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この作品を読んでふと感じたことは、手紙を書かなくなってからどれくらい経つだろうということでした。いつ書いたのかさえ思い出せないくらい、自分にとって手紙は疎遠なものになってしまったように思います。考えてみるとメールが普及した今では、手紙を書く機会は大分少なくなってしまったのかもしれません。しかし、全文を手紙のやり取りのみで構成されていたこの作品を読んで、メールは決して手紙の代わりにはなれないし、メールでは表現しきれないものが手紙には存在することを認識することが出来ました。この作品は、悦子と優子という二人の女子高生の手紙のやり取りを軸に物語は始まります。普通の女子高生同士の手紙のやり取りなので、内容はクラスメイトや先生のこと、授業や進路のことなど第三者にとってはとてもたわいのないことが書かれています。しかもそこに登場する単語は、学生時代が霞んで見えるくらい遠のいてしまった私が読んでも分からないことが多かったりするので、三十代はおろか二十代や現在学生の人達には理解しがたい部分が多いかもしれません。多分この作品の始まりは四十代から五十代の人達が学生時代の頃の設定ではないかと思われます。しかしながらこの作品からは学校のチャイム、クラスメイトの話声、誰かが弾いているピアノの音色や放課後の運動部の掛け声など、学生時代を経験した者なら誰でも思い起こせるであろう普遍的なものが感じられるのです。なので、年齢を問わずほとんどの人が共感出来る内容になっていると思います。さて、この作品の驚くべき点は手紙のみの文章なのに多くのことが語られているということだと思います。多分、手紙を書くという行為は特定の誰かに向けて書かれているにもかかわらず、自分を深く掘り下げる作業に似ているからなのかもしれません。一人黙々と紙とペンを使って自分の想いを綴り遠くの誰かに届けるという行為は暗い海から遠くへ光を届ける灯台の灯りに似ているように感じます。そうすると、さしずめメールは早くて便利なGPSということになるのかもしれません。GPSは今となってはなくてはならないものだとは思いますが、暗い海で孤独に打ちひしがれたときに届く灯台の灯りは、どんなものよりも心の奥底まで照らし温めてくれるような気がしました。手紙の良さ、学生時代の空気を再認識出来る素晴らしい作品です。はるか昔に学生だった方も、現在学生の方もぜひおすすめです。
2012.02.29
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葬儀屋「セレモニー黒真珠」で働く老け顔のアラサ―女子笹島、葬儀場の煙を見るのが好きな眼鏡男子木崎、わけありな雰囲気の新入社員妹尾を軸にお葬式を巡る人々の物語。葬儀屋を舞台にした恋と笑いと涙ありのお仕事ストーリーです。今回は時代物とは違って軽いタッチでさくさくと読める作品になっています。葬儀屋という一風変わった仕事を舞台にしているので、今まであまり知らなかった葬式の舞台裏なども知ることが出来て、とても興味深く読むことができます。登場人物達の仕事に対するプロ意識もとてもかっこよく感じられました。ただ、少し残念だったのは登場人物達にあまり共感出来なかったことでしょうか。それというのも作品が軽いタッチの為なのか、登場人物達の心理描写が今までの作品と比べると大雑把だったように感じられたからです。お葬式という非日常なのである程度は人の素の部分が出てしまうのは仕方がないのかもしれませんが、あまりにも「人でなし」な人達が多く登場するのが気になってしまいましたし、主要登場人物達の性格も掴みづらかったような(特に冷静なイメージの眼鏡男子木崎が直ぐにキレて暴言吐くところとか)気がしました。舞台や登場人物達の設定も良いと思ったので、もう少し今までの作品のように登場人物達の心理を細やかに描いてもらえれば、もっと作品に入り込めたと思います。お葬式を舞台にした心温まる作品。ワカマツカオリさんの表紙も素敵な一冊です。
2011.10.31
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「アンデスの声」「転がる小石」「どこにでも猫がいる」「秋の転校生」「うなぎを追いかけた男」「部屋から始まった」「初めての雪」「足の速いおじさん」「クックブックの五日間」「ミルクティー」「白い足袋」「夕焼けの犬」の十二作品収録。アンソロジー「コイノカオリ」に収録されていた「日をつなぐ」を読んで一目惚れならず、一読惚れしてしまったこの作者。読むのが楽しみでしかたなかった作品です。この作品は短編集なのですが、読み進めていくと、どうも各作品がうっすらと他の作品と繋がっていることに気付くと思います。各作品がとてもゆるい繋がりを持った連作短編のようです。とはいえ各作品一つ一つがしっかりと描かれているので、短編として読んでもなんら支障はないのですが、どの作品の何処と繋がっているのか探しながら読み進めてゆくのも作品のおまけ的要素として楽しめるかと思います。さて、全体的な印象としては、心と体が元気になる栄養たっぷりな作品だったと思いました。読んでいると、まるで食材をじっくり煮込んだスープや新鮮な果物で作ったスムージーを食したかのように体の隅々にまで栄養が行き届いていくような気がしました。それにしても、この作者の魅力は、何気ない日常を静謐な文章で丁寧に綴っているところだと思います。この作品でもその魅力は遺憾なく発揮され、一作一作、短いながらも十分読み応えのある作品になっています。ふとした日常をこんなに慈しんで描くことが出来る作者に脱帽です。ただ、個人的に贅沢を言ってしまえば、作品が全体的に少々お行儀良すぎる方に偏り過ぎていたように感じました。まあ、この作品は雑誌に連載していたらしいので、作品の内容に縛りがあったためなのかもしれませんが、各作品に登場する主人公がほとんどロハスやスローフードをリスペクトの人ばかりなのには、どうしても違和感を持ってしまいます。せっかくの連作短編なのだから同じホーム側の人ばかりではなくアウェー側な主人公、例えば添加物でファーストフード的な人を主人公として描いた作品も読んでみたかったです。とはいえ、まとめて読むのがもったいないくらい、上品で上質な作品です。読むと元気が出てくる、心に美味しい作品です。
2011.08.18
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東京から地方都市の美流間市に転校してきた七歳の主人公、仁美。面倒見がよく人気者の心太と食べることが好きな無量、眠ることが最高だと思っている千穂とかけがえのない絆を育んでいく。本当に久しぶりに読んだ山田詠美氏の作品です。ジャンルとしては、作者の「蝶々の纏足」や「放課後の音符」「僕は勉強ができない」などに代表される学校を舞台にした作品になるのでしょうか。「ですます調」の文章が心地良くすらすらと頭に入ってくる大変読みやすい作品なのですが、作者特有の眼差しで人の持つ欲望を真摯に突き詰めて描いているところは健在です。ですので、優しい読み心地ながらも深く心に入り込んでくる味わい深い作品になっていたと思います。それにしても何よりも印象に残ったのは、登場人物達の素晴らしさでしょう。作者の作品に登場する、既成概念にとらわれずに自分の欲望に忠実に生きるかっこ良い登場人物たちは相変わらずなのですが、何が素晴らしいと言えばその彼らが方言で話すことです。まあ、地方都市が舞台なので方言を使っていても何らおかしなことではないのですが、語尾に「だら」や「だに」を付けて話していても、彼らのかっこ良さは薄れることはなく、愛着すらわいてきます。久しぶりに魅力的な登場人物達に出会えた気がしました。※少しだけネタばれなので反転してます。そして作者がそんな彼らを結ぶ絆として用意したのが、性愛をも突き抜けた愛だったのには驚かされました。今までの作品ではなんとなく恋愛というか性愛が作者の最高峰にきていたように感じたからです。今までの作者の良さはそのままに、更に進化したような作品だったと思います。少し昔の高度成長期の物語なので、大人の方にもおすすめ出来る作品です。
2011.07.22
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地味で無口な28歳独身派遣社員である主人公は猫を飼っている。一見普通に見えるその猫には実は秘められた力があるのだが、その力が発揮されるにはある条件があって…。第四回ダ・ヴィンチ文学賞大賞受賞作です。誰でも仕事をしていれば、仕事の内容よりも職場の人間関係の方にストレスを感じてしまうことがあると思います。職場の人の理不尽な言動をぐっとこらえつつ仕事をこなしているものの、それが積み重なって我慢の限界に達したとき、もういっそブチ切れてしまおうか、なんて思ってしまうこともあるのではないでしょうか。28歳の派遣社員である地味な女主人公も例外ではなく、派遣先の一筋縄ではないかない人達の餌食となり日々ストレスが溜まっていく一方。そのストレスが限界まで達した時、主人公はブチ切れるかわりに、体内で渦巻くどす黒い感情を餌に飼い猫の猫魂を使って仕返しをすることになります。読んでいて容易に絵が浮かんでくるので、とても読みやすい作品だったと思います。デフォルメされた登場人物たちと先の読みやすい展開の為、漫画を読んでいるような気楽な気持ちで読むことが出来ます。無口で地味な主人公が復讐をするという展開の割にはドロドロした感じがないのも魅力だと思います。難しいことは考えずに楽しく読み進められる作品になっています。ただ少し気になったのは、分かりやすい展開と物語があまり動かない為に、早くも二話目でマンネリ感があったことでしょうか。文学としてはスピーディーな展開はあまり必要ないと思うのですが、この作品は漫画的な要素が多いので、もう少しスピーディーな展開だと良かったように感じました。最も物語が動いた第四話を二話目か三話目に持ってきても良かったような気がします。シリーズ化しやすそうな作品ですので、続きも期待出来そうな作品です。日々こつこつと仕事をしていてもなんだか報われない人や、猫好きにもおすすめの作品。これを読んで主人公と一緒に、日頃溜まっているストレスを発散してみてはどうでしょうか。
2011.06.23
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外国語大学に通う主人公は、バッハマン教授のもと「アンネの日記」を暗誦することになるのだが…。第143回芥川賞受賞作です。初めて読んだ作者でした。ページ数が少なく、文字も大きいうえに余白も多いので、さらりと読めてしまうのかなと思ったのですが、そこはやっぱり芥川賞作品でした。さらりと読むにはこの作品のテーマは、なかなか難解で一筋縄ではいかなかったように思います。「アンネの日記」や「乙女」「密告」「暗誦」などが作品の重要なキーワードとして登場しているのですが、個人的にはそれらが複雑に絡み合い過ぎていて、作者の言いたいことが明確に伝わってきづらいように感じました。文学の玄人向けの作品っぽいような気がしました。とはいえ文学の素人である私は、この作品に全く読む価値を見いだせなかったかといえばそうでもなく、結構面白く読むことが出来たのですが。それというのも作品が真摯に重いテーマと向き合っているにも関わらず、微妙に外しているところがあるので、そこが妙に心地良いと感じたからです。その外しているところの一つはバッハマン教授の奇妙な言動だと思うのですが、もう一つは舞台が関西だということです。短く歯切れの良い地の文に対して、語尾に「やよ」や「やで」のついた会話の文。「すみれ組」の百合子様と「黒ばら組」の麗子様が登場する世界に「あたしは乙女やねん。ほんまやねん。」という乙女達の台詞。乙女と関西弁のギャップが読んでいて妙にツボにハマってきます。この一見ひと昔前の少女漫画風の世界なのに台詞は全て関西弁ということが、読者を重い気持にさせず、読後感の良さを醸し出しているように感じました。しっかり読むとテーマは重いような気がしますが、上質なコントとして読めば、それはそれでとても楽しめる作品だと思います。
2011.05.31
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真夜中に小さなカヤックで一人海を漂う茉莉香。このまま死んでしまうかもしれない彼女の前に表れたのは、言葉を話す一匹の鷲だった。鷲が茉莉香に語り始めたのは、遥か昔、島に暮らしていたある兄と妹の物語だった。第二十一回日本ファンタジーノベル大賞受賞作です。最近めっきり読書する機会が減ってしまったうえに、ここ一、二か月くらいは全く小説を読まない日々を送っていました。そんな、私が久しぶりに手にとって、しかも一気に読んでしまったのが、この作品です。全く知らなかった作者と作品だったのですが、どうして興味を惹かれ読んだのかといえば、この作品に付いていた帯に激しく興味を覚えたからでした。その帯には通常の帯のように作品のあらすじが書いてあったのですが、そこには「兄」や「妹」、「許されぬ愛」などの文字が踊り、しかも一番太い文字で「この世の終わりで抱いてやる。きっと…。」などとあるではないですか!!これは、もう私好みのメロドラマに違いないとすかさず手に取ることに。なんかもう、この帯だけで三食いけてしまいそうです。そんな作品の時代はといいますと、現代と昔、二つの場面が交互に登場します。まあ容量的には、現代の場面はほんの少しで、江戸末期頃の話が大部分なわけですが。さて、この作品で特筆するべきは、奄美大島を舞台としているということでしょうか。奄美大島のことをほとんど知らなかった私にとって、この作品を通して島独特の文化や人々、信仰などに初めて触れることが出来ました。南の島というと、のんびりとして穏やかなイメージしか持っていなかった私は、島の人々、特にヤンチュやヒザと呼ばれる人達が過酷な労働を強いられながら、サトウキビを収穫していたことを初めて知りました。主な登場人物達がヤンチュと呼ばれる過酷な労働を強いられる人々のためか、作中辛い場面が多かったりするのですが、それでもあまり暗い気持にならずに読めるのは、作者が島に生きる人々とその生活を愛情をもって生き生きと魅力的に描いているからだと思います。この作品の奄美大島の描写は秀逸だと思います。ただ少し残念だったのは、作品の後半部分でしょうか。期待に膨らみ、興味深く読み進められる前半部分と比べて、後半は割とあっさり終わってしまったというか、いまいち盛り上がりも共感にも欠ける印象を受けました。それに伴って優れた小説なら必ず持っている、余韻を残す読後感が少なかったのも残念でした。私の勝手な見解では、後半、盛り上がりに欠けた原因は考えられる限り二つ程あるように思いました。一つはメロドラマから滲み出る「狂おしさ」がこの作品には、あまりなかったということです。やっぱりメロドラマ好きとしては、「愛し合う二人を運命が引き裂けば裂くほど、高まってゆく二人の狂おしい感情」が重要だと思うのです。その部分に読者は共感を覚えるのだと思うのですが、後半部分の一番盛り上がるところで、妹サネンの葛藤があまり感じられないばかりか、やけに冷静でさっぱりとしていた印象を持ってしまいました。それからもうひとつは、現代での茉莉香の話です。これも前半は何やら秘密の香りがして大変興味深かったです。しかし後半に真相が明らかになるにつれて、現実離れして説得力の無さになんだか安っぽさを感じてしまい、興味が薄れていってしまったように感じました。というわけで、なんとなく冷めた気持ちのまま読み終えるはめになってしまいました。そこのところ以外は楽しく読め、実に私好みの物語だったので、本当にもったいなかったなと惜しい気持ちでいっぱいです。とはいえ、これは「こってりメロドラマ」好きの私の意見なので、メロドラマ初心者は気にならない程度のことだと思われますが。まあこの作品は物語を抜きにして、昔の奄美大島の生活を知るだけでも十分満足に値すると思います。もちろん、後味さっぱりめのメロドラマとしても十分楽しめます。月の綺麗な夜にでも、この作品を雰囲気たっぷりに読んでみてはいかがでしょうか。
2011.04.28
