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どこの街でもあったよね、 中高年夫婦だけでやっていた本屋さん、 おばさんは、 1時間ぐらいの立ち読みを黙認してくれたけど、 メガネをかけたおじさんは、 10分も経つと、 すぐにハタキをかけてきた、 すぐにやめないと、 パタパタ肩にかけてきた、 その頃、 発刊されたばかりの少年という雑誌を、 毎月買っていた、 連載されていた鉄腕アトムが目当てだった、 発売日にすぐ本屋さんに飛んでったけど、 すぐには買わない、 少年クラブ、冒険王、おもしろブック、 など少年雑誌がいっぱいあって、 立ち読みで読んでる連載ものがいっぱいあった、 それをみんな読み切る、 このときばかりは、 メガネの因業なおじさんもハタキをかけにこなかった、 少年を買うことを知っていたから、 あるとき、 おじさんが妙な猫なで声で、 「坊や、毎月買ってくれるんだから配達してやろうか。 学校から戻るともうお家にあるよ」 と、言った、 「いやだっ!」 はっきり拒んだ、 その手は食わないよ、 立ち読み防止策だもの、 昔のコンビニ、 雑誌売場は道路に面したガラス壁際にあって、 いつも中高生も含む若い人が、 横一線で立ち読みしていた、、 あれ見ると、雑誌買わない人も、 入っていって何か買ったんだよね、 つまり、撒き餌効果、 ボロボロになった雑誌は、 返品できるし、 コンビニにとっていいこと尽くめだった、 それも今は昔、 ちらほら立ち読みしているのは、 中年の男性ばかり、 中高生や、20代の人が読みたい雑誌は、 ゴムバンドや、 紐掛けで広げられなくなってしまった、 コンビニは立ち読み客という、 願ってもない撒き餌を放逐して、 自分の首を自分で締めだしたのだろうか、 コンビニの斜陽化に繋がらないことを祈りたいが、 かっての街の本屋さんが、 気がついたら消えていたように、 新しい業態に取って代わられる、 前兆とも考えられる。
2015.02.27
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生きたかったろうな もう少し せめてもう少し やれるだけはやった と納得できたのに 17歳じゃないけれど 今は昔 22歳でこの世を去った きみは僕の2歳下だった 銀行員を続けて ずっと詩を作っていきたいって 僕に朗読してって 河口湖畔で読んだっけ 詩のできふできは解らない でも ときめく心の情熱が 見えない樋を流れて 僕の心に入ってきた 僕の心は静かに そう静かに烈しく沸き立った 1年後 きみはもういなかった 私の分も… ってなんだよ それぞれの分で行かなきゃ 何も共有できないだろ ただつないだって意味ないやって 今は解るんだよ きみの分も… こうして生きてるって 今年もまもなく きみがサヨナラした日が巡ってくる 嬉しいんだよ 元気のストーンを 僕の心に残していったもの 私の分も… ってこれだなって 落ち込んだときに 元気にしてくれる だから嬉しい だからだから いつまでも嬉しい
2015.02.24
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3・11の翌月から被災地の慰問を始めて、 毎年2,3回被災地慰問を行っているけれど、 復興はまだまだ道険しだねえ、 貴方は大船渡の人だ、 大船渡は震災以前に講演や、 読み聞かせで何度も訪れてる、 震災後も、 3度、慰問で訪れているよ、 去年に行ったときは、 瓦礫は片付いていたけれど、 泊まった宿から海まで、 建物はいく棟もなかった、 ボランティアは、 潮が引くようにいなくなったし、 復興景気も、 東京オリンピックが決まってからは、 すーっ、すーっ、としぼんでいった、 仕事があっても、 頼みたくても、 手が足りないという理由で、 断られるんだってね、 一昨年、仙台の繁華街の居酒屋で飲んでいたら、 ガラガラで、 いつもこんな風、 と店の人に訊いたら、 復興景気はバブルより儚かったって、 でも、 東北の表玄関だから、 まだいいんだよ、 まだまだ仮設住宅住まいをしている人の多くは、 展望を見出せないでいるだろ、 仕事はないし、 一家の柱だった人間は飲むしかない、 地元の飲食店は、 それが頼りだもの、 貴方もそうだろ、 カラオケを兼ねている飲み屋さんだけど、 さっきの人たちも、 そこの仮設だよね、 あっちにいる人は地元だろ、 さっき、 トイレ行ったら聞こえたんだよ、 あいつら、 働かねえでカネもらって飲んでる、 って、 明日、 その仮設地区の集会所で読み聞かせなんだよ、 被災地の子供たちは、 特に目がキラキラしているんだ、 小学校なんかでも解るけれど、 被災地でない地域の子供たちより、 求める気持ちが強いんだ、 それだけのところを通ってきている、 未来を担おうという気持ちが植えつけられている、 その子供たちの目を見たくて、 今年もこうしてきている、 教えられるんだよ、 こっちが、 それに見合うものを残せれば、 といつも思うんだ、 信じようよ、 被災地を想っている人は、 株だ、オリンピックだ、 って浮かれている人たちの陰に隠れているけれど、 いっぱい いるんだから。
