家 有澤 真理今年の干支は戌年だが、犬は古くから日本人にとって身近な存在で、親しまれてきた。特に江戸時代は、ペットブームが起こり、室内愛玩犬として「狆」が人気を集め、江戸城大奥や大名屋敷で飼われていた。犬好きで「犬公方」と呼ばれた将軍・徳川綱吉も、たくさんの狆を飼っていたといわれている。「唐犬」「南蛮犬」と呼ばれた洋犬は、将軍家や武家の間の贈答用として重宝され、鷹や馬とならぶステータスの象徴だった。戌年には、書き始めや奉納絵馬の画題にもなるほどであった。江戸のまちは、「伊勢屋稲荷に犬の糞」といわれるほど、犬が多かった。特定の主のいない野犬もいたものの、人々の地域社会の一員のようにその存在を認められている、という趣旨の記録を、幕末に来日した米国の動物学者エドワード・モースが残している。それほど、日本人と犬の暮らしは身近だったのだろう。そうした身近な犬の存在を反映してか、江戸時代の絵師たちが描いた犬の絵は、どこか愛らしい。江戸時代初期、京都で活躍した俵屋宗達(生没年不詳)が墨で描いた子犬は、実にかわいらしい。墨の「たらし込み」と呼ばれる技法で毛並みを表し、丸みを帯びた輪郭線で柔らかくしなやかなフォルムを絶妙に表現した。そんな中でも、現代人が見ても悶絶するほど愛くるしい子犬たちを描いたのは、江戸時代中期に登場した円山応挙(一七三三~九五)だ。十八世紀後半、「写生画」で京都の絵画界に一大旋風を起こした、円山派の祖である。応挙は、描く対象を徹底的に観察した「写生」をもとに新たな絵を創造し、犬のさまざまな動きを捉えた作品を数多く残している。応挙の《朝顔狗子図杉戸》は、朝顔の周りで遊ぶ仔犬たちが生き生きと描かれている。首をかしげたり、後ろ足で首をかいたりする子犬たちのしぐさは、今、それを目の前で見ているような錯覚に駆られる。子犬らしい丸くつぶらな瞳、ふわふわとした毛並みは細筆で丁寧に描き分けられ、一匹ずつ息遣いが伝わるような、臨場感にあふれている。これは尾張国(現在の愛知県)にある明眼院の書院で、廊下を仕切る引き戸、杉戸の一つに描かれたもの。寺の言い伝えでは、五十歳を過ぎた応挙が眼の治療に通い、その回復のお礼に描いたとされる。子犬たちが遊ぶ絵は、杉戸の下の方に描かれており、子どもたちの目線に合わせたとも考えられている。眼の治療で訪れた子どもたちが、犬の絵を見て喜び、心癒されたのかもしれないと想像すると、応挙の優しい人柄に触れたようで心が温まる。犬は、江戸時代も今も変わらぬ身近なアイドルだ。(ありさわ・まり)【文化】公明新聞2018.1.10
April 22, 2018
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社会活動家・法政大学教授 湯浅 誠私が子どものときは、「貧乏」を絵にかいたような同級生がいました。体が細くて小さくて、学生服はこすれてテカって、ワイシャツの袖は黒ずんでいました。家は古くて痛みの目立つ平屋で、祖母に育てられているようでした。最近は、こういう子どもを見る機会が減りました。先日、私はある小学校に併設された学童保育に行きましたが、子どもたちはみな「小ぎれい」でした。子どもたちの中には、経済的に厳しい家庭の子もいれば、ひとり親家庭の子もいるという話でしたが、継ぎはぎだらけの服を着ているような子は一人もいません。痩せている子も小柄な子もいましたが、かつての私の「貧乏」のイメージとは違ったものでした。大人の私たちがかつての「貧乏」のイメージで目の前の子どもたちを見ると、そこに「貧困の子」は見つかりません。しかし政府は「7人に1人の子どもが貧困(正確には13・9%)」と言っています。これはどういうことでしょうか? たいしたことないのに大騒ぎしているのか、「私たちの地域」にいないだけで他の地域にはたくさんいるということなのか、今の「貧困」はかつての「貧乏」とは違うのか……。おそらく、どれも部分的にはその通りです。お米がなく、芋のつるを食べて飢えをしのいだという経験を持つ方から見れば、今の貧困はたいしたことはありません。地域によっては「お金はないが、十分に生きていける」という所もあるでしょう。そして「貧困」と「貧乏」は違います。でも国は、全会一致で子どもの「貧困対策の推進に関する法律」を作りました。昔ほどではなくても、それでも「だからといって放っておけばいいともいえない」と考えたのです。なぜ放っておけないのでしょう? なぜ「子どもは勝手に育つ」ですまされないのでしょう?そのことを、この連載で、みなさんとご一緒に考えていければと思います。【世代を超えて考えたい「子どもの貧困」<1>】公明新聞2018.1.9
April 21, 2018
