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第 二百八十八 回 目 庶民の視点から読む 万葉集 ―― その 第 三 章 久慈川(くじがは)は 幸(さけ)くあり待て 潮船(しほぶね)に 真楫(まかぢ)繁(しじ)貫(ぬ)き 吾(わ)は帰り来む(― 久慈川よ、久慈川よ、元気で待っていてくれよ。自分は、久慈川、お前を一番の仲良しとしてこれまで壮健に成長してきた。そして今、長い、長い、波路遥かな旅に出る。でも、決して心配などしてくれるな。俺は必ず元気で帰って来るからな。その帰国の際には、立派で大きな海用の船に、見事な櫓を多数備えて、元気いっぱいに漕いで、帰って来るからな。それまでの辛抱だ。俺もお前同様に我慢して、堪えて、再会の折を只管に楽しみにして、命の限り精一杯生きるつもりだ。久慈川、親友である久慈川よ、どうかいついつまでも元気で、壮健でいてくれ!俺も、お前に負けずに、お前との懐かしい思い出を胸に、辛さや困難を生き抜いてやる。弱音を吐いたりはしない、決して…) 筑波嶺(つくばね)の さ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも 愛(かな)しけ妹そ 晝も愛(かな)しけ(― 関東平野に秀麗に聳え立っている筑波山。その筑波山の素晴らしさは日本人なら誰でも知っているだろう。が、その美しい山の懐深くに大切に、秘密に咲いている可憐な山百合の魅力を知る者は、そんなに数多くは居ないだろう。そのすばらしさ、綺麗さと言ったら言語に絶している。此処からはあまり話したくはないのだけれど、それでも言わずにはいられない。黙って自分一人の胸にたたんでおくことは、やはりできない相談だ。だって、だって、これは私だけの秘密の宝物の話なのだけれど、どうしても、語らずには、喋らないではいられない。なぜだって、もったいぶるなといわれても、簡単には口を開くわけにはいかない。けれども、特別に君にだけ秘密を漏らしてあげようか…。さっきの筑波嶺の純粋無垢な小百合の魅力だけれど、表現のしようもなく限りなく魅力的で美しい。でもね、私の妻なんだけど、それよりも何倍も可愛いのさ。勿論ベッドの中だってそうだけれど、昼間だって、遠く離れていたって、居ても立ってもいられない程に可愛く、限りもなく愛しいのさ。限りもなく、限りもなく、愛しい存在なのさ…) 霰(あられ)降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍(すめらみくさ)に われは來にしを(― 天の神の怒りを表す如くにかしましい、大きな音を立てながら、今霰が激しく降り敷いている。その実にかしましい霰の音ではないけれども、鹿島に鎮座される御神様に、平穏無事を祈願し、祈願しを重ね終えてから、私は喜び勇んで大和の大王であられる天皇の、勇猛果敢な軍隊の一員として、はるばると陸路と海路との旅を重ねて、辺境防備の晴れの役務に就くために、ここ九州の最果ての地までやって来たのだ。どうして、無事に任務を果たし終えて、懐かしい故郷の村に帰り着かずに居られようか…。石に噛り付いてでも、帰還を果たしてみせる、何が何でもだ) 橘(たちばな)の 下(した)吹く風の 香ぐはしき 筑波の山を 戀ひずあらめか(― あなたは橘という名を知っていますか? そう、高級な柑橘系の果物の名称ですね。橘の、あの何とも形容し難い懐かしい香りは、過去に大勢の人々から素晴らしいと、絶賛され評判は年を追う毎に高まるばかりなのですが…。その橘の木の実がたわわに実っている樹木の下を、爽やかに通ってくる涼風。その一陣の風はこの世の物とも思えず、経験したことのない人には、知らせる術とて見つからない。でも、それですら私の故郷の誇り、名峰の筑波山は、比喩として出したならば、すっぽんと月の譬えの如くにになってしまうだろう。それくらいに文句なく素晴らしい山、筑波嶺の事を、忘れてしまえと言う方が無理な注文だ。わたしは、絶対にあの秀麗無比なお姿を、この目で拝さないではいられはしない、何が何でも、もう一度…) 今日よりは 顧(かへり)みなくて 大君の 醜(しこ)の御楯(みたて)と 出で立つわれは(― 昨日までの私は、自分の過去を振り返り、振り返りして、このままで良いのか、何か反省する所は無いのか。正しい将来や未来の為に改める点、矯正する必要のある個所は無いのか、その他諸々、あれやこれやと後ろを振り返って点検する、反省癖が抜けなくて、女々しく、弱弱しく、頼りない生き方ばかりして来てしまいました。自己反省ばかりに明け暮れしてきた、本当に頼りない、自分で自分が嫌になる惰弱そのもの、といった私なのですが…。今日からは、素晴らしい支配者であらせられる天皇・大君様の、防衛部隊の最前線に立ち、異国からの侵略に備える頑強な御楯として、精鋭部隊の一員として選抜されたからには、その任務に相応しい真に頼もしい兵士たるべく、後ろなど振り返りもせず、戦地に、辺境の土地に、勇んで、勇猛果敢に出発して行くのであります、この私は。……、とは言うものの、心あるお人なら既に私の心の中を、全部見透かしていらっしゃる筈。