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ニューヨーク帰りの知人から、 足首のすぐ上の部分から、 太股の付け根に近い部分まで、 マリリン・モンローのセクシーな笑顔を、 10面前後プリントしたタイツを貰った、 しかも、2足、 かなりのためらいの後に履いて鏡に写した、 背筋に悪寒と快感の中間のような感覚が、 電流のように流れた、 そのとき以来、 僕のファッションは変わった、 その直前まで、 僕は自分をもっと解放させたいと思っていた、 心に不要なお札を貼りつけて、 重くしていた、 虚栄のお札、傲慢のお札、偽善のお札、 その他もろもろのお札、 そんな不要なお札をガサガサ貼りつけて、 息がつまり心が重かった、 はがせるだけでいいからはがしたかった、 モンローのタイツは、 引き金だった、 ちなみに、 僕は映画で見たモンローに男を見ていた、 おのれの肉体のすべてを、 セクシーな女に変えた男を… ガガのダンスや歌い方に、 うめく性(さが)を感じた、 それを包んで、 ガガは開き直っている、 あの開き直りを、 今の自分は忘れている、 そういう心でガガを見ていた、 今の自分に偽善の臭いを感じていたときだ、 褒められればお世辞と知りながら、 いい気になっていた、 そのいい気でいい子を演じていた、 自分の性を露わにし、 開き直らなければならない、 そんなとき、 テレビのバラエティー番組が、 ガガに扮しないか、 と依頼してきた、 僕はガガに扮して踊った、 踊りながら、 お前の性を出しなよ、 とガガに背中を押された、 少し開き直り性を出せるようになった、 もっともっと性を出したい、 それはこれからの課題だ、 ガガに男を感じる人がいるかもしれない、 だが、ガガは精神の深層にもっとも女らしいものを秘めた女だ、 さんざん傷ついた女の性の深奥に、 超女性としての女を持っている。
2015.08.29
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山口組から2次団体の最大組織山健組など10団体以上が脱退し、 新団体を結成するという。 山口組の本格的な分裂劇は4代目の襲名を巡って山広組、加茂田組などが脱退し、 一和会を結成して以来のことだろう。 このときは3代目山口組をほぼ2分した大分裂だったが、 数年に及ぶ抗争を経て一和会側は疲弊し解散に追い込まれた。 山口組は神戸港の港湾荷役を主な利権として力を得ていったが、 3代目の田岡組長の時代に広域に展開して、 日本最大の広域暴力団になった。 尖兵を送り込み拠点になる組織を作り、 その組織が強固な基盤を築くというやり方と、 地元組織に揺さぶりをかけて傘下に収めるかたちの 二通りの進出方法をとって広域化した。 いずれにしろ、山口組の本拠地は神戸であり、 大阪を含めて阪神地域の2次団体が本流ということになる。 3代目の跡目問題に端を発した山口・一和戦争は、 4代目に姫路に本拠を置く竹中組の組長が決まったことで、 3代目時代に本流だった阪神の有力2次団体が多く分離独立した。 4代目の決定には3代目姐と当局から認定された田岡未亡人と、 3代目時代の故山本健一若頭の出身母体の山健組系 が強く推したことが大きく影響したと言われる。 山健組も山本広一和会会長の出身母体の山広組も、 本流中の本流組織だった。共に本流意識が強かった。 山一抗争は姫路の竹中組竹中組長を推挙する山健組グループと 山広組グループとの山口組本流同士の争いと見ることができる。 山口組という一大金看板を外すことを余儀なくされた山広組グループが 激しい切り崩しにあい、このままでは先細りになることを憂慮し 山口組4代目の竹中組長と中山若頭、他1名を暗殺するという一打逆転狙いの痛打を浴びせた。 しかし、山口組というピカ一の金看板を掲げる同組はすぐに態勢を立て直し、 一和会を追い込んでいったのである。 一和会壊滅後の山口組は5代目渡辺組長の下、山口組本流の体制が確立し、 東京への進出も本格化し、日本のヤクザの4割前後の構成員を擁し、 ほぼ全国制覇の状況だった。 しかし、その状況が強力な地方組織を生み、 山口組の神戸・大阪の本流体制を徐々に変質させていった。 それは名古屋の弘道会の急激な成長だった。 山口組2次団体の大組織は山健組に見る通り、 東京、九州、北海道などに進出し、それぞれが広域化していったが、 その広域化を弘道会は急激に進めていった。 名古屋には3代目の時代から鈴木組という山口組の傘下組織があった。 鈴木組は本来の山口組が神戸港の港湾荷役を主な資金源にしていたように、 名古屋港の港湾荷役を請け負うことで勢力を伸ばした。 その鈴木組の組長が引退し組も解散したが、 解散時の弘田若頭が独立して弘田組を結成、改めて3代目山口組の傘下に入った。 弘田組は名古屋有数の組織にのし上がるが、 一和会が生まれたとき弘田組長は加盟する約束をしていた。 しかし、傘下組織の多くが異議を唱えたため、 弘田組長は自らが引退し若頭だった傘下組織の1つの司興業の司忍組長に後を委ねる というかたちで収拾を図った。 そうして生まれたのが弘道会である。 その後、弘道会は広域化し山口組内でも影響力を高めて、 ついに司組長・高山若頭という弘道会時代の体制が そのまま6代目山口の体制になり、弘道会は山口組の中枢に どかっと位置するようになった。 この支配体制は年々強力にになるばかりで、 本来の、山口組本流は組運営の外側に放り出された感があった。 その不満が鬱積しての分裂劇の始まりということになる。 つまり、本来の山口組本流と元来は地方組織だった弘道会の争いである。 神戸、大阪に本拠を置く本流の2次団体も代替わりしたところも多く、 それを契機に弘道会に近い組織になったところもあり、 山口組本流と言ってもひとくくりにはできないが、 絶縁、破門になったところは山健組を筆頭に、 構成員が多い傾向で、13組織で分裂前の山口組の3分の1近い構成員を有する。 看板にはもともと本流だったというプライドもあり、 関西山口組のように山口組の名を入れるという情報もある。 一和会より結束が強そうだから切り崩しにあっても、 そうそう簡単には切り崩されないだろう。 今後の推移に注目したい。 山口組の分裂劇と前後して橋下徹氏、松井一郎の両氏が 維新の党を離れた。 橋下氏は大阪維新の会を国政政党に格上げして関西を地盤とする 地域政党の道を歩ませる腹らしいが、 それに参加する国会議員は12,3名に留まりそうである。 橋下氏には山口組から分離した旧山口組本流の意識と似て非なる意識だが、 大阪を東京の対抗軸にしたいという強い思いがある。 そのためには時の権力である安部首相・菅官房長官ラインをも利用して 大阪浮上の権謀術策を弄したいのかもしれない。 政治の世界はまだヤクザの世界ほど関西勢が力を得ていない。 橋下氏が今後ウルトラわざを連発して大阪をどれだけ熱くできるか。 この行方も注視したい。
2015.08.28
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* 家族、恋人以外の異性といいふれあいをしてみよう 男でも女でも異性を意識できる間は、 年齢に関係なく活き活きとして精彩に富んでいます。 20歳でも恋人のいる人のほうがいない人より輝いて見えるものです。 既婚者でもそうです…と言ったら妄言になります。 無論、恋せよ、既婚者…などとすすめるつもりは毛頭ありません。 ただ、既婚者でも中高年の人でも、 異性から受けるいい刺激を大切にすることが、 これからの人生を豊かにするということを解ってほしいのです。 地域でゲートボールの指導をしている知人から、 こんな話を聞きました。 近所にご主人がリタイアしていつも家にいるようになってから たいへん仲が悪くなった70代の夫婦がいて、 どちらも常に険悪で暗い表情をしている。 知人は道でよくすれ違う奥さんのほうを、 ゲートボールに誘いました。 「にべもない感じで断られましたよ。ある日、私達がゲートボールに 興じる姿を見ているじゃないですか。楽しそうにやってる、 と思ったのでしょう。誘うと素直に頷きました」 その奥さんはみんなと打ち解けていくに従い、 よく声を出し動きが積極的になっていったそうです。 道であっても以前と違って着るものがカラフルになり、 髪もきちんとセットし化粧にも気を遣うようになりました。 「有志で月に1回カラオケに行くんですが、その奥さん、 年下の男性とデュエットするときは、 本当に目を輝かせて歌っています。それだけのことですが、 本人の心に大きな変化が起きたんでしょうね」 そのうち、ご主人のほうもゲートボールに参加するようになり、 夫婦仲が格段によくなったそうです。 年齢がいっても身だしなみがよく、どこか若々しい人がいますが、 そういう人はいい意味で常に異性を意識しているはずです。 何年か前、おしどり夫婦と言われていた還暦過ぎの夫婦の 奥さんのほうが急逝しました。 残されたご主人は意気消沈して家にひきこもり、 みるみるうちに精彩を欠いていきました。 その人にダンスをすすめる人がいました。 それで、週1回公営施設の会場で開かれるダンス教室に通うようになって、 目に見えて言動が溌剌としたものになっていきました。 社交ダンスは異性と組んでステップを踏みます。 これが大変いい刺激になって心身をリフレッシュさせ、 その人に新たな活力を与えたのでしょう。 ホームパーティーでもいいし、若い恋人同士だったら同世代の 異性がまじる仲間との飲み会でもいいと思います。 配偶者、恋人が同席するところで、 配偶者、恋人以外の異性とのいいふれあいをすることで新鮮な刺激を受け、 配偶者、恋人との絆をより強くし共有できる世界の幅を 大きく広げるはずです。 それはそれぞれの胸に、 共に前を向かせる新しい希望を灯す結果になると思います。
