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中 之 巻 京都に近い岡崎村に分限者の下屋敷をば両隣りにして、挟まれてしょんぼりとして気力のない鳥の如き浪人の巣、その取り葺き屋根(屋根にそぎ板を並べ石又は丸太等で抑えた屋根)。見る影もない細い釣り行灯(門に吊るした行灯)、太平記講釈(客を集め、太平記を読み聞かせて銭を乞うこと。太平記読み、後の講談)赤松梅龍と記しているのは、玉のためには肉親の伯父であるが、奉公の請けに立ち世間向きには他人のようにして暮らしている。 講釈が終了すれば聞き手の老若男女が出家混じりに立ち帰る。何と巧みで上手な講釈ぶり、五銭では安いもの、あの梅龍ももう七十歳でもあろうが、何事にも理窟をこねそうな顔付き、ああ、良い弁舌じゃったと客同士で会話している。楠の湊川合戦は面白い中での頂点で、身振り手振りで講釈をやられたので本物の和田の新發意(ぼちは新たに仏門に入った者の意で、和田賢秀、入道して新発意と称し、楠正行とともに四条畷で共に戦い、正行の死後は敵陣に潜入して高師直を狙ったが果たさず戦没した)が立ち現れたようだった。偉い勇士であったな、いずれも又明晩お会い致しましょうと、散り散りに別れるのだった。 大経師助右衛門が駕籠を先に押し立てて、梅龍、宿におるかや、と言って門の戸を開けようとすると門の鍵は既に下りている。はて、門を閉めた閉めないと言っても、盗人に盗られる物もあるまいが、と割れるばかりに戸を叩く。梅龍は内から突っ慳貪で愛想のない声で、喧しいぞ、何者じゃ、この家に聾はいないぞ。講釈なら明日来い、明日来い。いやいや、講釈などは聞きたくはないぞ、大経師以春の手代の助右衛門じゃ、至急に会わなければ事が収まらない。そう言って戸をしきりに叩けば、忙しない奴じゃ、開ける時間もいるのだとにょっと姿を現した白髪交じりの総髪(月代を剃らずに髪を全部生やして頂で束ねたもの。医者・山伏などの髪の風)のせむし僧、紙子の広袖、皮柄の大脇差、や、助右殿、夜中にけたたましい、何の用でござると言えば、何の用と言えば落ち着きが過ぎる、この間から毎日人をよこしてそなたが請け人にたっている玉の事で用があると言わせたのだが、酢の蒟蒻のと言を左右にして我が儘言う保証人が何処の国いるか。今月の一日に、明ければ二日の暁に、旦那が外から帰った門口で擦れ違うようにして手代の茂兵衛めが内儀のおさん女郎を唆して走り出た。あれあれと言う内に行くへが知れなくなった。 詮議をすれば、玉めが寝所におさん女郎と茂兵衛めが寝た体で、玉めはおさんの寝間に入れ替わって寝ていた。そうであるから、玉は主人の内儀の間男を仲立ちしたわけで、同罪は免れないところ。おさんと茂兵衛を探し出すまで身元保証人ではあるし、内実は伯父であり姪である。そなたに確かに預けに来た。二人の者が磔になれば、玉は獄門さらし首の刑だ。確かに預ける、そりゃ駕籠入れ、と駕籠を舁き込む所を梅龍が棒の端を掴んで、二三間押し戻し、これ、お手代、この赤松梅龍の姪などをむざむざと町家の奉公になど出す筈もなく、二親もいないやつだ、ようやく伯父が太平記の講釈で、暮れ六つから四つ時分(午後六時から十時)まで口を叩いて、一人につき五銭づづ、十人で五十銭の席料をもらって露命をつないでいる。素浪人の伯父の力では絹物を着せて腰元(身分ある家に仕える侍女)奉公させることも出来ない。大経師の家は常の町人とは違い国王や大臣でさえ一年の鏡となさる、暦の商売、日月の運行を明らかに示すものだから結局は日月に奉公させるのだと観念して、大経師手代衆に参る奉公人玉、請け人赤松梅龍と判を据えた。それは姪が不憫であったからだ、自分がまだ鄕国にいた時分は人並みに武士の真似をして振る舞い、托鉢僧の報謝米程の碌を取ったこの梅龍だ、罪の嫌疑のある者の受け渡しにはそれなりの仕方があろう。この家は僅か三間にも足りない小借家だ。周囲に小溝を掘ったり掘らなかったり。薄壁を一重塗ったけれども自分にとっては千早の城郭(河内国金剛山の中腹にあり楠正成がこもった城)も同然、六波羅の六万騎にも落とされまいと思っている場所だ。此処をどこと思って見苦しい駕籠舁きの泥ずねを、さあ、改めて渡せ、と弁舌は講釈で鍛えており事の道理は太平記、成り形は安東入道そのままに理屈を捏ねているようだ。 嫌にもっともらしい理窟ずめの脅かし、止めてもらおうか、武士でも侍でもこの助右衛門は何ともないわい、改めて受け取れと、駕籠を打ち明けると、高手小手の縛り縄に引っ立てて引き出す、玉は涙で目も顔も水から出たかのよう。伯父様、面目も御座いません、わっと叫んだ顔を見て鬼のようであった梅龍も涙を喉に詰まらせて歯噛みをするのも道理であるよ。 玉は恨みの身を震わせて、これ、助右衛門、物事には斟酌ということがある、色々な扱いがあるものだ。おさん様と茂兵衛殿が一緒に退いた上ですから、間男ではないとの言い訳は立たないけれども、こういう羽目に落ち込んだ元の起こりは、以春様の浮気です。そなたの心の拗けからおさん様に惚れた惚れた間男というのはそなたの事です。腰元のかやを騙して、何だかだと物を遣り、艶書の取次を頼んだのも私は知っています。もう少しで告口しようと考えたけれども、いやいや、人を損ねることだ、いずれにしてもおさん様に傷をつけなければよいと思い、この玉が厳重に見張りをしておさん様の側を少しも離れないようにしたので、かやも言い出す折がなかった。それで私を煙たそうにして、そなたの文を焼いていたのを見ていますよ。それを根に持って針を棒に取りなして、このような間違いが起こるように事を運んだ。私を磔にして、かやめをちょうど今の私のような状態に縛り付けて、獄門にかけられる奴ではあるが、この玉の慈悲心ひとつで助かったのだ。事件が起こった後の最近にその事言おうとすれば言い消し、言い消しして人非人め。慈悲が仇になったかとかっぱと伏して泣いたところ、このふんばり女め、血迷うて何を抜かすか、請け人に確かに預けたと言い捨てて立ち帰ろうとする。 梅龍は飛びかかり、盆の窪を引っつかんで引き上げれば、足を爪立てて、これ、何とするぞ。何とするとは玉を縛ったことさえ有るまじきことなのに、町人の分際で罪人に対する本式の縄のかけ方をしたのだ。早急に訴えでて処刑にふすべき奴であるが、御免なされと抜かして解きおるか。解きおるかと締め付けた。 あ痛た、痛た、唯の町人とは違って禁中のお役を勤めるので本縄にかけても大事はない。解いて欲しいならばそっちで解け。 やあ、うぬめは縄を付けて預けるのさえ昔からは無い無礼千万な仕方であるのに、禁中の御用を聞く町人は本縄かけても大事ないとは、何処から出た掟じゃ、お上の威光を軽ろんじた慮外(無礼)者め、どんな目に遭わせても大事はない、と駕籠の棒を引き抜いて力任せに七つ八つと息も絶え絶えになるほどにぶちのめされて、おのれ、助右衛門をぶったな。おお、ぶったぞ。この俺がぶったのが誤りか。町人の分際で本縄をかけたのが誤りか、御裁き所で埓を明けよう。さあ、一緒に来いと引き立てれば、それならば待っておれ、縄を解こう。おお、解かせないで置くものか、もう一つ棒を喰らうかと手強く叱りつけられて、不承不承(ふしょうぶしょう)に縄を解くのだった。 こりゃあ、確かに預けたぞ、この村の庄屋にも届けを出してから帰るぞ。ちょっとでも取り逃がしたら請け人共の首が飛ぶぞ。合点か、まだ減らず口をきいているのか、と頬骨に三つ四つ拳骨を食らわしてから玉の手を取って内に引き入れて、掛けがねをはたと掛けたのだ。 駕籠舁きの連中は気の毒がって、今のはひどく痛みましょうね。駕籠でお帰りなされと勧めれば、助右衛門は顔を抱えて、この筈この筈、今年は此処が金神(こんじん、陰陽家が祭る方位の神。この神が宿る方角で物事をなしたことへの祟り)に当たったのだ。殊に今日は土用の入り、それでか跡がずきずきと痛む。暦のことは争えぬと減らず口を叩いて帰るのだ。 乱れた麻のようになまじに結び合った為に、辛い思いをするおさんと茂兵衛は夢さえ恋してはいなかった恋仲になり、連れて走ったその日でさえ、茂兵衛の肌につけていた紙入れにはたった三歩(一歩は一両の四分の一の価格の金貨)の金しかなかった。以前には思いもかけなかった旅の空、おさんの肌着を金に替えて、一枚の白の肌着の上に芦に鷺の裾模様をつけた黒茶染の着物を着て、足に任せて奈良や堺、大津、伏見をうかうかと夫婦ではない夫婦として、神仏にも人にも疎まれ果てた身の上、互の心が恥ずかしくて顔を打ち上げて顔と顔、見合わせては顔を赤らめ、涙の他に言葉はないのだ。 ねえ、茂兵衛殿、どうせ私らは今日だけあって明日はない。命を惜しいとは思わないが、愛しや玉はどうなったのだろう。案ずるのはそのことばかり、ただ床しいのは父様母様、どんなに思い諦めても逢いたくて仕方がありませんとむせ返って、歩みかねて泣くのだが、おお、会いたいのはお道理です、我も何かと目をかけてくださったお主筋の方々です。お名残惜しさの気持ちは同様です。此処があのお玉の在所の岡崎です。あれ、あの行灯の出たところが即ち伯父の宿、ここに訪ね寄っておさんの実家の様子やら、玉の噂などを聞こうと存じて参ったが、内の都合を聞き合わせず案内を乞うのも不躾でしょう。と軒に立ち寄って伺えば、内では玉が泣く声がして、何を言っているかは分からないが、口説き言。叔父の梅龍の声がして、やい、玉、この本はこの俺が毎夜講釈をする太平記の二十一巻目だ。尊氏将軍の執権、高師直と言う大名盬冶判官と言う、これも歴々の武士の妻に心をかけ、末代まで悪名を残し、鹽冶判官もそれゆえに命を落としたのだ。もと侍従と言う女が媒介して起こったことだ。おさん殿と茂兵衛とが真実の間男でないと極まったとしても、二人は手を取って駆け落ちをされたのは定まった。この二人に何処で会ったとしても、万が一に此処へ訪ねて来たとしても、必ず必ず物を言うな、見ぬ顔をせよ。こう言えば二人に対して無情であり、水臭いようではあるが、そうではないぞ。間男と言う浮名のたった二人の仲に仲立ちしたと言われているそちが混じって三人になれば、素振りだけでも人に見られでもしたら、そりゃ、一つ穴のいたずら狐と、一緒に寄ったのはやはり玉の仲介だったと、おさんと茂兵衛の不義は決定したと、言い立てられては益々科が重くなるぞ。この点をよく合点せよ。つれなく当たるのは却ってお為じゃぞ、この事故にそなたも縄目の恥を受け、今のように預けられた。そうである以上は同罪も免れ難い。首を切られ手足をもがれ、試し斬り(罪人などを刀の切れ味を試す為に切る事)の材料にされてしまうにせよ、主と頼んだ人の為に命を惜しむな、梅龍の姪だぞ。最後は清く死んでくれ。そう言う言葉が聞こえてくる。 それは気遣いなさらないで下さいな、とうから覚悟は決めています。伯父ひとり、姪ひとり、私が死んだら伯父様がさぞ心細く思し召されるでしょう。茂兵衛殿はどうしておられることでしょうか。愛しいおさん様は何処でどうしておられるでしょうか。常が気の弱い正直な心を知っている私ですから、何やかやと心配でなりませんよと泣きいれば、梅龍も、おお、そちが愛しく思うおさん殿、身は下立ち売の親御達の嘆きが思いやられると、内では伯父と姪が口説き泣き、外では二人が立ち聞いて涙を漏らす戸の隙間、声のない冬のきりぎりすも壁にすがって鳴いている。
2025年01月31日
