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東馬込から西大井あたりと、区界をウロウロ……5月8日 英倫寺の少し北西の五差路……立っているのは区界の道で、正面の細い住宅から左は大田区だけど、右の煉瓦造り(朋優学園高校)は品川区…… 大田区側の道を入ると「真言宗・玉川73番札所」……1~2月は盛んに訪問したけど、玉川88ヶ所霊場ちょっと久しぶりかも…… 車の通りにくそうな細い道だけど、「電信柱の案内」を信じてきたらありました。 東照山鏡王院……寺紋でなく「宗紋」だとすると、桔梗っぽいのできっと智山派の寺院でしょう。金色の紋章がなければ普通のお家みたい……見過ごしたかも。 ちなみに、明智家の家門も桔梗紋でした。めったに見ないNHK大河ドラマを見ている私ですが、光秀は「水色桔梗」を使ったみたいです。 中延で昭和11年に創建し、同22年に当地へ移転された新しいお寺のようです。 職人さんたちがおいでだったので、素早く撤収した私…… コロナ禍の影響です…… 御本尊は釈迦如来とのこと。 本堂前・左に境内社…… 本堂前・右……塀越しに撮らせていただきました。 健照地蔵尊…… 品川区立原っぱ公園……鏡王院を後に北に向かいます。 横切るのは立会道路……右は大井町、左は荏原町・旗の台・西小山、そして碑文谷八幡宮まで行かれます。次に目指す蛇窪神社はまた今度……《おまけ》 モーニング帰り、とっても奇麗だったのでパチリ……紫やクリーム色などもありました。 今日はさほど暑くなくて助かりますが、何をしましょうか?
2020.05.31
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養玉院如来寺を後にした5月8日…… 坂越えが待っていました。右側手前は住宅でだけど、奥まで如来寺の墓地。 坂の頂上から西へ向かう住宅街……車のほとんど通らないこういう道は歩きやすくてありがたい。 立っている場所は品川区西大井で、坂の下からは大田区東馬込……真っすぐ進めば北馬込……私は下りませんが、品川と大田の区界が少しわかった日でした。 右は中学校……坂下から登校する生徒は足腰が強くなるでしょう。ちなみに冨士見台中学校と言うくらいだから、やっぱり富士山見えるんだろうな~ 学校は来週から始まるのかしら? ありました…… 英倫寺……山号を篠谷山、院号を清泉院と称すそうです。(浄土宗東京教区HPより) 浄土宗のお寺だから御本尊は阿弥陀如来でしょうが、本堂が良く分からないから…… 脇の鳥居へ…… 豊川稲荷? と思いきや…… 豊川吨枳尼真天……[だきにしんてん]と読むらしい。 愛知県の豊川稲荷大本殿に祀られているのが豊川吨枳尼真天。稲荷と呼ぶから神社かと思いきや、なななんと!!! 圓福山妙嚴寺と称す曹洞宗の寺院。ということは、英倫寺には二つの宗派が存在することになるんですね。不思議…… お狐様もおいででしたが、情報がないのでこれ以上はわかりません。 家内安全・身体健全・無病息災・商売繁盛・交通安全……私は、コロナ終息だけ祈ってきました。 三つ葉葵……だよね~「月影杏葉(つきかげぎょよう)」と呼ばれる浄土宗の宗紋とは違いますが、私などの知らないことがたくさんあるのでしょう。 3密は守るんじゃなくて避けるんだから「厳避」の方が良さそうだけど……断じてケチを付けているのではありません。命は大切にしましょう。合掌《おまけ》 一昨日、散歩のついでに久々の墓参り。 気にはなっていたので、Rさんのご自宅前でも手だけ合わせてきました。 お墓の塀際にありました……連れ合いが「きれいですよ」と言っていた場所。これだけ咲いたらスズラン奇麗だったでしょう。しかし、よくこんな場所を見つけたもんだ……感心感心。 テイクアウト・メニュー…… 上段……「ドイツ直送」を謳いたいんだろうけど「パンで作るホットドック」ってのはな~ パンじゃないホットドックってあるのかしら。 下段……「あらぴー」……個人的なことで恐縮ですが、名前が嫌いです。ソーセージが高級なのかもしれないけど、ちょっと高いよ~ 私には…… しばらく休んでいたグレゴールも来週から営業再開。週二日(火曜・木曜たぶん)は昼からやるらしいっす。こういち君、瓶ビールちゃんと冷して頑張ってね~ 西小山のポエムも今日から再開していました。久々のホットドックおいしかった~(サラダは定量の半分です) 見たことありそうでなかった花……「パンで作るホットドック」など、つまらないものに目がいってしまう悪い癖の私でした。 さてさて今日は何をしようかしら? ノンアルは守ります……厳守です。
2020.05.30
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今日も27℃ぐらいになるらしい……明らかにタイトルは誤っているけど、撮ってあったから載せちゃう……言葉少なで簡単に……今年最後の春ですねです。 これは初めて見たような…… 花びらの模様は、開く前に花粉が描くんだろうと推察…… 小さい小さいやつでした…… 青から白になるのか? 同一の木に二色の花…… ちょっとしおれちゃったけど……もともと柔いです。 東京都は、週明け1日からステップ2に進む方針らしい。苦しい思いをしている経営者にとっては明るいニュースであり、経済対策が重要であることは分かっているが「大丈夫かしら?」……不要不急の散歩をしている私ごときの言うことではなかもしれないが…… 膝が痛いというか、力が入らない。自力回復目的で、昨日もコピット歩いたからいけなかったのか? 薬をもらいに整形外科に行こうかしら?
2020.05.29
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東馬込から品川区に入りブラブラしましたが、途中は後回しにして…… 最後の訪問先・品川区豊町6丁目の稲荷神社から帰路につきました。 上蛇(かみへび)広場……といっても遊歩道……蛇窪神社と上神明小学校の西側を南北に走っています。数日後には載せるでしょう蛇窪神社(上神明天祖神社)の蛇にも由来する名称なのでしょう。 遊歩道を一段下がったところに公園……遊具は封鎖されていませんでした。 上神明児童遊園…… こちらは遊歩道に……貯水タンクが地下にあるそうで、地上部分の有効利用……すぐ先の三間通りで終わります。 三間通りを過ぎてから西に進み第2京浜を越えるとこんな風情……立会川緑道の続きです。前回は旗の台から荏原町まで歩きましたが、荏原町からこちらに向かってきて、さらに西大井駅・大井町駅へと立会道路となっています。幹線道路はあまり歩きませんが、大井町まで迷子にならずに行かれます。 いつ頃からあるのか? 初めての訪問ですがしっかり整備されていました。 藤棚らしき下にはベンチもあり、休憩している方も……藤の花には遅すぎる訪問でした……残念! ツツジやサツキも遅かった~ 遅いわけです……アサガオが咲いているんだから春は終わり……夏です。 荏原町商店街まできました。踏切の向こうが法蓮寺・旗岡八幡神社。前回は向こう側だったから頭の中の地図では道がつながりました。 東急大井町線荏原町駅……踏切内から危険行為……停車中の電車は自由が丘方面行《おまけいろいろ》 キュウリも育っています。強制的にツルを巻き付かせてやるのが面倒だけど…… チビも出来てきました。 補助26号線……五本木方面に向けてはきれいにほぼ完成! 反対側はまだまだかかります。 aneaカフェだったのは、'S-saleなんて店になっていましたが、以前同様に犬の入店も可能らしいです。aneaは薄いピザでワインを飲みに、連れ合いと数回行きましたっけ……もう10年程前のことでしょう。 ドクダミ……「繁殖力がすごいんですよ~」と、連れ合いが教えてくれた通り、あっちこっちで群生しています。 昨日つぶやいた国宝・円成寺の運慶作・大日如来……連れ合いは東京で拝見したそうです。「これは拝まなければ……」と、最終日に義母と滑り込んだとのこと。でもって、こんな本や絵葉書などを貸してくれました。日本の仏像は平成20年発行……物持ちがいいな~ ありがたく拝見します。 さてさて、コピット散歩に行こうかしら?