2015.08.27
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* 1年1年座右の銘を新しくしてそれを実行してみよう 僕が約40年近く一貫して座右の銘にしている言葉は、 ~いまが出発点~ です。 下は小学生から上は90歳100歳の人まで、 この言葉を書いて差し上げると大変喜んでもらえます。 100歳以上の方が、色紙に書いて差し上げると、 「ああ、毎日がその気持ですよ。いつでも始まりなんです。 生かされているということはそういうことです」 と、頷いて笑顔になりました。 いつだったか、路上で20代の男性に、いきなり、 「これを見て下さい!」 と、声をかけられました。 何だとびっくりしていると、男性は定期入れから二つ折りにされた 紙片を広げて僕に見せました。 子ども用の手帳の1ページを破ったもので、 ボールペンを使った(いまが出発点)という 僕の筆跡に対面することになりました。 「小学3年のときのものです。ずっと大切にしています」 ただの紙片にしたのか、絵本にしたのか、 立派な色紙にしたのかは関係ありません。 こっちの誠意が伝われば大切にしてくれます。 座右の銘には強い暗示効果があると思います。 サインをしているときだって、 僕自身が凹んでいることもあります。 いまが出発点~と書いていれば、 そのことをいちいち確認していることになります。 そうだ、いまが出発点だ、元気を出さなきゃ、 と気持ちを切り替えることができます。 一貫した座右の銘とは別に短期の座右の銘を作るといいですよ。 僕はヘビースモーカーでしたが、 禁煙を志したとき、今日も禁煙、という短期の座右の銘を作り、 朝のウオーキングのとき、 「キョウ・モ・キン・エン」と4拍子で唱えながら歩きました。 僕のウオーキングのリズムは4拍子です。 10日で禁煙できました。 僕は原理主義者ではありませんから、 夜の席にスモーカーがいれば、 1本もらって吸うことがあります。 至福のときで気づかぬうちに紫煙に乗って ストレスも吐き出されていきますね。 禁酒禁煙、生活のすべてを健康的に… と自分をガチガチの枠にはめている人は、 僕の経験では早くに病気になる人が多いような気がします。 自分を純粋培養しているようなものですから、 免疫が作れない。 原理主義は心身にとって天敵です。 枠を作るのはいいんですが、その枠に遊びをもたせることが、 人間らしく生きるには不可欠です。 もう卒業させましたが、「メン・エキ・ゾウ・キョウ」 と唱えながら歩いたこともあります。 免疫増強です。 枠から少しはみ出るのは免疫作りにとても効果があります。 短期の座右の銘は、目指すことを4字熟語的にまとめてみてください。 ゴルフのときでも、通勤の行き帰りでもいいですし 心で唱えてもいいですから、充分に唱えてみてください。 信じてやれば驚くほどの効果が期待できるでしょう。
2015.08.25
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* 自分史を書いて冷静に自分を振り返りこれからの人生の方向を定める 80歳で水墨画を始め100歳で油彩の赤絵に挑んだ 現役のお坊さんに104歳でお会いしたときは驚きました。 この人はもともと画家志望でしたが、お寺を継がなければならない という家庭の事情で断念、僧侶の道に進まれました。 80歳で住職の座は息子さんに譲ったのですが、 僧侶はそのまま続けました。 取材した当時、法要などは息子さん、お孫さんと並んで 3代で営むということでした。 80歳で水墨画を始めたのは、 青春時代に描いた夢を捨てきれないでいたためでした。 自室の壁に飾られていた富士の赤絵は、 100歳丁度のときの作品だそうですが、若さにあふれた ダイナミックな筆致でした。 取材からしばらく経って、この人から手紙をもらいました。 楷書に近い几帳面な字で書かれていて、 読む人が読みやすいように書いている、とすぐに解りました。 手紙をくれたのは言い忘れたことがあって、 そのことをどうしても知らせたかったためでした。 そのことは手紙の末尾のほうに認められていました。 「…私としては、腹立てず、心は丸く、気は長く、己小さく、 人は大きく~という古人の言葉を守っていることが長命の秘訣と思っています」 文中の古人は達磨大師のことです。 取材時に忘れてどうしても知らせたいと気になって、 こうして手紙を書いてくれた、この人の人生は、 長時間取材して僕の頭に充分に入りましたが、 この手紙により画竜点睛のものになりました。 この人の人生、つまり、この人の自分史は、 この人が僕に語ることにより、 104歳になっても充分自分を振り返る結果になりました。 そして、手紙を書くことでその自分史の核になっているものを 改めて強く心に刻み込むことができたのではないでしょうか。 この人は2年後、106歳で他界されましたが、 息を引き取る直前まで新聞に目を通していたそうで、 大往生でした。 自分史は日記と違います。 日記は何度つけ始めても途中で挫折して、 もはや僕にとっては無駄なことになりましたが、 世の中には1日も欠かさずつけている人がいて、 びっくりすると同時に尊敬させられたものです。 日記をつけている人はそのまま続けて、 自分史も書いて下さい。 自分史は思い立ったときで、しかも、自分に苦痛を強いない 程度の長さで結構です。 そして、年若い人ほど自分史は書く価値があるということです。 まだ学生か、社会人になっているかはともかくとして、 20歳の人は進路、恋愛、家族関係など、 様々な悩みを抱えていることが多いものです。 例えば、目指していることがあって努力を傾けているが、 何かの大きな壁にぶつかっているとしましょう。 自分を素直に振り返ると、それに近い経験が鮮やかに思い起こされて、 そのまま挫折したことも、頑張って乗り越えたことも、 昨日のことのように蘇ってきます。 野球のリトルリーグにいたとき、 20打席以上もヒットが出ず、フォームもばらばらになった。 高校野球の人にフォームを見てもらうようになった。 素振りを毎日1000回やった。 28打席目無心にバットを振ったが、 たちまち2ストライクに追い込まれた。 1ボールを見送った後、やはり無心にバットを振った。 快音が響いて球はぐんぐん伸びて3塁打になった。 そうか、あのときはこうだった、 じゃ、焦らず無心に取り組んでみよう、 とそのときに学ぶことで今の壁を乗り越える 契機が生まれるかもしれない。 104歳の人は僕の取材に対応することで、 自分史を書いているときと同じ気持ちになっていたと思います。 普段は意識の底に沈んでいたことが、 取材の過程で不意に表面に浮かび上がってくることがあります。 自分史を書くということはそういうことなのです。 そのことからこれからの自分を充実させる貴い糧が生まれる。 これは素晴らしいことです。 老いも若きも自分史を書くことで、 記憶の引き出しからこぼれていった大事なものを 掬い上げることができるのです。 この半年この1年の自分史でもいい、 思い立ったときに書いてみることです。 書いていくと解りますが多くの他人と関わっている。 人間は1人では生きていけないということが身にしみて、 これからの人生に対し大きな示唆を得られる。 折りにふれ自分史を書くことで貴方の感受性は、 いつまでも貴方を若々しく保ってくれるはずです。 、
2015.08.22