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茂兵衛はとっくと思案を固め、他人さえ頼まれる、結局は主のためだ、たとえ仕業は曲がるとも心はさっぱりとして拭漆(ざっと漆をかけた塗り物)の刀掛け、主人の以春の巾着を開けて奪うのも紫の袱紗。印判をそっと取り出し、いつの間にか気づかないうちに助右衛門が戻って後ろにいるとは見えないから知らない。白紙を押し広げて、金額や文言は後で書けば良いので先ずは印判をしっかりと押す。背中に目のない情けなさ。 茂兵衛、それは何をするのだと声をかけられて吃驚したが、はああ、助右衛門か、神の目はくらますことができないな、見つけられてしまったぞ。壱貫目程の入用があって旦那の名代で銀を借りるのだ。此の月中には当てがあるのだ、二十日程の間だけ目をつぶっていてくれないか。そなたの気象では傍輩の首が切られても厭いはしないだろう。茂兵衛の咎は極ってしまった、首を括るなり殺すなり勝手にしてくれ。と居直った。 おお、小癪な掏摸め、勝手にしないで置くものか。男共みな出てこい。旦那お出でなされと呼ばわれば、家内の上下の者が何事が出たいしたのかと立ち騒ぐ。 助右衛門は渋面を作って、旦那、これをご覧なさい、お前様の印判を盗み出して白紙に押した曲者ですぞ。大経師の家を覆し、主を売るかも知れない奴です。身元保証人の請け人に預けて括りあげましょう、と大袈裟にわめきたてれば、おさん親子ははっとして、胸に応え顔色を変えるのだ。 以春は非常に驚き、さてさて、日頃ほどではない見違えた根性だ。総じて一家の会計から商売上の事まで二人に任せて置くのだから、事柄次第では主の印を押しもしようぞ。助右衛門にも知らさなかった事から見ると、私欲の為だと極まったぞ。どのような気持ちで印判を盗んだのだ。助右衛門、それを問いただしてみよ。ええ、生ぬるい旦那殿。そう言って茂兵衛の髻を取って蠑螺殻(さざえから)のような拳で二三十拳骨(げんこつ)を食らわし、さあ、抜かさぬかと睨みつけた。 茂兵衛は髪を解きむしられて、おお、もっと打て、踏んでくれ。主の印判を盗むとは我ながらとんでもない罪を犯したものだ。そうではあるが、今日まで水茶屋の見世に腰を掛けず、骨牌(かるた)の打ち様も知らず、人並みに着替えの着物は一通り持っている。足手纏の妻子もない、何を不足で私欲をしようか、体は粉微塵に打ち砕かれようとも、この茂兵衛の口からは言い訳は致さぬ。おさん様、お袋さま、詫びごと致されたならあの世に行ってからもお恨み申しまする。やい、助右衛門、天道が物を仰り経緯をお話なさったら貴様の面をぶち返して、許して下され茂兵衛様と拝ませないではおかないのだが。無念だぞ、口惜しい。歯ぎしりしながら顔を背けて泣いている。 以春も流石に馴染みの奉公人である、成程、二十年間も見落としもなかった奴が、たちまちにして悪心を起こす筈もない。言い訳をせよ、せよ、と言うけれども一向に返答をしない。 中居の玉は予てから茂兵衛に惚れ込んでいて命さえ捨てる覚悟を固めている。自分の志を述べんとしたのか主人の前に手をついて、これは皆私がお頼みしたことです。茂兵衛殿に科はありません。岡崎村(京都の東の郊外に在る)に居られます私の叔父が浪人の暮らしが致しかねて、五百目余りの借財に手厳しく催促され腹を切るとの便り、あまりに悲しくてあのお方にお願い申して金の工面をお願いいたしました。私への同情のあまりに却って御自身に災難を招いてしまいました、そう、実しやかに申したのだ。 おさん親子はこれ幸いと、玉や、出来したぞ。正直にありのままによくぞ言ってくれましたな。他人の為を図っての出来心でした。殊に今日は大事な祝いの日です。連れそう女房や姑が一生に一度の詫びごとです、許してやって下されと、手を合わせたのだが合点せずに、以春は益々腹を立て、さてはうぬらは密通していたのか。この大経師(だいきょうじ)は禁中のお役人や侍と同等の待遇を受けている町人だ、その格式ある家で不義の上で主の印判を盗み、押すと言う大罪を犯してくれた。今日はもう日も暮れる、明日にも請け人を呼び寄せて詳しく問い糺す。やい、男共、隣の空き屋の二階に追い上げて下で厳重に張番をしろ。油断をするなと言いつけた。 おさん親子は有体に打ち明けたものかどうか、心が定まらない浮草の如くに頼りなげな様子だし、茂兵衛は下々に引き立てられても悪びれず、別に臆するでもないその態度はもともと後ろめたい所がないからであるが、まさしく哀れを催すのだ。 女共も寂しいでしょうからお袋、今宵はお泊まりなさいな。舅殿の御気色を見舞いがてら私は下立て売りに参って今日の祝儀の様子を詳しく話して参りましょうぞ。それ、女房ども、頭巾を寄越しなさい。これ、助右衛門、戻りはきっと夜更けになるであろうから、皆を早く休ませて、門も閉めて火の用心。傳吉は提灯を持て、七介来い。隣の空家に気をつけろ。言いつけてから表に出た。 それで助右衛門は方々の掛けがねを閉めて部屋に入る。台所では有明の(終夜灯しておく)四角行灯を掲げて作業、六角堂(六角通り、東洞院西に入る堂の前町にある頂法寺の俗称)の鐘がこうこうと鳴り響き、更けゆく夜、おさんは母御を眠らせて、心も湿る寝巻きの露、玉の常の寝床の布団も薄い茶の間の隅。四尺の屏風を押しのければ玉は寝もせずに寝所にただぽつりと起きていた。はあ、これはおさん様、御用がお有りなら御寝間からお手をお鳴らしにはならずにむさ苦しい寝所に、何の御用で御座いましょうか。 むう、そなたもまだ寝てはいなかったなあ。別に用はないのだが、茂兵衛が難に遭ったのはみなこのさんが頼んだ事じゃ。それをどうして知ったことか、岡崎の叔父にかこつけ自分の身の上のことと見せかけてよく取りなしてくれました。その志が余りにも嬉しくて、礼を言いに来たのですよ。前世では姉妹であったかもしれぬ。死んでもこの恩は忘れない。そう言ってはらはらと涙をこぼしたのだ。 これはまあ、もったいないお礼を受ける覚えもないことです。お前様が頼んだことかどうかは存じませぬが、さっきのように申したのは私は私なりの心があって申したことです。いやいや、譯を知らなくては側から出て言い訳するはずもないこと。御尤も、御尤も、ご不審のたつはずです。それならば打ち明けばなしで懺悔いたしましょう。もともと私があの方に骨身に染みて惚れ込みまして、二年この方口説いたのですが優しい顔には似つかない真面目な性格で、堅苦しく偏屈な生まれつき。奉公をしている間はどんなことがあっても女子の手も握らない。女子の顔は開いた目で見るのも嫌じゃなどと無愛想なことばかり言って優しい言葉ひとう掛けてはくれません。ああ、じれったい、嫌われた。憎い憎いと思っていたやさきにさっきの難儀、それ見たことか玉のバチが当たったぞよ。よい気味だとは思ったのですが、いやそうではない恨みというのも恋心から起こった憎しみ、此方の思いが通らぬにしても好いた事に違いはない。ここで此方の真情を見せなくてはと我が身を捨てたこのた玉を、まだ可哀想とは思ってくれまい。本当に怨めしくてなりませんよ。それにまあ、おさん様の前ではありますが、さもしく穢い卑怯至極の旦那様のお心、茂兵衛殿への酷い処置はみな悋気から起こったことです。私にきつく惚れたからと言い、隙さえあれば抱きついたり袖を引いたり、表向きは隙を取って此処を出たことにせよ。そうすれば、何処かに妾宅をそっと構えて囲ってやる。在所の親も養ってやるぞと口説き、小袖やら銀をやろうと、煩いやら厭らしいやら、聞きたくもないことばかりを並べていますよ。私さえしっかりしていれば良いのだからと、無闇に事を荒立てて御夫婦の諍いが起こらないようにと今でなかったら申しませぬ。余所の夜噺にわざと夜を更かして表の下男達の部屋の二階からこの屋根伝いに、あれ、あの引窓(明かりをとり、また煙などを出す)の綱を伝って私のこの寝場所に大体毎夜のようにいらっしゃいます。あんまりで腹が立つ、見下げ果てた旦那様、全く泥棒のすることです。おさん様にお知らせ申して、町会所にも届けを出し、公の晴れの場所で恥をかかせまする。決して恨みなさいますな、と奉公人の私に叱られて旦那様ともあろうお人がすごすごと、我が家のうち戸を中から叩いて、戻ったぞよ、戻ったぞよ。とお寝間にすごすごと戻られる後ろ姿、おかしいやら憎らしいやら、口に出して人に話せないことです。そこへ持ってきて、私が茂兵衛様の肩を持ったので、さては二人は密通していたのか、禁中のお役を勤め侍同然の大経師の家で、不義者めとの憎しみは、悋気からの意地悪さであることは、どう見ても間違いはない。今夜も確実に忍ばっしゃるのは知れた事です。今宵こそは声を立ててお前様に告げようと覚悟を決めて、帯も解かずにこの通りにしていたのです。 お前もさぞや腹立ちであろうよ。如何に家来であるからといって、侮った惚れ方じゃ、思えば腹が立ちまする。そう言っておさんは涙を流しながら語るのだ。おさんはやがてため息ついて横手を打ち(意外な時にする仕草)、さてもさても、今の世の賢女とはお前のことだ。男の畜生とは連れ合いの以春殿、女房一人を守っている男ではないけれども、あまりに女房を踏みつけにした仕方。涙がこぼれて腹が立つ、のう、この上で無理な願いの相談がある。そなたとおれと代わって此処に私を寝かせておくれ。いつものやり方で以春殿がござった時に、泣いたり恨んだりして口説かせて、今宵は玉が靡いた風にして、夜が明けるまで抱いて寝て、家中の者が見ている前で、幸いに母様も泊まっていらっしゃる事ですし、思い切り恥をかかせて本望を遂げたい。そなたの寝巻きの木綿の綿入れを貸しておくれ。寝代わっておくれ。 それはお易いことではありますが、召し付けぬ木綿の夜着でお肌が冷えてたまらないでしょう。えい、何のことか冷えるどころか、昔の井筒の女とやらは妬みの炎(ほむら)で提(ひさげ)の水が湯になった。男への恨みで身が燃えて寒さや冷たさは厭わない。是非にたのむと言えば、それならば、とにかく貸すことは貸しましょう、出来るだけ上手くおやりなさい。と更に引き包むこの屏風、火を吹き消して烏羽玉の玉は奥にぞ入りにけり。 科無き科に埋もれた茂兵衛はつくつくと思えば、玉が志、日頃つれないこの男を、女心に恨みもせずに仇を恩で報いた言葉の情。恥ずかしくもあり面目がない、たとえこのまま死んだとしても、一生に一度は肌に触れて、玉の思いを晴らさせてやりたい。温情をかけてくれたことに対する恩返しと、目だけを出す深頭巾を被り、空家の二階を忍んで抜け出して、母屋の屋根を四つん這いの姿、それを人に咎められて、またこの上に盗人の名をば重ねるのであろうか。屋根のこけら葺きの上、昨日の雨が乾かない上に、今宵の霧の浅しめりで踏むところも滑るのでそろり、そろりと引窓の下を覗けば中は常闇で、何の目当ても見えないが、家の勝手は熟知している。それを力に縄を手繰り寄せて、心細くも辿って行く。 足音をよそに聞かれまいと、柱を摩り、壁を撫で、目は開きながらも盲目も同然、杖を失った様な心細さで敷居を一つ二つ、三つ越えて、暦の細工所の次の茶の間に玉が寝ている。畳は何処か、すり足で、屏風にはたと突き当たり、吃驚したので膝が震える。おさんもはっと胸騒ぎ、身も震えてしまう空寝入り、屏風をそろりと押しのけて、夜着にひしと抱きついて、揺り起こし、揺り起こしして、揺り起こされて今目が覚めた如くに相手の頭を撫でれば、縮緬頭巾、さあ、これこそと肯けば、茂兵衛の方でも今日の一礼の声を出さないので、言葉はなくて、手先に物を言わせては伏拝み、伏し拝みして思いの丈を涙に託して泣く。その涙の粒がはらはらと顔に降りかかる。その手を持って引き寄せて、肌と肌とは合いながら心は隔てたる屏風の中、縁のはじめは身の上の仇の始めとなったのだ。 既に五更(午前四時から六時)の明け方にしばしば鳴く鶏の八声、鳥門の戸をけたたましく叩く、とんとんとん、旦那のお帰りだぞ、はっと消え入る寝所であまりの意外さに殆ど気も失いかねない驚きよう。 やいやい、帰ったぞ、開けないか。呼ばわるのは以春の声。 助右衛門が目を覚まして、どいつらもおおぶせりだな。提げて出てたる行灯の光。顔を見合わす夜着の内、やあ、おさん様か、茂兵衛か、はあ、はああ……。
2025年01月29日