2020.05.28
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東馬込からブラブラしてきた5月8日……昨日の続き…… 如来堂から境内……モミジかカエデか? 新緑も清々しいけど、紅葉の季節はもっと風情が良い事でしょう。 釈迦堂右前に古い手水鉢……古くないか~ でもって、小さな小さな祠があった……不明……何も祀られていないようでした。 仕方ないので如来堂左へ…… 萬霊塔……大正12年(1923年)5月建立。よく見かける三界萬霊塔同様に、この世の生命あるものの霊を宿らせ、すべての精霊に供養することの大切さを教えるもののようです。 弥勒菩薩……私の大好きなポーズは「半跏思惟像(はんかしゆいぞう)」と言うそうな。このポーズの時は天での修行中なのでしょうが、未来仏としては弥勒如来と称します。 朽ち崩れてしまったのでしょう…… 南無阿弥陀仏…… 右に本堂、左が如来堂……緑のアーケードが心地いい。 如来堂左脇には石仏が並んでいます。後方が墓地みたい。 本堂…… カエルのベンチ……頑張って支えている感がでています。 フクロウのベンチ……割れると困るので座りません。 明王堂……平成10年(1998年)新築みたいです。 扁額……不動明王が安置されているのかしら? 大日如来の化身だと言うけど似ても似つかない忿怒の相……『教化(きょうか)しがたい者を折伏(しゃくぶつ)して救済しようとするため』だそうです。 ※ 教化=人を教え、よい影響を与えて善に導くこと。 ※ 折伏=悪行や悪法を威力を持ってくじき、仏法に従わせること。折伏してもらわないとならない政治家や官僚が後を絶ちません。 大日如来は最近お会いしていないけど真言密教の教主。奈良県にある円成寺には国宝の大日如来が安置されていると……連れ合いは知っているかも…… 明王堂左に手水舎…… 日本庭園のような参道を下ります。 山門手前…… 鐘楼…… 山門を入ったところにも石仏と燈籠……観世音菩薩かしら? 平成元年(1989年)に落慶とのこと……喜ばしい限りです。 なんとも清々しい気持ちにさせていただいた同寺に御礼申し上げます。また再訪したい一寺でありました。次は連れ合いと行かれたら良いですね。
2020.05.27
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大田区東馬込から一山超えて品川区西大井へやってきた5月8日…… 帰命山如来寺 養玉院…… 寺号碑は「大佛 如来寺」山門には「天台宗 養玉院」???『如来寺は寛永年間(1624~44年)に木喰但唱(もくじきたんしょう)が芝高輪に創建した寺で、但唱の発起によって造立された五智如来が安置されているところから、俗に高輪の大仏と呼ばれ、明治41年(1908年)に現在地に移転しました。 養玉院は寛永12年(1635年)に創建された、上野寛永寺の塔頭三明院がその前身で、開山として天海を迎えていますが、寺を創立したのは天海の弟子賢海、二代目は賢海の弟子念海であります。元禄11年(1698年)に下谷坂本に移って養玉院と改め、この頃対馬の領主宗家の菩提寺となりました。大正12年(1923年)如来寺と合併して、現在の場所に移りました。(天台宗東京教区の公式サイトより)』ということで、二枚看板なんですね~ 龍神に乗って人々を救いにやってくる観音菩薩……山門前右……いきなりすごい彫り物に出くわしました。 山門は閉まっていたので、隣から失礼します。 こちらも、しながわ百景でした。「千燈供養会法要」は8月13日のようです。境内が提灯で埋め尽くされる景色は神秘的でしょう。言葉通り提灯は約千個みたいですが、コロナが終わっていますように…… 大井の大佛石碑……参道は長そうです。 庭園風情の中をくねりながらゆるやかに上って行きます。 まだまだ…… 連れ合いが読んでくれるでしょう……私 無知なので…… 荏原七福神の布袋尊……「おん まいたれいや そわか」弥勒菩薩の化身だって聞いたことがあるけど……おっと、真言宗じゃなくて天台宗は「おん まいたりや そわか」でした。本物の発音は知らないですが……ちなみに布袋さんが背負っている袋は堪忍袋ともいわれると…… 晴れていたし、緑の木々に囲まれて気持ちが良かった。遥々やってきた甲斐があったというものです。 やっと到着……本堂と手前は客殿かしら? 五智如来 歸(帰)命山……かつての寺標かしら? しかし、みごとな庭園・境内です。 本堂……寛永5年(1628年)頃建立。養玉院の本堂だったものを大正12年下谷坂本から移築。瓦葺だったが現在は銅板葺。 本堂扁額……大雄宝殿 品川区指定有形文化財「木造念海和尚像」「石造線刻地蔵菩薩坐像」が安置されていると。「木造念海和尚像」は養玉院二代和尚の肖像彫刻で、高さ50.5㎝、制作年度は寛文11年(1671年)、仏師・長五郎の作。「石造線刻地蔵菩薩坐像」は高さ267㎝、幅85㎝の安山岩の表面に、結跏趺座(けかふざ・座禅の形)する地蔵菩薩が線刻されている。制作年度は慶安4年(1651年)とのこと……もちろん残念ながら拝見できませんでした。「木造釈迦如来及び両脇侍像」「木造阿弥陀如来立像」「木造天海僧正坐像」「絹本着色阿弥陀三尊来迎図」……などの区指定文化財が安置されていると。 左本堂、右如来堂 本堂正面に無量光殿……屋上に、養玉院創立当初の阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂があると言う。なんで石段を上らなかったのかしら??? こんなの撮ってる場合じゃなかったのに……まぁ、阿弥陀堂も閉まっていたでしょうが……諦めの早い私です。 如来堂……当初寛永年間(1624~44年)如来寺の本堂として建立されたが、現在のお堂は宝暦10年(1760年)の再建。明治末の移転に際して現場に縮小されたとのこと。それでも立派なお堂です。 仁王像が守っています。なんで金剛力士って言うかって? 「金剛杵(こんごうしょ)」って仏敵を退散させる武器を持っているから…… 楽天でも売っているけど凶器になりそうなのもある。大丈夫かしら? 阿吽の1体・吽形像……凛々しい! 如来堂扁額……瑞應殿(ずいおうでん) 木造五智如来坐像が安置されていると……『寛永12年(1635年) 入仏如来寺創立と同時に本尊として木喰但唱(もくじきたんしょう)が造立したものだが、薬師如来を除いて火災で焼失し、他の四体は延享3年(1746年)ころの再興』と同寺HPには書かれています。区教委の解説とは一部年代が異なりますが、気にしないようにします。 如来堂正面にあったので…… 行ってみたけど暗証番号でロックされた鍵付き……断念……残念……くぐる際に頭をぶつける事必至です。 悔やまれるので、正面にまわって1枚だけ……これが精いっぱいでした。 堂内にむかって右から薬師如来、宝生(ほうしょう)如来、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来……いずれも像高3mにも及ぶと。如来ばかり5体は壮観なことでしょう。 ちなみに七福神・布袋尊とスタンプもこの堂内にあるようでした。スタンプ集めはしないので私には影響しませんが…… というところで今日も時間になりました。続きは明日……
2020.05.26
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今月に入って荏原七福神なるものに気付かされたので、追っかけてみた5月8日の散歩…… 荏原七福神は品川区なんだけど、周辺の寺社も歩きたくて、とりあえず環七を辿って大田区東馬込まで一直線に……新幹線のガード下手前を左折します。手ぶらではあっても少しはアップダウンのある環七を来たから既にお疲れ気味の私…… 左折したはいいけど、いきなり石段かよ~ 見た目以上に辛そうだ……自転車も一緒に上れるようになっているのはありがたいでしょうが、シンドイな~ 振り返ると……新幹線の下の湘南新宿ラインよりも遥かに高い……山王あたりも含めて大田区は起伏が激しから、買い物に行くのも住民の方々は大変でしょう。 石段が終わったと思ったらまた上り……なんでやねん!!! 「この先車両行止り」の訳は後で分かります。よっこらしょ…… あったあった…… 馬込諏訪神社……東京都にも10や20はありそうな諏訪神社なので、馬込諏訪神社としておきます。 鳥居扁額……長野県の諏訪湖周辺に4ヶ所の境内地を持つ神位・正一位の諏訪大社が全国各地にある諏訪神、諏訪明神、諏訪大明神などとも呼ばれる諏訪神社の総本社です。いつか行ってみたいな~ 多摩川諏訪神社に行ったのは1月でした。もう5月……時の流れは早いな~ 御祭神・建御名方命(たけみなかたのかみ) 厳重にガードされていました。 石畳敷の参道脇に、可愛らしい花が自生していました。自分で言うのも変ですが、こんなの撮るのは変わり者なんでしょう。 説明書きもなかったので、詳細は不明です…… 馬込諏訪神社から、ほんの少し北上したら「この先車両行止り」が判明しました。 高い高い……前方は寺院……この地点から広大さが伺えます。 自転車が欲しいと幾度も思うのですが、こんな場面では邪魔になるだけなんだよな~ でも、まだ迷っている私です。 下から見たら、大した石段じゃないんだけど…… 下道に到着してこの日の目的だった荏原七福神の寺院を目指しますが、続きはまた今度です。《おまけ》 昨日、またMaanaさんにお会いしたので、いつものように記念写真!! 相変わらずの笑顔、ありがとうございました。時節柄、握手はなしです……お元気で~《おまけ 2》 すし太一……祐天寺境内の裏側・南側の住宅街にあるお寿司屋さん。 少し前に連れ合いとお袋がバラチラシのテイクアウトをテレビで観たようで、連れ合いがチラシ好きのお袋の為に先日買いに行きました。コロナの時節柄、昼は持ち帰りで営業しているらしく「今度、ニギリ食べたいわ~」と言う義母の要望に応えるべく、予約をしておいた連れ合いが先ほど引き取りに……でもって、方向音痴の連れ合いに付き添って私が最短距離の近道案内をしてきました。 でもって、私もご相伴にあずかりました。昼から大贅沢でした。 漢字を覚えなくちゃね~ 河豚と信じてきたのですが「鰒」なんて一字もあることに驚き…… 結論として、大変美味しく頂戴しました。鮪は本マグロのDNAが感じられたし、赤貝は少しもゆるんでいない剥き立て感充分、車エビやウニも全てのネタは文句の付け所がありません。左の巻物はヒモキュウ、隣は玉子ですが一筋の干瓢が味を引き立てていました。シャリの大きさも、握り加減も程よく絶品のお寿司……久しぶりでしたが大変美味しかったです。近かったらカウンターで食べてもいいんだけどね~ 贅沢贅沢ですね~
2020.05.25