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* 友達がどんどんいなくなる人 80歳以上の元気な男性がふと洩らしたつぶやきに、 ハッとしました。 「年々、友人、知人がいなくなっていく。これが 何と言ってもいちばん寂しいことです」 このシリーズをお読みの方は、 親子ほども孫ほども年の離れた友人を持てばいいんだ、 という意識をすでに念頭に置かれたことと思います。 90を超えても100歳になっても、 年下の友人と若々しく過ごせます。老後も楽し…です。 しかし、仕事人間の方はそういう意識を一瞬持っても、 ついつい仕事に追いまくられて忘却の彼方のものにしてしまいます。 会社にも後輩や、部下がいるからいいや、と思うでしょ。 でも、定年を迎え、役員を勇退してみれば解ります。 あれほど慕ってくれた後輩や、部下は日々に疎しになり、 気がついたら傍に奥さんのみがいる、 という侘しい人間関係になるかもしれません。 会社の人間関係は解りあえた仲になったつもりでも、 会社を離れれば疎遠になっていきます。 年若い友人は外に作ることです。 タテ型社会にいるときに仕事を離れた ヨコ型の人間関係を築けなかった人はリタイア後は寂しいですね。 同窓会などに出席すれば、とたんに喜びも悲しみも 共有した時代に引き戻されて楽しいですが、 同窓会は毎日あるわけではありません。 リタイアすると日常が大事です。 6,7年前のことですが、トップまで上り詰めた知人が 64歳で勇退しました。 夫婦で世界一周の豪華客船の旅でもしようか、 という矢先に3歳年下の奥さんが心臓発作で急死しました。 一男一女の2人の子どもは共に結婚し子どももいましたが、 子育てに忙しく遠方に住んでいることもあって、 独りになったその人のところへはあまり訪れてこない。 孤独をかこつこともなくなるからと、 超高級の老人ホームに入りましたが、 間もなくアルツハイマー病になり、 老人ホーム側の事情でそこを出て、 特別養護老人ホームに移りました。 アルツハイマー病になる前後のことらしいんですが、 投資詐欺にあい、財産の殆どをすってしまったと聞きました。 有料のいい老人ホームには裕福な利用者を狙って、 詐欺師が魔手を伸ばしてくるそうです。 働き盛りのときにこそ、時間を作ってヨコ型の友人を作りましょう。 趣味や、遊びを共有できる仲間でもいいし、 何か研究でも始めれば、共にそれに没頭できる友人ができます。 こいつとは一緒に飲んでるだけで楽しいんだ、という相手でもいい。 今、こういう人間関係をたくさん築いておくと、 リタイア後の人生がとても彩り豊かになります。 僕のような自由業の人間は、 もともとタテ型社会はないようなものですが、 ほっとくと同世代で、同業者や、趣味趣向が似たものばかりになりがちです。 留意して20代30代の友人を多くしてきました。 元気と情報を貰ってますから若返りますね。
2015.08.21
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* 家の仕事を家族と分担してやらない人 70代という世代の男は男が一番輝いている、 と錯覚できた時代を生きたのかもしれません。 何しろ、 「おれが一生懸命働いて家族を養うから、 うちのことは頼んだぞ」 と、家事の一切を奥さんに丸投げできたのですから。 子育てを初め家事ほど大変で煩わしいものはなく、 カッコつけて偉そうに言って、 外に出て働くだけですから、こんな楽なことはなかったなあ。 僕らの世代は経済成長が軌道に乗った頃、働き始めて、 そのいいとこ取りで働き盛りを過ごし、 リタイア前に失われた20年は始まっていましたが、 まだ蓄積豊かな恵みを充分受けられました。 外へ出れば7人の敵がいるとよく言いますが、 敵は稀で70人の味方がいたぐらいな感じがありました。 良き時代でした。 リタイアしても、社会保障は手厚くカバーされていたし、 退職金、年金を多く頂いている世代で、 暇さえあれば、いや、暇ばかりですから、 ウイークデーの飲み会の始まりは、 午後4時が普通です。 この世代で僕のような浮き草稼業は、結構悲惨ですよ。 手取りで月5万に欠ける国民年金じゃ飲み代にも足りません。 だから、働いています。 午後4時スタートの飲み会に参加できるわかないでしょう。 9時過ぎにようやく一仕事を終えて、 2次会場へ駆けつけると、 「皆様、先ほど、お車を呼んでお帰りになりました」 という返事に会費払わず助かった、と胸を撫で下ろすのです。 愚痴はやめにして、この世代は、 リタイアしても亭主関白のまんまです。 「おーいお茶!」 「おーい、昼飯はまだかあ」 と、大声を出していればすむ。 出かけるとなると、靴下出してくれ、靴は磨いてあるか、 ですもの。 この世代は奥さんのほうが幾つか年下の組み合わせが多い。 女のほうが7つぐらい平均寿命が高いですから、 大体奥さんのほうが10年やそこらは長く生きる。 極稀に奥さんに先立たれた人がいますが、 悲惨な感じになりやすいですね。 家事をやってこなかった報いがいっぺんにきて。 どうしていいか解らない。 家政婦さんにきてもらっても、おーい、で万事はすまない。 身なりや、身の回りに構わなくなるんですね。 ぼじれて急速に老けてボケて、 特別養護老人ホームに入る人も見てきました。 奥さんに先立たれたリタイア高齢者でも、 若々しく過ごしている人もいます。 現役の頃から家事を分担してきた人が多いです。 それと、友達が多いですね。 それも年下の友達をいっぱい持っています。 10歳20歳年下の友は無論のこと、 20代30代という親子ほど年の離れた友がいたりする。 ですから、刺激を受けて行動も意識も若さを保つことができるのです。 リタイアしてから慌てて年下の友達を得ようとしても、 そう簡単にはいきません。 現役時代の意識の問題です。 ところで、リタイアして奥さんに先立たれても、 活き活きしてしている人にヒントがありそうです。 家事をを分担して積極的にやる。 年下の友達を作る。 以上の2つを心がけましょう。 昨今は主夫もいる世の中ですから、 これは女性にも言えることです。 20代の人から年下の友達を作れって、 3つ4つの子を友達にするのかよ、と突っ込まれそうですね。 そうですよ、と答えましょう。 3つ4つの子どもに読み聞かせをやれば、 友達になれますよ、きっと終生の友も生まれます、と。 読み聞かせに限らず、 子どもとの接点を積極的に求めることです。 子どもが多い絵の教室に通ってもいいじゃないですか。 結婚して我が子ができれば親としての立場だけではなく、 友という意識も持つことができるでしょう。 それは理想論でもありますが、 30代40代で配偶者のいる方は、 くれぐれも仲良く家事の分担をやってください。 そして、同世代の友達だけではなく、 年下の友達をどんどん作っておきましょう。 今から仕込めば豊かなリタイア生活を享受できます。
2015.08.20
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* 素敵な自分をイメージない人 皆さん、自分の脳内スクリーンに素敵な自分を映されていますか? サッカーの好きな人だったら、 ロナウジーニョからのアシストを受けて、 見事シュートを決めた一瞬でもいいでしょう。 メルヘンが好きな女性だったら、 美しい湖の畔を歩いていたら、 対岸の城から王子が白馬に乗って駆け出てきてプロポーズされた、 でもいいじゃないですか。 自分の脳内スクリーンに映った自分は、 実は強いその願望を表しています。 ただの夢想ではない自分をはっきり繰り返しイメージできれば、 それは志の裏付けのある夢になります。 サッカー少年がロナウジーニョからのアシストを受けて、 シュートを決めた自分が脳内スクリーンに焼きついていれば、 10年後、全盛期のロナウジーニョに匹敵する 未来の花形選手からのアシストを受けて シュートを決めるかもしれません。 当然自分も花形選手の1人です。 志の裏付けのある夢にならなくても、 そのときだけイメージを楽しむだけで、 大変効果の高いストレス解消法になります。 僕は脳内スクリーンにクマタカになり、 大空をどこまでも翔け上がっていく自分を映し出します。 夜になり降るような星空になる。 それでも上がっていく。 星々の間を縫って飛び疲れれば、 三日月に止まって翼を休めます。 爽快ですよ。 下界でチマチマしたことに悩んでいたのがバカみたいです。 でも、単なるストレス解消法ではなく、 実現の可能性が1%あったら、 その自分を繰り返しイメージして下さい。 僕は作家志望の若者ではありませんでした。 同人誌同人の友人の文学青年から、 この続きを書いてみろよ、 と書きかけのショートショートの原稿を渡され、 数枚書いて仕上げました。 それを読んで友人は、 「才能あるぞ」 と、叫びました。 そのときから僕は脳内スクリーンに、 作家になって締め切りに追われる自分を映しだしました。 そのための努力を始めました。 懸賞小説への応募を開始したんです。 予選に通るようになり候補作の常連になり、 やがて受賞しましたが、それまで7年かかりました。 1%の可能性が10%になり30%になり、 50%になったということです。 直木賞を受賞して80%になりました。 後の20%はこれからの自分に託しています。 100%にしてはいけないんですね。 脳内スクリーンの自分はいつも未来です。 素晴らしい自分ではなく、 駄目な自分を脳内スクリーンに写している方はいませんか。 多くは不安と怖れの表れです。 前に経験した不安や、怖れを強く感じたできごとがあって、 脳内スクリーンにフラッシュバックさせてしまう。 また駄目なのではないか、また同じ憂き目にあうのではないか、 と後ろ向きになってしまう。 そういう自分をイメージすると、 プラスのイメージとは逆の確率を高めてしまい、 やがて現実のことになってしまうかもしれません。 それを避けるためには、不安の種、怖れの種と向きあい、 それを払拭する自分をイメージすることです。 特性のラケットでバンバン跳ねっ返してもいいじゃないですか。 ブルドーザーで不安や、怖れの象徴を潰し尽くしてもいい。 痛みもあるし苦しいですよ。 でも、その後に素晴らしい自分をイメージする。 これが大切です。 貴方はたくましく楽しい人間に変わるのです。
2015.08.19