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主人公の一止は夏目漱石を敬愛している。彼は青年医師として地方の病院に勤務し、ろくに家に帰れない日々を過ごしていた。地方の病院を舞台にして夏目漱石好きな青年医師が主人公のこの作品。少し前にCMやテレビなどで紹介されていたので、知っている人も多いのではないでしょうか。病院を舞台にはしていますが派手さや緊迫感はあまりなく、どちらかといえば地味でのんびりとした雰囲気が漂う物語です。風変わりな登場人物達の言動や、漱石かぶれの主人公の独特の語りをまったりと楽しむことがこの作品の醍醐味だと思われます。とはいえのんびりとしていても作者は現役の医者らしいので、医療現場の描写や地方都市の病院が抱える問題などリアルに感じられるところもあります。医療関係者や病院が舞台の話が好きな人は興味深く読むことが出来るのではないでしょうか。ただそれだけに、小説としてストーリー自体を楽しみたいと思っている人は少し物足りなさを感じてしまうかもしれません。読んでいて、展開がスローペースなうえに物語の起伏も少ないので、途中で退屈さを感じてしまうことになるかもしれないからです。そして正直なところ、地方医療の問題も主人公が抱える葛藤もリアルではありながら、それほど目新しいテーマではないので、斬新さにも欠けるところもやや気になったりしますし。まあ、この作品には斬新でスピーディーな物語を求めるのではなく、まったりとした雰囲気を心ゆくまで味わうことをお勧めします。それから少し気になったのは、この作品は独特の雰囲気があるので、もしかしたら合う人と合わない人に分かれるかもしれないということです。その独特の雰囲気というのは、多分作品の舞台とそこに登場する人物達との間にあるアンバランスさから来ていると思うのですが。なんだか舞台にはやけにリアリティを感じるのに、登場人物達にはリアリティが全く感じられなかったと言いましょうか。まあ、作者は現役の医師なので作品の舞台(おもに病院)にリアリティがあるのは当然だと思います。しかしそれに対し、主要な登場人物達(おもに御嶽荘の人々)には、既成の登場人物達を焼き直したような非現実さを感じてしまいました。その二つの噛み合わなさが、独特の雰囲気を醸し出しているように感じてしまいました。とはいえ、その噛み合わなさによってこの作品の持ち味である独特の世界観が出来あがっているのも事実です。まあ、「渡る世間は○ばかり」などの橋○寿賀子ドラマのように、その独特の世界観にハマれる人には、とても楽しめる作品になるだろうと思われますので、まずは一度読んでみてはいかがでしょうか。この作品の帯にあるように今、少しでも多くの「奇跡」が起きて欲しいと願わずにはいられません。
2011.03.29
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「シンプリーヘブン」「心身」「柱の実り」「黒い飲み物」「穴」「ピース」「嘘の味」の七作品収録。木暮荘という古いアパートに住まう人々とその周辺の人々を主人公にした連作短編集です。良い意味で肩の力が抜けていた作品だったと思います。肩に力を入れずに読めるのに、一作一作短いながらも十分読み応えがありました。全体的に読み終わったあと温かい気持ちになる作品が多いです。私は毎日一遍ずつ読んでいましたが、毎回読むのが楽しみで仕方なかったです。さて、個人的にマニアックな見方をすれば、この作品で特筆すべきところは、「孤独」の描き方についてだと思います。私はこの作者の作品を読むと、コメディやシリアスなどジャンルにかかわらず、生きているものが必ず持っている「孤独」というものの存在を感じてしまいます。この作品も例外ではなく、作中から、その「孤独」の存在を感じることができました。今までの作者の作品で「孤独」を正面からとらえていた作品(おもにシリアス)もあったように思うのですが、そういった作品はなんとなく重苦しい雰囲気の割には心にしみ込んで来るものも少ないように感じられました。しかしこの作品は、明るい雰囲気を纏っている上に「孤独」というテーマを中心に扱っていないのにもかかわらず、他のシリアスな作品たちよりも「孤独」の姿をより正確に捉えていたように思いました。話が少し逸れますが、こういった話を聞いたことがあります。夜空の星を観察する時は、正面から星を見るよりも視線をずらして見た方が、星が良く見えるというものです。もしかしたら、生きているものが持つ「孤独」というものもそういったもので、真正面で捉えるよりも少し視線をずらした方が、よく見えるものなのかもしれません。私はこの作品を読むことによって、「孤独」というものは決して悪いものではなく、むしろ暗い夜空に輝く星のように美しいものだと気付かされました。とはいえ、こんなに難しいことを考えなくても、ストーリーを味わうだけでも十分楽しめる作品です。難しいこと抜きでただ物語を楽しむだけでも良し、深く読み込んでみても良しですので、様々な方にぜひおすすめの作品です。
2011.02.14
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第7回坊っちゃん文学大賞受賞作。表題作と「7s blood」の二作品収録。「卵の緒」自分を捨て子と信じて疑わない主人公の少年と、その母親。親と子の絆を描いた作品。文字も少なくて、あっという間に読めてしまう作品です。だからといって、内容が軽いわけではなく、親と子、家族の絆がきちんと描かれています。全体的な雰囲気にも重苦しさは感じられないので、さくさくと楽しく読みすすめられ、読んだ後も満足感を得られるのですが、よくよく考えてみると、主人公の母親の性格や主人公の出生の秘密などに、現実味を全く感じなかったりします。なんだか、現実の生々しさが抜けているといいましょうか。しかしだからといって、「嘘っぽい」「安っぽい」と感じないのがこの作品の不思議なところです。作品に現実感が薄くとも、主人公や母親、その他の登場人物が語ることには、妙な説得力があり、読んでいて心に訴えかけてくるものがあります。多分これはこの作者の持ち味なのでしょう。また、さらっとだけ語られる小気味良いラストに、思わずホロリとさせられます。個人的にお気に入りのラストです。「7s blood」女子高生の主人公は、ある日突然、腹違いの弟と二人暮らしをすることになる。「卵の緒」と同様に、この作品も現実的ではないけれど、少し風変わりで良く出来た人物たちが登場します。こちらもまた、人物、設定に現実感はないと思いながらも、心に訴えかけてくるものがあるので、素直に感動出来る作品になっています。ただ、こちらの作品はいまいち説明がされないまま終わってしまったところが多々あったように感じました。※以下多少ネタばれがあるので、反転してます。主人公のその後とか、彼とはその後どうなってしまうのか、島津との関係などです。特にあんなに弟に頼り切っていた主人公はその後一人でやっていけるのだろうかと心配で仕方ないです。まあ、こんなにその後が気になるということは、この作品に深く入り込めたということなので素晴らしい作品であることの証明でもあると思うのですが。家族の繋がりを描いた優しさ溢れる2編が収録された作品です。読んだ後、心がぽかぽかと温かくなります。寒い今の季節、湯たんぽ代わりに、いかがでしょうか。
2011.01.31
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ずっとアメリカで暮らしていた栄美は、高校三年になり日本で暮らすことになる。アメリカと日本の暮らしの違いに不安はあるものの、なんとか日本の暮らしにも慣れ、気になるクラスメートも出来始めるのだが、その時、奇妙なことが起こり始める。全体的な感想としては、さくさくっと読める軽快なミステリ作品だったと思います。ミステリの部分にはきちんと貫井徳郎らしさはあったのですが、物事の負の部分を描いてきたような今までの作品にあった重厚さは全く感じられなかったです。さてミステリの部分ですが、帯に書いてあったような衝撃の結末は、貫井徳郎の作品をいくつか読んできた自分としては、いまいちパンチが足りなかったような気がしてしまいました。帰国子女の女子高生の一人称で主な物語は進められてゆくので読みやすいぶん、結末には過剰な衝撃を期待し過ぎてしまったせいなのかもしれません。ただ、その軽さが駄目なわけではなく、むしろ今まで貫井徳郎が苦手だった人や、ミステリ初心者などの新しい読者層を開拓できる可能性を秘めている作品だと思います。さらっとミステリを楽しみたい方や、ミステリ初心者におすすめの作品です。
2011.01.11
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やむを得ず大学を休学し、熱意のないまま伯父の古書店でアルバイトしている主人公の芳光。ある日、叶黒白という作家が書いた五つの小説を探して欲しいという若い女性が店に訪れる。この作者が書くミステリは大体二つのジャンルに分けられると思います。「インシテミル」や「犬はどこだ」に代表されるダークな作品か、「古典部シリーズ」や「さよなら妖精」に代表されるほろ苦さを感じるビターな作品か。この作品はそのどちらにも属していない、ダークとビターの中間に位置する作品だったように感じました。この作品でまず興味深かったのは、結末を読者にゆだねたまま終わるという「リドルストーリー」を扱っているということでした。読者に結末をゆだねるとは、言い方を変えれば中途半端に終わるということです。たまに純文学などで、結末が中途半端な感じで終わる作品があったりしますが、作品によっては深い余韻を残していて味わい深かったりします。が、それをミステリでされてしまうと、余韻よりも不満を感じてしまうことが多いかと思います。しかし、そこはこの作者です。作中の「リドルストーリー」は読者に不満を残さないようになっていますので、安心して読むことが出来ます。少し気になったのは主人公の境遇や心情がやけに丁寧に描かれていたのに対して、その結末がきっちり描かれていなかったことでしょうか。主人公の周辺部分とミステリ部分は関連性があまり感じられなかったので、なぜこんなにミステリとかかわりのない部分を丁寧に描写しているのが不思議でした。しかし、読み終わった後に残る独特の余韻は、ミステリ部分だけでは出せなかったように感じました。なので、もしかしたらこの余韻を残したいがために、作者はあえて主人公の周辺を丁寧に描き、結末を「リドルストーリー」のようにきっちり描かなかったのかもしれません。「インシテミル」ほどの派手さはないし、「古典部シリーズ」ほど爽やかではないけれども、地味ながら味わい深い作品だったように思います。ミステリファンや、「リドルストーリー」に興味のある方などおすすめの作品です。
2010.12.29
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母の乙美が亡くなった。気力を無くす夫、良平のもとに表れたのはガングロで金髪の見知らぬ女の子だった。彼女は乙美の四十九日まで家族の世話をしにやって来たらしいのだが…。今、何かと話題のポプラ社小説大賞特別賞受賞作者の第2作目の作品です。この作品は少し前にテレビなどで取り上げられたりしていたので、知っている人も多いのではないでしょうか。さて、この作品は亡くなった最愛の人の四十九日までに、残された家族が生きる希望を見つけ出してゆくといった再生の物語です。ガングロ金髪の井本や日系ブラジル人のハルミなど、奇抜な登場人物がいながらも、万人向けの心温まるストーリーになっています。それだけに、意外性や個性は少ないとは思うのですが、映画やドラマにでもなりそうなくらいまとまった良質な作品だったと思います。少し気になったのは、作中の会話の部分で誰の台詞なのか不明瞭な個所がちらほらあったことでしょうか。まあ、それは私の読解力の無さからきているかもしれないので、気にならない人もいるとは思いますが。あと、個人的な希望としては、作中に登場するレシピカードをもっと詳しく記載して欲しかったです。文中ではレシピの内容について割とさらりと流されてしまっているので、実際に実践出来るような具体的な内容が記述してあれば、更に良かったように感じました。読み終わったあと、心地よい風が吹き抜けてゆくような心温まる作品です。
2010.12.11
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植物になりたい。友達や学校や将来のことなんかで心を乱されないですむから。主人公のさくらはそんなことを考えながら中学二年生の日々を過ごしていた。学生時代は今よりもお気楽だったし、楽しいこともたくさんあったはずなのに、その頃の印象を一言で表わすなら何故か「サバイバル」という言葉が浮かんでしまう。恵まれた現代の日本で、しかもいち学生に過ぎない自分が一体何と戦っていたのかは未だに判然としないのだけれど、あの頃は日々生き残ることに必死になっていたように思う。そのせいなのか、学生時代、特に思春期時代が舞台の作品を読むときに、ただ楽しいだけの作品よりも少しでもその学生時代特有のサバイバルが感じられる作品の方が好みだったりする。この作品は登場人物達の焦燥感や鬱屈した気持ちが上手く描かれていて、どうしようもない感情を持て余しながらもなんとか生き残ろうともがく登場人物達の想いが、切実に胸に迫ってきました。作中に登場する描写が、思わず自分の学生時代を呼び起こしてしまうくらいリアルで、誰でも一つや二つは持っているであろうその頃の青さゆえの失敗などを重ね合わせて苦い思いをするかもしれません。ただ爽やかで楽しいだけの青春小説ではないことは確かな作品です。しかしなんといってもこの作品の優れたところは、読者に痛みを感じさせるだけで終わっていないところだと思います。巧みな描写とエピソードが結末まで読者を飽きさせずに運んでくれるので、一気に最後まで読めてしまいます。最後はぜひ読んで確かめてもらいたいので詳しくは書きませんが、このまとまった結末のおかげで読後感は非常に良いものになっています。そしてこの作品を読んで思い浮かんだ作品に、桜庭一樹氏の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」がありました。どちらも、学生時代特有のサバイバル感が非常に上手く表現されていて、大人も子供も楽しめる作品だということで、共通しています。ただ、二つはよく似た作品でも、二つの持つ印象は違うものになっているように感じるのですが。なんとなくこの作品は結末のまとまりの良さから「陽」で、津波のような力で読者を一気にさらってしまうような結末の桜庭作品は「陰」のイメージだと感じました。陰と陽のどちらが良いとかではなく、どちらも同じくらい素晴らしい作品です。合わせて読んでみると良いかもしれません。月が地球から離れていってしまうように学生時代からどんどん遠ざかりつつある私なのですが、苦い思い出があろうともあの頃の気持ちを決して忘れないようにしたいと思わせてくれる作品でした。今まさに学生時代真っ最中の人も、学生時代を忘れそうな人も、どちらにもおすすめの作品です。
2010.11.29
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西加奈子「おはよう」 豊島ミホ「この世のすべての不幸から」 竹内真「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」 光原百合「木漏れ陽色の酒」 佐藤真由美「ダイヤモンドリリー」 三崎亜記「あの空のむこうに」 中島たい子「やさしい本音」 中上紀「像の回廊」 井上荒野「きっとね。」 華恵「やさしいうそ」「嘘」をテーマにしたアンソロジー。嘘をテーマにしているのですが、タイトルに「やさしい嘘」とあるように全体的に温かい雰囲気の物語が多かったです。「嘘」は基本的にいけないことだとは思いますが、「嘘」をつく人も「嘘」をつかれる人もお互いを慮ることによって、「嘘」の裏側にあるものに気付くことが出来き、「嘘」を通して人間的に成長出来ならば、それは一概に悪いこととは言えないような気がしました。ほろ苦くもほんのり温かいので、今の季節にはピッタリのアンソロジーだと思います。西加奈子「おはよう」同棲をしている若い恋人同士の話でした。この作者らしい家族の温かさを感じさせてくれる作品です。何気ない日常を大切にしたくなるような作品でした。豊島ミホ「この世のすべての不幸から」とても醜い妹を世話する兄が主人公の物語。生まれた時から土蔵に閉じ込められて育つ娘など、個人的に好みのテイストの作品でした。少し短かったのが残念だったのと、もう少し雰囲気のある文章だったならもっと良かったような気がしました。竹内真「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」月に土地を持っていると話すクラスメイトが登場する物語。初めて読んだ作家さんでした。全体的に雰囲気の良くて悪くない物語なのですが、あまり心に深く残らない印象でもありました。光原百合「木漏れ陽色の酒」マノミと呼ばれる不思議な果実を巡るファンタジックな物語です。作品に登場するお酒がなかなか面白い設定で、「世にも奇妙な物語」の原作になれそうな雰囲気で面白かったです。また、切ない余韻を残すラストも良かったと思いました。佐藤真由美「ダイヤモンドリリー」男の子とその母親の女友達の物語。初めて読む作者でした。ありがちな設定ながら、まとまった印象の作品でした。ただ、主人公の少年や、母親、その女友達などの性格にいまいちリアリティが感じられなかったのが残念だったと思います。三崎亜記「あの空のむこうに」恐らく少しだけ未来の物語。この作品で一番ネガティブな雰囲気の作品でした。読み進めていくうちに頭の中で描いていたイメージが、どんどん塗り替えられていくことになると思います。中島たい子「やさしい本音」何気ない日常を描いた作品。この作品を読むと、普段生きているなかで、自分も結構嘘をついているんだなと気付かされます。美容院の描写は秀逸で、結構「あるある」と感じる人も多いのではないでしょうか。上条紀「像の回廊」旅を通して知り合った男女三人の微妙な距離感を描いた作品でした。この作者らしく風が吹き抜けてゆくようなイメージの作品です。切ない余韻を残す物語でした。井上荒野「きっとね。」ゲイのカップルを描いた作品です。なので、このアンソロジーの中でも少々毛色の違う作品でした。恋愛作品だったのですが、少々食傷気味になっていたこの作品の中で良いアクセントになっていているんじゃないかと思いました。華恵「やさしいうそ」少年と母親の女友達の物語。女同士は男同志よりも嘘が多いように思います。それを、思春期の少年の目線から描いた作品でした。少々気になったのは主人公が思春期にしては、良い子過ぎるところと、「ダイヤモンドリリー」と主人公がだぶって見えてしまったところでしょうか。もう少し少年にバリエーションが欲しいと感じてしまいました。