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悩んでいる人間には、先が見えない。先が見えないから悩む。そこで、守りに入る。ところが、守りに入ると、ますます発展がなくなってくるのだ。ある経営者が、テレビでこんなことをいっていた。「リスクのないチャンスはない」中国で天安門事件があったとき、日本企業は中国に対して腰がひけた。中国は、これっからどうなるかわからない。今、中国に進出したら危ない、と思ったわけだ。しかしそのとき、彼は、逆に中国へ進出して大成功をした。リスクが大きいほど、チャンスも大きい。みんなが中国へ進出をやめたときに進出すれば、中国のマーケットをいち早く開拓し、独占できる。成功したときの利益は大きい、と読んだわけだ。彼はこういう。「バブルの時期には、みんな、ずっとバブルが続くと思っている。しかし、いつか必ず終わるのだ。そして、不況になると、今度は、ずっと不況が続くと思っている。これもいつかは必ず終わるのだ。だから私は、不況のときに投資をする」聞いてみれば、確かになるほどと思う。今までの歴史をみても、世の中の流れには発展するときもあれば、縮小するときもある。しかし、実際に不況のときに、思いきった投資ができる勇気が普通はない。それをできる人間が成功するのだろう。リスクを避けるなら、チャンスもない。あなたの悩みも「リスクなしでチャンスがほしい」という勝手な願いが原因ではないだろうか。もし、リスクがいやなら、チャンスが来ないことにも甘んじたほうがいい。本当にチャンスをつかみたいなら、リスクを背負う勇気を持とう。また、“いつまでもこの厳しい状況が続く”ような気がして必要以上に暗くなるのは、もうやめよう。苦しい状況は、いつか必ず終わる。いつか状況は変化する。それは信じていい。だから、苦しいときこそ、守りに入らず、思いきった投資をしてみよう。失敗したっていい。失敗のない成功はない。何回かの失敗が、次の大きな成功につながるのである。【気持ちの整理「不思議なくらい前向きになる94のヒント」】斎藤茂太著/三笠書房
April 20, 2018
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若き挑戦の魂に行き詰まりはない。全ては“行動”から始まる。行動を開始すれば、知恵がわく。「道」が見えてくる。道があるから歩くのではない。歩くから道ができるのである。【池田先生「四季の励まし」】聖教新聞2018.1.7
April 19, 2018
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江戸時代中期、信州松代藩の家老として活躍した恩田木工。当時、藩は深刻な財政難に陥っていた。その中で彼は、抜本的な改革へ陣頭指揮を執り、見事に藩をよみがえらせた。まず彼が行ったのは、厳しい財政状況を全ての藩士に包み隠さず伝え、協力を求めることだった。と同時に決してひとごととは考えないように訴えた上、改革に同意し、藩のために行動するという誓書を、藩士はもとより藩主や一族からも取りつけた(童門冬二『名家老列伝』)。何をするにせよ、“ひとごと”と思えば力は湧かない。“自分の問題”と捉えればこそ、知恵や力が生まれ、活路も開ける。改革が成功した原因の一つは、“傍観者から主体者へ”という一人一人の意識の転換があったともいえよう。「傍観者」と「主体者」の違いについて池田先生は語っている。「『傍観者』『見物人』には責任感がなく、ゆえに幾ら多く集まっても価値を創れない」「『行動する人間』には、当然、苦労も大きい。無責任な批判も多い。しかし、生命の底からの充実と満足は、その人のものである」。同じ行動に見えても、主体者か傍観者かという根底の一念の違いによって、結果は大きく変わる。広布と人生の大舞台に立ち、“新しい挑戦は私から!”との気概で進みたい。【名字の言】聖教新聞2018.1.7
April 18, 2018
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音楽ジャーナリスト 萩谷 由喜子「もういくつ寝るとお正月……」の歌い出しで知られる新年の愛唱歌『お正月』は、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)研究科在学中の滝廉太郎が、明治33(1900)年、21歳の時に作曲した。歌詞の作者、東くめは音楽学校の2年先輩で、二人は、くめの夫の東京高等師範学校教授、東基吉から「子どもの言葉による、子どもが喜ぶ歌」を書くように勧められ、この曲や『鳩ぽっぽ』などを協力して生み出していた。音楽の世界にも西洋文化の波が押し寄せた明治期、当初は外来のメロディーに日本語歌詞を当てはめた歌が歌われていたが、そのうちに、曲も歌詞も日本人が書いた日本人のための愛唱歌が渇望され始める。その声に応えて作曲された童謡が『お正月』であり、一般向けの愛唱歌が、滝の代名詞のような『荒城の月』、あるいは「春のうららの隅田川……」と始まる『花』、漢詩調の格調高い歌詞を持つ『箱根八里』などであった。これらを書いて間もなく、滝は文部省選抜の3人目の音楽留学生としてドイツに渡る。