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大経師昔暦(だいきょうじむかしこよみ) 唐猫が男猫を呼ぶので薄化粧をする。それはしおらしい、猫でさえも、夫ゆえに忍ぶ、我が身は何と唐打ちの縺れた綱のようにどうして思いがすらりと通らないのであろうか。えい、そりゃ、綱より解けない契であろうか、じゃれて、甘え巫山戯て手鞠取れ取れ、ま一つ、二つ、三つ四つ五つ六つ七つる八つる九((ここの)ほんほ十(とお)んえ、えいころ、えいころ、えいころ、ころり炬燵にしなだれて人に媚びて甘えるのも、懐くのも自分の恋であろう。 それは昔の女三の宮(源氏物語中の人物。朱雀院の第三皇女で源氏の妻に定まるっていたが、六条院の蹴鞠の日にたまたま寵愛の猫が飛び出したはずみに御簾が掲げられて、その隙間から美しい容姿を内大臣の息柏木に見られた。柏木は宮に侍女小侍従を通して切ない思いを訴え、やがて密かに通じることになる)、これは当世女のおさんである。 夫の名前も春を以ては色香に鳴る、梅花の暦の元締め、大経師(朝廷御用の表装工の長で、新暦刊行の特権を与えられた)の以春と言い、袴要らずで長羽織の姿、家居も京の中心部で諸役御免(全ての課役を免ぜられる事)の門構え、名高い四条烏丸、既に貞享(じょうきょう)元年甲(きのえ)子の十一月朔日、来る丑の初暦を今日から広める古例に任せ、主人の以春は未明から禁裏院中親王家の五摂家清崋の御所方に新暦を献上して方々で目出度い祝い酒、嘉霊の如くに去年の如くに、十徳(羽織に似た服。僧侶の直綴・じきとつの略制でその名を訛ったもの。医者・儒者・絵師・大経師などの礼服)着ながら炬燵にとんと高鼾で寝ている。 算用場では手代ども、進上暦(武家屋敷に出す暦)の折包み、江戸や大阪への下(くだし)暦、地売り(一般の土民に売りさばく者への指図)子供の取り捌き、一門振る舞い祝儀の使い、竈の霞、膾の雪、春めき渡るすり鉢の音、今日の霜月朔日を元日として祝うのだった。 主手代の助右衛門はこの家の取締をする束ね役、綿の小紋の羽織を着て、主人も一目置く存在だ。奥縞の袴は旧渡り(もとわたり、貴重なので珍重された)の昆布の皮、強ばった顔付きで、や、旦那はまだお休みか、未明から方々のお勤めで草臥れたのは道理だ。申しおさん様、茂兵衛めが戻ったら代わって休もうと思うのだが、何処でのらくらと怠けているのやら、二条城方面の武家屋敷への進上暦が遅くなってしまうぞ、働きついでに休まず一息に廻ってきましょうぞ。嘉例の通りに御一門衆様方がお出なさりましょう。 御台所か姫君のように猫をからかっていても済まない事だ、これ玉、おなじようにその様は何だ、奥の台子(だいす、茶の湯で茶碗・茶入・水差しなどを入れておく棚)も整頓しておきなさいよ、庭の小座敷も掃除をしなさいよ。炬燵には火を入れなさい、違い棚の埃を払って、双六盤や将棋盤、碁石の数も読んで調べて、手水鉢には水を入れさせて、手拭いも掛け替えなさいよ。煙草盆には切り炭(佐倉炭などを適当な大きさに切ったもの)をいけて、膳立てをして椀を拭いて、お給仕に差し障りが出ないように夕飯は早めに食べてしまいなさい、等と一口に千色ほども用事を言いつけて、まだ面倒なのはその猫で、ぎゃあぎゃあと吠えるのが能で、鼠の一匹も獲りはしないぞ。男猫を見てはふらふらと付きまとい、屋根も垣もあったものではない、重なって屋根でさかったら四足を括って西の洞院に流してくれようぞ。などと何の関係もない猫にまでも悪口を言い、茶の間中の間や隅々を見回して、それ、久三や挟箱だ、暦を配る家によって心付けのお引きがでるぞ、ただで取ると思うな、貰った分だけ給金から差し引くぞ、今から念を押すぞと言い打ち連れて表へ出た。 おさんと玉が顔を見合わせて、何と、今のを聞きましたかいの、同じ物の言いようでも茂兵衛のように物柔らかに言っても事は整うもの、その人も悪気はないようだが、地体(ちたい)の顔が憎く体で邪険に見えるので言葉付きも愛想が無いように聞こえる。何と、助右衛門を自分の夫として欲しくはないか、なんなら世話をしてやろうか。ええ、おさん様、いやらしいことを仰らないでくださいな。あんな男を夫に持つくらいなら牛に突かれたほうがまだましです。同じ手代衆の中でも、茂兵衛殿のように仮初に物を言うのにも愛想がよくて、どのような時でも腹を立てたりしない。本当にあの様な人を男に持つ女は果報者でありますよ、本当にそう言えばそうだね。猫にも人にも合縁奇縁で、隣の紅粉屋(べにや)の赤猫は見掛けからして優しくてこの三毛をを呼び出すのにも、声を細めて恥ずかしそうに見えるのでこの子の男にしてやりたい。又、向かいの灰毛猫は憎らしい肥え太りの形(なり)で遠慮会釈もなく屋根の上を馬でも追い立てるように怖い声を出してこの三毛を呼び出すよ。先日も下立売りの母(かか)様と親子のたった二人でいる縁先の蔵の屋根でこの三毛を可愛げに、それは見られたものではない、あんまり憎らしいので竹竿を持って追い払ったところが、おれを睨んだ目元の怖さ、こりゃ三毛よ、悪い男を持つなよ、灰毛の猫が濡れかけたら物事は最初が大事だ、思い切り嫌ってやれ、此のさんが家来分の婿として良い男猫を添わしてやろうぞ。おお、可愛やと猫撫で声、にゃんにゃんと甘えるめす猫の声、余所に漏れたのか、妻恋いの男猫が声々、三毛は焦がれて駆け出した。 やい、淫奔ないたずら者め、大勢男猫の声がする中へ行ってどうするのだ、ええ、気の多い奴だな、おりゃ、男を持つならたった一人を持つものじゃぞ。間男すれば磔の刑にかけられる女子の嗜みを知らないのか。そう言って抱きすくめても爪を立てて掻きつけるのを、あっ、痛いと放せば離れて駆け出すのだ。やい、間男しいの淫奔者、刑場のある粟田口に行きたいのか。と、後の我が身を魂が先に知らせて言う、祝日に追いかけて奥に入りければ、玉の続いて立つところを以春がむくむくと立ち上がり、後ろだきにぴったりと、さあ、美しい女猫を捕らえたぞと、乳のあたり手をやれば、ああ、くすぐったい、またもやまたもや抱きついたり、手を締めたり、もう一度こんなことがあったら、おさん様に告口してどこもかしこも紫色になるほど抓らせますよ。ああ、煩いと突き放し、どっこいやらないぞ、本妻の悋気と饂飩には胡椒がつきものだぞ、何とも思わない。紫色はおろか、全身が樺色になったとしても、君のためならば厭いはしないぞ。思いやりがない、薄情だ、毎晩毎晩、寝床にお見舞い申せども一度も本望を遂げせてはくれない。お前の為にこの以春名を変えて鎌足大臣、玉を取る思案ばっかり、今夜こそは嫌とは言わせない。謡曲の「海士」ではないが、一つの利剣を抜き持って彼の海底に飛び入るぞ、応か応かと抱き締めた。 どうなりと致しなさいな、こちゃおさん様に言いつけまする。あれ、おさん様、おさん様、やれ喧しいわ、その外おさん鰐の口、口のついでに口と口、顔を寄せると門口で、頼み申すと、台に据えた鯛や赤貝、あれ、お客様ですよ、おどきなさいな。いや、大事はないぞ、構わないぞ、赤貝持参なのは女中客だぞと言っている所に駕籠乗物、下立売りのお袋様がお出での由を案内す。 南無三宝、姑の古赤貝、これは困った大変だぞ、言い捨てて以春は奥に駆け込んだのだ。 程もなく駕籠を舁き入れると、おさんは端の玄関まで出迎えて、母(かか)様よくいらっしゃいました。父(とっ)様はどうして遅いのですか、そのことだがね、父様(とつさま)は一昨日に花の本の連歌師の所での会合で夜を更かして、少し風邪気がある上に、風早宰相様の朝茶の湯、いよいよ風邪をこじらせてそれでよう来られないのですよ。先ず先ず今日は毎年変わらない初暦、商売繁盛、目出度い、目出度い。以春殿は何処にいらっしゃる。悦びであろうの、ありがとうございまする、推量して下さいませ。御所方、方々で御嘉例の九献(きゅうこん、酒の異称)に酔って裏の数寄屋茶室で寝て御座いまする。さあ、先ずは奥へお通りくださいませ。りんとはつや、お供ご苦労でしたね。晩にはこちらから送らせましょう、六尺駕籠舁き共を帰しなさい。そう言って親子ともども中に入ったのだ。 奉公を出過ぎぬ気立て、傍輩の下手につくのも自分自身の性質からであり、茂兵衛は早朝から暦配りに余念がない。先々での美酒の振る舞い、その米麹が発育する際に小さな花が群がり咲く状態を呈するが、その米麹の発芽ではないが、目元をほんのりと赤らめながら立ち帰り、ああ、よく歩いたことだな、七介休憩しなさいよ。御一門衆がおいでであるから直ぐに袴も着ていて、此処で一服しよう、楽しみ煙管を。そうして少しばかり酔を醒まそうか。そうして、暫くは寛いで休んでいたが、炬燵の間から、これ茂兵衛此処へいらっしゃいな、そう呼ぶ声はおさん様、はっと居直り、たった今帰りまして少しばかり酒の気はございますがもしや急な御用でございまするか、と言ったところ、さぞ草臥れではあろうけれども、急いで話したい事がある。此処へ此処へと膝許近くで小声になり、父様の方に面倒なことが起きてきて、相談したいと言う事です。自分の恥を言わなければ筋道が通りません。お前も知っての通りの実家の財産状態で下立売りの主人が常に住む屋敷を町役人の連判で、一昨年三十貫目の家屋の抵当に入れたたのですが、それでも昔からの古い格式のある家、物と人が続いて今年の春に町会所へも隠して二重の抵当に入れたのである。それを前の銀方が聞きつけて、それとはなしにこの月の三日限りで家を渡すか、金を渡すか、返事次第に五日には告訴状を法廷に差し出すと足元から鳥が飛び立つように、突然に意外な顛末になって急に町に届けを出したと言う。 愛しや父様の家を渡しても大事はない。目安をつけるのも構わないが、家一軒を両方に質入れした事実が露見しては、この岐阜屋道順の一分が廃る。そう言ってほろほろと泣いているいるそうです。それで色々と仲裁が入って、今月の三日迄に二貫目の利を支払ってひとまず事は落着したが、そうと決まった所で肝心の金がない。やっとのことで、壱貫目は黒谷のお寺で借用してあとの一貫目がどんなにもがいても出処がないと言う。 以春様に言ったならば、直ぐにも埓が空くけれども、父様も母様も婿に無心したのでは何時までも大事な娘の引け目になる。お年寄りは我が強くて、以春様には鼻息でさえ知らせてはいけない。助右衛門に言ったところ又例の如くに顰め顔、眉合いに皺を寄せて、聞き入れてくれぬばかりか直ぐに夫に告口するのは必定だ。我が夫を差し置いて手代に言うとは何事じゃと、結局事が大袈裟になるだけだ。この月末には兼ねて用立てていた或るお公家様からの支払いがあり、三十両程の戻る金がある。これは私も知っていることで、その金が入るまでの二十日余りの事だ、頼むのはそなただけだ、壱貫目を整えて親たちの苦を晴らしてはくれないかい。 ええ、無念じゃ、私が男の身であったならば、これくらいのことで親たちに苦労はかけまいに。娘を生んだ親も損なら女子に生まれた私も因果じゃと、しみじみと口説き頼んだのだ。 茂兵衛も一杯機嫌で、はれやれ、御婦人と言うものはお気が細い。五十貫目や百貫目でもあることか、仰山そうにそれくらいの銀、長々と言葉を続けて言われる事ではありませんよ。旦那の印判一つを問屋に持ってまいれば江戸為替の二貫目や三貫目は年中やり取りを致しておりまする。どちらにしても二十日の間です、お気遣いなされますな。今日のうちにきっと一貫目整えて進ぜましょう。私がちょつとの間横着を決め込めば済むこと。と申しても盗みをするわけでもありませんで、一時人の目をごまかすだけのこと。仮に盗みをするとしても、自身の欲心からではないことは天道様にかけて明白なこと。お前様とて、ご主人様であることに変わりはありません。親御の恥は娘の恥、舅の恥は娘の恥、二人の御主の恥をすすぐのは畢竟はお主への奉公。落ち着いて奥へおいでなさい。 ああ、嬉しい、嬉しい、物は言ってみるものですね。母様にも囁いて御心を休めて進ぜよう。そなたに任せた、これ、女子共よ、お料理がよければ、早くお膳を出しなさい、と勇んで奥に入ったのだ。
2025年01月27日
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あ ひ の 山 夕べ、朝(あした)の憂い勤め、遊女の美しさは一時の花とは承知していながらその容姿に迷い通ってく る客に数々の艶書に筆を染めても誠は薄く、しかしながら、本当に惚れ込んだ恋人の場合には別で、富士山を麓に見るような高い恋の山に自分から進んで分け入り、中戸での密会に儚い夢を結び、月の明るさを恨んだ夜もある。 嫌な客の座敷から他の客の許に呼ばれて行く途中でも、人目を忍んで恋人に逢うにも鹿島の神を知り、芯から嬉しい可愛いと感じた相手へは身にも応えて忘れられない。 初会から二度目までも相手を嫌ったのに、なおも懲りずに来る客にねだられていやいや祈請文を書いたこともある。神も仏も一方の耳には誠を、他方の耳には嘘の誓言を囁かれているわけだが、自分としては真実に愛する人に会えないのであれやこれやと心を砕いている。格子戸を叩くのを合図にたまさかに会うにも籬(まがき、店と入口の落間・おちまとの間の格子戸)越しである。 何を嘆こう、嘆いても、身は十年奉公の繋がれ舟、今日の勤めを済ますと思えば、もう翌日の勤めが始まるのだ。絶えずに目を光らせている遣手が攻めてくる。呵責の責めは地獄の鬼よりもまだ恐ろしい。仕舞い太鼓(三番太鼓。これを合図に大門が閉まる。およそ午後の十時から午前二時の間)の音までも寂滅為楽、死んだがましと響くのだ。 死出の山路は誰であって同じ泊まりの旅の宿。憂き世を隔てる涙川、この世に浮名を晒すそれではないが更科や、姥捨て、親捨て、身を捨てて、親は他国に子は島原に、桜花かや散り散りに、五つでは糸をより初め六つでは難波にこの身を沈めて、八つで遣手に付き添い、九つで恋の小使い、十(とお)や十五の初姿(はつすがた、初めて遊女の姿をすること)、髢(かもじ)入れずに地髪房々の衣装のこなし、心利発で道中よくて、恋い知り譯知り、文の文章、「思い参らせ候」と、床での客のあしらいも上々で、沈(じん)や麝香の香りまで今の手向けとくゆらせる。種を蒔き捨てた撫子(源之介のこと)の花の盛りを余所に見て、惜しや三途の川霧と消えるその身も人目にも昨日今日とは知らずに、従って数珠を手に取ることもなく、何を以て後世の土産とも全く知らずに、白露の化野(あだしの)や、相の山野辺よりあなたの友と言っては樒(しきみ)ひと枝一雫、これが冥土の友となる。