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* 金銭的なことだけでなく後輩にケチな人 居酒屋なんかでよく見る光景ですが、 初対面でも相手が年長で学歴、郷里などに共通項があることを知ると、 やたら「先輩、先輩」と甘えて近づく人がいます。 狙いは奢ってもらおうという下司なことです。 学生だったら可愛げもあり、奢ってやろうという気にもなるでしょう。 しかし、30代、40代からこれをやられると大変見苦しい。 にわかに先輩に仕立てられた人は、嫌な顔をして無視することが多いです。 それで正解ですが、なかには嫌な顔1つ見せず、たかりに応じている人もいます。 よほどの好人物か、大人物でしょう。 いずれにしても、にわか後輩のたかり屋根性の人は、 先行きがあまりよくないはずです。 ところで、皆さんの周りに年下の人間に自分と共通項を見つけては、 何かと世話を焼く人はいませんか。 後輩に対し何かしてやりたいという無視の気持ちがあり、 いい先輩です。 世話を焼けるだけの余裕があり、 それだけの手腕、才能を発揮してきた人だということです。 きっと、自分も先輩に引き上げられたことがあるのでしょう。 さて、面倒見がいい先輩にも裏がある者がいます。 会社、団体とかの組織の中で先輩・後輩ということになると、 先輩にも打算が生まれます。 野心家の先輩なら、 「あいつは能力が高そうだから手なづけて、何かのときに役立たせよう」 と、計算ずくで面倒を見ます。 こういう先輩ほど、目をつけた後輩との、 どんな細い糸でも手繰るのにためらいは見せません。 「ほう、あんたの奥さん、山形なんだ。実は 女房の弟のカミサンも山形なんだよ」 とか。 いろんな糸で絡めとっておこうという魂胆なのでしょううが、 肝心なときに平気で捨て駒に使うでしょう。 その先輩が権力争いに敗れれば手兵を務めていた後輩は、 腰巾着とみなされ冷や飯を食わされる可能性が高いです。 それはおいて、野心家の先輩にたかり癖がついた後輩はどういうものか、 自分の後輩には面倒見が悪い。 むしろ、自分の先輩の威を借りて自分の後輩にはやたら横柄になり、 たかろうとします。 このような人は性根が病んでしまっている。 後輩にケチな人は駄目です。 金銭的な意味でのケチならまだしも、 もっと大切なことにケチだから困りものです。 知識、知恵、技術など、先輩なら蓄積しているものがいっぱいあります。 そういうものを惜しげも無く後輩に教える、 伝えることができるかどうかで先輩としての価値が決まる。 これができて真の意味で面倒見がいい先輩ということになるのです。 後輩に対する投資です。下心や、 裏のない投資をどれだけ後輩に注ぐことができるか。 この投資を惜しまない人はリタイアしても活き活きとして、 認知症とは程遠い。 人生の後輩に投資を続けているからです。
2015.07.31
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* 訊かれもしないのに健康自慢をする人 中高年の人が3人寄れば、特に3人寄れば、 親の介護の話をしています。 今の少子高齢化の日本社会では、 それほど切実な問題だということです。 姦しくではなく、声を潜めて話しています。 さて、年齢に関係なく男が3人寄ると、 自分の健康の話になることが多いですね。 若い人も中高年の輪に混じって健康談義に加わっている場面を見ると、 ストレス社会の重圧にさらされ、 若い人も心身のリズムを壊しがちだ、 という事実を突きつけられたような気になります。 聞き耳を立てていると、皆さん、 医者が使う養護をよくご存知ですね。 GOD、GPTが上がったの下がったの、 尿酸値がどうだとか。 でも、憐れみあいながらお互い安心している。 みんな健康不安を持っているんだ、と。 こういう健康談義なら大いにやって下さい。 ところが、困る人が割り込んでくることがあるんですね。 「この前、人間ドックをやってきたけど、どこも異常がないんだ。 もう10年も要注意のチェックが入っていない。医者も驚いていたよ」 「毎日、腕立て伏せを100回、腹筋運動を200回、ジョギングを10キロ、 台風、大雪の日はランニングマシンだ」 などなど… こんなような人、周りにいませんか? 健康自慢に、体力自慢が重なると、もうこれは閉口の10乗です。 夏なんか袖を二の腕までまくりあげてニューッと力瘤を作ったり、 腹筋をペコポコさせたりして、いやー、もう勘弁してくれ、 と叫びたくなります。 羨ましくなるほどの健康、体力は、 言わなくても周りが知っています。 人一倍の健康、体力を持っていても、自慢したら価値がなくなる。 黙っているから、ちゃんと努力しているんだろう、 と他人は内心で敬意を払う。 健康法や、体力維持法を訊かれたら謙虚に答えればいい。 今の世の中は医学が発達したのとは裏腹に、 健康を損ねている人や、健康不安を抱えている人はゴマンといます。 そういう人達への配慮もなく、無神経に健康自慢、体力自慢をするようでは、 いつかはその健康や、体力に足許をすくわれるでしょう。 少子高齢化社会がくるところまできて、 坂道を転げ落ちるような人口減少社会に突入しました。 今の我々に求められているものは、知恵を蓄積し、それを働かせながら、 お互いに生活の質を高め、周囲と心地よくおりあうことではないでしょうか。 健康自慢、体力自慢は周りへの気遣いに乏しく、 他には中身が空っぽのようで侘しすぎます。 実はこの稿を書いているのは自分への戒めのつもりです。 酒席なんかで、お前は健康どうなんだ、と訊かれようものなら、 待ってましたとばかりに、 「この前なんか、20代の若いのと腕相撲して勝ったよ。 小柄なやつだったけどね」 と、体力自慢を始める。 これじゃ、単細胞もいいところでボケるのも早い、 と後で反省しきりでした。
2015.07.30
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* 異性に甘える人(ややサイコパス的人間とも言える) もしかしたら、こんな人が身近にいませんか? 性別に関係なく、何かにつけ異性に甘える人です。 ただの甘えん坊なら甘えるだけのことで、 ここで問題にするほどのことではありません。 魂胆、下心を抱いて異性に甘える人間です。 定期的にパーティーを主催している知人がいますが、 そのパーティーにカップルで現れたR子は、 30歳近いキャリアウーマン風でした。 連れてきた50歳前後の男とベタベタしていましたが、 その男がトイレへ行くと、もうこれはと思う男に近づいて甘え、 顰蹙を買っていました。 「貴方でにならお似合いのネクタイがあります。 今度、プレゼントさせて下さいね」 そんなことを囁いたらしいです。 知人の主催者はそのほうのプロですから、 あちこちのパーティーを渡り歩く人間には警戒の目を向けます。 ちゃんとした参加者に迷惑がかかるからです。 その次のパーティーにも彼女はやってきました。 やhり、狙いをつけた男性に近づいては名刺をもらい、 その名刺を見て何をどう判断するものか、 更に馴れ馴れしい態度をとるか、見限って離れていくか、 の両極端の対応を見せました。 主催者はその様子を見て、明日、 退会を求めるメールを送ることに決めました。 R子はこなくなりましたが、たった2回の参加で充分目的を達していました。 後でカネを貸した参加者が2人、R子にすすめられるままに マルチ商法の会員になった者が3人、出てきたのでした。 この後日談が伝わってきました。 R子はどこか他のパーティーで知りあった男と同棲をはじめました。 不覚にもその男のいいこと尽くめの言を信用した結果でした。 R子は玉の輿に乗ったつもりで、 定職のないその男に貢がされる羽目になり、 しかも、DVの常習者だったために、 別れるまで悲惨な日々を送ることになったのでした。 男に甘える女は、女に甘える男に弱かったということです。 R子もその同棲相手になったDV男も、 サイコパス的気質の人間と言っていいでしょう。 男女の関係を好き嫌いの感情で捉えることがなく、 自分にとって利をもたらす人間かどうかで判断する。 要するに、恋愛感情とは無縁なので、 相手が自分に異性としての興味を抱けば、 それを利用するだけです。 