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このCM、大好きだ。長年の岩下志麻さんのファンだからということも多少は影響しているけれど、象印の一連のCMには、何か哀切が漂うカンジがして、とても好きだ。 CMに出演している象印の社員役は、実際象印社の方(それもCM担当か何か)であると、どこかで読んだ記憶がある。そう、素人さんであるがゆえに、あの、どことなくペーソスと哀愁が漂うCMになっているのだろう。芸達者な役者さんでは、ああはいかない。いいところの奥様然(いや、それ以上の存在か)とした岩下さんの存在感は、いかにもフツーのサラリーマン数人が束になってかかって、ようやく均等に近くなってくるのだが、その画面から私が感じるものは、世間離れした、非日常的な美しさと品格は、どこまで行っても日常とクロスすることはないということだ。 ちょっと話が逸れるが、岩下さんは、金田一耕助シリーズの映画「悪霊島」を見たときに、強烈な印象をもらった。恐ろしく怖く、恐ろしく美しく、そして恐ろしく哀しい人だと、子ども心に、忘れ得ぬ印象だった。 それ以降、いろいろな女優さんを目にするたびに、岩下さんの持つ「恐ろしさ」を、その背後に求めてしまうようになった。そのたびに、がっかりしてしまうことになるのだけど…。 象印のCMでは、岩下さんに、あの「恐ろしさ」は全く感じない。それでいいと思う。きっとあの笑顔や雰囲気が、本当の岩下さんに近いのだろう。幸せな家庭を持った、残り少ない映画女優。でも、私た魅せられた、あの「悪霊島」でも岩下さんも、また岩下さんの中、奥深くに眠る、岩下さんの一面だとも思っている。自分の中に潜む、様々な自分の一面を表面化させて演技へと昇華させていくのが、演技者の仕事であると、私は思っているから。
2003年10月23日
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この数ヶ月、弾いていて感動がなくなっていた。様々な要因が絡み合ってのことなのだが、こんなこと、生まれて初めてだった。今の家ではお稽古できないことも、そう感じることに拍車をかけているのかもしれないけれど。 週末の演奏会を控えているが、「良い演奏とはなにか、考えてみて、また団員にも考えてもらって」と指揮者からメールをいただいた。よく考えてみると、今までの、この数ヶ月の自分は、心を閉ざしていたかもしれない。ここで詳しく記すことはできないが、とても苦しんでいた。音を奏でて音楽にすることに対して、全く心を閉ざしていた。 先週末、そのことに気づいた。良い音楽をするには、開かれた心が必要なのではないだろうか。作曲家にも、作品そのものにも、一緒に演奏する仲間達にも。手遅れでないことを、祈っている。
2003年10月22日
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昨年秋の演奏会前には、腱鞘炎を患い大変だった。今度の演奏会には、時々腱鞘炎が痛むものの、傷なく演奏できそうだと思っていた先週…夜、考え事をしながら包丁を使っていたら、ザクっと左手の薬指を切ってしまった。それも手前側! 「切った!」と思った瞬間は呆然としたが、一応傷口を水で流し、薬指の第一関節付近を止血するべく、きつく押さえる。でも、血が止まらない。よく見てみると結構深く切ってしまって、肉まで見えている。そうしているうちに激痛がおそってきた。更にきつく指を押さえるも、なかなか止まらないし、血漿板の働きも見えない。消毒薬と絆創膏と思い、キッチンからリビングまで移動したら、歩いたとおりに床に血痕が…! このままでは血が止まらない。ティッシュで押さえてみたら、今度はティッシュが見る見る間に真っ赤になっていく。ここまできて、血が止まらないことに、少々動転した。痛みは強くなっていく一方だし、あああ、これでまた楽器が弾けなくなると思うと、情けないやら悲しいやら。 仕方ないので10分くらいそのままじっとしてたら、少しずつ血が固まってきた。ちょっと安心する。その後絆創膏で傷をカバーして料理を続行したが、水がしみるのなんの(当たり前)。仕方ないので、左手だけにゴム手袋をして料理を続けたが、痛くて頭が更にぼーっとしていまった。 先週末の練習は絆創膏して弾いたけど、薬指にちょっと力を入れただけで、痛いから、なかなか思うようにならない。まったくどうしようもない。今日から絆創膏をはずしてみたが、まだ痛い。本番までに全快するといいのだけど。 と、ここまで書いて気づいたが、この日記の前の日記は高熱を発した件について書いていたのだ。書くことといえばこんな怪我だの病気だので、辛気くさいったらありゃしない。次からは景気のいい内容にしようと反省。