せめてこの言葉があの世への道しるべとなってくれ。形見ともなれ回向となれ。迷うな我も迷わじと思いを込めた一節に聴く人は哀れを催すのだった。 扇屋夫婦は情け深く、ねえ、あなたは聞き及ぶ藤屋の伊左衛門殿であろうよ。人目を忍ぶのも時によること娘とも思う夕霧の臨終の心を堪能させてやりたい。早く会ってやってくださいな。ああ、忝けないと走りより、太夫また会いに来たわいの。伊左衛門様、わしゃ死ぬるわいのう。母(かか)様死んでくださるな、と息子が縋り付けば家内の一同がわっとばかりに声を挙げて泣沈む。それも道理であるよ。 重病の床につきながら手を合わせて、旦那様、小さい頃から御苦労に預かり、御恩も報ぜずに死にまする。我ながら頼み甲斐のないこと、愛しい男と可愛い子供に会わせてくださいました。私はもう既に仏になったも同然で御座んす、いっそのことに伊左衛門様の手でこの髪を切って貰い、仏の形になって親子の手から水を、水をという声も絶え絶えにこそなってしまった。 おお、髪飾りは仮の戯れ、仏の三十二相とは荒木(伐り出したままの木材)に刻んだ卒塔婆こそがそれだと聞いている、ただいまそれがしが切る髪は阿字の一刀(阿字は梵字の根本で、一切の真理を含有し、これを深く観ずればあらゆる煩悩を去り、また、阿彌陀仏の名号を唱えれば全ての煩脳を絶つことが出来るとされ、その様を鋭利な劔で物を断ち切るのに譬えた)、彌陀の利剣を以て煩悩の絆を断つと観念せよ。と差し添え抜いてかつては添い寝をして寝乱れたことのある黒髪をふっつと切れば、源之介は勿体無いぞ、大切な髪を身に添えて悶え伏してぞ嘆いたのだ。 重ねて樒の水を携えて、これ、夕霧よ、人界は一生造悪の娑婆世界だぞ、わけて遊君、流れの身は面に紅粉を飾ってあまたの人を迷わし、綾羅錦繍を身に纏い多くの酒を汲み流し、煩悩の種を植えて菩提の根を絶つとは遊女のこと。この水は極楽の八功徳池の水と思い、雨甘露法雨愍衆生故(うかんろほううみんしゅじゃうこ)と聞くときは、これを飲んで心身を潤し、九品の淨刹(せつ)に往生し、半蓮を空けて待っていてくれ。これがその折の証拠になるように、と同じく自分の髪を切り落として親子夫婦の手向けの水を夕霧の口にたらしこんだ。哀れでもあり、又頼もしい限りだ。 こうした所に吉田屋の喜左衛門が六尺(駕籠舁き)に金箱を持たせて、これは平岡左近様の奥方のお雪様のお使いで、夕霧を請出す手はずが違ったのは、今更悔やんでも仕方がない。けれども代金の八百両はその為の金子であるから、外に使う手段はない。ご病気はもってのほかの由、この金にて請出して一時なりとも廓の外で往生させなさいとのお使いであるよ。 そう言っているところに下袴(町人が使用する略式の袴)姿の若い者が金箱を数多く人足に担がせて、これこれ、扇屋殿、我らは藤屋伊左衛門様の御老母、藤屋妙順様よりのお使い、伊左衛門様は父(てて)御の御勘当に関しては今はこの世に亡きお人なれば、お袋様の我が儘で勘当の御免はなり難い。夕霧様には御一子まであること、一時なりとも廓を出し、外にて往生させたいとのお願い。金子二千両を持参致すので、さあさあ、片時も早く廓を出して下されい、と勢い勇めば扇屋了空、ご尤もなれども金子を取って隙をやるとはこれからの年月を無事に勤める女郎の場合である。今死んでしまう夕霧に大分の金銀を取って隙をやるとしたら、この扇屋は盗人も同然になってしまう。殊に全盛して親方に大分儲けさせてくれた此の太夫、命さえ助かるものならその為には扇屋の財産の半分を投げ出しても惜しくはない。この金子は夕霧、そなたにやろう。臨終に金を与えるとは異なことと思うであろうが、この金であれば万部読経(一人または万人で万部の経を読誦すること)も出来るであろうよ。死後にどのような追善供養がして欲しいか、さあさあ、暇をやったぞ、廓を連れてお出なされよ。と実に潔い取りなしである。流石に長年粋を磨く遊里に住んできただけのことはあるのだった。 今を限りの夕霧、にっこと笑い、ああ、どなたもどなたも有難い御志ですね、お礼を申して下さいませ、伊左衛門様、これ源之介よ、この金は親方様から下された、そなたに母(かか)が譲る、立派な歴々の町人になって父(とっ)様の名を挙げて下さいよ。そなたの出世を草葉の陰から見守るであろうなら、万僧の供養に勝って母(かか)は仏になれるであろう。さりながら、伊左衛門様、源之介と妙順様を並べて三尊(彌陀・観音・勢至)が来迎なされたと拝みたい気持ちですよ。 やれ、妙順様をお迎えに走れと立ち騒ぐと、いや、呼びにやるまでもないぞ、病状を気遣って、あれ、門口にと、手代を伴って入ったので、のう、嫁御や、珍しいや珍しや、嬉しい対面、誠の仏は西方のお迎え、この妙順はこちらのお宅に迎えとり、金でなることなら何でもして養生させ、この姑が精力で本復させてみせよう。と、家内が勇む勢いで病気は心の持ち様一つで罹りもすれば治りもする。夕霧はたちまちにして本復し、顔も生き生き、にこにこと立って踊るのだ。 扇屋の看板太夫の夕霧が憂えは霧消して却って喜びを語る、語り伝えて三十五年、又五十年、又百年、千年の秋の夕霧を遥かに万年後の人々も仰ぎ見ることをやめないのだった。
2025年01月23日
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夕霧は辺りを見回して、のう、懐かしい、さっきから抱きつきたくてどうしようもなかった。縋り付いて泣いたところ、伊左衛門も走り入ってきて思わず知らずやれ、可愛の者や、と抱き付くところを源之介は飛びのいて、やい、駕籠舁きめ、むさい形(なり)で侍に抱き付き慮外(無礼)者めと脇差に手を掛ける。ああ、申し、真っ平、真っ平御免なさいませ、私の倅にちょうどお前様程の子がおりましたが、小さい時から人の手に渡し、見たい会いたいとばかり思っていましたので、お前様を見かけてどうにも我慢が出来なくなりました。心が乱れてしまい慮外の行動、御免遊ばして下さりませ。この上、厚かましい申し出ではありまするが御侍の御慈悲にて父(てて)かと言って私に抱き付いては下さらないか。額を畳に擦り付け手を合わせてぞ泣いている。 何でお前などを父と呼んで溜まる物かと、俺は父様に言いつけてくるぞと奥に駆け入ろうとするところを夕霧が抱きとめて、これ申し乳母の初めての頼み事ですよ、若君様、お願い申し上げますると泣いた所、乳母が言う事ならば聞いてやろう。父(とと)様ねえ、と抱き付けば、おお、忝いぞ、父じゃ父じゃと嬉し泣き、夕霧も羨ましくなって、ついでに私も母と呼んでくださいなと抱き付けば、おお、謂うてやろう母(かか)様、おお、私の子じゃ、二人が仲の思い子愛子(まなこ)、親子夫婦の寄り合いは二度と再び今生では叶わない最高の幸せの時じゃと、泣いたり笑ったり様々に寵愛するのは実に道理であるよ。 奥から佐近の声がして、藤屋伊左衛門、藤屋伊左衛門、と呼ぶ声がする。しまった、さあ大変だ、南無三宝(驚き怖れ、又は失策した時などに、仏・法・僧の三方に呼び掛けて駕籠を求めた所から出た語)と逃げだすと後から直ぐに続いて左近が走り出て、袖を取って引き留めた。 これ、いにしえに参会した阿波のお大尽と異名を呼ばれた平岡左近だ、そなたに恨みはないけれども夕霧には言いたいことがあるぞ。其処でよく聞かれるが好い、がばとばかりに伊左衛門を突きのけて、涙を浮かべ、ええ、偽りの多い遊女の習いで驚くほどの事ではないが、これ程までもよくも、よくも、この左近を見くびって呉れたな。この子が伊左衛門の倅であることは先年死んだ遣り手の玉の話で早くから耳にして無念とも悔しいとも黙ってはいられない気がしたが、表立って調べたりすれば却って侍の身分が立たないと考えて、またこの子も我々夫婦を実の親と思い、睦まじく、不憫さも増すので、これも因縁と言う物であろうかと諦めて深い因縁があって連れ添った妻にも深く包み隠して、夕霧が生んだ自分の実子だと偽っていたが、さすがに女房は心優しく夕霧の心を憐れんで乳母と名付けて此の内に呼び取ったのは、みなこの倅が可愛い為だ。それを何だ、浅ましい體(てい)で忍び入って親よ子よと名乗り合って知らないでいる子供に智恵をつける。やれ、幼くともこの子はな、馬に乗り、鑓を突き、ゆくゆくは立派な武士になることと、それを楽しみにしていたのに、その倅に恥を与えようと言うのか、それとも、この左近に恥を与えて武士の身分を捨てさせようと言うのか。色に迷い馬鹿を尽くしたその挙句が妻に対しても面目が立たないぞ。ええ、是非もない、倅を返すから連れて帰れ。町人の子に刀や脇差は無用であるぞと引き寄せて、無理やりに取ろうとするところに奥が走り出て来て、のう、情けないことですよ。此の子の事は私も夕霧と伊左衛門から直接に聴いたけれども調査などしては御侍の面目・一分がすたると思案して確かな契約のもとに貰い受けたのです。今返しては武士が立たない。一寸も離さないと抱き上げたのを、無理に引き離して、身を立て、名を立て、一分を立てると言うのもみな子孫の為だ。実子を持たないこの左近が誰の為に身を惜しもうぞ。武士の体面も捨てるつもりだ。覚悟を決めたぞ、大小をもぎ取って突き出す。 いやいや、たとえこなたは返しても、契約して子にしたからにはこの雪が返しませんよ。夕霧も戻さないと取り付くのを引きのけて、縋り附くのを引き離し、夫に逆らうのは見苦しいぞ。奥方を引っ立ててから玄関をはたと戸さしして入りにけり。 伊左衛門も夕霧も前後の分別もつかず、途方に暮れ、源之介は泣き出して、これ、父様、母様、いぞ。俺は駕籠舁きの子供ではないぞ、傾城の子にはなりたくもない、父(とと)様の子じゃわいの。此処を開けてくれや、侍共、開けてくれよと泣き叫び玄関の戸をとんとんと打ち叩く。楓の様な小さな手、に対してほんの少しも応える者とてないのだった。 夕霧は息絶え絶えに、これ、源之介や、よく御聞き、真実にそなたは左近殿の子ではないのじゃ、母こそ此の夕霧で父(てて)御はそれ藤屋伊左衛門、さもしい人と思うでない。江戸までも知られて左近殿よりも大身の武家に親戚もいるのだよ。母故の御浪人の身、そなたにも憂き目を見せまいと、左近殿の子と言ったのだがまことの親と仮の親とでは心はあんなにも違うのであろうか。左近殿もよもや其方の事を憎うはあるまいが、我が身の無念、一時の腹立ちで愛しいそなたを捨てられた。あの父様(とっさま)やこの母は今の如くに人前で足で踏まれるように恥をかき、くさされても、侮辱されてもそなたを抱くのが嬉しいぞ。会うのが嬉しい血を分けた本(ほん)の子はこうも愛しい者かいな。母の今の病状では今後再び会うことは難しいだろう。母の死後は父様(とっさま)の事は頼みましたよ。せめて一年間だけでもしっとりと一緒に寝る様な暮らしがしてみたい。そう掻き口説き、しみじみと真実に涙ながらに心情を明かす夕霧である。 源之介は聞き分けて、こなたが本当の母様(かかさま)か、父(とと)様はそなたか、傾城でも駕籠舁きでも本当の親が愛しいぞ、と涙交じりの笑い顔。血筋の続いている事は争えぬことである。 おお、出化した、よく言ってくれた。侍だからと言って尊からず、町人とても賤しからず、尊い物はこの胸ひとつ、心がけが大事だ。気遣いする必要はないぞ、伊左衛門が妻子よ。憂き目は見せない。力落とすな、力落とすな、言うのだが自分も力が無くて、ただ茫然となるのだった。 吉田屋喜左衛門は駕籠舁き雇い、仕方がないとも、お笑止とも、関わり合って我らの迷惑、外の事ならば何とも思案をするところであるが、何といっても夕霧は親方がかり、殊に病中大事の身、先ずは連れ帰って扇屋に手渡ししなければ夕霧様の御為にも悪かろう。いざ、御乗りなさいなとかき寄せる。 それでは子供と別れて再び廓に戻るかやと、はあう、とばかりにかっぱと伏し、既に息も絶えんとする気配。伊左衛門が抱き起して、吉田屋は印籠の気付薬を飲ませて様々に看病し、やっとのことで正気を取り戻したのだが、昔から何人がこうした遊女としての憂き身、難儀、話には聞きつれどこれ程の辛いことは重なれば重なる物だ。今会って今別れる、あの子をせめて相駕籠でと、いざ、おじゃれと抱き寄せた。 それを無理に引き離し、それは喜左までが迷惑だ、これ、世にも人にも恨みなし。左近の言い分もいわば尤も至極だ、左近の妻の情けと言い、誰一人として親子三人に仇をする者はいないけれども、親に逆らい財を費やし身を奢ったその報い、あれ、あの天帝(天地を支配する日輪)にも睨まれて、何事も上手く行く筈がない。