妻の事、子供達の事、父母を始め兄弟姉妹、親戚縁者、友人知人その他、この世で慣れ親しんだ大勢の人たちの事を、ひと時も忘れることが出来ず、涙に暮れている毎日なのですよ、実は) 天地(あめつち)の 神を祈りて 征箭(さつや)貫(ぬ)き 筑紫の島を さして行くわれは(大意 ― 天地の神を祈って征箭を胡籙にさして筑紫の島をさして行く。私は。) 松の木(け)の 並(な)みたる見れば 家人(いはびと)の われを見送ると 立たりしもころ(大意 ― 松の木の並んでいるのを見ると、家の人が自分を見送るとて立っていたのと同じに見える) 旅行(たびゆき)に 行くと知らずて 母父(あもしし)に 言申(こともを)さずて 今ぞ悔(くや)しけ(大意 ― 長い旅に行くとは知らないで、母や父になにも言わずに出発して来て、今になって後悔される) 母刀自(あもとじ)も 玉にもがもや 頂(いただ)きて 角髪(みづら)のなかに あへ纏(ま)かまくも(大意 ― 母刀自も玉であって欲しい。頭にのせて角髪の中に一緒に巻こうものを) 月日(つくひ)やは 過(す)ぐは往(ゆ)けども 母父(あもしし)が 玉の姿は 忘れ為(せ)なふも(大意 ― 月日は過ぎて行くけれども、母父の玉のような姿は忘れることができない)
2018年01月30日
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第 二百八十六 回 目 寸劇の見本として 「 じっちゃんの 不思議な旅 」(喜劇) 時代:現代 場所:日本の何所か…、不明である 人物:そくら爺さん、えんま大王、えんまの庁の役人たち、村人たち 舞台の上手から そくら爺さん がとぼとぼと歩いて登場する。頻りに辺りを見回している。 そくら爺さん「不思議だ、全く不思議だ…。いつの間にこんな場所に来てしまったのか、全く訳が分からない。ああ、あそこから誰か人が来る。あの人に尋ねてみよう。ああもしもし、ちょっと物をお尋ねしたいのですが…」 村人A「はい、何なりと質問して下さい、そくら爺さん」と、とても親し気に応じた。 そくら爺さん「(吃驚している)えっ、あなたは吾のことを知っているのですか?そりゃまたどうしてですか?」 村人A「(ニコニコしている)どうしてって、知っているから知っているのです」 爺さん「吾は有名人ではありませんよ。なのに、初対面のあなたが吾の名前を知っている。不思議ですね。不思議と言えば、此処は一体何処で、どうして吾は此処に来てしまったのでしょうかね」 村人A「(依然としてニコニコしながら)きっと用事があったからでしょう」 爺さん「用事ですか?一体、どんな用事があったのでしょうか?」 村人A「あそこから来る女性にお訊きなさい」と素早く立ち去ってしまう。 爺さん「ああ、確かに女性がやって来る。あの人も吾は初対面だけど、初対面の御人に吾が此処に来た理由を訊けってか…」 村人B「ああ、もしもし、そくら爺さん、私が えんまの庁 までご案内致しましょう」 爺さん「(訳が分からずに面食らっている)それは、御親切にどうも」 村人B「いいえ、お安い御用です。さあ、私について来てください。直ぐ近くですから」と、さっさと先に立って歩き出した。慌てて後を追う そくら爺さん である。 爺さん「さっき何とかおっしゃいましたが、えーと…」 村人B「えんまの庁と言ったのです」 爺さん「えんま の ちょう、ですか、それは一体どんな所なのですか?」 村人B「裁判所の様な場所ですよ」 爺さん「裁判所、ですか…?」 村人B「さあ、着きました。門の中に御這入りなさい」と言ってからさっさと立ち去ってしまう。爺は怪訝そうに門を潜って、敷地の内部におずおずと足を踏み込んだ。 役人「お待ちいたして居りました。大王様が先ほどからお待ちかねで御座います」 爺「吾をですか、大王様が、待っていて下さった、のですか?」 役人「さあ、さあ、どうぞ建物の内部にお進みください。係の者がご案内致しますので」と、建物の内部で待機していた上品な女性に、爺を紹介した。 係の女性「どうぞこちらにお入り下さい。御屋敷の中は通路が迷路のように続いて居りますが、要所要所には警備の者が配置されていて、御無事に貴方様を大王様の私室に誘導致しますので、どうぞ御気楽にお散歩されるようなおつもりで、御楽しみ下さいませ」 爺「解りました。有難うございます」 女性「どう致しまして。どうぞ、真直ぐにお進み下さい」と言ってから、どこへともなく姿を消している。 数分後、えんま大王の私室で対面している そくら爺さん。 爺「御殿があまりに広く、立派なので吾は何度も目が眩みそうに、なってしまいました」 大王「(鷹揚に微笑みを浮かべている)」 爺「先ほども、何度も質問させていただいたのですが、えんま大王様はどうしてそのようにお優しい、まるでお地蔵さまのようなお優しいお顔をなさっているのでしょう。普通には世にも恐ろしい形相の御姿が、肖像画などに描かれて居りますが…」 大王「私が、地蔵菩薩に見えるのは、貴方が正直で、心優しいお人である証拠なのです」 爺「はあ、ありがとう存じます。