2015.02.22
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北陸新幹線の開通で、 金沢駅にレディー・カガが出迎えた、 ガガではない、 カガだ、 新しい列車が走ると、 新しい乗客が、 それぞれの喜怒哀楽を胸に秘め、 目的地に向かい、 そして、帰る、 喜びとともに目的地に留まる人もいる、 悲しみを秘めて出発地に戻らない人もいる、 乗り合わせた人々の喜怒哀楽は、 知らず様々に交錯する、 新しい列車は、 ただ無心に乗客を運ぶ、 ガガが婚約した、 お相手は同国人の俳優、 本物の幸せを掴んでほしい、 今年はいつ来日するのだろう、 婚約者と手を携えてくるのだろうか、 ガガは不定期の長距離列車のように、 日本を訪れる、 自分の喜怒哀楽を乗せて、 それを歌い上げるために、 ガガの喜怒哀楽は、 日本人のそれと同質のものがあるような気がする、 日本人の心情をかきたてる、 今年は、 喜々楽々だけを乗せてくればいいからね、 だから、ガガさん、 早くきておくれ。
2015.02.19
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何、75歳になるお父さんが、 20代のガールフレンドとおててつないで歩いてたって、 恥ずかしくって、 見つからないよう慌てて横道に入ったテカ、 貴方が隠れてどうするんだよ、 貴方は末っ子で30歳だろ、 楽しそうだね、オヤジ、 と声をかけてやればいいだろ、 そして、見習えばいいだろ、 服装が派手なのも恥ずかしいって、 貴方が地味過ぎるんだよ、 荒野の草食系男子みたいじゃないか、 15年前に健康診断を止めたのも心配だって、 バシャバシャX線を浴びるのが嫌だ、 という理由で、 貴方は年2回の健康診断は欠かさないって、 その1週間前から禁酒して、 夜更かしもしない? 健康診断て、 普段の生活習慣のままで受けなきゃ、 意味ないだろ、 お父さんは外で飲めば、 芋焼酎のお湯割りは8,9杯飲むってカ、 カラオケで歌いまくり、 朝は起きてケロリとして、 5,6キロウオーキングしてくる、 リタイアしてないよね? 国民年金を受給しているけど、 手取りで月5万円が欠ける、 2,3回飲みにいったら終わりで、 生活できないから死ぬまで働く、 と言ってる、 健康なんだね、 精力がありあまっている、 おそらく90代になっても、 年若いガールフレンドとデュエットやってるよ、 あの世へ行くときはピンコロだ、 すべてに無理がないんだろうね、 飲酒もお父さんにとっては、 適量なんだろうね、 見習ったほうがいい、 お父さんは解放人だ、 ぐっすり寝てウオーキングして、 病魔のつけ入る隙がないじゃないか、 見習ったほうがいいよ。
2015.02.18
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お母さんが認知症で、 末っ子の貴方は、 1週間に1,2度、実家へ会いにいってるんだ、 お母さんの面倒は、 お兄さん夫婦が見ているので申し訳ない、 と思っているって、 優しいんだね、 お兄さんたちにも気を遣って、 お母さんはまだ貴方のことを認知できるのかな、 ああまだちゃんと解るんだ、 笑って、 よくきたね、 と喜んでくれるんだ、 でも、 一昨日会いにいったばかりなのに、 3年ぶりだねえ、 と言われたり、 ときおり、 貴方を訝った表情で見るのか、 つかの間、 この人誰かしら、 と思うのかも、 でも、今はまだいいよ、 そのうち貴方を貴方と認知できなくなる、 それが怖いんだね、 そう遠くない将来に必ず起こることなんだから、 前向きに受け入れようよ、 世界で認知症の患者は急増しており、 その数は約5千万人と言われているんだ、 もしかしたら、 貴方は認知症になったら、 いずれ何も解らなくなるから、 とても悲惨なことだと思っていないだろうか、 それはね、 お母さんに失礼なことかもしれない、 お母さんは新しい世界を新たに知るということで、 