百里来た道は百里帰ると諺に言っている通りに、自分が犯した罪は自分が償わなければならないのが道理だ。昔の栄耀栄華程に死ぬほどの憂き目を見なければ己の重い罪は消えないだろうよ。夫故の苦労と思って帰ってくれないか。と泣きいさめ、賺して駕籠に乗せれば夕霧は、弱弱しく、言いたいことは散々あるが急き来る涙、急き来る胸。命があるうちにもう一度顔をば見たい、逢いたい、末期の水をあの子の手から頼みたい、たのみたいと、言う、それではないが夕霧の名に立ち替わる夕霞の中を見送り、見送りする家々の門松の、松に大夫の面影を残し、別れて帰ったのだった。 下 之 巻 夕べ朝(あした)の鐘の声、寂滅為楽(涅槃経の語で悟りの境地にこそ真の楽境があるとの意)と響けども、聞いて驚く人もなし。野辺よりあなたの友とては、血脈(けちみゃく、法門相承の略譜を記したもの。死後に棺の中に入れ葬る)一つに数珠一つ、これが冥途の友となる。 ええ、物貰いでも少しは目はし利かすがよい。これ程に医者の出入りやら、神子(神に仕えて祈祷・口寄せなどをする女)やら御符(ごふう、神仏のお守り札)と屋内がごった返している、七草囃す(正月の六日の夜に七種の菜を俎の上に置いて呪文を唱えながら叩き刻む行事。翌七日の粥に用いる)間もない程に忙しいのが目に見えないか、通りゃ、通りゃ、行ってしまえと追い払われた所に梅安往診の急ぎの四人で担ぐ駕籠が到着して降り立った長羽織姿の医者は奥へと通ったのだ。 伊左衛門は編み笠を傾けて小声になって、やれ、源之介、母親の病状が重いようだ、命のうちにま一度見せたくてこの姿で来たけれども、もはや見せる事も見る事もなるまい、と囁けば、源之介は早く母者に会いたいと父に縋って泣きじゃくる。伊左衛門親子が物乞いの姿で夕霧のいる扇屋に様子を見に来たのである。 梅安様のお帰りと、表に出れば遣り手の杉や家内の上下の者がついて出る。病気はどうで御座いますかと質問すると、梅安は頭を振って、ギ婆扁ジャク(共に印度と中国の名医)でも手当は不可能、たとえて言えば干上がった土器に燈心一筋を点して風吹きに置くようなもの。今日の日中か、遅くても初夜(しょや、午後の八時)限りだ、もはや毒も何もかまわずに気任せにしてやるがよい。ああ、惜しい人じゃ、夕霧よ、夕霧と言って親方に大層な金儲けをさせてやった女郎じゃ、達者なうちにこの梅安、あの人を一年でも女房に持てば今頃は匙を持たなくとも楽できたものを。むざむざと大金をあの世に送り出す様なもの、これが本当の来世金(死後の冥福を祈る為に仏に捧げる金)じゃと言い捨てて帰れば、扇屋一家はうちしおれて返答をする者もいない。 やれ、源之介や、医者の言い分を聞いたかや。もう面会は出来ないぞ、思い切れ。ああ、悲しや、どうぞ母(かか)様が死なぬようにして下されい。と父親に取りすがり泣き付き嘆くのは実に哀れであるよ。 扇屋の了空夫婦は涙ながらに片手で蒲団を手づから主婦の居間に敷き、さっきの相の山節が奥に聞こえて大夫が慰めに聴きたいと仰る。此処へ入って面白いこと唄って下されい。あっ、と応じて親子が奥を見遣れば夕霧は芙蓉(蓮の花)の様に美しいまなじりを衰えさせて、夕べを待つ間の玉の緒(命)の今まさに切れようとしている息遣いである。遣り手や禿に手を引かれて肩にかかったその姿、親子は目もくらんでしまい、胸が塞がる、涙が漏れ来る。 夕霧も、それと見るより飛び立つが如くに逸る心をじっと抑えて、畳んである蒲団の上にがっぱと身を伏せ、迫る思いを口には出せずに涙で示して、人目の関を憚ってただ咳いるだけであるのも実に哀れであるよ。さあ、さあ、相の山節を早く、早く、と言ったところ、はい、と答えて涙の玉筅(ささら、竹の先を細く割ったもので刻みのある木竿に擦り付けて音を出す。相の山節はささらを摺り、三味線を弾きながら唄うので言った)、歌う声にも血の涙、子は安方(やすかた、謡曲の「善知鳥・うとう」による修辞。うとうは奥州外が浜に住む水鳥。砂浜に産み付けた子を母鳥の鳴き声のうとうを真似るとやすかたと答えて這い出るところを捕らえる。それを母鳥は空から見て血の涙を流すと言う)の囀りさながらなのだ。
2025年01月21日
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その態度は可愛い内にもしっかりしている。今の詞に腰元衆は口を閉じて奥様の様子を伺う體(てい)であれば、これこれ源の話を聞いたであろうか。道通りが左近殿を大夫買いと言ったそうだ。この前大阪で蔵屋敷(諸国の藩主が領地の米穀・特産の品などを売りさばく便宜の為に大阪に置いた屋敷)役人を勤めていた時に新町通いに夕霧と言う大夫に馴染みをかけて、源之介を儲けたとは定めて皆も聞いているだろう。人が見知っているのは道理で、武家の名族である大名や高家も母方の吟味はなくて、母親の素性を問題とはしない。大事はないとは言いながら、あの子の心の中ではこの雪を生みの母と思っている。必ず必ず夕霧の子供であるという噂は禁制で差し止める。其の夕霧をも請け出してあの子の乳母役に置く予定だ。朋輩並にあしらうがよいぞ。仰せごとが終わらない先に腰元達が口々に、ああ、奥方様が余りにもお人よし過ぎました。我々がどれ程に口を慎んで沙汰を致さなくとも、あの傾城のばしゃれ者(作り派手で、物事に締まりのない女)がそれを言わずにおりましょうか。御袋ぶって鼻高々にお家をしたい放題にして、奥様を踏みつけにするのは瞬く間もないでしょうよ。目に見えていますよ。まだそれだけではないでしょう、下地が女に甘い旦那様の事です、女の方から甘ったるく持ち掛けたならすっかり嵌まり込んで相手の言いなり次第に田も遣ろう畦も遣ろうで、奥様はぽかんとして、鼻を明かされてしまうでしょう。役にも立たずばかばかしい割の悪い、これは御無用になさいませ。そう言って焚きつけられる女心、 ああ、言われてみればそうに違いあるまい。私はとんでもない阿呆です。神に祈ってでも遠ざけたい恋の敵に対して歓待しようとは、盗人に蔵の番をさせ、磁石に針を近付けるも同然。皆に気を付けろと注意される早くももやもやと腹が立つ。後で後悔するのは必定。請け出すことは止めにしよう。皆の者、出かしたぞ、よく言ってくれました。さては、いよいよやめになさいますか。はて、やめにしないで何としよう。ああ、気がさっぱりとしましたよ。おりん殿、よい気味か。わしゃ閊(つか)えが下りました。お俊殿はなんとしたか、こちゃ、金を拾ったよりも嬉しいよ。身に徳もない法界悋気(自分に何の関係もないのに嫉妬心を燃やすこと)、これこそは女の習性ですね。あれ、北から十文字の道具(鑓の事)、お蔵屋敷の小栗軍兵衛様、年頭の御礼、御親類の中でもあの方はお堅い、そりゃそりゃと、物見の簾を下ろす間に早玄関で、物申す、の声。どれい、小栗軍兵衛が御慶を申す、旦那様は幸い宿におりまする。いざ、お通りと言いければ軍兵衛は玄関に立って、これ、家来ども、御用について左近殿と申し合わせる事がある。しばらく時間がかかるであろう、屋敷に帰って八つ(午後の二時頃)頃に迎えに来い。承知致しましたの「ない」と奴僕が返答すると、しかし少し早めに来い、油断して時間を間違えるなと内に入った所、若党を始めとして草履取りや挟み箱持ちなど皆々が宿に帰った。鑓道具持ちの槌右衛門が一人だけ残って台所を覗き、誰かいらっしゃいませんか、飯焚きの竹を呼び出して下さいませんかと言う所に左近に仕える馬の口取りの角介が苦い顔をして、やい、槌右衛門、おのれはそれでも立派に武家奉公をしているつもりか、この角介が僅かな切米(きりまい、給金。扶持米を時価により金銭に切り替えて支給するものを言う。春は二月、夏は五月、冬は十月の三回を支給期とした)の内、五百五十と言う銭を用立ててやった。去年の冬に一言の断わりもなくて今も先ずこの俺に会いたいと言うべきなのに、竹を呼び出してくれとは図太い横着者め、返済が済むまで抵当としてこれを取るぞと、鑓の柄に縋り附いた。待てよ、角介、鑓持ちが鑓を取られたらこの槌右衛門の首がなくなるぞ。五百や六百で売る首じゃゃないぞよ、駄目だ。やあ、捕ってやるぞと二人が揉みあう中に竹が走り出て来て、おう、角介殿、道理じゃ。銭は竹が済ませましょうから堪忍して下されい。ええ、情けなの性悪男め。世間を見て恥を知りなさいよ。お小人町の久六はこなたよりも若い人です。八軒屋の亀とたった一年懇ろにして小銭を貯めて家を持ったぞ。去年の冬に鶴が橋のお婆に大きな鏡餅に目黒(鮪・まぐろの小さなもの)を添えて提供している。藤の棚の捻兵衛はお前様程には鑓は上手に降らないがお祓いの練衆(天満祭で行列を作って徐行する者)で御番代(おばんかわ)り人に気に入られて雇われて、実直な男と言われた者故片町のふりを内に呼び入れて、師走に嫁取りのお披露目があったのですよ。これでこそは女房の肩も怒るわいの。此方と言い交わしてから明けて四年、給銀を一文も身に着けずに皆こなさんに入れ上げています。それがなんじゃぞや、よい年をして長屋に比丘尼(尼姿をした売女)を引き入れて、日が暮れると濱河岸をうろついて辻君を相手にしているとか。まだその上に、玉造稲荷の裏屋小路の淫売宿を覗き歩き、挙句には最近では新町の端女郎の元にも通うとか。わしだとて木や竹じゃなし、悋気のひとつもしたいし腹も立つよ。ええ、憎いとは思えども、ああ、そうすべきではないのです。女子(おなご)に生まれた因果じゃ、男の癖や欠点を捜さないようにしようと随分とわが身を切り詰めて、三度つける油も一度にして、雪駄を履く代わりに草履にして、草履も履かないで裸足にしている。鍋釜の墨を掻くのにもこなたの髭に入ると思い、よい所をのけて置く(奴の鎌髭と言って鼻の下から左右の頬にかけて生やした髭で、これを鍋の墨で描く者もいた)、わが身の事には元結一筋買わない、男を大事にかける故じゃないですか。女房には苦労をさせ栄耀贅沢が過ぎての女郎狂い、物の分からないしようのない人じゃ。そう言ってはしめやかに泣く。恨み、口説くのは不憫であるよ。 これこの御奉公は中途で参って馴染みはなし、お国にまでもお内の人が悪名を立てて噂するのが悲しい。この上に着ている袷を渡すから角介殿、これで済まして下されと帯を解こうとしている所に、お腰元のりんが走り出て、これこれ竹、そなたの心底を奥様が物見よりご覧になり、さてさて奇特な、上に立つ女にとっても手本になると格別に感じ入られておられる。奥様にもちとお気にすまぬ気がむしゃくしゃすることがおありだが、其方を手本にしてお気が治まった嬉しさから師匠とも思召して御褒美に、此の鳥目(銭一貫文、鳥目は銭の異称)百疋を下されたぞ。さて、角介は慮外(不心得、心外)な、他所の大事な道具に手を掛けるとは狼藉千万だ。重ねてこの事を言い出すのならば旦那様に仰せつけ斬罪に処するとの仰せである。そう伝えると頭を掻いて角介は、仏頂面して、竹は悦び、ああ、冥加もない有難い。兎角御礼はよいようにお伝えくださいなと、押し頂き、これ、槌右衛門殿、これを持って行きなさいよ、何の見込みがあってこの様に可愛いのか。譬えに言っている「男は裸でも百貫の値打ちがある」とか、この百疋を直ぐに男に与えた、鑓持ちには過ぎた女房であるよ。優しいことである。 人の情けに夕霧が思いもよらぬこの春の、子の日を根から根引きの松(昔、正月の始めの子の日に野山に出て小松を引き、千代を祝う習わしがあった。これを夕霧が子の日に根引き・身受けされることになった意にかけた。松は大夫の異称)にかかる。 藤屋の伊左衛門は我が子の顔が見たさに慣れない駕籠の片端を舁く頬かむり。夕霧も駕籠の簾越しに子を見る今日の嬉しさはあるにしても、夫と別れなければならない物憂さはこの上もないのだが、上本町にと到着した。 宿札を見て喜左、どなたか女中方、頼みます。ほう、どちらからいらっしゃいましたか。と腰元が応対に出ると、私は九軒町の吉田屋喜左衛門と申す者、奥様よりお頼みがありました扇屋の夕霧身請けの事精一杯駆けずり回り金子は今月いっぱいにお渡しなされる約束で、やっとのことで落着いたしました。只今これへ同道致し申しました。さてさて歳末節季の忙しい中、私の奔走ぶりは大変なもので、正月の用意や正月買いの客を探し求める事(これには大尽客の応諾が必要であった)、銭金の請け出し、歳末に節分が重なり大豆で打ち出す鬼の首、獲った如くに得意満面で手柄自慢をするのだった。 成程、奥様の方でもその御噂、さてはあれが傾城殿か、と駕籠の中を覗き、はうあう、傾城と言う者を始めて目にしたがやっぱり常の女子じゃ。そう言いながら奥に走り入って、奥様、奥様、傾城が参りました。やあ、喧しいぞ、みな物見から聞いていた。