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東日本大震災の記憶もまだ生々しい今の日本で誰がそんな脳天気な事が言えたり、思ったり出来るというのか。そんな風に眉をしかめながら怒りを露にする人々が大勢いらっしゃるだろうと愚考致しましたので、敢て表題の様な言葉を書いてみました。しかし考えてみても下さい、何時の時代、どんな国や地方を思い浮かべてみた場合でも戦争や、天変地異、貧困や虐待などこの世でのありとあらゆる不幸・災いがこの地上から姿を消した先例がない。個人の一生を取り上げても昔から生病老死と悩みや苦労の種は尽きませんね。それに百八つの煩悩。誰だって心の休まる時がありませんでしょう。しかし、しかしですよ。だからこそ、私・草加の爺は敢て声を大にして主張したい。心がけ次第で、無条件に、万人に与えられているのが楽しみであり、幸福なのです。 初秋や 鴉の声も 長閑なり 齢長けて 介護が楽し 空高し 柿一つ 立ち枯れにけり ぶうらぶら 秋の日に 思いは深し 千の海古屋 静峰(二世)― 草加の爺の俳号、の最近の吟を披露しましたが自慢の句と言うほどのものではありませんが、自分自身の現在の有りの儘の心境を吐露した即興の四句です。つまり、私は今日目覚めて何となく心楽しかったので、神仏に素直に感謝したい気持ちになっていた。楽しいと自然に感じられる時は素直にその気持ちに浸りきっていたらよい。なかなか、容易にはそんな時間は持てないのだから。そんな風に感じた次第。それで、老婆心ながらこのブログに思いっきり楽天的で「能天気」な内容を書いてみようと思い立ったわけですね。幸福感を「貪る」のではなく、感謝しつつ享受する。本当に心底有難いと受け止める事ができる、現在の自分の境遇に素直に感謝、感謝、感謝、なのですよ。どうです、自由でとらわれる事のない本来の自分自身に帰って、あなた自身に現在只今与えられている幸福、楽しみを味わいつくそうではありませんか、如何でしょう……。わたしは、草加の爺は「幸福を売る」ことが天職と心得ている人間です。言葉尻を捕える人に備えて、前以って弁護するば、本当は「売る」のではなく無料で配布するのですが、これがなかなか額面どおりには受け取ってもらえない。本当に嫌な世の中ではありますが、わたしは生まれつき打たれ強い人間ですので少しくらいの事では、へこたれたりしません。どうぞ、遠慮なく「幸福な生活への真の福音」を訊ねに、大勢のお人がメールなどをお寄せくださること、お待ち申し上げております。警戒も必要ありません。ただし、冷やかしだけは御免を蒙りたいのです。どうぞ、お願い致します。
2012年09月27日
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他人に情けを掛ける、つまり利害や打算を離れて困っている人や弱い立場の人に同情し、援助・激励する親切心を施す行為は、結局は回りまわって自分自身に帰ってくる。この当たり前のことが、「他人に同情することは、結局はその人の為にならない。だから、安易に他人に同情するのは良くない事だ」と言うように、“非常に穿った”解釈の方をとる人も大勢いて、世間に流布している事実を知ると、唖然とするのですが、それは兎も角としてこの「情けは他人の為ならず」という諺は、私たちの全ての行為に当てはまる事にお気付きでしょうか……。つまり、隣人との付き合いにおいて自分が相手に投げ掛けた行為は、必ず回りまわって、自分自身の身に還ってくる、と言う事実です。親切は親切を呼び、憎悪は輪をかけた憎悪となって跳ね返ってくる。原始法の「目には目を、歯には歯を」を思い出させるこの事実に、よくよく思いを致したいものですね。特に昨今のようにギスギスしすぎる世の中では、ことのほかこの事を心に止めておく必要があるでしょう。親切にしたって、結局は馬鹿を見るのは自分なのだ。という、一見世の中のことを知りぬいた物知りの、したり顔のペシミズムよりは人間性を信頼するオプチミズムをこそ、特に子供たちに教えて行きたいと念ずるのは私一人ではない筈です。つまり、此方が相手を信頼する行為は先方から信頼されることに結局は帰着するから。不信は不信を呼び、悪貨は良貨を駆逐するのは紛れもない事実ですよ。あなたの底抜けに明るいその笑顔が、素晴らしい明日の微笑やほほ笑みとなって跳ね返る。他人から素敵なほほ笑みで笑顔で迎えられる。何て素晴らしい事。考えただけでも心がワクワクと浮き上がるようではありませんか、どうですか?あなたも明日と言わず、今から実行してみては如何でしょう。明るく楽しく、夢のある行動を。それが仮令微弱な、ささやかな行為・行動であったとしても、それが類は友を呼ぶ結果を将来して、思いがけなく世の中を大変革する原動力と転化するかも知れないのですよ。勇気をもって、いや勇気などと言った大袈裟なものは本当は必要ない筈。口笛でも吹くような軽い気持ちで、兎に角始めてみましょう。そうすれば必ずや、世の中は明るく、良い方向に向かって変化するに違いありません。如何でしょう、その気になっていただけたでしょうか。世の中のことは常にGive&Take.先ず此方が先にギブする。それからなのですよテイクするのは。決してその逆ではありませんので、念のため。
2012年09月20日
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ここに隣人と書いたのは、なにも居住地域の隣人に限定する者ではありません。例えば、職場や学校など日常的に、頻繁に顔を合わす仲間といった意味合いでです。全体に人間関係が希薄になった昨今ですが、地域や職場、或いはグループ毎に様々な取り組みがなされ、改善の兆しが見られていることは喜ばしい限りですが、どの様な人間関係にせよ、人と人との付き合いには摩擦や緊張が付き物で、非常に厄介な問題が常に付随するのが普通でしょう。あまりよそよそし苦他人行儀なのも困りますが限度を越えて、過干渉になるような言動も困り者ですね。程よい関係とは個人の付き合いだけでなく、国と国との関係にしても非常にデリケートで複雑な要素が絡み合っていて、簡単にはその程の良さを割り出すわけには行きません。しかし、人間は所詮一人では生きられず、持ちつ持たれつの関係が大切な事は分かりきった事柄です。今は、友人との付き合い方に限定してみます。これも簡単そうに見えて、実際には難しい様々な要因が思わぬところに潜んでいたりして、予想も出来ない深刻な事態を招く恐れもある、実際のところ。しかし、考えてみると一つ一つの現象をとりあげてみると、小さな、或いは些細な事柄の積み重ねが私たちの日常を形作っているのですから、挨拶や表情などが相互に微妙な影響を与え合い刺激しあっている事実が浮かび上がってきて、結局はこのような小さな事一つ一つが重要なのであって、それらが私たちの人生に決定的な結果をもたらしているのかも知れない。そんな風に気付く。仏頂面よりはにこやかな微笑み、和やかな優しい表情。とげとげしくない心和む声音。そうしたほんの些細な心遣いが、トータルとして社会全体を住みよい場所にする、本当の原動力になっているのですね。心したいことです、お互いに。
2012年09月07日
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