その人生は続いていくんだよ、 それをずしりと重く感じてほしい、 貴方や、 お兄さんたちが、 認知症のお母さんを痛ましい、 という目で見ると、 逆に社会から自分達を孤立させることになる、 僕はグループホームを慰問したことがある、 職員に見守られたり、 助けられながら食事の後かたづけをしたり、 雰囲気はびっくりするほど明るかった、 見舞いにきた家族を、 家族と認知できなくても、 仲よく楽しく歌っている、 肉親との新しい関係なんだね、 そうか、 お母さん、 来月からグループホームの利用者になるのか、 実家から歩いて10分のところだって、 じゃ、今までどおり、 週に1,2度、 お母さんに会いにいける、 どうか、 楽しい新しい母子関係を築いてほしい。
2015.02.16
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今日の朝日朝刊によると、 騎手ではなくJRAの発走委員、 つまり、ゲート入りを担っている人が、 昨年11月のレースで、 なかなかゲートインしない出走予定馬に鞭を振るったところ、 それがトラウマになり、 その馬は1月半以上も経つのに、 未だに出走できないでいるという、 その馬の名は牝5歳のローブティサージュ、 そのときのレースは重賞の京阪杯、 後ろ足を蹴りあげてゲートインを拒んだので、 発走委員は鞭で後ろ足あたりを数回打った、 さらに脇腹も打った、 ローブティサージュはゲートインしたものの、 18頭中14着と惨敗、 以来、 ローブティサージュは、 ブルブル震えてゲートに近寄ろうとしないらしい、 いじめを受けて不登校になった人間の子供のようだ、 馬は神経細やかな動物、 競馬馬は人間社会の中で生きているが、 その人間社会はストレスが嵩じた社会になっている、 競馬馬は放牧という休養で、 心身の疲れを癒やすが、 今はそれでは間に合わなくなっているのではないか、 JRAには競馬馬の精神的疲労を、 コンサルする仕組みに取り組んでほしい。
2015.02.15
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もの言えば唇寒し…の時代に入るのかなあ、 貴方は小首を傾げて嘆いた、 同僚と駅のホームで、 政府の沖縄政策について話していた、 議論というほどのものではなく、 軽く話題にしていただけなのに、 聞き耳を立てていたらしい30歳前後の男性が、 つかつかとそばへきて、 「アベさんが一生懸命なんだから、 黙って見ていたほうがいいですよ」 と、耳打ちするように言って立ち去ったって、 何だろう、あの人は、 貴方と同僚は気味悪く思ったんだ、 誰だって気味悪いよ、 居丈高に文句をつけてきたのなら、 一般人の熱狂的なアベ政権支持者かな、 と思う、 勇ましい日本を願う政治団体の構成員かな、 とも思う、 ありそうなことだと納得できるから、 気味悪くは思わない、 でも、その人は穏やかなもの言いで、 黙って見ていたほうがいい、 と忠告したのだという、 穏やかなだけに、 貴方方は口を封じられたような思いになった、 民情を探っている政府職員、 それとも、 例の特定ナントカ法担当部門の警察のお方、 とか疑心暗鬼が渦巻いたのも解る、 でも、 ごく普通の人で、 ニュートラルな方の善意から出たお節介かもしれない、 実は本来偏っていない人が、 そう考えるようになったのが、 最近急に世間の風向きが変化した証拠で、 問題だろうね、 さっきの法が法案として国会で可決された頃より、 ストレートに忌憚なくものを言いづらい、 という底流が生まれたような気がする、 その法は昨年の12月に施行になったが、 はっきり潮目が変わったと感じたのは、 アベさんがテレビ出演中に、 道行く人の声の取り上げ方に、 色をなして、 「おかしいじゃないですか」 と、クレームをつけたときからだろうね、 以来、抗議だか要望だかは知らないが、 メディア関係に官邸発の文書が回り、 メディアはビビり、 自主規制の風潮が生まれ、 それはたちまちのうちに潮流になって世間を覆った、 折も折、 日本人人質事件の発生で、 政権の対応に少しでも批判的になれば、 「テロリストに味方するのか」、 という言葉を飛んでくる、 ことが多い状況に乗って、 大潮流になった感がある、 お上に逆らっても得はない、 という空気が醸し出され、 庶民は三猿主義に傾きつつあるのかなあ、 これじゃ貴方も気分は晴れないだろう、 でもね、 やはり、強いのは庶民、 そして、世論だろうね、 ちょっとおかしいぞ、 と多くの人が気詰まりを覚えてくれば、 世論は変わっていく、 地鳴りのような新しい世論の轟きが、 まだまだ遠いが聞こえてきた、 ような気がしないだろうか。 、