そしてベルリンで、先に留学していた2年先輩の幸田幸を訪ねて、音楽学校の思い出話に花を咲かせた。文豪・幸田露伴の妹にあたる幸田幸とは、音楽学校時代に共にテニスを楽しんだ仲であった。滝はその後ライプツィヒに移り、メンデルスゾーンの創設した名門、ライプツィヒ音楽学院に首尾よく合格を果たす。だが、希望に満ちた日々が始まったのも束の間、2カ月足らずで結核を発病して入院の身となった。食欲の落ちた滝は、病床で福神漬けを夢にまで見る。だが、ライプツィヒでは手に入らない。手紙でそれを知った幸田幸は、ベルリンのレックスという食品店で福神漬けを買い求め、滝の見舞いに送っている。滝は翌年10月に帰国を余儀なくされ、その8カ月後、明治36(1903)年6月29日に23歳10カ月の若さで永眠した。けれども、幸田幸心尽くしの福神漬けの味は、永遠に口中に留まっていたのではなかろうか。後に「日本のヴァイリン界の母」と呼ばれるヴァイリ二スト・安藤幸と、日本が誇る天才作曲家との若き日のエピソードである。【クラシック音楽家 知らなかった“もうひとつの顔”<21>】公明新聞2018.1.6
April 17, 2018
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ある占い師さんがこう話していた。「とことん悩める人は、立ち上がるときはスーッと立ち上がるんですね。どん底までいったら、それ以下はないでしょう。ところが、中途半端に悩んでいる人は、どん底に落ちない代わりに悩む時期が長引くのです。いつまでもグズグズ悩んでいて、いい解決法も見つからないようです」悩んでいるときには、いい解決法が見つからないのが普通だ。しかし、解決法はあっても、それは自分がやりたくないことだったりする。「ああすればこうなるだろう。こうすればこうなるからイヤだ。あの道もイヤだ。この道もぴったりこない。ああ、どうすればいいのだ」と悩み、身動きが取れなくなって、どんどん落ち込んでいく。しかし、そこから、こういう人の強みだというのである。いろいろな道を断って八方ふさがりになったときに、見えてくる道がある。それが本当に進むべき道だ。何もかもなくしていったときに、「これだけは守りたい」と思うことがある。それが、あなたが人生で本当に大切にしたいものだ。たくさんのものを持っているときに。たくさんのものを持っているときにはわからない。失ってみたとき、初めて自分が欲しいものがわかるのだ。それをつかんではい上がった人は強い。自分が本当に大切にしたいものをしっかり握って生きていけるのだから、迷いも少なくなるだろう。とことん迷った末に自分でつかんだ実感だ。今度迷ったときは、どちらを選べばいいかすぐにわかる。反対に、「このへんでいいや」と中途半端にごまかしてしまった人は、乙までたっても、本当に自分が欲しいものが何なのか、実感できないのではないだろうか。しかし、かといって、部屋の中で悩みながら一歩も動かないのでは、それもまた、なかなか結論にいきつかない。それをやってみて「これはダメだった」と行動していくことは大切だ。あなたは、人生でとことん悩んだ時期があるだろうか。もしもそんな機会がやってきたら、チャンス到来である。とことん悩んでみるといい。自分が人生に何を求めているのか、きっと見えてくるはずだ。【気持ちの整理「不思議なくらい前向きになる94のヒント」】斎藤茂太著/三笠書房
April 16, 2018
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徳兵衛の皮肉に、さらりと褒め言葉を返す。機転と胆力が、喜介にはあった。主人の怒鳴り声に、怯える奉公人も多かったが、喜介は平然としていた。怖いのは、相手の正体が見えないからだ。幽霊や物の怪を恐れる気持ちと、変わりはない。いつ、どこに落ちるかわからない雷に、ただ頭を抱えてうずくまっているようなものだ。喜介は違う。徳兵衛が何に腹を立てたのか素早く判じ、非があれば素直にあやまる。理由が見当たらなければ、単に虫の居所が悪いのだろうと放っておく。相手から目を逸らしてしまって縮こまっているあいだは、物事なぞ見極められない。ただ自らの身を守ることだけに終始し、それが礼儀でもあるように、ひたすら詫びと追従を繰り返す。短気な主人のまわりには、往々にして媚びへつらう手合いが多くなる。対してこの手代は、気概がある。相手が主人であろうと、言うべきことは言い、機嫌を損ねることのないよう言い回しも気が利いている。【隠居すごろく「商売道楽」4】西條奈加著/公明新聞2018.1.4
April 15, 2018
