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同志社大学・良心学研究センター長 小原克博教授 人間は本来、憎しみの感情や縄張り意識を持っているわけですが、他の生物と違うのは、そういう性質を持つ人間という存在自体を「対象化してみる力」を持ち合わせていることです。だとするならば、人間が生み出した「憎しみの文化」を克服する知恵も見つけ出せるのではないでしょうか。 そもそも宗教や教育は、そういった望ましくない文化を変革するために貢献するべきなのですが、実際には既にある偏見や差別を容認し、憎しみを強化さえしてしまっているのが、今日に至るまでの現実だともいえます。 そうした反省もあってか、現代の多くの人々が共有しているのが多元主義的な価値観です。特定の価値に重きを置かずに、お互いを等しく認め合いましょうという、いわば価値相対主義です。 こうした多元主義は、その対極に位置する、特定の思想・信条の絶対性を訴える排他主義や原理主義が招いてきた対立を乗り越えようとする中で、人類がたどり着いた到達点の一つだと思います。 しかし、世界には命を懸けても貫きたい信念を持っている人たちもいて、それを頭ごなしに否定することはできません。そもそも、自分の信念に忠実に行動し、何かを実現したいというのは人間のまっとうな感覚です。ただし、そういう原理主義的な考えが暴力的な方向に行かないように、何をすべきかを考えていく必要がある。 その際に多元主義的に捉えて、それぞれ自分勝手にさせておけばよいというのでは、何の問題解決にもならないわけです。そこで重要になってくるのは、仏教でいう中道のように第三の道を見つけていく包括主義的な価値観です。 これは、自分の信念を何より大切にすることを全ての人に対して認めながら、それぞれが自らを絶対視して他者をさげすむものではなく、その信念の強さ故に他者に対しても謙虚な姿勢を持つことは可能であるという考えです。 ◇ 宗教者が共通善を生み出すために貢献していくには、それぞれの宗教が大事にしている伝統の教えと向き合いながら、変化の激しい社会の中で、現代性や地域性を踏まえ、その伝統を大胆に解釈しないしていく姿勢が求められます。 どの宗教も固有のテキスト(原典)を持っています。それを現代というコンテキスト(文脈)に照らして、そこから今の時代に貢献できるようなエキスをぐっと引っ張り出していく。こうして個々の宗教の中から、こういうものは普遍的価値を持ち得るのではないかと提示し合う。それが重なり合っていく中で共通善は形になっていくのではないかと考えます。 つまり、普遍性を追求するといっても、それぞれの信念という固有性を基盤にしていくことが大切です。 そういった意味でも、個々の宗教が、自らの信仰的特殊性を共通善という普遍性に結び付けられるかどうかによって、人類に貢献する宗教としての力が問われていくと考えています。 【グローバルウォッチ「共生の未来へ」】聖教新聞2018.4.28
August 31, 2018
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南アフリカではきょう4月27日は「自由の日」。アパルトヘイト(人種隔離)が撤廃された同国で24年前のこの日、初の全人種選挙が実施された。翌月、大統領に選出されたのがネルソン・マンデラ氏である。 氏がロベン島に投獄されていた時、人種差別撤廃への動きが遅々として進まないことに、仲間からいらだちの声が上がった。だが氏は諭した。「我々の戦いは長期戦だ。長期的で幅広い視野を持って行動すべきなのだ」 長期的視点————氏はよく、この言葉を使った。それは「忍耐」を意味していた。氏の獄中闘争は27年半に及んだ。なぜ耐え抜くことができたのか。氏は語っている。「いつかふたたび土を踏み締め、太陽の下を自由民として歩ける日が来ると、わたしはいつも信じていた」(『自由への長い道(下)』東江一紀訳、NHK出版) 忍耐とは、未来は必ず開けるとの希望を手放さず、力強く生き抜くことである。その希望とは、与えられるものではなく、自ら生み出すもの————氏の生き方は、そう教えてくれる。 初代会長の牧口先生は、法難の獄中にあっても、「心一つで地獄にも楽しみがあります」と家族に、はがきを書き送った。身体の自由は奪えても、心の自由を奪うことはできない。そして、希望ある限り、自由はある。 【名字の言】聖教新聞2018.4.27
August 30, 2018
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専修大学法学部教授 岡田 憲治 選挙によって各政党の議席数が確定し、与野党の勢力図が決まると、通常は議事日程通り粛々と審議と採決が行われ、少数派の野党が与党提出法案を覆すことは困難となります。しかし、野党がその役割を果たすために、議会政治がさまざまな慣行、ルールによって、与党に対抗する方法を保証してきました。 議席数が全てならば、選挙で過半数を得た政党や政党連合が全法案を可決でき、議会は必要ありません。首班指名と組閣が終われば、全て審議は「どうせ多数決で決まるのだから時間と費用の無駄」ということになり、内閣が全てを担うからです。 議会の勢力は常に「過度的な民意の表現」だと考えれば、野党の主張の中にも、複雑で多様な社会の訴えが含まれていますから、審議を行うだけでなく、数で劣る野党が簡単には多数決に持ち込まれないようにするための工夫が、議会内のルールの枠の中で許されています。これがフィリバスター(合法的議事妨害)といわれるものです。審議を引き延ばし、その間に妥協を模索するのです。 米国映画『スミス都へ行く』では、政府腐敗を追及する若い上院議員が法案成立を阻止しようと長時間演説を続けついに力尽き、その姿にベテラン議員が心を打たれ世論が反応する場面が描かれています。「党議拘束」が緩やかな米国上院では、こうした行為は正当なものとされています。2013年には、オバマ大統領の提案した社会保障案に対し、21時間ものフィリバスターが行われました。 日本では、長時間演説は過半数の賛成で時間制限がかけられてしまうため、有効な技術になりませんが、審議拒否、議院運営委員会を通じた審議運営へのクレーム、委員会審議前の本会議趣旨説明の要求、野党法案の乱発や内閣不信任案などで、妥協を引き出し、同時に世論の喚起を促します。本会議での投票採決の際に牛のようにゆっくり歩いて時間をかける「牛歩戦術」なども、議案への世論の注目を集めようとする典型的な作戦です。 いずれも与党からは審議の妨害行為と受け止められがちですが、議会政治においては、与野党が逆転する可能性が常に念頭に置かねばなりません。数の力による強引な採決を防ぎ、慎重に法律を作成するために最後まで努力をすることの大切さを想像しなければなりません。 合法的議事妨害は、二院制による慎重な審議と議決とともに、「選挙結果が全て」と決めつけることなく、一度立ち止り、野党が何のために存在するのか、議会がなぜ必要なのかを考える契機を与えてくれるものだと言えましょう。 【議会政治のそもそも9⃣】公明新聞2018.4.26
August 29, 2018
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「人間性」の真髄にあふれるもの。それを一人の勇気ある人が訴え始める時、人類の心の海を、一波から千波、万波と伝わり、広がっていくのである。 そして、仏法は「人間性」の究極の世界である。 “母への感謝”“礼儀”といった、美しい人間性を離れて、別のところに仏法があるのではない。御書に仰せのごとく、もっとも道理にかなった“人間の振る舞い”が即、仏法の生命なのである。 ゆえに私どもの集いは、どこよりもあたたかく、細やかな愛情に満ちた世界でなければならない。また私どもが、そうした人間性の真髄を身につけ、洗練された豊かな人格を練り上げていく時、自然のうちに社会の人々の心を魅了していくに違いない。 「幼子は母を知らず母は幼子をわすれず、釈迦仏は母のごとし女人は幼子のごとし」(御書1114頁) お母さんの愛を忘れてはならない。お母さんの苦労を忘れてはならない。お母さんの慈顔が心に生きている時、人間は決して大きく道を誤ることがない、と私は思う。 それと同じく、私ども凡夫が御本仏の大慈悲を忘れることなく、深き感謝の心で生きていく時、心には仏界の光が大きく広がっていく。そして御本尊の大慈悲につつまれた、根本的に安穏と歓喜の人生の軌道となっていくのである。 どうか皆さんは、かけがえのないご両親、とくにお母さんを大切にしていただきたいと重ねて申し上げたい。 「母」の愛は深い。「母」の力は偉大である。そしてすべての人々が「母」を大切にすれば、必ずや世界も平和になり、幸福になっていくにちがいない。 「子を思う金鳥は火の中に入りき、子を思い4し貧女は恒河に沈みし女人は大梵天王と生まれ給えり」(御書934頁) 子を思う母のひたむきな「心」は、そのまま「菩薩」に通じ、「大梵天」に通じる。 【笑顔の太陽・婦人部に幸福あれ!】大白蓮華2018年5月号
August 28, 2018