罪の意識はあリませんが、何が罪になるかは充分わきまえているので、 例えば結婚詐欺のような明らかに犯罪になる行為はしないのです。 簡単に言えば、男は女を、女は男を獲物として見る。 肉食獣は腹が空けば草食獣を狩ります。 餌食になる草食獣の気持ちを忖度することはなく、 餌食にできるかどうかが問題なのです。 サイコパス的気質の人間にとって、 異性を餌食にできるかどうかが問題であって、 餌食にした異性には一片の同情もありません。 昨今は男にも女にもサイコパス的気質の者が)増えています。 街頭などで異性に声をかけて高額商品を買わせるイケメンや、 美女にはこの気質の者が多いですね。 高額商品を買わされた人の迷惑は考えず、 いかに獲物にして売上にするかだけを考えている。 マルチ商法に走り異性に甘えて自分の子会員にする人間にも、 この手合が多いです。 サイコパス的気質の人間は、 精神的に自立していないことが殆どです。 男の子が母親ならなんとかしてくれる、 女の子が父親なら助けてくれると甘えてかかるのと同じです。 マザコン、ファザコンにサイコパス的気質はかなりいます。 精神的に自立していないから甘えて欲望を達しようとします。 汗水垂らして働くのがバカバカしくなります。 だから、60、70になっても異性に甘えて楽をしようとするんです。 しかし、もはや老いたサイコパス的気質の人間の甘言に乗せられる人はいないでしょう。 こうなると、大人になっても自立できなかったことのツケは大きいということです。 しっかりと充電されていない電池みたいなものですから、 時間が経てば経つほど輝きを失い、 心身ともに萎えていって急速にボケることが多いのです。
2015.07.29
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* 家族、血縁者に依存する人 100歳以上の健康長寿者約50人を取材させていただいたことがあります。 いろいろ驚くことがありましたが、ここではぜひ知ってもらいたいことを 1つだけ挙げておきます。 それは1人の例外もなく自分でできることはすべて自分でやり、 家族、血縁者に頼ることはあまりない、という事実です。 1人暮らしの方が3人おられました。 1人ぐらしは何でも自分でやらなければ生きてはいけません。 この方たちは孤独に暮らしていたわけではありません。 むしろ、近所づきあいは活発で、近所に住む孫や、曽孫の方とも、 頻繁に行き来していました。 要するにまめで、まめだから積極的で、 できることは人任せにしないということです。 僕の知人で73歳で亡くなられた女性がいて、 この方は何人ものお手伝いさんがいる家に生まれました。 自分でやることが何もなく育ちました。 乳母日傘の育ちです。 親が選んでくれた相手と結婚し、 3姉妹の母になりました。 子育て、掃除、洗濯などの家事をすべて自分でやったと言いますから、 乳母日傘育ちには大変な苦労でした。 でも、この時代がいちばん充実して楽しかったようです。 そのままずっとまめまめしく甲斐甲斐しく暮らせばよかったのですが、 3人の娘がみな嫁ぐとお手伝いさんを雇い、 家事はすべてお任せになりました。 夫がリタイアすると夫とともに海外旅行三昧で、 享楽的余生になってしまいました。 夫が急死して末娘の家族と同居の生活が始まりましたが、 この末娘がよく出来た人で、 「あっ、お母さん、それは私が…」 と、何でもやってしまう。 実は長女次女も母親思いで、 入れ代わりのようにやってきては面倒を見る。 旅行にも連れていく。 お母さんはすっかり娘依存症になってしまいました。 そのうち、認知症を発症しました。 脳梗塞になり認知症の進行が加速しました。 2度目の発作で亡くなりましたが、 家族が何でもやってくれるから幸せだと思っている人は、 実は要注意です。 今は親に余裕がある時代ですから、 何でも親を頼りにする若い人が増えています。 親孝行ではなく親利用の傾向が強くなっています。 簡単なことなのに自分の努力を惜しみ、 親に依存しようとしている自分に気づいたら、 このままだと将来のボケ予備軍入りだぞ、 と自分を叱りましょう。 いつまでもボケずに健康でいたかったら、 若いうちからまめにまめに甲斐甲斐しく、 中年になってもまめにまめに甲斐甲斐しく、 高齢になってもまめにまめに甲斐甲斐しくです。
2015.07.28
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* 周囲の人を利用することばかりを考えている人 周囲の人のそれぞれ異なる能力を引き出して、 何かを創りあげることのうまい人がいます。 例外なくプロデューサー感覚に優れている人ですね。 こういう人は年がいってもますます輝くでしょう。 周りの人をうまく利用しているわけですが、 他人の能力を引き出すという行為は、 引き出される人にとっても喜びですから、 利用されたと怒る人はいません。 つまり、【正】の利用ということです。 ここで取り上げるのは、 利用された人が一方的に損失を蒙り、泣かせる行為を働くことになる 【負】の利用です。 皆さんの周りにそういう方はいませんか? うーん、結構、心あたりがあるようですね。 【負】の利用をする人は、他人を利用して楽をしよう、 いい目にあおうといつも考えていますから、 濡れ手に粟、一攫千金になることを、 鵜の目鷹の目で探しています。 そんなうまい話は他人に迷惑をかけない限り実現しません。 学生時代、映画のエキストラをやっていて、 その仲間にYというのがいて、ある夜、共に泥酔して、 彼のアパートに泊まりこみました。 朝起きると、机の上に腕時計が20個前後、ズラリと並べられていました。 修理を頼まれているものだ、ということでした。 ハガキ大のチラシをポストに投げ込むだけで、 こうして依頼がくるんだそうです。 格安で修理が売りです。 腕時計は故障したら修理して使う時代でした。 午前中、いる間に、2本も修理依頼の電話がかかってきました。 Yはエキストラにこなくなりました。 立て替えた飲み代があったので彼をアパートに訪れると、 とっくにそこを引き払っていました。 数日後、大きな時計店で修理工をしている人が、 彼の消息を訊きに僕を尋ねてきました。 その人はYに頼まれて彼が持ち込んだ腕時計を自宅で修理していました。 1ヶ月半で30個あまりの腕時計を修理したそうです。 修理費は貰わないままでした。 要するに、Yは依頼者から受け取った格安の修理費を、 その人に1銭も払うことなく姿をくらましたのでした。 17,8年後、僕は三流の某経済誌でYと再会しました。 彼は年商30億円、従業員120人のサラ金の経営者として、 ロングインタビューを受けていました。 そのとき、彼も僕も38歳でした。 2年後、僕は直木賞を受賞しました。 その翌年、Yは僕の前に姿を現しました。 本物の再会になりましたが、 彼は居酒屋チエーンを立ち上げるので、 50人の出資者を1口500万円で募っている、 ついては1口乗らないかという話でした。 尾羽うちからした様子が見え見えでしたので断りました。 車代がないというので3万円貸しましたが、 「ケチ、嘘書きまくってカネにしやがってるくせに」 ステゼリフを吐いて引き上げましたね。 その10年以上も後、偶然のことから、 彼が特別養護老人ホームに入っていることを知りました。 まだ60歳前なのに、かなりひどい認知症ということでした。 このYほどでないにしろ、 【負】の意味で人を利用することしか考えられない人は、 柔軟性に欠け、豊かな思考ができなくなります。 人に迷惑をかけ続けることしかできなくなり、 世間を狭くし、やることがワンパターン化して、 何を企んんでも簡単に先を読まれてしまうようになります。 やがて、身から出た錆で失意のときを迎え、 社会に対する適応力をなくし、 対人関係というものが成立できなくなります。 認知症はその前後に忍び寄るのです。
2015.07.27