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世界は宗教戦争の巷だが、この国にその風景はない。信長・秀吉時代に武家勢力=天下人が強大化。宗教勢力が折り合って共存を図ったからである。先日、長崎県は南蛮貿易で有名な平戸に行き、面白い資料に出会った。人間文化研究機関「平戸オランダ商館文書」調査研究プロジェクトで松浦資料博物館を訪れ、坂為左衛門『壺(こ)陽録(ようろく)(三光譜録)』(一七五八年)という資料をみつけた。そのなかの秀吉の薩摩征伐時(天正十五〔一七五八〕年)の記述に驚いた。「薩摩は強敵で秀吉公も攻めあぐみ永滞陣になった。しかし秀吉公は御知略をもって、京の西門跡」(本願寺)を呼び下し、御門主を馬に乗せ、日月の御旗をささせ秀吉の千手に進ませた。それで案のごとく、薩州をはじめ敵陣は忽ち『本願寺の御門跡に弓を引くことはできない』と、薩摩の屋形(豪族)は物の具(武器)を抜き捨て降参して出てきたので、軍兵どもも甲を脱ぎ、弦を外して、弓箭(きゅうせん)(戦闘)に及ばず、大坂方の御利運(勝利)と成った。薩摩の領内は昔から真宗のみ多くあったが、(島津氏は秀吉に降伏後)『武を捨てる宗旨だから』と、数百の一向寺を残らず廃止し、切支丹の類に準じ、禁止令を出した」秀吉の薩摩征伐に本願寺は協力を惜しまなかったらしい。本願寺は秀吉に「日月の御旗」をささせられ、軍の先頭を錦の御旗よろしく進らせられたとある。しかし秀吉軍に同行したのは門主・顕如ではなく子の教如であろう。一次資料で同行か確認できるのは教如だ。「関白(秀吉)様が九州に御動座(出陣)につき御見舞として新御所様(教如)が御下向なされた」(『顕如上人伝』所載書状)とある。『陰徳太平記』にも「殿下(秀吉)が六条門跡(本願寺)を同道したのは門徒らが九州に充満しているので本願寺より触れさせ早く味方にして兵糧等の便宜を得ようとの謀(はかりごと)だ」とあり、宣教師フロイス『日本史』にも、大坂の仏僧(本願寺)が秀吉に同行し下関に滞在したとある。秀吉の薩摩征伐に本願寺おそらく教如が少なくとも下関までは同行。錦の御旗になっていたことがわかる。本願寺は本能寺の変で信長が死ぬと秀吉に接近。秀吉が権力を確立するため柴田勝家と戦ったときには柴田の背後「加賀で一揆を催し御忠節」を尽くすと秀吉に約束した(天正十一年四月八日付秀吉書状)。以来、本願寺は秀吉の戦場に次期門主・教如を陣中見舞いに派遣。富山の佐々成正を秀吉が征伐した時も「秀吉より御異見(御指示)ゆえ」教如が直接金沢まで行って秀吉を支援している(『貝塚御座所日記』)。秀吉が北陸のライバルだった柴田・佐々を制圧した天下人になれたのは、この地に信者が多く絶大な影響力を誇る本願寺との連携があった。本願寺は秀吉への戦争協力の見返りに大坂天満での本願寺の維持を許された。秀吉自身が寺の縄打ち(場所決め)を行い、本願寺は籠城できぬよう塀や堀のない寺にすること(フロイス『日本史』)で秀吉と折り合った。最初のキリスト教制限令である伴天連追放令は、秀吉が本願寺と薩摩征伐をやっていた最中に出されている。これには「キリスト教は一向宗よりたちが悪い」との秀吉の認識が色濃く出ている。のちに日本最大の教団になる本願寺と、権力に弾圧されるキリスト教の運命はここで大きく分かれた。こんな話をしていると、博物館の方が「秀吉の伴天連追放令はうちにあります」と原本を出してきてくれた。私は日本の宗教情勢を決めたその一枚の紙をまじまじとみつめた。【日本史の内幕】磯田道史著/中公新書
April 14, 2018
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幕末から明治にかけて来日した外国人にとって、日本は驚きの国だった。気さくで陽気で幸せそうな人々、雑草一つないほど手入れされた耕地。美しい自然景観は多くの欧米人をうならせた。庶民の生活も開放的だった。家屋は開けっぴろげで、無人の店も持ち逃げする客はいない。ある外国人は宿屋に時計と金を預けて数日間出かけたが、戻ってみると、出発時と同様、蓋のないお盆の上にそのまま残っていた。近代史家・渡辺京二氏の著書「逝きし世の面影」からは、明るく勤勉で善良な当時の日本人の姿が伝わってくる。子どもを大切にし、男たちが町中で幼児を抱いて一緒に遊んでいる姿も外国人の目には印象深く映ったらしい。日本はその後、近代化を急速に進めて欧米と肩を並べ、敗戦を経て短期間で先進国となった。一方、風景は幕末の人が卒倒しそうなほど大きく変貌した。人々の心の中の変化は、計り知れない。渡辺氏が「古き日本の死」と表現するように、明治以前の時間はもう戻らない。ただ、当時の暮らしや生き方には妙に懐かしさも感じさせられる。物がなくても世の中を信用して生きていけた時代への憧れだろうか。今年は明治維新から150年。近代化とともに日本人が忘れてきたものはないだろうか。じっくり考えてみたい。【凡語】京都新聞2018.1.1
April 13, 2018