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「我等が一念の妄心の外に仏心無し九界の生死が真如なれば則ち自在なり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉る即ち自在なり」(御書789頁) われわれ凡夫の迷いの生命を離れて、他のどこにも仏の生命はない。煩悩や宿業、苦難に縛られた九界の生死も、妙法に照らされるとき、本来ありのままの真実の姿を顕し、『自在』の生死となる。すなわち南無妙法蓮華経と唱え奉ることによって、自由自在の生命の活動となる————との御聖訓である。 不自由に見える九界の現実の生活を離れて、どこか別世界に自由があるのではない。現実から逃避しても、他のどこにも真の自由はない。 逃げだすといっても、宇宙から逃げだすわけにはいかない。何より自分の生命の外へ逃げだすことは不可能である。 その自分の生命が、宿命にしばられ、自分の弱さにとらわれ、苦しみに負け、誤った思想につなぎとめられるとしたら、いずこにいっても自由ではない。 大聖人は「今度生死の縛を切って」(御書177頁)と仰せである。生命をしばりつける迷いの“縛”を断ち切る剣こそ、妙法の実践である。 仏界の境涯こそ、真実の自由がある。三世にわたって最高に自在の境涯がある。わが信心の一念通りに、自在に人生を開きゆく“力”と“智慧”に満ちてくる。妙法こそ事実のうえに、真の「自由」を実現する無上の大法なのである。 皆さまにも、さまざまな苦難のときがあるだろう。しかし、そのときこそ、宿命を転換し、大功徳を受けるときと確信して、師子王のごとき信心を貫きとおしていただきたい。 最後に、皆さまは正法を信じ、正法を行じ、弘め、正法の功徳につつまれながら、尊き人生を楽しく生きゆくお一人お一人であっていただきたい。 そして、婦人部の皆さまが、一人ももれなく幸福であり、安穏であり、健康であり、長寿であられんことを心からお祈りし、私のスピーチを終わらせていただく。 【笑顔の太陽・婦人部に幸福あれ!】大白蓮華2018年5月号
August 27, 2018
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日蓮大聖人の仏法では、信仰と仕事、生活とは分かちがたく結び付いていると教えています。 大聖人は「まことの・みちは世間の事法にて候」「世間の法が仏法の全体」(御書1597頁)と仰せになっています。 法華経以外の教えでは、世間と仏法を別のものと捉えて、世間を離れた「出世間」の中に覚りの道があると説きます。 これに対して法華経は、世間の法を離れて仏法はなく、世間の法がそのまま仏法の全体であり、そこにこそ成仏の真実の道があると教えています。 ゆえに、世間の道理を深く知って、仕事や生活の場で勝利できるよう祈りを根本に努力を重ねていくのが、仏法者の姿勢でなくてはならないのです。また、仏法を深く会得していくことで、世間の道理にも通じていくことができます。 信仰の素晴らしさといっても、それは職場や家庭などの生活の場で示されていくものにほかなりません。 聖教新聞2018.4.24
August 26, 2018
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社会活動家・法政大学教授 湯浅 誠 このコラムも最終回。「世代を超えて考えたい」というタイトル通り、おばあちゃんや高校生が読んでも、ご納得いただけるように話してきたつもりですが、いかがだったでしょうか。 日本社会は、信じられないほど豊かになりました。同時に、飽食の時代において、かつての「欠食児童」のような子がいるという現実も、やはりなかなか想像しにくい。 「せっかく生まれてきてんから、はらいっぱい食べて大きくなりたい」と大阪の男の子が書いたのは、戦後すぐではなく「いま」の話ですが、この時代にどうしてそうなるのか、すぐには理解しがたいと思います。 それを受け入れるには、勇気と時間がかかります。「そんなわけない」と否定する方が、労力も少なくて済みます。ですが「はらいっぱい食べて大きくなりたい」と言った子は、消えてなくならない。この社会で育ち、私たちの老後を支える担い手になります。だから私は、その子に元気に、前向きに、生きてほしい。 私たちにできることはなんだろう、と考えてきました。このコラムでは、その一端をご紹介しました。「これならできそうだ」と感じられることが一つでもあったのなら、とてもうれしく思います。私たちの社会は、私たちの手で変えていける。皆さんと共にそう信じたいという願いを記して、このコラムを終えます。ありがとうございました。 最後に、現在、こども食堂を、より多くの子どもたちが立ち寄れる安心・安全な居場所にするための募金をインターネット上で行っています。ご協力いただければ幸いです。 (おわり) 【世代を超えて考えたい「子どもの貧困」<15>】公明新聞2018.4.24
August 25, 2018
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お茶栽培 天野 茂 無農薬でのお茶作りに取り組んで40年————。わが家の仕事の舞台は、熊本県水俣市の標高500メートルを超える高原地域に広がる6ヘクタールの茶畑です。父の代からこの地で土とともに生きてきた私にとって、公害や環境問題は決して避けることできないテーマでした。 「自分に何ができるのか」と思い悩んでいた私にとって希望の光となったのは池田先生の指導です。 水俣が社会から大きく注目されていた当時の1974年(昭和49年)1月、私は鹿児島の九州総合研究所(当時)での「水俣友集い」に参加しました。そこで初めて池田先生にお会いし「皆さんが、水俣の変革の原動力となって、年ごとに、郷土の蘇生の歴史を刻んでいっていただきたい」と師の励ましが自らの指針になりました。 水俣市は、水俣病事件の教訓を生かし、住民一人一人が自分たちを取り巻く環境を強く意識して、その保全への取り組みを行ってきた結果、10年前、全国の「環境モデル都市」の一つに認定されました。 このように生まれ変わった水俣ですが、私自身、公害の象徴の地であった水俣で農業を営む中、安心・安全な農産物の生産が不可欠になることを強く意識してきました。それまでも茶葉を生産してきましたが、こうしたことを背景に無農薬での栽培を始めたのです。 無農薬栽培が社会から注目 といっても、無農薬栽培の知識が最初からあったわけではありません。 無農薬栽培について書かれた学術書、専門書を次から次に読んでいきました。有機栽培を手掛けている農家があると聞けば、県外にも視察に出掛けました。 単に農薬をなくすだけでなく、土そのものを変えようと、健康な土づくりから始めました。肥料も、刈り取った雑草や自家製の発酵堆肥を使用。できるだけ自然に近い環境で育てることを心掛けてきました。 ところが無農薬栽培に切り替えると、茶葉の見栄えが劣るため、高い評価を得ることができませんでした。 苦しい経営状態が続きましたが、それでも私は信念を曲げず、土作りに徹しました。 そんな時、無農薬のお茶が欲しいという連絡が入ったのです。この日を境に、完全無農薬のお茶は口コミで広がり、東京や大阪からも視察に訪れるようになり、県内の販売所や通信販売で飛ぶように売れ始めたのです。 お茶のおいしさは、茶葉の品質とともに、蒸し方などの加工技術によって大きく変わります。毎年、微妙に異なる茶葉の品質を、正確に把握することが欠かせません。気象の変化に左右されないように、良質の茶葉を栽培し続けることも求められるのです。 日蓮大聖人は「天晴れぬれば地明らかなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書254頁)と仰せです。 天が晴れるならば、地はおのずから明らかとなる。同様に、法華経を知る者は世間の法をも、おのずから得るであろう、との意味です。 振り返ると、信心根本の姿勢が、仕事で結果を出すための勇気や智慧として発揮されたのだと思います。また、祈りを根本に仕事に取り組むことで、直面する課題を冷静に見据えて対処することができたと確信します。 付加価値を生み出す挑戦 茶摘みは、私たちの農園では年2回、行っています。摘んだ順に、一番茶、二番茶と呼びますが、一般的にも品質がいいのは、新茶と呼ばれる一番茶です。 一番茶より価値の落ちる二番茶ですが、これに付加価値をつけることができないものか。長年、このことを考えてきました。そんな時、雑誌で紅茶の生産方法を知りました。 茶を「製茶」の仕方で大きく分けると、発酵していない緑茶、半発酵のウーロン茶、発酵茶である紅茶、この3種類になります。原料となる茶葉は同じです。 調べていくと、一番茶、二番茶、それぞれに特徴があり、特に二番茶が発酵しやすく、紅茶に向いていることが分かりました。そして、本を参考に、見よう見まねで紅茶を作ってみました。 味は癖がなく、渋みも少なく、家族や知人の評価も上々でした。そこで、茶葉を発酵させる機械を導入し、本格的に紅茶作りを始めたのです。 新たに生産に取り組んだ茶葉を「天の紅茶」と名付けました。これには、高原で作る“天からの授かり物”と、私の名字の「天野」の意味が込められています。 