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* 服装が年々地味になる人 服装とファッションに関しては、 かなり年季を入れてきたつもりです。 カゲキファッションと呼ばれている僕自身の服装の是非に関係なく、 道ですれ違う人や、電車で乗りあわせた人の服装は、 それとなくしっかりチェックしています。 その長年にわたる習慣で解ってきたことは、 地味な服装の人には警戒心の強い人が多いということです。 あるいは、警戒心が強いと、無意識のうちに 地味な服装をするということです。 あえて悪い例えで言いますが、 泥棒や、空き巣狙いは大変警戒心が強いです。 自然と目立つことのないように地味な服装を心がけます。 間違っても僕のような服装はしません。 悪事を働く人が警戒されないよう地味になるのは当たり前として、 普通の人が傍目から見て服装を構わなくなるのは、 どうしてでしょうか。 明らかに活き活きとしたときとは 逆の状態を表しています。 精彩を欠く…という言葉があります。 【精彩】は美しい彩りという意味の言葉ですから、 年々、服装が地味になっていくのは、 年々、精彩を欠いていくということなのです。 先に警戒心という言葉を出しましたが、 年がいくに従い服装が地味になる人は、 年甲斐もないと周囲から見られたくない、 という警戒の念が働いています。 その念が昂じれば閉鎖的になり、 自分の殻に閉じこもるようになります。 その場合、服装は殻を象徴していますから地味の上にも地味になる。 殻で鮮やかなものはありません。 年相応の格好をしてひっそりと暮らしていこう、 という意識になったら臆病の発想そのものであり、 身を縮めるような守りの姿勢に入った証拠です。 大体、年相応の格好って意味のない言葉です。 その人相応の格好ならあるでしょう。 避雷針の発明者として知られるベンジャミン・フランクリンは、 こういう言葉を残しています。 「ものぐさは錆と同じ、労働よりもかえって消耗を早める。一方、 使っている鍵はいつも光っている」 まだ働き盛りなのにものぐさになったら、 心身が錆びついてきたのだと思い、 奮起してまめになりましょう。 年がいっても原色の派手な服装をしている人は、 見るからに陽気で楽しそうに振る舞っています。 開放的な服装をして解放されたいという意識が服装に出る。 そういう服装をすることで、なお解放されたという意識になり、 気分よく過ごせます。 年々、服装が派手になっていけば、心身がそれについていこうとして、 健康を維持さざるを得ません。 皆さん、老いも若きもどんどんカラフルなものを身につけていきましょう。 もしも、ここまで読んで眉をひそめる方がいたら、 残念ながら後ろ向きの意識で、 老化を加速させる方向へ歩きつつあると言わざるを得ません。
2015.08.18
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* ありがとう…の言葉がない人 挨拶をしない人が増えた。 挨拶をしなくなったのではなく、 挨拶ができない、挨拶を知らないのだ、と手厳しい声も聞こえます。 ウオーキングをしていて自転車が横道から現れれば、 先に通してやるために足を止めます。 乗っている人が若い人で、 「ありがとう」 と、はっきりした声で言われると、とても気分がいいんです。 ということは、ありがとうの一言もなしに、 横切ってしまう人が殆どだということです。 今は他人の小さな配慮に、働き盛りの人も高齢者の人も、 ありがとうを言わない人のほうが多数派のような気ががします。 働き盛りの人はそんな些細なことには、 お互い忙しいんだから無視でいいんじゃないか、 という気持ちかもしれません。 高齢者の方には年寄りには敬意を表するのが当たり前だろう、 という甘えた意識の人が多いのかもしれません。 そう言えば、今の中高年の人は、 「今どきの若いもんは…」 という嘆きや、怒りの枕詞をあまり発しませんね。 僕らの若い頃は、行く先々で顔を見られながら、 「今どきの若いもんは…」 と、やられたもんです。 中高年者が若い人に向ける この常套句があまり聞かれなくなったのは、 今どきの若いもんは…と非難の対象にしていたことを、 今は中高年もやっているということなんですね。 ありがとう…を例に取れば若い人も、 中高年の人も言わなくなった。そういうことです。 70代の僕の世代でも、 道を譲ってやっても靴の紐がほどけていることを教えてやっても、 ありがとうどころか、会釈の1つさえ返さない方が結構います。 あっ、そう、といった表情ぐらいですね。 うるさそうにする人さえいます。 そのくせ、ちゃんと靴の紐は結び直す。 ニコッとされて、ありがとうの一言が聞けたときは、 本当に嬉しいものです。 ありがとうの一言が言えないほど、 日本人は超照れ屋になってしまったのでしょうか。 八百屋のおばさんからこんな話を聞いたことがあります。 「お年寄りだと思うから、たとえ萎びたキュウリ1つでもおまけにつける。 でも、ありがとうと言う人が少なくなりました。 当たり前のような顔をしているんです。そういう人に限って、 スーパーより高い、あんたの言葉は乱暴だなどと文句をつけてくる。 頭にきますよ、本当は。でも、考えてみりゃおカネ払って、 更に情報まで教えてくれる。注意もしてくれる。感謝です」 何かしてもらうのは当たり前だと思っている。 権利は声高に主張する。 利己的な考えが横行する世の中になってしまっている。 それがありがとうの声が、 あまり聞かれなくなった原因ではないでしょうか。 ありがとうを言われるより、 まずありがとうを言うことを心がけたいものです。 ありがとうという言葉を元気に発声するだけで、 体に元気がみなぎってきます。 言うだけで快感です。相手も元気そうな笑顔になる。 晴れてればありがとう。 ご飯が美味しければありがとう。 感謝の念が湧き、自分が元気に生きていることは、 当たり前ではなく感謝するべきことなのだ、 と理解するようになります。 何が幸せかをありがとうは教えてくれるのです。 いつまでも瑞々しい気持ちで生きるためには、 ありがとうの精神です。 このブログを最後の行まで読んでいただいて、 本当に【ありがとう】です。
2015.08.17
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* 寝起きの悪い人 寝起き…この言葉には大きく分けて2つの意味があります。 1つは寝ることと起きることです。 もう1つは寝ていた人が起きることです。 前者は起き伏し、起居などと同義に使われ、 転じて日常生活そのものを表す言葉にもなっています。 後者は眠りから覚めたときの気分や、機嫌を表す意味にも使われています。 それに習えば、寝起きの悪い人は、寝て起きたときの機嫌、 気分が悪い人ということになります。 とりあえずここでは前者の意味をとって(寝起きの悪い人)を、 寝つきと寝覚めの悪い人、という意味で使わせていただきます。 寝つきと寝覚めの悪い人の多くは、疲労を蓄積させています。 特に心配症の人は常に心配ごとがあって熟睡できないで、 肉体的疲労と精神的疲労を併せ持っている人が少なくありません。 起きて活動している時間もハツラツとした感じがしません。 寝つきと寝覚めを悪くしている原因を早く取り除きましょう。 とは言っても、現代社会はストレスから免れにくい構造ですから、 蓄積疲労を解消することはなかなかできません。 寝つきと寝覚めの悪いことが常態化して、 改善できない人が増えています。 目覚まし時計を2つも3つもセットしている人は、 皆さんの身の回りにも1人2人はいるのではないでしょうか。 極端に寝起きが悪ければこれはもう不眠症で、 睡眠薬の世話にならなければなりません。 普通で言う寝つきの悪い人はベッドに横になると、 心配ごとが頭に入ってきていつまでも思い煩うようです。 気分転換が下手なんですね。 もう寝るんだから頭のなかをカラッポにすればいいのに、 横になってからドドっと頭に入れてしまう。 いくら悩んだって横になっての解決はありません。 早く頭をカラッポにして寝なきゃ、 朝起きて考えればいい思案が生まれるのに… 傍がやきもきしても心配症の人は、 それができないのです。 さあどうしたらよいでしょう。 こんな日常を10年20年続けていたら、 まだ50代の働き盛りで若年性アルツハイマーの発症、 なんてことにもなりかねません。 睡眠薬の使用は逃げで、ついつい使っているうちに、 依存せざるを得ない体になってしまいます。 まだ30代前半で大変寝つきと寝覚めの悪い人がいました。 睡眠薬を用いることもありました。 この人の奥さんは起こし役で、 朝は彼の体を強く強く揺すって起こしていました。 往復ビンタをくれることもあったとかで、 この奥さんがいなかったら彼は宮仕えを続けられなかったでしょう。 上司の命令で、 彼は5拍6日の能力開発セミナーに参加することになりました。 「朝5時起きで5キロのジョギングをやるらしいよ。 夜の10時就寝まで糞刻みらしい」 彼は戦々恐々の体でした。 奥さんはいつもの睡眠薬や、 腕に巻きつけておくとブルブル振動するタイプの 小型目覚まし時計などを用意しました。 ところが、彼は睡眠薬も、 目覚まし時計も忘れていったのです。 さあ、奥さんは心配で心配でたまらない。 