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宿命の嵐が、吹き荒れる時もある。苦悩なき人生はない。 ◇人間は、臆病になり、挑戦をやめ、希望を捨て、あきらめの心をいだくことによって、自らを不幸にしていくのだ。われらは妙法という根源の法に則り、満々たる生命力をたたえ、一つ一つの課題を克服しながら広布に走る。ありのままの自分を輝かせ、自他共の幸福を築くために。あふれる歓喜を胸に、誇らかに「民衆の旗」を掲げ、勝ち鬨を高らかに轟かせていくために。【新・人間革命「勝ち鬨」21】聖教新聞2018.1.1
April 12, 2018
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一念が変われば、一切が、その方向に動き始める。「よし!」と決めた瞬間、全神経が、ばーっと、その方向に向く。「だめだ」と思えば、その瞬間に、全神経が萎縮し、本当に「だめ」な方向に向かっていく。この「微妙なる一念の劇」を知っていただきたい。心の置き方ひとつ、心の向きひとつで、自分も環境も大きく変わる。その実相を完璧に説ききっているのが、仏法の「一念三千」の法理である。強き一念の力によって、自分自身を、周囲を、そして国土をも回転させられる。命己に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり(持妙法華問答抄、466頁)【「社会で光る」(池田大作全集)第87巻】大白蓮華2018年1月号
April 11, 2018
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「進まざるは退転」です。戸田先生は、信心の惰性を常に戒められました。「いちばんの問題は、良く変わっていくか、悪く変わっていくかである。このことに気づかないでいる時、人生は惰性に流されていく」「信仰が惰性におちいった時、それはまさしく退転である。信心は、急速に、そして良く変わっていくための実践活動である」等々と語られていました。日蓮仏法は「現当二世」の信心です。「現在」と「未来」のために、“今ここで”一念を定めて信心を励んでいくのです。大切なことは、何があっても「負けないこと」です。「負けないこと」は「不退」です。断固たる「不退」の一念から、「勝利」への反転攻勢が始まるのです。【世界を照らす太陽仏法】大白蓮華2016年5月号
April 10, 2018
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「勇将の下に弱卒なし」です。大聖人は、何度も弟子に教えられています。「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(1282頁)「ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候」(1193頁)臆病に勝ち、深き信心の志に立つことが勇気です。偉大な人生の勇者の道です。さらに御聖訓には仰せです。「各々師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほ(吼)うるなり日蓮が一門は師子の吼るなり(中略)月月・日日につ(強)より給へ・すこしもたゆ(弛)む心あらば魔たよりをうべし」(1190頁)「をづる事なかれ」、すなわち「わが弟子たちは、恐れてはならない」「怖気づいてはならない」と励まされています。地涌の菩薩は「其の心に畏るる所無く」(法華経472頁)◇勇気は、遠くにあるのではない。十界互具のわが生命の中に、厳然とある。老若男女を問わず、誰でも勇気は出せるのです。題目の師子吼で自身の弱い心を打ち破るのです。諦めの壁を乗り越えて戦っていくのです。そして自他共の幸福を願って勇気の対話を実践していくことが慈悲に通じていくのです。戸田先生は教えてくださいました。「凡夫には慈悲など、なかなか出るものではない。だから慈悲に代わるものは『勇気』です。『勇気』をもって、正しいことは正しいと語っていくことが『慈悲』に通じる。表裏一体なのです。表は勇気です」と。「勇気ある信心」、それ自体が、仏界に通じます。我ら創価の師弟は、永遠に、この「勇気の力」をもって戦い、勝っていくのです。【世界を照らす太陽の仏法】大白蓮華2018年1月号
April 9, 2018
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勇ましく振る舞うだけが、勇気ではありません。仏法の勇気には、真実を「如実知見」し、勝ち越えていく智慧があります。病気や事故、死魔、経済苦、人間関係等、人生には思いもよらない苦難が次々と襲いかかる。絶望の底に突き落とされるような宿業の嵐に見舞われることもあります。しかし、如実知見————信心の眼を開くなら、誰もが本来、金剛不壊の仏の生命を具えており、妙法を唱えていけば、仏の生命力を顕現してすべてを乗り越え、真実の幸福境涯を確立していける————。それゆえに、創価学会には、ありとあらゆる熾烈な人生の現実に、真っ正面から挑戦する人間革命のドラマがあります。障魔や苦難の試練にも、嘆かず、恐れず、臆さず、勇敢に堂々と挑み、祈り、戦い勝ってきた「庶民の英雄」が無数に光っています。【世界を照らす太陽の仏法】大白蓮華2018年1月号