2015.02.14
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いじめをやったことは後悔しているよ、 でもねえ、 いじめを受けたやつには、 それなりの理由があったんだよ、 おれ、 可哀相なやつなんかいじめないもの、 他クラスに可哀相なやつをいじめたやつがいたけど、 気に食わねえ、ムカつくぜ、 と言ってやったものな、 ところで、 おれがいじめたやつだけど、 クラスの者のことを、 あることないことを言って、 貶めるやつだった、 ウラスでケータイ盗られた者がいて、 そのケータイは、 学校の池に捨てられていたの、 たまたまクラスの女子が、 捨てるところを見ていたのよ、 それまでもね、 いろいろやってんだよ、 いつもお前だろと言っても、 弱々しいくせして、 しらばくれる、 強情だぜ、 性格悪いのよ、 絶対、認めなかったの、 でも、そのときばかりはおれ切れたの、 お前だろってことで問い詰め続けて、 知らない知らないだから、 いい加減にしろよって、 認めて謝りゃ、 そこで手を引くつもりだった、 絶対、認めなかったもの、 そのうち、 2人が一緒に問い詰めるようになった、 おれがアタマで3人でいじめてる、 ってことになった、 そいつ、 親に訴えたのよ、 親から学校に通報されて、 大問題になった、 おれや、 仲間の親が呼ばれて、 おれの父親はおれを連れて、 向こうの家に謝りにいったの、 向こうの親に何かの世話になったのかなあ、 玄関で土下座して、 おれにもそうしろだって、 冗談じゃねえ、 とおれ逃げ出したんだ、 後でおれ父親に殴られたの、 理不尽だよなあ、 おれたちがいじめたってやつ、 さっさとわりといい私立へ転校していった、 おれ、すっかりウツよ、 学校なんて行ってられるかってなるだろ、 父親にずいぶん責められたけど おれ、こいつをぶっ殺したって行ってやるか、 って思ったもの、 父親も感じとったんだろ、 何も言わなくなった、 おれ、 最近フリースクールへ行ってるの、 そりゃいじめを受けたやつが多いよ、 でも、おれと同じように、 いじめをやったやつも1人いた、 学校でいじめを受けている、 友達を黙って見ている自分に嫌気が差して、 うちへ帰ってから自分を責め、 心を痛めているうちに、 おかしくなって不登校になったやつもいる、 いじめをやったやつは悪、 いじめを受けた者は被害者、 って見方じゃ、 絶対いじめは根絶できないぜ、 ケースケースで根深さが違う、 そこにあるものを見極めないと、 臭いものには蓋、 って中途半端で幕引きになる、 それを大人達に知って貰いたい。
2015.02.13
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何だかよく解らん、 どこの景気がよくなったのだろう、 1部の企業がうんと儲かって、 社員の給料もちょっぴり上がって、 下請けへ回す仕事量も増えた、 のは知っている、 でも、社内留保で財布の紐は固い、 多くの企業は四苦八苦している、 だって、 貿易赤字だもの、 中小企業は給料上がらないもの、 物価が高くなってるもの、 円安が招いた物価高だろ、 銀座の夕暮れ近く、 アジア系の外国人が、 ドッとあふれてデパートや、 高級店で買い物をしている、 何か眼の色変えてたくさん買って、 円安だから気軽に日本へこれて、 ドカンと買い物できる、 あとどこ行くんだろう、 ディズニーランドとか日光とか行くんだろうけど、 買い物のついでなんだろうね、 2014年の訪日外国人観光客数は、 約1340万人、 このうち、 台湾、中国、韓国の隣国3カ国で、 800万人近くを占めている、 みんな主な目的は買い物、 日本の歴史、文化に触れよう、 ということが主な目的の観光客は、 率からすれば至って少ない、 何だか隣町のスーパーが安売りだから、 行こう行こうに近い、 それにしても、 30%の伸びか、 凄いことになったぞ、 とお思いですか、 外国人訪問者数の世界ランキングで言えば、 やっと27位、 アジアに限っても8番目、 1位のフランスは約8300万人、 次いでアメリカの約7000万人、 3位がスペインで約6000万人 4位の中国は5570万人、 つまり、 日本は先進国のはるか後塵を拝している、 1300万人の多くが、 大袈裟に言えばお土産を買い込んで、 サッと引き揚げる、 観光的には日本はどうも好かれていない、 円安でお得なのに、 治安がいいのに、 外国人観光客はあまりこない、 アジア系の外国人には、 自分達を見る日本人の視線には蔑視がある、 と言う人がいる、 欧米系の外国人からは、 日本人は本音を言わない、 ちょっと地方へ行くと、 英語がまったく通じない、 などの声が上がる、 何だか買い物目的のアジア系の人と、 親日的で少し日本語を話せる欧米の人、 ばかりのような感じになるではないか、 中国や、韓国と紛争がらみの緊張が走れば、 台湾も含めて、 3カ国からの観光客は激減するだろう、 そんなことは抜きにしても、 日本の観光立国への道は、 まだまだ遠い道のりだ。