大きなミスをしなければいいが… と寝つきと寝覚めがすっかり悪くなってしまったのです。 しかし、案に相違して彼は活き活きして戻ってきました。 分刻みのスケジュールで鍛えられ、就寝時間にはもうクタクタで、 眠くて眠くて睡眠薬や、 目覚まし時計は持っていっても邪魔になるだけでした。 朝だって一斉起床です。 ぐずぐずしていれば、甘えんな、の一喝が飛んできます。 彼は強い意思と自主性を自分に課すしかなかったのです。 さて、起き際の機嫌がよくないという意味での寝起きの悪い人の話です。 エンジンのかかり具合が遅い、つまり、 寝起きてから心身のリズムが整うまで時間がかかる人です。 こういうタイプの人はほんの少しの無理を体に強いましょうか。 朝起きたらグラス1杯の冷たい水を一気飲みする。 ウオーキングに出る。 新聞の社説を声に出して読む。 なんでもいいです。 ほんの少しの無理でいいんですよ。 体は実はかなりの無理が利くようになっています。 でも、それは不測の事態のときにとっておきましょう。 ベッドでグズグズしている人は、 勤務中でもよくフアーッとあくびをしています。 心身のリズムがまだ整っていない証拠です。 こんな状態を長年続ければ、 生活習慣病を知らず引き寄せたり、 老化現象を早めて、 それと深い関わりのある認知症のリスクを高めてしまいます。 ほんの少しの無理を自分の体に強いて下さい。 強いれば別人のように改善されます。
2015.08.16
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5歳の夏 なぜ僕はあの日の空の色を覚えているのだろう 僕は官舎の廊下に独りでいた 20歳の兄はソ満国境近くの陣地にいた 17歳の長姉は川越の女学校にいた 13歳の次姉は杉並の女学校にいた 母は台所でお昼の支度をしていた 父は官舎と道を挟んで建つ職場にいた なぜ僕は何度も何度も空を振り仰いだのだろう 庭の青桐でアブラゼミが鳴いていた 聞いているだけでジトジト汗ばんでくる 空を見上げると一瞬爽やかさに包まれた どこまでも青が澄んで天上に届いていた その空に白い雲の色で思いでを描いた 家族と団欒している楽しい思いでだった なぜ一人一人はみんな暗い顔だったのだろう 大人なら負けると誰もが思っていた 敵機が我が物顔に頭上を飛んでいる 子どもの僕も大負けだと悟っていた どうにもならないから行くしかない 銃後の民も死ぬことが行くことだった どこに行くのかは誰も解らないでいた なぜ今日も暗く始まったのに今は静かなのだろう 青桐のアブラゼミも姿を消していた 僕の鼻にふかした芋の匂いが流れてきた 空腹を忘れるためにまた空を振り仰いだ 天上に届く青のままだけど息苦しかった 庭の木戸がパタンと開き父が入ってきた 父は僕を見ずに廊下へ大股で歩いてきた なぜ父の声は静寂をポンと破って響いたのだろう 「おい、戦争は今、終わった終わったぞ」 台所から母が「本当ですか」と駆けてきた 「本当だ。陛下が放送で仰せになられた」 頷いた母が全身の力を抜いて廊下に崩れた 僕は空を振り仰いでゆっくり深呼吸をした 僕の息が澱みなく澄んだ青に溶けていった
2015.08.15
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* 暇さえあれば横になる人 75年も生きているので、ずいぶんといろんな人を見てきました。 その経験で、しかも我流で言わせていただきますと、 暇さえあれば横になる人は次の4通りに分けることができます。 1 寝不足の人 2 体調の悪い人 3 何か常に不満がある人 4 完全にナマケモノの人 1はごろりとやってOKの人です。 僕も前夜が2時間程度の睡眠の日は、 スペースさえあればごろりと横になります。 2もごろりとやってOKですが、 いつもいつもだと病気が隠れている場合があるので、 医者に診て貰ったほうがいいでしょう。 3はごろりとやっては不満がますばかりでしょうね。 家族、周囲、仕事、世の中などに絶えず不満があって、 そのくせ解決しようという気がなく、口にも出せず、 ふて寝するしかない。 気が小さい人に多いですね。 ふて寝してもただの逃避に過ぎず、 起きれば元の木阿弥ですから、 不満は慢性的に残ったままです。 ふて寝と書きましたが、普通のふて寝は周りの人に なぜそうしたのか理由が大体解ります。 しかし、このタイプの人のふて寝は、 周りの人にその理由がつかめない。 それどころか、ふて寝だということすら解らない。 本人が不満を独りで抱えてごろりですから、 何だろう、よほど具合でも悪いのかと思うぐらいが関の山です。 不満は長期間継続し、一生抱えている人も多いです。 サラリーマンで昼休みに会社からかなり離れた 公園のベンチで横になっている人に、このタイプがいますね。 通りがかりの人は寛いでいていいなあ、と思うかもしれませんが、 当人の胸の内は鬱々なのです。 休日に家庭でごろごろしている人にも、 このタイプの人が多いと思います。 小心であると同時に、不満の多くは、 自分が職場などで正当に認められていないというものです。 それが昂じて自信喪失に陥っている人もいます。 例えば会社で報われないという不満があっても、 余暇に趣味、スポーツ、芸術などに興味を持ち活動を起こせば、 気持ちをいい方へ昇華させることができます。 上達して自信を持てば仕事にも好影響を及ぼすでしょう。 4は誰が見てもどこから見てもナマケモノ(怠け者)です。 三年寝太郎ほどでないにしろ、朝寝朝酒朝湯が大好きなタイプは、 昼間も暇さえあればすぐ横になります。 家は大体裕福です。財産分けをしてもらった人は、 あっという間に無一文になります。 これではいけない、と思うことは多いのですが、 汗水垂らして働こうという気には毛頭ならず、 楽で稼ぎがいい仕事はないか、という発想しかしませんから、 投資とか、儲け話に走る。 結果はお決まりのように無一文です。 以前、50人ほどの100歳以上の健康長寿の人を取材しましたが、 それで解ったことは若いときから身を粉にして働いてきた人ばかりでした。 ナマケモノは長生きできません。 さて結論です。3と4のタイプの人は大いに問題ありで、 先行きが案じられます。 もしこのブログをお読みの方で、自分には3か4の傾向がある、 とお思いの方は改善できる余地が大いにありますから、 改善に取りかかりましょう。 改善の余地のない人はこの種の文章には目を通しません。 自分をこのままではいけないという意識と、なるようになれ、 という意識の狭間に追い込んで矛盾の自縄自縛状態にして、、 先行きを更に暗くしてしまうのです。
2015.08.13
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* サービス精神の乏しい人 昨今はホームパーティーが盛んです。 某日、知人の家のホームパーティーに招かれました。 夫婦参加の客が中心でした。 この家の奥さんは料理上手で人を集めるのが大好きです。 話題も豊富です。 それはいいんですが、ホスト役のご主人はむっつりしていて まるで気配りのない人でした。 料理が運ばれると、どうぞの一言もなく、 客より早く箸を取り自分の口へ運んでいました。 話しかけるとちゃんと応じるんですが、 質問に答えるという感じで終わります。 しかし、特に気にもならず目障りでもありませんでした。 自然に静かにそこにいるので、 ほっとけばいい感じでした。 この無愛想極まりないホストは、少企業の経営者で、 経営のほうは大変順調のようでした。 仕事のほうでも口数は少なく、 夜のつきあいはほとんどしないようでした。 しかし、細やかな気遣いを見せ約束はきちっと守るので、 取引先の信用はとても厚いそうです。 この人は、元来、周囲や、他人にあまり気を遣わない人柄だと思います。 ということは、周囲や、他人が自分をどう思っているかには、 無頓着で、興味を持たないんでしょうね。 奥さんの話によると起業していろいろ苦労して辛酸もなめ、 経営や、商売には一番不向きに見える人柄を逆手に取り、 信用を勝ち得たということです。 このような人は意外と情が厚い。 面倒を見るべきことには面倒見がいいし、 反応すべきことには的確に反応する能力がある。 ホームパーティーの参加者は、そのことをよく知っているので、 彼が無愛想にしても気にならなかったのでした。 本当にサービス精神が欠如している人間は、 社会生活には不適合な人間です。 社会生活を営んでいる以上、社会の動きや、 気配に少しでも反応しなければ生きてはいけません。 サービス精神が欠如すると社会的な注意力が養われず、 外の社会に柔軟に関わることができなくなります。 引きこもりの多くはこのタイプでしょう。 ニートの一部にもこのタイプの人がいます。 引きこもりや、ニートの人達には、 まず社会に適合できるサービス精神を養わせることが必要です。 この対策がうまくいけば、 もともとが細やかな人柄の人が多いですから、 それぞれがその潜在能力を発揮して社会に貢献するでしょう。 話を元に戻しますが、 社会的な注意力が散漫な人は、 昔からどこにでもいました。 このタイプで他人には無関心でも 何かに並外れた才能を持っていれば 社会の注目を浴びるという逆方向のかたちで 社会に適合することができます。 芸術的分野や、学術的分野で、 孤高に才能を輝かせることができれば、 それはそれで社会的にも素晴らしいことです。 そのような才能がなくても、 昔は地域社会に社会的な注意力が散漫な人間を 支えきっていくだけの仕組み、機能がありました。 年功序列、終身雇用を原則とする会社も、 多様な個性の1つと見て少なからぬところが、 受け入れていました。 でも、今は違います。社会で効率化が進行しており、 どんなところでも適合できないと見られたら、 切り捨てられる傾向が強くなっています。 ところで、自分はサービス精神が欠如している、 社会的な注意力が散漫だと自覚できる人は、 実はたくましい人間です。 自覚してサービス精神を養う能力と、 その努力を続ける克己心を持っています。 特に若い人にはこれからの世の中で、 自分はどんなサービス精神を発揮できるかを じっくり考えることで、 いつまでもしなやかに生きられる 自分流の処世術を身につけてほしいです。 、