April 8, 2018
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「億劫の辛労」とは、“長遠なる時間にわたる辛く苦しい努力”です。いつ終わるとも知れない無限の労苦とも、受け止められるかもしれない。しかし、大聖人は、この「億劫の辛労」は、妙法を唱え戦う、瞬間瞬間のわが一念に尽くせるのだと大転換して教えてくださっています。言い換えれば、いかに「今この瞬間」を勝ち切るかを離れて、「億劫の辛労」を尽くす道はないのです。御書に「師子王の剛弱を嫌わずして大力を出す」(992頁)と仰せのように、師子王は、いかなる相手、いかなる時であっても全力を奮い起こすといいます。相手を侮って力を出し惜しみすることなどしません。だからこそ、目の前の瞬間瞬間を逃さず、全力を尽くす。題目を唱えて、懸命に戦い抜く————この精進行こそ、仏法の「勇猛精進」、すなわち勇気の真髄があると拝したい。「勇猛精進」によって、「無作三身」という本来、わが生命に具わる、仏の慈悲と智慧、そして真実の力が泉の如く湧き上がってくるのです。◇いかなることがあろうとも、自行化他の題目を唱え抜く根本の一念において、「常に精進する」心は揺るぎなく定まっている。時々刻々と変化する、どの瞬間に臨んでも題目を忘れなければ、道を求める心は燃え上がる。これが「もとより」です。それは、みずみずしい本因妙の生命であり、常に新しく、常に強く、常に真剣です。まさに「南無妙法蓮華経は精進行」なのです。【世界を照らす太陽の仏法】大白蓮華2018年1月号
April 7, 2018
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苦難の時こそ、その人の信心の真髄がわかるものです。臆病の心をさらけ出し、逃げ去り、同志を裏切る人もいる。また、“今こそ、まことの時である”と心を定め、敢然と奮い立つ人もいる。その違いは、日ごろから、どれだけ信心を磨き、鍛えたかによって決まる。一朝一夕で強盛な信心が確立できるわけではありません。いわば、日々、学会活動に励み、持続していくのは、苦難の時に、勇敢に不動の信心を貫いていくためでもあるといえる。私たちは凡夫であり、民衆の一人に過ぎない。ゆえに、軽視され、迫害にさらされる。しかし、私たちが弘めているのは、妙法という尊極無上の大法であるがゆえに、必ずや広宣流布していくことができる。また、「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(同856頁)です。したがって、最高の大法を流布する“弘教の人”は、最極の人生を歩むことができる。広布のため、学会のため、いわれなき中傷を浴び、悔しい思いをしたことは、すべてが永遠の福運となっていきます。低次元の言動に惑わされることなく、仏法の法理のままに、無上道の人生を生き抜いていこうではありませんか!【新・人間革命「勝ち鬨」19】聖教新聞2017.12.28
April 6, 2018
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関東教育本部長 栗本 賢一これまで、たくさんの子どもたちと出会いました。今、しみじみと思うことは、誰もかけがえのない宝の存在であり、無限の可能性を持っているということです。私には、忘れられない経験があります。まだ20代半ばの若手教師だった頃、はじめて学級担任をした中学2年のクラスにA君がいました。A君は明るく、おおらかな性格で、枠に収まるのが苦手な型破りな生徒でした。母親は「この子は将来、ちゃんと社会人としてやっていけるのかしら」と心配していました。私はそんなA君に「仲間を大切にする優しさ」を感じていました。彼の言動の奥にいつも、友達やクラスのことを思う気持ちが見え隠れしていたからです。そこで、彼のすることを否定はせず、その背後にある心を大事にしながら見守りました。母親にも「A君は友達思いです。器の大きさを感じます。将来必ず立派になりますよ!」と伝えました。中学3年になり卒業も近づいたある日、大雪が降りました。するとA君が「先生、こんなに雪が振ることは、めったにないのだから、授業をやめて皆で外に出て雪遊びをしようよ」と言うのです。高校受験を間近に控えた貴重な授業です。しかも生徒たちが風邪をひかせたら大変と、私は「絶対にダメだ」と強く何度も言いました。それでもA君は引き下がりません。私はA君の思うようにさせました。すると、A君は「やったあ!」と、一人で3階の教室から飛び出していきました。授業を進めていると、校庭の方から「おーい、おーい」と声が聞こえます。授業を止めて、皆で窓から下を見ると、A君が大雪の中に立って手を振っています。その横には大きな文字で「全員合格」と雪の上に書いてあります。