2015.02.12
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もっともな心配かもしれないな、 なめてかかってくる児童生徒もいるからね、 そういう生徒にからかわれ、 パニックになり、 関係ない生徒にも当たり散らして、 モンスター的保護者からクレームがつき、 ウツ状態になって学校へ行けなくなり、 退職した新しい先生もいるもの、 でも、 これは大変特殊なケースだから、 気にしないでいい、 半年もすると、 みんな活き活きとやってるよ、 貴方は中学を選んだんだ、 同じく中学教師になるM君というのがいて、 希望に胸をふくらませている、 彼と出会ったのは1昨年1月、 山梨県の某大学で読み聞かせ&講演を行った、 教員志望の学生が多いところで、 この催しも学生が主催していた、 終わってのサイン会で絵本にサインを求めた1人がM君で、 河口湖畔の書店でアルバイトをしていること、 教員志望であることを知った、 前を向いているタイプだった、 そのとき、2年生だった、 春に3年生になって、 去年、4年生になり、夏に 教員採用試験を受験するとき、 彼は悩んだ、 高校時の国語の先生に憧れて、 自分も高校の国語科の教員になろうと志したらしい、 でも、 中学のとき、 詳しくは知らないが、 とても辛いことがあって苦しい経験をしたらしい、 中学生は子供から大人へ向かう端境期で、 多感なだけに、 多苦で苦しみも多い、 そういう中学生に寄り添いたい、 という気持ちが強くて、 志望を中学校の国語科に変えた、 そして、無事合格した、 教育実習のときに、 クラスに将来に夢を持っているのに、 友人関係がうまくいかず、 度々欠席する生徒がいたらしい、 自分の経験を話し、 そっと背中を押した、 今は自分を追い詰め自信をなくし、 何も言わなくても実は救いを求めている子が多い、 と彼は言った、 中学の教師として、 1人1人に寄り添える人間になりたい、 それを心がけるという、 M君と同じく春から中学生を教える立場の貴方に、 僕は言いたい、 未知の中学生が希望も不安も、 共に胸に抱いて貴方を待っている、 と、 心配はしないで、 中学生と真正面から向きあってください。
2015.02.10
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新幹線が走るまでは、 どこへいっても、 町場は下町社会だった、 冠婚葬祭はお互いさまで、 番が回ってきたところを、 向こう三軒両隣が助けあう、 普段から、 ちょっとお醤油貸して、 貰いものの柿だけど、 ハイおすそ分け、 などと些細ながら、 密な人情的な交流があった、 悪さをすれば、 よその子でも拳骨をくれた、 夫婦喧嘩が始まれば、 頃合いを見て年嵩の者が、 その現場へ上がり込んで仲裁した、 その代わりプライバシーはない、 見知らぬ不審者が隣家の様子を窺っていれば、 何の御用ですか、 とすぐ声をかけた、 こういう社会で育った子は、 ヤンチャも多く、 年頃になると無鉄砲もやったが、 非道はせず、 そこそこの年になると、 分別をつけていった、 実は農村でも同じであった、 家同士が密接していない分、 地縁血縁的な相互扶助体制は、 しっかりしていた、 田植えなどを、 順番に助けあった、 屋根の萱の葺き替えも、 順番に総出で行った、 少しでも暮らしよくするために、 1軒1軒の負担を少なくするために、 生活の知恵が生んだ慣習だった、 農村が変容したのは、 耕運機や、 コンバインダーが普及し始めた頃だったろう、 順番に地域の田畑を手伝う必要がなくなった、 家々の建て替えが進み、 冷暖房が当たり前、 手のかからない電化生活になって、 人々は外へ出なくなった、 出ても車で遠出した、 近所で憩うことがなくなり、 隣近所の内側が見えなくなっていった、 下町も同じように変容していった、 お味噌貸して、 と大声を出せば、 取りおいで、 と大声が返ってきたのに、 立て込んでいた家々は、 上へ階数を伸ばして、 密閉型住居になり、 