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荏原七福神があることを知って、3つ目の法蓮寺など品川区旗の台あたりをブラブラした5月5日……最後の訪問先。 鶴岡八幡神社を後に、仲通りを北上…… 延山くすのき公園……西中延なのに……近くに区立延山小学校があるからかしら? 住宅の間の細長い公園……東急池上線が下を走っています。 鳥ゆう……だって。チェーンなのかしら? ホッピー380円には惹かれたけど、我慢した私です。武蔵小山には鳥勇ってのがあったな~ 台湾チキン……だって。いずこも「お持ち帰り」で頑張ってますが、緊急事態宣言は明日解除されるのかしら? 北海道のようにぶり返すと困るんだけど…… 中原街道に出てバーミヤン……1階は駐車場みたいっす。ガラガラだったから休業していたのかも…… 外階段にありました。 矢印方向はこんな感じ……右がバーミヤンの駐車場 突当りまで行ったけど何もない。引き返して、この写真のチャリンコ前を左折…… こんなの気付かないよね~ 碑があるのかと思ったら鳥居がお出迎え…… 平塚の碑……『古くは鎌倉へ通じる古道で、江戸時代には東海道の脇街道として往来の盛んであった中原往環(中原街道・相州道)沿いに「平塚」と呼ばれる大きな塚があった。 伝承によると、後三年の役(1083~87年)において八幡太郎 源義家を助けた弟の新羅三郎 源義光は奥州からの帰途、この地において夜盗に襲われ多数の配下を失った。その霊を祀ったのがこの塚の由来とされている。 時の流れとともに、この塚は取り壊されたが、地域の人たちによって昭和27年(1952年)3月「平塚の碑」が建立され、伝承は受け継がれている。(品川区教委看板)』……戦からの帰りで疲れていたんだろうけど、盗賊に襲われるとは災難でした。しかし物騒だったんですね。 昔、今の環六と淡島通りの交差するあたりに出没したのが道玄太郎という山賊……道玄坂って坂もあるし、物色するために彼が登った松の木を道玄物見の松といい、その名からついたといわれる松見坂は以前行きましたっけ。 いつしかなくなってしまった「平塚」だけど、太平洋戦争のあと、そのあたりを掘り起こしたところ、鎧(よろい)や兜(かぶと)、刀剣などの残片がたくさん見つかったんだって。同時期に、近くに住む人たちがたびたび不吉なことにあうので、伝説を知る人の間で「塚が失われたことによる祟(たた)りじゃないか?」っていう話になり、現在地にこの碑が建てられたそうです。毎年5月に慰霊祭が行われているようだけど、何日かは不明です。 一応 玉垣で囲まれていました。 中原街道……平塚橋交差点……鮫洲大山線を越えて、先にある水色の歩道橋近くに行きます。 後ろ姿……ありました。 平塚橋の碑……ただの石碑……こんなの撮りに行く暇な私でした。『品川用水の水路と旧中原街道が交差するところに架けられていた橋が平塚橋です。品川用水は、旱魃(かんばつ)で悩まされていた品川領二宿七ヵ村(にしゅくななかそん)が幕府に願い出て、寛文9年(1669年)に完成した農業用水路です。水源は玉川上水の境村(現在:武蔵野市境3丁目)で、分水されて現在の三鷹市、世田谷区、目黒区を通り小山台1丁目で品川区に入ります。……』 以前訪れた世田谷区野沢3丁目の[野澤鬼子母神堂]前のバス停・水車橋も品川用水の名残でした。あそこから目黒区を抜けて林試の森公園あたりから品川区に続いていたのでしょう。 写真正面を横切るのが中原街道で、その先が武蔵小山商店街…… 全長800mの商店街Palmは怖いから近づきませんでした。 しかし、今のスマホのカメラは優秀です。中原街道を挟んでいても望遠でこれが撮れちゃうんだから…… ということで、おまけもなく今日はこれでおしまい。ちょこっと歩いてこようかしら? 天気がボチボチだから……
2020.05.24
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今日は簡単に……撮っておいたバラ…… 時期を過ぎては話にならないから、黙って写真だけ。《おまけ》 鯵……函館居酒屋ながまるさんの水槽に魚たちが戻ってきました。コロナの影響なんでしょう、しばらく途絶えていた静岡からの輸送便が再開したみたいです。 今回はカワハギもいたので…… 昨日は贅沢をしてしまいました。肝醤油、美味しかったな~ おろした後の骨付き……湯引きと呼べばいいのか? 軽くお湯にくぐらせたの……ポン酢で頂いたこちらも大変美味しかった。刺身と湯引き、食感と味の変化があって一匹で二度楽しませてもらいました。刺身は口にしたことがあるけど、湯引きが提供されたのは初めて。私の知る店では美味しいのはお客に出さずにお店で食べていたのかもしれません。いずれにしてもカワハギ、堪能させていただきました。 昨日のお通し・三平汁……鮭のアラがコク深い味を演出していました。 換気充分で席も抜いてあるけど、三密を避けるために早い時間にお邪魔する私。従ってほとんどお腹は空いておらず、ただ飲むだけ。お通しがあればそれで充分なんだけど、昨日は久々のカワハギに呼ばれちゃいました。今日はノンアルです。 3月30日の口パク鯵刺し……鯵が小さかったからか? タラコのおまけ。 これまた、おまけの骨煎餅が超美味しい!!! 飲みすぎ要注意の逸品です。鯵はお寿司屋さんで食べてきたけど、これを出してくれた店はなかったな~ 歯医者通いは面倒だけど、こんなのを食べられるようにもう少し頑張りましょう。 薔薇のつもりが、魚・肴になってしまいましたね~
2020.05.23
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昨日の続き……5月5日の散歩 社殿前から……左に社務所、右に神楽殿。 神楽殿…… 手水舎手前から、後方に神楽殿と社殿…… 井戸なのかしら?…… 偶然のようにiPodから流れているのはブルージーな「古井戸」……昭和54年(1979年)、渋谷公会堂の泉谷しげる+古井戸のコンサート「唄の市番外編」……あの頃僕も若かった…… 手水舎は木の柵で囲われているけど…… 手を伸ばせばなんとか使用可能……腰を曲げて、少々かがみこむのでギックリ腰に注意! 絵馬殿……昭和3年(1928年)に造営。 完成時には参道の北側(おそらく現在の社務所側)にあったけど、旧社殿が空襲で焼失したため、終戦直後に曳家(ひきや・そのままの状態で移動)して昭和37年まで仮社殿の役割を果たした。同年、現社殿の造営着手に伴い、この場所に二度目の曳家をされて残っています。戦災を逃れた貴重な神社建築として、平成25年 国より「登録有形文化財」として登録されています。 文化財登録の絵馬などがかけられているそうですが、とにかく鉄柵に阻まれて拝見できませんでした。 北参道から失礼することに…… こちらから訪問したら「ちいさそうな神社」と思ったでしょう。 正面の鳥居とは対照的に木造……木目がいいので朱色に塗らない方がいい。 こちらも、百景でした。 鶴岡八幡の北参道を出ると…… ムムム……個人所有・管理かしら? 立派な石灯篭に…… 立派な祠……きちんと生花も…… 野村肥後守源綱定……とあります。私にはわかりませんが合掌。この後 中原街道に出て碑を二つ見てきましたが、また今度……《おまけ》 連れ合いに焼いてもらいました。毎日 手間をかけてすまないね~ ごちそうさまでした。しかし喫茶店がないのは困るな~ 朝、7-11で買ってきました。「食べ応え抜群!」とあるように、これでお腹いっぱいになった小食の私です。 新聞記者らと賭けマージャンをしていた黒川弘務東京高検検事長……辞表を出したらしいが、訓告処分ってのが気に入らない。法律に違反した犯罪や事件を調べて起訴するのが仕事の検察。それもN0.2が賭博罪を知らないはずはない。知っていて罪を犯す愚か者に退職金なんて払わないでよ。辞表など受理せず、免職が妥当。そもそも、自分で賭博を認めているんだから即逮捕でしょうに。 新型コロナウイルスに感染し、退院して自宅療養中だった松村理治・金沢市議が、休業要請解除前にパチンコをしに行ったと。 検事だの市議だの、民の模範となるべき人たちはギャンブルが好きなようだが、強引に成立させたカジノ法の進捗状況はどうなっているのか? 「観光客を呼び込み、財政難を改善しよう」なんて思惑もあったが、外国からの集客はコロナがなくなるまで無理だろうからずーっと先延ばしにすればいい。 ただ、その後が伝わってこない収賄容疑で逮捕された自民党・秋元司衆院議員の白黒は早く結論付けてよ。選挙資金をばらまいた河井議員夫婦の逮捕・起訴もある。「桜を見る会」の告発状を受け取っている東京地検……とにかく検察には正義を貫く仕事を願っている。 また書いてしまった。
2020.05.22
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旗ヶ岡子育地蔵尊から立会川を通って品川区旗の台をブラブラ(5月5日) 東急大井町線荏原町駅前の法蓮寺を出て、仲通りを少しだけ上ると…… 旗岡八幡神社……東向き… 存在感充分な大鳥居……こんな立派な神社が近くにあるとは知らなかった~ 狛犬は文化5年(1808年)奉納……背後にあるのは空襲を免れたという絵馬殿。高床式っていうのかしら? 柵で囲われていて絵馬はかすかにしかのぞめませんでした。 200年以上前から守っているんですね~ 背後は北参道の鳥居 社殿……社殿前にも新しい狛犬… 長元元年(1028年)、上総・下総で起こった平忠常の乱を治めるべく、同3年(1030年)に朝命に奉じた甲斐守源頼信公が同地へ赴く際、一族郎党と共にこの地に宿営した時、霊威を感得して源氏の氏神たる八幡大神を奉斎し戦勝を祈願したのが発祥とのこと。(同社HPより) 御祭神……誉田別命(応神天皇)・比売大神・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと/神功皇后) 鎌倉時代(1185~1333年)中期、当時の領主となった源氏の庶流荏原左衛門尉義宗公(1231~1285年)は八幡大神を崇拝すること厚く、まず社殿の造営を志し、源家重代の守護神としてのみならず地域の人びとに鎮守としての御神徳の発揚に努力された。さらに、日蓮宗に帰依し朗慶上人と称した義宗公の二子徳次郎は、その館に法蓮寺を開山し当神社の別当として守護に当たったと……神仏混合・神仏混淆の時代の象徴でしょう。 社殿後方へは進入禁止……何か蔵のようなものがあったけど…… 社殿左に神輿蔵……とても新しい 神輿も新調したんでしょう。 ピカピカかつ丁寧・精巧… 耕地整理記念碑……神輿蔵の左 社務所も新しい……昭和20年5月の空襲がなかったら、今どんな姿を見せてくれたことか…… 社殿からみた境内……江戸時代には2代将軍秀忠をはじめ多くの武家の崇敬を受け、毎年2月15日には各地から集まった武士たちにより弓の競射が行われたそうです。 さてさて、今日はこれでお終い……「なんで~ つまらんな~」と連れ合いから言われちゃいますが、力が入らないから終わりだよ~ 賭けマージャンの黒川辞任もブツブツ言いたいけど、止めておきます。
2020.05.21
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歯医者に行ってお腹がグーグー鳴ったらはずかしいから、7-11でサンドイッチを買ってきて出かける前に食べました。 昨日食べた「カツサンド」が美味しかったのだけど、今朝は早かったから棚はガラガラ……仕方なく、残っていた「ハムカツサンド」にしたけど私には今一でした。焼いてくれた連れ合いのせいではありません。遥かに安いからかしら?「食パンはいつも家にあるんだから、作りますよ」と言ってくれますが、刻々と心変わりする義母の食事用意もあるのでこんなのを焼いてもらうだけで充分です。日々ありがたく感謝しています。 歯医者の帰りに7-11に寄ってみたら「カツサンド」は売り切れ。でもって「海老カツサンド」を明日用に買ってきました。気がつくと「カツ」「ハムカツ」「海老カツ」と揚げ物ばかりですね~ 普段はあまり食さないのですが、なんとなくこんな選択になってしまいました。ドトールも使っていた時はミックスサンドも買いましたっけ…… 明日も連れ合いに焼いてもらいますが、喫茶店がないことは本当に困ります。早く西小山が開くことを願うばかりです。野菜不足も解消されないものね~
2020.05.20
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5月2日に「小山八幡神社」と「摩耶寺」で荏原七福神なるものを知ったので、残りを訪問するべくブラブラ歩いた5月5日…… 旗の台駅から立会川の緑道というか児童遊園を歩き、荏原町駅・大井町線北側です。緑道は、鉄道を越えると南側へも第二京浜方向に顔を表します。8日の散歩では反対方面を歩いたので、道がどうつながるのか少し理解できました。 法蓮寺山門……右は日建聖人記念碑・明治35(1902年)年4月28日・日蓮宗開宗650遠忌に際して、とのこと。 以前、大田区にある御嶽神社が駅(池上線御嶽山駅)にとても近いと書きましたが訂正します。私の知る限り、こちらの寺院が最も駅そば……まさに駅前の言葉にピッタリの立地でした。 記念碑の反対側に……日蓮宗のお寺……「天保の改革」にあい、以降寺運衰退の止むなきに至った。数代を経て第45世 常慎院日朝上人は当寺の再興に全身全霊で打ち込まれ、見事な伽藍(がらん・寺院の建物の総称)と枯山水の有名な庭園を造られたが、昭和20年(1945年)5月の大空襲により灰燼(かいじん)に帰した。(同寺HPより) 荏原七福神の一つ……ありました!!! 恵比寿さん……清廉で商売繁盛・福徳をもたらすそうです。「小山八幡神社」「摩耶寺」では大黒天も寿老人もお目にかかれませんでしたから嬉しい私。 法蓮寺本堂……先に書いた通り昭和20年の戦災で焼失後、昭和41年(1966年)5月に再建されたそうです。建坪総面積約166坪…… 本堂扁額……文永年間(1264~1274年)創建。日蓮大聖人の直弟子六老僧のひとり日朗聖人の弟子・九老僧越中阿闍利朗慶上人にて開山。 鎌倉時代中期に、この地の豪族 荏原氏の居館を寺としたのが始まり。旗岡八幡神社(地続き・この後寄りました)とともに源治氏ゆかりの寺として「八幡山」の山号が付けられたそうです。 本堂内……正面に日蓮大聖人。その後ろに大曼荼羅御本尊。手前には八幡菩薩が安置されているそうですが、見えませんね~ 本堂から……大井町線通過~ 踏切の向こうが商店街 本堂左……江戸時代、11代将軍・徳川家斉は鷹狩の際、人柄の良い住職を慕ってたびたび立ち寄った。将軍がどんな人柄を気に入ったかといえば、住職は将軍が相手の相撲でも手加減しなかったそうです。昔も、媚びへつらう忖度家来が多かったんでしょう。 総本山は身延山久遠寺……直接の本山を池上本門寺……境内面積約1212坪 恵比寿さんの後ろから見た本堂…… 平和祈念戦没者鎮魂供養塔……本堂右……本当に平和を祈ります。 永代供養塔……境内内山門脇 しながわ百景 No.81でした。 頻繁に下りる遮断器……自粛中だったから人も車も少なかったから良いけど、通常は困るでしょうね~ 踏切とは反対方面に仲通りを北上……続きはまた今度です。 喫茶店が休みなので、朝は7-11でカツサンドを買ってきて食べました。連れ合いが上手にトースターで温めてくれたから撮っておいて《おまけ》にすれば良かった。