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* 昨日のこと1か月前のこと1年前のことを美化して自分に酔う人 人間は自分を美化しがちです。 それはもう本能の領域と言っていいでしょう。 高齢になると記憶があいまいになり、理性より本能が表に出がちで、 昔を美化する傾向が強くなります。 周りの人もそのつもりで聞いていることが多いものです。 美化を許しているんですね。 ところで、まだ若いのに過去を美化する人がいないでしょうか。 若いですから美化すると言っても数十年も前のことではありません。 昨日のこと、1か月前のこと、1年前のことを平気で美化するのです。 例えば、そういう人が今日競馬をやって、 何レースかで馬連で2800円の馬券を取ったとしましょう。 後のレースはみんな負けている。 その負けレースの中に2万3600円の万馬券が出たとしましょう。 次の日には、 「きのう、8レースやってな。2レース的中させた。2800円と2万3600円のやつな。 後の6レースは取られたけれど、配当は700円以下のやつばかりだった」 取らない万馬券を取ったと美化しています。 この人の話をいつも競馬を少し知っている人が聞いていたとしましょう。 いつもいつも高額配当の馬券を取っており、 もっと羽振りがよくなってもいいのにいつもピイピイしている。 それで嘘がある、誇張があると解ります。 つまり、美化とは自分を大きく見せるために嘘をつく、 誇張することなのです。 本当はいつも身近にいる人に、そんな下手な美化は行いません。 久しぶりに会う人、あまり親しくない人に行っています。 1年ぶりに会った、あまり親しくない人に、 「1か月前、司法試験の合格発表があったでしょう。 私も受かりました」 と、言えば、当然、 「おめでとうございます。弁護士さんになるんですか? それとも判事、検事のほうですか?」 ぐらいなことを訊いてきます。 「いや、辞退しました」 驚く相手に、 「花形弁護士を目指していたんですが、今は弁護士になっても、 ろくに仕事がなく食えない者も多いらしんですよ。 かといって判事検事のお役所家業は嫌ですからね」 と。 司法試験を過去何度か受けたのは事実だが、合格した事実はない。 辞退したという人間は、 相手が法学部卒でないことを知っていて自分を美化している。 取引先の人間と飲んだ美化癖のある者が、 たまたま互いの実家の話しになり、 「三州吉良の大網元の家に生まれました。今は西尾市のうちですが、 昔は製塩もやっていましてね。今は漁業会社になっていますが、 はっきり言って中小企業です」 と、謙虚を装って出自を美化した。 たまたま、相手にはたまたま同席した同僚がいて、 その同僚の学生時代の友人が吉良出身でした。 同僚はその友人に会ったときに、思いだして大網元の出の人のことを話した。 友人は実家に問いあわせました。 無論、元大網元の家は実在しましたが、 自称大網元の出自の人の家は、 もともとはその大網元の家の網子でしたた。 大地主に対して小作人の関係と同じです。 美化癖の人はそのために思わぬことで信用を失い、 不遇に終わることが多いのです。 子どものときの充たされぬ思いが過去を美化する癖を養い、 年々それが高じて、それによって足許をすくわれ、 不遇になるため更に美化することで自分を慰めようとします。 知らず脳の働きや、心身のリズムに悪影響を及ぼし、 速くボケる原因につながる。 いつもいい思い出を作ることを心がけ、それを素直に多くの人に伝えていくことで、 いつまでも脳はいい働きをしてくれると思います。
2015.07.26
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「火花」は面白い、内容がいいという話はいろんなところで聞いた。 いい気配が生まれて売れ、新たに読んだ人が面白いと言って、 さらに読みたい人を増やした。 著者がお笑い芸人だったことはたまたまで、 内容がいいから更にそのことが話題になった。 だから、三島由紀夫賞の候補にもなった。 芥川賞を受賞せずとも今年度のミリオンセラーは確実視されていた。 芥川賞受賞前で64万部が発行済みになっている。 この頃には僕も読みたい本として念頭に置いていた。 受賞翌日に40万部の重版が決まり、 その4日後に更に16万部の重版が決まった。 累計124万部。 年内に200万部を窺う勢いである。 受賞後重版の本が店頭に並ぶのを待ちきれず、 僕は友人に頼み千葉の三省堂で購入してもらった。 友人の話では10冊ぐらい平積みになっていたという。 まだ30ページほどしか読んでいないが、 小説らしい文章で素直に引き込んでいく力がある。 内容がいい小説は途中までしか読んでいないのに、 なみなみならぬ力量を感じさせる。 作品が素晴らしいから読んだ人間が話題にして、 読まれて尚話題になり売れる。 大きな仕掛けや、内容に関係ない話題が先行した本は、 小説に限らずけしてミリオンセラーにはなり得ない。
2015.07.24
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【よい子に読み聞かせ隊・ポプラワールド】は、 毎月第3水曜日の14:00から80分程度開催しています。 絵本の読み聞かせを中心に、紙芝居、歌、クラシックのミニコンサート、 ときにはマジックや、ミュージカル寸劇などを混じえ、多様な催しとして定着しました。 平日の午後開催なのでお母さんと一緒に参加する子供は9割以上、三歳以下です。 ときどき、いやしょっちゅうのことですが、自分の力で這い這いや、 よちよち歩きができるようになった子供の学習意欲にびっくりすることがよくあります。 たとえば、今月、やっとよちよち歩くようになった男の子がいて、しきりに開会前のステージ上を気にしていました ステージ上では2歳3歳辺りの子たちが盛んに飛んだり跳ねたりしながら元気に遊んでいました。 その男の子は自分も仲間に入ってステージの上で遊びたいと思っていたのでしょう。 意を決してステージに向かってよちよち歩き始めました。 ステージと床の段差は30センチを超えているように見えました。 やっとよちよち歩きを始めた幼児にとっては、 かなりの段差と言っていいでしょう。 その子はステージ近くで立ち止まり、ステージの上で興じる先輩たちをしばらく観察していました。 その仲間に自分が入れるかどうかを判断していたようです。そうして入れると判断したようで、ステージに 手を突きながら横に移動を始めました。 少し戻って這い上がろうとしましたが、もがくような動きで這い上がるのはもう少し身長が高くならないと 無理のようでした。 その子はこの高い段差をどうして乗り越えたものか、しばし、思案した様子を見せましたが、 突然、思いがけない行動に出ました。 くるりとステージに背を向け、その側面に体を押しつけるなり、両手を挙げ、 上体を反らせながら両足で床を突いて跳ねたのです。上体はステージに上がっていました。 その上体をくねくね動かし足をばたつかせて体の殆どをステージに上げてしまいました。 さらにごろんとうつ伏せになってから、ゆっくり立ち上がりました。 きっと、これまで学習して培った能力を思い起こしながら、 ステージに上る虚を突くような方法を思いついたのでしょう。 子どもは四六時中学習しています。
2015.07.22
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毎年、梅雨が明けると、106歳で逝った長野県の禅宗のお寺のお坊さんを思いだします。 むろん、現役の住職さんで100歳を超えても、法事のときは、やはり、お坊さんの息子さん、 お孫さんと3代で並び、朗々と読経をしていたそうです。 檀家回りも大変熱心にやっていました。 その頃、僕は、100歳以上で生活の質を落としていない全国の健康長寿者を取材していました。 その流れでこの方を訪れました。 そのとき104歳でしたが、大変フットワークの軽い方で、 足早にご自分の居間に僕を案内してくれました。その居間に入って、すぐに右手の壁に掲げられていた 20号ぐらいの富士の赤絵に目がいきました。 大変ダイナミックな筆致で、瑞々しく、しかも雄渾の味わいがありました。 多分、名のある方の若いときの作品だと思い、 「これはどなたがお描きになったのですか?」 と、訊いたのです。 「私が描きました。100歳のときの作品です」 驚きましたね。 しかし、3時間に及ぶ取材は驚きの連続でした。 ここではその驚きを書くつもりはありません。 ただこの方の志の潔さを知ってもらいたいのです。 この方は80歳になったときに、一応、住職の座は息子さんに譲られました。 