2010.11.16
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ハリー十七歳の誕生日がやってくる。その日はハリーの血の守りが消える運命の日。魔法界全体を巻き込んだヴォルデモードとハリーの命をかけた戦いが始まる。※以下、若干ネタばれが含まれますハリー・ポッターシリーズの最終巻です。近所の図書館での予約件数が二百を超えていたので、借りるのは断念してブック○フで購入して読むことに。全体的な感想としては、今までの巻に劣らず楽しめる作品で良かったと思いました。最終巻なので総出演という感じで登場人物も多いなか、ハリーとロン、ハーマイオニ―の三人が知恵と勇気と力を合わせて敵に立ち向かっていく姿もきちんと描かれていましたし。ですがまあ、そこもまた最終巻と言いましょうか、今までの作品に必ず登場した恒例のもの(ホグワーツでの学校生活やクィディッチの試合など)が無かったり、主要な登場人物達がどんどん死んでいったりと、前巻までになかった要素もてんこ盛りの、ある意味新鮮な作品でもありました。概ね良かったと言える作品なのですが、気になった所をしいてあげるとすれば、最初から緊迫している状況が続くため、展開にメリハリが感じられなかったということでしょうか。そのため中盤くらいで少々中だるみっぽく感じてしまったように思います。まあ、そのまどろっこしさも、辛抱強く読み進めていけば後半の息つく暇のない展開に吹き飛んでしまうかと思います。さて、全七巻を締めくくる長い長いこのシリーズの結末についてですが、良くも悪くもきちんと落ち着くところに収り、まとまった終わり方だった、という印象でした。それを予想通りだったので満足だと感じるか、意外性がなくて不満と感じるかは好みが分かれるかと思いますが、壮大で重厚なハリーポッターの世界を読み切った充実感は読後十分得られると思います。ハリーのシリーズを読み進めている人には、読んで損のない作品だと思います。近々映画も公開されるようなので、映画と合わせて読んでみてはどうでしょうか。
2010.10.18
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いくつになっても恋は思い通りにはいかない。けれど、切なくて、愛おしい。豪華女性作家陣による恋がテーマのアンソロジー。唯川恵「ラテを飲みながら」恋愛を通して成長する女性を書かせたら右に出る者はいないと思われる作者の本領発揮な作品でした。この作者は恋愛小説が巧みであることは言うまでもないのですが、個人的には女同士の関係の描き方の方に魅力を感じます。短い中にうまくまとめられた良質な作品でした。山崎ナオコーラ「電車を乗り継いで大人になりました」劇的なことはあまり起こらないのに、飽きずに最後まで読めてしまう作品です。大人の恋を描いた、妙にリアルな作品でした。朝倉かすみ「アンセクシー」恋愛は綺麗なだけではないと思うのですが、この作品は綺麗の裏側に焦点を当てた、苦さ感じる作品でした。山崎マキコ「ちょっと変わった守護天使」仕事は出来るけれど女子力は低めな主人公の恋愛をコミカルに描いた作品。難しいこと抜きに、ひたすら楽しく読める作品です。南綾子「雪女のブレス」マンネリ化してきた恋愛を軸にしたこの作品。普通に読めましたが、主人公や展開にあまり進展が感じられなかったのが残念でした。小手鞠るい「無人島」詩の様に恋愛模様を綴った作品でした。同じような経験がある人は入り込んで読めると思うのですが、そうでない人は少し冷めた目で読んでしまうような、読む人を選ぶ作品かもしれません。豊島ミホ「銀縁眼鏡と鳥の涙」唯一男性、しかも高校生が主人公の作品。主人公が女性ではなかったせいなのか何なのか、いまいち共感のしづらい作品でした。登場人物の誰にも魅力を感じることが出来なかったのも少々残念。井上荒野「粉」とても潔いタイトルなのですが、なかなか一筋縄にはいかないテーマを孕んだ作品だったと思いました。表面的にはさらりと過ぎてゆく日常を描いているのですが、その根底には黒いものが流れているというような、うっすら不安を感じさせる作品でした。
2010.09.19
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二人の登場人物の視点から語られたA、Bの二つの物語で一つの作品になっているという面白い試みのこの作品。豪華な12人の作家陣によるアンソロジーで12×2の二十四話もの作品が収められています。一見物凄い厚さになりそうなこの作品ですが、一つの物語が大体三、四ページ程なので、ちょっとした時間にさくさく読むことが出来ます。しかしながら、読みごたえは十分なので満足感を味わえる作品になっています。さて、タイトルに「秘密」とありますが、秘密そのものを軸とした作品はあまりありませんでした。恐らくここでいう「秘密」とは、日常を生きていて少しだけ触れ合う人達などの裏の面、自分では知ることの出来ない部分のことをいっているのではないかと思われます。道を歩いていて、ふとすれ違った自転車に乗った人は自分が知らないだけで実はその自転車との深い物語があるのかもしれない。この作品では登場人物の視点を変えることによって、その裏の面をうかがい知ることが出来ます。自分の知らないことが世の中には溢れている。こんな風に考えて生活を送ると、世の中は自分の知ることのない秘密に満ちているように感じられ今までと目線が変わる思いがします。ささやかだけれども、かけがえのない日常をみんな生きているのだと感じさせてくれる良い作品でした。毎晩眠る前に一作品ずつ読むのに良い作品かもしれません。吉田修一「ご不在票―OUT-SIDE-」「ご不在票―IN-SIDE-」少しだけ触れ合う二人のそれぞれの日々が、光と影のコントラスのように浮かび上がっている作品でした。森絵都「彼女の彼の特別な日」「彼の彼女の特別な日」これからも二人の物語が続いてゆくのが想像できるような気持ちの良い終わりの作品でした。佐藤正午「ニラタマA」「ニラタマB」 日常でふっと湧いたちょっとした疑問は、通常解決することもないまま忘れ去られてゆくものですが、この作品はそれを軸にした作品です。有栖川有栖「震度四の秘密―男」「震度四の秘密―女」男女間での秘密はえてしてあまり良くないものだと思いますが、それをミステリ作家さんらしく描いています。小川洋子「電話アーティストの甥」「電話アーティストの恋人」少し変わった職業が登場しながらも、静謐で味わい深い作品でした。篠田節子「別荘地の犬 A-side」「別荘地の犬 B-side」日々起こる出来事の裏には、様々な深い物語が潜んでいるということを感じさせてくれました。このアンソロジーのテーマに沿った作品だったと思います。唯川恵「ユキ」「ヒロコ」女友達同士が持つ陰鬱さを描いた唯川さんらしい作品でした。堀江敏幸「黒電話―A」「黒電話―B」黒電話の描写が素晴らしいので、読んでいて思わず黒電話が恋しくなりました。北村薫「百合子姫」「怪奇毒吐き女」漫画やドラマにありそうな展開で楽しい作品でした。伊坂幸太郎「ライフ システムエンジニア編」「ライフ ミッドフィルダー編」全体的に伊坂さんらしい作品なのですが、きちんと会社員している主人公が今までにない感じがして新鮮でした。三浦しをん「お江戸に咲いた灼熱の花」「ダーリンは演技派」コミカルだけれども、愛おしい恋愛を描いた台詞がなんとも秀逸な作品です。阿部和重「監視者/私」「監視者/僕」暗い雰囲気の物語だと思いきやラストは、ほんのり温かさが漂う作品で良かったです。
2010.09.05
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閉鎖的なある地方都市で一人の男が変死する。彼は一年前に突如行方不明となっていた男だった。奇妙な三つの塔がそびえ立つこの町と男は一体どんな関係が…。最初に登場する物語の謎の部分から、もう読者を掴んで離さない設定の上手さは相変わらずの作者です。街にそびえ立ついわくありげな三つの塔。その塔と失踪して変死した男との関連性は…。なんて、もう読む前から嫌でも興味を掻き立てられます!この作品は登場人物複数の視点から物語は進められてゆきます。それが少しずつ物語の謎に迫っていく一方、新たな謎が登場するなど先が読めない展開に、五百ページ近い長編ながら、飽きることなく最後まで読めてしまうと思います。読者を惹きつけ離さない力は相変わらずでした。ただ、こんなに素晴らしい謎が展開するこの作品の肝心の結末の部分なのですが、個人的には少々期待外れだったような気もしました。なんとなく綺麗にまとまった終わりじゃなかったので。とはいえ物語においての起承転結はしっかりしているのです。※ネタばれ防止のため反転してますただ、ばりばりのミステリだと思わせておいて、最後にファンタジーというか、SFを持ってくるのは違和感がありました。せめて、途中にSFっぽさを感じさせる伏線があったら良かったと思います。それから、町の謎と男の死がいまいち上手く繋がっていなかったように感じてしまったのもすっきりしなかった要因の一つでした。でもまあ、この作品はミステリだけに限らず、少々風変わりな地方都市を探索している気分も味わえますので、ふらりと旅をしてみたい方などにもおすすめ出来る作品です。
2010.08.23
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フリーの映画宣伝マンの藍子は、才色兼備ながら、離婚や不倫などの問題を抱えていた。思い通りにいかなくとも、日々懸命に働く人々を描いた連作短編作品。子供の頃は、「夢や目標は、努力したり苦労したぶんだけ近づく」というようなことを教えられてきました。もちろんその考えは概ね合っているとは思うのですが、年齢を重ね、社会に出ていろいろな経験を踏まえていく上で、ただひたすらに頑張るだけではどうにもならないこともあるのだということも学んでゆくと思います。特に仕事の面で、程度の差はあるにせよ周りと比較して仕事量や評価などの不平等さに憤りを感じたことのある人は少なからずいるのではないでしょうか。この作品の登場人物達も、さまざまな問題を抱えながらも懸命に仕事をこなし、しかもその問題が解決することもないまま、新しい問題も増えてゆくといった日々を送っています。こんな風に書くとなんとなく行き詰った感じがして陰鬱な印象を持ってしまいますが、そんなことはありません。彼らは皆、問題を抱えながらも、少しでも明るい方へ向かおうとする気持ちを持ち続けようとしています。そのため、各章のラストも前向きなまま終わるものが多いので読後感は良いと思います。何の問題のない人生を生きていくよりも、問題を抱えながらも日々を送り、少しでも明るい気持を持って一日を終えることこそ本当に大切なことなのではないかと感じさせてくれる作品です。少し日常に行き詰った方など、おすすめです。
2010.08.11
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主人公の白石誓は、フランスのプロサイクルロードチームに所属していた。世界最大のサイクルロードレースであるツール・ド・フランスが行われる直前、彼のチームは危機を迎えることになる。プロのサイクルロードレースを舞台にした「サクリファイス」の続編です。今回は舞台を海外に移したので、レースや登場人物など前回よりワールドワイドに、そしてよりディープになっております。しかしより専門的になっても前作同様この作品も非常に読みやすくなっておりますので、サイクルロードの世界を知らなくとも、すんなりと作品の世界が頭に入ってきます。前作も感じたのですが、この作者の作品はマニアックな世界を描いていても途中で引っかかることなくすらすら読めてしまいます。難しい語彙や個性的な比喩などがあまり用いられていないからだといってしまえばそうなのかもしれません。しかし映像を見ているように、読んでいる作品の世界がするすると頭の中で再現されていく様はストーリーを邪魔することなくとても快適に読み進められます。今回は前作ほどミステリ要素は少なめなので、ミステリを期待して読むよりもレースそのものに注目して読むことをお勧めします。まあ、そのぶん前作よりもドロドロ感は少なく、比較的爽やかな作品になっているわけなのですが。そして前作の感想でも書いたように、今回も女性から見てあまり魅力的と感じない女性が登場します。今回は前作よりもその女性登場人物はあまり本筋にからんで来ないので、そんなに気にはならないが救いです。男達が繰り広げるサイクルロードレースを存分に味わえる作品になっています。サイクルロードレースに興味がある人もない人もどちらにもおすすめの作品です。
2010.07.23
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「ストーリーセラー」アンソロジー伊坂幸太郎「首折り男の周辺」、近藤史恵「プロトンの中の孤独」、有川浩「ストーリーセラー」、米澤穂信「玉野五十鈴の誉れ」、佐藤友哉「333のテッペン」、道尾秀介「光の箱」、本多孝好「ここじゃない場所」表紙に大々的に「面白いお話、売ります」や「読みごたえは長編並み、読みやすさは短編並み」と書かれた、ベテランや旬の作家さん達が勢ぞろいのアンソロジーです。これはもう読む前から嫌でも期待が膨らむってものです。で、実際読んでみて収録されている作品の質も悪くないし、読んで損した感じもしなかったので良質なアンソロジーであると言えるのですが、表紙にあった大々的な文句の為に期待が膨らみ過ぎたせいか、若干物足りなさや肩すかしを感じたような気もしました。純文学なら中編くらいの長さが合っているように思うのですが、ストーリーものを中編にまとめるのはなかなか難しいのかもしれません。しかし普通に楽しめるアンソロジーですので、表紙の文句につられ過大な期待を寄せずに気楽に読めば、十分に楽しめます。伊坂幸太郎「首折り男の周辺」複数の話が一つに繋がって行く爽快感やユーモアのある会話が、いかんなく発揮された伊坂幸太郎のダイジェスト版的な作品だったと思います。伊坂幸太郎を読んだことのない人には、簡潔にまとまったこの作品は、作者を紹介するのに丁度良い作品になるのではないでしょうか。ただ、それだけに伊坂作品を思いっきり堪能したい人や、新しさを求めてる人には少々物足りないかもしれませんが。近藤史恵「プロトンの中の孤独」プロの自転車レーサーの話である「サクリファイス」のスピンオフの作品です。私は「サクリファイス」を読んだことがあるので、この作品も興味を持って読めましたが、全体的に起伏の少ない展開に、読んだことのない人は物足りなさや退屈を感じてしまうかもしれません。「サクリファイス」を読んでからの方が楽しめるような気がします。有川浩「ストーリーセラー」愛する妻が未知の病に侵されてしまうという、涙を誘う物語です。作者特有の甘い恋愛の話も登場し、ただ悲しいだけの物語になっていなかったのが良かったと思います。ただ、個人的にこの作品の中で最も印象に残ったエピソードは、やけにリアリティのある身内のごたごたや作家活動の話の方でした。身内のごたごたは置いておくとしても、作家活動の方で「実際に仕事でこんなトラブルあったの?」とか「実際にこんな嫌がらせされたの?」など、野次馬根性が働いてしまいそっちに気を取られていたせいで、肝心のストーリーをあまり堪能出来なかったのが残念でした。米澤穂信「玉野五十鈴の誉れ」前に読んだ「儚い羊たちの祝宴」にも収録されているこの作品。感想はそっちで述べてしまったので、ここでは内容についての記述は避けますが、このアンソロジーの中では他と少し違ったテイストのこの作品がアクセントになっていて良ったのではないでしょうか。佐藤友哉「333のテッペン」これも何かのスピンオフなのでしょうか。いまいちすっきりしないまま終わる作品でした。あんまり読んだことのない作家さんなのですがこの作者の作品はなんとなく際どい所にいると感じました。凄く深いことを語っているのか、それともただ難しそうに語っているだけで意味の薄いことを語っているのか、その境界にいるような感じを受けました。なので、読む人が、その境界のどちら側として捉えるかで好き嫌いが分かれるような気がします。道尾秀介「光の箱」この作品が一番このアンソロジーのテーマに嵌っていたように感じました。中編の長さに物語がぴったり合っているし、読者を離さない展開と、読者の予想を裏切る結末がきちんと用意されているので、上手くまとまっている作品だと思います。作者のファンも初めて読む人にもおすすめの作品です。本多孝好「ここじゃない場所」これもスピンオフだろうかと考えてしまうような説明不足な終わりでした。一応ミステリなのですが、そこは意外にあっさりしています。主人公の行動や考えにあまり共感出来なかったのでいまいち物語に入り込めないような気もしました。というか主人公だけじゃなく女友達など、女性の登場人物たちにリアリティを感じなかったのが少々残念でした。