7年前には大手老舗和菓子店が、私たちの生産する「天の紅茶」を使用した“紅茶羊羹”を全国で発売。予定を上回る注文が入りました。 今では紅茶は、緑茶と同量の約3トンを生産するまでに。紅茶の生産量は、個人として“日本一”を誇ります。 地域おこしの中心者として 郷土の蘇生の歴史を開きたい————。そう願ってきた私は、紅茶を生産し始める以前の1989年(平成元年)に地域の方々と協力して「村おこし運動」を開始。推進委員長として、大自然と親しむ催しを企画し、十数戸からなる集落に年間延べ2000人を超す人々が足を運んだ時もあります。 住民の皆さまのさまざまな努力が実を結び、国土庁(当時)などが共催する「農村アメニティ・コンクール」で、全国の最優秀賞に輝いたこともありました。このコンクールは、それぞれの農山漁村が住民の努力によって、どれだけ美しく住みやすい地域になっているかを競う催しです。 私たちの製茶園には、お客さまにその場でお茶を楽しんでもらうことのできる囲炉裏小屋を設けています。 小屋は、初めは知人がお茶を飲みにくる場所でしたが、地域を訪れる人たちが年々、増えるようになり、今では全国や海外からの視察や研究生で、いつもにぎわう交流の場となっています。 大聖人は「心清ければ土も清し」(同384頁)と、人々が自らの生命を変革することで地域を浄土(仏が住む清浄な国土)へと転換できることを教えられています。私たちの取り組みが郷土の発展へとつながるほど、うれしいことはありません。 人々にくつろぎや安らぎを与えるお茶作り、“人と人との絆”を広げる地域おこしに、ますます励んでいく決意です。 【プロフィル】あまの・しげる 熊本県水俣市内の高原にある石飛地域で、家族でお茶を栽培。「村おこし運動」の中心者としても尽力してきた。65歳。1959年(昭和34年)入会。副支部長。農漁光部員。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2018.4.24
August 24, 2018
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日蓮大聖人は「つるぎ(剣)なんども・すすまざる(不進)人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげ(勇)なる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼう(金棒)たるべし」(御書1124頁)と仰せです。妙法とは、いかなる苦難も試練も打ち破っていく無敵の剣です。そして、その力は、勇気の信心を奮い起こし、前へ前へ進みゆく青年の生命こそ光輝くのです。 【全国男子部幹部会「池田先生のメッセージ」】聖教新聞2018.4.23
August 23, 2018
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名城大学名誉教授 網中 政機氏 2003年に名古屋で行った講演で、創価学会の牧口初代会長の思想と闘争について話をしたことしたこと思い出しながら、池田SGI会長の多方面に及ぶ提言を興味深く読み、核兵器の廃絶をはじめとする平和への思いに心が打たれました。憲法学を専攻してきた者として、提言のタイトルとなっている「人権の世紀」や「民衆の大河」との言葉に、あらためて胸熱く、強い励ましを受けた思いがします。今年の提言は、三つの点で重みのあるものです。第一は、世界人権宣言採択から70周年の節目の年に当たって、そのことを強調されたことです。国家権力による抑圧が厳しかった時代に、牧口初代会長と戸田第2代会長が正しく人権を位置付けた思想と通じるものを、池田会長が継承し、強調したところに大きな意義があります。SGIの平和運動の原点が、第2次世界大戦中に日本の軍部政府と戦い抜いた信念の闘争であったという事実は、いつ聞いても心が揺さぶられます。「競いて人の国を奪わんとし、之がためには横暴残虐敢えて憚る所にあらず」(『牧口常三郎全集』第1巻、第三文明社、現代表記に改めた)と、牧口初代会長が国家の姿勢に警鐘を鳴らした言葉に、鮮烈な思いが胸をよぎるのは私一人ではないでしょう。第二は、昨年7月に122カ国の賛成得て国連で採択された核兵器禁止条約の意義に触れ、唯一の戦争被爆国である日本が核依存国の先頭に立って、核兵器禁止条約への参加に向けた思想表明を行うように呼びかけている点です。池田会長は、40年前の国連の第1回軍縮特別総会に寄せて、核廃絶と核軍縮の提案を行い、その後も長年にわたって、核兵器の禁止と廃絶への道を開くための提言を粘り強く続けてこられました。また、民間人として地道な努力を重ね、国際的な危機の回避や緊張緩和のために行動してこられました。そうした対話や交流に基づく「民間外交」の意義は、実に大きいものがあります。第三は、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞したことです。このことは、池田会長のこれまでの提言が正しかったことを意味していると思います。授賞式でサーロー節子さんが、広島での被爆体験を通じて、「人類と核兵器は共存できない」「核兵器は必要悪ではなく、絶対悪」と訴えたように、核兵器によって多数の市民の命を一瞬で奪う行為は「非人道性」そのものにほかありません。世界では今、核軍拡競争や、かつての冷戦時代をほうふつとさせるような状況が生まれ始めています。だからこそ、池田会長の一貫した核兵器の禁止と廃絶に関する提言の意味の重さを見つめ直す必要があると思います。【第43回「SGIの日」記念提言に寄せて】聖教新聞2018.4.23
August 22, 2018
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日蓮大聖人の仏法は、「人間」を最高に強く賢くし、「心」を豊かに鍛え上げる「生命変革の哲理」だ。御書の一文字一文字は、人間の根源の力を引き出すための仏の金文字である。御書は、民衆が永遠に勝ち栄えゆくための「勝利への源泉」なのである。 教学が大切である。人体でいえば「骨格」にあたる。教学がしっかりしていれな信心は崩れない。日蓮大聖人は「信行学」と仰せである。信仰は、あくまで「信行」が基本である。そのうえに「学」を身につければ、これほど強いことはない。 教学を深めることで、疑問が納得に変わり、「そういうことだったのか」と分かれば、さらに強盛な祈りとなる。「本当にすごい仏法だ」と感じれば、祈りに感謝が生まれる。「叶わないわけがない」と腹が決まれば、祈りは歓喜に包まれる。「学」によって「信」が強くなれば、歓喜と感謝の祈りが生まれ、御本尊の功徳力を存分に強く引き出していくことができる。 創価学会は信仰の世界である。どこまでも「信心」かどうか、「人格」がどうかである。何よりも私たちは、学会という、「民衆の総合大学」で学んでいる。この、“創価学会大学”こそ、人間の生き方を学べる“最高の大学”なのである。 【池田大作先生「四季の励まし」】聖教新聞2018.4.22
August 21, 2018
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橋爪●歴史研究者の立花京子さんが、信長のことを研究しています。立花さんいわく、そもそもカトリックがなぜ日本にアプローチしたかと言えば、それは、中国に宣教しようとして、うまくいかなかったから。そこで信長に、「日本を統一してくれ」ともちかけた。鉄砲の、黒色火薬の原料は、硝石なんだけど、硝石は希少物質で、南米でたくさん採れる。それが流通して、ヨーロッパの船で日本に届く。硝石は、日本で採れないのです硝石の供給はたしかにとても大事。鉄砲は国産化されたけれど、火薬の製造はなかなか苦労したんだろう。貿易をしないと硝石はふんだんに入手できない。信長は、天下統一のため、鉄砲を必要とした。カトリックのねらいは、信長が中国に攻め込んで、中国をキリスト教国にすることだった。 大澤●なるほど。 橋爪●途中で信長は死んでしまった。この構想を耳打ちされていた秀吉は、信長の遺志を継いで、中国に攻めていくことにこだわった。 大澤●うん、中国のだいぶ手前で終わりましたけど(笑)。 橋爪●秀吉が中国に攻めて行くことは、不可解なことでしょう。なかなか理解しがたいのだが、カトリックが後押ししていたという補助線を入れると、それなりに合理的に見えてくる。この説は歴史学会では相手にされないらしいが、私は興味深く思っています。 【げんきな日本論】橋爪大三郎×大沢真幸著/講談社現代新書
August 20, 2018