傾城、傾城と言うまいぞ。今からは源之介のお乳(ち)の人じゃ。普段から侍や町人のれっきとした客に応対し付けて、心持も高尚で、万事につけて行き届き、どんな事でこちらの欠点を見られるかも知れないと憚られる。粗相をして笑われるな、盃の用意をしなさいひそめく声に左近は勝手口・普段の居間に入った所、これのう、兼ねて申しておいた夕霧の事だが吉田屋の喜左衛門が万事の片をつけて連れ立ってきたとの案内があった。何と、この雪の様に悋気をしない物わかりの良い女房はいないであろうが、と笑ったところ、おお、御奇特、御奇特、さりながら座敷には物堅い軍兵が控えているので今は内へは呼べないだろう。表に置いても目に立つ、どうかこうかと思案半ば門前には喜左衛門、ああ、ひどく冷えるぞ、夕霧様は病気後だ、早く内へ入れなさいよ。火になりとも当たらして上げたい。頼みましょう、頼みましょう、呼び懸ける声に若党や中間がばらばらと、小栗軍兵衛を迎えの者と奴の声。揚屋の声、傾城にはつきものの遣り手はいなくて、鑓持ちが混じって姦しい。 少し日も傾く頃、軍兵衛お暇申すと立ち出でた。 左近親子が見送りに出て、挨拶があれば軍兵衛は、おお、源之介殿は大人しくて立派で御座るよ。追っ付け殿のお役に立たれるであろう。出来るだけ弓馬の稽古に精を出されるがよい、永日、永日(後日に日永の折にゆっくりお会いしましょう、の意の別れの挨拶)と暇乞いして帰ったのだ。 左近親子は玄関に立ち安らって見送る體(てい)、伊左衛門は遥かに見て、あれは我が子か、昔の伊左衛門ならばむざむざと他人の子にしておこうか。今見る様に大小(刀や脇差)こそ差させることは出来なくとも大勢の手代や若い者に若旦那とかしずかせて、京大阪の町人の誰にだって劣りはしない。なまじっかな侍にだって引けは取らない。母親の駕籠を父が舁き、我が子の門に這いつくばる。遊里通いで自分の親から勘当された罰当たりの身をひしひしと思い知る。悔し涙に頬かむりの手拭を濡らすばかりなのだ。 奥方も端近くに出て、のうのう、喜左衛門か、その駕籠を此処へ寄せなさい。そう言って何の警戒も示さない寛いだ態度。それに勢いを得て夕霧は駕籠から姿を現すと気持までも浮き浮きと、平様お久しゅうござんす。奥様の御慈悲にてあの子の乳母に付けて頂く手筈ですが、礼儀に習わぬ私ですから病気もはきはきとは治らず、御指名の役割が勤まるのか分かりませぬが、先ずは若様に御目にかかりたいと参上いたしました、とつくづくと見守り、あれ、喜左衛門様、さても気高い良い御子じゃ。聞き及んでいたよりももっと大人大人しい。常體(てい)の者の子が七つや八つでこんな風に成人するだろうか、人はやはり血筋が大切、さすがは父(てて)様の御子でありまするよ。父(とと)様の御心がさこそと推量されまする。と、表の方に目を配れば伊左衛門も首を伸ばして魂抜けて、見る緑児の袖に飛び込むばかりの勢いである。 左近夫婦は気もつかずに、さあ、喜左衛門、少しなりとも金を渡そう。いざ、座敷に。これ、源之介、あの人はお前の乳母だ、よくなつき情けをかけなさいよ。この母(かか)も同前に大人になっても乳母は見捨てぬものじゃぞ。吉田屋此処へとにこやかに、打ち連れて座敷に入ったのだ。
2025年01月15日
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はっとばかりに夕霧は打掛を着たままで自分の身を相手の横に投げ出して、その打掛に相手を引き纏い寄せようと寝て、抱き付き、引き寄せ引き締めて泣いたのだが、ねえ、伊左衛門様、伊左衛門様、目を覚まして下さんせ、わしゃ患ってとうに死ぬはずでありましたが、今日まで命を長らえたのはもう一度わが身を御主に逢わせて下さるる神佛の御慈悲で、目には見えない綱でもて死ぬのを引き留めて下さったものと見えまする。これ、懐かしくはないのですか、顔は見たくはないのですか、目を開けて下さいな、と揺り起こし抱き起せば、むっくと起きて相手を横様に取って投げ、これ夕霧殿とやら、夕飯殿とやら、節季師走は貴様の様に暇ではないぞ。七百貫目の借銭を背負って夜となく昼となく稼いでいる伊左衛門だ、このような時には寝なければならないのだよ。邪魔をしないでくれ、惣嫁殿、と言った後でごろりと臥して又もやごうごうと空いびき。 むむう、身に覚えはありませぬが恨み言があるのならば聞きましょう、寝させはしませんよ、と引き起こす。これ、何とするぞ、この風体でも藤屋の伊左衛門だ。今の如くに奥座敷の侍に踏まれたり蹴られたりする女郎に近付は持たないぞ。ここな万歳傾城め、万歳(正月に鳥帽子・素襖をつけて手には扇を持ち家々の門に立ち、次の祝詞を唄う者。徳若に御万歳、当御殿栄えます。ありけうあり新玉の年立ち返る朝より、水も若やぎ木の芽もさし栄えけるは誠に目出とうさふらいける云々)であるならば春にやって来い。通って行け、行ってしまえ。と言ったところ、ムムム、この夕霧を万歳とは無礼な。おお、万歳傾城の言われが分からぬというのか。侍の足に掛けられて蹴られるのを万歳傾城というのだ。誠に目出たく候らいけるぞ、しかも足駄履いて蹴るのだぞ。年立ち返る朝(あした)ならぬそれだぞ。誠に目出とう侍蹴るぞ。これで万歳傾城の言われが分かったか。そうは言っても何事も身過ぎ世過ぎが大事だ、あほのような富裕な客に蹴られても損はない。欲を知らなければ身が立たないぞ。徳若ならぬ欲若に御万歳や、年立ち返る足駄にて誠に目出とうそうらいける、町人も蹴る、伊左衛門も蹴る。蹴る、蹴る、蹴ると蹴散らかし、これ、喜左、餅でも米でも遣ってやりゃ、と煙草を引き寄せて吹く煙管の素知らぬ態でいるのだった。 夕霧はわっと咽せかえり、ええ、こなさんとも覚えないよ、此の夕霧をまだ傾城と思っているのですか、本当の夫婦ではありませんか、開ければ私も二十二、十五の暮から逢い始めて何年になることですか、儲けた子ももう少しで早くも七歳です。誠を言えば今頃は親類一門に宛てての状文にも伊左衛門内よりと書いても誰も咎めない。私に恨みがあるのならば私の方でも貴方に対して恨みが御座いますよ。去年の暮から丸一年二年越しに訪れが無くてそれはそれはどれほどに心配したか分かりません。それが原因での今の病気、痩せ衰えたのが目に見えませんか。煎じ薬と練り薬(諸種の薬剤を調合して蜂蜜・水飴・舎利別シロップなどで練り固めた薬)と鍼、按摩などでやっとのことで命を繋いで来たのに、たまさかにこなさんに逢えて甘えようと思う所を逆様に、これは酷い仕打ち、どうしたと言うのでですか。わしの心が変わったら踏んでばかりいられますか、叩いてばかりいられますか、これが半分死にかかっている夕霧ですよ。笑顔を見せて下さいな、拝みますよ。ええ、心強い、無慈悲な、憎らしいと膝に引き寄せて叩いたり摩ったりと声を上げて泣き、涙が乱れて髪解け、筋道も立たず前後も分からず狂乱して正体もない有様なのだ。 伊左衛門も涙で目も曇り、おお、誤ったぞ、外にさして恨みはないが、命に代えても惜しくはない大事な女房を奥座敷の若者が、自分の女房でも扱うような大風な態度が気に障り、思わずむっとして腹を立ててしまった。勘弁してくれよ、我とても憂き身の體(てい)、表からは見えない寔の正体を見て下さいと小袖をくるりと脱いだところ、肌には袷の破れ紙子が四十八枚、弥陀の願、継ぎは平等施一切、胴を震わせたのは実に哀れである。 伊左衛門は涙を抑えて、さて、彼の倅は無事で里にいるのか、どうしているかと訊いたれば、そのことですが、あの子は里にやったと申しましたが、それは偽りでした。ままならないわしの身の上で、その上に子供の事で苦労をおかけするのが気の毒で、彼の阿波の大尽平岡左近という人とわしとの中の子と言いかけ言いくるめて押し付けて見た所、人は愚かなものでまんまと誑(たら)されて受け取り、女の腹は借り物で子供のすべては父方によって定まると、武士の種だと寵愛に遇うと聞くにつけて、身の憂い時には色々と怖い知恵も出る物と語りも敢え無い内に伊左衛門は、むむう、さもありなん事無理もない、そうではあっても我がいにしえの手代共、その子を表に立てて母に嘆願し、藤屋の家を取り立てたいとの談合が有った。どうにかして譯を言って取り返す思案がしたい。そう言っている所に、奥からお内儀が顔色を変えてのう疎ましや、疎ましや、飛んでもないことになりましたぞ、お二人の御話しが奥の座敷に筒抜けでお客様は不興げで、直ぐに会って言う事があると今此処に御出でになられまする。のう、喜左衛門殿、こちの人、皆々が怖がりひそひそと囁いている所に客は刀を引っ提げて、ああ、これ、伊左衛門殿と夕霧殿、驚く事は少しもない、これはその証拠だと頭巾を取れば突き出し鬢(びん)の下笄(こうがい)、べっ甲挿し櫛、さしもの粋人達も呆れて不審晴れ遣らない。 おお、如何にも不審が立つでありましょう、男に化けている間は何のそのと思いましたが、女子(おなご)の姿を現してこの中で物を申すのはお恥ずかしいことではありますが、彼の阿波の大尽平岡左近の本妻の雪と申すのが私です。夕霧殿の一時の情で夫の子を宿し誕生させたとて、こちらに受け取り、私が産み落としたのも同然の悦びの子供。私は腹も痛まずに苦労もせずに生んで下さった忝さ、その好意を無にせずに守り育て、手習い、読み物、弓鑓まで器用であり、国隣の土佐駒を引かせて乗った姿はあっ晴れ平岡左近の跡継ぎ。七百石の主であると、家中の褒め者であるよ。さぞかし見たかろうし、私も見せたい。一つはあの子の冥加(神仏の冥々の御加護)に適うため、夕霧殿を請け出して一所に伴い暮さんと、そして心根も聞きたいものと鉄漿(おはぐろ)を落とし、あるまじき男装などして参っていたが、今聞けば我が連れ合いを誑(たら)して伊左衛門の子を押し付けたと聞いたとたんにはっと胸が塞がってしまい、夫の武士は廃ってしまった、ええ、恨めしい夕霧。男に化けたのを幸いに飛びかかって刺し通し、我も死のうと刀を取りは取ったのだが、死んだ後でこの雪が傾城に悋気を起こして阿呆死にと言われたのではいよいよ男の恥を世間に広めると思い留まったのも、殿御を思う情愛からだ。無いことさえも言う世間の口性なさ、阿波の平岡左近こそ町人の子を傾城に押し付けられたと取り沙汰されて、もしも殿様の耳にでも達したならば、よく行ったところで御改易(武士の籍を除き、領地や邸宅などを没収する事。蟄居よりは重く、切腹よりも軽い刑罰)阿呆払い(武士の両刀を取り上げて追放する刑罰)か切腹か、死んでも悪名が消えればよいが、そでなかったならばどうしたらよいか。此処の所を料簡してあの子を今のままでくだされよ。そうすれば侍一人の危急を救い世間体を保たせる手立てとなるのだ。生々世々の御情けだぞ、我も人も誰もかれも大事なもの。我が子も大事、殊に思う人の子を思わぬ人の子と言うのは何で嬉しいことがあろうか。それは流れの身、遊女の辛さ。侍の妻にもこの様な身の辛さがあったのですね。女子と生まれての此の因果、たとえ天子様の女御・更衣となったとしても羨ましいとは思いません。 そう心の底を口説き立て涙交じりの切ない訴え、夕霧夫婦に吉田屋の一家は袖を濡らしたのだ。 伊左衛門はつっと出て、はああ、賢女かな貞女かな、左近殿とは夕霧故に遺恨はあれけれども、それは私事、個人同士の気持に過ぎない。拙者もかの倅を力に出世の望みはあるけれども、武家のお名には代えられない。改めて差し上げると言うまでもないこと。以前に夕霧が申した通りに左近殿の御子息で伊左衛門の子では御座らぬ。 ああ、忝い、夕霧殿にもそれに依存は御座いませんね。はて、主が合点の上からは私に否と申すことはできませんよ。そうではありますが、命があるうちにちょっと会わせては下さいませんか。夕霧が涙に咽ぶのは道理である。 おお、心得た、心得た。万事は胸に込めましたぞ。身請けの事も吉田屋と近々に談合しましょうよ。あの子が成人するにつけて伊左衛門殿も楽しみでしょう。さあ、契約がまとまった印の小宴、固めの盃事などを致しましょうよ。いよいよあの子はこちらの平岡左近の惣領です。滞りなくさらり、さらりと手を打って遊里で親子の契約を結んでの祝宴は珍しい。日も暮れかかっているので若党や中間や駕籠を準備しなさい。阿波の旦那のお迎え、これ、下人にもこの女装姿を見られてはいけない。元の男姿になり振りを戻して、頭巾、大小の印籠、巾着て、亭主さらばじゃ、夕霧のことはおつ附けこちらから便宜を図ろうぞ、万事頼むぞ、請け込みました。膝を屈める、腰屈める。腰元を連れるのを引き替え駕籠舁きが送る大門の、人は心の奥を打ち明けるものではないから手近な事を聞いてそれを察せよと、奥様の深い情愛の名残を惜しみつつ立ち帰られた。 