そうして、水墨画を始めたのです。 青年期に画家を志していました。 お寺を継がなければならなかった事情があって、 その道は断念したのですが、時間に余裕ができたので 絵への挑戦を再開したのでした。 数年後、交通事故に遭い入院しました。 主治医は家族に寝たきりになると告げたそうです。 しかし、その方は2ヶ月のリハビリで元通りに回復しました。 80を過ぎても檀家回りを欠かさない、 と喜んでくれる人達を裏切りたくないという思いと、 せっかく再開できた絵の道を閉ざしたくないという思い。 その執念というより純粋な2つの志が、その方に奇跡を起こさせたのでした。 その方は水墨画から油彩に領域を広げて、 100歳からは富士の赤絵に挑戦を始めました。 取材を終えて1週間も経たないうちに、その方から手紙を頂きました。 大事なことを言い忘れたので、そのことをわざわざ書き送ってくれたのでした。 その大事なこととは… 「私としては、腹立てず、心は丸く、気は長く、己小さく、人は大きく~ という古人の言葉を守ってきたことが長命の秘訣と思っています」 達磨大師の言葉ですね。 その方を訪れたのは寒い時期だったのですが、 いつも梅雨明けにその方の居間で見た富士の赤絵が浮かび上がるのです。 梅雨を一気に払いのけるような生命力に満ちた絵だからでしょう。
2015.07.21
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きみがお母さんに連れられて、 僕らの読み聞かせ会にやってきたのは、 確か小学3年だったかな。 じいっと聴いていたよね。 メンバーの誰かが「はらぺこあおむし」を始めたら、 きみは急に奇声を発し椅子から立って、 「はらぺこあおむし」の絵本に突進し、 あおむしをつついてから、 何やら叫びながらお母さんのところに戻り、 何かを訴え、また絵本に突進し、 あおむしをつついた。 それを繰り返した。 会場にいた多くは母子の参加者達が、 何ごとかと騒然となった。 「はらぺこあおむし」をやっていた若いメンバーは、 呆然としていたので、僕は、 「気にしないで普通にやって」 と、指示した。 若いメンバーは、何ごともなかったように、 読み聞かせを再開した。 きみは「はらぺこあおむし」が終わって、 別のメンバーが別の絵本をはじめると、 おとなしくなったよね。 帰りがけに、お母さんが僕に謝った。 「ご迷惑をおかけしました。隊長はお気づきだったと思いますが、 あの子は自閉症なんです。虫にこだわりを持っています。 生きた虫ではなく絵本の中の虫です」 多分、そうだろうと僕は見ていた。 20年も前だったかなあ。 僕は何かの本を執筆していて、登場する子どもの心を閉ざした性格を(自閉的) と形容するところを(自閉症的)と形容してしまった。 ゲラで著者校をするときも気づかず、 校正者も違和感を覚えなかったせいか、 チェックしなかった。 その本が出版されて間もなく、 匿名の手紙がきて(自閉症的)と書いたことに、 偏見だと激しく抗議する内容だった。 末尾は(一生、軽蔑します)だったかな。 女性の文章で、なぜそんなに感情的になったのかは解らなかった。 もしかしたら、自閉症の子を持つお母さんだったのかな。 反省して自閉症の勉強を少ししたな。 きみとお母さんはそれから3回現れたんだっけ。 おかあさんはいろいろ話してくれたよ。 虫でもきみはチョウとトンボに特別のこだわりを持っているという。 それでチョウの幼虫であるアオムシに強く反応したんだ。 僕はきみの別の特性に気づいた。 きれい好きだということだよ。 きみはいつも会場の床に落ちていた小さなゴミを 嬉しそうに拾い集めた。 他のお母さんの椅子の下にもぐりこんで拾うものだから、 そのお母さんは悲鳴を上げた。 きみのお母さんはそのお母さんに謝ったあと、 きみを叱らないでなぜ椅子の下にもぐってはいけないかを 諄々と説いて納得させていた。 きみを椅子にかけさせお母さんは椅子の下にもぐって、 「ほらほら、頭が貴方のふくらはぎにあたって気持ち悪いでしょ。 だから、これは今度からしないようにしましょうね」 などと。 最後に現れたときかな、 「この子、私に(はらぺこあおむし)を読んでくれるんですよ」 と、ニコニコしながら言ったんだよ。 ずっと、気にかかっていた。 でも、便りのないのはいい便りと思うことにしていた。 きみのお父さんが僕らの前に現れて、 きみのお父さんであることを知ったときはびっくりした。 きみは、この春、私立高を卒業して、 ビルのメンテナンスの会社に入ったんだってね。 丁寧な仕事をするって評判らしいじゃないか。 お母さんはきみが中学を卒業する前、 読み聞かせの会を結成したんだってね。 きみは熱心に手伝っていたらしいじゃないか。 今はお母さんの後輩が仕切っていて、 きみも欠かせないメンバーなんだってね。 仕事でも読み聞かせの会でも、きみは自分の世界を持ったじゃないか。 今のきみを僕はまだ見ていないが、 お母さんが見たらほんとうに喜んだろうね。 きみが高2のときにお母さんは病気で他界したらしいけど、 いつかきみの読み聞かせを聞きにいくよ。 きっと、お母さんはいつも聞いているんだよ。 * 体験に基づいたフィクションです。
2015.07.19
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【たくしーこども110番】という制度を知っている人は、 ごくわずかに違いない。 この制度の運営に当たるタクシー業界、警視庁、東京都の3者の 関係者を除けば殆どの人は知らない。 注意深い人はタクシーの1部に、 このステッカーが貼られていることに気づいたかもしれない。 【タクシーこども110番】は、2006年から、 東京ハイヤー・タクシー協会と、東京都個人タクシー協会が、 警視庁と都の協力を得て取り組んでいるもので、 こどもが犯罪に巻き込まれことを防ぐための制度。 走行中、こどもから助けを求められたら乗客の有無に関係なく、 すぐにこどもを車内に保護して警察に通報するというものである。 詳しくは下記に掲載した記事を読んでいただくとして、 これは優れた制度と言える。 タクシーは都区内都下合わせて約5万台あって、 昼夜を問わず、日祭日を問わず走っている。 タクシー運転手の人は、 車外の人の動きに敏感で異変に早く気づくことが多い。 こんなに密な監視網はない。 犯罪に巻き込まれかけているこどもがタクシーを見て助けを求めれば、 多くはことなきを得るのではないか。 特にいじめが招く凶悪犯罪の防止に効果があると思う。 いじめグループ呼び出されたこどもは、 囲まれてひと気のない場所へ連れていかれる途中、 公道を通る可能性が高い。 通りかかったタクシーに大声で叫びを求めれば、 その後に起きたであろう陰惨ないじめから逃れられることになる。 ただ、この制度をこどもが知らなければ意味がない。 こどもの殆どは知らないようである。 親も知らないからわがこに教えようがない。 こどもや、保護者に周知徹底させるためには、 学校でこの制度のことを機会あるごとに こどもや、保護者に周知徹底させる必要がある。 警察や、都もポスターや、広報紙で繰り返し告知を行い、 子どもの100%がこの制度を知れば、 凶悪な少年犯罪の予防にかなり貢献できるのではないだろうか。 下記の記事を参考までにお読みください。 都内に約5万台あるという、東京のタクシー。これらは子どもから助けを求められた場合、乗客の有無に関わらず子どもを保護して警察に通報する制度となっている、という情報がTwitterで話題になっていた。 ツイートには「こんないい制度にも一つ欠点があります。誰もこの制度の存在を知らないということです」という指摘も。確かに、筆者を含め編集部にいた都内在住の6人は全員が初耳だったし、もし本当にこの制度があるなら子どもたちや保護者に広く知ってほしいところだ。 調べてみると、こちらは「タクシーこども110番」という実在する活動だった。2006年4月から東京ハイヤー・タクシー協会が、同年12月から東京都個人タクシー協会が、警視庁と東京都の協力を得て取り組んでいるもの。昼夜問わず都内を走り回っているタクシーの特性を活かし、犯罪に巻き込まれやすい子どもたちを守っていくのが狙いだ。 両協会の活動内容はほぼ同じ。