2020.05.19
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「とりあえず、明日から29日まで休業します」と、西小山の喫茶店ポエム……営業時間を短縮し、席数も減らして努力してきた。開店準備から9時までは人件費削減もあって、マスター一人で営業を続けてきたからお疲れもあるのでしょう。 しばらくは行かない町なので、撮ったか載せたか忘れてしまった近くの神社を見て帰ってきました。 きっと何年も歩かない場所だったのでしょう。「オヨヨ!!!」であります。隣接していたビルは空き地になっていました。道路拡張なのか、歩道わきまで続いていた複数の鳥居もなくなっちゃいました。目黒区原町1丁目……近辺ではこのような建て直しの情景をたくさん目にします。 幟は正一位下山稲荷大明神……鳥居、6基ぐらいはあったんだけどな~ 扁額は下山稲荷宮…… お狐様大集合……倉稲魂命が祀られているのでしょう。不謹慎ですが、お狐様は3密です。 稲荷前をほんのちょっと進みます。この道をついていくと藤城清治のアトリエ……以前、連れ合いと歩いたはずなんだけど、その時以来だったのかな~ 西小山で鶏の唐揚げ買って、雷王さんに差し入れ持って行った時だったかしら? フルーツパーラーってことは、果物店を兼ねた喫茶店ってことだよね? 入ってみたかったな~ 山下稲荷から100mほど先を右に曲がると、また赤い幟…… ちなみに、この道を辿っていくと藤城清治事務所そばで先ほどの道とぶつかります。知らないうちは不思議に思っていましたが、双方が左右に湾曲しているから当然なんですが……歩き始めたころはこの界隈の路地もよくブラブラしました。 東伏見稲荷大明神……アパートの階段と自転車置き場に囲まれていますが、社殿の土台石はすごいです。幟は令和2年……今年の奉納です。 東伏見稲荷……関東の稲荷信仰者たちが、参拝に便利な東京に伏見稲荷大社のご分霊を奉迎してそのご神徳に浴したいとの熱望に京都伏見稲荷大社が応え、昭和4年(1929年)西東京市東伏見に鎮座したそうです。伏見稲荷直系はよくお目にかかりますが、東は気付きませんでした。御祭神は倉稲魂命or宇迦之御魂神でしょうが、古事記や日本書紀での表記が異なるからめんどうです。本家伏見も東も、佐田彦大神と大宮能売大神が宇迦之御魂神の両脇に祀られています。 載せたかどうか古い日記を調べてみたけど、結局見つかりません。下山稲荷の旧姿が残っていなくて残念な私でした。また探してみよ~っと!《おまけ》 昨日、ある方からちょうだいしました。5月場所は中止になってしまったので、幻の番付表……「照照あがってきたか~」などなど、昨晩 連れ合いは楽し気に呟きながら見入っていました。 今日は雨だし、なんとなくブルーだからこれでお終いにするけど、『検察庁法の改正案を含む国家公務員法の改正案について政府与党は今国会での成立を見送る方針を固めた』と一部メディアが伝えた。国家公務員法まで反対している訳じゃないのになんでやねん。検察庁法改正案だけ外したらいいのに。重ねてきた審議を全部無駄にするんかいな。 勝手な推測だけど、15日のインターネット番組で「黒川氏と2人で会ったことはない」と語った安倍首相。実は18年12月11日に当時法務事務次官だった黒川氏と官邸で面会したことが報道各社の首相動静から見つかっちゃった。言い訳するのが面倒になったから全部「や~めた」ってしたのだろう。「2人であったことはないけど、3人だったらある」とか、「あの時の黒川氏は法務事務次官。東京高検検事長としての黒川氏とは会ったことがないと言った」とか、さらに国民から批判を浴びることはやめたんだろう。賢い選択だけど、もっと早く決断すれば良いのに……いやいや、そもそも勝手に任期延長したことが間違いであって、そのことを深く真摯に反省なさることを望みます。 また書いてしまった……トホト…
2020.05.18
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毎日のように寺社やお地蔵さんを載せて、自分でも飽きがきているから、今日は食べ物……日頃お世話になっている「函館居酒屋ながまる」さんの料理。 「函館焼とり弁当」の「焼とり」……先月から始めたんだったかしら? 塩ダレじゃない醤油ダレを頂戴しました。醬油派の私ですが、塩も捨てがたい。 衣を付けて串カツ……とにかく豚バラの味が良く、おまけに柔らかいから美味しいの一言……おもわず「まいうー!!」 串カツ卵とじ……蕎麦屋のカツ煮が好きな私。「こんなのあったらいいな~」なんて思っていたらメニューに登場。やっぱりお客の気持ちを察っしちゃう主です。 私のみならずお袋も好きなのでお土産にしてもらいました。パプリカなんてのを使うところも主らしいでし「串は抜いてあります」と親切です。 赤海老……生魚はあまり食べない私ですが海老味噌が恋しくなってお願いしました。三匹出てきたんだったかしら? ホワイトボードには「北寄貝刺身」とありますが、私は焼いてもらいます。殻から外してワタをそぎ落とすスピードも速い。片側の殻にはエリンギでしょうか、おまけ心も忘れない主でした。そうそう「エリンギのザンギ」も人気があります。テイクアウトでもよく出ています。 ホタテ貝……貝 大好き人間の私。刺身も良いけど、火を入れた方が甘みが引き立つし、酒飲みのツマミにはありがたい。 エイヒレ……以前「おいしいエイヒレが食べたい」とお願いしておいたら先日登場しました。下処理をしてふっくら柔らか……味わい深いエイヒレに感激の私でした。 イカ炒め……貝だけでなくイカも大好きなのでよくお願いしますが、いつもこの様相ではありません。主役は一緒でも常に仕様を変えて提供してくれ、ドキドキ感が楽しいです。 カツオ……「なんで いぶりがっこ???」と、いぶかしく思ったけど、これがなんとも不思議に美味しかった~ 直球勝負も良いけど、いつも変化球を考えているみたいです。 お通しも楽しい…… トコブシだったか?……貝好き人間にとっては最高です。 餡かけも良いお味です。干しエビが秘訣かも……うずらの卵も大好きなお子ちゃま人間です。 チキンの燻製……自家製です。 一品料理の風情ですが、これもお通しだったはず……タラコの天ぷらなんて生まれて初めて口にしたけど「まいうー!」 鯖味噌……居酒屋さんの定番だけど、私はこれくらいで丁度いい。 ニシンの燻製……大人の味です。お子ちゃま人間の私は日本酒のお供…… ドリンクはもっぱら焼酎にしています。麦や米だけど、水・お湯・ウーロンなどその日の気分次第であります。この日は抹茶でした…… コロナで営業時間を14時~20時(アルコール提供締め切り19時)に短縮で席数も減らし、いずこの店も頑張っているように、ながまるさんもテイクアウトやってます。遠くから車でピックアップしにくるお客さんもあるようですが、みんな応援しているんですね。やっぱり主と奥様のお人柄が良いからなんでしょう。 頼まれて宣伝しているわけではありません。為念《おまけ》 西小山駅の脇……再開発予定地なのかは不明ですが、以前から空き地になっています。でもって今は移動販売の車たちがやってきて、飲食を楽しむ広場に……天気が良いからビールが美味しいでしょう。接近だけは注意しましょうね~《独り言》『布マスク検品「8億円は全体分」』(朝日新聞朝刊) 妊婦向けに発送した布マスクに不良品が見つかった問題で、厚生労働省は「検品に約8億円かかる」としていたのだが、妊婦向けの検品自体は800万円で8億円には全世帯向けの布マスク(通称アベノマスク)の検品費用が含まれると説明を修正した。「妊婦向け8億円は高すぎないか?」と思っていたけど、全体分としても無駄遣いじゃないの? 厚労省は「国が委託した専門業者が約550人態勢で検品しており、不良品が確認されれば取り除く」と言うが、製造元の責任で検査すべきであり、8億も税金使っていいの? 製造会社が複数あるから、どこのマスクが不良なのか分からないのだろうがひどい話だ。税金の垂れ流しは止めてくれ。「約550人態勢での検品作業に8億円」ということは、8億円÷550人=1,454,545円……作業員1名の収入は約145万円になる。時給1,200円で働いたとすると約1,200時間分……1日12時間労働で100日間分。検品に3カ月以上を要したら役に立たないから、この計算は誤り。感染対策を履行して作業・保管場所等を提供する委託業者の費用も含まれることは理解するが、もうけ過ぎじゃないのか? 人件費を含めた委託費の内訳を知りたいものだが、いずれにしてももったいないお金……また呟いてしまった。
2020.05.17
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こどもの日・5月5日に独りブラブラ…… 中原街道から旗の台駅に向かう商店街……混んではいないけど私は行かない。 東側のこんな住宅街……遠くに赤い幟発見! 余談……2017年11月11日、連れ合いと散歩した時に撮った写真。目指していったスペイン食堂は休み……しょうがないから近くをブラブラして見つけた荏の花温泉。看板は残してあるけどリフォームして釣り堀。営業は土日祝だけで、平日・月~金はお休みらしいっす。もちろん今はコロナで土日も休業でしょう。 なんでこんなの載せたか?って……あの日に地蔵さんを見かけなかったことを悔いている私でした。すぐ近くだったんだけどな~ しかし、正月の初詣以外は一緒に散歩などできない連れ合いには申し訳なく思っています。去年も龍雲寺で秋の紅葉を見ただけだったかも……今度はいつになることか? 良かった~飲食店の幟じゃなくて……先には池上線の踏切 踏切手前の左路地にも赤い幟……上手に道案内 オヨヨ!!! どうやって進むんかいな? 柱の隙間から参道らしきが……ビルとビルの間……どんなんかワクワク 到着~ なぜかベンチも……灰皿はない…当然! 旗ヶ岡子育地蔵尊……昭和13年からずっとこの場所で町を人を見守ってきたようですが、マンションの隙間で見通しが悪くなったことでしょう。 鯉のぼりも飾られて……保存会の皆さん ご苦労様です。 きれいなおべべ……「ええべべ着さしてもうてるがな」……連れ合いからダメ出しがあるかもしれない。 品川区保存樹……入口と地蔵尊脇と、2本のイチョウがありました。御神木なんでしょう。 東急のHPによると、大正11年(1922年)に池上本門寺へ参拝客を運ぶ目的で蒲田から池上の1.8㎞をつなぐ路線として開始された東急池上線。蒲田から五反田駅まで全線開通したのは昭和3年(1928年)だと…… なるほどなるほど、その時に旧街道にあった地蔵尊を「旗ヶ岡」駅前広場に移して交通安全を願ったということか。電車なんか不慣れだっただろうから事故も多かったでしょう。 