2010.07.16
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豪華女性作家陣によるアンソロジー。なんと12作も収められた贅沢でお腹いっぱいなこの作品。本の表紙に「ほんのり心が温まる」とあったので、読後感の良い作品ばかりだと思っていましたが、そうでもなかったのが意外でした。まあ、そのぶんバラエティーに富んでいて読み応えがあったとも言えます。一作が短いのでちょっとした時間にも読める便利なアンソロジーです。狗飼恭子「町が雪白に覆われたなら」作品に登場する雪のように読んだ後、心が真っ白に塗り替えられていくようなあたたかい読後感のある作品でした。加納朋子「モノレールねこ」よくある展開だと分かっていても、こういう展開を望む人は多いと思います。爽やかな作品です。久美沙織「賢者のオークション」ネットオークションの臨場感が伝わってくる作品です。でもあまり主人公に共感出来なかった気がしたのが残念です。近藤史恵「窓の下には」手放しで心が温まる作品とは言い難いです。しかし、日陰から見た日向がなんとも輝いて見えるように、痛みがあるから今が輝くというような、痛みの伴う幸福を表わした奥の深い素晴らしい作品でした。島村洋子「ルージュ」この作品も結婚適齢期の女性には良くある作品のように感じましたが、最後に登場する友達の台詞がスパイスのようにぴりりとして、この作品をぐっと良くしていたように思いました。中上紀「シンメトリーライフ」前向きな終わりなのか、そうでもないのか判断が難しいので、中途半端感が残る作品だったように思いました。中山可穂「光の毛布」仕事を頑張る女性におすすめの作品です。温かい読後感が良かったです。藤野千夜「アメリカを連れて」この人の作品はどんな展開でも悪い読後感になることはないのですが、今回もまさにそれでした。それほどドラマチックではない日常を切り取った作品です。前川麻子「わたしたち」とてもネガティブな「あのころの宝もの」を表わした作品でした。文章も鬱々としていて正直読むのが辛かったです。光原百合「届いた絵本」女子高生が主人公なのですが、あまり女子高生らしさを感じることが出来なかったので、物語に入り込みづらかったような気がしました。三浦しをん「骨片」古風な語り口調の、三浦しをん全開の作品でした。短編では少し物足りなかったような気もしました。横森理香「プリビアス・ライフ」変わった切り口からの「あのころの宝もの」を表現した作品です。生きているそのことに感謝出来るような作品です。
2010.07.08
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若くして古書店「無窮堂」の店主になった真志喜は、幼なじみで同業者の瀬名垣に買い付けの手伝いを頼まれることになるのだが…。月夜の水面のきらめきを表わしたような作品でした。作者の文章の上手さは相変わらずなのですが、この作品はそれに加えてさらに静謐で切れるような美しさが文章に加わっているように感じました。作者がどれだけこの作品に思い入れがあるのか、うかがい知れる作品になっています。そして古書店や「せどり」など世界について詳しく描かれているので、大変興味深く読むことが出来ます。読んでいて登場人物達、そして作者本人からも「本」に対する愛がひしひしと伝わってくると思います。ただ、若干問題なのは、この作品は万人向けとは言い難いということです。なぜなら、どう読んでも作品全体にボーイズラブの雰囲気が漂ってしまっていると思うので。なのでボーイズラブに嫌悪感がある人や、なんの興味もない人が読むと登場人物達の心情に入り込むことが難しいかもしれません。まあ、そのぶんボーイズラブ好きな人には、宝石のようなきらめきをもつ作品になることは間違いないとは思いますが。ボーイズラブ好きな人には、全面的におすすめ出来る作品です。そうでない人は、古書の世界や三浦しをんの描く美しい文体を味わって読んでみることをおすすめする作品です。
2010.06.30
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「青に捧げる悪夢」アンソロジー恩田陸「水晶の夜、翡翠の朝」 若竹七海「みたびのサマータイム」 近藤史恵「水仙の季節」 小林泰三「攫われて」 乙一「階段」 篠田真由美「ふたり遊び」 新津きよみ「還って来た少女」 岡本賢一「闇の羽音」 瀬川ことび「ラベンダー・サマー」 はやみねかおる「天狗と宿題、幼なじみ」なかなか豪華な顔ぶれである10人の作家さんの短編が収められたアンソロジー。作者のラインナップから、生粋のミステリ作品なんだろうと思っていたのですが、タイトルに「悪夢」とあるように、ばりばりのミステリというよりは、ホラーテイストのミステリだったと思います。まあ、作品によってホラー少なめでミステリ大盛りだったり、ミステリはエッセンス程度で主体はホラーだったりと、作品によって様々なのですが。とはいえ、暑くて寝苦しくなってきた今の季節にはぴったりの作品だと思います。恩田陸「水晶の夜、翡翠の朝」「麦の海に沈む果実」のスピンオフの作品です。あの作品もミステリ色が濃いめだったためか、この作品もミステリ色濃いめです。「麦の海に沈む果実」のファンも、読んだことのない人も楽しめるお得な作品だと思います。若竹七海「みたびのサマータイム」青春のほろ苦さがぎゅっと濃縮されたような、爽やかさ漂う作品でした。読み終わった後、なんとなく説明不足の部分があるんじゃないかという物足りない気分にさせれられたのですが、どうやらこれもスピンオフ作品のようでした。物足りない部分は「クール・キャンデー」という長編を読めばすっきりするだろうと思います。「クール・キャンデー」にも興味が湧く作品です。近藤史恵「水仙の季節」ミステリには欠かせない一卵性双生児の美少女が登場する作品です。ホラーの要素はほとんどありませんでしたが、うまくまとまっていた作品だと思いました。小林泰三「攫われて」このアンソロジー作品中、最もホラーとミステリの要素が絶妙なバランスで組み合わさっていた作品のように感じました。ちょっとスプラッタの要素が入っているので、好き嫌いが分かれるかもしれませんが、全体的にホラーが漂いながら、後半にはきちんとミステリらしいオチが付いているので、ホラー、ミステリどっちにも満足出来ると思います。このアンソロジーのテーマに一番合った作品だったように感じました。乙一「階段」物語の始まりから暗雲として、悲壮な雰囲気が伝わってくる作品です。どちらかと言えば奇抜な物語展開は少ないのですが、主人公の内面が読んでいてこんなに切実に伝わってくるのはこのアンソロジーの中ではピカイチだったように思います。ミステリっぽさはあまりなく、主人公に同調しながら怖々と読む作品だと思いますので、どちらかと言えばホラー主体の作品だと思います。篠田真由美「ふたり遊び」ゴシックホラーな雰囲気の作品です。閉じられた空間で物語は進んでいき、後半も予想通りに展開してゆきます。しかし読み終った後、もう一度最初から読んでみると「ああ、そういうことだったのか」と気付くことがあると思います。なので、ホラーだけと思いつつ、もう一度読み返すときちんとミステリしている作品です。新津きよみ「還って来た少女」始めはホラーかな、と思いつつ読み進めていくと、後半はミステリ色が強くなってゆきます。怖いというよりは、ミステリの部分に「そういうことって確かに無いとも言えないね」と妙に納得させられる作品でした。岡本賢一「闇の羽音」最初はミステリだと思わせ、最後はホラーに落ち着くという他の作品とは逆のパターンでした。ホラーを存分に楽しめる作品です。瀬川ことび「ラベンダー・サマー」この作品も一応青春ものなのでしょうが、なんとなくオチらしいオチも無く終わってしまったのであまり印象に残らない作品だったような。ホラーともミステリとも言い難い中途半端な作品になってしまった印象を受けました。はやみねかおる「天狗と宿題、幼なじみ」子供と読みたい作品です。ホラー要素もあるのですが、緻密なトリックが展開されるのでミステリファンも満足の作品だと思います。
2010.06.22
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東京で暮らす主人公のもとに、ある日突然、高校時代の同級生3人が転がり込んでくる。個性的な彼女達に振り回される主人公だが…。4人の女の子達が繰り広げる、涙あり笑いありの元気いっぱいガールズ小説です。地味目な主人公が個性的な3人の友人たちに振り回されながらも成長していく設定は漫画や深夜にひっそり放送しているドラマ(新人の女優やアイドルが出でいるもの)を彷彿とさせるので、あまり重苦しい気分になることなく読めると思います。タイトルにガールズライフとあるように、4人の二十歳の女の子を中心に物語は進んでいき、作中には彼女達のガールズトークもふんだんに盛り込まれています。これがツボにハマれば、最後まで一気に読めてしまうでしょう。ただ少し気になったのは、作中に人名やブランド名などの固有名詞がたくさん登場し、これらがツボにハマるのは、主人公達の年齢よりも、もっと上の年齢ではないかと感じたことです。多分二十代中盤から三十代中盤くらいのような気がします。なので、それくらいの年代の女性が、少し昔を回顧して読むのが良いような気がしました。作中の延々とつづくガールズトークにハマれなかったり、固有名詞にピンとこない人には、正直読むのが辛い作品かもしれません。なぜなら登場人物達の心理描写がいまいちしっくり来なかったり、物語の展開も割と予想通りだったり都合が良かったりするので、ガールズトーク以外で特に注目することが少ないような気がしましたので。この作品は彼女達の会話を楽しめるかどうかにかかっていると言っても過言ではないでしょう。ガールズ小説が好きな人、少女達の生活に興味がある人などにおすすめの作品です。元気をもらえる作品です。
2010.06.11
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学生時代にふと訪れたあの不思議なひとときをともに経験した3人の男女。彼らはその頃を回顧しながら、語ることは…?もう既に何冊も作品を読んでいるおなじみの作家さんの作品を読む時、それは何だか気心の知れた友達や知人の家へ遊びに行く感覚に似ています。読書の間中、もう何度も訪れ慣れた空間で過ごす時のような、安心を感じることが出来るからです。既に何度も訪れた家なので、どこに何があるのかなどの勝手も分かっているので、目新しさは少ないにせよ、その時の気分に合わせてどの作家さんの家へ遊びに行こうかと思案出来るのも楽しみの一つでもあります。既にベテラン作家である恩田陸の作品を読む時も、そんな気持ちで読むことが多いのですが、この作品は恩田陸のこれまでの作品とは、少々違っていたように感じました。とは言ってもジャズや映画(もしくは舞台)などが登場し、ノスタルジーも感じることが出来るので、雰囲気はきちんと恩田陸しているのです。しかし、この作者最大の魅力である、謎(ミステリ)が今回はほとんどありませんでした。なんだか恩田陸の家へ遊びに行ったけれど、いつもとは違う部屋へ通されたような感じとでも言いましょうか。印象としてこの作品は、純文学に近いように思います。これまでの恩田陸作品の中では、「夜のピクニック」に近い作品なのかもしれませんが、今回は若者向けというよりは、もう少し高めの年齢の方向けかもしれません。親友とも言い難い微妙な関係の三人の登場人物が青春時代を回顧しながら物語は進んでゆくので。しかも今回は展開らしい展開もないので、これは多分自分の学生時代と照らし合わせながら読んで楽しむ作品なのかもしれません。無意味で無駄な時間だったように感じる一方で、今の自分を形作る一遍になっている学生時代の、ごちゃごちゃしていて、でも何故かうら寂しい感じが上手く表現されていると思います。地味目ですが、味わい深い感じのウィスキーみたいな作品とでもいいましょうか。(私はお酒飲めないのですが)ふっと、学生時代を振り返ってみたくなった時などにおすすめかもしれません。
2010.06.03
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中学一年生の主人公が幼馴染に誘われて入部したのは、「飛行クラブ」という空を飛ぶことを目的としたヘンテコな部活だった。「底抜けに明るい、青春小説を書きたくなった」と、あとがきにあるように、空を飛ぶ為の部活で個性的なメンバーを相手に主人公が奮闘する青春小説でした。イマドキの中学生の一人称で語られるので、文章も堅苦しくなく、さくさくと読むことが出来ます。まあ、人によってはそんな文章が軽すぎると感じてしまうかもしれません。しかし、そんな一見軽い語り口調でも、中学生の時分に感じていた、一筋縄にはいかない友達関係の複雑さや、大人たちのずるいところをどうにもできないもどかしさなども丁寧に描かれているので、決して作品自体を薄っぺらいと感じることはないと思います。あの頃のネガティブなところも、きちんと表現しつつ、決して暗さや重さを感じさせないところは、この作品の素晴らしいところだと思いました。ただ、この作者の今までの作品からみると、今回はミステリ要素はほとんどありませんでしたので、ミステリファンは少々物足りないと感じてしまうかもそれません。それから贅沢を言えば、最終的に「飛ぶこと」が「あれ」では意外性がないようにも感じましたので、もう少し物語の核である「飛ぶこと」にひねりが欲しかったと思いました。なので、飛ぶ方法にミステリ要素が加わっていれば、パーフェクトな作品になったのではと個人的には思ってます。大人でも子供でも青春時代を満喫出来る作品です。親子で読んでも楽しめるのではないでしょうか。
2010.05.26
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「身内に不幸がありまして」「北の舘の罪人」「山荘秘聞」「玉野五十鈴の誉れ」「儚い羊たちの祝宴」の5作品。※感想に若干のネタばれがあります。各作品がなんとか微かに繋がっているという連作短編集です。ほぼ全編、舞台が由緒ある旧家に絡んでいるという「お家」にまつわる物語なので、旧家のメロドラマ的な話が好きな人には垂涎の作品だと思います。大体の作品がひと昔前の少女小説のような語り口調なので、読んでいると脳内で旧家に生きる乙女たちのめくるめく世界が万華鏡のように繰り広げられること請け合いです。ただ注意が必要なのは、この旧家のメロドラマな作品でも作者が米澤穂信ということです。見た目も麗しい乙女たちの世界に油断していると、甘い砂糖菓子を食べていたつもりが実はとんでもない物を口にしていたというくらいの衝撃を起こしてしまうかもしれませんので、そこは心して読むことをおすすめします。ただ、桐野夏生とは違った黒さの漂う作品なので、好き好きが、はっきりと分かれる作品かもしれません。旧家ということで読んでいてなんとなく古い時代を思い浮かべてしまうのですが、よくよく注意してみると、若干無理はあるものの現代として読んでも十分物語が成り立つようにも感じます。もちろん大正や昭和初期の設定でも大丈夫なのですが。各作品の時代が曖昧なので、読者の脳内で自分好みの時代背景に設定して読むということも出来る作品です。旧家に生きる乙女たちの世界を堪能するも良し、ミステリの醍醐味である、どんでん返しの衝撃を味わうも良しの大変お得な作品です。「身内に不幸がありまして」ユニークなタイトルですが、決して軽い物語ではありません。夢野久作や江戸川乱歩などに造詣が深いと物語を深く楽しめそうです。作品の黒さは80パーセントでしょうか。「北の舘の罪人」旧家の物語にありがちな嫡子や庶子などが登場しますが、ミステリ色の強い作品でした。黒さ90パーセント。「山荘秘聞」なんとなくミザリーを思わせる物語でしたが、いろんな意味で意表を突かれた作品でした。黒さ30パーセント。「玉野五十鈴の誉れ」旧家を舞台にしたメロドラマでは(個人的に)必須とおもわれる登場人物、地獄の住人からもお断りされそうなくらいの生命力と絶対の権力を持つ、怖いおばあさん(祖母)が登場する物語です。黒さ50パーセント。「儚い羊たちの祝宴」絵画や海外ミステリなどの教養があると物語を理解しやすいと思われますが、その半面オチも容易に読めてしまう恐れがある作品です。黒さ70パーセント。