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インド文化国際アカデミー理事長 ロケッシュ・チャンドラ博士 法華経は生命の空虚さを満たし、現代の人々の心の方向性と目的を見いだすために存在します。社会の発展が至上の命題となれば、人々は虚しさや喪失感にさいなまれます。そうした今日にあって、指針となる光を求める時、池田大作先生の言葉を思い起こします。 「心の 暗雲をはらわんと 嵐に動かぬ大樹求めて われ地より湧きいでんとするか」 先生は、ヘルマン・ヘッセ(=ドイツの作家、1877~1962年)を引用されながら、生きとして生けるものの奥底にある智慧を明確にされます。 「君が求めている光は木に自身の中に宿っているのだから」(三浦靭郎訳編『生きることについて』社会思想社) 法華経は、私たちの中に宿っている生命の哲学です。仏典には、世界が生じる時、蓮華が現れ、花を咲かるとあります。法華経の核心は、全ての生命を救うという決意です。他者を、自身と同じように感じる深い共感の心です。法華経は、生命そのものに関連する価値を提示します。全ての領域で、この生命と人生を、経済的・社会的・文化的に高め、意義深いものにします。 ■最先端の仏教団体池田先生の偉大な思想は、世界中の何百人もの人々の指針となっています。先生の弟子たちは、自己を向上させ、他者への献身の人生を意気揚々と歩んでいます。皆さんが創価学会の一員であることは、特筆すべき栄誉であります。創価学会は法華経を現代的に捉え、価値や行動の見地から解釈する最先端の仏教団体であるからです。月氏の国・インドのメッセージは、日出ずる国・日本で新たな輝きを帯びてきています。創価学会の思想とダイナミックな活動によって、法華経の思想は、人々を価値にあふれた幸福な人生に導くという、荘厳なる完成を遂げています。先生は、戸田城聖先生が「仏とは生命なり」と悟られたと指摘しています。それは、生命とは完全無欠であり、無上の存在であるという宣言です。生命には無限の多様性があり、エネルギーに満ちあふれています。仏界という尊極の境涯において、生命の自由や開放感、調和は最大限まで感得されます。仏と法(ダルマ)の本質は、わが生命なのです。生命と宇宙は一体です。仏の智慧は生命を豊かにし、高めるために、全ての生命体に内在します。人間の精神は、本来備わっている神聖な仏界を開くことができるのです。先生は述べられています。「人は決して自分を卑下してはならない。偉大なる宇宙を抱いているからだ!宇宙をも包む一念の開花が、わが生命を最高度に輝かせる。これを『人間革命』というのだ!」 ■平和こそ最高の価値価値は、具体的でなければなりません。一人一人の義務とは、内面の変革を実践することによって、人間の幸福を増進させることです。生命第一、人間の開発を第一とするなら、戦争を認めることはできません。平和こそ生きとし生けるものにとって、最高の価値となります。先生と歴史学者トインビー博士との対談集『21世紀への対話』には、ドグマ(教条)や暴力、全ての負(マイナス)を否定する大いなるビジョンが示されています。それは、生命中心のビジョンであり、独善的な絶対主義からは、かけ離れたビジョンです。生命中心のパラダイム(思考の枠組み)では、生命に関連する全ては神聖です。神聖さや尊厳性は、神のような外にある働きに依存するのではなく、生命そのものの中に存在するのです。法華経の一乗とは、人間の本質的な悟りであり、次のように展開することができるでしょう。人間の内面と外の世界は相関している。価値とは、生きた人間を中心とする。価値とは、具体的な個人の体験によって視覚化される。人間と環境とは、相互に作用する。価値とは、「閉じたこぶし」でなく「開かれた手のひら」である。宇宙は、智慧と慈悲の当体である。創価学会とは、釈尊の教えを実現する崇高な意志である。それは、全ての人間が享受できる恩恵と幸福を実現する、遠大な旅路である。釈尊は晩年、「この世は美しい。生きることは喜びだ」との言葉を残した。創価学会は、この言葉と共鳴している。なぜ、「法華経」と呼ばれているのでしょうか。鳩摩羅什(=4~5世紀の中国・後秦の訳経僧。法華経の漢訳者)は蓮華を色分けして訳しています。青い蓮華は「瞑想」を、赤い蓮華は「行動のエネルギー」を、白蓮解は「汚れのない、清浄な価値」を、黄色い蓮華は、「徳の持つ優しさ」を象徴します。それぞれ人間の活動の異なる段階を示し、頂点の色は純粋を意味する「白」であり、人間の意識が最も清浄になることを表します。村の最も汚れた池に、最も美しいハスの花が咲きます。ぬかるみと美しいハスの花の共存は、人間の意識に反映されなければなりません。生命の負の部分を否定して、それらをプラスに転じることはできません。ぬかるみなくしてハスの美しい花は存在しないのです。村の池のぬかるみに花開く蓮華の美しさは、輪廻の束縛から解き放たれる人間生命の崇高さを表します。 ■理想が人を動かす蓮華の種は、理想を包含しています。それは、いまだ無形の、しかし完全に開花した蓮華のイメージです。この理想は、徐々につぼみを開く姿に象徴されます。人間は、理想をイメージすりことによって突き動かされます。熱烈な心に生まれた炎が、言葉として爆発し、行動へと燃え上がり、そして未来の全ての生命の源泉となるのです。創価の価値創造とは、静寂の中にある、原始から凍結された眠りを、音声によって大いなる行動へと呼び覚ますのです。先生のビジョンは、人類の神聖な力や夢によって織りなされる価値を、言葉で意味を深めることによって、形ある現実へと蘇らせるのです。世親(=4~5世紀頃のインドの仏教思想家)は法華経に説かれる三つの平等主義について言及します。それは、心理と社会と存在という、三つの次元における平等の思想です。法華経では、四衆として、比丘(男性出家者)、比丘尼(女性出家者)、優婆塞(男性在家信徒)、優婆夷(女性在家信徒)が挙げられます。そこには、階級や性別による差別はありません。ブッダは「人間」の社会について語ります。ブッダのビジョンは神を中心とせず、人間を中心に捉えています。男性であれ、女性であれ、深遠な人間第一主義が法華経には説かれているのです。 ■人間こそ全てを導く源創価学会は、人間は平和中心主義であるべきだという、法華経の価値を192カ国・地域に広げました。軍国主義と戦った戸田先生の弟子として、池田先生は平和を強調されます。日蓮大聖人は人類の平和を確立するために、法華経を中心とすることを主張しました。先生は、そのメッセージを、人間精神、心の真理の探求として、強力に推進してこられました。人間精神、人間の心こそ、全てが導き出される源であるからです。池田先生の思想や行動には、生命賛歌の詩心が深く秘められています。先生の思想は即、先生の行動であります。先生の感動的な詩歌に次のような一節があります。 「地球は 多様性から成る 百花繚乱の美しき星だ」と。この「多様性」とは、概念の多様性を意味します。多様性を受け入れることによって、対立は減少します。マハトマ・ガンジーの言葉に、“世界を快楽の地ではなく、責任の地にしなければならない”とあります。大聖人のメッセージは、内面の価値による人間精神の充実こそが、肥大する物質主義の嵐を軽減するというものです。世界に広がる創価学会の存在は、自由と公正を両立させるため、そして現実世界における多元性の尊重のために、生命の価値の復興を目指しているのです。 聖教新聞2018.4.21
August 18, 2018
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中部大学教授 大塚健三さん 現代はストレス社会といわれています。人間関係や労働環境などから生じるストレス。地球の重力もストレスといえるでしょう。そう考えれば、ストレスと無縁な人はいません。だからでしょうか。仏法では、この世を「堪忍世界」(御書771頁)、つまり、あらゆる苦悩を“耐え忍ばねばならない世界”と説いています。その上で、そうした苦難に負けない力はどんな人にも備わっており、自らを鍛えて胸中の「仏の境涯」が即、「衆生の遊楽する場所」となると教えています。何があっても恐れない。屈しない。自分自身がそうなれば、これほど頼もしいことはありませんし、人生を悠々と歩んでいけるでしょう。では、苦難に負けない力、ストレスに打ち勝つ力は、どこに眠っているのか。その一端として、私の長年にわたる研究の中で、一個一個の細胞にも備わっていることが分かってきました。人間の体温は通常、36度前後に保たれていますが、そこから5~10度ほど高い環境に長時間置かれると、多くの細胞が死滅してしまいます。しかしいったん、死なない程度の時間、そうした環境下に置かれていた細胞は、次に長時間置かれてもほとんど死滅しないことを見いだしたのです。つまり、細胞は“鍛えられる”ということです。理由は、そうした環境に置かれた際、それまで眠っていた遺伝子が働き、細胞の中に、普段では合成されないタンパク質を生成するからでした。このタンパク質を「ヒートショックプロテイン(HSP)」と呼び、HSPが増えると、細胞が熱に強くなるのです。これは、細胞レベルの話であり、人間はもちろん、大腸菌などの微生物にも、そうした力が備わっています。その後、多くの研究者が調査を進める中、HSPには、免疫を強めるほか、傷んだ細胞を修復する力を持つことも判明しました。このHSPは、人間にあっては、入浴や運動などを通して体を温めることで、生成させることが分かっています。さらに最近、線虫など小さな生物での結果ですが、ホルモンの分泌によって生成されることも報告されています。これは熱を加えるという“物理的ストレス”のみならず、“心理的なストレス”によってもHSPが生成される可能性を示唆しています。つまり、私たちの心身の鍛えが、一個一個の細胞にあっても、ストレスに打ち勝つ力やストレスからのレジリエンス(回復力)の強化につながっているということです。またこのHSPは、私たちが鍛えの道を歩む上で、興味深いことを教えてくれています。例えば、HSPが一度生成されても、時間がたてばなくなってしまうという点。これは、鍛えといっても「持続」が大切であるということです。また、同じ鍛え方をしても、年齢の若い人の方が、HSPが多く生成されるという点。これは、「若い時の苦労」が重要であるということでしょう。さらに、私たちが日々挑戦する信行学の地道な実戦、また未来を見据えての青年の育成が、細胞レベルで見ても“鍛えの法則”にのっとったものであることが分かります。誰しもがストレスを抱える中にあって、相手の苦悩をわが苦悩として捉え、徹底して寄り添い、祈り、励ましを送る。「同苦」の精神に脈打つ学会活動は、いわば、相手のストレスを自らも受け止める作業といえましょう。そうした学会員の生き方にこそ、自らを最高に鍛え、幸福な人生を開く秘訣があるように思えてなりません。(中部総合学術部長) 【現代と仏法——学術者はこう見る】聖教新聞2018.4.20