ところで「旗ヶ岡」なんて駅名はとんと知らない私だが、池上線開通時の名称らしく、現在の「旗の台駅」より少々五反田よりだったそうなので、現地のほぼ近くに駅があったと推察します。 でもって昭和26年(1951年)に、大井町線の「東洗足駅(旧駅名)」と池上線の「旗ヶ岡駅」とを現在の交差地点に「旗の台駅」として合併したとのこと。「昭和13年に現在の所に祠を建て奉祀…」とあるのは、駅の移転・合併計画が既にあったためと考えられます。鉄道には興味がないけれど、ちょっと調べちゃいましたが、そんじゃ~「旗ヶ岡」ってのはどこからきたの??? 長元3年(1030年)、源頼信公が上総・下総で起こった平忠常の乱を治めるべく同地へ赴く際に立ち寄った八幡大社(当地の近く)で戦勝を祈願……高台に陣を敷き源氏の白旗をなびかせて大いに武威を誇ったことから「旗岡」あるいは「旗の台」と呼ばれた……と、旗岡八幡神社の故事に由来しているのでしょう。旗岡八幡はこの後 寄りましたが、また今度…… 立会川児童遊園……って言ったかしら? 立会川が暗渠となっている歩きやすい緑道です。ここを歩くのは初めて…… きれいきれい…… ツツジやサツキは時期遅し……しかし人は歩いていない。 大井町線通過……氷屋さん、まだ健在なのかしら? 私は渡りません。 立会川の道が切れるところまで行って…… 私好みの路地……突き当りが「法蓮寺」「旗岡八幡神社」の裏ですが、続きはまた今度……《ちょっと独り言》 検察庁法改正案審議に昨日登場した森雅子法相だが、定年延長の要件については「新たな人事院規則ができたら、それに準じて決めていきたい」と繰り返すだけ。「真摯に」「丁寧に」と口ばかりで、法解釈を変更してまで閣議決定した黒川検事長の定年延長に対する明確な理由も説明されない。 朝日新聞朝刊の片隅に『…自民の国会対策を担うある議員は、改正案の早期成立は官邸の意向だとしたうえで「我々は天ぷら屋。出されたものを早くあげるのが仕事だ」』と、衆院通過を急ぐ考えを示したとされるが、まったく気楽なもんだ。 安倍首相の寝ころび動画に「いいね」は35万だったっが、「#検察庁法改正案に抗議します」は700万……民意ってやつを与党議員はどう考えているのか?「民心無くば立たず」と言うが、まったくお構いなしで国民をバカにしている議員の姿が報じられていた。 改正案をめぐる13日の衆院内閣委員会……平井卓也議員・前科学技術担当相(自民)は自分で持ち込んだタブレット端末でワニの動画を閲覧。大西宏幸議員(自民)は、「皇国の守護者1 反逆の戦場」なる小説を約20分間読み続けたと。(毎日新聞5月15日) 本には丁寧に黒いカバーがかけられていたそうだが、毎日さん、よくぞ解明したものだ。なんて感心している場合じゃない……野党議員などとの審議中にも関わらず、事実であるなら我関せずの体たらくには「給料泥棒」と申し上げたい。何が「反逆の戦場」だ!! 委員会質疑も戦場だろう。面と向かって反逆する議員が登場しないものか? 無理だろうな。小泉進次郎氏はどうしているのやら……またブツブツ言ってしまった……私の悪い癖……爪を噛むより良いかもね~
2020.05.16
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荏原7丁目から東に立会道路を越えて6丁目……5月2日 こんな住宅街にあるのかしら? と半信半疑…… 民家の間にありましたが、鳥居がなかったら気付かなかったでしょう。 葛原神社……葛原(かつはら)で良いみたい。 7段ですが石段を上ります。手すりはありがたいですが、コロナだから触れないように……最近は小さいスプレーを持ち歩いていますが……『江戸時代は妙見社と呼ばれ、中延の鏑木家の鎮守として祀られていた。鏑木家は千葉氏の末流で祖先が弘治2年(1556年)下総より中延に移住した時に妙見社を勧請したといわれている。』(しながわ観光協会) 御祭神は葛原親王とのこと。葛原親王? 千葉氏の祖である桓武平氏の祖桓武天皇(737~806年・天皇在位781~806年)の第三皇子らしいです。日本史は嫌いなので詳細は調べません。 妙見社としていたころは妙見菩薩を祀っていたのでしょう。明治の神仏分離で御祭神を変えたのかも…… 菩提樹……社殿右前に…… 妙見菩薩を本尊としていたから、仏教に関係のある本樹が植えられたと推定されると「品川区HP(指定文化財)」にありました。『ボダイジュはシナノキ科の……原産は中国…』と書かれていますが、「クワ科でインド原産」のボダイジュもあるようです。葉の形状などから見きわめられているのでしょうから、「このボダイジュは…」と書き初めてくれるとうれしいです。 蛇足ながら「しながわ観光協会」も「品川区HP(指定文化財)」も、幹は『四本』と書かれていますが、この看板は『三』に修正されていました。情報の共有ってのは難しいのかもしれませんが、正しい情報をいち早く共有することは緊急事態時にも役立つんだけどな~ 樹高約10mとのこと……高い高い…… こじんまりとした境内ですが、手入れは充分に行き届いています。 手水舎に近づいて、こちらの狛犬にオヨヨ!!! こんな前傾姿勢の狛犬さんにはお目にかかったことがありません。 左右一対のバランスを考えると、これもありです。 この日2日に荏原七福神なるものを知ったので、5日・8日と昨日も歩き、一応七か所制覇してきましたが、「歩きすぎですよ」と連れ合いが言うように、右ひざに水がたまったかもしれません。セレコックスを飲んだから落ち着いていますが、今日は歩かないようにしましょう。なんて言っても今朝もモーニング行ったっけ……行って良かったです「明日は休みます」と聞けたから。明日は何を食べようかな~
2020.05.15
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以前歩き始めた頃を振り返り「そう言えばあのあたりに寺社があったな~」と思いだし、洗足駅方面からやってきた5月2日のことです。まだまだ電車やバスは乗りたくないし、歩いて行かれる範囲は限られるので辛いですが感染拡大防止に協力します。 標高35mに鎮座する小山八幡神社から下りてきました。 摩耶寺(まやじ)山門……かつては直前にお邪魔した小山八幡神の別途寺でありました。 山門は鉄柵にしっかりと鍵がかかっていたので脇から失礼します。 摩耶寺本堂……日蓮宗の寺院で、仏母山(ぶつぼさん)と号し、建立は寛文7年(1667年)、開山は立法院日了と伝えられているそうです。山号「仏母山」が示すように、お釈迦様の生母・摩耶夫人が祀られているとのこと。 ただ単に小山八幡神社に次いで訪れただけなのですが、この寺院も「荏原七福神」の一つであると知らされました。本堂に祀られているのでしょうが、あいにく読経の最中……法要が行われていたのでしょう……閉じられた扉からは拝見できませんでした。現本堂は昭和53年(1978年)10月完成のようですが、あまり目にしない近代的な建築でした。 本堂扁額……天保12年(1841年)……美しすぎる…… 本堂前から山門…… 境内……本堂の奥に…… 摩耶堂……天保年(1830~1744年)に建立 延宝6年(1678年)に造られた精巧な彫刻で極彩色に塗られた高さ36.9㎝の「木造摩耶夫人立像(もくぞうまやぶにんりゅうぞう)」が安置されているそうです。品川区指定有形文化財ですが、通常は非公開。 摩耶堂扁額…… 頭には冠をいただき、飛雲(ひうん)の台座にのる本像は高さ61㎝の厨子に納められていて、誕生仏を前に配しているとのこと。一目 拝見したいものです。「木造摩耶夫人立像」は、碑文谷法華寺(現・円融寺)に奉安されていたものを円融寺が元禄年間に日蓮宗から天台宗へ改宗したとき、此処に移したそうです。円融寺さんも、日蓮宗もさまざまありました。今後未来永劫、政治が介入しませんように…… 題目塔かしら……獻燈・灯明もあるし、背丈はさほどでもないけど笠塔婆かもしれません。 境内から山門…… 参道からは外に出られませんが……右に発見…… 庚申塔……屋根で保護されています。 小山庚申講……年代は不明ですが、ものすごく良く描かれています。 摩耶寺山門前……道路には出られませんが、せっかくなので下までおりて撮りました。 小原鐵五郎(てつごろう)顕彰碑……従三位勲一等『貸すも親切 貸さぬも親切』と彫られていますが、いったいどんな人物か? 明治32年(1899年)荏原郡大崎村の農家に生まれ、大正8年(1919年)大崎信用組合(城南信用金庫の前身)に入職。昭和20年、戦争で被害を受けた城南地区の15の信用組合が合併して城南信用金庫が設立され、昭和31年(1956年)に同信金の3代目理事長に就任。「大企業を富士の頂だとしたら、それを支える中小企業の広大な裾野があってこそ成り立つ。その中小企業を支援するのが信用金庫」との理念のもとに日本経済をけん引してきた人物のようです。「銀行は利息を得るためにお金を貸すが、我々組合は、先様のところへ行ってお役に立つようにといってお金を貸す。たとえ担保が十分であり、高い利息を得られたとしても、投機の為の資金など先様にとって不健全なお金は貸さない。貸したお金が先様のお役にたち、感謝されて返ってくるような生きたお金を貸さなければならない。」と…… 投資用不動産への資金を不適切に融資していたスルガ銀行……『貸すも親切 貸さぬも親切』をしかと噛みしめなさい。 近隣に住みながら「荏原七福神」は知らなかった私……この後、残りを探し求めるであろうことは必至です。三密にならぬよう、マスクもしながら散歩をしてみましょう。
2020.05.14
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やっとのことで昨日アベノマスクが届いた。『現下の情勢を踏まえ、新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が出されました……不要不急の外出を避けるようお願いします。』と書かれているが、緊急事態宣言が発出されたのは4月7日、一カ月以上前のことで、現在は延長に入っている。 街のあちこちで「マスク入荷」の貼り紙を目にするようになった昨今……『十分な量でないことは承知しておりますが、使い捨てではなく、洗剤を使って洗うことで、何度も再利用可能ですので、ご活用ください。』と締めくくってある。気温は高くなったが、夜洗っても朝までには乾きそうにないから再利用するとしても一人2枚は必要でしょう。おまけに小さい小さい……予想はしていたけど鼻と口とをもれずに塞ぐにはあまりにも無防備な代物。むれて息苦しそうでもあるし、回収を含めてずいぶんな無駄遣いをしたものです。税金だからいいや~ と思っているのかな~ 電車に乗りたくないから、治療を途中で休止していたけれど、訳あってこれから歯医者に行ってきます。アベノマスクは止めておきましょう。
2020.05.13