2010.05.14
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中学生の泉水子は世界遺産に認定される山奥の神社で祖父とひっそりと暮らしていた。ところが、ある日東京の高校へ進学をすすめられることになり…。いろんな意味で意表を突かれた作品でした。というのも、この作品を初めて目にしたのは近所の書店で、東野圭吾氏などの新作と一緒に平積みにされていました。表紙も酒井駒子氏の柔らかい感じの表紙だったので、きっと江國香織氏や野中柊氏などの作品のような少女の機微を扱った淡淡とした作品だとばかり思っていました。しかし、カバー裏に書いてあったあらすじを読むと内容はどうやら現代少女ファンタジーのよう…。まあ、ファンタジー好きとしてそれは嬉しい誤算でもあったので期待を込めて読み始めました。が、うん、なっていうか、いまいち作品の世界に入り込みづらかったです。どんでん返しが好きな自分としては、この作品は非常に分かりやす過ぎたというか…。なんだか、展開もファンタジーとしての設定にもあまり目新しさを感じることが少なかったのが、少々気になりました。冴えない主人公の正体や、主人公が今後くっつくであろう相手も読んでいて一目瞭然でしたし。あと、善か悪かを容易に線引き出来てしまうような登場人物達の分かりやすさにも物足りない感じがしました。なんとなく、小説というよりは漫画の方が向いているかもしれない作品だと感じました。あまりノリの軽くないライトノベルに近い感じです。そして、最も気になったのは主人公の少女の性格でした。儚そうなのに毒を持っている岩舘真理子氏の描く少女や、焦燥感や鬱屈した感情を持て余しながらも根底に漂うあの悲しさはなんなんだ!と言いたくなるような桜庭一樹氏の少女たちが好みの私としては、そんな少女とは全く異質な毒も負の部分も持ち合わせていない、この作品の少女に物足りなさを感じずには居られませんでした。まあ、これは私個人の好みなので、この作品の少女に魅力を感じる方も多いと思います。というか、私の好みの方がマイノリティだと思いますので。癖のない和風現代少女ファンタジーです。日本古来の山岳信仰が好きな方もおすすめです。中高生にもおすすめなので、親子で読んでも良い作品だと思います。
2010.05.05
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人里離れた場所にひっそりと佇む古い洋館。そこで暮らす四人の老人達。そこに一通の手紙が届く。「訪問者に気を付けろ」読書中、ベテランの俳優達が舞台で熱演しているのが頭に浮かんでくるような、そんな作品でした。閉じられた空間で、限られた人数が、過去に起きた事件をあれこれ話しながら、物語が進んでいくという実に恩田陸らしい作品です。イメージとしては「木曜組曲」に近い感じでした。同様に作品の舞台も登場人物たちも恩田作品らしさが漂っていました。著名な人物が所有していた古い洋館や、その洋館でひっそりと暮らす老人達など、地味で派手さはないけれど、全体に奥深さを感じる作品に仕上がっていたように感じました。そんなところから、最近の作者はもう恩田陸というジャンルを確立しても良いと思うくらい、イメージが固まってきたように思います。この作品はそんな恩田ブランドにかっちりと当てはまる作品なので恩田陸を読みたいと切望する人には、この作品は是非ともおすすめだろうと思います。ただ、やはりいつものように、途中までの物語の広げ方に対して結末の物足りなさや、恩田陸作品らしさが仇となり新鮮味がほとんどなかったのが、若干残念ではありましたが。良くも悪くも恩田陸らしい作品です。恩田陸が読みたーいと切望している方などに特におすすめです。
2010.04.25
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小学生低学年の頃、孤島で海水浴をしようというツアーに参加したことがあった。何かの懸賞で当たったそのツアーは、集合場所からバスと電車と船を参加者全員で乗り継いで行くというものだった。しかも、日帰りな為に移動時間に対して孤島での滞在時間はわずか1、2時間というこのツアーのメインはどこなんだろうとう疑問を抱かせる感じのツアーだった。そのツアーで私は移動の電車で席が隣になったマサミちゃんという女の子と仲良くなった。マサミちゃんは、私と同じく母親とそのツアーに参加していて、同い年ということもあって気が合ったのだ。親戚でも同級生でもない同い年の友達は小学生の自分にはとても新鮮で、一気に世界が広がったような気がした。マサミちゃんも同じように考えていたのか分からないが、私とマサミちゃんはそのツアー中ずっと一緒に行動し、おしゃべりを楽しんだ。そんな私たちは別れ際、住所を交換し合った。まだ携帯電話もメールもない時代だったので、これから私たちは手紙でやり取りをしようということになったのだ。そうして、私とマサミちゃんの文通は始まった。学校であったこと、習い事のこと、好きな芸能人のこと、私たちはそうやって手紙を通してお互いの近況を伝えあい、繋がっていた。そんな文通が1、2年ほど続いたころ、マサミちゃんからの手紙に理想の男性について次のようなことが書いてあった。「私の、りそうの男の人のタイプは、ダークスーツにサングラスが、にあう人です。」小学校中学年であった当時の私はマユミちゃんからの手紙に書かれたそれを読んで、とても衝撃を受けた。そしてとっさにこう思った。「マサミちゃん、一体どうしちゃったの?」その頃に私にとって理想の男性といえば、愛読していた少女漫画雑誌の「リボン」や「なかよし」の中に登場する男の子たちだった。ちょっと不良だけど根は優しいアイツとか、フェミニストで優等生だけど少し影がある彼とか、漫画のヒロインが恋する相手に自分もそのまま恋をしていたように思う。中学生や高校生になれば、私にもこんな漫画の世界のようなめくるめく恋愛模様が日々繰り広げられるのだと信じて疑わなかった。それだけ強固に私の心に食い込んだ少女漫画の世界は、当時の私の全てだったのだ。それなので、よりによって、理想のタイプがダークスーツって!!サングラスって!!と自分の理解の範疇を大きく超えたマサミちゃんの手紙に私が度肝を抜かれたのは言うまでもない。だって、間違っても当時の「リボン」や「なかよし」にダークスーツにサングラスの人なんて登場しなかったし。まあ、間違って登場したとしても、絶対、敵か悪役だったろうし。そしてそんな人とは、少女漫画のような甘酸っぱい恋は無理だろうし。マサミちゃん一体どうしちゃったの?何を求めているの?マサミちゃんが、マサミちゃんが見えないよ!!一緒に電車に乗って流れる景色を見たり、島でうきわに乗って海水浴をしたあのマサミちゃんが潮に流されて一気に遠くに行ってしまったような気がした。そのことが影響したわけではないのだが、ほどなくして私達の文通は自然消滅というありがちな経過を辿り、途絶えた。そして今、私はアラサ―になった。あんなに好きだった少女漫画も手に取らなくなって何年経っただろう。漫画のような恋愛はしょせんは絵空事なのだということも知った。だけど、未だに私はダークスーツにサングラスの魅力を感じる境地に辿りつけないでいる。まだまだマサミちゃんの近くには泳ぎ着けていないようだ。だけど、少しだけ分かったことがあった。ダークスーツにサングラスって、もしかして刑事のこと?それって、もしかしてあぶない刑事?ってことは、マサミちゃんの理想の男性は、舘ひろし!?桐野夏生「東京島」32名の者が流れ着いたのは無人島だった。しかも女はたった一人だけ。なかなか助けが来ない島で繰り広げられるサバイバルストーリー。この作者は現実にあった事件をモチーフにして作品を描くのがとても上手いと思うのですが、今回はその集大成とも呼ぶべき作品だったように思います。実在する事件をモデルにした今までの作品の場合、どちらかといえば、登場人物達の心理描写に重きを置いていたような気がするので、読後、全体的に陰鬱でドロドロした印象ばかりが残りがちでした。しかし、この作品では、もちろん作者特有の人の黒い部分の描写もしっかりしてドロドロ感は健在だったのですが、物語にも展開の早さと起伏があり、エンターテイメントとしても十分楽しめたと思います。孤立した場所で文明の利器を失い常に生きる為に努力しなければならない状況で、女がたった一人といういびつな環境。そこで、繰り広げられるサバイバルは、衣食住を確保するという生活の面だけではありません。生きるのに厳しい環境は人間関係の複雑な、もつれ合いにまで発展してゆきます。たった一人の女をめぐる争いはもちろんのこと、他者を暴力で抑え付けようとする者、支配力を手に入れようとする者、絶望に飲み込まれだんだん壊れてゆく者など、荒んだ心理のもとに繰り広げられるドラマは下手なホラー作品よりも怖さが漂います。たった一人の女である清子を始め、島の登場人物に善良な人が一人もいないのもこの作者らしいといいましょうか。危機的状況なのだから仕方がないにしても、みんな自分勝手で、平気で嘘を付くわ、人を出し抜くわで、正義感溢れるヒーローや心優しいヒロインが存在しない、この手の作品にしてはあまり類をみない物語です。しかし、桐野夏生の力量をもってすれば、こんな物語でも最後まで夢中で読めてしまうから不思議です。映画化されるそうですが、こんな自分勝手な登場人物達を魅力的に演じるなら、かなりの演技力を問われるかもしれません。極限状態の人々の心理を上手く描いた作品でありながら、読む人を惹きつけて止まないストーリー展開も併せ持った無人島サバイバル作品です。日常から離れたいけれど、甘いバカンスは求めていない方など、おすすめです。
2010.04.21
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刑事を休職中の主人公は、親戚の男に行方不明の婚約者を探してほしいと依頼される。※ネタばれ防止のため一部反転しているところがあります。ベストセラー作家である宮部みゆき作品の中でも一、二を争うくらい有名な作品です。カード社会の闇を描いたミステリです。さすが、ベストセラー作品だけあって読ませる力のある作品でした。六百ページに近い長編ながら、最後まで読者を離さない吸引力に満ちた作品だったように思います。ただ、この作品は熱烈にミステリ作品をもとめている人にはあまりおすすめ出来ない作品かもしれません。ジャンルとしてはこの作品はミステリの部類に入っているのかもしれないのですが、残念ながら作中のミステリ部分ではあまり目新しさや驚きがなかったように感じてしまいました。まあ、目新しさについては、この作品が大分前に出版されたせいだとは思います。今ではカードは誰でも持っているような存在になっていますが、当時はカード破産をミステリのテーマとして扱ったのは、斬新だったと思われますので。それから、驚きが少なかったのは、推理の核心部分である失踪した女性は何故そんなにも別人になりたかったのかが容易に予想出来てしまったせいでした。そりゃ、こんなにもあらすじに「カード社会の闇」や「自己破産」が書いてあったら、過去の自分を捨てたい理由は「お金の問題」以外ないだろうと誰でも思ってしまうでしょう。しかしながら、先の予想がついてもこんなにも読者の目を掴んで離さないのは、物語の組み立てが秀逸であるからだろうと思われます。読み進めてゆくと、ちょっとずつ真相が見えてくるという小出しの加減が絶妙なので真相が大方予想出来たとしても、ページをめくる手が止まることはなかったです。個人的にはラストが若干中途半端な気がしたのですが、作者は犯人が最後まで登場しないミステリを書こうとしていたとすれば、納得のラストだと思います。この作品を犯人が登場しないミステリだとしてみると、ミステリ界では相当斬新な作品だったのだと思います。この作品は言ってみれば失踪した女性をひたすら追い求めるというシンプルな物語なのですが、その物語の中心でもある失踪した女性は最後まで登場せず、周りの人達が語る人物像のみでその女性を浮かび上がらせています。その手法で、なんとなく三浦しをんの「私が語り始めた彼は」を思い起こしてしまいました。個人的にはこの二つの作品では、宮部みゆきの方がこの手法を上手に扱えているように感じました。もし「火車」の内容をそのまま表わしたタイトルを付けるとしたら「私が語り始めた彼女は」しかないのではと、勝手に思ってます。そんな失踪した女性に焦点が当たった作品なのですが、失踪した女性を探す理由を現実問題として考えてしまうとこの作品に入り込みづらくなる恐れもあります。物語の途中で女性を探す必要がなくってしまったのに、手間暇かけて必死で捜索を続ける主人公に疑問を覚えてしまう人もいるかもしれません。そうなった場合は、ホラー映画で絶対怖い目に逢うと分かっているのに、主人公が怪しい所にわざわざ出向いてしまうことに疑問を持たないような寛容さと、「家政婦は見た」のような野次馬根性を持って読み進めることをお勧めします。そうすれば、読者とともに主人公が追っていたものは、雲のようなものではなく、もっと暗く底のない闇のようなものだったことに気付くという、背筋がヒヤリとするような体験を味わえるはずです。
2010.04.14
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庵堂家は遺体から日用品を作り出す「遺工」を生業にしてきた。そんな庵堂家は父親の七回忌にバラバラだった三兄弟が集まることになる。日本ホラー小説大賞受賞作です。遺体から日用品を作り出す「遺工」を生業にしている三兄弟の物語です。ホラー大賞というからにはジャンルはホラーになると思うのですが、この作品において唯一ホラーと呼べるのはその「遺工」の部分のみに限るような気がします。遺体を加工するので、もちろん作中に遺体を切ったり剥いだりという描写がこれでもかと登場するのですが、それはあくまで職人として行っていることなので残虐的な印象はほとんど受けません。ですので、全体的に見てもこの作品はホラーの雰囲気があまり感じらないと思います。さて、ストーリーですが、その「遺工」を中心に三兄弟それぞれの視点で語られながら物語は進行してゆきます。若干引きこもり気味ながら寝る間も惜しんで家業に没頭する長男、家業と二人の兄弟に溝を感じてしまう次男、直情的で口が悪いながらも惚れたら一途な三男など、個性的な登場人物達がそれぞれ抱える問題に直面してゆきます。読んでいて感じたのはこの三兄弟は家業が家業なだけに、一見変わり者じみて見えるのですが、中身は至極まっとうだ、ということでした。それぞれの抱えている問題にしても、普通に生きていれば誰しもが何かしら直面しそうな問題でしたし。それだけに読んでいて共感しやすいと言えばそうなのかもしれませんが、その物語と「遺工」があまり噛み合っていなかったよう気もしました。そんなことから、それならいっそ職業は「遺工」でなくとも良かったのでは?このストーリーなら「和菓子職人」でも「古道具屋」でも良かったんじゃ…などと臆面もない思いを抱いてしまいました。もうちょっとこの奇抜な発想である「遺工」を生かした物語があったらもっと引き込まれたような気がします。そうなんです…。読んでいてとても不思議だったのは、この一見完成された作品に吸引力があまり感じられなかったということでした。この作品は良いか悪いかで言えば、良い作品であることは疑いのないことだと思います。しかしながら、そんな良作にも関わらず、個人的には読んでいて何故かあまり物語に引き込まれませんでした。ページをめくる手を止められないということもなかったので、良く言えば時間の有る時に少しずつ細切れに読めた、とも言えるのですが。とはいえ、この作品で文章の方は全く問題ないと思います。少しライトノベルを感じさせる軽いタッチの文章だと思いますが、書きなれた印象を受けるので伝わりやすい文章だと思います。そして主人公達の心理描写も丁寧ですし、遺工の工程も実に詳しく描かれています。この作品は文章や舞台、登場人物に関しては新人らしい初々しさや青さは、ほとんど感じることなく安心して読むことができました。しかしながら、この作品は奇抜な舞台と設定、細やかな人物描写に支えられながらも、物語が主人公達のまっとうな成長物語になってしまった為なのか、淡々とした印象しか残らなかったような気がします。やっぱり、ホラーを念頭に置いて読んでしまったので、起伏に富んだ物語を求めてまったのがいけなかっただと思います。読んでいて思わず「逃げて~」と叫びたくなるようなはらはら感もなく、最後の最後で思わず「あ!」と漏らしてしまうようなどんでん返しもなく、数々の伏線がやがて一つに繋がってゆくそう快感もなかったので、起伏の乏しいストーリーのように感じていまいましたので。最初からホラーではなく、成長物語だと認識して読めばもっと違った読み方ができたかもしれないと思います。ただ、ストーリーは物足りないとは言っても、この三兄弟が自分の好みにかっちりとハマれば、読むことを止められない作品になると思いますので、この作品はストーリーよりもまず三兄弟に注目して読んだ方が良いかもしれません。最近まとまった時間が取れないのでちびちび読みたい方や、三度の飯より三兄弟が好きと言う方などに、おすすめの作品です。