中 之 巻 春や、延宝六年、明け渡る世も昔の京、難波の今朝は珍しいく妻子を引き具して旧冬から上本町(うえほんまち)の道場の、玄関構えの借り座敷、お国の御用があって新玉の此処に年取る実直な男、阿波の国平岡左近と宿札して門飾りに栄えて、正月ともなれば武家はさすがに威儀をはって立派である。 表の物見窓で女中の声々、申し奥様、珍しい大阪の正月を始めて見物致し、お国へ帰ってからのよいお話の種です。これもお蔭様ですと悦んでいる。 おお、おお、そち達が言う通り、主の御蔭とは忝いぞ、御用について左近殿が我々を連れて僅か逗留の旅宿に今朝から年頭の回礼者が跡を絶たない。みな殿様の御威光です。左近殿は源之介を連れて天満とやらの神明様に恵方参り(年頭にその年の吉方にある神社に参詣して福徳を祈る事)、武士の親の子としてしおらしや六つや七つでも馬に乗る。 追っ付け左近殿の名代で御奉公を勤めるでありましょう。その姿を見るでありましょうと御よろこびの所に旦那の御帰りだと先供が走る。黒羽織姿ですっすっと素鑓(鎌鑓や十文字槍に対して普通の鑓を言う)に栗毛の馬、のっし熨斗目(無地の練貫に腰の辺りだけに縞を織り出した物。武士の礼服)に麻の上下で源之介が明けて七つの乳を飲もう。饅頭形の中剃りも、目元賢く髷髪(うない)松、千世を嘶く土佐駒に手綱を掻き繰りしゃんしゃんしゃん、轡の音ははりりん、はりりん、りんと据わった袴腰、物見の前を乗り回せば、こりゃこりゃ、源之介、戻られたか、目出度い、目出度い、さぞや馬上は寒かろう。大人しく出来ましたな。そう招かれて源之介は、申し、かか様、恵方参りに天満に寄ってこれを買ってきましたと、土人形の天神を手綱に持ち添えて、私がこれを持っているのを通行人が見つけて、父様(とつさま)を見知っているやら、親は大夫を買い、子は天神(遊女の最高位である大夫に次ぐ遊女を俗に天神と言うのでこの悪口を言った)を買うと言って笑いました。おれにも大きな大夫を買って下されいと、あどけない詞に腰元共は当惑して、これ、しいしいと目配せすれば、源之介は、やい、駄賃馬の様にしいしいとは無作法だぞ。侍の乗馬はこれこのように、はいはい、はいはいはいと親の心も知らぬげに馬に白泡吹かせて門内に乗り入れた。
2025年01月09日
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夕霧阿波鳴門(ゆうぎりあわのなると) 上 の 巻 年のうちに春は気にけり、一臼に餅花(餅つきの際に餅を小さく丸めて木の枝に付け小児の弄びとした。花が咲いたさまに見えるので言う)が開く、餅つきのにぎにぎしや、九軒町で嘉例の日取り揚屋の吉田屋の庭の竈(かまど)は難波津の有名な歌、高き屋に上りてみれば煙立つ民の竈は賑わいにけり、歌の心そのままで、蒸籠(せいろう)の湯気の大杵、駕籠かきの長兵衛が大汗を流しながら、やあえい、中居の萬が臼を取り、さっ、やあえい、さっやあえいさっ、さっさ搗(つ)け、さっさ搗け、ハッア、木遣り唄でも歌いながら搗きなさいよ、先ずは恵方棚神を祭った所の鏡餅を取ります、散りますと遣り手衆の顔に取リ粉附いて面白いと言っては妓(よね)衆が笑う、禿が手折る柳の枝、一方で年季も終わりに近づいて、廓を出る準備をする者もあれば、また一方に春を迎えて禿から一本立ちの遊女になって花を咲かせようと、その準備に怠りない者もいる。 正月早々の女郎買いの大大尽の他、大夫様からも揚屋の亭主に付け届け、門前を山草(羊歯や裏白)を売る声、一寸祝いましょう、裏白・ゆずり葉、ごまめでござんす、春永ののんびりとした声に、相も変わらぬ女郎の顔を眺めるだけの客の姿。逢瀬を契る餅は杵で搗いて、離れない客を祝い臼に入れます。益々全盛、座敷は善哉餅(つぶし餡の汁粉)、店先の土間には節季候(せっきぞろ、年末に羊歯の葉を指した笠を被り、赤い布で顔を覆い、目の辺りだけを現した風で、二人または四人連れで各く戸を廻り目出度い詞を踊り謡って米や銭を乞う、一種の物乞い)が来ている、これはまた目出度いぞ、揚屋の餅つき、紋日(もの日の転で、遊里で祝いの日を言う。この日遊女は客にねだった衣装を着飾り、客は揚屋や遊女に祝儀をはずんだ)の長持ち(遊女が揚屋に呼ばれた時に置屋(女郎屋)から夜着などを入れた長持ちを持たせてやる習俗があった)、御客には太鼓持ちが附く。これはまたにぎにぎしいぞ、女郎衆には鑓持ち(遣りて婆)がつき、お家は金持ちで代々福々、松吹くふくふく松風や、松売る声こそ恋風の其の扇屋の金箱福の神と評判が高い夕霧が秋の末からぶらぶらと寝たり起きたりを繰り返して面痩せしてしまった。薬も日数も降り積もって、雪が重くならないうちに養生をしようと、勤めに出ようと出まいと本人の自由な身の上、以前から深い好みの吉田屋は足元も軽い道中であり、暖簾をくぐるのも力なく、今日は御目とう御座います、ああ、しんどやと腰打ちかけて我が身を自然に投げ入れて、まるで清楚な水仙の花の様に持てなした。 吉田屋の亭主の喜左衛門は機嫌よく見迎えて、これはこれは大夫様、御気色もよいのでしょうか聞いていたほどには痩せもなさらずに、御顔色もずんとよく、先ず今日は嘉例の餅つきです。扇屋の格子に顔を出されてから去年の今日まで御馴染み客の伊左衛門様と一緒に一度も外されたこたがないのに、今年の餅つきだけは伊左衛門様は流浪遊ばし、あなた様は御病気で嘉例を外す所でした。この喜左衛門は頭痛が八百、心を痛めておりました。ちょっとだけでもお呼び申したいと、念じていた折も折、今日の御客は四国の御侍様、頭巾で頭は見えないが角前髪(すみまえがみ、元服前の少年の髪の形)の御小姓らしい。その器量の良さおぼこさ(初心らしい様子)は道頓堀の若衆方や女方(芝居に出る少年俳優)をくまなく探してみても一人も見当たらないでしょうよ。 四国西国に隠れもない有名人の夕霧と言う大夫に、近附きになりたいものと、わざわざ大阪で御越年(全盛の大夫にはそれぞれ先約があって、客が急に会おうと思っても、それは許されなかった。本文の侍客もその事情を察し、年末に大阪に出て揚屋に申し入れながら、その時期を待って年の明けるまで滞在する予定でいたのである)、御気合(病気)に支障があると言うので初対面にはお勤めなされぬ慣習も御存知で、呼びに応じてくれたのはさすがは御馴染みの喜左衛門であると否応なしの御出で、我が家の祝い事である餅つきも御蔭で一段と映えますると、かかも尻もちをついて喜んでおりまする。これ、杉(夕霧について来たやり手の名)と沖の丞(同じく禿の名)や、中の間に行って善哉を祝いなさい、此処は冷えます大夫様、先ずは御座敷へと言ったところ、ああ、私は気分もよくても真から良いとは言えないのですが、伊左衛門様と一度も欠かさなかった今日の日でありますから、命があるうちにちょっと来て伊左衛門様に逢う心です。こなさん達の顔を見たいと思う折節に呼びに来たのを幸いに此処まで来ました。座敷での客への応対は気ままにします。そう思ってくださいな。 それはもう言うまででもない事です、気に召すように気随気ままになさってくださいな。そう言って座敷に送り出したのだ。 冬編み笠もすっかり垢染みて、尾羽打ち枯らした貧乏たらしい紙子姿で火打ち(紙子の袖のほころびや薄い部分に縫い付ける火打ち鎌の形をした布切れを言う)膝の皿、風吹き凌ぐ忍ぶ草、忍ぼうとするが古の花は嵐の頤を襟に付けて今日の寒さを歯を食いしばって堪える。鞘と柄の上に僅かにはみ出している鍔も神さびた短刀を腰に、刀のコジリが詰まって短くて生活に困窮した師走の果て、見るからに胡散臭い姿で吉田屋の内を覗いて、喜左衛門は宿に居るか、ちょっと会いたいぞ、喜左衛門、喜左衛門、半開きの扇を鼻先に当ててやや取り繕った風、傲慢極まりない横柄な態度である。 男共は口々に、彼奴は何者じゃ、絵に描いた風の神か鳥威し(案山子)のようだぞ、その様で何だと言い草が振るっているぞ、喜左衛門に会わせろだと、まるで百貫目も使うお大尽様の言いようじゃ、棒を喰らわせようかこの野郎目、と返答したところ、相手はおお、百貫目などそれ程貴いのではないぞ、喜左衛門と呼び捨てにしてもよい身分なので呼び捨てにしている。だから会わせてくれ、どりゃ、遇わせてくりょう、こんな目にじゃぞと竹箒を持って打ってかかるのを喜左衛門は飛び降りて、強請者(ねだれ、ゆすり)かも知れない粗相するなと制止してから、笠の内を覗いて、やあ、伊左衛門様ですか、何と喜左、これは夢は七つか、さてお久しい懐かしや、京大佛の馬町に御逼塞(姿を隠して籠もる事)と承っておりました。霧様よりは数通の御状、飛脚も二三度奈良、大津まで尋ねさせて、たった今もお噂致しておりました。先ずは御馴染みの小座敷で二年間に積もったお物語を致したいもの、いざお通りをと言って袖を引けば、ああ、紙子触りが荒いぞ荒い、もっと手加減をして袖を引け、これこれ、余り引けば紙子が破れるぞ、皺がつく。師走坊主、師走浪人、諺に言うようによれよれで頼りない風体だが、昔は遣り手が迎えに出たが今は漸くの事で長刀草履(履き古して長くなり反っている)を脱いで編み笠のままで中の座敷に通ったのだが、お寒かろうと喜左衛門が縮緬の紅絹裏(もみうら)の小袖をふわと打ちかける。 ああ、これは無用の心配りだ、寒中の吹きおろしに慣れている今の伊左衛門は少しも苦しくはないが、志だけは有難く頂戴いたす。そう言ってから着用する様子をつくづくと眺めて、喜左衛門はああ浮世だ、藤屋の伊左衛門様にこの吉田屋の喜左衛門が御着せする小袖、たとえ蜀江の錦(中国で蜀の成都から産出した錦、厚くて美しい)であっても頂いては召さないでしょうに。本に涙が零れまする、と言って目をこするのを見て、いや、これ、喜左、この紙子を着るようになった運命は、さらさら無念だとは思っていないぞ。惣じて重たい俵物や材木などは牛馬が負うのは珍しい事ではない、犬か猫が背負っていたらこれは意外だと人が手を打って驚くだろう。我等もその通りで、紙子の袷一枚で七百貫目(銀七百貫目は金一万一千両強)の借銭を負ってびくともしないのは恐らくは藤屋の伊左衛門くらいで、日本に一人の男だぞ。裸一貫の身で巨額の借金を抱えているので身体が冷えてたまらないぞ。 たあう、この身が金とは忝い、喜左衛門は祝いの餅搗きで大きなお金がお入りなされた。これ、かか、まだ蓬莱は飾っていないが先ずは正月のつもりで三方飾って持って来なさいよ。そう言って奥に入ると内儀はあっと答えてゆずり葉に長穂(羊歯)を折り敷いた上に橙柑子や蜜柑その他などや、榧(かや)勝ち栗、お懐かしや、お懐かしや、久しぶりでお懐かしい無事なお顔を拝して、お嬉しや様ですとい出ければ伊左衛門はとかくの挨拶をして涙ぐみ、夫婦の衆が懇ろに蓬莱を飾って祝ってやろうとまで気を使ってくれたが、夕とも霧とも言いださない。仄かに聞けば夕霧が身の事を気に病んで命が危ないとまで聞き及んでいるが重篤であるのか、それとも無常の夕霧とこの世を去ってしまったのか。嘆きをかけまいとして言い出さないのか、誓文(せいもん)で泣きはしないから語って聞かせてくれよ。泣かぬ泣かぬと言う声も、気遣いの涙で濁っている体たらくだ。 いやいや、これはお道理です、霧様の御気色は秋頃は散々でしたので勤めも御引きなされていましたが、寒に入ってからは少しく御快気、即ち、四国阿波の御侍に正月買いも御引き受けなされて御座いまする。今日は此処に、と言い終わらないうちに伊左衛門、やあやあ、それは真実か、嘘か誠か、隣座敷をちょっと覗いて御覧なさいな、伊左衛門ははっと急いたる顔色(がんしょく)でしばらくは詞も無かったのだが、のう、お内儀殿、天地が開け始まってから誠ある傾城と迦陵頻迦(極楽浄土に住む不老不死の鳥で、美女の面と美声を持つと伝えられる)の雄鳥は絵に描いたのさえ見た事が無い。惣嫁(そうか、最下級の売女、辻君)の様な傾城めに微塵も心は残らないが、知っての通り彼奴の腹から出た身が倅、しかも男子(なんし)で明ければ七歳、元の遣り手の玉の才覚で里にやったとか、今日来たのはその倅の事で来たのだが、定めて里にやったと言うのも嘘で、恐らくは捩じり殺して捨ててしまったのであろう。阿波の侍と言うのは合点だぞ、よく知っている。この前に我と張り合った阿波のお大尽の平と言う者だ。つらつら思えば傾城買うよりは紙屑買うのがましだ。金をだしてこちらに受け取る物は状文(遊女からの艶書)だけだ。七百貫目が紙屑では富士の山の張り抜き(木製の型に紙を重ねて貼り、糊が乾いた後で型を抜き取ったもの。此処は富士山を型にするという意味)も楽に出来てしまう。運の廻りが悪い時にはどんなことで損をするかも知れない、無用の涙で紙子の袖を濡らしてしまったぞ。紙子の糊が剥がれないうちに罷り帰ると立とうとした際に、ああ、あんまり御短気な、奥の御客は平様では御座いませぬ、いやいや、平でも壺でもこちらは支度がよいのだと立ち上がった。 それはお前様の慳貪(邪険の意ほかに、一杯切り盛りの食べ物をも意味した)と言うもの、夕霧様に逢わせましょう、いやいや、いっそのことに慳貪と言うのであれば夕霧より蕎麦切りに致しましょうと、しきりに拗ねるその中で、奥座敷で手を叩く、あれ、禿衆は何処にいる。言いつつ出て行く内儀に続いて行き襖の陰から夕霧がさし覗けば、二人して馴れた床柱、凭れ掛かるも形見ぞと忘れも遣らぬ物腰は確かにかの人じゃ、何か良い機会はないものか、あればそれを弾みに席を立って逢いたい見たいと心が急き、客と対座はしているが自然に顔は横を向く。 客の顔は、如何にも大名の小姓上がりの若侍、よくできた衣装つき、ばつばの鮫鞘(刀の柄に巻く鮫皮に風に散る桜花の形に大粒が散在するもの)象嵌鍔(銅や鉄などの鍔に金銀の線で模様をはめ込んだもの)、若紫の焙烙頭巾(大黒頭巾、丸頭巾)、懐中から香包み、名木火鉢に燻らせて、かか、これへ来やれ、身なんどがようの奉公人は殿の御前に相詰めて、たまさかに遊興所などに参るのも気晴らしと言う中で、第一は夕霧殿に恋心を持っているから、君の機嫌がよいようにお身を頼みますよ、一つ飲みなさい、肴も召し上がれ、とひらり紙花(遊里で祝儀を差し出すのに先ず紙に書いたものをやるのを言う)七九寸、紙花に当てた延べ紙の残りを木枕に当てて横になった。鳴門の阿波御大尽は夕霧の打掛に両足をぐっと差し入れた所、さても舐めたり、舐めたり、この夕霧に足を持たせるとはこりゃちと無礼と言うものじゃぞ、それ程に足が苦になるのなら、打ち折って捨てるが好いぞ、言い捨ててつっと部屋を出ると、伊左衛門は部屋の様子を透き見していたのだがちゃっと寝転び肘枕で空寝入りして高いびき。