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義務 詞:岡本おさみ 曲:浅沼勇 歌:泉谷しげる『「今日だけは人間らしくいたいから デモの列で歩いてくるよ陽気にね」 というと 女房は子供をあやしながら「気を付けてね 行かせたくないけど」 と言ってから「そこまで私が立ちいることは ゆるされないわね」とつけ加えた「ボクは庶民です どこの党にも関係ない 税金を払っている一庶民です ボクが好んでいるものといったら 貧しい詩を書くこと位で 国の運営などというものは ふだんは忘れていて 新聞も読みすてちまう あくせく働く一庶民です」「でも、デモに行くからね」と言うと「変なシャレ」と女房は笑って 心配しているのが顔にあらわれていた それでボクは陽気におどけてみせて 団地の階段を二段づつ飛び降りると 今日は胸を張って 静かに歩いてこようと 思ったのだった ムムムム……』 政府の判断で検察幹部の定年延長が可能になる「検察庁法改正案」に抗議する600万件を超えるネット上のデモに紐づけ、天声人語(朝日新聞)に「義務」の抜粋が載っていたから全文書いてみた。 野党も反対しない「国家公務員法改正案」などと一つの法案に束ね、どさくさ紛れに早期成立を図る政府。束ねることで森雅子法相を表に立たせない姿勢にも国民は怒っている。「裁量労働制」の対象拡大を盛り込む予定だった「働き方改革関連法案」は、不適切なデータが見つかり裁量労働制は法案から削除された。政府が強力に推し進めた「高プロ」だが、ふたを開けてみたら導入企業は皆無に近い状態らしい。お役人が机えの上でこしらえた資料をもとに作られた法案であり、働く人々を見ていない結果と言えよう。この時も裁量労働制は外したし、コロナ対策の30万円も10万円に変更したのだから、「検察庁法改正案」も考え直せば良い事。 専守防衛を大きく転換させた「集団的自衛権」を行使できるようにする「安全保障関連法」も施行された。この時も「平和安全法制整備法」と「国際平和支援法」で12法を束ねた一括法案での強行採決。1法ずつを丁寧に審議する姿勢は見られなかった。おまけに、歴代内閣法制局長官が貫いてきた解釈をひっくり返すために、横畠裕介氏を長官に登用し、集団的自衛権の限定行使を容認する憲法解釈変更を行った安倍政府・政権。 今回の、黒川弘務高検検事長の定年延長も「法解釈の変更」だと。自分たちの都合のいいように解釈変更されてはたまったものではない。昨今の民主主義崩壊に黙っていられない国民の声を政府は真摯に受け止めるべきだ。 天声人語は『首相にとって、無理を通すことはもはや日常なのだろう。与党議員にとっては、どんな法案も深く考えず通過させるのが日常かもしれない。そんな醜い日常が、この非日常のなかであぶり出されている。』と締めくくっている。首相も与党議員も、庶民の日常をしかと目にしてもらいたい。 泉谷しげる(失礼だが敬称はつけない。私にとって泉谷は泉谷だから)に書いた「義務」(1971年)は、作詞家・岡本おさみ氏の出発点。アルバム春夏秋冬に収録された「黒い鞄」も岡本氏……放送禁止指定だったのかもしれないちょっと危ない詩だが、歌中の「…ぼくは人間ですよ…」に象徴されるように、一庶民・一個人(私も[いっこじん]と読みたい)の目線で詩を綴ったのが岡本おさみ氏だと思っている。 吉田拓郎とのタッグで多数の名曲を生み出した岡本おさみ氏だが、拓郎が歌った連れ合いの愛唱歌「制服」など彼の書く暮らしの歌は忘れがたい。 でも、今日はこれでお終いです。 おそらくアメ車なんでしょう…… リムジンほどじゃないけど、とにかく長い車……いつかカバーが外れないか注意している私です。
2020.05.12
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午前中から暑い…暑い…… 喫茶店に行ったら臨時休業(西小山ではありません)だったりと、スケジュールが狂うこんな日はいつものように写真だけ…… 花だか実だかわからないけど初遭遇…… 鉢植えのアジサイは早いです。 デルフィニウム……たくさん咲きました。いつ見ても魅力的なブルー レモンの蕾……5月1日 花が咲くとこうなります……今日……人工授粉してあげよう…… 別のレモンの木は賑やかに咲きそう……今年が初めてかも… これは初めて会ったかも…… こんな写真撮って道草食っている私です……「#検察庁法改正案に抗議します」2日でツイート470万件(朝日新聞朝刊) 森雅子法相は登場させずに審議を強行する安倍政権への批判。 多くの国民が怒りを覚えていることから、「(コロナ感染拡大の)どさくさ紛れに火事場泥棒のように決められることではない」と、枝野幸男氏は今朝の衆院予算委で少しだけ触れた。 今国会での法案成立をめざす安倍首相に対して「自分の都合のいい法律をつくることを優先し、危機の状況を政治的に悪用しようとしている」とただしたが、返ってくる答えは毎度の「法案審議については国会でお決め頂くこと」……国民をバカにしている答弁だが、さすが枝野さん、最後に一言「国民の皆さん。安倍総理は自民党の総裁で、自民党と公明党が火事場泥棒的な審議の強行をしているんだ、ということをぜひ覚えておいてください」 さてさて、録画の続きを聞いてみましょう。
2020.05.11
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裏口入社をしてしまった八幡神社(5月2日)の後編…… 境内社(稲荷神社)前から表参道の鳥居……鳥居右に手水舎 数多くの木々の緑がまぶしかった……大きく深呼吸……近くに人はいないから大丈夫…… 社務所と左は授与所……コロナウイルスの影響で、お休みしている寺社が多いです。 当然こちらも使用中止…… 表参道からの境内……正面拝殿、左が稲荷神社で右に神楽殿。 後で位置確認できるように撮っておくスマホの広角は便利です。『創立年月は不詳ですが、社伝に鎌倉幕府の頃、口伝では長元3年(1030年)には旧小山村本村の氏神として崇敬されたと伝わります。』(しながわ観光協会より) 扁額……何となくスッキリし過ぎ… 御祭神は誉田別命。 拝殿前から表参道の鳥居と右に手水舎……本当はあそこから入社すべきでした。 神楽殿……風格があります。 秋の祭りは、山谷八幡神社と合同で行われるとの事。 [山谷八幡神社]いつ行ったっけ? と思ったら2017.12.12……さほど寺社には興味がなかったようで、拝見の仕方が雑でした。でも、つながりのある二社を訪問出来て良かったし、軋轢があって分離したと伝えられる山谷八幡神社ですが、仲良くして嬉しいです。 景色が良さそうと思ったら…… 区内随一の高台・標高35m。地名「小山」の由来が理解できます。しながわ百景らしいです。 西側に裏参道……右の玉垣は社殿を囲っています。 右の木は「小山八幡神社のシイ(2)」……推定樹齢約150年……(1)より50年若いだけあって、傷んでいる個所はないみたいです。 昨日のシイ(1)の説明で『目通りの幹廻り』なる表記……常用漢字表外だし生徒にもやさしいから「幹回り」としたほうが良いんじゃないかしらと、合点がいかなかった私。 ところがどっこい、このシイ(2)では『目通り(目の高さ)幹囲り』ときた……目通りに(目の高さ)と注釈を入れたのはいいが、「幹囲り」はないだろう。「囲」は音訓ともに「まわ(り)」などとは読まない。そもそも、樹木の幹のまわりの寸法を『幹囲(かんい)』と言うのだから、わかりやすく正確に書くなら『目通り(目の高さ)幹囲(かんいと読み、幹まわりの寸法)』とする方が良いでしょう。教育委員会さんも忙しいでしょうが、小学生でも読めるようにルビをふってくれても良いかも…… 一応、裏参道の外からパチリ……西側に2ヶ所と東の表参道から入社できることになります。 表参道の鳥居から失礼しました。 標高35m……さすがに下って行きます。 最初の石段をおりて振り返る…… また次の石段を下りると……良かった~ 下から上らなくて…… しながわ百景は区制70周年にあたる平成29年にリニューアルされたようで、なくなった場所もありますが同社は健在です。ちなみに新顔として「天王洲エリアの水辺の風景」や「目黒川の桜」なんてのが加わったようです。 表通りに出てきたところで今日は終了です。 大方書いたところで誤ってブラウザーを閉じてしまい、大失敗……書き直しには力が入らず多々省略……情けない私でありました。(教委に偉そうなことを言いましたが、誤字脱字はご容赦くださいませ。)
2020.05.10
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洗足と西小山との中ほどに寺社があったな~ と思い出し、久しぶりにそちら方面を歩いた5月2日…… 品川区小山の厳島神社から東へ荏原7丁目あたり……遠くに視認 玉垣 見えました…… 玉垣の角から先は行き止まりで墓地らしいけど、見晴らし良好…… 裏口入社らしいけど…… 正面を探すのが面倒だったので失礼することに……「小さな拝殿やな~」と思ったら、提灯に大黒天…… 扁額はこれ……祀られているであろう大黒天様を見たかったけど、靴を脱ぎたくなかったので断念しました。多摩川七福神は目につきやすい所にあったんだけどな~『荏原七福神』……知らなかった。福徳円満で財宝をもたらすそうだけど、コロナ終息の神にもお詣りしないとな~ 大黒社? 甲子神社? から社殿方向……手前に稲荷神社がありそう…… ふり返ってパチリ……八幡神社社殿の左奥から入社した私でした。 社殿前境内……ゆったりした境内です。 社殿左に稲荷……鳥居から稲荷社前まで屋根が付けられています。雨の日には助かりますが、こういうのは初めてお目にかかりました。 一応お詣り……お賽銭がま口持って行ったものね~ 手洗いはパス…… 燈籠にお狐様……フル装備のお稲荷様 悲しいかな…… なんとかしてあげて~ 二礼二拍手一礼…… 稲荷社の右後方…… 見事な樹です。 小山八幡神社のシイ(1)……『俗に西小山八幡と称されている当社の境内には、常緑樹のシイの木数本の他、サクラ、ケヤキ、イチョウ、サワラ、ソロなど数多くの樹木があり、豊かな鎮守の森をなしている。本樹は、当社では最も大きいシイの木で、樹容も立派であるが、頂部に枯れ損じがある。目通りの幹廻り2.85m、樹高13m、推定樹齢約200年で、区内でも貴重な樹木である。平成12年3月31日』……ちなみに(2)は後編で…… 本殿……椎の木を撮ったついでに…… 拝殿……裏口入社をしたので順番がおかしくなりましたが、八幡神社社殿正面は残念ながらまた明日…… この日、本当に久しぶりに向かった洗足駅ですが「顔だけ見に寄ってみようかな」と思いながらも遠慮してしまったRさん宅……一昨日「亡くなりました」と、師匠が連絡をくれました。まだまだ若いのに残念です。ご苦労も多かったでしょうが、ゆっくりお休みくださいませ。《おまけ》 今朝のホットドックはロングタイプ……「野菜半分」ってお願いしたので軽めだけど、バランスは良いです。 昨年11月26日、この喫茶店で偶然にRさんと遭遇しましたっけ。コーヒーをご馳走してあげて少々おしゃべりして……「元気でね」と言って別れた、それが最後になってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。雷が鳴ったら、思いだしますよ。《おまけ2》 函館居酒屋ながまるさんの『焼とり弁当』……引取の時間に合わせて調理……お持ち帰り8個完成~ あっという間に調理してしまう主の手際にはいつも感嘆! 海苔の下に温泉卵を入れてあるとのこと……卵入りはまだ試してないから今度お願いしてみよう。でも、早くしないと売り切れる可能性大です……売り切れると困るから、今日は電話番号載せません。ケチな私でごめんなさい。
2020.05.09
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あまりに天気が良いので、足腰強化でちょこっと近場を散歩……5月2日 洗足駅から東へ向かう 私的には軽井沢通りと呼んでいる[延山通り]をちょこっと入ったあたりの寺社を訪ねるべく出発。公共交通機関を使わずに歩ける範囲…… 森の喫茶店……こんな店あったっけ?…… キッシュってのはあまり得意でないけど、カレーパスタは興味があります。でも休みなんだな~ 洗足図書館……もちろん休業…… 東急目黒線を越えて、方向感覚を頼りに以前見た玉垣を目指して歩いたら……止まれの「れ」の先に[弁天橋]とあったので戻った私……この場所の左に…… なんや、神社!!!あったんかいな!!!……知らんかった~ 小山厳島神社…… 門扉は閉ざされていましたが『飛べないカモが居ます。扉が開いていると、歩いて車道に出てしまいます。車を避けられません。』……閉めてくださいということだったので入社禁止ではありませんから失礼しました。 太鼓橋……厳島神社には付き物…… 左側……亀が一匹……アップは失敗… 右側……この鉄柱が何なのか? 不明……鴨は見えなかったです。 住宅に囲まれながらも立派な社殿ですが、云われは不明……洗足駅あたりは何度も歩いたけど、この道は初めてでした。 社殿扁額…… 全国に500社ほどあると云われる厳島神社……総本社は廿日市市……柿の木坂は駅まで三里の舞台……深沢弁天社同様に御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめ)でしょう……たぶん、おそらく……詳細不明で悪しからず。 鳥居奉納の記念碑と、水盤(昭和6年)……???弁天橋入り口の赤い鉄柵には「昭和28年1月建立」って書かれていたけど、橋はずいぶん遅かったのね~ 社殿から鳥居……外の道路にも橋があるということは、この池から水が湧き出し、川となっていたのかもしれませんが、不思議な場所でありました。 さてさて天気が良いから散歩してこようかしら?