塀囲いもされるようになった、 再開発で大規模集合住宅が進み、 核家族化も加わって、 隣の様子さえ解らなくなった、 空き巣、強盗などの犯罪が増え、 自分の家のことで頭がいっぱいになり、 他家のことに無関心になっていった、 かっての下町を歩いて、 中小のマンションに、 軒並み監視カメラが取りつけられていることに、 愕然としたことがある、 監視カメラ作動中、 と脅しのような表示も目立つ、 和歌山小5刺殺事件の22歳になる容疑者は、 被害者宅と目と鼻の先に自宅があった、 普通に言えば恵まれた家庭だった、 父親は大学教授、 母親は茶道華道を教え、 民生委員をしていた、 2人の姉もそれぞれに立派な人間、 ということである、 両親は厳格だったらしい、 進学や、 就職でそれなりの挫折を味わったようだが、 それと深くは関わっていない、 不可解な感情を爆発させての凶行に思える、 もし、 この容疑者がかっての下町で生まれ、 人情が行きかう環境で育ったら、 その心に闇は生まれなかったのではないか、 かっての下町を再現しようとしても、 それは無理な相談である、 ただ、その下町が持っていたよさを、 今の社会に取り入れていく工夫は、 国の施策の後押しがあれば、 可能だと思うのである。
2015.02.08
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出版業界し「新文化」の2月5日号によれば、 仙台ではナショナルチェーンの大型店が、 相次いで撤退し、 近々、撤退する予定のところもあるという、 仙台では1990年代に、 ナショナルチェーンの大型店が続々出店し、 そのあおりで老舗をはじめ、 地元書店の多くが看板を下ろさざるを得なくなった、 それが今、進出した複数の大型店が撤退し、 また撤退の予定だという、 仙台では被災により進出店も地元店も、 多くが痛手を受けた、 しかし、復興特需で盛り返したところが多かった、 その復興特需も一段落しており、 更には再開発で家賃等が高騰し、 再契約ができなくなったという事情もあって、 撤退を余儀なくされたところもある、 でも、 もっと根本のところに、 問題が横たわっていないだろうか、 1つは書店は、 大規模小売店には向かない特質を持っている、 ということである、 本来、書店の人は常連客と親しく繋がり、 1人1人の客の好みを知り、 城郭に興味がある客であれば、 「あっ、近々、空濠から見た城郭文化の本が出ますよ」 と、声をかけた、 本というより文化の売り手であり、 伝達者としての側面があった、 地域文化の拠点としての役割もはたしていた、 商圏が巨大な大型店に、 地域に密着した役割がはたせただろうか、 どうしても効率にとらわれて、 本をすすめるのではなく、 売ることに頭がいってしまう、 本質はスクラップアンドビルドで、 不振に陥れば撤退する、 地元書店は不振に陥れば廃業するしかない、 逃げ場がないのである、 こういうことに気づいた客が、 ナショナルチェーンの大型店から、 地域で頑張って客を大事にしてくれる、 地元書店に回帰する傾向が出てきた、 「間に合うものは近所の書店で買います。 置いていないものはアマゾンですかねえ」 地方は働き場が少なく、 若い人が大都市へ向かう風潮が顕著になってきた、 地方では人口減少化が加速する、 ということである、 地方都市からの、 ナショナルチェーンの大型店の撤退は、 これから増えていくのではないか、 地元書店は本来の書店としての特性を活かし、 活性化するチャンスかもしれない。
2015.02.06
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保険調査員をしていた頃、 地方に出張すると、 意識して社寺の境内に入った、 建築様式を観察したり、 境内の片隅にある句碑歌碑の類を鑑賞するためもあったが、 境内で遊ぶ子供たちの姿を見たり、 その声を聞くためであった、 当時、社寺の境内は、 地域の子供たちの安全な遊び場であり、 社交場であった、 その子供たちの姿を見て、 疲れを癒やし、 元気をもらうためであった、 そんなことはお年寄りが百も承知で、 何人もの人が笑顔で、 また談笑しながら、 子供たちを見ていた、 孫のいない人も、 いても遠くに住んでいて、 滅多に会えない人もいた、 むしろ、そういう人たちのほうが、 常連だったかもしれない、 子供たちから見れば、 高齢の大人が大勢見守ってくれているので、 安心だった、 それから50年近く経って、 子供が遊んだり運動を行って発する声がうるさい、 とクレームがつくようになった、 