August 17, 2018
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不軽菩薩は人に仏教の教理を解説しなかった、自分自身でも経典を読誦することもなかったと説明しました。また、臨終の間際には「誰もしゃべっていないのに法華経の本門が天から聞こえてきた」とあります。これは何を意味するのでしょうか。 私はここには重大なメッセージが込められていると思います。この菩薩は、だれもしゃべっていないのに法華経が聞こえてきた時、それを素直に受け入れました。疑ったり抵抗したりするようなことはありませんでした。それは、この菩薩のふるまいが既に『法華経』の精神に過なっていたからです。『法華経』は誰もが成仏できるという平等思想を説いていますから、たとえ経典としては読んでいなかったとしても、この菩薩のふるまいはすでに『法華経』の実戦だったのです。 一方で、部派仏教の人たちは、僧院に立てこもって朝から晩まで経典ばかり読んでいて、人間と向き合ってはいません。中村先生が「自ら身を高く侍し」「その態度はいきおい独善的高踏的であった」と指摘されていたとおりです。どちらが本来の仏教と言えるのか————。 経を読まない菩薩の振る舞いが『法華経』の理想に過なっていたということは、仏道修行の形式を満たしているか否か、あるいは仏教徒であるか否かさえも関係なく、その人がどんな相手のことも尊重するのなら、その人は『法華経』を行じているととらえてよいことになるでしょう。逆に、仏道修行の形式を満たしていても、人間を軽んじているようなことがあれば、それはもはや仏教とは言えない。私はそこに、宗派やイデオロギー、セクト主義の壁など乗り越える視点が提示されているように思うのです。 世界には、さまざまな文明の対立、宗教の対立があります。南アフリカのネルソン・マンデラはアパルトヘイトに反対して二十七間も獄中にありましたが、それでも人権を守るために闘争を続けました。キング牧師も人権のために戦った。そうした人たちの信念と行動も、『法華経』の実戦と言っていいのではないか。そうした極めて普遍的なメッセージがここに読み取れる気がするのです。 【法華経】植木雅俊著/NHKテキスト2018年4月号
August 16, 2018
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仏教は、自己への目覚めが他者への目覚めへと発展するという形で他者とのかかわりを説いています。釈尊自身、まず自ら覚り、その内容を他者に語って伝えました。それは相手に対しても自分と同じものを認めていたからです。おそらく常不軽菩薩にもそうした原体験のようなものがあったのでしょう。「自分はつまらない人間だと思っていたけれど、こんなに尊い命が自分にもあったのだ」と気づいた。だから、人々に語りかけることを続けられたのだろうと思います。 自分は心底思ってもいないのに相手に対して「人は誰でも尊い」といい続けたとしても、ひとたび非難されたりするとやる気をなくして、挫折してしまうだろうと思います。 テレビのニュースなどで、「誰でもいいから人を殺したかった」というような殺人犯の供述を耳にすることがあります。私は、そう言っている人たちはきっと、自己の尊さ、自分が生きていることに大きな価値がある、ということに気づいてないのだろうと思います。だから自暴自棄になってしまうのでしょう。自分が生きていることに価値があるという感動を体験していれば、他人に対してそのようなことはできないのではないでしょうか。 【法華経】植木雅俊著/NHKテキスト2018年4月号
August 15, 2018
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決断と行動の同時性は、リーダーとして大事なことである。リーダーは決断が仕事だ。政治の上層部も、企業の経営者も同じである。決断は一瞬でできる。だから政治家も経営者も、物理的に忙しい立場ではない。日本の総理大臣でも、日程のほとんどは儀式と社交(選挙運動を含む)に費やされている。もし、本来の仕事で大臣や経営者が忙しすぎるとすれば、決断力がないか基礎知識が足りないかのいずれかだろう。決断をしないから「ここのところを調べ直して明日もう一度、会議をしよう」というので、いくらでも忙しくなる。また基礎知識がないため「この議題はそもそもこういうことがあって、こんな法規と技術が」などと説明を聞いていると長くかかる。決断力と基礎知識があれば、政治や経営の仕事自体はそんなに忙しいものではない。ただし、猛烈な精神的緊張を要求されストレスが溜まる。 【歴史の使い方】堺屋太一著/日経ビジネス
August 14, 2018
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新潟青陵大学大学院教授 碓井真史 人間には、コミュニケーションがうまくとれていない相手に対して、「恐怖」や「不信」を抱く傾向があります。ましてや、そこに人種や宗教、文化といった差違が多ければ多いほど、「恐怖」や「不信」は増大してしまいます。これも、核抑止論を支えている人間の心理的側面の一つでしょう。したがって、核抑止論に依存しないためには、まずは他者との円滑なコミュニケーションがとれるかどうかが重要な鍵となってきます。それは何も政治的な外交に限った話だけではなく、民間レベルでの友好関係にも当てはまります。たとえば、ほとんどの日本人はアメリカやロシアなどの核保有国に対して脅威を感じないにもかかわらず、北朝鮮に対しては脅威を感じているのではないでしょうか。もちろん地政学的な条件はあるものの、その背景には、やはりアメリカやロシアについては、民間人の往来や情報の行き来などによって多くのことを知っている一方、北朝鮮については、メディアの報道以外ほとんど知らないことにあるように思うのです。 核兵器さえ悲惨さを伝えることは、もちろん大切なことです。他方、社会心理学の世界では、恐怖メッセージだけではあまり効果がないことも明らかになっています。多くの人は、想像を絶する恐怖が自分の身に起きることがうまく想像できず、人ごとと思いがちなのです。したがって、攻撃する側にも、される側にも、自分たちも何も変わらない人間が存在していることをしっかりと伝えていかなければならないと私は考えています。核抑止論に陥らない第一歩は、他者を知り、他者の心を想像することなのです。そのためには、人間は他者に対してゆがんだ認知をしてしまうということに、まずは自覚的になるべきでしょう。心理学の用語に「フォールス・コンセサス効果」があります。これは、誰もが自分の行動や考え方は一般的で適切なものと考える傾向があることを意味しますまた、何かしらの出来事が起きたときに、人がある感情を抱くのは自然なことと思いがちですが、そこには、その人なりのくせのようなものがあります。そのくせを心理学では「自動思考」と呼びます。フォールス・コンセサス効果や自動思考については自覚的になり、自分とは明らかな差異がある他者に対しても互いに理解し合うことに努める。そして、何かしらの事象が起きたときにも、すぐに感情的になるのではなく、少し立ち止まって考えてみることも大切です。繰り返しますが、核兵器は人間が作り出したものです。使用するもしないも、廃絶するもしないも人間次第、人間の心次第と言えるでしょう。 【核兵器廃絶への道】第三文明2018年4月号
August 13, 2018