しかし、これも先ほどお尋ねしたことなのですが、大王様を始めとして、この不思議な土地のお方たちは皆さん、私の事を初対面にも拘わらず、詳しく、詳細に御存じのようなのですが、一体全体、どういう仕組みになっているのでしょうか。どうぞ、お願いですから、この年寄りが納得できるように、御説明をお願い申したいのですが」 大王「何、ワケはありません。浄玻璃(じょうはり)の鏡という、映画のスクリーンのような物に、貴方の行動が逐一鮮明に映し出されるからです」 爺「はあ、私の行動が、何から何まで、映画のように大写しで見られる」 大王「それだけではありません。心の中まで手に取る如くに明瞭に、解ってしまう。鏡は一点の曇りもなく、人々の嘘偽りは忽ちに、見破ってしまう万能のカメラでもある」 爺「すると、その鏡で吾たちの行動も、心の中も全部、お見通しなのですね。それで、生きている間に悪い事を働いた人間は、此処に来て裁判にかけられ、罪人や嘘つきは舌を抜かれてしまうわけですね。あの巨大なペンチのような道具を使って…」 大王「ああ、その俗説は真実ではありません。子供騙しのペテンの如きものです。本当は当えんまの庁の役割は、人間一人一人の人生に対して、ねぎらいの言葉を掛け、疲れている者には安らぎを与え、無念を呑んで娑婆に未練を残している者には、御苦労様を言う。要するに、死者の魂に最終的な救済を行う、神聖この上ない正に 極楽 と呼ぶに相応しい所なのです。恐ろしい所などでは、断じてありませんよ」 爺「それが本当の本当なら、どんなに嬉しい福音でありましょうか」 大王「嘘をつく習慣があるのは、憂き世に在る人間の通弊です。此処の住人は、皆正直で心の綺麗な者ばかり。ご安心ください」 爺「(半信半疑で)安心したいのですが、余りに常識と違い過ぎるものですから…。いや、つまり貴男様を、仰ることを疑っているのでは、決してありませんで」 大王「大丈夫です。慣れていますから。と、言うよりは、却ってお気の毒に感じています」 爺「と、仰いますと…」 大王「(苦笑いしながら慈愛深い眼差しを向けて)八苦の娑婆と呼ばれている人間社会に、長い年月を重ねていますと、誰でも貴方同様に、疑心暗鬼に陥ってしまいますから。シンプルで素朴な事実を、意外と受け入れられなくなってしまう」 爺「そうかも知れませんね」 ――― 数日後の公園の午後。そくら爺さんが若者たちに囲まれて、楽し気に話をしている。 爺「ねっ、だから君たちは出来るだけ善い事をするように、心掛けて、可能な限り悪い事をしないように心掛ければ、立派な人生を送ることが、出来るってわけなんだ。少しも難しい事は無いのだよ」 高校生「閻魔大王だとか、浄玻璃の鏡だとか、僕にはテレビゲームの中の世界にしか思えないな」 大学生「嘘つきは舌を抜かれて、地獄に送られるだなんて、今時、幼稚園児だって本気で話を聞いてはくれないよ」 女子大生「そうよね。死後の世界だなんて、昔の人の幼稚な知恵が生んだ、荒唐無稽な空想で21世紀では、エイリアンの存在を信じることより、困難な事よ。まして、恐ろしい閻魔様だなんて、子供だましにも値しない絵空事よ」 若者たち「(声を揃えて)そうだ、そうだ」と言うと、一斉にその場を立ち去ってしまった。 残された爺は、しょんぼりとして傍らのベンチに腰を下ろす。と、何時の間に来たのか、ババがジジの背後から両手で目を塞いだ。 ババ「だーれだ!」 ジジ「(目いっぱい喜びを表現して)吾の女神様だ」 ババ「大当たりーぃ」 ジジ「吾、本当に耄碌してしまったのだろうか…。若い人からはバカにされっぱなしだ」 ババ「吾 が居るでないの。信じる者は救われるってね。最後に勝つのは何時の場合でも、少数者の真理なのよ。さあ、元気を出して、吾と一緒にその辺を楽しく散歩しましょうね」 ジジは「うん」と大きく頷くと、元気よく立ち上がり、ババと手を繋いで歩き出した。 世界一ナイスなカップルの姿である。
2018年01月27日
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第 二百八十五 回 目 「 庶民の視点から読む 万葉集 」 ―― その第 二章 父母(とちはは)え 斎(いは)ひて待たね 筑紫なる 水漬(みづ)く白玉 取りて來までに(― お父さん、お母さん、そんなにも悲しまないで下さい。私は必ず元気な姿で国に帰って参りますので。それでも子供の身が案じられるでしょうから、村の鎮守の神様に鄭重にお供え物を致し、私の安寧と無事とを祈願して下さい。私は必ず健勝で、地の果てにある筑紫の海の珠玉・真珠をお土産にして、意気揚々と帰郷致す所存で居りますので。どうぞ、お力落としをなされて、病気などなさりませんよう、御機嫌よう日々を御暮し下さいませ、どうぞ!) 忘らむて 野行き山行き 我(われ)來(く)れど 我が父母は 忘れせぬかも(― いくつもの野原を過ぎ、多くの山を越えて、私は父母の事を忘れようと努めてきた。けれども、どうしても忘れることなど出来はしない。長い長い旅に旅を重ねて行けば行くほど、懐かしく、有難い父親と母親の存在が脳裏を片時も離れず、益々望郷の思いが激しくなって行く…。