2003年10月21日
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先週日曜の練習が終わったあとからお腹を壊し、帰宅途中で具合が急激に悪くなったわたし。帰宅早々に風呂も入らず顔も洗わず着替え、同じように具合が悪くなっていた夫と先を争うように、布団に入る。そして数時間後には、二人とも身を焼くような高熱の苦しみから、唸っていた。 高熱で、本当に唸るんだ。隣からの唸り声で、漠然とそう思った。そういう自分も唸っている。高熱は、成人の身体には、本当にこたえるから仕方ないか。眠りたくても眠れないのは同じみたいだ。 幸い3日経ったら36度台に戻ったのでよかった(主人は薬の力で翌々日から出勤した)。あのまま二人して朽ち果ててしまうのではないかと、あの日曜の晩は、真剣に唸りつつ悩んだ。新聞に載っちゃうだろうなーとか。 しかし、どうして同時に熱出したのだろうか? 汗臭くなったカバリング類を洗濯しながら不思議に思う、私であった。
2003年10月10日
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私は生まれてから今日まで、きちんとしたお稽古事はヴァイオリンとピアノしかやったことがない。父親が教師だったので塾・予備校も模試を受ける以外には行ったことがない(Z会はやってたけど)。一年ほど前に池坊の教授をしている母から数回華道を習ったが、やはり親だから、ものにならず。英語も独学だから、レッスンに行ったことがない。 そういう、いわば出不精の私がこの秋から、新たなお稽古事を二つ始めることにした。それは、料理と着付けである。 料理は、しっかりと和食を作りたいので行くことにした。和食といっても、私が通うものはベターホームの「一汁三菜の会」と「お魚料理の会」。「一汁三菜」のほうは、毎日自分で作っているお惣菜系のものをメインにしたものではなく、飛龍頭やかぶら蒸し、桜蒸し、しんじょなど、和食の中でも量より質を重視したコース。おそらく教室のお仲間も、40代-50代のベテランのかたがたが多いだろうと思う。 「お魚料理」は、もうそのまま、魚料理ばかり扱う。これは和洋折衷のメニュー。鯛を一匹まるごとおろして使うときもあれば、バイ包みや姿揚げ、果てはバッテラも作る。魚を丸ごとおろせれば、いつなんどきでも困らない。 そういうわけで、この二つを一気に習う。それぞれ月一回のコースなので無理がない範囲といえそうだ。私が通う教室は銀座教室なので、お稽古が終わったあとは、主人と銀座でランチ・デートを、などと目論んでいる(単にお弁当を作るのを少しでも減らそうという、ズボラな発想です)。 さてお次は着付け。前から着付けは習いたいと思っていたところ、新聞の折り込み広告に、「4ヶ月間無料着付け教室」生徒の募集が載っていた。主催は日本和装振興教会。NPO法人だから、ほんとうに、無料。4ヶ月間でゆかたから留袖の着付けまで、ばっちり習える。幸い最寄り駅前でも受講できるようなので、早速応募してみる。応募者多数なので抽選になってしまうそうだが、運良く当選。今日の午後から受講開始である。 営利団体ではないので資格はとれないが、留袖まで着られれば小紋も訪問着も大丈夫だろう。コンサート・ホールに和装ででかけるのが、長年の夢なので、それを実現すべく、気合いを入れようと思っている。 さて、こんな具合でお稽古事を始めるわたし。久しぶりに人から何かを習うので、ちょっと緊張している。
2003年10月02日
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