あの時の感動と生徒たちの歓声は忘れられません。A君が卒業してからも交流を重ね、成長を見守りました。A君は、やがて会社を起こし、社長になりました。社員や仕事仲間を大切のする彼の姿勢に大きな信頼が寄せられ、会社は大きく発展し、今、海外まで進出しています。かけがえのない生命この経験を通し、子どもには必ず長所があり、それを引き出していくことが教師の大切な役割であり、使命であることを心に刻みました。日蓮大聖人は「命と申す財にすぎて候財は候らわず」(御書1596頁)と仰せです。命以上の宝はないとの意味です。仏法は、あらゆる生命の限りない尊さを教えています。誰もが、かけがえのない宝の生命を持ってこの世に生を受けました。それは、また、誰にも計り知れない可能性があるということです。池田先生は述べています。「どんな子であれ、その人にしか果たせない使命がある。誰しも、何かの才能の芽を持もっている。その芽を伸ばすための最高の養分は、信じてあげることです。(中略)いつかは必ず才能の芽が伸びることを信じて、温かく見守り、根気強く励ましを重ねていくことです」(『女性に贈ることば365日』)全ての子どもが、可能性を花開かせ、その人にしか果たせない尊い使命を果たして幸福な人生を歩むこと。これが教育の目的です。そのために教師が、懐を大きくして子どもの可能性を信じ抜き、忍耐強く見守っていく時に、一人一人の良さを見いだすことができます。“善根をなせば必ず栄える”自身の経験からも、子どもの可能性を信じ抜いた粘り強い関りは、子どもの成長へとつながるだけでなく、教師自身の成長にもつながると実感します。私は、小学校で管理職の立場にあった時、“手を焼かせる子ほど、実は自身を本物の教師へと鍛え、成長させてくれるありがたい存在です”と、教師の皆さんに語ってきました。慈愛の心で児童・生徒に関わることは、子どもたちの健やかな成長を願っての尊い聖業であることは言うまでもありません。その上で、その労苦は必ず教師自身のためにもなります。大聖人が「草木は雨ふればさかう・人は善根をなせば必ずさかう」(御書1562頁)と仰せの通り、善い行いをすることで人は栄えていくことができるからです。この「善根」とは、善を生み出す根本となるものをいいます。教師が児童・生徒の幸福を願って慈悲と真心で関わることも、その一つです。こうした行いが自身の財産となり、成長にもつながり、人生の幸福と勝利を築く因となります。道理としても、相手のためを思う行動は、自身のためにもなるのです。結果よりも過程を重視自身の教育実践の上から、子どもの可能性を開花させるためのポイントを二つ挙げます。一つは、人と比べないことです。家庭の中でも、「お兄ちゃんはできたのに、なぜ、あなたはできないの?」などと、兄弟姉妹で絶対に比べないことです。その子には、その人にしかない良さがあります。人と比べるのではなく、その子自身が昨日からきょうへ、どのように進歩、成長したかを確認できるようにすることが大切です。もう一つは、結果よりもプロセス(課程)を重視することです。子どもは、できることなら努力をしないで、すぐにでもいい結果を欲しがるものです。大人の側も、子どもの結果だけで判断することは往々にしてあります。しかし、大切なのは結果に至るプロセスです。「努力はいつか実を結ぶよ」と励ましながら、じみちに努力を積み重ねられる子どもに育てていくことが、本人の成長へとつながります。努力は決してうそをつきません。よく、「うちの子は三日坊主で……」という保護者もいますが、三日坊主も10回続ければ、30日、1カ月にもなります。子どもが地道に努力を続けられるようになるまで、それを見守る大人にも“待つ勇気と忍耐”が必要です。目先の結果に一喜一憂せず、長い目で子どもを見守りながら、努力することの尊い意味を子どもの心に刻ませたいものです。私は現在、教職を退きましたが、陸続と若い先生方が、夢と希望を持って子どもたちの教育に全力で当たれるように支援して生きたいと思っています。また、子育て中のお父さん、お母さんが自信を持ってわが子の教育に頑張れるよう、「教育のための社会」づくりに全力で取り組んでいく決意です。(プロフィル)くりもと・けんいち 埼玉県の教壇にたった後、小学校で教頭、校長を務めた。定年退職し、現在、県内の市の職員として生涯学習の推進に携わる。61歳。1957年入会(昭和32年)入会。第6埼玉県長。副教育部長、関東教育本部長。【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2017.12.26
April 5, 2018