それも無理のない事ではないか、生まれてこの方私は慈しみ深い父親と、限りなく優しかった母親の無限の愛情にくるまれて、健やかに伸び伸びとこの世での生を、心行くまでエンジョイすることが可能だったのだから……) 吾妹子(わぎめこ)と 二人わが見し うち寄(え)する 駿河の嶺(ね)らは 戀(くふ)しくめあるか(― この世で最愛の愛しい妻とかつて一緒に眺めた駿河の山々。美しく、清らかな波が穏やかに、やさしく打ち寄せて止まない海岸が印象的だった。目に焼き付いている絶景と共に、我ら夫婦の心の天国、理想の世界。それを象徴する清浄極まりない山容と共に、永遠に生き続ける美しい妻との感激の恋…、生きる喜び、感動、感謝、感激!) 父母が 頭(かしら)かき撫で 幸(さ)くあれて いひし言葉(けとば)ぜ 忘れかねつる(― 故郷の父母が国を出発する際に、私の頭をあたかも幼い子供にそうする如く、優しく、優しく撫でたり擦ったりしながら、どのような場合でも安穏で健やかに、御暮らしなさいねと前途を案じて、祝福して下さった最後の言葉が、耳についていて忘れることが出来ない。愛情たっぷりな両親の真情から発せられた、何気ない、普通の言葉なのですが、今しみじみと心の中で、何度となく繰り返し思い出されてならない。私は両親から真実、溢れるような多大な愛情に包まれて、生い育って来た幸福を、勿体無く、極めて有難い事だったのだと、只管に感じ続けている毎日であります。だから、何が何でも、石に齧りついてでも健勝でいて、両親と再会を果たさなければならないのだ。何が何でも、是が非でも…。それにしても、もう一目でもよいからご両親に、お目にかかりたいものだ、たった一目でを) 百隈(ももくま)の 道は來にしを また更に 八十島過ぎて 別れか行かむ(― 思えば遥か遠くにまでやって来たものだ。陸路では果てしもなく曲がりくねった山坂を経過し、更にまた海路でも無数の島々を過ぎ越して、命がけの旅を重ね、重ねして地の果てにまで、たどり着かなくてはならない。そして、その果てには困難極まりない義務としての、公務としての任務が厳然として待ち設けている。明日の命さえ保証されていない、厳しく、困難至極な生活を耐え忍んで、是が非でも、生きながらえなければ、この世に生を享けた甲斐も無いというもの。何としても生き永らえなければ、生きて在らねば…。いつもいつも、そう心の中で念じながら、私は現在困難な時間に立ち向かっている) 旅衣(たびころも) 八重着重ねて 寝(い)ぬれども なほ膚(はだ)寒し 妹(いも)にしあらねば(― ああ、今夜で旅立ってから何日目の夜を迎えることか。兎に角も多くの日数を重ねて来たことである。その多くの日数ではないけれども、夜着を十分過ぎるほどに数多く重ねて着て寝るのであるけれども、肌寒い感じは一向に無くならない。いや、それどころか、夜の衣を重ねて着れば着る程に、肌寒い思いは増していくばかりなのだ。だって、考えても御覧なさい。家にいた時には毎夜、片時も離れてなど寝なかった愛しい、愛しい恋人たる最愛の妻が、美しく優しいベターハーフが欠けていて、此処には居ないのだから、ねえ。旅の日数を重ねる毎に、心は寒々しさを、空しい空虚な飢渇感を強めるばかりで、この欠乏を埋める術など、どこにも有りはしないのだ。ああ、愛しの妻に、温かく柔らかい美人の心に、すっぽりとくるまれたいものだ。妻だって、今の私と全く同様に、閨(ねや)の空虚さに耐えかねているに相違ない。ああ、空しさの極みだ、寂しさの極限だ…) 大君の 命(みこと)かしこみ 出で來れば 吾(わ)ぬ取り著(つ)きて 言いし子なはも(― 大和の国を御支配なさって居られる偉大なる王様の厳命を承って、九州方面の辺境防備の任務に就くべく生まれた村を離れて、勇んで旅に出て来たのであったが、別れの折に父親である私の着物の袖に泣きながら取り付いて、さんざんに別離の言葉を掻き口説いた、愛しくも哀れな子供よ。あの時の印象深い姿と声が、今でもありありと心に焼き付いて残っている。あの子供は、今頃どうしているだろうか、無事で毎日を送っているだろうか…。心配で、気懸りで、心の休まる時がないのだ。ああ、吾子よ、いとし子よ、いついつまでも健康で、無事であってくれよ。神様に捧げる弱くみじめな父親の心の底からの願いを、最後の僅かな望みを、どうか叶えてやっては下さらないでしょうか、どうぞ…) ―― こうして見てくると、千年以上前にも死を覚悟しなければならない、辛く切ない別れに際しては、父や母、妻や子供、つまり身近に生活する家族の存在こそ、私たち一般庶民の毎日を支えていた。生き甲斐を形成していた。そうした切実にして真実な、生きた血の通い合った情愛の深く、そしてまた強固な絆が、生きる力の源泉に存在した。確固としてあった。夫婦の愛情、親と子の結びつき、これこそが人間関係の基本なのだと、素直に首肯出来ますね。 シンプルにして素朴な原理・原則。高遠にして広大な理想も、身近な、ぬくもりの感じられる自己との強い結びつきの中から、自ずから発している。自然に、無理なく始まっている。この事実を改めて各自がしっかりと確認しよう。そして、しっかりと大地に両足を着けたスタンスを、どの様な場合でも忘れないでいたい。そう、しみじみと思うのでありました。