加盟するタクシーは事件に巻き込まれそうになった子どもが助けを求めてきた場合、まずは子どもを車内に保護。事情を聞いた後に警察に通報し、警察の指示に従いながら子どもの安全の確保に努めるという。また子どもたちへの目印になるよう、「タクシーこども110番」の文字が入ったステッカーを車体に貼り付ける。 国土交通省によると都内のタクシーは法人・個人あわせて5万494台(2015年3月時点)。このうち東京ハイヤー・タクシー協会に加盟している法人は離島地区を除いて372社で車両数は合計2万9297台(2015年6月時点)、東京都個人タクシー協会に加盟している個人タクシーは1万4095台(2015年5月時点)。つまり約86%が「タクシーこども110番」に対応していることになる。都内で見かけるタクシーほとんどが助けを求めていいものと思っていいはずだ。 加盟側は実際どのように取り組んでいるのだろう。国際自動車グループ(KMタクシー)は「協会の方針にしたがって、グループ全社に『タクシーこども110番』の内容に対応するよう指導している」と回答。ステッカーを貼っているのは一部の車種だけだが、ステッカーの有無に関わらず全タクシーが助けに応じるという。また大和自動車交通も「全タクシーで取り組んでいる」とのこと。助けを求められたら乗客の在不在に関わらず車内で保護し、そこから家庭や警察に連絡するなどしかるべき対応を取っていくそうだ。 両協会ともに、「タクシーこども110番」で子どもを保護したという報告はまだ1件も受けていないという。交番や「子ども110番の家」のない場所も走る4万台以上のタクシーが、子どもたちにとっての危機回避の場となるのは頼もしい。子どもたちに伝えるのはもちろん、都民全体の認知度が上がると犯罪の抑止にもつながるかもしれない。
2015.07.18
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生物の多様化が失われていきつつあるようで、 年間に世界で驚くべき数の種が消えていくとのことであります。 人間はもとより、すべての種はそれぞれ相互に関わり合い、 そのバランスによって継続してきたのでありますが、 その多様性が失われていくということは、 われわれ人間の命の範囲が、 徐々に狭まっていくことに他ならないのであります。 ところで、自分、ふと思ったのでありますが、 20年前30年前に比べると、日本人の多様性が 随分、失われているような気がするのであります。 以前は教員でも、商社マンでも、大工さんでも それぞれ多様な人がいて、面白みがあったのでありますが、 昨今は教員は教員、商社マンは商社マンで、 何か規格化されてきております。 つまり、どの職業からも型破り人間がいなくなったのであります。 たとえば、歴代首相を見ても ややアバンギャルド風だった小泉さんを分水嶺に、 それ以降の首相は顔や、話すことが多少違っても、 規格品で統一されているように見えるのであります。 宇宙人と言われた鳩山さんにしても、 規格品の中の部外品といった程度で、 特段の型破り首相ではなかったと思います。 現首相の安倍さんは安倍さん的な使命感に駆られているのでしょう、 勇ましい言動ですが、やはり規格品として ゆうゆう収まるのであります。 分水嶺の小泉さん以前の歴代首相は、 概してそれぞれにアクが強く泥臭く個性的であった気がするのであります。 アク、泥臭さ、個性…首相に限らず日本人一般から、 この3つが欠落していって、周りを窺い自分のセンスや、 臭いと同じものを感じると安心する、 要するに同類項の連帯感であります。 アク、泥臭さ、個性が激しくぶつかりあうことで 様々な多様性が生まれ、エネルギーを放つ。 規格品同士がぶつかりあっても、結局は規格品のままであります。 このままでは悪い意味でヤバイぞ日本人、と思うのでありますが、 はたしていかなる推移を辿るのでありましょう。 こんな取り越し苦労をするのは無意味でありましょうか
2015.07.17
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麻布十番の小公園でよく時間を潰しているノネコは、 僕の顔を見上げながら、 しばらくニャゴニャゴ呟いていました。 こんなこと↓を言っていたのかな。 おれら毛皮1枚で暮らしているから、 まっ、気楽に生きている、 人間はいつ毛皮とオサラバしたのかね、 今は夏だから毛皮がないほうが涼しくていいだろうが、 冬は何枚も重ねて着るだろう、 スーツや、コートには、 ポケットがいっぱいついている、 何やかやといっぱい入れて、 鞄や、バッグにも詰め込んで、 何だか人生を重そうに歩いている、 みんな必要なのかね、 持ってないと安心できないから、 持ち歩いているものも多いのではないだろうか、 身軽にしたほうが生きやすいと思うのだよ、 心にもいっぱい着せているのだろう、 ポケットのついたやつを何枚も重ねて着ている、 何を入れているのだろうね、 理屈をやたら詰め込んで、 生きる意味をああでもないこうでもないと考え、 心を重くしてしまっていないだろうか、 苦しみや、悲しみも、 ポケットに入ったらなかなか出ていかないよ、 余計に着ているものを捨てて、 ポケットを少なくすれば、 心は軽くなる、 さあ、心のポケットから余計なものをすてようよ、 ホントはおれらには関係ねーけどな。
2015.07.16
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小学5年当時、我が家にはクロという名の 黒トラの飼い猫がいた。 4,5歳で、もともとは捨て猫だった。 クロは家の中、庭、そして、垣根の外へ 自由に出入りし、ネズミをとるほか、 スズメや、ムクドリをよく捕まえ、 得意げに家の中へくわえてきた。 ヘビも何度か頭の急所をくわえて ずるずるひきずってきた。 そして、僕の見ている前で離し、ヘビが 逃げにかかると、捕まえて嬲り、また離す。 それは不断の狩の訓練で、ネコ科の動物の 習性だ、とそのときは知らなかったから、 「こいつ、なんて残虐なやつなんだ」 と、いっとき、僕はクロが嫌いになった。 姉が嫁ぎ先から子犬を貰ってきてくれた。 その子犬を最初、クロは威嚇し、 ついで無視した。 子犬は無邪気なもので、威嚇されたときは 怯えるが、すぐに忘れ、クロに尻尾を振った。 やがて、クロは子犬の体を舐めてやったり、 庭へ入り込んできたノラネコから守る そぶりを見せるようになった。 クロにとって家の中と庭はそのテリトリーであり、 特に家の中は聖域であった。 庭で飼われることになった子犬に、テリトリーでの 生息権をあたえ、保護する気になったらしい。 それだけの余裕がクロのテリトリーには あった、ということかもしれない。 もっとも、クロには以前我が家で飼っていた犬に 保護されていた、という体験もあった。 その犬は夜は放し飼いにされていたのが仇になり、 畑でノネズミ駆除用の毒饅頭を喰らい、 非業の死を迎えた。 それから数十年後のこと、我が家はやはり黒トラの ネコを飼っていた。名はモモだった。 息子が小型種の子犬を貰ってきて、家の中で飼いだした。 子犬は狎れようとしたのに、モモは異様な鳴き声を 張り上げ、見ていなければ襲いかからんばかりだった。 不測の事態になる前に、と僕は息子を説得し、 子犬を引き取ってもらうことにした。 モモにとって家の中は聖域で、子犬と共存できる 余地も心の余裕もなかったのだろう。 そのモモも10数年前、家を建て替える 直前に逝った。 それ以来、我が家は犬もネコも飼わなくなった。 今は犬や、猫のかたちをしたペットが我が世の春を謳歌している。 そういう猫や、小型種の犬がベビーカーに乗せられ、 得意気に周りを見渡しながら通り過ぎていく。 ベビーカーを押す飼い主も幸せそうな顔をしている。 そういう時代だから、それでいいのかもしれない。 半野生の昔の猫や、飼われていても子どもには対等の仲間であり、 遊び相手であった犬がいた時代は幻の彼方に行ってしまったらしい。
2015.07.15