2010.04.05
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大学生のヒデは年上の恋人である額子と自堕落な日々を送っていた。この作品はタイトルでもある「ばかもの」主人公ヒデの二十歳前半からの約十年間を描いた作品です。この作品に登場する「ばかもの」という言葉はいくつもの側面を持っていて、ネガティブだったりポティジブだったりと、その場合によって意味合いが変わって来ます。作中の主人公の変化に伴ってその「ばかもの」が表わす意味も変化してゆきます。さて、この作品ですが、始まりは強烈です。のっけから「良い子は読んじゃ駄目」的な展開で始まるので、果たして最後までずっとこんな感じなのだろうかと少々不安を覚えてしまうかもしれません。まあ、読み進めていくと、そんな不安もなくなってくるのですが。最初の自堕落大学生ヒデは、「ばかもの」でも、まだかわいい部類の「ばかもの」だと思います。若気の至りゆえ仕方ないなと苦笑いが漏れながら読むことが出来ますので。それが社会人になるにつれ、ヒデの「ばかもの」ぶりは救い様のないものへと変化してゆくことにまります。果たしてこの救いようのない「ばかもの」は良い意味を持つ「ばかもの」へと変わることは出来るのかどうか。それにしても、この作品で読んでいて強く印象に残ったのは、救いようのない「ばかもの」ヒデの場面でした。こんなどうしようもない主人公では読んでいて辛いし見捨ててしまいたいという気持ちになりそうなものですが、そこはさすがこの作者といいましょうか、思ったほど嫌な感情も不思議と見放す気持ちも湧き起こって来ないのです。だからと言って、主人公に共感出来ないとうわけでは、決してないのですが。それはきっと、こんな駄目な主人公でも彼が内面にもつ「行き場のない思い」を持て余しながら、もがき苦しんでいる様子を、作者がきちんと掬いあげて描いているからなのだろうと思います。この辛い場面でも、作者の優しさが文章から感じられるからこそ後味も悪くなく読むことが出来るのでしょう。この場面を読んでいて結局生きていくということは、この「行き場のない思い」と、どう向き合うかなのだなと大切なことに気付かされます。そして、文章も相変わらず素晴らしいです。何故、こんな少ない文章とやさしい言葉で、物事に深く切り込んだ表現をできるのだろうかと、感心せずにはいられません。何よりも読みやすいですし。重く苦しいテーマである「行き場のない思い」を描いていても、作者のこの文章のおかげで、作品が柔らく心にしみ込んでくるように思いました。この作品は前に読んだ「ラジアンドピース」ほど開けた終わりではなかったけれど、個人的には良い終わりだったと感じました。なんと、映画化もされるようなので、公開される前に読んでみてはいかがでしょうか。
2010.03.20
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契約社員として働くナガセは、ある日、世界一周旅行の費用と自分の仕事の年収163万円が同じであることを知り、その費用を貯めることにする。第140回芥川賞受賞作です。初めて読んだ作家さんでした。この作品は芥川賞受賞作の「ポトスライムの舟」に加えて「十二月の窓辺」の二つが収められています。どちらも働くということを軸に、主人公の心情を描いた作品で、ページ数もだいたい同じくらいという大変似た作品です。しかし二つの持つ雰囲気はだいぶ異なるものでした。「ポトスライムの舟」は淡々とした雰囲気でいつの間にか読み終わってしまうという印象なのに対して、「十二月の窓辺」は初めから重厚で重苦しい雰囲気が漂っています。途中で読むのを止めたくなる程、深く重く心に切り込んでくる作品でした。だからといって、「十二月の窓辺」が決して悪い作品というわけではありません。寧ろ私はこちらの方が強く印象に残りました。芥川賞に代表される純文学作品は人間を深く追求していくことがテーマだと思うのですが、その中でも究極のテーマは「自分は何故人に嫌われるのか」ではないかと個人的には思っています。こんなとてつもなく苦痛の伴うことは、出来れば誰もしたくないことでしょう。そんな究極に自虐的なことを笑いに持っていくようなこともせずに、真摯に描き切るのは作家さんにとっては苦痛と勇気の伴う作業だと思います。最近の芥川賞作家では綿谷りささんが「蹴りたい背中」でそれをしていたように感じました。「ポトスライムの舟」がさらっとした印象だったので、まさかこの作者が「十二月の窓辺」で、その作業をするとは思っていなかったです。綿谷りささんはこの究極のテーマを学校という世界で、津村記久子は仕事を通して描いたように感じました。しかし、個人的に何が悲しいかといえば、作家がこんな身を削るようなことを書き上げても、それで作品の売り上げが伸びるというわけでもないということでしょうか。まあ、こんな自虐的で暗いテーマを積極的に読みたいと思う人はあまりいないのは仕方がないことだとは思うのですが。こういった作品は芥川賞に選ばれなければ、あまり日の目をみないだろうと思えば、芥川賞の必要性がわかります。以上から、「十二月の窓辺」は文学的には非常に優れた作品だと思うのですが、終盤は少し不満が残りました。何故かと言えば、途中までは読むのが辛くなるほど、リアルすぎて重く心に響く雰囲気だったのに、終盤から結末にかけて、リアリティからどんどん遠ざかっていったように感じてしまったからです。うまくまとめる為に、あんな展開にしてしまったのでしょうか。ちぐはぐな印象を受けました。働くことについて、雰囲気の違う二つの作品が収められた作品です。読後感の良い作品とは言い難いですが、仕事を通して自分を見つめる為に読むのも良いのではないでしょうか。
2010.02.19
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小学校1年生の時だったと思う。家が近所の同級生さおりちゃん(仮名)に近道を教えたことがあった。近道は学校からの帰り道にある駐車場の奥にあった。そこの垣根を潜ると私とさおりちゃんの家のすぐ近くにあるお菓子屋の裏手に出ることが出来るのだった。私は、嬉々としてさおりちゃんにその道を教えた。「秘密だよ」「うん、秘密ね」私達はくすくす笑い合い、指切りをした。翌日、下校途中に私はその駐車場でさおりちゃんとゆみちゃん(仮名)が垣根を潜るところを目撃することとなる。しかも、そのとき私に見られていることに二人が気付き、「やべぇ!」という表情であわてて逃げ去って行くというおまけ付きで。垣根の向こうに消え去ってゆく二つの赤いランドセルを茫然と見ている小学1年生の私。思い起こす限り、あれが人生初の「裏切り」だったと思う。その出来事に起因してなのか何なのか、私は人より少々、いや、かなり?疑り深い性格だ。何も全く信用しないというわけではないのだが、いつも悪い方へと必要以上に想像力を働かせてしまいがちになる。「人を見たら泥棒と思え」という実に物騒なことわざもあるが、「疑心暗鬼を生ず」や「七度尋ねて人を疑え」ということわざからもあるように、あまり疑り深くても人生において良くない結果をもたらすことも確かなのである。私も出来ることなら信頼において何事とも繋がりを持ちたいとは思うのだが、いかんせん、子供の頃からの性格なのでなかなか改善することが出来ないのが実情だ。しかも実際そのせいでしばしば、困った事態にも遭遇することにもなる。そして今、直面している問題というのが、「鍋つかみ」との信頼関係について、である。それは人からのいただきもので、カエルを模したシリコン製のユニークなデザインの鍋つかみである。今まで使っていた布製の鍋つかみに比べて、そのシリコン製は薄くて物が掴みやすく、しかも滑りにくいという利点まであるので、是非ともじゃんじゃん使い倒してみたいとは思うのだが、未だそのシリコンカエルに出番はない。それというのも、こんなペラペラのシリコン製で果たして熱い物をつかむことが出来るのかと疑いを持ってしまうからである。今まで使用していた布製の鍋つかみでさえ、テキパキ作業しないと熱がじわじわと手のひらに伝わってくることがあった。それが、こんなペラペラしたシリコン製で本当にアツアツのグラタン皿をオーブンから取り出すという作業をこなすことが出来るのだろうか、などと疑ってしまう。なので、どうしてもそのシリコン製の鍋つかみ一つで灼熱のオーブンに飛び込む勇気が持てないのだ。シリコンカエルが「トラスト ミ―!」と訴えかけているようにも思えるのだが、私にはどうしてもトラスれない!とうわけでシリコンカエルの熱い視線を感じながら、今日も布製の鍋掴みとともに、熱いオーブンへ挑む日々である。「ゴールデンスランバー」伊坂幸太郎仙台でパレード中に首相が何者かに暗殺される。主人公はその濡れ衣を着せられ逃亡することになる。映画化もされ何かと話題のこの作品。やっと読み終えました。作者の今までの作品の素晴らしい所だけを集めて濃く濃く抽出したような、なんとも贅沢な仕上がりの作品でした。ストーリ自体は、無実の罪を着せられた主人公が逃亡するという、ありがちな設定なのですが、そこはさすが伊坂幸太郎氏です。個性的な登場人物達と交錯する過去が物語を盛り上げ、各所に散りばめられた伏線を経てやがて一つに繋がってゆくという様が相変わらず見事で、最後まで一気に読めてしまうと思います。そしてなによりも、この作品は物語の伏線の為に様々なエピソードがあるという感じがしなかったことが素晴らしいと思いました。もちろん各所に伏線は張り巡らされているのですが、たとえその伏線を抜いたとしても、それはそれで深い意味が感じられるエピソードが多かったのも良かったと思います。登場人物達のユーモアなやり取りや行動に伏線の為という不自然さを感じることなく読め、仲間達が見えないところで信頼し、繋がっているという感じも伝わってくるので自然と胸に迫って来るものがありました。※以下若干ネタばれ防止のため、注意ただ少し心残りは、この事件の首謀者について、なんとなくうやむやなまま終わっていたということでしょうか。私的にはそこまではっきりとしていれば、すっきり終われたような気がしたのですが、この作品はあえてミステリ色を濃くしてない気もするので、もしかしたらそれは作者の意図するところなのかもしれません。確かにこの作品はミステリという方角から少しずらして書かれているようにも感じます。逃亡というハラハラと、信頼を経て人と繋がるという温かさの二つが味わえる、まさに外はカリっと中はふんわりのような贅沢な作品です。映画を見た人も、まだ見てない人も是非おすすめの作品です。
2010.02.11
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終業式のホームルーム、クラスの生徒の前で女性教師は語り始める。「娘はこのクラスの生徒に殺されたのです」近所の図書館で予約件数が三ケタ超えの大人気のこの作品。念願かなってやっと読むことが出来ました。最後までページをめくる手を止められなくなるという評判通り、一気読みでした。この作品はある事件について、各章違った登場人物達がそれぞれの視点で語っていくというスタイルを取っています。そのため、一つの事件が様々な角度から映し出されているので、最後まで飽きることなく読むことができます。細かくアラ探しをしてしまえば、若干腑に落ちない所や矛盾点がないとはいえません。けれど、非常に読みやすい語り聞かせや、事件の新たな側面が徐々に判明していくというスタイルが読者を離さないので、そんなことに気を取られずにあっという間に最後まで読めると思います。内容は人間の黒い部分に焦点があたっているせいか、ドロドロとしているのですが、この作品は桐野夏生ほどその黒さを追求していません。この作品は登場人物の内面よりも、どちらかと言うとストーリーの方に重きを置いているので、あまり重苦しさを感じないと思います。そこを薄いと感じる人もいるのかもしれませんが、しかしその分、万人受けしやすい作品になっているように感じました。最後までノンストップで読めてしまう素晴らしいミステリでした。是非時間のあるときに一気に読むことをおすすめします。
2010.01.28
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とことん不運で不器用な女、幸江。そんな幸江が惚れた男は無職で博打好きな男、イサオだった。上下巻完結。前々から評判は聞いていました。いやでも、ないないないない、それはありえない。四コマ漫画で感動して泣くなんてことは絶対ありえない!と、頑なに思ってました。それでも一応、この作品を読んだことのある友人にそこのところを確認してみたところ、その友人いわく「私もね、最初それはありえないことだって思ってたんだけど、でもね、なんか泣くんだよね」とのこと。これはもう自分で確認してみるしかないと、早速読んでみることにしました。で、結果なんですが…。もうね、泣きます。存分に泣かせていただきました!いや、本当に評判通りでした。この作品は、まさしく、まさかの泣ける四コマ漫画でした。といっても初めから泣ける要素がてんこ盛りというわけはありません。本を開いて数ページ読んだだけでは、本当に泣けるのだろうかと、まだ半信半疑だろうと思います。だって、まず漫画として重要な絵柄が、イマドキの絵ではないですし。そして内容も、まあ四コマなので基本ギャグなのですが、それがとことん不幸な幸江を題材にした自虐的な笑いなのです。カラッとした笑いでないことは確かで、万人向けの笑いとは言い難いわけです。しかも、上巻いっぱい感動も特にないままその自虐的な笑いだけが続きます。その笑いだけでも決して面白くないわけではないのですが、そこまで読んだ限りでは、感動もそして笑いにおいても特に評判になる程には感じないと思います。しかしそれがやがて、下巻に差しかかりしばらくした頃に物語が一転し、目が離せなくなっていきます…。人は誰しも幸せになりたいものだし、幸せを求めない人なんていないんじゃないだろうか。この作品の主人公、不運で不器用な幸江もそれは同じで、空回りしながらも精いっぱい幸せを求める。そんな、とことん不幸な幸江が終盤にかけて、その答えを見つけ出していきます。そして、最後のページをめくる頃には震えるような感動が待っています。病気で死ぬなんていう展開を用いなくとも、こんなに人に深い感動を与えられる作者の才能に脱帽です。しかもまさかの四コマ漫画で。絵や内容で読むことを避けていたらもったいない作品です。幸江と一緒に幸せや不幸せの意味を考えてみませんか?是非読んで下さい。おすすめの作品です。
2010.01.20