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新潟青陵大学大学院教授 碓井真史■「核抑止論」に陥る人間の心理とは社会心理学の用語に「社会的ジレンマ」というものがあります。個人にとっての最適な選択が、必ずしも社会全体にとって最適な選択とは言えないことを意味します。他国の核兵器の脅威に対抗するために自国も核兵器を保持するという核抑止の考え方は、自国のKことだけを考えれば最適な選択かもしれません。しかし、仮に核戦争が勃発するような事態になれば、当該国を含めた全人類にとって最適な選択とは言えないのです。その時になって、「核兵器さえ保有してなければ……」と言っても時すでに遅しです。また、米ソ冷戦時代にアメリカの社会心理学者ドイッチとクラウスが行ったゲーム理論の実験では、二者間で何らかの交渉をする際に、威嚇(脅し)によって相手を譲歩させようとするのは得策ではないという結果が出ています。威嚇は、相手の自尊感情を刺激し、反発や報復を招きます。そうすれば双方ともに感情的になり、結果的にどちらも利益を得ることができなくなってしまうのです。もし双方ともに利益を得ようとするならば、冷静に話し合い、互いに譲歩する形が最も有効であるというのがこの実験の結論です。心理学ではこれを「互譲効果」と呼びます。ただし、人間にはどうしても、他者に負けたくない気持ちがあるため、そう簡単には互譲効果を生み出すことができず、社会的ジレンマに陥ってしまいがちです。ひどい場合には、自分が不幸になってでも、相手を不幸にしたいとさえ考えてしまうのです。そうなれば、未来には破滅が待っているだけなのです。私が子どもたちを対象に行った実験では、他者と協力関係を構築できるかどうかは、学校の成績の良しあしとは関係がないことがわかりました。むしろ、成績が良い子どもほど、相手を打ち負かして自分だけが勝てばいいと考える傾向があるのです。国家レベルの話をすれば、他国に負けたくないからこそ、核戦争だけでなく、偶発的な事故のリスクがあることがわかっていても、核抑止論に依存し続けてしまうのでしょう。【核兵器廃絶への道】第三文明2018年4月号
August 12, 2018
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死期が近くなった釈尊を見て不安になった阿難が、これから何をたよりにすればいいのかと問うたところ、釈尊は「今でも」「私の死後にでも」「誰でも」と前置きし、「自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法をよりどころとして、他のものによることなかれ」と話しました(自帰依・法帰依)。それが“遺言”でした。覚りを得るというのは、真の自己に目覚めることであり、方に目覚めることです。そこに最高の境地が開けると釈尊は言っていたのです。【法華経】植木雅俊著/NHKテキスト
August 11, 2018
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■古典に親しんだことが斬新な世界観の底辺に鎌倉の大仏で知られる青銅色の大仏さま、その後方に、与謝野晶子の歌碑がある。鎌倉や御仏(みほとけ)なれど釈迦牟(しゃかむ)尼(に)は美男におはす夏木立かな 晶子実際にはお釈迦さまではなく、阿弥陀さまなのだが、御仏を「美男」と言い切ってしまう迫力は、明治11年生まれの女人の表現とは思われない。大胆で率直な感覚が生きている。明治中期、短歌の近代化は一気に進み、正岡子規の「写生」説と並んで、与謝野鉄幹(寛(ひろし))が創刊した文芸誌「明星」による洋風で美術的な雰囲気が青年や少女の心を一気に捉えた。その一人である晶子は大阪堺の菓子の老舗、駿河屋の後妻の娘として生まれ、ごく若い時から店番をしながら、父の蔵書の古典類に親しんで育った。晶子の歌は単に“新しさ”だけでなく、日本のさまざまな古典が、その底辺をしっかり支えていることは見逃せない。「明星」の展開した斬新な世界は、明治維新以降の西洋文化の吸収とともに、伝統的な古典の支えがあってこそ成功したともいえる。晶子の才能を存分にひき出し、成功させた鉄幹は、背も高く偉丈夫で、女性に対してもかなり奔放だった。章子は堺の旧家から脱出して東京の鉄幹の許へと走り三度目の妻となった。■創刊者で夫の鉄幹を愛し支えた生涯当時はまだ女性の地位の低い時代だったが、鉄幹は晶子をはじめ、山川登美子、茅野雅子などの女性陣を表立てて「明星」に新鮮な息吹を吹き込んだ。が、一方では一部男性陣の反感を生み、また西洋美術の裸体画を誌面に載せたのを咎められて発禁処分を受けるなど、現代では考えにくい世間の抵抗に翻弄されたのだった。しかし、今見ても誌面は斬新で、視野も広く、当時の青年子女たちから熱烈な支持を受けたのは当然だった。その旋風の中心に、晶子がいた。そして鉄幹の妻として十二人もの子を産み育てた。子育てと、短歌、詩の創作や古典講義、童話、自伝、古典の現代語訳の執筆、色紙や屏風への染筆などほとんど寸暇もない働きで生活を支えたが、一方鉄幹の影が次第に薄くなり、軋みも生まれた。をの中で晶子は費用を捻出して鉄幹をパリへ送り出す。美術にも詳しい鉄幹にとっては、パリ行きは、永年の夢だったのだろう。送り出してほっとする間もなく、晶子はじきに鉄幹に会いたくなる。鉄幹もしきりに晶子が恋しくなる。パリに来い、という鉄幹の度々の要請に、晶子はついに耐えきれなくなり、多くの子どもたちを残して、ただひとり、シベリア経由で陸路パリへと向かった。ああ皐月(さつき)ふらんすの野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われもも雛罌粟(コクリコ)ここに生活の苦労も忘れ、家庭の絆も忘れて、一介の恋人同士に戻った二人の、新鮮な充実がある。真っ赤な「ひなげし」の揺れるふらんすの野原、二人はそこで互いの愛と必要性をしっかりと確認し合ったのだった。晶子には多くの古典の現代語訳がある。中でも「源氏物語」は何度も口語訳しているが、鉄幹の役割に到って再々度取りかかっていた「新新訳源氏物語」を完成させた。そのすぐ後に脳出血を起こし、二年後の昭和十七年、六十三歳(満年齢)で永眠した。その生涯を力の限り生きた晶子は、今なお人々の心を熱くするのである。(おざき・さえこ)【文化】公明新聞2018.4.1
August 10, 2018
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評論家 宇波 彰■世界の変革に「思想」が不可欠経済学者の伊藤誠は、近著『入門 資本主義経済』(平凡社新書、2018年)において、最近の日本資本主義の「顕著な衰退傾向」を指摘している。それは単に実質所得の減少、またいわゆる「格差」の増大といった経済の次元の問題に留まるものではない。精神の衰退という、もっと深刻な問題がある。もともと資本主義の発展は、その初期におけるイギリスでの囲い込み運動が示したように、農村にいた人たちを都市へと無理に移動させることから始まった。しかしその結果としての「労働力の商品化」は、伊藤誠のいうように、古くからの共同体を分解させ、「社会的基盤の破壊と衰退」を招いてきたのである。そのために、他者の痛みを共有しない「孤立した人間」が次第に多くなる。つまり、現代の資本主義の衰退は、人間存在そのものについての哲学的な問題と直結している。このような現代の資本主義の状況をどう考え、どれにどのように対応するか。この根本的で難解な問題に対して、最近になって注目すべきいくつかの動きがある。そのひとつが廣瀬純、佐藤嘉幸がその共著『三つの革命』(講談社選書メチエ、17年)で展開している考えである。彼らは21世紀後半に思想の領域で重視されたフランスのジル・ドゥルーズとフェリックス・ガダリの著作を、「反資本主義」のテクストとして読み直そうと試みた。彼らはドゥルーズとガダリの共著『アンネ・オイディプス』(1972年)、『千のプラトー』(80年)、『哲学とは何か』(91年)の三冊を、資本主義を打ち壊す「三つの革命」のテクストとして読み直すことを求めた。資本主義的な制度・思考に忠実な「隷属集団」と、それに反対する「主体集団」という二つの集団が対立関係に置かれ、これはその後の記述の起点となる。この対立概念は、かつてしばしば論じられた「ツリーとリゾーム」、つまりツリー(樹木)のような階層的・垂直的なものと、リゾーム(根茎)のような横断的・水平的なものとの対立である。廣瀬・佐藤は、資本主義を支えているのは、「隷属集団」と結合している(ツリー型)の従来の哲学であるとし、その代表であるハイデカーの思想は「近代哲学に恥辱を導入した」として否定する。著者たちが「主体集団」の哲学を、ドゥルーズ=ガタリの最後の共著である『哲学とは何か』に求めたのは、きわめて意味のあることである。資本主義を支えてきた従来の哲学を否定する新たな「政治哲学」が主張される。それは現実世界の変革には、「思想」が不可欠であるということにほかならない。(うなみ・あきら)【文化】公明新聞2018.3.30
August 9, 2018