2025年01月07日
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孫右衛門は老足で、休み休み門を過ぎて、田畑の端の溝の水が凍りかけていて滑るのを防止する高足駄、鼻緒は切れて横様に泥の田にはたとこけ込んでしまった。はあ、悲しや、と忠兵衛もがけど騒げども、自分の今の立場を顧みて、出るに出られず、梅川が慌てて走り出て抱き起して裾を絞り、何処も痛みはしませぬか、お年寄りのおいたわしや、御足もすすぎ、鼻緒もすげ換えてあげましょう、少しも御遠慮なされないて下さいな、腰や膝を撫でていたわれば、孫右衛門は起き上がって何方かは存じないが、有難い。御蔭で怪我も致しておらぬ。若い御婦人でお優しい、年寄りと思召して親身の嫁でも出来ない介抱、寺道場に参っても此処この一心が邪険では参らないのも同然じゃ、此方がほんの後生を願いの仏法信奉者、もうこれ以上は御世話にあずからなくとも大丈夫ですぞ、もう手を洗って下されい。幸いここに藁もあり、鼻緒はわしがすげましょと懐のちり紙を取り出すと、梅川はよい紙がござんする、紙縒(こよ)りひねって差し上げましょうと、延べ紙を引き割く。 その手許を孫右衛門は不思議そうに見て、これ、こなたはこの辺りでは見かけぬ御人じゃが、何方であるからこのように懇ろにして下さるのじゃ、と顔をつくずくと見詰めれば梅川はひとしお胸が詰まるようで、ああ、我等は旅の者ですが、私の舅に当たる方親仁様が丁度あなた様の年配でして、格好もよく似ているのです。ですから、他人をお世話している気はまったく致しませんで、お年をとった舅御の臥し悩みの抱きかかえ、お世話するのは嫁の役割です。お役に立てれば私もどんなにか嬉しいものですよ、連れ合いは実の親御の事ゆえに飛び立つように気を揉んでいる筈です、あなたの懐紙と私の延べ紙とを交換して私が頂戴して夫の肌に付けさせ、父(てて)御に似ている親仁様の形見とさせたいと存じまする。そう言って彼女はちり紙を袖に押し包む。涙は見せまいと努めたのだが、思わず零れ落ちてしまったのだ。 詞のはしばしから孫右衛門はつくずくと推量して、さすがに親子の情愛は捨てがたくて老いの涙にくれたのだが、むむ、そなたの舅にこの爺が似ていると言っての孝行か、嬉しい中にも腹が立つ、成長して大人になった倅を仔細があって縁を切り、大坂(おおざか)へ養子に遣わしたのだが根性に魔が入って大分他人の金を誤り、その上に所を逃亡してこの在所まで詮議の最中、誰のせいかと言えば嫁御故、甚だ愚痴になってしまうが世の譬えに言うように、盗みする子は憎くなくて縄にかける者が恨めしいとはこの事よ、旧離(江戸時代に親子としての縁を切ること。勘当)切った親子であるから善いにつけ、悪いにつけ、構わぬ事とは言いながら、大阪に養子に行って利発で器用で、身持ちもよく、身代も仕上げたあのような立派な子を勘当したと、孫右衛門は戯け者だ阿呆だと罵られても、その嬉しさは如何であろうか、今にも探し出されて縄にかけられ罪人として逮捕される。良い時に勘当して、孫右衛門はでかした、幸せじゃと褒められてもその悲しさは如何あろうか。今からその時が思い過ごされて、一日でも早く往生させて下されと拝み願うのはこれから参る如来様、開山の親鸞聖人様と、仏には嘘はつかぬぞと土にどうとばかりにひれ伏して声を限りに大声出して泣いたので、梅川も声を上げて泣き、忠兵衛も障子から手を出して伏拝み身悶えして嘆き沈んだのは理の当然と思われた。 尚も涙を押し拭い、のう、血が続いていると言う事は争えない事で何といっても他人とは違う、悲しいもの。仲のよい他人より旧離切った親子の親しみは世の習い、盗み騙りをするよりも何故に前方に内証でこうこうした傾城にこうした譯の金が要ると密かに便りをしなかったのか。そうしていたならば、普段は疎遠でもいざ不幸という時には共に寄って来て泣くのは肉親だけ、殊に生みの母親もいない倅であるゆえ、隠居の田地(それからの収入で隠居時の費用を賄う為に別に定めてある田地を言う)を売ってでも重罪人の首にかける縄は付けさせはしなかったのに。今では世間に広く噂が広まって、養子の母に難儀をかけて、人に損をかけ苦労をかけ、孫右衛門が子で候とて匿(かくま)っておかれようか、一夜の宿でさえ貸せはしない。みな彼奴の心根が悪いので世間を狭くして身の置き所もなく苦しい目に遭っている。嫁御にまで憂き目を見せて、広い世界を逃げ隠れして知己や親友、親子にまで隠れる様に身を持ち崩し、ろくな死に方は出来ないだろうよ。この親は、そんな風には産み付けていない、憎いやつとは思っても可愛いのでござると、わっとばかりに消え入る。泣き沈む。別けたる血筋が哀れである。 涙、涙の後で、巾着から銀子(丁銀・ちょうぎん、長楕円形の秤量貨幣で一枚の重さは約四十三匁)一枚を取り出して、これは難波の御坊(大阪北久太郎町と久宝町の間にある、東本願寺の別院)への御普請の奉加銀、今ここに有り合わせに所持していた、嫁御と承知してやるのではないぞ、ただいまの親切へのお礼としての物、この辺にぶらついていてはよく似ていると言って捕まるぞ。そなたの夫はなおのこと危険であろうよ、これを路銀にして御所海道(南葛城郡御所町、新口村の西南)へかかって一足も早くのかっしゃれ、此方の連れ合いにも言葉こそは交わさないが、ちょっとは顔も見たいが、いやいやそれでは世間に顔向けできない。義理が立たない。どうぞ、無事な吉報をと涙ぐみながら二足三足、行っては戻り、何と逢ったとて大事はないだろうよ、どうして人が知りましょうか、どうぞ会ってやって下さいませ。ああ、大阪の亀屋に対する義理は欠く事は許されないだろう。どうか、親が子の回向をする逆様事をさせてくれるな、倅によくよく聞かせてくれよ、頼みましたよと涙で咽(むせ)かえり、振り返り、振り返り、泣く泣く別れ行く跡に、夫婦はわっと伏しまろび人目も忘れて泣いている。この親子仲こそは実に儚いものであるよ。 忠三郎の女房が雨に濡れて立ち返り、待ち遠でございましたでしょう、うちの人は庄屋殿から直ぐに道場に参られて、それゆえに遇うことが出来ませんでした。もう雨も晴れかかっています。おっつけ今にも戻られるでしょう。そう言っている所に忠三郎が息せき切って馳せ来たり、これはこれは忠兵衛様、親仁様の話で詳細を聞いて来たのです。此方のことでこの在所は大阪から役所の犬(密偵)が入り、代官殿からは詮議がありする劔の中に昼日中から参られるとは運の尽きた御人じゃわい。此方の様子を見つけたのかにわかに在所の家々を片端から家探し、親父様の所を今捜索していて、これからはわしの家の番じゃぞ、親仁様は気の毒にも早く抜け出させてくれよとて狂乱状態であったぞ。極めて危険な鰐の口とはたった今じゃ、さあさあ、裏口から抜けて裏道へ、御所海道、山にかかって退(の)かっしゃれ、と言えば夫婦は狼狽えてしまう、女房は事情を知らずにわしも一緒に逃げましょうかと、言うのを亭主は阿呆らしいと押し退けて、夫婦に古蓑や古笠を貸してやり、夫婦は折から降りしきる雨の中を足も乱れ、心も乱れてもこの深い情けは死んでも忘れないと忠三郎の恩を心に忍び、姿を忍ばせて家を出たのだ。 忠三郎は先ず嬉しいと息をついていたところに、庄屋、年寄り、達が先に立って代官所の捕り手の衆が門口背戸口と二手になってどやどやとなだれ込んで、蓆を捲り簀の子を破り、唐櫃・米櫃・肥料の灰俵をを打ち返しては捜したのだ。土間にかけて二十畳にも足りない小家である。何処に隠れようも無くてこの家は別条なしだ。野道を捜せと言い捨てて、茶園畑の有るところを間々を狩り立てて、通って行ったのだった。 親孫右衛門は裸足でやって来て、どうじゃ、如何じゃ、忠三郎よ、善か悪かを訊きたいぞ、と言えば忠三郎は、ああ、よいよい、気遣いは要らない、夫婦ともども何事もなく夫婦を首尾よく逃がしおおせた。はああ、有難いぞ、忝い、如来の御蔭、直ぐにまた道場に参りて開山にお礼申そうぞ、のう、嬉しやありがたやと二人が打ち連れて行く所に、亀屋忠兵衛と槌屋の梅川をたった今捕らえたぞと、北在所に人だかり。程もなく、捕り手の役人が夫婦を搦めて引いて来る。孫右衛門はその場で気絶して息も絶えるのではないかと思われる様子。 その孫右衛門の様子を見て、梅川は夫も我も縄目の科、眼(まなこ)も眩み、泣き沈む。忠兵衛は大声を上げて、身に罪あれば覚悟の上、殺されるのは是非もない。御回向頼み奉る、親の嘆きが目にかかり、未来の障り、これ一つだ、面を包んで下され御情けですと泣きければ、腰の手拭をしごいて目隠しをしてやったが、面無い千鳥百千鳥、啼くは梅川、河千鳥、水の流れと身の行く方、恋に沈みし浮名だけが難波に残りとどまったのだった。 近松の最高傑作と称されている作品は、旧離切った老父と倅が嫁を間に挟んで、考え得る限りの最悪の状況下で再会し、観客の涙を催させる最後の場面が圧巻である。親子の情愛の深さを前面に押し出してのやり取りは実に自然な展開であり、観客は十二分にカタルシスを満喫することが出来る。素晴らしい描写力だと舌を巻かざるを得ない。念の為に申し添えますが、この作品も含めて近松の作品は読むのではなくて耳で聴くもの。今の若い人には縁遠くなってしまったのですが、歌謡曲の演歌の長い歌詞を名人芸の義太夫語りが名調子で歌い上げる。素読みしただけでも自然に涙が零れるのに、観客の琴線に触れる節回しで語られてはいやが上にも感動せずにはいられない。劇であって劇でない、ドラマであってドラマではない。やはり日本独特の名調子の劇的構成を持った 語り物 の一種なのであって、世界に類例を見ないユニークな世界なので、シェークスピアのドラマの世界とは似て非なる物と言うべきだ。 源氏物語が長編小説とは別個のものであるように、所謂、ドラマ・劇とは一線を画すべき独自の、素晴らしい語りの世界なので、その事をくれぐれも忘れないようにしたい。この作品での八右衛門の性格の矛盾などとあげつらう専門家もいるようであるが、人間の性格などは矛盾だらけなのであり、一見は矛盾や破綻などと見える物が実はそうではなく、本当にリアルであり本物の人間が描かれていると、すくなくとも素直な観客には受け取れるように描写されている。賢げな心理分析など無用の、完璧な人間理解をもとに実にドラマティックに、写実的に生きた人間が描写されて余すところがない。それが近松ワールドなのだ。私の拙い現代語訳が橋渡しになって、特に若者達に近松の作品が広く理解される契機となればこれにすぎる幸せはないのです。どうか、日本に生まれ、日本人であることの幸福を噛み締める契機としてください。
2025年01月03日
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