2018年01月22日
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第 二百八十四 回 目 「 庶民の視点から読む 万葉集 」 ― その第 一章 畏(かしこ)きや 命(みこと)被(かがふ)り 明日(あす)ゆりや 草(かえ)がむた寝む 妹(いむ)無しにして(― 恐れ多くも天皇さまからの御命令を受け、明日からは野原に生えている雑草と一緒に寝ることになるのであろうか、最愛の愛しい妻は傍らに居ないで…) わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影(かご)さえ見えて 世に忘られず(― 私が片時も忘れずにいる愛しい妻は、やはり切なく恋をしている。夫たる私を心の底から恋しいと、逢いたいと切望しているようだ。何故ならば、私が手に結んだ川の水に、妻の美しい姿が、鮮明に映っていたのだから…。こんなにも相思相愛の私たち夫婦であるのに、この様に遠く離れ離れになっている現在、どうして忘れることが出来ようか、一瞬たりとも忘れることなど出来はしないのだ) 時々の 花は咲けども なんすれそ 母とふ花の 咲き出(で)来(こ)ずけむ(― その季節季節に様々な種類の草花が咲き誇って、我々の目を楽しませてくれている。本当に、有難いことである。自然という大きな恵みに対して、心底からの、絶大なる感謝を、謝意をささげないわけには行かない。所で、その偉大なる神々の恵みの中に、ただ一つだけ不満を申し述べたい。一体どいう理由で、母親の母という名を冠した花が、存在していないのであろうか…。多くの花々の中に、母という花があっても何ら不思議はないはずだ。もしも母という名の、有難い花がこの世にあったならば、我々寂しさを噛みしめている子供たちは、どんなにかこの世の悲しさや辛さを、その花によって慰められることだろうになあ) 父母も 花にもがもや 草枕 旅は行くとも 捧(ささ)ごて行かむ(― 父親も母親も、花であって欲しいものだ。花であれば、遥かな遠隔の土地に旅をして行くとしても、片時も離れずに大切にご奉仕することが、可能であろうから。しかし今回は、その様な自分勝手な願望を果たそうにも、現実は思うに任せない。どうかお父さん、そして、慈しみ深いお母さん、何時までも、何時までもどうか御達者にお過ごしください。御側近くで御奉仕出来ない親不孝を、どうぞ、お許しくださいませ…) 吾等(わろ)旅は 旅と思(おめ)ほど 家(いひ)にして 子持(め)ち痩すらむ わが妻(み)かなしも(― 私の今回の旅は、大王様からの厳命を受けての大切な公務であるから、畏まって、謹んでお受けして参りましょう。が、何としても心残りであるのは、私事で恐縮では御座いますが、家にひとり残していかなければならない、わが身よりも大切に思っている、愛しい愛しい妻の事で御座います。妻は、女手ひとつで大勢の子供たちを育て、養わなければならない。若く美しい妻であるが、苦しく大変な子育ての為に痩せ細るのは、必定である。それを考えると、勇んで任地に赴こうとする私の足の運びも、遅く、弱弱しいものとならざるを得ない。我が足は、遅々として前に進まなくなるのだ…。許させ給え、どうか) ― ここでちょっとばかり寄り道を致します。 ――― 世の中を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば(―この世の中で生きて行くのが辛くて遣り切れないと、強く思うけれども、グッバイと言って鳥の如くに飛び去るわけにはいかない。住む場所が嫌になったら、さっさと大空をめがけて飛び立ってしまえる鳥たちの存在が、実に羨ましく、妬ましくさえ強く感じる、今日この頃である) 次に、万葉の時代ではありませんが、 この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることも 無しと思へば(― この世は、世界中の何もかもが、自分の為に存在しているのだと、心の底から感じている。いや、確信出来ている。それはまるで、満月の姿そのものであり、不足や不満足がどこにも見られないからだ) ご存じの通りに、祖先の政治的天才・藤原不比等によって創始された野望の完成と頂点とを己の一身に見た道長の偽らざる述懐ですが、これを人生の達人が、自己の悟りの心境を開示した名鏡の如き境地とも酷似する。否、悟りの境地そのもの、と喝破することも出来よう。 お判りでしょうか、この世を「憂し、やさし」と感じるのは凡人の常であり、誰にでも直ちに共感・共鳴が可能なのでありますが、「欠けたる事 が 無い」と観ずるのは、人生の達人や豪傑たるを要する、のであります。 いや、いや、そうでもありません。管見・私見に依れば、万人に開かれている 大道 であり、容易な 公道 ですらあり得る。そう断言して、差し支えない。はい、そうなのですね、実は。
2018年01月16日