2015.08.12
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* あまり笑わない人 よく笑う人は病気になりにくい、 という話を聞いたことがない人は、 多分、少数派でしょう。 よく笑うと気分が楽になります。 溜め込んでいたストレスが、 笑い声に引きずられてへ外へ吐き出されていった のかもしれません。 当然、免疫細胞は強力になるので、 素人考えでも納得できます。 大分以前のことですが、 大いに笑うことがどういう結果をもたらすか、 の実験を行った医師がいました。 この人は自分が診ている19人のガン患者を 大阪のなんばグランド花月に連れて行って、 約3時間、好きに笑わせました。 何しろ同劇場は吉本興業の笑いの殿堂です。 患者たちは爆笑に継ぐ爆笑だったそうです。 結果はどうか。 見せる前に検査を行っていますが、 それで得られた数値を、 見せた直後の検査の数値と比較しました。 19人すべての患者のNK細胞の数値が向上していました。 NK細胞は体外から侵入してきたウイルスや、 病原菌を迎え撃つ重要な免疫細胞です。 笑う門には福がくるということですね。 滅んど笑顔を見ることのない人で、 傍目には常にイライラしているように見える。 またはクヨクヨしているように見える。 口を開けば愚痴になる。 そういう人には、病いは気から、 という言葉を念頭に置いて貰いたいですね。 解放されての笑いが免疫細胞を強化するのなら、 イライラ、クヨクヨは気分のよくない状態、 つまり、気を滞らせている状態ですから、 免疫細胞は活動しづらいでしょうね。 ウイルスが侵入してくれば逃げ腰になります。 ところで、笑って笑って笑い抜いていれば、 病気にかからないか、というとそうでもない。 40代で亡くなった知人がいました。 背が低く豆タンクのような体つきでした。 とても陽気で、彼が現れるだけであたりがパアーッと明るくなる。 彼はよく破顔一笑しました。 普通には笑いが起きない話題でも、 彼がいて破顔一笑すれば、 周りも追従するようにゲラゲラ笑いました。 その彼は出先で突然倒れて、 それから間もなく亡くなりました。 彼は血圧がかなり高く血圧降下剤を常用していました。 笑いは健康にいいいと言っても、 生まれつきの体質、生活習慣など、 他の要因とのからみもあるので、 笑えば未病効果が絶対ある、と断言はできません。 僕は読み聞かせ活動を通して、悲しいときにはこらえずに泣くことも大切だ、 と思うようになりました。 悲しい場面になると、子どもたちの1部は涙を流します。 涙を見せない子どもでも、可哀相だなあ、たまらないなあ、 といった表情になります。 読み聞かせが終わると、涙を流した子どもはスッキリして、 活き活きと動き回ります。 心を洗われたためです。 笑うことも泣くことも健康に生きるには大いに貢献する、 と僕は確信しています。 笑わない人は泣くこともしない場合が多いです。 感受性の容量が小さいので、 笑いたいときには大笑いすることができる、 泣きたいときには存分に泣くことができる だけの感受性の幅と奥行が広がっていないのです。 感受性という心の懐の幅と奥行きを広げることで、 年齢に関係なく瑞々しい精神を維持していくことが可能でしょう。
2015.08.10
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* トイレの長い人 この見だしを見て、何だ、と怒る人もいるでしょう。 何かの事情があってやむをえず長くなる人もいます。 例えばジ主さんや、便秘しやすい人です。 悪化させないようゆっくり用を足して下さい。 そういう事情がなくて、単にトイレが長い人って 結構いるじゃないですか。 僕のカミサンも長いことがあります。 カミサンが出たらすぐに入ろうと思っているのに、 こういうときに限ってなかなか出てこない。 そういう状況になると、余計切羽詰まってくる。 尿意ってそういうもんじゃないですか。 漏れそうでドアの前で、 「早く早く早く…」 と大声をあげても出てこない。 こりゃもう道に出て立ちションだ、 と覚悟して玄関へ向かったら、ようやく出てきたカミサンは、 「どうぞ」 だって。 カミサンは棚に置かれていた女性週刊誌を読みふけっていたのでした。 もう16,7年も前になりますが、 フリースクールで月1回の特別講座を持ったことがあって、 自分の意志で入学してきた男子生徒がいました。 仮にF君としておきましょう。 ここでは彼がなぜ不登校になり、 その間、家庭内暴力を始め、 ある時期を経て自らの意志でフリースクールの門を叩いたのか、 については触れません。 いずれにしても、彼は立ち直り、 自分からフリースクールに入ってきました。 その彼がこんなことを言ったんです。 「トイレが長い癖がついて直らず困っています」 トイレからなかなか出てこないのは、 学校に行きたくないというサインです。 不登校が始まる前後、 彼はお母さんから布団をはがしとられて渋々起き、 急き立てられて朝食を食べて、 「もう学校にいく時間よ」 と、ダメを押されてからトイレへ入りました。 「遅刻するわよ。早く出なさい!」 お母さんは怒声を放ち、ドアをドンドン叩きました。 「母が喚こうがドアを割れるほど叩こうが平気でした。 鍵をかけたし、トイレから出なければ安心だ、 と思っていたからです」 会社の上司と生理的に合わず、 朝になると、会社に行きたくない症候群に襲われ、 出勤の支度をしてからトイレに入るという人がいました。 まだ20代の男性でした。 トイレに入ると、1時間2時間はいたそうです。 当然、遅刻になるから叱られる。 そんな繰り返しが何度かあってクビを言い渡されました。 「何しろ、上司の顔を見たくなかったんです。 トイレに入って鍵をかけるとほっとしました」 トイレは現実からの逃避の場になったんですね。 彼の場合は転職していい上司に当たり、 長トイレではなくなりましたが、これが生活習慣化すると危険です。 大学の先生で、新築の自宅にトイレを2箇所に設置した人がいました。 この人はもともと長トイレで、 トイレで専門書を読み、想を練っていました。 それで、トイレの1つに書棚を設けました。 さあ、そのトイレはミニ書斎になってしまいました。 そのトイレに便意を催して入っても、 鍵をかけた途端、便意はすっと消えていく。 これはもう心因性の病気です。 その人にとってトイレは研究の場である以上に、 逃避の場になっていたんですね。 ほどなくうつ病と診断され、 大学は辞めたそうです。 やむを得ない事情がなければ、 トイレは短い人ほど健康だと言っていいでしょう。 快便快尿の証拠で、スルスル、サー、と、 ストレスも共に排泄されて快適な日々を送ることができます。
2015.08.09
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* 辞書を引かない人 電子辞書は小学生、中学生の間でも広く普及しているようです。 スマホでも平仮名を入力して漢字を知ったり、 その意味をググったりしています。 そういう状況を念頭に置きながら、 ここでは紙の辞書について話をさせて頂きます 辞書を引く、辞書をひもとくという行為は、 まず辞書を手にすることからは始まります。 これはスマホでも電子辞書でも同じですが、 紙の辞書の場合は引こうとしている言葉が、 大体どのあたりにあるかを、このときに推測しています。 例えば、躊躇という言葉を引こうと思えば、 その近所にありそうな中核、昼食、中庸 などという言葉も浮かんできます。 狙いをつけてページを開いたものの、 まだた行の後半のページだったら、 そのページから引き直します。 躊躇を見つけて、その正確な意味を把握すると, よほどの急ぎでなければ、 隣接域の言葉の2,3は、 それぞれの意味を把握してからページを閉じます。 隣に中朝、その隣に中腸が並んでいます。 中朝は【朝廷】の意味で、【日本の朝廷の美称】でもあり、 【中世、中古】という意味もあると解ります。 中腸は【消化管のうち、内胚葉起源の部分】のことです。 時間があれば内胚葉とは何かを調べます。 これを僕は寄り道と言っていますが、 興の赴くままに寄り道を重ねていたら、 時間がいくらあっても足りなくなります。 寄り道して知らずボキャは豊かになっていきます。 紙の辞書は辞の深い林を渉猟する楽しみがあります。 楽しみながら脳細胞を働かせ、 記憶をより確かなものにしてくれます。 かって僕は100歳超の健康長寿者約50人を取材しましたが、 その人達に共通していたことは、 大変まめだということでした。 100歳丁度の男性は取材中、 正月用の注連縄を綯う手を休ませなかったものです。 102歳の女性は針仕事をしながら 僕の質問に澱みなく答えてくれました。 健康長寿者は、手や、指先を本当によく働かせていました。 辞書をひもとく行為は手や、指先をよく働かせる行為そのものです。 そのとき脳は一緒に働きだします。 紙の辞書をまめに使い、その都度、 ワクワクした知的興奮を味わえるのですから、 脳は老化、鈍化している暇はないのです。 皆さん、思いついたら紙の辞書をどんどん引いて下さい。
