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もう一つ、わたしは、この評伝を読みながら、鶴見さんを言い表すことばは 「まともであること(decency)」 ではないかと強く思った。 鶴見俊輔 の伝記の書評を読んで 日高六郎のポルトレ を読むというのは、すこし変だと思われるかもしれない。 鶴見の伝記 が、すぐに手に入らなかったという事情もあるが、要するに 黒川創 に対する下調べなのだった。
鶴見さんは、「米国で吹き荒れた赤狩りのなか、下院非米活動委員会で喚問された劇作家リリアン・ヘルマン」に触れ、「魔女狩りに対して、はっきりと立ち向かった最初の人が女性であった」ことの意義を考えた。そして、多くのものを失ったヘルマンが、それでも獲得したひそやかなものを‘decency’ と呼んだことに注意を向けるよう書いた。そのdecency’を鶴見さんは 「まともであること」 と訳したのである。
わたしがうまく書けないと思うとき、鶴見さんの本を開くのは、そこに行けば、 「まともであること」 が何かを感じることができるからだろう。 「まともであること」 が、途轍もなく困難であるような時代であるからこそ、いま、この本の中の鶴見さんのことばに耳をかたむける必要があるのだ。わたしは心の底からそう思うのである。
「面白いのなんのって!」 ここにも一人、戦後を生きた 「まともな」 人がいた。
日高 :自分の一生の七〇年なんり八〇年なり、それをものさしとして時代を見る。ふつう僕たちは、時代の流れを、自分の力ではどうしょうもないものとして見ている。たとえば、大正デモクラシーがあれば、その次は何が来る、というように。でも、それだけじゃなくて、歴史は、僕の寿命のものさしで測れるわけ。 現実の社会に対して 「自分の寿命」 の 「ものさし」 をあてる。そこからすべてを始める。 「ものさし」 の精度を上げるのは自分の責任だし、結果を尊重するのは、まず自分に対する 「モラル」 ということだ。
黒川 :なるほど。ただ、それを自分の視野に収めるには、先生くらいの長生きをしないと‥‥。
日高 :うん、そりゃそうだ。はははは!あなたも長生きしてください。
黒川 :子どものとき片言はできるというのは、ボーイとかアマとかから、口伝えにおぼえるんですか? 少年の頃の父の思い出を語ったところだが、ここには同じように 「まとも」 だった父がいて、90歳をすぎてその見識を記憶している 「まともな息子」 がいる。 日高 が、ここから 「ものさし」 の作り方を学んだことは間違いないと、ぼくは思う。
日高 :そう。それで、中国語を勉強したいって、家で言ったわけ。中学校の補習授業に中国語があるので、それをやりたいと。だけど、その時だけは、父が「ノー」と言った。中国語は勉強してはならない。中国に来たら、日本人は堕落する。この青島を見てごらんなさい。中国人にいばって、悪いことばかりしている。権力、武力のもとで人間は堕落していく、みんなそうだ。。中国で生活しないようにしてくれ。日本に帰って、日本で勉強しなさい、と。それも一つの見識だよ。
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