2020.05.08
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天気は上々なんだけど、なんとなくぼんやり……言葉少なに明るい花の写真だけ…… 道ばたに自生しています。 これもあちこちで見るようになりました。 多年草なのでしょうが、みんな頑張ってます。 道路わきにしゃがみこんで撮っている私……不審者に見られるでしょうが、人は歩いていないから大丈夫。 バラも咲き始めました。 コンクリートの隙間から、よくぞ顔を出します。 スズラン……我が家の庭にも自生していたけど、最近は目にしません。「お墓の奥にあるんですよ~」と、墓参りに行った連れ合いが先日 言っていました。 きれいきれい…… 似たような花がいくつもあります。 鉢植えではありません。 これも頑張ってます……偉い偉い……撮ってる私も偉い! 変なの~ 恐いぞ~……自生ではありません。 ナガミヒナゲシって言うらしい……繁殖力が強いのでしょう、あっちこっちで盛んに見るようになりました。 チンアナゴのよう……先っぽのふくらみに沢山の種が入っています。地に落ちたのが車のタイヤなどで運ばれるからあちこちの道ばたに増えているそうです。 と言いうことで、今日は道ばたに自生する花たちを中心にしました。《おまk》 眼鏡屋さんにもマスク…… 文房具屋さんにもマスク…… ドラッグストアには無いのに、街中でマスクを売っています。まだ届かないアベノマスクは、もう要りません。お金もったいないから止めたら? 医療機関では役に立たないでしょうから、保育園や小学校などにまとめて届けたらいいのに。小さいらしいから子供には丁度いいかもしれないし…… さてさて今日は何をしようかしら?
2020.05.07
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深沢2丁目緑地あたりを歩いた際、「このへんに庚申塔があったよな?」と思ったのだが、過去の記憶が蘇らず当日は断念。でもって出直した4月29日…… 深沢4丁目の住宅街……正面突当りは学芸大学付属世田谷小学校……4~5年前に歩いたであろうこんな道を「どこだっけな~」と、うろうろ探しちゃいました。 あった!あった!! よかった~!!!『明治初年、三島大社の流れを汲む深澤神社が村社に昇格し、旧深沢に八つある氏神を合祀することになり、中村八幡神社もその合祀された内の一つでした。しかし、後に不幸が続いたことがあって中村八幡神社を祀り直すこととなり、昭和13年に御霊分けをし現在の地に新社殿を建てました。地元では「はちまん」神社と呼んでいますが、古書をひも解くと「やはた」神社と読むそうです。この神社の祭神は、第15代応神天皇と同一視され、天皇が神として祀られると「やはたの神」になり「やはた」が正式のようですが、通称の「はちまん」でもよいのではないでしょうか。』(「玉六情報No.110」身近なまちづくり推進協議会・玉六後方部会・より) なるほど……先日書いた深澤神社での記述と年が異なるようですが、つながりのある本神社も訪問出来てよかった私です。ちなみに、昔 深沢は中村と称されていたそうです。 中村八幡神社……庚申塔だけが記憶にあって、鳥居は思いもよりませんでした。 昨日 連れ合いが借してくれた雑誌によると、この鳥居は「明神系・中山鳥居」と言うらしい。シンプルに木を組み合わせた神明系と、神仏習合の影響を受けて以降の曲線的で装飾の多い明神系とに大別されるそうです。 雑誌借りた雑誌は『一個人(No.117)』……「日本の神様と神社入門」(保存版特集)と表記されているからか? 10年前の発行だけど物持ちが良い。ちなみに『一個人』は「いちこじん」じゃなくて「いっこじん」と読むらしい。フムフム…何となくわかる気がする。連れ合いは好きそうだ…… 遷座日・昭和59年12月8日…… 3基あったようですが…… 左の狛犬……顔が欠けちゃっていて可哀そう。 燈籠……『一個人』によれば、灯りをともす燈籠は祭などで神様がお出ましになる際の目安だそうです。役立つな~一個人…… 右の狛犬……修復が痛々しいけど、左右で顔立ちが異なるように見えます。 帰りは呑川緑道を……花壇の柵にとまっていました。上手いもんだな~ 遊具が規制されているか確認した深沢1丁目緑地……写真の左すみが次の写真 見落とすところでした。 共同洗い場だって……24m四方の大きな洗い場が昭和の初めまであったって。三田家を初め、農家の方が野菜などを洗ったんでしょう。 洗い場の正面・北側……こんな路地あったっけ~ 入ってから、途中で左にも…… 曲がらずに進んで……右の石段を上ると…… 静か静かな住宅街……進むと…… 石段があって、まだ奥に…… コの字を描くように歩いて表通りに出ましたが、人影まばら……みなさん自粛でしょうか? 足腰強化だと自ら選択したからしょうがない…… 柿の木坂の家 詞:石本美由紀 曲:船村徹 歌:青木光一『春には 柿の 花が咲き 秋には 柿の 実が熟れる 柿の木坂は 駅まで三里 思いだすなア ふる里のヨ 乗合バスの 悲しい別れ……』 ちなみに、モデルになった坂はここではありません。広島県廿日市市の明石峠付近の坂らしい。《おまけ》 先日訪問した荏原の寺社(まだ未掲載)で「荏原七福神」を知ったので、昨日は中延方面の恵比寿さんを拝見に散歩の途中です。太い排気パイプも見られますが、院内感染防止の為に、まずテントで検査をするのでしょう。日夜頑張って下さる医療に携わるみなさまに感謝します。
2020.05.06
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緊急事態宣言期間の延長に伴って出された専門家会議の提言……なんとも馬鹿にされた感が強い。「新しい生活様式」だと言うが何が新しいのか? ①身体的距離の確保 ②マスクの着用 ③手洗い の3つの基本は従来から指示されてきたこと。「会話は真正面を避ける」「まめに手洗い」「せきエチケットの徹底」「こまめに換気」……挙句の果ては「お酌 グラスやお猪口の回し飲みは避けて」なんてことまで挙げられているが、こんなことは普段からやらない。 交通機関での「会話は控えめに」や「混んでいる時間帯は避けて」も至極当然で、皆さん協力済み。 買い物は「通販も利用」ってあるが、益々増えれば配達員の過労・疲弊や感染予防も徹底されなくてはならない。 腑に落ちないのが「遊びに行くなら屋内より屋外を選ぶ」とあるが、私の区内の公園は遊具使用禁止になっている。昨日の発表を受けて、解放されているか後で見て来よう。 いずれにしても散々言われ続けて来たことばかりで、何が新しい生活様式なのか? 何か他に言うことがないの? トイレを洋式から和式に変えて、ってなことなら新しいかもしれないが…… そもそも延長理由も曖昧。解除時の数値目標も示されないまま、黙って従えと仰る。感染したくないし、移したくもないから出来うる限り守りますよ。「男は黙ってサッポロビール」 今朝の喫茶店 (9時29分) 外食業界は生きるか死ぬかの状況。テイクアウトなどあの手この手で凌いでいるけど限度がある。どこも家賃支払いが大問題だと…… 喫茶店の常連・タクシードライバーさんも「3時間待ってお客さん一人。そもそもお客さんが居ない」と嘆く。それでも出勤はしなくちゃならないと…… ドラッグストアじゃありません…… ここだけじゃなく、焼き肉屋とかカバン屋など薬局以外の店舗で販売が拡大しています。使えそうにないアベノマスクなんか不要じゃないかと思えるほど出回っています。 ジャニーズ事務所は社会貢献として、3億3000万円分の医療物資を調達・輸入したけど、政府には力がないことの証明に映る。外交ではうまくいかないなら、もっと早くから中国でも人気のある芸能人に頼まなかったのか? 多くの芸能人と散々会食を重ねてきた安倍晋三首相……東京ドームで嵐のコンサートを鑑賞し、終了後にはメンバーと面会して写真まで撮ったのは半年ほど前だったか。他にも中国でも強い芸能人は居るでしょう。外務省官僚が使えないなら、彼らにお願いしましょう。
2020.05.05
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散歩をし始めた頃は幾度も通っていたのに未掲載の場所……思い出したのでほんに久しぶりに訪問してみました。(4月25日) 世田谷区深沢2丁目……緑の茂る右側ですが、先の角を右折…… 曲がると裏口がありますが、正面から行く私……寺社じゃないのだけど、進行方向正面が気になった私…… オヨヨ!!!……たくさん住宅が建っていて、まだまだ建つみたい……駒沢ロイヤルテニスクラブがあった場所なのに、立派なクラブハウスもコートもなくなっちゃいました。知らなかった~ 時の流れってやつでしょう。 時は変わってしまった 詞・曲:西岡たかし『時は変わってしまった はげしいあらそいの後に どれが ほんとの幸せか 見きわめる事もなく 時は変わってしまった 時は変わってしまった だけどあらそいは消えず 夢をみていた人だけが 空しい心に 傷つける 時は変わってしまった 時は変わってしまった 人は生きかえり また死に 時代はきざまれ くり返し 川の流れにゆれてく 時は変わってしまった』 コロナの後も心配です。 1970年「巫OLK脱出計画」に収録……同じ年のアルバムだけど「溶けだしたガラス箱」より早かったかな? いずれにしても当時の西岡さんは音作り路線を変えたかったのかもしれません。フーコちゃん(藤原秀子)の魅力的な唄声と、なつかしい詩がよぎったので載せましたが、この歌、コード2つ「Em・D」だけ……今の私でもひけますよ~ でもって深沢2丁目緑地正門……長いアプローチの向こうに… 緑地……数組の親子さんがのんびりと楽しんでいました。 左・長屋門と右・蔵……間の園路(たぶん区が整備したのでしょう)を進むと裏口…… 蔵……穀倉と思われます。「へや」は「山や」かしら? それともひねって「富士や」か? 長屋門(内側)……門と言うけど充分住めそう。江戸時代の元禄年間(1700年前後)から深沢の地に代々居住してきた旧家・三田家の豪農ぶりが伺えます。 大八車……木製の車輪は脆かったんじゃないかしら? 余談ですが、代八車とも書かれるこの荷車……長さ1丈(約3m)=十代、9尺(約2.7m)=大九、8尺(2.4m)=大八、そしてそれ以下を大七と呼んでいたようです。ちなみに一台で8人分の仕事ができるから代八車との説もあるみたい。 長屋門をくぐると現在の道路へと向かう園路……昔は畑だったのか? 長屋門外からの眺め……この景色の中に主屋があったのでしょう。 江戸時代にこんな立派な門を備えた農家があったのね~ 緑地というだけあって、さまざまな木があります。ドウダンツツジ、赤松やモクレン、サザンカなどなど季節季節が楽しめます。 長屋門を外からまわって…… 旧屋敷の方に……この穀倉の後方に…… 土蔵……部分的に修復・改修されていますが、とても古そう。 重そうな扉……間違っているかもしれませんが衣装倉かも? 