2015.08.07
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ユーラシア大陸の、 荒漠とした高原に、 きみは眠り続ける、 21世紀の人類により、 きみはこの巨大な墓の、 地下深きに封印されて、 葬られた、 傍らに巨大なモニュメントが、 いかに危険物かを訴えて、 そびえたつ、 きみは大いに不満だろう、 さんざん奉仕させられたあげく、 用ずみになっても、 アルファ線を放射し続ける、 と生みの親に忌み憎まれて、 仮借なく封印されたのだから、 生んでくれとだれが頼んだ! きみにかぎって、 そのうめきは正論だ、 きみは人類を永久に、 呪い続けるべきだろう、 そして、人類の愚を、 永遠の語り部として、 語り続けてほしい、 2万4000年後、 きみはようやく半減する、 そのとき、 きみの語りを聞けるものは、 なにものだろう、 進化した人類だろうか、 いや、それはまずない、 このような愚を犯した人類が、 そこまで生き延びる根拠は、 たいへん乏しい、 宇宙からやってきた、 高等生物の可能性は、 人類よりはあるだろう、 プルトニウム239よ、 きみが語るべき相手は、 ほかでもない、 神をおいてほかにない、 神はいまどこかで眠っている、 起きていれば、 神の寵児のこの青い地球が、 こんなにも荒廃しないだろう、 神はやがて目覚め、 きみのところへ現れる、 そのとき、 すべてを語るのが、 プルトニウム239よ、 きみの使命なのだ。
2015.08.07
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太陽は近く爆発するぜ~ボンボンボボーン、ボンボンボボーン~ 1 よく聞けみんな よく聞けみんな 太陽は近く爆発するぜ 地球のためにずっと燃えてきたのに 地球はそれに応えたか みんな自分のハートに訊いてみろ ボンボンボボーン ボンボンボボーン 太陽が月に火花を飛ばした ボンボンボボーン、ボンボンボボーン ヤバイぜマジでヤバイぜこれは ボボボボボボボーン ボボボボボボボーン ボボボボボボボーン ボボボボボボボーン アッチアッチアッチアッチアッチ アッチージャンカー この先燃えても意味がない ここらで地球を終わらせる その太陽の怒りの意志を おれの第六感は捉えたぞ ガラガラドカーン、ガラガラドカーン ガラガラドカーン、ガラガラドカーン わあ月が火の玉になったぞ シュルシュルシュルバカバカバカーん シュルシュルシュルバカバカバカーン シュルシュルシュルバカバカバカーン わあ炎の月が地球に飛んでくる 2 よく聞けみんな よく聞けみんな 太陽が爆発する前に おれは灼熱の恋をしたくって この南の島へやってきて サンゴの海で運命の出会いをした ~繰り返し~ おれは度肝を抜かれたぞ 足にヒレこそつけてたが タンクもしょわず全裸見せ Youは珊瑚の森の人魚かよ ~繰り返し~ 3 よく聞けみんな よく聞けみんな 星降る浜辺で彼女に言った あの南十字星をしっかり見なよ あいつはきっと知っている 間もなく太陽が爆発するってことを ~繰り返し~ おれたち2人はこの浜辺で あいつに見守られながら 激しく短く燃えて燃えて 人類最後の恋を完結しよう ~繰り返し~ 4 よく聞けみんな よく聞けみんな 明日のことは関係ない 今をあなたと共に貪り尽くし 1つに溶けて完結したいと 彼女はおれを優しく包んでくれた ~繰り返し~ ヤシの葉陰を終の棲家に 愛の魔性にすべてを委ね ひたすら燃えてそれを待つ そのときそれはついにきた ~繰り返し~ タップトプ・タップトプ・タップトプ・タップトプ・タップトプ タップトプ・タップトプ・タップトプ・タップトプ・タップトプ そしておれたちはマグマになった 永遠に幸せに燃え続けるのみだ * 2015・8・6 制作
2015.08.06
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* 手紙を書かない人 高齢になると、年々、その数が増えてくるものがあります。 年賀欠礼通知のハガキです。 何年も音沙汰がなくて、 それで初めてその人の他界を知ることもままあります。 たった1度の出会いで意気投合し明け方まで飲んだのに、 それっきりになった人もいました。 40年も前のことで、特別のことでもなければ、 思い出すこともない人です。 数年前、その方の未亡人から年賀欠礼のハガキをいただきました。 印刷された挨拶の横に短い肉筆で、 「主人はよく貴方様のことを話しておりました」 と、書かれていました。 たった1度の縁でしたが、そのときに交わした会話や、 故人の飲みっぷりまでがありありと蘇りました。 夏の盛りに年賀状のことを書くのは時期はずれかもしれませんが、 「新年明けましておめでとうございます。 本年も変わらぬご厚誼のほどをお願い申し上げます」 といった紋切り型の文章が印刷されただけのもの、 って意外に多いと思いませんか。 宛名、差出人、郵便番号なども印刷されていると、 裏表のどこにも手書きの1字さえ見つかりません。 一瞥しただけでしらけます。 せっかく手書きなのに紋切り型のものもあります。 少しわびしい感じがします。 出せばいい、つまり、虚礼なんでしょうか。 印刷されていても、自分や、家族の近況が報告されていたり、 前年に成しとげたことを盛んにアピールしているものは、 個性が滲んでそれなりに楽しめます。 1,2行肉筆が添えてあれば、 差出人と自分だけの共有チャンネルのようで嬉しいものです。 くる年もくる年も一言一句に至るまで同じ紋切り型の年賀状の人は、 大抵が真面目な堅物です。 杓子定規で、融通がきかず話をしていても面白味に欠けるタイプです。 意外に頑固で十年一日のように自分の考えを変えません。 固執するから悩みを解決できずストレスをためやすい。 このタイプの人で食品業の経営者に取材して、 いろいろ教えてもらったことがあります。 40歳で独立して努力一途でやってきた人で、 質問には懇切丁寧に答えてくれました。 数回会って酒席を共にしたこともありますが、 そばに店の女性がついても、 仕事の話ばかりしていました。 酔っても何か気がかりそうな顔のことがよくありました。 「心配事でもあるんですか?」 と、訊いたら、 「いや、明日の仕事のことで…」 と、慌てて口を濁しました。 翌年の正月から年賀状が届くようになりましたが、 まったくの紋切り型で変わるところは、 年号の数字だけでした。 この人は60歳になる前に鬼籍に入りました。 高齢になっても筆まめな方は若々しいですね。 おりふしにちょっとしたことに心を動かされて、 ハガキの便りをくれる方がいます。 「お元気ですか。 庭のムクゲが咲きました。 今年は仇っぽいです。 夕方にはしぼみますが、 それからは酒が旨いです。 いつかまたお立ち寄りを」 伝えようという思いが、万年筆の筆跡に滲んで、 仕事を放り出しても駆けつけたいほどでした。 同じ文面のものをケータイメールで貰っても、 こんな気持にはなれません。 気配りの細やかさが遮断されてしまうのでしょうか。 ラブレターもメールでは何だか空々しい気がします。 抑えようもない情熱を筆記具に託して紙に込めるから、 貰って読む人の心にひとしおのものとして伝わる、 のではないでしょうか。 皆さん、筆まめになりましょう。 特に若い人はデジタル世界に大きく依存していますから、 筆まめというアナログな行為でバランスをとることにより、 感受性を大いに働かせてほしいのです。 高齢になっても瑞々しさを失わないために。
2015.08.05
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1990年代前半から始まった失われた20年。 アベノミクスで終止符を打ったと言う向きも多いが、 後2,3年経ってみないと、 完全に終止符を打ったかどうかは解らない。 オリンピック景気がバブル的要素濃厚なものになると、 その後に新たな失われた時代が始まるかもしれない。 国立新競技場問題はバブルの前兆のような気がしてならない。 ところで、非正規雇用労働者の人数は、 2015年1月~3月間平均で1997万人であることが解った。 37・7%は労働者全体に占める非正規雇用労働者の割合なのである。 安定した雇用のないところに安定した経済は成立しないのではないか。 35歳以上の中高年フリーターの増加も不安材料で、 オリンピック後に大量の失業者が生まれるのではないか。 素人考えだが、日本の失われた時代は、 今、踊り場を迎えただけで、 オリンピック後、また始まるのではないか、 という気がしてならない。 本当に景気回復を言うのなら、 非正規雇用労働者の割合を大幅に減らし、 中高年フリーターを好んでそれを望む人以外、 皆無にしてほしい。