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季節が不規則にめぐる異世界。そこで王座を巡って繰り広げられる壮大な物語。読書の持つ素晴らしいものの一つに別の世界へ連れて行ってくれる、いわゆる現実逃避がありますが、その最たるものにファンタジーなるジャンルがあります。架空の世界で繰り広げられる壮大な物語。凛々しい騎士と美しいお姫様の恋、伝説のドラゴン、王座をめぐっての権力争い、政略結婚に秘められた出生。この作品はそんなものが全て入ったコテコテのファンタジーなわけですが、架空の物語とか夢物語など甘い気持で現実逃避させてはくれないほど、重厚で厳しくも複雑な世界が繰り広げられています。なにせ巻末に有る付録のページ数の多さからもわかるように、登場人物がハンパないくらい多い。「△△家の○○という登場人物は□□家から嫁いできて、××家の☆☆とは姉妹同士で」など、ことこまかに記載されており、幸楽や岡倉家どころじゃないくらい複雑な人間関係が繰り広げられています。さらに各章ごと複数の視点で語られていくというスタイルがとられているので視点がころころと変わり、物語に入り込むまでに若干敷居が高めです。ですが、そこに慣れてくると、この決して甘くはないが生々しいまでの死や生をも感じさせてくれる作品の世界にハマってしまいます。イギリスの薔薇戦争をモチーフに描かれたとあるだけに、登場人物や設定、展開がとても緻密なので三国志なども彷彿させられます。ファンタジー好きはもちろんのこと、歴史好きの方にもおすすめかもしれません。なんて熱く語っておきながらも、実は私は作品の登場人物が半分も頭に入っていないという体たらくでして、決してディープなファンではないのですが。けれども私みたいにスターク家とターガリエン家とラニスター家くらい覚えているだけでも作品は十分楽しめるので、あまり力を入れずに気軽に手にとってもらいたい作品です。このシリーズはどうも全七部らしいのですが、現在、「七王国の王座 上下」「王狼たちの戦旗 上下」「剣嵐の大地 上中下」「乱鴉の饗宴 上下」の第四部まで出版されており、本当にあと三部で終われるのかと思うくらい盛り上がっております。毎回良い所で終わっているので、とても続きが気になるのもこの作品の魅力の一つです。いつも読み終わって真っ先に思うのはただひとつ「次回作も必ず読む!」ハマったら決して読者を離さない作品です。重厚で壮大な世界へ現実逃避したい方など、是非おすすめです。
2010.01.13
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美しい母マコとその娘のコマコは安息の地を求めて旅を続ける。直木賞受賞後の作者渾身の書き下ろし長編なので、ずっと読みたかった作品でした。やっと読むことが出来ました。今回も期待を裏切らない出来だったと思うのですが、今までの桜庭作品とは少し違ったような印象を受けました。違うといっても雰囲気や文章などに見受けられる作者の世界観は健在です。ですが、これまでの桜庭作品に共通してきた作者の焦点が少し変わって来たような気がしました。これまではミステリ要素を含んだストーリーや少女達の焦燥感や鬱屈した思いを込めた魂の叫びのようなものを「語る」ことに重きが置かれていたような気がしたのですが、今回はそれらがあまり重要視されていないように感じました。さて、内容はというとこの作品は第二部構成になっていて、第一部は「ファミリーポートレイト」として母親と娘が逃げるように旅をする物語になっています。この第一部だけを見ると以前の桜庭作品と違った印象を強く感じることはないのですが、若干気になったことはありました。それは以前からも時々作品に登場していた設定や展開にある不条理さについてです。現実的な物語の中にふと存在する現実離れしたところ、多分これがこの作者を好きか嫌いかに分けている要因になっているのだと思いますが、個人的にはこの不条理さは好みで、これこそが桜庭一樹の物語たらしめているところだと思います。そうなのですが、今回はその作者の個性ともいえる不条理さが、かなり顕著に物語に存在しているように感じました。不条理さ好みの私でさえも少々やり過ぎなではと感じるくらいでした。こんなに多いと不条理が現実を打ち負かしてファンタジー化してしまいそうです。以前はあった現実と現実離れした不条理の絶妙なバランスがここでは失われてしまっているような気がしました。もしかして作者は意図的に物語を現実離れさせることにより夢か絵空事感をだしているのかもしれませんが、それにしてもなんとなく今までの作品にはない不安定な印象を受けてしまいました。※以下若干ネタばれ有りますので注意第二部では母を失ってからの娘の余生とも言える約十七年間を「セルフポートレイト」として描います。この第二部では特に印象に残るような展開や設定がほとんどないように感じます。作者は以前の桜庭作品にあったミステリ要素のストーリー展開や少女の魂の叫びなどを語るという作業をここではあまりしていません。ここでは作家になった娘の、物語を生みだす作家としての苦しみに焦点があたっているのです。そのせいで、第一部に比べて主人公の心情の語りが非常に多いと感じます。第一部に比べてこの第二部は圧倒的に言葉に力強さはあるのですが、文章に力が入り過ぎているような印象も受けてしまいました。なんとなく第一部の不条理さの多さといい作者がこの作品では客観性を失い気味のような気がしてしましました。主人公の境遇が作者の状況をなぞらえているようで、主人公が作者の分身のように見えてしまい感情移入しづらいのも気になりましたし。以上を踏まえると、なんとなく作者はこの作品を描くことによって慣れ親しんだフィールドから新たなフィールドへ幅を広げようとしているような気がしました。ですので、「ファミリーポートレイト」は作者のターニングポイント的な作品になるのではないでしょうか。今までの作品を点とすればこの作品は恐らく線。以前の桜庭作品と、今後進化するであろう桜庭作品をつなぐものがまさにこの作品のような気がします。次の新たな作品をつなぐ為のこの作品。作者が今後どう進化してゆくのか想像しながら読んでみてはいかがでしょうか。
2010.01.09
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現在第1集、第2集まで出版されており、「スピンドル」「クアルプ」「ぺトラ・ゲニタリクス」「うたぬすびと」の4つの話、他2つのおまけ有り。魔女を題材にして、時代や国を超えた短編集です。初めて読んだ作者でした。恐らくこの作者はマニアックな部類に入る漫画家ではないかと思われます。なにせこの作者の作品は某「遊べる本屋」では頻繁に見かけていたので。それだけに、内容はマニアックではあるもののイマジネーションを大いに刺激されるものだったと思います。なんといってもこの作者の絵ですね。作者はどうも男性のようなのですが、ぱっと見は少女漫画のような線の細い絵で、これと言って絵に特徴があるというわけでもないような気がしてしまいます。しかし、その一見地味目な絵の各所に、はっとさせられる絵が存在するのです。その絵がこの漫画の世界を奥深いものに印象付けているように感じました。ただ、それだけに全体的に見て絵の持つインパクトに対して世界観やストーリーのインパクトは薄かったのが残念でした。シンプルといえばシンプルな作品なのですが、読み込めば世界の奥深さも味わえる作品です。イマジネーションを刺激されたい方などにおすすめの作品です。「スピンドル」巨大な首都にある市場、そこに魔女は復讐を果たすべく降り立つ。時を同じくして遊牧民の少女も導かれるように市場を目指す。異国情緒溢れ、ごちゃごちゃした様子の市場や素朴だけれど聡明な少女など、世界観、登場人物など、なんとなくジブリ作品を思い起こさせる感じでした。エグイ所も多いので少々エグイジブリといった感じでしょうか。好きな人にはすこく好みの話だと思います。ただ、魅力的な世界観の割にはストーリーに意外さは、ほとんどなかったです。「クアルプ」熱帯雨林を住処にする部族に開発の手が伸びる。全てを失った呪術師の女は精霊に「癒し」ではなく「復讐」を呼び掛ける。ストーリーらしいストーリーは、ほとんどありませんでした。しかしその分、最も絵が印象的で力強かったように感じました。これは絵で読ませる話です。「ぺトラ・ゲニタリクス」北欧の小さな村で暮らす少女と「大いなる魔女」と呼ばれる女。宇宙で起こった事故が二人の運命を変えてゆく。絵とストーリーの割合のバランスが良かったように感じました。登場人物も魅力的でした。一番「魔女」のタイトルにしっくりくる話だったように思いました。「うたぬすびと」舞台は現代の日本。女子高生の主人公は、ふと飛び乗った船で女から聞いた特別な島を目指す。この物語は最もストーリー性のある話だったと思います。登場人物の心理がうまく書けていたり伏線なんかがきちんと張られていました。ただその分、絵は他の作品と比べてあまり印象に残らなかった感じがします。
2009.12.30
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やっと読むことができました。村上春樹の作品であるのと最近長編を読んでいなかったせいで、読むのに多大な集中力と体力を要しました。さすが村上春樹です、少しも読み飛ばせないくらい濃く深い作品でした。しかし、これはあくまで私個人の村上春樹を読む時の姿勢であって、この作品はあまり深く追求せずに物語を追うだけでも、十分に楽しめるものになっています。そうなんですよね~。こういうところが村上春樹が多くの人達に読まれるゆえんなのではないのかと思うのです。物語だけでも楽しめるし、内容を深く掘り下げても満足出来る。さまざまな読み方が出来るという間口の広さがベストセラーになる要因なのではないでしょうか。※以下の感想に若干ネタばれが含まれているので注意して下さい。さて、内容ですが今回は青豆と天吾という二人の主人公が登場します。二人の話が交互に語られやがて一つに繋がってゆきます。こういった複数のストーリーがやがてひとつに繋がってゆくという展開は割と好みなのですが、内容や世界観を深く掘り下げると、作品の根本は「ねじまき鳥」に近い印象を受けます。なんとなく今までの村上作品の要素を作品のあちこちに散りばめた様な感じもしました。そういう意味では、新しさや斬新さを問われるとこの作品は少々弱いかもしれません。まあ、逆にそれだけ村上春樹の世界がしっかり出ているとも言えなくはないのですが。ただ、新しさを感じるところも登場人物や設定に、ちらほらあることはあったのです。まず、斬新な登場人物としては主人公の青豆でしょう。奇抜さでいえば、独特な雰囲気を持つ「ふかえり」なんでしょうが、彼女はなんとなく加納マルタ、クレタや「ダンスダンスダンス」のユキなどの村上作品にはたまに登場する普通の人には感じ取れない能力を持つ登場人物に近い気がします。それに対して青豆は体を鍛えることと護身術を愛するスポーツウーマンで、なおかつ職業は殺し屋という村上作品にはあまりお目にかかれないストイックな精神に非現実的な職業を持つ登場人物だったと思います。そして驚いたのは、設定が「初恋の人をお互いにずっと想い続けている」という昔の少女漫画や、はたまた昼メロのような実に現実ばなれしたファンタジーになっていたということです。みんなが夢見ているけれど、実際には起こり得ないと分かっていることをまさかの村上作品でお目に書かれるとは!しかし、そこはさすが村上春樹ってなもので、さほど違和感を感じずに最後まで読めてしまうので不思議です。物語の面白さ内容の奥深さ、どちらをとっても満足のいく出来なのですが、若干消化不良なところもありました。天吾の母親の詳細が未解決なことや安田恭子に起こったこと、結局「リトルピープル」の正体とは?といったことです。でもどうやら続きが出るようなのでそちらでこれらが解消されることを期待しています。しっかり村上春樹ワールドしていて、内容も奥深く、それでいてストーリーだけでも面白く読めます。読んで損はない作品です。全ての人におすすめです。一度読んでみてはいかがでしょうか。
2009.12.22
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京大に入学した主人公は、ふとしたことから、謎の競技「ホルモー」に参加することになる。この作者の作品がドラマ化や映画化もされ何かと話題になっていたので、ずっと読んでみたいと思っていました。設定が奇抜だという評判をあらかじめ耳にしていたので、「ホルモー」の設定に対しての驚きは正直あまり感じませんでした。そうすると、この作品の最大の持ち味である奇抜さ生かされないので楽しめないかと思いきや全くそんなことはなく、青春小説としてとても面白く読むことができました。読んだ後にこんなに清々しい気持になった作品は久しぶりでした。ただ、文章は個性的な表現を多用していてユーモアなのですが、最近の流行りなのか分かりませんが、こういった文章にあまり新鮮さは感じませんでした。というかちょっと食傷気味ですらあります。なので、この作品は文体で味わう独特の世界観をあまり感じなかったので、映像向きな作品のような気がします。奇抜な設定を今のCG技術を駆使して視覚化した方がもしかしたら、イメージが伝わりやすいのではないでしょうか。映画化もされているようなので、そちらも是非観てみたいと思いました。極上の青春小説です。大人から子供まで青春を存分に味わいたい方、是非おすすめです。
2009.12.08
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「大人の階段登る」とか「恋が愛に変わるとき」とか、人って日々成長するものだ。何か大きな起点があってオセロをひっくり返すようにパタリと一気に成長することもあれば、知らぬ間に少しずつ成長してある日振り返ってみれば、「ああ、私大人になったんだな」としみじみ感じ入ることもあるだろう。さてさて、話は変わって最近めっきり寒くなってきました。寒くなってくると当然体が冷えることもしばしばです。体が冷えると当然お腹も冷えるわけであります。お腹が冷えれば、きゅるきゅる、ごろごろとお腹の調子が芳しくなくなるわけで。そうなると、突発的にトイレに駆け込む事態になることも多いかと思います。そうです、あれ辛いですよね~。あれ。腹痛?お腹下す?いえいえ、ぼかさず言えば下痢です。下痢、辛いですよね。よく人の痛みは誰にも測れないといいますが、あの下痢時の腹の痛みは世に数ある肉体の痛みのなかでも最高に近いのではないかと個人的には思われます。ひどい時には痛さのあまり意識を失いそうになったことさえあります。それに下半身丸だしで便座に腰かけながら激痛に耐えなければならないという情けなさも加味されて精神的にも痛さの度合いは最高潮に達するのではないでしょうか。しかも、この下痢とやらは最高に痛いし情けないのにも関わらず普通に生きていれば、誰もが一度は経験するであろうポピュラーな状況。そう、普通にいつ、誰にでも起こる現象なのです。自分自身はもちろんのこと、大切な人々、家族や友達、またはペット、そして、そして好きな人や恋人にでさえ。で、ここまで引っ張って一体なにが言いたいのかと申しますと、こういうことなのです。「あなたは、好きな人や恋人の下痢は許せますか?」下痢といっても好きな人や恋人が過去に下痢したとか、伝聞で耳にしたときは除いて下さい。ここでいう状況は好きな人や恋人と二人でいるときに突発的に相手が下痢に襲われた時として下さい。「いやいや、自分の好きな人や恋人はおしっこもしないし」とか逆に「いやいや、下痢なんか全然オーケー。寧ろ興奮するくらいだ」といった極端な意見もここではふれないことにします。さて、好きな人が下痢になったら?私ももうアラサ―。ドモホルン○ンクルのCMなんかもやけに気になったりする年齢です。なので許すも許せないも恋人の下痢くらい、バッチ来い!てな感じで問題なく受け入れられます。もし二人でいるときに突発的に恋人が下痢になったとしても「大丈夫?」と心配100パーセントで気遣うことが出来ます。恋人を好きな気持ちに下痢はなんら影響を与えません。でも思い起こしてみると、私は昔からこんな感じだったのだろうか?恋人や好きな人の下痢という状況を右から左へ流すようにすんなりと受け流すことができただろうか?思い出すのは小学校の遠足のこと。好きだったクラスメイトの男の子がバスに酔って吐いてしまったのだ。しかも私はその時風邪で遠足に参加していなかったのでそのことは後に人づてに聞いたのである。しかし、私はその話を聞き即効でその男の子を嫌いなった。ゲロでさえこんなんなら、きっと下痢だったなら小学生の私は受け入れることなんて到底無理だろう。嫌いになるどころか口さえ利かなくなりそうだ。酷過ぎるよー!!小学生の私!自分だって乗り物酔いするくせに!お腹弱いくせに!一体何様のつもりなんだ自分!思い出すだけで昔の自分の薄情さにほとほと嫌気がさしてくる。それでも当時の私は好きな人の下痢を受け入れられなかっただろうと思う。ほとんど確信に近い感じでそう感じる。さて、中学生の自分である。思春期で中二病真っ只中で、夜更かししてポエムなぞをしたためていた当時の自分も好きな人の下痢を受け入れることは無理だっただろう。甘酸っぱい妄想の世界に生きていた中学生の私は好きな人と下痢という単語を並べることでさえ出来なかったのではないだろうか。なのでもし好きな人が目の前でお腹を抱えてトイレに駆け込んで行ったら、二秒もかからずに嫌いになっていたような気がする。本当に、なんて慈悲のかけらすらない中学生の私だろう。それでは、いつ頃から変わってきたのだろうか。思い起こせるのが高校2年くらいの頃だったと思う。漫画「ブラックジャック」を読んでいたときのこと。