読み聞かせや、講演で地方へ行ったとき、 社寺の境内を覗いても、 縁日や、祭礼でもなければ、 ひっそりしていて、 子供の姿はない、 むろん、 子供たちから元気をもらっていた、 高齢の方々もいなくなった、 たまに人目を憚るように、 高齢の方がベンチに腰かけて、 ひっそり時間を過ごしている、 都会の住宅地で子供の騒ぐ声に、 クレームをつける高齢者は、 ひっそりと暮らしている単身者が多い、 子供の声に慣れ親しんでこなかった、 その子供が少なくなった、 社会参加する意欲が乏しくなった、 3世帯家族の激減、 などいろいろな要因が考えられる、 しかし、 今まで気づきにくかった要因もあるのではないか、 なぜ昔は子供の声に元気をもらったか、 甲高くてもノビノビと解放感のある声だった、 それだけ当時の子供は、 ノビノビと解放されて遊んでいたのである、 今は、特に都会では、 テンポの早い生活や、 緊張感を強いられる人工音に包まれて、 感受性の強い子供たちは、 遊んでいてもノビノビと解放できないのではないか、 ここでは・・・してはいけない、 というオキテも増えた、 余裕を失いストレスが溜まる、 それがきっと声にこもる、 昔は耳に心地よかった声が、 今は耳障りのものになったのかもしれない、 社会の病根とも関わっているので、 子供の声の変化に注目して、 どこか適当な研究機関に、 その面の研究をしてほしい。
2015.02.05
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皮膚のように着て、 チョウのようにどこへでも飛んでいって楽しむ、 それが僕のファッションの基本原理である、 だから、安くてセンスも若々しいユニクロは、 よく着てきたし今もよく着ている、 以前、 ユニクロ製品を着ていると知ると、 軽蔑の眼差しにあった、 そういう人に限ってブランドを身につけ、 その権威に安心し、 それを誇示している、 そういう人に限って、 「それ、どちらの?」、 などと訊いてくる、 多くはブランドだから着ている人種なので、 見る目がない、 「ユニクロです」 とたんに、 まああ~、と軽蔑した眼になる、 ところで、 ユニクロは近年素材もよくなった、 当然、価格も高くなった、 昔の若い層ほどには、 今の若い層はユニクロに親しんでいない、 かもしれない、 中間層のブランド化しつつあるのかもしれない、 それで生まれた間隙を、 海外からの参入も含めて、 ファストファッションが埋めてきた、 安い、オシャレ…は、 皮膚感覚で着る僕にはありがたい、 配色が鮮やかで、 デザインの大胆なものが多い、 そして、 巨大チエーン店化を目指していないのか、 百花繚乱で競っている、 現今の多様性にマッチしている、 話は変わるが、 日本マクドナルドが苦戦している、 期限切れ鶏肉が祟ったというけれど、 そうだろうか、 確かに痛手だったろうが、 経営努力で癒せる痛手だろう、 マックの苦戦は日本だけではないらしいが、 日本マクドナルドが陥っている状態は、 もっと根本に横たわる問題からきている、 客足が遠のいたマックで、 コーヒーを飲みバーガーをぼそぼそ食べている人は、 中年層が多い、 若い時代に通いつめたときと変わらぬ、 店舗の内装と雰囲気の中で、 中年層のファストフード化している、 うらぶれた気配が漂い、 オシャレから程遠い、 これが中間層のブランド化しつつあって、 成長に待ったがかからないユニクロとの違いだろう、 マックから離れた若者はどこへ行くのか、 大都会の盛り場へ行けば解る、 ファミレスより安くオシャレで、 売りのメニューが絞られている店が、 若い層で大賑わいしている、 世界各国の料理で、 国籍不明の料理で、 百花繚乱の多様性を誇っている、 いわゆるファスト・カジュアル・レストラン群が、 この世の春をうたいだしている、 若者はファッション感覚で食べるので、 オシャレで旨ければ、 ファストフードより高くてもいいや、 ということなのです、 日本マクドナルドがどのように改革一新して、 日本のオシャレな若者を再び引き寄せるか、 けだし見ものなのであります。
2015.02.04