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専修大学法学部教授 岡田 憲治■社会と国家をつなぎ民意反映日本では米国のように有権者が直接大統領を選ぶのではなく、立法府のメンバーとして選ばれた議員の中から、各分野の行政官庁のトップを担う大臣たち(ministers)を集めた「内閣」が形成され、その中から「第一人者」(prime minister)として総理大臣が選ばれます。つまり行政府の長は間接的に選ばれるのです。この内閣制は、直接的に選ばれた大統領を頂点とする制度と異なり、総理大臣は、いわば国務大臣たちを集めた執行部の代表であるとする「集団指導」部の代表です。投票によって選ばれた一人の指導者が「独裁的権力」を行使することへの警戒という意味も含まれています。独裁的権力行使を警戒するのは、それが多くの人々の人生と生活に最も影響を与えてしまう「戦争」に結びつきやすいからです。米国の大統領は陸・海・空の三軍の最高司令官であり、指揮権は持っていますが、宣戦布告をする権限は議会が持っています。また軍隊を募集したり編成したりする権限も、大統領ではなく議会が持つ権限です。その点、議院内閣制は集団指導体制ですから、内閣制のメンバー相互のチェックもある程度は可能ですし、ある政治的判断、政策的判断が強引であったりした場合には、大臣が異論を唱え、修正の意見を出すこともできます。どうにも折り合いがつかなければ、総理大臣によって大臣は罷免させられますが、それは政権の影響を低下させますから、総理大臣もそうそう強引な手法を取ることができないものとされています。内閣の特質として、挙げられるのが、内閣が「社会の利益」と「国家の意思」の接するところにあるということです。内閣のメンバーである大臣は、原則選挙で選ばれた立法府に属する社会の代表ですが、大臣となった途端に国家意思を体現する行政府のメンバーになりますから、いわば一身で二役を担う立場にあります。民主政治では、人々のさまざまな社会的利益は選挙によって議会に示され、そこから内閣のメンバーを選ぶことで、行政の執行において表現され、人々の意思が総合的に国家の意思へと転換されることになっています。ですから、人々の考えと国家の方針が、この転換の途中であまりにかけ離れたものに変化したりすると、人々は自分たちの民意が政治に反映されていないと感じ、これがひどくなると「国家エゴイズムの暴走」と呼ばれる事態になります。このことから、議院内閣制における諸大臣は、社会と国家をつなぎ、議会に示された民意を行政執行に無理なく反映させるための「バランサー」としての役割を持っているのです。【議会政治にのそもそも5⃣】公明新聞2018.3.29
August 8, 2018
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早坂 暁『夢千代日記』『花へんろ』で知られる小説家・脚本家の早坂暁は、瀬戸内海の港町に生まれた。中学時代の夢は、世界一の巨大戦艦大和に乗艦することだった。昭和二十年三月、東大に入るよりもむずかしいといわれた海軍兵学校に合格、喜び勇んで入学したら、その終日前に、大和は沖縄特攻作戦のため出港していた。早坂に『ぼがあざん』という妙なタイトルの、ラジオドラマがある。沖縄に向かった大和には、沖縄の母に会いたいため密航を企てた十歳の少女が乗っていた。発覚するが、船は停められない。大和は長さ二百六十メートル余、約六万八千トン、乗員三千三百二十二名である。四月七日、敵機の総攻撃に遭う。開戦。やがて沈没。ドラマは、少女と親しくなった海軍士官が、少女を横抱きにして海に飛び込む。必死に泳ぐ。しかし、水の渦に巻きこまれ、いつしか二人の手が離れる。士官は少女の叫び声を聞いた。「ぼがあざーん!ぼがあざーん!」士官は、助かった。ドラマは士官の回想形式である。彼は言う。「私は、戦艦大和の不沈を信じて乗りこんだ舞子さんが可哀そうでならないのです。船で沈まないものはない。どんな船もいつか、必ず沈む。それを少女に教えることもなかった時代の恐ろしさを、ずっと、私はかみしめてきたつもりです(略)私だけが助かったのはせめてそのことをあとの人に伝えようと、いうことでしょう」ぼがあざーん、は「お母さーん」である。少女が水の中で発した声である。一九九三年アメリカの放送会社から、翻訳させてほしいと依頼があった。早坂は承諾する。「ぼがあざーん」という言葉が、どんな風に翻訳され発音されるのか興味があった。どうだったか。少女の海底の叫びは、日本吾そのままだった。早坂には妹がいた。実の妹ではない。遍路さんに置き去りにされた赤ん坊を、父母が実子のように育てた。春子は知らない。早坂を「お兄ちゃん」と呼んで慕っていた。海軍兵学校入学のため出発する朝、母が「お前は春子が好きか」と聞く。好きなら一緒になるがよい、と勧めた。早坂は即答できなかった。妹は色白の美人の女学生だった。母は春子の身の上を打ちあけたらしい。直接会って話したい、と夏休みに手紙が来た。何を語りたかったのか。八月六日、妹は一人で広島に出てきた。駅に着いた頃、原爆投下。消息不明になる。【出久根達郎の「世界文学名作者伝」▷31】公明新聞2018.8.5
August 7, 2018
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加藤 彰彦■深刻な人間関係の喪失6人に1人の子どもが貧困状態にある————2012年のデータから日本の子どもの貧困状況が明らかにされていますが、これは「相対的貧困(平均的所得の半分未満)」にある世帯が占める率を基に導かれたものです。しかし、現在、子どもを取り巻く貧困には、いわゆる経済的貧しさに限らない側面があります。経済的貧しさが引き金となり、可能性や希望、生きる意欲を失うという貧困があります。さらに最も深刻なのが、人間関係の貧困です。本来、支え合うべき地域、人々との関係が乏しく孤独状態にある貧困です。経済的貧しさ、生きる意欲を失う貧困、そして人間関係の貧困が重なることで、現在の貧困は子どもたちに、よりつらく重くのしかかるものとなっています。こうした貧困の背景には、労働現場における非正規雇用が増大し、低賃金で不安定な就労形態が拡大することで、生活の安定しない家庭が増えたことがあったと思います。安心して働き続けられる現場もない社会では大人たちのゆとりも少なくなり、個々の家庭は不安定な暮らしを強いられ、一人親家庭も増加しました。また、経済構造が変化したことで、地域の経済基盤であった中小企業や地元商店は生き延びることが困難になり、支え合う力も低下していったと思います。家庭が崩壊し、その家庭を支えてきた地域も衰退することで、現代の貧困は、子どもたちに暗い影を落としているのです。しかし、20年、30年後には、現在の子どもたちも、社会の主要な構成員となります。子どもの貧困をこのまま放置すれば、日本社会が疲弊し、崩壊してしまうことになるでしょう。15年に日本財団が発表した「子どもの貧困の社会的損失推計」レポートによれば、子どもの貧困を放置した場合、現在15歳の子ども1学年だけでも、社会が被る経済的損失は約2・9兆円に達し、政府の財政負担は1・1兆円増加することが明らかになっています。子どもの貧困は、日本社会そのものが貧困化する危険をはらんでいるのです。■実態調査から支援活動が冒頭に挙げた貧困の実態が明らかになって以降、各自治体でも、市民や民間団体で、できることに取り組もうと、さまざまな対策が行われるようになりました。沖縄では、12年以前は、県全体を挙げた取り組みには至っていませんでしたが、13年の「子どもの貧困対策の推進に関する法律」の成立を受け、翌年、子どもの貧困対策室を設置。「子どもの貧困実態調査」の実施も決定しました。こうした調査の実務と分析を担当したのが、「沖縄県子ども総合研究所」で、私もその研究所の一員として参加しました。そして、県全体を挙げて取り組み、明らかになった沖縄県の子どもの貧困率は29・9%という驚くべき数字でした。国が17年に発表した全国データ(13・9%)の2倍に達していたのです。また、同時に行った小中学生と保護者への調査では、就学支援も、対象となる困窮世帯の約半数が利用していなかったことも分かりました。県は、ただちに対策のためにの基金30億円を積み立て、子どもの居場所づくりや就学援助の周知を進める広報活動を実施していきました。調査当初、県担当者3人から始まった「子どもの未来応援チーム」は「子ども未来政策課」に格上げされ、給付型奨学金制度の導入など、新たな支援策に着手し、「30年までに貧困率10%」を目標に取り組んでいます。さらに、民間における活動も盛んになりました。その典型が「子ども食堂」です。15年に、最初の子ども食堂が沖縄市に開設され、現在、子ども食堂や学習支援などの子どもの居場所の数は100カ所を超えました。お米や食材など寄付する人も多く、小中学校、地域の自治会、子ども会、大学生との協力関係も生まれ始めています。沖縄は、七十数年前の戦争によって、大きな犠牲を払い、多くの尊い命が奪われました。しかし、その中で、生活はいかに貧しくても一緒に力を合わせ、支え合い、助け合って生き続けてきた長い歴史があります。いま、子どもの生きる権利が奪われている現実を目の当たりにし、互いに支え合う積極的な行動が生まれていったのだと思います。■「信頼の貯金」を積み上げる子どもの貧困からの脱出——そのスタートは、私たちの身近にある「子どもの貧困」にまず気付き、そこからできることは何かを考え、関わろうとする気もちを持って行動することだと思います。子どもに関心を持ち、寄り添うこと。そうすることで、子どもは信頼できる人と出会えたと感じます。それを私は「信頼の貯金」と呼んでいますが、「信頼の貯金」を積み上げることが、失われていた人間関係を取り戻すきっかけになるのではないか。そして、子どもたちもいつか必ず、その「信頼の貯金」を社会に返してくれるだろうと思うのです。また、皆が子どもを大切にする意識を高めることで、地域がまとまっていくことも期待されます。これまでは血縁、地縁が人々のつながりのかたちだったけれども、そこに“子縁”というかたちで人々のつながりを形成し、子どもを軸にした新しい地域づくりを目指すことで、子どもの貧困対策は、地域の再生につながると考えています。(沖縄大学名誉教授)【文化】聖教新聞2018.3.29