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不安というのは元々動物としての人間に備わった防衛本能によってもたらされるものだ。ここは緊張感をもって臨まないと危ないといった状況で、人は不安になる。その不安のお陰で、危機的な状況に適切な対応ができるようになる。そのような状況で、もし不安がなければ、つい油断してしまい、危機的な状況にうまく対処することができなくなる。◇不安をよくない心理状態とみなして排除するのは間違いだということになる。つまり、不安には、モチベーションのあらわれといった面があることを覚えておきたい。【ネガティブ思考力】榎本博明著/幻冬舎
April 4, 2018
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何とか自分の限界を突破しようと苦しんでいる人、逆境の中で必死に頑張りながらも苦しんでいる人に対して、「少し力を抜いてみたら」「もっと気楽にいこうよ」と励ましの声をかける。あまり無理をしすぎると潰れてしまうから、少しは力を抜いて気楽になろうと励ますのである。ところが、ポジティブ信仰が世の中に広まってしまったため、全然無理していない人、限界まで頑張り抜こうとして苦しむといった姿勢とは無縁の人までが、「無理するのはよくない」「気楽にいくのがいい」と思い込んで、頑張るという心の構えを取れなくなっている。気楽な状態、いわゆるリラックスした状態というのは、弛緩した心の状態を指す。そうした緊張感の欠如した状態では、力を出し切ることは期待できない。緊張感がモチベーションを高め、その結果としてパフォーマンスを高めるのである。スポーツのようにパフォーマンスが端的に見える形でとらえられるものを思い起こせば分かりやすいだろう。たとえば、フィギア・スケートの選手の本番直前の張りつめた様子。それがあるからパフォーマンスが上がるのだ。緊張感がなく、「リラックスしていこう」というような言葉は、緊張しすぎるときにかけるものであり、「無理せず気楽にいこう」という言葉は、無理しすぎて頑張りすぎて苦しんでいるときにかけるものである。元々緊張感がない場合や、無理して頑張ることがない場合には、逆の声がけが必要になる。【ネガティブ思考力】榎本博明著/幻冬舎
April 3, 2018
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宮城県の水田地帯「大崎耕土」が今月、東北初の世界農業遺産に認定された。初代仙台藩主・伊達政宗の時代から続く治水や、自然と共存する稲作の文化が、国際食糧農業機関(FAO)に高く評価され、注目を集める。通常、農閑期の田は乾燥させるが、この地域では、田に水を張る「ゆふみずたんぼ」という農法が受け継がれている。田に水を注ぐと、イトミミズや菌類が繁殖し、土地が肥える。落ち穂をついばむ渡り鳥の糞は、天然の肥料だ。また、水中の微生物が適度に日光を遮り、雑草の成長を抑える。こうして無農薬で栄養価が高く、味わい深い米が育つという。動物や植物の働きを絶妙に調和させ、大地の力を引き出す————先人は、試行錯誤を重ねつつ、長い時間をかけて動植物を観察し、その息遣いに耳を澄ませていたのではないか。先人の共生の知恵に学ぶことは多い。「共生」とは、自然界の生物を、“人間の手段”とみなして、益するか害するかで切り分けるのではなく、個々の生命をかけがえのないものとして尊ぶ態度のことである。それを仏法は「諸法実相」等の法理として体系的に解き明かした。一つとして無駄な存在はない。一人として使命のない人はいない。この哲学を広げることから、共生の建設は始まる。【名字の言】聖教新聞2017.12.24
April 2, 2018
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「ありがとう」の一言には不思議な力がある。人生を豊かにし、心の絆を限りなく広げる。平和や友好といっても、他者への「感謝の思い」を伝えることから始まるのだ。感謝と報恩の決意が、自身を向上させる原動力となる。自分を育んでくれた人々を断じて裏切るまいと思えば、人生の正しき軌道から外れることはない。いかなる苦境でも、御ある人を思い浮かべれば、「負けじ魂」が込み上げてくる。報恩は、人間の根源の力を引き出す源泉となる。第2代会長の戸田城聖先生は、よく、こう言われていた。「常に感謝の念をもっている人は、いよいよ栄える。福運がいよいよまさる」「感謝を忘れた人は、福運が消えていく」と。感謝の心から、喜びも希望も生まれる。「ありがとう」「ご苦労さま「事故に気をつけてください」「風邪をひかないように」————その一言で、心が温まる。爽やかな人間性の薫りが広がる。人間と人間の麗しい絆こそ創価学会の世界なのである。この一年、本当にありがとう。よいお正月を迎えていただきたい。そして来年も、大いに素晴らしい一年を、一緒に戦い抜きましょう!どこまでも「晴れやか」に!何があっても「朗らか」に!【池田大作先生「四季の励まし」】聖教新聞2017.12.24
April 1, 2018
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