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今から5年前の8月某日、この日2度目の読み聞かせ&講演を富山市立 芝園小学校で、夕方の5時から行いました。 この日は芝園小学校の夏休み企画の一つとして大地震の 発生を想定しての訓練で在学児童500人のうち希望者 100人あまりが体育館の中に設置された10あまりの ダンボールハウスに分宿しました。 そのダンボールハウスを見ましたが、それぞれ設計が違い、 堂々たるできばえで、僕もどれかに泊りたくなりました。 基本設計にはPTAや、先生方が関わったようですが、 作ったのは子供たちでした。 その子供たちが一緒に泊る係りの先生方や、PTAの役員の お父さん方と階段式ホールで待っていてくれました。 「心の備えを強くして不意の地震に対処しよう」という 演題で、山古志村(現長岡市山古志地区)の被災者に読み聞かせボランティアを 行ったときの体験を中心に話しました。 僕は「よい子に読み聞かせ隊」のメンバーとともに、 2004年10月23日に、 新潟県の三条市と柏崎市の幼稚園を訪れました。 2ヶ所での読み聞かせ&講演を終え、主催者に長岡駅まで 車で送って貰いました。 ティケットに記載された(とき)より早い(とき)に乗れることが わかったので、その(とき)に変更しました。 大宮駅の手前で(とき)はのろのろ運転になり、停車して しまいました。 やがて、車内アナウンスがあり、中越地震の発生を知りました。 その(とき)はしばらくして運転を再開して東京に到着しましたが、 予定の(とき)に乗車していたらJRが用意してくれた長岡の宿舎で 一泊を余儀なくされていたところでした。 ところで、幼稚園の子供たちは無事だったろうか、(とき)が 停車した直後からケータイで連絡をとろうとしたのですが、 かなりの時間、連絡がとれなかったですね。 やっととれたのは帰宅してからでしたが、どちらの幼稚園の 子供たちも全員無事とわかったときには 胸をなでおろしました。 それから何ヶ月か経って、長岡市内の私立の高校だった と思いますが、そこの体育館で避難生活を送っている 山古志村の子供たちを読み聞かせ慰問に訪れました。 体育館に入るまでは打ちひしがれているのではないか と心配でしたが、子供たちは大声を出し元気いっぱいに 遊んでいました。 そうか、未来を築く子供たちは立ち直るのも早く、 未来を見ているのだな、と納得しました。 その子供たちの元気なことに励まされて、大人たちは 復興への力を出すことができるのだと思いながら、 熱を入れて読み聞かせを行いました。 そんな話に芝園小学校の子供たちは真剣に 耳を傾けてくれました。 「備えあれば憂いなし。さあ、今夜はいい夢を見てね」 うなずく子供たちに、僕は元気を貰いました。
2015.07.14
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50年近い前、 保険の調査員をしていた僕は全国津津浦浦に出張しました。 当時は子供が多かったですね。 どんな村のどんな小さな集落へ行っても神社があります。 学校が終わった時間になると、その境内から盛んに子供の声が届きました。 今、読み聞かせでどこを訪れても神社の境内は静まり返っています。 子供が少なくなったんでしょうね。 読み聞かせ会場には現れますが、絶対数が少なくなったことをひしひしと感じます。 でも、この数年、東京でも地方の大都市でも地区によっては、 街なかや、住宅地で子どもの姿が目につくようになりました。 そういう地区では着実に就園児や、就学児童も増えていますね。 そういう地区の特徴を挙げると、 大オフィス街や、大商業地へのアクセスがよく、 大規模な集合住宅が林立し、 これからも建っていく余地があることです。 つまり、勤務地に近く、 子育て、教育環境も申し分なく、 生活インフラも充実しているということです。 これは局地的な現象ですが、 豊かに働ける場が確保され、 住みいい環境を提供できれば、 人口減少社会の中での繁栄を生み出せるのではないでしょうか。 ゴーストタウン化したところは、 自然公園や、大規模ファームにしていく。 農村部の集落の集約化により、 消費地に豊富に農産物を提供できる体制が整えば、 先進国としては異常に少ない食糧自給率を大幅に改善できるはずです。 無理矢理の開発がなくなり、 自然がその領域を自力で広げていけるようになるでしょう。 かくして、人が住む地域ではどこでも、 元気のいい子供たちの声が飛び交うことになります。 世界の理想郷日本の誕生です。
2015.07.13
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人は学んで成長して社会の一員になる。 そのときまでに大体は、 自分の価値観を築いている。 その価値観には常識を蓄積して得られたものに、 その人の自我や、個性や、思考法がこもる。 だから、人それぞれの価値観になる。 その人だけの物差しと言い換えることができる。 つまり、みんな自分の物差しを持っている。 ただ、その物差しは折りあうという特性を持っている。 みんなが自分の物差しを角にして角突きあったら混乱が起きる。 よく話しあい議論を重ねみんなが納得できる妥協点を見つける。 でも、みんながみんな納得できる妥協点は存在しないかもしれない。 じゃ、そろそろ決をとろうということになる。 民主主義の世界はそういうことでものごとが運んでいる。 それぞれに違うみんなの価値観が根底に流れている。 その自分の物差しを素直に出しづらくなったら、 気持ちが窮屈になり息苦しくなる。 そう感じる人が多くなればなるほど、 社会全体が窮屈になり息苦しくなる。 自分の物差しを素直に出しづらくなるのは、 どういうことから始まるのだろう。 一部の人が自分の物差しを大上段に振りかぶり、 他の人の物差しを認めず罵詈雑言の限りを尽くす。 ヘイトスピーチが行われているときの状況を思い浮かべてほしい。 話しあいや、議論は初めから無視している。 そんな状況のなかでたまたま通りかかった人が、 自分の物差しを出して発言できるだろうか。 それをするには勇気がいるだろう。 多くは物差しを出さずに心を痛めて通り過ぎる。 対極の物差しを持つ人がほぼ似た物差しを持つ人達と語らい、 そこへ押しかければ、 双方が物差しを白刃のように振りかざし、 罵詈雑言合戦になるだけかもしれない。 いがみあいの中で物差しは凶器に早変わりするかもしれない。 いろんな地域のいろんな場で、 物差しを振りかざしてのいがみあいが起きれば、 どちらにも批判的な物差しを持つ人達が立ちあがり、 冷静になって話しあいをしましょう、 どうするのがいちばんいいかを決めましょう、 となだめて説得すればいい。 多数派なのだから。 しかし、今はその多数派が物差しを出しづらいような気配がある。 それを出せば自分にとって嫌なことになる、 と物差しを心中深くに秘し始めたのだろうか。 諸方で起きているいがみあいを笑って見下ろしている存在に気づいて、 自分の物差しが爪だと思われないよう保身に走ったのだろうか。 その存在は自分の物差し以外不要だと傲慢に構えているのだろう。 でも、姿は見えない。 まだ幻影ですらない存在なのに、 怯えているのだろうか。 折りあうという物差しの特性は、 閉塞した状況の中では過激な願望を持ちやすいという傾向を持つ。 この閉塞した状況を強い力で打ち破ってほしいという願望を、 まだ見えない大きく強い存在に委託しつつあるのかもしれない。 大変身勝手で偏った物差しを持つその存在は、 本来多数派で良識を物差しの主要部に置いた人達が、 その物差しを心中深くに収めた頃を見計らって、 すかさず飛び出してきて社会を塗り替える。 もの言えば唇寒し…の気配が漂い始めている。 その気配に負けて自分の物差しを秘したら、 独裁的物差しに花道を用意したことになる。
2015.07.12