August 6, 2018
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人生には、誰でも行き詰まりがあります。事業に行き詰まりを感じている人もいるかもしれない。夫婦の関係でも行き詰まってしまうことがあるでしょう。子育てでも、人間関係の面でも、あるいは折伏や教学に励んでいる時も、行き詰まりを感ずることがあるかもしれません。しかし、御本尊の力は、広大無辺であり宇宙大であります。ゆえに、私たちの生命も、無限の可能性を秘めています。つまり、問題は、私たちの一念に、行き詰まりがあるかどうかにかかっています。それを本当に自覚した時には、すでに勝利の道が開かれているんです。【新・人間革命 第2巻「錬磨」】
August 5, 2018
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思いやりとは、決して安い同情ではない。考えも性質も境遇も異なる相手と、共に生きようとする精神にほかならない。【隠居すごろく「裏の顔」26/西條奈加著】公明新聞2018.3.28
August 4, 2018
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国立科学博物館副館長 兼 人類研究部長 篠田 謙一■ダ・ヴィンチら先人たちが体の構造を探求した歴史「人間とは何か」————これは人類の持つ究極の問いのひとつでしょう。古来、哲学や宗教はその答えを求めて様々な努力を続けてきました。人体の構造と機能を理解することもその解明につながるのでは、科学者たちもその答えを探してきました。とりわけルネッサンス期以降は、近代科学の発展と共に、人体の理解が格段に進むことになりました。特別展「人体——神秘への挑戦——」は、その歴史を振り返り、最先端までを紹介する展覧会です。ルネッサンスの天才レオナルド・ダ・ヴィンチは、実際に人体を解剖し、その構造の理解に挑戦しました。彼の残した人体解剖のスケッチを見ると、筋肉や関節の動きなどについては、相当に詳しく、その構造と機能を理解したことがわかります。しかし、彼をしても脳の機能についてはお手上げでした。人体が細胞でできており、神経細胞がネットワークをつくっていることを知らなかった彼に、神経系を理解することは不可能だったのです。その理解は顕微鏡が発明され、更に神経を特殊な方法で染めることができるようになる20世紀までほとんど進みませんでした。展覧会では、この神経系のほかに、循環器系や消化器系などの理解のために、過去にどのような努力が行われてきたかを紹介しています。■脳中心からネットワークへ 見方を転換させた最新研究神経系の機能が分かってくると、人体の各部は、脳によって支配されているという考え方が生まれてきます。脳と脊髄を併せて「中枢神経」と呼ぶのも、脳が人体の中心であるという考え方を反映しているのでしょう。そこから体中に張り巡らされた末梢神経によって情報が中枢に集められ、指令が逆にコースをたどって身体各部に伝えられていく。私たちの体のすべての機能は、脳による一元支配を受けていると信じられてきました。しかし最近の研究の進歩は、人体をネットワークとして捉えるという概念を提唱しています。各臓器が独自の判断でメッセージ物質を放出して、標的の臓器をコントロールして生命を維持しているということが明らかになり、人体の捉え方は大きく変わりつつあります。展覧会と連動したNHKの大型テレビシリーズは、まさにその最前線を伝えるものでした。脳がすべてを支配する、という考え方から自由になることで、これまで分からなかった様々な現象が理解できるようになっています。私たちは人体のような精巧な機能を維持するためには、高度な指導命令系統が必要だと考えてきました。このことは間違ってはいませんが、実はそれだけでは不十分で、構成する各臓器の間のコミュニケーションが必要だったのです。このことは私たちの社会のあり方にも通じるものがあります。ネットワークが社会の重要な要素と認識されるようになったことと、この人体の見方の変更には関係があるのでしょう。人体を知ることは、社会を理解することにもつながっています。展覧会はさまざまな見方ができますが、こんな視点で眺めてみるのもおもしろいかもしれません。しのだ・けんいち 1955年、静岡県生まれ。博士(医学)。専門は分子人類学。古人骨のDNAを分析して人類の起源や日本人の成立については研究。著書に『日本人になった祖先たち』(NHK出版)、『DNAで語る日本人起源論』(岩波書店)など。【文化】公明新聞2018.3.28
August 3, 2018
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社会活動家・法政大学教授 湯浅 誠食事をきっかけに集まるが、食事だけでなく、食卓を囲んでだんらんを提供する。話を聞いてあげる時間や、読み聞かせなどの体験も提供する————それがこども食堂だといいました。以前、このような役割は「自治会の子ども会」が担っていました。保育園のママ友でも、学校やPTAのつながりでもない、地域のおじいちゃん、おばあちゃんが、地域の子どもたちと知り合う場です。今でもそのような地域はたくさんあると思います。が、「かつてほど活発じゃない」という話もよく聞きます。先日、私は新潟市の北部に伺いました。周囲に見渡す限りの田んぼが広がる場所で、「都会」とはとても言えない所でした。しかしそこでも「子ども会は年に数回のイベントを開くのが精いっぱい」だということでした。「今は両親共働きが普通だから、お父さんお母さんも忙しい。子ども会の感じもなかなか、なり手がいなくてね」とその地区の方は話していました。地域の人たち同士が知り合う機会が減っています。加えて、今は子どもの安心・安全にとても敏感にならざるを得ない雰囲気があります。子どもたちは学校で「知らない人から声を掛けられたら逃げましょう」と教わっています。うかつに声も掛けられません。でも、そうした状況が進みすぎると、逆に「周りに人はいっぱいいるのに、誰もがその子のことを知らない。その子に何があっても、誰も気付けない」という状況が生まれてしまいます。どこかで知り合っておく必要があります。知り合っておけば、声を掛けられます。そうした場所を多くの人が求めています。そこに「はまった」のがこども食堂です。ですから、こども食堂は、地域の多様な人たちの交流の場所として育っています。自治会の子ども会の現代版————そう考えたほうが、こども食堂が担っている役割を理解しやすい。私は全国のこども食堂を見ていてそう思います。【世代を超えて考えたい「子どもの貧困」<11>】公明新聞2018.3.27
August 2, 2018
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静岡大学農学部教授 稲垣 栄洋私は五十知命の年齢になります。働き盛りと言えばその通りですし、先輩諸氏にまだまだ若いと言われれば、その通りです。しかし、生物学を研究している私にとって、子育てを終え、子孫を残すという生物としての役割を成し遂げたこの年齢は、生きる意味を問い直す年齢でもあります。関心を持つのは「老いること」と「死ぬこと」です。かつて釈迦は、生・老・病・死を四つの苦しみと説きました。すべての生命は老いて死にます。しかし、このコラムの中でもお話してきたように、「老いて死ぬ」ということは、生物の画期的な発明です。永遠の命を生き抜くことは簡単ではありません。そのため生命は、次の世代に命のリレーを受け継いでいく方法を選択しました。限りある命を繰り返すことによって、永遠にあり続けることを可能にしたのです。そのため、多くの生物は次の世代を残すと、自らは死ぬように作られています。ところが、人間は次の世代を残しても、すぐには死なず長生きをする極めて奇妙な生物です。こうした長生きをすることによって、人間は単に子孫を残すだけでなく、次の世代に知識や経験を伝えることができるようになりました。こうした積み重ねによって人間は、輝かしい文明を築き、美しい文化を創り上げてきたのです。それでは、私にできることは何でしょうか。大した知識や技術も持たない私にできることは、次の世代に正しい生き方を見せることだと思っています。私は人間です。平和を愛し、弱者に優しくするという、人間が創り上げてきた美しい道徳を実践すること。これこそが、余生を生きる私の使命だと思うのです。【すなどけい】公明新聞2018.3.24
August 1, 2018
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