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第 二百八十三 回 目 ババの見た夢・その一 「貴公子からのプロポーズ」 場所:夢の中 現代の京都と思われる広壮な屋敷の内部 人物:ババ、貴公子、その秘書たち(男性と女性たち) 大きなホールのような応接間に数人の美人秘書たちによって案内されるババ。 ババ「さっきから諄いくらいに何度も言っていますが、これは何かの手違いに間違いありませんので、さっきの男性のお方、確か コレミツ さまとおっしゃいましたか。あのお方をもう一度此処に呼んでください。お願い致します」 秘書のA「かしこまりました。コレミツは直ぐに参ります」 ババ「御親切にどうも。なるべく早くにお願いいたします」と、そわそわととても落ち着かない。すると間もなく男性秘書のコレミツがドアをノックして、室内に入って来た。 コレミツ「お呼びで御座いますか?」 ババ「ああ、よかった。コレミツさん、コレミツさん。やっぱりこれは大きな手違いです。間違いありません。どうか私にこれ以上恥を掻かせない様にしてください」 コレミツ「ご安心ください。最初から申し上げて居りますように、間違いなどどこにも御座いません」と、極めて冷静に対応する。そこへ女性秘書のBがお茶を運んで来て、ババの近くのテーブルの上に置いた。 ババ「ねえ、あなた、美人の貴女。どうか私を助けて下さいな。これはどう考えても大きな手違いか、勘違いが有るに相違ありませんので」 女性秘書 B「間もなく、この家の主人・ひかる様が参りますので、御客様の御疑念は氷解致すものと存じます」 ババ「あの有名な日本一、いや世界一の美男と評判の貴公子、源のヒカル 様が、ですか?吾に、このババにあの、プロポーズすると言うのですか、本当に」 コレミツと女性秘書 B「(同時に)左様で御座います」 これを聞いてババは近くの椅子に倒れこむ様に腰を下ろす。と、奥の扉が開いて通称 輝く日の宮 こと・源(みなもと)のヒカルが姿を現す。驚いて座っていた椅子から飛び上がるように立ち上がったババである。 ヒカル「どうぞ椅子にお座りください。どうぞ普段通りに、御自由に御振る舞い下さい」 ババ「まあ、何て高貴で美しいお方なのでしょう…。それにこの得も言われぬ良い香りは、何とまあ形容したら良いのでしょう…」 ヒカル「どうぞ、お茶を召し上がれ。宇治から取り寄せた特製の抹茶です。シバタ様のお好みに合わせたつもりですが、お気に召しましたなら幸いです」 ババ「そうですか、それはどうも(とお茶を一口飲んで)、うわぁーッ、すごく美味しいです、この御抹茶」と、続けざまに全部飲み干してしまった。心の底から感動している。その様子を見て満足げなヒカル。 ババ「それで、吾 私に御話があるそうですが、それは一体どういう内容なのでしょうか?」 ヒカル「素晴らしい!貴女のその極めて率直で、つまり単刀直入な物言いが僕は今また、非常に気に入りました。是非とも僕の恋人の一人になってください。これ、この通りお願いいたします」と、その場に土下座して懇願するヒカルであった。ババはもう呆気に取られていたが、 ババ「あの、あなた。ヒカルさん、あなた冗談にも程というものがありますよ」 ヒカル「(途中から言葉をさえぎって)冗談や悪戯(いたずら)などではありません。僕は自分の人生で今現在程、まじめに、そして真剣に物を申し上げたことは、過去に一度もありません。神かけて申し上げます」と何か厳粛な雰囲気さえ醸し出しているヒカルの態度からは、青年貴公子の気取りや見栄・プライドなどと言った不純物は、微塵も感じられない。 ババ、視線を転じて周囲に控えているコレミツはじめ、女性秘書たちの表情を伺う。誰も彼も真剣そのものである。一人の秘書に念の為といった風情で声を掛けたババである。 ババ「(ヒカルを指差して)この人、頭がいかれている訣では、ありませんよネ、ネ」 女性の秘書 C「はい、ヒカル様は極め付きの頭脳明晰、判断力抜群の、理想的な知識人でいらっしゃいます」 秘書 D「私はヒカルお坊ちゃまが御小さいときから、お仕え申し上げて居りますが、こんなにも誠実で人情味のあるお方を、ほかに世間でお目にかかった事は、いまだに御座いません」 ババ、納得せざるを得ない窮地(?)に立たされたかに見えたが、一転して開き直った如くに、 ババ「それじゃあ、吾も自由に発言させて貰いますが、ヒカルさんとやら、輝く日の宮さんとか仰るそうですが、吾の事、この皺くちゃババアの氏素性を、性格の悪さまで含めて、どこまで知っていると言うのですか、一体」 その場に居合わせた秘書全員「何もかもで御座います」 ババ「(一瞬、たじろいだが気を取り直して)吾 の何もかもを知っているってか!? 一体全体どうやったらそんな事が、出来ると言うのよ」 コレミツ「我が かがやく財団 には豊富な資金力が御座いますので、ご心配戴かなくとも大丈夫、全て正当な企業力で獲得いたしました、後ろ暗い所など微塵もないピカピカの浄財ばかりでございますから…、その純粋なる浄財を縦横無尽に駆使いたしまして、三年がかりで調査致したものですから、少しの間違いもなく、正確無比な情報ばかりであります」 ババ「三年がかりで(と、心底から呆れている)」 秘書たち「ヒカル様の誠意と真情の証で御座います」と、口々に訴える。 