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今からかれこれ26,7年前のことであります。 ニューヨークにしばらく滞在しておりました友人が 帰国したのであります。 ともに後の用事を控えて束の間の再会を持ったので ありますが、別れ際に、 「これ、あなただったら似合うかも」 と、プレゼントをくれたのであります。 その場では開けずにあとで開けてみると・・・ はい、僕のファッションが革命的に変化した 起爆剤となったシロモノでありました。 はあ、お解りでありますか。 さようであります、タイツであります。 当時、ニューヨークではやっていたそうでありますが、 マリリンモンローの顔がプリントされておるの であります。 2足いただいたのでありますが、1足は履きつぶし、2足目を 何回か履いた後、これは保存しておこうと思い、以来、 大事にとってあります。 たまに、このモンロー殿はテレビや、 雑誌の取材で宝箱からお出ましであります。 梅雨の最中でありますので明けたら日陰で風通しのいいところに吊るし、 空気に触れさせたいのであります。 でも、泥棒に入られて持っていかれたら、と心配であります。 こだわりというより、僕にとって記念碑的な逸品であります。 手提げ金庫は壊されてもいいのでありますが、 このタイツだけは命を張って守るつもりであります。
2015.07.11
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世界にはいろんな聖地がある。 日本にもいろんな聖地がある。 でも、今までに訪れた聖地は仰々しい建物が周囲を圧し、 訪れるものをのけぞるように仰がせ、 中に入るとガランドウで、 真昼でもところどころに薄暗がりが残り、 そこには瘴気のようなものがこもっているのではないか、 とたじろがせた。 ただ畏怖せよ偉大な歴史に感動せよといった、 無言の押しつけが僕の脆弱な心を締めつけた。 聖地ってなんだろう。 僕の机の引き出しに、 ほぼ楕円形の小さな石がしまわれている。 表面に歳月が作ったと思われる凹凸がある。 読み聞かせで訪れた地で出会った小学低学年の男子が、 その地域を流れる川の岸辺で、 「隊長に似た石を見つけました」 という手紙を付けて送ってくれたものである。 その気で見れば、 表面の凹凸が人の目鼻口に見えないこともない。 凹凸の多い縄文人顔の僕に似ていないこともない。 たまに取り出して見入っている。 長径が親指ほどの長さの石だが、 大きくイメージをかきたててくれる。 元はもっと大きな石で、 ナウマン象が踏んで砕け、 そのカケラの1つが悠久の川の流れに洗われて、 今、僕の掌に乗っている、 この石になったのだろう。 耳に当てるとナウマン象の雄叫びが聴こえる。 なりは小さくても聖地が収まっている。 聖地ってなんだろう。 自然と人間が融合し人間が出過ぎず自然が人間を包んでいる… ふわりと空間に浮かぶ、そんな球体を想像し、 あるかな出会えるかな、 と僕は自問していた。 それは八重山諸島の石垣島から、 連絡船で10分そこそこのところにあった。 竹富島である。 見事に自然と人間が融合し、 人間は自然に包まれていた。 仰々しいものは何1つない。 赤瓦を載せた寄棟造りの家々をゆったり配した道は、 白砂の道だった。 タクシーもマイクロバスも走っている。 先を急がずのんびりとのんびりと…のように映る。 実際には40キロは出しているのだろう。 でも、そう感じる。 客車を曳く水牛の歩みは、 後退りしているように見える。 ここは時間の歩みがまるで自然と人の意思を嗅ぎとったかのように、 ゆったりしているのだ。 朝のウオーキングで足を止め空を振り仰ぐ。 心身が空の色に滲み溶けていくような感覚がある。 埠頭から見る夕景に、 幼き頃の1コマ1コマが赤錆色に映えて甦る。 夜になれば満天の星たちがささやきを落としてくる。 自然に融合して包まれるのだ。 昼下がり、 小中学生をメインに島の人達に読み聞かせを披露した。 会場のこぼし文庫は、 この島をこよなく愛し、 この島で余生を送ろうとそのための家を建てた文人が、 完成時に病気になり島への移住をあきらめ、 竹富町に寄贈したことで知られる。 その文人とは「おむすびの味」「美のうらみ」などで、 今も根強い読者を持つ随筆家の岡部伊都子だ。 この島の小中学生は合わせて40人、 その大半がきてくれ、大人たちも大勢集まった。 通りがかりの観光客が窓から覗き、 縁側に面した庭先に立って聞いてくれて、 予想以上に盛大な読み聞かせ会になった。 滝のように汗を流したが、 終わった後は体内を清流が巡ったように、 不要なものを洗い流してくれた。 それは恐らく自然との豊かな関わりをないがしろにして、 僕が知らず抱え込んでいた人間の負の意識だったろう。 そうして代わりに得たものは、 そんな人間を短時間で覚醒してくれる、 自然の途方もないおおらかさを知ったことだろう。 また性懲りもなく人間の負の意識を抱えるに違いない。 それを感じたらまたこの島へこよう。 ここは聖地だから。
2015.07.10
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10年も前、読み聞かせ終了後の、 絵本サイン会で、 お母さんに連れられてカワイイ系の、 女の子が順番を待っていた、 黄色く染めた髪に、 くるくるパーマをかけて、 ふりふりの薄い黄色のワンピースを着て、 濃い黄色のハイヒールをはいていた、 マニキュアは爪ごとに色を変え、 黄、緑、紫、青などの原色系だった、 マスカラー、アイシャドウも原色系、 顔は幼くカワイイ、 絵本にサインして、 中学生かなあ、と思い、 「何年生?」と、訊いた、 お母さんが代わって答えた、 「小学5年です。でも、学校は休んでいます」 不登校の女の子だったけど、 母娘の背中を見送りながら、 (あの恰好じゃ小学校は無理だよね) と、そっとうなずいた、 でも、10歳やそこいらにしたら、 現実離れしていたのに、 ドキッとするほどの存在感があった、 なぜだろう? そうか、と膝を叩いた、 ポップカルーチャーの世界から、 抜け出てきた早熟の女の子なのだ、 と納得したのである、 自分の部屋であの子はアニメや、 漫画の世界に、 出たり入ったりしているうちに、 その世界の匂いを色濃く身につけた、 に違いない、 今は20歳前後になっているはず、 原宿カワイイ系の主流として、 どこかを闊歩しているのだろうか。 元原宿系のきゃりーぱみゅぱみゅは、 たとえばニューヨークの5番街を闊歩して、 ニューヨーク子たちを騒がすことができるだろうか、 とだれかに訊かれたら、 さあ、と首を傾げる、 なぜならまだポップカルチャーの鏡の中の、 世界から完全には抜け出していない、 まだ鏡の中から愛想を振りまいているようなところがある、 完全に抜け出ていれば、 濃い匂いに充ち、 小さな悪魔的な魅力を電磁波のように、 カワイイ殻を透して放ち、 そばにいるだけで翻弄されそうな、 存在感を発散させるはずである、 そうなった彼女がブロードウェイを歩けば、 たちまち騒ぎが起き人並みが沸き立って、 ニューヨーク市警のお出ましになるだろう、 彼女がその進化を遂げたら、 全世界でレディ・ガガ並みの人気者になるだろう。 レディー・ガガは鏡の中から、 意気揚々と出てきて、 まるで原子炉を抱擁しているような、 強烈な存在感を発散しまくっている、 ところで、今の僕の願いは原宿系カワイイたちに、 草食系男子を、 大気圏外へ弾き飛ばす、 ような超弩級の発信力がほしいことだ、 貴方たちに新しい〇〇系男子を 生み出してほしいのだ。 カワイイ系風俗にそろそろ革命がほしい。
2015.07.08
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年齢は不詳ですが、この人の背中から迷える魂のようなものが 透けて見えるのであります。 きっと、今、自分がどのような状況に置かれているのかも よく解っていないようでもあります。 歩きでも、車を運転してても、方向音痴の人はよく道に 迷うのであります。 方向音痴の人は常に道にひっついて行く先に向かうのであります。 次の角の酒屋を左に曲がるとか、三叉路の左の道を行くとか、道に ひっいた目印頼りに目的地に辿り着こうとするのであります。 目印を見誤ると、右往左往の状態になりやすいのであります。 方向音痴型のドライバーにとってナビは画期的な盟友になった のであります。 自分がどこを走っているか俯瞰できるのでありますから、道を 間違えても一目瞭然であります。 ところで、人生の道で今、自分がどのような位置に立っているかを 知ることは大変重要であります。 その道にひっいていたのではそれが見えにくい道理であります。 こういうとき、幽体離脱をイメージしてみたいのであります。 自分を置いてスーッと真上の空に昇り、置いてきた自分をよく 俯瞰して観察するのであります。 何か気づくもの悟るものがあるはずであります。 そうしたら、置いてきた自分に戻る。 たまに思い立ったときにこれをやれば自分を見失うことは なくなる、と僕はは信じるのであります。