明治22年(1889年)12月棟上げの主屋は、残念ながら平成21年(2009年)2月の火災により焼失したそうですが、この蔵は耐えてくれたんですね。 土蔵の左に……たぶんお稲荷さんでしょう。農家にはかかせませんから…… このあたりが主屋だったと推察します。寄棟造草葺き屋根の主屋、見てみたかったな~ しかし三田家のすごさを表すこんな記事……『明治時代末から大正時代にかけてご当主の祖父の代には、駒沢公園辺りの地所をゴルフ場に貸しておられたそうで、これが東京最古のゴルフ場「東京ゴルフクラブ」。天皇陛下、宮様方はじめ、外交官、三井三菱など財閥系の人々がゴルフを楽しまれた。そのゴルフクラブも朝霞に移り、やがて戦争が始まると、跡地は防空緑地に指定され、軍部の「印鑑を持って出頭せよ」のひと言で手放すこととなったそうです。』(コミュニティー誌『とうよこ沿線』昭和55年12月1日発行本紙No.3・好評連載の復刻版より) この辺りには今も三田さんの表札を多くみかけます。先日の「阿弥陀三尊画像板碑」を置かれたのも三田家。昔昔、若かりし頃に使わせてもらったテニスコートのオーナーも三田さんだったかと……気持ちはあっても、歳だからもうテニスはできないでしょう。 所有者の好意により借地し開放していたこの緑地……平成30年8月に長屋門・土蔵を含めて世田谷区に公園として寄付されたそうです。羨ましい限りですが税金払うのも大変でしょうから、それも生き方でしょう。《おまけ》「休むかもしれない」とは聞こえていたけど、昨日は「営業する方向です」と言われていたので小雨模様の今朝も一応 西小山の喫茶店に行ってみました。残念ながら「本日休業」の貼り紙にがっくり。 昨日から気になっていた歩道脇に咲いている黄色いの……昨日は人が居たので断念。今朝も同じ方がいらっしゃったけどパチリ。「きれいですね~」と声をかけると「ありがとうございます」と返してくれた。前のお家の方が数年前に植えたそうで「ジャーマンアイリスって言うんです」と教えてくれた。紫のはショウブかカキツバタかアヤメか品種は聞かなかったけど、「長野(たぶん)から送ってもらったもの」だそうです。植え替えたり世話をするそうですが、多年草みたいです。 コロナ禍の中にあって気持ちが明るくなるジャーマンアイリスでした。 ところで、この『コロナ禍』……活字は見ていたけどちゃんと読めなかった私ですが、『ころなか』と読むようです。災いはしっていたけど、こっちの『禍(わざわい)』なんて知らんかった。ちなみに「災い」は大火・大水・日照りなど自然に起こる悪い事で、戦争によるわざわいを「戦禍」と書くように「禍」は人為的な努力によって防げることがらとのこと。新型コロナウイルスは人為的努力で拡散をコントロールできるわざわいと言う意味でコロナ禍としたのだろうけど、政府の適切な早期対策があったらな~ 後悔先に立たずだけど、みんなで自粛しなさいがまだまだ続く……
2020.05.04
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一昨日の後編です……4月14日の散歩 社務所の方=車の入って来られる南西から見た境内…… これで帰ろうと思ったのだけど、左隅が目に入りました。御神木らしきに目を奪われていたからウッカリするところでした。 社殿右手に鳥居発見!!! 入り口に「深沢弁天社御改修記念碑」…… あれが「深沢弁天社」かしら? 参道右手に「深沢弁天社由緒」……御祭神は市杵島姫命……『永禄年間、伊豆三嶋大社の末社で弁財天として名高い厳島神社から勧請したものと伝えられております…』と彫られていました。(昭和47年10月) 参道左側には「復興記念碑」……こちらは昭和50年7月 深沢弁天社……弁天様とも称されて芸事上達の信仰もあるそうな。三嶋厳島神社は北条政子が勧請したとされるけど、先の由緒書きによると『彼女の命により文覚上人が江ノ島の聖地に勧請したのも三嶋弁財天』だそうです。江の島は良く知らないけど、江島神社・中津宮(なかつみや)のことなのでしょう。 市杵島姫命(いちきしまひめ)は、天照大神 直々に神勅(しんちょく・命令)を授かったとされています。 弁天社の左側に奥に向かってこんなの……帰ろうと思ったら… 弁天社参道だって…… 奥まで行くとこんなの…… 曲がって……下りると…… ひょっとしてこっちが本物かしら? 神池にかかる弁天橋…… 橋の向こうに石を積み上げた洞穴…… 祠……奥社・奥宮ということなのでしょうか? 商売からはリタイアしていますが、お賽銭納めてきました。 手水舎……どうみても沈下しています。 フェンスの向こうは三島公園……この神社から名付けたのでしょう。子どもたちの声は聞こえてきませんでした。頑張って自粛しているんでしょう。 弁天社の後方に当たります……赤いのは紅葉ではありません。これから緑になります。 奥社を上ってきましたが、気付いて本当に良かった良かったと胸をなでおろし、これで「おさらばえ」でありました。 帰りは呑川緑道……八重咲の桜は残っていましたが… ソメイヨシノはすっかり終わり…… 緑が目に眩しい季節になりました。 麦とろ屋さん……暖簾は出ていますが営業時間の短縮……この時は10時~18時30分だったけど、現在は11時~16時30分のようです。 ちなみに、学芸大学駅界隈で組合に加盟している飲食店は本日一斉休業らしいです。私は足を踏み込まないのでわかりませんが、人出の多い商店街の対策とのこと。みなさん、本当にご苦労なさっています。《おまけ》 空いてる……車 来ない! 空いてる……人もいない……8時03分 空いているからと安心しているわけではありません。今頃は賑わっているんだろうから近寄りません。昨日の午後、散歩の帰りに遠くから見たら結構な人出でした。そうだ、洗足の裏道で思わぬ発見をしたのは厳島神社でした。また今度のネタです。
2020.05.03
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今日も天気が良いので足腰強化の散歩に行こうかしら?……と思っているので、日記は簡単に写真だけ…… 同じようだけど色違いが多々見られます…… 開くとこうなるのでした…… 同じようだけど柄が違う…… 以前も撮ったけど、今回の方が立派…… こんなの初めて見ました。棘のある木に咲く不思議なやつです。 チューリップだけど…… 大きさが問題…… こんなチビ・チューリップは初めてお目にかかりました。 春なのに 詞・曲:中島みゆき『卒業だけが 理由でしょうか 会えなくなるねと 右手を出して さみしくなるよ それだけですか むこうで友だち 呼んでますね 流れる季節たちを ほほえみで 送りたいけれど 春なのに お別れですか 春なのに 涙がこぼれます 春なのに 春なのに ため息 またひとつ 卒業しても 白い喫茶店 今までとおりに 会えますねと 君の話はなんだったのと きかれるまでは 言う気でした 記念にください ボタンをひとつ 青い空に 捨てます 春なのに お別れですか 春なのに 涙がこぼれます 春なのに 春なのに ため息 またひとつ ……』 春なのに ため息……まったくだ… 安倍首相が決めた「6日まで」は守れず、緊急事態宣言は延長みたいだが国民へのお詫びの言葉は聞こえてこない。PCR検査の件数増は口ばかりで置き去られ、外出自粛要請や営業自粛など国民がやることばかりが強調されてきた。 一方的に国民に義務と負担を求めるが、大した見返りも用意しない。給付金も二転三転したお蔭で大幅な遅れ。大顰蹙(ひんしゅく)で無駄遣いとしか思えないアベノマスクも、自治体から国が回収して検査すると……更なる無駄金使うなよ。 公表の権限は知事にあるが営業を自粛しないパチンコ店の店名公表に触れて、「罰則を伴う強制力のある仕組みの導入」を検討すると語った西村経済再生担当相。目標が達成できない、結果を出せなかったのは要請を守らない国民のせいじゃない。背に腹は代えられない多くの国民がいることをお忘れなのか? 国民が要請を守れるような施策を準備できなかった、できていない政府・政権の責任を再認識されたし。 またブツブツ書いてしまった……歩いてこよ~っと
2020.05.02
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都立園芸高校の百年物のハナミズキを訪ねた4月14日……残念ながら休校中でお目にかかれなかったので、無念を晴らすつもりで見落としていた深澤神社へ…… 玉垣発見!……日体大の近く、呑川緑道沿いの三島公園裏とだけは覚えていたので比較的すんなり…… 残念ながら得意の裏口……予想以上に広い境内にワクワク…… でもって回り込むと…… ありました、表参道…… 深澤神社……どっしりとした社号碑 鳥居が朱色じゃないし、社殿も雰囲気が違う……多く見る「大社造り」じゃなくて「神明造り」……社殿の屋根の色と鳥居の色が同じだから、同時期の改修でしょう。 社殿は昭和42年(1967年)に新築されたようです。右に手水舎。 昭和48年(1973年)に奉納されたようですが、見事な水盤です。 永禄7年(1564年)伊豆の三島神社のご分霊を奉斎し、昔は三島神社と呼ばれていました。その後、明治42年(1909年)6月に深沢村の各地域に奉祀されていた、神明神社・稲荷神社・山際神社・八幡神社(以上深沢村の東地域)と、御嶽神社・天祖神社・稲荷神社・三島神社(以上深沢西地域)の8社を三島神社に合祀して社名を深澤神社と御改称しました。(同社HPより) 御祭神…… 天照大神(あまてらすおおみかみ)『天照大神、神明様やお伊勢様とも呼ばれ、伊勢神宮の内宮に祀られている』……だから同社社殿は神明造なんだわな… 大山都見尊(おおやまづみのかみ)『神武天皇の曾祖父となる神』 日本武尊(やまとたけるのみこと)『父である第12代景行天皇にうとまれた悲劇の英雄』などとも云われますが、実存性は定かでないそうですね。 倉稲魂命(うがのみたまのみこと)『稲・穀物を中心とした植物の神』頻繁に登場します。 八幡大神(はちまんおおかみ)『八幡神は応神天皇の神霊とされたことから皇祖神としても位置づけられ「承久記」には「日本国の帝位は伊勢天照大神・八幡大菩薩の御計ひ」と記されており、天照皇大神に次ぐ皇室の守護神とされていた。』(深澤神社HPより)……いずれにしてもたくさんの神が祀られています。 コロナのお蔭で、授与所と祈祷等の受付は自粛のようです。早く終息するように祈ってきましたが、夜明けは遠そうです。 社殿から参道…… 神楽殿……とても新しい作りで、モダン……神楽にあうかしら? 神楽殿脇のこんな大木の下に…… 整地碑……よく読めませんでしたが、「大東京市」を実現するために行われた区画整理の碑でしょう。 なんとも見事な木……バランスが絶妙ですが御神木かしら? 手水舎の後ろは蔵でしょうか? 神輿が入っているのかも…… 帰ろうと思ったのですが……ちょっと気付いてUターン……でも残念ながら続き(後編)は次回です。 今日もいい天気……何をしようかしら?
2020.05.01
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