ババ「それでも、それでもですよ、私の心の中までは分からないでしょう、いくら何でも」 ヒカル「ですから、今日こうして御足労頂いて、恐縮ながら御面談をお願い申し上げているのです。実(まこと)に恐縮では御座いますが」 ババ「吾 の気持ちを確かめる為の 面接 なのですか、これは?」 ヒカル「はい。遠路はるばるお運び頂きまして、大変に恐縮でございます」 ババ「いえ、いえ、私は何も嫌だと言っているのではありませんので、ただ…」 ヒカル「ただ、私の真意が信じられない。そう、仰るのでしょうか?」 ババ「(大きく頷く)」 ヒカル「今回だけでなく、時間をかけて二人の心が通い合うかを、入念に確かめて参りたいと考えて居ります。私は自分の愛情の押しつけや、一方的な強要をしようなどとは、最初から考えては居りません。もっとも、私の貴女様に寄せる深い愛情が揺らぐ心配は、全く御座いませんが…。後は、貴女のお気持ち一つなのです」 ババ「(自分の頬っぺたを何度も抓りながら)吾の気持ち次第だってか?」 ヒカル「仰る通りです」と、実にチャーミングな笑顔を見せるのだ。 ババ「(自分自身に)だって、そんな事、信じられる…。女性なら誰だって憧れずにはいられない理想の男性が、若くて、ハンサムで、大金持ちで、性格がとびっきりに善くて、あらゆる才能に恵まれた独身男性が、吾に、こった皺くちゃの耄碌婆あにぞっこん惚れ込んで、首ったけだってかッ……、とっても信じられない」とさっきまで腰かけていた椅子の中に、崩れるように倒れこむ。舞台は急に暗転する。 稍々あって、舞台は再び明るくなる。自宅の台所のテーブルにうつ伏せになり、夢から目覚めたババ。「あーあ」と大きく伸びをした。 ババ「うん、……、やっぱり」とがっかりしている。
2018年01月13日
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第 二百八十二 回 目 ジジ・ババもの(喜劇) 苦は 楽のもと(原因) 場所:クリニックの待合室 町のクリニックの待合室にババが入ってくる。何か楽しげである。所定の箱に診察券を入れてから、ベンチに腰を下ろすババ。他には患者が二人ほど居る。 待合室の患者A「おばあさんは何処が悪いのですか?」 ババ「私ですか?吾 はどこも悪い所はありませんよ」 患者B「ではどうして病院に来たのですか?」 ババ「よく聞いて下さいました。吾は友達の為に薬をもらいに来ただけなの」 患者A「そうでしたか。所でそのお友達の方は、どこがお悪いのですか?」 ババ「頭も悪いし、顔も悪いし、どこもかしこも悪い所だらけな人なの」 患者B「お薬は、代わりに貰いにいらしゃったお薬は、一体何のお薬なのでしょうか、とお尋ねしているのですよ」 ババ「前々から腰が痛いとか言いましてね、腰の痛みに効く貼り薬を、貰いに来たの」 患者B「そうですか。わたしは血圧が高くて、以前から頭痛がひどくて…」 患者A「私はアレルギー症状が最近、特に悪化しましてね」 ババ「それはいけませんね。お大事になさってください」 その時、係の女性が「柴田さん、柴田さん、お薬が用意できました。受付の窓口までお越しください」と声を掛けた。ババが「はーい」と返事して受付に向かった。そして薬を受け取って元のベンチに戻りかけた時に、「だーれだ?」とババの両目を塞いだ者が居る。ジジである。するとババは何を思ったのか、ジジの両手を優しく自分の目から外すと、ジジの後ろに回り込んで、「だーれだ?」とジジの目を覆った。 ジジ「(とても嬉し気に)分からないので、何かヒントをくれないか?」 ババ「別嬪さんで、頭が良くて、気立てが世界一優しい、おめえが夜も昼も、一秒たりとも忘れないでいる素晴らしい女子だ」 ジジ「それじゃ、簡単すぎて、何も面白くないだろうよ」 ババ「あーあ、バカバカしいので、もうやーめた」と、ババは目隠しゲームを止めて、前のベンチに戻った。呆気に取られている患者の A と B である。 ババ「ところで爺様、何しに病院に来たの?」 ジジ「知り合いの人が便秘がちだって言うから、代わりに薬を処方してもらおうと思ったのよ」 ババ「余計なお節介はやかないでおいてよ」 ジジ「(聞こえなかった振り)皆さん、こんにちは」 患者 A と B「今日は。どうぞ此処にお掛けください」とババの隣に隙間をあけるA。 ジジ「これは御親切に有難う存じます」とベンチに腰を掛けた。すると、待っていましたと言わんばかりに、ジジに話しかける B 。 患者 B「わたしは体のあちこちにガタが来てまして、もう一年以上毎週のように、病院通いを続けているのですよ」 患者 B「(も、負けずに)私は肩こりが特に酷くて。それに立ちくらみや、カスミ目…。自分ではまだまだ若いつもりでいるのですが」 看護士の声「佐藤さん、佐藤さん、診察室にお入りください」 「はーい」と答えて、患者Aが立ち上がり、診察室に向かう。 ジジ「婆さん、わしらは年はとっているけれども、どこも悪い所が無くて、本当に良かったね」 ババ「何を暢気なことを言ってるのですか。