2015.07.07
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あるときの絵本のサイン会で、 5歳ぐらいの男の子が、 サイン用の机の端で頬杖を突いて、 僕の頭をじっと見だした、 そして、やおらこう言った、 「そんな頭をしているのは、 カワイイと言われたいからだろ」 えっ、と僕はその子を見て、 つかの間、言葉が出なかった、 図星だった。 その子が言ったカワイイには、 いろんな意味がある、 可愛い、かっこいい、きれい、似合ってる、 あるいはそれらをひっくるめた意味。 どれでも図星、 ひっくるめても図星だった。 「そのとおりだよ」 僕は大きくうなずいた、 その子がとても眩しく見えた、 直感力、素直さ、先入観のなさ、 差別観もなく、 想うがままの言葉を発する、 子どもが持っている珠玉のような、 感受性に学びながら、 大人は子供を育て、 伸ばしていければ、 素晴らしい、 ねばならぬ、という変な、 上から目線を排して。
2015.07.04
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自分はあなたから、 生かしていただいている、 しがない人間の、 しがない日本人の、 しゃがない個です、 おおそれたことを、 申し上げますご無礼を、 前もってお詫びさせてください、 先ごろはたいへんな猛暑を、 ちょうだいいたしました、 昨日は秋近しをほのかに感じ、 心がしまりました、 しかしながら、予報によれば、 今日は9月下旬か、 10月下旬の陽気とか、 もしかして、ほんのつかの間の、 秋を覗かせて、 猛烈な残暑をくださる、 おつもりですか、 いつかの年のように、 10月に30度超を、 お考えでありますか、 あんまりであります、 アフリカはアフリカのよう、 アラスカはアラスカのよう、 わが日本は日本のよう、 古来からそれぞれの、 気候をいただいて、 人間はそれぞれの地域で、 それぞれの営みを、 はかってまいりました、 特にわが日本は四季のけじめを、 くっきりとつけていただき、 お蔭で営みに比類なき多様さを、 生み出すことができました、 着るという一事を見ても、 春物夏物秋物冬物と、 着わけができる国が、 ほかにいくつあるでしょうか、 このように心を潤す四季の、 移ろいがなかったら、 清少納言は後世にその名を、 残せなかったに違いありません、 地球さん、お伺いします、 1つの季節に春夏秋冬を、 シェーカーに入れて振ったような、 不穏な四季になりつつあるのは、 いまだなかったほどの炎熱の年代を、 創始するべく、 あなたがじょじょにシフトを変えて、 いきつつある証左でしょうか、 だとしたら、その年代は、 人類なき時代、 これも運命と、 それを甘んじて、 享受しましょう、 しかし、われわれ人間が、 おろかな方向に文明の舵を、 とった結果、招いた温暖化に、 あなたがお怒りの結果でしたら、 どうかどうかどうか、 改善の道筋をおしめしください、 われわれも目覚めた者が、 多くなりました、 真摯な気持ちで耳を澄まし、 あなたの鼓動に触れて、 しっかり最善の道筋を、 見つけるつもりです。
2015.07.02
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マスコミを懲らしめなければいけないと発言し、 所属する党から厳重注意処分を受けた衆院議員がいた。 この人はその口の根も乾かないうちにまた同様の発言をして騒ぎを再燃させた。 冗談で言えば懲りない人で、自らを懲らしめなければならない。 ところで、この稿はこの人を懲らしめるためのものではない。 僕を含めて多くの人の心に潜む危険な独善性について触れたいために、 懲らしめなければならない、というフレーズをお借りした。 懲らしめなければならない…は大変お偉い人の大変高い目線から、 懲らしめられる側を見下した言いようである。 なぜ懲らしめなければならないのか。 自分は正であり善であるから、 懲らしめられることはないのである。 だから、誰かに何かに成り代わって懲らしめなければならないのである。 その誰かは善男善女かもしれないし、時の為政者かもしれない。 その何かは正義かもしれないし、その人が傾倒する思想宗教かもしれない。 あるいは天かも知れない。 そういう目線から見下ろしているから、 自分の価値基準からはみ出した者は邪であり悪である。 天に成り代わって不義のものを懲らしめるのである。 社会や、価値観の大変動期には、 こういう意識を集団で抱きやすくなる。 集団ヒステリー的要素も加わり過激な行動に出る。 ヨーロッパの中世末から近代初期にかけて魔女狩りが隆盛を極めたが、 その魔女はキリスト教世界で言う悪魔と結託して社会を混乱に導く背教者のことで、 妖術を使う魔女ではないし女と限っていたわけでもなかった。 背教者、つまり、キリスト教社会の破壊を企む 不届き者だから懲らしめなければならなかったのである。 太平洋戦争も敗色濃厚になった昭和19年2月、 東京日日新聞【現毎日新聞】の新名丈夫記者がその一面に、 「竹槍では間に合わぬ。飛行機だ、海洋飛行機だ」 と大見出しのついた記事を書いた。 戦局の悪化の一途にイライラを募らせていた陸軍出身の東條英機首相は、 この記事に激怒、新名記者を陸軍に懲罰召集させた。 大正時代に徴兵検査を受けた人間としては、 全国初の召集兵だった。 東條首相はヒットラー、ムソリーニのように独裁者ではない。 機を見て硫黄島などの死地へ送らせることを目論んだのだろう。 それが独裁者ではない彼のできる 懲らしめなければならない方法の限度だった。 しかし、新名記者は黒潮会という海軍省記者クラブの中心者で、 海軍首脳に信頼されており、海軍が陸軍に抗議したことにより、 3ヶ月で召集は解除された。 東條首相は再召集を狙っていたというが、 マリアナ沖海戦の惨敗、サイパン島失陥などで、 絶対国防圏が脆くも崩壊して、 総辞職に追い込まれた。 彼は独裁者ではなかったが、正義は自分にあると思い込んでいた。 新名記者はその正義に成り代わり、 懲らしめなければいけなかったのである。 私怨に正義の衣を着せてしまったのである。 朝鮮戦争の勃発で自由の国アメリカ国民の間で、 共産主義に対する警戒心と恐怖心が高まった。 共産主義者を懲らしめなければいけない、 と自分自身の心にあった正義の刀を振りかざした、 のがマッカーシー上院議員だった。 政府活動特別調査委員会の委員長として、 共産主義者、シンパに対する極端な摘発のナタを振るい始めた。 その矛先は国務省にも向けられた。 これがマッカーシー旋風である。 その旋風は放送界、映画会でも吹き荒れた。 これに敢然と立ち向かったのがBBC放送の人気キャスター、 エド・マローとその仲間で、 マッカーシー旋風の行き過ぎを批判し始めた。 すでに世論もそれに気付いており、 次第に旋風は弱まり、マッカーシーは上院での譴責決議案の成立で失脚した。 失意の彼は怒りと落胆の中で大酒に逃げ、 急性肝炎の発症で48歳の若さでその生涯を閉じた。 ついに自身の心の正義を克服できず、 悪を懲らしめきれなかったのはなぜか、 と自問を続けざるを得なかったのだろう。 10年ぐらい前だったか、 夜の新宿の繁華街で酒によって浮かれ騒ぐ若者たちを見た。 同じカラーのものを着ていた。 今は影を潜めたが、黒ギャン赤ギャン、 などの呼称で知らえれるギャングの若者たちだった。 彼らを見て僕の心に潜む安っぽい正義が首をもたげて、 「あいつらを拘束して収容所に入れ性根を叩き直せ」 と、怒りとともに囁いた。 「それじゃ北朝鮮だ」 普段の僕がたしなめた。 誰か何かに成り代わって【懲らしめなければいけない】という誤った正義は、 誰の心にも潜んでいるかもしれない。 理性がそれを抑えているが、 【懲らしめなければいけない】と広言する人が続々現れたら、 傾国の兆しと見ていい。
2015.07.01
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