2015.08.04
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* 簡単な計算も電卓に頼る人 老化は個人差がとても大きい現象です。 貴方のお父さんが70歳だとしましょう。 お父さんの同級生が訪れてきて、 えっ、これで同級生、とびっくりされたことはありませんか。 どちらが老けて見えたかは問いませんが、 年齢を重ねるほど、若く見える人と、 老けて見える人の差は大きくなります。 その差はどうしてつくのでしょう。 これは使うべきところをちゃんと使ってきたかどうか、 の差なんですね。 都会ぐらしで車に乗らないサラリーマンと、 トラクターなど農作業時も含めて車に乗る人とでは、 60歳を迎える頃には足腰の強さに雲泥の差がついてしまいます。 むろん、農家の人のほうが足腰が早く衰えます。 田畑の仕事も田植え機、耕運機、コンバインですし、 500メートル先のコンビニに行くのも車です。 都会のサラリーマンは道路橋、跨線橋も上り降りするので、 自然に足腰が鍛えられる環境にいます。 ところで、使わなければ、頭のほうの働きも、 足腰並みに悪くなります。 デジタル時代の怖さは頭を使わなくなりがちになることです。 ググれば何でも情報は知ることができます。 でも、頭にインプットしたものは、 そのままではただ知っているだけです。 そのうち忘れてしまうこともあるでしょう。 インプットしたものをアウトプットしていく。 つまり、活用応用していくことにより脳が自在に働き、 いつまでも若々しい精神状態を保てるのです。 居酒屋で何人かで飲んで明細を見て割り勘にするとき、 1人が電卓を出してさっと割る。 他の人はそれを待っています。 しかし、ときに電卓より早く1人あたりの勘定を正確に言う人がいます。 日常生活の中で暗算が身についている人ですね。 専門家に聞いた話ですが、電卓に頼る癖がつくと、 熱意、意欲の減退、自発性の低下が顕著に見られるそうです。 記憶力が低下するのは言わずもがなのことでしょう。 若い人は特に電卓に頼ることをやめて欲しいですね。 暗算でなくていいです。 初めはもどかしくても紙に書いて計算しましょう。 自然に暗算力がついてきます。 いくつになっても柔軟な頭脳を保つことができて、 認知症知らずの人生になるでしょう。
2015.08.03
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昼間の空中戦、 東京都下の小金井にあったわが家からは、 立川寄りの上空で彼我の戦闘機が、 巴戦の真っ最中、 片方が黒煙を吐いて勝負あった、 庭で見ていた15歳年長の兄は、 「勝った勝った」 と、拍手した。 でも、落ちていったのは日の丸の戦闘機だった。 らせん状にゆっくりと。 怖くて美しい光景だった。 その兄が出征した。 駅で僕も見送った。 電車がきて兄と、兄につきそう父が乗り、 ドアが閉まった。 万歳万歳の声の中、兄は僕に手を振った。 寂しく澄んだ瞳、 でも、あんな美しい瞳は見たことはなかった。 兄とお別れの日。 昼間の空襲警報。 庭の防空壕に入る。 父が入口の板戸を押し上げた。 巨大機の10数機の編隊が実に堂々と飛んでいく。 続いてまた10数機の編隊。 「B29だ」 と、父。 王者の風格でとても美しく怖かった。 夜間の空襲警報。 庭へ飛び出したが、 もう防空壕には入らなかった。 廊下で晩御飯を食べた。 井戸で冷やした瓜がとてもうまかった。 寝てて起こされた。 また空襲警報だ。 庭へ出たが、庭でみんな立ちすくんだ。 東の空が真っ赤に焦げていた。 母におんぶされて、 僕は見とれた。 のちに東京大空襲の夜だと知ったが、 あんな美しい光景は見たことがなかった。 あんな不気味で怖い光景は見たことがなかった。 2度と見たくない光景だと思った。
2015.08.02
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太陽は近く爆発するぜ~ボンボンボボーン、ボンボンボボーン~ 1 よく聞けみんな よく聞けみんな 太陽は近く爆発するぜ 充分地球のために燃えてきたのに 地球はそれに応えたか みんな自分のハートに訊いてみろ ボンボンボボーン ボンボンボボーン ほら 太陽がコロナを飛ばした ボンボンボボーン、ボンボンボボーン ヤバイでマジでヤバイでこれは ボボボボボボボーン ボボボボボボボーン ボボボボボボボーン ボボボボボボボーン アッチアッチアッチアッチアッチ アッチージャンカー これ以上燃えても仕方ない それならここらで爆発だ その太陽の怒りの意志を おれの第六感は捉えたぞ ガラガラドカーン、ガラガラドカーン ガラガラドカーン、ガラガラドカーン 火の玉が月に飛んだぞ シュルシュルシュルバカバカバカーん シュルシュルシュルバカバカバカーン シュルシュルシュルバカバカバカーン 燃える燃える 満月が燃える 2 よく聞けみんな よく聞けみんな 太陽が爆発する前に おれは灼熱の恋をしたいって この南の島へやってきて サンゴの海で運命の出会いをした ~繰り返し~ おれは度肝を抜かれたぞ 足にヒレこそつけてたが タンクもしょわず素顔見せ Youは胸割れ水着の人魚かよ ~繰り返し~ 3 よく聞けみんな よく聞けみんな 星降る浜辺で彼女を抱き あの南十字星をしっかり見るんだ あいつはきっと知っている 間もなく太陽が爆発するってことを ~繰り返し~ おれたち2人はこの浜辺で あいつに見守られながら 激しく短く燃えて燃えて 人類最後の恋を完結しよう ~繰り返し~ 4 よく聞けみんな よく聞けみんな 明日のことは解らない 今このときをあなたと共にする 爆発が完結のときよって 彼女はおれを優しく包んでくれた ~繰り返し~ ヤシの葉陰を終の棲家にして おれたちは愛の魔性をさまよい ひたすら燃えて溶けるのを望む そのときそれはついにきた ~繰り返し~ おれたちはマグマになった 永遠に幸せに燃え続けるのみだ * 2015・8・3 制作
2015.08.02
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* 言うことと行動がチグハグな人 大言壮語をする人をご存知ですか。 周りにいたら、 その人の過去の大言壮語のいくつかを思い浮かべてみてください。 すべてが言った通りになっていないでしょう。 では、なぜ大言壮語するのか。 大言壮語する人は二通りのタイプに分けられます。 1つは、内心の自信のなさ、自分の先行きへの不安などが肥大して開き直り、 周りの人間に対して強がりとなって出てくるタイプです。 自信満々に見せることで自分を鼓舞している。 文学青年にこのタイプの人がよくいました。 「よし、来年こそは○○新人賞を取るぞ」 2,3年言い続けていましたが、 取るにも何も応募の原稿を書かないのだから取れるわけがありません。 仲間の誰かがその○○新人賞を取ったら彼の口癖が変わりました。 「来年中に必ず芥川賞を取るぞ」 仲間が芥川賞を取りました。 「よし、おれは2年でノーベル賞だ」 1,2年、集まりのたびに宣言しましたが、 いつの間にか姿を見せなくなりました。 文学賞を何かを起業することや、 何かの記録達成のことに置き換えてみて下さい。 今日も、大言壮語している人がいるでしょう。 言ったことを実現するには、自信の裏づけになる能力や、才能が必要で、 何よりも人に抜きん出る努力が必要です。 そのことを周囲が認めていれば大言壮語しても、 (あいつはいつかやってのけるだろう) と納得します。 それがないと、またかとウンザリされ、ただの大言壮語になります。 このほうの大言壮語を続ける人は、やがて相手にされなくなり、 もともと自信がないことの裏返しである大言壮語をする気力もなくして、 ひっそりと暮らすようになります。 悪気はない人なので憎めませんが… さて、もう1つのタイプが問題で、悪気がある大言壮語の人です。 つまり、虚言を弄して他人を振り回す人です。 イソップ物語のオオカミ少年は、いつもいつも狼が出たあ、と騒ぎ、 周りを巻き込みますね。 村人たちを騒がせて喜ぶという悪意を持っての大嘘です。 子どもだからまだそれでましなのですが、 虚言癖の人が大人になってもっと悪意を募らせると、 詐欺などの犯罪に走ることもあるでしょう。 大言壮語という大風呂敷を広げ、それに惑わされた人を丸め込もうとします。 悪意を隠した大言壮語を弄する人は、 他人と世の中に迷惑をかけているうちに、 罪の意識もあって自分を否定するようになり、 深刻な自己矛盾に襲われることが少なくないのです。 そうして虚飾の底が割れると、奈落が待つだけです。
2015.08.01
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