吾は、悪いところだらけで困っていると言うのに」 ジジ「えーっ、なんだって。そりゃ初耳だね。一体全体、ババのどこが病気だって言うのかね?」 ババ「吾 は何も病気だなんて、一言も言ってないよ。悪い所ばっかりだって、言ってるの」 患者 B「おばあさんは、どこが具合いが悪いのですか?」 ババ「見た通り、面(つら)は悪いし、頭も悪い。おまけにスタイルはとびぬけて悪いと、来ているのだから、自分でも嫌になってしまう」 患者 B「まあ、まあ、随分と冗談が上手なお方ですこと」 ババ「冗談なんかじゃありませんよ。吾、本当にそう思っているのだから…」 患者 B「それは失礼申しました。所で、お婆さん、お歳は、年齢はおいくつになられましたか?」 ババ「女性に年齢を訊くのは、禁物、厳禁ですよ」 ジジ「吾とは二歳違いの幼な馴染みだけど、年齢は秘密だ」 患者 B「(呆れている)」 受付の係「熊谷さん、お薬が準備できました。受付までお越しください」 ジジ、「はい」と返事して受付に向かう。 看護士の声「柴崎さん、柴崎さん、診察室にお入りください」 患者 Bは立ち上がって診察室に入った。しばらくして、薬を受け取ったジジがベンチに戻って来た。 ジジ「お待ち遠さま。こうしてデートの機会が増えるのも、年を取って痛い所があったり、具合の悪い箇所が出来たりするからで、本当に有難いことだね」 ババ「また、この糞爺はノー天気な事ばかり言って…。まあ、その御蔭でお互いに毎日が楽しく、そして愉快に暮らせる訣で、おめえの言う通りに、有難いと言えば、こんなに有難いことはないね」 ジジ「(頷きながら)感謝、感謝」 ババ「(も、頷いて)お天道様(てんとうさま)に感謝、感謝…」 二人仲良く手を繋いで、楽し気に去って行く老カップルである。
2018年01月07日
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第二百八十一回目 ジジ・ババもの( 喜 劇 ) 「 老いも 楽しいもの 」 場所:町の食堂 時:現代 入口からババが駈け込んでくる。 店員「いらっしゃいませ!」 ババ「ちょっとトイレをお借りしますよ」と、そのまま奥の方に直行する。しばらくして、ババが「あーッ、すっきりした」と、近くのテーブルの椅子に腰を掛けた。 店員「御注文が決まりましたら、承りますが…」 ババ「もう少し待ってくださいな、今考えている所ですから」と、壁に貼ってあるメニューを眺めまわしている。 客 a 「この親子丼、とても美味しいよ」 客 b「ラーメンの汁もなかなかいけるよ」 ババ「(猛烈に迷っている)どうしよう、どうしよう……」 店員「あのぉー、お客様、ご注文の品はお決まりになりましたでしょうか?」 ババ「(焦っている)今、一生懸命に考えていますから、もう少し待ってね」 店員「畏まりました」 と、いつの間にかジジが店内に姿を現しており、ババの後ろに回り込んで、静かに近づき、 ジジ「だーれだ?」と、ババの眼を優しく、優しく両手で隠した。 ババ「(大きな声で)カレーライスを二つ、お願いします!」 ババの隣の席に、嬉しそうに腰を下ろすジジ。 ジジ「吾 の大好物を注文してくれて、ありがとう」 ババ「こちらこそ、お礼を言わねば…。所で、爺様、来るのが馬鹿に遅かったので、ないの…」と、一転して、険悪そのものといったムードに急変した。 ジジ「ごめん、ごめん。少し途中で用足しをしていたものだから」 ババ「吾との約束を忘れてたのか?」 ジジ「約束を忘れていた訣ではないのだが、つい手間取ってしまったのだ。本当に御免よ」 ババは、むくれている。すると近くの席に居た客の a が、ジジに気づいて話しかけた。 客 a 「あなたは確か…」 客 b 「そうだ、そうだ、我々と入れ違いに、このお店を出て行ったお方ですよね」 ジジ「(シーイ!)」と、口の前に指を立てて、制止する身振り。 客 a 「(店員の方を振り返って)ねえ、この人は確か十五分ほど前に、このお店に居たお客さんだよね」 店員「ええ、そうです。四十分ほど前にいらっしゃって、どなたかと待ち合わせをしているとおっしゃって、結局、また出直すからと、お帰りになられたお客様です」 客 a と b 「やっぱり…」 ジジは仕方なく、頭を掻いている。ババは全く何も聞こえなかった風情である。やがて、店員がカレーライスを二つ運んできた。 店員「大変、お待ち遠様でした」と、ジジとババの前に料理を置いて去る。しばらくは無言のふたり。 ババ「この嘘つき爺が、早く喰ったらいいでしょ、吾が御馳走するから」 ジジ「これは、吾のおごりにするから、おめえこそ早く喰え」 ババ「今日は吾が支払いをする約束でしょうが、この耄碌じじいが……」と、にこにこしながらスプーンを手に取って、食べ始める。それを見て、ジジもスプーンを手に持ち、一口食べる。 ジジ と ババ「うめーえ!!」、心の底から満足そうな老カップルである。
2018年01月01日
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