「ブラックジャック先生すごいな~、神だな~」とブラックジャックの凄腕に讃嘆して憧れさえ抱いて読んでいた私はある場面で衝撃を受けることになる。それは、ブラックジャック先生が山奥で一人きり具合が悪くなったときのこと。あまりの痛みに動けなくなり人一人いない山奥で下山も叶わす誰にも助けを求めることの出来ないブラックジャック先生は、なにせ凄腕なのでなんと自分で自分を手術するという荒業にでるのだ。そこでブラックジャック先生はまず具合悪さの原因を突き止めなければならないと、自分の下痢した汚物を持っていた顕微鏡で観察し病原菌を突き止めようとする。「ブラックジャック先生―!!いやー!!」ブラックジャック先生にほのかな恋心さえ抱いていた私はその場面を目にして非常に大きな衝撃を受け、叫び声をあげそうになったのは言うまでもない。「あ、あのニヒルなブラックジャック先生が下痢?」「血も涙もない守銭奴めいていて、本当は弱者には優しいあのブラックジャック先生が下痢?そしてそれを顕微鏡で?」わなわなと震え、信じられないものを見た思いで当時の私は一旦本を閉じた。中学までの私だったらそこでブラックジャック先生に幻滅を覚え嫌いになっていたに違いない。しかし、中学だけでなく、恐らく中二病も卒業して高校生になった私は、「いやいや待てよ。ブラックジャック先生は具合が悪く、しかも苦しんでいて生死が関わる状況なんだぞ。下痢がどうのこうのいっている場合ではないのだ」と一人自分を戒めた。心を落ち着かせてそう念じているうちに私は次第に「ブラックジャック先生死なないで!」と下痢で苦しむブラックジャックに憐憫の情を覚えるまでになっていった。多分その辺りからだと思う。心の中での動揺は隠せないまでも少しでも下痢で苦しむ好きな人に一応「大丈夫?」と気遣ってあげられる感情が芽生えてきたのは。これが大人の階段登る瞬間?恋から愛に変わるとき?私がわずかながらでも成長したとき?そんなことを思い出していたら、アラサ―にもなって昔とちっとも進歩していないと感じていた自分もきっと今でも少しずつ成長しているんだと思い、希望が湧いてきたのだった。って下痢の話題でこんな終わり?!山崎マキコ「ためらいもイエス」仕事一筋のOL奈津美の弱点は恋愛だった。そんな主人公の成長物語。家族への嫌悪から仕事以外に耳をふさいで生きてきたアラサ―の女性の成長を描いた物語です。成長物語といっても、登場人物や語りがコメディタッチなので重苦しくなく、さくさくと楽しんで読めます。主人公は彼氏いない歴が年齢という恐ろしく仕事一筋の性格で仕事はバリバリ出来るのに、恋愛となると全く駄目というギャップが読んでいてとても面白かったし、そんな不器用な主人公にとても好感が持てました。この主人公の何が凄いと言えば、仕事に対する姿勢でしょうか。会社を「俺の城」と呼び、休日出勤や泊まり込みも厭わない、休みの日にもスキルアップの為、自宅で猛勉強をする。まあ、それだけ仕事に打ち込んでしまわなければならない理由もあったわけなのですが。でもこの作品を読んだ後、自分が働いていた頃を思い出し、なんだか無性に情けなくなりました。私はこの作品の主人公のようにバリバリ仕事をするタイプではなかったのですが、もう少しこの主人公のような意識を仕事に持てなかったのかと。あの頃にこの作品を読んでいたならもう少し仕事に対する意識が変わっていたかもしれないと感じました。ただ、この作品、成長物語としてみればとても良い作品なのですが、ラブストーリーとして見るとちょっと疑問が残ってしまいます。それというのも、ギンポ君の存在です。ギンポ君が決して嫌いなわけではなく、寧ろ好きです。だって、あのギンポ君って女の子なら誰しも求めている存在ではないでしょうか。デートでは行きたいところ食べたいものをほとんど叶えてくれて、卒なくスマートにエスコートしてくれる。不意に会いたくなったら逢え、電話をかければいつでも出てくれる。そして、自分の駄目なところ情けないところも幻滅しないで話を聞いてくれ、落ち込んだ時には慰めて、時には叱って励ましてくれる。そんな自分を全て受け止めてくれる男の人。もう最高じゃないですか。欲しいよ。彼に常に側にいて欲しいよ。もしギンポ君がスタンドだったらスタープラチナよりもギンポ君欲しいよ。しかし、しかし、だからこそ現実として考えてしまうとこんな素晴らしい存在の人は決しているわけないと感じてしまうのです。ギンポ君、まるでファンタジー的存在です。この作品の仕事やそれを取り巻く環境など現実としてみても、とても共感出来る部分も多かっただけに、彼のファンタジーさが返って成長物語の足を引っ張ってしまったような印象を受けてしまいました。ファンタジーがあったって、フィクションだから良いじゃんと思う人もいるかもしれませんが、ファンタジーのなかにリアルがあるのは真実味を感じれるのに、この作品のようにリアルの中にファンタジーがあるとそれまで築いてきた真実味が薄れてしまうような気がしてしまうのです。ネタばれ防止です↓まあ、これは好みの問題だとは思うのですが、他が素晴らしかっただけに恋の結末をファンタジーで締めくくってしまったのは残念だった気がします。恋の結末にもリアルさが欲しかった。たかがリアル、されどリアルです。なのでラブストーリーよりも成長物語として読むことをおすすめします。とても素敵な主人公の成長物語です。主人公の働きっぷりを是非味わって下さい。
2009.12.04
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主人公のカナは犯罪者として逃げる途中、記憶喪失の少女白雪と出会う。二人はともに逃げることになる。少女を描いたら天下一品の作者がまさにその少女を描いた作品です。その年代特有の欝屈とした感情や焦燥感が余すところなく描かれていました。同年代の子たちが読めばきっと共感できることも多いと思いますし、かつて少年少女だった人たちが読めば、その当時の感情を少しでも思い出すことが出来るのではないでしょうか。ただこの作品の文章やストーリーのみに注目してみると、中高生向けに描かれたのだなという印象を受けてしまいます。擬音が多くて難しい言葉を使わない文章は熟練の読書家には少々拙く感じてしまうかもしれません。そして読み進めていくうちに破天荒さがどんどん増していくストーリー展開などは、十代の何物にも染まらない感性には受け入れられても、世の中の酸いも甘いも知り尽くした大人には少々受け入れ難いかもしれません。しかしこの作品の優れているところは、どんな年齢層にも思春期の頃の「どこかに行きたいのに行きたい場所はどこにもない」という焦りや不安を感じられるところにあると思うので、文章やストーリーをあまり重視しないで読むことをおすすめします。三種類あるエンディングを「お得」と取るか「邪道」と取るかは読む人次第です。思春期を感じられる作品です。親子で読むのもおすすめかもしれません。
2009.12.01
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「天人菊」「凌霄葛」「乙女椿」「雪割草」戦前戦中戦後、時代に翻弄されながらも愛に生きた主人公達の恋愛連作短編集。大正から昭和にかけての連作短編集。男性でも面白く読めると思いますが、どちらかと言うと女性向けに描かれたような印象を受けました。大正ロマンあふれる大人の女性向けの王道恋愛小説になっています。女性が一度は妄想してしまうであろう切なくてキュンとしてしまうような展開が満載です。好きになってはいけない人に激しく求められたり、旅立ってしまう彼と最初で最後の逢瀬。そして極めつけは、きらびやかな舞踏会の夜に会場から離れたところで意中の彼と二人だけでひっそりと踊る、といったまさに女性の「キュン魂」が沸き立つめくるめく展開が待っています。際どい性描写があるだけにこの作品はあくまで大人向けなのですが、「キュン」という感情に年齢など関係ないことを改めて感じられる作品です。ただ王道なだけに展開が予想通りで、ある程度結末が想像出来てしまうのですが、登場人物たちの心理描写も実に丁寧に繊細に描いているので、読んでいて飽きるということはありません。ただ少し気になったのが、戦争が登場する話なのに、それほど戦争の悲惨さを感じなかったということでしょうか。戦争で亡くなる登場人物もいるので、もちろんそれも悲劇だとは思うのですが、人の死以外で感じる戦争の悲惨さをあまり読み取ることが出来ませんでした。まあ登場するのが比較的裕福な世界の人が多いということもあるのかもしれませんが。しかしたとえ主題が恋愛だとしても、こういう何気ないところで戦争の悲惨さを無意識にでも読者に刷り込ませることが、作家さんが持てる素晴らしい力の一つではないのかと個人的には思います。せつない話やキュンとしたい方などに特におすすめの作品です。
2009.11.17
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ある中庭で脚本家が謎の死を遂げた。また古いホテルの中庭で女優が死に、噴水のある中庭では若い娘が突然死する。中庭は死に満ちている。複数の物語が絡み合い、やがて一つに結ばれていく。最近の恩田ワールド全開の作品でした。ある不可解な死、事件についてあれこれ話しながら山道を歩く二人、舞台、女優のオーディションなど今までの恩田陸作品のキーワードをちりばめたような贅沢な作品です。何より作者が書きたくて楽しんで書いている印象を受けました。ただ、この作品は玄人向けといいますか、恩田陸入門書としては難しい作品だと思います。雰囲気は恩田陸全開なのですが、物語が単純な起承転結と進んでいかなく、入れ子のように複数の物語が入り込んで複雑な作りになっています。それらが、やがて一つに結びついてゆきます。一見関係のなさそうな複数の物語がラストで一つに繋がる作品は個人的には嫌いではなく、寧ろ好きな方です。そういった作品で思い出されるのがルイス・サッカーの「穴」なのですが、この作品では残念なことに「穴」ほど物語が繋がったときの爽快感を感じませんでした。なんだか最後の方で作者が物語を慌ただしく結びつけて終わらせてしまった感じを受けてしまいました。人為的な物語の結びつけ方ではなく、もう少し物語同士があるべきところを埋めるように自然な感じできちっと一つになって欲しかったです。初めて恩田陸を読むという方には、是非にとはおすすめしづらい上級者向けな作品ではありますが、三度の飯より恩田陸が好きという方や恩田陸の世界を味わいたいという方にはおすすめの作品です。
2009.11.10
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主人公信之は幼馴染の美花との美しい島での生活に満足していた。しかしその島を津波が襲い全てを奪い去って行った。やがて二十年余りが経ち、生き残った子供たちは再び津波がもたらした暗い影に呑み込まれようとしていた。シリアスな三浦しをん作品です。別にシリアスな作品が嫌いというわけではないのですが、この作品は三浦作品にしては、あまり物語に入りこめなかったし、共感も覚えづらかった作品だったように感じました。期待し過ぎたせいなのかもしれませんが、なんとなく三浦作品にしては中途半端で何を言いたかったのか分からなかった作品だったような気がします。物語も大方予想通りに展開していくし、人物の内面の描写にしても何故か津波で生き残った三人の子供のうち二人の視点でしか語られません(島の人以外の人物はありますが)。何故美花視点の語りはなかったのでしょうか。そのため津波で自分の命以外全てを失った3人の子供の物語とも読むことが出来ないので、何が言いたかったのか分からないまま読み終えることになってしまいました。それなのでストーリーを楽しむにしても人物の内面を味わうにしてもなんだか物足りなく感じてしまったような気がします。そしてなんとなく気になったのが、この作品を読んで他の作品を思い浮かべてしまったことでしょうか。主人公の住む島に津波が襲ってくるところは桜庭一樹の「私の男」を、過酷な運命を生き抜く3人の子供たちの物語としては天童荒太の「永遠の仔」を思い起こしてしまいました。私的にはそのどちらにしても「私の男」や「永遠の仔」の方が読んでいて胸に迫ってきたように感じてしまったので、それらとの比較もあってこの作品ではあまり入り込むことが出来なかったような気がします。そして何よりも三浦しをん最大の魅力である「するすると水のようにのど越し良く入り込んでくる文章」は今回はあまり見られずに、回りくどかったり大仰な言い回しが多く用いられていたように感じたのが残念でした。その為読んでいて、登場人物たちが悩み苦しんでいると共感出来ずに、彼らが己の悩みや苦しみに酔っているような印象すら受けてしまい、読んでいて胸に入り込んでくることが少なかったように思います。なんだか辛口な感想になってしまいましたが、この感想はあくまで「三浦しをんの作品にしては」を前提にしています。三浦しをん作品が素晴らしいことは言うまでもないことですので、この作品も数多に存在する文学作品の中で良質な作品であることは間違いありません。なので、一度でも読む価値は十分ある作品です。
2009.10.23
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石田衣良「夢の香り」 角田光代「父とガムと彼女」 朱川湊人「いちば童子」 阿川佐和子「アンタさん」 熊川達也「ロックとブルースに還る夜」 小池真理子「スワン・レイク」 重松清「コーヒーもう一杯」 高樹のぶ子「何も起きなかった」遠い記憶に刻まれた香りに関するアンソロジーです。この作品は某コーヒーメーカーのウェブサイトに公開された作品を一冊にまとめたものらしいです。しかしそんな大人の事情が絡んでいるにも関わらず、コーヒーの香りに関する作品は一つしかないという実に良心的(?)な、アンソロジーに仕上がっていました。様々な香りを取りそろえたアンソロジーになっていますので、コーヒーづくしで胃がもたれることもなく、さくさくと読めます。石田衣良「夢の香り」タイトル通り、夢のような話だと感じました。良い意味でも悪い意味でも「夢」です。現代版短編ロマンス小説的なお話です。角田光代「父とガムと彼女」この作品のテーマとなっている香りは「ガム」です。ここでいうガムの香りとは、ミント系の大人のガムではなく駄菓子屋で売っている甘い香りのガムです。どうでも良いことですが駄菓子屋の香りって言葉では表現しづらいような気がします。いろいろと混ざり合った香りだと思うのですが、主成分は、ガムの香料の香りなのでしょうか。にしても、輸入物のお菓子達の派手派手しいガムやあめやチョコレートなどといった強烈な香りとも別で、独特な気がします。さて作品ですが、さすが角田光代といった作品になっています。短編という短い中にもなつかしいだけでは終わらずに、登場人物たちがそれまで歩んできた人生をきちんと感じ取ることが出来るので奥深い作品になっていました。朱川湊人「いちば童子」あんまり香りが作品に生かされていなかったような気がします。子供が主人公の不思議な話なので、小学校の教科書にでも載っていそうな作品でした。阿川佐和子「アンタさん」この作品もあまり香りが重要視されていないような。恋愛のときめきやもやもやを大人の目線で淡々と描いているので、読みやすい作品でした。熊川達也「ロックとブルースに還る夜」主人公と同年代の人達には共感出来る作品ではないかと思いました。この作品は香りよりも音楽の方が際立っていたように感じました。小池真理子「スワン・レイク」起承転結や意外な結末がほとんどない作品でした。しかし小池真理子らしい香り立つ世界観は健在です。起伏の少ない物語の中で、主人公の悲しみや情景が美しく表現されているので、小説というよりは詩に近いような作品でした。重松清「コーヒーもう一杯」タイトル通りコーヒーの香りがキーワードになっている作品です。一番このアンソロジーのテーマ「遠い記憶に刻まれた香り」に沿った優良な作品ではないかと思います。この作品を読んで懐かしいものの中に温かいものが多いのは何故なんだろうとふと思いました。というか、冷たくて懐かしい香りのものって不思議とあまり無いような気がします。温かいコーヒーが飲みたくなる作品です。高樹のぶ子「何も起きなかった」最後にこんな作品が待っていようとは!いままでの作品たちとの趣の違いのせいか、だんだんと加速して重みを増してゆくストーリー展開のせいか衝撃の大きかった作品です。香りとかノスタルジーとかメランコリックとかそういうことが、全て霞んでしまうほどの力を秘めた作品でした。力と言ってもどちらかと言うと負の力なのですが。女同士の親友関係を赤裸々に描いています。男の人は怖いと感じるかもしれません。テーマなどはともかく、なんかすごい作品読んだなと感じた作品でした。
2009.10.14
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