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元気な高齢者は、 元気でいられる術を持っている、 編み物が得意な80歳のA子さんは、 幼児もの専門のブティックに、 手編みのセーター、ベスト、 帽子を卸している、 点数は限られるが、 これがなかなかの評判で、 店頭に出るとすぐ売れる、 配色が鮮やかで、 デザインも個性的だからだ、 外出すれば子供が着ているものに目を凝らす、 デパートや、 フアストファッションの店をよく覗いて、 幼児服売り場で時間を潰す、 情報収集の場であり、 時間である、 B男さんは、 リタイア後、 古文書の解読教室に通い、 10年経った今では、 史跡めぐりや、 通りがかりの寺社を訪れては、 石碑などの碑文を読み解くのに余念がない、 若い人に古文書解読の手ほどきをしたり、 古文書から学ぶ戦国期難民の生きる知恵、 というテーマで講演を行っている、 元気な高齢者に共通しているのは、 好きなことをやることで、 社会に参加している、 少しでも貢献している、 という認識がはっきりしていることだろう、 外出も多く、 色んな人に出会い、 人間関係に新陳代謝がある、 よく歩くから健康も維持できている、 好奇心が衰えず、 子供が集まるところによく現れる、 子供の遊ぶ姿を見て、 そのときの声を聞いて、 元気をもらっているのである、 「いいなあ、子供は」 「私達にもあんな時代があったんですねえ」 目を細めて会話をしている、 前記の2人は単身生活をしている高齢者だ、 しかし、 そういう単身生活で元気な高齢者は、 やがて、 少数派に転じるかもしれない、 都会を中心にひっそりと暮らしている、 孤独な高齢者が増えている、 孤独に暮らす高齢者は、 やむを得ない用事でないと外出しない、 趣味娯楽や、 ボランティア活動で外出することがまずないから、 社会と関わることが少なくなり、 外出を大変億劫がるようになる、 年金等でただ静かに暮らすだけになるから、 人嫌いの傾向が強くなる、 特に赤ん坊の泣き声や、 子供が遊ぶときの甲高い声に、 神経をすり減らしていらだつ、 子供から元気をもらうどころではない、 この状態は陰鬱に近いものがある、 単身生活の高齢者には、 外孫のいる人もいるだろう、 我が息子や、娘が孫を連れて訪れたら、 どのように接しているのだろうか、 外部との接触を殆ど断って、 ひっそり暮らしていた高齢者が、 よく道で声かけしてくる人に、 やがて会釈を返すようになった、 声かけする人に連れられて、 図書館で行われる読み聞かせ会に参加しているうちに、 楽しい場面では子供たちと同じようによく笑い、 可哀想な場面では同じように涙ぐむようになった、 1年ほどして読み聞かせを行うようになった、 今では実に生き生きして、 見違えるほど積極的になったという、 ひっそりと暮らしている高齢者の多くは、 外から手を差し伸べれば、 社会に参加することの効用を知り、 前向きな生き方をするようになるだろう、 これから孤独な高齢者は激増していく、 玄関のドアを岩戸にして引きこもる高齢者に、 その岩戸を開けさせる工夫と、 取り組みが必要ではないか、 外の社会と関わることが、 外の社会に貢献できるということが、 どんなに楽しく、 元気をもらえ、 気持ちを豊かにしてくれるかを、 実感させられる工夫と取り組みである。
2015.02.03
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貴方方はゆとり世代の中核だ、 閉塞感が蔓延した社会に、 風穴を開けるのは貴方方だよ、 新しい風という価値観で、 新しい社会を築く原動力は、 貴方方が培うのだよ、 先輩世代に辛く当たられるかもしれない、 でも、 聞いてほしい、 僕は1998年の秋から、 読み聞かせ活動を始めた、 保育園、幼稚園、小学校を訪れると、 廊下の壁に掲示されている、 子供たちの作品を見て歩く、 大胆な発想や、 個性的な感性にあふれて、 啓発されるものが多いからだ、 比較しやすいように、 2000年前後の小学低学年の作品と、 2008年前後の小学停学年の作品、 に限定してみようか、 すると、 明らかに後者の作品のほうが、 発想が優れ、 感受性の豊かさを感じさせるものが多い、 例えば、 前者の画に太陽が描かれているとする、 野原があって花が咲き乱れ、 人や、動物が遊んでいる、 その向こうに山並みがあって、 さらにその向こうの高いところに、 太陽が描かれている、 ところが、 後者の画は、 大きな太陽がまず描かれ、 その向こうに野原があり、 さらにその向こうに山並みがある、 つまり、 太陽の裏側から描かれている、 象徴的に例示させてもらったが、 発想の大胆さや、 感受性の豊かさにおいて、 後者のほうが格段にいい、 これはゆとり教育のお陰なんだよ、 余計なことはもう言わない、 ただ、 自信を持って社会に飛び込んでほしい、 それだけだ。
2015.02.02
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